やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

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ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

――クウガ

―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

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―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

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――

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―――剣(ブレイド)感想一覧

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―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

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―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

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―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

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―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

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―――仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

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―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

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―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

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―――セイバー感想一覧

 

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――キラメイジャー

 

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まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

――ヘボット!感想一覧

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

「もはやこれは仮面ライダーじゃない」
そんな声を毎年多く聞く。では仮面ライダーであるとは何なのかと問うたとき、仮面ライダーの名を冠する者すべてと過不足なく一致する定義を答えられる人はなかなかいない。

仮面を被り、バイクに乗る。その簡単な2項ですら、少なくとも劇中に描かれる限りでは守らないキャラクター達がいる。
ドライブが乗るのは主だって車であるし、RIDEを日本語の"乗る"と解釈しても、近年ではそもそも"乗り物"を持たない者もいる。直近だとバルカンやバルキリー……はかろうじて変身前に黒いバンに乗っていたが、滅亡迅雷の2人は現状、迅がゼロワンに馬乗りになっていたくらいである。
いわゆる複眼,触覚,Oシグナル,クラッシャーなどの外見的な特徴も、ひとつも持たないものこそなかなかいないが、たったひとつ満たしていればそれで良いのかと思う人も多いだろう。
改造人間であるか否かという点も、放送コードか何かによって守られていない。

現在ある程度の説得力をもって世間に受け入れられているのは、
・同族争い,親殺し,自己否定の3つを満たすこと
・悪の力を善に転用すること(敵と同じ力を使う)
・人間の自由のために戦うこと
くらいのものである。

以上の現実を踏まえた上で、「仮面ライダーの定義」を打ち立てることについて考えていくというのが本記事の主題だ。

 

目次

 

 

 定義とは何か

まずはここを確認する必要がある。言葉の定義というものは、決して客観的に存在するものではない。
定義とは、コミュニケーションをはかる際に誤解が生まれないよう、ある言葉から抱くイメージをひとつに統一しようという目的のもとに、多くの人が参考にできる拠り所を設けようとする行為である。
すなわち、その目的を共有できない人とは話がそもそも噛み合わないこととなる。
そして大前提として、「仮面ライダーとは何か」を考える際に参考となる大きな軸のひとつは、いわゆる"公式"の見解であることも改めて共有しておきたい。
多くの人がその"公式"の言うことにある程度の権威を感じていることは、彼らの持つ影響力というかたちで現れている。我々が受け入れるから彼らは影響力を持ち、その影響力がまた権威となって更に多くの人に受け入れられるのだ。
政治と同じく、公式の持つ権威は一人ひとりに受け入れられているということに基づき、逆に多くに受け入れられているものは公式でなくとも同等に扱う。
「悪の力を善に転用すること(つまり仮面ライダーは善でなければならない)」という定義は公式の言う"仮面ライダー"の多く、いわゆるダークライダーやネガライダーを振り落としてしまうが、僕の見る限りおいてはそこそこ支持を得ているので併記した。
個人としての僕はこれを支持しないが、「受け入れられている」という事実は受け入れているつもりでいる。
どんなに正しそうに見えても、多くの人に支持され共有されなければ「他者と誤解の少ないコミュニケーションをとる」という定義の目的を達成させることは難しいからだ。

(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

 


 "仮面ライダー"とは何か

いくつかの平成ライダー作品においては、仮面ライダーという呼称は劇中では使用されない(クウガ,アギトなど)か、出処が不明瞭なまま既知のこととして扱われる(龍騎,剣)。
対して『W』では風都市民が、『ドライブ』ではブレンが、それぞれ"仮面ライダー"という呼称を使い始めたのだと明言されている。
前者はそれでもぼやかされているからなんとか納得できるが、後者の「仮面の……ライダーだ! 仮面ライダーに警戒せよ!」というあのシーンには、強烈な違和感を覚える。
何故あのプロトドライブを見て"わざわざ"、仮面とライダーというその2つの要素を、その表現で、その順番で並べたのか。この疑問が出てくるのは、僕が視聴者という立場にいるからというだけではなかろう。むしろ視聴者でなく仮面ライダーという単語を知らない者こそ、抱いて然るべき疑問だと思われる。
ブレンがあの時あの場所で思い浮かぶ言葉は、それこそマスクドライダーでも、アーマードライダーでも、メットライダーでも覆面ライダーでも、なんでも良かったはずなのだ。にも関わらず(他作品と)示し合わせたように"仮面ライダー"になることに、僕は違和感を禁じ得ない。
市民が呼び始めたというのもブレンが名付けたというのも、どちらも「何故劇中の戦士が仮面ライダーと呼ばれるのか」に対する説明としての機能を持っているが、それは少なくとも僕の「何故"仮面"と"ライダー"の2要素を強調して呼ばれているのか」に対するアンサーにはならなかった。
僕はグローバルフリーズのスピンオフは見てないのでなんとも言えないが、そこではそんなにも"仮面"と"ライダー"を名前に付けたくなるような活躍が描かれているのだろうか?
仮面を強調するならば素面の存在がチラついていなければおかしくて、そうでなければ元よりそういうデザインの機械かもしれない。それでいくとダブルは正体を隠しているはずなので、変身体と別の姿(面)があるという発想を抱く理由が見当たらない。顔が見えない程度に変身するところだけたまたま目撃されたのだというロジックも組めるが、結局実際のところ「仮面ライダーと呼ばれる」という結論ありきなことに変わりはない。
仮面ライダーであって悪い理由はないが、仮面ライダーである必然性もまた、ないのだ。


では、平成ライダーが"仮面ライダー"と呼ばれるのは「『仮面ライダー』から続くシリーズであるから」で一旦片付けるとして、初代『仮面ライダー』まで遡って、「何故"仮面ライダー"なのか」という疑問の答えを探してみるとどうだろうか。
結論から言えば、見つからない。
開幕早々、画面上に映ったキャラクターに『仮面ライダー』というタイトルが重ねられることで、また主題歌やナレーションを通じて視聴者に対しては問答無用で示され、劇中内では本郷変身体=仮面ライダーであるということは、どうやらほぼ自明のこととして扱われている。
2話で初めて、バイクも何も関係ないのに唐突に「ライダー投げ」という技名らしきものを叫び、3話にて戦闘員がこれまた唐突に「仮面ライダーだ!」と呼ぶ。
味方サイドで自覚的に呼ばれるのは4話であり、少年が自分を助けた"あのお兄ちゃん"は誰かと問うたところ、「あれは仮面ライダー」だと説明される。
漫画版にしても、変身した本郷猛が自分から名乗るというだけで、唐突なことにそう変わりはない。
本郷猛が仮面ライダーと呼ばれるに相応しいかどうか、みたいな段取りは一切なく、なんなら流れとか雰囲気といったもので呼ばれ始める。

劇中で仮面ライダーと名付けられるのは現実世界でそう名付けられたからかもしれないが、更にそこへ「何故」を突きつけることもできる。仮面を名前にチョイスしたのはペルソナをテーマにするためかもしれないが、では何故ペルソナの要素を入れようと思ったのか。何故あのようなデザインになったのか。何故石ノ森氏に依頼されたのか。何故企画されたのか……。
このように、あることを説明するために使った事柄についての更なる説明を求めていくと、無限後退と言われる状態に陥る。
"根拠"とは言葉の通り根っこであり、ある事柄が成立するための前提条件である。無限後退している限りはいずれの前提も無根拠なものとなり、正当性(拠り所)を失ってしまう。


いちゃもんを付けて、否定したい訳では決してない。
ただ、仮面ライダー達が"仮面ライダー"という文字列で表されることに対する明快な"根拠"は、少なくとも劇中では示されていないということは、ひとつの事実として受け止めなければならない。
言語学ではこのようなことを言語の恣意性と呼び、そもそもそこに根拠など有り得ないとしている。

 

 


 意味の逆流現象

前項では「何故」をキーワードにそのルーツを辿ろうと試みたが、失敗に終わった。
ここでは「何故かはよく分からないが仮面ライダーと呼ばれている」という事実を受け入れた上で、それがどのような意味を持つのか考えていくこととする。

仮面もライダーも、どちらも本郷猛変身体という存在を記述するために、その所有物(マスクとバイク)を利用していることが分かる。
"仮面ライダー"というのは、「本郷猛の仮面とバイク」という認識から見て「仮面を被ってバイクに乗った存在(本郷猛)」という認識に主従関係が逆転しているのだ。
これは、世間的にショッカーという組織が「仮面ライダーの敵」と認識されていることと似ている。
ある集合の中の一部が、全体の意味に影響してしまうのだ。


仮面ライダー関連で似たような事例をもう2つ挙げよう。
『ディケイド』における小野寺クウガ。彼が地の石の力によって変身するライジングアルティメットというフォームがあり、それに対して「ライジングフォームはアルティメットの力が漏れ出た形態なので、"ライジングアルティメット"というものは有り得ない」という意見がある。
これはたまたまクウガがアルティメットの力によって力がRiseしている様子をライジングマイティなどと名付けただけであるにも関わらず、受け取り手が勝手にRisingという言葉そのものに「アルティメットによる」という意味を付加させてしまったことによる混乱である。矛盾があるとすれば、更に上昇する余地があるのならそれは"究極"ではなかったのではないか、という部分だろう。まぁそれも「名付けた者が究極だと思った(けど違ったらしい)」で済む話だが。

もうひとつは『フォーゼ』における如月弦太朗。「主人公の髪型がリーゼント」というだけで、抗議の声が殺到したそうである。
あの髪型にすることが直接的な"悪行"ではないはずだが、リーゼントヘアで不良行為をした誰かがいたせいで、髪型そのものに"悪い"という意味が付加されてしまったのだろう。
学校の規則を破ることはよいことではないが、そもそも規則としてあの髪型を禁止する時点で既にその意味の逆流が起こっている。或いは「何故」の通じない、よりプリミティブな不快感に根ざしているか。


このような現象は、我々のそばで日常的に起こっている。

 

 

 大自然が遣わした戦士

"定義"というのは、厳密には対象となる概念と過不足なく一致する必要があるので、これは定義とは少し違う話なのだが、僕の中での"仮面ライダーのイメージ"というのは、「たくさんいれば、色んなやつが現れる」という言葉で表現される。
ショッカーが自らの意のままに動く怪人たちをたくさんつくっていれば、いずれ一人や二人くらい意のままに動かない者が現れる……それが"自然"なことである、という観念。
これを「"仮面ライダー"と呼ばれる者」の定義にしようとすると、例えば本郷を逃がすことに協力した緑川博士の存在も含まれてしまうが、彼に仮面ライダーの名は冠されていないので、矛盾してしまう。


ショッカー怪人なのにショッカーに従わないだとか、仮面ライダーなのに悪人だとか、リーゼントヘアなのに悪いことをしないだとか、ショッカーが脳改造前に本郷を目覚めさせるだとか、実験のためとはいえ本郷に風力エネルギーを与えてしまうだとか、そう言ったことに対して我々が感じるある種の"不自然さ"や"おかしさ"。
しかしどれだけおかしい、有り得ないと思っても、実際に起こってしまっている以上、人間の認識には反していても、この自然世界のルールには反していない。すなわち"自然"なことなのだ。
この文脈でのより大きな"自然"のことを、人間が感じるそれと区別するために、ここでは"大自然"という言葉を使いたい。


