やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

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 Twitter等で見かけた話題について、何か思うことがあったら書くカテゴリ。メインコンテンツである作品の感想とは読む層が違いそう。

 

特撮

ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

――クウガ

―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

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―――クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想

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―――終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

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―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

―――555感想一覧

――

―――運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想

―――剣(ブレイド)感想一覧

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―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

―――響鬼感想一覧

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―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

―――カブト感想一覧

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―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

―――電王感想一覧

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―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

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―――仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

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―――手品のような作品『仮面ライダーエグゼイド』 本編感想

―――エグゼイド感想一覧

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―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

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―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

―――ジオウ感想一覧

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―――ゼロワン感想一覧

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―――セイバー感想一覧

 

戦隊

――タイムレンジャー

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――ゼンカイジャー

 

ウルトラマンZ

 

まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

――ヘボット!感想一覧

進撃の巨人

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

「もはやこれは仮面ライダーじゃない」
そんな声を毎年多く聞く。では仮面ライダーであるとは何なのかと問うたとき、仮面ライダーの名を冠する者すべてと過不足なく一致する定義を答えられる人はなかなかいない。

仮面を被り、バイクに乗る。その簡単な2項ですら、少なくとも劇中に描かれる限りでは守らないキャラクター達がいる。
ドライブが乗るのは主だって車であるし、RIDEを日本語の"乗る"と解釈しても、近年ではそもそも"乗り物"を持たない者もいる。直近だとバルカンやバルキリー……はかろうじて変身前に黒いバンに乗っていたが、滅亡迅雷の2人は現状、迅がゼロワンに馬乗りになっていたくらいである。
いわゆる複眼,触覚,Oシグナル,クラッシャーなどの外見的な特徴も、ひとつも持たないものこそなかなかいないが、たったひとつ満たしていればそれで良いのかと思う人も多いだろう。
改造人間であるか否かという点も、放送コードか何かによって守られていない。

現在ある程度の説得力をもって世間に受け入れられているのは、
・同族争い,親殺し,自己否定の3つを満たすこと
・悪の力を善に転用すること(敵と同じ力を使う)
・人間の自由のために戦うこと
くらいのものである。

以上の現実を踏まえた上で、「仮面ライダーの定義」を打ち立てることについて考えていくというのが本記事の主題だ。

 

目次

 

 

 定義とは何か

まずはここを確認する必要がある。言葉の定義というものは、決して客観的に存在するものではない。
定義とは、コミュニケーションをはかる際に誤解が生まれないよう、ある言葉から抱くイメージをひとつに統一しようという目的のもとに、多くの人が参考にできる拠り所を設けようとする行為である。
すなわち、その目的を共有できない人とは話がそもそも噛み合わないこととなる。
そして大前提として、「仮面ライダーとは何か」を考える際に参考となる大きな軸のひとつは、いわゆる"公式"の見解であることも改めて共有しておきたい。
多くの人がその"公式"の言うことにある程度の権威を感じていることは、彼らの持つ影響力というかたちで現れている。我々が受け入れるから彼らは影響力を持ち、その影響力がまた権威となって更に多くの人に受け入れられるのだ。
政治と同じく、公式の持つ権威は一人ひとりに受け入れられているということに基づき、逆に多くに受け入れられているものは公式でなくとも同等に扱う。
「悪の力を善に転用すること(つまり仮面ライダーは善でなければならない)」という定義は公式の言う"仮面ライダー"の多く、いわゆるダークライダーやネガライダーを振り落としてしまうが、僕の見る限りおいてはそこそこ支持を得ているので併記した。
個人としての僕はこれを支持しないが、「受け入れられている」という事実は受け入れているつもりでいる。
どんなに正しそうに見えても、多くの人に支持され共有されなければ「他者と誤解の少ないコミュニケーションをとる」という定義の目的を達成させることは難しいからだ。
(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

 


 "仮面ライダー"とは何か

いくつかの平成ライダー作品においては、仮面ライダーという呼称は劇中では使用されない(クウガ,アギトなど)か、出処が不明瞭なまま既知のこととして扱われる(龍騎,剣)。
対して『W』では風都市民が、『ドライブ』ではブレンが、それぞれ"仮面ライダー"という呼称を使い始めたのだと明言されている。
前者はそれでもぼやかされているからなんとか納得できるが、後者の「仮面の……ライダーだ! 仮面ライダーに警戒せよ!」というあのシーンには、強烈な違和感を覚える。
何故あのプロトドライブを見て"わざわざ"、仮面とライダーというその2つの要素を、その表現で、その順番で並べたのか。この疑問が出てくるのは、僕が視聴者という立場にいるからというだけではなかろう。むしろ視聴者でなく仮面ライダーという単語を知らない者こそ、抱いて然るべき疑問だと思われる。
ブレンがあの時あの場所で思い浮かぶ言葉は、それこそマスクドライダーでも、アーマードライダーでも、メットライダーでも覆面ライダーでも、なんでも良かったはずなのだ。にも関わらず(他作品と)示し合わせたように"仮面ライダー"になることに、僕は違和感を禁じ得ない。
市民が呼び始めたというのもブレンが名付けたというのも、どちらも「何故劇中の戦士が仮面ライダーと呼ばれるのか」に対する説明としての機能を持っているが、それは少なくとも僕の「何故"仮面"と"ライダー"の2要素を強調して呼ばれているのか」に対するアンサーにはならなかった。
僕はグローバルフリーズのスピンオフは見てないのでなんとも言えないが、そこではそんなにも"仮面"と"ライダー"を名前に付けたくなるような活躍が描かれているのだろうか?
仮面を強調するならば素面の存在がチラついていなければおかしくて、そうでなければ元よりそういうデザインの機械かもしれない。それでいくとダブルは正体を隠しているはずなので、変身体と別の姿(面)があるという発想を抱く理由が見当たらない。顔が見えない程度に変身するところだけたまたま目撃されたのだというロジックも組めるが、結局実際のところ「仮面ライダーと呼ばれる」という結論ありきなことに変わりはない。
仮面ライダーであって悪い理由はないが、仮面ライダーである必然性もまた、ないのだ。


では、平成ライダーが"仮面ライダー"と呼ばれるのは「『仮面ライダー』から続くシリーズであるから」で一旦片付けるとして、初代『仮面ライダー』まで遡って、「何故"仮面ライダー"なのか」という疑問の答えを探してみるとどうだろうか。
結論から言えば、見つからない。
開幕早々、画面上に映ったキャラクターに『仮面ライダー』というタイトルが重ねられることで、また主題歌やナレーションを通じて視聴者に対しては問答無用で示され、劇中内では本郷変身体=仮面ライダーであるということは、どうやらほぼ自明のこととして扱われている。
2話で初めて、バイクも何も関係ないのに唐突に「ライダー投げ」という技名らしきものを叫び、3話にて戦闘員がこれまた唐突に「仮面ライダーだ!」と呼ぶ。
味方サイドで自覚的に呼ばれるのは4話であり、少年が自分を助けた"あのお兄ちゃん"は誰かと問うたところ、「あれは仮面ライダー」だと説明される。
漫画版にしても、変身した本郷猛が自分から名乗るというだけで、唐突なことにそう変わりはない。
本郷猛が仮面ライダーと呼ばれるに相応しいかどうか、みたいな段取りは一切なく、なんなら流れとか雰囲気といったもので呼ばれ始める。

劇中で仮面ライダーと名付けられるのは現実世界でそう名付けられたからかもしれないが、更にそこへ「何故」を突きつけることもできる。仮面を名前にチョイスしたのはペルソナをテーマにするためかもしれないが、では何故ペルソナの要素を入れようと思ったのか。何故あのようなデザインになったのか。何故石ノ森氏に依頼されたのか。何故企画されたのか……。
このように、あることを説明するために使った事柄についての更なる説明を求めていくと、無限後退と言われる状態に陥る。
"根拠"とは言葉の通り根っこであり、ある事柄が成立するための前提条件である。無限後退している限りはいずれの前提も無根拠なものとなり、正当性(拠り所)を失ってしまう。


いちゃもんを付けて、否定したい訳では決してない。
ただ、仮面ライダー達が"仮面ライダー"という文字列で表されることに対する明快な"根拠"は、少なくとも劇中では示されていないということは、ひとつの事実として受け止めなければならない。
言語学ではこのようなことを言語の恣意性と呼び、そもそもそこに根拠など有り得ないとしている。

 

 


 意味の逆流現象

前項では「何故」をキーワードにそのルーツを辿ろうと試みたが、失敗に終わった。
ここでは「何故かはよく分からないが仮面ライダーと呼ばれている」という事実を受け入れた上で、それがどのような意味を持つのか考えていくこととする。

仮面もライダーも、どちらも本郷猛変身体という存在を記述するために、その所有物(マスクとバイク)を利用していることが分かる。
"仮面ライダー"というのは、「本郷猛の仮面とバイク」という認識から見て「仮面を被ってバイクに乗った存在(本郷猛)」という認識に主従関係が逆転しているのだ。
これは、世間的にショッカーという組織が「仮面ライダーの敵」と認識されていることと似ている。
ある集合の中の一部が、全体の意味に影響してしまうのだ。


仮面ライダー関連で似たような事例をもう2つ挙げよう。
『ディケイド』における小野寺クウガ。彼が地の石の力によって変身するライジングアルティメットというフォームがあり、それに対して「ライジングフォームはアルティメットの力が漏れ出た形態なので、"ライジングアルティメット"というものは有り得ない」という意見がある。
これはたまたまクウガがアルティメットの力によって力がRiseしている様子をライジングマイティなどと名付けただけであるにも関わらず、受け取り手が勝手にRisingという言葉そのものに「アルティメットによる」という意味を付加させてしまったことによる混乱である。矛盾があるとすれば、更に上昇する余地があるのならそれは"究極"ではなかったのではないか、という部分だろう。まぁそれも「名付けた者が究極だと思った(けど違ったらしい)」で済む話だが。

もうひとつは『フォーゼ』における如月弦太朗。「主人公の髪型がリーゼント」というだけで、抗議の声が殺到したそうである。
あの髪型にすることが直接的な"悪行"ではないはずだが、リーゼントヘアで不良行為をした誰かがいたせいで、髪型そのものに"悪い"という意味が付加されてしまったのだろう。
学校の規則を破ることはよいことではないが、そもそも規則としてあの髪型を禁止する時点で既にその意味の逆流が起こっている。或いは「何故」の通じない、よりプリミティブな不快感に根ざしているか。

このような現象は、我々のそばで日常的に起こっている。

 

 

 大自然が遣わした戦士

"定義"というのは、厳密には対象となる概念と過不足なく一致する必要があるので、これは定義とは少し違う話なのだが、僕の中での"仮面ライダーのイメージ"というのは、「たくさんいれば、色んなやつが現れる」という言葉で表現される。
ショッカーが自らの意のままに動く怪人たちをたくさんつくっていれば、いずれ一人や二人くらい意のままに動かない者が現れる……それが"自然"なことである、という観念。
これを「"仮面ライダー"と呼ばれる者」の定義にしようとすると、例えば本郷を逃がすことに協力した緑川博士の存在も含まれてしまうが、彼に仮面ライダーの名は冠されていないので、矛盾してしまう。

ショッカー怪人なのにショッカーに従わないだとか、仮面ライダーなのに悪人だとか、リーゼントヘアなのに悪いことをしないだとか、ショッカーが脳改造前に本郷を目覚めさせるだとか、実験のためとはいえ本郷に風力エネルギーを与えてしまうだとか、そう言ったことに対して我々が感じるある種の"不自然さ"や"おかしさ"。
しかしどれだけおかしい、有り得ないと思っても、実際に起こってしまっている以上、人間の認識には反していても、この自然世界のルールには反していない。すなわち"自然"なことなのだ。
この文脈でのより大きな"自然"のことを、人間が感じるそれと区別するために、ここでは"大自然"という言葉を使いたい。

 

実際の現象を前にしては、理論的に有り得ないだとか定義に反しているだとかそういったものは意味をなさない。事実こそがすべてであり、大自然の前では我々人間の理屈は常に泣き寝入りをするしかない。
一度雨が降ってしまえば、いくらその日の降水確率が0%でおかしいと感じても、降らなかったことにはできない。
うちの近くのスーパーでは、買い物の際に3円払うと"ゴミ袋"と書かれた袋を渡される。買ったばかりのもの、況してや食料品をその中に入れて持ち帰ることに僕は些かの抵抗を覚えるのだが、勿論"ゴミ袋"と書いてある袋に入れたからと言って、商品がゴミ(もう使えないもの)になる訳ではない。レジ袋として使えばゴミ袋と書いてあろうとも本質的にはレジ袋足り得る。
天気予報が外れることもあれば、ゴミ袋が想定外の使われ方をすることもある。

複眼(たくさんの目)に触角(アンテナ)、そしてOシグナル(第三の目)と、仮面ライダーの記号は「周りの状況を察知する」能力に長けているイメージがある。目は言わずもがな周囲の風景を、触角は温度や音,匂いなどを、第三の目はそれらを超越した直観や霊的感覚などを司り、ともかく全てに共通するのは"探る"のが役割だということ。ついでに言えばマフラーも、風の有無がひと目でわかる。
だから特に近年の仮面ライダーは、流行を取り入れ周囲に合わせ、得てして目の前にある現実を"受け入れること"がテーマ的にピックアップされることが多いのだと思う。

後になって、顔が特徴的なのもその周辺に情報の受信部が多いことも当たり前であって、わざわざ取り上げるようなことでもなかったかなとも思ったが、ご愛嬌。

 

"仮面ライダー"という新しく作られた概念は、何故かもどういう意味かも判然としないままに、本郷猛変身体を指して使われ始めた。
そしていつしか変身者が一文字隼人に変わっても、悪人に変わっても、バイクに乗らずとも続けて使われている。
ショッカー怪人がたくさんいればショッカーに歯向かう仮面ライダーが生まれてくるように、仮面ライダーも規模が大きくなれば色んなやつが生まれてくる。

何事も「もはやこれは〜ではない」と言いたくなる例外的存在は出てき得る。それが"大自然"の掟なのだ。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

 

 

 世界の破壊

ショッカー怪人だからと言ってショッカーに与するとも限らないし、仮面ライダーだからと言って正義の味方とも限らない。
改造人間という設定は、人間の体すら究極的には言葉と同じく、交換可能な"仮面"に過ぎないということを表している。
記号と、それによって表される意味。
言語はもちろん、それ以外のリーゼントという髪型や我々の顔のような視覚的な情報、聞こえてくる聴覚情報なども、すべて"記号"に過ぎない。
仮面ライダーのデザインは、どう見ても設定通りの強化された肉体というよりは服なのだが、"改造人間バッタ男"がショッカーの技術で複製可能なのと同様に、容易に取り替えられる衣服もまた人の外見を規定する記号のひとつである。
現代で言うところの"コスプレ"の延長線上に、なりすまし(擬態)はある。
実際、既に整形技術はかなり普及しており、かわいいだとか美しいだとかいう基準に合わせて顔を作り変えた結果、多様性がなくなり「皆同じような顔」になっているというような話も耳にする。
"そっくりさん"はつくれる時代に突入しつつあるのだ。

また俳優の藤岡弘、さんの事故の弊害であるとはいえ、中盤に本郷猛の過去の映像が使い回され、声を別の方が吹き替えていた時期がある。
これも結果的にだが、本郷猛だからと言ってあの声だとは限らないという、声の交換可能性を示す事柄となっている。
というか桜島1号とか新1号とかの登場回も見てみたが、声と同じく見た目が変わったことに対する説明らしきものは一切見当たらなかった。
だがそれらも全部「改造人間だから」で受け入れられてしまうのは、偶然というよりはこの設定の懐の深さを表していると言えよう。
すなわち、"仮面ライダー"の真髄のひとつは、この"交換可能性"という部分にあるのだ。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

インターネットが普及し、誰もが簡単に仮面を被ることができるようになった。
ゼロワンの感想にて詳しめに話したが、ゲームプレイワーキングと言って、自覚的にはただゲームをしているだけでその入力が何らかの仕事に変換され、働いているのと同じ成果を得られるようになるシステムというのも考案されつつある。これもまた、見えている世界と実際に意味する世界を乖離させるベクトルの力である。
もはや見た目も声も名前も物事の本質と直結せず、そもそも本質……攻殻機動隊で言うところのゴースト(代替不可能なもの)などあるのかという疑念に駆られるようになる。
だが、それは悪い面ばかりではない。何者でもなくなった我々は、同時に何者にもなれるようになったのだ。
白倉さんによれば仮面ライダーは自らの親を否定するというが、その意味では作品にしばしば登場する"おやっさん"という存在は、言わば親代わりと言える。
加賀美やじいやたちにとって、本来何の関係もないスコルピオワームが神代剣になり得るように、誰もが誰かに擬態できる。
ゴミ袋をレジ袋として活用することも当然できる。

従来信じられていた必然的な繋がりが破壊され記号と意味が分離した結果、「子供たちは仮面ライダーになれる」のだ。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 


 自らを由とする

記号と意味の繋がりが断ち切られ、破壊された世界では、存在はその背景や根拠,ルーツを失う。

人はそういった後ろ盾を持たない者に対して厳しい面がある。「ジクウドライバーはどこから来たのか」「ギンガって一体何だったのか(何年のミライダーで変身者は誰なのか)」などという疑問はいい例である。ビルドドライバーは、エボルドライバーを参考に葛城親子がつくった。だが、そのアレンジの発想の元や、そもそものエボルドライバーはどこから? と言った"由来の由来"、すなわち祖父母にあたる疑問は、目を向けられないことが多い。なんなら仮面ライダーの力の源について「現代の科学では説明できない不思議なパワーなのだ」という説明する気がない説明でも、何も言われないのと比べればそこそこ落ち着くだろう。

