やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

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 Twitter等で見かけた話題について、何か思うことがあったら書くカテゴリ。メインコンテンツである作品の感想とは読む層が違いそう。

 

特撮

ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

――クウガ

―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

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―――クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想

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―――終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

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―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

―――555感想一覧

――

―――運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想

―――剣(ブレイド)感想一覧

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―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

―――響鬼感想一覧

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―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

―――カブト感想一覧

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―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

―――電王感想一覧

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―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

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―――仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

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―――手品のような作品『仮面ライダーエグゼイド』 本編感想

―――エグゼイド感想一覧

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―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

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―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

―――ジオウ感想一覧

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―――ゼロワン感想一覧

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―――セイバー感想一覧

 

戦隊

――タイムレンジャー

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――ゼンカイジャー

 

ウルトラマンZ

 

まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

――ヘボット!感想一覧

進撃の巨人

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

「もはやこれは仮面ライダーじゃない」
そんな声を毎年多く聞く。では仮面ライダーであるとは何なのかと問うたとき、仮面ライダーの名を冠する者すべてと過不足なく一致する定義を答えられる人はなかなかいない。

仮面を被り、バイクに乗る。その簡単な2項ですら、少なくとも劇中に描かれる限りでは守らないキャラクター達がいる。
ドライブが乗るのは主だって車であるし、RIDEを日本語の"乗る"と解釈しても、近年ではそもそも"乗り物"を持たない者もいる。直近だとバルカンやバルキリー……はかろうじて変身前に黒いバンに乗っていたが、滅亡迅雷の2人は現状、迅がゼロワンに馬乗りになっていたくらいである。
いわゆる複眼,触覚,Oシグナル,クラッシャーなどの外見的な特徴も、ひとつも持たないものこそなかなかいないが、たったひとつ満たしていればそれで良いのかと思う人も多いだろう。
改造人間であるか否かという点も、放送コードか何かによって守られていない。

現在ある程度の説得力をもって世間に受け入れられているのは、
・同族争い,親殺し,自己否定の3つを満たすこと
・悪の力を善に転用すること(敵と同じ力を使う)
・人間の自由のために戦うこと
くらいのものである。

以上の現実を踏まえた上で、「仮面ライダーの定義」を打ち立てることについて考えていくというのが本記事の主題だ。

 

目次

 

 

 定義とは何か

まずはここを確認する必要がある。言葉の定義というものは、決して客観的に存在するものではない。
定義とは、コミュニケーションをはかる際に誤解が生まれないよう、ある言葉から抱くイメージをひとつに統一しようという目的のもとに、多くの人が参考にできる拠り所を設けようとする行為である。
すなわち、その目的を共有できない人とは話がそもそも噛み合わないこととなる。
そして大前提として、「仮面ライダーとは何か」を考える際に参考となる大きな軸のひとつは、いわゆる"公式"の見解であることも改めて共有しておきたい。
多くの人がその"公式"の言うことにある程度の権威を感じていることは、彼らの持つ影響力というかたちで現れている。我々が受け入れるから彼らは影響力を持ち、その影響力がまた権威となって更に多くの人に受け入れられるのだ。
政治と同じく、公式の持つ権威は一人ひとりに受け入れられているということに基づき、逆に多くに受け入れられているものは公式でなくとも同等に扱う。
「悪の力を善に転用すること(つまり仮面ライダーは善でなければならない)」という定義は公式の言う"仮面ライダー"の多く、いわゆるダークライダーやネガライダーを振り落としてしまうが、僕の見る限りおいてはそこそこ支持を得ているので併記した。
個人としての僕はこれを支持しないが、「受け入れられている」という事実は受け入れているつもりでいる。
どんなに正しそうに見えても、多くの人に支持され共有されなければ「他者と誤解の少ないコミュニケーションをとる」という定義の目的を達成させることは難しいからだ。
(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

 


 "仮面ライダー"とは何か

いくつかの平成ライダー作品においては、仮面ライダーという呼称は劇中では使用されない(クウガ,アギトなど)か、出処が不明瞭なまま既知のこととして扱われる(龍騎,剣)。
対して『W』では風都市民が、『ドライブ』ではブレンが、それぞれ"仮面ライダー"という呼称を使い始めたのだと明言されている。
前者はそれでもぼやかされているからなんとか納得できるが、後者の「仮面の……ライダーだ! 仮面ライダーに警戒せよ!」というあのシーンには、強烈な違和感を覚える。
何故あのプロトドライブを見て"わざわざ"、仮面とライダーというその2つの要素を、その表現で、その順番で並べたのか。この疑問が出てくるのは、僕が視聴者という立場にいるからというだけではなかろう。むしろ視聴者でなく仮面ライダーという単語を知らない者こそ、抱いて然るべき疑問だと思われる。
ブレンがあの時あの場所で思い浮かぶ言葉は、それこそマスクドライダーでも、アーマードライダーでも、メットライダーでも覆面ライダーでも、なんでも良かったはずなのだ。にも関わらず(他作品と)示し合わせたように"仮面ライダー"になることに、僕は違和感を禁じ得ない。
市民が呼び始めたというのもブレンが名付けたというのも、どちらも「何故劇中の戦士が仮面ライダーと呼ばれるのか」に対する説明としての機能を持っているが、それは少なくとも僕の「何故"仮面"と"ライダー"の2要素を強調して呼ばれているのか」に対するアンサーにはならなかった。
僕はグローバルフリーズのスピンオフは見てないのでなんとも言えないが、そこではそんなにも"仮面"と"ライダー"を名前に付けたくなるような活躍が描かれているのだろうか?
仮面を強調するならば素面の存在がチラついていなければおかしくて、そうでなければ元よりそういうデザインの機械かもしれない。それでいくとダブルは正体を隠しているはずなので、変身体と別の姿(面)があるという発想を抱く理由が見当たらない。顔が見えない程度に変身するところだけたまたま目撃されたのだというロジックも組めるが、結局実際のところ「仮面ライダーと呼ばれる」という結論ありきなことに変わりはない。
仮面ライダーであって悪い理由はないが、仮面ライダーである必然性もまた、ないのだ。


では、平成ライダーが"仮面ライダー"と呼ばれるのは「『仮面ライダー』から続くシリーズであるから」で一旦片付けるとして、初代『仮面ライダー』まで遡って、「何故"仮面ライダー"なのか」という疑問の答えを探してみるとどうだろうか。
結論から言えば、見つからない。
開幕早々、画面上に映ったキャラクターに『仮面ライダー』というタイトルが重ねられることで、また主題歌やナレーションを通じて視聴者に対しては問答無用で示され、劇中内では本郷変身体=仮面ライダーであるということは、どうやらほぼ自明のこととして扱われている。
2話で初めて、バイクも何も関係ないのに唐突に「ライダー投げ」という技名らしきものを叫び、3話にて戦闘員がこれまた唐突に「仮面ライダーだ!」と呼ぶ。
味方サイドで自覚的に呼ばれるのは4話であり、少年が自分を助けた"あのお兄ちゃん"は誰かと問うたところ、「あれは仮面ライダー」だと説明される。
漫画版にしても、変身した本郷猛が自分から名乗るというだけで、唐突なことにそう変わりはない。
本郷猛が仮面ライダーと呼ばれるに相応しいかどうか、みたいな段取りは一切なく、なんなら流れとか雰囲気といったもので呼ばれ始める。

劇中で仮面ライダーと名付けられるのは現実世界でそう名付けられたからかもしれないが、更にそこへ「何故」を突きつけることもできる。仮面を名前にチョイスしたのはペルソナをテーマにするためかもしれないが、では何故ペルソナの要素を入れようと思ったのか。何故あのようなデザインになったのか。何故石ノ森氏に依頼されたのか。何故企画されたのか……。
このように、あることを説明するために使った事柄についての更なる説明を求めていくと、無限後退と言われる状態に陥る。
"根拠"とは言葉の通り根っこであり、ある事柄が成立するための前提条件である。無限後退している限りはいずれの前提も無根拠なものとなり、正当性(拠り所)を失ってしまう。


いちゃもんを付けて、否定したい訳では決してない。
ただ、仮面ライダー達が"仮面ライダー"という文字列で表されることに対する明快な"根拠"は、少なくとも劇中では示されていないということは、ひとつの事実として受け止めなければならない。
言語学ではこのようなことを言語の恣意性と呼び、そもそもそこに根拠など有り得ないとしている。

 

 


 意味の逆流現象

前項では「何故」をキーワードにそのルーツを辿ろうと試みたが、失敗に終わった。
ここでは「何故かはよく分からないが仮面ライダーと呼ばれている」という事実を受け入れた上で、それがどのような意味を持つのか考えていくこととする。

仮面もライダーも、どちらも本郷猛変身体という存在を記述するために、その所有物(マスクとバイク)を利用していることが分かる。
"仮面ライダー"というのは、「本郷猛の仮面とバイク」という認識から見て「仮面を被ってバイクに乗った存在(本郷猛)」という認識に主従関係が逆転しているのだ。
これは、世間的にショッカーという組織が「仮面ライダーの敵」と認識されていることと似ている。
ある集合の中の一部が、全体の意味に影響してしまうのだ。


仮面ライダー関連で似たような事例をもう2つ挙げよう。
『ディケイド』における小野寺クウガ。彼が地の石の力によって変身するライジングアルティメットというフォームがあり、それに対して「ライジングフォームはアルティメットの力が漏れ出た形態なので、"ライジングアルティメット"というものは有り得ない」という意見がある。
これはたまたまクウガがアルティメットの力によって力がRiseしている様子をライジングマイティなどと名付けただけであるにも関わらず、受け取り手が勝手にRisingという言葉そのものに「アルティメットによる」という意味を付加させてしまったことによる混乱である。矛盾があるとすれば、更に上昇する余地があるのならそれは"究極"ではなかったのではないか、という部分だろう。まぁそれも「名付けた者が究極だと思った(けど違ったらしい)」で済む話だが。

もうひとつは『フォーゼ』における如月弦太朗。「主人公の髪型がリーゼント」というだけで、抗議の声が殺到したそうである。
あの髪型にすることが直接的な"悪行"ではないはずだが、リーゼントヘアで不良行為をした誰かがいたせいで、髪型そのものに"悪い"という意味が付加されてしまったのだろう。
学校の規則を破ることはよいことではないが、そもそも規則としてあの髪型を禁止する時点で既にその意味の逆流が起こっている。或いは「何故」の通じない、よりプリミティブな不快感に根ざしているか。

このような現象は、我々のそばで日常的に起こっている。

 

 

 大自然が遣わした戦士

"定義"というのは、厳密には対象となる概念と過不足なく一致する必要があるので、これは定義とは少し違う話なのだが、僕の中での"仮面ライダーのイメージ"というのは、「たくさんいれば、色んなやつが現れる」という言葉で表現される。
ショッカーが自らの意のままに動く怪人たちをたくさんつくっていれば、いずれ一人や二人くらい意のままに動かない者が現れる……それが"自然"なことである、という観念。
これを「"仮面ライダー"と呼ばれる者」の定義にしようとすると、例えば本郷を逃がすことに協力した緑川博士の存在も含まれてしまうが、彼に仮面ライダーの名は冠されていないので、矛盾してしまう。

ショッカー怪人なのにショッカーに従わないだとか、仮面ライダーなのに悪人だとか、リーゼントヘアなのに悪いことをしないだとか、ショッカーが脳改造前に本郷を目覚めさせるだとか、実験のためとはいえ本郷に風力エネルギーを与えてしまうだとか、そう言ったことに対して我々が感じるある種の"不自然さ"や"おかしさ"。
しかしどれだけおかしい、有り得ないと思っても、実際に起こってしまっている以上、人間の認識には反していても、この自然世界のルールには反していない。すなわち"自然"なことなのだ。
この文脈でのより大きな"自然"のことを、人間が感じるそれと区別するために、ここでは"大自然"という言葉を使いたい。

 

実際の現象を前にしては、理論的に有り得ないだとか定義に反しているだとかそういったものは意味をなさない。事実こそがすべてであり、大自然の前では我々人間の理屈は常に泣き寝入りをするしかない。
一度雨が降ってしまえば、いくらその日の降水確率が0%でおかしいと感じても、降らなかったことにはできない。
うちの近くのスーパーでは、買い物の際に3円払うと"ゴミ袋"と書かれた袋を渡される。買ったばかりのもの、況してや食料品をその中に入れて持ち帰ることに僕は些かの抵抗を覚えるのだが、勿論"ゴミ袋"と書いてある袋に入れたからと言って、商品がゴミ(もう使えないもの)になる訳ではない。レジ袋として使えばゴミ袋と書いてあろうとも本質的にはレジ袋足り得る。
天気予報が外れることもあれば、ゴミ袋が想定外の使われ方をすることもある。

