やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

ビューティフル・マインド』、面白かっ……た。というか、刺激的だった。
結論が愛というやすい言葉で片付けられてしまうことには納得いっていないが、まぁ映画としてオチをつけようとしたらそうならざるを得ないのは分かるので良い。

 

僕が本作に心動かされた理由はなんとなく分かっている。『Serial experiments lain』だ。
平成ライダーの見返しの息抜きにと前々から気になっていたその作品に手を出した。と言ってもゲームはプレミア化していて手が出ないので、ゲーム実況を視聴するというかたちだが。参照serial experiments lain
こっちは「愛」などという曖昧な言葉でお茶を濁さず、その問いだけを残したまま終わる。まだその実況完結してないから分からないけどね。少なくとも一周目のエンディング時点ではってことで。

あとあれだな、しばらくカウンセリングを受けていなくて不安が強いというのもあるかもしれない。
つまりはタイミングだ。

 


ちょっと理屈っぽい話に逃げると、以前話した代替現実(SR)を体感したような気分になった(詳しくは"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)。

僕が見たテレビ放送版はどうやらかなりのシーンがカットされていたようなのであんまりアテにならないが、前半ではジョンの視点で彼の友達や"仕事仲間"との関わりが描かれるが、後半にて全部彼による妄想の産物であったと明らかになる。
僕は彼らを(フィクションの中の)現実として捉えていたのに、そうではないと突きつけられたとき、言い知れぬ恐怖を感じた。

 

もちろん騙されたのはジョン視点だったことが原因だろうし、アリシアの視点を映されることで視聴者はようやく"フェア"な位置に立てる。これを「作者に騙された、一本取られた」で片付けることは簡単だ。
でも現実ってアンフェアで、そんな風に都合よく視点変更することなどできない。
日常的に起こりうるサイズに変換すれば、記憶違いだ。
例えば、あぁ……そうだな、自分が食べようと取っておいたプリンが、冷蔵庫になかったとしよう。家族に訊くと「この間くれるといったじゃないか」と言われるも、全く記憶にない。そんな状況だ。


僕なんかは、「もしあんたが正しいとすれば、僕は幻視や幻聴を体験したことになる。僕が正しいとすれば、あんたが忘れているだけとなる。幻覚と物忘れ、どっちが起こる可能性が高く感じる?」という理屈で丸め込もうとしたりするんだけど、僕は別にこの理屈が絶対的に正しいと思って使ってる訳ではない。
単にこれを使えば自分に都合よくことが運ぶかもしれないから、便利な手札の1つとして持っているだけで、もし自分が"記憶にない"側なら決してそんなことは口にしないし相手が間違っていると信じるだろう。

 


僕は自分に自信がない。そうでない時もあるが、とりあえずここでは"自信がない僕"の話をする。
小学生のとき、どういう文脈だったか忘れたが、友達に家庭について話したことがある。「生みの母は病気が原因で子育てをできなくなって離婚し、育ての母からは虐待され云々」みたいなことを。生みの母については実際のところは当時の認識とは若干違ったんだけれど、それはまた別の話。
そしたらその子に、「ドラマみたいだね」って言われたのね。当時の僕はそれが何だか嬉しくて、以降その経験を誇らしく感じて、自分のアイデンティティとして認識している。周りにはそんな人生を過ごしてきた人はいなかったから、「自分は特別で希少なんだ」ってさ。
でも、そのうちどちらも"過去の出来事"になってしまったんだよね。記憶もだんだん曖昧になってきて、本当にあったことなのか不安になってくる。
継母に対する憎しみというか、彼女は自分の中の"悪"の象徴であって、彼女のせいにすることで色んな問題から目を背けたりとかしてたんだけれども、その根拠としていた虐待の記憶が定かでなくなってきたことで、自信がなくなった。と同時に自分の希少性の根拠も薄れていく訳で、よくある表現をすれば自分が何者なのか分からなくなったんだよね。


あー、何の話だっけ。僕に自分語りさせるととにかく母親の話しかしなくなるんだよな。えーっとそうそう、だから現実ってなんなのかって話。
ジョンにとっての現実とアリシアやその他にとっての現実。
僕にとっての現実と他者にとっての現実。
僕はどちらかに無理やり合わせるって発想はあまり好きじゃない。作中では、触れたり鼓動を伝えたりして現実を"実感"させていたけど、幻覚には幻触というものもある。ジョンは女の子にキスまでしている。あれを"妄想"で片付けるのは、納得いかない。
経済学風に言うなら、トレードオフな状態だよね。
少なくともジョンは、チャールズ達を妄想と切り捨てることを選んだ。
玲音ちゃんは"自分"を記録/記憶と意識(たぶん"life instinct function")の組み合わせだと認識して、体は要らないと自殺した。
その2つを認識し記録した"僕"は、自他の認識の均衡状態こそが"現実"なのかなって、ふわっと思った。

ゲーム理論の本、借りはしたけどまだ読んでないから。うまくまとめたつもりだけど噛み合ってなくても僕知らない。これから読んで勉強します、はい。