やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

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 Twitter等で見かけた話題について、何か思うことがあったら書くカテゴリ。メインコンテンツである作品の感想とは読む層が違いそう。

 

特撮

ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

――クウガ

―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

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―――クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想

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―――終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

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―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

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――

―――運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想

―――剣(ブレイド)感想一覧

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―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

―――響鬼感想一覧

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―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

―――カブト感想一覧

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―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

―――電王感想一覧

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―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

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―――仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

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―――手品のような作品『仮面ライダーエグゼイド』 本編感想

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―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

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―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

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―――ゼロワン感想一覧

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―――セイバー感想一覧

 

戦隊

――タイムレンジャー

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――ゼンカイジャー

 

ウルトラマンZ

 

まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

――ヘボット!感想一覧

進撃の巨人

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

「もはやこれは仮面ライダーじゃない」
そんな声を毎年多く聞く。では仮面ライダーであるとは何なのかと問うたとき、仮面ライダーの名を冠する者すべてと過不足なく一致する定義を答えられる人はなかなかいない。

仮面を被り、バイクに乗る。その簡単な2項ですら、少なくとも劇中に描かれる限りでは守らないキャラクター達がいる。
ドライブが乗るのは主だって車であるし、RIDEを日本語の"乗る"と解釈しても、近年ではそもそも"乗り物"を持たない者もいる。直近だとバルカンやバルキリー……はかろうじて変身前に黒いバンに乗っていたが、滅亡迅雷の2人は現状、迅がゼロワンに馬乗りになっていたくらいである。
いわゆる複眼,触覚,Oシグナル,クラッシャーなどの外見的な特徴も、ひとつも持たないものこそなかなかいないが、たったひとつ満たしていればそれで良いのかと思う人も多いだろう。
改造人間であるか否かという点も、放送コードか何かによって守られていない。

現在ある程度の説得力をもって世間に受け入れられているのは、
・同族争い,親殺し,自己否定の3つを満たすこと
・悪の力を善に転用すること(敵と同じ力を使う)
・人間の自由のために戦うこと
くらいのものである。

以上の現実を踏まえた上で、「仮面ライダーの定義」を打ち立てることについて考えていくというのが本記事の主題だ。

 

目次

 

 

 定義とは何か

まずはここを確認する必要がある。言葉の定義というものは、決して客観的に存在するものではない。
定義とは、コミュニケーションをはかる際に誤解が生まれないよう、ある言葉から抱くイメージをひとつに統一しようという目的のもとに、多くの人が参考にできる拠り所を設けようとする行為である。
すなわち、その目的を共有できない人とは話がそもそも噛み合わないこととなる。
そして大前提として、「仮面ライダーとは何か」を考える際に参考となる大きな軸のひとつは、いわゆる"公式"の見解であることも改めて共有しておきたい。
多くの人がその"公式"の言うことにある程度の権威を感じていることは、彼らの持つ影響力というかたちで現れている。我々が受け入れるから彼らは影響力を持ち、その影響力がまた権威となって更に多くの人に受け入れられるのだ。
政治と同じく、公式の持つ権威は一人ひとりに受け入れられているということに基づき、逆に多くに受け入れられているものは公式でなくとも同等に扱う。
「悪の力を善に転用すること(つまり仮面ライダーは善でなければならない)」という定義は公式の言う"仮面ライダー"の多く、いわゆるダークライダーやネガライダーを振り落としてしまうが、僕の見る限りおいてはそこそこ支持を得ているので併記した。
個人としての僕はこれを支持しないが、「受け入れられている」という事実は受け入れているつもりでいる。
どんなに正しそうに見えても、多くの人に支持され共有されなければ「他者と誤解の少ないコミュニケーションをとる」という定義の目的を達成させることは難しいからだ。
(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

 


 "仮面ライダー"とは何か

いくつかの平成ライダー作品においては、仮面ライダーという呼称は劇中では使用されない(クウガ,アギトなど)か、出処が不明瞭なまま既知のこととして扱われる(龍騎,剣)。
対して『W』では風都市民が、『ドライブ』ではブレンが、それぞれ"仮面ライダー"という呼称を使い始めたのだと明言されている。
前者はそれでもぼやかされているからなんとか納得できるが、後者の「仮面の……ライダーだ! 仮面ライダーに警戒せよ!」というあのシーンには、強烈な違和感を覚える。
何故あのプロトドライブを見て"わざわざ"、仮面とライダーというその2つの要素を、その表現で、その順番で並べたのか。この疑問が出てくるのは、僕が視聴者という立場にいるからというだけではなかろう。むしろ視聴者でなく仮面ライダーという単語を知らない者こそ、抱いて然るべき疑問だと思われる。
ブレンがあの時あの場所で思い浮かぶ言葉は、それこそマスクドライダーでも、アーマードライダーでも、メットライダーでも覆面ライダーでも、なんでも良かったはずなのだ。にも関わらず(他作品と)示し合わせたように"仮面ライダー"になることに、僕は違和感を禁じ得ない。
市民が呼び始めたというのもブレンが名付けたというのも、どちらも「何故劇中の戦士が仮面ライダーと呼ばれるのか」に対する説明としての機能を持っているが、それは少なくとも僕の「何故"仮面"と"ライダー"の2要素を強調して呼ばれているのか」に対するアンサーにはならなかった。
僕はグローバルフリーズのスピンオフは見てないのでなんとも言えないが、そこではそんなにも"仮面"と"ライダー"を名前に付けたくなるような活躍が描かれているのだろうか?
仮面を強調するならば素面の存在がチラついていなければおかしくて、そうでなければ元よりそういうデザインの機械かもしれない。それでいくとダブルは正体を隠しているはずなので、変身体と別の姿(面)があるという発想を抱く理由が見当たらない。顔が見えない程度に変身するところだけたまたま目撃されたのだというロジックも組めるが、結局実際のところ「仮面ライダーと呼ばれる」という結論ありきなことに変わりはない。
仮面ライダーであって悪い理由はないが、仮面ライダーである必然性もまた、ないのだ。


では、平成ライダーが"仮面ライダー"と呼ばれるのは「『仮面ライダー』から続くシリーズであるから」で一旦片付けるとして、初代『仮面ライダー』まで遡って、「何故"仮面ライダー"なのか」という疑問の答えを探してみるとどうだろうか。
結論から言えば、見つからない。
開幕早々、画面上に映ったキャラクターに『仮面ライダー』というタイトルが重ねられることで、また主題歌やナレーションを通じて視聴者に対しては問答無用で示され、劇中内では本郷変身体=仮面ライダーであるということは、どうやらほぼ自明のこととして扱われている。
2話で初めて、バイクも何も関係ないのに唐突に「ライダー投げ」という技名らしきものを叫び、3話にて戦闘員がこれまた唐突に「仮面ライダーだ!」と呼ぶ。
味方サイドで自覚的に呼ばれるのは4話であり、少年が自分を助けた"あのお兄ちゃん"は誰かと問うたところ、「あれは仮面ライダー」だと説明される。
漫画版にしても、変身した本郷猛が自分から名乗るというだけで、唐突なことにそう変わりはない。
本郷猛が仮面ライダーと呼ばれるに相応しいかどうか、みたいな段取りは一切なく、なんなら流れとか雰囲気といったもので呼ばれ始める。

劇中で仮面ライダーと名付けられるのは現実世界でそう名付けられたからかもしれないが、更にそこへ「何故」を突きつけることもできる。仮面を名前にチョイスしたのはペルソナをテーマにするためかもしれないが、では何故ペルソナの要素を入れようと思ったのか。何故あのようなデザインになったのか。何故石ノ森氏に依頼されたのか。何故企画されたのか……。
このように、あることを説明するために使った事柄についての更なる説明を求めていくと、無限後退と言われる状態に陥る。
"根拠"とは言葉の通り根っこであり、ある事柄が成立するための前提条件である。無限後退している限りはいずれの前提も無根拠なものとなり、正当性(拠り所)を失ってしまう。


いちゃもんを付けて、否定したい訳では決してない。
ただ、仮面ライダー達が"仮面ライダー"という文字列で表されることに対する明快な"根拠"は、少なくとも劇中では示されていないということは、ひとつの事実として受け止めなければならない。
言語学ではこのようなことを言語の恣意性と呼び、そもそもそこに根拠など有り得ないとしている。

 

 


 意味の逆流現象

前項では「何故」をキーワードにそのルーツを辿ろうと試みたが、失敗に終わった。
ここでは「何故かはよく分からないが仮面ライダーと呼ばれている」という事実を受け入れた上で、それがどのような意味を持つのか考えていくこととする。

仮面もライダーも、どちらも本郷猛変身体という存在を記述するために、その所有物(マスクとバイク)を利用していることが分かる。
"仮面ライダー"というのは、「本郷猛の仮面とバイク」という認識から見て「仮面を被ってバイクに乗った存在(本郷猛)」という認識に主従関係が逆転しているのだ。
これは、世間的にショッカーという組織が「仮面ライダーの敵」と認識されていることと似ている。
ある集合の中の一部が、全体の意味に影響してしまうのだ。


仮面ライダー関連で似たような事例をもう2つ挙げよう。
『ディケイド』における小野寺クウガ。彼が地の石の力によって変身するライジングアルティメットというフォームがあり、それに対して「ライジングフォームはアルティメットの力が漏れ出た形態なので、"ライジングアルティメット"というものは有り得ない」という意見がある。
これはたまたまクウガがアルティメットの力によって力がRiseしている様子をライジングマイティなどと名付けただけであるにも関わらず、受け取り手が勝手にRisingという言葉そのものに「アルティメットによる」という意味を付加させてしまったことによる混乱である。矛盾があるとすれば、更に上昇する余地があるのならそれは"究極"ではなかったのではないか、という部分だろう。まぁそれも「名付けた者が究極だと思った(けど違ったらしい)」で済む話だが。

もうひとつは『フォーゼ』における如月弦太朗。「主人公の髪型がリーゼント」というだけで、抗議の声が殺到したそうである。
あの髪型にすることが直接的な"悪行"ではないはずだが、リーゼントヘアで不良行為をした誰かがいたせいで、髪型そのものに"悪い"という意味が付加されてしまったのだろう。
学校の規則を破ることはよいことではないが、そもそも規則としてあの髪型を禁止する時点で既にその意味の逆流が起こっている。或いは「何故」の通じない、よりプリミティブな不快感に根ざしているか。

このような現象は、我々のそばで日常的に起こっている。

 

 

 大自然が遣わした戦士

"定義"というのは、厳密には対象となる概念と過不足なく一致する必要があるので、これは定義とは少し違う話なのだが、僕の中での"仮面ライダーのイメージ"というのは、「たくさんいれば、色んなやつが現れる」という言葉で表現される。
ショッカーが自らの意のままに動く怪人たちをたくさんつくっていれば、いずれ一人や二人くらい意のままに動かない者が現れる……それが"自然"なことである、という観念。
これを「"仮面ライダー"と呼ばれる者」の定義にしようとすると、例えば本郷を逃がすことに協力した緑川博士の存在も含まれてしまうが、彼に仮面ライダーの名は冠されていないので、矛盾してしまう。

ショッカー怪人なのにショッカーに従わないだとか、仮面ライダーなのに悪人だとか、リーゼントヘアなのに悪いことをしないだとか、ショッカーが脳改造前に本郷を目覚めさせるだとか、実験のためとはいえ本郷に風力エネルギーを与えてしまうだとか、そう言ったことに対して我々が感じるある種の"不自然さ"や"おかしさ"。
しかしどれだけおかしい、有り得ないと思っても、実際に起こってしまっている以上、人間の認識には反していても、この自然世界のルールには反していない。すなわち"自然"なことなのだ。
この文脈でのより大きな"自然"のことを、人間が感じるそれと区別するために、ここでは"大自然"という言葉を使いたい。

 

実際の現象を前にしては、理論的に有り得ないだとか定義に反しているだとかそういったものは意味をなさない。事実こそがすべてであり、大自然の前では我々人間の理屈は常に泣き寝入りをするしかない。
一度雨が降ってしまえば、いくらその日の降水確率が0%でおかしいと感じても、降らなかったことにはできない。
うちの近くのスーパーでは、買い物の際に3円払うと"ゴミ袋"と書かれた袋を渡される。買ったばかりのもの、況してや食料品をその中に入れて持ち帰ることに僕は些かの抵抗を覚えるのだが、勿論"ゴミ袋"と書いてある袋に入れたからと言って、商品がゴミ(もう使えないもの)になる訳ではない。レジ袋として使えばゴミ袋と書いてあろうとも本質的にはレジ袋足り得る。
天気予報が外れることもあれば、ゴミ袋が想定外の使われ方をすることもある。

複眼(たくさんの目)に触角(アンテナ)、そしてOシグナル(第三の目)と、仮面ライダーの記号は「周りの状況を察知する」能力に長けているイメージがある。目は言わずもがな周囲の風景を、触角は温度や音,匂いなどを、第三の目はそれらを超越した直観や霊的感覚などを司り、ともかく全てに共通するのは"探る"のが役割だということ。ついでに言えばマフラーも、風の有無がひと目でわかる。
だから特に近年の仮面ライダーは、流行を取り入れ周囲に合わせ、得てして目の前にある現実を"受け入れること"がテーマ的にピックアップされることが多いのだと思う。

後になって、顔が特徴的なのもその周辺に情報の受信部が多いことも当たり前であって、わざわざ取り上げるようなことでもなかったかなとも思ったが、ご愛嬌。

 

"仮面ライダー"という新しく作られた概念は、何故かもどういう意味かも判然としないままに、本郷猛変身体を指して使われ始めた。
そしていつしか変身者が一文字隼人に変わっても、悪人に変わっても、バイクに乗らずとも続けて使われている。
ショッカー怪人がたくさんいればショッカーに歯向かう仮面ライダーが生まれてくるように、仮面ライダーも規模が大きくなれば色んなやつが生まれてくる。

何事も「もはやこれは〜ではない」と言いたくなる例外的存在は出てき得る。それが"大自然"の掟なのだ。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

 

 

 世界の破壊

ショッカー怪人だからと言ってショッカーに与するとも限らないし、仮面ライダーだからと言って正義の味方とも限らない。
改造人間という設定は、人間の体すら究極的には言葉と同じく、交換可能な"仮面"に過ぎないということを表している。
記号と、それによって表される意味。
言語はもちろん、それ以外のリーゼントという髪型や我々の顔のような視覚的な情報、聞こえてくる聴覚情報なども、すべて"記号"に過ぎない。
仮面ライダーのデザインは、どう見ても設定通りの強化された肉体というよりは服なのだが、"改造人間バッタ男"がショッカーの技術で複製可能なのと同様に、容易に取り替えられる衣服もまた人の外見を規定する記号のひとつである。
現代で言うところの"コスプレ"の延長線上に、なりすまし(擬態)はある。
実際、既に整形技術はかなり普及しており、かわいいだとか美しいだとかいう基準に合わせて顔を作り変えた結果、多様性がなくなり「皆同じような顔」になっているというような話も耳にする。
"そっくりさん"はつくれる時代に突入しつつあるのだ。

また俳優の藤岡弘、さんの事故の弊害であるとはいえ、中盤に本郷猛の過去の映像が使い回され、声を別の方が吹き替えていた時期がある。
これも結果的にだが、本郷猛だからと言ってあの声だとは限らないという、声の交換可能性を示す事柄となっている。
というか桜島1号とか新1号とかの登場回も見てみたが、声と同じく見た目が変わったことに対する説明らしきものは一切見当たらなかった。
だがそれらも全部「改造人間だから」で受け入れられてしまうのは、偶然というよりはこの設定の懐の深さを表していると言えよう。
すなわち、"仮面ライダー"の真髄のひとつは、この"交換可能性"という部分にあるのだ。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

インターネットが普及し、誰もが簡単に仮面を被ることができるようになった。
ゼロワンの感想にて詳しめに話したが、ゲームプレイワーキングと言って、自覚的にはただゲームをしているだけでその入力が何らかの仕事に変換され、働いているのと同じ成果を得られるようになるシステムというのも考案されつつある。これもまた、見えている世界と実際に意味する世界を乖離させるベクトルの力である。
もはや見た目も声も名前も物事の本質と直結せず、そもそも本質……攻殻機動隊で言うところのゴースト(代替不可能なもの)などあるのかという疑念に駆られるようになる。
だが、それは悪い面ばかりではない。何者でもなくなった我々は、同時に何者にもなれるようになったのだ。
白倉さんによれば仮面ライダーは自らの親を否定するというが、その意味では作品にしばしば登場する"おやっさん"という存在は、言わば親代わりと言える。
加賀美やじいやたちにとって、本来何の関係もないスコルピオワームが神代剣になり得るように、誰もが誰かに擬態できる。
ゴミ袋をレジ袋として活用することも当然できる。

従来信じられていた必然的な繋がりが破壊され記号と意味が分離した結果、「子供たちは仮面ライダーになれる」のだ。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 


 自らを由とする

記号と意味の繋がりが断ち切られ、破壊された世界では、存在はその背景や根拠,ルーツを失う。

人はそういった後ろ盾を持たない者に対して厳しい面がある。「ジクウドライバーはどこから来たのか」「ギンガって一体何だったのか(何年のミライダーで変身者は誰なのか)」などという疑問はいい例である。ビルドドライバーは、エボルドライバーを参考に葛城親子がつくった。だが、そのアレンジの発想の元や、そもそものエボルドライバーはどこから? と言った"由来の由来"、すなわち祖父母にあたる疑問は、目を向けられないことが多い。なんなら仮面ライダーの力の源について「現代の科学では説明できない不思議なパワーなのだ」という説明する気がない説明でも、何も言われないのと比べればそこそこ落ち着くだろう。

これを端的に表しているのが『龍騎』だ。
「映画は本編に繋がるループのひとつである」という言説は、それだけでは説明になっていない。何故ならタイムベントで時間を巻き戻す当事者である士郎が死んでいるので、単純には繋がり得ない。もちろん、他の誰かが神崎の研究資料を見てやっただとか、それなりに理屈を通して繋げることは不可能ではないが、上記の説明だけで納得している人は明らかにそこまで考えていないだろう。

ジオウ同様に説明不足も甚だしい電王が成立しているのは、例えば「教養の差だ」みたいな"説明してる風"のセリフがあるからだろう。
我々が抱く「何故?」とは、その程度の近視眼的で適当なものなのである。
親世代が無根拠であることを容認されるのならば、子世代が無根拠であることも理屈としては大差ない。


要するに、エボルドライバーの出自が気にならないのにビルドドライバーやジクウドライバーの出自だけを気にするのはナンセンスだ、という話。エボルドライバーの出自が宇宙のどこかの知性体だとするなら、その知性体のルーツも探らなければならない。これは先ほど言った無限後退である。
無限後退をしないのであれば、我々はいつか、背景を持たず無根拠で、他者との関係によって記述されない"孤高の存在"を受け入れねばならない。実際にそうであるかは関係なく、我々の認知の限界として"ナマの事実"は現れてくる。もしくは循環するか。

人は自分のルーツを求めて宗教による"説明"をしようとする。
だが無宗教の人が存在するように、また人をつくった神のルーツ(のルーツ)が語られないように、根拠など分からずとも存在できてしまうのが実情である。


従来は「自分は男だから力が強い」という文章が意味をなしたが、男だからと言って力が強いとは限らないことが分かると、男であることは根拠として機能しなくなる。
そこにあるのはただ「自分は力が強い」という事実のみである。
これは、"それまでの定義からの自由"を意味する。
定義がもたらす「男である→力が強い」「仮面ライダーである→正義の味方」「すずきやまとである→葛葉紘汰ではない」などの不自由から解放され、すずきやまとであった背景をかなぐり捨て葛葉紘汰になることができる。
これこそ、世界の破壊がもたらす恩恵である。