複眼(たくさんの目)に触角(アンテナ)、そしてOシグナル(第三の目)と、仮面ライダーの記号は「周りの状況を察知する」能力に長けているイメージがある。目は言わずもがな周囲の風景を、触角は温度や音,匂いなどを、第三の目はそれらを超越した直観や霊的感覚などを司り、ともかく全てに共通するのは"探る"のが役割だということ。ついでに言えばマフラーも、風の有無がひと目でわかる。
だから特に近年の仮面ライダーは、流行を取り入れ周囲に合わせ、得てして目の前にある現実を"受け入れること"がテーマ的にピックアップされることが多いのだと思う。

後になって、顔が特徴的なのもその周辺に情報の受信部が多いことも当たり前であって、わざわざ取り上げるようなことでもなかったかなとも思ったが、ご愛嬌。

 

"仮面ライダー"という新しく作られた概念は、何故かもどういう意味かも判然としないままに、本郷猛変身体を指して使われ始めた。
そしていつしか変身者が一文字隼人に変わっても、悪人に変わっても、バイクに乗らずとも続けて使われている。
ショッカー怪人がたくさんいればショッカーに歯向かう仮面ライダーが生まれてくるように、仮面ライダーも規模が大きくなれば色んなやつが生まれてくる。

何事も「もはやこれは〜ではない」と言いたくなる例外的存在は出てき得る。それが"大自然"の掟なのだ。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

 

 

 世界の破壊

ショッカー怪人だからと言ってショッカーに与するとも限らないし、仮面ライダーだからと言って正義の味方とも限らない。
改造人間という設定は、人間の体すら究極的には言葉と同じく、交換可能な"仮面"に過ぎないということを表している。
記号と、それによって表される意味。
言語はもちろん、それ以外のリーゼントという髪型や我々の顔のような視覚的な情報、聞こえてくる聴覚情報なども、すべて"記号"に過ぎない。
仮面ライダーのデザインは、どう見ても設定通りの強化された肉体というよりは服なのだが、"改造人間バッタ男"がショッカーの技術で複製可能なのと同様に、容易に取り替えられる衣服もまた人の外見を規定する記号のひとつである。
現代で言うところの"コスプレ"の延長線上に、なりすまし(擬態)はある。
実際、既に整形技術はかなり普及しており、かわいいだとか美しいだとかいう基準に合わせて顔を作り変えた結果、多様性がなくなり「皆同じような顔」になっているというような話も耳にする。
"そっくりさん"はつくれる時代に突入しつつあるのだ。

また俳優の藤岡弘、さんの事故の弊害であるとはいえ、中盤に本郷猛の過去の映像が使い回され、声を別の方が吹き替えていた時期がある。
これも結果的にだが、本郷猛だからと言ってあの声だとは限らないという、声の交換可能性を示す事柄となっている。
というか桜島1号とか新1号とかの登場回も見てみたが、声と同じく見た目が変わったことに対する説明らしきものは一切見当たらなかった。
だがそれらも全部「改造人間だから」で受け入れられてしまうのは、偶然というよりはこの設定の懐の深さを表していると言えよう。
すなわち、"仮面ライダー"の真髄のひとつは、この"交換可能性"という部分にあるのだ。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

インターネットが普及し、誰もが簡単に仮面を被ることができるようになった。
ゼロワンの感想にて詳しめに話したが、ゲームプレイワーキングと言って、自覚的にはただゲームをしているだけでその入力が何らかの仕事に変換され、働いているのと同じ成果を得られるようになるシステムというのも考案されつつある。これもまた、見えている世界と実際に意味する世界を乖離させるベクトルの力である。
もはや見た目も声も名前も物事の本質と直結せず、そもそも本質……攻殻機動隊で言うところのゴースト(代替不可能なもの)などあるのかという疑念に駆られるようになる。
だが、それは悪い面ばかりではない。何者でもなくなった我々は、同時に何者にもなれるようになったのだ。
白倉さんによれば仮面ライダーは自らの親を否定するというが、その意味では作品にしばしば登場する"おやっさん"という存在は、言わば親代わりと言える。
加賀美やじいやたちにとって、本来何の関係もないスコルピオワームが神代剣になり得るように、誰もが誰かに擬態できる。
ゴミ袋をレジ袋として活用することも当然できる。

従来信じられていた必然的な繋がりが破壊され記号と意味が分離した結果、「子供たちは仮面ライダーになれる」のだ。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 


 自らを由とする

記号と意味の繋がりが断ち切られ、破壊された世界では、存在はその背景や根拠,ルーツを失う。

人はそういった後ろ盾を持たない者に対して厳しい面がある。「ジクウドライバーはどこから来たのか」「ギンガって一体何だったのか(何年のミライダーで変身者は誰なのか)」などという疑問はいい例である。ビルドドライバーは、エボルドライバーを参考に葛城親子がつくった。だが、そのアレンジの発想の元や、そもそものエボルドライバーはどこから? と言った"由来の由来"、すなわち祖父母にあたる疑問は、目を向けられないことが多い。なんなら仮面ライダーの力の源について「現代の科学では説明できない不思議なパワーなのだ」という説明する気がない説明でも、何も言われないのと比べればそこそこ落ち着くだろう。

これを端的に表しているのが『龍騎』だ。
「映画は本編に繋がるループのひとつである」という言説は、それだけでは説明になっていない。何故ならタイムベントで時間を巻き戻す当事者である士郎が死んでいるので、単純には繋がり得ない。もちろん、他の誰かが神崎の研究資料を見てやっただとか、それなりに理屈を通して繋げることは不可能ではないが、上記の説明だけで納得している人は明らかにそこまで考えていないだろう。

ジオウ同様に説明不足も甚だしい電王が成立しているのは、例えば「教養の差だ」みたいな"説明してる風"のセリフがあるからだろう。
我々が抱く「何故?」とは、その程度の近視眼的で適当なものなのである。
親世代が無根拠であることを容認されるのならば、子世代が無根拠であることも理屈としては大差ない。


要するに、エボルドライバーの出自が気にならないのにビルドドライバーやジクウドライバーの出自だけを気にするのはナンセンスだ、という話。エボルドライバーの出自が宇宙のどこかの知性体だとするなら、その知性体のルーツも探らなければならない。これは先ほど言った無限後退である。
無限後退をしないのであれば、我々はいつか、背景を持たず無根拠で、他者との関係によって記述されない"孤高の存在"を受け入れねばならない。実際にそうであるかは関係なく、我々の認知の限界として"ナマの事実"は現れてくる。もしくは循環するか。

人は自分のルーツを求めて宗教による"説明"をしようとする。
だが無宗教の人が存在するように、また人をつくった神のルーツ(のルーツ)が語られないように、根拠など分からずとも存在できてしまうのが実情である。


従来は「自分は男だから力が強い」という文章が意味をなしたが、男だからと言って力が強いとは限らないことが分かると、男であることは根拠として機能しなくなる。
そこにあるのはただ「自分は力が強い」という事実のみである。
これは、"それまでの定義からの自由"を意味する。
定義がもたらす「男である→力が強い」「仮面ライダーである→正義の味方」「すずきやまとである→葛葉紘汰ではない」などの不自由から解放され、すずきやまとであった背景をかなぐり捨て葛葉紘汰になることができる。
これこそ、世界の破壊がもたらす恩恵である。

僕のハンドルネームである"やんま"は、由来としては所謂リアルにて友人にそう呼ばれていることが挙げられるし、更にその理由を求めると例えば眼鏡をかけていることだったり本名とも少しかかっていたりということになってくるのだろうが、そんな背景はお構いなしにネット上では"やんま"として、なんなら"やんまヘボ"として定着しつつある。
そう、例え一切根拠などなくても、名乗ること/呼ばれることによって名前というのは"定着"するものなのだ。


先程からキーワードをちょろちょろ出している『ディケイド』を絡めて説明するならば、士が世界によって役を与えられることを"役者"に見立てたとき、同じ現象が起こっていることが分かるだろう。
井上正大さんは門矢士に変身する。「門矢士として生きてきた背景」を当初の彼は持っていないが、撮影が始まれば門矢士になりすます。
しかし背景を持たないからと言ってその存在(井上氏演じる門矢士)が成立しないとか価値がないかと言えば、そうはならない。彼の声、表情、身のこなし……その一挙手一投足が"門矢士"として新たな価値を生み出し、定着していく。
『ディケイド』を好きじゃない人も自分の好きなキャラクターに置き換えて見れば共感できるだろう。仮面ライダーシリーズにおいてノンフィクションだった作品というのは現状ない。
背景の破壊というものを自覚的に扱った作品として、もうひとつ『電王』がある。味方側のイマジンズはルーツである"カイの未来"がなくなったことによって消えるはずだったが、そんな根拠などなくとも「いるものはいる」ということを示した。同時に良太郎のイメージを借りた存在でもあるが、後々良太郎がいなくても登場したり変身できたりするようになったのも、その傍証であろう。良太郎に両親がいないのもそれを思わせる。

 

悪の仮面ライダーや暴走するアナザーアギト(アギト)の存在によって、正義の仮面ライダーや木野アギトの名誉が脅かされるという意見がある。
だがしかし、"仮面ライダー"の称号という文字列や、アナザーアギトのような見てくれひとつにすがらなければ瓦解してしまうほど、彼らという概念は弱いものなのか。その個体が持つ要素の中からそれだけを抽出して、あとは"ないも同然"にしてしまうのか。
それらひとつひとつは所詮借り物の記号による一部分に過ぎない。例えばクウガのガワにも小野寺が出て来る前から先代という別の所有者がいるし、アギトの力もまた他の変身者が多数いるものであり、翔一と同型のアギトが存在し得る以上、個体差の問題として木野のものとよく似ているか全く同型のアギトが生まれる可能性がないと言い切る根拠はない。木野薫という名前にしたって、それほど珍しい訳でもないし、同じく木野という苗字の人間が悪事を働く可能性は十分にある。だがだからといって「木野薫に失礼」という立場からの批判はナンセンスだろう。決してこれらは専有物ではない。

では木野薫という概念とは何なのかをきちんと説明しようと考えると、"生き様"とでも言えるような網羅的なものでないといけない。
それをたった一言で表現しようとするならば、木野薫とは木野薫であり、仮面ライダーとは仮面ライダーである……という、トートロジーに落ち着くことだろう。

下の記事の"テーマ"という項で、ダークライダーの存在意義について詳しく書いてるのでそちらも是非。
(参考:仮面ライダーディケイド 6,7話「バトル裁判・龍騎ワールド/超トリックの真犯人」 感想)

 

先に用意された仮面ライダーという集合の"定義"に構成要素たる本郷猛たちが従うのではなく、その名を冠する者たちの生き様そのものが逆流し"仮面ライダー"という概念の意味をつくりあげていく。
それがこの"定着"という現象の意味するところだ。

名が体を表すのではなく、体が名を表す。
彼らに背景の有無は関係なく、仮面ライダーだから仮面ライダーなのだ。

そういう意味で、とにかく顔に「カメンライダー」と書いてあるから仮面ライダーであるというジオウの(言語学的な)スタンスは子供向けとしても至極真っ当と言える。

 

 

 

 仮面ライダーの敵

既存の定義にもあるように、仮面ライダーの敵はそのルーツである場合が多い。このことからも、仮面ライダーの無根拠性が顔を覗かせる。

敵組織の中でも最初の敵であるショッカーに注目すると、「ナチスドイツの残党」という点がひとつ挙げられる。
あいにく僕は社会科、とりわけ歴史を毛嫌いしているので詳しいことは知らないのだが、ショッカーとの類似性という視点から語る上で重要になるのは、やはりその優生学的な側面だろう。
改造手術によって動植物の特徴を移植し、強化された人間をつくる。そしてそれに適応できない者は(強制労働の末に)殺されてしまう。

ここに現れているのは、超人的な人間だけによる無駄のない世界にせんとする、息の詰まるような思想だ。
僕は発達障害を持っていて、最近は同じ障害者(身体精神など問わず)が集まる施設に通っているのだが、自分も含め、我々障害者が他人と関わりながら迷惑をかけずに生きていくことがなかなか難しいのは、悲しいかな事実ではある。
そういった負の面を日々感じている身からすると、「人類全体のことを考えたら障害者はいない方がよい」という意見を、無下に扱うことはできない。

