やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

『復活のコアメダル』のラストを受け入れるためのひとつの解釈

大筋は前回の記事(仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル 具体的感想)にある内容なんですけど、思ったことは全部漏らさず書きたい性分なせいでまとまりがなくなってしまったので、ここでは"ラストシーンの解釈"に話を絞って、必要な話題のみを簡潔にまとめたいと思います。
結論から言いますと、自分は色々考えた結果「映司は死んでいない」「アンクも満足している」という解釈に落ち着きました。映司の死を受け入れられない多くのファンのために、そこに至るまでの思考過程として欠かせない論点を3つ、まずは紹介します。

 

 

アンク復活の是非

そもそもの話として、僕は最終回における「いつか、もう一度……」や『MEGA MAX』において明確に提示された"いつかの明日"という概念についてやや懐疑的でした。何故か。
まず言えるのは「死ぬことによってようやく満足することができたアンクを眠りから起こすのはどうなのか」という点。
アンクに対して再びただのメダルの塊・グリードとして、アイスの味も感じられず巨大な欲望だけを抱えたまま不死身の怪物として生きるという十字架を背負わせることを、無邪気に肯定することはできません。
映司や比奈、知世子さんを始めとした「自分をひとつの命として認めてくれる存在」がいるうちはいいかもしれませんが、人間である彼らが死んでしまった後はアンクの居場所はどうなってしまうのかと考えると、なかなか難しいものがあります。もちろん、怪物だからといった偏見や差別に晒されずにアンクが安心して暮らせる人間社会をつくることまで含めて"いつかの明日"であると考えるならば問題は半減しますが、やはり「世界を感じられない」というグリードが抱える悲しみは無視できません。


もうひとつの論点として、アンクに限らずグリードという化け物を復活させようとするのは人間社会にとってどうなのか、ということもあります。
メダルの研究を進めていけば、その過程で再びグリードが生まれ、また本編や『MEGA MAX』のような戦いが始まってしまうという危険性は十分にあり、『ゼロワン』においてヒューマギアは根絶するべきだという声があるのとと同様に再び世界を脅かすことになりかねないというのは、まず考慮するべき事柄でしょう。
そして他ならぬアンク自身に関しても、本編終盤まで一貫して「完全復活した上でメダルの器になり、完全な命を手に入れる」という目的のためなら手段を問わないところがあります。1年を通して利用するという名目で映司と力を合わせていた一方で、真木率いるグリード側に寝返ったり、人質である信吾の肉体にもコアメダルを入れる(映司と同じようにグリード化してしまうリスクがあるにも関わらず)という蛮行をした前科があります。
アンクというのはアイスさえあげておけば大人しくしててくれるだけのキャラでは決してなく、映司との関係も8割が「メダルを集める」ための利害関係によってギリギリのバランスで成立しているものなのであって、仮にメダルを集めきってしまったとしたらこの利害関係は瓦解してしまうでしょう。
あの2人が仲良く共存できるのは、あくまで"メダル争奪戦"によって世界が混沌としているわずかな間……「メダル集めと、アイス1年分」の契約が切れるまでの話なんです、本来は。尤もその1年の中でも利用価値なしと見れば裏切るし、「あいつとは最初からそういうことになって」いる。
既にある程度は信頼関係が構築できている映司や比奈にとってはまだしも、あの世界の一般人からすれば十分以上に危険な存在であることは疑いようがない。そんなアンクを野放しにしてしまうのは、いかがなものか。
これがひとつ目の前提です。


映司の背負った業

次は映司という人間について考えていきます。
序盤でこそ「明日のパンツと少しのお金」さえあればいいという無欲なキャラだったけれど、その本質は「俺の欲望は、これぐらい(全員家族として助かる)でなきゃ満たされない!」「どんな場所にも、どんな人にも絶対に届く俺の手、力……俺はそれが欲しい」と言い切るほど強大で底のない欲望を持っていたことが明らかになります。
脚本家・毛利亘宏氏の言っていた「火野映司という人間が背負った深過ぎる業」というのはこれのことだと僕は思っていて、本当に本気で「どんな場所にいるどんな人でも助けたい」と思っているのなら、裏を返すと世界中のどこかにたった一人でも不幸せな人がいれば、映司は本当の意味で"満足"できないことになってしまいます。
彼は決して「アンクひとりが蘇ればそれでいい」なんて矮小な願いで満足する器ではないということです。
そんな満たしきれるはずのない欲望を持ってしまった火野映司にとって、真の意味での"満足する終わり"……すなわちハッピーエンドは「原理的に有り得ない」ということになります。世界の全てを平和にしたいのであれば、それこそ真のオーズとして覚醒し"都合のいい神"にでもなるしかありません。


話を進めるにあたって、映司の欲望から生み出されたというグリード・ゴーダについても読み解く必要があります。
違和感はありつつも10年後の映司としてギリギリ振る舞っていたゴーダが出した決定的なボロと言えば「(少女は)死んだよ。そういう運命だったんだ」という驚愕のセリフでしょう。
映司だったら絶対に言わないであろうことは言わずもがなですが、実際に少女が生きている以上、映司にとってもゴーダにとっても「(その後どうなったかは知る由もないが)少なくともあの場はなんとか逃げられた」という認識はあるはずです。
ゴーダは"表面的な映司らしさ"を犠牲にして正体がバレるリスクも厭わず、助けられたはずの少女を死んだことにしてまでも、このセリフを言い放ったということになり、仮にそうだとするならばそれ相応の"信念"や"本心"が込められていると見るのが妥当でしょう。
ゴーダという存在は、原理的に満たされるはずのない映司が無意識で抱いていた「死を受け入れて満足したい」という欲望の表れだと自分は解釈しています。アンクにしろ少女にしろ、世界中のどことも知らぬ誰かにしろ、「助けたい」と思うから「助けられなかった」と苦しいのであって、始めからその死を受け入れ「運命だった」と諦めてしまえば、映司という個人は楽になれる。
映司はそんなこと思わない! と感じた方もいるかもしれませんが、実際に本編の映司は内戦で少女を助けられなかった苦しみに耐えられず、基本的には平和で人が死ぬことなどない日本に帰国しています。
「休憩中」「しばらくは日本にいる」というセリフからも分かる通り、少なくとも少女を救えなかったトラウマが回復するまでの間は、世界中で今も苦しんでいる人々からは目を背け、比較的平和な日本で手の届く範囲の人を助けるだけで満足しようという非常に大きな"絶望"が見て取れます。
「映司くんは神様じゃない」ので、彼にもまたそういう人間らしい矮小な部分があることは間違いなく、それを凝縮して「人助けなんかやめて、アンクと楽しく戦いたい(前半)。或いは本当に世界の全てを救ってしまえるだけの力を手に入れたい(後半)」という欲望の塊として生まれたのがゴーダなのだと思われます。
以上が2つ目の前提です。


オーズは欲望を全肯定したか?

最後に確認するのは、オーズは何も犠牲にしない、映司もアンクも死なない都合のいい欲望を肯定したか? についてです。
確かに、セリフの上では肯定されています。「映司くんとアンクちゃんどっちかは戻ってくるなんて、そんなの認めちゃ駄目よ。(中略)映司くんもアンクちゃんもお兄さんもって、ちゃんと欲張れるのは比奈ちゃんだけよ」と知世子さんが比奈に対して諭すシーンは、とても印象的でした。
……ですが、実際の展開としてそうはなりませんでした。比奈はその後、アンクのメダルが壊れつつあることを知っていたにも関わらず、アンクから口止めされた通り映司に伝えることもできず、最終的には助けられずにアンクは死んでしまいます。
彼女は自分には何もできないことを噛み締めて、ただ2人と手を繋ぐこと"しか"できなかった。繋いだからアンクが助かる訳でもなく、なんの意味もないかもしれないけど、それでも繋ぐ。
アンクが死を覚悟していること、映司もまた死を覚悟していること。胸のうちに秘めたお互いの思いを察した比奈が仲介して手を繋ぐことで、言葉にはできずともなんとか2人にお互いの現状を伝えたい……そういう切ない思いを経て、それでも与えられた結果が「アンクの死」でした。


