やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

金曜ロードショーでやってた、かつ知らぬ間に録画してたので、観た。
割と面白かった……んだけど、明らかに"最近の僕の中での流れ"が色濃く反映されている感想なので、普段からそうではあるんだけど、『ラ・ラ・ランド』自体というよりはそれを通して自分を見たみたいなイメージかもしれない。他の人とは意見食い違いそうだなって、なんとなく思った。


そんな訳で感想だけれど、ざっと概観して思ったのは「海外版ミュージカル浦島太郎」。
ということでそれに沿って話を進めていくんだけれど、浦島太郎って不思議な話だよな。亀を助けてあげただけなのに、竜宮城でお礼を受けているうちに時代に置いていかれてしまう。
改めて童話等を読んでみると、意外と「え、結局なんの話? だから何?」みたいなものが多いのよね。オオカミ少年みたいに、分かりやすいメッセージを持っているものって、意外と多くない。

とか考えつつダメ元で「浦島太郎」のWikipediaを覗いてたら、解説の項になんとあれは子宮回帰願望の話であるという説が目に入って、面白いなと。

浦島太郎 - Wikipedia


しかし僕にとって『浦島太郎』のキモというか最も印象に残っているシーンは、やはりオチの部分。楽園のような竜宮城からわざわざ帰ってきて孤独に苛まれ、縋った玉手箱によって老いるという、あの"落差"だ。
そしてこの『ラ・ラ・ランド』にもそれがある。
まぁ、僕がそもそもミュージカルにあまり馴染みがないというのもこの印象を強めてるだろうけど、幻想的なミュージカルシーンと、そうでない現実的なシーンの2種。
よくある表現をするなら"夢と現実"のコントラストなんだけど、「将来の夢とそれを阻む現実」とは少し違う。「夢を目指すことも含めた現実と、そこからの夢のような逃避」とでも言おうか。
オープニングのシーンがまさに顕著で、ストレスフルな渋滞からの逃避として、その場にいる全員が車を降りて歌い踊り狂うという、有り得ないことが起きる。
最初は「これが噂に聞くパリピか……」とか思ってたけど、流石のパリピさんもあそこまではやれない……よね? 最終的には踊るだけでは飽き足らず空飛んじゃうから、真似しようがないけど。


当初のミアとセブにとっては夢を叶えることが第一で、若干独りよがりというか、本当に"自分だけの世界"に入っちゃってる感じなんだけど、途中から恋愛にううつを抜かし始める。
はじめはただの"逃避"でしかなくて、かろうじて「研究のため」という理由もあったはずの映画そっちのけで手を握るタイミングをはかったりしてる様は、まさに本末転倒。でも、恋愛を通して他人や世界との繫がりみたいなものを得ていく……それこそジャズや演技も、人との関わりの中で生まれていくもの(らしい。ジャズについては作中で語られ、演技については役者さんのインタビューを読んで得た所感)なので、お互いに受けた影響はその後に活かされていく。
英語のリスニングには自信がないので気のせいかもしれないんだけど、劇中で何度か「trip」という単語が出てきたと思う。
さっき言った対比で"夢"に当たるものは、この単語のイメージに近い。
あの2人の関係やちょいちょい挟まるミュージカルは、夢へ向かう道のりのちょっとした"寄り道"。そこで休憩したり、ストレス解消をしたりすることで、また現実に戻って頑張れる……そういう話に見えた。
最近見た作品に例えるなら『キバ』の"遊び心"みたいなものかな。

だから、あのラストはビターでもなんでもない。2人が結ばれる結末はさっきも言ったように本末転倒でしかないので、それをテーマにした作品はあってもいいが、少なくともこの『ラ・ラ・ランド』はそうではない。あくまで2人の恋は夢を叶えるために必要なステップであって、恋の成就自体が目的ではない。……そうは言っても、人間たらればを考えてしまう生き物ではある。だがあの最後の「もし2人が結ばれてたら」というイメージさえも、「今ある現実を強く生きていくための寄り道」でしかない。であるならば、我に返って夢を叶えた今の幸せをきっちり噛み締めてこそ、ハッピーエンドと言えるだろう。


こっからは本格的な余談だけど、僕の好きな『ヘボット!』の34話「流さネジられて」でこの『ラ・ラ・ランド』をパロったミュージカル(?)調のエピソードがあるんだけど、元ネタを見た上で見返すときちんと「傷付いたスゴスゴインダーネジが現実逃避し、心を癒やしてネジが島に帰り認められる」というプロットになってて、内容的にも元ネタの片鱗を感じられた。
これを見た理由のひとつは、「ヘボットで見たから」だったりする。こういう好きな作品を新しい角度から見るってのも結構楽しい。というかむしろ、このパロディが頭の隅にあるうえで見たからそう見えたって可能性もあるかな。アンカーのひとつではあると思う。


以前の記事で「終わってよかった」というコメントを付けたことがある(終わってよかった『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』 感想)んだけど、これは"娯楽"に共通する事柄だな。終わるから次へ進める。

現実感を出しにくいミュージカルの特徴を逆手に取った構成が非常に綺麗で面白かった。