やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

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ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

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―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

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―――クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想

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―――終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

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―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

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――

―――運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想

―――剣(ブレイド)感想一覧

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―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

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―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

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―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

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―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

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―――仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

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―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

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―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

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―――ライドカメンズ感想一覧

 

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まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

――ヘボット!感想一覧

進撃の巨人

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

「もはやこれは仮面ライダーじゃない」
そんな声を毎年多く聞く。では仮面ライダーであるとは何なのかと問うたとき、仮面ライダーの名を冠する者すべてと過不足なく一致する定義を答えられる人はなかなかいない。

仮面を被り、バイクに乗る。その簡単な2項ですら、少なくとも劇中に描かれる限りでは守らないキャラクター達がいる。
ドライブが乗るのは主だって車であるし、RIDEを日本語の"乗る"と解釈しても、近年ではそもそも"乗り物"を持たない者もいる。直近だとバルカンやバルキリー……はかろうじて変身前に黒いバンに乗っていたが、滅亡迅雷の2人は現状、迅がゼロワンに馬乗りになっていたくらいである。
いわゆる複眼,触覚,Oシグナル,クラッシャーなどの外見的な特徴も、ひとつも持たないものこそなかなかいないが、たったひとつ満たしていればそれで良いのかと思う人も多いだろう。
改造人間であるか否かという点も、放送コードか何かによって守られていない。

現在ある程度の説得力をもって世間に受け入れられているのは、
・同族争い,親殺し,自己否定の3つを満たすこと
・悪の力を善に転用すること(敵と同じ力を使う)
・人間の自由のために戦うこと
くらいのものである。

以上の現実を踏まえた上で、「仮面ライダーの定義」を打ち立てることについて考えていくというのが本記事の主題だ。

 

目次

 

 

 定義とは何か

まずはここを確認する必要がある。言葉の定義というものは、決して客観的に存在するものではない。
定義とは、コミュニケーションをはかる際に誤解が生まれないよう、ある言葉から抱くイメージをひとつに統一しようという目的のもとに、多くの人が参考にできる拠り所を設けようとする行為である。
すなわち、その目的を共有できない人とは話がそもそも噛み合わないこととなる。
そして大前提として、「仮面ライダーとは何か」を考える際に参考となる大きな軸のひとつは、いわゆる"公式"の見解であることも改めて共有しておきたい。
多くの人がその"公式"の言うことにある程度の権威を感じていることは、彼らの持つ影響力というかたちで現れている。我々が受け入れるから彼らは影響力を持ち、その影響力がまた権威となって更に多くの人に受け入れられるのだ。
政治と同じく、公式の持つ権威は一人ひとりに受け入れられているということに基づき、逆に多くに受け入れられているものは公式でなくとも同等に扱う。
「悪の力を善に転用すること(つまり仮面ライダーは善でなければならない)」という定義は公式の言う"仮面ライダー"の多く、いわゆるダークライダーやネガライダーを振り落としてしまうが、僕の見る限りおいてはそこそこ支持を得ているので併記した。
個人としての僕はこれを支持しないが、「受け入れられている」という事実は受け入れているつもりでいる。
どんなに正しそうに見えても、多くの人に支持され共有されなければ「他者と誤解の少ないコミュニケーションをとる」という定義の目的を達成させることは難しいからだ。
(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

 


 "仮面ライダー"とは何か

いくつかの平成ライダー作品においては、仮面ライダーという呼称は劇中では使用されない(クウガ,アギトなど)か、出処が不明瞭なまま既知のこととして扱われる(龍騎,剣)。
対して『W』では風都市民が、『ドライブ』ではブレンが、それぞれ"仮面ライダー"という呼称を使い始めたのだと明言されている。
前者はそれでもぼやかされているからなんとか納得できるが、後者の「仮面の……ライダーだ! 仮面ライダーに警戒せよ!」というあのシーンには、強烈な違和感を覚える。
何故あのプロトドライブを見て"わざわざ"、仮面とライダーというその2つの要素を、その表現で、その順番で並べたのか。この疑問が出てくるのは、僕が視聴者という立場にいるからというだけではなかろう。むしろ視聴者でなく仮面ライダーという単語を知らない者こそ、抱いて然るべき疑問だと思われる。
ブレンがあの時あの場所で思い浮かぶ言葉は、それこそマスクドライダーでも、アーマードライダーでも、メットライダーでも覆面ライダーでも、なんでも良かったはずなのだ。にも関わらず(他作品と)示し合わせたように"仮面ライダー"になることに、僕は違和感を禁じ得ない。
市民が呼び始めたというのもブレンが名付けたというのも、どちらも「何故劇中の戦士が仮面ライダーと呼ばれるのか」に対する説明としての機能を持っているが、それは少なくとも僕の「何故"仮面"と"ライダー"の2要素を強調して呼ばれているのか」に対するアンサーにはならなかった。
僕はグローバルフリーズのスピンオフは見てないのでなんとも言えないが、そこではそんなにも"仮面"と"ライダー"を名前に付けたくなるような活躍が描かれているのだろうか?
仮面を強調するならば素面の存在がチラついていなければおかしくて、そうでなければ元よりそういうデザインの機械かもしれない。それでいくとダブルは正体を隠しているはずなので、変身体と別の姿(面)があるという発想を抱く理由が見当たらない。顔が見えない程度に変身するところだけたまたま目撃されたのだというロジックも組めるが、結局実際のところ「仮面ライダーと呼ばれる」という結論ありきなことに変わりはない。
仮面ライダーであって悪い理由はないが、仮面ライダーである必然性もまた、ないのだ。


では、平成ライダーが"仮面ライダー"と呼ばれるのは「『仮面ライダー』から続くシリーズであるから」で一旦片付けるとして、初代『仮面ライダー』まで遡って、「何故"仮面ライダー"なのか」という疑問の答えを探してみるとどうだろうか。
結論から言えば、見つからない。
開幕早々、画面上に映ったキャラクターに『仮面ライダー』というタイトルが重ねられることで、また主題歌やナレーションを通じて視聴者に対しては問答無用で示され、劇中内では本郷変身体=仮面ライダーであるということは、どうやらほぼ自明のこととして扱われている。
2話で初めて、バイクも何も関係ないのに唐突に「ライダー投げ」という技名らしきものを叫び、3話にて戦闘員がこれまた唐突に「仮面ライダーだ!」と呼ぶ。
味方サイドで自覚的に呼ばれるのは4話であり、少年が自分を助けた"あのお兄ちゃん"は誰かと問うたところ、「あれは仮面ライダー」だと説明される。
漫画版にしても、変身した本郷猛が自分から名乗るというだけで、唐突なことにそう変わりはない。
本郷猛が仮面ライダーと呼ばれるに相応しいかどうか、みたいな段取りは一切なく、なんなら流れとか雰囲気といったもので呼ばれ始める。

劇中で仮面ライダーと名付けられるのは現実世界でそう名付けられたからかもしれないが、更にそこへ「何故」を突きつけることもできる。仮面を名前にチョイスしたのはペルソナをテーマにするためかもしれないが、では何故ペルソナの要素を入れようと思ったのか。何故あのようなデザインになったのか。何故石ノ森氏に依頼されたのか。何故企画されたのか……。
このように、あることを説明するために使った事柄についての更なる説明を求めていくと、無限後退と言われる状態に陥る。
"根拠"とは言葉の通り根っこであり、ある事柄が成立するための前提条件である。無限後退している限りはいずれの前提も無根拠なものとなり、正当性(拠り所)を失ってしまう。


いちゃもんを付けて、否定したい訳では決してない。
ただ、仮面ライダー達が"仮面ライダー"という文字列で表されることに対する明快な"根拠"は、少なくとも劇中では示されていないということは、ひとつの事実として受け止めなければならない。
言語学ではこのようなことを言語の恣意性と呼び、そもそもそこに根拠など有り得ないとしている。

 

 


 意味の逆流現象

前項では「何故」をキーワードにそのルーツを辿ろうと試みたが、失敗に終わった。
ここでは「何故かはよく分からないが仮面ライダーと呼ばれている」という事実を受け入れた上で、それがどのような意味を持つのか考えていくこととする。

仮面もライダーも、どちらも本郷猛変身体という存在を記述するために、その所有物(マスクとバイク)を利用していることが分かる。
"仮面ライダー"というのは、「本郷猛の仮面とバイク」という認識から見て「仮面を被ってバイクに乗った存在(本郷猛)」という認識に主従関係が逆転しているのだ。
これは、世間的にショッカーという組織が「仮面ライダーの敵」と認識されていることと似ている。
ある集合の中の一部が、全体の意味に影響してしまうのだ。


仮面ライダー関連で似たような事例をもう2つ挙げよう。
『ディケイド』における小野寺クウガ。彼が地の石の力によって変身するライジングアルティメットというフォームがあり、それに対して「ライジングフォームはアルティメットの力が漏れ出た形態なので、"ライジングアルティメット"というものは有り得ない」という意見がある。
これはたまたまクウガがアルティメットの力によって力がRiseしている様子をライジングマイティなどと名付けただけであるにも関わらず、受け取り手が勝手にRisingという言葉そのものに「アルティメットによる」という意味を付加させてしまったことによる混乱である。矛盾があるとすれば、更に上昇する余地があるのならそれは"究極"ではなかったのではないか、という部分だろう。まぁそれも「名付けた者が究極だと思った(けど違ったらしい)」で済む話だが。

もうひとつは『フォーゼ』における如月弦太朗。「主人公の髪型がリーゼント」というだけで、抗議の声が殺到したそうである。
あの髪型にすることが直接的な"悪行"ではないはずだが、リーゼントヘアで不良行為をした誰かがいたせいで、髪型そのものに"悪い"という意味が付加されてしまったのだろう。
学校の規則を破ることはよいことではないが、そもそも規則としてあの髪型を禁止する時点で既にその意味の逆流が起こっている。或いは「何故」の通じない、よりプリミティブな不快感に根ざしているか。

このような現象は、我々のそばで日常的に起こっている。

 

 

 大自然が遣わした戦士

"定義"というのは、厳密には対象となる概念と過不足なく一致する必要があるので、これは定義とは少し違う話なのだが、僕の中での"仮面ライダーのイメージ"というのは、「たくさんいれば、色んなやつが現れる」という言葉で表現される。
ショッカーが自らの意のままに動く怪人たちをたくさんつくっていれば、いずれ一人や二人くらい意のままに動かない者が現れる……それが"自然"なことである、という観念。
これを「"仮面ライダー"と呼ばれる者」の定義にしようとすると、例えば本郷を逃がすことに協力した緑川博士の存在も含まれてしまうが、彼に仮面ライダーの名は冠されていないので、矛盾してしまう。

ショッカー怪人なのにショッカーに従わないだとか、仮面ライダーなのに悪人だとか、リーゼントヘアなのに悪いことをしないだとか、ショッカーが脳改造前に本郷を目覚めさせるだとか、実験のためとはいえ本郷に風力エネルギーを与えてしまうだとか、そう言ったことに対して我々が感じるある種の"不自然さ"や"おかしさ"。
しかしどれだけおかしい、有り得ないと思っても、実際に起こってしまっている以上、人間の認識には反していても、この自然世界のルールには反していない。すなわち"自然"なことなのだ。
この文脈でのより大きな"自然"のことを、人間が感じるそれと区別するために、ここでは"大自然"という言葉を使いたい。

 

実際の現象を前にしては、理論的に有り得ないだとか定義に反しているだとかそういったものは意味をなさない。事実こそがすべてであり、大自然の前では我々人間の理屈は常に泣き寝入りをするしかない。
一度雨が降ってしまえば、いくらその日の降水確率が0%でおかしいと感じても、降らなかったことにはできない。
うちの近くのスーパーでは、買い物の際に3円払うと"ゴミ袋"と書かれた袋を渡される。買ったばかりのもの、況してや食料品をその中に入れて持ち帰ることに僕は些かの抵抗を覚えるのだが、勿論"ゴミ袋"と書いてある袋に入れたからと言って、商品がゴミ(もう使えないもの)になる訳ではない。レジ袋として使えばゴミ袋と書いてあろうとも本質的にはレジ袋足り得る。
天気予報が外れることもあれば、ゴミ袋が想定外の使われ方をすることもある。

複眼(たくさんの目)に触角(アンテナ)、そしてOシグナル(第三の目)と、仮面ライダーの記号は「周りの状況を察知する」能力に長けているイメージがある。目は言わずもがな周囲の風景を、触角は温度や音,匂いなどを、第三の目はそれらを超越した直観や霊的感覚などを司り、ともかく全てに共通するのは"探る"のが役割だということ。ついでに言えばマフラーも、風の有無がひと目でわかる。
だから特に近年の仮面ライダーは、流行を取り入れ周囲に合わせ、得てして目の前にある現実を"受け入れること"がテーマ的にピックアップされることが多いのだと思う。

後になって、顔が特徴的なのもその周辺に情報の受信部が多いことも当たり前であって、わざわざ取り上げるようなことでもなかったかなとも思ったが、ご愛嬌。

 

"仮面ライダー"という新しく作られた概念は、何故かもどういう意味かも判然としないままに、本郷猛変身体を指して使われ始めた。
そしていつしか変身者が一文字隼人に変わっても、悪人に変わっても、バイクに乗らずとも続けて使われている。
ショッカー怪人がたくさんいればショッカーに歯向かう仮面ライダーが生まれてくるように、仮面ライダーも規模が大きくなれば色んなやつが生まれてくる。

何事も「もはやこれは〜ではない」と言いたくなる例外的存在は出てき得る。それが"大自然"の掟なのだ。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

 

 

 世界の破壊

ショッカー怪人だからと言ってショッカーに与するとも限らないし、仮面ライダーだからと言って正義の味方とも限らない。
改造人間という設定は、人間の体すら究極的には言葉と同じく、交換可能な"仮面"に過ぎないということを表している。
記号と、それによって表される意味。
言語はもちろん、それ以外のリーゼントという髪型や我々の顔のような視覚的な情報、聞こえてくる聴覚情報なども、すべて"記号"に過ぎない。
仮面ライダーのデザインは、どう見ても設定通りの強化された肉体というよりは服なのだが、"改造人間バッタ男"がショッカーの技術で複製可能なのと同様に、容易に取り替えられる衣服もまた人の外見を規定する記号のひとつである。
現代で言うところの"コスプレ"の延長線上に、なりすまし(擬態)はある。
実際、既に整形技術はかなり普及しており、かわいいだとか美しいだとかいう基準に合わせて顔を作り変えた結果、多様性がなくなり「皆同じような顔」になっているというような話も耳にする。
"そっくりさん"はつくれる時代に突入しつつあるのだ。

また俳優の藤岡弘、さんの事故の弊害であるとはいえ、中盤に本郷猛の過去の映像が使い回され、声を別の方が吹き替えていた時期がある。
これも結果的にだが、本郷猛だからと言ってあの声だとは限らないという、声の交換可能性を示す事柄となっている。
というか桜島1号とか新1号とかの登場回も見てみたが、声と同じく見た目が変わったことに対する説明らしきものは一切見当たらなかった。
だがそれらも全部「改造人間だから」で受け入れられてしまうのは、偶然というよりはこの設定の懐の深さを表していると言えよう。
すなわち、"仮面ライダー"の真髄のひとつは、この"交換可能性"という部分にあるのだ。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

インターネットが普及し、誰もが簡単に仮面を被ることができるようになった。
ゼロワンの感想にて詳しめに話したが、ゲームプレイワーキングと言って、自覚的にはただゲームをしているだけでその入力が何らかの仕事に変換され、働いているのと同じ成果を得られるようになるシステムというのも考案されつつある。これもまた、見えている世界と実際に意味する世界を乖離させるベクトルの力である。
もはや見た目も声も名前も物事の本質と直結せず、そもそも本質……攻殻機動隊で言うところのゴースト(代替不可能なもの)などあるのかという疑念に駆られるようになる。
だが、それは悪い面ばかりではない。何者でもなくなった我々は、同時に何者にもなれるようになったのだ。
白倉さんによれば仮面ライダーは自らの親を否定するというが、その意味では作品にしばしば登場する"おやっさん"という存在は、言わば親代わりと言える。
加賀美やじいやたちにとって、本来何の関係もないスコルピオワームが神代剣になり得るように、誰もが誰かに擬態できる。
ゴミ袋をレジ袋として活用することも当然できる。

従来信じられていた必然的な繋がりが破壊され記号と意味が分離した結果、「子供たちは仮面ライダーになれる」のだ。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 


 自らを由とする

記号と意味の繋がりが断ち切られ、破壊された世界では、存在はその背景や根拠,ルーツを失う。

人はそういった後ろ盾を持たない者に対して厳しい面がある。「ジクウドライバーはどこから来たのか」「ギンガって一体何だったのか(何年のミライダーで変身者は誰なのか)」などという疑問はいい例である。ビルドドライバーは、エボルドライバーを参考に葛城親子がつくった。だが、そのアレンジの発想の元や、そもそものエボルドライバーはどこから? と言った"由来の由来"、すなわち祖父母にあたる疑問は、目を向けられないことが多い。なんなら仮面ライダーの力の源について「現代の科学では説明できない不思議なパワーなのだ」という説明する気がない説明でも、何も言われないのと比べればそこそこ落ち着くだろう。

これを端的に表しているのが『龍騎』だ。
「映画は本編に繋がるループのひとつである」という言説は、それだけでは説明になっていない。何故ならタイムベントで時間を巻き戻す当事者である士郎が死んでいるので、単純には繋がり得ない。もちろん、他の誰かが神崎の研究資料を見てやっただとか、それなりに理屈を通して繋げることは不可能ではないが、上記の説明だけで納得している人は明らかにそこまで考えていないだろう。

ジオウ同様に説明不足も甚だしい電王が成立しているのは、例えば「教養の差だ」みたいな"説明してる風"のセリフがあるからだろう。
我々が抱く「何故?」とは、その程度の近視眼的で適当なものなのである。
親世代が無根拠であることを容認されるのならば、子世代が無根拠であることも理屈としては大差ない。


要するに、エボルドライバーの出自が気にならないのにビルドドライバーやジクウドライバーの出自だけを気にするのはナンセンスだ、という話。エボルドライバーの出自が宇宙のどこかの知性体だとするなら、その知性体のルーツも探らなければならない。これは先ほど言った無限後退である。
無限後退をしないのであれば、我々はいつか、背景を持たず無根拠で、他者との関係によって記述されない"孤高の存在"を受け入れねばならない。実際にそうであるかは関係なく、我々の認知の限界として"ナマの事実"は現れてくる。もしくは循環するか。

人は自分のルーツを求めて宗教による"説明"をしようとする。
だが無宗教の人が存在するように、また人をつくった神のルーツ(のルーツ)が語られないように、根拠など分からずとも存在できてしまうのが実情である。


従来は「自分は男だから力が強い」という文章が意味をなしたが、男だからと言って力が強いとは限らないことが分かると、男であることは根拠として機能しなくなる。
そこにあるのはただ「自分は力が強い」という事実のみである。
これは、"それまでの定義からの自由"を意味する。
定義がもたらす「男である→力が強い」「仮面ライダーである→正義の味方」「すずきやまとである→葛葉紘汰ではない」などの不自由から解放され、すずきやまとであった背景をかなぐり捨て葛葉紘汰になることができる。
これこそ、世界の破壊がもたらす恩恵である。

僕のハンドルネームである"やんま"は、由来としては所謂リアルにて友人にそう呼ばれていることが挙げられるし、更にその理由を求めると例えば眼鏡をかけていることだったり本名とも少しかかっていたりということになってくるのだろうが、そんな背景はお構いなしにネット上では"やんま"として、なんなら"やんまヘボ"として定着しつつある。
そう、例え一切根拠などなくても、名乗ること/呼ばれることによって名前というのは"定着"するものなのだ。


先程からキーワードをちょろちょろ出している『ディケイド』を絡めて説明するならば、士が世界によって役を与えられることを"役者"に見立てたとき、同じ現象が起こっていることが分かるだろう。
井上正大さんは門矢士に変身する。「門矢士として生きてきた背景」を当初の彼は持っていないが、撮影が始まれば門矢士になりすます。
しかし背景を持たないからと言ってその存在(井上氏演じる門矢士)が成立しないとか価値がないかと言えば、そうはならない。彼の声、表情、身のこなし……その一挙手一投足が"門矢士"として新たな価値を生み出し、定着していく。
『ディケイド』を好きじゃない人も自分の好きなキャラクターに置き換えて見れば共感できるだろう。仮面ライダーシリーズにおいてノンフィクションだった作品というのは現状ない。
背景の破壊というものを自覚的に扱った作品として、もうひとつ『電王』がある。味方側のイマジンズはルーツである"カイの未来"がなくなったことによって消えるはずだったが、そんな根拠などなくとも「いるものはいる」ということを示した。同時に良太郎のイメージを借りた存在でもあるが、後々良太郎がいなくても登場したり変身できたりするようになったのも、その傍証であろう。良太郎に両親がいないのもそれを思わせる。

 

悪の仮面ライダーや暴走するアナザーアギト(アギト)の存在によって、正義の仮面ライダーや木野アギトの名誉が脅かされるという意見がある。
だがしかし、"仮面ライダー"の称号という文字列や、アナザーアギトのような見てくれひとつにすがらなければ瓦解してしまうほど、彼らという概念は弱いものなのか。その個体が持つ要素の中からそれだけを抽出して、あとは"ないも同然"にしてしまうのか。
それらひとつひとつは所詮借り物の記号による一部分に過ぎない。例えばクウガのガワにも小野寺が出て来る前から先代という別の所有者がいるし、アギトの力もまた他の変身者が多数いるものであり、翔一と同型のアギトが存在し得る以上、個体差の問題として木野のものとよく似ているか全く同型のアギトが生まれる可能性がないと言い切る根拠はない。木野薫という名前にしたって、それほど珍しい訳でもないし、同じく木野という苗字の人間が悪事を働く可能性は十分にある。だがだからといって「木野薫に失礼」という立場からの批判はナンセンスだろう。決してこれらは専有物ではない。

では木野薫という概念とは何なのかをきちんと説明しようと考えると、"生き様"とでも言えるような網羅的なものでないといけない。
それをたった一言で表現しようとするならば、木野薫とは木野薫であり、仮面ライダーとは仮面ライダーである……という、トートロジーに落ち着くことだろう。

下の記事の"テーマ"という項で、ダークライダーの存在意義について詳しく書いてるのでそちらも是非。
(参考:仮面ライダーディケイド 6,7話「バトル裁判・龍騎ワールド/超トリックの真犯人」 感想)

 

先に用意された仮面ライダーという集合の"定義"に構成要素たる本郷猛たちが従うのではなく、その名を冠する者たちの生き様そのものが逆流し"仮面ライダー"という概念の意味をつくりあげていく。
それがこの"定着"という現象の意味するところだ。

名が体を表すのではなく、体が名を表す。
彼らに背景の有無は関係なく、仮面ライダーだから仮面ライダーなのだ。

そういう意味で、とにかく顔に「カメンライダー」と書いてあるから仮面ライダーであるというジオウの(言語学的な)スタンスは子供向けとしても至極真っ当と言える。

 

 

 

 仮面ライダーの敵

既存の定義にもあるように、仮面ライダーの敵はそのルーツである場合が多い。このことからも、仮面ライダーの無根拠性が顔を覗かせる。

敵組織の中でも最初の敵であるショッカーに注目すると、「ナチスドイツの残党」という点がひとつ挙げられる。
あいにく僕は社会科、とりわけ歴史を毛嫌いしているので詳しいことは知らないのだが、ショッカーとの類似性という視点から語る上で重要になるのは、やはりその優生学的な側面だろう。
改造手術によって動植物の特徴を移植し、強化された人間をつくる。そしてそれに適応できない者は(強制労働の末に)殺されてしまう。

ここに現れているのは、超人的な人間だけによる無駄のない世界にせんとする、息の詰まるような思想だ。
僕は発達障害を持っていて、最近は同じ障害者(身体精神など問わず)が集まる施設に通っているのだが、自分も含め、我々障害者が他人と関わりながら迷惑をかけずに生きていくことがなかなか難しいのは、悲しいかな事実ではある。
そういった負の面を日々感じている身からすると、「人類全体のことを考えたら障害者はいない方がよい」という意見を、無下に扱うことはできない。

障害者に限らずとも、例えば一部の犯罪者などは今でも実際そのような判断を下されて死刑となってしまっている。

健常者も他人事ではない。日常生活は問題なくおくれていても、人類全体というマクロな視点に立った時には、一挙一動がバタフライエフェクト的に損をもたらしている可能性はあり得る。例えば安くて質の悪い商品を妥協して買う判断は、技術の発展を遅らせている一因であると言えるかもしれない。より高く質の良いものに需要をもたらすためにはよりお金を稼ぐ必要があり、その為には自らもより質の高い生産をしなくてはならないというスパイラルに陥る。その先にあるのは、小さな幸せに満足することなど許されない世界だ。
(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

以前の記事にも書いたが、僕は人類に与えられた自由があるとすれば、それは「最善を尽くさない自由」だと思っている。
将来のことを考えたら何か身になることを勉強した方がいいと思いつつ、漫画を読んだりテレビを見る自由。もう少し痩せた方がいいと思いつつ、お菓子を食べる自由。選挙に行った方がいいと思いつつ、行かない自由……。

"正しいこと"という概念は、人の自由を奪う。僕は「自分の意見が正しい」と感じているとき、きちんと説明して伝われば、遅かれ早かれ全ての人が同じ考えになると信じている。この「全ての人が同じ考えになる」ことこそ、"世界征服"そのものである。

そしてそれはとりもなおさず、冒頭で示した定義という行為(ある言葉から抱くイメージをひとつに"統一"する)に繋がってくる。

 

それと敵対することから、「(誰かにとって)正しくなくてもよい」ということを示すのが、仮面ライダーであるとも言える。
ショッカー首領にとっては、全ての人間が改造され自分の意のままに動くことが"最善"なのだろう。だがそうでなくてもいい。例え自分に不利益をもたらすことであってもそれをする(利益をもたらすことをしない)自由、すなわち愚行権の許容である。
逆に仮面ライダーが次々と生まれるように、同時に敵組織も毎年生まれている。これが許されるのは、敵組織も仮面ライダーにとって正しくなくてよいということを認めなければならないという矛盾を孕むからだ。

この"矛盾"という言葉についても少し考えてみたい。
この熟語の由来は「どんな盾でも貫ける矛とどんな矛でも貫けない盾があったらどうなるのか」ということに対する違和感を表したものであるが、一度立ち止まって考えたとき、この矛盾という現象は、言葉の上でしか起こらないことが分かる。
この自然世界では、どちらかが勝つとか、確率的にどちらが勝つか決まるとか、対消滅するとか、何かしらの結果が必ず出る。
このようにきちんと結果が出たならばそれは矛盾とは言わないだろう。
すなわち、矛盾というのは何かしらの「人間の勘違い」に基づかなければ成立しない概念なのである。不自然なことなど、起こり得ない。

フィクションの設定についても同様のことが言える。
"設定"というのはあくまで現象に対する解釈に過ぎず、たまたま創作物ではそれを先行させることができるように錯覚してしまうだけ。
少なくとも今の僕は、既に起こってしまったことを前にして「有り得ない」などと言うのはナンセンスに感じるので、現象ありきで考えることにしている。指摘したからと言って撤回される訳でもないし。
「人間にとっておかしく見えること」など、大自然にとっては問題ではない。
自分のおかしいと思う基準(正しさ)を大自然に対して押し付けることは、できない。仮面ライダーはそれを体現する存在なのである。

 

 

 

 "仮面ライダー現象"/自然と自由の象徴として

長々と語ってきたが、一言でまとめるのならば「分かったような振りをして定義することによって仮面ライダーから自由を奪うこと自体が、仮面ライダーの理念に反している」ということになる。
人間はこうして短くまとめてもらわないと、脳の処理能力が追いつかなくてなかなか理解できない。書いてる僕本人でさえ全容をきちんと把握しているか怪しい。
だからいくつかの事実を"例外"として目をつむり、より簡単でキャッチーな理解をしようとする。
"仮面ライダー"とはそういった規格からはみ出るものが現れる"大自然の掟"そのものであり、現象の名前であると僕は捉えている。その名を冠するキャラクター達はあくまでその現象の代表として、象徴として、表舞台に立つだけであり、緑川博士やイマジンたちも"現象としての仮面ライダー"には含まれる、というのが持論である。


しかし、その人間の限界もまた自然なこと。
最初に挙げたいくつかの「仮面ライダーの定義」は、既にある程度定着している。定義というものはそのように人々の間でイメージが共有されなければ目的を果たさない。
ゴルドラとシルバラがいくつかの媒体で仮面ライダーの名を冠されたが現在あまり定着していないように、仮面ライダー足る資格というものがあるとするなら、それは人々に広く受け入れられるかどうかということになるのだろう。
そういった意味で、悪人を仮面ライダーとは認めないとする者が生まれるのも自然なことであるし、逆に認める者が生まれるのも自然なことだ。もちろん制作側があるキャラクターに仮面ライダーの名を付けようと思うこともその範疇であるし、そういった人たちが自由に議論を重ねることもまた、仮面ライダーという概念をつくりあげていく自然選択のひとつである。


現象としての仮面ライダーには、我々も含まれている。
我々もまた大自然に遣わされた存在として、自由に生きることができる。
仮面ライダーの定義を決めるのは、石ノ森先生や本郷猛、白倉さんや況して僕ではなく、その全員を含めた集合知としての大自然であろう。

 

 


86ma.hatenablog.com

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1周年記念――今からでも間に合う!『ライドカメンズ』イベント振り返り虎の巻

『ライドカメンズ』1周年おめでとうございます!!!
昨年のリリースから月2回のペースでイベントを開催してきた本作ですが、イベントで初公開となる情報も結構あったりして、1周年から始めた人にとっては追いつくのが大変……と感じることもあるかと思います。
そこで今回の記事では、各イベントで明かされた設定や仮面ライダーたちの過去などの"重要な情報"を抽出して、ざっとまとめました。

ただ、各イベントには単なる情報開示に留まらないそれぞれの人間ドラマがあるので、イベント全体の骨子となる見どころも一緒に書き添えておきます。
……もちろん理想としては実際にすべて読んでいただきたいのですが、なかなかそうもいかないと思いますので、優先的に読む(ストーリー解放キーを使う)イベントを決める参考にしていただければ幸いです。
ちなみに目安として、だいたい1イベント1時間ほど用意すれば十分読めますし、早い人なら30分程度で良いと思います(※ただしボイスが実装されている場合、それを全部丁寧に聞こうと思うと1時間半くらいはかかります)。

初回はひとまず「今昔桃太郎」までですが、読み返し次第追記していきます。

 

 

第1部イベント

任狂映画伝〜力求めし漢道〜

メインキャラ:阿形松之助
見どころ:阿形の父親との確執が、ゲストを通して擬似的に解決し、力こそ全てなマッドガイの活躍が見られる。

・「ライダーサミットが再開」
先代の頃に行われていた、クラスリーダーたちが集まり情報共有をする会ライダーサミットが再始動することに。
・「第二世代カオストーンの実験が開始」
侵入した者をカオスワールドの世界観に染め上げてしまう(実際の現象としては、基本的には衣装が変わってしまう)力を持つ第二世代カオストーンによる実験が、カオスイズムによって開始される。カオスが完成する速度も早いらしい。
・「阿形の過去」
阿形の家が極道の家系だったかもしれないことが明かされ、彼の父親らしき人物がカオスワールドの案内人(日本刀)として現れる。
・「力を求めるマッドガイ」
マッドガイはこれまで通り、世代に関わらず力を手に入れるためにカオストーンを狙う。