最終決戦においても「世界を救うためには怪人になることを厭わず戦うしかない」「そうならないためにはアンクを犠牲にするしかない」というギリギリの駆け引きが展開され、アンク復活に関してもあくまで"いつか"であって、今すぐ欲しいとまでは欲張らない。そのビターさこそが最終回の評価を高めている大きな一因のはずです。
これは余談ですが、映司は世界を救うためにウヴァを始めとするグリードや、人間であった真木博士のことも犠牲にせざるを得ませんでした。彼らの持つ「完全体になって世界を食らいたい」「世界を終わらせたい」という欲望は作中できっぱりと、明確に否定されています。また本当に全てを欲張るのであれば、内戦で救えなかった少女もアンクと同じように生き返らせようとしてもいいはずですが、そんなことは倫理的に許されるのか。許されないとしたら、アンクだけを蘇らせることは彼の尊厳を踏みにじることになるのではないか……。
そういった危険や問題点を孕むものまで含めた"欲望"そのものを肯定し賛美していたのは、作中でも唯一鴻上だけであって、その鴻上はグリードやガラの復活、ポセイドンを生み出したメダルの研究など、欲望のままに動くことで直接的ではないにしろ様々な災禍の元凶となった結構アブない人です。映司を「神にも等しい真のオーズとしての器」にしようとしたりね。

その彼が何の贖罪をするでもなくのうのうと暮らしていることは「欲望を肯定している」と言えるのかもしれませんし、当時はそううまくはいかなかったかもしれないけど映司や我々ファンは10年も待ったのだから、代償なく報われてもいいじゃないかという声があるのも分かりますが、少なくとも最終回や『MEGA MAX』においては「全てが都合のいいハッピーエンド」は肯定されていなかったというのが事実でしょう。


映司は死んでいない

・アンクをグリードとして復活させていいはずがない
・映司はアンク復活だけじゃ満足できない
・最終回では結局代償を支払う必要があった
以上3つの前提を踏まえた上で、僕から導き出された結論が「映司とアンクはひとつになり、完全な命を手に入れた」という解釈です。
今回復活したアンクは正確にはグリードでも人間でもなく、人間のように五感や感情を持った上で、グリードのように永遠に生きられる……いわゆる人間が欲するところの"完全な命"、錬金術が追い求める最高到達点になったのだと思います。
せっかく命を手に入れられて、満足して安らかに眠ったアンクを墓から掘り起こすのだから、映司は復活させるにあたり"それ以上の満足"を与えられなければアンクに対しても筋が通らないですし、先述の通り人間である映司が死んだあとのフォローもきちんとしなくては無責任です。
だとするなら、そんなことが果たして可能なのかという問題は一旦さておき、理屈としては「映司もまたアンクと一緒にお目付け役として永遠に生きる」以外の選択肢は有り得ないと思います。
ちょうど『仮面ライダー剣』における「永遠の切り札」と似たような構図ですが、今回の結末は一心同体のまま永遠に生き続けるので、かなりのハッピーエンドなのかなと。


正直「明確にそうだという描写」はあまりないので妄想だと言われればそれまでなんですけど、そう解釈すると腑に落ちることがいくつもあるんですよね。
一番大きいのは"エタニティ"なのにどうして死んでしまうのかという疑問が解消されること。
加えて、変身音を映司がコールしたこと。最終回のタジャドルはまぁ、アンクの意志が宿ったメダルの力を開放した訳だからアンクの声がするのはまだ理解できるとして、映司の声が鳴るのはおかしい……仮におかしくない(演出の都合でない)とすれば、エタニティメダルには映司の意志が宿っていると考えるのが自然です。
更にはエンドロールで映された"明日のパンツ"。「今日をちゃんと生きて、明日へ行くための覚悟」の象徴がこれみよがしに映されている以上、映司がただ死んで終わりだと解釈することは非常に強いノイズを生みます。バラードの後から流れ出した、いつも通りのアップテンポな『Anything Goes!』も映司が死んでいないのであれば不似合いでもなくなります。


今作のテーマ的な辻褄から考えても、映司の中にあった「大きすぎる欲望を諦めて、満足する終わりを迎えたい(≒真木の思想)」という欲望を担うゴーダを否定するということは、映司のした選択は「全ての欲望を諦めることなく、アンクの体を通して永遠に満足できる明日を求めてもがき続ける」という、文字通り修羅の道だったのでしょう。
みんなと手を繋いでいけば、その手はどこまでも届く……この結論は美しいですが、現実的に考えたとき、比奈がそうであったように手を繋いだだけで助かるとは限らないし、仮に助かるとしても全世界の人と手を繋ぐためにはとても人の一生は短すぎるでしょう。小説版においても、映司は安易にオーズの力に頼って自分ひとりの力で解決するのではなく、なるべく人と人との関わりによって内戦を終結させようとしているのですが、なかなかうまくはいかず、結局最後は一度だけオーズに変身して手助けをするが、後は関わらずにその国の人たち自身に任せるという、まるでウルトラマンのような距離感で描かれていました。
そういった理想と現実のギャップに10年間揉まれた末に出した結論が「オーズの力で何でも解決するのではなく、永遠に手を繋ぎ続けることでいつか訪れるかもしれない真に満足できる"明日"をつくる」なのでしょう。


アンクはどう思ったか

翻って、これはアンクにとってもメリットのある"契約"だったはずです。アンクは最初から、不死身の体を持ちながら世界を確かに味わえる「命」を欲しがっており、そのために信吾の体を利用して、完全復活するだけでなく器として他のグリードのメダルまで欲していました。
最終回における彼はその本来の欲望を"妥協"することで逆説的に"満足"できた訳ですが、これはまさにゴーダが背負っているテーマと同一であり、今回の映画はそういう意味で本編のビターなラストを否定し、真に"欲張る"ことを肯定する道を示したと言えるでしょう。

自分の命を譲渡した映司に対して「なんでそんなことした!」と、アンクが怒りを顕わにするシーンがあります。
最初は「最終回での自分の思いを無駄にしやがって!」という意味だと思ったのですが、冷静になってよくよく思い返してみると、あのときアンクが"したかったこと"というのは、映司がまたプトティラの力を使ってグリードになってしまうことを防ぐためにタジャドルに変身させたかったということのはずで、映司が本当にその思いを"裏切った"のだとしたら、それは「人間として死期を迎える」ことではなくて「不死身の怪物になる」ことの方なのではないかと考えたとき、あのときアンクがキレていたのは映司が自分と一体化して"不死身の怪物"になってしまったからだと解釈した方が、筋は通るなと思いました。
もちろん、人間としての映司が肉体的な意味で死んでしまうことは悲しいんだろうし、「なんで死んでしまったんだ」というニュアンスとは感情として共存が可能です。

今回のアンクには僕はセリフ回しから根本的にずっと違和感を感じていて、変に"人間らしい"なと思っていたのですが、復活した時点から映司とほぼ一体化していて人間のような感性を手に入れていたのだと考えれば、なんとか納得ができます。
映司がアンクを突き放したのは、あのままアンクが憑依することで映司の肉体が蘇ってしまったら、先述の通りアンクはただのグリードに逆戻りして、アイスの味も感じないまま、いつか映司とも死別してしまう未来が待っているからこそ、"一緒にいるために敢えて突き放した"のだと思われます。
余談ですが『MEGA MAX』における未来から来たアンクは映司の姿にも変身していました。僕の解釈ではあのシーンは意味深だなと思う反面、今回映司が死んでしまったからこそアンクは未来からやってきて「最後にしたくなかったらきっちり生き残れ」と伝えた結果、映司とアンクが共存できるまた別の未来に分岐する……という他の方の解釈も割と好きです。


この解釈で唯一不思議なのは、仮にそうだとしたら何故制作陣はそれをハッキリと描かずにぼかしたまま、映司の死というシーンで幕を引いたのかという点。
「明言するのではなく、明日のパンツを映すことで暗示するのが物語として美しい。成長したファンなら汲み取ってくれるはず」と思ったのか、それとも本編で「アンクは死んだまま希望は匂わすだけ」だったのを尊重してのことなのか……ここはまだ自分の中でも整理できていないところです。

また、同じ毛利脚本,田崎監督かつ本作の執筆の合間に入ったというSH戦記で「こんな舞台設定にしなければみんなハッピーなのに、登場人物を苦しめてるのは作者である俺自身だ」って話をやってたけど、あれは毛利さんの復コアに対する葛藤でもあったのかもしれないと考えるとまた面白い。
「俺には物語の世界のほうが辛い。でも物語の登場人物が、物語から逃げちゃ駄目なんだ!」……。

夏にはTTFCで『バースX誕生秘話』が配信されますし、各種インタビューなどで意図が説明される可能性もあるので、気長に待とうと思います。

 

二次創作

独自解釈で『復活のコアメダル』の脚本を書いてみた

86ma.hatenablog.com

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル 具体的感想

ひとつひとつの描写や展開について具体的な感想を綴ったものです。当然ですけどネタバレを含みます。

前編(否定的)

器に収まらない欲望の暴走『Vシネクスト 仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』 感想

ラストについてのみまとめたもの

『復活のコアメダル』のラストを受け入れるためのひとつの解釈

二次創作

独自解釈で『復活のコアメダル』の脚本を書いてみた

 