僕のハンドルネームである"やんま"は、由来としては所謂リアルにて友人にそう呼ばれていることが挙げられるし、更にその理由を求めると例えば眼鏡をかけていることだったり本名とも少しかかっていたりということになってくるのだろうが、そんな背景はお構いなしにネット上では"やんま"として、なんなら"やんまヘボ"として定着しつつある。
そう、例え一切根拠などなくても、名乗ること/呼ばれることによって名前というのは"定着"するものなのだ。


先程からキーワードをちょろちょろ出している『ディケイド』を絡めて説明するならば、士が世界によって役を与えられることを"役者"に見立てたとき、同じ現象が起こっていることが分かるだろう。
井上正大さんは門矢士に変身する。「門矢士として生きてきた背景」を当初の彼は持っていないが、撮影が始まれば門矢士になりすます。
しかし背景を持たないからと言ってその存在(井上氏演じる門矢士)が成立しないとか価値がないかと言えば、そうはならない。彼の声、表情、身のこなし……その一挙手一投足が"門矢士"として新たな価値を生み出し、定着していく。
『ディケイド』を好きじゃない人も自分の好きなキャラクターに置き換えて見れば共感できるだろう。仮面ライダーシリーズにおいてノンフィクションだった作品というのは現状ない。
背景の破壊というものを自覚的に扱った作品として、もうひとつ『電王』がある。味方側のイマジンズはルーツである"カイの未来"がなくなったことによって消えるはずだったが、そんな根拠などなくとも「いるものはいる」ということを示した。同時に良太郎のイメージを借りた存在でもあるが、後々良太郎がいなくても登場したり変身できたりするようになったのも、その傍証であろう。良太郎に両親がいないのもそれを思わせる。

 

悪の仮面ライダーや暴走するアナザーアギト(アギト)の存在によって、正義の仮面ライダーや木野アギトの名誉が脅かされるという意見がある。
だがしかし、"仮面ライダー"の称号という文字列や、アナザーアギトのような見てくれひとつにすがらなければ瓦解してしまうほど、彼らという概念は弱いものなのか。その個体が持つ要素の中からそれだけを抽出して、あとは"ないも同然"にしてしまうのか。
それらひとつひとつは所詮借り物の記号による一部分に過ぎない。例えばクウガのガワにも小野寺が出て来る前から先代という別の所有者がいるし、アギトの力もまた他の変身者が多数いるものであり、翔一と同型のアギトが存在し得る以上、個体差の問題として木野のものとよく似ているか全く同型のアギトが生まれる可能性がないと言い切る根拠はない。木野薫という名前にしたって、それほど珍しい訳でもないし、同じく木野という苗字の人間が悪事を働く可能性は十分にある。だがだからといって「木野薫に失礼」という立場からの批判はナンセンスだろう。決してこれらは専有物ではない。

では木野薫という概念とは何なのかをきちんと説明しようと考えると、"生き様"とでも言えるような網羅的なものでないといけない。
それをたった一言で表現しようとするならば、木野薫とは木野薫であり、仮面ライダーとは仮面ライダーである……という、トートロジーに落ち着くことだろう。

下の記事の"テーマ"という項で、ダークライダーの存在意義について詳しく書いてるのでそちらも是非。
(参考:仮面ライダーディケイド 6,7話「バトル裁判・龍騎ワールド/超トリックの真犯人」 感想)

 

先に用意された仮面ライダーという集合の"定義"に構成要素たる本郷猛たちが従うのではなく、その名を冠する者たちの生き様そのものが逆流し"仮面ライダー"という概念の意味をつくりあげていく。
それがこの"定着"という現象の意味するところだ。

名が体を表すのではなく、体が名を表す。
彼らに背景の有無は関係なく、仮面ライダーだから仮面ライダーなのだ。

そういう意味で、とにかく顔に「カメンライダー」と書いてあるから仮面ライダーであるというジオウの(言語学的な)スタンスは子供向けとしても至極真っ当と言える。

 

 

 

 仮面ライダーの敵

既存の定義にもあるように、仮面ライダーの敵はそのルーツである場合が多い。このことからも、仮面ライダーの無根拠性が顔を覗かせる。

敵組織の中でも最初の敵であるショッカーに注目すると、「ナチスドイツの残党」という点がひとつ挙げられる。
あいにく僕は社会科、とりわけ歴史を毛嫌いしているので詳しいことは知らないのだが、ショッカーとの類似性という視点から語る上で重要になるのは、やはりその優生学的な側面だろう。
改造手術によって動植物の特徴を移植し、強化された人間をつくる。そしてそれに適応できない者は(強制労働の末に)殺されてしまう。

ここに現れているのは、超人的な人間だけによる無駄のない世界にせんとする、息の詰まるような思想だ。
僕は発達障害を持っていて、最近は同じ障害者(身体精神など問わず)が集まる施設に通っているのだが、自分も含め、我々障害者が他人と関わりながら迷惑をかけずに生きていくことがなかなか難しいのは、悲しいかな事実ではある。
そういった負の面を日々感じている身からすると、「人類全体のことを考えたら障害者はいない方がよい」という意見を、無下に扱うことはできない。

障害者に限らずとも、例えば一部の犯罪者などは今でも実際そのような判断を下されて死刑となってしまっている。

健常者も他人事ではない。日常生活は問題なくおくれていても、人類全体というマクロな視点に立った時には、一挙一動がバタフライエフェクト的に損をもたらしている可能性はあり得る。例えば安くて質の悪い商品を妥協して買う判断は、技術の発展を遅らせている一因であると言えるかもしれない。より高く質の良いものに需要をもたらすためにはよりお金を稼ぐ必要があり、その為には自らもより質の高い生産をしなくてはならないというスパイラルに陥る。その先にあるのは、小さな幸せに満足することなど許されない世界だ。
(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

以前の記事にも書いたが、僕は人類に与えられた自由があるとすれば、それは「最善を尽くさない自由」だと思っている。
将来のことを考えたら何か身になることを勉強した方がいいと思いつつ、漫画を読んだりテレビを見る自由。もう少し痩せた方がいいと思いつつ、お菓子を食べる自由。選挙に行った方がいいと思いつつ、行かない自由……。

"正しいこと"という概念は、人の自由を奪う。僕は「自分の意見が正しい」と感じているとき、きちんと説明して伝われば、遅かれ早かれ全ての人が同じ考えになると信じている。この「全ての人が同じ考えになる」ことこそ、"世界征服"そのものである。

そしてそれはとりもなおさず、冒頭で示した定義という行為(ある言葉から抱くイメージをひとつに"統一"する)に繋がってくる。

 

それと敵対することから、「(誰かにとって)正しくなくてもよい」ということを示すのが、仮面ライダーであるとも言える。
ショッカー首領にとっては、全ての人間が改造され自分の意のままに動くことが"最善"なのだろう。だがそうでなくてもいい。例え自分に不利益をもたらすことであってもそれをする(利益をもたらすことをしない)自由、すなわち愚行権の許容である。
逆に仮面ライダーが次々と生まれるように、同時に敵組織も毎年生まれている。これが許されるのは、敵組織も仮面ライダーにとって正しくなくてよいということを認めなければならないという矛盾を孕むからだ。

この"矛盾"という言葉についても少し考えてみたい。
この熟語の由来は「どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも貫けない盾があったらどうなるのか」ということに対する違和感を表したものであるが、一度立ち止まって考えたとき、この矛盾という現象は、言葉の上でしか起こらないことが分かる。
この自然世界では、どちらかが勝つとか、確率的にどちらが勝つか決まるとか、対消滅するとか、何かしらの結果が必ず出る。
このようにきちんと結果が出たならばそれは矛盾とは言わないだろう。
すなわち、矛盾というのは何かしらの「人間の勘違い」に基づかなければ成立しない概念なのである。不自然なことなど、起こり得ない。

フィクションの設定についても同様のことが言える。
"設定"というのはあくまで現象に対する解釈に過ぎず、たまたま創作物ではそれを先行させることができるように錯覚してしまうだけ。
少なくとも今の僕は、既に起こってしまったことを前にして「有り得ない」などと言うのはナンセンスに感じるので、現象ありきで考えることにしている。指摘したからと言って撤回される訳でもないし。
「人間にとっておかしく見えること」など、大自然にとっては問題ではない。
自分のおかしいと思う基準(正しさ)を大自然に対して押し付けることは、できない。仮面ライダーはそれを体現する存在なのである。

 

 

 

 "仮面ライダー現象"/自然と自由の象徴として

長々と語ってきたが、一言でまとめるのならば「分かったような振りをして定義することによって仮面ライダーから自由を奪うこと自体が、仮面ライダーの理念に反している」ということになる。
人間はこうして短くまとめてもらわないと、脳の処理能力が追いつかなくてなかなか理解できない。書いてる僕本人でさえ全容をきちんと把握しているか怪しい。
だからいくつかの事実を"例外"として目をつむり、より簡単でキャッチーな理解をしようとする。
"仮面ライダー"とはそういった規格からはみ出るものが現れる"大自然の掟"そのものであり、現象の名前であると僕は捉えている。その名を冠するキャラクター達はあくまでその現象の代表として、象徴として、表舞台に立つだけであり、緑川博士やイマジンたちも"現象としての仮面ライダー"には含まれる、というのが持論である。


しかし、その人間の限界もまた自然なこと。
最初に挙げたいくつかの「仮面ライダーの定義」は、既にある程度定着している。定義というものはそのように人々の間でイメージが共有されなければ目的を果たさない。
ゴルドラとシルバラがいくつかの媒体で仮面ライダーの名を冠されたが現在あまり定着していないように、仮面ライダー足る資格というものがあるとするなら、それは人々に広く受け入れられるかどうかということになるのだろう。
そういった意味で、悪人を仮面ライダーとは認めないとする者が生まれるのも自然なことであるし、逆に認める者が生まれるのも自然なことだ。もちろん制作側があるキャラクターに仮面ライダーの名を付けようと思うこともその範疇であるし、そういった人たちが自由に議論を重ねることもまた、仮面ライダーという概念をつくりあげていく自然選択のひとつである。


現象としての仮面ライダーには、我々も含まれている。
我々もまた大自然に遣わされた存在として、自由に生きることができる。
仮面ライダーの定義を決めるのは、石ノ森先生や本郷猛、白倉さんや況して僕ではなく、その全員を含めた集合知としての大自然であろう。

 

 


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ゼロワン好きの『ライドカメンズ』実況 #1

気をつけてください。このゲーム……時間泥棒です。

5/30にリリースしたアプリゲーム『ライドカメンズ』。これめちゃくちゃ面白くないですか???
元々乙女ゲームと呼ばれるようなジャンルに興味があり、そのうえ自分が一番好きな仮面ライダー『ゼロワン』の脚本家である高橋悠也がシナリオを書くということで、仮面ライダーのソシャゲ自体もブレイクジョーカー,ストームヒーローズ,シティウォーズとそれなりに楽しんできた身としてはずっと心待ちにしていたタイトルですし、リリースしてからというものどハマリしているので、ブログにプレイ実況を残しておこうと思う。

通常のゲーム実況とは引用の要件も違いそうなのでスクショは最低限に留め、適宜ネタバレを含みます。

 

ジャンルは育成アドベンチャーと書いてあるけど、慣れるまでは単なるノベルゲームとして楽しむのをおすすめします。チュートリアルガシャまではおよそ"30分強"といったところ。公式の見解としては長めに見積もって1時間ということになってるけど、多分それはオートモードで進めた場合の話であって、普通にプレイする分にはそんなかからない。
それでも長い長いって文句は各所で見かけたんだけど、事前の情報通り基本はストーリーを楽しむゲームなので……少なくとも僕は元よりノベルゲームのつもりで始めたので、全然気にならなかった。楽しくてあっという間に時間が過ぎちゃうということはあるけど。
どうしてもどうしても嫌ならスキップしてガシャだけ引いて、ストーリーは後から読むか、実況動画などを倍速で見るなどすれば良いと思います。
てことでスタート。

 

プロローグ

・本作は一人称選択式で、最初は"僕"で始めたんだけども、主人公のテキストが結構女性的な口調(男性だとしたら幼めの少年くらい)だったので、デフォルトのノア/私に戻してプレイすることにした。
カメンズとノアが仲良くなって楽しそうにしてるのを空気、あるいは腐女子さんの言うような"壁"として見られるので、自分は無理に感情移入するよりこっちの方が性に合ってるかも。

・あと、これは公式の呼称ではないと思うんだけど、僕は『刀剣乱舞』における"刀剣男士"みたいなノリで、作中のイケメンたちを"カメンズ"と呼んでいきます。ゲーム自体を指すときは略さずライドカメンズと。ドカメン呼びの人とはお友達になれない……。

・初見のときは理解が追いつかなかったんだけど、主人公がここで言ってる"奇妙な夢"っていうのは、最初に見せられた色んなセリフがフラッシュバックするプロローグムービーのことを言ってるみたい。未来を見てるってニュアンスなのか、それとも夢が現実になったって感じなのか、どっちなんだろう。

・いきなり異次元への扉が開くから正直びっくりしたというか、ご都合主義的なあれなのかなと思ったりもしたんだけど、3章まで読むとここからずっと続く基本設定のひとつだったみたいで安心した。
子供向けだとたまにあるからな……第1話でだけ起こってその後特に触れられない不思議な現象。

推し選びの注意点?

チュートリアルが長くて挫折したって人をちょいちょい見たんだけど、まぁそこは仕方ないよね……。
事前情報をきちんと追ってるユーザーばかりじゃないから、チュートリアルガチャにいくまでにある程度16人がどんなキャラなのか説明して、誰を狙うか決めて貰わないといけないので。せっかく引き直しできる仕様なんだから、目当てのキャラが決まってないともったいない。

ついでに言っておくと、サムネ的に1章 魅上才悟、2章 伊藤陽真、3章 深水紫苑、4章 蒲生慈玄、5章 荒鬼狂介、6章 神威為士、7章 阿形松之助、8章 スラムデイズ、9章 ウィズダムシンクス、10章 タワーエンブレム、11章 マッドガイ、12章 ジャスティスライド、13章 藍上レオン、14章 第1部完……という構成っぽいので、スラムデイズ、ウィズダムシンクス、タワーエンブレムの3クラスについては、一人ひとりにフォーカスして初変身を描くストーリーはないものと思われる。
なので、もしどうせならストーリーでしっかり描かれるキャラを推しに選びたいと思うなら、ジャスティスライドかマッドガイの中から選ぶといい……のかもしれない。
僕もまだ3章までしか読んでないから確かなことは言えないけど、チュートリアル前にキャラの個性を把握できるのが主にはその2クラスなこととも合致するし、運営側のおすすめって感じなのかな。
第2部で過去編として残りのクラスの初変身を描くエピソードとかも来るかもしれないけど、しばらく……少なくとも夏ごろまでは第1部だけなんじゃないだろうか。

 

・プロローグではマッドガイがなんだかんだ魅力的に感じたかなぁー。中でもやっぱり阿形さん。クラスをまとめるお兄さん的ポジションなのが好き。

ライドカメンズで検索してるとチュートリアルで脱落したって人がそれなりにいるみたいなので、そういう人を引き止めるためのネタバレをします。
卒業試験で雨竜くんが一番手は嫌だと言っていたにも関わらず変身したのには、どうやら理由があるっぽいことが1章の最後に明かされます。彼だけは全部分かった上で、演技として暴走してみせることが彼のミッションだったらしい

10章まで読んだところ、どうやら違ったみたいなので消しときます。

 

洗脳しない理由

・雨竜がカオスライダーになって暴走したところですぐに真実をバラしちゃう試験管については、すごく"仮面ライダー"だよなぁ。
第一義には、まぁ所詮は子供向け番組なのでそういうガバガバな部分も割とあるよって意味で、第二義には初代『仮面ライダー』のオマージュだろうって話もある。改造手術した本郷猛を脳改造を施す前に起こしちゃって、「どうだ君はショッカーの怪人になったのだ」とか自慢げに喋ってるせいで、うっかり逃げられちゃうという。

……という前提は踏まえた上でだけど、この描写は多分矛盾って訳ではなくて、少しあとで説明されてるようにカメンズは幹部候補生だった訳なので、それ故に扱いが難しいのだと思われる。
ただ命令通りに従う子分が欲しいだけなら、当然最初から記憶をいじって言うこと聞くようにしておけばいいんだけど、幹部となると話は別で、自分で考えて下っ端に指示を出すリーダーシップが必要なので、完全に洗脳してしまうのは本意ではないのだと思われる。その傍証としてエピソードゼロに出てくる薄情な男/神谷浩史のカオスライダーは、大学生時代の記憶を持ったままだったし。

加えてライダーに変身するためのカオストーンはどうやら感情に反応する性質があるっぽいので、できればカメンズの人格と豊かな感情をある程度残した上で、自発的に従ってくれることが望ましいのかなと思うので、カオスイズムはかなり難しいことをやろうとしてることになる。
もしかすると幹部たちも全員が全員うまくいくとは最初から思ってなくて、何人かでも成功すればラッキーくらいに考えてるから、16人もの候補を立ててるのかもしれない。
後々の話で"洗脳してやる"というワード自体はちょこちょこ出てくるんだけど、これは矛盾というよりは単に高橋悠也がセリフ選びにおいてはハッタリを何よりも重視する人なので、言葉の綾と捉えるのが無難かも。記憶を消してまた生徒として育て直すことを"洗脳"と表現してるのかもしれないし、あるいは単に「洗脳してやるぞー」と脅すことで依然として諦めて屈服させようとしてるか。

・為士、ナルシストの割に撤退を進言してるのは弱気というか、なんか一瞬意外だなと思ったけど、元ネタのゲンムも割と負けて逃げることが多かったっけ。やられても蘇るのがゾンビだしな。

ライダーなんて幻想

・平ジェネFOREVERでも扱われた「仮面ライダーは存在しない」というネタをライドカメンズに持ってくるのは結構クレバーだなと思った。
僕みたいな既存ファンはもちろんだけど、ライドカメンズから仮面ライダーに入る新規の方というのも見据えてる以上は、仮面ライダーが悪と戦うっていうお約束に対して懐疑的とは言わないまでも、どこか白々しく思ってる人だっていてもおかしくない訳で、そういう人の目線に合わせて「仮面ライダーなんて本当はいないのかもしれない」というところから初めて、そこから「でも、それでも自分は仮面ライダーとして戦うんだ」という決意を描いていくことで少しずつ受け入れてもらおうっていうのは。

 

第1章 無垢の魅上才悟

・プロローグ終わったのにまだチュートリアル終わらないのかよと思った人も多いだろうから説明しておくと、第2話まで(多分ゆっくり読んでも15分とか)読んだら最初のガシャを引けます。

・変身しないからそんなに注目してなかったけど、レオン/中村悠一が意外といいキャラしてる。執事だからもっと影薄いのかと思ってたらめちゃくちゃ主張強くて、ちゃんと魅力がある。
淡々とした人物像をイメージしてたのに、セリフの抑揚がものすごくハッキリしてて、なんかこう……ひょうきん?な感じすらある。

・しかし、高橋悠也世界に「名付けた親の神経を疑う」という概念が存在したのか……まぁ"レオン"はまだ現実にもいる方だと思うが……。

・「今となっては我々が持っているのは形見の石のみになってしまいたしたが」って、しれっと大事なこと言ってない?
先代が集めたはずのカオストーンは全部どこかに奪われちゃったってこと……?
なんとなく、進化の仮面ボルートあたりがなんか絡んでそうだな。

チュートリアルガシャ、リセマラしなくていいのは便利だよなぁ。この時点から「星4"以上"1枚確定!」って書いてあって、あぁやっぱり近いうちに星5を実装する気満々なんだなと。早く来てほしいなー、超楽しみ。星4はフルボイスとはいえ、それでもまだ日常エピソードって感じだから、星5くらいになるとバトルにも感情が乗るようなそのキャラの大事なストーリーとかになるのかな?
昔の情報を調べてみたら、ストームヒーローズのときはリリースからだいたい半年後に星5が実装されてたみたい。年末かぁ……遠いな……。
(参考:『仮面ライダー ストームヒーローズ』が大幅リニューアル! 変更点を一挙紹介 - 電撃オンライン)