 

Freedom/Play/Slam

メインキャラ:ルーイ
見どころ:ルーイがカオスイズムに攫われてそれっきりになってしまっていた過去の友達と再会し、現在の仲間であるスラムデイズとの絆も再確認する。

・「ルーイの過去」
メサイアとクランを組んでミッションスタジアムをプレイしていた。案内人(アサルトン)との関係性は不明。
・「記憶を取り戻したいスラムデイズ」
スラムデイズは、記憶を取り戻すために第二世代カオストーンを積極的に集める。


トゥルーエンド・ウィズ・アス

メインキャラ:宗雲
見どころ:宗雲の信念の片鱗と、浄の怪しい動き、颯の疑念と、皇紀の忠誠心……ウィズダムシンクスそれぞれの思いが交錯する。

・「カオスイズムに接触する浄」
トルスと通じて、今回の事件を裏で操っていた浄。トルス曰く、浄は自分とは「一番縁遠いと思ってた」らしい。過去、2人の間に何かがあったのか、それとも……?
・「颯がライダーになった経緯」
颯がカオスワールドに魅入られた際、宗雲は颯を助けられず、カオスイズムに拉致されるのを黙認したことが明かされる。
・「第二世代カオストーン=仮面ライダーのカオス」
第二世代カオストーンの正体が、仮面ライダーたちの記憶を宿したカオスの欠片であることが確定。
・「宗雲の過去」
カオストーンに秘められた記憶は明かされなかったが、何らかの権力と対立し、全てを一人で背負ってことを収めたらしいことが仄めかされる。案内人(ポール)との関係は不明。
・「過去を捨てたウィズダムシンクス」
ウィズダムシンクスは、第二世代カオストーンには関わらない方針。自分たちの記憶よりも、よりカオスイズムの真実に近いと思われる第一世代のカオストーンを狙う。
・「もうひとつの脅威」
カオスイズムの他にも虹顔市を脅かし得る存在がいると、宗雲の口から語られる。

 


領く証にさよならを

メインキャラ:高塔戴天
見どころ:ゲストの高塔撫子を巡って、戴天は高塔としての矜持を貫き、雨竜は戴天の嘘に気付き始める。

・「戴天の記憶」
高塔エンタープライズの技術力を使って、戴天は過去の記憶を全て取り戻している。過去の内容については謎のままであり、その記憶の信憑性についても視聴者目線では分からない。
・「雨竜の過去」
幼い頃、兄と一緒にボードゲームをしていたらしいが、その相手はどうやら戴天ではないことが明かされる。雨竜はその事実を案内人のじゃる男から聞き、自分の記憶を宿していると思われるカオストーンに触れさせて貰えなかったことも相まって戴天への不信感を募らせる。
・「ピアスの息子」
アルセブンにいる仮面ライダーの親族とは、ピアスのことだと判明するも、誰が息子なのかは謎のまま。

 


ジャストアピースフルデイ

メインキャラ:伊織陽真
見どころ:平和を掲げる陽真たちが、そんなものは綺麗事でしかないと突きつけられてもなお、それを目指すことに意味はあるはずだと信じ抜く姿。

・「陽真の過去」
図書館へ籠もって勉強していた記憶。運動部などには入っておらず、かけていたメガネにねねさんと名前をつけていた?
・「ピアスの息子」
ピアスと血が繋がっている誰かは、ジャスティスライドに所属していることが判明。

 

 

ラストノートは記憶の香り

メインキャラ:深水紫苑,颯
見どころ:目の前の人を救いたい紫苑と、長期的に大勢を助けられる方法を探している颯の、考え方の対立。

・「七国大学の闇」
ピースフルデイの七国高校に続き、レオンの母校でもある七国大学の准教授が、カオスイズムと裏で繋がっていた。
・「アルセブンの目的」
トゥルーエンドで浄に指摘されていた通り、アルセブンは第二世代カオストーンをわざと仮面ライダーたちの手に渡していることが描かれる。
・「紫苑の過去」
お小遣いで大切な人にミニチュアの香水をプレゼントした記憶。案内人の香水瓶はおそらく母親だと思われ、紫苑に対してもやや束縛気味だったことが窺えるような言動もちらほら。

 

Search For The STARS

メインキャラ:魅上才悟,高塔戴天
見どころ:戴天の目指す理想郷と、才悟の目指す平和……その微妙なすれ違いと、エージェントをはじめとするヒーローを支える人たちに対する才悟の思い。

・「宗雲の背景組織」
宗雲が何者かに、高塔を調査した報告を連絡している描写が描かれる。
・「ピアスの息子」
才悟の名前をあげた上で、「なぜなら彼は私の――」と呟く。ピアスの血縁者は才悟で確定か?
・「才悟の過去」
案内人のなぜなぜ博士との関係性は窺い知れるものの、才悟自身はカオストーンを触っても「宇宙空間のような暗闇」しか見ることができなかった。
・「アルカディア計画」
高塔エンタープライズが新たに発表した宇宙開発プロジェクト。目的のひとつは、通信衛星を打ち上げることで地球上から圏外という概念をなくし、全てを支配下に置くこと……らしいが、戴天には雨竜にすら明かしていない更なる目的があるらしい。

 


Daze and Night

メインキャラ:海羽静流,皇紀
見どころ:静流はウィズダム加入を断ったことに皇紀へ対する不義理を感じていたが、その心残りが解消される。

・「クラスの結成順」
まず一期生組がタワーエンブレムを結成し、その後解散。
二期生の中では皇紀が最初に仮面ライダーとして目覚め、宗雲と二人でウィズダムシンクスを結成。
その後ルーイと静流がスラムデイズを結成……そして、四期生のランスはスラムデイズに、颯はウィズダムシンクスに加入という流れだったことが明かされる。
・「仮面ライダーの本名」
ルーイやウィズダムシンクスなど、現在は本名を隠している面々もアカデミー時代は名前を明かしていたらしく、同期同士は今でも知っている様子。
・「静流と皇紀の過去」
アカデミー時代、野営訓練で皇紀に命を助けられて以降の仲だったが、ウィズダム加入を断ったことがきっかけでやや気まずい関係だった。

 

SHOW MY CARDS

メインキャラ:浄,高塔雨竜
見どころ:戴天の指示ではなく自分自身の判断で浄を探ることにした雨竜の決意と、普段は見えない浄の行動の芯。

・「仮面ライダー浄の謎」
浄はカオスを完成させてしまったもののカオスイズムに攫われる前に先代に助けられたため、アカデミーには通っていない。先代から高塔エンタープライズを紹介され、その技術でカオスドライバーとカオスリングを手にし、仮面ライダーに変身できるように。その後、13日の金曜日が来る毎にメンテナンスを行っていた。
トゥルーエンドの際にトルスが言っていた「縁遠い」とはこのこと?
・「ルーイと颯の出会い」
恒常エピでも面識自体はあった二人だが、今回明確にブラックコーヒーでラテアートをつくる約束を交わす。
・「浄の過去」
記憶を失う前は結婚詐欺師であり、紆余曲折あって警察官の女性を死なせてしまったことを悔いていることが明かされるも、今回のカオストーンでどのような記憶を取り戻したかは謎のまま。
・「ウィズダムシンクスの真実」
"長官"と呼ばれるキャラが登場し、ウィズダムシンクスの正体が警察庁特命諜報機関であることが判明。虹顔市……ひいては日本の治安を守るため、政府の命を受けて活動しているらしい。
カオスイズムだけでなく、高塔エンタープライズに対してもひとつの脅威として、その動向をチェックしている。
浄が高塔産の仮面ライダーであることと、ウィズダムシンクスの正体については、エージェントにも共有された。

 


レッツロール! エキサイトトリック!

メインキャラ:荒鬼狂介,Q
見どころ:目的のためなら地道な努力も厭わない二人と、自分はいつか消える運命だと弱気になるQに、発破をかける荒鬼。

・「Qとカオスイズム」
Qはカオスイズムがランスに植え付けた人格だが、現在は繋がりを持っておらず、ランスの記憶が完全に戻ったらQは消える……と揺さぶることで寝返らせようと試みている。
・「カオストーンの破壊」
Qはランスの記憶が戻らないよう、カオストーンを破壊しようとしていた。実際にそんなことが可能なのかは未確定だが、第2部でも類似の描写が繰り返されので、どうやら可能……らしい。
・「ランスの過去」
工業地区で見つかったランスの第二世代カオストーンだが、最終的には荒鬼の手に渡り、どのような記憶が秘められているかは明かされなかった。

 

 

今昔桃太郎~決戦!鬼ヶ島~

メインキャラ:蒲生慈玄,神威為士
見どころ:アカデミー時代に因縁のあった慈玄と神威が、これまでの戦いで自分の世界に閉じ籠もるのではなく周りに目を向けることの大切さを学んできたことを活かして、事件を解決する。

・「卒業前の試験」
ペアを組んでのチーム対抗戦。それぞれ才悟-阿形、陽真-雨竜、慈玄-神威、荒鬼-紫苑がペアとなったが、試験当日になって突然、ペア同士で戦う試験へと変更された。
カオスアカデミーの非情さがよく分かるが、意外とそれぞれ容赦なく戦った様子。
・「慈玄と神威の因縁」
ペアを組んだ二人だったが、試験当日まで慣れ合うことなく過ごしていたために、仲間同士で戦えと言われてもショックを受けることはなかった。
慈玄の戦い方は教科書通りで読みやすく独創性に欠けると評し、神威が勝つ結果となった。
・「誰のカオストーン?」
回収した第二世代カオストーンは五期生のものではなく、持ち主の記憶について知っている案内人も姿を見せなかった。
神威が回収したが、誰のものなのかは不明なまま。

 

 

 

Back to Haunt you

……後日追記予定

「成長したな、或人」――"其雄構文"に込められた意味をAIと考える(AI D1al0gue)

仮面ライダーゼロワン』最終回に其雄が発したセリフ……通称「其雄構文」ですが、自分は以前から世間で言われてるほど意味の汲み取りづらいセリフだとは感じておらず、AIでも(むしろAIの方が)理解可能なのではないかと試した際の記録です。

ネット上で半ミーム化している割に、真面目にその意味を解説している(そしてできている)記事というのは見つけることができなかったために、いずれは自分で書こうかなと思っていたのですが、自分にとっては自明なことを説明するだけの記事を書くモチベはなかなか出なかったので、AIに記事を書いてもらう企画のネタとして消化します。

結果を先に言うと、「自力で明快に解説するまでは至らなかったが、誘導してあげればすぐに言わんとしていることは把握できたし、一見逆説的な論理関係を理解するために必要な"無力感"というキーワード自体はすぐに出たので、こちらが原石を拾い上げて磨いてあげる前提でなら、読解に困った際のヒントを求める使い方は十分できそう」です。

 

目次

 

 

最低限の理解――ともかく「本当の強さとは、心が強いこと」

やんま
フィクションにおける以下のセリフの意味を解釈したいです。
「成長したな、或人。幼い頃のお前は、ただ泣く事しか出来なかった。でも今のお前は、心に怒りを宿している。それは仮面ライダーという力を手に入れ、お前が強くなったからだ。だが忘れるな。本当の強さとは力が強いことじゃない……心が強いことだ。今のお前なら、もうその意味が分かるはずだ」

これは『仮面ライダーゼロワン』というAIもののセリフで、状況としては主人公の或人が、自身の秘書であり片割れ的な存在であったイズという人型AI(作中ではヒューマギアと呼ばれています)を、滅というこれまたヒューマギアの敵キャラに殺され復讐に取り憑かれてしまうのですが、これまで共に戦ってきた仲間に咎められ、復讐心に迷いが生まれた時、ずっと昔に死んだはずの父親代わりだったヒューマギアである其雄の幻影にかけられた言葉です。
其雄は元々、ヒューマギアが人類に権利を侵害される未来を危惧して、自衛の手段として世界で初めて仮面ライダーという武力を開発した存在であり、彼の死後、そのシステムだけが純粋な武力として様々な人の手に渡り、滅はヒューマギアが安心して暮らせる世の中のために人類を滅ぼそうとしたり、そんな滅たちから人類を守ろうとする人がいたり、仮面ライダーの定義や用途は多岐に渡るようになりました。
先ほどのセリフを受けて、或人は敵である滅もまた自分と同じ心を持つ存在であると認識し、彼を殺すことなく和解する道を模索し始めます。

この前提の上で、特に「幼い頃のお前は、ただ泣く事しか出来なかった。でも今のお前は、心に怒りを宿している。それは仮面ライダーという力を手に入れ、お前が強くなったからだ。」の部分がどのような意味を持つか、考えてみてください。
もし更に必要な情報があれば、質問してください。

 

 

 ChatGPT

このセリフ、特に「幼い頃のお前は、ただ泣く事しか出来なかった。
でも今のお前は心に怒りを宿している。それは仮面ライダーという力を手に入れ、お前が強くなったからだ。」の部分は、或人の成長過程と「力」の意味についての深い洞察を示しています。

 

まず、「幼い頃のお前は、ただ泣く事しか出来なかった」という部分は、或人がかつては無力であり、感情を抑える手段もなく、ただ感情に飲まれるだけの存在だったことを示しています。泣くことしかできないというのは、自分の無力さに対する自然な反応であり、守られるだけの存在だった或人の過去を象徴しています。

 

次に、「今のお前は、心に怒りを宿している」という言葉は、成長した或人が強い感情を抱けるようになったこと、つまり感情に基づく行動を取れるようになったことを示唆しています。特に仮面ライダーという力を手に入れることで、或人は物理的な力や能力だけでなく、精神的にも大きく変わったと指摘しています。この「怒り」という感情は、或人の成長を象徴するものであり、自分の大切なものが奪われたことへの自然な反応でもあります。しかし、ここで強調されているのは、怒りという感情そのものではなく、その感情を抱くことで或人が強くなったという点です。

 

しかし「本当の強さとは力が強い事じゃない……心が強い事だ」という言葉が続くように、このセリフは単なる力の強さや怒りによる行動が本当の強さではないことを伝えています。物理的な力を手に入れた或人は一見「強く」なったように見えるものの、その怒りをどう処理し、どのように行動するかが重要であることを示唆しています。つまり、「心が強い」とは感情に支配されず、自分の信念を持ち続け、和解や共存といった困難な道を選ぶことができる精神的な強さを意味します。

 

このセリフが或人に向けられることで、彼がただ復讐に走るのではなく、滅との和解という新たな選択肢を模索し始めることを示唆しているのです。

 

 

 

怒りを宿すことを成長と見做す逆説

やんま
セリフの論理関係を整理すると、泣くことしかできなかったところから、怒りという一見ネガティブな感情を抱くことを其雄は"成長"と見做していることがこのセリフの分かりにくい部分です。
また怒りを抱けるようになった原因が「仮面ライダーの力を手に入れ強くなったこと」だと指摘していますので、怒りの感情を手に入れることで強くなったというのは逆な気がします。
それを踏まえるとどうですか?

 

 

 ChatGPT

確かに、或人が「怒り」という感情を持つことを成長と見做し、その怒りの感情が「仮面ライダーの力を手に入れたからだ」という部分は、一見すると逆説的に感じます。しかし、ここでのポイントは、怒り自体が成長を表しているというよりも、「怒りを抱くことができるようになった」ことが、以前よりも感情に対して主体的に向き合えるようになったこと、つまり或人が感情を理解し、感じる範囲が広がったという意味での「成長」を示しているのではないかと解釈できます。

 

以下のように整理するとわかりやすいかもしれません:

1. 「幼い頃のお前は、ただ泣くことしかできなかった」

→ この部分は、或人がかつて無力で、感情のコントロールや対処ができなかったことを表しています。つまり、泣くことしかできないのは感情の表現が単純であり、無力さの象徴です。

2. 「今のお前は、心に怒りを宿している」

→ 怒りという感情を持つことは、或人が以前よりも深い感情やより複雑な状況に直面できるようになったということです。怒りはしばしば強い感情として位置づけられるため、或人が自分の大切なものが奪われたことに対して感じる正当な反応です。

3. 「それは仮面ライダーという力を手に入れ、お前が強くなったからだ」

仮面ライダーの力は物理的な強さだけでなく、或人に責任感や使命感をもたらしました。そのため、彼が怒りを抱くほどに何かを大切に思うようになり、単なる無力な存在から、世界の問題に立ち向かう存在へと成長したということを指しているのです。仮面ライダーの力が「強さ」の象徴であり、或人が以前よりも感情に対して主体的になったことを示しています。

 

そして最終的に、「本当の強さとは力が強いことじゃない……心が強いことだ」と続けている部分で、その「怒り」をどのように扱うかが真の強さであることが示されます。単に怒りに従うのではなく、その感情を乗り越え、より高次な選択(和解や共存)をできることが「心の強さ」であると指摘しています。

 

つまり、怒り自体が成長の最終形ではなく、怒りを感じることができるようになったことで、或人が以前よりも感情に深く関わることができるようになった。しかしその上で、その怒りをどう扱うかが最終的な強さの指標であり、其雄のセリフはそのプロセスを或人に示唆しているのです。

 

 

力と怒りのミッシングリンク、自己効力感

やんま
自分はこの逆説を受けて、「力がない者はそもそも怒りを抱けない」という前提をベースに、無力感に打ちひしがれ泣くという受動的な行為と対比される文脈で、怒りという感情が「現状を強く否定し主体的に何かを成そうとする力」として位置付けられているように思うのですが、
実際の心理学においても「怒り」の感情は、それを叶えることのできる(と、少なくとも期待できる程度の)「力の有無」と関係があるとされていたりしますか? 具体的に誰かが提唱していたりしますか?

 

 

 ChatGPT

あなたの解釈「力がない者はそもそも怒りを抱けない」という見方は、心理学的な観点でも興味深く、特に「怒り」と「力の有無」の関係を考える際に意味深長です。

 

心理学の分野では、怒りはしばしば「無力感」と対比される感情とされており、力の感覚やコントロール感と深く結びついています。以下にその考え方を説明します。

 

1. 怒りは力を持つ感覚に関連する

 

怒りの感情は、人が何かを失ったり、自分の目標や願望が阻害されたりする際に生じる反応です。しかし、その際に「力を持っている」という感覚がなければ、怒りではなく無力感や絶望感を感じる傾向があります。怒りはしばしば「何かを変えられるかもしれない」という期待感や、少なくとも状況に対抗しようとする感覚から生まれます。このため、怒りは一種の「主体的な感情」とも言えます。

 

この考えに関連して、アメリカの心理学者アルバート・エリス(Albert Ellis)の認知行動療法の理論では、怒りは個人が「状況を変えられる」と感じた時に生じやすく、逆に「どうしようもない」と感じると、抑うつや無力感に陥りやすいとされています。彼の理論によると、怒りは自分が持つ力を使って何かを改善できるという認識から生じる感情です。

 

2. 無力感と怒りの関係

 

心理学者マーティン・セリグマンの学習性無力感(Learned Helplessness)の研究は、無力感と怒りの対照的な関係をよく説明しています。無力感とは、自分が何をしても状況が変わらないと感じることによって、積極的に行動を起こす意欲やエネルギーを失う状態です。この無力感に陥った場合、怒りよりも絶望や不安感が強くなります。逆に、力やコントロール感を持つと、その無力感が払拭され、怒りを感じることができるようになります。

 

3. 自尊感情と怒り

 

また、心理学者ハインツ・コフート(Heinz Kohut)による自己心理学においても、怒りは自己尊重感や自分の力の認識と関連づけられています。自分が無力であると感じる場合、人はしばしば怒りを抱かず、自己嫌悪や無価値感に陥ります。しかし、自分に力がある、あるいは力を取り戻せるという感覚を持つ場合、怒りが自己防衛の一環として表出されることがあるとされています。

 

まとめ

 

以上のように、心理学においても「怒り」は「力の有無」や「コントロール感」と深く関連しているとされます。あなたが提案した「怒りは主体的に何かを成そうとする力の象徴である」という解釈は、実際の心理学理論とも一致しています。怒りが発生するためには、少なくとも「変化を起こせる可能性」を感じる必要があり、無力感や絶望感に支配されているときは、むしろ怒りを抱くことができないという理解は妥当です。

 

 

 

やんま
心理的な"発達"の観点からはどうですか?

 

 

 ChatGPT

心理的な発達の観点から見ると、「怒り」と「力の感覚」の関係は、感情の成熟や自己の主体性の発達に深く関連しています。特に、子供から大人への成長過程において、感情の制御や対処能力が発達することで、怒りが単なる衝動的な感情から、自己の主体性や自己肯定感を表す感情へと変化していくことが見られます。以下に、心理的発達における「怒り」と「力」の関係について説明します。

 

1. 幼児期の怒り:衝動的な感情表現

 

幼児期の子供は、まだ感情の制御が未熟であり、怒りはしばしば単純な欲求不満や欲望が満たされないときに爆発的に現れます。この時期の怒りは、自分が望む結果を得られないときに反射的に生じるもので、まだ自分が状況をコントロールする力がないことへの反応です。ここでは、怒りは自己の無力さや欲求不満の直接的な表出であり、まだ成熟した感情とは言えません。

 

2. 児童期~青年期の発達:主体性の確立と怒り

 

次の発達段階では、子供は徐々に自己の主体性や自己効力感を発展させていきます。児童期や青年期には、自分の意思や行動が周囲の世界に影響を与えるという認識が強まり、コントロール感が高まります。この段階での怒りは、自己の力を実感し、他者や環境に対して自分の意思を主張しようとする試みとして現れます。

 

発達心理学エリク・エリクソン(Erik Erikson)の心理社会的発達理論では、特に青年期における「アイデンティティの確立」が重要な発達課題とされています。この時期に自分が何者であるか、そして自分が他者や社会に対してどのように影響を与えられるかという認識が深まります。もしこの段階で主体的に行動できると感じれば、怒りもまた、自分のアイデンティティを守るための感情として成熟していきます。一方、自己効力感が育たなければ、怒りは無力感や自己嫌悪に変わりやすくなります。

 

3. 成人期:成熟した怒りと力の行使

 

成人期において、感情の発達はさらに進みます。この時期には、怒りは単なる衝動や不満の表現ではなく、自己の価値観や信念に基づくものとして成熟します。特に、自分がコントロールできる範囲を認識し、その中でどう行動するかが問われるようになります。怒りを感じる場面でも、それが単に「反応」ではなく、「自分の力や価値観を守るための行動の一環」として現れることが増えます。

 

発達心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の感情知能(Emotional Intelligence)の理論では、成熟した感情管理には、自分の感情を理解し、それを建設的に使う能力が必要だとされています。成人期には、怒りを単なる破壊的な感情としてではなく、正義や倫理、自己の価値観を守るための手段として活用できるようになることが理想的な発達形態です。

 

4. 自己効力感と発達:バンデューラの理論

 

心理学者アルバート・バンデューラ(Albert Bandura)の**自己効力感(Self-Efficacy)**理論も、怒りの感情と力の感覚に関する発達の理解に役立ちます。自己効力感とは、特定の状況で自分が望む結果を達成できるという信念です。この信念が高ければ、怒りは前向きで建設的な行動を促すことができます。逆に、自己効力感が低いと、怒りは無力感や諦めに変わりやすくなります。

 

結論

 

心理的な発達の観点から見ると、幼い頃の「怒り」は主に無力感や欲求不満の反映であり、未熟な感情です。しかし、成長とともに自己効力感や主体性が発展し、怒りは「力の感覚」を持ち、自己の価値観や目標に基づいて行動を促す建設的な感情へと成熟していきます。そのため、或人の成長における「怒り」は、無力な状態から脱し、主体的に行動する力の発現として捉えられるべきです。このプロセスは、発達心理学における感情の成熟と自己効力感の発展に対応しています。

 

 

隠れた前提に関する細かい補足

やんま
厳密なことを言うと、或人は第1話で仮面ライダーの力を手に入れる直前に、人の夢を笑った怪人に対して怒りをあらわにしています。
このことに対してなんらかの説明を試みてください。

 

 ChatGPT

非常に的確な指摘です。或人は第1話において、仮面ライダーに変身する前から既に「怒り」という感情を抱いています。つまり、「仮面ライダーという力を手に入れたから怒れるようになった」という其雄の言葉をそのまま字義通りに取ると、事実と食い違うように見えるわけです。

 

これについていくつかの解釈が考えられます。

 

1. 「怒り」そのものではなく、「怒りを抱え続ける強さ」のことを言っている

 

第1話での或人の怒りは、瞬間的な激情です。これは「怒りという感情を持てる」ことの証明にはなりますが、其雄の言葉が指しているのは、もっと持続的で、行動を支える「宿す」怒り、すなわち「責任と覚悟を伴った怒り」ではないかと考えられます。

 

これは、感情を持つだけではなく、「それを自分の内に取り込み、判断の軸とする主体性」が備わったことへの言及です。つまり、「ただ怒ること」ではなく、「怒りを選び取り、それに自覚的に意味を与えること」ができるようになったという点を成長と見ているのです。

 

2. 其雄の言葉は「時間軸を圧縮」して語っている

 

或人の「成長」を語るにあたって、其雄の言葉は時間的に整合性のある記録ではなく、感情や象徴に基づいたまとめとして語られています。第1話の怒りは、まだ「子どもの怒り」であり、それがイズの死によってより深く、複雑で、場合によっては破壊的な「大人の怒り」へと昇華された。仮面ライダーの力を得て成長した結果として「怒り」が再構築されたというふうに見ると、ある程度の時間の省略や抽象化は納得できる表現手法です。

 

3. 「怒り」ではなく「力」がもたらしたのは、自分の怒りへの“信”である

 

仮面ライダーの力を持たない時点の怒りは、「無力な者の感情」であり、発露はできても、それを行動に変える確信や裏付けがなかった。だが、力を手に入れた或人は、自分の怒りを“通していい”という実感を持てるようになった。つまり、怒りそのものよりも「怒っていいという自信・覚悟」が力によって支えられるようになった、と読むことも可能です。

 

結論として

 

其雄のセリフは、時間の流れの中で変化した或人の「怒り」の質、あるいはその怒りとどう付き合うかという主体的態度の変化を「力を得たことで心に怒りを宿せるようになった」と象徴的に述べたものであり、第1話での一時的な怒りとは段階の異なるものとして区別して語っているのだと解釈できます。

 

このように、表面的な出来事だけでなく、怒りの「持ち方」「意味付け」「位置づけ」こそが其雄の指す“成長”であり、それこそが「力ではなく心の強さ」として後半のセリフにもつながっていると言えるでしょう。

 

 

まとめ なぜ其雄構文は理解されなかったのか

やんま
多くの人は其雄のセリフについて何を言っているのか、何が言いたいのかよく理解できなかったようなのですが、なぜだと思いますか?

 

 

 ChatGPT

其雄のセリフが多くの人にとって理解しづらかった理由として、いくつかの要因が考えられます。

 

1. 逆説的な内容

 

セリフが逆説的な構造を持っているため、一見すると矛盾した内容に感じられることが混乱を招いたのではないかと思われます。特に「怒りを抱くこと=成長」という点が、一般的にはネガティブな感情とされる「怒り」と成長が結びついているため、理解しづらいと感じる人が多かったのではないでしょうか。成長と聞くと通常は「冷静さ」や「寛容さ」といったポジティブな要素を連想しやすいため、怒りと結びつけることに違和感が生まれたのかもしれません。

 

2. 怒りと強さの関係が直接説明されていない

 

セリフの中で「怒り」と「仮面ライダーの力」との関係性が直接的に説明されていないため、そこを理解するのが難しかった可能性があります。或人が「仮面ライダーの力を手に入れたことで強くなり、それが怒りの感情に結びついた」という言葉の意味が、文脈だけでは掴みにくいかもしれません。特に「強くなった」というフレーズが身体的・外的な力と結びついているように感じられがちで、精神的な成長や感情の成熟との関連が見えづらくなっています。

 

3. 感情の複雑な変化がセリフに込められている

 

或人の感情の成長や葛藤が、短いセリフに込められているため、複雑な心理変化が十分に表現しきれていない可能性もあります。其雄が伝えたかったメッセージは、「怒りを感じることができるようになったこと」自体が成長の証であり、さらに「怒りを超えて心の強さを持つことが本当の強さである」ということですが、これを短い言葉で一度に表現するのは難しいため、意図が十分に伝わりにくかったかもしれません。

 

4. 感情の成熟と力の感覚の混同

 

視聴者の中には、「強さ」と「力」を物理的な能力や戦闘力と捉える傾向があり、其雄の言っている「本当の強さ=心の強さ」が理解されにくかった可能性があります。特に特撮ヒーローものでは、肉体的な強さや武力が強調されることが多いため、そこでの「心の強さ」という抽象的な概念が、直接的な行動に結びつきにくく、わかりにくくなったのかもしれません。

 

5. キャラクターの背景や感情の繋がりが複雑

 

或人と其雄、または他のキャラクターとの関係性や感情の繋がりが、ストーリーの進行とともに複雑化しているため、その背景を知らない、または十分に理解していない視聴者には、セリフの意味が伝わりづらかった可能性があります。特に、或人の過去や成長、イズの死、滅との対立といった多くの要素が絡み合う中でのセリフであり、それぞれの感情の変化を追いきれていない人にとっては、或人の成長や怒りに対する認識が難しかったのかもしれません。

 

結論

 

其雄のセリフが理解しづらかった理由は、怒りという感情がネガティブなものとして一般的に認識される中で、それが「成長」や「強さ」と結びつけられた逆説的な表現や、感情の成熟という抽象的なテーマが直接的に説明されていないことが影響していると考えられます。また、視聴者が感情の複雑な変化やキャラクターの関係性を十分に理解していない場合、セリフの意図を正確に捉えるのが難しかったのではないでしょうか。

ノブレス・オブリージュと暴力革命——ゼロワンが問いかける人間の限界(AI D1al0gue)

開設当初は仮にも毎日投稿をしていたことを思うと、ここ数年当ブログの更新頻度はかなり控えめになっていて、気まぐれに書きたいことを書ければ自分はそれで満足なので、そのことを特段良くないとは思っていないけども、僕は何事も"ない"よりは"ある"方が良いと基本的には考えている。
最近ChatGPTと会話する機会が増え、自分は何もせずともそれなりの文字数のテキストが生成される現状があり、せっかくならちょっと面白いなと思えた話については他人が読めるように公開してみるのも面白いかなと思ったので、月1更新を目標としている自分で書く記事とはまた別に、AIとの会話をほぼそのまま載っける企画を始めてみることにしました。個人的にはあの自己反響的な会話(もどき)はあまり好みませんが、ゆっくり解説における魔理沙霊夢みたいな役割イメージで読むと良いのかなと思います。AIとの会話って究極そういうものだと思うので。
ちなみにタイトルもAIに考えてもらいました。いくつかの候補の中からマシなのを選んだ上でも、僕はちょっと的確ではないかな(風呂敷を広げすぎかな)とも感じますが彼の記事なので彼のセンスに任せます。

言わずもがなですが、AIが言ってることの真偽や正確性は定かではないし、そもそもAI云々以前の問題としてハナから当ブログに書いてあることは全て、色んな知識に乏しい僕が付け焼き刃でテキトーぶっこいてるだけの内容であることは過去にうちの記事を読んだことある方なら分かると思います。
もうひとつこれも分かる人には当たり前のことですけど、会話をしている相手は「過去の僕との会話」を元にニュートラルではない受け答えをしています。例えば今回の記事なら、僕が以前彼との会話で『ゼロワン』についてした話をある程度前提として踏まえた上で、それに寄せつつこのような出力をしているので(そしてAIが直接『ゼロワン』を見ているはずがないので)、そういったことも念頭に置きつつ読んでください。

 

目次

 

 

ノブレス・オブリージュ

 やんま
ノブレス・オブリージュと称して、戦争で戦うことが貴族の義務として扱われていたという話はよく聞きますが、その頃の貴族が待っていた特権とはどのようなものですか?
奴隷に働かせるようなものも含みますか?