 

レジスタンス

・僕がミリタリー描写嫌いってのもあるだろうけど、あの"レジスタンス"っていう描き方がどうにも好きになれない。そもそも800年前の王に蹂躙された人たちの生き残りが抵抗するために集まってるんだと思うけど、なんでその一般人たちが私服じゃなくて迷彩柄の服とか着て戦ってるのか全然分かんなかった。そういうもんなの? オーマジオウに対抗するレジスタンスはまぁ、多分何年も苦しめられてる訳だからそういう組織化みたいなのがじっくり準備できるのは分かるんだけど、800年前の王が復活したのってどうやらそんなに前の話ではないっぽいからさ。ネット版でレジスタンス結成は映画が始まる直前の出来事だって言われてるし。 
武器とか支給してるのは財団としての鴻上ファウンデーションなんだろうから一緒に服も与えたんですよって言われたらそりゃそうなのかなとは思うんだけど。それとも別に一般人ではなくて、元ライドベンダー隊の人を集めたとかそれだけの話なのかね。


空気役:泉信吾

・完全にその設定忘れてたけど、警察だった頃の正義感や技術を活かしてレジスタンスの一員として活動しているらしい信吾さん……僕はぶっちゃけ本編における彼の扱いもまだイマイチ納得いってないので今作だけを責めることはできないんだけど、この人はなんでこんなに存在感が薄いの?
本編においても「親代わりとして育ててくれた優しいお姉ちゃんが(真木の才能を使えば稼げると分かったことで?)醜く変わってしまったので、そうなる前に終わらせるべきだと思った」って設定のドクター真木と、「親代わりとして育ててくれた優しいお兄ちゃんが突然グレてガラの悪い金髪男になってしまったけど、一緒に過ごすうちにこの性格の兄(アンク)も悪くないと受け入れられるようになった」っていう比奈との一致は偶然じゃないというか結構対比になってて、だからアンクって物語上は信吾とは全く別個のキャラだけど実は信吾の隠された一面を反映してる存在でもあるって意味でモモタロス的な存在なんだろうなと勝手に思ってて。
そうだとするならアンクのオチは伊達さんの「自分が死んでも残る何かがあればいい、後藤ちゃんが意志を継いでくれるなら」って話と絡めて、長い間アンクと一心同体で過ごしてきた信吾が、まぁアンクっぽい性格や見た目に寄ったりはしなくていいけど「アンクのためにも、助けてもらったこの命を精一杯生きる」みたいなニュアンスで"信吾の中に生きてますよ"っていうとこになるのが自然だなとなんとなく思ってたのよね。
でも実際は「アンクが利用する半死体(比奈が話に絡む動機付き)」っていう舞台装置以上の扱われ方は全然してなくて、これじゃエボルト(石動惣一)と大して変わらんじゃんって、今回見返して思った。キャラとして全く生きてない。

信吾本人の性格も描写が少ないとはいえ、というかむしろ少ないからこそなかなか面白いことになってて、1話では警察として化け物(カマキリヤミー)と応戦した結果殉職しかけ、41〜43話ではようやくアンクから解放されたのに散々体を人質として利用されていたことを悪く思ってないどころかずっと元気そうにヘラヘラ笑ってて、再び乗っ取られるときにも比奈に「大丈夫だから心配するな」と言い残し、今回も冒頭から仲間を庇って死にかけている。
……この人、映司よりよっぽど無欲で命知らずじゃないですか!?

真木姉や映司とのこうした"おいしい"共通点があるにも関わらず、結局それらが話として生かされることはついぞなく、本編と同様に今回の『復活のコアメダル』でも本当に空気だった。
比奈も比奈で「お兄ちゃんが帰ってきてないんです……」って話をしてたところにアンクが(信吾に憑いた状態で)やってきたって流れだったはずなのに、アンクが復活してることにだけ喜んで信吾についての言及は結局1回もしなった気がする。
「またお兄ちゃんの体を使ってるの?」とかなんか一言ないのかよって思ったけど、まぁ本編36話でも「アンクは信吾の体を危険に晒すと分かってるけど、それでもまだしばらくは憑いてていい」って、信吾よりアンクを優先してた(というのは正確にはちょっと違うが)しなぁとか思って。だからこの辺の話も「アンク≒信吾の一面」だと解釈するなら、割と納得できるんだけどね。


古代王の復活

・800年前の王……以下"古代王"がグリードと共に復活して世界はめちゃくちゃになったとのこと。ここはみんな説明がない説明がないって言ってるのを見るけど、正直これに関しては「また鴻上がやらかしました」以外の可能性が考えられないからわざわざ描く必要もないと思うわ。
1話の鴻上美術館でグリードが復活したのもライドベンダー隊の対応やケーキつくるのが早すぎることから十中八九は彼が意図的に(未必の故意的に)そうなるよう仕向けてたんだろうし、映画でもホムンクルスのノブナガをつくったり錬金術師のガラを復活させたり、未来でも懲りずにサメ,クジラ,オオカミウオなどのメダルをつくった結果、失われたメダルの力を借りてとはいえポセイドンに自我が芽生えてしまった訳だし。メダル絡みで何か起こったらほぼあいつのせいでしょ。
本編中では結局彼の目的ってはっきりとは明かされてなくて、ただ「映司/オーズを器として(紫以外の)コアメダルと大量のセルメダルを集中させることで、人間から進化した"神に等しい存在"を誕生させようとしている……らしい」ということが読み取れるぐらい。いや、それだけ読み取れたらとにかくヤバい奴だってのだけは間違いないんだけど。
その目的自体は最終回を経ても何も変わってる様子はなくて、映司は「どこまでも届く腕なんてなくても、仲間と手を繋げばいい」という思想に落ち着いてしまった以上は巨大な力を求めるメダルの器としてはもう使えない訳だから、その代わりとして一度は暴走したものの巨大な欲望を持ってることは間違いない古代王を復活させてどうにかこうにかメダルの器にできないものかとか考えたんだろう。そしたら案の定制御できなくて、仕方ないのでレジスタンス結成して倒しますと、そういう流れが僕には見えます。

 

動機は分かったけど、じゃあ具体的にどうやって復活させたの? という疑問が湧いてくる訳だけど、まず映像(30話)を見る感じ古代王の体は文字通りメダルの器……つまりグリード達が封印されてた箱というか棺みたいな"アレ"になったと見るのが自然だと思われる。
ぶっちゃけこの「暴走した結果古代王は石になって封印されました」って流れは「不思議パワーでアンク復活しました」「タジャドルのメダルはエタニティになりました」ってのと同じくらい意味分かんないんだけど、ともかくそういうことがあったらしいんだから仕方ない。まぁこうなることが予測できてた錬金術師たちが、オーズドライバーに元々そういう機能を付けてたのかなって思えばギリ納得できるくらい。
でもってその箱は、1話でグリードが復活する際にセルメダルとなって消えている。
大前提として、建物などの無機物だけでなく人間の体もセルメダルに変換することができるというのは本編において描かれていて、真木がグリードになってるのはもちろんとして、46話において完全復活したガメルが抱きついた人間をセルメダルに変えることでメズールを復活させようとしている。
以上の事実を踏まえて、質量保存の法則というものがこの世界にも存在するのなら、古代王の体は"封印の箱"になったあと"セルメダル"に変化して、グリードの体の一部になっていたことになる。そしてそのグリードたちの体を構成するメダルはドクター真木と共にブラックホールに消え去った後、40年後の未来に飛ばされてポセイドンと共に現代へ戻ってきた。ポセイドンを倒した後のメダルがどうなったかはディレクターズカット版を見ても描写はされてなくて、小説版や本作の映画では映司がコアメダルを使って変身していることから、元々そこにあったものとして現代に残されたのだと思われる。
……つまりあのときタジャドルとアクアの周りに散らばっていたセルメダルこそ古代王の体だったものであり、おそらく鴻上はさっき言ったメダル化された犠牲者たちを元に戻す方法を探すみたいな名目で10年間研究した結果、何らかの方法で彼の意識をサルベージしたのだと思われる。映司たちとしても、アンクのいる"いつかの明日"へ行くためには鴻上にメダルの研究をしてもらわなくちゃいけない訳なので、スーパータトバやサラミウオ以外のメダルまで未来へ返してしまう理由は特にないし。
"虚無の中"みたいな表現はセルメダルの中に溶けていたことの暗喩というか、その辺の設定をいちいち説明するとこんなに長くなっちゃうからふわっと説明するためのレトリックなんだろう。サルベージって表現をしたのはイメージ的に『エヴァ』のL.C.L化現象と重なる部分があったからなんだけれど、あれもデストルドー(死への欲求,無への回帰)の比喩だった訳なので虚無(虚無感)ってワードともそんなに相性悪くない。
メダルを使って世界をつくりかえる(ガラ)とか終わらせる(真木)とか神になる(古代王,鴻上)とか、根本的に『エヴァ』っぽい……というかいわゆるセカイ系的な設定なんだなとは本編見返してる時点で思ってたのでうまいこと脳内で合致した。