これを端的に表しているのが『龍騎』だ。
「映画は本編に繋がるループのひとつである」という言説は、それだけでは説明になっていない。何故ならタイムベントで時間を巻き戻す当事者である士郎が死んでいるので、単純には繋がり得ない。もちろん、他の誰かが神崎の研究資料を見てやっただとか、それなりに理屈を通して繋げることは不可能ではないが、上記の説明だけで納得している人は明らかにそこまで考えていないだろう。

ジオウ同様に説明不足も甚だしい電王が成立しているのは、例えば「教養の差だ」みたいな"説明してる風"のセリフがあるからだろう。
我々が抱く「何故?」とは、その程度の近視眼的で適当なものなのである。
親世代が無根拠であることを容認されるのならば、子世代が無根拠であることも理屈としては大差ない。


要するに、エボルドライバーの出自が気にならないのにビルドドライバーやジクウドライバーの出自だけを気にするのはナンセンスだ、という話。エボルドライバーの出自が宇宙のどこかの知性体だとするなら、その知性体のルーツも探らなければならない。これは先ほど言った無限後退である。
無限後退をしないのであれば、我々はいつか、背景を持たず無根拠で、他者との関係によって記述されない"孤高の存在"を受け入れねばならない。実際にそうであるかは関係なく、我々の認知の限界として"ナマの事実"は現れてくる。もしくは循環するか。

人は自分のルーツを求めて宗教による"説明"をしようとする。
だが無宗教の人が存在するように、また人をつくった神のルーツ(のルーツ)が語られないように、根拠など分からずとも存在できてしまうのが実情である。


従来は「自分は男だから力が強い」という文章が意味をなしたが、男だからと言って力が強いとは限らないことが分かると、男であることは根拠として機能しなくなる。
そこにあるのはただ「自分は力が強い」という事実のみである。
これは、"それまでの定義からの自由"を意味する。
定義がもたらす「男である→力が強い」「仮面ライダーである→正義の味方」「すずきやまとである→葛葉紘汰ではない」などの不自由から解放され、すずきやまとであった背景をかなぐり捨て葛葉紘汰になることができる。
これこそ、世界の破壊がもたらす恩恵である。

僕のハンドルネームである"やんま"は、由来としては所謂リアルにて友人にそう呼ばれていることが挙げられるし、更にその理由を求めると例えば眼鏡をかけていることだったり本名とも少しかかっていたりということになってくるのだろうが、そんな背景はお構いなしにネット上では"やんま"として、なんなら"やんまヘボ"として定着しつつある。
そう、例え一切根拠などなくても、名乗ること/呼ばれることによって名前というのは"定着"するものなのだ。


先程からキーワードをちょろちょろ出している『ディケイド』を絡めて説明するならば、士が世界によって役を与えられることを"役者"に見立てたとき、同じ現象が起こっていることが分かるだろう。
井上正大さんは門矢士に変身する。「門矢士として生きてきた背景」を当初の彼は持っていないが、撮影が始まれば門矢士になりすます。
しかし背景を持たないからと言ってその存在(井上氏演じる門矢士)が成立しないとか価値がないかと言えば、そうはならない。彼の声、表情、身のこなし……その一挙手一投足が"門矢士"として新たな価値を生み出し、定着していく。
『ディケイド』を好きじゃない人も自分の好きなキャラクターに置き換えて見れば共感できるだろう。仮面ライダーシリーズにおいてノンフィクションだった作品というのは現状ない。
背景の破壊というものを自覚的に扱った作品として、もうひとつ『電王』がある。味方側のイマジンズはルーツである"カイの未来"がなくなったことによって消えるはずだったが、そんな根拠などなくとも「いるものはいる」ということを示した。同時に良太郎のイメージを借りた存在でもあるが、後々良太郎がいなくても登場したり変身できたりするようになったのも、その傍証であろう。良太郎に両親がいないのもそれを思わせる。

 

悪の仮面ライダーや暴走するアナザーアギト(アギト)の存在によって、正義の仮面ライダーや木野アギトの名誉が脅かされるという意見がある。
だがしかし、"仮面ライダー"の称号という文字列や、アナザーアギトのような見てくれひとつにすがらなければ瓦解してしまうほど、彼らという概念は弱いものなのか。その個体が持つ要素の中からそれだけを抽出して、あとは"ないも同然"にしてしまうのか。
それらひとつひとつは所詮借り物の記号による一部分に過ぎない。例えばクウガのガワにも小野寺が出て来る前から先代という別の所有者がいるし、アギトの力もまた他の変身者が多数いるものであり、翔一と同型のアギトが存在し得る以上、個体差の問題として木野のものとよく似ているか全く同型のアギトが生まれる可能性がないと言い切る根拠はない。木野薫という名前にしたって、それほど珍しい訳でもないし、同じく木野という苗字の人間が悪事を働く可能性は十分にある。だがだからといって「木野薫に失礼」という立場からの批判はナンセンスだろう。決してこれらは専有物ではない。

では木野薫という概念とは何なのかをきちんと説明しようと考えると、"生き様"とでも言えるような網羅的なものでないといけない。
それをたった一言で表現しようとするならば、木野薫とは木野薫であり、仮面ライダーとは仮面ライダーである……という、トートロジーに落ち着くことだろう。

下の記事の"テーマ"という項で、ダークライダーの存在意義について詳しく書いてるのでそちらも是非。
(参考:仮面ライダーディケイド 6,7話「バトル裁判・龍騎ワールド/超トリックの真犯人」 感想)

 

先に用意された仮面ライダーという集合の"定義"に構成要素たる本郷猛たちが従うのではなく、その名を冠する者たちの生き様そのものが逆流し"仮面ライダー"という概念の意味をつくりあげていく。
それがこの"定着"という現象の意味するところだ。

名が体を表すのではなく、体が名を表す。
彼らに背景の有無は関係なく、仮面ライダーだから仮面ライダーなのだ。

そういう意味で、とにかく顔に「カメンライダー」と書いてあるから仮面ライダーであるというジオウの(言語学的な)スタンスは子供向けとしても至極真っ当と言える。

 

 

 

 仮面ライダーの敵

既存の定義にもあるように、仮面ライダーの敵はそのルーツである場合が多い。このことからも、仮面ライダーの無根拠性が顔を覗かせる。

敵組織の中でも最初の敵であるショッカーに注目すると、「ナチスドイツの残党」という点がひとつ挙げられる。
あいにく僕は社会科、とりわけ歴史を毛嫌いしているので詳しいことは知らないのだが、ショッカーとの類似性という視点から語る上で重要になるのは、やはりその優生学的な側面だろう。
改造手術によって動植物の特徴を移植し、強化された人間をつくる。そしてそれに適応できない者は(強制労働の末に)殺されてしまう。

ここに現れているのは、超人的な人間だけによる無駄のない世界にせんとする、息の詰まるような思想だ。
僕は発達障害を持っていて、最近は同じ障害者(身体精神など問わず)が集まる施設に通っているのだが、自分も含め、我々障害者が他人と関わりながら迷惑をかけずに生きていくことがなかなか難しいのは、悲しいかな事実ではある。
そういった負の面を日々感じている身からすると、「人類全体のことを考えたら障害者はいない方がよい」という意見を、無下に扱うことはできない。

障害者に限らずとも、例えば一部の犯罪者などは今でも実際そのような判断を下されて死刑となってしまっている。

健常者も他人事ではない。日常生活は問題なくおくれていても、人類全体というマクロな視点に立った時には、一挙一動がバタフライエフェクト的に損をもたらしている可能性はあり得る。例えば安くて質の悪い商品を妥協して買う判断は、技術の発展を遅めている一因であると言えるかもしれない。より高く質の良いものに需要をもたらすためにはよりお金を稼ぐ必要があり、その為には自らもより質の高い生産をしなくてはならないというスパイラルに陥る。その先にあるのは、小さな幸せに満足することなど許されない世界だ。
(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

以前の記事にも書いたが、僕は人類に与えられた自由があるとすれば、それは「最善を尽くさない自由」だと思っている。
将来のことを考えたら何か身になることを勉強した方がいいと思いつつ、漫画を読んだりテレビを見る自由。もう少し痩せた方がいいと思いつつ、お菓子を食べる自由。選挙に行った方がいいと思いつつ、行かない自由……。

"正しいこと"という概念は、人の自由を奪う。僕は「自分の意見が正しい」と感じているとき、きちんと説明して伝われば、遅かれ早かれ全ての人が同じ考えになると信じている。この「全ての人が同じ考えになる」ことこそ、"世界征服"そのものである。

そしてそれはとりもなおさず、冒頭で示した定義という行為(ある言葉から抱くイメージをひとつに"統一"する)に繋がってくる。

 

それと敵対することから、「(誰かにとって)正しくなくてもよい」ということを示すのが、仮面ライダーであるとも言える。
ショッカー首領にとっては、全ての人間が改造され自分の意のままに動くことが"最善"なのだろう。だがそうでなくてもいい。例え自分に不利益をもたらすことであってもそれをする(利益をもたらすことをしない)自由、すなわち愚行権の許容である。
逆に仮面ライダーが次々と生まれるように、同時に敵組織も毎年生まれている。これが許されるのは、敵組織も仮面ライダーにとって正しくなくてよいということを認めなければならないという矛盾を孕むからだ。

この"矛盾"という言葉についても少し考えてみたい。
この熟語の由来は「どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも貫けない盾があったらどうなるのか」ということに対する違和感を表したものであるが、一度立ち止まって考えたとき、この矛盾という現象は、言葉の上でしか起こらないことが分かる。
この自然世界では、どちらかが勝つとか、確率的にどちらが勝つか決まるとか、対消滅するとか、何かしらの結果が必ず出る。
このようにきちんと結果が出たならばそれは矛盾とは言わないだろう。
すなわち、矛盾というのは何かしらの「人間の勘違い」に基づかなければ成立しない概念なのである。不自然なことなど、起こり得ない。

フィクションの設定についても同様のことが言える。
"設定"というのはあくまで現象に対する解釈に過ぎず、たまたま創作物ではそれを先行させることができるように錯覚してしまうだけ。
少なくとも今の僕は、既に起こってしまったことを前にして「有り得ない」などと言うのはナンセンスに感じるので、現象ありきで考えることにしている。指摘したからと言って撤回される訳でもないし。
「人間にとっておかしく見えること」など、大自然にとっては問題ではない。
自分のおかしいと思う基準(正しさ)を大自然に対して押し付けることは、できない。仮面ライダーはそれを体現する存在なのである。

 

 

 

 "仮面ライダー現象"/自然と自由の象徴として

長々と語ってきたが、一言でまとめるのならば「分かったような振りをして定義することによって仮面ライダーから自由を奪うこと自体が、仮面ライダーの理念に反している」ということになる。
人間はこうして短くまとめてもらわないと、脳の処理能力が追いつかなくてなかなか理解できない。書いてる僕本人でさえ全容をきちんと把握しているか怪しい。
だからいくつかの事実を"例外"として目をつむり、より簡単でキャッチーな理解をしようとする。
"仮面ライダー"とはそういった規格からはみ出るものが現れる"大自然の掟"そのものであり、現象の名前であると僕は捉えている。その名を冠するキャラクター達はあくまでその現象の代表として、象徴として、表舞台に立つだけであり、緑川博士やイマジンたちも"現象としての仮面ライダー"には含まれる、というのが持論である。


しかし、その人間の限界もまた自然なこと。
最初に挙げたいくつかの「仮面ライダーの定義」は、既にある程度定着している。定義というものはそのように人々の間でイメージが共有されなければ目的を果たさない。
ゴルドラとシルバラがいくつかの媒体で仮面ライダーの名を冠されたが現在あまり定着していないように、仮面ライダー足る資格というものがあるとするなら、それは人々に広く受け入れられるかどうかということになるのだろう。
そういった意味で、悪人を仮面ライダーとは認めないとする者が生まれるのも自然なことであるし、逆に認める者が生まれるのも自然なことだ。もちろん制作側があるキャラクターに仮面ライダーの名を付けようと思うこともその範疇であるし、そういった人たちが自由に議論を重ねることもまた、仮面ライダーという概念をつくりあげていく自然選択のひとつである。


現象としての仮面ライダーには、我々も含まれている。
我々もまた大自然に遣わされた存在として、自由に生きることができる。
仮面ライダーの定義を決めるのは、石ノ森先生や本郷猛、白倉さんや況して僕ではなく、その全員を含めた集合知としての大自然であろう。

 

 


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特撮雑談クラブ 第19回「ゼロワン」

7/23(土)21:00〜に行った特撮雑談クラブ 第19回「ゼロワン」の書き起こしです。

 話題候補
夢と笑い、不必要なもの
AIとの共存、命の価値と同一性
お仕事の扱い方
意志と責任/本能とプログラム
社会秩序と社会正義
動機,手段,結果の善悪
令和シリーズ

 

youtu.be

 

やんま「特雑 第19回「ゼロワン」を始めたいと思います。今日は基本『ゼロワン』の話がメインになるんですけど、『ギーツ』も発表されて、脚本が高橋悠也さんってことで。ちょっと『ゼロワン』について改めて、良しにせよ悪しにせよ話してみようじゃないかという回です。
僕は結構『ゼロワン』は手放しで好き派というか。世間的には「最初は良かったけど……」みたいなのが多いですよね。途中微妙になって、まぁ最後ちょっと良かったかな? ぐらいの……あと映画は好評かな、くらいの認識ですけど」
 SONGENさん参加

SONGEN「令和4作目も」
やんま「そうですね、発表されて。なんだかんだ制作陣的には、好評というか、買われてるって感じなんですかね、高橋さんは。白倉さんも使ってたし」
SONGEN「お試し感ありましたけどね、『アマゾンズ』は。買われてるんじゃないですかね、やっぱり。ちゃんと1年脚本書き続けられる人って」
やんま「それは大きいですよね」
SONGEN「あ、予め明らかにしておくと、僕は『ゼロワン』否定派なので、やんまさんから何か投げかけてもらったらそれに対して……」
やんま「あぁ、そういうかたちでいきますか。じゃあとりあえず(話題候補の)上から。『ゼロワン』がテーマをちゃんと扱えてたかどうかみたいな話になるのかな?」
SONGEN「テーマね」

01―不必要なもの

やんま「まずゼロワンって名前は僕結構好きで。好きっていうか洒落が利いてていいなと思うんですけど。
"令和"もそうだし、1作目だから01ってのも分かるし……しかも、1っていう数字を表すのに0ってつける必要ないじゃないですか、1(one)でいいところを、わざわざ01(zero-one)っていう表現にするっていうのは、ヒューマギアもそうだけど「本当は要らないもの」……絶対必要って訳じゃないんだけど、あったらいいなくらいのもの? についての話なんだよっていうのがちゃんと表れてて、すごくいい名前だなと思うんですけど。
っていうのは、ヒューマギアとか、夢っていうものとか、あと笑い……人生についての笑顔とか、そういう、まぁなくても生きていけるけど、でもあったらいいよねぐらいの。ヒューマギアはちょっと難しいとこではあるんだけど」
SONGEN「そうですね、そんなこと言ったら仮面ライダーみたいな娯楽もそうですよね。あってもなくても。仕事とかもね、結構俺そういうものだと思うんですよね。サービス業とか、別にあってもなくてもみたいなところありますよね。なくちゃいけないのもあるけど」
やんま「はいはいはい、そうなんですよね。本当に必要な仕事ってなかなか……まぁインフラとか、警察とか……警察は最悪なくてもいいけど」