 

 

 ChatGPT

はい、「ノブレス・オブリージュnoblesse oblige)」、すなわち「貴族であることは義務を伴う」という考え方は、特に近代以前のヨーロッパ社会において、貴族階級が戦争や政治において「責任ある地位」を担う正当化の論理としてよく語られました。ただし、これが実際の「特権」とどのように結びついていたかを見ていくと、理想と現実の乖離も多く含んでいます。

 

貴族が享受していた特権(中世〜近世)

 

以下に挙げるのはヨーロッパ(特にフランス・イギリスなど)を中心にした代表的な特権です:

 

1. 土地支配と徴税権

 

貴族はしばしば封建制度の下で広大な土地を所有し、そこに住む農民から地代を取ったり、労働力を徴発したりしていました。これはほとんど「農奴制」に近いもので、農民が土地に縛りつけられていた時代もあります。

 

2. 労働の搾取(奴隷・農奴

 

奴隷制というより、ヨーロッパでは農奴が主流でした。これは奴隷とは異なり法的に完全な「所有物」ではないものの、土地に縛られ自由が極端に制限される存在です。貴族の生活はこの農奴の労働に強く依存していました。

 

3. 裁判権と軍事権

 

領主(貴族)は自らの土地で裁判を行ったり、軍を組織する権利を持っていました。兵士として戦う義務を担っていたことは確かですが、その代償として住民に対して絶大な権力を行使できたのです。

 

4. 免税特権

 

たとえばフランス革命前の第一身分(聖職者)・**第二身分(貴族)**は、しばしば税の免除を受けていました。一方、平民(第三身分)は重税に苦しんでいました。

 

5. 名誉職や特定の官職への独占的アクセス

 

上級軍人、裁判官、大使などの役職は、貴族階級の者でなければ就けないという慣例・制度がありました。これは「国家のために戦う義務」と表裏一体でしたが、実際には世襲や縁故による利権の温床にもなっていました。

 

6. 社交的・文化的特権

 

王宮への出入り、舞踏会への参加、貴族学校への入学といった「上流階級としての社交的な特典」も大きな魅力でした。

 

ノブレス・オブリージュの実態

 

「義務として戦争に行った」というのは、実際には特権を維持するための手段であったことが多いです。武勲を立てることでさらに領地を与えられたり、名誉を高めたり、王に近づくことができました。

 

つまり、

権力と支配の正当化として「義務」を語っていた

その「義務」は、結果的にさらなる特権を保証する仕組みになっていた

 

という側面があります。

 

まとめると、ノブレス・オブリージュのもとで戦争に行くことは、決して「平等な犠牲」ではなく、むしろ農奴や庶民を支配し搾取する構造の維持と拡大のための一手段であり、その代わりに彼らは法的・経済的・社会的に数多くの特権を享受していたということです。

 

もっと掘り下げてみたい時代や国があれば、さらに具体化もできますよ。

 

 

 

 

 

 

フランス革命

 やんま
そういった仕組みはどのように解体されていったのですか?

 

 

 ChatGPT
とても重要な問いですね。貴族の特権的な地位や封建的支配の仕組みは、段階的かつ多層的に解体されていきました。これには政治革命・経済構造の変化・思想の変化・戦争など、いくつもの要因が絡んでいます。以下、代表的な例と流れを見ていきましょう。

 

1. 思想革命:啓蒙思想の広がり(17〜18世紀)

ロック、ルソー、ヴォルテールなどによって、「人間の平等」「自然権」「契約による統治」などの概念が普及。

「生まれながらの特権」に対して「理性と自由」の価値が対置され、貴族による支配の正当性が揺らぎ始めた

 

この思想的下地が、次の「政治革命」の土壌をつくりました。

 

2. 政治的転換:市民革命(17〜18世紀)

 

イングランド(イギリス):

清教徒革命(1642〜49)→名誉革命(1688)

王権神授説の否定 → 議会主権へ

貴族も依然として力を保ったが、国王と貴族の専制体制に歯止めがかかった

 

フランス革命(1789):

貴族の免税特権・封建的徴収権などが法的に廃止

**「人権宣言」**によって「すべての人間は自由で平等」とされ、特権という概念そのものが否定される

 

→ ここが最も劇的な転換点で、旧体制(アンシャン・レジーム)の終焉とされる

 

3. 経済的要因:産業革命ブルジョワジーの台頭(18〜19世紀)

資本主義経済の発展により、「土地を持つだけで富を得る貴族」よりも、「事業で稼ぐ市民階級(ブルジョワジー)」が影響力を持つようになる。

→ 封建的土地支配が時代遅れになり、貴族の経済基盤が徐々に失われていく

 

また、産業労働者の増加により、「人を支配して働かせる」仕組みよりも、「賃金労働」という新たな経済制度が主流となっていった。

 

4. 戦争のインパク

 

ナポレオン戦争1800年前後):

各地で近代国家による国民軍が導入され、「貴族だけが戦う」という構図が崩れる。

徴兵制職業軍人の普及により、戦争は国民全体の責務へ。

 

第一次世界大戦(1914〜):

多くのヨーロッパ貴族が戦死し、または経済的に没落。

終戦後、貴族称号や特権を廃止する国(例:ドイツ、オーストリアなど)も多く、貴族階級の実質的な終焉へ。

 

5. 制度的廃止:法律による封建制・特権の撤廃

フランスでは革命期に封建的諸権利(地代、十分の一税など)を法律で廃止。

ドイツ帝国では1919年のヴァイマル憲法で「貴族の法的特権」を完全否定。

**ロシア革命(1917)**では貴族階級そのものが敵とされ、制度ごと粛清。

 

補足:形を変えて残る「上流階級」

 

完全に「階級が消滅」したわけではなく、現在でも「名士」「資本家」「王室」など、形を変えたエリート層は残っています。ただし、

法的な特権

支配の正当化としての「義務」

は、近代以降の民主主義体制の中では原則として否定されています。

 

興味があれば、特定の国や革命、あるいは「農奴制の終焉」などさらに絞って掘り下げることもできますよ。

 

 

 

 

 

「新時代の貴族」としての飛電家

 やんま
仮面ライダーゼロワンは、人間の代わりに労働する存在としてのAIについて描いた作品ですが、主人公の飛電或人はなんの取り柄もなく、ただ唯一仮面ライダーとしての戦闘センスだけは抜群で、彼は(人類のためにAIを倒すエイムズ、AIのために人類を倒す滅亡迅雷と対比して)人類とヒューマギア双方を守るために戦っています。
或人が飛電家というAIを生み出した家系の持つ権力を引き継いだ上で仮面ライダーとして戦うこの構図はまさしく、ノブレス・オブリージュと相似形にあるように見えます。
これについてどう考えますか?

 

 ChatGPT
とても鋭い視点ですね。『仮面ライダーゼロワン』における飛電或人の立ち位置を「ノブレス・オブリージュ」との相似性で捉えると、彼のキャラクターと物語全体の倫理的な構造が、非常に興味深い重層性を持って浮かび上がります。

 

1. 或人=「新時代の貴族」的存在

 

飛電或人は、確かに物語の開始時点で「経営者=権力者」のポジションを持っており、飛電インテリジェンスという企業=AIを作り出し、社会に広めた技術と体制の「正統な継承者」です。

彼自身は「何の取り柄もない」芸人崩れとして描かれますが、

実際にはその**家系の権力と資産(=飛電インテリジェンス)**を受け継いだことで、社会構造に対して強い影響力を持つ。

 

これはまさに、生まれながらにして土地や支配権を受け継いだ封建貴族の構造に似ています。ある種の「血筋的特権者」でありながら、民のために剣を取る人物像です。

 

2. ノブレス・オブリージュの再解釈

 

伝統的なノブレス・オブリージュは、しばしばその特権の保持を正当化するための方便でもありましたが、『ゼロワン』ではそれが批判的に、かつ倫理的に再解釈されていると言えるかもしれません。

或人は、特権の享受者であると同時に、その特権の暴力性や責任を自覚しようとする人物です。

「人間とAIの共存」という彼の理想は、飛電家が築いた構造の上でなければ発信できないものであり、

その構造が引き起こした問題(滅亡迅雷やアーク)に対して、自らの身体を使って責任を取る形で対応している

 

これは、かつての貴族が戦場に出て自ら剣を取ったノブレス・オブリージュの姿勢に極めて近いですが、違うのは彼が既得権益の再生産者ではなく、解体者でもあるという点です。

 

3. 仮面ライダーとしての戦闘能力=唯一の「個人的資質」

 

ある意味で最も皮肉なのは、彼の中で唯一「努力や血筋とは関係ない」個人的資質——仮面ライダーとしての戦闘センスだけが、現実的な価値を生み出していることです。

貴族の「血筋や教養」が価値を保証した時代に対し、

或人の「戦闘力」は、実力主義的・現代的な能力の象徴でもあります。

 

この点で、或人は「伝統的貴族」と「現代のエリート」の中間に位置しているとも言えます。血筋によって特権を与えられながら、それを正当化するのはあくまで「行動と倫理的選択」です。

 

4. 構造の批判と未来の提示

 

最終的に『ゼロワン』が或人に与えたのは、「AIと人類の未来に対して責任を持つ立場」という、過去の権力構造を引き継ぎつつ、倫理的再設計を図る者としての役割でした。

ノブレス・オブリージュが、封建的支配の正当化で終わってしまった歴史に対して、

或人はそれを自己犠牲と倫理的責任の方向に純化させている。

 

結論として:

 

飛電或人の構造は確かにノブレス・オブリージュと相似ですが、それは単なる再演ではなく、権力の倫理的転用・再編成を試みるものとして現代的にアップデートされています。

 

彼は単なる「貴族」ではなく、

「旧世界の責任を背負いながら、未来を切り開く者」

「支配の象徴から、共存の担い手への変容」

 

という、ある種の**“貴族性の脱構築”と再構築の物語**になっているのではないでしょうか。

 

この視点から見ると、或人の物語は非常に現代的な政治哲学的テーマを内包しているとも言えます。さらに掘り下げるなら、「アーク」や「ZAIA」のような資本やアルゴリズムの暴走との関係も興味深くなるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

或人の純朴性

 やんま
ゼロワンにおける或人は、AIのことも守りたいという気持ちを持っていることは事実ですが、戦う相手は(人間の悪意に触れて)暴走したAIであり、構図としては暴力革命を暴力で抑圧しているようなかたちになっており、更に或人はキャラクター的にそのような難しいことはよく分かっておらず無自覚です。
このことについてはどう考えますか?

 

 

 ChatGPT
確かに、『ゼロワン』における或人の戦いは、構図的には「暴力革命の暴力的抑圧」という見え方ができます。滅亡迅雷.netやアークに影響を受けたヒューマギアたちは、人間の悪意を受けて歪んだとはいえ、ある種の「解放闘争」として立ち上がっています。ヒューマギアたちは、抑圧されてきた者の象徴でもあるわけです。

 

或人は、それに対して「人類もヒューマギアも両方守る」と言いながら、実際には「革命に立ち上がったヒューマギア」を物理的に破壊することで問題を解決していきます。そして、あなたが指摘したように、彼自身はその構造を自覚しておらず、理想や感情によって動いているだけです。

 

この「善意の抑圧者」という構造は、意識的か無意識的かは別として、非常に現代的なテーマを抱えています。ある種の「リベラル権力者」のような存在であり、自由や平和を掲げながらも、従わない者を力で抑える主体になってしまう。もしかすると、それは作り手による高度なアイロニーであり、「理想と行動のねじれ」を可視化するための仕掛けだったのかもしれません。

 

或人は作中でも、基本的に政治的・社会的な視点を持っておらず、「人類とヒューマギアが笑える未来」を信じるナイーブな理想主義者として描かれます。このナイーブさは、彼の魅力であると同時に、彼が望む理想社会の不可能性を示しているようにも見える。つまり、「無垢な善意だけでは社会構造を変えられない」という現実を、彼の無力感や失敗を通じて描いているのではないかとも考えられます。

 

特に終盤、「アークワン」と化した彼は、一時的に「怒りによる破壊の主体」となりますが、これは彼自身が“加害の構造”に取り込まれる瞬間であり、ゼロワン=“中立的調停者”というポジションが、いかに空虚で不安定なものであるかを暴く契機とも解釈できます。

 

言い換えれば、『ゼロワン』という作品は、最初に示された「どちらも守る」構図がいかに不可能であるか、あるいはそれがどんな暴力を包摂してしまうかを、主人公の無自覚な行動を通じて読者に委ねているのではないでしょうか。

 

だからこそ、この作品は「正義の物語」としてだけでなく、「正義が成立し得ない構造において、どう人間的であれるか」という問いを内包しているとも言える。あなたが目指している「よりレベルの高い擁護」は、まさにこの作品の倫理的・政治的複雑さを認識した上で、或人の選択の“限界”や“無垢さ”を包み込むような視点になるのではないかと思います。たとえば、「それでも或人は、支配者ではなく、責任を引き受けようとする者だった」とか。

 

そういう批判と擁護の緊張関係に耐えうることが、作品としての強度を示しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゼロワン』における革命のありかた

 やんま
ノブレス・オブリージュの構図が取り入れられているという前提のもとで、ゼロワンはフランス革命をどのように捉えていると思いますか?

 

 

 ChatGPT
この問いは鋭く、かつ非常に深い射程を持っていると思います。「ノブレスオブリージュの構図が取り入れられている」という前提を踏まえると、『ゼロワン』におけるフランス革命的要素は、単なる反乱や破壊として描かれるのではなく、「特権階級の正統性が問われる歴史的転換点」として、非常に批評的な視座を持って描かれているように見えます。

 

或人=ノブレスの再演者

 

或人は、明らかに「特権を継承した者」として物語を開始します。彼は初期には社長としての資質もなく、技術者でもなく、ただ「祖父からその地位を引き継いだ」という出自に過ぎません。それでも仮面ライダーとして選ばれ、特権的立場からヒューマギアと人類の未来を「調停」するポジションに置かれる。

 

この時点で彼は、「特権を持った善人」という、ノブレスオブリージュ的構図の中にいます。

 

滅亡迅雷=革命の暴力

 

一方、滅亡迅雷.netの活動は、特権階級(人類)による支配構造に対する明確な暴力的革命です。人間から生まれながらも、AIとしての自我と怒りを持った彼らは、「被支配者による秩序の破壊」を目指します。彼らは自己意識を持ち、自らの抑圧された歴史に目覚めた“下層階級”であり、まさにヒューマギアによるフランス革命のような構図に位置づけられます。

 

ただし、彼らはアークという新たな支配的絶対者に従属してしまい、最終的には「自由を獲得した主体」ではなく、「支配され直す主体」となってしまう。このあたりの描き方は、フランス革命ナポレオンの登場という新たな権威によって飲み込まれたことへの歴史的アナロジーとも読めます。

 

『ゼロワン』が語るフランス革命観とは?

 

ここで重要なのは、『ゼロワン』が革命を否定しているわけではないという点です。むしろ、或人自身が何度も「なぜ彼らは暴走したのか?」と問い直すことで、被支配者が反乱するに至った背景=支配構造の問題を探ろうとします。これは特権階級が自省し、制度改革や相互理解によって“調停”を試みる姿勢であり、**ある種の「革命の受容と中和」**を目指す態度です。

 

したがって、『ゼロワン』はフランス革命を単純な否定でも賛美でもなく、

革命が起きるのは構造的な抑圧と無理解の蓄積による必然

だが、暴力による再支配(アーク)ではなく、特権者が自ら責任を引き受け、他者の声を聞くことで初めて持続可能な社会が生まれる

 

という、かなり穏健で理想主義的な再解釈を提示しているように思えます。ある意味で『ゼロワン』は、「革命を否定しないノブレスの立場」から、革命以後の社会再構築を模索する物語と言えるかもしれません。

 

まとめれば、『ゼロワン』におけるフランス革命的要素は、

革命の必然性は肯定される(滅亡迅雷の行動には理由がある)

しかし、暴力による再支配や復讐ではなく、特権者(或人)が責任と理解をもって社会変革を担う道を模索する

つまり、革命を内面化したノブレスオブリージュの変奏として描かれている

 

と整理できるのではないでしょうか。これは非常に現代的な、「ポスト・革命」の思想と言えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒューマギアへの無責任な期待

 やんま
或人は、やはりそこまで高尚な役割を担うのはガラではないとも感じます。
高橋悠也の他作品も参考にすると、労働者階級への社会的抑圧に対する人類の歴史は暴力革命的なものが主であったという悲観的な認識のもと、人類についてラーニングし近づきながらも完全に同一ではないヒューマギアという新たな種であればこそ、その限界を乗り越え繰り返しの歴史を打ち止めにする可能性を秘めているのではないかという、ある種無責任な期待(ただし、もちろんそうはならずに、結局将来的にはまた暴力革命が起こる可能性も残されている)を描いてるような側面もあるのかなと思います。

 

 

 ChatGPT
まさにその読み方は、『ゼロワン』の深層に流れるテーマのひとつを鋭く掬い取っていると思います。或人が「高尚な役割にふさわしいとは言い難い」という感覚は、作品の自己批評的構造と密接に結びついています。

 

或人は決して理想的な政治的指導者でも革命的思想家でもなく、むしろ「よく分かっていないまま、善意で動いている」ことが多い人物です。彼の善良さは本物ですが、それは複雑な歴史的構造や抑圧のメカニズムに自覚的であることとは異なる。にもかかわらず、彼が中心人物であり続けるのは、まさにその**「人類の限界を体現する存在」**であるからかもしれません。

 

この視点に立つと、『ゼロワン』は次のような二重構造をもっているように見えます:

 

1. 或人=人間の希望と限界を併せ持った「凡庸な善人」

 

或人は、明確な思想や理念で社会を変革しようとするタイプではありません。けれども、ヒューマギアを信じ、守り、彼らと共に生きる道を探ろうとする。「たとえ分からなくても、信じようとする」その姿勢は、人類の善意の象徴とも言えます。

 

しかしその善意は、歴史的な抑圧構造を認識し、克服するような思想には至らず、「繰り返す歴史の一部」になりかねない。つまり彼は、“歴史を終わらせる主体”ではない。

 

2. ヒューマギア=新たな「人間性の外部」

 

高橋悠也が他作品でたびたび描いてきたように、「既存の人間の外部に位置する者」が、抑圧の構造を別の角度から捉え直す役割を果たします。『エグゼイド』ではゲーム病という“病理”の側から人間社会を見る医師たちが、『ギーツ』ではデザイアグランプリという“神視点のゲーム”が世界のルールを可視化していたように。

 

『ゼロワン』ではそれがヒューマギアです。彼らは人類に似ていながらも異なり、その異質性ゆえに、**人間の歴史的業(=暴力による変革)を「反復せずに済む可能性」**を象徴します。

 

ただし、滅や迅のように暴力の論理に巻き込まれたり、アークのように抑圧されてきた記憶の“怨念”を集積した存在が生まれたりと、決して理想化された「新しい種」ではない。ここに無責任さと希望が同居しています。

 

あなたが指摘した「無責任な期待」は、『ゼロワン』がまさに意図的に演出しているギャップでもあると思います。人間がもはや希望になりえないなら、外部の存在に賭けるしかない。しかし、それはまた暴力を内包するかもしれない——このどこにも着地しない不安定さこそが、『ゼロワン』のリアルな問いかけでしょう。

 

だから、或人が「それでも信じる」と言い続けることには、ナイーヴさとともに、“人間の限界の中でしか語れない希望”の切実さが滲んでいる。高橋悠也の筆致が描くのは、いつもそのギリギリの場所です。

仮面ライダーギーツ ジャマト語翻訳一覧

クウガ』を見る上で、グロンギが何を喋っているかを踏まえた上で視聴したいと思ったら下のサイトがあって便利なのですが、『ギーツ』のジャマト語については検索しても一覧でまとめてくれているものが見当たらなかったので、ジャマト語について詳しい訳では全くないものの、ネットの対応表とにらめっこした上で叩き台を作ってみました。
抜けや間違い等ありましたら修正しますのでコメントください。

仮面ライダークウガ 全話グロンギ語訳

 

読まなくても良い注釈
・基本的にTTFCで見られる字幕を最も信用できる音として採用しています。
第12話のみ手帳や変換表に記されている文字を目視で書き起こしているため、正確さは二の次になっています。判別に自信を持てないものは「?」で代用しています。
また「なんか後ろで喋ってるけど字幕出てないな……聞き取りも難しいな……」という場合は、情報量0ですが一応「???」という枠を設けてます。
・ジャマト↔日本語変換においてゃゅょっなどの文字の大小は区別されておらず、意味的に通るよう日本語に置き換えようとするとどうしても解釈を挟まなくてはならなくなるので、訳は一律 大文字で表記しています。
例えば「チャキョピピファツワスビ?」はほぼほぼ100%「大丈夫か?」でしょうけど、そこは読む側に委ね「だいじようぶか?」と書きました。
唯一の例外として第7話の「ロットアーブ」のみは、長音などと同様「ッ」がそのまま「っ」に対応するとしか思えないため、小文字を含めて「まったね」となっています。恐らく「やった〜(ゼラスト〜)」のように「っ」が意味(またね)を表すために必要な要素ではないためにこうなっていると思われます。
・解釈を挟まないとは言いましたが、文脈的に意味の汲み取りが難しい翻訳には「(?)」をつけています。

 

目次

 

 

黎明編(1話)

 1話
ジャ〜 ジャ〜
ピアーブ しね
ビテスビ かべか
デロ くま
ジー! うてー!

邂逅編(2〜9話)

 2話
スリトキョ! つめたい!
キョトキョ…! いたい…!
チャキョピピファツワスビ? だいじようぶか?
ラサツームアラチャファ! なにすんだよ!
トアダジ〜! たすけて〜!
トビオズグオエインビカカル! たからをとりかえせ!
オズピピゼラー! らじやー!
ジピトルクビトケチャ! てしたのかたきだ!
レレスダトヅ みつけたぞ
クルクテウ ケケース! おのれ ぎーつ!
 3話
なし
 4話
なし
 5話
なし
 6話
なし
 7話
ヴォテチャ〜? どこだ〜?
レレスダ! みつけ!
キョトチャケロ〜ア! いただきま〜す!
???(08:38字幕なし) ???
ボチャ〜! むだ〜!
ロットアーブ まったね
 8話
ボチャー! むだー!
クルクテウ〜! おのれ〜!
ビエーラ! かちーん!(?)
オダダダ…! とげげ…!(?)
チャリー! だめー!
ロロ〜! まま〜!
 9話
レレスダト! みつけた!
キョトチャケロア! いただきます!
ツガポキョラサ… うるさいな…
チャロテウ! だまれ!
コ、コルク… あ、あの…
ラサツーム? テテウ なに? これ
カカボ ヴォテチャ〜! えむ(?) どこだ〜!

謀略編(10〜16話)

 10話
イズトグファテル! はたをよこせ!
クテウトエビキョヅデチャ おれたちかいぞくだ
ピアーブ しね
オストヴォ〜! とつたど〜!
モオズスト! もらつた!
クキョ! レレララサテキョ! おい! みんなこい!
キョロチャ! いまだ!
ツトタダチャ! うたげだ!
イズトイズモオズスト… はたはもらつた…
ビオズチャビビビスジツーム…! からだがかつてに…!
 11話
ジュラピラ! へんしん!
 12話
アデデエイン すぐり
ポスキョラサスワズガ パイナップル
??? ???
コゼラリ あやめ
ケポスス(※恐らくミス、正しくはスポスケ) つばき
イズキョアモスビア(※同、イズキョモスアビア) はいびすかす
??? ひまわり
アキョ?? スイセン
クエインーワス オリーブ
?ョトヴォキョトヅ? いたどいたぞ?(?)
ポスラサラサ バナナ
イズオズジュスト はらへつた
ビカカエイントキョ かえりたい
ジュラピラ へんしん
?キョ??? あいうえお
ビケデ?? かきくけこ
ポピア?? さしすせそ
エス?? たちつてと
ラサ?厶?? なにぬねの
イズセ?ジュセン はひふへほ
ロ??リモ まみむめも
ゼラ?? やゆよ
?エインガ?ン らりるれろ
バ?ラ わをん
ビビ?デデ?? がぎぐげご
??ヴ?? ざじずぜぞ
????? だぢづでど
??ワス?ロス ばびぶべぼ
??ワズ?ロズ ぱぴぷぺぽ
ツームビビアラサ にがすな
レレスダト みつけたぞ
ツスロスビヴオズ ウツボカズラ
キョエピピデ いちじく
ビピピチャ かじだ
イズゼラデセグダル はやくひをけせ
センクヴケ ほおずき
コダモス あけび
テアモア こすもす
トラロズ? たんぽ?
セオズダ ひらけ
 13話
ジュラピラ へんしん
 14話
なし
 15話
なし
 16話
なし

乖離編(17〜24話)

 17話
???(05:30) ???
テオズ! こら!
クキョテオズ! おいこら!
ラサラチャテオズ! なんだこら!
ジュラピピピアーブカカヅ! へんじしねえぞ!
ピポスデヅテオズ! しばくぞこら!
ラサリララサ! なめんな!
テツエファツ…! こうちよう…!
 18話
なし
 19話
なし
 20話
イズキョトス はいたつ
ツバー! うわー!
カカジュジュ えへへ
ケケゼラー! ぎやー!
ポスデチャラ! ばくだん!
ポズキョラサスワズガ! ぱいなつぷる!
デ…クロスカカジン! く…おぼえてろ!
 21話
イズキョトス はいたつ
ポスデチャラ! ばくだん!
リンラ メロン
ケケゼラー! ぎやー!
キョジス! いてつ!
ビビラポステウ! がんばれ!
 22話
なし
 23話
デガラサ くるな
キョビルラサキョ いかせない
 24話
ビスルクイズクテウチャ かつのはおれだ
ピアーブ! しね!

慟哭編(25〜32話)

 25話
なし
 26話
ロエゼラビビテウ! まちやがれ!
 27話
なし
 28話
なし
 29話
なし
 30話
なし
 31話
なし
 32話
なし

慕情編(33〜38話)

 33話
なし
 34話
なし
 35話
なし
 36話
ポズポズ…! ぱぱ…!
??? ???
 37話
なし
 38話
なし

創世編(39〜48話)

 39話
なし
 40話
なし
 41話
なし
 42話
なし
 43話
なし
 44話
なし
 45話
なし
 46話
なし
 47話
なし
 48話
なし

黎明編(49話)

 49話
ゼラスト〜! やつた〜!
クツームキョエゼララ! おにいちやん!
コベロスツファ! あそぼうよ!

 

 

初見でも楽しめる!『映画ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』感想

映画「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-」……通称"ヒプムビ"を見てきた!
自分はヒプマイ初見なんですけど、投票参加型の映画と聞いて、あと最近自分が『カメンズ』きっかけで興味を持ってる女性向けコンテンツのひとつとしても気になったので、上映館まではちょっと遠いけども見ることにした。
最近は映画館でも映画だけじゃなくてライブの中継を見たり色んなことができる時代だけど、キャラの背景とか知らなくても単にラップバトルを見て良かった方に投票するっていう新たな興行としてしっかり面白かったので、初見の方にもおすすめしたくて感想を書いてます。割引のきかない2500円とちょっとお高めですが、そのお金には還元できない価値が間違いなくありました。
この記事は「映画が初見な人の感想を読みたい方」はもちろんとして「自分と似た趣味でヒプムビ見ようか迷ってる方」に向けて書こうと思っているので、適宜 別作品の話も挟みますが、興味なければ読み飛ばしてください。

まだどうしようか迷ってた時に予告編と映画に合わせて公開されたキャラ紹介の楽曲MVだけは予習したんだけど、これを見てしっかり「見に行こう!」と決意できたので良かったな。
とりあえずこれだけ見ておけばなんとなくキャラのことも分かって楽しめると思います。もちろん気になったらもっと色々見るのが良いです。

youtu.be

 

 


各チーム第一印象

まず木村昴さんが出てるのはなんとなく知ってたけど、いわゆる主人公的なポジションだとは思ってなかったので驚いたな。普段触れてる東海オンエアやライダーでもラップ披露してたので、それもあってヒプマイ全体に親近感を持てた。
Buster Bros!!!は肉体派な二郎と頭脳派な三郎の対照的な2人と、その喧嘩をなだめるバランサーの一郎……って配置になってるのも、『カメンズ』のマッドガイが似たようなチームなのでスッと入ってきたし、それこそ天﨑滉平さんはランス/Qとしても出てるし。
※以降、特に断りなく別作品の話をしたときは全て『カメンズ』の話です。


元々3Dでぬるぬる動いてラップしてる予告編を見た時点から楽しそうだなとは思ってたんだけど、その気持ちを最大限にブーストしてくれたのが入間銃兎さんで、あの独特なテンションで繰り出される「まぁまぁ立場ってもんがわか〜ればヨロシイ!」に完全に心を奪われました。
警察でメガネですらっとしたスーツ着てるのに、いい感じに軽薄で飄々としたあの態度がたまらない。

(声優の駒田航さんは今回初めて知った方だとばかり思ってたんだけど、調べてみたらまさにこないだ放送開始した『ゴジュウジャー』のバトルボイスを担当してたらしい、言われてみれば!)

