やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

クウガを見終えたんで、感想をば。各話感想については追々アップしていきます。ビルドと合わせると60本近くアップ待ちの状態なんで、流石に気が遠くなるなと思い、全体感想だけ一足先に投稿することにしました。

 


それでは本題。
非暴力というテーマの元に、ポレポレでのホッとするような日常を交えながらグロンギの起こす事件を追っていくという構成になっている。
まぁ、一応面白かったかな。少なくとも近年の作品よりは良かった。満足度は、10点満点なら……6.5くらい。全体で見ればプラス評価だけど、不満もかなりあった。

 

 ドラマチックじゃない

これがクウガの最大の不満点だ。もちろん全編通してそうだった訳ではないけれど、中盤以降、中身のない話が非常に多かった。
原因はひとえに警察組織である。彼らは基本的に合理的であって情緒的でない。
「現場検証→何かを発見→解析したら何かが分かった」
この流れを毎度見せられるのだが、出来事の羅列だけでは面白さはでてこない。ただひたすらに、淡々と操作状況を見せられることが多く、警察サイドの時間は大体くそつまらない。

 

僕の中では、例えばその回のテーマが協力することだとしたら、何か仲の悪いキャラクター達がドラマの中で協力することになり、その結果状況も良い方向へ転がるという方法がかなり一般的だと勝手に思っているのだが、クウガの謎解きはほとんどが力技(見つけた、気付いた、解析した)であり、そこにドラマが入ることはほぼない。視聴者が考えて解けるような種類のものでもないので、とにかく待つだけ。僕の挙げたような事件と人間関係が連動して解決するような展開は、ある意味ではご都合主義的なものであるので、リアリティを重視しようとするとそうならざるを得ないのかもしれないが、そんな平坦な活動記録を見せられてもこちらとしては楽しくない。

 

 

 リアリティは要らない

上記の弊害を抱えてもなお重視していることから察するにこれが今作の売りだと思っていたのだが、自分は全くと言っていいほど魅力を感じなかった。
カットが変わる度に場所と時刻が表示される演出が最も想起しやすいだろうが、正直に言ってあれを実際に検証しながら見る視聴者などいるのだろうか? 僕は全然興味なかった。表示するにしても精々が日付だろう。
その癖いくつかのグロンギ事件がすっ飛ばされたことがあり(セリフで少し触れられたのみ)、僕としては移動時間の整合性なんかよりもそちらの方がよっぽど戸惑うと思うのだが……そうでもないのだろうか?

 

またそのリアリティというのが素人目にはやり遂げられていないように見えた。4話「疾走」が顕著に見えたが、あくまでヒーロー番組をやる前提というか。
「現実世界に怪人が現れたらどうなるか」ではなく、「現実世界でヒーローがかっこよく戦うためにどれだけ違和感を取り除けるか」というベクトルなのだろうと思う。
トライチェイサーの販促のために多少不自然でもバイクアクションが差し込まれるし、なんだかんだで警察がグロンギを倒してしまうことは許されずに(そういう事件もあったらしいが、劇中では終盤まで描かれない)、あくまでサポートに徹する。警察がみるみる武装してゆくものの、自衛隊の出動には至らないというのもなかなか不可思議だった。時刻の整合性にしても、バトルシーンに入ってしまえば平気で「カットが変わると夜が明けてる」等のこともやるし。
悪い言い方をすれば、「ヒーロー番組の限界」を感じた。

 

以前"流行り物だから"程度の気持ちでシン・ゴジラを見たのだが、あれはすごく面白かった。特に前半、自衛隊が出動するまでの部分。感動して珍しく泣いた。様々な立場の人間の思惑や意見が交錯し対立し、常にどう転ぶか分からない緊張感がありつつ、その殆どにそれなりの説得力があるというのがまたにくい。
それに比べるとクウガの警察関連の話はかなり見劣りする。根本的な差は、おそらく反対勢力がいないということだろうと思う。そういう意味でガメゴの後の「障害/連携」はなかなか良かったのだが、その他のシーンはおおよそ解決へ一直線なので、結果が見えていることによる段取りくささが目立つ。また単に何度も繰り返されるからウンザリするというのも大きいしれない。

 

しっかりとしたドラマに付加価値としてリアリティをつけるのならば素晴らしい試みだと思うが、ドラマパートが少なくなるのでは本末転倒ではないだろうか。
娯楽作品として、頑張るところを間違ってる感がある。

 

 

 分かりにくい

これは主にグロンギ関連。独自の言語を使うので何を言ってるのか分からない(雰囲気で分かるときもあるが)のと画面の暗さが相まって、全然頭に入ってこない。不気味さを出す意図なのだろうとは思うのだが、ああ何度も意味の分からない映像を見せられると退屈の一言だ。おそらく毎度違う話題を話しているのだろうがそんなの伝わらないし、同じようなメンツでガギグゲ言ってるだけなので何ひとつ面白くない。

 

ゲゲルの最終目標(ザギバスゲゲル)というのも分からないし、楽しいだけのゲームにグロンギが命をかける理由というのも釈然としない。キックなどでスタンプを押すと爆発するメカニズムもそれを防ぐメカニズムも分からないし(損傷部分を切り離すのは分かりやすかったが)、ベルトにあててクルッと回していた鍵みたいなアレやゴオマがブツブツ言って召喚していたアレ(ダグバの力?)も、ハッキリとは分からない。全て「そういうもの」と割り切るしかないのだろうか?