転売の善悪

SONGEN「転売みたいなね、本当になくていいのに、そこに無理やり価値を生み出そうとすることもありますけどね」
やんま「いやー、僕転売……」
SONGEN「転売肯定派でしたっけ?」
やんま「肯定派!?(笑) 肯定派っていうのともちょっと違うけど、何が悪いのかまだ実感してない派だから……。自分の欲しいものが転売屋のせいで買えねぇみたいな経験がないからかもしんないけど。逆に、転売屋って言われるものなのかなって思う人から買うことも結構多いから」
SONGEN「あぁ、買ってるんだ」
やんま「んー、あれですよね。直後に高い値段で出してるとかじゃないけど、数年語に新品で定価よりちょっと高めに出してるみたいな人。それもまぁ、転売っちゃ転売だよね新品なんだからっていう。その人が買って、使わないで取っておいてくれたおかげで、まぁ売れ残ってんだか、自分が使うつもりで取っといたのがたまたまやっぱ要らないってなったのかは分かんないけど、それのおかげで僕は買えてる訳だし」
SONGEN「昔はそういうのもあったかもしれないけど、今やってるのは明らかに、在庫枯らして値段釣り上げてみたいなことやってるから、それは違うなと思いますけど。元々あった川の流れを無理やりストップして、旱魃してる地域に水ですよって配ってるみたいな例えがありますけど」
やんま「なんかそれもねー難しいとこですよね。『ゼロワン』のテーマとも繋がってくるけど、転売屋個人個人の善悪とちょっと別の次元の話じゃないですか、それって。テンバイヤー集団としての、集団全体として結果的にそうなっちゃってるだけで……」
SONGEN「いや、そんなことないですよ。集団でやってますよ転売屋って。この在庫枯らそうってみんな示し合わせて在庫枯らしたりとかやってますよ」
やんま「あ、そうなんですか!? へぇ……それはあくどいっすね、確かに。あくどい……うーん。基本はねぇ、市場経済って早いものがちで回ってるから」
SONGEN「資本主義としては間違ってないらしいんだけど。それだけで済むものじゃないじゃないですか、気持ち的にも。『ヒーローと正義』にも、資本主義とか民主主義じゃなくて功利主義だみたいな話ありましたよね、そういう(pp.156-164)。いま資本主義ってことになってるから、この世界は。まぁ見方によるってことですよね」
やんま「功利主義ね……功利主義の考え方でテンバイヤーってなんとかなるのかな……あれですよね、最大多数の幸福みたいなやつですよね。
んーやっぱ釣り上げの値段の度合いにもよりません?(笑) 100円200円とかだったら全然……」
SONGEN「限定品が東京でしか販売してなくて、その交通費分だったら安いかみたいな気持ちで買っちゃう人とかはいるんだろうなって。まぁそういうときは、そんな限定品つくるなよって思いますね」
やんま「東京とかで品薄らしいって話を聞いてるけど、僕の周りでは結構普通に在庫あるなぁみたいなこと結構あるから、ちゃんと転売屋さんがうまく、必要なところで活躍してくれればいいのにな、世の中ちゃんとうまく回るのになって思うんですよね」
SONGEN「まぁそれだったらね、胴元がちゃんと通販してくれるとか、そういうことがあればいい訳であって」
やんま「通販ね……それもだって、利回りがちゃんとしないとできない訳じゃないですか。それを個人個人が勝手にやってくれるんであれば、それは便利っていうか、なんて言う? Wikipediaみたいなシステムですよね。善意の一般人に任せて、価値ある体系をつくるっていう」
SONGEN「まぁ善意ならね」
やんま「メルカリって割とそれに近いところあるなと思ってて。まぁ悪意ある人もそりゃいるけど」
SONGEN「価値ある資源を……SDGsみたいな、そういう空気もちょっとあれですよね、息苦しいですよね。俺は地球単位で言ったら別に、人類が地球を滅ぼしてしまってもいいとは思ってるけど。まぁでもよくあるじゃないですか、人類は地球に住む寄生虫だみたいな。それも分かるなっていう」
やんま「人間ね……別にだから生物って必要だから生まれてる訳じゃないんだよな(ヒューマギアを念頭に)。地球もね、あってもなくても変わんないし(笑)」
SONGEN「まぁ地球はね、人間がいて、観測されて初めて……みたいな考え方もありますよね。なんか、なんの話をしてるのか(笑)」

白暗三原則・親殺し,同族争い,自己否定

やんま「価値あるもの、価値を見出す存在が人間しかいないから、人間中心の考え方になるのはしょうがない……っちゃしょうがないんだけど、そこにヒューマギアが現れたら、っと多様なものの見方になるんじゃないっていう話、『ゼロワン』は。
そう、ヒューマギアってだから根本的に人間とは違うんですよね、根っこのところが」
SONGEN「ヒューマギアというか、人工生命体シリーズは『ドライブ』から……グリードも人工生命体っぽかったけど、『ドライブ』からやり始めたなぁと思って。見てないんですけど、ちゃんとは。『アマゾンズ』もそうじゃないですか、人がつくった怪物みたいな。改造人間は人間にくっつけてたからあれだったんですけど、『アマゾンズ』俺すごい気持ち悪かったのは、人工生命体だからってところなんですよね。受け入れ難くて。SF的にはよくあるテーマなのかもしんないけど、人間がつくったものだから結局"子殺し"になってくるじゃないですか。だからそこがなんか違うのかなって思ってます。Season2だと本当に子供殺してるけど」
やんま「なんか考えてて思ってたんですけど、平成ライダーシリーズって言うほど親殺ししてないなって。どっちかっていうと同族殺し寄りじゃないですか? 基本がというがベースが。『クウガからして、別にダグバって親じゃないし」
SONGEN「まぁ親殺しって言い始めたのは白倉さんだから、『クウガ』は……」
やんま「そうそう。白倉さんうまいなって思うのは、あの三原則は決して善悪については語ってないってところが。親殺し同族殺しって言うけど、その親とか同族って相手が善か悪かによって本人の善悪も決まる訳だから。悪い親を殺すんだったら善……だし、良い親殺すんだったら悪だしっていう。まぁだからダークライダーもアリなんだよって。
あの三原則をどの辺で言い始めたのかはちょっと気になるんだよな」
SONGEN「俺もよく分かってない……『ヒーローと正義』には載ってなかったな。なんとなく知ってますよね、みんななんか」
やんま「それこそWikiとかにね、載ってるから。仮面ライダーの定義って。一番"親殺し"なのは『アギト』ですよね。まぁ殺してないか、殺してないわ」
SONGEN「大事なのは"自己否定"なんじゃないかなって思うんですよね。それこそ必要ないものなんで、ヒーローなんか」
やんま「なるほどね、自己否定ね。その観点から言うなら、確かに『ゼロワン』は自己否定はしない……し『エグゼイド』もしない」
SONGEN「まぁ、作風が明るくなっていきましたよね。変に話の展開でウジウジ悩んだりとかするところはあるけど、自己否定まではしない。むしろ楽しくヒーローやってるみたいな感じが」
やんま「最近はなんか楽しさ優先ですよね。『セイバー』はシリアスだったけど、バトルに関しては」
SONGEN「でも『セイバー』も割とヒーローやることに対して前のめりというか、俺が救うんだみたいな」
やんま「なるほどね、ヒーローごっこみたいな文脈で……それはある。前向きではあるか。『リバイス』はアレだし。『ギーツ』どうなんだろう自己否定やるのかな、やんない気がするけど。
"仮面ライダー"の定義の話します? 『ゼロワン』の」

仮面ライダーの定義

SONGEN「見つけたんですか? 仮面ライダーの定義(笑)」
やんま「まぁ定義は……昔記事を書いた通りなんですけど、定義なんてなくていいよって思ってる人なので(参照:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)。
『ゼロワン』における定義って、まぁ『令ジェネ』の文脈っていうのもあるし……基本だから『ゼロワン』の世界では名乗ったもん勝ちというか。本人が「仮面ライダーでありたい」と思ったらそれは仮面ライダーなんですよ、だから別に定義とかって必要なくて。結局その本人の自由意志(意思表明)があるかないかっていうのが一番重要なとこなんですけど。
それで言うと公式読本読んでて、マギアとレイダーも一応仮面ライダーとしてデザインされてるっていう話があって。第1話の予告でベルト(ゼツメライザー)で変身してたから、怪人もライダーみたいに扱われるんじゃね? みたいな話が当時ありましたけど。Vバックルみたいだから。
蓋を開けてみたら意外と普通の怪人だったんだけど、でもよく見るとちゃんと仮面ライダー的な複眼があって、一応仮面ライダーとしても見れるようにデザインされてるらしいっていうのがあって。
だから名乗ってないだけでアイツらも一応ライダーっちゃライダー……そう解釈してもいいかなぐらいの存在なんですよね」
SONGEN「システム的な? ……とかじゃなくて?」
やんま「まぁシステム的な話と解釈してもいいし……うーん……。まぁマギアはちょっと微妙なんだけど、レイダーなんかは特に――」
SONGEN「自由意志の」
やんま「自分の立場とかを守るために関わってる訳じゃないですか」
SONGEN「小さい正義ってことですか。レイダーって五番勝負編の」
やんま「そうそう。『龍騎』のやつらと同じみたいなもんなんですよ、自分の願いのために戦ってるって意味でライダーなんですよね、彼らは。ライダーってかレイダーだけど」
SONGEN「レイダーってどういう意味でしたっけ、追う者?」
やんま「レイドは襲う……かな。レイドバトルとかのレイドですよね。マギアは魔法使い……(みたいなニュアンス)。
だから『令ジェネ』の話になってくるんだけど、其雄が示した仮面ライダーの定義っていうのは、自分の笑顔は自分で戦って掴み取るっていうのが根本の理念としてあって。だから其雄はフォースライザーを滅亡迅雷に渡したり、ゼツメライザーを一般販売してる訳ですよね」
SONGEN「一般販売して……自分で身を守れよみたいな話でしたっけ」
やんま「ヒューマギアはこのままだと人間に抑圧されて権利が侵害されちゃうから、それに対抗するために武器をとって戦おうぜっていう」
SONGEN「そもそも最初の滅亡迅雷編の滅亡迅雷の行動があんまりよく分かってない……でもあれか、データを集めるかなんかでしたっけ」
やんま「そうそう、ゼロワンと一緒で、ゼツメライズキーの戦闘データを集めるっていう」
SONGEN「あれはでも、勝手にヒューマギアを暴走させてるのであって、そんなに自由意志みたいな感じはしない……」
やんま「それもねー。例えば、戦争に行ってる兵士って自分の意志で戦ってる訳じゃないじゃないですか。あれは、上司の命令っていう義務感とか、自分じゃない何かに突き動かされて、人殺しっていう普段じゃありえないことをしてる訳ですよ。普段の自分だったらやらないことを。っていう意味で、無理やり兵士にする……徴兵制と一緒ですよね。正義のために戦う尖兵にするっていうか(誰かが戦わないと、自分たちヒューマギアが笑える世界はこないので)。悪役として通ってるけど、100悪とは言い切れないくらいのニュアンスで捉えてもいいものかなと思ってて」

1クール目の敵

SONGEN「滅と迅が人間に反旗を翻そうとしたのは、ラーニングしたからなんでしたっけ。悪意を」
やんま「滅と迅は、アークにそう言われたから滅ぼすって言ってるだけ、かな。別に本人たちが人間たちに何か酷い扱いを受けたとかはそういうことはなくて」
SONGEN「じゃあそのときも別に自由意志みたいなのがあった訳じゃない……」
やんま「なんかあれですよね、ヒューマギアにとって命令に従うっていうのは、だからごく自然なことなんですよ。当たり前っていうか、本能的なものっていうか、まぁそれは人間も割とそうですけど、指示されたらとりあえず従っとくっていう。そういうものとしてつくられてるし、アークもそれを分かって道具として使ってるし。
迅が破壊されるとき、16話のシーンで、それこそ或人に「人間がお前らに何したっていうんだ」って問いかけるシーンがあるんですけど、それに迅が「知らないよそんなこと」って。「滅にそうやって教えられてきたんだから」って。これは絶対『ONE PIECE』の魚人島編のホーディだなっていうのが見返してて思って。
ホーディはなんか、『ONE PIECE』って一章が長いから、その長い一章のラスボスとして、何も背景がないやつが敵っていうのは、なんか僕は当時納得いかなかったんだけど結構。納得いかないっていうか、フカボシが「あいつの正体が分かった!」って言ってなんか勿体ぶるじゃないですか、あのとき。さもすごいことかのように言うんだけど、結局空っぽってだけだから「あ、そう……」って感じだったんですよね。だからそれを、所詮"1クール目の敵"ぐらいに収めて描いたのは、その魚人島編(伝聞による差別意識)のオマージュとしては結構いい手法だなと思った」
SONGEN「あぁ……まぁ本当にオマージュかどうかはさておいて。1クール目は1クール目ってことなんですよね、だから」
やんま「なんか最近の作品って、1クール目をどう誤魔化すかみたいな雰囲気ありますよね。まぁ販促もこなさないといけないから、本筋はほどほどにしといて……デッドマンズとかも結局終盤まで敵対する訳じゃなかったし。1クール目を繋ぐためだけの役っていう」
SONGEN「1クール目は結構大事なんですよね。まぁでもキャラクターは残しつつみたいな」
やんま「ギーツのデザイアグランプリも多分1クールで終わるんだろうなって思ってて。だって五番勝負編があれだけ不評だった訳だから、いつまでやってんだよ感……」
SONGEN「まぁ1年かけてデザイアグランプリはしないでしょうね、多分ね。それはおいおいってなるからな確かに」
やんま「っていうところで『ゼロワン』の1クール目は結構"サバいてる"感じがして。プログライズキーも結局その「ゼアがつくりました」で済ましてるから、描きたいのは結局仕事? に注力してるっていうか」

AIの文系的/理系的捉え方

SONGEN「結局なんか、視聴者とのズレっていうのはやっぱり、AIものとお仕事もの、どっちなのかみたいな」
やんま「んーどうなんでしょうね、そこは別に僕ズレてないと思うけど」
SONGEN「あ、視聴者がズレてるってことで。視聴者が勝手にAIものとして見てたっていう」
やんま「あー、いやだって、AIって仕事の話じゃないですか」
SONGEN「まぁ活かすものとしては……。その、『ゼロワン』はホントは現実に即したAIものなんだけど、なんかよくある文学作品でのAIもの,アンドロイドものだと勝手に勘違いして……っていう。文系から見たAIものっていうんですかね。AIつくってるのは理系の人たちじゃないですか。でも結構もうSFとしてのAIものっていうのは文系が割と先に色々やってて、そこでなんか倫理観とかロボット三原則とか、それこそ石ノ森作品でもやってるんでしょうし。割と手垢が付きまくってるから、そこで勝負をするつもりは最初からなかったのか……どうかは知らないですけど。大森さんの口ぶりからしたらやっぱりお仕事ものが先にあって、なんとなくAIものやりたかったんでしょうね。本当に何となくだったと思うんですよね、最初は。『エグゼイド』終わった時点で別にやりたいことはなかったらしいので。急に無理やり『ビルド』やれって言われてつくったみたいなこと言ってたから」
やんま「『ドライブ』『エグゼイド』で多分勉強したんでしょうね、AIについて」
SONGEN「したのかな。でも監修はついてますよね、だから」
やんま「多分『ドライブ』の時点でAIについては割と描いてるから、その時点で大森さんはちゃんと調べてるんですよ。ロイミュードをやるにあたって」
SONGEN「どうなのかなぁ……やでも、そこがなんか言及が少なかった気がするんですよね、なんか。インタビュアーとかもそんなに突っ込んでなかったし。『ドライブ』でもやってますよねみたいなのなかったと思う」
やんま「でもそういうツッコミって割とオタク的っていうか、あんまりしなくないですか? 公式で。まぁ最近はねぇ、ちょっとオタクっぽいインタビュアーも増えてるけど」
SONGEN「確かに前作ではこうでしたがみたいなことは言わないのか」
やんま「夢っていうキーワードも多分『ジオウ』から引っ張ってる部分も半分くらいあると思うんだけど」
SONGEN「確かに『ゲイツ、マジェスティ』は『ゼロワン』よりよっぽど夢を描いてたっていう」
やんま「そう。王様になりたいとかさ、ソウゴの夢が現実になっちゃうとか」
SONGEN「結構リアリストなんですよね、大森さんは」
やんま「うん……だから多分頭……いいんだと思いますよすごく」
SONGEN「そうですか?(笑)」
やんま「僕はそう思う」
SONGEN「まぁそう思いたいんだとは思うけど……頭良さそうに見えたことはない」
やんま「まぁね、インタビューとかはアレだけど。喋ってるとき頭良く見える人ってなかなか……難しいですよね」
SONGEN「勉強はできるんだと思うんですよ、勉強は。でカリフォルニアにいったんだと思うけど」
やんま「うーん……創作に向いてる頭の良さとはちょっと違うかもしんないけど、もしかすると。まぁ本人が創作する訳じゃないんでね」
SONGEN「結構『ゼロワン』は割と、大森さんが出てるなっていうのは感じて。だから高橋悠也は悪くないんだって言いたい訳じゃないんですけど。多分どっちも倫理観は歪んでると思うんだよな二人とも。すぐ性悪説っていうところ……それは多分『リバイス』にも引き継がれてしまってるから良くないなと思いますけど」

或人の面白みと倫理観の欠如

やんま「倫理観……倫理観が歪んでるって、表現が難しいですよね。じゃあ実際に高橋さんがなんかヤバいことをしでかすようなサイコパスかっていうとそれはまた違う話じゃないですか。あくまで創作物の中でヤバいことさせるのが好きっていうか、それは別に全然普通(?)っていうか」
SONGEN「飛電或人が子供番組の主人公としてどうなのかってところは、そんな言ってなかったけど結局はそこだと思うんですよね。無邪気に或人かっこいいって思う子供はいるんだろうけど、大人になって見たときに「やっぱりこの主人公ちょっとおかしいな」ってちゃんと気付いて欲しいというか。それで、或人はすごいな! ってまま行って欲しくないというか。どうなんですかね」
やんま「……僕はその、「或人おかしいな」までは理解した上で「いや、でもね」ってところまで行ってる人なんでアレですけど、そこは別に否定しないですけど(笑)
或人はストレートに良いヤツとして捉えちゃうと、面白みに欠けるキャラだと思う。やっぱどこかヤバいやつとして僕は楽しんでるから……ソウゴの魔王っぽさもそうですよ。そういう危なっかしさがいいっていう。"そういう娯楽"ですよね」
SONGEN「そうでもいいんだけど、それをちゃんと……ちゃんと見せようとした結果がアークワンなのかどうかは分かんないんですよね。結局外部の悪意のせいにしてしまってるというか、或人が悪くて闇落ちした訳じゃないんだみたいな。じゃなくて、やっぱ悪意があるからいけないんだみたいな。或人ですら悪意(    )だけなんだみたいな風に言われてしまって」
やんま「いやでも描かれ方としては普通に或人が悪いっていう……あれだと思いますけど。劇中人物は或人の肩を持って、きっとあれは或人の意志じゃないとかって……やってましたよね? 或人の意志じゃないと思ったけど、やっぱり或人の意志だったっていう。ゼロワンの戦闘の動きが一緒でっていう。
まぁ結局、じゃあアークワンが何やろうとしてたかっていうと、滅に倒されようとしてたんだってところに落ち着いちゃったから、そういう意味ではちゃんと描いてないと言えば描いてないかもしんないけど……でも基本的に、セリフ的な意味とかとはちょっと別の次元で、或人って割と人相悪い……ですよね(笑) 人相悪いっていうか、険しい顔し過ぎっていうか、そういう(非言語的な)ところで或人の怖さみたいなのはちゃんと描いてるとは思うんですよ」
SONGEN「ゼロワンが人相悪いですよね」
やんま「割と無機質な感じじゃないですか?」
SONGEN「無機質の怖の怖さというか。『Over Quartzer』の最後が一番怖いと思いますけどね。「始まったなぁ〜!」って」
やんま「あれ怖いんだ、僕めちゃくちゃアガっちゃったけど。あれめちゃくちゃ好きです。まぁ『ジオウ』が好きだったからっていうのもあるけど」
SONGEN「どこまで自覚的なのかっていうのはちょっとね……そこの話なんですよね、結局。俺は多分、ちゃんと考えなかった結果歪んで出力されてしまったと思ってるけど」