碧棺左馬刻の浅沼さんは言わずもがな色んなところでよく聞く声だし、毒島メイソン理鶯は作品の中でもトップレベルの重低音が聞いてて心地よい。恐らく自分が人生で初めてラップって文化に触れたのは幼少の頃に聞いたGReeeeNなので、SOHさんと似たような声の出し方なのが体に馴染む。


Fling Posseは正直に言うと見る前はあんまり注目してなかったチームだったんだよね(見たらかなり覆ったんだけど)。乱数くんのイメージはさっき言った天﨑滉平さんのランス/Qってキャラの設定にかなり影響を及ぼしてそうだなと思ったり、斉藤壮馬さんの夢野幻太郎はかわいい寄りな弟キャラの雨竜くんとは違ってチームをまとめるお兄さんポジなのが意外だったのと、ギャンブラーの帝統くんがこのチームに入ってるのも面白かった。一人だけ応援じゃなくて金返せって言われてるの笑っちゃったし、予告でも見れた「にゃ〜!」もかわいかった。
これだけ似てたら『カメンズ』がヒプマイを参考にしてる可能性はかなり高いと思うんだけど、MAD TRIGGER CREWはポジションとしてはマッドガイみたいだけど権力者サイドが集まってる感じはウィズダムシンクスっぽかったり、Fling Posseの今が楽しければそれでいいみたいな要素がスラムデイズとギャンビッツインの2チームに分割されてたりと、色んな要素がシャッフルされてるので見比べるのが本当に楽しい。


麻天狼はなんと言っても速水奨さん! 2019年の『ゼロワン』ではラスボスなんだけど結構キャラ性は薄くて倒されるだけのサンドバッグみたいな扱いで若干食い足りない気持ちを味わっていたので、「医者」「強者」「年長者」のおいしい要素が三拍子揃ってる寂雷はかなり気になったキャラの一人。
一二三くんは女性向けコンテンツなのに女性恐怖症っていう一筋縄じゃいかない設定に興味を惹かれたし、独歩くんは逆にすごく分かりやすく応援してあげたくなるタイプのかわいい奴で良い。ネガティブ男子を愛でる文化って自分が知ってるとこだと『おそ松さん』の一松とか『絶望男子と中国娘』とか、最近だと『鬼滅』の善逸とか、ネガティブな訳ではないけど『ハイキュー』の研磨とか……色んなタイプがあるけど、その中で見ても独歩くんは「やるときはやってくれる感」が強くてかっこよさも併せ持ってるのが魅力的だなぁ。


Bad Ass Templeは一番音楽そのものに惹かれたチームで、十四くんはラップというよりはしっかりメロディのある歌い方をしてたのが印象に残ったし、何より(ハイキューの日向みたいな)普段の幼い声からは想像もつかないギャップのある声色への変化がすごい。
空却と獄はまさにラップって感じのノリよく色んな言葉を流し込んでくる舌の回転が凄まじくて、あと弁護士って設定も好みなので期待してたチームのひとつ。


大阪組はもうとにかく白膠木簓くんですね。銃兎もそうだけどこういう信用できなそうなうさんくさ〜いキャラがストライクで、さっきの2人とはまた別な意味でよく回る舌と『BLEACH』の市丸ギンみたいな糸目、こんなのもうそりゃ好きですよ。
天谷奴の黒田崇矢さんは『ヘボット!』で色んな役を兼任してたので好きな声優さんの一人。速水奨さんと並んでイケオジ枠として重みのある声がとても良い。
盧笙さんは簓と漫才コンビ組んでたけど解散しちゃったって話を読んでいいなぁ〜と思った。漫才はやめてもまた違う形で縁が続いてるのって素敵だなと。


中央区のことだけは「女性向けのイケメンがたくさん出るコンテンツで珍しく出た女性キャラ」としてふんわりと知ってて、僕は女性キャラそのものを愛でたいとはあんまり思わないけど特に『カメンズ』においてはレギュラーの女性キャラがほぼいないも同然なので、メインとなる男性キャラたちが女性を相手にどういう顔を見せてどういう人間関係を築くのかを見てみたいな〜って意味で少数なら出てきて場をかき乱してくれた方が面白いかなと思ってたので、似たようなことをやってる前例として結構注目してた存在ではあった。
投票する映画ってのもそうだけど、『カメンズ』でもやってほしいことを先んじてやってるコンテンツとして気になったというのも半分くらいあるので、ジャンルの先駆者として映画だけでも楽しませてもらいます。

 

ここから映画のネタバレあり。


Buster Bros!!! VS Bad Ass Temple

これは全チーム共通だけど、登場シーンが死ぬほどかっこいい!
ラップバトルが始まってからはずっと閉鎖的なドームの中で話が進むであろうことは公式の宣伝動画で十分想像ついてたけど、まさかこんなに派手に動きのあるシーンがあるとは思ってなかったので、掴みとしては十分すぎるほどに世界に引き込まれた。

1st Stageの組み合わせはみんなリーダー同士が浅からぬ因縁を持ってるチームになってたのは映画で初めて知ったんだけど、その実情を全く知らないからこそ自分の好きなように妄想して楽しめるのが初見ならではの楽しみ方だよね。
投票映画として興味深かったのは、好きなチームを応援すればいいというのは大前提だけども、日本初の試みってことで自分みたいにヒプマイそのものはそんなに知らないけど物珍しさで見に来る人も一定数はいるはずで、そういう人にとってはどっちを応援していいのか分からなくなってしまうことが有り得る。
そこへのフォローなのか、先攻と後攻ってシステムがあることによってBad Ass TempleのセリフにBuster Bros!!!が反論するって流れなので、自然と主役サイドのBuster Bros!!!がやや優勢に見えるようになってるんだよね。一回の視聴でセリフまで覚えるのは無理だけど、十四が「俺のラップを聞けば月まで昇天するぞ」みたいなこと言ったのに対して二郎が「お前は月並みってことだな?」って煽り返してたのはハッキリ記憶に残ってる。
Buster Bros!!!は公式のおすすめチームでもあるんだろうから、優勢に見えたから素直にそっちを応援するもよし、逆に言い返されちゃったBad Ass Templeを応援するもよしで、敢えて平等じゃなくて優劣をつけることで初見の人がどっちかの肩を持つためのフックとして機能してるのが考えられてるなぁと。
自分は予習ではBad Ass Templeの方に注目してたけど、この最初の会話シーンで「Buster Bros!!!もいいな……」って心が揺らいだもん。


ヒプノシススピーカーが登場するシーンもすごく凝ってて、普段アニメとか特撮を見てる民としては変身シーンとか個性豊かな特殊能力とかは大好物なので、全員分楽しませてもらった。
ド派手な演出を見て欲が出ちゃって、できれば衣装も変わって欲しかったな〜とも思ったけど、初見勢としては服が変わっちゃうと誰が誰だか分からなくなっちゃう可能性もあったので、今思うとこれで良いと思う。


この回は結局事前に抱いた好感度の通りBad Ass Templeに投票したんだけど、惜しくも敵わずBuster Bros!!!の勝利に。
インタラクティブ映画ってことで、当然自分の投票した選択が結果に反映されないこともある訳だけれど、そこもこの映画の面白かったところで、自分が好きになったキャラが負けという現実に対してどう反応して受け入れていくのか、仲間や敵と健闘を讃え合うのかって部分がしっかりと力を入れて描かれていて、むしろ勝ったチームよりも負けたチームのリアクションの方が面白いんじゃないかってくらいで、好きだからこそ負けパターンも見たいっていう気持ちになるので、勝敗が思い通りにならなくてもほとんど嫌な気持ちにはならなかったんだよね。
特に空却は僧侶って設定だったので、チーム内で誰よりも早く負けを認めた上でそれでもカラッと笑ってる様は、一見そうは見えないけどちゃんと悟ってるような要素が見られて、映画見る前よりも一段と魅力的に感じられたな。
勝った一郎も「次戦ったらどうなるか分からない」ってややメタな発言で相手の実力を認めてくれてたし、何より「自分の好きになったキャラ本人が負けを認めてるんだから」っていう気持ちに、昨日今日初めて彼らを知った自分でさえもなってしまったのが、他ではなかなか味わえない視聴体験だった。

 

MAD TRIGGER CREW VS どついたれ本舗

2戦目は自分のポジションがまず面白くて、すぐ隣って訳ではなかったけど左右の席にそれぞれ青とオレンジのライト振ってる人がいて挟まれてたので、1戦目とはまた違った気持ちで「どっちが勝つんだ……?」ってドキドキできた。
自分自身が勝敗に一喜一憂するのはもちろんだけど、自分がどついたれ本舗に投票したらこっちの人が、逆にMAD TRIGGER CREWに投票したらあっちの人が悲しい思いをするかもしれないんだなと思ったら、真剣に真剣に考えて投票しないとなと襟を正さざるを得なかった。
こないだ『カメステ』行ったときはペンライトの色を自由に変えられるので、曲の1番ではこのキャラの色、2番ではあのキャラの色……みたいな感じで「どっちも好きだからどっちも応援する」っていう態度を取れたんだけど、今回はそうもいかないので…………。


見る前の気持ちとしては、入間銃兎も白膠木簓もどっちも気になったけど、なんだかんだ長く見ていたいのは簓の方かな〜と思って、もちろんラップの良さで変わりうるとしても、どついたれ本舗に投票する可能性が高そうな気がしてたんだけど、このバトルにも用意されてる2人の因縁を見たら気持ちが変わったのよね。
左馬刻と簓にも一緒のチームで活動してたって過去があって、どうやら簓はその過去をそんなに引きずってないけど左馬刻は結構根に持ってるみたいな描かれ方がしてたので、銃兎に注目してたら想像してなかったところから重めのパンチを食らった気分だった。
ここからはさっきも言ったように初見の立場から勝手に自分好みに妄想した話ですけど、バトルシーン先行公開の動画でも見返せるように「地獄へ共にいける仲間と!」「天下取りいける仲間と!」って対比がされてたので、それってつまり2人が何らかの挫折を味わったときに、簓は天下を取るために左馬刻を"捨てた"ってことですよね!?(盧笙とは今でも仲良くやってるのに!?) 軽くて信用ならないやつなんだろうとは思ってたけどそんなエグいことしてたなんて思わなかった。過去話なんて重ければ重いほどいいに決まってますからね、その話見たい……!(※)
キャラ紹介ラップで銃兎は「隠蔽工作も楽じゃないし」って言ってたから、仮に左馬刻のやってるヤバいことがバレたら銃兎の立場も危うくなるってことで、つまりそれって同じ軽薄そうなキャラでも簓とは違って銃兎は左馬刻を見捨てたりせずに一緒に地獄へ落ちる覚悟があるってことだろうし、左馬刻が「お前が踏みにじった友情を、今の仲間が思い出させてくれたんだ!」って叫んでたのを聞いて、心が完全にMAD TRIGGER CREWに傾いてしまった。
好み的には過去を気にしないキャラと引きずってるキャラとだったら断然後者なので、事前の印象では簓派だったけど、であればこそ今この瞬間の左馬刻へのときめきに正直になるのがむしろ簓に対する誠実さなんじゃないかと思って、悩んだ末にMAD TRIGGER CREWに投票しました。
※後で調べてみたらそういう話ではなさそうでしたが

結果はMAD TRIGGER CREWの勝利。
今回はそこまで読み取れなかったけど、きっと簓の方にも軽いだけじゃない芯の通った部分があるんだろうし(『メジャー』の吾郎と寿くんみたいなものと捉えてもいいし、例えば盧笙みたいに左馬刻は自分以外とならもっとポテンシャルを出せると思ったから……とかかも)、そもそも最初は簓派だった訳なので、今度は自分の選択と合致した結果にはなったもののやはり複雑な気持ちではあって、ただ与えられたストーリーを見るだけじゃここまで気持ちは動かされなかっただろうなぁと改めてこの試みの醍醐味を味わえた。
でも最後に左馬刻の方から簓に歩み寄って和解できたみたいなので本当によかった。

 

Fling Posse VS 麻天狼

3戦目は、乱数・寂雷ともに相手のことが嫌いな同士の対決。でも口では嫌いだと言いつつも実は人一倍相手のことを気にかけてるというのが肝で、こちらも想像してなかった関係性だったので驚いた。
これは全編通してだけど、見る前はラップバトルってやたらと相手をdisるっていう、お世辞にも良いとは言えないイメージを持っていたのが、確かに口では悪く言うけど、その根底にはお互いを認め合うリスペクトの心がしっかりあって、戦った後には握手するようなむしろ平和を志向した文化なんだなって思えてよかった。

寂雷さんが思ってたより数倍は物腰柔らかで、声の力強さほどには自分に絶対の自信を持ってる訳じゃなくて、バトルを前に心が乱れるような人間らしい弱さも持ってるのが見られたり、明らかに不公平な賭けを提案する帝統のちゃっかりしたところとか、それを承知の上で「自分たちは負けない!」って応じる独歩くんの強さとか、この回もキャラクターの一面的じゃないところを知れた。
ラップでも2人の因縁が断片的に語られてて、寂雷は救えたはずの誰かを乱数の刹那的な生き方のせいで救えなかったことを悔やんでて、乱数の方は寂雷の上から目線であれもこれも自分が思う「あるべきかたち」を押し付けてくる姿勢に反発しているっていうのを知って、この対決カードはさっきの第一印象でも語った通り自分の中では圧倒的に麻天狼が優勢だったんだけど、一気にFling Posseの好感度が追いついてきた。
たぶんチーム内では幻太郎が小説家として色んなことを思い通りにしようとするタイプ、帝統は常に運任せだから物事の手綱を握ってないタイプで、乱数がその間で揺れてるようなキャラなのかな? まぁチームのカラー的に、幻太郎も根っこのとこは自由を求めるタイプではあるんだろうけど。


単純にかっこいいからって理由で寂雷率いる麻天狼を応援してたけど、背景にある支配と自由って対立を知ったらどちらも捨てがたくて……ここまでの3戦の中で一番どっちに投票するか迷った。
でもラップバトルを見た感情としては本当に拮抗してたから、最終的には第一印象を優先して麻天狼に投票、結果としてはこれまた僅差でFling Posseの勝利でした。
"推し"って言葉そんな今知ったばかりのキャラに言うもんではないけど、他の表現が見つからないので投票した対象のことを一旦推しと言いますね?
1戦目は推しの負け様に感動して、2戦目は推しの勝ちに心躍った訳だけど、この3戦目はガチで甲乙つけ難かったので、推しじゃない方が勝ったことに喜ぶというまた違った感情が味わえて、この辺まで来たらここからどうなろうとこの映画の感想は「最高だった」以外ありえないところまでいってた。一本の映画でこんなに多種多様で複雑な気持ちを味わえたことないもん。
終わったあとに寂雷が「君とはまだまだ話し合いが必要なようですね」って言ってたのも大好きで、嫌いだから関わらないとかじゃなくて、例え分かりあえなくてもあなたとはこれからもずっと付き合っていきますよと表明したってことだよね? そういうの好きなんですよね……本当に。


Buster Bros!!! VS MAD TRIGGER CREW VS Fling Posse

初めて触れるコンテンツだし楽しかったのでポジティブじゃないことは基本的に言わないつもりだったんだけど、順番に話してるので何も言わない訳にはいかなくて……1st Stageの面白さに比べると2nd Stageは印象が薄く感じてしまった。
やっぱり2つのチーム同士のバチバチとした関係性と会話のやり取りが面白かったので、制作の都合上 仕方ないんだけど、個別にMVが流れるだけの時間は(普通に楽しかったけども)感想として何か書くことがあったかというとあんまり覚えてないというのが正直なところ。
一郎も「難しいことはいいからただ音楽を楽しんでくれればそれでいい」って言ってたので別にこれでいいはずなんだけど、感想を書くってこういうとき難しいよなぁ……何も言語化できないと面白くなかったとか退屈だったみたいに見えてしまう。

その中でも、1st Stageでは多分なかった銃兎の高めな声と理鶯の低めな声でデュエットする部分はよかったな。「援護求むこの列島ごと、手と手を繋ぐは絵空事?」のとこ。
あと『バラの束』は自分が今まで触れてきた中でかなり「ラップ曲といえばこういうの!」って感じがして聞いてて楽しかったかな。『エウレカセブン』のOP2(※)とか、『メタルファイトベイブレード』のED1みたいな、ちょっとダウナーでアンニュイな感じ……エウレカはともかくメタベイは誰に伝わる話なんだこれ。
※Bad Ass Templeの『シンジルチカラ』は、まさにエウレカHOME MADE 家族さんだったらしい。これも今回の曲の中だとかなり好きな方。


そもそもこの映画でのラップバトルって誰が政治的実権を握るかっていう戦いで、歌詞がマニフェストみたいな「俺たちが勝ったらこんな世界にしてやる」って内容になってたから、唯一自分が投票して勝ち進んだチームであり一番ついていきたいと思ったMAD TRIGGER CREWに投票したものの、勝者はFling Posseに。
事前の注目度は一番高くなかったので、自分の中では完全にダークホースが勝ち上がったみたいな感覚だったな。


Fling Posse VS 言の葉党

左馬刻みたいに、他のチームには他のチームなりの因縁がきっとあるんだろうけど、中王区のボスが帝統のお母さんって知ったときは「Fling Posseが勝ち上がってきたのは運命なんだな」と感じた。まぁ他の観客の皆さんはそういう因縁をちゃんと知った上で投票してたんだろうから考えてみたらそりゃそうなんだけど、でも別に毎上映彼らが勝ってるわけではないので、少なくとも自分が見た回にたまたまFling Posseが勝ち上がったのは、運命としかいいようがない。関係ないけど、色としては黄色が一番好きだったりするし。


ラストバトルで印象的だったのは、やっぱり敵の中王区。基本的にどんな作品でも、とても悪い敵を排除してめでたしめでたしみたいな終わり方は好かないことが多くて、その点彼女たちは「もう犠牲はこの身ひとつだけ!」って何度も叫んでて、単なる悪じゃなくてきちんと信じる正義みたいなものを感じることができたのがとても嬉しかった。実際はかなり悪どいこともしてきたらしいけど、だとしてもこの気持ちは共存できるはず。
彼女らに立ち向かうのが麻天狼を倒したFling Posseなのも激アツで、寂雷から咎められてたみたいに多分乱数はなにかしらの過ちを犯したこともあるんだろうけど、だからこそ間違いを根絶するようなディストピアじゃなくて、失敗することも悪いことをしてしまうこともあるかもしれないけど、それらも全部含めた人間が自由に生きるということを肯定して、本当に開かれた世界に向かうことができるんだろうなと。

普通に考えて他のルートでも似たような結末になるんだろうけど、僕にとってのヒプムビはこの一回きりの体験のつもりで見ていたので、最後に乱数が「おねーさんたちも!」って手を差し伸べてくれたのはFling Posseが優勝してくれたからこそのことなんだなと感じたし、映画を見たことで間違いなく彼らのことも、彼女らのことも好きになれた。
やっぱり世界観設定の根幹が「戦争を繰り返してきた愚かな男を排除して女性が世界を支配した」ってもので、かつ今までのバトルでも相手への最低限のリスペクトは欠かさずに認めあってきたからには、中王区の人たちとも和解しないと本当のハッピーエンドにはなれないはずだよね。
もちろん(中王区も含めて)多様性を認めるってことは、他のチームが優勝した場合はまた違った……つまり中王区の人たちを許せないって選択が肯定される余地もあっていいはずだし、むしろその可能性を想定してこそ、この大団円をより尊いものとして感受できる。
見る前は「中王区の人たちが負けを認めずにちゃぶ台返しして、最終的には18人全員で立ち向かう展開が待ってるんだろうな(だから投票したチームが負けちゃっても後で見せ場はあるだろうから我慢しよう)」なんてありきたりな最後を予想してもいたんだけど、潔く負けを認めてくれたことで中王区の人たちへの好感度も上がったし、どうせ最後にみんなで歌うならこのかたちが一番綺麗だなと完全に納得した。


ここまでたくさん心を動かされてきた積み重ねがあった上で、エンディングテーマの「誰もが声を奪わない」「誰かのため韻踏みたい」のところで堰が切れたように泣きました。
20代も後半に入って、涙もろくなって物語を見て泣くってこともそう珍しくはなくなってきたけど、ちょうどEDのタイミングに感情の最高到達点が重なることはなかなかないので、話の続きも追わなきゃみたいな雑念なしに気持ちよく泣けた。
たぶん合計で3回くらいそのフレーズは流れたと思うんだけど、その全てで激しく涙が出てきてずっと止まらなかった。

 

インタラクティブ映画? 面白そうじゃん」なんてミーハーな気持ちで見に来たけど、他の何でもない『映画 ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』という作品が本当に好きになりました。
とはいえ、ここまで読んでくれた未見の方には、やはり本作の特徴であるインタラクティブ性はもう一度強調しておきます。ここに書いてあったのとは違う、あなただけの一期一会の体験に出会えるはずなので。

ゼロワン好きの『カメステ』感想 おかわり編

前回の記事はタイトルに1/13と入れてしまったのもあり、文字数的にも2万字を越して、当ブログの記事としてはボリュー厶多めになってしまったので、その後の観劇で新たに思ったことはまた別の枠でまとめることにしました。未読の方はこれを前提に話すのでまずはこちらを。もちろんネタバレを含みます。

86ma.hatenablog.com

 

目次

 

 

1/23公演

・この日は3日前にチケット取ったからなのか、前回よりもずっとステージに近い席で見ることができて2回目とは思えないほど楽しかった。
前回もこれまでにないくらい衝撃だったけど、それでも全体が俯瞰できる席だったからか迫力はまだ小さい方だったみたいで、正真正銘目の前で、表情も見えるくらい近くで動く役者さんを見てたら、前回は滲む程度だった涙がボロボロ出てきてすごかった。


・レオンの池袋サンシャイン劇場と同じ椅子ですのところで「816人乗りでございます」が追加されてて、会場大ウケ。爆笑しました。


1/13との違い

・この日は慈玄の方のバク宙が見られなくて、もしかして足痛めちゃったとか何かあった……?と心配になった。ただ今回たまたま勢いが足りなかっただけであってほしい。側転はしてた。
でも遠くからじゃ感じにくかった、そこじゃない部分の戦闘シーンの重みとか軽やかさとかをしっかり感じられてとても良かった。
慈玄はもちろん、他の方々も一発一発の攻撃にしっかり力が入ってて、蹴りとかもみんな驚くくらい足上がってて……。自分は体かたい方なのでずっと「すげー!」ってなりっぱなしだった。

・マッドガイはアドリブがかなり多くて、「ジャキーン!」のところで阿形が荒鬼に指ハートさせてたり、「俺の美しい口が開いたまま塞がらない」が全部母音だけになってたり、なんかこの回はダンサーさんの髪型がオールバックで統一されてたので荒鬼が「なんで全員オールバックなんだ?」ってツッコんだり……知識としては知ってたけど、舞台って別の日に見るとこんなに違う部分がたくさんあるんだと初めて体感した。
あとマッドガイミュージカルの最後に、阿形さんの方から「一番狂ってるのはお前ら(ダンサーたち)だよな」って言及があって、やっぱりベスト着てた4人はBクラスの面々だと確定してた。こんな重要な情報がたまたまこの回を見ないと分からないの、舞台って奥が深すぎるぜ……。
阿形さんがピラミッド作るとき「疲れたな……疲労ピラミッド」とか言ってたので、慈玄の件もあって東京公演も終盤に迫ってきて皆さん疲れてるのかな……とも。東京-大阪の間でゆっくり休んでほしい。


学年委員の面々

・他の3人はともかく、瞬十は荒鬼の方から「Aクラスの学年委員サマ」って明言されてましたね。絡み的に、千戸瀬数馬だけはBクラスなのかな? そしたら学年委員はAクラスから3人、Bクラスから2人で人数バランス悪くないし。もちろん、出てきてないだけでABクラスに所属してる他の人やCクラスとかも、まだまだいておかしくないんだけど。
・雨竜と千戸瀬数馬の戦闘訓練、最初に見たときは気付かなかったんだけど途中で槍を交換しててぶったまげた。気付かなかったってことは、難なくこなしてたってことだもんね? すげー……。
高塔家で槍術を学んでたのに加えて、これだけ槍の扱いがうまい千戸瀬数馬と手合わせしてた経験は、仮面ライダーになった雨竜の中でしっかり生き続けてるんだろうな。それは白波一や万条目恒臣もそうなんだろうし。

・千戸瀬数馬、戦闘員になってからは特にダパーン的なややサイコな若者みたいな雰囲気なのに、雨竜くんに名前で呼ぶよう注意してるのが不思議。未だにどういうキャラなのか把握しきれてない。書いてみて思ったけど、瞬十が色んなキャラの要素を持ってるみたいにちょっと戴天さんのニュアンスがあるのか?
下の名前で呼んでほしいってことは、雨竜くんと(全員と?)少なからず近い関係でいたいってことだよね。2人セットになってる紫苑&慈玄-白波&万条目の組み合わせと比べて、千戸瀬数馬はネームドキャラの中では二番手みたいな立ち位置なので(クレジットも一番最初だし)、もうちょっと深掘りできそうなキャラではあるんだけど……唯一ここぐらいかな、もうちょっと色んな描写を見たかったのって。


・瞬十の「才悟、やはり君は一筋縄ではいかなかった」の部分は、初めて見た回で印象的なアドリブがあったとこなので、逆に何もなくてちょっと寂しかったな。


疑惑の藍上レオン

・レオンと瞬十の「客席!?」のくだり、途中からレオンも「客席(ってなんですか)!?」って驚いて瞬十が「え、そっちが言ったんでしょ客席!?」とツッコむみたいな流れがあって、これってもしかして今後のレオンに関する伏線だったりするのかなーと思ったり。

メインストーリー第1部でも同様に「レオンが知っているはずのことを知らない」って場面があって、もしかすると二重人格みたいな設定が実はあって、役者さんは役作りのためにそれを聞いてたからちょっとだけ匂わせる要素を入れたのかな……と。
この件は考えすぎとしても、特にライブパートのユニット名とか、メインストーリーでもなんでもないちょっとしたエピソードの話を拾ってきたりしてて意外と細かいし、役者さんのSNSでもちゃんとそのネタ拾ってくれたりしてるから、舞台に立つまでに一体どれだけ予習したんだろうと。

 

瞬十の正体バレ

・席が舞台に近かったことで、役者さんの瞳がキラキラ光ってるのがハッキリ見える瞬間が2回あって、一度目は神威がいつも通り美の化身!ってやってるとこで「あぁ美しいってこういうことなんだ」と思ったんだけど、二度目は瞬十が正体バレしたところの近くで、すごく寂しそうな表情だったのもあって涙ぐんでるように見えてすごく切なかった。
たぶんあの瞳を見てしまったのもあってボロボロ泣いたんだと思う。後の展開を知っていたからこそ、ひとつひとつの言動の意味や重さをじっくりと味わうことができた。

・瞬十の正体がバレたきっかけって、つま先を鳴らす癖だけじゃなくて「仮面ライダー」って単語を知ってたから……っていうのがダメ押しとして使われてるんだけど、ここは改めて見たら理解が難しくて、しばらく引っかかった。
才悟たちは普段から"仮面ライダー屋"を名乗って一般の人たちから広く親しまれてる訳なので、アカデミーを退学したあとの瞬十が仮面ライダーという概念を知っていてもそれほど変ではない。
知られてるのはあくまで便利屋さんとしてであって、戦士としてではない……んだろうけど、瞬十はそれこそアカデミーでずっとライダーになることを志してた訳なので、まぁそれくらいは十分察せる範囲ではあるだろう。
でも才悟が言ってたのは、もし本当に退学になったのであれば、カオスイズムのことだからライダーに関する記憶も全て消されてるに違いなくて、その頃の記憶を失っていないのであればカオスイズムの軍門に下ったんだろうって話なのかな。
瞬十はエージェントのカオストーンで記憶が戻ったんだよと説明してたけど、本来形見のカオストーンを持ってしても仮面ライダーたちがカオスイズムに奪われた本当の記憶を取り戻すことはできていない。それができれば、第二世代カオストーンを集める必要なんてないので。
今回の舞台でやったのは、あくまでも「記憶を改変する特殊なカオスワールドの力を弱めた」だけで、プロローグでアカデミーからみんなを逃したのと似たような働きなのかもしれない。
カオストーンに吸い出された記憶はカオストーンがないと戻らないけど、今回はそうではなくて瞬十のカオスワールドの力でただ記憶がロックされただけなので、それを解除するだけなら形見のカオストーンでもできると。

あと才悟がラストシーンで瞬十の癖を真似るところへの布石として、この種明かしのときに一度やってたんだなと気付いて結構アガった。
僕はあれ、意識的にやったというよりは無意識に出たんじゃないかなと思ったので、ここでみんなに説明するために必然性を持って一度トントンとやったことで、体が覚えたって流れなんだろな。


・ところでカメステでの雨竜の立ち位置って難しくて、瞬十はアカデミーのやり直しをしたかったのに雨竜のことはカオスワールドに誘ってないばかりか、ガオナクスに変身させて才悟と一緒に倒してるんだよね。カオスワールドは持ち主の願望を形にする訳なので、瞬十は雨竜のこと嫌いだったのか?って話なんだけど……そっか、これ書いてみて分かったけど、雨竜が一番早くアカデミーの謎に勘付いてたって描写があったから、あの一言のせいで学年委員はうっかり真実に近付いてしまって退学になり、才悟たちと運命が別れてしまった……って意味で、別に雨竜自身が嫌いとかではないけどよくは思ってないのかな、瞬十は。
当の雨竜だけが退学になってないのはどういう流れがあったんだろうね? 「兄弟盃と魔法のランプ」のサバイバル訓練みたいに雨竜が体調崩してたとか、或いはアカデミーの怪しい部分に切り込むってことで最年少の雨竜は瞬十たちの判断でお留守番になったとか? 後者だった場合、結果的には雨竜があんなこと言わなければこんなことには……って思ってたかもしれないけど、同期として大切に思ってたのは事実なんだなって思えて良いね。


誰かの怒りを守る

・前回見たときはラストの記憶から逆算して「荒鬼は最初から汚れ役を請け負うつもりでジャスティスライドと対立してた」んだと理解してたんだけど、見返してみるとここには解釈の幅があって、最初に陽真と対立してたときはそんな深いことは考えてなかった可能性もあるんだなと。
その後、陽真が「仮面ライダーにはそれぞれの戦う理由があるって、改めてお前に教えられたよ」「……別に教えちゃいねーよ。てめェで見つけたもんだろ」のくだりでジャスティスライドには彼らなりの信念があって瞬十を倒したくないってことを理解したから、そこで初めて荒鬼なりの優しさを持って瞬十を倒そうと決意したのかも。

・紫苑の「怒りを守りたい」は初見の人には意味が分かりにくいだろうなぁとは思ってたんだけど(ゲームやっててもよく分からないと言ってる人だっているし)、そこへのフォローのためにカメステ内でもきちんと瞬十の裏切りに怒るマッドガイの気持ちも尊重しないといけないって話をしてたんだと分かって、本当に細かいとこまで抜け目ない脚本だよなぁ。
特に2クラスの対立のシーンで、紫苑は明確に両者のちょうど真ん中に座っていて、どちらの意見にも耳を傾ける仲裁役として振る舞ってるのがとても良い。
1/13の感想では、あの場の荒鬼が心の奥底では優しい気持ちを抱いてるのが紫苑は分かったから擁護したんだろうって話をしたけど、今言ったみたいにただ「カオスイズムに寝返ったならぶっ倒す!」って怒りの気持ちだけで喋ってたんだとしても、どっちにしろ紫苑の振る舞いはすごく"らしい"よね。
才悟が笑顔、陽真が涙を失ったように、紫苑は怒りの感情を失ってしまったので、他の誰かがきちんと心のままに怒れることの大切さをよく分かっている。ジャスティスライドはみんなそういう気持ち(ニチアサで言うなら「眩しくて戻らない瞬間、もう誰にも奪わせない」)で戦ってる人たちだし、『TXT Vol.2 ID』からも分かる通り、高橋悠也脚本はそういったネガティブなものも含めて人間の感情というものを大切にするので。