・開始前に興味持ってたのは岡本信彦さん好きだから蒲生慈玄、お兄さんキャラ的に阿形松之助、黄色が好きなのでルーイと海羽静流、ブラッドスターク的な狂言回しかつホストかつメガネが気になりすぎる浄の5人だったんだけど、いきなり阿形さんが来てくれたので引き直しなしで始めることに。
でも今思えば、星4は1枚しか出ないからともかく、星3が2,3枚出るまでやり直すくらいはすればよかったと後悔してる……。

 

・才悟くんがなぜなぜ期っぽいキャラ付けなの、高橋さん『エグゼイド』か『ゼロワン』のときに子供の発達について多少勉強なさったのかな。とにかくいいと思う。
僕ハイキューで言えば研磨好きな方だけど(一番は木兎)、こういうキャラって一人のとき自発的に動かせないから難しそうなところを、研磨と同じゲーム好き設定はルーイに回しつつ、才悟くんは「なぜ?」と興味を示すかたちで主人公と2人のときでも個性を出せるのはいい手段な気がする。今回はやや微妙だけど、かわいい感じの使われ方する時に期待。

・本当は何も考えてなくて、自分というものをまるで持っていないはずの才悟なのに、それが結果として陽真みたいな他人から見ると「自分の世界や時間で生きてる」という印象になる皮肉、これはかなり高橋悠也節だなぁ。心っていうのは確固として実在するものじゃなくて、人が勝手に見出すものなんだっていうのは『ゼロワン』においても大事な観念なので。
本人は自分らしさなんてないと思ってるかもしれないけど、他人から見ればそれは十分個性的だし特徴的だったりする。

ついにやるか『マトリックス

・あったはずのアカデミーが消えてるって話で少しずつパラレルワールド要素を匂わせてるけど、もしかして武部さん、ここでついに『マトリックス』をやろうとしてる? 『ドンブラザーズ』でやると思ったらやらず、ドンブラではやらない路線になったから『ギーツ』でそれ系の展開をやろうとしてるのかと勝手に想像してたらそれもやらず……っていう流れだったので、ついに「この世界は本当の世界じゃなくて、物語中盤くらいで目覚める」ってネタをやるときがきたのか……? 企画のスタートが若干前後してる気もするが。

考え過ぎかもしれないけど、慈玄のサポートエピソード「地図は常に正しい」で浄が「この辺は店がよく入れ替わる」って話をしてて、慈玄たちが卒業してから1年も経ってないだろうに、そんな迷うほど頻繁に店が入れ替わることなんてあるか……?と思って、地味に引っかかってるのよね。もし仮想世界なら、その疑問は解決するので。

・陽真に植え付けられた偽の記憶もそうだけど、マトリックスが云々というのはメタ的な読みだけじゃなくて、単純に「自分たちが今まで信じてきたものが崩れちゃったけど、これまで積み重ねてきたものが確かにあってゼロになった訳じゃない」って展開は、ライドカメンズの設定にすごく合うと思うんだよな。

 

・平和の仮面ピアスがレオンの仮面を取ろうとしないのはエピソードゼロでの4人の後悔が影響してるんだろうけど、博学な男が首領になってるだけでアルセブンは直接あの4人の誰かってわけではないはずだよね?
唯一先代エージェントだけは、死んだことになってるけど実は生きてて、声も体も変えて幹部になっててもおかしくないかなってくらいで。あくまで思想として受け継がれてるだけなのかな。

・完全なる偶然だろうけど、現在放送中の『ガッチャード』でもオムライスが出てきてたね。最強フォームのレインボーガッチャードになる回だけあってちゃんと面白かった。
たまごにふんわり包まれてる感じが、陽真の性格ともあっていていいね。

・紫苑、クラスメイトに対する二人称があなたって独特すぎるな。フルネームで呼ぶ才悟も才悟だが。この2人は陽真や慈玄と比べると、他人とは距離を置きがちなタイプってことなのかな。

・レオンと主人公のピンチに駆けつける才悟。ここには2つほどちょっとした矛盾が生じていて、才悟は取り引きの場所を知らないはずなのと、才悟に助けに行くよう諭した陽真自身はここに来ていないこと。
こんな初見でも気付けるミスがチェックの目をすり抜けてしまうとは考えにくいし、3章まで読むともしかするとこれも矛盾じゃなくて敢えてなのかなと思えたりはする。

勘違いと嘘から出たまこと

・変身、仮面ライダー才悟!

これね〜『ゼロワン』好きにとっては垂涎ものの初変身ですよ。僕が仮面ライダーの映画の中で一番好きな『令ジェネ』や、あとは『ビルド』なんかで主に描かれてることなんだけど、一言で言うなら「嘘から出たまこと」の話。
例えはじめは嘘や勘違いでも、信じたり、言い続けたり、貫いたりすれば、それはもはや本当になる。このメッセージは"仮面"というテーマとも繋がってくるはずで、本当の自分を偽るための仮の面に過ぎなかったとしても、いつしかそれが本当の顔になるかもしれないし、仮面があるからこそその下の本音が輝くこともある。どんな風にも転がせる自由度がありつつも、フィクションの物語についてのメタ的なニュアンスも持ちうる概念なので、先が楽しみ。
(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)


こんなこと言われたら、我々の中の碇シンジが泣いちゃうよ。そんな寂しいこと言うなよ……。
いやーライドカメンズうまいなぁ。こうやってキャラクターの強さと弱さを同時に示すことで、「かっこいい」と「支えてあげたい」の両方の気持ちを引き出してくるとは。

これだよこれこれ、こういう気持ちになりたくて乙女ゲームやってみたかったんだよ。ハイキューの魅力もそういうとこだよね。普段めちゃくちゃ自信家でかっこいいの権化である及川が、実は誰よりコンプレックスの塊なのを隠して強がってるみたいな、強さと弱さが表裏一体になってる感じがたまらないんだ。僕の好きな木兎さんもそう、自信満々でヘイヘイしてるときと落ち込んでしょぼーんとしてるときの両方があるからこそ魅力的なんだ……。ツボを分かってるなぁ。

「仮面じゃない」問題

・情報が解禁されてからというもの「仮面じゃない」「仮面ライダーじゃない」みたいな無粋な声も上がっていた本作のライダー。もちろん僕も最初こそややびっくりしたけど、もう慣れたよね。
そもそも"仮面"で検索するとまず出てくるのは、むしろカメンズが普段付けてるような仮面舞踏会的なイメージの、俗に言うところのヴェネチアンマスクだよね。
であるにも関わらず、仮面という言葉をバイク乗りが被るフルフェイスヘルメットに"敢えて読み替えた"のが仮面ライダーなんだから、どちらかと言えば素顔が覗いてるライドカメンズのライダーたちの方が、本来の意味での仮面には近い。
英語ならどれもmaskだろうけど、日本語の場合は"仮面"って言われると目元だけのものが概念の中心にあって、顔の前面を覆い隠すものはお祭りで売ってるような"お面"、頭部全体を覆う場合は"覆面"と呼び分けるようなニュアンスの違いがあるよね。でもってヘルメットはこれらの括りにはほとんど入らない。
平成ライダーを振り返ってみても、龍騎は西洋騎士の兜のような"鉄仮面"にしてみたり、響鬼は額にちょこんと小さな鬼の面を付けただけであとは歌舞伎の隈取りのようにしてみたり、ゴーストでは顔こそお面のような平面的で原義に近いデザインにしたもののその反動でフードを被るという変なことしてたりと、バリエーションはかなり豊かだった。
デザイン的にヘルメットじゃなくてきちんと"面"っていうニュアンスになってるのは、ゼロワンとオーズくらいだろうか?
過去作で言うなら、電王なんかは一番ライドカメンズに近い"仮面"の解釈をしているかもしれない。プラットフォームの顔を素顔として、口元だけ露出させるかたちで目元の部分にだけデンカメンがくっついてる訳なので。
でも当の電王モチーフな仮面ライダー荒鬼をはじめとするマッドガイは、仮面というよりはそのもの"マスク"に寄ったデザインだったりするのも面白い。
定義がかっちりと決まっていてその枠の中でせこせこと展開するより、「そんな解釈もアリなのか!」ってびっくりさせてくれる方が絶対にエンタメとしての本分を満たしてくれるはずなので、僕は仮面ライダーの定義なんてゆるゆるのガバガバな方がいいと思ってる。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

・主人公に「1億点!」って言われて「満点が何点かによるが……」って言い出す才悟くん超好き。
『ゼロワン』3話の「1万回握って出直して来い!」「承知しました。1万回でよろしいんですね?」っていう、ヒューマギアのAIロボットならではのズレたやり取りが大好きだったので、こういう予想の斜め上を行く会話を今後もしてくれるなら俄然才悟くんのこと好きになっちゃうな。

怪しげな高塔兄弟

・最初にもちらっと話題に出した、タワーエンブレム組の会話。
どうやら高塔戴天が、カメンズを仮面ライダーにするために雨竜にひと芝居を打たせた……という流れらしい。
その思惑がどこにあるのかはまだ分からないので一旦置いとくけど、この時点からこの兄弟には独特な距離感が匂わされている。雨竜のモチーフである龍玄は、本来戴天(ウォズ)ではなく宗雲(斬月)の弟なので、ここの間には何かあるんじゃないかというのは既存ファンならみんな勘繰ってるところだけど、呼び方が雨竜"くん"だったり、"君"と呼んでみたり、弟ではなくあくまで参謀として扱ったりと、本当の兄弟にしては確かにぎこちないような印象は受ける。

その上、宗雲の星4サポートエピソード「Ranunculus 第3話」では意味深に「……俺に家族なんていない」と言っているのが確認できるので、こんなに早い段階からここまであからさまな匂わせがされていると逆にミスリードなんじゃないかという気がするし、仮に順当な伏線だとしたらあんまりダラダラ引っ張らないで早めにタネ明かしして欲しいなと思ったり。

・それにしてもこのゲーム、必然的にプレイヤーによって持ってるカードの種類や、どのカードを優先的に使うか、そしてランダム性によって、多種多様なエピソードを各々違った順番で読むことになるので、同じゲームをプレイしてるはずなのに違う人のTwitterを見れば全然知らないエピソードの話をしてたりして、本当に色んな顔が見えるようになってるのが面白いよなぁ。

 

 

「ストーリー」と「調査/バトル」

第1章をクリアすると「調査」と「バトル」という本作の主なゲームシステムが解放されるので、今回最後にその話をして終わろうと思う。
自分も攻略サイトを読みつつプレイして少しずつ全体像が掴めてきた段階なので間違ってることもあるかもしれないけど、確認の意味も込めて現状分かっていることを整理してみたい。

大枠から話していくと、この2つは循環関係にある。
まずはガシャで手に入れたカードを使って「調査」をして、より強いカオストーンを精製する。
そのカオストーンを使って「バトル」することで、カードの強化アイテムを集めていく。
強化したカードで再び調査をし、更に強いカオストーンをつくり、より難しいバトルに勝つ……というのが、大まかなゲームプレイの流れだと思われる。

 

エンジョイ勢とガチ勢の両取り

調査の合間にも無数のショートストーリーが挟まるので、僕のようにライドカメンズはテキストを楽しむゲームなのだと思える人は、難しいことなんて考えず色んなキャラの色んなカード使って、調査自体はオートで進めてのんびりエピソード収集を楽しめば良い。
ストーリーを読むぶんには育成を頑張る必要というのはそんなにないはずなので、ガチャを引く→調査でエピソードを集めるという流れだけで、ライドカメンズのおいしいところはある程度楽しめるはず。

 

でもそれだけじゃ物足りない、ゲームなんだから攻略を楽しみたい! という人は何を楽しめばいいのかというと、説明が難しいが結論から言えば「カオストーンの精製」になる。
ライドカメンズは元々ゲームシステムについての告知が少なくて、だから僕なんかはストーリーに重きを置いてるんだなと理解したんだけど、実はそうじゃなくて、単純にこのゲームのミソはプレイしてみないと理解しにくいから、あれこれ説明するよりもやってみてってことだったのだと思う。
このゲームのジャンルは「育成アドベンチャー」なんだけど、この"育成"が何にかかってるかというとどうやら"カオストーン"らしく、ライドカメンズのゲーム性は「より強いカオストーンをつくること」なのだ。

他の何かで例えたいんだけど、いかんせん僕がゲームにそこまで詳しくないのでな……パッと出てきたところだと『ポケモン』の対戦ガチ勢がやってる育成みたいなものだろうか?
運の要素も絡んでくる中で、個体値の高いポケモンメタモンを用意して、タマゴわざの遺伝条件を揃えたり、おうかん使ったり努力値を振ったり、特性を変えたりテラスタイプを変えたりして、ようやく理想的な一匹のポケモンを育てあげるというあのプロセス。そういう達成感を味わうのが、本作のゲームとしての楽しみ方ということになる。

 

ライドカメンズにおいてそれを担うのが「調査」で、使用するカードとおまもりストーンにはそれぞれ固有のスキルが備わってて、調査を進めていく中でそのスキルの中からいずれかをランダムでカオストーンに"遺伝"させることができる。
まずは調査でハイスコアを出しつつ狙ったスキルを遺伝させられる編成を組む難しさがあり、デッキが組めたら次は周回して、目当てのスキルを遺伝させた上で依頼をこなしてスキルレベルを上げる難しさがある。

例えば僕の場合は最初に引いたのが阿形さんだったので、マッドガイを中心にパーティを組めば固有スキル「復讐の炎」によって戦闘力をアップさせることができる。
……という前提のもとで、じゃあカオストーンにはマッドガイ全員をパワーアップさせる「マッドガイの絆++」のようなスキルを遺伝させると良さそうだから、該当スキルを持つカードを編成して、調査に挑む。
何度か繰り返して狙い通り「マッドガイの絆++」を受け継いだカオストーンができたら、今度はそれをおまもりに設定して、スキルのレベルを上げられるようにまたカオストーンをつくりなおしていく。
そうやってより強い目当てのカオストーンをつくるのが、ゲームの目標ということになる。



低難易度のクエストでのんびり育成してもいいけど、バトルは1日に3回しかできないっぽいので、その少ないBPを有効利用するためにはより難易度の高いクエストに挑む必要がある……ということなのかな? たぶん。
3回だけだから負けちゃうとすごくもったいないんだけど、メインストーリーを読み返す機能のところでバトルの「スキップしない」を選べば無料でシミュレーションできるので、今の自分のパーティが理論的にどれだけのダメージを与えられるかチェックすることができる。

僕はいま6/10までの期間限定で開催してるエクストラバトルに勝って、初回クリア報酬のダイヤを取り逃さないことを目標にカオストーン精製を頑張ってるんだけど、これがなかなか16000には届かない……。

 

いやー、難しいっす。攻略サイトを見て1週間近くプレイしてようやく少し分かってきたレベルなので、確かにこれを事前に説明するのは困難だろう。
でも、ストーリーを楽しみたい人にとってはガチャ引いて適当に調査すればそれでよくて、ゲームを楽しみたい人はより強いカオストーンを精製するっていうやりこみ要素があるという意味で、ライドカメンズはエンジョイ勢にもガチ勢にもきちんと対応したゲームになってるのが、よく考えられてるなぁと。
イベントも定期的に開催されるみたいなので、時間的余裕があったらそちらもメインストーリーの続きと一緒に実況しようと思います。

 

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「第3カイ! ゼンカイオー、買って後悔?! 勝手に紹カイ!」(機界戦隊ゼンカイジャー)

ドンオニタイジン、ブンブンジャーロボに続いて、今回はゼンカイオーについての感想を残しておきたい。
ぶっちゃけ今更ゼンカイオーについてのレビューなんて需要ないだろうし、しかも不満が9割になるであろうことを思うと更に書くメリットというのはないのだけど、書いておきたいのだから仕方ない。
それでもいいよという方だけお付き合いください。

 

 

初めて戦隊を1年間リアタイしたのがルパパトで(正確にはキュウレンだが、楽しめたのはルパパトが初)、その香村純子さんが脚本を努めたということもあってかゼンカイジャーそのものはかなりハマったんだけど、ことロボットに関しては「目も当てられないくらい酷い」というのが自分の印象。

これを機にきちんと遊び直したけど、やっぱり印象は覆らなかったな、DXゼンカイオー。
一言でまとめるなら多分「詰め込み過ぎ」。全部の形態が中途半端で、これっていう強みがない。そのうえ変に難しいし、遊んでてモヤモヤすることはあっても楽しくはあんまりない。音声だけかな、ちゃんと好きなのは。

 

似てないヒーローモード

まず、ゼンカイジャー状態が思ってた以上に似てない。かろうじて了解できる程度で、素直に劇中のジュランだ! ガオーンだ! とはなれないんだよね。
ソフビや劇中と見比べて見て考えたけど、やっぱり一番の原因は顔にある。
玩具版のゼンカイジュランやガオーンの顔は、たぶん元ネタに寄せているという訳でもないにも関わらず無駄にロボロボしいデザインになっていて、立体感がありすぎるし瞳が小さすぎる。
ジュランは目を隠せるようにするギミックのせいで、ただでさえ小さい瞳が常に影になっちゃっていて、劇中のあの愛嬌のあるマスクとは似ても似つかない無機質な表情になってしまっているし、ガオーンも小さいだけじゃなく緑がやけに深くて少し怖い。番組のコミカルな雰囲気に反してキリッとしすぎている。
ブルマジーンはここが比較的マシで、ブルーンはそもそもメンバー内で一番ロボっぽくて"無機質な顔"が似合うメガネキャラなので違和感が少ないし、マジーヌの方も同様に顔立ちがハッキリしてて目の緑が濃いものの、デザイン的に口があってやや笑ってるおかげでメカっぽさは薄れていて、最低限の親しみやすさが残っている。

もしかすると、顔があんまり似ていると変形でガチャガチャ動かすときにちょっと痛そうだから敢えて機械的な顔立ちにしている……みたいな事情があったりなかったりするのかな、なんてことを思ったりもするが、そんなことを言い出したらファイナルフォームライドとかリボルブチェンジとか全否定することになるのであんまり関係ないよな?
ロボの体と情報量が釣り合わないからというのも当然あるだろうけど、これは見比べることができないのでなんともだよなぁ。少なくともミニプラを見る限りは大丈夫な気がするんだけど。顔さえ似ていればしっかりあの4人だと認識できたんじゃないかという可能性は、ゼンカイジャーならではの特徴というのもあって他の何よりも優先してほしかった気持ちもある。
もう一個事情としてあるとすれば、大獣神,ガオキング,マジキング,ダイボウケン(余談だがダイ○○と○○キングで合体してるんだな?)といった元ネタのロボを彷彿とさせる要素というのが実質この顔部分しかないも同然なので、ロボっぽくしておかないとそこのコンセプトがぼやけてしまうという部分だろうか。
でもそれだって別にその4戦隊がモチーフになってることが物語上で意味を持つこととかもなく、結局ただほんのり似てるよねってだけだったことを思うと、優先すべきは本当にそこだったのか? と疑問に思わざるを得ない。


機界モードのブサイクさ

僕がゼンカイオーを好きになれない理由の半分くらいが詰まっているのが、この機界モード。
……とにもかくにも、ブサイクすぎない?
ジュランやガオーンのシャクレルプラネットもかくやという下顎は、ロボ状態の足を最大限太くするためでありゼンカーイ!ギミックを分かりやすくするためのものでもあるので不問にするとしても、あまりにも大胆……を通り越して逆に繊細すぎる足の見立てと、これだけごちゃごちゃしたシルエットならせめて顔をキャラっぽくして締めるべきというか、もう少しくらい目は大きくてコミカルな方がかわいげがありそうなのに、かわいさもかっこよさもないてんで無個性な顔は、とても愛着を覚えることができない。
元よりガオライオンやガブティラに匹敵するような番組の顔にはするつもりがなさそうだったけど、だからといってなんでもいいはずは絶対になくて、せっかく単体で2モード変形するのに片方に魅力がないってことは、もはやそれは変形しないも同然だからね。もったいなさすぎる。

 

ヒーローモードはマシだったブルマジーンも機界モードは残念さが強くて、まずブルーンはダンプと言いつつ荷台が存在しないのでただのでかい車。そもそもダンプってチョイス自体がおそらく上下にぱかっと開くギミックから逆算されたものだろうに、そこが消えてるせいで本当になんの脈絡もない意味不明な変形機構になってしまっている。

対するマジーヌは、たぶん4体の中では一番マシなかたちをしてるしサイズもでかくて迫力のあるドラゴンなんだけど、こいつも顔がブッサイクなんだ……。マジーヌはあんなにかわいいのに、そしてドラゴンなんてかっこいいものの代名詞なのに、よくもまぁこんなにダサくできるもんだと関心すらしてしまう。
元ネタのマジドラゴンと見比べるとこう。

ドラゴンとか爬虫類の目って人間と違って前じゃなくて左右についてるイメージなのに、妙に寄り目なのに加えて、鼻周りにもシャープさが一切ない。これじゃもはや車力の巨人じゃんね……。
ジーヌはヒーローモードから機界モードへ変形させるために、わざわざ左右の羽を付け替えないといけないというのもめんどくさいポイントのひとつ。確かにマジドラゴンからは少し離れるけど、羽の向きなんてどっちでもいいだろ。
更に言うと、ジュランにブルーンとやや鬱陶しいギミックを仕込んでまで顔を隠そうと頑張ってた癖に、マジーヌの背中にはロボのときの顔が半分覗いているというお粗末さ。気にするのか気にしないのかどっちなんだよ! ハッキリしろよ!