実際の現象を前にしては、理論的に有り得ないだとか定義に反しているだとかそういったものは意味をなさない。事実こそがすべてであり、大自然の前では我々人間の理屈は常に泣き寝入りをするしかない。
一度雨が降ってしまえば、いくらその日の降水確率が0%でおかしいと感じても、降らなかったことにはできない。
うちの近くのスーパーでは、買い物の際に3円払うと"ゴミ袋"と書かれた袋を渡される。買ったばかりのもの、況してや食料品をその中に入れて持ち帰ることに僕は些かの抵抗を覚えるのだが、勿論"ゴミ袋"と書いてある袋に入れたからと言って、商品がゴミ(もう使えないもの)になる訳ではない。レジ袋として使えばゴミ袋と書いてあろうとも本質的にはレジ袋足り得る。
天気予報が外れることもあれば、ゴミ袋が想定外の使われ方をすることもある。

 

"仮面ライダー"という新しく作られた概念は、何故かもどういう意味かも判然としないままに、本郷猛変身体を指して使われ始めた。
そしていつしか変身者が一文字隼人に変わっても、悪人に変わっても、バイクに乗らずとも続けて使われている。
ショッカー怪人がたくさんいればショッカーに歯向かう仮面ライダーが生まれてくるように、仮面ライダーも規模が大きくなれば色んなやつが生まれてくる。

何事も「もはやこれは〜ではない」と言いたくなる例外的存在は出てき得る。それが"大自然"の掟なのだ。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

 

 

 世界の破壊

ショッカー怪人だからと言ってショッカーに与するとも限らないし、仮面ライダーだからと言って正義の味方とも限らない。
改造人間という設定は、人間の体すら究極的には言葉と同じく、交換可能な"仮面"に過ぎないということを表している。
記号と、それによって表される意味。
言語はもちろん、それ以外のリーゼントという髪型や我々の顔のような視覚的な情報、聞こえてくる聴覚情報なども、すべて"記号"に過ぎない。
仮面ライダーのデザインは、どう見ても設定通りの強化された肉体というよりは服なのだが、"改造人間バッタ男"がショッカーの技術で複製可能なのと同様に、容易に取り替えられる衣服もまた人の外見を規定する記号のひとつである。
現代で言うところの"コスプレ"の延長線上に、なりすまし(擬態)はある。
実際、既に整形技術はかなり普及しており、かわいいだとか美しいだとかいう基準に合わせて顔を作り変えた結果、多様性がなくなり「皆同じような顔」になっているというような話も耳にする。
"そっくりさん"はつくれる時代に突入しつつあるのだ。

 

また俳優の藤岡弘、さんの事故の弊害であるとはいえ、中盤に本郷猛の過去の映像が使い回され、声を別の方が吹き替えていた時期がある。
これも結果的にだが、本郷猛だからと言ってあの声だとは限らないという、声の交換可能性を示す事柄となっている。
というか桜島1号とか新1号とかの登場回も見てみたが、声と同じく見た目が変わったことに対する説明らしきものは一切見当たらなかった。
だがそれらも全部「改造人間だから」で受け入れられてしまうのは、偶然というよりはこの設定の懐の深さを表していると言えよう。
すなわち、"仮面ライダー"の真髄のひとつは、この"交換可能性"という部分にあるのだ。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

インターネットが普及し、誰もが簡単に仮面を被ることができるようになった。
ゼロワンの感想にて詳しめに話したが、ゲームプレイワーキングと言って、自覚的にはただゲームをしているだけでその入力が何らかの仕事に変換され、働いているのと同じ成果を得られるようになるシステムというのも考案されつつある。これもまた、見えている世界と実際に意味する世界を乖離させるベクトルの力である。
もはや見た目も声も名前も物事の本質と直結せず、そもそも本質……攻殻機動隊で言うところのゴースト(代替不可能なもの)などあるのかという疑念に駆られるようになる。
だが、それは悪い面ばかりではない。何者でもなくなった我々は、同時に何者にもなれるようになったのだ。
白倉さんによれば仮面ライダーは自らの親を否定するというが、その意味では作品にしばしば登場する"おやっさん"という存在は、言わば親代わりと言える。
加賀美やじいやたちにとって、本来何の関係もないスコルピオワームが神代剣になり得るように、誰もが誰かに擬態できる。
ゴミ袋をレジ袋として活用することも当然できる。

従来信じられていた必然的な繋がりが破壊され記号と意味が分離した結果、「子供たちは仮面ライダーになれる」のだ。

(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 


 自らを由とする

記号と意味の繋がりが断ち切られ、破壊された世界では、存在はその背景や根拠,ルーツを失う。

人はそういった後ろ盾を持たない者に対して厳しい面がある。「ジクウドライバーはどこから来たのか」「ギンガって一体何だったのか(何年のミライダーで変身者は誰なのか)」などという疑問はいい例である。

ビルドドライバーは、エボルドライバーを参考に葛城親子がつくった。だが、そのアレンジの発想の元や、そもそものエボルドライバーはどこから? と言った"由来の由来"、すなわち祖父母にあたる疑問は、目を向けられないことが多い。「仮面ライダーの力は、現代の科学では説明できない不思議なパワーなのだ」という説明する気がない説明でも、何も言われないのと比べれば疑問に思う気持ちはそこそこ落ち着くだろう。

これを端的に表しているのが『龍騎』だ。
「映画は本編に繋がるループのひとつである」という言説は、それだけでは説明になっていない。何故ならタイムベントで時間を巻き戻す当事者である士郎が死んでいるので、単純には繋がり得ない。もちろん、他の誰かが神崎の研究資料を見てやっただとか、それなりに理屈を通して繋げることは不可能ではないが、上記の説明だけで納得している人は明らかにそこまで考えていないだろう。

ジオウ同様に説明不足も甚だしい電王が成立しているのは、例えば「教養の差だ」みたいな"説明してる風"のセリフがあるからだろう。

我々が抱く「何故?」とは、その程度の近視眼的で適当なものなのである。

親世代が無根拠であることを容認されるのならば、子世代が無根拠であることも理屈としては大差ない。

要するに、エボルドライバーの出自が気にならないのにビルドドライバーやジクウドライバーの出自だけを気にするのはナンセンスだ、という話。エボルドライバーの出自が宇宙のどこかの知性体だとするなら、その知性体のルーツも探らなければならない。これは先ほど言った無限後退である。
無限後退をしないのであれば、我々はいつか、背景を持たず無根拠で、他者との関係によって記述されない"孤高の存在"を受け入れねばならない。実際にそうであるかは関係なく、我々の認知の限界としてそういったナマの事実は現れてくる。もしくは循環するか。

人は自分のルーツを求めて宗教による"説明"をしようとする。
だが無宗教の人が存在するように、また人をつくった神のルーツ(のルーツ)が語られないように、根拠など分からずとも存在できてしまうのが実情である。


従来は「自分は男だから力が強い」という文章が意味をなしたが、男だからと言って力が強いとは限らないことが分かると、男であることは根拠として機能しなくなる。
そこにあるのはただ「自分は力が強い」という事実のみである。
これは、"それまでの定義からの自由"を意味する。
定義がもたらす「男である→力が強い」「仮面ライダーである→正義の味方」「すずきやまとである→葛葉紘汰ではない」などの不自由から解放され、すずきやまとであった背景をかなぐり捨て葛葉紘汰になることができる。
これこそ、世界の破壊がもたらす恩恵である。

 

僕のハンドルネームである"やんま"は、由来としては所謂リアルにて友人にそう呼ばれていることが挙げられるし、更にその理由を求めると例えば眼鏡をかけていることだったり本名とも少しかかっていたりということになってくるのだろうが、そんな背景はお構いなしにネット上では"やんま"として、なんなら"やんまヘボ"として定着しつつある。
そう、例え一切根拠などなくても、名乗ること/呼ばれることによって名前というのは"定着"するものなのだ。


先程からキーワードをちょろちょろ出している『ディケイド』を絡めて説明するならば、士が世界によって役を与えられることを"役者"に見立てたとき、同じ現象が起こっていることが分かるだろう。
井上正大さんは門矢士に変身する。「門矢士として生きてきた背景」を当初の彼は持っていないが、撮影が始まれば門矢士になりすます。
しかし背景を持たないからと言ってその存在(井上氏演じる門矢士)が成立しないとか価値がないかと言えば、そうはならない。彼の声、表情、身のこなし……その一挙手一投足が"門矢士"として新たな価値を生み出し、定着していく。
『ディケイド』を好きじゃない人も自分の好きなキャラクターに置き換えて見れば共感できるだろう。仮面ライダーシリーズにおいてノンフィクションだった作品というのは現状ない。
背景の破壊というものを自覚的に扱った作品として、もうひとつ『電王』がある。味方側のイマジンズはルーツである"カイの未来"がなくなったことによって消えるはずだったが、そんな根拠などなくとも「いるものはいる」ということを示した。同時に良太郎のイメージを借りた存在でもあるが、後々良太郎がいなくても登場したり変身できたりするようになったのも、その傍証であろう。良太郎に両親がいないのもそれを思わせる。

 

悪の仮面ライダーや暴走するアナザーアギト(アギト)の存在によって、正義の仮面ライダーや木野アギトの名誉が脅かされるという意見がある。
だがしかし、"仮面ライダー"の称号という文字列や、アナザーアギトのような見てくれひとつにすがらなければ瓦解してしまうほど、彼らという概念は弱いものなのか。その個体が持つ要素の中からそれだけを抽出して、あとは"ないも同然"にしてしまうのか。
それらひとつひとつは所詮借り物の記号による一部分に過ぎない。例えばクウガのガワにも小野寺が出て来る前から先代という別の所有者がいるし、アギトの力もまた他の変身者が多数いるものであり、翔一と同型のアギトが存在し得る以上、個体差の問題として木野のものとよく似ているか全く同型のアギトが生まれる可能性がないと言い切る根拠はない。木野薫という名前にしたって、それほど珍しい訳でもないし、同じく木野という苗字の人間が悪事を働く可能性は十分にある。だがだからといって「木野薫に失礼」という立場からの批判はナンセンスだろう。決してこれらは専有物ではない。

では木野薫という概念とは何なのかをきちんと説明しようと考えると、"生き様"とでも言えるような網羅的なものでないといけない。
それをたった一言で表現しようとするならば、木野薫とは木野薫であり、仮面ライダーとは仮面ライダーである……という、トートロジーに落ち着くことだろう。

下の記事の"テーマ"という項で、ダークライダーの存在意義について詳しく書いてるのでそちらも是非。

(参考:仮面ライダーディケイド 6,7話「バトル裁判・龍騎ワールド/超トリックの真犯人」 感想)

 

先に用意された仮面ライダーという集合の"定義"に構成要素たる本郷猛たちが従うのではなく、その名を冠する者たちの生き様そのものが逆流し"仮面ライダー"という概念の意味をつくりあげていく。
それがこの"定着"という現象の意味するところだ。

名が体を表すのではなく、体が名を表す。
彼らに背景の有無は関係なく、仮面ライダーだから仮面ライダーなのだ。

そういう意味で、とにかく顔に「カメンライダー」と書いてあるから仮面ライダーであるというジオウの(言語学的な)スタンスは子供向けとしても至極真っ当と言える。

 