責任という概念のない世界

やんま「自覚してないとこの話は書けないと思うんですよね……ちゃんと押さえるべきところは押さえてて。メタルクラスタの前の回かなぁ? で、ちゃんと天津に「今あなたの心を支配するものこそ、紛れもない人間の悪意だ」つって指摘させてるし(これは22話だが、21話でも似たような話はしてる)。メタルクラスタとは別に。まぁアサルトホッパーのアークの力使ってるから(外的要因のせいにしてると言われれば)それはそうかもしんないけど。
そのセリフをちゃんとフォーカスして見てみると、『ゼロワン』の中で主に扱われてる"悪意"っていうのは「誰のせい」っていう風に割り切っちゃって、一方的に責めることが悪として描かれてる部分はあると思ってて。或人が全部天津のせいだっていう風に責めるのも人間の悪意として描かれてるし(、滅亡迅雷が環境破壊、マギアたちがいじめに対して人間が全部悪いから滅べばいいって主張するのも)、これはちょっと作品外の話になるけど、全部ヒューマギアつくってる飛電社が悪いじゃんって風に言っちゃうことも、一個の悪意だと思うし……悪意っていうか"敵意"ですよね。
『ゼロワン』が描きたいのは、責任っていう概念が存在しない世界なんですよ。っていうとちょっと言い過ぎだけど」
SONGEN「"責任っていう概念が存在しない世界"……すごい(笑)」
やんま「誰かのせいにするっていう概念自体要らないんですよ、ホントは。そういう考え方があるから、誰かをそれこそ敵にして、やり玉に上げてっていう話になる訳ですよ。誰のせい? 誰のせい? っていう(多分『20世紀少年』の話)」
SONGEN「じゃあ僕が大森先生のせいだと言うのも……」
やんま「そうそう、それは別になんか(多分誤解して勝手に話広げてる)……うーん。責任がない世界っていうのは、即ち自由意志がない世界ってことにも繋がるわけで……SONGENさんが大森さんを責めるのはSONGENさんのせいじゃない、ってことはSONGENさんは自分の意志でそれをやってるんじゃなくて、例えば大森さんの行動がちょっと勘違いさせるようで悪かったかもねとか、ちょっと高橋さんも悪かったよねとか、周りの環境のせいにしてしまうことで、本人の意志が尊重されなくなるっていうか。関係なくなるんですよね、あってもなくても。
"意志"にも2種類あって、既に起こったこと,過去に対する意志が"責任"っていう考え方で、未来に対する意志っていうのが"夢"っていう描き方だったと思うんですよ。既に終わったことをぐちゃぐちゃ言ってもしょうがないっていうか」
SONGEN「すごい話ですよね」
やんま「まぁヒューマギアは現在進行形でつくられてる訳だから終わったことじゃねぇだろって言ったらそれはそうなんだけど」
SONGEN「なんかね、檀黎斗もそうなんだけど、新しい価値観のイノベーションが起きる瞬間の話ですっていう風にしたいんだったら、ヒューマギア革命を起こそうとしている……檀黎斗だったらデータ生命を誕生させようとしてるみたいな話だったら、まぁ通るのかな? って言うとおかしいけど、綺麗には見えると思うんです。でもなんか、それを肯定もしてないというか。いいのか? それっていう。既存の倫理観に切り込んで新しいものをぶつけてきてるんだったら、それは挑戦作だなって言いたいけど、そうはなってないかなって思う。結局視聴者がついてこれてないってのもそうなんだけど。未来にね……未来に向けて……聞こえは良いけどなぁ」
やんま「今は、責任を追求するのが当たり前の社会だから……そうすることでしか、悪に対抗する手段を持ってない、我々が。結局責任の所在をハッキリさせて何がしたいかって言うと、報復……をしたい訳ですよ。罰を受けさせて、お前らこういう罰受けたくないだろ? だから何も悪いことするなよっていう方法しか持ってない。んだけど、もう終わったことに対して報復したって、死んだ人が返ってくる訳じゃないし」
SONGEN「でも過去を反省して、良くしてこうってしてる歴史が、人間の文化なんではないでしょうか(笑)」
やんま「殺しちゃったら、反省できないじゃないですか」
SONGEN「殺しちゃったらね。というか、先人の過ちを改めて……」
やんま「だからその責任の問題こそ、これからアラタめ(検め,改め)られるべき価値観……なんですよ(笑) 分かんないけどね、分かんないけど。それはこれからの世界次第だから。僕は少なくとも、それに賛同するし……」
SONGEN「責任のない、社会……」
やんま「そう、責任取りたくないから(笑) みんな僕をね、無責任なやつだって言うんだけど、みんなも責任取らなくていいじゃんって思うんですよ僕は。なんでそんなに責任負っちゃうのって。
……そうこの話もしたいんだよな。僕みたいなASD……てか空気読めないやつ? が、社会にとって必要か否かっていう(笑)」
SONGEN「そんな……こと言っちゃいます?(笑)」

空気読めないやつは「ズルい」のか

やんま「なんか前にツイートで面白いものがあって、アスペの人は空気を読めないんじゃなくて、みんながなぁなぁにしたいってことは分かってるけど、敢えてその場を改善するために自分が汚れ役を買って出て、みんなが指摘しづらいことを言ってあげてるっていう、自分=ダークヒーローみたいな図式がアスペの人は持ちがちで……きもいよねみたいな(笑) 僕それすごい分かるなって思って(参考:アスペルガー気質のある人で「すぐ本質を突くから周りから距離を置かれてしまう」とか「正しいことを言ってるのに勝手に周りが怒る」みたいな認知になってる人っているよね - Togetter)」
SONGEN「自覚があるんですか?」
やんま「うん。空気読めない発言をするときは、読めないんじゃなくて読まないというか。分かってるんだけど、これは言ったほうがいいなと思ってるから言ってるんですよね」
SONGEN「それはでも分かるかもしれない。俺も既存の社会って気持ち悪いなみたいな気持ちはあるし……逆張りじゃなくてね、なんだろ。それってなんだろうな……ダークヒーローはね、かっこいいですよね確かに」
やんま「フェミニズムとかもそういうきらいがあると思ってて、フェミニズムも社会の空気というか、女は黙ってろ的な空気に対して反旗を翻して、それじゃダメだっていう風に言うっていうのが彼女らじゃないですか」
SONGEN「"彼女"らかは分かんないけど、そうですね。大筋はね」
やんま「そういう自由への革命……っていうか、空気に反逆すること? をする人たちって、まぁフェミニズムは変な人もいるから話違ってくるかもしんないけど、今まで虐げられてきた人たちを救うことって、社会全体の最低ラインを底上げすることであって、全人類に対して割と良い影響をもたらす……はずのことだと思うんですよ。女性の価値を認めたからと言って誰かの価値が下げられる訳じゃない、っていう風にあるべきで。一部は、女尊男卑な方を言いたい人もいるんだけど。障害者の権利とかもそうで、障害者"も"幸せになれたらいいよねって話で。
だからヒューマギアの権利とか奴隷の権利とかもそうだけど…………うーん、"責任逃れ"をするやつ(新たな権利を手に入れるやつ)が「ズルい」って思われる社会なんですよね」
SONGEN「今はそうですね」
やんま「でもズルいっていうのは、今ある"空気"のせいで「お前は許されてるけど、俺だったら多分許されないかもしれない。だからお前は許されてズルい」って話なんですよ。でも革命派が言いたいのは、俺も"お前も"許されたらいいよねっていう話なんですよ」
SONGEN「言ってることは分かりますけど……。フェミニズムも、俺そんな詳しい訳じゃないけど、結局何がしたいのかなみたいなところは。どうなったら実現するのかなってところは。結局ただ"騒いでる人たち"みたいに捉えられちゃうのは確かに良くないと思う。なんかその、責任のない世界もそうだけど、ゴールはやっぱ見えないとねってところは。リアルなものとして実現可能なのかってところはどうなんでしょう。結局『ゼロワン』でも実現してないんじゃないですか、そういう世界は」

『ゼロワン』における責任の線引き

やんま「『ゼロワン』はね、結構シビアな線引きをしてて。『REAL×TIME』がその話なんだけど、エデンみたいないち個人だったら、過去のエピソードなりを知ることで共感して、お前も色々あったんだなっていう風にできるんだけど、シンクネットみたいな大勢になるとちょっと流石にキャパオーバーで、いちいち過去とか分かんないし、同情するほどの手間がかけられないから許せないっていう。そういう線引きになってる」
SONGEN「シンクネットの人たちこそ結局社会の弱者じゃないですか。だからなんか、結局『REAL×TIME』って勢いだけで誤魔化されて映画は良かったって言ってる人が多いじゃないですか(笑)」
やんま「『REAL×TIME』絶賛界隈のことはあんまりよく分かんないんだけど、僕も(笑)」
SONGEN「僕がこないだツイートしたの↓って、別にふざけてる訳ではなくて、結局そういう人たちに目を向けてないっていうことは、違うじゃないかなと思うんですよね」

やんま「確かに綺麗事を貫くんだったら、向けなきゃいけないところではある」
SONGEN「分かんないですけどね、シンクネットが本当にゴミの受け皿としてネーミングされたかどうかは。ダジャレとして。分かんないけど、本当にただの弱者に目を向けさせて、主人公たち側はいい人間ですみたいにしちゃうのは、いやホントに良くない手法だなと思って。あれが一番駄目だと思うんですよね、『RT』が」
やんま「でも僕それは……今までのライダーの文脈で見ると、ちょっとズレが起こるとこだと思ってて。シンクネットのやつらは、アバターじゃないですか所詮。生身に攻撃してる訳じゃないから」
SONGEN「あぁ、そこのズルさってことですか」
やんま「ズルさっていうか、巧妙さっていうか、仮面ライダーとの戦いで倒すことは彼らに対する"罰"には実質的になってないんですよ。ちょっと論破されたくらい、ネットで。刃たちが「お前たちに同情の余地はない」って言って、チクショーって顔真っ赤にしてるだけ、くらい? だから味方側が懲罰としてすごい酷いことをしてる訳でもないし。その辺はちゃんとセーブされてるというか、考えられてるとは思うんですけどね」
SONGEN「なるほど、懲罰はしてないっていう……確かになぁ」
やんま「お前ら本当にそれでいいの? って煽るだけっていう」
SONGEN「或人側も、天津にさえも懲罰をしない」
やんま「そう……罰を与えるっていうことはだからやっぱり過去志向だから、『ゼロワン』は本当に未来未来の話なんですよね。天津に対してもこれからの行動で示してくれって言ってたけど本当にそうで、これからどうするかで全て決まるっていうか」
SONGEN「過去を振り返らない……それが、令和1作目の覚悟だと、いうことなのかな」

自由意志とラーニングへの還元

やんま「自由意志っていうテーマを考え出すと、やっぱり過去を振り返らないっていう結論に至らざるを得ないというか」
SONGEN「『ジオウ』で過去は振り返ったから」
やんま「そうそう。やっぱ過去ばっかり見ちゃうと、結局じゃあお前の行動はそれまでの……或人だったら其雄がデイブレイクのときに守ってくれたっていう記憶をラーニングしたから、ヒューマギアを擁護してるだけで、別にそれって或人の意志でもなんでもなくて、たまたまそういうラーニングしたからだよねって。不破は不破で、たまたまデイブレイクで襲われたっていう記憶があるから、ヒューマギアに対して敵意を持ってると。……っていう風に、全部それに還元されちゃうって解釈すると、人間の自由意志の入る余地ってなくなっちゃって、そうなるとだからもちろん機械にも意志なんてないってことになるし。
僕は別に意志なんてないって価値観もアリだと思うんだけど」
SONGEN「あ、意志すらなくて……」
やんま「意志っていう価値観は、そもそも責任を問うための概念だから。まぁプラス自我同一性を保つ、アイデンティティの問題としてあるくらいかなと思うから」

続く

2022年になって改めて『ONE PIECE』を読んだ感想メモ

僕がONE PIECEを始めて見たのは、アニメ女ヶ島編。そこから少しずつ劇場版やら再放送やらで全容を把握していって、唯一つまらなくて見るのやめた空島編を除けば、パンクハザード編まではおおよそ知っているという状態。
人並みには知ってるがめちゃくちゃ好きという訳でもなかった僕が、気まぐれでコミックスを90巻(中古で1万円)まとめ買いしたところ、面白すぎて止まらなくなってしまった。暇さえあればずっと読み進め、1ヶ月かけて90巻読みきったのが大体今から2ヶ月前。
『FILM RED』公開による世間のONE PIECE熱の高まりに合わせて、読んだばっかだけどまた読みつつ、Twitter上に流した感想をブログにまとめておくことにした。少しずつ追記していきます。
そういうことなのでいわゆる"初見の感想"ではないものの、全編を通して思ったことをまとめるというのはあんまりないと思うので。
最新話を追いながら毎話コメントしてるサイトは割とあるけど、あんなの読みきれないしね。編ごとにざっくり感想を呟くイメージです。

 

東の海(イーストブルー)編

フーシャ村編

・飽きるまでONE PIECE実況の人になると思います。尾田栄一郎氏、1巻のコメントからしてセンス抜群すぎてちょっと生きてる次元が違うな。夢を与える職業として素晴らしすぎる。
・ルフィが目の下に傷つくるとこ、目ん玉くりぬこうとしてるのかなってとこまでは分かるけどなんでわざわざ目なのかずーーっと不思議に思ってたけど、これ目を怪我すれば眼帯をすることになって海賊らしいだろ? ってことなのか……ことなのか?
もちろん、シャンクスと同じだからっていうのはあるにしても、同じにしたいならあんなくり抜くようなやり方じゃなくて表面に傷をつけるだけでよかったはず。
・元々カナヅチなのね
・ルフィ、サボとの回想が長かったから割と劣悪な環境でサバイバルしてきたみたいなイメージが強かったけど、宝払いとか言ってなんだかんだ村の人から可愛がられてるの改めて見るとめっちゃアットホームだな。ナイフで自傷してアットホームもクソもないけど。

・シャンクス相手に強気に出る山賊は何者なんだみたいなの、ちょっとした笑い話としては正直ちょっと好き。ないと思うけど変に再登場でもされたらキレる。
ONE PIECE世界において「56人殺したのさ」とか「俺ぁウン千万ベリーの賞金首だぞぉ!」って社会からの評価を誇らしげにするのは十中八九悪役ムーブだが、それはそれとしてゾロとサンジは懸賞金の高い低いで喧嘩する。
・「やられっぱなしなんてかっこわるい」って、子供の主張としては分かるけど後のルフィが持ってる独特の価値観とは若干ズレを感じるんだよな。かっこいいかかっこ悪いかみまいな、"周りからどう見られるか"を気にして生きてる感じはあまりしない。あの性格はどういう経緯で形成されたものなんだろう。
・ルフィから手を出したって話なのに、賞金首の仲間だからとはいえ先に撃ち殺すシャンクス海賊団、未だに衝撃的。"どんな理由があろうと"と言ってる通り、正しいとか正しくないとかそういう価値基準とは全く違うところで、例えルフィが大悪党だろうが、友達だったら助けるんだろう。
ONE PIECEは"王道"だと言われがちだけど、最初っからいわゆる正義とか勧善懲悪みたいな話はしてなくて、アウトローな価値観を未だに貫いてるから面白い。
・ルフィって麦わら帽子被ってるから、子供でも描きやすそうだな。