 

 

 どこまで自覚的?

ここからは主にストーリーについて。
序盤から自分が抱いてきた疑問に応えるように、終盤は人間側が悪いかのように描かれていたが、これまでの1年間をすべて否定するような内容であるだけに真に受けていいのか迷う。
正直な話、1話から「グロンギが封印されていた」というのは分かっているのだから、最終回まで誰ひとり「倒さずに封印することはできないのか」と言い出さないのが不思議で仕方なかった。倒さないとヒーローものとして成立しなくなるかもしれないが、同年代のタイムレンジャーなんかは倒してなかったと思うので、やってできないことはないはず。後のブレイドもカードに封印するし。

 

ドラマの上では暴力反対だと描かれているはずなのに、そんな根本的な発想が一切言及されないのは、それほどまでに一条や五代も含めた人間が暴力的な存在だと描き反面教師としたいからなのだろうか。しかしそれにしては人間サイドで啓蒙的な内容を扱ってき過ぎてるような気がするし、1年間頑張ってきてそれはあんまりだとも思う。
まぁ善悪は二元論で語れないものではあるが、それまでずっと、こう言ってはなんだが気持ち悪いほどに性善説的な描写が多かったのに、ここまでひっくり返せるものなのかと。

 

 

 見ていてつらい

主人公である五代雄介が割と「完成された良い人」であり、その彼を中心に話が展開するからか、求める理想が高すぎる傾向がある。五代くんや一条さんをはじめとする頑張りすぎる人たちは好きだしみんなすごいと思うけれど、彼らに「だから君も頑張りなよ」と言われるのは絶対に嫌だ。
ドラマとして見る分には対岸の火事なので好きになれるが、彼らが周りに無意識のうちに強いているハードルは相当高い。
五代くんの自己犠牲精神は感嘆に値する素晴らしいものだと思うが、すぐ横であれだけ痛ましい姿を見せつけられては、周りの人間は"適度にサボる"なんて罪悪感からとてもできなくなってしまう。

 

「彼が頑張ってるんだし、自分も頑張らなきゃ」という一見ポジティブな思考に縛り付けられて、沢渡さんは栄養ドリンクを飲んで徹夜してしまうし、一条さんは倒れた母の見舞いに行くのも我慢するし、椿さんは息抜きのデートを何度も断念するし、榎田さんは冴くんに寂しい思いをさせながらも仕事に打ち込む。そしてそういう人たちを見て五代もまた頑張らなきゃと思うし、更に周りにも伝播してゆく。
スポ根とかそういったレベルの話ならまだしも、少なくとも五代くんは体が人でなくなるという明らかに異常な状態であるはずなのに、その上わざと電気ショックを受けてパワーアップしようなどと言い出す始末で、終盤は痛々しさと耳の痛さで、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。

 

 

 神崎先生が好きになれない

劇中ではほぼ完成された人として描かれる五代の恩師として出てきたので一体どんな人かと思いきや、うじうじと悩む癖に上から目線な人だった。これについては各話感想で詳しく書いたが、「最近の子供たちは分からない」とか「何を与えてやれるのか」などと言った言動が非常に気に食わなかった。反面五代はできるだけ同じ目線から物を言うし、「人の気持ちになるなんて、誰にもできませんよ。思いやることなら、なんとかできますけどね」と押し付けがましくない。

 

それなのに五代はこの先生を持ち上げるものだから、やきもきして仕方なかった。カブトのおばあちゃんじゃないけど、出てこなくてよかったんじゃないかな。少なくとも僕は見たくなかった。
家出の話なんかも、五代サイドは結構まともな話してるのに神崎先生はすごく偉そうに持論を語ってて、クウガを見ていて珍しく不快になった。モブやゲストならいいが、五代のルーツがあの人というのはとにかく納得がいかない。

 

 

 独りよがり

一言でまとめるとこうなるかな。時刻表示なんかはまさにそんな感じ。グロンギ語とかも自己満足感があったというか、置いてけぼり感があった。キャラクターやストーリー的にも、まともに議論をするような余地がなく、不安や疑念は大体『大丈夫!』で済ませてしまう。悪いとは言わないけど、もう少し主人公サイドが迷ってもいいんじゃないかなとは思う。50話もある訳だし、食傷する。

ただ、100%悪い意味で使ってる訳でもない。エグゼイドみたいな視聴者に媚を売るようなのは好きじゃないから、それよりはまだ「信念を持って作られたものがたまたま好みに合わなかった」の方がずっといい。媚を売る作品が合わないって、つまり「お前は見なくていい」と言われてるようなものだからね。それは不愉快。

 

 

「世間的に認められ褒めつくされてる作品を今更褒めたって仕方ないよな」という気持ちからか、文句のようなことを思いつくままに言ってきたけれど、やっぱりトータルで見たら好きだったかな。如何せん退屈な部分は多いから、僕はすすめるなら中盤は流し見でいいと付け加える。あ、でも18,19,20話の五代がギノガにやられる辺りはすごく良かった。そんな感じかなぁ。
期待しすぎたって部分は結構あるかもしれない。昭和ライダーは見たことがないので、それと比べてどう進化したのかみたいな見方をしてあげられないのは申し訳ないけど、そういう前提じゃないと見られないというのもおかしな話なので、今の自分としてはこれでいい。同じ理由で「2000年当時にここまでやれたことがすごい」という見方もしていない。またいつか、昭和ライダーを見る気になることがあったとしたら、その後にでも見てみればまた違うかも。

 

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