 

 

 仮面ライダーの敵

既存の定義にもあるように、仮面ライダーの敵はそのルーツである場合が多い。このことからも、仮面ライダーの無根拠性が顔を覗かせる。

敵組織の中でも最初の敵であるショッカーに注目すると、「ナチスドイツの残党」という点がひとつ挙げられる。
あいにく僕は社会科、とりわけ歴史を毛嫌いしているので詳しいことは知らないのだが、ショッカーとの類似性という視点から語る上で重要になるのは、やはりその優生学的な側面だろう。
改造手術によって動植物の特徴を移植し、強化された人間をつくる。そしてそれに適応できない者は(強制労働の末に)殺されてしまう。

ここに現れているのは、超人的な人間だけによる無駄のない世界にせんとする、息の詰まるような思想だ。
僕は発達障害を持っていて、最近は同じ障害者(身体精神など問わず)が集まる施設に通っているのだが、自分も含め、我々障害者が他人と関わりながら迷惑をかけずに生きていくことがなかなか難しいのは、悲しいかな事実ではある。
そういった負の面を日々感じている身からすると、「人類全体のことを考えたら障害者はいない方がよい」という意見を、無下に扱うことはできない。

障害者に限らずとも、例えば一部の犯罪者などは今でも実際そのような判断を下されて死刑となってしまっている。

健常者も他人事ではない。日常生活は問題なくおくれていても、人類全体というマクロな視点に立った時には、一挙一動がバタフライエフェクト的に損をもたらしている可能性はあり得る。例えば安くて質の悪い商品を妥協して買う判断は、技術の発展を遅めている一因であると言えるかもしれない。より高く質の良いものに需要をもたらすためにはよりお金を稼ぐ必要があり、その為には自らもより質の高い生産をしなくてはならないというスパイラルに陥る。その先にあるのは、小さな幸せに満足することなど許されない世界だ。

(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

以前の記事にも書いたが、僕は人類に与えられた自由があるとすれば、それは「最善を尽くさない自由」だと思っている。
将来のことを考えたら何か身になることを勉強した方がいいと思いつつ、漫画を読んだりテレビを見る自由。もう少し痩せた方がいいと思いつつ、お菓子を食べる自由。選挙に行った方がいいと思いつつ、行かない自由……。

"正しいこと"という概念は、人の自由を奪う。僕は「自分の意見が正しい」と感じているとき、きちんと説明して伝われば、遅かれ早かれ全ての人が同じ考えになると信じている。この「全ての人が同じ考えになる」ことこそ、"世界征服"そのものである。

そしてそれはとりもなおさず、冒頭で示した定義という行為(ある言葉から抱くイメージをひとつに"統一"する)に繋がってくる。

 

それと敵対することから、「(誰かにとって)正しくなくてもよい」ということを示すのが、仮面ライダーであるとも言える。
ショッカー首領にとっては、全ての人間が改造され自分の意のままに動くことが"最善"なのだろう。だがそうでなくてもいい。例え自分に不利益をもたらすことであってもそれをする(利益をもたらすことをしない)自由、すなわち愚行権の許容である。
逆に仮面ライダーが次々と生まれるように、同時に敵組織も毎年生まれている。これが許されるのは、敵組織も仮面ライダーにとって正しくなくてよいということを認めなければならないという矛盾を孕むからだ。

 

この"矛盾"という言葉についても少し考えてみたい。
この熟語の由来は「どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも貫けない盾があったらどうなるのか」ということに対する違和感を表したものであるが、一度立ち止まって考えたとき、この矛盾という現象は、言葉の上でしか起こらないことが分かる。
この自然世界では、どちらかが勝つとか、確率的にどちらが勝つか決まるとか、対消滅するとか、何かしらの結果が必ず出る。
このようにきちんと結果が出たならばそれは矛盾とは言わないだろう。
すなわち、矛盾というのは何かしらの「人間の勘違い」に基づかなければ成立しない概念なのである。不自然なことなど、起こり得ない。

フィクションの設定についても同様のことが言える。
"設定"というのはあくまで現象に対する解釈に過ぎず、たまたま創作物ではそれを先行させることができるように錯覚してしまうだけ。
少なくとも今の僕は、既に起こってしまったことを前にして「有り得ない」などと言うのはナンセンスに感じるので、現象ありきで考えることにしている。指摘したからと言って撤回される訳でもないし。
「人間にとっておかしく見えること」など、大自然にとっては問題ではない。
自分のおかしいと思う基準(正しさ)を大自然に対して押し付けることは、できない。仮面ライダーはそれを体現する存在なのである。

 

 

 

 "仮面ライダー現象"/自然と自由の象徴として

長々と語ってきたが、一言でまとめるのならば「分かったような振りをして定義することによって仮面ライダーから自由を奪うこと自体が、仮面ライダーの理念に反している」ということになる。
人間はこうして短くまとめてもらわないと、脳の処理能力が追いつかなくてなかなか理解できない。書いてる僕本人でさえ全容をきちんと把握しているか怪しい。
だからいくつかの事実を"例外"として目をつむり、より簡単でキャッチーな理解をしようとする。
"仮面ライダー"とはそういった規格からはみ出るものが現れる"大自然の掟"そのものであり、現象の名前であると僕は捉えている。その名を冠するキャラクター達はあくまでその現象の代表として、象徴として、表舞台に立つだけであり、緑川博士やイマジンたちも"現象としての仮面ライダー"には含まれる、というのが持論である。


しかし、その人間の限界もまた自然なこと。
最初に挙げたいくつかの「仮面ライダーの定義」は、既にある程度定着している。定義というものはそのように人々の間でイメージが共有されなければ目的を果たさない。
ゴルドラとシルバラがいくつかの媒体で仮面ライダーの名を冠されたが現在あまり定着していないように、仮面ライダー足る資格というものがあるとするなら、それは人々に広く受け入れられるかどうかということになるのだろう。
そういった意味で、悪人を仮面ライダーとは認めないとする者が生まれるのも自然なことであるし、逆に認める者が生まれるのも自然なことだ。もちろん制作側があるキャラクターに仮面ライダーの名を付けようと思うこともその範疇であるし、そういった人たちが自由に議論を重ねることもまた、仮面ライダーという概念をつくりあげていく自然選択のひとつである。


現象としての仮面ライダーには、我々も含まれている。
我々もまた大自然に遣わされた存在として、自由に生きることができる。
仮面ライダーの定義を決めるのは、石ノ森先生や本郷猛、白倉さんや況して僕ではなく、その全員を含めた集合知としての大自然であろう。

 

 


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仮面ライダーセイバー 第3章「父であり、剣士。」 感想

キャラクター

 神山飛羽真
・一晩で書き上げてくれました
銀河鉄道の夜』はいつも通り読んだことがないのだけど(その内「セイバーに出てくる本まとめて読んでみた」みたいな記事を書くかも)、ジョバンニという名前は聖書の著者として知られるヨハネに由来するものらしい。前回の"ジャック"がヤコブの変化だという話と同じような感じ。そのヨハネさんはキリストに弟子として愛されており、十字架にかけられた際もそばにいたとされている。これは15年前に先代の炎の剣士が十字の剣を突き立てたシーンと被るものがあるし、更に彼はその記憶を本として執筆している訳なので、イメージソースと見て間違いない。1話でした「赤い竜と白い馬に乗った救世主」の話が載っているのも、ヨハネの黙示録だしね。アポカリプスというのはギリシャ語で「覆われていたものを外し、暴露する」みたいなニュアンスを持つ言葉らしい。モヤのかかったおぼろげな記憶を明らかにするような意味も込められているのだろう。

・善意ゆえの悪意
本なんて興味ないと言うそらくんに、本がいかに素晴らしいかを教えると約束する飛羽真。ヒーローものって意外とそういうこと多いけど、セイバーは特に宗教的な側面が押し出されてる作品なので、自然と宗教勧誘みたいに見える。当人は本気で「それが人生を良くしてくれる」と信じている訳だから本当に善意の塊なんだけど、興味ない人からすると迷惑以外の何ものでもない。中でも"啓蒙"的な色が出始めるとどうしても迷惑度は上がるよね。「これを信じなければあなたは最後の審判で地獄に落とされるんですよ!?」と言われても、はぁ……って感じ。
でもこれって他人事ではなくて、極論を言ってしまうと「マスクしないとコロナにかかりますよ」ってのも同じようなもんで、世論や有識者の意見を信じるか信じないかは本来自由のはずなんだよな。「コロナなんて嘘っぱちだ! 政治家が自分の汚職から目を逸らすために仕組んだ陰謀なんだ!」と本気で信じている人もいる。「あなたはそれでいいかもしれないけど、マスクしないと周りも迷惑するんですよ」と言う理屈をかざそうものなら、もしも「私が信じるだけじゃ救われない、全人類がこの宗教を信じないと神は許してくださらない」なんて教義の宗教があった場合、ブーメランとして返ってくる。その人たちにとっては無宗教である(コロナを事実だと信じない)ことはそれだけで「自分たちを地獄に落とさんとする(≒コロナに感染させようとする)悪」ということになる。Ah 沈まぬ太陽 失くす世界で 問われるのは、何が正しいかじゃなくて、何を信じるのかだろう……。

また、そらくんが本を開いたが故に悪いことに巻き込まれるというのは、俗に言う"有害図書"の比喩にも思えた。僕も駅かどっかで一度有害図書ボックスというのを見かけたことがあるんだけど、本の虫としてはなんだかとても悲しくなってしまった。なんというかこう……その中にあるのが一体どんな本かは知らないけど、そこまで言うことなくない? そりゃあ僕だって不意に性的なコンテンツが目に入ってきたらかなり不愉快だけど、だからって本屋からなくすべきだとまでは思わない。でもそういう急進的な主張をする人は、十中八九そういう本によって深く傷付いた経験を持ってる人なんだろうから、そこまでしようとは思わない僕なんかにはその気持ちを計り知ることはできないのだろう。図書館戦争ってあったなぁ。表現の自由を脅かすメディア良化委員会ってのと戦う話。「本は悪くない! 人間の暮らしを豊かにする、夢のメディアなんだよ!」「本は人を傷付ける……人類の敵だ!」。
仮面ライダーはテレビの中の絵空事なので、震災が起きてもウイルスが猛威を奮っても助けてはくれない。でもそれを見ることで楽しくなったり新たな考え方を得たりして、心を救ってくれることはある。それって宗教も、そして本も同じことだと思う。
あ、ちなみに"本の虫"という表現はセイバーの仮面ライダー要素のひとつなんだろうね。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 