古代王の持っていたオーズドライバーやメダジャリバーに関しては、鴻上が新たに開発したものだと解釈してもいいし、ただ古代王があぁいうオーズみたいなデザインをしたグリードのような存在として復活したと考えても別にいい気がする。毛利さんの書いた小説でも仮面ライダーにそっくりなヤミー、仮面ライダーデスなんてのが出てきたし(※)。
プトティラメダルについては、どうやら『MEGA MAX』ではメダルが壊れてるから変身しなかったみたいな話がインタビューでされてるらしいんだけれども、劇中を見る限りでは明確に壊れたことが確認できるのは映司がギガスキャンに使った七枚だけであって、真木の中にあったメダルだと取るか、これまた鴻上の研究成果として新たにつくられたコアメダルだと取るかは自由だと思う。
まぁ映司を器にしようとしてたときにプトティラメダルが邪魔なんだよ……と嘆いていた訳なので果たして新たに開発する動機があるかと考えると微妙なとこだけど、実際映司はプトティラを宿しながらも暴走しなかった訳だし、何より"何かを誕生させる"ことにかけて鴻上が躊躇する理由があるとも思えない。万が一グリードが生まれて暴走した場合は抑止力にもなる訳だし、実際ビカソやゴーダメダルは開発に成功してる訳だから、技術的にはつくれてもおかしくはない。
ただ個人的には古代王の口調が明らかに小説版(鴻上とそっくり)と異なっているのが気になるので、真木と一体化していたプトティラメダルを吸収したことで人格が半分真木と同化した結果、あの上から目線なのに若干丁寧な言葉遣いの標準語になったのかなと思ったり。
※バースの章は伊達さんの書いた小説ってテイだけど、あくまで事実を元に脚色してるだけで全てが嘘ではない……ことになっている。本当に全部嘘だったら「オーズの過去,現在,未来を描く」っていう小説版のコンセプトが瓦解するしね。


オマケで復活したグリード

・グリードたちに関しては、本編や小説版では「不完全体だから相性のいいコンボを使ったオーズには勝てない」という描き方だったのに、見た目は完全復活してるにも関わらずプトティラを使う訳でもない古代オーズに頭が上がらないばかりか、映司が変身してた頃のオーズにすら勝てず映画開始時点でメダルを何枚か奪われているという話で根本的にパワーバランスがおかしいし扱いも雑なので、最初に見たときはグリードにそっくりだけど実は古代王が紫のメダルの力でコアメダル(無機物)にセルメダルを入れて生み出した"グリードという幻獣がモチーフのヤミー"的な存在なのかなとかなんとなく思っていたのよね。ヤミーだったなら、生みの親であるグリードに集めたセルメダルを自らの糧として吸収されてしまう末路は当然の帰結だし。
ただ鴻上がコアメダルの開発に成功していたのなら、割れたいくつかのメダルを補って10枚にし、再び1枚抜き取るというある意味正規の手順でまたつくられた可能性もゼロではないのかもしれない。
一番狡猾なアンクだけ……もとい恐竜グリードも含めて復活させなかったのは、単純に古代王が自分では御しきれないかもと思ったからなのかな? ……全てを手中に収めたい人間にしては器の小さな発想だけど。

なんか本編disばっかで申し訳ないけど、ぶっちゃけ本編でもアンク以外のグリード、或いは更に下のヤミーって割と散々な扱いだったよね。映司はアンクのことは復活させたいって思うくらい大事に思ってるのに、他のグリードのことは16話で「ちょっと……なんだか……(可哀想)」と言っていたにも関わらず、散々悪いことしてるから仕方ないとはいえ欠片ほどの容赦もなく淡々とメダル破壊するし。アンク以外のやつらは、どれだけ心を持っているかのように振る舞っていても所詮はただのモノ、メダルの塊に過ぎないっていうドライさが感じられる。
"いつかの明日"っていうのは、ヒューマギアにも権利が認められるようなイメージでモノに宿る八百万の神……まぁ要するにグリードたちのことだけど、彼らの存在が受け入れられる世界をつくるってことじゃなくて、単に一緒にいる時間が積み重なって仲良くなったやつ(いいやつって訳では決してない)だけは生きてていいけど、他のよく知らんやつはぶっ壊すっていう未来のことだったのね。ふーん、まぁ『オーズ』ってそういう作品だよな……って感じ。
グリードが欲望のままに生きれば、その代償として人間社会はめちゃくちゃになる。だから映司は人間社会の平和を勝ち取る代償として、グリードたちや真木を犠牲にするしかなかった。あのグリード4人の欲望まで含めて無責任に「素晴らしい!」と肯定してしまえるような器を持った奇人は、実際一緒の世界で暮らす訳じゃないから好き勝手言える我々視聴者を除けば一人くらいしかいないだろう。


アンクは復活させるべきだったのか

・人間が古代王に虐殺されようが知ったこっちゃないと言い切り、映司からの協力要請をバッサリ断るアンク……ゴーダ映司は「アンクらしいなぁ」って言ってたけど、この描写どう思いました?
僕はまず「それ見たことか」って思いました。そもそもアンクだって自分のことしか考えてないグリードという化け物な訳で、しかもそのグリードの中でも一番疑り深くて同族同士ですらなかなかつるむことができない生粋の自己中ときてる。本編の最後の最後までその目的は「自分のコアを取り戻して完全復活するだけでなく、他のグリードのメダルすらも取り込んで完璧な命を手に入れる」のまま揺らぐことはなく、気まぐれに比奈を助けるのだって流石に見殺しにしたら映司が面倒くさいって分かってるからってのが少なからずあったんだろうし。
本当に終盤になってからようやく少し変わってきた(映司を殺せない)ぐらいで、それまで芯の部分では決して人間に迎合することなく自らの欲望に従って生きているだけの"悪いやつ"なのに、映司と比奈は"一緒にいた時間"によって理屈じゃなく好きになってしまうというのが『オーズ』の肝、面白い部分だと思ってて、映司は利用してるってテイでずっとアンクという怪人の共犯者として完全復活の手助けをしてる構図なのよね。

アンクを利用して世界をグリードから守るってのがいいことか悪いことかっていうのはまだ議論の余地があるけれども、果たして無事平和になった世界でアンクを蘇らせようとするというのは許されることなのか? というのはしばらく思ってて……ファンの皆さん的にはどういう認識なんですかね。最終回でもう満足できたんだから復活したあとのアンクは人間に都合よく、完全復活して世界を飲み込みたいとかそれ以上の力を手に入れたいとか思わないで大人しくしててくれるだろうって解釈なのか、それともそういう欲望自体は持ってるけどアイスが欲しいとか映司と比奈くらいは流石に大切だって気持ちもあるから本編中のように損得勘定の結果としてなんだかんだ理由を付けて大人しくしててくれるってイメージなのか。
そもそも論として、アンクは死ぬことができたからこそ満足できたのに、メダルの塊として再び永遠の埋まらない欲望を持ちながら復活させられて嬉しいのか、それどころか「せっかく眠れたと思ったのに」と怒りはしないのかっていう論点もある。
MEGA MAX』におけるアンクは信吾の体を使ってないからなのか、アイスを食べてもおそらく味を感じなくて、何とも言えない顔をしていた。しかも40年後の未来から来たらしいのに一切老けていない。
それって本当に、アンクにとって幸せなことなのか? という。
理屈としては分かる。人間だって"確かな存在"では別になくて、ただ尊厳ある命かどうかっていうのは周囲からそう認められるかどうかって問題に過ぎないので、その意味で自分を命だと認めてくれる映司たちと一緒に過ごせてるうちはいいけど、彼らが死んだらアンクはどうなっちゃうの。
もし仮に"人間として復活"なんてことができるのであれば、人間社会からもアンクからも文句は出ないのかなって思うけど。……まぁ人工生命、況して人間を生み出すなんて倫理的にどうなのかって議論はそこでも有り得るし、だから根本的に"いつかの明日"って概念はどこかおかしいと思っていたのよね。
『エグゼイド』のように、人間社会そのものに改革が起きて「人間だって蘇ってもいいのかもしれない、新たな生命を生み出してもいいのかもしれない」っていう倫理観に辿り着く未来まで含めて言っているならともかくね。