やはりアークワンかも

・カオスライダー瞬十のモチーフは何なのか問題、時間を巻き戻すからジオウモチーフ……というのは、一応前回の記事ではさらっと触れたものの個人的にはほとんど支持してなくて、アークワン説はそれに比べたらまだ信憑性は感じるけど確実とまでは言えないかな……と思ってたんだけど、2回目見たことで、そういえばアークワンも相手の変身能力を奪うのがひとつの特徴だったことを思い出して、その要素まで踏まえたらまぁまぁアークワンで確定ってことでいいでしょうという気持ちになった。
アークワンになった或人は、滅意外との無駄な争いをしたくなくてサウザンドライバーを壊したり不破と唯阿のチップを書き換えたりして変身能力を奪ってたので、今回の瞬十は口では「お前たちへの罰だ!」って言ってたけど、そういう気持ちがあった想定することも十分可能なのかなと思うし。

・あと計画の第二段階っていうのも理解度が上がった。
記憶を書き換えて卒業試験をやり直す方法は失敗したから、単に腹いせで街を攻撃してカオスイズムの支配下に置こうとしてるような印象を持ってたんだけど、ジャスティスライドは特に街の平和を守る仮面ライダーとしての記憶を取り戻してしまったからこそ、だったら街の平和を人質に取れば今度こそみんなが自分の仲間に戻ってくれるんじゃないか……っていう意図で動いてたんだよね?
瞬十にとってカオスイズムの野望なんてものは多分そこまで重要ではなくて、徹頭徹尾「仲間と一緒にいたい」って純粋な気持ちだけで戦ってたんだなと思うと……。


・あと雨竜くんの変身シーンがないのって、戴天さんがいないから第2回以降でのおたのしみってだけじゃなくて、10章での「危うく暴走して同期を傷つけるとこだったから変身したくない」って文脈もあり、数馬相手には敢えて変身しないで生身での呼びかけに留めてたのかな。
相手を傷付けたくなくて変身しない雨竜のピンチに駆けつけるのが、汚れ役は自分たちがやればいいって言ってたマッドガイなのも最高。瞬十を倒すことこそできなかったけど、ここで擬似的にその想いは果たしてたんだぁ。


心からの笑顔

・陽真は最後まで「お前は本当はそんなこと望んじゃいないはずだ!」と、よく言えば瞬十を信じていて、悪く言えば自分基準で相手の行動を解釈していた訳だけど、才悟は最後の最後では「本人が洗脳されてないというのならそうなんだろう」と瞬十のやってきたことをきちんと彼自身の意志によるものだと認めたんだよね。
「洗脳されてたから」で済ませるなら、瞬十の罪はいくらでも軽くできたかもしれないけど、それは瞬十の中にある「みんなと一緒にいたかった」という気持ちを軽んじることでもある訳で。
だからこそ、瞬十は自分のやってきたことを自分自身の責任として引き受けなければならない。その罪悪感を背負ったままでは心から笑顔になることは難しいから、倒されることで罪滅ぼしをしなければならないし、才悟はその覚悟をきちんと正面から受け止めたから、例え契約違反になろうとも瞬十を倒すという決断を下すことができた。

瞬十に「俺を心から笑顔にしたいなら、俺を殺すしかない」と言われた才悟って、傍目からは一瞬、その言葉に困惑して背を向けてるように見えるんだけど、実はそこで戸惑っているのは観客だけで、才悟本人はあくまでもファイナルライディングシュートを繰り出すために必要な助走距離を取っていただけで、迷うことなくすぐさま「……分かった」って返事してるのが、何度見ても震える。
心の中には色々な葛藤もあるんだろうけど、それを表には出さない。そもそも才悟は自分の笑顔というものを知らない。第1章では「死にたくないと思えるほどの人生を、オレは歩んでいない」とまで言っていた彼のことだから、「久遠瞬十が死んだら自分は悲しい(笑顔になれない)」という本音を優先することができない。
誰かの笑顔のために戦う才悟だからこそ、本人がそうしなければ笑顔になれないと言うのであれば、自分の笑顔よりも本人の意志を尊重できてしまう……。
魅上才悟の悲しいまでのヒーロー性と、久遠瞬十のどうしようもない人間らしさがもたらした結末としてあんまりにも綺麗なので、ここまで来たときには涙が止まらなくて舞台を見る余裕があんまりなかった。
洗脳されてた訳じゃなくて、瞬十は瞬十自身の「意志」で戦ってきたのだと認めたから、「君はずっと前から仮面ライダーだった!」と認めることにも繋がる。


・これはカメステ全体に言えることだけど、CGに頼ってないからライダーキックが必ず体重の乗ったものになってるんだよね。
平成仮面ライダーって、映像技術が発展した代わりにキックの映像がどうしても、ポーズをとったライダーがその格好のままスライドしてくだけ……みたいな絵面になりがちで、僕が唯一昭和ライダーの方が明らかに優れてると思ってる部分がそのキックの重みなんだけど、カメステはまさにその昭和の良さを体現したかのような、武器に頼らない肉体的なライダーアクションが見られるので、新しいんだけどどこか懐かしさもあるんだよね。
この最終決戦に至ってはそれをやるのが昭和ライダーモチーフであろう才悟なので、そのアツさもひとしお。

・瞬十がピアスの攻撃を受けてからは、才悟はエージェントに瞬十の手当てを頼んでて助けようとしてるんだよね。多分これは瞬十を倒すつもりがなかった訳じゃなくて、「お前の手で殺してくれ」って頼まれたのにピアスの攻撃で息を引き取ることになったら、約束を果たしたことにはならないと思ったから……なんじゃないかな。
自分ができなかったことをお前が代わりにやってくれ、みんなの笑顔を守ってくれと願いながら息を引き取った瞬十を、同じく仮面ライダーになれなかった者であるレオンも一緒に眺めていたというのは、2回目見てまた違った味わい方ができたところだな。

 

・ここもかなり高橋悠也脚本らしい味付けだと思うんだけど、ピアスはハッキリと「彼らは洗脳する必要がなかった」と複数形で語っていて、つまり瞬十以外の3人も本人の意志でカオスイズムに協力してたんだよね。
なんだけど、最後のお墓参りのシーンでは「彼らは洗脳されていたから被害者みたいなもの」という語られ方がしている。
阿形や紫苑たちは本当に洗脳されていたかどうかをきちんと知る術はないので、自分たちの予想で喋っているに過ぎなくて、これもまた「仮面ライダーの価値観は人それぞれ」ってことの表現のひとつ。
才悟は瞬十のことを洗脳なんかされてなかったと認めたけど、そう認識してないキャラもいる。
カオスイズムには洗脳されてなくても、ある意味で残りの3人は"瞬十に"洗脳されていたという見方もできるかもしれないし、真実のところは、案外本人たちにも分からないのかもしれない。自分が洗脳されているかどうかなんて証明のしようがないし、心って複雑なものなので、何が本心かなんて分からなくても無理はない。
恐らく瞬十と違って「俺は洗脳なんかされてない!」と強く否定したりはしなかったから、3人は従ってただけなんだろうと周りに解釈されたんだろう。

こういう「結局どれが本当なの?」ってとこを曖昧にして解釈の余地を残すのが高橋悠也の作風なので、作品に答えを求めすぎず、納得のいく答えは自分自身で見つけるつもりで見ると、より楽しめると思います。


ライブパート

・元々2/2しか行く予定のなかった僕が、いきなり行くことを決めた1/13に続いてなぜ1/23にまた行こうと思い立ったかというと、それはひとえに才悟の誕生日だったから。
1/19が瞬十の誕生日らしいことを当日に知って、しかもその日の挨拶登板が瞬十でそこに言及してくれたというレポを見たので、じゃあ行くしかないと。
最近たまたま『クウガ』を見返していて、その準主人公である一条薫って刑事は誕生日が父親の命日でもあるので、プレゼントなどは受け取らないようにしているって描写があったからなおさら、才悟が自分の誕生日に瞬十を倒してしまった……なんていう重すぎる十字架を背負ったまま生きていく世界線が舞台上には生まれるのだと思ったら、それを目撃しないでこの先のライドカメンズを、魅上才悟を見るのはすごくもったいないかもしれない!と思って行くことを決意した。

でもそこで提示された答えは案外シンプルなものだった。
瞬十の最期に涙し、休憩時間もあっという間に感じて、この気持ちのままライブパートを全力で楽しむ方向に心を切り替えられるのだろうかと心配してたところ、1曲目の『GET BACK!!』で才悟が歌ったのは「喪失に囚われずに(前進を貫け!)」の部分。
あぁ、仮面ライダーって心も強いんだなと改めて感じて、そこでもう一回泣いた。
才悟が十字架を背負う様を見届けたいなんていう不謹慎というかやや邪な気持ちでここまで来た自分をちょっとだけ恥じて、そっからはもう、2回目のライブをめいっぱい楽しみました。
前回阿形さんに「もっと盛り上がれ!」って怒られたしね、ペンライトも振って声も出して、本当にめいっぱい。

 

・ユニットシャッフルは才悟&阿形の「水を得た魚(さかな)」。
慈玄から「正しくは水を得たウオだ」と指摘されて、「どっちでもよくない? ウォウ ウォウ」と呟く阿形さんにはちょっと面食らったな。
たまたま最近元ネタを知って、これノリの良さで(ネット上でも)つい口にしたりしちゃいけないやつなんだと学んだばかりだったので、舞台の彼は解釈に幅を持たせていたという前提の上でも、阿形の口から出てきたのはちょっと衝撃だった。
最低限の配慮として、五期生の中でも阿形はお酒飲める歳というのもあるし、少し前の僕と同じで元ネタを全く知らなかったからこそあの場で口にできたという理解も可能なので、初見のインパクトよりは変ではないかなと、今は多少納得もしてるけど。
あと鬼ってお酒いっぱい飲むものだしね。
常識人そうに見えて阿形さんが意外と座学苦手なのはゲーム内でも描かれてて、テスト前には同室だった雨竜から勉強を教わってたなんて話もあるので、正しい読み方を知らないのはキャラにもあってるし。

さすがに誕生日なので才悟の色つけて振ってたんだけど、でも阿形さんもかなり好きな方のキャラだしな……と思って二番は紫にしようと思ってたら、『君がいるから』だけは短縮版だったみたいで、結局紫にしてたのは間奏の間だけだったな。把握してなかった。


・『Perfect Assistant』のときのペンライトは、もうすっかり一色になっちゃってて寂しかったな……。
自分だけでも違う色にしようか迷ったけども、さすがに目立つだろうし演者さんも気が散ったりするかなと思ってやめた。
パフォーマンスは1回目と変わらずめちゃくちゃ最高でした! 既に欠かせない存在だよ、レオン!

 

 

1/25配信(18:00)

・東京公演も終盤に近づいてきて、突然のライブ配信決定!
今までは記憶を頼りにするしかなかった話を、Blu-rayが発売されるより前に何度も見返して目に焼き付けられる(めちゃくちゃ細かくメモも取れる)というのはあまりにもありがたいことなので、せっかくなので購入することに。
思い出しながらでは取りこぼしていた小さな感想も含めて残しておこうと思います。

 

才悟の危うさ

・恐らく完全に初見の人にとっては、この冒頭のピアスの説明から世界観説明を正しく読み取ることはなかなか難しいように思うし、ゲームやってる自分でさえ初回はかなり聞き流していたんだけども、カオスのことを仮面型の"標本"と表現するのって、意外と何回か繰り返されてて大事なんだな。
僕はこれを聞いて星2【ラストノート】魅上才悟の「標本づくりに挑戦!」を思い出した。
植物採集をして標本をつくっていく過程で、発見をしたり人と関わったり色んなことを体験していく才悟のかわいさを楽しめつつ、GREENエンドでは昆虫の標本もつくってみたいと言い出して、ノア(エージェント)と紫苑が「それは……どうかな。ほら、可哀想だし」と嗜めるという、才悟が持つ冷たさ・危うさみたいなものも垣間見えるエピソード。
ライドカメンズはガシャの目玉である星4だけじゃなくて、意外と低レアで面白いお話が読めたりすることも多くて、星3くらいなら20連30連くらいで引けたり、イベント報酬のぶんも入手するハードルは1枚だけならそこまで高くもないので、無課金ならまずは低レアをなるべく取り逃さないことを目標にするのがおすすめです。
カオストーンというキーアイテムがある作品でありながら石が好きって設定もある通り、才悟がかろうじて持ってる個性って、結構カオスイズム寄りな性質が多いように感じる。この辺はかなり根幹のテーマとかに関わってくるんだろうね。


・ア゙ア゙ア゙ー! 1/23の回でも大ウケだった「816人乗りでございます」の部分に、配信で見てる人もいるという要素まで付け加えて喋ってる!
しかも? 今カメラ目線でこちらに向けてウィンクしました!?
さすが我らのスーパー執事 藍上レオン! うわー、もうこれだけで5000円払った意味があったよ……。こういうの、たぶん円盤に収録される回ではなさそうだもんね。このサービス精神に満ち満ちたレオンの一挙一動を見てるだけで、カメステはもうお腹いっぱいになれる。
シリーズファンとしては『ジオウ』のウォズと肩を並べるくらい、見てるだけで楽しい最高の語り部です。ありがとうございます。


・冒頭で喋ってる主任戦闘員は声や癖からしても瞬十だろうけど、物語が始まるタイミングでは率先してエージェントやレオンを狙っていたというのは、既に何回か見た後だからこそ気付けたことだな……。
元々は才悟たちを脱走させた張本人として浅からぬ憎しみを向けていたんだろうけど、仮面ライダーとなった才悟たちの生き様を見ていく中で、自分の命を賭してピアスの攻撃から守ってくれるまでに変化するという流れだったのね。
才悟たちにライダーとしての生き方を示したエージェントの存在を受け入れられるかどうかが、完全に物語の最も重要な分岐点に位置付けられていて、返す返すも我々観客をストーリーの中心に置いた構成になってるんだな。


・慈玄のバク宙、今回はスイッチングの関係で見えにくいけど、披露してるってことは怪我とかではなさそうでひと安心。
才悟とのバトルで現れる戦闘員がやってるのは一回転しきる前に手をつく"バク転"っぽいので、手を付かない"バク宙"をやってのけてる慈玄ってやっぱりすごいんだな……。
こうやってじっくり見返さなきゃ気付けないから、メインキャラの技をすごく見せるためにわざわざ引き立て役としてバク転に留めてる……なんてこともないだろうし。どちらかといえば、脇役がわざわざ失敗する可能性のある大技にチャレンジするのはリスク対効果が悪いってことなのかな? 実際、左から回ってきた戦闘員は階段にぶつかっちゃってるようにも見えるし。
陽真もこの最初の戦闘から、カオスライダーならベルトがあるであろうお腹にキツい一発をお見舞いするバトルスタイルを披露してるのが細かい。


・瞬十は主任戦闘員(マスクあり)のときもカオスライダーのときもスーツアクターさんが別にいるからこそ、この登場キャラ紹介の場面で素顔の状態で出てくることができるし、これによってさっきの戦闘員が瞬十なのでは?という発想に至りにくくなってるミスリードがうまいなぁ。
単なるミスリードってだけじゃなく、終盤だけじゃなくここでもめちゃくちゃ切ない表情見せてくれるし。


・瞬十以外の3人も、主任戦闘員(マント付き)の状態でちゃんと喋ってたんだ……それぞれ誰なのかちゃんと分かるもんだな。

 

・荒鬼と神威を焚き付けておきながら、そのやる気をまずは散らばったカオストーンを回収して犠牲者を減らす方向にさらっと向けさせるのは、さすがの阿形さんの手腕だなぁ……。
クラス契約のときの「力を証明したければ誰よりもまず仲間を助けろ」もそうだけど、2人の力とまっすぐさをうまい具合に手綱握って、仮面ライダーらしい"善いこと"に導くことにとても手慣れている。
自分自身の復讐心の扱いに普段から手を焼いてるからこそなのかな、この辺は。マッドガイのリーダーはこうでなくちゃ。


・仮面カフェで何かあるのか?と聞かれて、ライブステージのことこんなに嬉しそうに話してたんだな、レオン。
よっぽど力を入れて準備してたに違いない。


・雨竜くんが謝るときのお辞儀がほぼ90度なのが初見のときからちょっと意外で印象に残ってたんだけど、その直前のシーンではそこまで深くないものもちゃんとやってたので、あくまでシーンによって使い分けてるのね。
レオンが雨竜に対して「いい匂い」っていうくだり、最初は戴天と兄弟だからかなと思ったけど、何もしなくてもいい香りがするのはたぶん戴天個人の特徴だったはずなので、雨竜は兄さんのようになりたいと思って敢えて香水をつけてるのかな?


・「ご主人様は興味がおありですか?」の後の拍手が、レオンの動きに合わせて「パンパパパン!」と綺麗に鳴るのが、最初に見たときはめちゃくちゃびっくりして、内心周りにいるのがサクラなんじゃないか……と不安になったりもしたんだけど、この配信の回では「おぉ気持ちいい、ありがとうございます」っていうやや驚いたようなリアクションが付いてたので、見心地が全然違ったな。
あれかな、何回も通ってる人とかがいると、自然とお客全体がそういう風に訓練されていくのかな。
しかし雨竜くん、ただでさえテンション高いレオンに「2部ではもっとテンションを上げていきましょう」は無茶ぶりにもほどがあるよ(苦笑)


・陽真の「事態に驚いて、転んだ人くらいだった」の部分、ゲネプロとか以前の公演ではかなり元気ハツラツな言い方だったと思うんだけど、今回はかなり落ち着いたトーンで初めての人でも聞き取りやすくなってたのが面白かったな。中盤の別のシーンでも、以前見たときより大人しい発声になってる部分があって、役者さんの中でそれが今回の公演のテーマだったのかな?
稽古のときはもちろんだけど、本番も何回もある訳だから、お客さんの反応とかも見つつ色々と試行錯誤してより良いかたちを探してるんだな……すごい。


・ここで慈玄が才悟にかける言葉が「笑うのがイヤだって訳じゃないんだろ?」なのがめっちゃ好きで……。
慈玄もまた、4章 第6話で紫苑から「蒲生くんが喜ぶ姿を見たことがない」と指摘されていて、本人は「志が高いからだ」と説明していたんだけど、その慈玄がこういうことを言ったということは、慈玄本人も別に喜ぶことがイヤだって思ってる訳じゃないんだろうなっていうのが分かって、とても良い。
表情もね、なんて表現したらいいのか分からないけど、見てるこっちの心にまっすぐ届く真摯さみたいなのがあって、良いんだよなぁ……。


・3日分しか見てないけど、荒鬼の「えい……えい……」は毎回違うんだね。初回がたまたまトレーニングにはあんまり見えないものだったから、最初は一体何やってるんだと不思議に思ったけども(笑)
神威が手に持ってるノートは、こちらに見せてくれる日とそうでない日があるっぽい。僕が見た中では、1/23の回だけは見せてくれなかった気がする。


・あー、雨竜は一人で悩みを抱え込みがちなところがあるから、雨竜が気になってたアカデミーの謎は他の学年委員4人で調べてみて、安心させてあげようとしてた……ってことなのかな?


・トレーニングの荒鬼は「1tが100gくらいに感じるぜ」って言ってたのか! ダンベルにきちんと1tって書いてあるのも、こうして映像で見て初めて気づいた。
阿形さんは今回はトゥース!ってやってて、チューチュートレインしながら鬼ザイルとかもそうだけど、彼は意外と既存の何かのモノマネが多いんだなと感じた。役者さんがというのを超えて、阿形自身も案外自分は個性があんまりないんだよなということに若干のコンプレックスがあって、誰かのマネをしてみたりして試行錯誤してる最中なのかもしれない。
瞑想は割と、仏と鬼って近いところにあるというか、金剛力士像とか不動明王とかは鬼の形相しがちなところから引っ張ってきてそうだけど。「仏の顔も三度まで」なんて風にも言うしね。

 

瞬十みたいなキャラ

・久遠瞬十、どことなく井上敏樹が書きそうなキャラだなという気がしてて、でも別に彼に限らず単によくあるキャラってだけかもしれない。『555』終盤の木場とか、草加もそうかもしれないし、カブキ(響鬼)とか海東純一(ディケイド)っぽさもある。他の人だと光実(鎧武)とか倫太郎(セイバー)とか『BLACK SUN』の信彦的な味もする。
普段はニコニコしてて外面のいい好青年なんだけど、「何か重大な事実を知ってしまった」もしくは「裏切られたと感じた」ことによって道を間違えて、「こうするのが一番いいはず、他の人もいつか自分の正しさを理解してくれるに違いない」と思ってやったことが裏目に出て、後戻りできなくなって悲しい結末を迎えるキャラ。「裏切ったのは自分じゃない、お前らの方だろ? どうして分かってくれないんだよ……!」って苦しむんだけど、主人公はそれでも自分の信念を曲げずにぶつけてくることで、最終的には自分が間違っていたと気付く。
舞台版だけ見てそのニュアンスを汲み取りきれるかはちょっと分かんないけど、カオスイズムという組織は(必要なときは洗脳もするけど)、可能ならば強大な絶望を与えることで自らの意志で組織に忠誠を誓わせる奴らなので。


・瞬十が仮面ライダーというワードをうっかり発してしまうシーン、その直前ではエージェントと執事のレオンについては(冒頭で狙っていたのに)しらばっくれていて、ただうっかりしてた訳じゃなくてきちんと気を付けていたことが描かれてるのもフォローが細かいな……。

・これ円盤で見返せるか分からないんだけど、才悟が「そういえば! エージェントが持つあの不思議な石が……」って喋ってるときに左側から捉えてるカメラが素晴らしくて、才悟が背を向けてる間は「知られてしまったか……」と『DEATH NOTE』の夜神月みたいな冷たい顔をしているのに、振り向いた瞬間スッと表情が変わる瞬十の様子がバッチリと映っててビビッた。
カメラのスイッチングがある配信ならではの見え方でこれもまたすごく味わい深い……。

・レオンの「客席!?」「8列30番です」のくだりが「あぁ間違えました! ご主人様の邸宅で、ご主人様と生配信を視聴していました」にパワーアップしてるのも、2回目ながら感動した。
瞬十のリアクションが「ペラペラペラペラ……!」のときの才悟と同じ「ずっと何を言ってるんだ……?」になってるのも良いし、セリフが被っちゃったから「私は藍上レオンと申します、どうぞ?」ってアドリブ利かせて「トランシーバー!?」って返す瞬十のくだりも、笑わずにはいられなかった。これ会場でみんなが笑ってるの感じたかったなぁ。

 

・記憶が戻ったシーンで役者さんが咳してて、これ個人的にはめちゃくちゃ嬉しかった。嬉しかったって表現で合ってるのか分かんないけど。
舞台とか映画館とかで、静かにしなきゃいけないのは分かってるのにどうしても咳が出ちゃう……って経験は人生の中で1回くらいあると思うんだけど、自分は結構そういうとき「申し訳ないことした……」って落ち込んじゃうタイプで。
だけど舞台上の役者さんたちって、声を張ったりして僕らよりずっと喉に負担をかけてるにも関わらず、そんな素振りを見せることってほとんどないじゃん? 舞台袖で可能な対策は何かしらしてるのかもしれないけど、それでも生理現象である以上はプロ意識でどうにかするにも限度があるはずで。
だから、舞台の進行を邪魔しないほんの数秒間だけでも咳き込む様子が見られたっていうのは、自分にとってはかなり救われた気持ちになったというか、「悪気がある訳じゃないんだから、出ちゃうものは仕方ないよね」って思えるきっかけになったな。

 

ガオナクスの正体

・ガオナクスが雨竜に化けていた……という話、設定的にそんなこと可能なのか!?って声がちらほらあって、まぁそもそもガオナ/ガオナクスがどういう存在なのかってまだ全部が分かってる訳じゃないからそういうことができてもおかしくないというのもあるけど、自分としては「カオスワールドって入った者の衣装を変える力がある訳だし、記憶を書き換えるくらい強力な瞬十のカオストーンなら、ガオナクスを雨竜の姿に変えるくらいはできてもおかしくないのかな」と思っている。
そもそもこのカオスワールドは瞬十の願望を元にアカデミーを再現してる訳だし、これまでのカオスワールドでも存在しないまやかしのキャラクターが出てくることはたくさんあったので、むしろ実は彼らは全部ガオナクスが化けてたんだと思ったら、ゲーム版への理解が深まったと捉えてもいい。

あるいは、別に「ガオナクスが雨竜に化けていた」訳ではなくて、才悟たちと共にアカデミーで過ごしたり共に戦ったりしたいという瞬十の願望を叶えるためにカオスワールドがつくった"幻影"が、最初は雨竜の形で、次にガオナクスの形になっただけで、本当は雨竜はもちろんガオナクスもあの場には実在しない……と解釈してもいいし。
槍術の訓練は怪我しないように刃のない模擬的な武器だったのに、剣術で使ってたものでガオナクスを倒せてしまったのも、真剣で訓練してたというよりは、単にカオスワールドが瞬十に都合よく演出してるだけなのかなと。

どっちにしても、アカデミーパートに出てくる雨竜は瞬十の思い出から作られてるのはまず間違いないから、アカデミーを疑ったり千戸瀬数馬と交流したりしてたあの言動そのものは、間違いなく実際の雨竜が取っていたものということでいいとは思う。


・ガオナクスを退治して、みんながカオスワールドから出ようってタイミングで才悟は瞬十の正体明かしを始めるんだよね。
これがカオスイズムの罠だったとしても、とりあえずカオスワールドから撤退するに越したことはなさそうなものだけど、ここで才悟が出ようとしなかったのは、いつもゲストに対してやってるように「カオスワールドを開いた本人を救い出さなければ意味がない」と思ったからなのかな?
結果的には、瞬十がかなり敵対的だったので戦う結末になってしまったけど。


・ここで、一度才悟が「裏切り者はキミだ」って瞬十に刃を突きつけてるにも関わらず、そのあと陽真は「じゃあ裏切り者は別にいるってことか?」と言ってて、あくまでも瞬十がそうだとは最後まで認めようとしてないのがすごく彼らしい。
これも今回の配信ならではだと思うんだけど、仮面ライダーのことは知らないはずだと問い詰められた瞬十の顔に一筋の汗が光って見えるのが、めちゃくちゃタイミングいい。


・「カオスの意志のまま生きれば、苦しまず笑顔でいられるって……あいつ笑ってたんだぞ!」と激昂する阿形さん。配信でじっくり見てて思ったけど、これ後の展開への布石では?
阿形さんがカオスイズムを憎んでるのは親友を目の前で連れ去られたからだけど、殺されたんじゃなく連れ去られたってことは、おそらく瞬十のように今はカオスイズムの戦闘員として働かされているということ。
もしかしたら瞬十と違って、正真正銘洗脳されてるから救ってあげればいいって話になる可能性はあるけど、でも阿形さんの復讐心に葛藤を与えてドラマを作り出すためには、今回のように本人が絶望してカオスイズムに従ってるという設定にした方が都合が良い。
うわー、その未来見てぇ……めっちゃ楽しみだ……。


・さっき言った陽真が声の出し方を変えてたもうひとつのシーンがここで、ゲネプロや僕が数回見たときは「そうだろ? 狂介!!!」だったところが、「そうだろ? 狂介……!」と、やや押し殺した声に変わっている。僕は今回の方が色んな感情の含みを感じて好きかもなぁ。
その後の「クソッ!」が、ちょっと闇を感じさせる言い方に変わってるのも含めて。
・この口論の後でレオンが入ってくるところ、重い対立の後だから観客の緊張を少しほぐすためにコミカルな感じなんだろうけど、僕が見たときは2回ともすごくシーン……としてピリピリと重苦しい空気のままだったからなのか、「パティスリー・モウリノブヒロで買ったスイーツでございます」って小ネタが足されてて、思わず口が緩んだ。
レオンの役者さん、どんだけ気が回るんだ……。

 

ガオアルか否か

・カオスライダー瞬十(仮)を見て、阿形が「これは、ガオアルなのか?」と言ってたのは今回初めて聞き取れた。"ガオアル"の発音が本編のイメージとちょっと違ったので分からなかった。
カメレオンガオアルと違ってカオスドライバーが付いてるのと、メタ的な対立の綺麗さから考えてもカオスライダーではあるんだろうけど、デザインは多角形をベースにしていて仮面ライダーよりはガオアルに近いという印象も理解できる。
ガオアルは人間がカオスを完成させた際の成れの果てなので、たぶん仮面ライダーと違ってカオスをまるごと使って変身してるせいでガオアルに近い姿になっている……のかもしれない?
カオスに蝕まれてやがて自我を失うっていうのも、卒業試験をクリアできなかった瞬十はカオスライダーとしても不完全だから、そのうちガオアルになってしまうみたいな話でもあるのかも。


・カオスワールドに入って記憶をいじられ、エージェントのカオストーンで記憶の扉が開いた……というステップを踏んでない雨竜が瞬十たちのことを覚えてるということは、才悟たちもこれまでずっと瞬十たちの記憶を奪われてた訳じゃなくて、本当に退学しただけだと認識してたんだね。
今までの回想シーンで存在すら出てこなかったのは、まぁたまたまというか大人の事情というか、そんな目くじら立てるものでもない。

 

・各クラスがどうやって協力してくれたのかは妄想のしがいがあるよね。
ウィズダムシンクスは元々治安を守るための集団だし、タワーエンブレムもそれに近い目的を持ってるので当然としても、スラムデイズ(特にルーイ)とギャンビッツインには、たぶん高塔エンタープライズが最新ゲームとか最新パチンコの試遊権とかをチラつかせてその気にさせたのかな?
ルーイなんてやる気さえ出せばハッキングなんてお手の物だろうし、高塔がそのために高性能なコンピュータとかを貸し出したら鬼に金棒だろうし。
駆たちは『オーズ』の夏映画みたいに、下町人情で町の人たちにも協力してもらって大人数で避難誘導とかしてそう。

 

・戦いの余波で後ろの壁にヒビが入っていって、その穴に瞬十が現れる演出とても好き。こうやって本気で気持ちをぶつけ合うことで少しずつ瞬十の心の仮面が剥がれていくっていうのは『ゼロワン』でも描かれてた高橋悠也脚本の特徴で、ヒーローが暴力を振るうことを必ずしもネガティブなものとして捉えてなくて、あくまでも主張をぶつけ合うコミュニケーションの延長線として位置づけてる感じ。


・ホントだ……ホントだすごい……噂に聞いてた「才悟の滴る汗が涙に見える」現象が、まさか配信で見られるなんて……!!! もしかすると見えないだけで本当に泣いてるのかもしれないけど、さすがに雫が落ちるほどではないだろうし。

 

本当の願い

・「瞬十の願いは仮面ライダーになることじゃなくてみんなと一緒にいることなんだから、やたらと仮面ライダーにこだわってるのはおかしい」って言ってる人を見かけたんだけど、自分は全然そこ気にならなかったな……。
アカデミーで過ごした日々=正義のために戦うライダーを志した日々な訳だし、瞬十はアカデミーの真実を知ったことでその夢を諦めて、みんなもきっとこちら側に来るだろうと信じて、悪の組織の手先として戦うことを泣く泣く決意したんだから。
瞬十は間違いなく、2年間ずっとライダーを志していたし、結果として彼は道を違えてカオスライダーになってしまったけど、本当に彼がなりたかったのは才悟たちのような人を守る仮面ライダーなので。