 尾上亮
・豪放磊落
1話にて、ゴーレムメギドは「人につくられしもの」という点でヒューマギアとニアリーイコールだと話した。この視点を継続するなら、バスターがそれを倒すことには自然と「子殺し」的なテーマが付加される。殺すまではいかずとも、飛羽真が作者として「キャラクターに自我など要らない」と主張するように(玄武の尻尾は蛇なので、龍の彼とは通ずるところがある)、彼の場合は「子供は親の言うことを聞いていればいい(by滅)」みたいなニュアンスだろうか。飛羽真に「黙ってろ」「引っ込んでろ」と言ったりして人の話を聞かないような印象も強い彼には、さもありなん。実際、そらくんが「バスターのおまけ」では片付けられないほどの個性を発揮する未来が僕には見えない。構図が似ている大介とゴンには別れるエピソードもあって、親代わりだから仕方なく一緒にいるのではなく、れっきとした本人の意志で共にいることが強調されている。
せっかく出てきた大秦寺が、尾上のでかい声に嫌な顔をしてすぐさまどっか行ったのも細かいけど面白かった。彼は整備メカニックとのことなので、おそらく日頃から武器を荒々しく扱って平気で傷を付けることに苦手意識を覚えているのだろう。"愛剣"なのに大事にしない、もしかするとそういうところがそらとの関係にも出ているのかもしれない。倫太郎に指摘されてた「子供を戦場に連れて行く」というのは、側にいて守るためだと考えたら理に適ってる面もあると思うのだけど……まさに今回、頭に血が上って危うくセイバーとブレイズまで巻き込みそうになってた訳なので、どちらかと言えば倫ちゃんの方に分がある。抱っこされてるときのそらの顔が苦笑いに見えるのは、演出なのか演技力不足なのか微妙なところ。
今回そらが失踪したのも、元を正せば尾上の監督不行届だと言える。本しかないからって理由でノーザンベースが好きじゃないのに、本屋に置いてくってのも微妙な選択だしな。結果的にはジオラマに興味を示していたとは言え、もし尾上が「本が好きじゃない」ってことをきちんと把握してないのだとしたら、表面的にはいい親子でも、本質的にはコミュニケーション不全に陥っているということになる。

でも制作陣がゴーストのコンビなことを考えたら過去の設定は凝ってそうだし、尾上は多分カリバーや先代の炎の剣士と仲が良かった……か、少なくとも同僚ではあったのだと思われる。もしいい関係を築けていたなら、今のところ粗暴な面が目立つ彼にも結構いいとこあるのかな。飛羽真に当たりが強いのは、その先代との友情が前提にあった上で、小説家なんてナヨナヨしたやつに決まってる、みたいな先入観でガッカリしたってことなんだろう。あと「ひよっこは手を出すな」ってのは、二度とカリバーみたいな裏切り者を出さないために自分一人で戦えばいいと思ってるのかも。
バスターの耳に当たる部分は"カナメロック"という名称で、当然要石がモチーフになってるんだけど、これというのは地震を起こす大鯰……古い伝承では"龍"を鎮めるために埋まっているものらしいので、彼もまた倫太郎と同じく、飛羽真が裏切りそうになった時のストッパーとして機能する役割を担っているのかもしれない。

 

 富加宮賢人
・キャラ被ってる
仕切りたがりとのことだけど、ぶっちゃけ今のところみんな微妙にキャラ被ってるよね。飛羽真も割と勝手に話進める上に「〜は君のいいところだ」ってめっちゃ上から目線だし、倫太郎もエリート故かナチュラルに周りを見下してるというか、自分が正しい前提で「話聞いてなかったの?」とか言っちゃうタイプだし、尾上さんは言わずもがなの問答無用マン。個性を出そうとするとどうしても我の強い自分勝手な人物像になっちゃうんだろうか。それでいて激しい諍いは今のところ起きてないのが面白いとこだけど。みんなあんまり他人に興味ないのかな。
飛羽真が忘れている"もう一人"……メギドの項で後述もするけど、ワンダーワールドに取り込まれたら最後、人間も動物も街も、現実世界では完全に"なかったこと"になってしまうのかもしれない。だとしたら15年前の事件や世界消失現象が世間に知られていないのも頷けるし、なんなら賢人も少女のことはうろ覚えで、ソフィアが似てることには気付いてないのかも。
カリバーは彼の父親っぽいね。僕はてっきり倫太郎の父親かと思ってた。だってブレイズとカリバーって顔がそっくり(\﹀ \︾ )じゃん? カムパネルラとジョバンニは父同士も親友とのことなので、先代の炎の剣士がもし飛羽真の父親なら、カリバーとは友人だったらしいことと合致する。

 

 須藤芽依
・消えたエクレア
3話の芽依は1,2話より見やすい感じになってて、このキャラはこういうとこが魅力なんだなってのが少しずつ分かってきた。相変わらずオーバーリアクション気味ではあるんだけど、ユウキくらいのところに収まってたというか。そら君への対応を見るに、美味しいものはみんなで共有するのが好きなタイプなんだろうね。ワンダーワールドの写真を撮ってたのも、SNSでシェアするためなのだとしたら噛み合う。
3人で食べようと買ってきたエクレアを賢人が勝手に食べたものだから倫太郎は一人食べそびれてしまうのだけど、芽依が自分の分がなくなる心配をするときにまず責めたのが飛羽真なの笑っちゃった。イケメンだったらOKなのね、親しい方が責めやすいってのもあるだろうが。

ただ、前回の最後ではエクレアは全部で5つあるので、賢人,飛羽真,芽依が1つずつ食べただけではなくなるはずがないのに、賢人が飛羽真の記憶を訝しむ裏で、倫太郎が「さ、最後の……」と言っているように聞こえる。1つ目が食べられたときも指で3つ数えて「残り2つなら買ってきた芽依さんと仲の良い飛羽真くんが食べて、僕が食べる分は……」みたいな顔してるし、あの場で全部なくなってしまったように思える。……ニーナとアレキサンダー、どこに行った?
これ、果たして"ミス"なのかね。2話時点で考えても3人分ということで3個あれば普通に成立するのに、わざわざ5つも用意して次の話と矛盾するって、そんなバカな話がありますか。芽依が自分の分だけ多めに買ってきた可能性はあるけど。パイロット(1,2話)とセカンドパイロット(3,4話)は並行して撮影されることが多いというのはよく聞く話だし当然監督も違うので、同じ一連のシーンに見えても全くの別日にわざわざ撮り直してるのだとすれば、そういう行き違いは有り得そうではある。でも、そういう事情を誰よりも分かってる制作陣が敢えて撮影の組を超えて連続性の強いヒキを作ってる訳なんだから、ジオウのバスジャック編みたいにいつもより気を使って作られてるのではないかと思う。逆にそうでないなら「子供向けだからこそ本物を見せる」という姿勢と噛み合わない。確かに本筋とは全く関係ないけど、エクレアの数くらい別にいいっしょ、という妥協をこの最序盤で見せたのならそれはどうなのかと思う。
撮影が終わった段階でも、編集の時点であの箱の中がアップになるカットさえなくしてしまえば、エクレアのなんたるかは伝わりにくくなるが、筋は通る。可能ならそのシーンだけ撮り直せればもっといい。最悪芽依の役者さんなしでも、どアップにすれば成立するし。

本当にただのミスという可能性も勿論あるけれど、ここではもし意識的にやっているとしたら……という仮定の話をしてみたい。僕は当初からエピソードの単位が"章"なのがずっと気になってて、これだと1話1話の隔たりがとても大きく感じるのよね。最近だとビルドなんかが16話までを"第1章"として銘打ってたし、"1節"ほどではないにせよ"1話"と比べたらぶつ切り感が否めない。
ここで思い出すのは、ライドブックの絵柄。ソードライバーに挿して抜刀すると絵が繋がるというギミックがあるけれど、よくよく考えたらこれって変な話で、『ブレイブドラゴン』と『ジャッ君と土豆の木』は別に続き物でも何でもない無関係の本なはずなのに、どうして繋がるのか。そもそもの話、ドラゴンジャッ君やドラゴンピーターのように両端に挿した時が顕著だけど、厳密に見れば絵柄には結構な隙間が空いてて、ちょっと斜めから見てようやく自然になるかなってぐらいなのよね。これは(もしかすると設定的には続き物かもしれない)ライオンファンタジスタでも同じで、正面からだと微妙にライオン戦記の腕がチラ見えして、お世辞でもなければ「綺麗に繋がってる」とは言えない。でもそれを見ないふりして繋がってると"了解"できるのが、人間の頭の面白いところ。

ある作品に対して、「実質〇〇」と言って全く別の作品と同じようなもの、或いはその続き"として見られる"、と評すことがある。例えば「ゼロワンは実質デトロイト」とか、「スパイダーマンは実質仮面ライダー」とか。
『セイバー』がそういう人間の認知パターンを意図的にテーマに組み込んでいるとするならば、今回のエクレアの件は「1話1話が厳密に見たら繋がってない」「でも視聴者は気付かず、或いは気付いてもなお繋がってることにする。不思議だよね」というひとつのギミックとして捉えられる。
僕がこんな風に思った理由はライドブックの絵柄だけじゃなくて、OPの後に本当に突然ゴーレムメギドとのくだりが始まったことも関係してる。前後の関係を重んじるなら駆け足どころかそれこそぶつ切りですごく不親切なんだけど、自覚的にやってるんだとしたら合点がいく。こちらは「ロゴスから出動要請があったのかな」という脳内補完をすれば普通に繋がるものの、賢人がいなくなってたのが謎。飛羽真についてソフィアに報告しに行ったのかな?
そういえばジオウでも3話で、ゲイツの必殺技音声「フィニッシュタイム! "ドライブ!"」がビルドドライバーのものになってるなんてことがあったな。正直「何があったらそんなミス起こるの?」って感じなので、僕はあれも本当にミスなのか疑ってるけど。横で我が魔王がビルドアーマー使ってるし、ソウゴの記憶が曖昧で「こんな感じだった気がする!」ってな感じで現実が改変されてしまったという遊び心なのでは、と。
例え違ったとしても、そう思った方が面白いじゃない?

