やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

満足度は10点満点で5かな。
いわゆる前半と後半、どちらがより好きかと考えると前半だけども、より嫌いなのも前半なんだよね。対して後半は理屈で考えると色々言うことはあるけど、感情はそんなに動かなかった。"やることやって畳んだな"って感じ。
そう思うと、良くも悪くも後半は"響鬼"ではなくなっていたのかな、なんて思ったりもする。


 意外とエンタメ

前半の良さはひとえにこれだよね。1話の「おはよう」ミュージカルはやりすぎにしても、BGMとか効果音に乗せてテンポ良く流れる映像は見ていて気持ちが良かった。文字のカットを差し込む演出も、後のアニメ物語シリーズを彷彿としたりなんかしてね。シリーズ前作の『剣(ブレイド)』や高寺Pの前作『クウガ』がそういうところかなりアレで、見てて退屈な気分になることが非常に多かったんだけども、今作はかなり気を使われていて、ぼーっと流してるだけでも割と楽しめるんじゃないかな。週に1話とかだとまた違うだろうけど、一気に見る分にはかなり良かった。TTFCはほっとけば次のエピソード再生されるしさ。1作見るのに1週間かからなかったの、この見返しで初めてだもん。中〜終盤は少し鳴りを潜めたけれども、井上さんのスラップスティックっていうの? ちょっとオーバーなギャグなんかも音楽に乗せて見せられるだけでだいぶ見心地が違ったし、なかなか懐が深いなぁなんて。


あと、これは僕個人の基準なんだけれども、何気に「鍛えてますから」が平成ライダーで始めての決め台詞だと思うんだよね。
それっぽいのは五代くんの「大丈夫!」と真司の「っしゃあ!」だけど、どちらもセリフとして主張が少ないっていうか、日常に埋もれちゃう(よく言えば馴染む)んだよね。
ついでに「爆裂強打の型!」とかって技の名前を叫ぶのは、正真正銘初めてかな。
そんな感じで、見得切りというかさ、これもテンポの一部ではあるんだけど、とにかく見ていて気持ちいいんだよね。「待ってました」ってなるというかさ。


クウガのときのリアル路線は僕には良さが伝わってこなくて独りよがりだなんて言ったけども、響鬼の雰囲気は意外と娯楽娯楽してて良かった。
ひとつ明確に惜しいのは、確かに大太鼓の迫力は人生で何度か経験したことがあるからすごいのは知ってるんだけど、テレビ(僕は配信だけど)で伝わる種類のものではなかなか無いと思うんだよな。序盤はそれでもなんとか映像で表現しようと頑張ってたけど、結局"音"でこっちに来ないからちょっとズレてるよね。だから、劇場版の冒頭でドンドコやってるのを見たときは「そうだよねこういうことだよね」って、劇場にいるわけでもないけど思った。テレビ映えを考えると、やっぱギター組が一番強かったかな。

前後半で戦闘シーンの見心地だけはとても変わったように感じたんだけど、なんだったんだろう。後半は引いた画が多かったのかなぁ? なんかこう、響鬼さんの一撃一撃が軽いように感じた。頼り甲斐が減ったというかさ。普段のシーンで性格が軽くなってたからってのもあるだろうけど。

 

 ほのぼの/お花畑

ここからは話について。たちばなを中心とした今作のメインキャラクターが織り成す世界は、よく言えば見ていて安心できるほのぼのとしたものだ。でも、それというのは何かを切り捨てた上に成り立っている。画面に映されるあのフィールドというのは周囲から隔絶されていて、例えば万引き犯のような"外"のものを"悪"として、平和な家の中で「怖いね」なんて言っているような、そんな気持ち悪さがある。日常系ギャグ作品ならともかく、善悪を語るヒーローものでやると、それは顕著だ。
明日夢は寝坊をして友達との約束を反故にし、謝罪の連絡ひとつ入れずにふらっと立ち寄った本屋で万引きを見たのだ。数話前のエピソードでは見知らぬ勢地郎をストーキングしていたり、数話後ではせっかく母親が作ってくれた食事を何度も無駄にする。
程度の差こそあれ、明日夢だって他を傷つけ得る行動はたくさんしていて、ただ"たまたま周りが優しかったから許してもらえた"だけなのに、何故か万引き犯ばかりが"悪"として描かれる。何故かと言えば、それはひとえに万引き犯が"外"にいるからだ。メタな話をするならモブだからなんだけども、僕は見ていて非常に不愉快になった。万引きをした彼らだって、画面の外で何か同情の余地ある理由があったかもしれないのに。洋館の男女なんかも、高寺さん的には人の不幸を楽しむ悪意の塊みたいな奴ららしいんだけど、それだって「人の不幸にしか楽しみを見いだせない」と書くとちょっと倒すのが忍びなくなってこない?
潔癖というか、善悪を内外のラインで分離してしまっていて、分かりやすくはあるんだけど、やはり多くのものを犠牲にしている。そういったところを意識しない(取り扱わない)というのは、"脳内お花畑"と言われるそれに近い。平成ライダーで喩えるなら、蓮の抱えてるものも知らずに戦いをやめろと押し付ける序盤の真司みたいなもの。