 

ゼンカイオーの歪な見た目

そして一番の目玉であるはずのゼンカイオー ジュラガオーンとブルマジーン。

コンセプト自体は結構面白いと思っていて、白倉さんはプロデューサー座談会でバラメカに個性付けをすることが出発点だったと言ってるけど、確かに5体合体ではひとつひとつの印象はどうしても薄れてしまうので、合体の面白さというのを究極的に突き詰めて考えると、"2体合体"という最小公倍数に落ち着くと。
でもって、戦隊ロボはパターンというのが決まっているので近年は特に、1号ロボが発売された途端にやれ足裏にジョイントがあるだのないだのってことが話題になってしまう。
結局のところみんなはスーパー合体をこそ楽しみにしていて、5体のメカがひとつのロボになるっていう最初のギミックそのものはもはや"当たり前"となってしまっている感があるので、だったらいっそのこと、1号ロボに「大獣神とガオキング(マジキングとダイボウケン)が夢のスーパー合体」というニュアンスを持たせてしまえばいいじゃないかという、理屈はまぁ綺麗に通ってるっちゃ通ってると思うんだよね。
白倉戦隊2カ年計画としても、2体合体と初期構成で冒険してるゼンカイから、合体方式はいつもと変わらないけど大きさと可動で冒険してるドンブラへという流れは、非常に理想的なものに思える。

ただゼンカイオーはいかんせん、声優の声で喋るキャラの立った相棒の魔進たちが、単体で2モード変形して3体合体のランドメイジと2体合体のスカイメイジになり、更にスーパー合体してキラメイジンになる……という、昨年の1号ロボとあまりにも被ってる上に、あちらの方が上位互換って感じがしてしまうのが痛すぎる。
想像つくと思うけど、僕キラメイジンはかなり好きです。

偶然か必然か、ヒーローモードはちょうどキラメイジンといい勝負くらいの大きさで、これ単体で従来の1号ロボに匹敵するキャラなのだと言い張るのに必要最小限のサイズという感じがする。

 

実物の話に入っていくと、ジュラガオーンの足が細いのは世間でもたくさん言われてたけど、実際に買って見るとそこまで見た目的にめちゃくちゃ気になるってものでもなかったりする。
たぶん宣材写真とかではアオリで撮ってるから、必要以上に足が目についたんじゃないかと睨んでいて、実際に手元で見るときはいくら子供と言えども見上げるってことはなくて自然と俯瞰になるので、結局視線は上半身に集まる。

でもいま問題なのは見た目じゃなくて、接地面が小さいことに加えて重心が上に偏っているために倒れやすいこと。
両方持ってる方はブルマジーンと比べて欲しいんだけど、ジュラガオーンの方はちょんとつついただけでも後ろに倒れてしまう。
僕は全部のロボを集めてるわけじゃあないんだけど、こんなことは近年の1号ロボに限定すればなかなかないことだったんですよ。ゼンカイオー,ドンオニタイジン,キングオージャーとこれが3年続くので"近年"に説得力がないけど、ここまで倒れやすいロボってうのは一番新しくてもトッキュウオーまで遡らないとないんじゃないかな。それくらい珍しいケースだと認識している。

我が家には猫がいるので、おもちゃを飾っておいたりすると時々いたずらするんだけど、DXロボというのはプラモデルやフィギュアと違ってちょっとやそっとじゃ倒れないし壊れない頑強さがウリのはずで、そういう理由もあって僕はミニプラじゃなくDXを集める方向に転換したんだけど、このゼンカイオーはその信頼には応えてくれなかった。
ゼンカイジュウオーに至っては、たった1回落っことしただけで壊れたからね。スーパーツーカイザーSDの腕がポキッと。子供の身長以上の高さから落とした場合の耐久性は保証してないのかなとも思ったが、3歳児なんてもの投げたりするだろうからたぶん想定内の状態で壊れたんだと思われる。この事件もあって、ゼンカイジャーのロボシリーズには嫌なイメージがより強くついてしまった。あれは悲しかったなぁ……。


先程問題は見た目じゃないと言ったけども、スーパーゼンカイオーまで含めるなら見た目にも問題点というのはしっかりあって、やり場に困る専用の合体補助パーツまで使っているにも関わらず、なぜか左右のキャノンが綺麗に収まらない。
ジュラン側に最初から付いてる穴に指すとかなら設計が食い違っちゃうのも多少は仕方ないと割り切れるけど、わざわざ補助パーツを使ってまでこんなチグハグな合体見せられるのはちょっといただけない。

そもそもゼンカイオーのコンセプトが、先述の通り『大獣神とガオキングという異なる作品のロボットが、世界の枠を超えて夢の合体!』みたいなもののはずなので、左右で規格が微妙に違ったりすること自体は、作品のテーマに合致するのでむしろポジティブに捉えてもいいとすら僕は思っていて、特撮用語的には瞬瞬必生だったり凸凹で何が悪いみたいな概念に沿うものだと思ってるんだけど、その考え方でこれは擁護できないのね。

なぜなら、まずジュランとガオーン、ブルーンとマジーヌは変形の機構が大雑把に共通していて、単体で遊ぶ分には覚えやすくていいのだが、コンセプト的には、とても「違うもの同士の合体」というニュアンスにはなっていない。
ジュランとガオーンが似てるのは、まぁ触ったことがある人なら分かるだろう。サウンドギミックを仕込む関係で頭部の処理が違うだけで、その他はほとんど左右対称の変形をする。


ブルーンとマジーヌは、マジーヌをドラゴンにするために回転というやや複雑な処理をしているせいで分かりにくくなっているんだけども、体の構成という視点から見てみると、ジュラガオーンはヒーローモードの腕と胸部分がロボの上半身、お腹部分が下半身を形成するのに対して、ブルマジーンは腕と胸部分がロボの下半身になり、お腹部分が上半身になるという、大雑把には逆転させたような構造になっている。

何を言ってるか分からない人は、ひとまずゼンカイジャーのときの顔パーツが、ロボになったときにどこにあるかだけを考えてみて欲しい。
ジュランの顔は上半身の背中部分にあり、ガオーンはジュランで言うところの音声ユニットが入っている部分、つまり上半身の腕の付け根らへんに格納されている。
一方ブルーンとマジーヌは見てわかる通り、左右の両足に2人の顔が配置されている。
2つのロボットは「違うもの同士が合体」というコンセプトに反して、玩具的な用語で言えばリデコに近い関係にある「似たもの同士が合体」していることになる(※)。

 

そして何よりも、ゼンカイジュウオーの元ネタであるドラゴンシーザーとジュランの元ネタである大獣神は同じ『ジュウレンジャー』のキャラなんだから、スーパーゼンカイオーはこれまでよりも更に左右のバランスは合っているくらいでないと筋が通らない。
コンセプトを持ってしてもスーパーゼンカイオーのチグハグさを擁護することはできない以上、単に不格好であると言わざるを得ない。実はブルマジーンの羽パーツも上から見るとついてる部分が左右で非対称なんだけども、前に張り出しているキャノンほどには違いが気にならないのでそこは別にツッコむつもりはない。

細かいところだと他にも、ブルガオーンにしたときに胸部のV字部分でガオーンの足がブルーンに干渉してしまう(公式の画像でもそうなってるので間違い探ししてみてほしい)とか、ブルーンピッカーを劇中の向きで持てない(正確には普段は無理して玩具と同じ持ち方してるが、必殺技時にはピッケル持ちに戻る)みたいな残念ポイントもある。

※リデコという言葉はどちらかというと、"マイナーチェンジ"という枠の中で、色だけ変わったリカラーに対して「色だけでなく頭部などの一部分が新規造形に変わっているもの」という意味合いで使われることが多いので、その本来のニュアンスでのリデコとはちょっと違う。ここで僕が言ってるのはもっと抽象的なもので、意味としてはトポロジー的なものに比較的近い。
例を出すなら、キューブイーグルとキューブゴリラは変形の"構造"がほとんど共通しているが、金型を流用している部分というのはおそらく一切ないので今回の話に近い。
対してキューブゴリラとキューブコンドルは一部金型を流用していてロケットパンチギミックなどもそのまま引き継いでおり、正しく"リデコ"の関係にあると言える。
キューブキリンとキューブモグラなども同様で「立方体を半分に開き、その片方をもう1段階展開する」という構造が完全に一致しているが、左右が反転していることもあり金型の流用はなく新規で造形されている。

 

煩雑すぎる変形合体

機界モードといいロボ状態の足といい、見た目が微妙なのは買う前から分かってたので、そこが犠牲になってるぶん遊びやすさだったりギミックの楽しさなんかに重点を置いた玩具なのだろうなと期待していたんだけども、それもあえなく裏切られた。むしろ、ゼンカイオーはここの乖離が一番激しい気がする。少なくとも僕は、ゼンカイオーを触っていて楽しい気持ちにはあまりなれないのだ。

変形する玩具について語るとき、パーツのつけ外しを一切行わずに(当然パーツを余らせることもなく)ワンピースの物体として連続性を保ち続けられるタイプのギミックを指して、俗に「完全変形」という言葉が使われることがある。
一般的な大人の玩具オタクは、単純かつ素朴に「完全変形であるに越したことはない」という感覚を持っている人が多いように思うが、僕はこれについては好きとも嫌いとも言えない微妙な距離を持って捉えている。
いや、少し前までは僕も多くの人と同じように考えていたのだが、近年になってから少しずつその違和感が言語化されたように思う。
分かりやすいのは、ドンオニタイジンの記事でも触れたサル/キジブラザーロボタロウの首だろう。僕はあれのような「つけ外しを嫌ったがためのアーム」というのが、どうにも好きになれない。
ゼンカイオーで言うなら、ガオーンライオンの腰回り(や、ジュランの顔が付いているプレート)がそれに当たる。あの玩具としての都合によって生まれたなんでもない"ただのアーム"がひとつあることによって、これは"おもちゃ"なのだという現実を突き付けられる感じがするというか、いきいきとしたロボットやキャラクターとして見ることが困難になる感じがするのだ。
あの極めて無機質なパーツを生み出すくらいならば、つけ外しによる変形の方がマシだと思うこともある。

……書いていて、感覚的な話すぎて他の人には伝わらないだろうなという気がしてきたので早めに次の話題に移りたい。ドンオニタイジンについてはともかく、ゼンカイオーに限ってはそのアームが「下半身だったものが腕になる」という大胆な変形に寄与しているので、まだマシだとは思う。ジュランの顔プレートも、音声を仕込んだことによるしわ寄せだし。


目玉であるゼンカーイ!ギミックも非常に惜しい。あれはガバッと口を開けてそのまま合体させるくらいのシンプルさがあってこそ気持ちいいものだと思うんだけど、パーツの付け外しが多過ぎてそれどころじゃあない。特に、2号に当たるブルマジーンが煩雑な変形になるのはまぁ比較的構わないのだが、全開合体というギミックの旗頭であるジュランにおいてもシンプルさが犠牲になっているのは、果たしてどうなのだろうと言わざるを得ない。
機界モードから変形させる想定で作られているにも関わらず、口を開けようとするとお腹のシールドがつっかえてしまって開き切らない(ゼンカイにならない!)し、裏を返すと口を開くことによってシールドを取り外しにくくなってしまうという決定的なパラドックス
変形させることで次の変形ステップがやりにくくなるなんてこと、これまであっただろうか。……まぁ長い歴史のあるシリーズなので、探せば大抵のことには前例がありそうだけど、仮にあったとしても、基本的にそのようなことは起こらないようになるべく避けられているはずのことではあるはずだ。
にも関わらず、令和の世にもなってそんな初歩的な矛盾が放置されている。取り外すなら取り外すで、ガオーンのようにジュランの右腕にシールドをつけられるジョイントをひとつ設けてさえおけば、この問題は容易に解決できるはずなのにだ。

この右腕のジョイントがないことによってもうひとつ難点が生まれていて、これもまた言語化が難しいんだけど、僕は変形ステップの中で「ひとつのメカが合計3パーツ以上になる瞬間」がなるべくあってほしくないのだ。
僕はワンピースでの完全変形についてはそこまでこだわらない代わりに、パーツのつけ外しをする際はなるべく「取ったらすぐ付ける」という処理がなされていて欲しいというワガママなこだわりがある。紛失を防止するためにも、なるべく外したままにしておく動機というのは少ないに越したことはないはず。
スーパー合体をするために2号ロボがバラバラになるのは仕方ないことだと割り切れるが、1号ロボでそれをやられるのはまた話が違う。
取り外したシールドがどこへ付くでもないまま、更に尻尾ソードまで外さなくちゃいけないというジュランの変形は、コンセプトとしても美意識としても二重で残念な仕様となってしまっている。

 

例えば鎧武のアームズチェンジシリーズなどは、武器は武器として割り切っていて、フルーツの変形とは全く関係なく存在するものとして処理している。
フルーツの背面に付けておけるくらいはあってもよかったんじゃないかと思わなくもないが、これだけキッパリと諦めていればこちらとしても納得のしようがあるというもので、変形を楽しみたければ武器類はおもちゃ箱から出さないままにしておいて、飾るときだけ持たせるという切り替えができる。
でもゼンカイオーの場合はどのキャラについても武器を取り付けなければ機界モードが成立しないようになっているので、「武器は武器」として割り切ることが絶対にできない。

ちなみにだけど、ヒーローモードから直接ゼンカイオーに変形させようとすると、手順をちょっと工夫するだけで武器の取り外しを最小限の「取ったらすぐ付ける」という動作に収めることができる。
機界モードがあることによって、ゼンカイオーの持つ遊びにくさは生まれていると言っても、そう過言ではない。
しかし、当の機界モードは劇中で魅力的に活躍するでもなく、単にゼンカーイ!ギミックのためのスタンバイ状態に過ぎないし、スタンバイ状態であるにも関わらずお腹のシールドは変形の邪魔になる。この悪循環は一体なんなんだよ……。

 

僕は何度も言うようにジュウオウキングが一番好きな人間なので、割り切る部分はとことん割り切ればいいと思うのよ。シンプルさや遊びやすさを取るなら、似てないとか足繋がってるとかは気にならなくなるし、逆に見た目のクオリティが高いなら付け替えが面倒だとかも許せるんだけど(ドンオニタイジンは最低限できあがるロボはかっこよかった)、じゃあゼンカイオーはというと、どっちにも振り切れてない。
ごちゃごちゃしていて遊びにくいし、そのうえ似てない見た目も悪いじゃ、いいとこなしにも程があるだろう。

特に僕はよく遊ぶってよりは置いておく派なので(遊びやすければこの限りではない、ジュウオウキングは何往復でも変形させる)、どれかひとつでも「これだ!」って形態があればあとはそのおまけとして納得できる人なんだけど、全形態がそこそこだからどうやって飾ったらいいんだか分からない。色が好きだからとりあえずブルガオーンにしとくとして、ジュランとマジーヌは……どうしようもない……。

 

尤も超好意的に見るのなら、全部が中途半端ってことは全部がそこそこの点数でずば抜けた欠点みたいなのはないってことでもあるから、そのバランス感覚が合う人にはハマるのかもしれないけど、僕は小さなストレスが積み重なって駄目だった。

一応ゼンカイジャーのシリーズでも、ゼンカイジュウオーやゼンリョクゼンカイオー、ドンゼンカイオーなどは、つけ外しなどの面倒くささの基準はほとんど変わっていないものの、出来上がった見た目がそれなりによくまとまっているので、かろうじて好きになれるラインを超えている。

 

販促に対するやる気のなさ

ここまでさんざ語ってきた玩具への不満点を、補うどころかむしろ加速させているのが、『ゼンカイジャー』という番組の販促への姿勢だ。
前提として、ゼンカイジャーは販促物自体が非常に少ない。リアタイで追っていた人は体感として記憶しているかもしれないが、玩具の点数自体が目に見えて減っている。

参考までに、ジュウオウジャー以降のロボット玩具の展開をまとめてみたい。
劇場版に出がちなリデコかつ単体でロボにはならない玩具や、ファイブナイツ(騎士竜4体でキシリュウオー単体よりも高い)と3大シュゴッドセットのような商品をロボ1体とカウントしているなどやや恣意的なきらいはあるが、条件は各年でおおよそ同じなので大目に見てもらいたい。
エンヤライドンをどちらに含めるかは意見の分かれるところだと思うが、今回の主題は販促での扱いなので、たった一度しか登場しなかったゼンカイジャーではなく、ドンブラザーズ側のロボットとして扱わせてもらう。
(余談だが、作品の垣根を超えた合体というのがウリのドンゼンカイオーだが、エンヤライドンにドンブラザーズ要素というのはほとんどないように見える。タイヤに付けられるのがアバタロウギアであることと、青いクリアパーツで表現されるサイバー感こそ確かにドンブラザーズだが、肝心のモチーフが桃じゃなくセッちゃんみたいなトリというのは、どうにもゼンカイ要素が強すぎるように感じる。恐竜と鳥……というのは散々繰り返されたモチーフではあるし、強いて言えば井上敏樹要素という意味でジェットマンという繋がりがあるくらいだろうか。ともあれクロスオーバー合体の文化は続いて欲しかったのだが、定着はしないみたいで残念)
表としてまとめると、以下のようになる。

 ジュウオウジャー 計5体+α
ジュウオウキング,ジュウオウワイルド,トウサイジュウオー,ドデカイオー(,キューブコンドル)+キューブウエポン

 キュウレンジャー 計5体+α
キュウレンオー,リュウテイオー,ギガントホウオー,オリオンバトラー(,ケルベリオス)+キュウボイジャー

 ルパンレンジャーVSパトレンジャー 計5体+α
ルパンカイザー(,パトカイザー),エックスエンペラー,ルパンマグナム(,ジャックポットストライカー)+換装VSビークル

 リュウソウジャー 計5体+α
キシリュウオー(,ファイブナイツ),キシリュウネプチューン,ヨクリュウオー,キシリュウジン+武装騎士竜

 キラメイジャー 計5体+α
キラメイジン,キングエクスプレス,ギガントドリラー(,魔進ザビューン),グレイトフルフェニックス+ウェポン魔進

 ゼンカイジャー 計5体(!)
ゼンカイオー ジュラガオーン,ブルマジーン,ツーカイオー,ゼンカイジュウオー(,ゼンリョクイーグル)

 ドンブラザーズ 計4体(!)
(エンヤライドン,)ドンオニタイジン,虎龍攻神(,オミコシフェニックス)