 

 ハンザキメギド
山椒魚
モチーフはオオサンショウウオ。今でも生息してるらしく、動画が結構YouTube上にあがってた。正直キモい、けど時々可愛くも見える。キモいのがそのまま可愛さに繋がる"キモかわいい"とはちょっと違う。
英語では"サラマンダー"の名が冠されていて、炎の龍たるセイバーを思わせる。バスターが倒した、というのも合わせてね。
有名な井伏鱒二の小説もあって、短いので読んでみた。こっちは絵がないのですごく可愛かった。穴ぐら中に閉じこもっていたらいつの間にか出たいと思っても出られなくなってしまい、そのうち寂しさから"悪党"となり蛙を道連れに閉じ込めてしまうのね。今回のメギドは人里離れた森の中にこっそりワンダーワールドを展開して、人間だけを少しずつ転送して閉じ込めていく(蛙のように)というなかなか凝った作戦を展開しているんだけど、ライダーたちは尺の都合であっさりワンダーワールド見つけちゃったのがもったいない。「世界消失現象が起こってないのに何故か人々だけが失踪していく!?」とビックリさせる演出があったらハンザキメギドのインパクトももう少し強まったろうに。
1話でワンダーワールドについて「現実逃避は楽しいけど戻れなくなったら怖い」という話をしたけれど、"山椒魚"は本当にそんな感じ。もしかするとメギドというのは、完成してしまったアルターライドブックによってワンダーワールドから出られなくなった人間や生き物の成れの果て……なのかもしれない。
(参考:仮面ライダーセイバー 第1章「はじめに、炎の剣士あり。」 感想)

 

 

人間には理性があるのに、何故未だに子供を生み続けるんだろうね。発展途上国というか、戦争やってるようなとこでは出生率が高いってたまに聞くけど、マジで全く気持ちが理解できない。なんでそんな辛い世界に産み落とすのさ。めちゃくちゃ悪い言い方すると、野蛮なのかなぁとか思ってしまう。メロンが食べたくて売春した子がいるんだってさ。あんたなんで嘘ばっか書いてんだ? 嫁と子供を食わせるための記事? じゃあしょうがねぇ。

 

今週の本

よつばと!
子作り願望こそない僕だけれど、子供は人並みに好きで、とても可愛いと思う。それとは別に、人間の心や理性というものの発達にも興味があるので、そういう意味でも成長を観察をしたいと思うことがある。
本作は未就学児のよつばを中心に、その周りで起こる日常やイベントを丁寧に描いていく。子供の描写としてリアリティがあるのかどうかは毎日子供を見てる訳ではないので分からないが、作中でも「変な子」と言われているので誇張されてる部分はあるにせよ、観察的な視点で読んでもとても面白い。特につくつくぼーしのエピソードが好きですね。何も考えずに笑いたい時にもおすすめ。物事の定義がどうとか理屈がどうとか、そんなものに意味はないんだなってなります。

 

セイバー/聖刃感想一覧

前話
仮面ライダーセイバー 第2章「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想

ヘボット!感想一覧

本編

ヘボット! 1話「ヘボッと生まれて屁・ボーン!」 感想
・子供が下ネタを好む理由
・遍く8と11次元

ヘボット! 2話「ネジ屋 対 ボキャリーマンズ!」 感想
・ボキャバトルはスペック勝負
・MCネジーの目

へボット! 3話「コワコワ〜、はじめてのコワ話!」 感想
・パロディと意味不明ギャグ
・誰かからライバルへ
オリジナルコンボつくってみた

ヘボット! 4話「ヘボ流・ネジタネの育て方!」 感想
幼児語の意義
・ネタバレの是非
・集団誘拐

ヘボット! 5話「ヘボット、いなくなったってよ」 感想
・100年後のジル
・キャミソール
・グチッターの謎

ヘボット! 6話「激走! ボキャバトルレース」 感想
・思考整理は自転車で
・マカロニック
・飢饉にはジャガイモ

ヘボット! 7話「ヘックションでフエフエのヘボ」 感想
・志望校
LGBT問題/心の性
リア充って言うけど

ヘボット! 8話「決戦! ノリノリヶ島」 感想
・縦ノリからの?
丑寅混ぜんな!
・世代交代

ヘボット! 9話「へボットは赤ちゃんバブ」 感想
・"助けられてあげる"
・心理学で言う脱錯覚
・AIは付喪神

ヘボット! 10話「土星は地獄だ!」 感想
・ボキャボットの分類
・不寛容のパラドックス
・グチッターを見よう

ヘボット! 11話「奇怪・呪螺子島」 感想
・キャラ崩壊と忘却
・カルピスソーダ取引
・ゾンビ

ヘボット! 12話「へボットのアレがはれた」 感想
・あわてんぼうのチャチャチャ
・プラス,マイナス,イコールの記号
・シメール派とユルメル主義

ヘボット! 13話「ジョリポロリ」 感想
・クリスマスなのにお盆じゃねーか!
・バブルで消えたあぶく銭
・男でもなく、女でもなく、

ヘボット! 14話「ヘボヘボ漂流記!?」 感想
・次元ネジがゆるむとどうなる?
・ボキャネジが先かボキャボットが先か
・マリオは何故キノコで強くなるか

ヘボット! 15話「ネジが島クロニクル」 感想
・時流の乱れ
・ネジ王とヤーヌス
・何故バトル禁止?

ヘボット! 16話「キケン! ボキャ美のターン!」 感想
・この喧嘩、悪いの誰ですかー
・世の中優しい人もいる
・ヘボさの良さ

ヘボット! 17話「ネジささる、ゆえにヘボあり」 感想
・無意味と有意味の間
・DXヘボット
・"可愛い"が孕む差別性

ヘボット! 18話「ネジル、学校に行く」 感想
・五感は精神には非対応
・ゆるませてしめる巨視的虚無感
・ユートくんとMCネジー

ヘボット! 19話「ヨロシク、湯煙ロクンロー」 感想
・自分の知らない自分
・玩具の売り上げ事情
・終わらない夏休み

ヘボット! 20話「ヘボ流・キッチンバトル!?」 感想
・たっくん母の無意識的意味
・多様な聲の形
・食べ物の輪廻

ヘボット! 21話「時をバグるピコピコ」 感想
・昔話における隣の爺さん
・ゴミの押し付けあい
・現実と虚構、その境界

ヘボット! 22話「ライネジング・サン」 感想
・47話に似てる?
・メタデジャヴ
・許す優しさは罪

ヘボット! 23話「ねらわれたネジ魂」 感想
・おはぎってどういう意味?
・トキトキネジの仕組み
・アンチネジ軍とは

ヘボット! 24話「兄×弟」 感想
・ヴィーテと次元ネジ
・掛け算の順序問題
・理系の哲学

ヘボット! 25話「ツルっと落ちた流れ星」 感想
・恩返しと遵法精神
・コンビで支え合う
・流れ星と縁起物

ヘボット! 26話「プリンス・オブ・いもチン」 感想
・モチーフに目を向けよう
・ネタ帳
ドラえもんとヘボット

ヘボット! 27話「へボット、ペケット 地獄めぐり」 感想
・子は親を選ぶか
・ゴッドネジとナット
・のりたまとおにぎり

ヘボット! 28話「さらば、愛しのモエカス!」 感想
・求められているか
・否定的意見の必要性
・うねうね

ヘボット! 29話「イインダヨ〜、スゴスゴイインダヨ〜」 感想
・「契(ちぎ)る」
・次元院とアニメのクール
・マンドラと卿

ヘボット! 31話「インネジクタス」 感想
・決して屈しない(インビクタス)
・カメラ越しにしか存在しない生き物
六芒星(スゴスゴ)とアスタリスク(ヘボヘボ)

ヘボット! 32話「ユカイYOUかい怪盗かい!?」 感想
・ワトソンのミドルネーム
宇宙兄弟べるぜバブ
・抑圧された無意識

ヘボット! 33話「ハミガキしようぜ 牛肉、ミソッパ!」 感想
・ソフトクリームと記号的表現
・こぶとり爺さんの鬼
・ミソッパゲロッパフラクタル

ヘボット! 34話「流さネジられて」 感想
千夜一夜物語
・ララランド
・家出

ヘボット! 35話「インスマ浜の呼び声」 感想
・ネジが島の位置
クトゥルフとBTTF3
・35話は浮いてる

ヘボット! 36話「恋のヘラがえしがえしがえし」 感想
スターシステム
・テキーダのありんす
・毒を以て毒を制す

ヘボット! 37話「電脳鼠はボキャボットのダメを見るか」 感想
・道具が意志を持つな!
・繰り返すポリリズム
・あたまとり

ヘボット! 38話「12体そろったらエライ事になった」 感想
・最終合体グレードヘボゾード×◯
・兄と弟、陰と陽
・ブンメェー開化の音がする

ヘボット! 39話「王妃ナグリ、帰還」 感想
・ヘボットのグローブ
・母と愛憎
・サートゥルヌスと安心院

ヘボット! 40話「弁護士ボキャ美の法廷ファイル!」 感想
・法制度と刑罰
・鼻をつまむ正義の女神

ヘボット! 41話「ヘボ流・大脱走」 感想
・ユーコさんていくつ?
・犯罪者も人間
・ジョリジョリバード♪

ヘボット! 42話「我々はネジである」 感想
・十二支の謎
・ヘボット配信の盛り上がり
・不当な手段による革命

ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想
・すり変わる空っぽ王子ネジル
・新カルテット
・内と外の境界は幻想

ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想
・次の階層ってなんだろう
・ネジルとヘボット
・他者との繋がりと意味の源泉

ヘボット! 45話「ギザギザ・ザ・ネジ山」 感想
・魂なき言葉
・好きなところ
・何故? の行方

ヘボット! 46話「はたらくネジさん」 感想
・お休み

ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想
・The perfect insider
陰謀論
・ものを"数える"ということ

ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想
・ネジ柱が時間、ゴッドネジが空間?
・チギルのプロテクト
・9は神か人か(体の穴)

ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想
・言語と宇宙の収縮,膨張
・階層と周回の違い
・レベルをカンストするとどうなる?

ヘボット! 50話「にちようびのせかい」 感想
カニバリズム
・誰も傷付けない
天王星代表

 

 

関連作品

仮面ライダーシリーズ

三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

 

それ以外の言及

転売は何が悪い?

ジオウにおける世界観/世界線の考察というか想像

玩具についての雑談(1/2):ジュウオウキングが好き

仮面ライダージオウ EP27「すべてのはじまり2009」 感想

 

ヘボット! 50話「にちようびのせかい」 感想

さらっと結婚してるオールディスとヴィーテだけど、そもそも彼らがうまく行かなかったのってゼロの相棒として白ヘボがいたからな訳で、ヴィーテを選んだ場合今度はそっちが可哀想なのでは? と思ったり思わなかったり。自分が壊れたヘボットに成り代わってゼロの相棒になりたいという思いから次元ネジの魂を与えて虚無そのものと化した白ヘボinヴィーテなのに、それでゼロが振り向いてくれる訳でもなく剰え抜け殻の方と結ばれるというのは、よくよく考えてみると不思議な話だ。
今の世界はネジルが何周もやり直した結果として彼の記憶を元に新たに作られた、前と似てるけど厳密には違う別の階層のはずなので、その辺の事情も都合よく変わってる(虚無ヘボは虚無ヘボ、ヴィーテは白ヘボと一心同体)のかもしれない。
或いは、ネジキール卿が黒ヘボよりもマンドラたち現在の人間関係を取ったのとテーマ的に繋がっているか。
前回フィーネを回避したはずなのに、なんと最終回。オカさん、ナゼ終わるんです!