そういう諸々の懸念を抱いていたら案の定「人間なんて知ったことか」「メダルを取り戻して完全復活するためなら協力してやる」って話だったから、最初に言った「それ見たことか」という感想になった。
ただまぁここにも解釈の余地は結構あると思ってて、別に本気の本気で人間なんてどうでもいいと思ってる訳ではもうないんだけど、だからって無条件にはい協力しますってのは勿体ないから、形だけ反対してアイスなりメダルなり交換条件として貰えるものは貰ってやろうという程度の打算なら、まぁかなり丸くなってて全然問題ないというか可愛いもんだとは思う。鴻上が本気でメダルの70%を欲していた訳ではないように、あくまで最初は"絶対譲らん"姿勢を見せるという交渉術としての演技なら。
……この話は終盤の方に続きます。


ゴーダという存在と映司の業

・映司の中にムカデ,ハチ,アリのメダルを入れた結果(?)生まれたのが、ゴーダらしい。元から"ゴーダメダル"というメダルとして鴻上がつくったものを映司に入れた結果グリードが生まれたからそいつにゴーダって名前を付けただけなのか、それともCSMで最初に商品化されたようなノーマルなムカチリメダルがタカコアやエタニティのように映司の欲望によって変化してゴーダメダルになったのかは分からない(覚えてない)んだけども、他の人のあらすじ解説を漁ってる感じ元は普通のメダルだったけど……みたいなことに言及してる人がいないので、作中で明確に変化するような描写はなかったんだと思う、多分。

仮に前者だとした場合まず鴻上が何故ゴーダメダルなんてものをつくったのかを読み解く必要があって、じゃあゴーダって何よと考えるとまず思い付くのはゴーダチーズで有名な土地の名前よね。僕はあんまり世界史には詳しくないので、小説における古代王の「元は小国だったが大陸のほとんどを支配した」という話を読んで、錬金術がどうのってのも西洋のイメージがあるしヨーロッパ旅行が云々って言ってたのもあって「あぁきっとイギリスのことなのかな」となんとな〜く思ってて、でもってこのゴーダがあるオランダも割と近くにあるヨーロッパの国だから「お、なんか関係あんじゃね?」と思ったんだけど、調べていってもこれと言ったヒントは見つからず……。
というところで僕、やっと気付きました。かなりの広範囲を支配した国ってもうひとつありましたよね、モンゴルが。大英帝国は世界大戦の頃にも出てくるからそれほど昔ではないのに対してモンゴル帝国……それもいわゆるチンギス・ハンがいたのは本当にドンピシャの800年前、西暦1200年辺りのことらしい。よくよく考えたらその古代王の子孫が鴻上なんだから、古代王がモンゴル人(というかチンギス・ハンその人?)だったなら日本人的な顔なのは納得がいく。日本人もルーツを辿ればモンゴロイドなので。砂漠を旅する映司も、遊牧民をイメージしたものなんだろう多分。
でもモンゴルに錬金術ってイメージないけどあったのかな……ってとこが不安だったけど、それこそまさに『鋼の錬金術師』に出てくる"グリード"はモンゴルっていうか中国から来たアジア人のリン・ヤオ(ちなみに王様候補)に憑依していたし、たまたま同じ名前なんじゃなくてどう考えてもアンクの元ネタこれじゃん。なんてことだ、あらゆる要素が綺麗に繋がっていく……き、気持ちえぇー! でもなんで今まで気付かなかったんだろう……。
ハガレン曰く中国のは錬金術ではなく錬丹術と言って似て非なるものらしいけど、まぁぶっちゃけ同じようなもんでしょ。要するに「昔の科学」だよね。モンゴル帝国がヨーロッパを侵攻していく過程で両者は多少混じり合う部分もあったのかもしれない。
ちょっと流石に脱線しすぎなのでゴーダに話を戻そう。地名のゴーダに関係があるかどうかってところで、800年前の王国がヨーロッパなら関係あるかもって思ったけど、ここまで辻褄が合う以上モンゴルでほぼ確定だと思うのでこの線は一旦ナシとする。唯一ガラが眠っていたドイツはどうやらモンゴルの支配下にはなっていないっぽいんだけど、ガラはどうも古代王と仲が良かったとは思えないのでモンゴルの外に逃げたとかそういう歴史があれば筋は通る……かも?

※訂正 色々調べると、800年前の王はモンゴル人ではないと思われる↓

特雑自説発表会 第1回(オーズ,クウガ,アバレンジャーetc.)

 

鴻上が自らゴーダという土地にちなんで"ゴーダメダル"という特殊な代物をつくったという可能性は低そうだとするなら、もうひとつの可能性である映司の欲望に反応してメダルがゴーダメダルに変化したのだと考えてみるとどうか。
一旦視点を作中から現実に戻したとき、最初に僕がゴーダという名前から連想したのは、これも『エヴァ』っぽいけど音楽記号のコーダだった。記号の意味としても"終わり"だし、エタニティとも対になるので完結編となる本作には相応しいと思われる。毛利さんが言っていた映司の業と終わりを意味するコーダを合わせた造語が"ゴーダ"だという仮定の元に話を進めてみる。まぁその名前をゴーダ本人が名付けたのかよって言われるとそれは微妙なんだけど、その辺はウヴァ(奪う),カザリ(飾る),メズール(愛づる),ガメル(がめる)も同じことなので目を瞑る。
ゴーダのセリフの中で一番ショッキングだったのは「(少女は)死んだよ、そういう運命だったんだ」みたいなセリフだろう。何より実際には少女は生きているのだから、こんな無神経な嘘さえ言わなければゴーダは正体をバラさずに済んだかもしれない訳で、そういう打算を抜きにしてポロッと口から出たからにはゴーダにとって何らかの重要な意味が込められていると見たときに、あの発言は少女に対してではなく、本当はアンクの死に対するものだったのかなと思う。復活させようなんて風に足掻くのではなくて、潔くそうやって死を受け入れてしまった方がいいのではないか……或いは"楽になれる"んじゃないかという、映司の中の迷い。
映司という人間は、本編序盤では「明日のパンツと少しのお金があればいい」という無欲なキャラクターだったが、アンクとか変わっていく中で段々"あまりにも大きすぎる欲望"の持ち主であることを露呈していく。序盤の無欲さというのは言わずもがな内戦地域の少女を救えなかったことに由来してる訳だけど、本人も"休憩中"と言っていた通り日本に帰国したのはどう考えても現実逃避なのよね。今このときも世界では多くの人が死んでいるかもしれないけど、平和な日本にいれば手は届かない代わりに視界にも入らない。そういう悲しい事実に直面することに耐えきれないから、いっそ見ないことにしよう、救えないものは諦めてしまおうという心理が彼の中にあって、無欲であることというのは彼にとってある種の"救い"だったはず。

「手にしたいものがない者に 眠れぬ夜はないんだ
 守りたいものがない者に この怖れなどないんだ
 握りしめることもなければ奪われることもないんだ
 失くしたって気付かぬ者からは 何も奪えやしないんだ」
億万笑者/RADWIMPS

尤も、そうやって逃げてきた日本であんな戦いに身を投じることになったのは災難としか言いようがない。ともかくそうしてアンクと一緒に戦っていく中で映司は元々持っていた抱えきれないほどの欲望を取り戻してしまった訳で、もちろん「みんなと手を繋げばどこまでも届く」というのは新たに得られた知見ではあったかもしれないけど、その綺麗事で果たして本当に世界から紛争をなくすことができたのか、救いたいと思った人を全員救えたのかと考えると、必ずしもそういうことばかりではないんだと思う。
なんせ「全員家族」だなんて本気で言ってのける人な訳で、ほんの少ししか関わったことがない人でも死んでしまったら家族が死んだのと同じくらい悲しい……そんな価値観で再び世界を巡る旅に出て、普通に考えたら正気を保っていられるはずがない。実際に小説版では、紛争地帯で結構長いこと暮らしている描写がある。手を繋いでいけば"いつか"は戦争も終わらせられるかもしれないけど、そんな一朝一夕にいくはずもなくて、結局はオーズの力に頼って"自分一人で"その国にある目ぼしい兵器を破壊して回ることで、話し合いの時間を稼ぐのがやっとだった。その後の話し合いで本当に解決したのかどうかは、我々は知る由もない。
10年の間に何があったのかは想像するしかないが、少なくとも今回東京では古代王によってあれだけの破壊(と殺戮?)が行われて、映司の知っていた人も大勢死んだかもしれない。しかもその元凶が仮に鴻上だったとするなら、メダルの研究協力員として映司がしてきたことはその片棒を担いでいたも同然……と言える。鴻上は全くもって悪びれた素振りを見せないが、それは前述の通りこれまでのやらかしでも同じことなのでそれを根拠に無関係だとはとても言えない。