 キングオージャー 計5体+α
キングオージャー(,3大シュゴッド),ゴッドタランチュラ,キングコーカサスカブト,キョウリュウジン+ガーディアンウエポン

翌年のドンブラザーズが結果的にロボ2体にバイクとトリだけで乗り切っているという意味でかなり絞っているが、その目減りはゼンカイジャーから始まったものだと言ってもそう語弊はないのではなかろうか。

 

それまでは多少の前後はありつつも、ロボットが計5体に加えて換装したり武装したりできる商品が複数展開されていたが、ゼンカイジャー,ドンブラザーズではこれが完全に廃止されている。
タイミング的にコロナウイルスによる事情もあると思われるが、とにかく、販促物が少ないのだ。

物量自体が少ないのだから、単純に考えれば従来に比べてひとつひとつのギミックをより丁寧に描くことが可能……のようにも感じるが、ゼンカイジャーは何故か頑なにそれを拒む。
仮面ライダーWが3×3で9種類の組み合わせスーツをつくったというのは有名な話だが、ゼンカイジャーは2×2のたった4種類すらサボっている。キャラ的に関係性があるジュラマジーンと、僕が比較的気に入っているブルガオーンは、本当に全くと言っていいほど活躍の場を与えてもらえない。

確かにWのハーフチェンジと違い、ゼンカイオーのコンビネーションはただ人と人がくっついてるだけなので、能力のシナジーによる"戦闘スタイル"の違いというのはそれほど分かりやすく描けないだろうが、それでも"必殺技"くらいは個性をつけられるはずだ。ロボ状態での人格の入れ代わりという要素も、ただ武器が変わるだけで動きは変わらず、大して活かせていなかった。
更にはスーパーゼンカイオーやスーパーツーカイオーと言った、従来で言うところの強化合体に当たるポジションすらも同様の扱いを受けている。

世界の壁を超えた交流こそが番組の掲げるメインテーマであることは疑いようがないのに、どうしてなのか『ゼンカイオー ジュラガオーン』『ゼンカイオー ブルマジーン』『ツーカイオー』『ゼンカイジュウオー』といった、玩具単品でのプレイバリューだけに注目した販促に拘り、商品の垣根を超えたギミックについては扱う気がほとんどゼロに近い。

 

ゼンカイジャーが唯一誠実にこなした販促といえば、センタイギアを全種類使ったことが挙げられるだろうが、そもそもアバタロウギアと違ってセンタイギアはDXでの発売は最低限しかなく、食玩ガシャポン、雑誌の付録などで細々と展開していたものであって、優先度としてはDX玩具には及ぶべくもないはずだ。

過去の例で言えば、バーニングソーラーなどのタイヤコウカンしないシフトカーやナイチンゲールなどの未登場眼魂、2号ライダーや強化フォームのライドウォッチ、かぐや姫一寸法師,三太郎のライドブックなどが該当するが、YouTubeでスピンオフが展開されたレジェンドライダー眼魂や、敵側の変身アイテムとして使用されたゼツメライズ/プログライズキーといった珍しい例を除き、積極的な販促はなされないものがほとんどだろう。
(更に細かいことを言うなら、センタイギアは玩具的には「1個で2種類のIDを持つ画期的なコレクションアイテム!」という部分が売りだったはずだが、レジェンドギアのビッグバンというのも使われた試しがほとんどない……っていうかない?)

ロボットのメインギミックを描いた上でそこまでやったならそれは素晴らしいだろうが、優先順位がイマイチ理解できない。
実際に売り上げに関する数字を引いてきて「売れてるから成功」「売れてないから失敗」のような判断を下す仕草というのを僕は好かないので、敢えて特別調べることもしないまま、あくまで「自分は魅力的に感じなかった」という話で貫かせてもらう。


まとめ

以上のように、玩具の出来も微妙な上に本編での扱いもおざなりで、全体的に魅力というものをびっくりするくらい感じられず、本当に信じられない1年間だった。
仮面ライダーでは等身大の戦士を活躍さえさせておけばそこまで大きな不満は起こらないから表面化しなかったけど、白倉さんって面白い番組をつくることに注力した結果として売れればいいって感じで、販促そのものを目的のひとつとしてはあんまり考えてないのかなというのを見せ付けられたような感じがする。
ゼンリョクゼンカイオーで多少盛り返したとはいえ、それはあくまで当初の予定になかったことなので、本来それ無しで完結していたはずの1号ロボである"ゼンカイオー"の2種に対しては、近年で……いやこれまで買った戦隊ロボ全ての中でもワーストに位置するかもしれない。
まぁ、本当に魅力としてワーストなのはツーカイオーのように手にとってすらいないロボだと言うべきな気もするが、それはある種売り手目線に近い話であって、ひとりの買い手としては、やはり「買わなかった」よりも「買ったのにガッカリした」の方がダメージが大きい。
今後はこのような気持ちにならないよう、購入には慎重を期したい。……って、なんで僕が悪かったみたいなオチになってんだ。
ゼンカイオーがつまんなかったの! おわり! こんなクソ長い駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます!

 

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DXブンブンジャーロボに見た不安と期待(爆上戦隊ブンブンジャー)

DXドンオニタイジンの発売から2年。当時僕は戦隊ロボが可動に舵を切ったことと、それに対する世間の反応に対して、盛大に不満を漏らした。

そこからDXキングオージャーを経て、満を持してDXブンブンジャーロボが(比較的)可動しないロボとして発売された訳なので、買って遊んだ感想を残しておきたい。
普段の記事もそうですが基本的には自分用の備忘録なので、そのつもりで。

 

今回買ったのは『アクセル全開!! ブンブンジャー爆上スタートセット with ブンブンスーパーカー』。
結論及び第一印象を先に書いておくと、「思っていたよりも子供向けっぽくない」と思った。

ブンブンチェンジャー

最初にそう感じたのは、同梱されているブンブンチェンジャーの電源スイッチ。
一部の大人は電源ボタンがアイテムの見た目を損ねていると感じるらしく、CSMなどではそういったスイッチやネジ穴の類が見えないよう気を遣われてつくられているらしいんだけど、そもそも僕はこの風潮が全然理解できない。
電源ボタンは電源ボタンだろ、あって何が悪いんだ。作中のキャラだってうっかり変身しちゃったなんてことがないようにむしろあった方がいいし、押しやすい方がいいだろ電源ボタン。
僕が持ってるのはCSMファイズギアだけなんだけど、ネジ穴に関してもむしろないのがすごく気持ち悪いんだよね。
たぶん玩具ってそれ込みでデザインされてるからさ、あるべきところにネジ穴がないと、ひとつの事実として、つるんとしすぎてて見ててすごく不安になる自分がいる。

というベースがあった上でブンブンチェンジャーだけど、その電源ボタンがデザイン的に同化させられているのよね。 まぁボタンの見た目が変わったことは百歩譲っていいけど、そのせいで誤操作しやすくなってるのは本末転倒じゃない?
いつもの赤いスイッチだったら絶対にそんなことなかったのに、ブンブンチェンジャーは適当に触ってるとうっかり電源をOFFにしてしまう。変身遊びでは大丈夫だけど、今回はブンブンカーの読み込みがユニットにくっつけるという独特な方法なので、その際にどこを持ったらいいのかイマイチ分からなくて、時々誤操作してしまう。
嫌だよこんなの。CSMはまぁ僕はほとんど買わないだろうからなんでもいいけど、DX玩具は見た目なんかよりまず遊びやすさを最優先して欲しい……。
ベルトだってあんなに短いんだから、きちんと子供向けのつもりなんでしょ?

 

それ以外は全く文句ないです、ブンブンチェンジャー。
戦隊のおもちゃはロボが第一優先で変身アイテムはいつも二の次になっちゃうので、3000円(ロボとセットでちょうど1万円)という安さで個別認識まで付いて、そこまでやったらオミットされそうなもんなのに、ちゃんと"光る!"もある。
……さすがにVSチェンジャーのお得感には敵わないけど、あれは今考えても異常すぎなので。1500円のVSビークル代抜いたら3000円で、小さいブレス型じゃなく銃アイテムでもあり、当然個別認識も可能って、バケモンすぎる。

変身や個別音声はややあっさりとしてる感もあるけど、既にブンブンブースターも見えてる以上、あっさりした個別認識アイテムをいくつも出して最終的に満足感を出すって戦略にも思えるので、それはそれで面白い。
バイスが個別認識するバイスタンプをたくさん出してたけど、あんなイメージよね。戦隊でそれをやるのは合ってるし面白そうだよな。

 

ブンブントレーラー

ここからはブンブンジャーロボ本体について。
まず白いのがいいよね。僕が個人的に白好きっていうのもあるけどそれだけじゃなくて、レッドのビークルだけやたらとでかいっていう不公平さみたいなものを解決するすごくいい選択肢だと思う。グッドストライカーと同じ手法よね。
コアロボはブンドリオっていう誰のビークルでもないキャラで、レッドの専用ビークルは他のブンブンカーと同じサイズ感でクラシックとレーシングが出るっていうバランス。すごく好き。欲を言えばブルーとピンクだけ1台ずつなことにもフォローがあるといいな。パワーアップ形態で左右入れ替わった青とピンクのブンブンカーが出て、結果的に両腕を青とピンクにできるようになるとか。

メインがレッドじゃないこともいいけど、ひとつだけ大きいことが「胴体を構成してあとは4人が手足に付くだけにしたいから」みたいな理由じゃなくて、小さいブンブンカーを上に載せるのはもちろん、アタックモードに変形させるゲートとしての役割があるからっていう、きちんと"遊び"のギミックに繋がってることも好印象。
全身を光らせたいパトストライカーとか、回転ギミックのために腰も含めた大半を構成するゲキタイガーとか、そういうやつ。
尤もこれは当てはまらない作品を探す方が難しくて、ドンオニタイジンとキングオージャーも僕がそこを求めてなかったってだけで、耐久性を保ちながら可動を担保するためには関節部分までをレッドが担当する方が都合がいいって話だったんだろうけど。

 

コロ走行させるとブォン……ブォン……って鳴るのすごい好きなんだけど、ホイールがブンレッドの顔と同じく赤く塗装されてるせいで、間の2輪だけ回ってないのがすげー目立つのは、素直にもったいないと思った。キラメイジンの魔進ファイヤは6輪とも回るのに。
というか、ダミーのタイヤを生み出すくらいならいっそ4輪車ってことにしてしまえばいいのにと、車に詳しくない僕なんかは思ってしまうんだが、あの長さのトレーラーで4輪はまず有り得ないみたいなリアリティがそんなに大事なんだろうか?
確かに魔進ファイヤよりもブンブントレーラーはかなり長いから、本当に4輪になっちゃったら寂しいだろうけど……だからまぁこれは、今回のロボというよりは今後はそうしたらどうなんだろうっていう感想かな。

 

ゲートモード

次は変形してゲートモード。地味に横幅がリュウボイジャーに迫る勢いで、床じゃなくてテーブルの上とかで遊ぶときはかなり取り回しに困るくらいのボリュームになる。
とはいえ、DX玩具なんてその名の通りデラックスなものですから、ボリューム感なんてのは大きければ大きいほどいいに決まってますからね。かなり満足感あっていいと思う。

ただ、このモードも個人的には地味にちょっと不満だったポイントなのよね。
ゲートを通すと瞬間変形!っていう、なんなら一番面白い遊びポイントのはずなんだけど、どこを持って遊べばいいのか全然分からない。
僕ジュウオウキング大好きなのでいつも例に出しちゃうんだけど、あれのビッグキングソード刺すギミックなんかは、失敗のしようがないじゃん。絶対に100%気持ちいいじゃん。強いて言えばキューブシャークの上下が分かりにくいかなってぐらいで、マジで頭を使う必要が皆無。
それに比べるとブンブンジャーロボは、ロボの足に当たる部分が大胆に180度反転するってコンセプトはすごくいいと思うんだけど、そのせいでゲートモードになったときに物体の軸になる部分、つまり"下手に動かない部分"がすごく狭くなっちゃってて、安心して持てる面積がほとんどない。
トレーラーのフロント部分は一見持てそうなんだけど、ここも下手をすると元の位置に下がっちゃってゲートの邪魔をしちゃうので、気を遣って持たないといけない。
この"気を遣う"必要があるかどうかっていうのが、僕がDX玩具を遊ぶときに重要視してるところで、何も考えずテキトーに遊びたいのね。それこそ3歳とか5歳とかそのくらいに戻ったつもりで、無心になりたいんですよ。
(大人の人にも分かりやすいように言うなら、酔っ払った状態でもストレスなく遊べるのが理想的なDX玩具って感じだろうか。僕は基本お酒を飲まないので、正確には眠剤を飲んで寝るまでの間のふわふわした時間とかになってくるんだけど)
ただ、これはもしかすると僕の手が子供よりも大きいからこそ感じることであって、対象年齢くらいの子にとってはもしかするとそこまで、持てる範囲が"狭い"とは感じないのかもなとは思った。

 

ブンブンオフロード/ブンブンワゴン

付属のブンブンオフロードとブンブンワゴンは、なんか逆に新しいと思った。はたらく車じゃないこういうあまり特徴のない車が抜擢されるのって、多分カーレンジャーとかまで遡れば全然あったんだろうけど、最近じゃあんまり見たことないし。

ワゴンは変形こそシンプルだけど、まさかの上下反転させて合体っていうところで面白みを付加してるし、荷物を載せて"運ぶ"のがワゴンの特徴らしいので大きな手に変形しますって理屈もかなり分かりやすくてよくまとまっている。
対してオフロードの方はまさにお手本のような気持ちいい変形をしてくれて、瞬間変形だと自分の手で動かす楽しさが減りがちなんだけど、後ろの部分を倒したり側面部分を腕に沿わせたりと、ちょうどよく自分で動かす手間が残ってるのがとても好み。
まぁオフロード車からドライバーが出てくる理屈はあんまり分からないんだけど、剣みたいなものと捉えるなら、悪路を"切り"開いて進んでいくようなイメージなんだろうか? なんにせよかっこいいので何でもオッケーです。
ブンブンパトカー2なんかもひと捻りある変形でいいなと思ってたけど、このオフロードもただ左右に開くだけといえばだけなんだけど、割れ目が一直線じゃなくてきちんと見て触って楽しいものになってるのが細かい。最小の工夫で最大の効果を得られるいい例だと思う。

 

ブンブンジャーロ

という訳で完成、ブンブンジャーロボ。


キービジュアルが公開されたときは、スーツの足がやたら細くて膝を曲げてたのでまたぞろ可動路線なのか?とヒヤヒヤしたんだけど、単純にクリアランスの都合でそうなってるだけだったみたい。
公式ではサイドのパネルを開いた状態が完成形とされているんだけど、足は細いより太い方が好き派の僕としては、ここを敢えて変形させないことで箱っぽいスタイルにより近い状態にしておくのがお気に入り。

強化合体みたいな拡張性はそこまで高くなさそうにも思えるけど、各部のジョイントと顔が変わるフォームチェンジがあるだけでかなりポイントは高い。
変身アイテムと同じで、2号ロボ,3号ロボと小物アイテムに対応した素体をいくつか出すことで楽しさを増やしてく感じなのかなと予想している。アームズチェンジとかゴーストチェンジとかって、素体が増えれば増えるほど楽しみも乗算的に増えるじゃない? 別に最初にあった鎧武やゴーストの素体が他の素体と合体したりなんかしないけど、ちゃんと満足できる。

頭部のタイヤがくるくる回るのも楽しくて、ロボとして飾ってる状態で遊べるギミックがあることって(可動を除けば)そんなにないと思うんだけど、このタイヤを回して正位置で止まるかどうかっていう運試しをできるのは地味に素敵なプレイバリューだと思う。
少し前に流行った"フィジェット"的な、ついつい触っちゃう魅力になってる。やっぱ玩具ってのは、飾るよりも遊んでナンボですからね。

 

ブンボット

チェンジャーの電源ボタンとゲートモードの持ちにくさに加えて「意外と子供向けっぽくないな」と感じた3つ目の要素、ブンボットくん。
まずもって、ブンドリオの顔にするためのディテールアップパーツというのは絶対に要らないと思う。僕が子供の頃はそんなの気にしたことがない。大人しか喜ばないパーツだと思う。
……であるにも関わらず、ブンボットを合体に使用する際は(多分つけておこうと思えばおけるだろうけど)余ってしまうという仕様。余りパーツと言えば、今度は大人のファンが嫌いなものだよね。なんかそこの食い合わせもよく分からない。細かいことを気にするのかしないのか、どっちなんだよという中途半端さ。
基本的に僕は「何事もないよりはある方がいい」と思っていて、要らないし邪魔だなと思う人はしまうか捨てるかすればいいし、あってよかったなと思う人は大事にすればいいだけだと思っているので、ここをそこまで強く主張するつもりはないんだけども、紆余曲折の末にブンボットというものを付属させようと決まったのなら、それならそれでもう少し魅力的なものにできたんじゃないのかと思ってしまうのよね。

劇中設定とは関係なくなるだろうけど、せっかくブンブンジャーロボの胸が空洞になってるんだから、パイロットみたいにその中にブンボットを搭乗させられるようになってたら、遊びの中に組み込まれて面白いものになったと思うんだけど、これが微妙に入らないようになってるのよね。
ゲートモードのときに使うジョイントにハメると、正式な合体のときにガイドになる部分で止まってしまってレールが奥まで入らない。ジョイント使うのを諦めて胸の中にただ入れておこうとしても、今度はつっかえて頭が下がり切らない。
半分穴から落とす形で、帽子のツバでひっかけるだけ……という荒業を使えば胸の中に入れておくことはまぁできなくはないんだけど、"ロボに乗ってる"というニュアンスはさすがにあまり感じられない。
劇中でブンボットというキャラが好きになれるような描き方がしていればこの辺は見え方も変わってくる気がするけど、とりあえず玩具を触っている時点での感想としては、もうひと声欲しかったというのが正直なところ。

ちなみにですが、さっきの写真にもあったように、普段はブンブンカーを付ける足のジョイントにはめておくのが一番収まりのいい収納方法だと思います。ほんの少しパーツに負荷がかかるし当然非公式の付け方なので、自己責任ですけど。


一番好きなところ

いくつか不満も書いてきたので、最後は好きなところの話を。
Twitterではもう言ったんですけど、ブンブンジャーロボは腕が特に好きです。自然に曲げた腕……の形をした、肘無可動ワンパーツの腕。これなら見栄え重視の人への目配せにも多少なるし、間違って肘が曲がっちゃうようなストレスも生じずに武装も付け替えやすい。
しかも曲がった腕それ自体が目的というよりは、あくまでも変形ギミックと収納スペースとの兼ね合いの問題から必然的に導かれてるっぽいのもいい。さっき言った通り足が細いのは、この腕と半々でスペースを分け合ってるからなんですね。


プロポーションとかスタイルとかをよくするためにわざわざ貧弱な足にするのは到底理解できないんだけど、変形合体の必然性からもたらされるいびつなフォルムというのは、全然許容範囲です。等身大ならともかく、変形合体する巨大ロボがキレイな人型してる方が不自然なんだから。
……とか言うと、でもお前ゼンカイオーの足の細さに文句言ってたやんってなるけどあれはちょっと重心が違う話なので……その話はまた、ゼンカイオーの記事書くときに詳しくしますけど。