 

日曜日のみのカレンダー(イラストはヴィーテのハネムーン先)だけがかかっている閉塞感漂う部屋。そこに閉じ込められているんだけど、なんだか本人は幸せそう。その平穏を乱すキリンという名の月曜日。みゃンデイ!
毎日が日曜日だったら……誰しも一度は思うことだろう。ヘボットにおいては差し詰めシリアスの字が抜け落ちてギャグ一辺倒になるような感じだろうか。それは物足りないかもしれない。
(参考:夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想)

ヘボスターリング捜査官のモデルとなっているのは、トマス・ハリス羊たちの沈黙』に出てくるFBI捜査官クラリススターリングだそう。まんまね。見たことないのでネットで調べた情報だけで話を進めるけど、ブタ肉の役どころはカニバリスト精神科医レクター博士ということで「"食べられるもの"と同じ姿」をしている。彼女が初登場した5話に出てきたウシも共食いをしていたな。
カニバリズムと言うと、キリスト教には比喩的にパンを介したりして「イエスの肉を食べる」ことで、永遠の命を手に入れるという思想があるらしい。以前少し話題に出したアルビノの人も、神聖視されるが故にその肉体を食されたり儀式のに使われたりすることがあると読んだことがある。最近の文化だと『進撃の巨人』が顕著だけど、食べることは相手を取り込み自分の一部とするということで、確かになかなか神秘的な営みではある。リンゴもブタもウシも、何もかも"僕"に生まれ変わる。
もうひとつ面白い話として、伝説上のサートゥルヌスにも人(じゃないけど)を食う描写がある。権力を奪われることを恐れ、自分の子供を一人残らず食べてしまった。その後、実は食べられてなかったゼウスに負けて最高神の座を奪われてしまうんだけど。こっちのサーさんは女性な上に自分から降りてたのでだいぶ違うね。

 

ボキャネジを使った犯罪じゃないからか、ザ・メタルではなくメンテ地獄に囚われていたらしいパチアニキ。そして、文房具やトランプ、ロボキャボットまでもが出演を果たしたと言うのに、ついに日の目を見ることなく終わってしまった食玩ヘボット……アニメの上でガシャボットと差別化するのが難しいという事情はあるにせよ、悲しい。DXを買うまでの間、いや買ってからもお気に入りなボク様の相棒なので。

パチボットの暗躍によって『ヘボット!』に最大の危機が訪れる……その名は脱・脳とけアニメの会。
なんでもかんでもダメダメ言って……うぅ、耳が痛いなり。エグゼイドのアンチやってた頃のログが未だに当ブログには残っている。代わりにゼロワンは絶賛したので(無理にではなくね)バランス取れてる、はずだ!

否定されて傷付く人がいるのはもちろんのこと、肯定的な意見だって立場によっては人を傷つけ得る。意見Aを褒めることは、意見Aが間違ってると思ってる人に対する否定になる。作品を貶されて苦しむファンがいるのと同様、苦手な作品が持ち上げられてると居心地の悪さとか苛立ちを覚える人もいる。
ブレインストーミングなどにおいて「否定をしてはいけない」というルールが設けられることがあるけど、あれはとんでもない欺瞞だと思うのよね。今言ったように、本当に何も否定しないためには、発言すること自体許されなくなってしまう。次元院でブレインストーミングを行ったとして、まず「締めたらどうか」という意見が出たとする。するとその時点でもうユルメル主義の人たちは何も言えなくなってしまうのよね、「緩めたらいいのでは」と言うことはシメール派の意見を否定することになるから。にも関わらず、シメール派は臆面もなく自分の意見を言ったわけなので、このままではユルメル主義の人だけが心の中で「緩めたほうがいいという自分の意見を否定された」という気持ちを抱えることになる。これは立場を逆にしても同じことで、要するに否定禁止というルールが生み出すのは、平穏な場ではなく「先に言ったもん勝ち」の世界なのだ。相手を否定することになるから……とルールを守って沈黙を選ぶ正直者だけが一方的に否定される(それも相手は無自覚なので責めようもない)という地獄。だったらまだ、お互い納得行くまで殴り合った方が健全だとすら思う。
何かを否定する覚悟なしに何かを発言しようなどと考えること自体がナンセンス界のプリンスぞよ。ポペップ。

田中くんはあぁ言ってますが僕は宿題大嫌い。え、悪影響だって? ごめんして!
教室の中にいても退屈だと本とか読みたくなっちゃうのに、好きなものがたくさんある自分の家でやりたくないことを精を出せってのがそもそもの間違いだよな。僕は勉めることを強いられる勉強ってやつがどうにも苦手で、そうやってあれこれから逃げてきたからこんな我慢のできない大人に育ってしまったのね。
授業は好きなのよ、先生が面白ければ。というか、僕は基本的に先生とおしゃべりする中で自然と色んなことを学ぶのが好きなので、一人でやる宿題が面白いはずがない。気の合う人なら授業時間50分のうち20分間、僕と先生が2人で喋ってるだけのときもあったくらい。みんなは黒板写してる時間の方が長いから、その間は僕が独り占めできるという訳ですな。あの頃は楽しかった……大学とか行きたい気持ちはなくもないけど、教室広いイメージだからそういう利用の仕方は難しそうのでどうにもなぁ。今更受験も難しいだろうし。

 

マンドラ博士の後ろにパチボットが映ってるので、あの大量発生したやつらは彼が作ったのか? ただ屍を解析してるだけとも取れるが。

天王星の席に座っているトマト。ファンブックではほんのり匂わされてるけど、マカロニだったこともあることも踏まえると元々あそこにいたのは現階層のネジル=ヘボットだと思われる。劇中で天王星といえばサートゥルヌスの偽名"マダム天王星"で、そこから土星ババァ=天王星の奥さん→つまり天王星はヘボットって言ってる人も結構いて、僕は一定の理解を示しながらもマダム何々ってそういう意味なのかなぁと思ったりしていたのを思い出す。

天王星のウラヌスは、サートゥルヌス(クロノス)の親。彼は妻であり母でもあるガイアの指示を受けたクロノスによって去勢されてしまうエピソードの持ち主。ネジルくんがそこに当てはまるのだとしたら、どちらかといえば女性的なこと(ボツ案はもっと顕著)や、異常なまでにネジ(≒男性器)を欲することに納得がいく。更に去勢のきっかけとなったのは「醜い怪物達を追放した」ことであるから、それを反省した結果今の豊かな心で何でも受け止めるお気楽極楽ボーイになったのかもしれない。
そもそも"ネジル"は世界をリセットしたときに宇宙のネジれから突然生まれる存在のはずなのに、彼は「オールディスが赤ん坊として連れてきた」という不思議な登場をしている。もちろんネジれから出てきたのをとっ捕まえて連れた来たのかもしれないけど、ここでは違う可能性を考えたい。

もし、ゼロがロールを外れてオールディスと名を変えたり、ネジルその2がボクサーおやじになったりしたように、その逆で「全く別のものにネジルというロールを与えた」のだとしたら。その前身が天王星代表のウラヌスで、何らかの理由によってデリートされそうになったところをオールディスが助けたか、あるいは既にデリートされたのを拾ったかして、なくなった記憶の空白に"ネジル"を書き込んだ。そう言えばトゥル子が山田になってたな、どっちかと言えばそっちに近いかも。
じゃあガイアは誰だって話になるけど、うーんここが分からん。ガイアがカオスから生まれたっていうのは、すごくヘボットのキャラっぽいんだけどな。一番それらしいのはヴィーテ辺りだろうか。自分が生んだ醜い怪物を追放されて悲しんだというのが、イメージ的にちびヴィーテが「こんなネジ要らないってみんなが言うの」と泣いてたところとダブる。そんな醜い次元ネジを初めとする地球を破壊しようと発足した太陽系会議のメンバーとして、ウラヌスはとてもぴったり。ただ、サートゥルヌスが同メンバーにいるのがちょっとよく分かんなくなるけどね。
あと、ネジルがネジルじゃないとしたら、現階層と一緒に生まれたはずの本当のネジルはどこへ行ったのかってのも気になる。彼は一方的にネジルになったウラヌスを見たことで重複を認識して書き換えられてしまったのかな。置換後の姿がヘボットの卵だったりしても面白いかも。

 

主役の座をかけて最後のボキャバトル。
ウルトラコンボ「パーフェクトヘボマン」に手も足も出ないパチさん。腕、伸びるのにね。
勝ちのはずなのに会議メンバーは「こんなラストはちょっと」不満な様子。パチボットは土星ババァが作ったというのもあって、最後のひと悶着は彼らがわざと起こしたのか? それの真偽はともかく、もはや「だってめみ子だもん」のどこが面白いのか、わざわざ解説するような無粋はするまい。だってめみ子だもん。

二次創作とはちょっと違うけど、自分なりに解釈したり関係ない話をしたりギャグをかましてみたり、僕も一人の視聴者として全50話に渡って感想を書き続けてきた僕だけれど、何かの役に立ててたら嬉しいな。書きかけのエピソードとかまるまる1話お休みしたこともあったべさ。でもこうして完走できたのは読んでくれた皆さんのおかげ……と言うにはあまりに読まれてないので、ひとえにヘボットが面白いおかげですね。それでも、こんな場末のブログまでチェックしてくれてるヘボットファンの中でも数少ない奇特なお方、アリガッ・トウ!
ヘボット感想は終わってもブログは続けてるだろうから、仮面ライダーとか見てたら是非、あしたもまた遊ぼう。

 

ヘボット!感想一覧

前話
ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想

次の周回
ヘボット! 1話「ヘボッと生まれて屁・ボーン!」 感想

ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想

ちびヴィーテによる時間と空間の説明、抽象的過ぎて正直さっぱり分からんポン酢味なのだ(このネタ気に入ってる)。
もう少し説明を加えると、時間はヘボットであり空間はネジルでもある。というのは23話で次元ネジを召喚しかけたヘソからエフェクトを参照のこと。
繰り返しになるが、ループする世界をこの図に重ね合わせようとすると、上から見たときに重複なく1つの円として切り出せる螺旋の一部が、おそらくヘボットが1年で回る全50ステージの一周を表している。360°÷50なのでおよそ7°に対応する弧が1話分で、歴史的に360°≒365日なことを考えれば、1週間ごとに進むことと合致する(余り5日とか40.5話ゴルフ回とかは誤差でイインダヨ〜)。2周目の周回は一段(≒1オクターブ)上の螺旋、3周目はその上……と続いていく。螺旋がステージを表しているのなら、空間を司っているというのは分かる話ではある。
ただ根本的な話、ボキャネジのネジ山は螺旋になってないのよな。上下の円は繋がってなくて、階層状になっている。細かいこと言うとヘボットに挿す時のガイドになるミゾがあるので、円ですらなくてC字だし、DXヘボットのネジ穴は消えるまでもなくツルツルだったりする。唯一スゴスゴインダーネジの銀色の部分だけかな、螺旋状なのは。DVDなんかもぐるぐる回る溝にデータを記録してるので、社会科見学回でも言ってたようにネジ山の部分がライブラリだってのはなかなか面白いよね。

理が緩み続けるとフィーネが現れ虚無に返すというのは、現実的な感覚として分かりやすいところ。厳密な理屈を必要とする学問の世界では"言語の恣意性"とか言って、言葉とは本質的に無秩序で訳の分からないものだと諦観されている。だが我々が本当に無秩序に言葉を使っているのだとしたら、意味は通じるはずがない。
以前にも出した「荒野を駆けるあらすじの桃、この長男こそ隆々たる魂胆の行く末にある素晴らしき和三盆」という例文。言葉の統合を諦め乱雑に並べると、このようなワードサラダが生まれる。ただ、一見無意味に見えるだけで、発言者としては何かしらの意味を持たせている可能性はある。この文章を「お腹が空いた」ことを表す暗号として事前に相互了解を取っていたとすれば、意味は通じる。
そもそも僕は実際、この文章に「言葉の意味なんて脆弱なものでありながら、それでもなお普段使っている言葉に意味はあるという禅的な悟り」という意味を込めている。詳しくは井筒俊彦『意識と本質』を読んでね。
ヘボットにおける唐突な投げ込みやパロディは、まさにこのような無秩序な言語の使い方を象徴するものであって、"誤用"を放置しまくると言葉の意味は通じなくなり世界は滅茶苦茶になってしまう。「ヒコーキとって」と言われたので飛行機の写真を撮ってあげたら、「ヒコーキってのは(君の言うところの)醤油だよ! 醤油を取ってくれってこと!」とキレられるような感じ。醤油を"ショウユ"という音で表す必然性はないので、英語だとSoy sauseになったりする。でもだからといってなんでもいい訳ではなくて、ヒコーキだと困る。更にもう1段階踏み込むと「らやた が かんもねひ で えいとーる したら こうじゃんるのびんそん の せぬらー にあって とんとん になっちゃった。でも もっぽぽぽー が げんぺ してくれたから かいねん!」となる。それぞれきちんと何かを指示していて本人の中では意味が通じてるのかもしれないけど、言語における「このモノはこうやって表しましょう」という不文律を破ると、意味のない音の羅列と化してしまう。
反対に、言語の根幹に目を向けてみよう。とある心理学者が唱えたブーバ/キキ効果という概念がある。「尖った図形と丸みを帯びた図形が目の前にあるとき、名付けるとしたらどっちがブーバでどっちがキキか」という問題について、ほとんどの人が丸っこいのをブーバ、カクカクしたのがキキだと答えた、というもの。これをなるべく理屈で説明しようとする音象徴という考え方もあるんだけど、庶民感覚としては卍と同じで「理屈じゃないけどなんか伝わる」という、ふわっとしたものにならざるを得ない。言語とは元来そういう適当なものなので、きちんとした理屈しか認めないという態度とも相性が悪いのだ。