また、アンクも似たようなことを言っていた通り「決して満たされることがない大きな欲望」を持ったまま生き続けることがどれだけ苦しいことなのか映司は10年間その身をもって感じ続けたのだろうし、そこへ更に後ろめたさも加わることで、本人は意識していなかったかもしれないが彼も神や仏ではないのだから、やはり心のどこかでは「諦めて死(終わり)を受け入れたい欲望」が大きくなったのではなかろうか。小説に出てくるアルフリードは、一応作中では勘違いという結論になっていると思うもののまさに「青年(映司)は死にたいと思っているのではないか(227P)」と指摘している。
毛利さんの言う映司の背負った"深い業"というのは、おそらくこの「満たしきれない欲望を持ってしまったこと」なのだと思う。だからこそ、"彼が満足できるハッピーエンド"などというものは原理的に存在することができなくて、仮になんの代償もなくアンクひとりを復活できたとしても、それであたかも"満足"したかのようにハッピーエンド風に演出して締めてしまったら、当時示された「俺の欲望はこれくらいでないと満たされない!」という彼の底なしの貪欲さというキャラクター性を否定することになってしまう。
「少女やアンクの死を受け入れて楽になりたい、"満足できる終わり"を迎えたい」という欲望を体現したのがゴーダというグリードなのだと考えれば、業+コーダという名前には納得がいくので、とりあえず僕としては「鴻上がゴーダメダルを映司の中に入れた」のではなく「映司の中に入れた結果"ゴーダメダル"というものに変化した」という可能性の方を支持したい。
この話も終盤に続きます。

ちなみに、途中まで「瀕死になった映司の中にゴーダメダルを入れたことで延命させた」もんだと思い込んでたけど、だとすると鴻上はどうしてそのことを黙っていたのかよく分からないので、延命処置になったのは結果論であって、実際は少女を助ける前から入っていて、映司が『ネット版』で「アンクを復活させる方法を見つけた」と言っているのは、自分の欲望からゴーダが生まれたという前例があったから同じ方法で可能だと思った……という流れなのかもしれない。元々は映司本人の意識とゴーダが、良太郎とモモタロスのように共存していたのだとすれば、映司が表に出していない無意識の欲望(少し歪んだ欲望)だけを司っているのには納得がいくかもしれないけど、ちょっとこれは見返さないと自信ないので保留で。


プトティラコンボ

・古代王がその身に宿しながら使わなかった3枚の恐竜メダル……まぁ彼が力として使用しなかったのはせっかくすべてのメダルを集めたいのにうっかり破壊してしまったらたまらないからってのもあるのかな。
不意を付かれたんじゃなくてわざと吸収されたからなのか、アンクロストに吸収されそうになるけど抗うっていう経験を既にしたことがあったからなのか、それとも他のグリードがヤミーだっただけなのかは定かではないけども、古代王の中でも自分の形を保っていられたアンクがプトティラメダルをゴーダに渡すシーンについて「本編では強大な力ゆえに掴むことすらままならなかったはずなのに」と指摘している人がいて、理屈はよく分からないけど確かにそんなこともあったなと。
ただもしこれが真木の意志が宿ったメダルだったとしたら(本編では真木の意識がメダルそのものに宿っているという明確な描写はないんだけど、体がセルメダルの塊になってる以上はそうなんだろう)、全く知らない古代王なんかに取り込まれているよりは、まだお互いの欲望をかけて戦い合ったアンクや映司に使われた方がマシだと思って協力したのかもしれない。敵だったキャラが味方になるときにありがちなやつ。


仮面ライダーゴーダと増殖するベルト

・日野さんは努めてヒールっぽく、嫌らしく見えるように演じているけど、ゴーダは別に"悪いこと"をしたい訳じゃなかったと思うのよね。古代王のメダルを取り込むときも「映司は暴走しなかったんだから俺でも器になれるよな?」と確認していて、少なくとも真木がウヴァを使ってやろうとしたように、暴走して欲望のままに世界を飲み込むことが目的ではなかったのが分かる。
もしかすると鴻上の思想通りに、器としては不完全な古代王からメダルを取り返して、自分が完璧な器,神となって「欲望による世界の再生(仮面ライダー図鑑より)」……『エヴァ』のサードインパクトのような方法で映司が満足できるような幸せな世界に作りかえようとしていたのかもしれないし、アンクをも取り込もうとしたことは映司の意志とはもはや無関係に暴走している(≒親殺しなので"仮面ライダーゴーダ")と捉えてもいいかもしれないけど、映司の中に「他者として手を繋ぐのではなく、またアンクと"ひとつ"になりたい」という欲望もあったのかもしれない……最終回のように。
どっちにしても「映司の欲望を満たしてやる」という言葉に、嘘はなかったんじゃないかなと僕は思う。

問題は映司自身がそれに対して葛藤を持っていて、拒んだこと。瀕死だった映司がゴーダを止めようと抵抗したのでゴーダは映司の体を分離するんだけど、このときまたオーズドライバーが確かに増えていて、仮面ライダーゴーダの腰に巻かれたベルトとは別に、ラストでエタニティに変身するためのベルトが映司の体の方に残っている。
まぁこれも僕は仮面ライダーデス,古代オーズと同じで「そういう見た目のグリードとして分離しただけ」なんじゃないかなと思ってる。まぁ本当にオーズドライバーが増えてるなら増えてるで、ちょうど3本になってるからなんか理由や意図があるのかなって思うけど。例えば、これで伊達や後藤もオーズに変身して、小説のように誰か一人がオーズの力で解決するんじゃなくて、何人かのオーズ同士が助け合う≒対等に手を繋ぐことができるようになった……とか。
まぁ、似たようなことは『将軍と21のコアメダル』のラストでもやってるしね。ガタキリバの能力を応用すれば増やすことは可能……なのかもしれない。


バースXの活躍

・「ババンババンバン、バースゥ〜www」
気にするなって言われるかもしれないけど流石に初めて聞いたときはバカにされてるかと思ったね、この音声。オーズのコンボソングも、子供だったから"そういうもん"と思えたけどいい大人になってから聞かされてたらそう思ったのかもしれない。
この時点ではもうグリードも残ってないし屑ヤミーも確かいなかったと思うから、記憶違いじゃなければ確かに誰一人として撃破できてなくて扱いが悪い……とも言えるかもしれないけど、まぁ多分制作陣的には「タジャドルエタニティが生まれるまでの時間を稼いだんだから十分大事な役割でしょ?」みたいなつもりなんだと思う。僕はあんまり戦績とか気にする人じゃないので、どっちでもいいんだけど。


タジャドルコンボエタニティ

・アンクが映司の体に憑依したことで精神世界での会話が始まる……まぁ今の映司よりは回復してた信吾とはそんなことしてなかったやんとは思うけど、単純にそれをするかしないかは憑依してるアンクの匙加減なんだろう。もしかすると描かれてないだけで、精神世界で信吾からずっと説得を受けていたから少しずつアンクも人間に寄っていった……みたいな裏設定があるのかもしんないし。だとしたらそれは描けよ! って思うし、小林靖子さんの言う「本編をアンク視点で描く」物語では描かれた……のかもしれない。
「死ぬ間際に願ったら割れたタカコアが戻った」「思いを込めて握ったらメダルがエタニティ仕様になった」みたいな"ロジックのない奇跡"はご都合主義だって言う人も結構見たけど、それ言い出したらアンクの「タカ! クジャク! コンドル!」コールとか、そもそもなんでタジャドルだけオーラングサークルが特殊だったりタジャスピナーとかいう専用武器が出てきたりタカヘッドが通常のものからパワーアップしたりするのかってこととか、「属性は不揃いだけど800年前の王が初めて変身した組み合わせだからタトバはコンボなんです」とかだって理屈別にねーじゃんと思うんだけどね。なんで現代の技術で再現できないコアメダルの製造なんて異形を800年前の錬金術師が成し遂げてるんだってこともあるし。
まぁタジャドルだけが特別なフォームである理由っていうのは「他のグリードと違ってアンクだけは自分の意志でオーズにメダル貸してるから、秘められた力を最大限引き出せる」のかなって、今回見返してて思ったは思った。
一応、仮に800年前にいたグリードは本来みんな並列な存在だという前提が間違ってて、「不死の象徴である火属性のタジャドルと、既に絶滅した氷属性のプトティラ」という対極の2組だけは他の4属性と違って元々別格の存在だから専用武器があるっていう可能性もある。メダガブリューは他のコンボの力を使えるのにタジャドルのコンボソングだけ入っていない(詳しくは玩具を参照)ことと合わせて考えると、ロストブレイズによって突然できたブラックホールも、本来ならあり得ない奇跡の必殺技だったからこそ相反する力がぶつかりあって生まれたものなのかもしれない。本来なら相容れないから、アンクが恐竜メダルを掴めなかったように弾き飛ばされるはずが、そうならなかったと。
どっちにしても結局「映司とアンクが力を合わせることによる奇跡」は起きてる訳で、今回の復コアだけが特別に設定を無視している……というのは、ちょっと本編を神格化、もとい思い出補正かけて見すぎなんじゃないかなと思う。