しかもここの変形、正式には足を動かす前に一度収納されてる腕を逃がすっていう工程が必要で、僕はそういう変形に直接関与しない段取りが好きじゃないんだけど、バンダイの人もどうやら僕と同じく、耐久性を信頼して、足を無理やり動かして干渉させることで結果的に腕を逃すってことをやってるように見えた。
こうやって雑に扱っても大丈夫なのが、DXロボのウリのひとつだよね。映画シリーズとかのトランスフォーマーなんか買ったら、あれはあれで面白いけど、初めてとか久々に変形させるときは、絶対に壊しちゃわないか不安でしょうがなくなるもんな。
【見逃し配信】『玩具愛好会~戦隊ロボ篇~』 26:15〜

youtu.be


それにしても、「無可動でも見栄えに気を使うことは不可能じゃない」ということが示されたのは、個人的には一筋の光が見えたような感動というか、これからの時代にもまだ僕が楽しめるDXロボが発売されるかもしれない!という希望が持てたのよね。
もちろん可動以外にも僕の懸念点はいくつかあって、細身になったらガシッと掴んでグワッと変形させるような大胆さが減って細々としたものになっちゃうんじゃないかとか、キングオージャーみたいに自立のバランスが犠牲になるんじゃないかとか色々あるにはあるんだけど、一番大きいのは「動かそうと思ってないところがうっかり動いちゃうのが嫌だ」ってことで、それを理由に可動箇所は最低限がいいって思ってる訳なので、「肘可動がなくても肘を曲げられる」というのはやっぱり大発見の逆説なのよね。

ドンオニタイジンの記事で僕は半分冗談に近いかたちで「だってその程度(の可動でいい)なら「素立ちより構えてた方がかっこいい」っていうだけの話であって、じゃあ構えた状態の固定フィギュアでもいいよね?」なんてことを言ったんだけど、それももしかすると不可能ではないかもしれない。
僕がこのとき念頭に置いてたのは、OPを再現してファイズエッジを横に構えつつ少し斜めに立ってるファイズのフィギュアみたいなやつで、そのぐらいの1個"これ!"っていうキメのポーズがあって、それを再現するだけなら変形合体ロボットでも不可能じゃないんじゃないかってぐらいの話だったんだけど、ちょっとこれを見たら夢が広がってきた。


ケンタウロスになったり下半身マッハルコンみたいな人型じゃない姿への合体がアリなんだし、カーレンジャーRVロボが見せてたような膝をついた片足立ちポーズを完成形として合体していくようなロボがあったっていいんじゃない? 1号ロボでそれは無理だろうけど、合体バリエーションのひとつかとか、4号くらいの一発ネタロボとかでさ。
ドンオニタイジンの座りポーズとかもいいよな。合体したらあの状態になって、付属の椅子に座らせるだけでも面白いかもしれん。
いやまぁ、もちろん冗談で言ってますけど、見栄えを重視する方々を満足させる方法は必ずしも可動だけが正解じゃないかもしれないなって話ね。


見た目は完全に子供向けなブンブンジャーにすら大人向け路線の波がちらほらと見えることには一抹の不安を感じつつも、ロボ自体はちゃんと楽しいし、これからへの淡い期待も感じさせる良アイテムでした。
1年おきくらいで可動とそうじゃないのを行ったりきたりするくらいなら僕は全然受け入れられるので、下手に折衷しようとしてどっちつかずになる……なんてパターンが一番誰も幸せにならないと思うんでね。しっかりジャンルを棲み分けた上で、これからも面白い玩具を作っていっていただけるとありがたい。

 

86ma.hatenablog.com

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『人が人を罰するということ』(ちくま新書) 感想

先日なんの気なしに図書館へ立ち寄った際、新着コーナーにあった『人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門』というちくま新書が目に付いた。
今回はその本の感想を、筆の向くまま書いていきます。
……と言っても「面白かった」「ぜひ読んでください」というポジティブなものではなく、端的には「クソつまらなかった」という話ですので、ご注意を。

 

この本に興味を持ったのは、"罰"というテーマは僕が好んでいる仮面ライダーシリーズを始めとする特撮というジャンルが、常に直面し続けている問題のひとつであるからだ。
少数の例外を除き、仮面ライダーは警察や裁判所、刑務所などの社会的な懲罰システムとは無関係に、よく言われるところの"私刑"というかたちで怪人を懲らしめ、少なくない場合において相手の命すらも奪う。
この行為を批判するにせよ正当化するにせよ、タイトルにあるような罰することや、自由意志と責任の問題については折に触れて考えざるを得ない。
どうやら著者の山口尚氏が別の本で取り上げているらしい國分功一郎氏の『中動態の世界』を読んだときなどは、元々自分の持っていた感覚に近いものをベースに、更に新たな発見もきちんとあるよい時間を過ごせた。

 

もっとも、当書に対してそれに匹敵する体験を求めていたかと考えるとそんなことはない。本当に漠然とした経験則として「こういうタイトルの本は内容がないことが多い」と直観していたので、普段読みたい本を読むときは目次など飛ばしてさっさと読み始めるのだが、最初に目次をチェックし、あとがき……もとい"おわりに"を先に読んでみた。

まず目次に関して、このテーマなら絶対に扱いそうな(そして扱うことを期待されそうな)死刑の問題について触れていないことが気になった。
僕は当書を読んで「無駄な時間を過ごした」と思う人が減るといいなと思っているので言ってしまうが、死刑について何かを論じている箇所はこの本の中には一切ないので、そういったものを期待する人は手に取らなくて良い。

ついでにもうひとつファーストインプレッションを述べておくと、"自由否定論"という言葉選びに違和感を覚えた。よくある表現でいえば決定論と呼ばれることはままあるし、実際この本の中でも同じものを指して決定論という言葉が使われているのだが、少なくとも僕はそれらを指して自由否定論と表現している文章を寡聞にして知らない。あまり聞かない表現をするにしても、僕ならば自由意志否定論とか、責任否定論などといった書き方をすると思う。
ここに対して、一般にポジティブなものとされている"自由"を"否定"する論と呼ぶことで読者の素朴な悪感情を誘おうという、姑息な印象操作を試みているような意図を感じたことも、当書への期待を下げる要因のひとつになった。

"おわりに"に対しては、実は興味を唆られた。この本が行っている議論というのは「第一に《自由な選択はない》と主張することは矛盾を含む。第二に《責任は虚構だ》と述べることは必ず何かしらの自家撞着を生む。」という部分に集約されていると思うが、このたかだか60文字の文章だけで言わんとしていることはおおよそ想像がついてしまう上に、もし想像した通りの話運びをしているのだとしたら、250pもある本にする内容としてはあまりに薄く幼稚すぎるのではないかと思い、"そうではないとしたら"一体どのような話が展開されているのかと少し気になってしまったので、この本を借りることにした。

 

しかし結果を聞いて驚くなかれ、この本の中で綴られている筆者、及び筆者が主に参考にしたとされるピーター・ストローソン氏の主張・考え方というのは「今の世の中では人が何か悪いことをした人に対して罰を与えようとする営みはごく一般的なものですよね」という、あまりにも素朴すぎる現状確認にすぎない。
また、事実確認といえども極めて精緻に行われ、読者が意識できていなかった新たな認識をもたらすようなものであれば意義もあろうが、当書は『人間の生の一般的なフレームワーク/枠組み/形式』なるキーワードを使って、ただ読者の共感のみを頼りに話を展開する。
これが何を意味するかといえば、すなわちこの本の主張に納得するためには、読者の中にそれに共感しうるだけの同じような実感がなくてはならないということであり、裏を返せばこの本を読んで"新たな知見"を得るということはまず不可能であるということだ。
人を責めたり罰したりすることを無意味なことだとする主張に対して反駁することを"本書の目的"として据えながら、筆者と異なる意見を持つ読者を説得し得るような材料は250pを通して全くと言っていいほど提示されない。そのような日常感覚に訴えるだけの文章ならば僕でも書ける。
もっとも何か書くとしても「我思う、故に我あり」とか積極的虚無主義とか、そういう一言で済んでしまうだろう。

 

そして説得力がないだけに留まらず、他人の主張に対し矛盾を指摘していながら、本人の主張も大きな矛盾をはらんでいるように見える。
筆者の論理展開を僕の言葉で要約すると、大雑把には以下のようになるだろうか。

 

「(ウェグナーや小坂井は)人間には自由な選択やそれに伴う責任などというものは存在しないと主張するが、彼らがそういった文章を書くなどという形で"主張をしている"、あるいは"ものを考えている"という時点で、主体が自らの意志で行為するという前提に立っていることを認めざるを得ない」

 

……理解できただろうか? 筆者は更にこう続ける。

 

「それは、人が人に対して罰を与えようとする営みは"人間の生の一般的なフレームワーク"に属するからであり、このフレームワークからは逃れることができない。なぜならそれが人間にとって"自然なこと"であり、そうなるようにできているからである。
ゆえに、刑罰という人間社会の制度を廃止するか否かということは語ることができるが、人間生活における罰一般について無意味だからやめるべきだなどと議論するのはナンセンスである」

 

もう一度訊く、理解できただろうか???

筆者は、筆者とストローソン氏の少なくとも2人が「人が人を罰するのは疑う余地もない自然なことだ」と思った……ということのみを根拠に、"人間の生の一般的なフレームワーク"という用語をでっちあげ、人が自由意志によって行為するという認識や人が人を罰するという行為を、是非を語ることができないいわば"神域"として扱うと宣言している。
そう、勝手に宣言しているだけ。こちらを納得させようという気はまるっきり感じられない。

面白いことに、この話をするために「学生時代に理系だった私は(例えばラプラスの悪魔に代表されるような)決定論的世界観に説得力を感じる一方で、自らの行為は自らの意志で決定しているという素朴な直観との間に葛藤を覚えていた。しかしそういった苦悩は自分でもよく分からないうちに消え、いつの間にか自信をもって《それでも人間は自由な選択主体だ》と言えるようになった」という筆者自身の体験談が挟まる。

 

2つに分割して要約したが、ひとつずつツッコミどころがある。
まずウェグナーや小坂井の行為に対して、自由意志や責任を勝手に見出しているのは明らかに筆者であって、彼ら自身ではないという点。
ここを指摘するためには筆者が混同しているいくつかの概念について腑分けをしなくてはいけない。まず取り上げるべきは、決定論的世界観は決していま"行為"と呼ばれている現象を否定しない。

何故なら論点になっているのは「行為(と呼ばれるもの)が何によって生じているか」であって、「行為が生じるか否か」では全くないからだ。決定論的世界観においても、思考や主張という行為は存在する。

自由意志や責任を虚構と切り捨てた上で人間が生きる世界観というのは、ただ自然現象が起こるようなイメージではなく、野生動物が生きてうごめいているようなイメージの方がより近い。現在の人間のパースペクティブでは動物に対しても行為主体であるかのような見方をすることがあるが、この本の中でも少し触れられているように行為主体ではないと捉えることも可能なはずで、その時に起こる認識の変化をそのまま人間に適応すればよいだけだ。

猫が猫じゃらしにじゃれ、昼寝をし、時に虫を殺し、肉を食べる。だがそれらは猫が「そうしよう」という確固たる意志のもとに行為しているというよりは、胡乱に、あるいは自然に、ちらつく虫といった外部の環境や、空腹という自身の内的状況などに対し、反射や反応を繰り返しているに過ぎない。

 

人間の行為もそれと同じだ。例えば今この文章を"書いている"僕自身が、そういう風に感じている。僕は自らの中にある確固たる意志によって文章を書いている、訳ではない。
記事の頭に「筆の向くまま」と書いたように、この本を読んだことに反応して"勝手に"湧き出てくる言葉を、僕はさながら書記のように書き留めているに過ぎない。
書記のように書き留めるという部分でさえ、それほど意識的に行っている訳でもない。英語で書けとでも言われればまた話も変わってくるが、僕は人並みにデジタル中毒なので、頭の中に浮かんだ言葉をタブレットに打ち込むことなど息をするようにできてしまう。呼吸することを"行為"として取り上げることは、深呼吸のような例外を除いてまずないだろう。それは"自然に"行っていることだからだ。

僕はなんとなく図書館へ入り、たまたま目に付いたからこの本を手に取り、他にすることもなかったから仕方なくつまらなそうなこの本を読み、その内容のバカバカしさに呆れやイライラという感情が誘発されているに過ぎない。自慢じゃないが僕ほど何も考えずに、ボケーッと流されるまま生活している人間もなかなかいない。仮面ライダーを見ているのだってよく言えば習慣、悪く言えば惰性だ。
当書の中でも引用されているリベットの実験が、被験者の自認によって成立していたように、僕自身がこれらの行動にさほど自らの意志というものの力動を感じていない以上、そこにいちいち自由意志による選択を仮定する必要はないだろう。

 

そして"行為"と呼ばれ得るものが意志や責任の不在とは無関係に存在できるのと同じく、"意味"と呼ばれ得る概念もまた自由意志による選択の有無とは心中しない。
ここで便宜上"意味"という言葉を簡単に、ある物体が何かへの反応として発した行為によって、他の物体が反応し何かしらの影響を及ぼすこと……だと定義する。
雷が落ちたことに反応して木が燃える、猫の攻撃で虫が死ぬ、誰かの書いた本を読んだ人間が感想を述べる……などといった現象は、ここでは意味があるということになる。
日常感覚に寄り添って説明をするなら、裏返してみるとよい。食事をしたのに腹が満たされない、ゲームをしたのに退屈がぬぐえない、本を書いたのに誰も読んでくれない……など、行為によって変化が起こらない(と感じる)場合は、その行為には意味がなかったということになる。

ウェグナーや小坂井が「人間には自由な選択やそれに伴う責任などというものは存在しないと主張している」からには、そう声高に主張せざるを得ない何かを見て、それに反応しているだけであると捉えても全く構わないはずである。今の僕がそうであるように。
そして彼らの発する音や文字が単なる物理的な現象である以上の意味を持つことは、必ずしもそれが自由意志などというものを介していることを意味しない。
我々が意味を持って言語を使用する際、ハッキリとした意志によっていることが一体どれだけの割合であるだろうか。例えば日常会話のほとんどは、後から思い出そうとしても全く記憶に残っていない。それだけその場のノリに任せてテキトーに喋っているからである。少なくともそういう場は容易に想定し得る。しかしそこで発されている音声が"意味を持たない物理現象"として理解されることはまずないだろう。
自らの言葉に意味があり、相手もまたその意味を感じ取ってくれると期待して言葉を発することは、必ずしも自由意志による選択を必要としない。
筆者は意志が存在することと意識が存在することを全くイコールの問題として扱っているきらいがあるが、そこはなんの論証もなしに自明として扱っていい部分ではないように思われる。自己意識もまた脳味噌の内部で起こっている物理現象や外部からの刺激に左右されているはずで、あらゆる環境と無縁に自らを由とする存在であるとは到底思えないからだ。

そこに自由意志による選択などというものが"必ずあるに違いない"と断じるのは、単純に筆者が結論を先取りしているからに他ならない。

 


2つ目のカッコへのツッコミどころは、まさにお手本のような自己矛盾に陥っているということ。
「人が人に対して罰を与えようとする営みは"人間の生の一般的なフレームワーク"に属するごくごく自然なことであり、日常に存在する全ての罰を取り除こうとすることは、どだい不可能なことである(※)」というここでの筆者の主張は、本全体の結論である「人間は自由意志によって選択できる主体であるので、責任という概念は無意味化しないし、罰するという行為そのものを取りやめるべきという論調もまかり通らない」と正面衝突する。

筆者が言うところの"自由否定論者"が「人が罪とされることを犯すのは、周りの環境などのどうしようもない何かのせいであって、当人の自由な選択によるものではない。故に罰を与える正当性もないのだ」と主張するのと全く同じように、筆者自身も「人が誰かを罰するという行為をするのは、人間の生の一般的なフレームワークというどうしようもない何かのせいであって、当人の自由な選択でどうこうできるものではない。故に責められる筋合いはない」というロジックを利用している。
これが矛盾でなくて、自家撞着でなくてなんなのか。

 

 

筆者が本気で人間の意志は選択において自由を有すると信じているならば、導き出される結論は「その気になれば罰は廃止できるので、そうすべきであるか活発に議論すべし」でなければならないはずなのだ。
つまり筆者も述べていたように、真に語るべきはまさに"赦し"の問題でしかありえない。

そのような強い意志も持たないまま、"自分でもよく分からない"うちに得た「人間は自由な選択主体であり、罰は廃止すべきではない気がする」という極めてふわふわとした直観に従い、結論ありきで中途半端な論を組んで生み出されたのが、矛盾を含みつつも、ただ(意志の弱い)読者がなんとなくその気になるように同じようなことを繰り返し繰り返し連呼するだけのプロパガンダのようなこの本なのだろう。

 

僕のような無知蒙昧の輩をしてここまでハッキリと矛盾が見えるというのは、本当に呆れるほかない。京大卒だろうがなんだろうが現に目の前にある本がしょうもないことしか言ってないんだから仕方ない。
この記事は筆者を"責めようとしている"訳ではない。なぜなら"できが悪い"ことは別に罪じゃない、故に責める謂れもない。自由意志という観点に立ったとしても、名前を出している以上、自らの名誉に対する相応のリスクは無視できないし、世間に対する悪意をもってわざとデタラメな本を出版するというのは考えにくい。つまり過失である。
僕は、基本的に過失は責めるべきではないと思っている。
だからあくまで、この本を読んで感じ想ったことをただ述べ説明しただけである。
時間を無駄にしたくないから読まないというのもひとつの手だし、そんなにデタラメなら逆に気になるから読んでみようというのもまた一興だろう。まぁご自由に。

 

 

※他の要約箇所と違い、ここはある程度短い区間で抜粋することができるので、参考までに原文を載せておく。筆者は終始このような調子だ……。

「たしかに刑罰という制度にかんしては《廃止するか否か》のオプションが存在するが、〈罰すること〉一般についてはそうではない。なぜならそれは人間の「自然な」あり方の一部だからである。より正確に言えば、《一方的に他人を害したひとを不問にはできない》といういわば「応報的な」関心は人間の生の一般的な枠組みの一部をなす、ということだ。これはじっさいにそうである。具体的には、他人のものを盗んだひとにたいしては、一般に、みんな何かしらの次元で罰する(例えば、グループから排除したり、親密な関わり合いから疎外して距離をとったりなど)。逆から言えば、不正を犯したひとにたいしていかなるネガティブなリアクションもとらない社会は、可能なあり方の社会ではない(そんな社会では「不正」という概念すら無意味なものになる!)。こうした意味において〈不正を犯したひとを罰すること〉は私たちにとって「自然な」ことなのである。」
216,217p

仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド 感想

今回は『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』を見てきたので、ふせったーに書いた感想をまとめておきます。

 

 


続編の扱い

タイトルバックで本編とパラロスの映像が流れてたのを見て、作品同士の繋がりってハッキリ地続きであることが当たり前じゃないよな、と思った。
続き物として見るなら、本編とパラロスどっちの続きなの? という二者択一になるけど、そういうことじゃないというか、あえて言うならどことも繋がらない、555という概念を使った新作がパラリゲなんだろうし、復コアのことも(パラレル解釈とかそれ以前の問題として)そういう風に見られるのかもしれないと。
記憶の印象が正しければ電王の続編なんかまさにそんな感じで、こういう展開があったからこそ今回はこう……みたいな繋がり重視というよりは、繋がっているような独立しているような、どっちでもいいひとつの作品。


パラリゲを見て、改めて本編の真理ってふっくらとした感じがすごく幸せそうというか図太そうというか、ちょっとやそっとじゃめげない強い女の子って感じが出ていてよかったなと。
パラリゲの真理はほっそりとしていてすごく幸薄そうな感じが出ていて、作品の雰囲気にも合っていたように思う。


仮面ライダーミューズの活躍を最初に持ってきてくれてたのもよかった。せっかく新ライダーが出るからにはカッコよく活躍してほしいと思うタチなので、最初から敵として出るよりも人を襲うオルフェノクを倒す正義の味方としての活躍も見られて。


胡桃玲菜さんが恥ずかしがるのはなんなんだろね。恥ずかしくなかったときとの違いを考えるなら、やらされてる感があると嫌なのかね。確かに仮面ライダーのスーツってぴっちりしてて体のラインとか見えがちだし、コスプレさせられてるような感覚なのかも。555は1話でも
パンツパンツと言ってたけど、変身ツールと恥じらいは555においては不可分なのかもしれない。どちらかと言うとスーツを装着するんだから恥ずかしさは減るんじゃないの? と、素朴には感じるけど。
生命を殺すって行為に何らかのエロティシズムを感じているから……というような気もするが、うまく言語化できない。『傷物語』で、キスショットが人を食べるところを見られたくなかったようなイメージ。


おばあちゃんが通報するシーンなんかは、パラロスがあったからこそ感じるものがあるシーンだったな。令ジェネなんかもそうだけど、人間がマイノリティになるって構図は反転可能性テストとして必要ではあるだろうけど実情とはかけ離れてる訳なので、それらを踏まえた上で、改めてこの世は人間が"支配"してるんだよっていうのを突きつけられた感じがして。


パラリゲ見てて一番おかしいでしょと思ったのは、催涙弾的なものを投げ込んどいてマスクも無しに突入してくるスマートブレインからの刺客たちなんだけど、あれは全員アンドロイドだったってことなのか、それともただの煙(意味ある?)だったのか、あるいはオルフェノクだけに効く何かしらの成分だったのか。

 

巧はなぜ生きていた?