障害者に限らずとも、例えば一部の犯罪者などは今でも実際そのような判断を下されて死刑となってしまっている。

健常者も他人事ではない。日常生活は問題なくおくれていても、人類全体というマクロな視点に立った時には、一挙一動がバタフライエフェクト的に損をもたらしている可能性はあり得る。例えば安くて質の悪い商品を妥協して買う判断は、技術の発展を遅めている一因であると言えるかもしれない。より高く質の良いものに需要をもたらすためにはよりお金を稼ぐ必要があり、その為には自らもより質の高い生産をしなくてはならないというスパイラルに陥る。その先にあるのは、小さな幸せに満足することなど許されない世界だ。
(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

以前の記事にも書いたが、僕は人類に与えられた自由があるとすれば、それは「最善を尽くさない自由」だと思っている。
将来のことを考えたら何か身になることを勉強した方がいいと思いつつ、漫画を読んだりテレビを見る自由。もう少し痩せた方がいいと思いつつ、お菓子を食べる自由。選挙に行った方がいいと思いつつ、行かない自由……。

"正しいこと"という概念は、人の自由を奪う。僕は「自分の意見が正しい」と感じているとき、きちんと説明して伝われば、遅かれ早かれ全ての人が同じ考えになると信じている。この「全ての人が同じ考えになる」ことこそ、"世界征服"そのものである。

そしてそれはとりもなおさず、冒頭で示した定義という行為(ある言葉から抱くイメージをひとつに"統一"する)に繋がってくる。

 

それと敵対することから、「(誰かにとって)正しくなくてもよい」ということを示すのが、仮面ライダーであるとも言える。
ショッカー首領にとっては、全ての人間が改造され自分の意のままに動くことが"最善"なのだろう。だがそうでなくてもいい。例え自分に不利益をもたらすことであってもそれをする(利益をもたらすことをしない)自由、すなわち愚行権の許容である。
逆に仮面ライダーが次々と生まれるように、同時に敵組織も毎年生まれている。これが許されるのは、敵組織も仮面ライダーにとって正しくなくてよいということを認めなければならないという矛盾を孕むからだ。

この"矛盾"という言葉についても少し考えてみたい。
この熟語の由来は「どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも貫けない盾があったらどうなるのか」ということに対する違和感を表したものであるが、一度立ち止まって考えたとき、この矛盾という現象は、言葉の上でしか起こらないことが分かる。
この自然世界では、どちらかが勝つとか、確率的にどちらが勝つか決まるとか、対消滅するとか、何かしらの結果が必ず出る。
このようにきちんと結果が出たならばそれは矛盾とは言わないだろう。
すなわち、矛盾というのは何かしらの「人間の勘違い」に基づかなければ成立しない概念なのである。不自然なことなど、起こり得ない。

フィクションの設定についても同様のことが言える。
"設定"というのはあくまで現象に対する解釈に過ぎず、たまたま創作物ではそれを先行させることができるように錯覚してしまうだけ。
少なくとも今の僕は、既に起こってしまったことを前にして「有り得ない」などと言うのはナンセンスに感じるので、現象ありきで考えることにしている。指摘したからと言って撤回される訳でもないし。
「人間にとっておかしく見えること」など、大自然にとっては問題ではない。
自分のおかしいと思う基準(正しさ)を大自然に対して押し付けることは、できない。仮面ライダーはそれを体現する存在なのである。

 

 

 

 "仮面ライダー現象"/自然と自由の象徴として

長々と語ってきたが、一言でまとめるのならば「分かったような振りをして定義することによって仮面ライダーから自由を奪うこと自体が、仮面ライダーの理念に反している」ということになる。
人間はこうして短くまとめてもらわないと、脳の処理能力が追いつかなくてなかなか理解できない。書いてる僕本人でさえ全容をきちんと把握しているか怪しい。
だからいくつかの事実を"例外"として目をつむり、より簡単でキャッチーな理解をしようとする。
"仮面ライダー"とはそういった規格からはみ出るものが現れる"大自然の掟"そのものであり、現象の名前であると僕は捉えている。その名を冠するキャラクター達はあくまでその現象の代表として、象徴として、表舞台に立つだけであり、緑川博士やイマジンたちも"現象としての仮面ライダー"には含まれる、というのが持論である。


しかし、その人間の限界もまた自然なこと。
最初に挙げたいくつかの「仮面ライダーの定義」は、既にある程度定着している。定義というものはそのように人々の間でイメージが共有されなければ目的を果たさない。
ゴルドラとシルバラがいくつかの媒体で仮面ライダーの名を冠されたが現在あまり定着していないように、仮面ライダー足る資格というものがあるとするなら、それは人々に広く受け入れられるかどうかということになるのだろう。
そういった意味で、悪人を仮面ライダーとは認めないとする者が生まれるのも自然なことであるし、逆に認める者が生まれるのも自然なことだ。もちろん制作側があるキャラクターに仮面ライダーの名を付けようと思うこともその範疇であるし、そういった人たちが自由に議論を重ねることもまた、仮面ライダーという概念をつくりあげていく自然選択のひとつである。


現象としての仮面ライダーには、我々も含まれている。
我々もまた大自然に遣わされた存在として、自由に生きることができる。
仮面ライダーの定義を決めるのは、石ノ森先生や本郷猛、白倉さんや況して僕ではなく、その全員を含めた集合知としての大自然であろう。

 

 


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『シン・ウルトラマン』 感想メモ

本記事は2022/5/13に公開された企画・脚本 庵野秀明,監督 樋口真嗣による『シン・ウルトラマン』について、僕は大きなテーマで語れるほどウルトラマンを知らない(↓)ので、細々と思ったことを箇条書き形式でまとめたものです。長かったり一言だったりマチマチ。
一応シンウル自体は2回見て、パンフとデザインワークスは読みました。当然ネタバレを含みます。
※全話見た→G,オーブ,ジード,Z
多少知ってる→パワード,ティガ,コスモス,ネクサス,マックス,メビウス,R/B,タイガ

 

 

視聴前

ゴジラは倒されて、エヴァはさようならされて、ウルトラマンは多分帰って……となると、仮面ライダーはどうなるんだろう? 本編的にはいなくならないし、すぐ次の週からV3に出てきて改造手術したりしてたけど。
・言ったら身も蓋もないけど、ぶっちゃけシンウルトラマン仮面ライダーが世間的な評価でシンゴジを超えることはないんだろうし、自分の中でも超えてこないんだろうなというやや諦めに近いものはある。

 

観賞後の所感まとめ

・割と面白かった。
「自分がウルトラマン知らない割には」と「シンゴジのハードルがあった割には」の"割と"。
・見る前は「下手にリアル路線にしたらバカバカしさが浮くぞ……」と思ってたけど、実際はかなりそこんとこ開き直ってエンタメしてた。
「巨大人型生物 ウルトラマン(仮称)」の時点からだいぶ、パッと見でバカっぽいのを大真面目にやってるから大丈夫かなと思ってたんだけど、結構ギャグも多めだったし、ウルトラマンの挙動も面白おかしく見えたりそれがふっと不気味に見えたりっていう具合になってて、「シンゴジとは違って今回はこういう路線、現実 対 虚構じゃなくてあくまで"空想"側の話」と理解してからは普通に楽しめた。
・スタッフたちは違うと言い張ってるけど、シン・ウルトラマンは結構子供向けに見えたなぁ。子供というか、「ウルトラマンを全く知らないし興味もない一般層向け」というよりは「ウルトラマンに興味はないでもないけど子供っぽさで敬遠してる人向け」のリアリティライン。庵野さんは"緩め"って言ってた。
バクマンの「俺たち読者アンケート3位票が多いから、少し面白くするだけで4位からくり上がって票数爆伸びするのでは?」と似てて、あくまで事前からウルトラマン見てみようかなって思ってた人の背中を押すかたちで客は増えるかもしれないけど、興味なかったけどシリーズにハマった! は少なそう。

まぁだから、元々「でかい怪獣がどこからともなく何度も現れて、味方してくれる謎の巨人まで現れる」っていう大前提が突飛な時点で一般ウケは難しい上で、僕はシンゴジからゴールラインを下げたのは大正解だと思ってるし、少なくとも僕の「ウルトラマン見てみたい」って気持ちは満たされた。
『シン・仮面ライダー』のコート着ながらのアクションも、パッと見がバカっぽ過ぎて……僕はバカなので凄くかっこいいと思ったけど。ウルトラマンもそうで、僕は作品に対して「楽しもう」っていう協力的姿勢だから第一印象を超えて「いや、でもこれかっこいいぞ?」って思うけど、そうじゃない人は「なにこれ」で終わっちゃうんだろうな。

 

第1の事件(ネロンガ)

禍威獣の出現

・後から思ったことだけど、この時点から「空想特撮映画」と銘打たれてるし、一瞬だから読み切れないけど「東京氷河期!大パニック!」とか書いてあって、今回は『シン・ゴジラ』と比べたら緩めの世界観ですよ〜ってのは提示されてたのね。
マンモスフラワーとかいう怪"獣"なのかもよく分からない色んなのがバラエティ豊かにポンポン出てきては2コマで落ちる漫画みたいに解決していくところも含めて、張り詰めた雰囲気みたいなのはある程度緩和されたかも。カイゲルちょっとかわいい。

・序盤は完全に仮面ライダークウガの文脈で見ていた。超人に頼らずともなんとか人類がバケモノに抵抗できていて、それもあってウルトラマンは人類を好きになったのかなとか、単純に榎田さんみたいな人がいるとか。
仮にウルトラマンが宇宙警備隊? やマックスみたいに平和のための監視といった上位存在として諍いの仲裁を目的に来ているとした場合、自分たちにはなんの利益もないのにただ暴れている怪獣をやっつけて、その星の民に神として崇められたり、或いは更なる驚異として恐れられたりと距離を取った扱いを受けていて孤独だったところに、自分たちの力で6体もの禍威獣を倒すことのできる人間という生命体は、ウルトラマンの強さ故の孤独を分かち合えると希望を抱くには十分だったんじゃないかなぁ、と。
尤も後半でどうやら光の星の目的は若干違うっぽいと思ったのであくまで「初見時の感想」ということに留めておくけど、「物語の始まりは微かな寂しさ」とは辻褄が合うので一応この解釈も捨てがたい。

エヴァにしろシンゴジにしろ、庵野さんイズムのひとつには個人的感情の交わりを廃した"事務的なコミュニケーション"ってのがあると思うんだけど、ウルトラマンはそういう禍特隊の面々と最初に触れ合ったから人間を好きになったって側面もあるのかなとぼんやり思ってる。
学者として意見を言う滝と船縁、班長として一歩引いたところからものを言う田村というベースにはシンゴジ的な、災害への対処という大目的と法律や用語などある程度の知識を共有しているが故のスムーズで淀みのない事務的やりとりの空気がありつつも、そこばっかりに偏らないで浅見が神永を好きになりつつあるとかチーム同士の信頼とか、そういう人間的な要素はきちんと匂ってくるバランスが、元々感情少なめなウルトラマンには心地良かったんじゃないかなと思う。
巨大浅見とかウルトラマンの正体とかで盛り上がってメフィラスでさえも苦言を呈すような下世話な、でも割合で言ったらかなり大半を占めてるゴシップ的で感情的な会話ばっかりする人たちが相手だったら、また感じ方も違ったのかなと。

・神永のパーソナリティは殆ど描かれなかったので、2回目はなるべく素の彼による発言に注目してたんだけど、ネロンガが透明だけど赤外線ではモニターできるよみたいな話の流れで「もし生物兵器なら現人類より高度な文明向け」みたいなことを言ってたんだけど、どういう意味だったんだろう。ネロンガの位置を観測できないから今の技術じゃ対抗できないって意味なら分かるのに、滝なんかは「透明の意味ねーじゃん」と軽口叩いてるくらいだし。
それに対して「理に適ってるよ」と返答したのはてっきり田口かと思ってたんだけど、これも神永だったっぽい。
エネルギーが貯まって有利になると見えるようになって威嚇するのは分かるって理屈だったはず。なんだけど、生物に詳しくないからなのか僕はあんまり納得できなかったのよね。透明というアドバンテージを捨てるメリットないし、そもそも粉塵でおおよその位置が見えてるなら透明である意味も大してないじゃんってことだったんだから、まぁ生物の進化において厳密な必然性を求める方がおかしいというのは一旦置いとくとして、強いてここから神永の性格を読み取るとしたら「相手には相手の正しさがあるという前提で、多少自分の主観を投影してでも筋を通そうとする」みたいな感じになるだろうか。
最初に否定から入るのではなく、まず「こう考えれば筋が通るかも」みたいな姿勢で物事を見ることは、特に作品を楽しむ上であるに越したことはないマナー的な作法だと思う。「こことここが矛盾してる」と言って思考停止するのではなく、一見相反する二項が成立する条件を考えてみる……まぁ考えてみたところで無理あるなって思うことはままあるんだけど、そういう"歩み寄り"を試みることはコミュニケーションにおいて大切よね。