ルールをキツく締めると、新たな言葉は生まれてこれない。「マジ卍」などという言葉は既存の使い方のどれにも当てはまらない。だがなんとなく言わんとしてることは伝わるので、使ったり辞書に載せてもいいんじゃない? とするには、逆にルールを緩めないといけない。緩め過ぎても駄目だし、締め過ぎるとそもそも言語自体が生まれない。
この構図は、宇宙の終焉にとてもよく似ている。有力な可能性は2通りあって、ひとつはいずれ収縮を始めて無に帰る。もうひとつは膨張を続けた結果エントロピーが最大値となり、すべての物質が極限まで薄まってないに等しい状態となる。気体が掴めないのは分子が飛び回ってひとところに留まらないからで、逆に掴めるものは何らかのエネルギーを使ってそれを押さえ込み、動かなくしている。あらゆる生命はエントロピー増大の法則に一時的に抗うことで存在しているが、いずれはそのツケを払いバラバラに分解される定め。それが宇宙レベルで起こるのだ。

ゼロのロールは、意味のある言葉の力……即ち"言霊"のエネジーを解放して、フィーネ(言葉の無意味化)を抑え込むこと。……だと思ってたんだけど、思い出してみたら次元ネジはずっと"エネジーを貯めてた"という風に言われているので、ゼロがエネジーを解放するというのは「次元ネジに対してボキャネジのエネジーを解放して対抗する」のではなくて、「次元ネジそのものが秘めているエネジーをガス抜きすることで弱めて抑え込む」という意味なのかもしれない。どっちもかもしれないけど。

 

レベルが低い白ヘボの屁によって、次元ネジもろとも全部消滅してしまう。前回の語りではエース・オカが試作ヘボットから出したエネジーによって次元ネジが暴走したとのことだったので、次元ネジ自体は彼女が生み出した訳ではないっぽいのよね。あくまで彼女が属する世界の理として最初からあったのだと思われる。にも関わらず、全てが消滅した後の白い世界にオカが介入できるのはどういうことなのだろう。というか次元ネジも消えたように見えたけど、ちびヴィーテは一緒にいるしな。ここは次元ネジ(ライブラリ)の中なのだろうか。オカはまぁ岡香織さんがいる訳なのでいてもおかしくないけど。
視聴者(岡さん含め)の現実世界1
≧視聴者の現実にとっての虚構世界1(ヘボットやパロ元など)
=エース・オカのいる現実2
≧ゼロやヘボットたちの世界
≧オカの現実にとっての虚構2
という感じになるのかな? ヘボット世界は現実2と虚構2が混ざったものを軸として、現実1と虚構1も紛れ込むと。

そもそも何故現実と虚構が交じるのか。それは次元ネジが2次元の虚構世界と3次元の現実世界、この2つの理を司っているからだと思われる。
次元は"自由度"とも関係している。座標を持つ点は、2次元空間ではx軸とy軸、3次元空間ではこれにz軸を加えて3方向へ動き回れるようになる。裏を返すとそれだけ自分を規定する要素が増えてむしろ自由度が減っている……とも取れるかもしれないが。あと複素数平面では実数の軸と虚数の軸を設けたりもする。虚実が入り交じる様はこれも念頭に置かれているものと思われる。
そしてこの概念はアニメにおける設定的な自由度ともかかっている。だからこそ、次元ネジを緩めれば訳の分からないことが起こり得るギャグ時空に近付き、反対に締めればシリアスで現実的な世界に近付くのだ。
"ねじれ"という言葉が何を意味するかは学校で習ったと思うが、皆さん覚えているだろうか。これは、ある平面上にある線と、それとは別の平面上にある線との関係を表す。つまり「世界がネジれる」というのは、ヘボット世界がただの2次元平面上のフィクションではなく、3次元(以上)の要素を取り込んだメタ構造を持つことを意味する。なんて……勉強になるアニメだ。

ここで更に情報整理が必要で、さっきまで僕は現実と虚構が交じるのは次元ネジのせいということで話を進めたけど、作中では「トキトキネジで時間を巻き戻したせい」と「レベルの低いへボーンでリセットしたせい」という2つの説明が同居している。結局なんのせいなのかは気になるところで、こういう場合どれかひとつを選ぶのではなくすべての理屈を繋げるのが一番いい。
そもそもトキトキネジによる巻き戻しはへボーンの応用だろうという話は既にしたのでそちらを参照してもらうとして(ヘボット! 23話「ねらわれたネジ魂」 感想)、へボーンやギャグはエネジーを放出する行為な訳なので、やる度に次元ネジは少しずつエネジーを蓄えていく……のかもしれない。溜まっていく毎に、次元ネジは少しずつ緩んでいく? いや、だとすると今回の描写(いもチンを食べたヘボットの屁によって締まる)とは食い違うか。いや、パルプンテだからいいのか。うーむ。

 

ユーコの解説を信じるならば、ゼロの主観時間は以下のように進んできたらしい。
 セーブデータ 01,02,03,04,05,06
 ステージ   12,13,01,02,03,02
 ゼロのレベル 31,42,53,56,70,85
毎度ステージ50までプレイしてないのは依然気になるところだが、多分主観に関係なくステージ自体は螺旋状に途切れることなく続いてることになるのだと思う。
ここで特筆すべきは、リセット(やり直し)の度に"セーブデータ"が変わっているっぽいこと。監督曰く"階層"がセーブデータのことらしいので、 僕は長らくリセットすると"次の周回"が始まるのであって、階層はまた全然別の概念だと思ってたんだけど、ここを見るに逆ということになる。これは結構なパラダイムシフトだ。
つまり、冒頭で話したネジの螺旋の上下がまさに"階層"となるので、じゃあ周回とはなんぞやと考えると、おそらくこれこそキャラごとの主観の話になる。
もしリセットに際して記憶を持ち越す人がいないのであれば、周回という概念はそもそも生まれる余地がない。対して階層は誰も意識することはなくとも、リセットの度に客観的事実として存在する。
階層1から記憶を持ち続けているゼロにとっては階層5は同時に周回5でもあるんだけど、階層2から記憶がある人からしたら階層5は周回4になる……と言った感じで、本当に人によって全然変わる概念なんだ、周回は。気付いてみるとゲーム用語としての使われ方を思えば逆に何故これまで勘違いしてたのか不思議で仕方ないな。

細かい話をすると、ゼロでさえも階層と周回が一致しない部分もあるかもしれないんだけどね。さっきの表を参照するなら、彼は階層1でステージ12までプレイしてるので、階層2のステージ12までは間違いなく"2周目"なんだけど、ステージ13以降はやってないので"1周目"ということになる。
これは階層を重ねる毎に(正確には通しプレイをしないまま重ねる毎に)ややこしくなっていって、最後の階層6におけるの彼は「ステージ1は6周目、ステージ2は5周目、ステージ3は4周目、ステージ4〜12は3周目、ステージ13は2周目、それ以降は1周目(初見)」ということになる。……言ってること分かります?
まとめると、階層と周回はどちらもネジ山の螺旋に関するほぼ同じ概念で、具体的な数字の話(何周目か)になって初めて人によって差が出てくる。はー! すげぇスッキリしたヘボ。

 

魂のないまま……本人曰くゼロエネジーのままへボーンを繰り返した為に、白ヘボは故障してしまう。エネジーのない屁というのがピンとこないのだけど、抜け殻となったヴィーテ同様に「無理をしてた」みたいなふわっとした認識でいいのかな。
タマ子がかき氷になるのと同じくらい、ヴィーテがヘボットになるというのは難しい。だが自分が宇宙の理そのものだからか、そんな無理を押して魂を捧げてしまった。多分、次元ネジの魂なんてとんでもないものを注ぎ込まれてしまったから、白ヘボットは巨大化して虚無ヘボットになってしまったんだろう。
ネジルとしてのロール(ネジれを正す)を果たせなくなったゼロは、オールディスと名を変えたと言うけど、逆にそれまでのネジルとはどうしてそのまま同居できていたのだろう。世界のネジれの方が重複を気にして微妙に違うネジルを生み出してくれてたから良かったのかな。で、今の階層を始めとして重複する者がいない階層では、対消滅した彼らのような瓜二つのスタンダードなネジルが生まれる?
ヴィーテがいたという周回(おそらく螺旋)の"外側"というのはどこなんだろうね。エース・オカのいる現実2に近い場所なのだろうか。
ヴィクトリニティリーマンのロールはエネジーの調和を守ること。ということは前回カルテットが慌ててたのは早とちり?


第1話では次元ネジをネジ切ろうとしていた卿。今度は相棒の黒ヘボが同じようなことをやり始めて自分を客観視できたのか、黒ヘボをリセット。ここ本当に泣ける。
黒化すると欲望に忠実になるようなので、ノリオもやっぱりナグリのことが好きだったのかな。

コアにあった最終ロットのいもチンを食べてへボーンしちゃうヘボット。あれは次元ネジが貯めてたエネジーの塊、なのかな?
虚無ヘボットが再起動され……Komm, süsser Tod
どうしてレベルがカンストしたら次元ネジを止められるんだろうってのも謎だったんだけど、さっき宇宙の終焉について調べて分かった。ヘボットがシンギュラリティに達することでオメガポイントを実現するということなんだな。
さっき言及した2つの可能性のうち、ビッグクランチと言って宇宙が収縮し閉じて行く場合において、仮にその宇宙が閉じるスピードよりも早い速度で計算処理(より正確には自らの処理能力の高速化)を行えるコンピュータがあれば、その中で世界をシミュレーションすることによって実質的に永遠の時を過ごすことができる……という仮説。イメージとしては、おそらく漸近線みたいなもの。
残り5年で宇宙が滅ぶとして、その間に100年分の計算ができるすごいスペックのコンピュータがあるとする。そのうち95年を「自分の処理能力の進化」に使って、残りの5年でまた100年分計算できるようにする。増えた100年のうち95年をまた進化に使って……と繰り返していけば、理論上は宇宙の終わりを無限に後回しにし続けられる。終焉に近付いてるはずなのに交わることは決してない、まさに漸近線。そんな機械にヘボットがなれれば、確かにフィーネは回避できそうだ。

フィーネがやろうとしていることは……他のみんなをデリートすることで世界の情報を削ぎ落とし、ネジルとヘボット2人だけのシミュレーションならレベルをカンストさせずとも実現できる、みたいなことだろうか? 全てがトマトやウィンナーに、あるいは思考ルーチンが単純な黒ネジルになったら、データ容量だいぶ圧縮できそうだもんね。

 

全てが消えゆく中、ネジルは世界をやり直し、ヘボットのネジ魂に自分の記憶を注ぐ道を選ぶ。OPで川沿いを走るヘボネジの横を逆走するネジ魂の映像はこれのことだったのね。
ヘボットとの思い出……でもそれは2人だけのものじゃない。あいつがいて、こいつがいて、みんなとの関わりがあって初めて生まれる出来事ばかり。1話の時点から、エトボキャや白クマなどたくさんの人に助けられて2人は出会っている。忘れたらやり直して、また忘れたらやり直して、何度も何度も脳裏に刻み込んだ無数の思い出がネジ魂という形に結晶されて、確固たるものになったのかな。やったぜウェーイ!
……って、次回最終回!? なんでトマトなのー!