シェルズタウン編

・アルビダに媚びを売るからコビーなのかな……ひどい名前だ……。
・アニメではここが1話だけど樽からルフィ登場するの、明らかに桃太郎的な異常出生譚のノリよね。
・ワンピースって、人と人を繋ぐみたいな解釈が流布してるから完全にそっちの文脈で読んでたけど、コビーが言うには「富と名声と力の"ひとつなぎの大秘宝"」とのことで、どうやら文字通り富と名声と力という3つをひとつにまとめたお宝のことを言うっぽい。明確に形あるものだってのは言われてるし、少なくとも力が入ってる以上は武力として成立するものってことになる。でもただ兵器で支配するなら富は手に入っても名声は手に入らない、悪名くらいしか。
その3要素を兼ねるものってなんだろうな。まぁ悪魔の実なら力ではあるけど兵器っぽくはないってことであるかもしれんけど、あんまりピンとこないかな。
・オカマの扱いとかで揶揄されがちけど、この初っ端から「自分の気持ちを偽って美しいと言わされるなんて嫌だ。ブスだと思ったらブスだって言う、それが自由だ」みたいな価値観は如実に、というか芯にあるテーマとして描かれてるの面白い。
麦わらの一味は差別発言することに抵抗ないよね……。「自分が言いたいこと言う」のと「相手の権利を物理的に制限する」のラインは分けてて(ただし悪いやつはぶちのめす)、ルフィ的には「言葉の暴力によって自尊心を削られ、自分で自分の自由を殺してしまう」ようなケースは「お前暗いなー。おれ、お前キライだ(訳:自由になれよ)」で済ましそう。

・ゾロって仏教に縁がある訳だけど、この登場シーンからして断食してるようなもんだし、他にも色々と苦行を乗り越えてきたのかもしれない。あの少女はブッダにおけるスジャータみたいなものか。お粥じゃなくておにぎりだけど。
・でもゾロのピークって割とマジで、このおにぎり食って「うまかった」って言うとこじゃないかな……。
根本的にごちゃごちゃと込み入ったドラマを描けるキャラじゃないから、他のキャラに対する優しさとかっこよさが一番両立してるのはここのシーンだと思う。他に候補があるとしたら「何もなかった」かもしれないけど、それ以外にドラマらしいドラマが思い当たらない。
見せ場の大小としてはスリラーバークの方が絶対大きいけど僕はなんでこっちの方が好きかというと「ひゅー、かっこいいぜ旦那!」みたいなこと言って変に持ち上げるやつがいないから。本人たちも言ってたけど野暮過ぎる。
しかし踏み潰されたおにぎりをひと粒残らず食ったって報告されて感想が「うれしい!」なのウケるな。

・性別によって全く何も違わないと言ったら嘘になるけど、創作において性別による差別化をしようとすると大抵生々しい話になって気持ち悪いと思う。
たしぎじゃない方とか、メジャーの涼子とか、意外と例はあるか。あれらは気持ち悪くない代わりに、幼い僕には理解ができなかった。
「女の子はなんでか知らないけど、大人になったら夢を叶えられないらしい」というふんわりした理解はしてたけど、それって逆に女性は抑圧されるのが当たり前みたいな価値観の刷り込みになってる気はする。「女性だけは胸が大きくなる」という事実からして認識できてなかったからどうしようもないけど。
「女の人が不幸な目に遭ってるのは物語として美しい」みたいな感覚は自分の中に結構根強くある。まぁ不幸な目っていうか、単純に涙を流す姿とか、割と綺麗めに演出されがちだから。くいなも涼子も、「私は女だから……」って悔しがるのはドラマとして普通に好きだし消費してる。
「おれに勝っといてそんな泣き事言うなよ、卑怯じゃねェかよ! お前はおれの目標なんだぞ! 男だとか女だとか、おれがいつかお前に勝った時もそう言うのか、実力じゃねェみたいに!」
でもこの回答はかなりベストだと思うわ。くいなをちゃんと個人として見てる。

・銃が効かないゴムゴムの実の能力って、シャンクスの「銃を抜いたからには命をかけろよ」を体現してるよな。いわゆる撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけなので、撃ったやつに弾丸が跳ね返ってくる。まぁ、つまんないからそれを攻撃として使うことはほぼしないし、あっても危ねえって避けるくらいだけど。

続く ※そのうち追記しますが、読みながら実況したものはTwilogで読めます

twilog.org

 

 

おまけ:アニメ映画

『デッドエンドの冒険』

・麦わら海賊団って自称したぞ今。やっぱ大なり小なり違和感はあるもんなんだな、ONE PIECEの劇場版は。
・面白かったか面白くなかったかで言えば面白かったけど、あまりにも二次創作感がキツくて頻繁に我に返らざるを得なかった。原作にある展開のコピーかちょっとしたアレンジばかりで、解釈がどうこうとうるさい連中が好きなのってこういうのなんだろうなと一人で納得した。
要するに「自分の理解の範疇に収まるものが欲しい」のであって、その注文への一番安易なアンサーがこんな感じで本編のシーンをパクってツギハギして提出することなんだろうなと。
別の作品でオマージュするのは好きにすればいいけど、同じタイトルで同じ展開繰り返すのってよくないことじゃない?
視聴者には想像力があったりなかったりするので、根底に流れるテーマが同じでも描き方や見え方が変わっただけですぐ同一性を見失ってしまう。そりゃ「解釈一致!」って言わせたいなら丸パクリするのが一番いい。
「そのために戦って死ぬんなら、別にいい」って、ただでさえ原作セリフをほぼそのまま引用してて既視感あるのに映画の中でも2回同じこと言わせるから信じられない。
・あれかな、デッドエンドの冒険はこれまでのONE PIECEをほぼ知らないし読む予定もない人に「なんとなくこういうことやってる作品だよ」って紹介するのが目的の作品なのかもしれない。尾田さんも、最近読み始めた人に昔のエピソードを知ってもらうにはどうするかで苦心してるみたいだし。

『呪われた聖剣』

・ウソップがナミに「裏切りはお前の十八番だろ」って言うのは確かに変だって言われても多少理解できるけど、自分も過去に同じことしたとかも長い付き合いだから心中を想像するでもなく、ゾロが裏切ったことに「信じらんない!」と吐き捨てるナミはキャラクターとして圧倒的に正しい……。
ONE PIECEの世界設定として、人の生気を吸い取って死者のゾンビをつくりだす不思議な花はあってもおかしくないが、不思議な宝玉で儀式して結界作り出すのはなんか違うよなぁ。
子供の頃でも明らかに別物だなって思ったもん。
能力者でもない人間が儀式で不思議な力を使えるとなると、それはあの"世界"自体に利用可能な不思議パワーが漂ってないとおかしい訳で、そんな概念が存在するならあのパワーインフレ起こしてる世界においてはなんらかのかたちで研究・利用されてないはずがない。
・『呪われた聖剣』は『デッドエンドの冒険』と同じ脚本家とはとても思えない変わりようだった。あれだけしつこかった本編オマージュが鳴りを潜めて、まぁ探そうとすればあるけどかなりオリジナル要素が多くて、ただあんまり面白くないだけの1本だった。
でもゾロを主軸に据えた物語ってなると、そりゃナミほど湿っぽい話にはできないし、本編でやってないからこそ実は幼馴染がもう一人いたってことにしてでもオリジナル要素強めて描く意味は、本編をコピーするよりは十分あったと思う。
単純に、ゾロというキャラが面白くないというか、ドラマ向きじゃない。

オマツリ男爵と秘密の島

『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』は偏見で叩かれている(感想)

・舞台設定がほとんど同じなスリラーバーク編で麦わらの一味が団結して敵に立ち向かう展開をやったのはオマツリ男爵への当てつけ説、確かにそれはすごくぽいなと思うけど「あれはあれであっていいけど、そうじゃない描写もないとバランスが取れない」っていう意図の可能性もなくはない。
てか、シャボンディ諸島でパシフィスタと黄猿にやられるシーンって、じっくり全員の奮闘を描いた上で全滅してるからなんならオマツリ男爵より酷いよね。結果無事だった、というのも同じっちゃ同じだし、仮にくまが敵だったら(ルフィがドラゴンの息子じゃなかったら?)あそこでゲームオーバー。
・ゾロとサンジのはいつもの延長だから特に深い理由もないけど、普段しないナミとウソップの喧嘩はどちらも自分が仲間を裏切ったと言われて感じた罪悪感に端を発してて、その感情はオマツリ男爵の仲間を救えなかった後悔と繋がってくるのは、作品的な意図なのか、男爵の意図なのかどっちだろう。
・でもさー、オマツリ男爵についてこれだけは本当に言いたいんだけど、ルフィって仲間判定するに当たってそこまで重くもの考えてないよ。"仲間にしたくないやつ"については一家言あるみたいだけど、ナミ,ロビンは成り行き、ブルックに至っては初見で「面白ガイコツだから仲間にしよう」だしね。軽い。
・オマツリ男爵当時の彼がどれほどかは知らないからともかく、少なくとも今になって見た人は「監督:細田守」のネームバリューくらい知ってるはずでしょ。にも関わらず「ONE PIECEかと思ったら細田守で期待はずれだった」は成立しないんでないの? 和風ハンバーグって書いてあんのに洋風期待すんなよ。
仮にオマツリ男爵はONE PIECEをやるべきところで細田守が我を出し過ぎたんだとしても、あのインタビューは間違いなく細田守が主役なのにどこの馬の骨とも知らねぇインタビュアーが出しゃばって変な解釈流布してんなよな。
・そこをツッコんでる人あんまいないから考えてないけど、リリーカーネーションの能力ってどう捉えるのが正解なんだろうな。死者蘇生の応用で仲間割れさせてるのか、仲間割れの応用で死者蘇生してるのか、2つ能力持ってるのか。花言葉からは分かりそうにないが、描写から"後悔"がキーなのは間違いない。
ナミは仲間を裏切ったこと、ウソップはナミを置いて逃げたこと、サンジは仲間の消失に気付かなかったことがトリガーで酷いこと言ってる訳だから、リリーカーネーションの花粉か何かが後悔の感情を刺激することで仲間割れを起こしてるのはまぁ十中八九。
一転して、死者蘇生の能力はオマツリ男爵の持つ後悔が生み出す矢、これは山頂の太い茎に集まっている。オマツリ男爵の後悔を呼び起こすことでムチゴローたちは願いの形として実現する? もうちょっと考えよ。
・レッドアロー海賊団は水棲生物がモチーフなのに植物が生えてんの、海を渡る自由気ままな海賊だったはずなのに、過去にとらわれてあの島やリリーカーネーションから離れられなくなりオマツリ島に根付いてしまったんだからなんもおかしいところがない。
・ウソップがナミに任せて試練を離脱するの金魚すくいも合わせると2回目だったり、助けてくれたサンジが海に落ちても気に求めないナミだったり、この時点から若干導線は作られてるのか。
お祭りの金魚って、せっかく家で育て始めてもすぐお別れすることになっちゃうよなぁ。
・「オマツリ男爵もブリーフも私の息子だ」ってことは、脚本段階ではお茶の間海賊団はいなかったのに細田守が無理やり足したってこと!? やはり家族観ガー
小黒 脚本で、チョビ髭とお茶の間っているの?
細田 いますよ。
・「麦わら一味の女子がムチゴローにお酒を飲ませながら話を聞こうとしたら、様子がおかしくなってしまう」って展開をひとつの映画で2回も、同じ絵の構図でやってるのはどういう意図なんだろうな。
・ウソップを避けるナミが性格悪いっていうか、ちょっと喧嘩してるナミの横にわざわざいくウソップが悪いよな……仲直りしたいにしても間が。
・オマツリ男爵、そういえばロビンに対するサウロの「この世に生まれて一人ぼっちなんて事は絶対にないんだで」の話だよな。大切な人を全員訳も分からないまま殺されて。
・オマツリ男爵もチョビ髭もお茶の間海賊団も、あの島に居着いてる幽霊だって風に見ることは、できると思う。男爵だけは肩から花が生えてるだけだけど、残りのゲストはみんな被り物をしてて、頭に葉っぱが生えてたとしても見えないようになってる。5人中5人はちょっと、偶然にしてはできすぎてる。
・リリーカーネーション蓮コラみたいなんじゃなくて蓮だよな、何回見ても。

カラクリ城のメカ巨兵

・オマツリ男爵では絵柄から何から違ったから「そういう作風」で済んだけど、いつもの感じで聞かされるとカラクリ島の麦わら一味かなり違和感あるな。キャラクターの信念がどうこうって話にはならないけど、そういう言い回ししないだろっていう。ルフィがゾロのことマリモって呼んだことないでしょ。
・宝箱から変なバーさんが出てきたから、戻して紐でぐるぐる巻きにして明らかに出られない状態で海に捨てようとするルフィ、本当にギリギリ天然でやりそうだけどやらない。
・全然関係ない話してるのに間を繋ぐためだけに何の脈絡もなくナミの胸をSE付きでボヨボヨさせるのゴミ。サンジがメロリンするときに性的ニュアンスを強調するのはいつもやってるけど、そうやってギャグとして消化するでもなくただ静かに、視聴者だけに向かってこんな描写するほど下品な作品じゃない。
・「おれは樽で」「ドラムの城を思い出すなぁ」
きしょいきしょい。オマツリ男爵に対して本編と解釈違いだと思ったのか知らねぇけど原作読んでますよアピールばかきしょい。ただセリフで言及させるだけならアホでもできるわ。
・「バーさんがあるって言い続けてたんだからある!」
ようやく初めてそのキャラっぽくていい感じのセリフが出てきたな。殺しかけてたけど。
・「前作が喧嘩ばっかりでギスギスしてからゾロとサンジにも喧嘩させません」みたいな変な逆張りしてないのはちょっと見直した。
・「刀の切れ味が良すぎるからブレーキにしたいのに止まれない」って、うっすら本編にもあったような気がしないでもないけど、表層的な部分しか真似できてないのが出ちゃったな。いい刀は持ち主の斬りたいものだけ斬るって話をアラバスタで既にやってるはず。
・ぎ、ギア2をルフィが思いつくくだりがあるだと……? こんなクソ映画で!?
・つまんなくないところはあるっちゃあるけど差し引きスーパーマイナスでホントつまんなかった。こんなのつくっといてよく脚本を改悪されたなんて怒れるなぁ……。
オマツリ男爵はONE PIECEとして見なきゃ面白いって辛うじて認められてるけど、ONE PIECEとして見ても見なくてもつまんないからどうしようもない。
予告と子供向けって話から色んなカラクリが出てきてドタバタやるんだろうと期待してたのに中盤しょーもないオヤジギャグの解読しかしてないし、僕オヤジギャグ好きな方だと思うけどあれを面白がるのは無理。子供が好きなタイプの言葉遊びでもないと思う。
・オマツリ男爵の批判ポイントと照らし合わせるなら、鬱展開やホラーっぽい映像はないけど本当にただそれだけで、大量のギャグ要素は終始スベってる。これは脚本というより見せ方も大いに悪いと思うけど、BGMなしでゆったり会話するのオマツリなら不穏な演出として成立するけどただ間延びしてるだけ。
これは邪推だけど、オマツリ男爵の映像って「手の抜き方がうまい」という印象を受けてて、全体的に平面的でベタッとしてるのも、動きを最低限にして不気味さや迫力を出すのもそういう味になってるんだけど、あれはもしかすると予算的な都合を逆手に取ったのかなと。で、カラクリ城はそれができてない?
・「"ふたつのつき"は月じゃなくて突きだったんだ!」「"飲み干すとき"は飲み干した時じゃなくて、トキが飲み干すってことだったんだ!」
このオヤジギャグで子供が笑ってるところが全く想像できない。何言ってるのか理解できないと思う。僕でさえ理解できないもん。なに、ふたつの突きって。
・90分間、ほぼ麦わらの一味っぽい誰かたちが麦わら一味っぽいギャグ的なやりとりをしてるだけで間をもたせてるんだけど、本当に表層的な真似でしかなくて、子供はともかく作者の存在を意識できる大人はたぶん作為的なものを感じてしまって全く自然に見られない。ひどいことするわってあんま言わないよ。
90分間、ほぼ麦わらの一味っぽい誰かたちが麦わら一味っぽいギャグ的なやりとりをしてるだけで間をもたせてるんだけど、本当に表層的な真似でしかなくて、子供はともかく作者の存在を意識できる大人はたぶん作為的なものを感じてしまって全く自然に見られない。ひどいことするわってあんま言わないよ。

仮面ライダーギーツ 制作発表 感想

だいぶ旬も過ぎてきたけど、2週間前の8/7にギーツの制作発表があったので、毎年恒例だし初見の感想を残しておきます。意外と読み返すと「この時期はそう見えてたのか」って、自分でも面白かったりするし。

前年のリバイスから壇上の記者会見ではなくて劇中セットからのライブ配信というかたちになってて、今年はついに"会見"の2文字が消え、生のライブでもなく事前に撮影・編集も済ませた動画のプレミア公開に。
テロップが付いてるので見やすくもあり、でも見心地が完全にウラ仮面ライダーなのでなんとなく俗っぽさもあり……。トークさせっぱなしじゃなくてカットもして、更に編集する手間もあるからなのか、時間も30分と短め。グダグダしないで番組風にまとまってるのはいいと思う。


……なぜ今回、こんなにだらだら前置きをして本題に入らないかというと、特筆して話したいことがないから。『バトルファミリア』の先行登場を見たときからずっとピンとこなくて、制作発表を見た今もその印象は拭えずにいる。
だって『ギーツ』、今のところまだ何者でもないんだもん。掴みどころがない。
前提として、高橋悠也は「次やるなら玩具のギミックだけを魅せる仮面ライダーをやってみたい」的なことをどこかで言ってて(エグゼイドの頃だったかも)、多分武部さんも玩具売りたいから起用したんだろうけど、その玩具があれかぁ……ってのが正直なところ。