映司の死と、アンクの復活

・一番賛否があるのはここな訳だけど、まぁ見る前にこの情報を入れたときにまず思ったのは「『ジオウ』剣編でビターエンドをハッピーエンドにしたら、台無しだという声が結構あった」ことを踏まえての、この展開なのかなということ。毛利さんは剣編こそ書いてないけど『ジオウ』のサブライターだったし。

という前置きをした上で本題に入るけど、さっきゴーダは映司の自殺願望の表れなんじゃないかという話をしたので、「もしそうなんだったらゴーダを否定して倒した後に映司が死ぬのはおかしいじゃないか」と思った人がいるかもしれない。
結論から言うと僕は映司が死んだとは思ってない。というのは、"死,終わりを受け入れる"ことがアイデンティティ(死んだよ、そういう運命だったんだ)なゴーダを倒したというテーマ的な側面からもそうだし、タジャドルコンボ"エタニティ"という名前なんだから永遠になったんだろうなという素朴な感覚としてもそう思う。それに、エンドロールでこれみよがしに映されていた"明日のパンツ"……一見よく知らない人からすれば墓標に見えるかもしれないけど、あれは「今日をちゃんと生きて、明日へ行くための覚悟」の象徴なんだから、本当に死んでる訳がなくない? 『MEGA MAX』を意識してるのは言うまでもないんだから、そのセリフだけ聞き逃してるなんて有り得ない。

映司が選んだのは「アンクの中で一緒に永遠を生きる」という道。まぁ伊達さんの言ってた「自分が死んでも意志を継いでくれる人がいればいい」ってのと似ているようで、若干違うと言えば違う気もしてる。
映司はアンクの中に宿ることで「一生満足することのできない欲望」を抱えたまま、グリードのように生き続けることを選択した。その深い業とやらを永遠に背負い続けるのは単にアンクひとりだけをそうしないという『剣』的な理由も勿論あるだろうが、そうすることによって「いつかは来るかもしれないけど、一朝一夕では実現できない大きな理想」……世界中の紛争を止めたり、最終的にはもしかすると誰も死ななくていい世界になったり、そういう"手を繋ぐ"だけでは生きてるうちに叶えられなかったはずの欲望を、アンクの体を使って永遠に手を繋ぎ続けることで、現実のものにしようとしているのだと思う。
アンクひとりだけの復活などで妥協して満足するのではなく、本当の意味で全ての欲望を叶えたかったからこその半グリード化……これはアンクにとってもメリットのある"契約"だったはずで、これは映司とアンクのどちらかが得をしたり犠牲になったりする訳でもない、正真正銘のギブアンドテイク。

アンクが本当にただのグリードとして復活したんだとしたら、さっき言ったようにアイスの味も感じられず満たされないまま永遠に生き続けるというあまりにも救いがなさ過ぎるオチなので、これは解釈として却下。だとするならもう有り得ないけどこれしかなくて、アンクは五感を感じることのできる人間とほぼ同等の存在でありながらグリードとしての不死性も持った、本当の意味で"完全な命"を手に入れたんじゃないかと思う。
それはアンクが本編の最初から欲しがっていたもので、途中映司を裏切って真木につきメダルの器になってでも叶えたかったものだったはず。
本編の最終回では本来の願いを"妥協"することで"満足"できるという、人間と同じような逆説的でアンビバレントな境地に達した訳だけど、映司は「お前が本当にしたいことなら……」と言いつつもその結果を受け入れられなかった。だからこそ、本当はそんなこと望んでいないかもしれないアンクを復活させるにあたって、映司は「死によって感じられたものを超えるほどの満足」をアンクに与えなければならなかった。


そういう意味で、人間の価値観に近付いて人間に都合よく丸くなった後だけじゃなくて欲望の化け物だった頃のアンクも含めて尊厳を認めているからこその「五感を持った上で永遠に生きられる人間とグリードのどちらでもある体」をプレゼントするという結論であって、そのために映司は自分の人間としての生命エネルギーを全てアンクに注ぐ必要があったと。
良太郎とモモタロスのように映司とアンクの意識がひとつの体に共存してると言うのともまた違って、ほぼ完全に融合してしまって互いが互いを認識できない状態なんだと僕は思う。まぁ本当にこの辺はね、これから先もう新作がつくられない以上はどうとでも好きに妄想できるところなのでいつも通り好き勝手に解釈させてもらうけど、根本的に今回のアンクには冒頭からずっと違和感があって、前回の記事でも言ったけど「やたらよく喋る」し、それ故に状況を把握できなくて困惑したりと「変に人間っぽい」のよ。「信吾の記憶を見ないのは脚本の都合で設定を無視して動かされてる」と言ってる人もいたけど、人間的な感性を持っていたからこそ記憶を覗いた上でも「とても信じられない、受け入れられない」と思って不安だったから、或いはそもそも動転していて記憶を覗けばいいということに思い至れなかったから、ひたすら周りに説明を求めていたのかもしれない。
この違和感を単に"出来の悪さ"として切り捨てることもできるけど、「兄を人質に取るようなどんなに憎らしいやつでも、一緒にいる時間が積み重なれば受け入れられて大切な存在になる」というのが『オーズ』のテーマだった以上、今回発表された新作に対しても「たくさん見て違和感があるところにも慣れて、受け入れる」という態度を取るのが理想的な姿なのかもしれない。
そういう意味で、アンクが全然アンクらしくないという欠点は「人間である映司と一体化したことによる副作用」だと解釈することにしました。だって素のアンクが正直に「再会を喜ぶ」なんて表現するはずがないし。

アンクが映司に「なんでそんなことした!」って怒るシーンも、最初は「最終回での自分の思いを無駄にしやがって!」っていう本気の思いを感じて、今回の映画のアンクの中だと唯一くらいに感情移入できたシーンなんだけど、冷静になってよくよく思い返してみると、あのときアンクが"したかったこと"って、映司がまたプトティラを使ってグリードになってしまうことを防ぐためにタジャドルに変身させたかったってことのはずで、映司が本当にその思いを"裏切った"んだとしたら、それは「人間として死期を迎える」ことじゃなくて「不死身の怪物になる」ことの方なんじゃないかと思って、だとしたらあのときアンクがキレてたのは映司が自分と一体化して不死身の怪物になってしまったからだと考えた方が筋は通るかなと思った。もちろん人間としての映司が死んでしまうことは悲しいんだろうし、そこは感情として共存できる、人間なので。まぁ勿論「なんで復活させやがったんだこの野郎」っていう可能性もなくはないんだけど、本当にそのつもりで言わせてるんだったらこんな作品つくる訳はないし。


前提として、特に『平ジェネFINAL』の客演におけるアンクは終始"映司の欲望の対象物"でしかなくて、アイスが食べたい以上の自分の欲望を発露することもなく、そもそもセリフ自体が少なく、ただ彼を気持ちよくするための"お人形さん"だったような印象を受けていたのよね、僕は。
だからこそ、本当の意味で復活させることが命題だった今回の映画では「よく喋る、きちんと自我を持ったアンク」を描く必要があったのかもしれないなと。
逆に『MEGA MAX』のアンクは、特に水が苦手だというミハルを馬鹿にしてケタケタと笑うシーン……馬鹿にするのはアンクらしいけどそこまで感情を露わにするか?っていう意味で今作と同じような違和感があったのよね。あれも今回と同じで人間としての感性があったからあんな表現になった、という再解釈もできるのかもしれない。
前述した「アイスを食べてなんとも言えない顔をしていた」シーンも、味を感じなかったんじゃなくて味を感じたからこそ「本当に映司はいなくなって、自分と一体化してしまったんだな……」という意味で感傷に浸ってたのかもしれない。
まぁ『MEGA MAX』ではエタニティじゃなくて普通のタジャドルだったんだから今回の映画とはパラレルですって言うこともできると思うけど、エタニティになってないコアもあるんだとしたら別に矛盾はしないし。最後のギガスキャンのシーンで3枚以上出てきたときにエタニティだったかそうじゃなかったかまでは一瞬すぎて見えなかった。バースXのビカソメダルみたいに、意思は生まれてないメダルとして新しくつくることも不可能ではないしね。