・そういえば、1回目は時間ギリギリになっちゃったのでいい感じの席が空いてなくて、まぁウルトラマンだし見上げるのもアリかということで前から2列目で見た。
その結果として一番印象に残ったのは宗像室長の初登場シーンで、手前に机と広い部屋が配置されて画面上のかなり上部に配置されてるせいで、さぞかしこの人はめちゃくちゃ偉いんだろうなと。正直若干見にくいだけだったのであまりおすすめはしないです。

・神永が子供を助けに行く流れ、改めて見返すとデタラメ過ぎて笑いそうになった。滝と船縁がネロンガに対して「お手上げ、どうしようもない」と言ったほぼ直後に「子供が逃げ遅れてるから」って飛び出してて、あの辺の集落(山梨県身延町?)は当然として、日本全土が危ないかもって状況にも関わらず、禍特隊専従班という5人しかいない重要な役割を放り出して助けに行くという……。
斎藤工 曰く「自分より弱い子どもを命がけで助けて死んだという、およそ生産性のない決断」
ものの捉え方がすごく外星人だよね……役作りってすごいな。ひょっとすると、自分たちにはどうしようもないという無力感から現実逃避したくて、意味がなかろうが目の前の子供を助ける、或いは巻き込まれて名誉の殉死を遂げたいという人間的な弱い心の働きがあったのかも、しれない?
……でも光の星の民に本当に「弱きを守る」って概念がないのなら、リピアは最初何をしに来たのかよく分かんないんだよな。まぁゾーフィ曰く人間を滅ぼす決断をした訳だし、単純な偵察や様子見?

 

銀色の巨人、飛来

・最初に出てきた"銀色の巨人"状態のウルトラマンの顔(いわゆるAタイプ? わかんない)のちょっと怖くて不気味な感じがすげぇかっこいいなと思った反動で、赤くなってからの顔にずっと若干の不満を覚え続けることになった。

・にわかなのも手伝ってか分からないんだけど、元々のウルトラマンのデザインが「真実と正義と美の化身」だとするなら、微妙に違うあの銀色の状態は化身を名乗るには不完全だと考えるのが自然だよね。
銀色の体色は鏡のように現実をそのまま映すだけという意味で真実だけ、或いは真実と正義だけの化身だったりするのかな。
少なくとも美に関しては赤くなってから初めて浅見に言及されてた(きれい……)のであとから追加されて初めてその真善美が揃うのかなって思ったんだけど。
ただ赤いのを完成形とするなら、逆に緑のは何が欠けてるのかよく分からなくもある。同じく美なのか、もしくはこちらにこそ美が欠けていて、銀色状態は正義がない命令の実行者……という見方もできるかも?

ネロンガの電撃を受けても、一切のリアクションを取らずにひたひたと近付いてくるウルトラマンは、手でガードして尚も劣勢に陥ってたガボラ戦と見比べてみてもすごく不気味で怖い。でもそこがいい。
最初にイラスト見たときの第一印象は素直に「かっこよくはない」だったけど、今ではかなり好き。銀色のソフビ出ないかなぁ……!
・作品における"最初の敵"って、その作品のテーマとかを暗に表してることが多いというのが定説? ……というか持論なんだけど、今回のネロンガの名前の由来はZのときにも調べたけど皇帝ネロということで「外星人にしろウルトラマンにしろ、何かしらの絶対的な上位者というものを否定し、それに阿ることなく自らの手で何かを成し遂げよう」みたいなニュアンスを読み取れる。

・明らかに仏様チックなスペシウム光線の右腕の構え方も鳥肌立ったので、劇中でもう1回くらい別アングルから見せて欲しかった。予告見ても左手のカットからしか見せてくんないんだもん、赤いし。
余談だけど、僕はバトル作品においてビームでトドメを刺すという文化はあまり認めてなくて、かめはめ波くらい気合を入れてるならまた見え方も違うとしても、ヒーローがただ突っ立ってるだけで遠距離から爆殺するんというのは絵的に面白くない。
拳なり剣なりきちんと自分の手でかっこよくズバッと倒してこそ、カタルシスってあると思うんだけどな。
……まぁ子供が真似するときに、殴る蹴るをしないで空想のビームで済むんだったら無害で安全だよねって言われたらそれはそう。

あとデザインワークスの絵コンテでウルトラマンのことUMって書かれてるのいいな。UltraManでありながらUMA的なニュアンスもあり。未確認……Animalとは確かに言い難いし。

・何回聞いても……つっても2回だけど、巨大人型生物ウルトラマン(仮称)についての報告書は浅見の仕事のはずなのに、肝心の「詳細不明」という思い切りのいい中身については神永に対する評価として語られてるのがちょっと分かりにくい。バディだから二人の名義で提出したってことなのかもしれないけど、作中に映ってる限りのあの中身のなさを考えるとわざわざ二人であれつくったというのはちょっと可笑しいものがある。
そもそも浅見が配属された直後に、浅見ではなく神永の様子を聞くという宗像の話の流れが全く読めない。
ウルトラマンと融合した神永自身がウルトラマンの正体は全くの謎だと報告したというのも、何か意味がありそうで分からない。自分たちで分からせるためなのか、明かすつもりがないから誤魔化したのか、それとも。

「"ウルトラ"とは最重要機密を指す符丁」というのが気になったので調べてみたところ、MKウルトラ計画というCIAで現実にあった事例(?)が出てきて、Wiki情報だが「ウルトラ」とは第二次世界大戦中に用いられていた符丁で「最重要機密」……というそのまんますぎる解説も載っていた。
どうやらあの有名なエニグマにも関連して、暗号解読された重要な情報のことをウルトラと呼んでいたらしい。
これを調べて初めて「あぁそういうきちんとした理屈があるのね」って一応納得できたけど、僕らにとってはもう"ウルトラマン"という文字列は子供向けヒーローの名前としてあまりにも定着しすぎてるから、先にも言った通りパッと見のバカバカしさは拭いきれない。
リアル路線にするなら政府としては別のもっと真面目な名前を用意してたんだけど、目撃者の間で俗称として広まってしまったから正式に認めざるを得なくなったみたいな描き方の方がノイズは少なかったと思う。
"ゴジラ"は漢字表記も相まって由緒正しい神っぽさみたいなものが損なわれてなかったけど、ウルトラマンって名前は流石に俗っぽすぎる。

関係ないけど、子供の頃からパワードの「いや、ウルトラマンだ」「……確かに女性には見えないわ」っていう洋画的なやり取りがすごく好き。なんかもうツッコミどころ色々違うだろって思うんだけど、気の利いたテンポのいいやりとりだからなんでその名前になったのかという理屈からうまく目を逸らす感じの。

・滝くんのオタク部屋設定ってなんの面白みもないから最初はスルーしてたんだけど、デザインワークスであの小道具選びは基本的に庵野さんの趣味をそのまま反映させているという話を読んで、終盤で無力感に苛まれるもウルトラマン/神永に希望を託されて突破口を見つけるという重要な役割を担う彼の中に庵野さんはいるのかなと思ったら、なんとなく腑に落ちた。あんまりこうやって安易に、作り手が作中キャラに自分を投影してるみたいな解釈するのはよくないけど。

 

第2の事件(ガボラ)

赤いウルトラマン

ガボラの事件において船縁が「ウルトラマンは来ないのかな」ってボヤくシーンだけど、あれをウルトラマンに解決を頼ろうとする人間の描写だとするのには賛成できなくて、僕は単純に学者としての好奇心から「もう一回現れて分析させて欲しい」っていう、ポジティブな意味合いだと思う。終盤で滝と対照的なスタンスを取っていたことも踏まえて考えると。

・多分このタイミングだったと思うんだけど、ウルトラマンがぴーんと伸びた状態でぐるぐるぐるー! って縦に回転して敵をふっとばすアレ、めっちゃ好き。「UFO飛んでます」みたいなピロピロ音も相まってめちゃくちゃ地球外生命体っぽさ、シュールさの中にある不気味さみたいなものが出ていてかなりお気に入りの演出。
空飛ぶときにずっと同じ格好なのもそうだけど、かっこいい/かっこわるいっていう基準でウルトラマンは動いてなくて、ただ単純に"そういう存在"ってだけなんだろうね。あのポーズを取れば重力を無視して自由自在に動けるけど、裏を返すとふわふわ動きたいならあのポーズのまま固定してないといけなくて、謂わばあれは「ウルトラマンUFOモード」なんだろうなと。あの瞬間だけは生き物じゃなくて空飛ぶ鉄の円盤として振る舞ってる。

・本作のウルトラマンは"背中で語る"ようなカットが多いよね。猫背でこそあんまりないけど、なで肩で強そうには見えなくて、むしろ寂しそうな感じすら受けるのに、やっぱりどこか頼もしい。そんな背中。
カラータイマーにしろ背びれにしろ、デザインとして削ぎ落とされることで全体的に"どこか寂しい"印象が強まってるのがとてもいい味出してるよね……シンウルトラマンは。
カラータイマーなんてモロだけど、胸あったはずのものがぽっかりなくなってしまうなんてさ。あれは番組の都合でピンチに陥らせたりするための枷みたいなもので、それをなくすことでウルトラマンは本当の神になるのだ! 激アツ! って解説してる人もいたけど、どちらかと言うとこれは「やっぱり今あるウルトラマンのデザインが一番馴染みあるしいいよね、シン・ウルトラマンはなんか不気味」って思って欲しいように思える。
「不自由をやろう」。

・ノーダメージだったネロンガの電撃と違って、ウルトラマンにとってもリスクのあるガボラの激ヤバ光線をその身で受け止めたことで体色が緑に変化。
この辺の意味合いはちょっと検討も付かないので誰か詳しく解説できる人いたら求む。

 

第3の事件(ザラブ星人/にせウルトラマン)

外星人とのコンタクト

・「パソコンのデータが消える」という現象のつらさやバックアップを取らせてくれない規則への恨み言を子供が理解できるとは思えないけど、船縁さんがまたオーバーでいいリアクションするから、分かんないなりに笑いどころなんだと察して笑ってる子供がいたのが印象的。
子供って特に、言語的な意味じゃなくてテンポ感とか言い方とかのほうに敏感に反応して笑うイメージがある。あと単純にガックリしてる様子とか。

ウルトラマンは神永の体で禍特隊に入ってからも単独行動ばかりしていて、にも関わらずいつの間にか人間を信頼してることになっているという描き方が不思議でならなかったんだけど、彼はその場にいなくてもある程度は禍特隊の状況を把握できる(≒神の視点を持っている)のかもしれない。
ガボラ戦でも「私たち人間の事情をどうしてか知っていたから、光線も打たずに死体を持ち帰ったのかも」という疑問はあたかも「神永として潜入していたから」で説明が付きそうだけど、ウルトラマンの光波熱線がガボラに当たったら未知の反応が起きるのではみたいな話って順序としては神永が変身したあとに出てきた話のはずで、説明しきれるものではない。これに関してはウルトラマンが普通に自分の頭で考えて気を利かせただけとも取れるけど、メフィラスとの戦いに向けて浅見を呼び出すシーンで「合流したい。場所は君に任せる」とだけ言って電話切っちゃったのよね、神永。普通にそのあともう一回連絡取ったという可能性もあるけど、とりあえずの第一印象として僕は「合流場所聞かないでなんで分かるの?」と思ったんだけど、これも仮にウルトラマンがある程度は禍特隊の動向を離れたところから知覚できる千里眼のような能力を持っているのだと考えれば、不思議はなくなる。
あと具体的には描かれてないけど、ザラブ編でも似たようなことはあった。ザラブが禍特隊に現れて首相との密談を要求したときに神永はやはり居合わせてなくて、にも関わらず僕の記憶が確かならいきなり全てを了解した上で車内で元同僚と話すシーンに飛んで、しかもこの時点から既に自分がザラブに狙われることまで予見して浅見にベータカプセルを託している。この状況把握能力の高さは実際に見ていて少し不自然だった。
さっきも言った通り、この解釈を採用することには「言うほど禍特隊メンバーとも関わってないよね」っていう根本的な謎が氷解するので、ひとつの可能性として持っている。