現状出てるデザイアドライバーの情報を見る限り、色んなレイズバックルが発売されることである意味では「どんなギミックも楽しめる"お買い得"なベルト」ってことになるんだとは思うのよ。その点に関してだけ言えば僕も楽しみっちゃ楽しみではある。
今出てるギーツのマグナムブーストみたいにハンドルとして回したりあのディスクを回転させたりするの、やろうと思えばカブトゼクターみたいに開いたりメタルクラスタみたいに何かを折りたたんだり、見た目が変わるのは当然として後付けで無限にギミックの幅を増やせる。ちょうどフォーゼドライバーみたいな感じ。

 

けど、それってもうナンデモアリ過ぎて"ギーツの個性,売り"が何も見えてこない。"デザイア"ドライバーだからギミック欲張りのナンデモアリなんですよ、アーマーの共有とか上下の反転とかで交換可能性を表したいんですよだから筋通ってますよって言われたらそれはそうなんだけど。
ビルドドライバーのレバー操作、ジクウドライバーの360度回転、ゼロワンドライバーのキー装填、ソードライバーの抜刀みたいな「1年通して"このギミック"を堪能してください!」ってのが無い。リボルブオンはそれなんじゃないと思う人もいるかもしれないけど、ジクウドライバーと被ってるからなのかほぼオマケ機能みたいなもんで、変身音声もおそらく共通の簡素なものとなっていて、明らかに主力ギミックではない。

そのうえ音声も機械的で無個性と来てる。巷ではファイズみたいだと言われてるらしいけど、イメージとしてはむしろアマゾンズドライバーに近い。音楽に乗って歌わないだけで、ファイズのシステム音ほど無機質ではなくてきちんと抑揚はある喋り方。
僕は玩具の面白い音声目当てで特撮を見てると言っても過言じゃないので、その視点でいうとデザイアドライバーは死ぬほどつまんない。『555』世代なのであぁいう無駄がないのがカッコいいって言う感性も確かに持ち合わせてはいるけど、色んな種類があることを売りにしてる最近の路線であそこまで音声の印象が変わらないとなると、ほぼ同じものが無限に登場することになる訳で、どう考えても面白くない。
もちろん、マグナムとブーストはギーツ用だから似せてるだけで、SEに関しては色々特徴出してくるんだとは思うけど、やっぱ口で簡単に真似できるのは音声の方だからなぁ。

 

ビルドと同じで実質的にノンモチーフで自由にやりたいんだろうなというのは伝わってくるけど、この調子じゃ多分キツネから始まる和風テイストは作品の骨子にはならなそう……というか仮に狐狗狸(コックリ)が揃ったとしても全然パッとしないし、バトロワものってのもあくまで1クール目までの話ですぐ終わって新展開始まるだろうし、何回も言うけど"1本突き通す筋"みたいなものが感じられない。何か真実を隠すために虚飾でごまかしてるんじゃなくて、ただ中身がないのを誤魔化してるだけに見える。

つまり「制作陣のやりたいこと」が不在のまま、ただ売れそうなことを切り貼りしてるだけ……という印象を強く受けた。
"キツネの面"だけはフォームチェンジしても変わらず一貫させるらしいから、そこを軸にしてきちんとテーマ性を確立して欲しいんだけど、現状僕がその肝心なキツネ面をダサいと思ってる(そろそろ見慣れてはきたが)のでうーん……。

 

続く

 

『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』は偏見で叩かれている(感想)

結論:これを過剰に叩いてる人はちょっと見方が偏ってると思います。


現在は2022/08/14、ちょうど『ONE PIECE FILM RED』が公開され『STAMPEDE』と視聴者投票で(予定調和ながら)選ばれた『STRONG WORLD』がTV放送された時期。
先日ONE PIECEのコミックスをWCI編まで買って改めて一気読みしたのもあり、少し前に放送された『時をかける少女』を見て個人的に細田守熱が高まってたのもあり、Twitter上で悪評がたくさん流れてきて気になったのもあり、本作『オマツリ男爵と秘密の島』を見てみたところ、いわゆる"解釈違い"だとやたら騒ぐ世論に対しておかしいなと思ったので感想をネット上に残しておこうと思い立った。
結論を最初に書いた通り、本作を叩きたいだけの人は読んでも得しません。承知の上で読むように。

 

 目次

 

良かったところ

まず序盤の印象として、普段のONE PIECEアニメとは毛色の違う今回の絵柄が僕はかなり気に入った。デフォルメのきいたキャラクターは『時かけ』の細田守を期待して見た身としてはかなり満足のいくもので、映像的にはすごく素敵だなと。

金魚すくいまでの冒頭シーンは特に、いわゆる「展開にキャラが動かされている」という表現をしようと思えばし得るけど、映像作品として素早く画面を切り替えながら進んでく"テンポ"の良さは見ててすごく気持ちがいい。馴染みのとこで言えば『仮面ライダー響鬼』に近く、シーンの連続感よりリズム優先の見せ方。

にも関わらず、敢えてBGMなしのまま定点カメラで捉えたり複数アングルを切り替えたりして、没入感よりもどこか"客観性"、流れをそのまま追ってるライブ感よりは起きてる事実を淡々と観察するような視聴者との距離感を演出してるのが後々の展開を思うといいのかもしれない。必要以上に感情移入するとつらいから。まぁつらかったけど。

ナミとサンジがぺたっとひっつくシーンも、本編だったらなかなか考えられない光景だけどこの絵柄だとしっくりくる不思議。
本編のナミは自分のこと"オンナ"だと思ってるしもちろんサンジもそう認識してるから二人が身体的にくっつくことはないんだけど、多分この世界観では"男女"という概念や意識が、少なくとも仲間内にはなくて、むしろ見やすい。

 

「めちゃくちゃ面白かった!」みたいな基準とは別軸で、「これは押さえておいてよかった」って思う作品があるじゃない。良くも悪くも異色だから、作品の振り幅としてチェックしておくべきみたいな、それこそ響鬼みたいなやつ。オマツリ男爵はまさにそんな感じで「見といてよかった」と思った。

前半は絵柄も相まって、子供を飽きさせないようになのかひとつひとつのリアクションがオーバーになってて、先述したリズムも独特で本編のそれとは確かに違う。
違うけど、せっかく細田守という名のある監督を呼んでるんだから彼の味を出してもらうのは当然で、お互いに普段なら見られない一面を引き出し合うのがコラボというものな訳で。

RADWIMS『Twilight』のスペシャルMVでも蜷川実花さんという写真家とコラボしてて、あれ読者ってことなんだろうけど実写の人間ばっかり写ってあんまりONE PIECE関係ないなぁと思って僕はちょっと退屈だったり、アニメ映像も魔改造されてて迫力ありすぎて違和感あったんだけど、あれは"あぁいうもの"じゃん。本作も同じ。

少なくとも尾田さんが出張ってくるようになった後の劇場版って、なんだかどれも似たような雰囲気になっててわざわざ見てみようかなって気にならないというのが本音なので、別の作家さんだからこそ描けるONE PIECEの世界っていうのをまたやってもいいんじゃないかな。尾田さんに頼らなければ、もう少しコンスタントにつくれるでしょ。尤もREDの監督は僕も知ってるから、その気はもしかするとあるのかもしれない。

youtu.be

 

世論の通りキャラ崩壊してるか

デフォルメされた絵柄や、極端な崩し顔、独特のリズム感に後半の過剰な絶望的演出……これらが異彩を放ってるのは事実だけど、一転、話の筋としてONE PIECEのテーマと矛盾してるとかキャラ崩壊とか、そういうレベルでは全然なかった。そこまで言ってる人は前者に対して覚えてる違和感が飛び火して全部悪く見えてるだけで、あれくらいなら本編にもある。

 

事前に「サンジが腹空かしてるやつに飯をあげない」って聞いてたからかなり心配してたんだけど、もしゾロにお好み焼きそば食うなって言ったシーンのことを言ってるんだったら、過敏になりすぎだと思う。本編でも女子にだけデザートだかなんか食わせて男子にはあげないとか、男には腐りかけの食材で十分って言ったりとか、ゾロにカミソリ食わせたりとかしてるし。

ゾロも「腹減った」って言ってる訳じゃないし、単なる嫌味であげないって言ってるだけではあるけど「応援もしないで寝てたから」って言い分なら「だからお前は腹減ってないだろ」という意味にも取り得るし、つまり「サンジが腹空かせてるやつに飯をあげない」というのは、キャラ崩壊してるという結論ありきで歪めて見ているとしか思えない。

 

あと主に変だと言われてるのはナミとウソップの2人だが、ナミに関しては「ワガママなやつ」として描かれてたと思うし、実際程度の差はあれどそういうキャラだろう。
そもそも2戦目の輪投げは、四賢人……というかケロケロ四人衆に乗せられてナミがやる、自分に任せろと言い始めたのが発端で、どういう流れかは描かれてないがウソップはそこに巻き込まれたことになる。だからウソップはアクシデントでナミを置いて逃げたかたちになっても空の旅を楽しむ余裕があるし(船の火事も最悪クリマタクトから水が出るはず)、最終的には自分のおかげで勝てたんだからむしろナミの尻拭いをしたと言ってもいい。

ウソップが元々持ってる軽薄さのせいで「ナミを傷付けた」という見え方にはなってしまってるし、実際「裏切りはお前の十八番だろ」は酷いけど、そういう流れを踏まえるなら「ナミが思い通りにいかなかったからって八つ当たりした、ウソップはウソップで負い目があったからキツい言い方をしてしまった」と見た方が自然(※)。

時かけ』の真琴も結構ワガママなやつで、千昭の告白をなかったことにした癖にいざ他の女の子と付き合い始めると嫉妬し始める。でもそれって自分本位にものごとを考えてるからとは少し違って、本人も自分の中に湧き出てくる感情に戸惑って振り回されてる側というニュアンスになってるから、まぁ余計にタチが悪いとも言えるし、その言動に嫌味さはないとも言える。

そう考えると、ある意味で彼女はルフィにすごく近い性格……という解釈がなされているのかもしれない。自分のワクワクのためなら仲間を危険な目に晒すことも厭わないし、誰にどう思われるとかを気にせず自分の思うがままに振る舞うタイプ。

※ウソップのナミに対するガチクズムーブは、この件↓があるので「キャラ改変とかじゃなくてもっとウソップ本人が叩かれろよ」くらいの気持ちは正直あったりもする。

 

元来、麦わらの一味……ひいてはONE PIECEという作品はそういうところがあるし、むしろそれがテーマである側面も非常に強い。「この海で一番自由なやつが海賊王」にも表れてるが、例え海賊旗を掲げることで怯える人々がいようとも、世界政府に楯突くことで世界が混沌に陥ろうとも、そんなことは意に介さず「やりたいからやる」を貫くのがルフィだし、一味のメンバーもデコボコで目指す先も様々。

それでいうと『STAMPEDE』のオチに対して僕はあんまり納得いってないのよね。目の前の危険を避けようとするのはまだ分かるとしても、海賊王への近道でさえも船長の意志に反して欲するクルーってどうなんだ。ルフィを型破りなキャラにしたい+バラバラの方向を向いてる奴らが集まってる感を出したいからと言ってさ。
ナミは航海士として、目的地に正しく導く責任がある……うん、まぁそれも分かるよ? 分かるけどそれは理屈だよ。なんのためにルフィの旅を支えたいかって言ったら、まず前提にルフィが好きだからでしょ、なのにそんなことも分かんないの? っていう。況してや時系列的に「つまらない冒険なら俺はしねェ」を既に聞いた後だよ。

 

"統一されてない自由な奴らの集まり"という一見矛盾したところにいるのが彼らであって、今回の映画が特殊なのはそういう意見の相違やワガママによる対立を、いつものようにギャグで茶化さずに真面目に取り扱ったこと。
クルーは基本的にルフィについて来てるから、必ずしも仲間のことが大好きって訳ではないのはゾロとサンジの喧嘩にも表れてるし、そのルフィとだって臆病組は毎回「やめようぜ」って意見が一致してない。ぐるわらの一味なんて隕石にビビって仲間置いて逃げ出したし。

だからあの仲間割れは「やってることはいつもと同じだけど、演出を変えてみたらかなりギスギスして見えるよね」の範疇にギリギリ収まってて、でも最後の一線として、最終的な喧嘩の理由は「仲間がいなくなったのに誰も気付かないなんて」ということになってるし、みんながやられたあの"矢"は、話を聞く限りどうやら仲間を失ってしまった悲しみや後悔を植え付けることで対象を一時的に無力化する力を持っているようなので、彼らがやられたのもそれだけ仲間を思っていたからこそということになって、一味の仲が本質的な意味で悪いという描き方にはなってない。
見た目的には、喧嘩しっぱなしというか挽回するシーンがなかったので悪く捉える人が多いんだろうけど、そうじゃないのはそれこそ本編見てれば分かるよね。本音じゃなくてリリーカーネーションかなんかの能力で正気を失ってる、と考えるなら最初からキャラ的には何も問題はないし。

ゾロとサンジにしろナミとウソップにしろ、ちょっとしたことから一時的にこじれてるだけで、あのまま一生口も利かないとかそれが原因で一味を抜けるとか、そんなことはあるはずないし作中でも実際ないんだから、逆にメリー号の進退を巡ってガチ対立してたときの方が僕は胸が苦しかったな。
これは僕自身が、仲良い人に暴言とか吐くタイプの人間だからというのもあるかもしれない。兄弟喧嘩みたいなものというか、どうせ明日とか明後日になればまた一緒に飯食ってるという確信があるから安心して、素直に感情を吐き出せる感じというか。

少なくとも「仲間割れ」という表現はオーバー。

 

細田守のインタビュー記事

そしておそらく、視聴者をそういう否定的な意見に傾けている諸悪の根源なんじゃないかと思うのが、Twitterでも矢面に立たされているこれ。

『ONE PIECE ―オマツリ男爵と秘密の島―』細田守インタビュー  WEBアニメスタイル_特別企画

見つけたからちゃんと全文読んだ、ミニインタビューって書いてある癖にめっちゃ長い。
もしかしたら視聴者の代弁として義務でやってるのかもしれないけど、切り抜かれてる一部だけじゃなくて全体通して読んでもインタビュアーの人がかなり『オマツリ男爵』という作品に対して敵意を感じる質問↓を繰り返してて、誘導尋問よくないなと思った。

・『ONE PIECE』ファンにとっては、ちょっと危険な回答を含んだ映画になっているよね。
だって、今回の映画では、サンジやゾロも結果的に助かって、いつもの冒険に戻るんだけど。みんなが死んじゃっても、ルフィはお茶の間海賊団とか、チョビ髭海賊団と一緒に旅を続けられる可能性を示しちゃってるじゃない。
・だってさ、オマツリ男爵の魔力のせいで仲違いする前から、ルフィ達は仲が悪そうじゃない(笑)。
・それから、前半で極端な崩し顔が、何度かあるじゃない。あれは誰の意図なの。
・お茶の間のパパが弓で打ち抜いちゃったところで、物語的にはほぼ終わってるんだけど、あれはあれでよかったの?
・あの時に、ちょっと話がメリー号の事から外れて、「本当は、お前は俺の事なんか必要じゃねえんだろ」みたいな事をウソップが言うじゃない。あれは多分、作品の本質的なところに触れているよね。
細田さんの嗜好から言うと、ああいうふうに自分のまとまりきらない思いをフィルムに叩きつけるのは、どちらかというと、嫌なんじゃないかっていう気がしたんだけど。

このインタビュアーの小黒さんって方、ルフィとオマツリ男爵の仲間に対するスタンスの違いは読解(曲解)できる癖に、ブリーフはともかくデイジーの名前も知らなくて、細田さんも「仲が悪そう」に対して「ちゃんと観てくださいよ。ホント」って言ってるけどマジで"ちゃんと"見たんか? と思う。
あたかも「他のやつに乗り換えられるということは今のクルーたちに愛着がないように描いている」かのような言い方だけど、本気でそう読んだならひねくれすぎてる。仲間が死んじゃったことで全身真っ青になって、ホラーというかかなり気持ち悪い見た目になるくらい落ち込んでたんだぞ。"後悔の矢"を合わせて2回も。

「ルフィの目的は海賊王になることであって今の仲間と旅することでは必ずしもない」っていうのは、まぁ言葉としては正しい。
「お前がいねぇとおれは海賊王になれねぇ」と言ってる通り、海賊王=この世で一番自由なやつなんだから、意に反して仲間を失ってしまったら本当に自由なやつにはなれない。
でもエースには結局死なれてしまってるので、本当に一人も脱落させちゃいけないほどキツい称号ではないし、何よりオマツリ男爵のように死んだ人間の亡霊にいつまでも取り憑かれてたらそれこそ"不自由"の極みなので、生きてる間は絶対に死なせたくないから死なせない、でも死んじゃったら引きずらない。単にそういうことでしょ。

 

僕がこの記事を書いてるのは、インタビュアーに対して腹が立ってるからというのが一番大きい。細田さんは笑いながら受け答えしてるし、もしかしたら割と旧知の仲だからこそあぁいう突っ込んだ聞き方できてるってことなのかもしれないけど、聞き手がこれだけ敵対的なのに「細田守の発言が尖ってる」って言われてるの理不尽過ぎる。

・あの時に、ちょっと話がメリー号の事から外れて、「本当は、お前は俺の事なんか必要じゃねえんだろ」みたいな事をウソップが言うじゃない。あれは多分、作品の本質的なところに触れているよね。

この辺までちゃんと読むと、この小黒って人が勝手に歪めてるだけだって分かると思う。ウソップの話を変な風に引用して「だからオマツリ男爵では一味なんて必要ないって言いたかったんでしょ?」なんて風に悪意しかない遠回しな質問して。どっちが性格悪いんだよって話。

 

作品そのものでAを描いてるから、インタビューでは敢えてメタな視点に立ってAに否定的、あるいはBという別の視点に立ってフォローするように話をしてることってたまに見受けられると思うんだけど、変に真に受けてそのメタな視点でもって作品を解釈しようとして変なことになってる人もたまにいる。
予想してた通り、オマツリ男爵の前評判はほぼこれだった。ルフィは仲間のことは折り合いつけてお茶の間,チョビ髭海賊団やるなんて一言も言ってないし、仲間に手を出すなみたいなことはことはきちんと言ってるし、あのインタビューはあくまで「穿った見方をすると」の話でしかない。

僕は序盤はともかくそれ以降の本作に対して「すげー面白かった」と思ってる訳じゃあないんだけど、にしてもこれを根拠にした批判は軒並み先入観でものを見て喋ってるとしか思えない。

 

あと脚本家の伊藤正宏って人のブログ↓も僕嫌いです。
二年ぶりの約束: sometimes i speak!〜放送作家伊藤正宏のノート〜

原作者の尾田栄一郎さんがオマツリ男爵を嫌ってるってソースがちょっと探した限りあれしかなくて、仮に本当に不満を抱いてるとしても、それが大っぴらになってないのはみんな大人だから口を噤んでるってことなんじゃないの? あくまで当人同士の話として言ったことであって公式見解ではなかったものを、あの人が個人的な恨みで勝手に晒したってことなんじゃないの?

