やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

長かった…………。

 

クウガアギトときて、ようやく龍騎を見終えました。満足度は7.5ほど。ちょっと見るのがつらかったから1週間ほど全く見ない期間を挟んだ。

 

何がつらかったかって、手塚が死んでからの3クール目がもうつまらなくてつまらなくて……解釈違い、本筋と関係ないギャグ(しかも連続)、引き伸ばし……とにかく酷かった。2クール目のラストでめちゃくちゃ盛り上がって「さぁここから」というところであんなの見せられたら、視聴意欲そがれる。僕は一気見だからまだいいけど、リアルタイムで見てたら3ヶ月あのどうでもいい話見せられる訳でしょ? 想像したくない。もっとこう、いい感じに配分できなかったのか。あんな続け様にやることないと思う。

 

 

さて、愚痴はこれくらいにして本題に入る。龍騎の最も重要なテーマは「問い」だと自分は思う。

これは勿論、真司のことである。彼は戦いを通して願いを叶えようとするライダー達に絶えず疑問を投げかけ、自分自身も悩み続けた。

 

そこを深く語る前に"前提"を確認しておきたい。今作の登場人物は基本的に真司の言うことに耳を貸さない。それが何故かというと、彼らが多かれ少なかれ"思考停止"しているからだ。

蓮は恵里を生かす為に、北岡は自分が生きる為に、浅倉はスッキリする為に……それぞれ「戦うしかない」と決め付けてしまっている。

正直に言ってここは企画倒れだと思うんだけど、「龍騎の世界において模範的な仮面ライダー」って蓮と北岡と、あと美穂だけなんだよね。後の奴らには「ライダーバトルに勝って叶えたい明確な願い」がない。だから例外が多過ぎて説得力に乏しいんだけど、仮に僕の想像が神崎の思い描いていたビジョンと同じだとすると、ライダーバトルっていうのは参加者を思考停止させるような構造になってるのね。

 

1.そもそも「戦ってでも叶えたい願いがある奴を選ぶ」。蓮が言うところの「そのバカなことにしか賭けられない人間だけがライダーになる」ってやつね。絶望的な状況に垂らされた糸ならば、縋る"しかない"。

2.次が「ライダーシステム」。変身することで相手の顔が見えなくなり、更にどう見たって人殺しの道具には見えないデッキやカードを使ってまるでゲームのように攻撃をする。これらによって人殺しであるという実感から遠ざけ、戦いに集中できるような仕組みになっている。

3.最後が「戦う相手も同じライダーである」ということ。いわゆる同族殺しね。「ライダーである以上は自分と同じく、自分の願いのために人を犠牲にする覚悟、自分の命をかける覚悟を決めているはずである」というある種の信頼から、互いの罪悪感などと言った感覚を麻痺させ、"仕方ない"という気にさせる。

 

「戦わなければ生き残れない!」とキャッチコピーにもなっているように、神崎は様々な角度から「戦え……戦え……」とその"ルール"を刷り込んでくるんだよね。

その甘言に"乗った"者こそがライダー、ということになる訳。より伝わりやすい言い方を選ぶなら、誤前提暗示かな。本当は二者択一じゃないのに、「戦わなければ生き残れない」という前提で話を進めてくる。

 

実際のところは蓮や北岡の境遇を知っていれば、「ライダーバトルに縋る以外の道はない」というのは強ち間違った前提であるとも言えないんだけれど、それでも尚、他の道がないか模索しようとするのが真司なんだよね。前提を壊して、視野を広げようとする存在。

だから、パッと見「偶然ライダーになった真司と、願いのために自らライダーになった蓮/北岡」という構図に見えるんだけど実はその逆で、「自らの意思でライダーになった真司と、どうしようもない運命のせいでライダーになるしかなかった(本当はなりたくない)蓮/北岡」なんだよね。この対比がうまいんだ。

 

後者は「命がかかってるんだから仕方ない。こうするしかない。他にどうしろって言うんだ」という被害者的な立ち位置にいるために、戦うことを自分の中で合理化して心を守ることができるんだけど、真司は自分の意思で首を突っ込んでる訳だから戦いでやったことは言い逃れようもなく自分の責任となる。だからこそ誰よりも悩むし、誰よりも苦しい……。

それでも只管に考えて、考えて、失敗しても考えて、時には考えるのをやめてみたりもして、まさに試行錯誤を繰り返すこととなる。

 

ちなみに、浅倉は蓮と北岡を挟んで真司の反対側にいる。本人が言うところの"イライラ"……怒りとか悲しみとかそういった負の情動と一切向き合うことなく、ただ暴力によって"発散"させてしまう。「こういうことがあったから仕方ない」という思考を挟む余地すらない完全な逃避。それが彼の本質だと思う。劇中では蓮が浅倉と協力するかしないか迷う話があるんだけど、その"浅倉側につく"っていうのはつまり「思考を完全にやめる」ということを意味しているんだろうなと。

よく浅倉のことを化物だとか人間じゃないとか、ただ快楽のために暴力を振るうだけの舞台装置のようなものだとか言っている人を見かけるんだけど(そして劇中の人物も時々言ってるんだけど)、自分的にはだからそれは違うと思うんだよね。浅倉は作中で最も弱い存在、逃避の象徴として確固たる役割があったし、あくまで『そういう特徴を持った人間』。最終回では、北岡が来なかったことに対して「何故だ……」と、イライラの原因と向き合うことを始めるようになり、新たな世界では「イライラさせるな」と事前に自分の感情を逆撫でるものに対処しているようにも見えるセリフを言っている。暴力以外の選択肢を探し始めた(あるいは見つけた)のだと自分は受け取った。

 

13人全員について語ってると無駄に長くなるからここではこの重要な4ライダーについてのみで留めておくけど、それらを踏まえた上で見えてくるのは、「停止と変化」という前作アギトでも綴られた1つの大きなテーマだったりする。

真司の試行錯誤っていうのは、変化の象徴。多分脱皮した蛇が龍になったってイメージだと思うんだけど(勿論王蛇は脱皮できない蛇)、どっかで聞いた「脱皮できない蛇は滅びる」って言葉に色々と詰まってると思う。

 

受け入れたり肯定すること、あとは安定みたいなものっていうのは、"諦め"や"妥協"に近いものだと僕は感じるのね。

対して否定・疑問は変化の可能性の模索というか、革命的というか、そういうイメージ。

妥協点を見つけるのが悪い訳じゃないけど、「これが最善、唯一の道だ」と考えるのは視野が狭いな、という話。

ライダーとして他のライダーと戦うということは「自分と戦わないこと」であって、そういう見方をすれば真司は誰よりも「戦ってた」んだよね。答えなんか出ないだろうし、考えたら絶対うまくいくとも限らない。真司は結局、事態を好転させたとは言い難いまま死んでしまうし。それでも考えてみる。あるいは考えないでみる。自分の意思でそれを決める、あるいは誰かに決めてもらってみる……そういう試行錯誤をやってみる、あるいはやらないでみる。

 

…………困ったな、この文脈じゃ"結論"が出せないじゃんか。

多分、白倉さんの思う"仮面ライダー"や"変身"ってそういうことなんじゃないかな、と思ったんだよね。仮面ライダーとは常に常識を壊(自己否定)して、試行錯誤してつくっていく、そういう終わりのない戦いなのだ、みたいな……って、なんだってそうか(笑) とりあえずこれが現状の僕の、暫定的な結論かな。

つまんないとこは結構あったけど、全体的には面白かったし色んなことを考えられて楽しかった!

 

各話感想

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劇場版

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前作

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次作

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