・ザラブも結構好きなのよねー、淡々とした喋り方がミギーみたいでめっちゃカワイイ。データ復元したりしてくれて、マッチポンプかもしれないけど律儀だし。
見た目はキモいけど。"裏がない"はずなのにそのせいで逆に怪しくなってるのが面白い。

・"スペシウム133"という単語、スペシウムというウルトラマン用語を知らない人にとっても、-ウムという語感に加えて、ヘリウム3とか炭素14みたいな同位体の場合は後ろに数字をくっつけるって表現方法があるのも手伝って「そういう元素なんです」ってことが伝わりやすくなってるのが手際よくて好き。本当に原子番号133の同位体として表現するんだったらスペシウム266?とかになると思うけど、あくまで"語感のイメージ"としてね。
エヴァについても一号機じゃなくて初号機って、同じことだけど言い方を少し工夫することで独自性を出しててすごいって話をしたけど、そんな感じ。
例え、-ウムといえば元素だなとかその辺すら理解できない知識レベルの人でも、単語が長くなればそれだけ「なんかそういう専門用語なんだろうな」感も増す気がする。

不平等条約の容認っていう要素もまた、自力でなんとかするのではなく他人の力にあやかろうとする姿勢に対するアンチテーゼのひとつとして機能しているのかな。歴史は詳しくないので分からん。

・「両方だ。敢えて狭間にいるからこそ、見えることもある」
こうは言うけども、基本的には神永はずっと"ウルトラマン"として振る舞ってるよね。従来的な二項対立としてのウルトラマンと人間の狭間じゃなくて、リピアと神永の狭間にいるのがウルトラマン……という意味なら、分かる。
さっきの千里眼だけど、本来なら神のごとく地球上すべて……或いは宇宙全域から異常を検知して駆けつけることができるための能力なんだけど、人間と融合したことで制限がかかって禍特隊を含む知り合い数10〜100人程度にしか効力がなくなってるとかだとより面白い。どこかに"注目"したり偏って見ることというのは、人間らしさを構成するひとつの重要な要素なので。

・これは半分受け売りだけど、シンウルトラマンの世界に神がいるとしたらそれは神永のことだよね。自分を犠牲をしてでも子供を助けた神永の方こそ、リピアにとってのヒーロー性の原点な訳だから。
演出的にも変身時にウルトラマンが神永をその手で掴むと指の隙間から光が漏れ出すってコンテに書いてあって、あぁやっぱウルトラマンにとっての力の源、"光"って神永なんだって思った。アルカイックスマイルを浮かべる仏様だって、基本は解脱を果たした元人間な訳だし。
もうちょっと飛躍させるなら神永に限らず、浅見含めて禍特隊メンバーのキャラ的な掘り下げがあんまり十分じゃないのも、人間の複雑な精神が持つよく分からなさ,神秘性をこそ賛美したいから、敢えて深くは描かないことでウルトラマンの「何も分からないのが人間だ。だからこそ、私は彼らを知りたい願う(企画メモ)」って言葉に説得力を持たせるという意図があったのかな……なんてことも思った。
少なくとも本作の中では「実は人類こそが一番素晴らしい存在」なんだろうなと。ウルトラマンシリーズはなんで変身アイテムが懐中電灯? ライト? なのか疑問だったんだけど、ウルトラマンは道を照らすだけで、あくまで進むのは人間ってことなのね。

 

第4の事件(メフィラス)

私の好きな言葉です。

・すげー雑に話すけど、人類は元々光の星が地球に撒いた生命の種であって、リピアたち光の巨人と根っこは同族だから同化できて……という裏設定なのかボツ案なのか分からない話がデザインワークスの企画書にあって、何となく僕の頭の中では生命の実を得たら光の巨人、知恵の実を得たら人類にみたいな分岐進化があって、エヴァと同じようなもんでその両方を手に入れてしまったらどうなるかっていうのの答えが今の神永と一体化した"ウルトラマン"なんだろうなというざっくりとした構図に整理されている。使徒と違ってウルトラマンにも知恵あんじゃんって思うけどそれはだってカヲルくんも喋ってたし……。

・目的はだいぶ違うけど、ベータボックスという超文明的な代物を人類に与えてくれる上位存在ってことで『正解するカド』を思い出した。似てるかは分からないけどあれはあれで面白いので(最後のほう覚えてないけど)おすすめしたい。

・メフィラスは本当に最高でしたね。決してそれだけじゃないけど僕は『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』における山本耕史演じる飛電其雄が結構好きで、その相乗効果もあってとても楽しませてもらった。いや眼福眼福。
無闇やたらに「私の好きな言葉です」って連呼する胡散くさい存在として、そうだとは一言も言わないけど言動とゾーフィという他人から指摘される形で"好き"を表現するウルトラマンとの対比も分かりやすくていいし、本当の意味で地球を好きになれるほどの人間らしさは元々持ち合わせてなくて、ただ表面的になぞっているだけに過ぎないのが面白い。
ブランコのシーンとか、普通大の大人同士が話すときに漕いだりはしないと思うんだけど、でも彼は知識が先行して「ブランコとは漕いで楽しむ地球の文化」としか認識してないから額面通りに漕ぐし、本人はそれで"分かった気になってる"から臆面もなく「好き」と公言できる。その不気味さと滑稽さと、途中で飽きて立ち漕ぎに変えてみたりするのも含めて、全部おもろい。
「割り勘でいいか? ウルトラマン」に関しても、コスト節約のために禍威獣やザラブは現地調達したって話と絡めて"本当に金がなかった"って解釈もマジ笑えるんだけど、まぁ普通に「言ってみたかった」とか「そういうもんだと思ってた」んだろうなと。一旦財布を覗いて見るとこまで含めて、ね。かわいい。
「地球好き。」という端的な表現があまりにもそのまんますぎて笑える。

・僕が初見で"いわゆるセクハラ"かもって思ったシーンはむしろ女性の浅見が男性の神永の尻を叩くとこだった。それ以外だと長澤まさみさんのお尻がアップになったりとかスカートを覗き込むカットとか作中というよりは撮影のレベルの話なので、する人,される人という構図が見えないから、「セクハラされてる」という第一印象は抱かなかった。スカートのシーンも何も見えないことが大前提にあるからこういう映像撮ってるんだろうなと思ったんだけど、まぁでも考えてみたらそうだと分かっててもあんな風に撮影されるのは快くはないわな。
神永が浅見をくんくん嗅ぐとこは、どちらかというと浅見の方が神永を好きだから変に意識してドキドキするってシーンだったのであんまり"そう"なのかなって納得いかない。
でもこれも、浅見は神永を好きかもしれないけど長澤まさみさんが斎藤工さんを好きかどうかとは関係ないからそんな展開を書くこと自体がセクハラなのかもしれん。
においだけはデータに変換されない(?)って理屈もよく分かんなかったしな。

あとメフィラスの「ウルトラマンという紳士がそのような変態行為も厭わないとは……」を以てセクハラじゃないと言い張るのは流石に無理があると思ふ。あくまであれは敵役の発したトンチキなギャグ発言であって、真面目にうんうんと頷くもんじゃない。
「人間ならきっとこのシチュエーションでセクハラを指摘するだろうから俺もしたろ」ってだけ。いや、多分人間なら流石にあのシリアスな状況では言わないと思うよって言いたくなるんだけど。
そういうキャラの発言なので、残念ながら作品全体のレベルで見たらあの発言は「いるよね、こういう空気読めないでセクハラとか言って騒ぐやつ(笑)」みたいな意味合いだと僕は思う……。

・VSメフィラス戦のBGMバリかっこよかったよなぁ。エンドロールに出典たくさん書かれてたしなんならかっこよすぎて浮いてたからあれも元ネタがあるのかと思って帰ってウキウキで調べても出てこなかったのが悲しい。また聞きたい。

 

第5の事件(ゼットン)

ウルトラマンの選択

・元ネタのゾフィーさんを知らないから分からないけど、シンウルのゾーフィって最後のシーンで帰った場合のリピア的な立ち位置の人なのかね。緑か青か分かんなかったけど色ついてたし。僕は勝手に最初のリピアを見て、光の星の人たちってのは元々みんな銀一色の鏡みたいな存在で、交わった相手によって色んな姿に変わるまね妖怪ボガートみたいな奴らなんだろうなと思ったので、どっかの星の生命体と融合した結果あんな黄ばんだ色になっちゃったんだろう。

自分も掟を破った経験があるからこそその償いとして人一倍に光の星からの命令を遵守してゼットンなんてものを送り込まなくてはならないし、ラストで「そんなに人間が好きになったのか」とウルトラマンの気持ちを理解することもできたのかなって。

・ゾーフィがゼットンを差し向けてきたのは確かにウルトラマンよく知らないなりにぞっとしたけど、あれは多分シンゴジでも描かれてたように人間にとって核が根絶やしにはなかなかできないから共存していかざるを得ないのと同じで、多分あれもゼットン星人?か誰かが破壊兵器としてつくったのを押収したものの、光の星にとっても本当はなくしたいけど装甲が硬すぎて歯が立たないのかなんなのか、ともかく根絶するのが難しくて持て余してたからいっそのことひとつの手段として正義のために転用しようってかたちに落ち着いた結果として、ゾーフィが怪獣をよこしてくるっていう不気味な絵面になったんじゃないかなぁ……。
ウルトラマンは万能の神ではない」からこそゼットンにも対処しかねるし、人類を他マルチバースから守り切るというのも難しいから処分するしかないなんて判断が下されるっていう描写に見えた。
でも勝手に生み出しておいて勝手に滅ぼすっていうのはなかなか神様っぽいムーブだよね。ウルトラマンはもう神ではないけど、仮に光の星のやつらは神だとするなら。
……ところで絵面が面白すぎて笑いそうになったんだけど、ゼットンて原作でも乳首からビーム出すの?

・「我々に従わなければ禍特隊は殺す」と脅されて神永が「なら自分はゼットンより早く人類を滅ぼしてやる」と宣言した(しかも脅しじゃないよと変な言い訳までして)のが理解できてなかったんだけど、あれは「せっかく人間を好きになったのに失望させるな」みたいな意味だったのかね。
他者のためなら自分を犠牲にできるはずの人間が、同じ人間を殺そうとするのが許せなかったと。本当にそこまで愚かな生き物なら、滅ぼされてしまってもいい……むしろ自分の手できちんと責任を持って処分しようという気持ちがあったのかもしれない。

・さっきはセクハラだって言ったけど、浅見が神永のケツ叩くシーンは僕は結構好き。仮にも1回巨大化して、人類の中では多少でも神永の気持ちが分かるようになった浅見が対等な同僚として気合を入れてやるというのはなかなか熱い展開。
神永は神永で、人間には何もできっこないと言い張る滝を目の前にして、彼にしっかりしろと言うのであれば自分がまず絶望的な状況に対して立ち向かう姿勢を見せなければいけないっていう筋の通し方もかっこいいし。

・あー! あのVR会議についての「本当にすごいものとは滑稽なものなのかもしれない」って話、結局どういう意味なのか計りかねてたけどようやく分かった。予算の都合で描けなかったのを正当化したって話も見たけど多分そうじゃなくて、ぐるぐる回ったりしてこれまで散々シュールに描かれてきたウルトラマンの戦闘は「我々には理解できないすごさ」の裏付けなんだよっていう解説として機能してるのか。僕の見方はあながち間違いじゃなかった訳だ。


ゼットン戦の絶望感、やばかったなぁ……。ブラックホールみたいなのが発生して、光ですら逃れられないっていう大前提が我々の中にはあって、BGMも思わず泣きそうになるくらい悲壮的で劇的なものが流れて、でも奇跡が起こって脱出できるんだよね? とどこかで希望を抱いてたら為す術なく吸い込まれてしまって……あの一連の流れは本当にちびりそうになった。
間髪入れずにふわふわ浮いててゾーフィとの対話シーンに入るから頭バグったけど。あれもあれでシュールすぎる。ほぼ同じ映像が初代ウルトラマンにあるって知ったときはようやく納得できたけど、いきなりあの謎空間を見せられたらびっくりする。