「言葉」じゃなくて「作品」で伝えたいとか綺麗事言ってる癖に、結局この原作者の名前使ったチクりブログが細田守を否定する主な証言として扱われてるんだからどうしようもない。
ちなみに『カラクリ城のメカ巨兵』見たけどバカつまんなかったです。本当にただ鬱展開がない"だけ"で、予告と子供向けって話から色んなカラクリが出てきてドタバタやるんだろうと期待してたのに中盤しょーもないオヤジギャグの解読しかしてないし、僕オヤジギャグ好きな方だと思うけどあれを面白がるのは無理。子供が好きなタイプの言葉遊びでもないと思う。問題点であるキャラ解釈についても違和感は普通に引き続きあって、むしろ絵柄がいつもとそんなに変わらない分だけ余計に浮いて見えた。
オマツリ男爵はONE PIECEとして見なきゃ面白いって辛うじて認められてるけど、ONE PIECEとして見ても見なくてもつまらないので……。

 

ルフィと仲間

オマツリに話を戻すと、そもそも「仲間を使い捨てにしようぜ!」「駄目になったら乗り換えようぜ!」なんて話は敵方であるオマツリ男爵でさえも1mmも言ってないし思ってもない。ただ「死人に囚われて今生きてる自分や他人を犠牲にするのは良くない」としか言ってないんだから、あのインタビューを真に受けて批判してる人は皆的外れ。

ただの事故で仲間を失ったオマツリ男爵が仲間割れを求める理由って確かに少し分かりにくいけど、素朴に嫉妬と理解してもいいし、「生贄にする罪悪感を正当化するために相手の心の醜さを暴いてやりたい」「仲間を最後まで諦めなかったなら自分の選択が肯定されて嬉しい」ならどっちに転んでも得だし、「本心では虚しいので仲間になんて価値はないと思いたい」でも、色々解釈の仕様はあると思う。

オマツリ男爵の本編内では一貫してルフィは仲間のことすごく、重すぎるくらい大切に思ってるような描かれ方がしてるので、むしろ僕は本編で珍獣を見つける度に「あいつ仲間にしようぜ!」ってノリで言ってるときの方が「お前にとって仲間にするってその程度のもんなの……?」って思う。
チョッパーのことも何回か非常食って言ってるしな。人間に対しては「お前は嫌だ、仲間にしたくない」って断りがちだけど。

 

細田守の家族(血縁)観というよくある批判的視点からオマツリ男爵見てる人も多いけど、別にあのお茶の間海賊団って船長が集めた孤児でも成立するし(染めてるのか髪色バラバラ)、単純に積み重ねなしに絆があることにしたいときの便利キーワード以上のものは感じられない。
ファミリー海賊団じゃなくてお茶の間海賊団って名前からして分からんかねぇ……血の繋がりじゃなくて、お茶の間を共に過ごすことこそが彼らのアイデンティティなんだろうし、そもそもオマツリ男爵が公開した2005年の時点で麦わらの一味って「おれたちはファミリー♪」って曲歌ってるよね? 仲間は家族も同然だし、だいたいルフィが仲間死んだあとお茶の間海賊団に入れると本気で思ってるなら血縁至上主義でもなんでもないんだよ。どっかで聞きかじったことを適当に切り貼りしてるだけだから、言ってること支離滅裂すぎるんだよ、オマツリ男爵否定派は。
ひとつの作品に対する読解力もONE PIECEへの理解度も低くて自分の頭で考えられないから、ただ他人(小黒氏や脚本家や変なツイッタラー)が言ってたことをなんとなく真似してるだけ。

細田守が血縁関係しか認めてないってのも多分『未来のミライ』とかを見て特に曲解された要素なのかなって思ってるんだけど、あれだって別に「人と人との繋がり」の象徴でしかないし、究極この世にいる全ての人間って血縁関係にあるようなもんだしなぁ。そもそもくんちゃんの年齢なら家族が全てで普通だろ。

尤も『時をかける少女』を先に見てたら、時間のちょっとした改変で主人公のこと好きだった男が別の女の子と付き合ってたりするから、そういうところから逆算して「仲間は代えがきくと思ってる、それが細田守作品の作風だ」と思って批判してるならまだ分からんこともない。

 

……ないが、仮にオマツリ男爵における仲間の扱いが普段のONE PIECEから見て少し特殊だとしても、それはその時点で本編がたまたま、敵幹部だったのになんとなく乗船してたロビンが離反してメリーはもう駄目でウソップも船を降りて……っていう試練の時期だったから間が悪かったというのが一番理由としてしっくりくるとは思う。
件のインタビューの通り「ルフィは仲間が死んでもまた新しいやつを見つける」というテーマを描いてると捉えたとしても、それって本編でやってる「船は乗り換えることにした」「ウソップは降りたからケジメはつけないといけない」「エースの死を乗り越える」達と意味合いはさして変わらない。後で気付いたけど、ブルックに至っては「仲間が全滅してもいつかは立ち直ってまた新たな仲間と旅をする」のいい例じゃんか。つくづくオマツリ男爵否定派ってONE PIECEニワカなんだな。


そもそも「ルフィは仲間が死んでも立ち直れる」じゃあなくて「仮に死んでしまったなら立ち直るしかない」が正しい。メリー号がもう駄目なら断腸の思いで乗り換える決断ができるし、兄であるエースが死んでも仲間がいれば生きて旅を続けるまでに立ち直れる。特にルフィは自分が処刑されそうになったときも「わりい、おれ死んだ」と笑うような人間だし、変えられない現実を前にしたとき意外と彼は受け入れる。
だからといって、それを以て「大切に思ってなかった」と解釈するのはおかしい。

本当に今の仲間なんて必要ねぇって話なら、一味を殺されたことにルフィがブチギレて一人で男爵ぶっ倒す流れでいいはずなんだよ。ルフィの強さについていけなくて、って話なら。
でもルフィですら負ける。それは「仲間を失ったらルフィは無力になってしまう」という描き方で一味の必要性を描いてるからであって、決して蔑ろにしてる訳じゃない。
船長がつらいときにそばにいてやれなかった仲間に代わってルフィを支えてくれたジンベエは結局仲間に加入しただろ。船に乗せるとは言ってないけどお前らも仲間だよって認めること自体の何がそんなに不満なのか分からない。

 

良くないところ

演出云々を抜きにして"話の筋として"唯一よくないと思ったのは、仲間が全員殺されかけるまでの流れっていうのが大敗を喫してボロボロになってたから仕方なくとかじゃなくて「成り行きでおっさんの話を聞いてたらいつの間にか全滅してました」だったこと。そりゃあルフィが感知してたら何がなんでも助けちゃうから仕方ないけどさ。
ウソップがピンチのナミを置いて飛び去った(故意じゃない)とかナミが水に落ちるのサンジが助けないとか、ゾロ達が仲間がいなくなったのに気付かなくてサンジにボロクソ言われるとかは「仲間として信頼してるから放置できる」でギリ通るが、ルフィが知らん間に仲間全滅は流石に度が過ぎてて「じゃあ弱くて信頼を裏切ったあいつらが悪いじゃん」になってしまうので良くない。

ピンチへの陥り方で言うとストロングワールドもちょっと酷かった。初戦の負けは「ギア2出す前にやられた」という謎の展開で、シキの能力を学習したから2回目は負けないみたいな説得力もない。精々ビリーと天候の力を借りたからで、初戦はただルフィが弱いorナメプしてるから負けてる。


ちょっと話変わるけどONE PIECE本編においては、特に新世界編へ入ってから、ルフィがあんまり話に絡んでこない気がするのよね。単純に仲間の話をするターンが終わったから自然と他人事に首突っ込んで、でも詳しいこと理解する気はないから目の前のことにあひゃあひゃって楽しんで敵にはちょっと怒ってっていうムーブしかやることないのかもしれないけど。
ナミを取り返すぞ! ロビンを取り返すぞ! エースを助けるぞ! みたいな、ルフィの方に能動的な動機があることがまずもって少なくて、ストーリーはその地のゲストに任せて、ルフィは本当に「お前に勝てる」だけのキャラになってる気がする。ワノ国編はまだ途中までしか読んでないから知らんけど。
グランドラインでも空島編は特にその傾向が強くて、僕あのルフィのノリずっと苦手なんだけど多分尾田さんの理想とするONE PIECEってあんな感じなんだろうなと思う。

ルフィの持つ味方をつくる能力って、"ひとつなぎ"にも通ずる物語の根幹を成すテーマのはずで、その意味で言うとゲストに過ぎないチョビ髭ことブリーフやお茶の間海賊団がやたら活躍することには筋が通ってるし、仲間がいない一人ぼっちの状況でもそこにいる人間がどんどん新しい仲間になって支えてくれるっていう流れ自体はそれこそインペルダウン-頂上戦争編で遺憾なく描かれたことだし、雰囲気が気に食わないとかを超えて『オマツリ男爵』がONE PIECEのテーマと根本的に矛盾してるっていう否定の仕方は僕の考えが及ぶ限り"間違ってる"としか言いようがない。

 

ただし、結果的に大勢の人が否定的な見方をするような演出のバランスになってしまったこと、そして作品に対して不利なインタビューをする小黒氏に対して「そういう見方もできるかもね」みたいな偽悪的なスタンスを取って勘違いを招いてしまったプロモーションの失敗、という意味では良くなかったのかもしれない。
世の中には作品をきちんと理解できず、ヘンテコな見方をしてるインタビューに流されて的外れな批判を量産してしまうようなお客がたくさんいることを甘く見ていたと。
……まぁ、そうじゃなくても細田守作品って、有名なのも手伝って割といつも賛否分かれてたりする印象だけど。本作に限って言えば、必要以上に否定されすぎです、絶対に。
このことをきちんと、少なくともこの記事を見つけた人には伝えておきたい。何か反論があればどうぞ。

 

本編の感想

86ma.hatenablog.com

DXドンオニタイジンへの落胆(暴太郎戦隊ドンブラザーズ)

僕はDXドンオニタイジンが! 嫌いです!(どーん)

戦隊ロボ史上最大級のビッグサイズと戦隊ロボらしからぬプロポーションとフル可動の実現により、過去最高傑作……とまでは意外とあんまり言われてないもののともかく大絶賛の嵐なドンブラザーズの1号ロボ ドンオニタイジンですが、僕は発表から現在に至るまでずーっと愚痴を吐き続けて未だに買う気になれていない。※訂正、買ってなおも文句を言い続けている。
Twitter上でのぼやきが気付くと5000字を超えていたので、もういっそひとつの記事にまとめておこうと、そういう回です。
ドンオニタイジンすげー! 最高! 大革命! 戦隊ロボのニュースタンダードになってくれ! ……という盛り上がりに水を差されたくない方は読まないことをオススメします。少なくともTwitterで検索する限りではドンオニタイジンに完全に否定的な人って本当に僕以外には0人でびっくりした。まぁ物珍しい意見として面白がってください。

 

 

発表前の期待

まず話の前提として、僕はゼンカイジャーのロボットが全く合わなかった。これまで触ってきたDX戦隊ロボの中で一番"嫌い"かもしれない。
センタイギアが共通企画だったりエンヤライドンという橋渡しもあったりと最初からドンブラザーズとの2ヵ年計画だった……のかは定かではないものの、それが理由で手を抜いたんじゃないかとさえ本気で思ってるぐらいあまりにも酷い出来だと感じている。
その話はまた別に記事を書いてもいいけど、今回問題になるのはそれを踏まえて僕はドンブラザーズのロボットにそこそこ"期待"をしていたということ。
ゼンカイロボはとにかく遊んでてイライラするので、次作品ではもっとシンプルで全く頭を使わなくても遊べるようなものになってくれと。

そんな風に楽しみにしていたところにまず出されたのが「エンラヤイドン/ドンゼンカイオー」と「ドンモモタロウアルター」。
前者は言わずもがな、作品の垣根を超えた合体ロボというコンセプト自体は面白いものの、ゼンカイロボの悪いところがほぼそのまま残っていて、取り外すパーツがあまりにも多過ぎて煩雑だし、アルターに至ってはDX玩具じゃねぇ。チェンジヒーローズシリーズってただラムネが付いてないだけの食玩みたいなものだからゼンカイの頃からまだ一度も買ったことなくて、同じサイズな勇動の3倍くらいの値段する癖にシールとは言え色分けでも負けてて何もいいとこない。
その同規格として出されたアルターも、要はミニプラと枠としてダダ被りしてて全く魅力を感じない。

これは最近気付いたんだけど、僕は"可動"が好きじゃないらしい。ポージング技術もないし、そもそもフィギュアの可動なんてたかがしれてるし(肩アーマーが腕と一緒に回ったりとか)、だったらいっそのこともう動かないソフビでいいやっていう結論に先日至った。下手に色んなとこが動いたり取れたりしてイライラさせられるくらいなら最初からポーズが固定されてて飾っといてカッコよければそれでいい。
そんな僕にとってアルターは最初から眼中になく、更に1号ロボに対する期待というか、"おあずけ感"が募りつつあったところで出されたのが、あの「DXドンオニタイジン」ということになる。


可動は要らない

正直、全く食指が動かなかった。
第一コンセプトであるはずの可動に魅力を感じないのは今言ったとおりで、何なら僕にとってはマイナス要因ですらある。変形と無関係なところが動くのは、少なくとも変形させてる最中はストレスでしかないので。
そもそも、ぶっちゃけあの程度で可動できるヅラをされてもなと僕は思いますよ。ただ関節があって動くってだけであって、どうせ大したポーズも取れやしない癖に。
例外もあるけど、宣材写真ですら8割がたかっこいいポーズ取れてないんだから、あんな可動あるだけ無駄でしょ。下手に動くせいで「なんでその変な姿勢で止まってるの」っていう画像ばっかりだもん。かっこいい直立でキチッと止まってくれることの何が不満なんだ。

そんなにポーズ決めたかったら、DXと並走して可動するバージョンをチェンジヒーローズなりミニプラなり、ファイティングアクションロボなりで出せばいいじゃんとしか思わないんだよな、本当に。
二兎を追って二兎とも取れてるならまぁいいけど、少なくとも僕はドンオニタイジンについて中途半端になってない長所は"デカい"という一点のみだと感じている。

 

あんなちょこっと武器を構えて顔が振れる程度の可動で喜べるんだったら、仮面ライダーで出てるタイムマジーンとかブレイキングマンモスとかキングオブアーサーとかも大して変わんないと思うけど。
……いや、アーサーに至っては下半身動かないのに一緒にするなよって思うかもしれないけど、僕の基準では「遊んでる人の"個性"が出るようなポーズ」を取れて初めて可動を売りにするフィギュアとして一人前、それ以下の容易に想像できるような……或いはポージング下手な僕でも取れるような武器構えとかしかできないのは「まぁ一応動くよ」程度だと思ってるので、ドンオニタイジンも含めてこいつらは一緒くたの認識。

だってその程度なら「素立ちより構えてた方がかっこいい」っていうだけの話であって、じゃあ構えた状態の固定フィギュアでもいいよね? っていう話になる。HDM創絶みたいな食玩シリーズ復活してくれたらちょっと嬉しい。
可動をウリにするからには、固定フィギュア化されるような劇中の代表的なポーズはなんとなくでもできて、その上で更に各々好きな風に動かして遊べないと意味なくて、その点ドンオニタイジンはパッケージ座り状態すら、足を外してなんちゃって再現するしかないんでしょ? 可動する意味ないよ、もうそれは。
なんか発売前からサンプル品を改造してスカート曲がるようにしてポーズ取ってる画像も出回ってたけど、あんな写真を宣伝に使っていいの? 普通に詐欺じゃん。絶対いると思うよ、あれとかパッケージを見て「足ここまで上がるんだ」と勘違いして買った人。

 