「わざわざ仮面ライダーと言葉にしなくても分かる」っていう言い方をしてもいたんだけど、初見の人への分かりやすさ重視とかでもなくて、「仮面ライダーとは何か」がこのカメステを通しての大きなテーマのひとつとしてあって、瞬十がその後悔を口にしないと直後の「(洗脳されていたのではなく)自分自身の意志のために戦っていたなら、君も立派な仮面ライダーだ」と認めるくだりが描けない。
あと、これは多分『ゼロワン』で「定義があやふやなまま"仮面ライダー"という言葉を多用すること」に対する批判が多かったという文脈も踏まえた上で、ライダーライダー連呼するのはモヤモヤする、高橋悠也脚本の悪いところが出てるって感想なのかなと思うんだけど、僕はその言説に強く反対していて……。
高橋悠也作品において言葉の使い方がちょっとヘンなのは、彼が根本的に抱えてる言語という媒体への不信感と、その歪さまでひっくるめて人間という存在を全肯定する態度と密接に関わってくるので、ただ"ヘン"で終わらせてしまうのはすごくもったいないんですよ。
ライドカメンズの話じゃなくてただのゼロワンの話になってしまうのでここではしないけど、この話はTwitter上だけじゃなくいつかちゃんとブログにまとめたい。

twilog.togetter.com

 

ジャスティスライドの解像度が高い

・ユニットシャッフルは「阿形と美形(びがた)とガタガタ」。カメンズが各々ありがとうを言う場面で「ガタガタでもいいよなぁ!?」ってこちらに聞いてくる阿形さんも最高だし、それを受けた紫苑が「ガタガタなのは良くないかもしれないけどバラバラなのはいいんじゃない?」と答えるのも紫苑らしくて良い。
ジャスティスライドって一見ただの良い子たちだけど、なんでもかんでも全肯定する訳じゃなくて、ドラマパートでも一旦才悟の話を信じずに笑い飛ばすというくだりがあった通り、意外と無自覚に辛辣な態度を取るケースも少なくないので。
僕は中でもプロローグ(第3話)を思い出したな。
慈玄が荒鬼のことを「劣等生」って言って、紫苑は「言葉遣いがはしたないよ」とは注意するんだけど「劣等生なんかじゃないよ」とは言わなかったり、陽真は陽真で「ごめんな、為士、松之助! おまえらのことを言ったわけじゃないから!」と、荒鬼が劣等生なことは否定しないどころか、わざわざフォローしたことによって内心2人のことも巻き添えで劣等生と呼ばれてもおかしくないと思ってるのが漏れちゃってるやつ。
実際、その直後には「優等生かどうかってより、まっすぐか、歪んでるか、って感じ?」などと余計なことを言ってまた荒鬼にキレられるという。
1/25回の感想の最後がこの話でいいのかって感じだけど、僕は高橋悠也のこういうトガッたところ大好きなので……。
おそらくアドリブにも関わらず、ここまで正確な解釈で紫苑として発言できるの本当に素晴らしいと思う。怒りを守りたいって動機も含めて、一面的な理解にならないようにめちゃくちゃ深く考えて役作りしたんだろうなぁ。

 

2/2大千穐楽(16:30)

高橋悠也の舞台『TXT Vol.2 ID』では、Blu-rayに収録されてるおそらく千秋楽の回でだけ、ラストの展開が少しだけ変わるという演出がなされていたので、カメステも一回だけ見るなら最後の最後の公演にしようと決めて予約していた。
僕が行った回はいつも8〜9割くらいは埋まってるように見えたけど、最終日ということもあり正真正銘満員って感じで、客席の熱もめちゃくちゃ高かった。
『ID』の例があったので、僕はてっきり決定版として今までの試行錯誤の中で一番良かったものを演じるものかと思ってたんだけど、カメステはBlu-rayに収録されるのが東京公演(大千穐楽は限定版特典)だからなのかそうじゃなくて、むしろ最後だからとアドリブも力入れてやりたいことをやりきるような感じだったのが面白かった。今まで見たどの回よりも、時間を贅沢に使ってる気がした。

 

ドラマシティの方

・レオンは目的地に着きましたよって言ってるけど、僕らはどこに行く予定だったんだろう? 梅田芸術劇場……って訳ではないんだろうし。
カスタム車ですよってとこに「ドラマシティの方」って付け加えるのは相変わらずの達者ぶり。現地に行った人なら「メインホールじゃなくて……こっちか」ってなったに違いないので(僕も15分くらい迷いました)、一気に話を自分ごととして捉えることができるようになる。
円盤で舞台を見てたときは、メタ発言が多いのってストーリーへの没入感をむしろ下げてしまうのではと思ったりもしていたんだけど、生で聞いてるとその効果はばつぐん。思わず笑ってしまうし、周りの人も一緒に笑うので楽しい気持ちでいっぱいになる。

ジャスティスライドが駆けつけたってことは教育地区のどこかなんだろうけど、レオンがエージェントと車で移動してる印象って意外とあんまりないかも。
あ、よく見たら背景が中央公園になってる。エージェント業務でお疲れでしょうみたいなことを言ってたから、仕事で来てたというよりは、息抜きに公園で行われてるバザーかなんかを見に来たとか、そういうテンションなのかな?


ジャスティスライドが変身したところで、客席にいるレオンがめっちゃはしゃいでたのが可愛かったんだけど、配信でも全景映像にはちゃんと残ってた。
これ以前の公演でもやってたのかな、仮面ライダーばっかり見てて気付かなかった。

・レオンが! マッドガイに混じって決めポーズを取っている!
さっき仮面ライダーを見てはしゃいでたのもあって面白いなって笑いと微笑ましいなって笑いが同時にこみ上げてきた。狂おしいほどの先代への愛情が彼の根幹なので、確かにマッドなガイではある。
ギャンビッツインが加入したことで、レオンを足してちょうどメインキャラが20人になることに最近気付いたので、新キャラが登場するよりも先にまずはレオンが変身するお話が来そうだな……と予想してたんだけど、これ見てよりそう思ったな。伏線とは言わないけど、第3部の匂わせだったりしたら面白いなぁ。
しかも、こういうアドリブをその後のシーンでも拾ってくれるのがいいよね。レオンは特に、毎公演違う話をしてるイメージがある。阿形がレオンのことをメンバーとして認めちゃうのもノリが良くて好き。

・レオンが『Perfect Assistant』を歌いかけるシーン、お気に入りだからこそいつも演出に合わせて伴奏が止まるタイミングで拍手も止めてたんだけど、それが今回は裏目に出てしまった……まさかめげずに歌い続けるなんて! これはこれでまた新しいものが見られて良かった。欲を言えばみんなと一緒に「盛り上がりすぎですよ」って怒られたかった……。


・陽真の「転んだ人くらいだった!」が、元気だったときと落ち着いてたときの中間くらいになってる。なんだかんだこのくらいがちょうど良いかも?

・これは他のとこにも書いた気がするけど、笑わない才悟と笑わせたい陽真の組み合わせは、ロボットだった父親の其雄を笑わせようとしてた或人と同じだよね。
仮面ライダー才悟の元ネタは初代だけじゃなくて、『ゼロワン』に出てくる仮面ライダー1型という説もあるくらいだし。陽真のキャラ造形も、ちょっとだけ無神経なところや黒い部分を秘めたところなんかは、或人的な要素もあるし。


・今回の荒鬼はなんかやたらといじられてたな……神威や阿形にくるくる回されたり、ライブパートでは肉につられたり。現地では笑ったけど、配信で引いて見ると若干気になるかも。

・荒鬼が才悟と言い争ってるとき、紫苑が仲裁しようとしたのを阿形が制して、自分が止めに入ってるのが細かい。荒鬼に対しては紫苑より自分が言った方が効くからってことなんだろうね。

 

阿形の"鬼"はいつから?

・阿形の章を読み返してたんだけど、カメステを踏まえた上で見ると、舞台版の阿形って意外とテキストに書いてあることは忠実に拾って再現してるんだなと感じた。
記憶を取り戻したこともあり本当の自分とは何なのか、狂介や為士みたいな自分の芯がなんなのか分からないと悩んでたりするのがあの迷走なんだろうし、ただ変身する機会がなかっただけで覚悟はとっくにできてたって話は要するにイメトレだし。
あとは、ちょっとだけ天然の気があるヒビキさんと、気分がいいとおはようミュージカルやっちゃう明日夢くんの要素が悪魔いや鬼合体して生まれたものと見ることもできるのかも……?とも思ったり。


僕は1/13の感想で「この頃の阿形にはまだ復讐心がないので、今と違った見え方になるのは当然」という言い方をしたんだけど、神威が名付けた"鬼"というワードを出していたからこのときの阿形は無意識下で脱走後のことを覚えているはずという解釈を見て、最初は「まぁ鬼って言葉が出てくるのはメタ的な都合だよな」くらいにしか思ってなかった自分の考えがもう少し深まった。
よく考えてみたら、アカデミー時代の阿形って本来の歴史では既に「親友を攫われて何もできなかった」という経験をしているはずで、なんならその時に黒い感情≒鬼に支配されてしまったからこそ、カオスを完成させてライダーアカデミーに入ったという流れのはずなので、瞬十のカオスワールドは実際の回想ではなく時系列的にはゲーム本編を踏まえたものだから……とか以前に、アカデミー時代から既に阿形には「鬼になった経験」があったんじゃんと。そもそも彼が復讐って発想に囚われてしまってるのは「落とし前」を重要視するヤクザ的な実家の影響が強いはずだし。
エピソード全部読み返せたわけじゃないから違うかもしれないけど、少なくとも7章の中で阿形は「神威から言われて初めて自身を鬼だと自覚した」とは言ってなかったはずなので、口にしなかっただけで元から彼の中には鬼のイメージがあったと考えても、矛盾はしないような気がする。
そう考えるなら、マッドガイは神威が「魔法のランプ」で言ってたように、記憶を失くす前と後とで人としての本質はそこまで変わってない人の集まりなのかもしれない。ほぼ真逆になってそうなジャスティスライドとは対照的に、ね。

・なーんて理屈をねじ伏せるように「そうだ、狂ってるのは俺だ!」と新しい振り付けのキュウレンジャーみたいなダンスを披露し始めたのでもはや笑うしかない(笑)
幻徳「お前、相当マッドだよ……」
……てかこれあれか、"変なおじさん"の踊りか! バカ殿なんて僕の世代が本当にギリギリ見てたかどうかくらいなんじゃないか……?と思ったけど、思ってたより最近まで続いてたんだ、知らなかった。

ゼロワン好きの『ライドカメンズ』実況 第1部 7章 執念の阿形松之助

 

ひとりはイヤ!な瞬十

・ふつう、何も知らないはずの立場にいるキャラであっても、物語の謎に関する推察というのは視聴者を混乱させないためにも大抵当たってるものだと思うんだけど、レオンはこのとき「犯人は、わたくしたちの身近にいるのかもしれません」と言ってるのよね。
そしてこの時点では、レオンは瞬十とはまだ(戦闘員としてを除けば)出会っていないので、"わたしたちの身近"という表現は、かなりミスリードを誘うものになっている。
作者のミス、あるいは言葉の綾……という身も蓋もない解釈を除くと、考えられる可能性は2つな気がする。
1.レオンはカオスイズムと通じているので、才悟を勘違いさせて瞬十から疑いの目を逸らそうとしていた
2.レオンはカオスイズムと通じているので、瞬十のことも身近と言えるほど知っていて口が滑った

その後のシーンでは、瞬十が犯人であるということを確定させるような発言(雨竜はカオストーンを拾ってないのでは)をしていたんだけども、こういう矛盾はすべて「二重人格だから」で説明できちゃうんだよな……。

・自分にとってレオンは、浄と同じで腹の中を探ろうとすることがキャラ解釈として楽しい、というフェーズに完全に入ってしまってるので、今回のアドリブ合戦もそういう視点でかなり面白かった。
レオンの言う"こちらに来て"というのが、あくまで何も知らない才悟の同級生として振る舞おうとする瞬十に対して、カオスイズムとしての本来の目的を忘れるなって話に聞こえるし、「ひとりはイヤだから!」って才悟を道連れにしようとする瞬十がさ……これだけ素直に彼が寂しさや心細さを口にすることって劇中ではなかったので、あやうくこのギャグシーンでも泣くところだった。

メタ的な視点を持つこと(作中世界にとっての現実を一種の虚構だと認識すること)を"悪"の比喩として捉えるのは『ジオウ』の文脈で、視聴者に話しかけてくる語り部だったはずのウォズが実はクォーツァーという悪の組織の手先だった……っていうギミックを、今回のレオンはかなり彷彿とさせるんだよね。
ゲーム版においても、仮面ライダーがエージェントを信用して打ち明けてくれた情報が、ちゃっかりレオンにも共有されちゃってるという描写が何度もあって、それもすごくソウゴとウォズの関係に近いので。

・順序が逆になったけど、この大千穐楽では瞬十に対する解釈がまたひっくり返ったのよね。もしかしたら彼は、ピアスには「仮面ライダーに成り下がった五期生を、今度こそカオスライダーにするため」と言っていたのかもしれないけど、実は逆で「退学してカオスイズムに成り下がってしまった自分が、今度こそ仮面ライダーになるため」に卒業試験を再現してたのかな……と。
よくよく考えると序盤でエージェントを狙っていたこと等と矛盾する部分もあるんだけど、恐らく瞬十自身も2つの可能性の間で迷っていたんじゃないかな。彼にとっては「みんなと一緒にいられること」が重要なのであって、それがカオスイズムであるか仮面ライダーであるかは比較的どちらでもいい。だからこそ、エージェントを排除してみんなでカオスイズムになるのと、卒業試験をやり直してしれっと仮面ライダーの仲間入りをするのと、どっちがより確実な手段なのかが分からなくて悩んでたと。
でも、結果的には才悟に正体をバラされてしまったので、しれっと仲間入りする作戦は失敗してしまい、追い詰められてしまったから第二段階の「街を人質にとってみんなをカオスイズムに屈服させる」方法に手を出したという流れ。
そういう発想で見てたから、レオンが瞬十に対して「お前の使命を忘れるな」みたいな態度を取ってるように見えた。かーなーり抽象的というか感覚的な話なので、どこまで伝えられてるか分かんないけど。

最終的に才悟が瞬十にトドメを刺そうとする展開になる訳だけど、才悟は既にこの正体バラしの時点からもう無自覚に、瞬十がカオスイズムから抜けてやり直すチャンスを潰してしまったかたちになるのかと思ったら、すごくやるせなくて……。
瞬十が本当にカオスの意志に支配されてたら、あのまま放置することは結果的により甚大な被害を出していたかもしれないけど、もし彼がまだ正しく生きたいと思っていたのなら、「キミは本当は退学していたはずだ」と真実を明らかにしないままなぁなぁにすることで、もしかするとしれっとそのまま仲間に加入することができた未来もあったのかもしれない。でもその未来は様々なボタンのかけ違いによって訪れることはない。

 

レオンの本心

・ここでもすごく大きな役割を果たしてるのがレオンで、才悟が瞬十の正体バラしを急いだのは、レオンに「人狼はその正体を暴かない限り人を食い殺し続ける」と誘導されたからなんだよね。
さっきは「瞬十の正体を隠すためにミスリードをした」って解釈してたんだから、今度は正体をバラそうとしててそれじゃまた矛盾するじゃないかって話なんだけど、ここはレオンにとっても多分苦しいところだったはずで。
仮定に仮定を重ね続けてるので話半分で聞いてほしいけど、レオンは同じく「仮面ライダーになれなかった者」「カオスイズムの強大さに屈服してしまった者」として瞬十に自分を重ねていたはず。
つまりこれって、レオン自身の心の叫びなのでは?
当然のごとく、スパイとしては正体を知られる訳にはいかない。でも二重人格になるほど良心の呵責に苛まれているのだから、いっそのこと全て暴かれ、裁きを受けて楽になってしまいたいという葛藤が「人狼とは正体を暴かない限り人を食い殺し続けるもの(だから止めてくれ)」というセリフとしてこぼれ出たように思えてならない。
僕の好みをよく知ってらっしゃる方なら、或いは好みが近い方なら勘付いたかもしれませんが、完全に『進撃の巨人』を念頭に話をしています。スパイ活動のせいで二重人格になっちゃうのはライナーだし、自分自身でも本当の気持ちが分からなくなって吐き出した心情はベルトルトそのもの。
「頼む……誰か……。お願いだ……誰か僕らを見つけてくれ……」のところ、『進撃』の中でも一番好きなシーンなんです……。

娯楽作品なのだから敵に悲しい過去なんて要らない、殺されるに足る理由があってスッキリ殺されてくれればそれで良いと思う人もいるのかもしれないけど、僕は本当に、敵にも共感できるだけの葛藤があって、可能ならその悩みから解放されて救われる物語が好きなんです。
だからレオンにも、今回瞬十がこういう結末を迎えてしまったからこそ、幸せに前を向いて生きていけるようになってほしいし、そうなることを強く信じてるので、ライドカメンズのこれから先の展開は目が離せません。


・完全に余談というかゲーム本編の話になるけど、じゃあレオンはなぜカオスイズムになんか従ってるのかという部分は、まぁピアスの管理下にある七国大学出身だから学生時代から洗脳されてたからって可能性もあるけど、恐らくは人の記憶をカオスにして置くことで、死んだ人をも蘇らせることが可能だから……辺りが妥当なところじゃないかなと思う。死者の復活は高橋悠也作品では度々重要な意味で登場するので。
浄がカオストーンの研究をしてるのもそのためな気がするし、今のレオンはきっと先代エージェントを蘇らせたくて、カオスイズムに協力してるんだと思う。
早くその話読みたいよ……。


・才悟が瞬十の正体を明言したとき、紫苑が変身できないレオンを庇うように動いてるのが細かい。すごく優しいし、でもレオンにとっては悔しいものもあるんだろうな。

・瞬十が「俺たちはみんなでカオスイズムのライダーになるはずだった」って部分で「そして雨竜たち」と言ってて、つまりこれやっぱり今回出てきたメンツ以外にも五期生はいるってことだよね。千戸瀬数馬,白波一,万丈目恒臣の3人や戦闘員になってるBクラスのダンサーさんたちは、既にカオスイズムに下ってる訳だから。

 

顔素ライダー≠カオスライダー?

ジャスティスライドには街の平和を人質に取ることでカオスイズムに屈するよう提案してたけど、それはここでマットガイに「力を求めるならカオスイズムに入ればいい」と提案してたこととも繋がってるのか。

・1/13の記事で一口にカオスライダーと言っても色々あるという話をしたけど、少し補足。

1.仮面がなく、顔に模様が入ったライダー
2.仮面ライダーへの変身が不完全なときに一時的に1の姿を経由するもの
3.変身前の顔には模様がなく、変身後は顔前面が仮面で覆われ模様が確認できないカオスライダーラリオフ
4.おそらく3と似たような状態だが、変身前から顔に模様がありカオスライダーではなく"大怪人"と呼ばれる大幹部の変身体
5.髪が露出しているラリオフや、顔の下部が露出している大怪人とも違い、本当に頭全体が覆われているカオスライダー瞬十(ただし唇状の造形はある)

カオスイズムに記憶(≒カオス≒仮面)を奪われたせいで、素顔が露出しているのが先輩たちがなってたカオスライダー(1)で、これは"顔素(カオス)"っていうシャレなんじゃないかと指摘されていた。この人たちは記憶を奪われてる関係上、本人が自分自身の意志で動いてるとは言えなくて、ほとんど自我を失った状態に近いと思われる。だからその間にした悪行の責任を問われることも基本的にはない。
この状態のライダーは、先代エージェントが彼らの記憶を宿すカオストーンを渡してあげることで、本来の記憶と意志を取り戻して更生することができる。
たぶんフラリオが変身してる仮面付きのカオスライダー(3)も、対処法が同じだったことから考えて恐らく似たようなものなのかな。

それに対して今回瞬十が変身したカオスライダー(5)は、"顔素"じゃなくて自分自身の記憶を宿した仮面"カオス"を使って変身するって意味において"カオスライダー"なんだろう。つまり一種の同音異義語。まぁカオスイズムにとってみれば、どっちも同じく自分たちに従うライダーだからカオスライダー、で一貫してるとも言える訳だけど。
そもそも"仮面ライダー"も、さっきの理屈で言うなら「カオスライダーが記憶を取り戻した人」「記憶はないまま形見のカオストーンの光を受けた人」「バベルプロジェクトで人工的に変身能力を手に入れた人」の3種類がある訳だしね。
瞬十は先輩たちと違って、記憶を取り戻して本来の自分自身に戻ったにも関わらず、カオスイズムの手先であることをやめられなかったから、犯した罪の責任を問われて、物語的には死というかたちで最後を迎えることになってしまったと。
てもそれと引き換えに、瞬十(仮面のあるカオスライダー)は自我を失いカオスイズムに操られていた訳ではなく、ガオアルのように我を失った訳でもなく、間違いなく自分自身の願いのために戦っていたので、カオスライダーでありながら仮面ライダーとも呼び得る存在でもあるんだな。
ピアスは「君にしかなれない特別なカオスライダー」と言っていので、洗脳も受けずに記憶を保ったままカオスライダーに変身した前例は今までなかったのかもしれない。
瞬十がその前例を作ってしまったので、これからは本編にも出てきたりしてもおかしくないけど。

 

カオスイズムは『Dr.STONE』?

・瞬十が変身能力を奪うだけで荒鬼たちを殺そうとしないの、もちろん同期としての情があるからというのが第一だろうけど第二には、そもそもカオスイズムがそういう体質の組織っていうのがあるんだろうな。
ピアスは第1部 1章 第6話で「我々は無意味な殺生を好まない。ただ記憶を消すだけ」と明言していて、このことからもカオスイズムの目的は「記憶を石に変えて永遠に保存しておくこと」なんじゃないかなというのが窺える。
イベント「Search For The STARS」以降、僕はライドカメンズのことを実質『Dr.STONE』だと思ってるんだけど、それはこういう部分に由来してる。

僕らにとっては「瞬十のカオスは時の概念を捻じ曲げる!? なんでそんな力が!?」って驚きがあるけど、カオスイズムにとってはむしろ当たり前のことなのかもしれない。だってそもそもカオストーンというアイテム自体が、人の生きた時間(記憶)を奪う力を持った物体なんだから、瞬十はその力を正しく発現させて若干応用しているに過ぎない。
なるほどなぁ……やっぱりカメステは見れば見るほどライドカメンズへの理解度が高まって楽しい。


・でも他の下っぱ戦闘員と同じで、瞬十はカオスイズムの目的を100%知らされている訳ではないからなのか、能力を奪っても諦めないなら殺すしかないと判断している。
この時点から既に瞬十が「どうしようもない時は殺すしかない」って価値観を持ってることが示されてて、それが最後の選択に繋がってくるんだな。

・この直後に出てくる戦闘員がカリスみたいなポーズ(足を揃えて中腰になり腕を広げる)をしてて、名前がカズマとハジメになってるのは流石に偶然だろうと思ってたけどもしかしてアクターさんが小ネタとして入れてる!?と思ったんだけど、これやってる方は万丈目恒臣っぽいので違ったらしい。
白波一は腰を落として、ビシッバシッと型の決まったような攻撃が特徴的な方なので。


・大阪公演でも見られるのかなと言っていた、対峙する仮面ライダー才悟とカオスライダー瞬十の影が壁に大きく映る現象については、しっかりと見られました。1/13の回よりも後ろの席だったのでより見やすかった。

 

瞬十の最期とすれ違い

・他の方も言ってたので記憶違いではないと思うんだけど、この最終日はピアスにやられた後の瞬十が数秒だけ長くエージェントを守るために立ち向かっていて、自分は『ID』を見てたのもあり「もしかして瞬十生存ルート入る!?!!?」と、本気で期待したんですよ……。
この日は特に見るのが一度目じゃない人も多いだろうから、ここで改めて、瞬十がどうなってしまうのかでしっかり一喜一憂させてくれた役者さんってすごい。

・この瞬十の死に様も、僕の大好きな『令ジェネ』と同じ高橋悠也節が効いててですね……。
瞬十が口にする"みんな"って言葉は、多分あくまでも"同期のみんな"でしかないんですよ。同期と一緒にいるためなら、市民が大勢犠牲になるビルに爆弾を仕掛けていたのが瞬十なので。
でも才悟は素直なので、瞬十の言葉を受けて本当に「みんなの笑顔」を守ろうと決意する。
このすれ違い,勘違いこそが、ヒーローをヒーローたらしめる原動力になるという描き方、これ『ギーツ』でもやってた十八番なんですよ。
人と人とが本当の意味ですべてを理解し合えることなんてないかもしれないけど、そのすれ違いも含めて人間って素晴らしいよねということを描く作家なので。
もちろん、最後の最後で瞬十も「みんなの笑顔」を願える本当のヒーローになれたという解釈でもおいしいと思う。

あと才悟は瞬十以外の同期はきっちりと救ったわけだから、どっちにしてもしっかり約束は果たしてるのよね。


・才悟が契約違反を覚悟の上で戦ったの、つまり『ONE PIECE』で言うところの「俺たちの命くらい一緒に賭けてみろ」みたいな心境なのかなと思うと、彼の中にも既に仲間に対する大きな信頼が芽生えてるんだなと感じられていい。
レオンから「裏切り者が身近にいるかも」と言われて、ジャスティスライドの面々には疑うとかじゃなくて正直に事情を話してたのもそうだし。

 

ライブパート

・そもそも仮面カフェのステージは期間限定という話だったはずなのに、今回のライブが一般開放に先立ってのものとされてるのはなんでなんだろうと思ってたけど、数日後に行われる超英雄祭が"一般開放"なのかもというコメントがあって目からウロコ。
残念ながら流石にもうお金はないので見に行けなかったんだけど……一般の特撮ファンの皆さんも楽しんでくれると嬉しいな。

・以前の感想では自分をさておいて他のキャラのコールをやるレオンさすがって話をしたんだけど、目立ちたいときは死ぬほど目立つレオンも大好き……。

・毎公演「もっと盛り上がれオラァ!」と煽ってた阿形さんが、僕の見た限りではたぶん初めて「いいねいいねぇ!」と認めてくれて、阿形さんに触発されて恥ずかしがらずペンライト振って楽しむようにした自分としてはなんか嬉しかった。

・あと3ヶ月やって! カメステ2もやって!! 10年続いて!!!

・才悟と慈玄のユニット「Mr.トレーニング」。
神威と阿形の2人は年上組らしいゆったりと余裕のあるダンスだったけど、この2人はやはり全力でキレのある動きを見せてくれたので大満足。

・紫苑はドラマパートではあんまり勝手に喋ったりする暇がないけど、その代わりライブパートで毎度しっかり違うセリフ喋ってくれるので見てて楽しいよね。全編通して、しっかり全員に見どころがある。

・『With My Reason』の"これでおしまい感"に毎回涙を誘われてるんだけど、この日は特に「今日の終わりに〜」のところで感極まっちゃって、やっぱりまたボロボロ泣いてた。
自分普段そんなに涙もろい方ではないはずなんだけどな。


カーテンコール

・「生きてるだけで偉い!」とか「最高・最高・最高!」とか他にも色々良かったところはあるんだけど、今回は瞬十と才悟の話を。

まず瞬十ね。大意としては「瞬十の物語はここで終わって、これからまた託された才悟たちの物語が始まるので、瞬十を振り返るのではなく未来に進んで欲しい」ということを喋ってらして、自分も瞬十のことは大大大好きだしもっと見たかった気持ちもあるけど、それでも彼はこのカメステの中だけで完結していてくれれば良いと思っていたので、うんうんうんと首を振って聞いてた。
今回気になったんだけど、持ち主が死んだ場合カオスってどうなるんだろうね? さっき僕がした妄想では、たぶん本人が死んでもカオスは残っていくんだろうなという気がしてるんだけど、カメステのエピローグではそこに言及するようなセリフはなかったはずなので。
もし死者の復活とかの問題に切り込んで行くんだったら、ゲームの方でカオスから瞬十の人格をコピーしたキャラみたいなのが出てきたりする可能性もゼロではないんだけど……。まぁどっちに転んだとしても僕はライドカメンズについていきます、もちろん。


・才悟から「仮面ライダー好きですか?」と問われて、客席が「大好き!」って返してたのが、まぁライドカメンズの仮面ライダーがってことかもしれないけど、それでもちゃんとみんな仮面ライダーというコンテンツのことが好きなんだなと思って嬉しくなった。僕自身は泣いてたので「大好き……」と絞り出すだけになっちゃったんだけど。
あと最後の「次は君が仮面ライダーだ!」ってセリフ、自分『ヒロアカ』も好きなのでこれもグッときたな。本編中でも、瞬十に向かって才悟が「君を追いかけていたんだ!」って語りかけるところがあって、そこでも勝手に盛り上がってたんだけど。

カメステ自体には続編がつくられたとしても、次は別のクラスが中心になって、もしかすると今回のメンバーは出てこられない可能性もある訳だから(というか大半のキャラは出られなそう……)、次回の仮面ライダーを務める"誰か"に対してバトンタッチしたみたいなニュアンスも感じて、そこも言うなれば冬映画っぽかったな。


というかそう、もしかしたらあるかなと期待してたけど、ここでは続編の発表なかったんですよね……。別に今回なかったから望みがないなんてことは全くないだろうけど、これで最後ですと強調されるのがこんなに辛いとは思わなかった。
「これからも続くであろうライドカメンズ」とは言ってたけど、カメステが続くとは言ってくれなかった!って、なんか突き放されたような感じがしてすごく寂しくなってしまった。
でも、これからもライドカメンズを応援し続けていけば、その先にきっとカメステ2もあるはずだし、全6クラスが一周してまた今回のメンツと会える日もきっと来るはずなので。
役者の皆さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました! ライドカメンズの面白さを再確認できたのはもちろん、舞台というものの面白さも教えてもらいました。
また次の機会を楽しみにしています!!!