・僕はウルトラマンが最後のシーンで死んだとはあまり思ってない。神永の意識はない(?)ままウルトラマンが人間との中間的存在としてあったように、ウルトラマンの意識は消えたけど神永の中には間違いなくいる。イメージとして割と近いのは寄生獣ラストのミギーかも。
『M八七』はウルトラマンから神永へ向けた歌だと思ってるので、もしかすると今後は神永自身の意志で「君が望むならそれは応えてくれる」のかもしれない。続編が作られるとしたら、今度は神永人格のウルトラマンが人類の進歩を見守るかたちになるのかなと。
「痛みを知るただ一人であれ」ってのも、これから"ウルトラマンだった人間"として生きていかなきゃいけない神永に対する応援な気がする。普通に考えたらかなりヘビーだよね、また各国から狙われるかもしれないし、仮に変身できないとしたら尚更、抵抗できないまま体中を弄くり回される羽目になる。
マルチバースからの侵略者だっているかもしれないんだから、リピアとしては死ぬけど、さっきの話の比喩で言うなら生命の実……S2機関だけは神永に託すような感じだとは思う。

・僕も一応、一般論として「人類はウルトラマンに頼らず自立しなければいけない」みたいなをテーマを物語を知らないままにそこだけ知ってたから、仮にもひとつきちんとした例を知れて良かったなとは思ったけど、原作ちゃんと見ようとはあまり。
シンでなぞられた話の元ネタくらいはいつかチェックしたいけど、全話は他の要因で見たいと思わない限り見ないと思う。デッカーを見るモチベは少し高まった。

 

M八七

・『M八七』ってかなりウルトラマン色が強いネーミングだから一般ウケしなかったら悲しいなと思ってたけど、一般層はそもそもM78がウルトラマンの用語ってことすら知らないからなのか知っててなのか、ちゃんと急上昇1位になっててよかった。めっちゃいい曲なので。

・ヒロアカOPの米津玄師『ピースサイン』、今聞くとよりヒーローソングとしての良さが滲み出てくる。特に2番の以下にあげた部分なんてまんまシンウルトラマン
「僕らの上をすれすれに通り過ぎていったあの飛行機」って明らかにウルトラマンだし、2番の
「守りたいだなんて言えるほど
君が弱くはないの分かってた
それ以上に僕は弱くてさ
君が大事だったんだ
一人で生きていくんだなんてさ
口をついて叫んだあの日から
変わっていく僕を笑えばいい
一人が怖い僕を」
マジでリピアじゃん。物語の始まりはかすかな寂しさ。

・なるほど、万有引力を寂しさの象徴として捉えるなら、種族としてのウルトラマンが重力を無視して飛べるのは個として完結していて引き合う必要が無いからなのかもしれない。それは確かに、寂しいわ。
米津玄師という人選も、元は一介のボカロPだったのが今では日本を代表するトップアーティストとして神格化されてしまっているあたりにウルトラマンへシンパシーを感じたところもあるのかな。持ち上げ過ぎ、よくない。
『M八七』は米津玄師がウルトラマンというコンテンツに対して理解度が高かったというよりは単純に知らなかったとしてもウルトラマンっぽい曲を書ける彼を選んだスタッフがすごい説を推している。

 

終わり。また何かあれば追記するかも。

ウルトラマン カテゴリーの記事一覧

仮面ライダーオーズ 10th 二次創作小説『Eternity Time judged all』

この記事は前回の脚本を書いてみる企画に続いて、『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』について映司が死なずに生存するルートを書くとしたら自分はどんな話にするか……という妄想IF小説です。
映司が生きる代償としてアンクが死んだり、そもそも復活できなかったりということもありません。きちんと2人ともが生きた状態でラストを迎えることだけは約束します。

章ごとに書き上がり次第追記していく予定です、未完になったら申し訳ない。著作権的に問題があると判断された場合は削除します。

 

"遠い岐路"

・数年前 夜の川沿い
 ある日、私のもとに一本の電話が届いた。彼とは年に数回くらいのペースでお互いに近況報告をしていたけれど、こんな風に個人的に連絡を取るのは後にも先にもそれきりで、驚きと嬉しさと、少しの不安がごちゃまぜになりながら口を開いた。
比奈「もしもし、比奈です。久しぶりだね、映司くん」
映司「久しぶり、元気そうで良かった。いきなりかけてごめんね、びっくりしたでしょ」
比奈「ちょっとね。今は、砂漠の町にいるんだっけ」
映司「しばらくいたけど、そろそろここを発とうと思ってるんだ。次に行く場所は、まだ」
比奈「そっか……やっぱりまだ、アンクのメダルを治す方法は見つからない?」
映司「うん……でも、いつかは必ず」
 そうやって当たり障りのない会話をしながら、今思えば少しずつ前置きを挟んだ後に、彼は本題を切り出した。
映司「…………比奈ちゃんは、誰かを本当に許せないと思ったことって、ある?」
比奈「えっ? それは……」
 アンクのことが頭をよぎって口ごもった。私の気持ちを察したのか、答えを待たずに話は続いた。
映司「……グリードでもヤミーでもない、人間が起こした戦争のせいで、たくさんの命が奪われたんだ。そしてその分だけ、人の命を奪った人もいる……自分の手は汚さずに、利益を得た人も。俺は、平気でそんなことをする人たちが許せない」
比奈「それって……」
映司「比奈ちゃんだったら、どう思う?」
比奈「私は……」
 慎重に、言葉を選ぶ。それが、今の私が映司くんにできる、唯一のことだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分からない

比奈「私には……分からない、何が正しいのか。でも、映司くんがした選択は、きっと間違ってないと思う。私はそう信じてる」
比奈M「翌朝、私はとある紛争地帯に異形の戦士が現れ、一国の戦いをひとりで止めたことを知った」
『復活のコアメダル(二次創作ver)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

許せる

比奈「私は……無責任かもしれないけど、どんな相手だって、いつかは分かりあえる日がくると思う。綺麗事だって、自分でも思うけど……そう信じたい」
 翌朝、私はとある紛争地帯に異形の戦士が現れ、一国の戦いをひとりで止めたことを知った。
→『Eternity Time judged all(本記事↓)』

 

仮面ライダーオーズ ET

 目次

プロローグ Age of Goda ←今ここ

グリード復活

真木とヒカミとゴーダ

プロジェクト・エタニティ

古代オーズ戦

ゴーダ戦

旅立ち

 

 

プロローグ Age of Goda

 海の中に、俺はいた。右も左も、上も下もない。ただひたすらに昏く、不思議と安心できる暖かさだけがあった。音もなくただうねり続ける潮の流れに身を任せ、目的もなく漂うだけの日々。
 だが気が付くと足が地に付き、自分がずっとゆるやかに落ちていたのだと気付く。微かにだが目が見えるようになり、海底を歩いて回ると周囲では様々な生物が捕食し捕食される生存競争を繰り返していたが、俺には触れることができず、ただ見つめるだけでその環の中へ入ることは叶わなかった。
 やがて海から暖かさが失われ始め、俺が陽の光を求めて陸へ上がったころ、世界は完全に凍りついた。その後も地上を歩き続けたが、"それ"が起こったのは突然だった。
 あらゆる生き物が、次々に目の前で死んでいく……その光景はとても受け入れられるものではなかった。
 それからのことはよく覚えていない。生き残ったものたちは様々な発展を遂げたようだが、視界はザラつき全てのことが現実でない気がした。それでもただ歩き続けることだけが自分の存在を確かめる唯一の方法であり、宛てもなく前進し続けることしかできなかった。
 いつからかだろうか。自分が砂漠から抜け出せなくなっていることを悟り、自分以外の存在が視界の中に入ることはなくなった。四方には無限とも思える地平線が広がり、ギラギラと輝く太陽だけが俺を照らしていた。
「身体が、欲しいか?」
 太陽は言った。
 これまで、俺の存在を認知できるものはいなかった。俺は世界を一方的に見るだけで、世界から見られることはなかったはずだ。だが身体があれば、俺は世界と関わることができる。消えゆく命を、この手で助けることだって……俺は頷いた。
「いいだろう。その代わり……」
 太陽はそう言って、自らを象った3つのリングを落とした。
 その瞬間世界は息を吹き返し、リングと一体化した俺はこれまで見てきたあらゆる動物の姿形を模倣できるようになった。あるときは鳥として大空を羽ばたき、あるときは四足となって大地を駆け回り、あるときは虫となり跳躍しながら、俺は目の前にいる命を助けるために力を使った。それが大きな食物連鎖の流れの中ではどれだけ無意味なことかは分かっていたが、目の前で命が消えることが耐えられなかった。

 いくつもの身体を使い分ける中で自分自身を見失いかけていた俺は、いつしかもうひとりの自分をつくりだしていた。もはやどちらが本来の俺だったのかも分からない。俺はこの世のあらゆる生物種の力を手に入れ、望みを全て叶えられるだけの能力を欲し旅を続け、もうひとりの俺はその道中で短絡的に目の前の命を救うことを望んだ。俺たちはひとつしかない身体を共有し、互いを利用してうまくやっていた。しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
 太陽を殺し、世界を終わらせようと画策した月と戦うために、それまでにないより強い力が必要だった俺たちは、これまで獲得した様々な生物の長所を組み合わせたキメラとなって戦い、やがて覆い尽くされたかに見えた太陽からの黄金のリングによって授けられた、この世に存在するはずのない火の鳥の力を使ってこれを阻止した。
 それからというもの、世界は再び乾ききった砂漠に包まれた。空はどす黒い雲で覆われ、太陽はその姿を見せない。そしてもう一人の俺は、もう必要はなくなったとでも言うかのように、俺を置いてどこかへ旅立ってしまった。気が付くと俺は、醜い毒蟲と成り果てていた。
 いつまでも潤うことのない砂漠に、降り続ける雨。その中を俺は、やはり彷徨うことしかできない……そう悟るのに時間は要らなかった。
 俺は歩き続ける、失われた海を求めて。

 

続く

倍速視聴の否定派は感情論でしかない

僕は実際に倍速視聴をするタイプの肯定派だけど、単に自分がそうしたいからというのを超えた意味で「倍速視聴は悪くない」という明確な倫理観を持っている。
しかし、正直未だにまともな否定派の方を見たことがなく、誰も彼も「なんかイヤだから駄目」の域を出ていない。今回は何故そう思うのかを説明していこうと思う。

否定派の方は、大して長くもない記事なのでぜひ筆者の意図を尊重して飛ばさずにじっくり、最後まで読んでくださいね!

 


"10秒スキップ"との区別

ことの発端は以下の記事だが、10秒スキップと倍速視聴を並べて、特に大した峻別もしないまま「よくないよねー」なんて風に否定しているこの記事には聞く耳を持つ必要がないと感じる。

「倍速視聴」は進化か退化か。「プリキュア」「銭天堂」脚本家が抱く危機感(稲田 豊史) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

小林さんはこの問題について「金を払ったんだから、食べ残そうが、早食いしようが、どう食べようが自由」「お腹に入れば一緒」という比喩を否定的な意味で展開しているが、そもそも早食いってそんなに悪いイメージがあるか……? 少なくとも僕はないですね。
高級料理店≒映画館でならば確かにそのようなことはご法度、というかできないが、お茶の間で普通に食べる食事≒テレビ放送されたものや円盤,配信等について早食いをとやかく言う人など見たことがない。
第一、テレビ番組なんてかじりついて見るのが当たり前としてつくられてはないでしょ最初から。見てる途中にご飯食べたり携帯いじるのはスキップしてるのとほぼ同じだよ。そんなつまらないことで人に怒ってもいいのは一緒に暮らしている家族くらいのものだろう。

食べ残しの方がよっぽど広くマナー違反であって"いけないこと"のはずなのに、この記事は最初からここを敢えて一緒くたにすることで「倍速視聴も悪いこと」というイメージを刷り込んでいる。
タイトルに"倍速視聴"と掲げながら、否定する根拠に乏しいからより悪いと思われる10秒スキップと抱き合せにして批判してやろう、というのは呆れたレトリックだと言うほかない。

僕は早食いはしてもスキップ……つまり食べ残しはしない。少し目を逸らすとか、集中力が切れるとか、理解力が足りないとか、そういう事情で結果的に頭に入ってこないことはあっても、意図的に残すつもりはあまりないので、この批判には当てはまらない。

 