ドンオニタイジンもこれまでの戦隊ロボと同じで、結局素立ちが一番無難にかっこいいと思うよ。剣構えてるのは写真だといいけど下半身まで見えるとなんかなぁ……ってのが多いし。
これまでは他に色々コンセプトがあったから眼中になくて、腕が回るだけで誰も文句言わなかったけど、可動を中心に据えたせいで途端に"妥協"に見えてしまうんだよな。「所詮は子供向けだからこんなもんで十分でしょ」ってさ。
ドンオニタイジンは大人も客層として狙う方向に舵を切ったと言われがちだし、実際大人が喜んでる姿ばかりがネット上では目立つ訳だけれど、まぁ理屈で言えば、今までのロボは変形という"途中"を楽しむものだったから、完成したあとはその形のままブンドドするか見て楽しむかしかなくて、それが可動することによって完成してからも"動かして遊ぶ"ことができるようになったっていうのは、間違いなく子供にとってもメリットだとは……思う。
でも僕個人は反対です。

 

保守的なデザイン

ドンオニタイジンのもうひとつ好評なポイントは「戦隊ロボ離れしたプロポーション」らしいのだけれど、これも僕は全く興味がない。
そもそも戦隊ロボにプロポーションの良さは全く求めてなくて、むしろ多少ずんぐりむっくりであって欲しい。綺麗な人型に近いロボットなんて、わざわざ戦隊がやらなくたってアニメ界隈にいくらでも転がってんじゃんよ。なんでわざわざ被せるんだ。
キシリュウオーとかも、やたら褒められてたけど好きじゃないんですよね。足が細くなったりすると"プロポーションが良い"ことになるんだろうけど、僕はむしろ貧弱に見えてしまう。実際あいつちょこまか動くし。
足はキラメイジンぐらいシンプルな線の方がどっしりとしてて強そうに見えない?
褒めてる人に言われせれば細い方が"王道"のスタイルということになるんだろうけど、別にこれまでの戦隊ロボは技術が足りないから仕方なく邪道を行ってたとか況して子供だましだった訳じゃないじゃん。玩具の遊びやすさとかデフォルメされた親しみやすい体型とか、そういうものを長所として選択していたのであって。
っていうか待ってそうか、フルCGやモーキャプで描かれるロボが当たり前になってくるということは、これから先はキグルミの都合を考えないエヴァみたいな極端なアニメ的スタイルの戦隊ロボも、玩具デザインの選択肢として全然有り得るということなのか。えーいやだ。
スマホが1台あれば何でもできちゃうから、時計もカメラも財布も、書籍や音楽プレーヤーも必要なくなってしまうみたいに、技術の進歩によって多様性が失われないといいけど……どうなるんだろうね。


可動のところで簡単に遊べるロボが好きだとは言ったけども、「4人のメカがほぼそのままの姿でただ手足にくっつくだけ」の形式は流石に見飽きたし遊んでてもつまらないと思うのよね。そういう身体の"構成"に限って言えば、ドンオニタイジンはかなり保守的で面白くない。
それに個々のメカをあそこまで犠牲にするんだったら、別にもう無理に合体ロボじゃなくてよくない? 可動するロボットがいいならドンモモタロウアルターとかいうよく分かんないのもDXで出せばよかったじゃん。
下半身貧弱モモタロウ(何故か意図されたものらしい)に、ロボの足に犬の足くっつけただけのやっつけイヌブラザー、左腕を動かすと首がもげるサルブラザー……直立人間オニシスターは普段なら「こんなもんか」ってなりそうなものだけどなまじ大きいから情報量とギミックの少なさで物足りないし、キジブラザーもこれが比較的まともに見えるのは下手に動いたりしないのと子供向けの"見立て"に慣れてるからだし、劇中のCGなんかを見てるとやっぱなんか色々おかしいなって思わざるを得ないデザイン。実際触ってみると頭部は軸の渋みだけで止まってるので、しっぽ持って振ったりするとこれもまた首がもげる。なんならこいつ、キジブラザーの首を持って剣のなりきり武器として遊ぶのが一番楽しいかも。

個別メカを去年のスーパーゼンカイザーと同じく「等身大キャラのパワーアップ形態」という扱い方をしていくのは面白いと思うし戦隊の強化はもっと増えていいと思ってる人間なのでウェルカムなんだけど、その個別メカがこの割り切り玩具なのは惜しいよなぁ。
それこそ今のドンブラはロボ戦を必ずしもやらないことで話の幅を広げてる訳で、ゼンカイジャーを踏襲した形式なら「等身大でロボ玩具の販促もしたので巨大戦はスルー」が理論上は可能なはずなのに、合体後の見た目だけを優先させてるせいでそれが成立するとは思えない。
ゼンカイジャーのキカイノイド4人でさえあんま似てないのに……。


プロポーションって言い方ひとつだけど要はただ"細い"だけであって、手足がカラフルでデザインとしての統一性がなくて、剰え各部に顔までこれみよがしについてる所謂戦隊ロボ的なバカバカしいデザインなのは変わってないのに、口を揃えてこれを「ストレートにかっこいい」って言えちゃう度胸はすごいよ。"戦隊ロボの割には"って枕詞が足りない。

折衷といえば折衷だけど、全てが中途半端。
「合体後優先で個別メカは割り切ります!」「キャラの配置や合体プロセスには戦隊ロボらしさを残したい!」「何を置いても優先したかった合体後の可動もスーパー合体の前には諦めざるを得ませんでした!」……その結果できたのは「史上最大級」が一番のウリな素立ちがかっこいいドンオニタイジンってさ。

 

スーパー合体もありますって言うけどさ、あれだけシンプルな人型に違い構造なんだから想像を超えてくるような合体方式には絶対ならなくて、所詮下駄履いて胸と頭と手に強化パーツついて終わりくらいのやつだって見え見えじゃん? そこもやなんだよなぁ……。
単体でのプロポーションを優先したら、どう考えてもスーパー合体の面白さや自由度はめちゃくちゃ下がる。だって理想の人型に近づければ近付けるほどそのパーツを他の何かに見立てることって自然と難しくなっていくんだから。サルブラザーの腕がそのままロボの腕になってることや、ロボの足がイヌのしっぽにしては太すぎたりオニシスターに至ってはもはや何に見立てることも諦めた邪魔な突起として存在してるのが良い例。
例えばジュウオウキングなんかは分かりやすいと思うんだけど、シリーズ通して全てを四角くデフォルメしてるから、動物モードの多様さはもちろんロボのときに上半身だったキューブイーグルが腕になったり、腕だったキューブクロコダイルが積み上げ合体では足になったりみたいな互換性がゆるくて自由なのよね。良い意味で解像度(再現度)が低いから。
ドンオニタイジンにはその抽象性の妙がない。というか、ロボのときには人型に近いスタイルを目指してる癖に、個別メカのときにだけ「これは○○なんです、納得してください」を押し付けてくるから二枚舌というか都合がいい。

僕はベースの1号ロボに強化パーツくっつけるのは、並列換装メカとかせいぜい1回目のスーパー合体まででいいと思ってて、途中でダイナミックな変換があって欲しいと思うタイプなんだけど、その意味では「キューブライノス、キューブじゃねぇじゃん問題」は基本は嫌いなんだけど、それまでの積み上げ合体から一旦大きくパラダイムシフトして、ドデカでまた戻るっていう振り幅は好き。バクレツキョウリュウジン(持ってないけど)もだけど、今までと違ってこのパーツをこう使うんだ! っていう展開を、ドンオニタイジンは多分できない。
だから僕はこれから先の展開にもほぼ期待していない。

 

棲み分け

僕がドンオニタイジンに対して一番キレてるのは、これを「ニュースタンダード」とか「戦隊ロボのターニングポイント」みたいなことを言う人がとても多いことだったりする。
「こういう路線もあっていいよね」なら全然、今回はスルーしようで済むんだけど、可動アンチ過ぎてフィギュアよりなんだかんだソフビが一番いいなって結論に落ち着いた身としては、戦隊ロボが可動に舵を切るのは本当に嫌だ。
だって枠として棲み分けがさぁ……ハイエイジ向けはトランスフォーマー、キッズ向けのそこそこ可動するロボはドライブヘッド,シンカリオン辺りで、もう少し小さい子向けのが戦隊ロボでいいんじゃないの?
少なくとも僕はタカトミ玩具をいくつか触ってみて"Not for me"と思ったから、僕が楽しめるロボ玩具はもう戦隊しか残ってないのに。

僕はおもちゃで遊ぶときに頭を使いたくなくて、戦隊ロボは何も考えずにぼーっと遊べるのが一番魅力だと感じている。「壊れないように」とか「パーツが外れないように」とか、況して「ポーズがかっこよくなるように」なんて考えたくない。
特撮玩具の根幹って「テレビで見たものを真似てみる」っていう"枠にハマる気持ちよさ"がベースにあって、レゴみたいなオリジナリティを出して創造性を育むものとは方向性が違うと思うから、「自由自在にアクションが決まる!」よりも「手順に従ってロボを完成させよう!」の方がコンセプトとして合ってるし、完成したら素立ちでバシッとクリックが決まって欲しい。
劇中でやってるポーズを再現しようってんならともかく、座れやしないし。そこまでの可動はない。

 

一応開発者インタビューの中で「これからずっとこの路線になるとは限らない」って言われてられるのは安心したんだけど、それ以上に「可動を重視することに対して否定的意見がほぼなかった」という証言が不安すぎる。

t.co

来年は揺り戻しでまたこれまで通りのが出ることを願ってるけど、これで本当に売れちゃったら「シンプルなロボは売れないのでどこもつくりません」ってことになりかねない。世の中から"選択肢"を減らすのは許せん。
戦隊以外のブランドでシンプルロボの枠つくってくれるならまぁいいよ。戦隊ロボの中でも簡単めなやつぐらいのプレイバリューを持ったロボシリーズがあったら本当に知りたい。肩身が狭い。
今はユニトロボーンにちょっと期待してる。

ガンダムみたいに変形しないでただ人型のロボットとしてあるやつもいれば、トランスフォーマー……特に実写映画のやつみたいなビークルはほぼ実在の車両だしロボットも人体と同じような可動するってやつもあって、どっちの形態も曖昧だけど面白いギミックがあって合体みたいな本来ありえないロマンをたくさん叶えてくれるようなのがあってもいい。
そういう需要の棲み分けがあるのに、あたかも「本来あるべきかっこいいロボットの要件」がひとつあって、これまでの戦隊ロボはまるでそれを満たしていなかったかのような語り方する人が多いから腹立つんだよなー、ホント。
"従来の戦隊ロボらしさ"にみんな魅力感じてなかったの? 僕もそんな大口叩けるほど色んなの触ってる訳じゃないけど、戦隊ロボに愛着ない人に上から目線で「戦隊シリーズに革命が起きた」とか言わないで欲しい。

でも結局売れるものをつくるしかないっていう大前提が分かってるからこそ悔しいし、自分にはどうすることもできん。「ドンオニタイジンが爆発的ヒットにはならず、来年出るかもしれない好みのロボが売れてくれ」と願うしかない。

 

実際に触ってみて

あんまり主張の一貫性とか気にしない方なので、百聞は一見に如かずと言うし遊んでみて手のひらを盛大に返す準備はしていたつもりだったんだけど、最終的に評価は覆らなかったね。ここまでは「そうは言っても触ってみないとなんとも言えない」っていうのがあったからこれでも言葉を選んできたけど、もう触っちゃったのでハッキリ言うと「うわー、思った以上にゴミ」が第一印象。

まずイヌの足取れすぎな、何これ。サイズがでかいから強度的にわざとすぐ取れるようにしてあるのかなって気はするけどそんなの関係ない。取れる必要がないとこが勝手に取れることほど遊んででイライラすることはない。なんかもう、逆にこうやって足をふっ飛ばすのが遊びとして気持ちいいね!って皮肉を言いたくなるくらい取れやすい。どうせ割り切るならもう前半分は一体成型で良かったんじゃないの。顔も口も体に埋まってて動かないんだからさ。
あとその足の付け根のジョイントが多分金型の都合でキジのクリアパーツと同じ素材が使われてて、まぁ見てるぶんにはかすかにピンクがあるのは綺麗だなと思うけどジョイント部分に使って強度とか経年劣化とか大丈夫なのかな。よく知らないけど。

オニシスターは肩がたまに外れるのと、頭の変形がキモい。ピンを微妙に指すだけだからカチッとも言わなくて全然気持ちよくないしちゃんと変形できてるのかもよく分からない。トゲ棍棒が付いてないのは、無駄にパーツがごちゃごちゃするの嫌な身としてはむしろありがたいけど。
足の二人は一応入れ替えても合体もできるのはいいんだか悪いんだか。僕は結構こういうの気分転換で変えたい人なので嬉しい。


サルブラザーはさっきも言ったけど文字通り頭がおかしくて、せっかく腕はたくさん動くのにほぼ活かせない。かろうじてドラミングっぽいポーズはできないこともないが……。頭の処理がとにかくめんどくさいので、もう彼はドンオニタイジンと同様に左肩に頭が生えてる謎モンスターってことでいいと思う。そこまで割り切っちゃった方が逆に面白い。
手と頭もボールジョイントだからこれも割と取れる。ボールじゃなくて普通に外れないロール回転で良かったんじゃないかな。
ごちゃごちゃパーツ嫌い民として腹筋は嫌いです。何この無駄ギミック。こんなのが許されるなら頭も付け替えにしろよ。

キジブラザーは胴体と尻尾が2分割で合計4パーツとあまりにもバラバラになる癖に頭だけは頑なに分けないのが気持ち悪い。
「ヒンジでの移動によって「顔がそこにある必然性」を持たせたかったんです」というのはインタビューで寺野彰氏が言っていたことなんだけど、この一言が本当に、全く理解できない。
ないよ必然性。サルもだけど、キジの体を構成する上で何の意味も持たないアームが突然生えてくることの方が僕にはよっぽど不自然に思えて、これの設計者とは美意識をひとつも共有できない。

今は"美意識"という表現をしてみたけど、この「変形合体においてどこまでをアリとしてどこからをナシとするのか」の感覚ってかなり重要だよね。デカベースロボの手の移動とか「そんなことやりだしたらなんでもアリじゃん」って思う派なので。
変形玩具全般に言えることだけど、際限なく複雑にガチャガチャ動かしたり外したりしてたらそりゃもう何が何になったっておかしくない訳で、その点ジュウオウキングは少ないステップで見え方をガラッと変えるバランス感覚が本当に美しい。
このサルとキジの頭は「ただ頭を肩に持ってきたいがためだけの構造」なのが美しくない。それは全く必然でもなんでもなくて、作為が見え見えなので。無理だけど、動物モードのときにも何か可動などで役に立つ構造であの位置に持ってきたならすごいと思うけどさ。


そんなこんなで完成するドンオニタイジン、僕にポーズ付けのセンスがないせいなのかもしれないけど下半身はもう"動かない"と言ってもいい気がする。
膝なんか90度まで曲がるけど腿を前に上げられない以上はなんの価値もなくて、ただ非公式な遊びで足を外して座ってる風に飾るときくらいにしか役に立たない。「ここがこれだけ動いたからってどうすりゃいいんだよ」っていう可動ばっかりで、僕としてはやっぱり最初に言った通り"ない方がマシ"だなと思った。
腕の方は肩と干渉するとはいえまだポーズとして活かしようもあるけど、下半身は本当に動かした結果カッコよくなることはほぼないからとにかくじっとしてて欲しいのに、無駄に動くからイライラする。
いや腕も大概だけどな。肩を逃したら"必然"的にキジの頭も変なとこで止まらざるを得ないので、ポーズが取れる取れない以前の問題として人体の構造が破綻する。まぁ子供ならそんな細かいこと気にしないで「パーンチ!」って遊んでくれるかもしんないけど、動けば何でもいいってもんじゃない。
想像力のある子供と、想像力を技術なりなんなりで補える訓練された大人は楽しめるけど……僕みたいな「カッコいいポーズ決めるの無理だわこんなん、わざわざポーズ付けのコツとか改造の方法とか調べるのもめんどくせー」ってなるような中途半端な大人は楽しめない。


「触ってみて初めて分かったいいところ」は、うーん……ないんだよな……目新しいギミックがある訳でもないし、ただデカい(聞けば分かる)、スタイルが良い(見れば分かる)、可動する(僕は求めてない)ってだけが取り柄の玩具だから。

これ別に褒めることにはならないと思うんだけど、ゼンカイジャーのロボの遊びづらさと比べたらマシではあった。最初にでっかく「嫌いです!」と言ったけど、どっちかっていったらやっぱりあっちの方が嫌いです。

僕が持ってるのはZじゃない方のH5とドクターイエローだけだけど、シンカリオンとだいたい同じくらいの可動って言っちゃっていい気はする。棒立ちして武器を正面に向けるだけじゃなくて、ちょっと斜に構えることができるくらい。足も動くけど申し訳程度。
劇中での活躍を見たことでキャラクターの魅力で多少付加価値はついていくだろうけど、大きさとか見た目のかっこよさみたいなのは買わなくても分かるし、買わないと分からない可動は多分公式がプッシュしてる割には言うほどでもねぇなって感じ(まぁこれも宣材画像見れば察せるけど)なので、もし買うかどうか迷ってるならもう少し迷った方がいいと思う。
来年の1号ロボはどうか自分の好みにあったものでありますように……。

 

玩具についての雑談(1/2):ジュウオウキングが好き

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