初めて出てきた巧がオルフェノク殺すマンだったのは、やっぱりオルフェノクを狩り続けることでしか自分は人間のコミュニティにはいられないと思ってるからってことでいいのかね。泣いた赤鬼じゃないけども。
本編を見返してても、巧が長田と知り合ってオルフェノクを倒せなくなったタイミングで、真理から「マジでおしまいかもしれないね、私たち」と告げられていて、本人の意図はどうであれ、巧的には結構グサッとくる言葉で心に残ってたのかな、と。


ちゅーか、パラリゲの草加や北崎がアンドロイドとして新生スマブレに生かされてたというのは分かったけども、だとしたらじゃあ巧がオルフェノクとして生かされ続けていたのはなんでやねんって話ではあるよな。
人間の性として、オルフェノクという珍しい生き物を完全に根絶してしまうのはもったいないので、大抵どんなことがあっても人間の味方をしてくれるという実績がある都合のいい個体だけは、お目溢しで生かしといてやろうみたいなそういう判断なのかな。


パラリゲはむしろ同窓会だった

「パラリゲはむしろ同窓会だった」と言ったのは、まぁファイズにそれなりに詳しい人には伝わったんじゃないかと思うけども、よく知ってたはずのやつらが歳月とともに変わってしまったことを思い知らされる"怖いもの"であるっていう文脈を元々持ってるよねって話ね。

加えて、その意味ではオルフェノクになることが老いの象徴に見えたのも面白かった。真理なんて見た感じ美容師もやってなさげで、夢を追っかけるような情熱が枯れちゃった感じが。
本編でも「今は美容師になる夢のほうが大事だから誰かと付き合うとかそういう気分じゃない」みたいなことを言ってたけど、相変わらず距離が近い草加クンの肩に凭れてみたり、巧とのことといい、自分一人が満足するための夢・自己実現よりも、誰かと一緒に楽しく暮らすことの方が優先順位高くなってるんだろうなと。"老後"とでも言えるようなその振る舞いが興味深かった。これはあれかな、僕ができたら30歳でぽっくり死にたいとか思ってるのもあるかもしれん。それ以上ダラダラ生きてもみっともないだけだし、って。

確かに、巧,真理,啓太郎と比べると木場,長田,海堂のオルフェノクトリオってややアダルトな感じがしてたなぁと。もちろん設定的には長田は高校生だし木場と海堂も青年の域は出てないんだけど、そもそも名前の呼び方からしてきっぱり分かれていて、ファイズ組はお互い名前を呼び捨てにしてる(草加だけはくん付けされてりさん付けされたりしてるが)のに対して、オルフェノク組はお互い苗字で呼び合ってて(海堂って長田のこと呼んだことない……? パラロスでは結花呼びだったけど)、その距離感も含めて絶妙に大人っぽい。
巧にもどこか達観した感じがあるし、そういう見方をしてみても面白いのかなと思った。もちろん今回の新キャラたちは若々しいけどオルフェノクじゃんとか鈴木照夫とかいくらでも反証しようはあるけども。


パラロスと対になってるシーン

でもって問題のベッドシーン。今まで僕はフォロワーさんがたまに言ってるパラロスバッドエンド説っていうのを「そういう見方もできるのかなぁ」くらいに思ってたけど、今回ちょっとだけ分かった気もする。復コアと同じ組み立て方をしてるなって思ったのもここで、要はパラロスにおいて巧に対して救世主であることを押し付けてた真理が、パラリゲでは巧の弱さを受け入れて、草加や巧に求められたような母性的な役割を引き受けることになるって展開が。
確かにこういうのは見ようによってはバッドエンドだし、なんなら直前に海堂から「お前が一発やらしてやりゃあこんなことにはならなかったんだ」って言われてる分だけこっちのが見た目酷い。

でも、やっぱり僕は555的にはそれって必ずしも悪い結論じゃあなくて、他人から求められる理想像を背負って生きられるのは強いこと、尊いことだよねっていう描き方をされてるように思うんだよな。井上敏樹の世界観的にも、最初から"自分が本当にやりたいこと"を明確に設定してて、ブレずにそれだけを貫くキャラって、魅力的ではあっても模範的なキャラクターとしては描かれないことが多い気がするし。555でいうならむしろ草加とかのポジションな気がする、それは。
これは僕がなぜカブトを結構好きかってところにもかかってくる話だけど。


更に言うと真理の場合はもうちょっと事情が入り組んでて、まずそもそも真理は別に母性的な女性ではないでしょということを言っておきたい。確かに口うるさいかーちゃん気質なところは海堂の前で見せてるし、菊池クリーニングでも草加が来るまではごはんつくってたりもしたけど、僕にとってはやっぱり1話が強烈なのかな。
ナンパしてきた男が引いちゃうくらい、世間の言う"女性らしさ"を気にしない。飾らないし媚びもしない、我が道を行くキャラっていうイメージがあって、だからステレオタイプな母性とはあんまり相性がよくない。
草加が勝手に、本当に勝手に自分の理想を投影した結果「母親になってくれるかもしれない」なんていう幻想を押し付けてるだけで、真理はそんなガラじゃない。その証拠に真理は草加の好意を突っぱねている。

澤田だって、心の中ではオルフェノクになった自分を受け入れてくれるかもしれない(だから殺さないといけない)って思ってた訳だけど、巧の正体に気付いたり自分がオルフェノクになるかもって啓太郎に言われたときに人並みに動揺して受け入れたくないと悩んでたことからも、別に真理はなんでもかんでも受け入れてくれる温かい心の持ち主って訳じゃなくて、澤田がオルフェノクでも人間の心を持ってると信じたいと思ってたのは、単にそこまで近い間柄じゃないからというか、ひとつ屋根の下で暮らす訳でもないんだし、危ないときに颯爽と現れて自分のこと助けてくれる"だけ"なら、オルフェノクでもいいんじゃない? って思ったっていうだけの話だと思うんだよね。
ロリコンは生きてちゃいけないとまでは言わない」「でももし自分の旦那がロリコンだったら死ぬほど嫌」みたいな。こらそこ、"旦那"になれてる以上そいつはロリコンとは言えないとか固いこと言わないでください。

何が言いたいかというと、巧が救世主なんてガラじゃないのと同じように、真理は母性なんてガラじゃないという前提があってこそ、真理が巧を受け入れるシーンはドラマとして成立し得るはずなのよ。
パンフレットの「真理って気が強いし、いわゆる「あざとい」タイプでもないじゃないですか。「モテている」というのとは、少し違うような……(笑)」という話を読む限り、演者さんはなんとなく似た違和感を持っているんじゃないかなという気がする。
今は便宜上受け入れたと書いたけど、どちらかと言うと「断りきれなかった」っていうニュアンスの方が強い気がする。小説版なんかはまさにそうだったからというのもあるけど、母性なんていうポジティブなものじゃなくて、ただ押しに弱いだけのネガティブな行動が、巧にとってはひょっとすると母性的なもののように錯覚したのかもしれない、というこのすれ違いが555のミソというか醍醐味だと思うんだよな。

そもそもオルフェノクにとって生殖行為なんてものは意味がなくて、未来を担う子供を生み出すことなんかもうできなくなって(この辺も"老い"のニュアンスよね)、できるのは使徒再生だけ……それでもその全く意味のない触れ合いに何かを求める弱さこそが、あの2人を人間たらしめるひとつの証明になっている。
それでようやく、巧はオルフェノクなんか狩らなくても、真理は人間じゃなくなっても、お互いにお互いの存在を認め合えるんだと確信することができるようになると。
悪い話じゃあ、ないじゃない?


ここらで映像的な部分に抱いた不満の話もしておくと、1カットに複数の情報を詰め込んでいたのがすごくダサかった。どっかの何かで「監督は年を取ると長回ししたくなる」みたいな話を聞いたような気がかすかにするんだけどさ。

具体的に思い出せるのは、巧と真理が話しているのを柱の後ろで聞き耳立ててる玲菜と、高架下で死にかけてる巧の元に北崎が車でやってくるところ。あと中盤のカイザとミューズが戦闘するあたりのシーンでも一度感じたかな。
どっちもカメラの角度を変えて別のカットとして差し込んでくれれば何も違和感はなかったと思うんだけど、なんでなのかカメラがだんだん引いてったら玲菜(北崎)が映るという撮り方になってて、これはもうとにかくダサいとしか言いようがない。
「芝居を撮っていても、あまりカットを割りたくない。みんな、感情をキープできる力がついているから、それを活かす方向で撮りたくなりましたね」という話はパンフレットにあるんだけども、それとこれとはまた別の話のように思える。だってそのいい芝居とやらからピントが外れて別の話が始まってるんだから、別のカットでいいじゃん。


「やっぱりたっくんはファイズじゃないと」

ラストバトルの良かったところで言うと「やっぱりファイズはたっくんじゃないと」だったのがパラリゲでは「やっぱりたっくんはファイズじゃないと」に逆転してたところだろうか。
パラロスがそうだったように、本編では色々あったけども、映画という媒体においては分かりやすいように他の人間がファイズになったりはしないで、ファイズの変身者は巧ひとりに絞られてるのは意図的なものなのかね。
僕としては見栄えがすごくREAL×TIMEだったので、真理が変身しててもいいんじゃないかという気はしたが、でもそれこそ見栄えで言うなら仮面ライダーと怪人が共闘してた方が分かりやすくはあるよね。
結局オルフェノクオルフェノクが共闘してるだけじゃんという声も見たんだけど、555最終回を見返したらそんな言い方はできないと思う。巧と木場の共闘だって要はそうなんだから。

ファイズのスーツはフォトンブラッドのラインだけ塗り直したのかすごくテカテカしてたのが気になったけど、見ようによっては黄ばんだ……じゃなくて金色の特別なミッションメモリーを使って変身した俗に言う"最終回フォーム"みたいな味もして面白かった。
おそらくAIによる戦闘補助機能がついてるネクスファイズと違って、ファイズの動きは人間臭い不合理な戦い方だからAIじゃ予測できなくて勝てるっていうのも良かったよね。
変身者が人間の玲菜だったらまだ対応もできたかもしれないけど、アンドロイド北崎には理解できない。


人間とオルフェノクの共存

真理は人間とオルフェノクの共存がどうのって綺麗事を言ってたし、平成2期を超えて令和ライダーまで見てる我々もついそう言いたくなるけど、少なくとも555の最終回ではそんな綺麗な結論は出してないのよね。
オルフェノクの王を殺すべきかどうか」という葛藤は、共存というテーゼのためにはほとんど何の役にも立たない。
だってオルフェノクの王は劇中で描かれる限りにおいては、他のオルフェノクと違って人間を襲うようなことはしていなかったので、別に倒す必要はそこまで強くある訳じゃない。
むしろ彼を殺すことは、人間を襲う可能性のあるオルフェノクなんて不死になんかならずさっさといなくなって、人間だけの世界になればいいという決意の現れでしかない。それって共存とは全然違う。
せいぜい"オルフェノクの余生"という短い間だけなら共存も可能かもしれない……という、すごくドライな結論。
それをそのまま再提示したと見てもいいし、現代風にひっくり返したと見てもいい。好み的には長生きの方だけど、555には前者の方がしっくりくるってのが僕的な結論だろうか。

今回ラスボスとして倒したアンドロイド北崎をアークオルフェノクと同じような文脈で読むなら、オルフェノクをより早い段階で殺す存在ってことになるんだろうね。
寿命より長生きさせるアークオルフェノクも、寿命より早く殺すアンドロイド北崎も否定して、あくまで自然に覚醒したオルフェノクが自然に死ぬまでの間は、共存できたらいいねというオチ。


「反転させる」という復コア的手法

パラリゲのラストシーンについて僕が最初に思ったのはそれこそ「復コアみたい」だった。これはすごくひねくれた見方かもしれないけど、本編のあの後絶対すぐ死ぬじゃんっていう最終回から逆にそこそこ生きてたんだから、今回の「生命線伸びてる!」からは逆にすぐ死ぬんだろうなと。

巧はアンドロイド北崎がスマートブレインを牛耳るまでのそこそこ長い間生きたんだから、最終回で打たれたあの死ぬのを早める注射がどうやら意味なかった、つまりスマートブレインの医療班もそこまで完璧にオルフェノクの体の仕組みを理解はできてなかったってことなんだろうけど、このパラリゲでそういうことにしたからには、今回打った寿命を伸ばす薬も大した効果はなくて、思ったより長生きしたけど今度こそ本当に死にますよっていうパターンな気がした。
主人公を死なせるという意味で制作者のやりたいことは同じだけど、復コアは"見せ方"が特に良くなかったので、パラリゲでは見え方的には底抜けのハッピーエンドに見えるようにつくって、でも実は……っていう構成にしてみせたんだと思うと、流石だなぁと。
別に僕的にはそういうの全部取っ払って長生きしてもらっても全く構わないんだけど、もしそこに不満を覚える人がいたのなら(まぁ復コアの流れがあった上で主人公が死なないことに文句を言うなんて、思ってても口に出すのは憚られそうだが)、勝手にそういうことにしておいてもいいんじゃないかな。

 

猫舌は幸せの象徴?

巧が猫舌なのって、温もり(≒幸せになること)が怖いってことの表現だと思ってて、だからパラロスで記憶なくしてるタカシの状態だと湯気の出てる飲み物を平気で飲んでるんだろうなと理解した記憶があるんだけど、パラリゲではラストシーンでも猫舌設定だったよなぁと。
別にもう怖くはないけど、ふーふーしてもらっていちゃいちゃしたいがために猫舌キャラを演じてるのかもしれない。
戦いなんてしないで、あぁやって楽しく暮らしてそのうちぽっくり死ねれば一番いいんだろね。

 

86ma.hatenablog.com

One Japanese's Thoughts on "Godzilla Minus One"

This blog was translated by a Japanese English learner for study, so it may not be appropriate. Sorry.

 

 

 

I discovered a playlist about the Pacific War by NHK*1, so I'm watching it.

About war, I feel ashamed that my ignorant self pretends to think, and I feel like I shouldn't think or write.

*1 NHK is the Japanese initialism for Japan Broadcasting Corporation(Nippon Housou Kyokai) and it is one of the TV stations.

youtube.com

 

This tweet is recent. I'm ignorant of history. So maybe I shouldn't write half-heated things.

If you want useful information, please look at the playlist, not this blog.

 

 

From here, I, a 24-year-old brat, will write what I honestly thought seeing this movie.

 

I haven't read some interviews yet, so maybe my thoughts are different from the creator's thoughts, I understood that Godzilla in this movie is a punisher targeting the Japanese for starting the war… Or rather, a metaphor of the Japanese ourselves sense of guilt.

In the opening scene, Koichi Shikishima was blamed for not making a suicide attack or told that it may be good.

On that premise, in the face of a powerful existence that could threaten them(Godzilla ≈ America), Tachibana entrusted Shikishima with a preemptive strike by fighter jets. ……だが敷島は勇気が出ずに攻撃をしなかったことで幸いゴジラの攻撃対象にはならず、逆に先制攻撃を始めてしまった塹壕(?)の中の整備士たちは橘を除いて全滅した。
このシーンをいきなり見せることは観客にゴジラをお披露目するという意味を超えて、今回のゴジラは日本が戦争を始めたことを憎む者だと説明する意味があったんだと理解した。

 

日本人を核爆弾の、或いは震災の「被害者」としてではなく、あくまで「戦争(攻撃)を始めた罪人」という視点からゴジラを描く……ゴジラシリーズにおいてそれがどのような意味を持つのかは僕には知り得ないが、初代『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』くらいしかまともに見たことのなかった自分にはこれがひとつ衝撃的なことだった。
しかもその上で、政治劇だったシンゴジとは対象的に、とにかく敷島というひとりの男の個人的な物語にフォーカスするという手法が取られる。これもまた驚きだった。
そしてそれの恩恵というべきか、戦争という国家レベルの問題を個人の葛藤の問題に落とし込むために、この戦争の罪悪感というファクターは一見「仲間を救えず自分だけ生き残ってしまった罪」にすり替えた形で提示される。

 

僕は最近、フィクションで戦争というものを扱うとどうしても話がややこしくなってしまうらしい……ということを無知なりに実感してきていて、『キングオージャー』で国家の重大な危機を乗り越えるために国民全員に対して協力を要請し、その結果大団円となった描写に対して「これではまるであの戦争を美化しているのではないか」という批判を見て、それを経たことで自分の中でも『ハリケンジャー』の「戦争で死ぬのはおじいちゃんだけで十分、だからお前は戦うな」と言う祖母が出てくる回において「絶対なんとかなる、なんとかしなくちゃいけないんだ! 俺たちの親や、そのまた親や、ずっとずっと昔の人たちが守ってきた、この星を守るために!」と叫ぶ描写を見て、対象は"星"にすり替わってるとはいえ、戦争という文脈を提示した上で「守ってきた」と表現するのは、先制攻撃した事実をなかったことにしてるようで、そういう詳しい人たちからすれば良くない話の運び方なのではと思ったりもした。
最近アニメが終わったことで話題の『進撃の巨人』なんかとんでもなくて、最近はともかく序盤の方などは決死の特攻を美談として描く傾向がかなり強いし、何より調査兵団は「自分たちの領土を拡大し進撃すること」を目的として存在している。しかも舞台はドイツをイメージしているということもあり、実際の戦争と照らし合わせるとかなりセンシティブな問題に首を突っ込んでいて、僕みたいな門外漢はそれでも好きだがそういった"問題作"がここまで人口に膾炙しているという事実を結構不思議に思っていたりもする。
またシンゴジにおいても「一方的な注文ばかりだな、かの国は」とアメリカを揶揄するような描写があり、現実における国同士の関係に何らかの悪影響を及ぼさないのかとやや心配になった。

 

その点において本作はかなりクレバーというか、アメリカの存在感をほとんど感じさせず、徹底して「日本人の日本人による内省と葛藤」にだけ焦点を当てていて、しかも必要以上にジメジメ悩んだりとかもそれはそれでないので、見ていてノイズを感じることもなく、エンタメとしてとても気持ちよく見られた。
さっき罪悪感というテーマは敷島においては一見「仲間を助けられなかった(攻撃できなかった)罪」にすり替えられているといったけど、敷島だって「こんなことになるなら先制攻撃なんてしなければ」と思っていただろうし、実際そういう気後れする気持ちがあったからこそ特攻を放棄していたんだろう。
だからどちらかと言えば、彼を縛っているものの重心は「生き残ってしまった罪」の方にある。
僕は本当に歴史には詳しくないのだけれど、それでもなお知ってはいる満州事変のこととか、真珠湾攻撃とか、なんか昔の日本はどうやらすごくズルい戦い方をしてたらしいというぐらいのイメージはあって、そういう罪深い"日本人"として、のうのうと幸せに生きててもいいんだろうかという葛藤。
最初に貼った再生リストの中で、自爆覚悟で挑んでくる日本軍の狂気を見たアメリカ軍兵士が「日本人はここで殲滅しなければならない(I believe that the japanese, as a race, must be crushed so utterly)」「やつらが我々の子供たちに二度と立ち向かえないように(that they will not be able to rise again to make war against our sons.)」と述懐しているのがとても強烈に印象に残っている。まさに『進撃の巨人』でエルディア人が受けていたような視線を"ジャップ"は向けられていたのだという事実を知って、よくできてるとは言っても所詮はフィクションとして消費してきた『進撃の巨人』に初めて生々しい実感というか実在感みたいなものを感じた。
(参考:https://youtu.be/RfY4ABSdz98?si=KHclwmOW7rj40wXy)
実際の歴史では戦後に高度経済成長とやらがあってバブルがあって、まぁそれなりに豊かで幸せな国になってしまった訳だけど、本当にそれで良かったのか。
少なくとも敷島は自分を許すことができずに、色んな手を使って橘を呼び付けてまで、彼に自分が死ぬ様を見てもらうことで許して……というよりは裁いて欲しかった。彼はずっと罰を欲していた。そもそもの発端として命の保証がない危険な仕事を選んだのもその表れだろう。