倍速視聴と理解度の深さ

そもそも作品を100%を理解できる,しようと思っている、また理解させることができると思っているのが傲慢ではないのか。

等速だろうが倍速だろうが理解力の低い人間はいるし、それはまた別の問題。作品に対して的外れな批判をしているならそれに対して直接反論すればいいだけであって「倍速してるから語る権利がない」というのは飛躍している。「倍速にしなければ理解できたはずだ」という根拠を示さなければこの話は成立しないし、少なくとも僕は等速で見てようが「よく分からん」と感じることは多々あるのでそこまで決定的な差はないように思う。
当然だけど、倍速にできるってことは10秒戻しとかも機能としてできる環境な訳で、今のどういうこと? って思ったら戻して何度か見たり等速にしてみたりもする。もちろん何度見たって分からないものもあれば、スローにしてみて初めて分かるときもある。
好きなドラマの小道具なんかで細々とした書類が出てくると一時停止して読みたくなるタチなんだけど、これらの情報は本来作者の意図としては「読めなくて当たり前」なものであって、本気で作者を尊重するなら「読んではいけない」ことになる。
当然素早いアクションシーンなんかも、スローにして「こうやって動いてたのか」と観察してはいけない……そんなバカな話があるか? ねぇよ。

逆に、倍速だからこそ分かることというのもおそらくある。僕は特に忘れっぽいので、シーンとシーンとの繋がりを把握するにあたって、等倍ではなく倍速にして詰めて見ているからこそ理解できていることもなくはないと思う。これは比較のしようがないが。


記事の話に戻るけど、"時間の芸術"があるなら空間の芸術の方がもっと顕著にあるはずだろう。テレビのサイズは家庭によってバラバラだし、映画館のスクリーンなんかとはハナから比べ物にならない。況してスマホタブレット,PCの画面なんかで好き勝手に拡大縮小して見られるのは黙認してる癖に、時間だけ圧縮されるのは嫌というのは理解に苦しむ。音質だって見るものによってバラバラで、本当にあなたが今見ている環境は作品の全てをありのままで受け取れる状態にあるんですか、と。
またテレビ番組については放送時間というのも重要なファクターのひとつだったりする。例えば僕の好きな仮面ライダーなどは、制作陣のインタビューから「"日曜日の朝に見たい内容"とは何かを考えてつくっている」という話が散見される。つまり、ゆっくり過ごしたい休日、或いは子供にとってはどこかへ遊びに行くワクワクした1日の始まりなどと言った精神状態で見ることを想定されていて、だからこそあまりにもヘビーな内容は取り扱わないと判断されることもある。

これは逆も然りで、大人しか見ない深夜帯だからこそエログロのようなキツい作風が成立するとか、冬に公開だから少し寂しげな雰囲気にしようとか、中高生に向けて恋愛ものにしようとか、この「本来想定されている視聴者の精神状態」と合致しない状態で見ることは、すなわち作品への無理解へと通じてしまう。

女の子向けのプリキュアを男の僕が見ても、お化粧の楽しさなどが理解できなくて面白くないと感じるのと同じように、例え等速だろうが映画館で見ようが、「つまらない」と感じたのならそれは等しく「制作陣の想定した客層ではなかった」というだけの話。
倍速視聴というのもそういう数多ある変数のひとつに過ぎなくて、本当の意味で制作陣の想定する客層にガッチリ100%一致する状態でなければ「つまらない」と言う資格はないことになってしまう。
……裏を返すと倍速視聴以外の変数だけは「つまらない」と言ってもいいというのは、不合理極まりない。


「自分が倍速じゃ理解できないから全員そうに決まってる」とか「なんかイヤ」というだけの感情論を正当化するために"作者の意図"なんていう一見綺麗そうなおためごかしを利用しているのでないのなら、そういった他のズレもまた同様に批判するべき、少なくともこれはどうかと問われたら認めるべきでない。にも関わらずそうしないのは、自分のことを棚に上げた感情論でしかないからではないか。

まぁ"倍速"って表現があんまよくないのかもな、僕も流石に2倍速じゃよく理解できなくて基本は1.5倍なので試すならそれで試して欲しい。YouTuberの動画くらいなら2倍で何も問題ない。

 

作者の意図と敬意

以上にも見てきた通り「作者の意図した間やテンポとズレてしまい本来の意味を受け取れなくなる」というのが否定派の大まかな主張だけれど、僕としてはこれそのものにはある程度の正当性は感じつつも、自分としては「そんなこと言い始めたらキリがない」という立場を取っている。
先の記事でも言われている通り書籍なんかは特にそういうことの多い媒体だし、そもそも人が全て同じ時間の流れで生きている、そして自分がそれを操作できると思うこと自体が作り手の傲慢だと思う。

普段から早口に慣れている人もいれば、のんびりした会話をしている人もいる訳で、その2者間では明らかに「きちんと情報を受け取れる速度」や「心地よいと感じる速度」が違う。
例えば英語のリスニング問題について「もう少しゆっくり喋って欲しいのに」と思ったことがあるなら、それがこの実例となる。僕はリスニングを兼ねて洋画を見たいときは0.9倍速にして見る、という使い方もする。
また倍速にすることであまり興味がなかった作品でも見るのにあたって"気が抜けなくなる"から、結果的に等速でダラダラ見るより集中して作品と向き合っている気もする。少なくとも倍速で映画見ながら飯食おうとは思わない。
"作者の意図とズレる"という点から言えば高倍速も低倍速も等しく批判するべきだが、「より理解するためにいじる」というケースに関しては議論の余地がある。


……なんていうのは多少頭の回る人ならとっくに分かっていることだろうけど、それら全てを踏まえた上で、それでも"作者のペース"を尊重すべきだという意見は、まぁ分からんでもない。
要するに制作者サイドの言い分は「なんだか自分の作品を蔑ろにされている気がする」というものであって、この人たちは「相手を楽しませたい」のではなくてあくまで「自分たちの作品を見てもらいたい」のだろうと思う。
相手を笑わせるために話をするなら、相手が退屈そうにしていたら早めにオチを切り出すとかすると思うけれども、不快感を示す人たちはあくまで「ただ自分の話を聞いて欲しくて悩みや愚痴を喋っている人」に近いのかもしれない。
遮らず、結論を急がず、きちんと話を聞いて欲しい。
会話の目的が「聞き手が楽しむこと」ではなく「話し手が気持ちよく喋ること」にあるのなら、確かに倍速で話せというのはナンセンスな話だろう。
倍速視聴をする人とそれに嫌悪感を抱く人、双方ともに「相手のペースを無視して自分のペースで進めようとしたがる」からこそ起きているのがこれらの齟齬なのだろう。

相手への"敬意"の表し方として「話の内容をきちんと理解すること」がポイントなときもあれば「ゆっくり相手の語りに耳を傾けること」が重要なときもある。
前者ならばその手段として早送りや10秒戻し,スキップ、要約して論点整理などをしてもよいが、後者なら例えよく分からないところがあったとしても相手の話を遮らずとにかく聞き役に徹するべきかもしれない。
作品鑑賞を作り手と受け手のコミュニケーションだと捉えた場合に、単に受け手の娯楽として自分の都合で消費するのか、音楽を聞くように"他人のペース"に身を委ねる体験こそが映像作品の醍醐味だとするのか、それはあくまで受け手の自由である。
「人の話をちゃんと聞いてくれない人」「愚痴聞いて欲しいのにアドバイスしてくる人」みたいな風に周りから嫌われてもいいのなら、スピードにしろ画面の大きさにしろ時間帯にしろ、自分の好きなようにアレンジして楽しめばよいのだと思う。

僕が抱く倍速視聴に対する罪悪感っていうのは、例えば個人経営の八百屋さんとかでお店の人が奥に引っ込んでて、すみませーんって呼んでも出てこなくて、でも店は空いてるから中に入って商品を見ながら待つか……ってときに感じるようなもの。罪悪感こそあっても"本当に悪いこと"ではないと思っているので、やる。

 

86ma.hatenablog.com

仮面ライダーエグゼイド 第10話「ふぞろいのDoctors!」 肯定的感想

 

医者を救う患者

・患者……恭太郎を救うためなら危険も厭わずなんでもやると言う永夢を一喝。これまでイマイチこの説教の意味を汲み取り切れなかったのは、文脈が隠れていて見えづらいからだったのかも。
見え方が全然違うので一緒にするなと言う人もいるかもしれないものの、ここでやりたいのは多分オーズ最終回に近い話なのかな。
誰かを救うために自分を勘定に入れずに突っ走るんじゃなくて、ドクターならまず自分が生き残ることを考え、その上で周りの人間と協力し合うべき……という。
自分を過信して独善的に暴走する永夢を叱る……というニュアンスではなくて、前回言っていた「1人で無理をするなよ。ゲーム医療はドクター自身の命に関わる危険な行為だ」という"心配"という意味合いで捉えた方がスッキリと理解できるかも。

もうひとつ、この話は多分「医者と患者の主客逆転」も重要な要素で、昔は患者だった永夢が今度は日向を助けるというのもそうだし、今は助けられる側な日向が永夢に対して重要な助言をするのもそう。
……だからなんだって? 俺も分かんない。

・前回フルドラゴンが暴走したのは、Mのゲーマーとしての腕が足りなかったからとかそういうことじゃなくて、"他人の力"を借りる心づもりがなかったから……という側面もあるのかもしれない。
尤も、永夢がなるフルドラゴンはしばらく暴走しがちではある。


・「ごめんなさい」って、大事よね。自分の間違いを認めてきちんと謝れるのは、とてもいいことだと思う。作劇的には、どうせそれで和解する訳じゃないから前座として謝らせただけって感じだけど、それでも。

・「大丈夫、永夢ならきっとできる」
ポッピーはやっぱり、今のところ「根拠もなく都合のいいことを言って励ましてくれるキャラ」という立ち位置らしい。人間が想像する、人間に都合のいいサポートAI……イズほど顕著じゃないにせよ、そういう側面がここ数話と映画(平ジェネ Dr.パックマン)では特に強い気がする。

・みずきとさつきに対して怒鳴り散らす飛彩。
彼女らって多分2話以降は出てきてなくて(少なくともセリフはない)、エグゼイドファンの中でも何人が名前を知ってるのか怪しいモブキャラなんだからそのまま出さなくても何も問題ないはずなのに、わざわざこのチーム医療の回で出すからには、それなりの意味があるのだと思う。
その前提に立って見ると、普段は気にも止めてない飛彩だけど、小姫の仇討ちを焦ってイライラしてたことで怒鳴ってしまったのをきっかけに、永夢と違って他人に諭されることなく「オペは一人でするものじゃない、自分は間違っていたのかもしれない」と気付いた……の、かも……?
直後の永夢とのシーンでは煽られてるのもあってとてもそんな素振りはないんだけど、これはクライマックスの話に繋がります。

 

永夢とMの関係――理想像を演じる

・今回の永夢の作戦について、何回見直してもよく分からない。一番分からないのはポッピーの「まだゲームをやってないのに、永夢の性格が変わった?」というセリフの解釈。
まず思ったのは、単純に永夢が作戦のためにMを演じているだけという可能性。でもその場合目を赤く光らせるなんてことが自分の意志でできるとは思えないし、テーマ的にも面白味を見いだせない。

次に思ったのは、さっきの屋上のシーンでは「僕には(できない)……」と落ち込んでいたけど、永夢の中にいる"M"のこともある意味では"他者"だと解釈して、恭太郎の言う通り信頼して身を任せたという可能性。こっちの場合「自信をなくしているときでも、自分の中に二面性があればもう片方を他者として信頼し頼れる」というのはすごく面白い発想だと思う。思うんだけど、設定的には永夢とMってそこまで決定的に分離・乖離した二重人格ではないはずで、後夜祭の高橋悠也曰く「たまに関西弁が出ちゃうようなもの」らしい……又聞きだが。
これまでこっちの表面では「Mは記憶や意識がなくなる二重人格とは別種のものなので、永夢はMという別人にオペを任せているのではなく、あくまでちょっと口の悪い永夢本人がオペをしている」という前提で話を進めてきたのでノイズが発生し得るんだけと、レベル5で暴走したことで体内のバグスターウイルスが活性化してM人格が存在として強く濃くなって、段々永夢とは乖離しつつある……その上で、今回は体を預けたと解釈することもできなくはないが、それにしては永夢の内的描写がなさすぎるのでなかなか飛躍したものと言わざるを得ない。
今言った2つを折衷する案として「永夢はMを他者として心理的に頼り、その上で自分の意志でMを演じている」というのが、現状僕の中での一番いい落としどころかな。

