やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

「全体的には面白かった」という僕と「ラスト意味分からなかった」という僕が頭の中で殴り合っている。
10点満点の満足度は……アギトと555を押し上げて8.0かな。
僕の中でキバへの熱がなくなり始めたのは、たぶん38話くらい。それまではやたらまとめずにきちんと2話ごとそこそこ熱く語れてた。
とりあえずはラスト周辺を度外視してその辺までで僕が受け取った『キバ』について語る。

 

 

構造としては"必死さ"と"遊び心"を対置させて人間の文化や生き様というものを浮かび上がらせていくような感じ。
前作の『電王』のインパクトが強いのでアームズモンスターが"憑依"しているのかと気になるんだけれど、あれは多分"彼らの影響を受けた渡"なんだろうね。これによく現れているように、大筋としては響鬼からの流れを汲んで(かは知らないけど)、関わりの中で相互に影響し合う様子と自他の境界を扱っている。
詳しくは同じようなことをBECKの感想に書いたのでそちらを読んで欲しいけど。

本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

 

キバ固有の特徴としては、"娯楽"にフォーカスしているということがひとつ挙げられる。さっき言った遊び心というのがそれに当たる。
言うまでもなく音楽をはじめとする芸術がそうだし、チェックメイトフォーもチェスがモデルだし、そのうちのルークは退屈しのぎのゲーム気分で人を襲ったり助けたりする。これを司るのは主にファンガイアだ。明確な目的を持たないため非常に虚無的で刹那的な印象がある。
それと対比するかたちで対極にいるのが、アームズモンスター3人衆(っていうか特にガルル)。自らの種族が絶滅の危機に追い詰められていて、生き延びることに貪欲。
そしてその2つの狭間にあるのが、生と密接に関わりつつも娯楽的な要素も持ち合わせている「恋愛」だ。
今作は概してこの3つを軸に組み立てられている。
まぁ実際にはもっと複合的に、多面的に描かれてるんだけど、少ない言葉で分かりやすく表現するために分類すると、そうなる。

 

キバを語る上で外せないのは過去編と現代編の並行展開だろうけど、以前にも行ったようにもう何度か見た手法ではあるんだよね。
僕がパッと名前を出せるのは、『劇場版 響鬼』と『THE FIRST』の2作。前者は江戸時代のヒビキと現代のヒビキ(日高仁志)の、後者は晴彦たち(ヘビ怪人)と本郷たちの2パートが交互に描かれる構成となっている。ちなみに近年だと『君の名は。』なんかもそうだね。三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想
満を持してなのかネタに困ってなのか、ついに通年のテレビ放送で本格的に使われたかたちだけれど、これによってか以前までの作品よりも話単位での情報量がぐんと上がった印象がある。
日曜朝に子供が見るのにどうかみたいな話はさておき、僕はとても見応えを感じたし、視聴後の満足感も高かった。
構成のうまさも相俟って見返せばきちんとそれに見合う発見もあり、感想を書くのが楽しかった。たぶん終盤以外は2周ずつくらい見たんじゃないかな。
それくらいにはハマった。

 


と、結構褒めそやしたところで、そろそろ終盤の話をしようかな。
一番声を大にして言いたいのは、「あれだけのキャラ(名護,健吾,嶋,真夜,太牙)が生き延びたのに、どうして深央だけは死んだままなんだ……」ということ。平成ライダーとしては珍しく、主人公と結ばれ得るヒロインだったのに。あそこまでやるならもう現代編は底抜けのハッピーエンドで良かった。
芳賀さん繋がりでどうしても『555』に喩えたくなるけど、草加が生きてるのに真理が死んでしまったような不条理感。いや、どっちかって言うと深央は澤田だけども。
立て続けに「実は〜」っていう展開があったから、だったらもういっそ深央も蘇っちゃえばいいよって。
何より太牙が死ななかったのがでかいよね。名護に代わって後半の草加ポジだったのに。
弱さ故に悪事(と言われること)をしてしまったという点で太牙と深央は共通してるのに、結果が違うので不公平に感じる。

 

でも、今回のキバのごちゃごちゃで気付いたことがある。
物語の中で正義のヒーローが悪者を殺すように、作者もまた自らの筆で悪者を殺すのだ。死ぬ者と死なぬ者を因果応報的にきっちり定めてしまうと、それは実質的に作者の正義の押し付けになる。
これまでの作品で善悪二元論に疑問を突き付けてきた訳だけれど、キャラクターの生死というかたちで二元的に示されてしまっている場合がある。木場や長田なんかは顕著に、人間だと認めえもらえたけど罰として死んだキャラ(だと、少なくとも僕は捉えた)。
今作では、物語を超えて作者のレイヤーでそういう二元論に対する"問い"が起こり、その結果として「"物語として"まとまりがない」ように見えるような結果になってしまったのかな、と。
太牙が生き残ったのは、そういうキャラクター達への赦しと救済として意味があったのかな。最後の渡と太牙の戦いはそういう葛藤の表現に見えた。
まぁどうせ最後は誰も死ぬ訳だから、ただそれをはやめただけとも取れるけど。

ちなみに音也だけは特例で、彼の死は悲劇的に描かれていない。自由に生き、自由に死んでいった。僕は勝手に彼のことを「人間らしいキリスト」だと思っているので、或いは彼の死もそういう赦しの意味があったのかも。あ、真夜や太牙が生き残ったのはそれのおかげか? そう思ったらなんかちょっとスッキリした。

僕は以前にも何度か言ったように、物語にはこのような"綺麗さ"を求める方だと思う。

 

こんなもんかな。もうすぐバイト代が入るので、これからは公式読本とかも積極的に買って読んでいくつもり。

 

各話感想

仮面ライダーキバ 1,2話「運命・ウェイクアップ!/組曲・親子のバイオリン」 感想

前作

手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

次作

仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

 

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