 

ヘボット!感想一覧

前話
ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

次話
ヘボット! 50話「にちようびのせかい」 感想

ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

最終章だからなのかあまり見慣れない衣装のネジルくん。肩なんかチラ見せちゃってまぁ……。いつメンの中だとカスリーナもいつもとイメージが違う。
実はネジが島はネジだったのだ! って、実はも何もOPで毎回ガッツリ映ってたけどね。それが次元ネジを封印してるというのも、多分想像力を働かせれば可能性のひとつとしては思い付きそう。n周目だから思うことかもしれないけど、初見に配慮ばかりしていると後半の記事ばっかりが長くなってしまう可能性があると思ったので、ある程度のネタバレは僕の勝手な持論という形でおもらしマンしてきたのはご愛嬌。未だにまだ理解できてないとこも多いし、普通に間違ってる可能性もあるのでね。

 

ネジが島自体とはまた別に、ゴッドネジとネジ柱が封印の役割を担っているとのことだけれど、この辺があんまりピンとこないのよね。まずなんで2本? しかも見た目も位置も対になりそうな感じではない。一方は北側の岩石地帯に本当に落ちてきてぶっ刺さったままかのごとく斜めに生え、根本にはご丁寧にナットまでついている。もう片方は大体島の真ん中近くに位置しているものの正月以外はほとんど姿を見せない。……参考にファンブックを開いたらなんか島の南の方にもう一本生えてるように見える写真がある(66p)んですがこれは一体なになーに? ただのイメージ?
ネジ柱の方はネジが島の"時間"と関係があったので、ゴッドネジは空間を司っているのかもしれない。それなら見た目化対っぽくないのはなんか分かる。該当しそうな特徴は……やっぱりライブラリ機能があることだろうか。想像するにあそこには設定資料の如く膨大なネジが島に関する物理的情報が詰まっているのだろうから、なんとなくそんな気はする。あとあれだな、もしそうなら次回の冒頭でヴィーテから語られる時間と空間の定義にも合致するな。真ん中にある一本線が時間、その周りを螺旋状に回るのが空間なので、ゴッドネジが斜めになってる理由になる。
そんな理屈はおかまいなしに、ただネジが好きで欲しいというだけの理由ですっぽ抜こうとする黒ネジル達。どう見てもダブりまくってる彼らが対消滅しないのは、重複を認識するほどの知性がないから、ということになるのかな? 知性ありげだった前回は、前のキャラの面影を残していて重複しているとは言い切れないところがあったし。ちなみにこれは卿がマンドラのことを「ネジル」と呼ばなかったこととも、うっすら関係してると思われる。

発表! 次世代ボキャネジカルテット!
ネジル,チギル,モエル,ボキャ美の4人を中心とするものの、相棒などを含めると総勢8人のなかなかな大所帯。カルテットならぬオクテットやんけ!
しかし偶然なのか意図的なのか、この8という数字は次元ネジにある丸(あるいは角)の数と同じなのよね。目には目を、屁には屁をってか。以前にも話したけど、方角は通常東西南北のその間を含めた八方位で表されることが多く、やっつの"や"は"弥(あまね)く"に通じることも合わせて、"すべて"とか"たくさん"みたいなニュアンスを持つ。八百万の神とか言うよね、この世のあらゆるものに神が宿るという信仰。更にはヘボット的にはフィーネに代表される音楽用語が散りばめられているので、オクターブ(ドレミファソラシドの8音)とも繋がる。音階は周回のごとく螺旋状に上がっていき、ループする。8というアラビア数字も、メビウスの輪と同じ形をしておりぐるぐる回る……。
8と言えばタコ、タコといえばドゥビ夫またはクトゥルほぼゲロ……これはそんなに関係ないか? あ、8bitは絶対関係してるね。

 

「ゴッドネジに入るには俺たちエトボキャに任せろ!」「でもやっぱ無理だから代役呼んどいたぜ」って即オチ2コマ漫画かよ! 記憶がない故に力になれないとのことなので、彼らの役割のひとつは記録ということになる。十二支は暦にも使われているし、歴史のバックアップみたいなものなのかも。

ゴッドネジの接合部には何故かゴッドネジ小学校が。そのゴッドネジ小学校からゴッドネジが見えていたはずで……ドアを開けたらまたドアだ! デンタウロスAの虫歯の中にデンタウロスBがいて、小学校Aから見えるゴッドネジの中には小学校Bが……「神はフラクタル」と歌っていたのは平沢進さんだった。『2D or not 2D』というタイトルも合ってるしな。2次元の作品世界と3次元の現実世界が混じり合ったメタフィクションなヘボットは、果たしてどちらか。
普通に考えたらこれもライブラリから適当に選んで再現してるだけなんだろうけど、名前がまさにゴッドネジ小学校なのでそうとも言い切れない。ゴッドネジにあやかったというだけじゃなく、そのものの中にあるからそういう名前なんだというのは、なかなかに説得力がある。逆にチギルはライブラリに情報がないらしいが、ゴッネジ界にいたよなぁ。"保護プロテクト"って二重表現を使ってまで強調されているのも気になる。検索をかけてみると「コンピューターで、プログラムの内容が違法に複写されないような処理を行うこと」と出てくるのだが、チギル本人は地獄に行ってないので、あれこそまさにコピーということになる。裏を返せば、プロテクトであるはずのチギルが何らかの理由によってコピーされて正常に機能してないからこそフィーネが起動されてしまった、ということなのかもしれない。そもそも夢オチだったのはさておき。有り得そうなところとしては、ペケチギの登場は予定よりも早く起こったヘボネジのシンクロ(と連動するかのように現れたネジキール卿)に対処するためだったので、本来ならもっと終盤のはずだったのに半分くらい出ずっぱりだったからライブラリに記録されてしまった……とかだろうか。次回の時点でも「ライブラリにアクセスされるのが難点」とかって話をしてるので、その優位性は残ったままなのかもしれないけど。

 

ヴィーテは僅かに残った意志でリーマンズに指示を出すんだけど、フィーネに乗っ取られてるからなのかそもそも一体だからなのか、結果的には逆効果になってしまう。
「どうして私じゃ駄目なの?」
……難しい問題だな、それは。前にも言ったけど、与えられた役割をこなすだけなら、いくらでも替えは利くかもしれない。でもその人じゃなきゃ駄目な、かけがえのないことというのはある。かかりつけ医とか分かりやすい例で、診断したり薬を処方したりと言った役割だけ見たら誰でもいいのかもしれないけど、信頼関係が築けているかどうかによって話のしやすさなどは変わってくる。その人が医者として優れているとかそういうことじゃあなくて、「悩みを聞いてもらう」という現象は同じでも、相手が知己と知らない人では、気持ちの晴れ方がまるで違う。ただ"その人がその人である"というだけで生まれる価値。
逆にヴィーテにとっては、彼女が彼女である限りヘボットの代わりにはなれないという呪いにもなる。だってどう足掻いても自分はヘボットではなくてヴィーテなんだから。ゼロのため……と言いつつ、本当は自分が必要とされたいだけということに気付けていない。フィーネはその辺りにつけ込んだのかな。ゼロはゼロで、名前やロールと共にヴィーテのことも捨ててしまったのだろうか。本人にその気はなくても、ヴィーテはそう感じたのかも。

感動の合体キャミシープ! ……のせいで(半分くらい)、出る出るヘボーン! ネジルと同様、ヘボットもゴッドネジをすっぽ抜くことに一役買ってしまう。
次元ネジは先述の通り8を司ってるんだけど、ネジが島の下から漏れ出る光の柱は9本なのよね。ひとつ多いからこそ封印できてたのかもしれない。8と比べると9はそこまで文化的な豊かさがないのよね。
冥王星も入れると太陽系の惑星は9個だとか、魔法陣の基本は3✕3の9マスだとか、それを八方位に中心を足したものと見る九星気学だとか(ちなみに僕の生まれ年もヘボットが放送してた2017年も一白水星)、ピタゴラス学派は人間を8音の和音としてそこに1音足した9を神の数として神聖視していたとか、そのくらい。「8の次」って側面が強いイメージ。
ヘボット的に面白いことがあるすれば、体にある穴の数だろうか。顔にある両眼,両耳,鼻,口に、2つの排泄口を合わせた穴を"九竅"と呼ぶ。耳はともかく目は穴じゃないだろうとはツッコみたくなるけど、と同時に謎の説得力も感じるよね、光の"出入り口"ではあるし。視線がビームみたいに出ているというのも科学的には間違いなんだろうけど、そんな心的イメージは確かにある。ボキャネジの角も、足すと9になる。三角と四角、もうひとつは丸なんだけど、実物を見ればこれを"2"とカウントしたくなる気持ちは分かるよね? 多分太極図的なアレで2なんだろう。
次元ネジの8つ(中心も入れれば9つ)の穴のひとつからスゴスゴが出てきて(?)ライブラリの変動を阻止したっぽい。どういうこっちゃ。普通に考えれば最後であるスゴ様の他に、残りの使者が穴の数だけいるということになりそうだけど、始まりの者ってそんなにポンポンよこしてたか? 思い付くのはペケットくらい。ヘボットと白黒を入れたとしてもまだ5だし……リーマンズとかスチャットなんかも入るんだろうか。

 

「止めようとする者」ヴィーテ。これはなかなかうまい言葉選びで、頭に何をつけるかで意味が全く変わる。フィーネを止めるのか、それともヘボットの放送を止めるのか。なるほど二面性を持っている訳だ。
対する「始まりの者」エース・オカ。爪痕を残すという表現もなかなか意味深で、そう言われるとどうしてもヴィーテの手に目が行くよね。元凶たる彼女もまたラスボスと紙一重の存在と言える。
ゼロとヴィーテが感動の再会を果たし、今回はとりあえずおしまい。タマ子とペイジ郎が全てを持ってっちゃったけど。
後半へ続く(まる子のナレーション)。

 

ヘボット!感想一覧

前話
ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想

次話
ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想