以下、説明のためにしばらく電王の設定についての話をします。良太郎曰く"桃太郎"をイメージしているはずなのに、肝心のモモタロスは桃太郎じゃなくて鬼、ウラタロスは浦島太郎じゃなくて亀、キンタロスは金太郎じゃなくて熊、リュウタロスも龍の子太郎じゃなくて龍そのものがモチーフ……ということで、みんな基本的には"太郎ロス=タロス"になっているのだと思われる。
で、じゃあそれはなんでかと考えると良太郎の中にある「(悪はいても)ヒーローは実在しない、どんなに不幸でも自分を助けてくれない」というある種の絶望が反映されてるのかなと。桃太郎についても、あくまで「子供の頃ヒーローだと思ってた」という過去形だったし。
ただここで面白いのは、桃太郎は実在しないかもしれないけど、その物語(イマジン)の力を借りて自分がヒーローになることはできる、という描き方なこと。物語を見て自分の行いを正せば、ヒーローは現実に受肉できる……。

永夢にとっての"天才ゲーマーM"という概念は、この文脈における"物語の主人公"……或いは"理想の自分像"なのだと考えたとき、それは確かに本人にとって他者的な存在でありながら、自分に内在させる(演じる)こともできる存在なんだと解釈することができる。
その"理想像"を少し修正して自分なりに噛み砕いた結果得られたのが、自分を信じることをやめて権利(ドラゴナイトハンターZ)を明け渡すこともしないまま、仲間の力も信頼し協力(利用)する今回の作戦……なのかな? 自分も、他人も、どっちも曲げない道を選んだからこそ、友情とかでなぁなぁにするのではなく極めて打算的に利用し合うような関係になったのかも。


ドラゴナイトハンターZ 4人プレイ

・今回だけ仲間割れをしないのは都合がいいようにも思えるが、ライダー同士で積極的に争う動機があるのは、基本的には仇として大我をやっつけたい飛彩とガシャットを回収したい大我の2人だけ。そして2人にとってグラファイトは因縁の相手なので、まずはそっちを我先に倒そうとするのはまぁ分からんでもない。
加えてさっきの解釈を取るなら、飛彩はみずきとさつきの2人とのひと悶着があったので、多少は空気を読んで協力してくれてる……のかもしれない。

・パッケージの黒いドラゴンが敵だってのは前回言った通りで、おそらくモンハンのように敵の毛皮などを剥いで装備として身にまとうゲームなんだろう。上半身に偏重しがちな中で足にも強化アーマーが付くのは割と珍しいよね、仮面ライダーなのに。
単に有名なゲームだからってだけじゃなくて、ちゃんと敵の力を使う仮面ライダー的な要素をピックアップしてるのがいいと思う。
ドラゴナイトをハンターする……訳だから、もしかするとプレイヤーキルを推奨してるゲームなのかもしれないと思ったりもした。だからこそ今回、永夢は「自分を攻略させる」という発想に至ったのかな? とも。

分解したアーマーがそれぞれレベル5の力を秘めているなら、フルドラゴンはレベル15くらいあってもおかしくないのではというのは素朴な感覚だけど、行動経済学の概念に限界効用逓減の法則というものがあって、それを適用すればそんなに違和感はない。
モノの価値というのは単純な足し算には置き換えられなくて、例えば車を1台持っているのと2台持っているのを比べた場合、単純に得られる利益が2倍になるかというとそんなことはなくて、一人で2台持ってたって同時に乗れる訳じゃあるまいし、0から1に変わったときほどの明確に生活が便利になるかといえばそうでもない。リンゴが2つある場合もそうで、丸々2個も食べたら飽きて要らなくなる。
これらと同じで、ファング,ブレード,ガン,クローという武器をたった一人に持たせても、それらを全て100%使いこなせるかというとなかなか難しい。それよりは、一人にひとつずつ分担して個々のパフォーマンスを最大化した方が、結果的に得られる効果は倍増するよね、という理屈。


・仇討ちに意味はあったのかと自問する飛彩は、ゼロワンで鉄クズとなった滅を見つめる不破と全く同じシチュエーションで笑った。
セリフを聞く感じ、ほんの少しだけグラファイトを倒せば小姫が戻ってくるんじゃないかと期待していた気持ちもどうやらあるっぽい。


・日向から分離したはずのハンターゲーマを倒したにも関わらず日向のゲーム病が治ってなかったのは、グラファイトがプロトガシャットを取り込んだせいなのか、そうする前からプロトと正規版はリンクしてるからなのか、本体であるグラファイトを倒さないと駄目らしい。隊長のリボルと周りにいた兵隊みたいな関係なのかな?


まとめ
飛彩が仇討ちを終えたけど、エグゼイドのキャラクターって作中で何か劇的な変化とか成長みたいなものをあまりしないよね。次回以降も「嫌味だけど腕だけはある医者」として、大きく変わることなく動き続ける。
これは悪い意味じゃなくて、キャラクターの特徴が"復讐"みたいないち要素に頼り切ってない証拠というか、割と面白い描き方な気がする。割と2号ライダーって明確な動機があって、それが解消されれば態度が軟化したりギャグ落ちしたり空気になったりしがちなのに、エグゼイドの場合は元々持ってる動機の占める割合がそこまで大きくないのか振れ幅がやけに小さい。

 

エグゼイド感想一覧

裏面

仮面ライダーエグゼイド 第10話「ふぞろいのDoctors!」 否定的感想

 

前話

仮面ライダーエグゼイド 第9話「Dragonをぶっとばせ!」 肯定的感想

次話

……

仮面ライダーエグゼイド 第9話「Dragonをぶっとばせ!」 肯定的感想

 

・今回だけバグスターユニオンにはならずにハンターゲーマとして分離。これは、グラファイトが持ち出すことを見越していた黎斗が細工したと考えてもいいし、ドラゴナイトハンターはグラファイトという完全体バグスターが既に生まれて学習されたデータもそれなりに積み重なっているので、後々のバグスターと同様にいきなり分離された……と解釈してもいいのかな?
七面鳥もといオレンジ顔の雑魚バグスターウイルスもいきなり人型で現れるし、主人格となるバグスターが生まれたあとはそうやって軍団を増やしていくかたちになるのかね。

 

グラファイトって何モチーフ?

・前にも少し言及したけど、バグヴァイザーを没収されて変身できないから、仕方なくプロトガシャットを直挿しすることで自ら感染して怪人体を構成するのに必要なウイルスを調達した、みたいなふわっとした理屈なのかな?
テーマ的にはプロトガシャットという過去のもの、つまり蓄積されたデータを吸収してバグスターは進化するみたいなイメージの描写なんだと思われる。

それはそれでいいとして、グラファイトってあいつ何者なんだ? ネットの出処不明な情報には「龍戦士グラファイト」というキャラクターがモチーフになってると書かれてるんだけど、仮面ライダー図鑑や当時のサイト、公式読本にもそれらしい記述は見つからず。
基本的にバグスターは該当ゲームの敵キャラを模してることが多くて、永夢の話を聞く限りでは"ドラゴンを討伐する狩猟ゲーム"とのことなので、パッケージに描かれてるような黒いドラゴンモチーフなら分かりやすいんだけど、見る限りドラゴナイトハンターZに緑の要素はない。まぁそれ言ったらマイティアクションXにもソルティの青要素はないんだけど、DKHZのパッケージに描かれているのが敵キャラなら話はまた別。メタな話をするなら彼が緑なのは血の色の補色だからっていう選定なのかなとは思う。

そもそもゲームタイトル自体が少し不思議で、直訳しようと思ったら「龍騎士(ドラゴナイト)を狩る者(ハンター)」……な訳だから、むしろドラゴンより"ナイト"をハンティングするゲームなんじゃないの? っていう。永夢の解説を一旦無視するなら、グラファイトはその意味で確かにDKHZの敵キャラ、龍の力を持ったナイト(? 少なくとも人型のキャラ)なのかもしれない。


・ダークグラファイトにしろ(プロト?)ハンターゲーマのユニオンにしろおそらく結構強いはずなのに2人ともレベル1で応戦してるのがずっと謎なんだけど、やっぱりレベル1は分離機能を抜いても防御力に優れてるからゲームオーバーのリスクを減らしつつ様子見するのに適してる……みたいな設定でもあるんだろうか。
それにしては、5話でレベル3のゲンム(プロトガシャットなので他のよりは強めかも)にレベル1のレーザーがゲームオーバー寸前まで追い込まれてたけど。


・なんでハンターだけ未完成で、ゲーマのデータが必要なんだろう?
辻褄を合わせるなら、レベル3ガシャットにとってはコラボスバグスターがそれにあたるものだったのかもそれない。ゲーマの形こそしていなかったけど、上半身だけの着せ替えアーマー……として見るならあれは確かにゲーマだと捉えることはできる。今回のドラゴンはプロトガシャットから生まれてることだけが違うけど、一応それで納得できなくはない。

 

溶け合う自他と暴走

仮面ライダーエグゼイド ハンターアクションゲーマー レベル5(フルドラゴン)……長いんだよ! ちなみに4人プレイ時のエグゼイド(ドラゴンファング)が40文字で恐らく仮面ライダー史上最長の名前。
長らく、なんでこのフォームが暴走するのかよく分からなかったのよね。だって一気にレベルが高くなりゃ問答無用で暴走するって訳ではないのは後の展開(ゾンビ,XX,マシキマム,レガシー……)見てても明らかだし、それはレベル3になったときも同じこと。
ファンタジーのときはバグスターに乗っ取られるシーンが一瞬だけあったけど本当にそれだけで、フルドラゴンに関しても慣れがあるとはいえスナイプ,ブレイブが使った際には、負担こそあるのかもしれないが暴走する素振りは微塵もなかった。

仮に暴走の原因がレベルの高さとは関係ないとした場合に、自分の中ではドライブ タイプデッドヒートと同じ「他のライダーの力を借りるフォームだから、息が合わないと暴走してしまう」というロジックを適用することにした。
前提として、デッドヒートが暴走するのはあれが「ドライブとマッハ、2ライダー分の力を使う」故のものだと思ってて、ひとつの体に複数のライダーが共存しようとすれば、当然思い通りには動けない。クライマックスフォームがモモタロスの意思に反してぴょんぴょこ跳ね回るのも言ってみれば暴走みたいなもので、あれの延長線上にあるものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。
「自分の体が自分の思い通りに動かない、自分の中に他の何かがいるような感覚」こそがこの暴走の核となる部分で、フルドラゴンの場合はドラゴナイトブレードがブレイブ、ドラゴナイトガンがスナイプ、ドラゴナイトクローがレーザー、この3ライダーの力をエグゼイド一人に集中しているので、自らの意に反して暴れまわってしまう。
おそらくドラゴナイトハンターZには、これまでゲンムやグラファイト,その他のバグスターがライダーたちと戦ったときのデータを集めてつくられた集大成のようなガシャットだから、他のライダーの力も宿っているのだと思われる。
スナイプ,ブレイブは次回4人協力プレイという安全な形で「自分の中に他人が入ってくる感覚」を既に経験していたからこそ、フルドラゴンをうまく扱えたのかもしれない。

一応「他ライダーの力を使う」っていう事象自体はこれ以前にも、エグゼイドとレーザーが人馬一体となって共闘すること、レベル3のゲーマくんと合体して戦うことも挙げられるかもしれなくて、だとすると二面性がテーマな『エグゼイド』的には、ひとつの器に2つの力までなら入るけど、それ以上は難しい……というスタンスなのかもしれない。
レーザー レベル5の見た目がどう見てもブレイブとスナイプの武器を使ってるようにしか見えないのも、あれはドラゴナイトクローという似てるけど別のものなんですと解釈しなくとも、レーザー自体が元々バイクで「他人とひとつになることが前提のキャラクター」だからこそ、他のライダーよりも許容範囲が広くて合計3つの力(レーザー,ブレイブ,スナイプ)を同時に使っても暴走しない、のかもしれない?

 

まとめ
書くことがなさすぎて、次回に取っておくはずだったネタまで使ってしまった。エグゼイドって話の進みが早いように見えて、実際のところ1話で起きてる情報量ってあんまり多くないのよね。
フルドラゴンの見た目は以降のパワーアップへの布石として、変わり種具合がちょうどいい感じでとてもいいと思う。あそこまで猫背のライダーってなかなかいないでしょ、かわいい。

 

エグゼイド感想一覧

裏面

仮面ライダーエグゼイド 第9話「Dragonをぶっとばせ!」 否定的感想

 

前話

仮面ライダーエグゼイド 第8話「男たちよ、Fly high!」 肯定的感想

次話

仮面ライダーエグゼイド 第10話「ふぞろいのDoctors!」 肯定的感想