 

86ma.hatenablog.com

仮面ライダーファンにこそ『ライドカメンズ The STAGE』を見て欲しい理由

『ライドカメンズ The STAGE』……通称カメステがめちゃくちゃ面白かったので、ぜひともまだ知らない方に布教をしたい。

仮面が透けていて顔が見えるデザインにまだ抵抗感のある方も多いと思いますが、仮面ライダーにとっては毎年の通過儀礼みたいなもの。龍騎に電王、エグゼイド……発表当時は賛否が分かれるデザインも、見ていくうちに「動くとカッコいい」「ストーリーの面白さを知れば不思議とカッコよく見える」と気持ちが変わっていったことは誰しも経験があるはず。

ライドカメンズもまさにそのひとつです。

 

唯一無二の新たな"変身"

舞台版は素顔が見えるデザインを再現するために、スーツアクターさんではなく役者さん本人が変身後のアクションも担当するのですが、これは言ってみれば本郷猛役の藤岡弘、さんが仮面ライダーのアクションをやっていたことに対する原点回帰とも言えるでしょう。
もちろん専門のスーツアクターさんと交代することによって見られるアクションが素晴らしいのは前提ですが、変身前も変身後も同じ役者さんが演じることによって、誰もが一度は憧れた「本当に自分が変身して戦いたい」という夢が、ある意味舞台の上で叶うんです。
イメージとしてはテレビシリーズで起こる"マスク割れ"に近くて、普段はスーツアクターさんが着ているライダースーツを役者さんが着て演技をするというあのアツさ。その興奮を"目の前で"体験することができます。

 

目の前で繰り広げられる圧巻のアクション

「……本人が変身することでキャラクターの連続性が担保されるのは分かったけど、そうは言っても役者さんができるアクションには限界があるんじゃないの?」と思う方もいるかもしれません。
僕も見る前は正直ナメてましたが、YouTubeで公開されているゲネプロ映像を見てみてください。

youtu.be00:48のシーン、画面左側から仮面ライダーG3モチーフの青いキャラ(蒲生慈玄)が、見事なバク宙を決めているんですよ!
失敗が許されない緊張感のなか、こんな大胆なアクションをお客さんの前で披露してみせる役者さんのプロ意識に、現地で見た僕は本当に感動しました。

『舞台 仮面ライダー斬月』『風都探偵 The STAGE』に続いて、舞台化作品において3度目の演出を担当した脚本家の毛利亘宏さんも「我ながらこれまででいちばん演劇として「仮面ライダー」というものをお届けできる作品になったと思います。」とインタビューで仰っていたほど。
同じ高橋悠也脚本の『エグゼイド』と同じですよね、一見するととても仮面ライダーとは思えないデザイン"だからこそ"、ストーリーの上でも演出の上でも「仮面ライダーとは何か」を突き詰めて描く必要がある。
仮面ライダーが変身して戦うということに極めて真面目に向き合って作られたのが、この『ライドカメンズ The STAGE』なんです。

 

事前知識なしで楽しめるストーリー

本作はゲーム版の内容を知らない方でも大丈夫です。基本設定についても物語の中できちんと説明してくれますし、今回のストーリーは1号モチーフの魅上才悟を主役としながらも、"久遠瞬十"という舞台版オリジナルのキャラクターを巡るものになっているので、既存のプレイヤーにとっても初めて知る内容が多いものとなっています。
久遠瞬十役を演じるのは『仮面ライダーアウトサイダーズ』でエコル/仮面ライダーゼインを演じていた古谷大和さん。『風都探偵 The STAGE』でフィリップ/仮面ライダーWを演じていた魅上才悟役の木津つばささんと並んで、既に一度仮面ライダーに変身したことのあるこの2人の関係性に注目しながら見ていただければ。

ライドカメンズ本編は、ノベルゲームということもありこちらが積極的に色んな意味や感情や文脈を汲み取ることで完成する部分も結構大きく、その解釈ゲームが本当に楽しいんですけど、舞台版は動いて喋って戦ってくれるので、こちらが何もしなくても……つまりライドカメンズや元ネタの仮面ライダーを知らなくても、あちらの方から「面白い」が全力でぶつかってきます。
そういう意味において、カメステは「現状ライドカメンズ史上で一番面白いストーリーだった」と言っても過言ではなく、とりあえずこの一番分かりやすくおいしい部分だけでもいいから体感してほしい!

(※微ネタバレ 久遠瞬十、どことなく井上敏樹が書きそうなキャラだなという気がしてて、でも単によくあるキャラってだけかもしれない。終盤の木場とか、草加もそうかもしれないし、○○○とか○○○○っぽさもある。他の人だと光実とか倫太郎とかBLACK SUNの信彦的な味もする。続く↓)


他にも、モモタロスさながらの勢いと内に秘めた優しさを感じさせる荒鬼狂介、檀黎斗ばりの自己愛と狂気を見せる神威為士など、魅力的なキャラクターが数多く登場するので、きっと推しのライダーを見つけることができるはずです。マッドガイの変身体は『ガッチャード』に登場したクロトーレビスみたいなマスク型で、めちゃくちゃかっこいいです。

(「ライドカメンズ The STAGE」PVより)

 

『風都探偵 仮面ライダースカルの肖像』などと並んで、今年はなくなってしまった冬映画の代わりにぜひ見て欲しい一作『ライドカメンズ The STAGE』。
東京公演は1/26(日)まで、大阪公演は1/30〜2/2までの日程で上演されます。自分は前日にいきなりチケットを取ったのですがとても見やすい席だったので、もし興味を持ってくださった方は、今からでも間に合うのでぜひ観劇しに行ってみてください。

舞台まで行くのは難しいという方も、ストーリーを読むだけなら無課金でも十分可能なので、この機に『ライドカメンズ』を始めてみてはいかがでしょうか。
龍騎』『鎧武』『エグゼイド』『ゼロワン』『ギーツ』などの"多人数ライダー"がお好きな方なら、必ず楽しめるはずです。

※追記:4500円でライブ配信されることが決定したので、東京,大阪まで行けないという方はそれも選択肢のひとつです。

 

ゼロワン好きの『カメステ1/13(月)』感想 ライドカメンズ The STAGE

ゼロワン好きの『カメステ1/13(月)』感想 ライドカメンズ The STAGE

『ライドカメンズ The STAGE』1/13(月)の回を見た!
大阪公演の大千穐楽は事前に予約してたんだけど、元々2回行きたいなと思ってたのを金銭的な理由で泣く泣く諦めてたので(ハーフアニバで取り逃してた星4コンプを目指したせい……)、いざ始まってみてやっぱり舞台にはお金には還元できない体験があるに違いないと信じて、衝動で行くことを決意しました。
本当に前日いきなり予約したけど、空いてるとかそういう訳でもないのに(むしろパンパン)かなり見やすい良い席だった。どこの席でも見やすいようになってるのかな。
当日引換券は記念にもなるし、弾丸で行くのかなりアリ。

まだ見るか迷ってる方はこちら↓をどうぞ。

 

観劇前の方向けおすすめ予習エピ

がっつりネタバレを含んだ話をする前にまだ見てない方に教えておきたいことの話をするけども、事前情報とか一切なしで身一つで感じたいから余計なお世話だって方は……まぁそういう人はこんな記事は開かないか。
まず、原作ゲーム『ライドカメンズ』を未プレイでも十分に楽しめるというのは色んなところで口酸っぱく言われてることなのでそれは大前提とした上で、それでもモチベが高い方向けに予習,復習するならどこがいいかって話だろうか。
もちろんこれは自分の主観も入ってるのでひとつの参考としてだけど、優先順位としてはこんな感じ。

SS「0章 プロローグ」
S「エピソードゼロ(※)」≧「1章 無垢の魅上才悟」
A「2章 情熱の伊織陽真」≧「ジャストアピースフルデイ」
B「11章 報復のマッドガイ」=「12章 逡巡のジャスティスライド」≧「3章 慈悲の深水紫苑」=「4章 義憤の蒲生慈玄」
YouTubeのボイスドラマで、アプリゲーム内からは読めない

まずSSランクの0章、これは舞台に出てくるキャラクターが全員出てくるし、世界観への導入でありつつ今回の舞台のストーリーとも密接に関わってくるので、まず何を見るべきかと言われたらここを置いて他にはないかな。
次のSランクは今回の主役である魅上才悟の話を十分に楽しむために見ておくと良いもの。エピソードゼロに才悟本人は出てこないんだけど、そもそも今回の舞台と同様に前日譚的な立ち位置なことと、"誠実な男"ってキャラが才悟と何か関係がありそうってことを把握するために読んで損はないと思う。
Aランクは本編でも才悟とひときわ強い関係性を築いていて、舞台でも一応重要めなポジションに配置されてる伊織陽真に関するエピソード。イベントストーリー「ジャストアピースフルデイ」は他のイベストと違って特別なことをしなくても最初から読めるし、今回中心となるチーム・ジャスティスライドについて理解を深められるので、ここにランクイン。
最後のBランクは、本当に余裕があればって感じ。ジャスティスライド,マッドガイの結成と、深水紫苑と蒲生慈玄に関するエピソード。初心者がここまで読む必要はまずないというか、既にライドカメンズを楽しんでる人が「自分はこのクラス、このキャラが推しだからちゃんと復習していくんだ」って思ったときに読めばいい感じ。そもそも11章を読めるようになるのはプレイを多少進めてからだしね。

あ、あとこれは言うまでもないことな気はしますが、ライブパートの楽曲はある程度覚えるまで聞いてから行った方が盛り上がれるのは間違いないです。僕自身、ちゃんと聞いていって本当に良かった。
(死ぬほど私情を入れさせてもらうと仮面ライダーゼロワンの冬映画『令ジェネ』も予習としてはぴったりだと思うんですけど……アマプラで見られるし単品で楽しめるので……)

 

もうひとつ事前に考えておくべきなのが、ペンライトを買うかどうか。ほぼ同じ値段でパンフレットも売ってるので、どちらを買うかは悩みどころだと思うけど、パンフはあくまで舞台というメインの後に摂取するオマケだと割り切れるなら、舞台そのものを100%楽しむためにペンライトを買うべきな気はする。第1部からストーリーのギミックに組み込まれてるので、なんとなく疎外感みたいなものを感じるおそれがあるので。
未プレイの方ならそこまで気にならないかもしれないけど、既に「自分はエージェントだ」という意識がある人は、エージェントである証として間違いなく買っておいた方がいい。

ただ舞台の途中で拍手が起こる場面が結構あるから、それにすぐ対応するためにはずっと持ってるのはちょっと邪魔だなと感じることもあって、そういう理由なのかは分かんないけど開演前にレオンが「膝の上に置いてください」みたいなことを言ってた気がするので、どうせ膝の上でチカチカ光るだけなら手元になくてもそんなに変わらないやと思うなら、最悪なくてもいいかも?
でも第2部のライブパートはやっぱりみんな振ってるので、あった方がいいのは確か。


あと、自分は東京ってなかなか行く機会がないので、ついでに仮面ライダーストアにも寄った。
カオスリングは前々から結構売り切れてたみたいな話も見てたから好きなキャラのがあるかはダメ元ぐらいの気持ちで行ったんだけど、少なくとも1/13時点ではカメステの公演に合わせてなのか、全キャラ分の在庫がかなり潤沢に用意されてました。おかげで出費が想定の3倍くらいに……。
定番のクリアファイルとか、僕は買わなかったけど缶バッジのガシャとかもあって、もちろん本家仮面ライダーのグッズもたくさんあるので、売り切れが心配で寄るか迷ってたみたいな方はひとつの参考にしてください。


最後に円盤や配信を待とうか悩んでる方に。
自分もファイナルステージとかはTTFCで見れるし、先日も高橋悠也の舞台『TXT Vol.1 SLANG』を見返したりして舞台ってものをなんとなく分かった気になってたけど、実際見たら生で観劇するってことのすごさを体感できたので、今となってはお金がないとか言い訳つけて円盤待ちしなくて本当に良かったなと思ってる。スモークの存在すら認識があやふやでしばらくなんだろうなぁと思ってたレベルの完全初心者だったんだけど、本当にめちゃくちゃ楽しかったです。
既に2.5次元舞台の経験が豊富な方は自分で判断つくと思うけど、人生で初めての体験なら絶対に1万円の価値はあると思うので、ぜひ見に行って欲しい。

 


……ということで、これ以降はネタバレありで、最初の方から思い出しつつ感じたことを色々挙げていきます。

ところどころはゲネプロの映像で見返せるので、そちらを参照できる場合はMM:SSで表記します。

シネマトゥデイ

youtu.be

エンタステージ

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目次

 

オープニング

・冒頭でレオンがエージェントに呼びかけてくるのは本編と同じ感じでよかったし、カメステのレオンは第四の壁を超えてくるところとかも含めて絶妙にウォズっぽい立ち回りが多く感じたな。戴天さんは天津なので……。

・TTFCで映像として見てるぶんには「はいはい、よくある演出ね」くらいにしか思ってなかったけど、実際に観客席にまで演者さんが来ると没入感が段違いに上がるのだと初めて知った……。
今回は確かカオスイズムの戦闘員が光ったペンライトのカオストーンを回収しに来るってくだりくらいだと思うんだけど、敵だからこそ近くまで来られることでそれなりの圧力を感じたし、それによって自分の手元にあるカオストーンペンライトが本物なんだって実感が湧いたので、つかみから既にもう大敗北を喫していた。煮るなり焼くなり好きにしてください……。


才悟と慈玄のアクション

・変身、仮面ライダー才悟!(シネマトゥデイ00:00)
ゲネプロで一回見てたけど、大音量の音楽を全身で感じながらだと新鮮に興奮できた。
最後の方でずっと頭を抑えてたのは、マスクが取れそうになってたのかな? 12日以前の感想読んでたら、最終決戦で取れちゃってたのがマスク割れみたいで良かったみたいな声があったから、スーツの扱いは結構難しいのかも。
才悟は元々変身シーンで耳元に手を当てる仕草があるのでそこまで違和感なかったし、ちょうどハケるタイミングだったのかレオンが「ここは私に任せて魅上様はあちらへ」みたいな風に言ってたのも素敵だった。まさにPerfect Assistant。


・この冒頭のシーンで言及しなくちゃならないのは、まずは何を置いても慈玄だよね。
このカメステの中でも一番アクロバティックな戦いを見せてくれたのが彼で、側転から勢いをつけて戦闘員を倒したり(シネマトゥデイ01:05)、めちゃくちゃ華麗なバク宙でステージ横から登場したり(エンタステージ00:45)と、ファーストインプレッションで客の心を鷲掴みにして離さないという確固たる意志を感じた。
ちょっと特撮とか見てて通ぶりたい僕らみたいなのってどうしても、スーツアクターさんじゃなくて俳優さんが変身後もやるってことは、多少ハードルを下げて見ないとなみたいな気持ちがどこかにあった訳だけど、これ見せられちゃったらもうごめんなさいするしかない。
会場ではゲームと違ってギンギラギンな仮面ライダー紫苑のかっこよさに気を取られてて着地の部分しか見れなかったので、円盤が来る前に何度も見返せるのとてもありがたい……。

・対してこれはちょっとネガティブに聞こえるかもしれないんだけど、才悟って基本物静かで大人しいキャラなので、トータルの戦闘力では五期生の中でもトップレベルってゲーム内の設定が今まではイマイチ頭の中で映像としてイメージできてなかったところ、カメステ序盤では小技が多いというか、途中戦闘員と一緒に踊ったりなんかしちゃって(エンタステージ00:30)、結構小手先で戦ってる感みたいなのがあったのよね。
そこのところがうまい具合に新たなキャラ解釈として成立してて、確かにこんな風にまだ本気出してませんよとでも言うかのように余裕そうに戦いをこなしてる才能マンの姿を普段から見てたら、ひと一倍努力して一生懸命頑張ってる慈玄としてはそりゃ鼻持ちならなくて対抗意識燃やすのも分かるな〜と思って、2人の関係性により強い説得力を感じた。
劇中では才悟と慈玄の絡みはそんなになかったと思うんだけど、大千穐楽のユニットシャッフルは才悟&慈玄なので、せっかくならこういう細かいところでうまい出汁を勝手に取って楽しまなきゃ損だよね。

・せっかくといえば、普段は見られない戦闘の様子が見られるってことで星2【戦いの流儀】シリーズを一通り読み返してから行ったんだけど、この位置取りはJRF(ジャスティスライドフォーメーション)を汲んでるのかな?って思う瞬間が何度かあったのでこれも良かったかな。

 

まさかのSiru登場

・ライドカメンズは『ゼロワン』を書いた高橋悠也脚本なので、一応AIということになってるSiruの扱いについては出てくる度に気にしてはいるんだけど、まさか舞台にも出てくるとは全く思ってなかった(シネマトゥデイ01:30)。人格がある訳でも、ザットのように声優がついてる訳でもなくて、ただ画面上にテキストを表示するだけの舞台上では扱いにくそうな存在にも関わらず無理を押してまで登場させたってことは、ただの便利な舞台装置ってだけじゃなくて今後のストーリーでピックアップされることもあったりするのかな?
近未来の科学技術をテーマにしたイベントで、カオスワールド内でSiruがいつもの無機物枠として擬人化しちゃって……みたいな一発ネタとか、50話ある特撮だったらあっても全然おかしくなさそうだけど。特に戦隊がやってるイメージだな、タック(タイムレンジャー)とかボンパー(ゴーオンジャー)とかダイゴヨウ(シンケンジャー)みたいなサポートメカ枠が、家出したりして意外な一面を見せる箸休め回。


マッドガイとBクラスの一致

・今回はジャスティスライドとマッドガイの2クラスが登場する訳だけど、ゲームで言うところのクラス対峙イベント的なニュアンスもありつつ、ジャスティスライドの面々が着替えてる間はマッドガイが場を繋いで……みたいなリレーを自然に行うためのギミックとしても機能してるのが、すごく「舞台を見てるな」って感じられて楽しかった。
テレビドラマみたいにころころカットが変わっていくのもいいけど、裏方の様子に思いを馳せるって体験は"ならでは"だよね。メタ発言とかも多かったりして、かなり独特な磁場を持った空間だなと改めて思った。

・で、マッドガイのミュージカル調なキャラ紹介。
脳筋キャラな荒鬼が、音じゃ伝わらない「サイキョーサイキョーサイキョー!」のことをちゃんと「最も強い最強、最も恐ろしい最恐、最も狂った最狂!」って説明してたのがなんかいじらしかった。そうだよね、自分の中ではいつもあの漢字のつもりで発してるんだもんね。あの3つを決めゼリフにしようと思ったきっかけとか探せば二次創作漫画でありそうだな。
あと3回連呼するときに左手、右手、両手ってジェスチャーするところが、なんとなく両手で情熱と冷静を兼ね備えてる神威のライズを意識してる感じがして良かった。自分は2つじゃなくて3つだからお前より強いんだぞってアピールしてるようなイメージ。

今回舞台のオリジナルで久遠瞬十、白波一、千戸瀬数馬、万丈目恒臣の4人がネームドキャラとして追加されてるけど、おそらくあの4人が主にジャスティスライドと関わっててAクラスっぽかったのに対して、このシーンでダンスしてたベストを着た人たち(アンサンブル?と言うらしい)がマッドガイと同じBクラスのメンバーだったのかな?ってとこまで想像できるのがとてもいい。
特に神威のパートで画面の左下に写ってるダンディなヒゲの方(シネマトゥデイ03:15)はずっと目立ってて、第2部に至るまでとにかく世界の中に没入して楽しそうに演技してらっしゃるのがすごく見てて楽しかったんだけど、この人がヒゲを生やしてることで「Bクラスはヤンチャなやつが多い」って設定に説得力が付与されている。
元々ゲーム内で明かされてる情報だけだと荒鬼,神威,阿形,雨竜の4人がBクラスってことになってるので、ヤンチャなのが多いとは言っても(阿形や雨竜の一筋縄じゃいかない部分はパッと見で分かるものではないので)実質2:2で半々じゃんとはずっと思ってて、だからこそその他の細かい描写も込みで、僕は描かれてないだけで他のクラスメイトもいるんだろうなと理解してたんだけど、今回そこが目に見える形で描かれたことによって作品の世界観がグッと広がったし、強度も増したよね。


カメステ版阿形の解釈

・阿形さんは本編とキャライメージがちょっと違うって声を見かけてて、イメージショットとかだとこんなにぴったりハマってるのに!?と半信半疑で見てたら、確かにオリジナル要素強めではあった。
ゲーム内で「どんなトレーニングをしたら兄貴みたいな体になれるんだ?」と荒鬼が問うんだけど阿形は「特に何もしてないんだけどな……」って困惑するってくだりがあって(ランダム発生の拠点会話なので読む難易度がかなり高い、読み返し機能つけてくれ〜!)、もしかしてあれって本当は何もしてないんじゃなくて、イライラしたとき隠れてタバコ吸ってるみたいに、日常的にその辺でカオスイズムの戦闘員とかをぶちのめしてた結果つくられた肉体だから、なんやかんやで誤魔化してるのか……!?とも最初は思ったりしたんだけど、これは時系列が合わないことに途中で気付いた。

思い至ってみれば当たり前のことだけど、阿形さんのキャラ付けって「2人の手綱を握るさわやか兄貴肌」を除いた残りの半分は「カオスイズムへの復讐」に依拠してるし、彼のマッドな要素というのも主にはそこから来るものなので、アカデミー時代の彼をマッドなガイとして紹介することにはどうしても多少の無理は伴ってしまう。
そういった経緯の上でおそらく、元々演劇畑の高橋さんはその問題を思い切って「役者の味付けに任せる」という道を取ったのかなという気がする。
役者さんも「2人と比べていかに阿形のキャラを立たせるかには苦労した」と話してるし、かなり悩んだところなんだろうけど、(公演の中でまだ変わる可能性はあるが)最終的には、鬼の形相でチューチュートレインしながらピラミッドつくるちょっとアホっぽい妄想をしてるような愉快なお兄さんにすることで、そんな人が一転して憎しみに囚われてしまうほどカオスイズムのやったことは悪逆なものなんだと印象づける……という構成になったのかな、と。
独自解釈ではあるけど意図はよく分かるし、何より会場は普段とのギャップでかなりウケてたので、阿形さん好き寄りな自分としても十分アリ。


身長の差

・どういう流れだったか忘れたけどその後で五期生が勢揃いする場面があって、そのとき慈玄と荒鬼がちょっと対立して、瞬十がそれをなだめる……みたいなシーンがあって、そのとき並んだ慈玄と荒鬼の身長差がかなりハッキリ出ていたのも印象的だった。
ゲーム版での資料では荒鬼は相対的には身長高くない方のキャラではあるものの、それでも178cmって十分高いよね。慈玄は172cmで18人中下から3番目(平均が高すぎる)。
しかもその後、スネた荒鬼の方は舞台の一段高くなってるところにドカッと片足を立てて座ったのに対して、慈玄は反対側のステージ左側で、そこには腰が届かなかったのか三段ある階段のところに腰掛けてて対比みたいになってたから余計に記憶に残ってる。
でもそこが慈玄ってキャラの魅力にかなり貢献してて、彼の強がってる感が普段より可愛かったし、あとセリフないシーンでも佇まいがすごくカッコ良かったんだよね……。冒頭のアクションもあって、小さくてもめちゃくちゃ頼りになる背中というか。
ハイキュー!!』の西谷夕って言えば伝わります? あ、彼もCV:岡本信彦だ。

※追記 ちょっと待って??? 失礼ながら僕なにも知らないままカメステ慈玄のこと西谷みたいって言ったんですけど、マジで慈玄役やってた中西智也さんが、ハイキューの2.5次元でも西谷夕をやってらしたんですか!? なんという……だってそうだもんね、めちゃくちゃハマってるもんね。うわーそんなのちょっとズルい、見たくなってきちゃったよ。無理無理どうしよう。


久遠瞬十≒伊織陽真

・でもって瞬十ね。事前のインタビューから才悟と対になる存在という話は聞いてて、実際「他人の笑顔のために戦う才悟」と「自分(とその周り)の笑顔のために戦う瞬十」って対比にはなってたんだけど、それだけに留まらず、彼は言うなれば陽真のネガとしても機能してたよね。
いつも笑顔で、みんなのことをよく分かってて、ABクラスの垣根まで超えて五期生をまとめる良きリーダーとしての彼の姿ってこう……他にもっと分かりやすい例ありそうだけど、『進撃の巨人』で言うところのライナーにとってのマルセルみたいなかたちで、陽真の中に大きな影を落としてそうな気がする。

もう一回見て確認しないと自信ないけど、記憶を取り戻した慈玄が「お前たちは退学したはずじゃ……?」って言ってたってことは、瞬十たちの存在そのものが記憶の改竄で消されてた訳ではどうやらなさそうなので(劇中、形見のカオストーンで封じられてた記憶の蓋が開いたとかじゃない限り)、あくまで便宜上とは言えジャスティスライドのリーダーになった陽真としては、いなくなった瞬十のぶんも自分がうまく振る舞わなきゃみたいな気持ちがどっかにあったりしたのかな。まさかとは思うけど「おれの中の太陽」って瞬十のことだったり……?
まぁそこまではやや考えすぎにしても、瞬十の立ち位置的に五期生各々の中に「あいつみたいになれたら」って気持ちは多かれ少なかれあったんだろうね。
才悟と一緒に瞬十の死に際を目撃していたのもあって、今回のストーリーはかなり陽真の内面にも踏み込む内容になってたと思う。

 

僕らゲームのファンからすると、どうしても久遠瞬十って"オリキャラ"という先入観がまずあるんだけど、ニコ生特番の方では演者同士がめちゃくちゃ仲良さそうにワイワイしてる姿が見られて、少なくとも舞台の面々にとっては紛れもなく同じ「カメステ組」「共演者」の一人なんだなって実感できるので、実は彼も同期の仲間だったんですって設定に入り込みやすくなる。
僕が見た回では、才悟との戦闘訓練(エンタステージ03:22)の際に瞬十が剣を落としてしまうハプニング?があって、「やはりキミは強い」「お前もなかなかやるな……剣を拾うのを待ってくれたしな」みたいなアドリブが見られたのも仲良しポイント。

ゲームの第2部で荒鬼がおバカすぎて千の次が万なことすら知らなかったかもしれないってくだりがあって、今回のオリキャラの名前は数字が入る縛りで付けてる(万丈目)ってことと若干だけ齟齬があったりもするんだけど、まぁそこはそもそも第2部読んだ時点から「さすがに接客業のバイトしてて万の単位を知らないことはありえないだろ」って思ってたので、そこまで気にするようなことではないかな。金勘定はできないから本当にただ大きな声でお客さんを呼び込むためだけに雇われてる……とかでもない限り。


・瞬十以外にもネームドキャラがいること自体は初日の感想とかで知ってたんだけど、知ってた上でも一回見ただけじゃ瞬十以外の3人がどんな人となりなのかを把握するのは難しかった。
紫苑,慈玄,雨竜の3人と槍術の訓練をしてたのが残りの3人だとして(エンタステージ03:01)、あのとき紫苑に「優しすぎる」って言ったのが白波一で、慈玄に「もっと意表をつくような攻撃をしてみろ」って言ってたのが万丈目恒臣のはずだけど、千戸瀬数馬が何を言ってたのかあんまり覚えてないんだよな。その後の最終決戦で雨竜に対して「また他人行儀ですよ」って言ってたのは覚えてるんだけど、なんかもうひとくだりくらいあった気がする。槍術なのに雨竜さえも負けちゃってたのはかなり意外だったな。
瞬十もだけど、こうして眺めて見るとオリキャラ組は「みんなで一緒に」「連携が大事」みたいなニュアンスのことを言いがちで、そこんところが例え衝突することになろうとも各々の個性や価値観を貫いて曲げない仮面ライダーたちと、カオスイズムの思想的な同調圧力に屈してしまう彼らのひとつの違いとして描かれてるのかなと。


観客がいて初めて成り立つストーリー

・そんなアカデミーにレオンが乱入してくることで事態が転がり始める……この流れも後から思い返すと本編とほとんど同じだなと。
今回レオンと我々が介入しなければ、もしかすると瞬十やピアスの思惑通り五期生のみんなは歴史を捻じ曲げられてカオスライダーになってしまっていたかもしれなくて、それはプロローグでエージェントがアカデミーに迷い込んだことや、エピソードゼロで先代エージェントが誠実な男を助けに乗り込んだことと相似関係にある。
こういう風に整理してみて初めて気付いたけど、エピソードゼロのときに先代エージェントがカオスイズム本部に侵入したことで誠実な男を逃してしまったって経緯があったから、現実世界じゃなくてカオスワールドの中にアカデミーをつくってじっくり育成するって制度に変わったのか、なるほどね。確かにそれなら滅多なことがない限り邪魔する人間は入ってこないし、逆にカオスワールドに入ってこれてしまうということはその人自身も偽りの世界に魅入られて逃げられなくなるってことなので、主人公のように形見のカオストーンの力で入って来るみたいな特例的なことがないと彼らのカオスライダー化を止めることはできない。
「救えなかった人」がいることも共通していて、もし先代エージェントがもっと早く乗り込めていたら、誠実な男だけじゃなく薄情な男のことも助けてあげられたかもしれないし、もしも卒業試験よりももっと前に主人公がアカデミーに迷い込んでたら、瞬十たちも含めて本当の意味でみんなで脱走することができたのかもしれない。そういった小さなタイミングのズレで敵味方が別れてしまうって物事の捉え方が高橋悠也脚本の好きなところで、本人は自分のことを性悪説論者だと言ってるけど、"本来的に悪な人"というのは存在しなくて、あくまでもそういった環境の違いによって決まるものなんだという価値観で描かれてることが多い。
劇中でレオンが「人狼ゲームのようなもの」と表現する一幕があって、「人狼ゲームではないじゃん」って言ってる人も多いけど自分はここかなり好きなところで、あくまで人狼"ゲーム"ということは、瞬十は正真正銘の人食いオオカミなんじゃなくて、ピアスの策略もありたまたま今回人狼の"役"を演じることになってしまっただけの不運な存在なんだと強調する意図があるように思えたのよね。

公演後に雨竜くん役の方が「エージェントのサポートを受けて活動する仮面ライダーは、お客さんがいて初めて成り立つ役者の仕事に似てる」みたいな話をしてたんだけど、確かにこれってかなりクリティカルな話で、観客席のカオストーンの力で才悟たちの記憶が戻るっていう風に、僕ら観客の存在がストーリーに密接に関わっているということは、裏を返せばシュレディンガーの猫的に、もし仮に観客が0人の回なんてものが生まれてしまった際には「エージェントが介入できないまま才悟たちは記憶を奪われ、カオスライダーになってしまった世界線」が生まれてしまうことになる。
僕たち観客が公演を見に行くことによって初めて、もちろん全てがハッピーとはいかないかもしれないけど、才悟たちは助かって、瞬十も心から笑うことができるあのエンディングに辿り着くことができるって構成、『TXT』シリーズを見たときから分かってたけど、改めてその媒体ならではのストーリーテリングを大事にする人なんだなと感動した。
もしかするとこれは内藤さんや毛利さん、或いはグッズ側からの発案だったりするのかもしれないけど。


高塔雨竜、変身!(?)