 

ゴジラは日本人の罪悪感の化身なので、彼(と敢えて個人的な人間であるかのような表現をする)は日本人の死滅を望む。
それに唯一対抗できるのは、決死の突撃などでは絶対に絶対になく、ただ素朴に一個の生命として"生きるために"戦う者だけ……。
この結論がもう本当に、たまらなく感動した。我々日本人の罪は、むしろ"死を受け入れたこと"にこそあるのだという発想の大転換。
そしてその先に、典子が実は生きていたという"ご褒美"がある。もう、本当、ここのシーンは人生で見た映画の中で一番泣いた。しばらく画面が見えなくなるくらいボロボロに。
放射線の影響で幸せ100%とはいかないかもしれなくても、生きてさえいれば――。

仮面ライダーランダム視聴 16週目

 

106日目

ビーファイターカブト 第5話「大逆転去りゆく君へ」(メタルヒーロー)

・学生設定のヒーローは戦隊にもいるけど、この甲平くんはもう一段,二段くらいきちんと学生っぽい青さを感じる。
僕が知らないだけで、まだまだ色々と面白い作品があるもんだなぁ。
・カラーリングも金と黒ってヤバすぎる。ありえんかっこいい。
・幼馴染と引っ越しっていう題材も、青春だよなぁ……めっちゃいいわ。

鎧武 第22話「7分の1の真実」

・立ち止まって考えてみると、錠前,フルーツ,鎧武者ってモチーフとファスナーって何か関係あるのか? 何とも関係なさそうなのにクラックっていうめちゃくちゃ重要な概念として居座ってるのがなんか不気味で気持ち悪い。
スカラーシステムってどういう名前なんだろうと思ったが、ベクトルとの対比としてのscalarじゃなくてGoogle Scholarとかのスカラーで学者って意味らしい。偉い人たちが机上の上で考えた非常なシステム……みたいなニュアンスなのかな? 本人たちが名付けたにしては皮肉が利きすぎてるが。
・たまたまクラックの出現が多い沢芽市にユグドラシルがやってきて計画都市にしたって流れなのか?
・証拠隠滅のために街ごと吹き飛ばすつもりなのに住人をシェルターに避難なんかさせたら「何かあったらしい、しかも事故とかじゃなくユグドラシルは察知してたらしい」ことは確実に周りに伝わっちゃうじゃん。中途半端だな。
・自分の行為に"責任を持つ"ことが大人の条件のひとつだと思うが、それを強調して重すぎる罪の責任を背負う覚悟が決まっていることを大人の特徴にするのは面白いな。

 

107日目

X 第6話「日本列島ズタズタ作戦!」

・子供を助けるためだけに変身するのいいな。クウガのドラゴンフォームみたいな。
・なに、おやっさんって保護施設みたいなのを経営でもしてるのか? それとも前作以前での少年ライダー隊のことを言ってるのか?
・涼子さんとやら、昭和対平成の昭和ライダーみたいな役回りなのかな。

バイス 第5話「世直しライダー! 裏切り者は誰だ!?」

・「俺がやるよ」と簡単に言うが、ブラック企業の世直しなんて仮面ライダーと関係ないだろ、どうする気なんだ? 世間にどれだけあると思ってるんだ。
・「そんなに難しいこと考えなくていいの」というのは、なんかイヤ〜な感じだよな。強くはならないで〜♪
・ちょっと手伝ったくらいで更生プログラムを免除しちゃダメだろ。悪魔がいなくなって心のバランスが取れてない状態なんだろ?


108日目

じゃあまん探偵団魔隣組 第5話「恐怖の実験室」(不思議コメディー)

松田聖子の本名って、めちゃくちゃ時代を感じるなぁ……しかもアイドルは恋愛禁止みたいなイメージがあるけどこの時点でご結婚なさってるのね。
・泥棒心は誰にでもあるからジゴマ探知機を盗もうとするっていう話、どういうところに着地させたいんだろう? 博士の正体はジゴマで、実は探偵団を悪の道に誘おうとしているとかそういうことがあるのかなと思ったが、ジゴマはむしろその博士から助けてくれるダークヒーローみたいな立ち回りをしてて分からない。気になる。
・でも身近な人の泥棒心を測る玩具っていうのは面白いな。子供たちが襟を正すきっかけになるかもしれないって意味で。

ウィザード 第49話「サバトの幕開け」

・再びってことは、本編前の晴人が巻き込まれたサバトの時にも魔法使いが何人かいたってことなのか? 強制的に魔法使いになれる人間を選び出す儀式と、生み出した魔法使いでコヨミを蘇らせる儀式の両方ともサバトって名前なんだとしたらややこしいぞ。
・あぁ、前回は魔法使いがいなかったせいでコヨミの錬成が不完全なかたちになってしまったので、改めてやり直そうとしてるってことなのね。
・自分が人柱になってコヨミが蘇るならそれはそれでいいという話、他の3人を巻き込んでることを一旦棚に上げていいなら、復コアみたいなこと言ってるな。
・子供は親にとっての希望なので取り戻したいと思う……という話を、悪役の思想として子供に見せることで制作陣は何を描きたいんだろう。『クレしん 超能力大決戦』を念頭に。
・東京の住人から出た魔力じゃなくて、日蝕を引き起こしてサバトを行うために使っていた笛木の魔力を食べたってことなのかな?

 

109日目

RX 第10話「ニセ者でドッキリ」

・光太郎がRXってことは知らないのかな。知ってたら普通、真っ先に相談するよね。
・佐原夫婦だけノリが不思議コメディーシリーズなんだよな……。
・しかし光太郎、居候してたら周りの人たちに危害が及ぶことは自明なのにどういう都合でこの家に居続けるんだろう。そりゃ狙われて迷惑だから出ていけとは言われないだろうしそうする義務があるとも思わないけど、前作ではこんな風に群れたりはしてなかった気がするだけに気になる。
・まぁ「離れるよりも側にいて守れよ」ってセリフもあるし、別に文句がある訳じゃないんだが。

555 第6話「3人×3人」

仮面ライダーが平気で泥棒しようなんて、っていうか仮面ライダーじゃなくてもドラマの主人公に泥棒させようなんて普通思わないよな。
・野良の人間があくどいのはドンブラまで続く定番だけど、その悪人を怪人が処刑して、それを見たヒーローが人間が襲われてると誤認して処刑しようとして……って流れは今見ても完成度が高いなぁ。

 

110日目

スカイライダー 第48話「4人のスカイライダー 本物はだれだ?」

・初代も偽ライダーに黄色をあてがってたけどなんでやねん。そんなに黄色が憎いのか、警告色だから? こういう文脈の上で敢えてゼロワンが黄色を採用したことには、きちんと令ジェネと関連した意味を見出せそうだな。
・今作のおやっさんってこんなワイルドだったんだ。これはこれでいいな、好きだ。

ジオウ 第13話「ゴーストハンター2018」

・ソウゴの覇道に存在するはずがなかったゲイツの名前が逢魔降臨歴に載ったというのは、リバイブ世界線が生まれる端緒ってことなのかな。ウォズはそれを危惧していると。
・なんだかんだジオウ組でその後よく見かけるのは、ソウゴよりウォズより、ウール役の板垣李光人くんな気がする。僕が見てるやつにたまたまよく出てるだけ?
・しかしウォズの衣装って実際タイムジャッカーのそれと似てるけど、結局どういう関係なんだろうな彼らって。
・アナザーゴースト、時期的にもすごくハロウィンって印象を受けたのをよく覚えている。髪の毛があるのは初代オマージュなのかな。意外とゴーストって原点回帰色強いし。『1号』とかあったし。


111日目

スーパー1 第42話「悪魔元帥の大仮装パーティ」

・555でもあったけど、みんなでバスケットボールをぶつけるっていじめは昔からよくあるのか?
・『AKIRA』に出てきた博士にめっちゃそっくりなやつがいたな。
・スーパー1の仮装で出席するの度胸ありすぎだしシュールすぎる……とか思ってたら誰!? ガチ仮装だったのか。
・しかし、罠でもなんでもなく普通に仮装ダンスパーティーを楽しんでたってことでいいのか? なんて緊張感のない……。

ドライブ 第3話「だれが彼女の笑顔を奪ったのか」

・どんより、エフェクトも含めてタイムジャッカーの力にやや似てるな。なんか関係あるんだろうか。
・占いの結果を重んじてる本願寺、ふざけた感じが東品川の母に少し似てるかも。
ロイミュードは(多分"はたらくくるま"という表現からの発想で)職業モチーフらしいけども、特定の職業を悪く描く癖はこの頃から健在らしい。今回出てきた画家は2人ともロイミュードだもんな。
・見覚えがあったのはBLACK SUNの堂波か。ルー大柴さんって人なのね。
仮面ライダーの夢女子としての霧子、どういう意図での配置なんだろう。女性ファンも増えてるからそこへの目配せ……なんだとしたら、安直すぎないか?
ロイミュードに更生の余地を与える死神が悪で、完膚なきまでにぶっ潰す仮面ライダーが正義って構図、相変わらず謎すぎる。


112日目

V3 第18話「悪魔の裏切り あやうしV3!」

デストロンの怪人なんて殺しちゃえよっていう2人も不愉快だし、怪人の言うことを鵜呑みにして解毒剤を使うつもりのV3も気がしれないし、なんか変な話だなぁ。
・良かった、風見はちゃんと自分の力で解毒剤を探すつもりだったみたい。
・400km/hも出すなんて道路交通法違反だとか、そういう野暮なツッコミはこの頃にはまだないんだろうな。

ギーツ 第49話「黎明 I: ここからがハイライトだ!」

フィギュア王を読んで、撮影班は「下半身に能力が付いたからってどう差別化すればいいのか」と悩んだ(結果として、下半身フォームはフィーバーで偶発的になる以外ではあまり使われなかったんだろう)という旨の発言があって、「それを何とかするのがお前らの仕事だろ!」とジャンよろしくムカついたのよね。せっかく2つセットできるのに本編でほとんど使わないんだもん。
全く別ジャンルの2つを組み合わせるのが難しいのは仕方ないとしても、モンスターブーストさえ出してないのはどういう了見なのよ、最悪ナッジスパロウが使うことだってできたろうに。
……と思ってたんだが、この最終回のキックは普通にいいよな。やればできるのに何故やらない。ゼンカイジャーくらいから毎年言ってるけど、販促物の数を絞ったからには個々の魅力を最大限活かしてくれよ。頼むから。
・これはオーズに対して言いたいことなんだけど、もしも神様になることにデメリットがそんなにないんだったら、別に無理して拒む必要はないんだよな。神様になろうとして味覚を失ったりするのがつらいって話なんだから、もし五感を失わずに神様になってみんなを助けられるならそれに越したことはない。

 

前回

 

スーパー戦隊ランダム視聴 16週目

 

106日目

ジュウレンジャー 第13話「射て! 黄金の矢」

・「しつこい人はモテないわよ」
こういうテンプレートすぎるセリフをなんの衒いもなくそのまま使う人の気がしれない。脚本家というセリフを考える職業としてのプライドとかないのかな。
それともこのキャラ自身が、そのくらいつまんないことを言うようなつまんないアイデンティティの持ち主なんだろか。

ゲキレンジャー 第29話「グダグダヘレヘレ! ショッピング」

・ゲキチョッパーってこんな海堂みたいなオモシロキャラだったんだ、知らなかった。
・なんでゲキトージャウルフに2人は乗らないんだ? と思ったら、ゲキファイヤーに乗るために待ってたのか。なんかよく分かんないけど。
・リーさん、そりゃ言わなきゃ分かんないよ。
・ゲキバットファイヤーになることとリーとのドラマが何も繋がってないの、それでいいのか?


107日目

ジャッカー電撃隊 第34話「潜入! クライム要塞島」

・社員の命令って言うからバイトとかパートの人なのかなとか一瞬思ったが、シャインって固有名詞なのね。様とか付けないんだな。
しかしへぇ〜、異星からの侵略者って設定もシリーズのこんな初期からある伝統なのね。
・しかもメンバー内での恋愛関係まで。すげー意外だ。
・足手まといだからって、またそんなタックルみたいなこと言ってさぁ……。

デカレンジャー 第2話「ロボ・インパクト」

・普通ブルーってクールなキャラだし、なんならホージーは設定上クールなやつのはずなのに、こんだけ感情的になったりナンパしたりするの本当にすごいよな。悪い意味で。
・宇宙人にとってはエスパーなんて珍しくもないって描写はかなり好き。
・まぁでもセンちゃんがモテるってオチは好き。センちゃん。

 

108日目

マスクマン 第43話「アキラ失明! 謎の呪文」

・結構終盤のはずなのに、こんな1話ネタみたいなのやってるんだな。一応前回以前から話題には出てきていた、何かしら因縁のある敵だったみたいだけど。
・まただ、ロボ戦がめっちゃアクティブでかっこいい。1号ロボとの差別化として、ギャラクシーロボの特徴なのかな?

トッキュウジャー 第6話「探し物はなんですか」

・OP最初の、左右にチラチラとカラフルな後続列車が見える演出好き。すごくオシャレ。
・この5人って子供の頃以降の記憶はないって状態なのかな。記憶喪失的な扱いをされてるような印象はあまりないんだけど、どういうカモフラージュをされてたんだろう。
・番号では黄色が3号なのに、ロボットの時は緑が長い3車両のひとつなのはなんでなんだろ。カラーリング的にたまたま黄色とピンクが腕の方が収まりが良かったってだけなのか、長いのは男性メンバーに当てがおうって話なのか。
・全員がリーダーってのはいい話だな。女性レッドがどうこうとかを超越してみんなそれぞれに特徴や個性があるのがいいんじゃんって原点に立ち返ってるのがとてもいい。


109日目

カーレンジャー 第26話「ノンストップ宅配武器」

会津若松市って何でこんな有名なのかな。僕個人的には、中学の頃に合唱部の『会津磐梯山』を聴いて合唱ってこんなに面白いんだって感動したから名前が頭に残ってるんだけど。
・コメディだからって安直にギャグやろうとするとハードルが高くなるからスベり芸にするしかないみたいなとこあるよね。

キラメイジャー 第42話「仁義なき戦い

・現実にないものを絵に描けるのがオラディン王だけって話、クリスタリアの住人は"石頭"なのでってシャレか! ようやっと分かった。
・ロードガルザ、元がかっこいいだけにあんまかっこよくないな……下品な金色。

 

110日目

ジェットマン 第32話「翼よ! 再び」

・わざわざ人間を洗脳して幹部にしてるバイラムってのどういう存在なんだ? ラディゲってやつも人の顔してるし、単なるバケモノってよりは亜人の集まりなのか?
・「竜を貶していいのは俺だけだ!」
有名なこのセリフ、敵じゃなくてメンバーに対して発されたものなんだ……。

タイムレンジャー 第27話「小さな故郷」

・英語で歌いにくい主題歌をつくるのは勝手だけども、最低限の気遣いとしてせめて歌詞を画面に表示するべきだと思ってるので、ちゃんとやってるのは好印象。
別に読めなくてもよくて、この文字がこう発音されるんだってなんとなくでも覚えるもんだと思うから。
・"今を生きる未来人"たちの話だからと言って、過去に固執することを悪く描く訳じゃないのはちょっと意外だ。電王にもなんかいたよな、公園でダンスするの禁止するおじいさん。
・オーズでもそうだったけど、美容を求めることを悪として描くのは男児向けだから敢えてなのかな? 共感できないもんな。


111日目

カクレンジャー 第35話「おしおき三姉妹(シスターズ)」

・シュシュトリアンのパロディらしいんだけど、別に荒川さんは参加してなかったみたい。ゴーカイに先駆けてこの頃から過去作ネタを任される人だったのね。
・悪の戦隊みたいなくノ一軍団がいるの面白。リーダーが女性なこととも絡めて興味深い。
・シュシュトリアンっつーか僕にはハリケンジャーにしか見えないぞ!? 「クレヨンしんちゃん曰く、「じゃ、そゆことで」」とか、もうワケわかんない……面白すぎだろ。テレ朝繋がりではあっても、別に東映アニメーションではないじゃんあれ。
でも仮面ライダーコラボとかやってるし、意外と距離は近いのかな。

ゴーオンジャー 第42話「学園ノヒミツ」

・分別を邪魔しただけの怪人を大人数で寄ってたかってリンチするの、うーん……。敵怪人が怖いとそれはそれでクレームが来るらしいけど、かと言って単純にコミカルだったり情けないやつにするとこういうもっとまずい問題が出てくるんだよなぁ。
一番いいのはゼンカイジャーみたいに、バカバカしくてコミカルだけどしっかり極悪ってタイプなんだけど。
スケバン刑事はともかく、特撮でハルヒネタ!? うーん、やっぱ見といた方がいいのかな。そこまで一般教養になってるものなのか。
・魔法瓶になるのは面白くて好きだけど、タイガーとかさ、やりたい放題だなホント……。


112日目

PRシンケンジャー 第20話「エピソード・ゼロ(後編)」(パワーレンジャー)

・パワレンってOP全部共通なのか? めっちゃ聞き覚えがあるメロディだぞ。一応サムライ・フォーエバーとかキーワードは変わってるみたいだけど。
・意外とキャラ設定もかなり流用してるんだな。イエローのお姉ちゃんの話とか。
・ショドウフォンはサムライザーって名前になってんだ。"ライザー"ってネーミングセンスは向こうでも自然に通じるのね。
・中間変身形態として忍者になるの、日本の捉え方が雑すぎだろ(笑)

ルパパト 第50話「永遠にアデュー」

・QuizKnockの法律クイズで「AさんがBさんに貸している漫画をBさんのカバンから勝手に盗んで取り返した場合にも、窃盗罪は成立するか」というくだりがあったけど、自力救済の禁止という原則に従うなら、ルパンレンジャーは少なくとも現代日本には絶対に存在してはならない組織なんだよな。
現実に照らし合わせて考えるのであればルパンレンジャーというのはかなり罪深いけど、フィクションの中でなら存在を許される。
現代日本を舞台にしてるルパパトですらそうなんだから、況やファンタジー世界のキングオージャーにおいてをやだよね。
「ルパンレンジャーはきちんと作中で犯罪者扱いされてるじゃん」というのは尤もだが、今僕がランダム視聴で見てる50話では事情を聞いてパトレン側がルパンレンジャーにVSチェンジャー渡しちゃってるので、国際警察の人間が(というかルパパトという作品は)ルパンレンジャーはいてもいいと判断している。
(参考:https://youtu.be/MWvF19MN5Y8?si=Fjp0F16htqBvNh6j)
・初美花、失ったのは友達じゃなくて親のほうが良かったんじゃないかと思うんだけど、両親の描写ってどんな感じだったっけと気になっている。
・ルパパトって人間ドラマとしてはちゃんと面白いのに、その土台をつくる初期設定というか構図の部分がイマイチ詰めきれてない(少なくともそう見える)からなんかあんまり乗り切れないんだよなぁ。

 

前回