やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

リーガル・ハイ 第5話「期限は7日! 金か命か!? 悪徳政治家を守れ」/『シン・ゴジラ』 感想

キャラクター

 古美門研介
・「こういう見方もあると言っているまでだ。金と権力の中で生きれば、身内すら信用できないのは当然だ。それもまた辛い人生だろう、心を許せるのが池の鯉だけではな」辰巳「……あぁ、我が身の破滅を恐れたことはありませんね。妻も子も持たなかったので。あなたもそうではないのかな?」
今回はかなり深く古美門に切り込んでいく回だったね。特に後者のやり取りのあと、"鏡"に映る自分から目を逸らすところなんてとても良かった。辰巳を否定することは自分を否定することと全く同様であり、でも擁護する富樫にも自分と似たところがある……。立場によって主張を変えるのは当然として、自分の中での自分に対する評価というのも、立場によって変わっているのかもしれない。しかし今回は同時に両陣営を相手取るので葛藤が生まれやすい。

 

 辰巳史郎
・「どんな手を使ってでも悪者はぶち込む、それが私です」
津田寛治さんがさ、龍に蛇に"しろう"なんて名前で出てきたら、そりゃもう平成ライダーファンとしては黙っちゃいられないよね。黒を白にするスーパー弁護士なんてのもいたし、「正義はない」し。意識してんじゃねぇかとも思うけど、龍騎を知ってるなら「特撮ヒーローものの中に正義はある」とは言わせないよな。まぁ、白倉さんなりの正義の表現があれであるというのは有名な話だから、そういう意味ではそうなるけど。

 


構成

・全体的にはいわゆるマキャベリズムの話だった。"The end justifies the means."ってやつ。正直に言えば、555の"主題"歌としてめちゃくちゃあってるかって言われると微妙な気がしてるんだけど、どういうことなんだろね。ベルトの力やオルフェノクの力を"手段"として、The endを目的と訳すならまだしっくりくるけど、結果と訳した場合はあんまり。どっちも見たことあるけど、どっちが正しいのかね。英語はよく分からん。
根底に流れるものとしては何でも構わない(Anything goes!)と似たものがある。『理性の限界』では方法論的虚無主義なんて表現されていたけど、まさにそんな感じ。法律というのは国家が国を収めるという"目的"の元に運営している手段に過ぎないのであって、だからこそ"正直者が馬鹿を見る"と言われてしまうような現象も起こり得る。"正直者であること"すら何かの手段に過ぎず、例えば「情けは人の為ならず」的な考えの元にされて嬉しいことをしているだけかもしれない。
法律などつくらずとも絶対的な正義があるとするならば、それは公正世界仮説と呼ばれているものだろう。人為的な懲罰システムをつくらずとも、善人には良い結果が、悪人には悪い結果が訪れる世界のことだ。逆説的に「悪い結果が訪れるのは本人がそれに相当する悪いことをしたからだ」という解釈をすることがセカンドレイプが云々の文脈で批判されたりしていることから明らかなように、この仮説は誤りである。あるいは、"世界が思う公正"と"人間の思う公正"にズレがあるとも言えるかもしれない。
まぁとりあえず、古美門や富樫、そして辰巳は、そういうある種の諦観の元に"違法である"ことを然程重要視せずに生きているって訳だ。
・いつもワインっぽいものは飲んでるが、今回初めて明確に"酔っ払う"描写が見られた。タイトルのLEGAL HIGHとは合法ドラッグを指し、広く取れば酒もそうだろう。軽く扱うには勿体なすぎる要素なので、何かありそう……なんだけど、パッとは思いつかない。結局その飲み会で得た情報(江藤の裏切り)は役に立たなかったし、大した意味はないんだろうか? 馬鹿と鋏は使いようなんて言うけど、やっぱりこれもものの見方の話ってことでよいのだろうか。酔い潰れて偉そうになる面もあれば、コミュニケーションを円滑にすることもある(らしい。僕は飲んだことがない)。
・「世の中に先生と呼ばれる職業はいくつかある。教師、医者、君たち弁護士。そして政治家だ」
今回には直接関係ないけど、教師と医者についてはどちらもSPにて取り扱われる題材なので、何かリンクがありそう。

 

 

以前親戚と『シン・ゴジラ』の感想を語らう機会があった。僕も相手も作品自体には肯定的で互いに「リアルで面白かった」と言っていたのだけれど、本質的には真逆と言っても良かった。大雑把に「自衛隊出動までの前半/巨災対ゴジラを凍結する後半」と分けて、評価している点がまるで噛み合わない。
先方は「前半は会議ばっかりで何も決められない政治家の無能さを皮肉に描いていて面白かった」というのに対し、僕は「甚大な被害が出たが、最善を尽くす姿がかっこよかった」と感じたのだ。
矢口は確かに冒頭から巨大不明生物である可能性を進言しているが、僕の覚えている限りでは根拠と呼べるものは一切ない妄想、飛躍としか言えないものであった。それよりは経験的な予測に基づく確からしい判断のほうが僕は好きだし、少なくとも公的機関にはそうであって欲しいと感じる。何よりあの手続きは"現代日本においては必要"とされているものなのだ。理由は色々あってここでは語りきれぬだろうが。
で、じゃあ後半的な迅速で飛躍した対応をするためには何が必要かと言えば、例えば独裁者か、今回の富樫のようなフィクサーであろう。古美門の言うように彼のように力を持つ者の存在はそういった利点があることは想像がつく。しかしそういった権力者は嫉妬などまた別の理由で疎まれてしまう。決定権を分散すれば会議ばかりで時間がかかるのも当然だろう。
「リアルだった」という感想が同じな以上、"リアルな政治"へのイメージの相違が根底にあるのは疑いようもない。「私利私欲しか頭にないバカどもによる汚い世界vs自分よりもずっと頭のいい人たちの葛藤による難しい世界」……どちらが正しいのかなんて、僕も向こうも実際に政界に入ってこの目で確かめた訳じゃないので分かるはずもない。単純に僕は、よく知りもせずにバカだと決めつけるのが嫌なだけ。
なんか話が逸れたな。雑にまとめると、龍騎といいリーガル・ハイといいシン・ゴジラといい、津田寛治さんかっこいいよね。

 

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