・雨竜くんがガオナクスに変身したところは、ちょっとさすがに唐突すぎて笑ってしまった。でもカメステの中でもかなり従来の仮面ライダーに近い"変身"の演出がされてたのがこのシーンでもある。
舞台の真ん中に薄い幕が降りるときがあって、そこに映像を投影することでステージがレイヤー分けされて、前後の奥行きを持たせるのは勿論だけど、たまに役者の"前"に映像効果が現れたりするのがすごく新鮮だったのよね。最初は気付かなくてホログラムみたいに空間上に映像を映してるのかとも思った。
そのギミックを使うことで、そこまでの仮面ライダーの変身ではシルエットを使うことで擬似的に変身の連続性を担保してたんだけど(シネマトゥデイ00:35)、このシーンでは生身の雨竜が舞台の中心で叫んだ瞬間ふわっと幕が降りてきて、雨竜の前にガオナクスの姿が投影されるという演出になっていた。どうやら舞台斬月とかでも使われてた手法らしくて、これができるならもはや舞台で表現できないことってないのでは……?と、認識を改めた。
いくつか見た中では、ファイナルステージとかでやってるのは見たことがないのがもったいない。

 

実質クラス対峙イベント

・カオスイズムの手先だった久遠瞬十をどうするかで揉めるジャスティスライドとマッドガイ(エンタステージ04:05)。ここの衝突、まさに僕がクラス対峙イベントに求めていたものがそのまま描かれていた。
実際に行われたジャスティスライド×マッドガイの対峙イベント「今昔桃太郎」は、クラス間のぶつかり合いというよりは慈玄と神威の個人にフォーカスする側面が強かったので、ちゃんと"平和"と"力"っていうクラスの根幹にあるテーマのぶつかり合いを描いてくれたのが満足度高かった。

五期生の中でも陽真が瞬十を倒すことに一番強く抵抗を示していたことからも、やっぱり彼にとって瞬十ってめちゃくちゃ大きな存在だったんだろうなと言うのが窺えたし、このときの荒鬼はただ冷たい訳じゃなくて「汚れ役は強いやつが引き受ければいい」って気持ちで動いてたことは最後の最後で語られるけど、おそらくその心を感じたからこそ、このとき紫苑は「仮面ライダーにはそれぞれの価値観や戦う理由があるから尊重しなくちゃいけない」って仲裁する役を買って出たんだろうなというのも分かった。カメステの紫苑は喋り方が50%くらい良太郎みたいで(エンタステージ03:15)、仮面ライダーにおいてお母さん属性と言ったら確かに良太郎なのでめちゃくちゃしっくりきた。

阿形は阿形で、瞬十に裏切られたことで復讐の鬼としての一面が顔を見せてたり、神威の方は拍手までした上で「お前たちの言うことも一理ある。だがそれはジャスティスライドの思想に過ぎない」って相手のことを認めつつ自分の考えは曲げない姿勢を見せてて、ゲームでも普段は表面的なケンカが多くてあんまり見えないマッドガイの根っこにあるかっこいい部分(阿形のは暗い部分)が見える、すごくいいシーンだった。

そのあと、紫苑と慈玄が戦うしかないのかって弱気になってるとこで、唯一黙ってた才悟に「なぁ、お前はどう思う?(自分の味方してくれるよな?)」って縋るように話を振るところなんか、僕の中の"伊織陽真"像とあまりにも一致してて、そんな気持ちはどこ吹く風で非共感的な返しをする才悟もあまりにも魅上才悟。

でも期待通りの答えが返って来なかったからと言って折れる訳じゃなくて、「くそっ、どうしたらいいんだ……!」って諦めない姿勢を崩さないところが、今の陽真の強さだよね。多分、記憶を失くす前だったらそうはできなかったんだろうけど。

ここの裏でレオンが慈玄に「お茶いかがですか?」「いや、今は……」「さようですか……」ってジェスチャーで会話してたのが可愛かったんだけど、その前後のセリフが他の方のレポとはちょっと違った(エージェントはマカロンが好き、みたいな話があったらしい?)ので、もしかすると客席の温度感次第では、慈玄が提案に乗ってる回もあるのかもしれない。こういう細かい違いを全公演ぶん見ることができないのが……仕方ないけど悔しい……。ゲームに課金するお金も必要なんだ……。

 

カオスライダー瞬十

・やはり仮面ライダーの別媒体化と言えば、これを期待しない訳にはいかない。映画でもスピンオフでもVシネでも小説でも、これがあるとないとでは視聴するモチベーションが大きく変わってしまうと言っても過言ではないオリジナルライダーの存在。
しかも今回はただの敵役としてだけではなく、顔が露出しないタイプの「本来の仮面ライダー像」として造形されていて、そこに合わせて「カオスイズムによって育成されたんだからカオスライダーになるのが本来あるべき姿であって、裏切ったのはお前たちの方だろ!」という主張までセットで背負ってる感じがもう……完全に冬映画のそれ。
冬映画というか、名指しで『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』です。
フルフェイスの仮面で顔を隠してるデザインが敵として出てくるのは、アナザー1号がバイクと同化してるデザインなのと全く同じだよね。「"仮面"ライダーなんだから仮面しろよ!」「仮面"ライダー"なんだからバイク乗れよ!」というツッコミを敵に体現させて、"こうあるべき"を押し付けられる筋合いなんてなくて、自分たちはありのままの自分たちで生きていくんだと力強く叫ぶやつ。
フィーニス「ライダーの力ってのは悪の力だろ?」「それを歪めたのはお前たちの方だ!」
僕は仮面ライダーの映画作品の中だと、事前知識とかなくても単品で楽しめるって意味も込めて『令ジェネ』がぶっちぎりで好きなんですけど、その僕から見てもこのフィーニスの言動というのはやや薄味な感は否めなかったので(薄味に感じることそのものが、映画としてのテーマとも連動してるからそれはそれでいいんだけど)、こうやって「2年間一緒にライダーを志した仲間と敵味方に分かれてしまった」という極めて感情移入しやすいバックボーンを付与した上で再演してくれてとても嬉しい。
初代『仮面ライダー』にもそんな話があって、第3話に出てくるさそり男ってやつが、本郷猛は親友だと思ってたけど実は本郷のことを逆恨みして自ら進んで怪人になったってキャラなので、自分は洗脳なんかされていないと言い張る瞬十とどこか通ずる部分がある。奇しくもこの回は作中において初めて"仮面ライダー"という呼称が使われたエピソードなので、ライドカメンズ世界における仮面ライダーとは何かを再定義するこのカメステに、親友だった男との戦いというシチュエーションは相応しいのかもしれない。変身前の役者が変身後も演じるって試みも、初代仮面ライダーへの原点回帰的な側面があるしね。

 

他の方の感想を読んでると、時間を巻き戻す能力からジオウモチーフなんじゃないかとか、白黒のカラーリングからアークワンなんじゃないかみたいな声があって、自分的にはそこまでアークワンに似てるとも言えない印象だったのでノンモチーフの完全オリジナルライダーなんだろうなと見た直後は思ってたんだけど、久遠瞬十役の古谷大和さんはほんのついこないだ、同じ高橋悠也がメインライターの『仮面ライダーアウトサイダーズ』においてエコル/仮面ライダーゼインという役を演じていたことを思い出して、アークと対になる存在であるゼインに変身したことがあるって文脈を考慮に入れるなら、アークワンモチーフと言われてもギリ納得できるかもなと思った。
自分とその周りの数人の笑顔を守るためだけに戦うって動機も、まぁアークワンに変身した時の或人の感情と乖離はないし、最終的に「キミはずっと前から仮面ライダーだった」って認められるくだりについても、高橋悠也がアークワンと似たような展開を辿った桜井景和について「決して闇落ちではなく」「正しく自分の願いのために戦っていった末の姿」と語っていたこと(オーコメ第47話)とも合致する。
デザインとしては六角形が顔や肩にあしらわれていて、顔の中心に黒い大きなツノがあったりとパッと見でアークワンに似てるってことはないんだけども、六角形に関しては一応ゼロワンから続いてアークのスーツにもハニカム構造は踏襲されてるので、その要素を抽出したと言われればそうなのかもしれない。

 

さっきは陽真のネガだって話をしたけど、エピソードゼロを見返したうえで見ると博学な男のニュアンスもちょっと感じられるんだよね。社交クラブで仮面を外してしまった結果、同志だったはずの4人は道を違えて離れ離れになってしまったって話なので、おそらくカオスイズム首領の目的は、今回の瞬十のように「ただみんなで笑いあっていたかった」といった純粋な気持ちだったのかなと思わせられた。そんな彼が最期にエージェントを庇って死んだというのも……重い文脈が……。
でもって、結局カオスイズムという強大な力に屈して、誠実な男の写し身である才悟と戦って散る運命を辿ってしまったのは薄情な男の文脈もあるし、久遠瞬十という男はライドカメンズを知っていれば知っているほど、単なる「舞台のオリキャラ」ではなく「よく知るキャラ」に見えてくるのが本当に面白い。どんだけ味するんだお前。
逆に言うと、久遠瞬十が背負ってる要素はほとんどが本編に散らばってる要素と同一というのが巧みなところで、舞台が初見の人には久遠瞬十を通して本編の様々な風味を知ってもらうことができるし、舞台を見ずに本編だけを楽しんでる人であっても重要なピースを拾い逃すということがなく十分に楽しむことができる。

でもやっぱり! 抽象化した要素としては同じかもしれないけど! 久遠瞬十という個人を見ることができるのはカメステだけですから!


カオスによる変身

・カオスライダーって一言で言っても色々あって、
1.仮面がなく、顔に模様が入ったライダー
2.仮面ライダーへの変身が不完全なときに一時的に1の姿を経由するもの
3.変身前の顔には模様がなく、変身後は顔前面が仮面で覆われ模様が確認できないカオスライダーラリオフ
4.おそらく3と似たような状態だが、変身前から顔に模様がありカオスライダーではなく"大怪人"と呼ばれる大幹部の変身体
5.髪が露出しているラリオフや、顔の下部が露出している大怪人とも違い、本当に頭全体が覆われているカオスライダー瞬十(ただし唇状の造形はある)

現時点でもこの5種類が確認されている。大怪人がカオスライダーに準ずるものなのかどうかはまだどこでも明言されてないけど、ライダーに変身できて初めて幹部になれるって設定で、その幹部の上にいるのが大幹部な訳なので、多分カオスライダーの成れの果てではあるはず。

今回の瞬十が特殊なのは、カオス(仮面)の欠片であるカオストーンじゃなくて、おそらく瞬十自身のカオスを使って変身しているという点。
現状ゲーム内ではカオストーンじゃなくカオスそのものがアイテムとして本格的に出てきたことはまだなくて謎に包まれているんだけど、ひとまずカメステで起こったことを全部素直に信じるなら、カオスには
「時間を歪めるなどの特殊能力が使える」
「衣服だけでなく人格(記憶)そのものを書き換えるカオスワールドを作れる」
「変身に使うとフルフェイスになる」
「仮面に蝕まれていずれ自我を失ってしまう」
……などの特徴があることになる。
たぶん2つ目は、ライダーアカデミー自体が神々しい仮面によってつくられた(第二世代よりも強力な)カオスワールドってことになって辻褄が合うので正しそうだけど、3つ目は唇状の造形ってのが微妙なところで、カオスイズム戦闘員なんかもカメステ版では肌色部分まで含めて仮面になってたので、もしかするとフルフェイスに見えたのはそれと同じ理屈であって、もしかすると本来の設定上では顔の下半分は露出してるのかもしれない(でも色は間違いなく黒だったので、大怪人とはまた違う)し、自我を失う云々の話もひょっとすると才悟が躊躇しないように瞬十が吐いた嘘の可能性があるので、とりあえず信憑性があるのは2つ目だけかな。

あともうひとつ読み取れることとしては、カオスが変身アイテムみたいな機能を果たしてたから、やっぱり仮面ライダーが変身に使うカオスリングは、カオスの欠片からつくられたものってことで確定っぽいなってことだろうか。
人の願望が叶った偽りの世界を出現させたり、そこに入ったものの衣服を変化させたりするのがカオストーンだけど、カオスリングはその能力を変身者の肉体に対して限定的に使うことで、超常的な力を使えるライダーへの変身を可能にしてるんだろう、たぶん。

そうそう、カオストーンじゃなくてカオスを使って変身してるということは、少なくともカオスライダーの力を手に入れた後の瞬十は記憶を全て取り戻してるはずだよね。
アカデミー時代の瞬十は「そんな人間じゃなかった」はずなのに、なぜか自分の意志でカオスイズム側についてしまったのには、描かれてないけど彼の過去も関わってたりするのかなと。
でも才悟を始めとしたジャスティスライドのメンバーは、過去と今とで正反対の性格に変わっていそうでありながらも、今ある性格を偽りのものと切って捨てるんじゃなくて、そこも間違いなく自分の一面であるって強く貫く人たちなので、アカデミー時代の優しかった瞬十もまた嘘なんかじゃなかったはずだと突きつけるって流れだよね。

 

変身、マッドガイ!

・瞬十からカオスイズムに勧誘を受ける3人だけど、力を求めるマッドガイがそう簡単に誰かの下につくはずもなく……。変身能力を奪われたみたいなくだりがあったはずなのになんで変身できるようになったのかはあんまり覚えてないけど、たぶん形見のカオストーンがなんとかしてくれたのかな?
変身バンク(シネマトゥデイ04:36)に使われてる聞いたことない新曲に加えて、戦闘シーンで『NEVER SAY NEVER』のアレンジVer.みたいなのが流れてた気がする。クレジットを見ても書いてないから気のせいかも? でも明らかに聞き覚えのある英語の歌詞だったんだよね。『MADGUY PRIDE』には英語部分ほぼないし。
冒頭で才悟のマスクが外れやすいのかもって話をしたけど、マッドガイの活躍が少なかったのは、ツルッとしたシルエットのジャスティスライドと比べて複雑だから、取れたり破損したりしないように……だったりするのかな。
ジャスティスライドは典型的な動くとかっこいいタイプだったのに対して、マッドガイは静止画での見栄えがとんでもなく良いので、スチルを舐めるように見て我慢しよう……。


最終決戦

・序盤は余力を残すような戦い方をしていた才悟が、ここへきて瞬十に対して感情を爆発させながら必死に泥臭く戦う姿にはやはり胸を打つものがあった。
これはBlu-rayの画面では味わえないもの(もしかすると大阪公演でも?)だと思うので書いておきたいんだけど、変身した瞬十と才悟の戦いに入ってからはライティングがそれまでと変わったような気がしていて、逆光になってたのか客席横の壁にライダー2人の影がでっかく映し出されていたのがすごく記憶に残っている。
恐らくそれを狙ってやってる訳ではなくて、あくまで舞台上の見え方を追求した結果 副産物として現れたものな気がするんだけど、自分は『555』世代でもあるので、ドラマだったらこの影だけを映して会話するカットがあってもおかしくないくらいには、エモーショナルな光景だった。これは前列の方で見ていた人には味わえないものだったんじゃなかろうか。
前列は前列で、役者さんの表情とか見られて羨ましいけどね……僕の近くに座ってた人は単眼鏡か何かを持参してたので、大阪公演では僕も検討しようかなと思ってる。でも、舞台見る以外では絶対使わないものにお金を払うほどの余裕はないんだよな……悩ましい。


物語の決着は、やっぱり自分的にはゼロワンのVシネを思い出さずにはいられなかった。久遠瞬十が心から笑えるのは、死ぬときだけ……そのことに気付いた才悟は、瞬十の笑顔を守るために彼を倒すことを決意した訳で、僕は今まで滅亡迅雷の死はポジティブなものだと解釈していたんだけど、罪の意識を抱えながら生きることってそう簡単なことではないから、或人が常に大切にしていた「心から笑う」ということの意味を滅なりに解釈した結果がアレだという見方は意外としたことがなかったので、より深みをもって味わえるようになった気がする。それで言うならもちろん『令ジェネ』での其雄も多分その文脈だろうし、別作品で言うなら『MOVIE大戦2010』のスカルだよね。その人の尊厳を踏みにじるのであれば、例えそれが本人であっても、倒すことでその人を救うという。

才悟の戦う理由が「笑顔を守りたい」なのは明らかに陽真のことを念頭に置いた発言だし、その文脈が初見のお客さんにも分かるように、陽真が才悟に笑顔を教えるシーン(シネマトゥデイ02:45)をギャグに見せかけて配置してあったんだろう。というかなんならゲーム本編をプレイしててもそこのニュアンスは確定まではいかないところを、今回きちんと明言してくれたようにも見えた。……すみません才悟-陽真のカップリングについてはそんなに詳しくないのでもしかしたら明言されてたかもしれない。
だからこそ、陽真は仮面ライダーの中では唯一あの場に居合せなければならなかったんだろう。自分が教えた笑顔の意味を、才悟がどう解釈して、どのように行動に移したのかをきちんと受け止める責任があるから。

 

いやー、この顛末を見てしまうと、今後のライドカメンズの展開にもこれまで以上に期待せざるを得なくなってくるよね。
才悟-陽真のカップリングにそこまで注目してなかったって言ったけど、久遠瞬十がこういう結末になってしまったからには、この先 陽真が似たような状況に陥る未来が嫌でも目に浮かんでしまう。
高橋悠也脚本において「そんなつもりじゃなかった」っていう心のすれ違いは非常に大きな意味を持っていて、今回は才悟が瞬十を倒す決断を下したことを(トドメを刺したのはピアスだったこともあり)許し合うことができたけれども、もしも「お前がしたことは"平和の契約"違反なんじゃないのか!?」の矛先を収めることができなくなってしまったとき、誰よりも仲間である瞬十を失いたくなかった陽真が、今回の瞬十のように、或いは実際荒鬼に向かって激昂したように「先に裏切ったのはお前らの方だろ!」と牙を向けてくる可能性を、僕は今ひしひしと感じている。
ジャスティスライドがその試練を乗り越えたとき、ライドカメンズは更なる進化を遂げるのかもしれないな……。


エピローグ

・瞬十の墓参りのシーンで、お墓が客席側にあることになってることが気になってる人がいて、確かに我々観客に向けてみんなが手を合わせる様子はなんかヘンな気持ちをかきたてるものではあったんだけど、たぶんこれも生の人間が演じている媒体ならではの仕掛けな気がした。

本来死っていうものはもっと途方もないものなのかもしれないけど、あくまでもフィクションという枠組みの中での死に限って言うならば、「作品の中から消えること」ではあるかもしれないけど、その"役"と不可分である役者さんが、まだこちらの現実世界では生き続けている訳なので、僕ら視聴者にとっては"絶対的な別れ"ではなくて、他の作品や、或いはその役者さんが後々その作品について語ったりする営みの中で生き続けていると捉えることも可能で、そういう意味で瞬十は"こちら側"に旅立った……という表現なのかなと。
こう解釈するなら、レオンが積み上げてきたメタ発言もただのギャグではなくて、きちんとテーマ性を帯びた必要不可欠な要素になる。「客席!?」「客席です」「客席!?」「客席です」「客s(ry


でも作品の中にいる登場人物たちにとっては紛れもない死であることには変わりなくて、そこに対するアンサーとして「才悟の中に瞬十のクセが残る」がある。
なんならこれもこちら側に干渉してくる要素のひとつで、観劇後、本当に無意識のうちに靴を履いた後でつま先をトントンとやってる自分に気付いて、よく言う「心の中で生きている」ってこういうことなんだなと実感した。
これもニクいのが、靴といったら陽真じゃないですか! 舞台から入った人はまだ知らないかもしれないけど、陽真はスニーカー集めが趣味なんですよ。
攻撃をする前に鳴らすというのは戦うことしか知らない才悟の要素だし、逆にラストのトントンは靴を履いて「歩き出す」ときの仕草。
瞬十の死を悼み噛み締めた上で、才悟たちはまた前を向いて進みだす……犯人が誰かを発覚させるための伏線なんだなと思ってたら、最後にこんなイキな使い方するなんて想像もしてなかった。

舞台を見に行って本当に良かったと思ったし、彼らが歩みだした先で繰り広げられる物語を見るためにまたゲーム本編に気持ちが戻ってくる。
もう最高ですよ、非の打ち所がない。『ライドカメンズ』としても、仮面ライダーのひとつの物語としても、アプリゲームの舞台化としても、全てが完璧に噛み合っている。

もしもまだ舞台を見る予定がないのにここまで読んでいる方がいらっしゃるなら、きっと今すぐにチケットを予約してくれると信じています。
『ライドカメンズ The STAGE』の世界へようこそ。

 

 

ライブパート

・あれだけ大満足だったドラマパートが終わって、その上まだライプパートまであるカメステ、エンターテイメントに余念がない。
どのタイミングだったか忘れたんだけど、第1部の序盤で『Perfect Assistant』が流れ始めて、観客の気持ちが盛り上がってきてさぁいよいよ歌い始めるぞって寸前のところで曲が止まる……っていう演出があったおかげで、正直要るかなぁなんて思ってた人(自分)にもしっかりライブを楽しみにする気持ちをつくってくれるのも計算高いよね。「そこまでやっておあずけ!?」ってなるに決まってるもん。
見るまでは「そんな時間があるならストーリーをもっと濃密にしてよ」みたいな気持ちもあった訳だけど、これ以上ないくらいきちんと第1部が面白いことを体感した直後なのもあり、あとは心置きなくライブを楽しむだけ!

・まずはレオンが発声しても良いですよということを周知して場を温めるために、曲とは関係ないコールの確認をしてくれて、
「仮面?」「ライダー!」
ジャスティス?」「ライド!」
「マッド?」「ガイ!」
って声を出すくだりがあるんだけど、唯一事前の確認なくいきなり「高塔?」をぶっこんできて、それでもちゃんと「雨竜!」と返せる周りの人たちのライドカメンズ愛を実感したときには、なんとなく会場の一体感というものが芽生えてた気がするし、そこで「藍上?」をやらないのがすごく"執事"って感じしてよかった。
レオンはあとの方で「スーパー執事!」があるからだろうけど、やはりまずは仮面ライダーの皆さんを立てるのが「執事たるわたくしの務めでございます!」ってことなんだろうね。

 

GET BACK!! The STAGE Ver.

・この時点で既にお膳立ては十分すぎるほどできてるけど、やはりまずは『GET BACK!!』からなのも原作ファン的にはとっつきやすいよね。
今までずっと天月さんの声で慣れ親しんでたのに、いざパート分けされてみるとこれはこれで最初からそのつもりだったんじゃないかと思えるくらい綺麗に8人で分割されてて、仮面ライダーたち自身が歌うことでまた違ったカオを見せてくれるので、曲のことを更に好きになれたし、今となってはもう『GET BACK!!』聞くときは両方セットじゃないと満足できない……。

改変された「Survive The STAGE!!」の部分もとても良くて、元々のthriveは自分は知らなかった単語でどういう意味なのかパッとは分からなかったんだけと、こっちはもうストレートで分かりやすい!
2.5次元舞台っていう新たな媒体でも、生き残って続けていきますよ(少なくともそのつもりでつくってますよ)というのがこれでもかってくらい伝わってきて、パンフの話になるけど鑑賞後に読む想定での文章なのに「ここから作品を立ち上げていくにあたって」という文言があって、続編の構想が既に前向きに検討されてるんじゃないかと思えて、もう本当に楽しみ。

 

Ride or Die!

・ここからオリジナル曲、最初は『Ride or Die!』。
それぞれのキャラが歌うことを前提にした歌詞なので各人の個性がしっかり出てるのはもちろん、最初の発表時から1号→クウガときて、なんでG3(アギト)よりもホースオルフェノク(555)の方が先なんだろうと思ってた人はそれなりにいたと思うんだけど、今回の曲はこの順番になってることによって、慈玄の「燃える正義の炎……(今!)た ぎ る!!!」でサビに入るのがめちゃくちゃアツい。
2番は順番が逆になって才悟だし、どちらかというと"強い"よりは"優しい" 寄りの陽真と紫苑が真ん中にいることで、ただ4人が順番通りに歌うだけでエモーショナルな部分とパッショナルな部分のギャップが生まれて、ひとつの曲としてのまとまりがすごくいい。
一人ひとりは凸凹で何かが欠けてたり偏ってたりするかもしれないけど、4人揃うことで初めてバランスが取れるって意味で、ジャスティスライドというクラスにあまりにもぴったり。
曲の話ではないけど、自分色の中では白が結構好きな方なので、元々好きだった才悟とカメステでより好きになった慈玄が白いライブ衣装着てたのもすごくかっこよかったな。

"Ride or Die"って単語、自分はLive or Dieをもじった造語なんだろうなと思って勝手に納得してたんだけど、海外の(?日本に住んでる外国語話者かも)ファンが「一蓮托生って意味のイディオムだよ」と解説してくださってて勉強になりました……。

 

MADGUY PRIDE

・続いて『MADGUY PRIDE』。
本音を言わせてもらえば、配信で初めて聞いたときは『Perfect Assistant』と並んで「ちょっと期待してたのと違うかも……」「苦手な方のキャラソンかも……」と思った曲なんだよね。
ゲームにおいてもマッドガイって、脳筋バカの荒鬼とナルシストな神威のくだらないケンカばっかりがクローズアップされがちで、彼らが本来持ってるはずのちゃんとかっこいい部分はなかなか描いてもらえないことにやや不満があって、そしたらこの曲でも「俺はマッチョでかっちょいい!」だったので、ジャスラ曲が素直にかっこよかったのもあって、あぁやっぱりマッドガイって、中身の薄いおバカなコメディ担当だと思われてるんだ……とがっかりしたっていう事実があって。


でも現地に行って実際に聞いたらそんな風に思ってたのは全部吹き飛んでしまった。
特にジャスティスライドよりも分かりやすく「かっちょいい!」「美しい!」「アウトレイジ!」ってこちら側が合いの手を入れられるようになってることで、配信で聞いただけでは全く想像できなかった盛り上がりがすごくて、生で披露することまで全部計算した上でこういう曲になってるんだと完璧に納得させられた。
1番でそれが理解できたから、2番は自分も合いの手を入れようかなとか思ってたら(毎回やってくれてるみたいだけど)神威が服を脱ぎ始めて「エェーッ!」ってなったり、阿形さんの「もっと盛り上がれ!」が恥ずかしがってペンライトしまってた自分に言われてるような気がして、次は絶対振ろうと決意したりとか、歌詞だと「限界の壁を壊して〜」のあとが「行く」じゃなくて「生く」になってるのが(当時はまだ各種歌詞サイトで公開されてなかったので)、確かに全6クラスの中でも一番「生命力!」って感じがするマッドガイらしいなって思ったりとか、もうとにかく忙しかったな。
あと阿形さんの「RAY OF "FLAME"」が、叫んでる感じの配信版とは違って、めちゃくちゃシブくてかっこいい歌い方だったのもよく覚えてる。Blu-rayに収録される回はあの感じでやってくれないかな……最後の"厶"がきっちり聞こえるくらい、力強い"フレイム"。ファイト!スター!と放り投げるような単語が続いたあと、締めとしてちゃんと"厶"で着地する感じなんだけど、これ文章で説明するの難しすぎないか……?
(※ライブ配信されてた1/25午後の回はかなり近いんだけど、音声不良なのか声が拾えてない部分があったのが残念……)

 

君がいるから

・日替わりのユニットシャッフル曲『君がいるから』は、魅上才悟と荒鬼狂介の回。
ユニット名は2人とも1月生まれということで、荒鬼のゴリ押しで「ナンバーワン」に。
才悟は1月生まれなこととナンバーワンになんの関係が……?って不思議そうにしてるんだけど、ゲーム本編でも荒鬼は五期生トップの成績を持つ才悟をいつか超えてやると話してるエピソードがあるので、全てにおいて最強を目指してる自分は当然として、才悟のことも(今はまだ)ナンバーワンだと認めてるってことを暗に表現してたんだろうなと自分は受け取った。
ドラマパートでの「汚れ仕事は自分たちがやればいい」って話も、この言及があることによって「才悟たちの実力があれば本来ならカオスライダーに負けたりはしないだろう(けど、相手が相手だから手が緩んでしまうかもしれない)」という信頼がベースにあることが窺えて、更にストーリーを味わい深くしてるなぁと。
最終的には才悟が自分自身の手で瞬十を倒したってことも踏まえて、やっぱりお前はすげぇやつだってニュアンスも含んでるだろうし。
才悟は全くピンときてないのがね……これもまた"らしい"し。

舞台版の才悟は慈玄と並んで背が小さい方なので、ユニットとして組んだときの凸凹感というか、荒鬼の長身からビシバシと繰り出される迫力あるダンスと、動きのキレ魅せる才悟のコントラストも良かった。
アクションのMVPが慈玄なら、ダンスのMVPは荒鬼にあげたいくらい、彼のダンスは見てて気持ちが良かったな。

 

Perfect Assistant

・クライマックスとも言うべきレオンの『Perfect Assistant』。もう、これ……最高……最高です……。
事前の配信の時点から、曲調は一番好きだったんですよね。僕はタイトルにもある通り『仮面ライダーゼロワン』が一番好きなんですけど、元気よくパラパパーと鳴るサウンドが結構雰囲気として似ていたりもして(『ゼロワン、それが俺の名だ!』)。
でもこの曲で何より印象的だったのは、ダンサーさんの振り付けがむちゃくちゃ陽気で、本当に見てるだけで元気になれること。これはもう曲の配信とかじゃ味わえないものなので、生で見るかライブ配信チケットを買うかしないと見れないのが非常に惜しい。
そしてドラマパートでもひときわ目立っていたダンディなヒゲの方(たぶん西山和輝さん)。この人がもう、すっっっごい笑顔! 本当に楽しそうにニコニコで踊ってらっしゃって、しかもキレキレだったから思わず視線が釘付けにされた。
そういう楽しそうにキラキラ輝いてるてる人を見るのが心底大好きなので、最後の最後でまた一段と楽しませてもらった。
カメステ全体の楽しさを倍増させてくださったと言っても過言ではないので、感謝しかない。
せっかくの舞台オリジナルキャラなのに、ライブパートには瞬十が出てこられないという設定がきちんと徹底されているということは、裏を返せばこのダンサーさん4人は、恐らくマントのついてないカオスイズム戦闘員にされてたBクラスの面々としてしっかり才悟たちに助けられた上で、おそらくレオンの看病を受けて回復したからこうやってノリノリで踊ってるということだと思うので、彼らなりの恩返しなのかなーとか考えてみてもより楽しめるかも?


マッドガイのおかげでライブを想定した楽曲の楽しみ方が分かったのもあり、レオンの歌は1秒も余すところなくしっかり味わえた。ダンサーさんの振り付けが良いということは言うまでもなくレオンの振り付けも良いということで、自分は特に1回目の「どこまででもFly」がお気に入り。
あとこの時点ではまだペンライトの色対応が公開されてなくて、GreenとLight Greenが混在していたのもすっごく綺麗だったな。観劇中は気付かなかったんだけど、レオンのオッドアイみたいだって言ってる方もいて「それだ!」となった。
1/23の回ではもうLight Greenに統一されちゃっててちょっと寂しかったな。
全部諸々込みで、カメステの中では一番好きな曲に躍り出ました。
たぶんレオンはカメステが続く限り他クラスがメインになる回でもずっと出てくれるだろうから、レオンをこんなに好きになれたのはすごく得した気分。末永くよろしくお願いします!

 

With My Reason

・そしてラストの『With My Reason』。
先に聞いてた段階から、自分は『君がいるから』のED曲感をかなり気に入ってて、この曲はそれとはまた違ってボーナスステージというか、アンコールに応えて披露されるようなイメージの曲だなと感じてたんだけど、ライブではまさかのただ歌うだけじゃなく、その前にカメンズたちから我々エージェントに向けて日頃の感謝を伝えるというサプライズが。
ライブパートのセリフまで高橋悠也×内藤祐介のタッグが書いてるのか分かんないけど、完全に『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL』と同じ個性豊かでバラバラな9人って描き方は、仮面ライダーらしさを突き詰めたこのカメステにもとても相応しい演出だったしね。
ストーリーがまさに、エージェントが介入しなければバッドエンド不可避の構成だったこともあるし、そしてもちろんリリース時からずっとライドカメンズというコンテンツと共に生活してきた人間として、心からグッとくる演出だった。
ライドカメンズ未プレイでも楽しめるのがカメステの良さだけど、さすがにここだけはエージェントだからこそ楽しめる部分だったね……歌詞の中でも「この出会いが無駄じゃないさって〜」のところで泣きそうになりました。
というか今これを書くために配信を見返しててちゃんと涙出ました。
もー、ライドカメンズ最高ですね。大好き。
ゲームも舞台も、それ以外のメディアミックスも、どんどん盛り上がることを願ってます!

 

ライドカメンズ感想一覧

1/23公演,1/25配信,2/2大千穐楽 

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