まぁ、これは僕の最近の「悪い人は弱い人」という考え方が強く影響しているだけなんだけれども、そういう巡り合わせも含めて作品みたいなところあるよね。詳しくはこちら↓

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 波紋

最初はなんで楽器で戦うことになったのかなぁなんて不思議に思っていたけれど、考えてみれば当たり前のことで、人と人との関わり、"影響"を描くからだったんだなと。単に異色なだけじゃなかったんだね。
人それぞれの響きがあって、それらがぶつかったり合わさったりして色んな音を奏でると。そう考えるとミュージカルってのも方向としてあながち間違いじゃなかったのかもね。


で、作品としては前半の響きに後半の響きが合わさってくるわけだけれど、これがなかなか噛み合わない。
後半ではさっき言ったような幻想的な平和空間に、明日夢と鏡写しな桐谷京介や鬼の暗黒面であるシュキさんをぶちこんでみたり、たちばな内でちょっとした喧嘩(トドロキと日菜佳)を起こしてみたりと色んな刺激を与えるんだけど、これはこれで如何せんくどく、前半が恋しくなってくる。

感覚として、前半は「現実から逃げて小規模な理想世界をつくりあげる」感じで、後半は「現実と真っ向勝負して理想に届かない」みたいなイメージ。

僕としては、クウガの時みたいに井上さんテイストを合間合間に挟んでいく感じだったらもう少し全体のバランスが取れて良くなったんじゃないかとも思ってるんだけど、どうだろうね。

 

 『響鬼』の敵

最終的に洋館の男女(和装)はラスボスとして倒されることはなく、彼らもまた洋装の男女の被害者とも言える存在だったと描かれる。僕はこれが結構好きで、さっきも言ったように悪いことするやつも別のところでは何かの被害者だったりすると思うのよ。だから彼らを倒せばすべて解決なんてことにはなり得ない。その証拠に、古代からずっと鬼の文化が続くように魔化魍も出続けている。
そんな中でラスボスとして位置づけられたオロチは、それまで男女による謀(はかりごと)の一環として使われていた魔化魍が、意味もなくポンポンと生まれてきてしまう自然現象。僕としては、これは「手段の目的化」のメタファーに見えた。終盤では京介などを通じて「"鬼であること"にこだわる必要はない」ということが再三にわたって描かれていたし、それとリンクするんだよね。うまいなぁと。

もっと踏み込むなら、人助けをすることが何かの手段でないとも言い切れないし、その目的がまた手段でないとも言い切れない。そういう無限に続く構造であることまで含めると、だから"オロチ"なのかなと思ったり思わなかったり。


また、少しメタで意地の悪い話をすると、物語における"設定"もあくまで手段のひとつ。例えばテーマを描くことだったり、視聴者を楽しませることだったりが重要なのであって、「設定に矛盾がないけどつまらない」みたいなのは本末転倒なんだよね。もちろん、設定の無矛盾を目的に据えるのは作者の勝手だけどさ。なんというか、後半で音撃の設定を何度か無視したのはむしろわざとで、そういう意味だったのかなぁなんて。いや本当に意識してやってたんだとしたら意地悪すぎるから、あくまで性格のわるーい僕による邪推ですけどね。

同時に、京介を通して「結果が全てじゃない」というのも描かれていたと思うので、目的に向かって頑張った過程は無駄にはならない。"回り道も役に立つ"かもしれないよね。クウガのリアルさは、僕にはハマらなかったけど世間では話題になってる訳だしさ。

 

そんな訳で、響鬼のまとめでした。

 

アンチと呼ばれる自分の心理 - やんまの目安箱

 

各話感想

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劇場版

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前作

運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想 - やんまの目安箱

次作

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