比奈が「欲張らない」のは、この辺の映司がどういう思い出その決断を下したのかって話をきちんと説明しようと思うとめちゃくちゃ難しい話になってしまって絡め辛いから「どうせ結論としては納得してくれるのでいっそ描かない」ということにしたのかなと思えば、まぁ。

 

 

…………以上が、落ち着いた状態で中立的かつドライに「こういう解釈の仕方もあるかも」と考えてみるといういつものスタイルでじっくり考えたときの、僕の『復活のコアメダル』に対する感想です。「くそつまんねぇ」という観たときの感想が消える訳じゃないけど、それを自分なりに消化して納得することはできたかな。まぁまた見直したら「相変わらず安っぽい作品だなぁ!?」って思う可能性は否めないが。

 

記事を書くにあたって、あらすじを振り返るのに↓の記事、

仮面ライダーオーズ(映画2022)ネタバレあらすじ感想と結末解説。10th復活のコアメダルでのファンが待ち望んだヒーロー復活とは⁈|邦画特撮大全107

そして他の人の感想として↓の記事を参考にさせてもらいました。

【ネタバレ感想】オーズ本編を全否定する映画「復活のコアメダル」|fujika_san|note

86ma.hatenablog.com

器に収まらない欲望の暴走『Vシネクスト 仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』 感想

見てきました。本当は見る予定がなかったのでネタバレとかも普通に知ってたんだけど、周りの反応を聞いてくうちに気になって、本編,映画,客演,小説と全部見返してから行った。
公開から1ヶ月近く経つけど、もしまだ見ようか迷ってるけど見ていないという人がいたら、個人的には"映画館で見る"ことをおすすめしたいです。エイプリルフールの時期だし、騙されたと思って騙されてください。

以下ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体的に安っぽい

なんで見た方がいいかっていうのは後述するけど、第一印象はとにかく「くそつまんない」だった。
映司が死ぬっていう大まかな展開は既に知っていたので、それをどのように自分の中で理解,解釈,納得するかって視点で散々復習した上で、実際の描かれ方からその展開がどういう意味を持つのかを確認しに行ったんだけど、そういう理屈はもう二の次,三の次だった。内容の吟味は落ち着いてやろうと思えば後からいくらでもできるので、ともかく前半は「なんだこれ」って思った熱をそのまま書くこととする。
事前に想像してた通り、絶対元々TTFCで展開する予定の作品だったんだろうなというのが予算的な意味でもひしひし伝わってきて、とにかく安っぽい作品だった。賛否がどうこうアンク復活と映司の死が云々より、一番最初にまずそれを言わなきゃ話にならない。逆になんでみんなが冷静にストーリーについての話をできてるのか理解できない。やっぱ初見だとそっちのインパクトで誤魔化されるのかな、だとしたらネタバレ見てから見に行ったのは間違いだったかもな、ちゃんと驚いてあげればよかった。
本当はね、感想も書きたくなかったんですよ。この作品は、真面目に話をする価値がないと思ったから。TTFC限定スピンオフも『RTシノビ』『ブレン』『グリドンvsブラーボ』『スペクター×ブレイズ』と色々増えてきたけど、あの辺の作品について通常の映画並みに熱く語ってる人いないでしょ。
大して描く話もないから、とりあえず新ライダーや新フォーム出すだけ出して「とにかく見てください!」って言う感じの空気感……伝わるかなぁ。普通の劇場版でこんなに新フォーム大盤振る舞いすることってなくない? 流用してるとはいえ古代オーズ,ゴーダ,バースXにタジャドルエタニティで4つってかなり多い。
例年の劇場版やVシネなら敵ライダー1体と劇場版限定フォームがひとつあるくらいで、『100の眼魂』とか『Over Quartzer』みたいな例外もあるものの割とひとつひとつが凝ってるし見せ場もきちんと用意してくれるんだけど、今回はあまりにも量を出し過ぎで下品だなとすら思ったのよね。その予告の時点から安っぽい印象は抱いてたので、単なる先入観でものを見てる可能性は否めないが。

映像面でも正直僕は満足のいくシーンがほぼなくて、どう見ても3人しかいないガタキリバなんかもう言うまでもないけど、どこがって訳じゃなくもう全体的にこれまでの映画やVシネと比べて見劣りする印象だった。荒廃した世界っていう設定だから仕方ないのかもしれないけど、ロケーションの見え方がどこも似たような感じで代わり映えがしなかったってのもあるのかなぁ……? むしろそういうとこでしか撮れないから逆算してあぁいう設定になったのかもしれない。
何より、あの一番大事なエタニティ活躍シーンですら正直金はかかってるように見えなかった不思議。他のシーンと比べたらよっぽど迫力あって良かったけど、ワンパンマンとかもっと酷く言うとうごメモみたいだったというか。
素早く、ある意味で雑に描くことで勢いや迫力を出すタイプの工夫が施されてるように見えて、あれも結局安っぽいなって僕は思っちゃったんだけど、見る目がないだけで実はめっちゃ手が込んでたりするんだろうか。

作品としての規模というか"器"みたいなものが、あれらTTFCのスピンオフとほぼ同レベルか毛が生えたくらいであって、これまで展開されてきた劇場版はおろかVシネマ作品たちと同じ温度感で見ようとするとどうしてもバカバカしくなってくるので、感想記事を書くのが「れっきとしたひとつの作品」として認めるみたいでイヤだった。大真面目に批判する価値も感じないというか、見なかったことにして黙殺するのが一番いいタイプなんだけど、後述する理由で無視するのもよくないと思うジレンマ。
本作を見るうえで予習しておくべきは、オーズ本編じゃなくて過去のそういうスピンオフです。本編や本物の映画と比べたらどう頑張っても見劣りするけど、『仮面ライダーブレン』とかの系譜だと思ってみたらマシに見えると思う。まぁ僕は『ブレン』結構好きなんだけど。不必要に風呂敷広げるでもなく、分相応な範囲で割といいテーマ扱ってるので。

 

セリフが説明的すぎ、アンク喋りすぎ

描いてる内容を理解する前に、描き方に違和感があるのでそこまで頭が追いつかないのよね。よくある感覚として一番近いのは「演技が下手くそで内容が入ってこない」かな。
別に本作の役者さんたちが直接下手だって訳ではなくて、演技にブランクのある方々も立ち居振る舞いはそれほど当時のイメージを崩さずにやってらっしゃったと思うんだけど、唯一アンクだけは乖離が激しくてちょっと見ていられなかった。初っ端の蘇るモノローグからして「なんだァ……どういうことなんだァ……」みたいな無理に低くした声がやけにジメジメしてて(当時のアンクはもっとカラッとしてるというか、ドライだった)、その発声自体は割とずっと続くから本当に違和感が強くて、そりゃあ10年も経ってる訳だから声や顔が変わるのも仕方ないってのは当たり前だし、そこんとこにとやかく言わないのはみんな大人だからなんだろうけど、僕が一番良くないと思ったのはやっぱり細かな"セリフ回し"……だから要するに、脚本の仕事だよね。

根本的な話、インタビューでも言われている通り概ねアンクの視点で話が進むんだけど、これがもう全ての元凶かもしれない。
アンク役の三浦さんの声が思ってたより変わってたのは誤算だったのかもしれないが、そもそもアンクってそんなにべらべらよく喋るキャラではないじゃん。毛利さんの『小説 仮面ライダーオーズ』も読んだけど、あれの悪いところがそのまま映像化されてた感じだったね。いちいちセリフが多いんだよ。
おぼろげなまま話すけど、冒頭で決定的に変だなと思ったのは「世界はどうなってる? ……おい! 説明しろ!」みたいなセリフ。1回訊いてるんだから、2回目は「おい!」だけで伝わるじゃん。なんなら「世界は」って部分もなくていい。訳も分からず復活して、更に世界が荒廃してて……って状況なんだから「……どうなってる?」だけで言いたいことは分かる。「気安くアンクって呼ぶな」ってのも聞いててタルかったなぁ……「気安く呼ぶな」でいいだろ。
あとあれね、鴻上がアンクに「使いたまえ」ってメダルを渡した直後に「使ってやる」って言うとこも「はぁー?」ってなった。「あぁ」とか「フン」とか、或いは何も言わずに軽く睨みつけてから受け取るとか、そんなもんだろアンクは。

確かに小説だったらまだ話も別で、映像で伝えられないぶんすべて地の文やセリフで、つまり言葉で説明しなきゃいけないことがたくさんあって、うまい小説家とかなら言いたいことを伝えつつぼかすテクニックとか持ってるのかもしれないけど、そうじゃない人がいきなりそれを目指して何も伝わりませんでしたってなるのは一番危ないので、説明し過ぎて無粋な感じになるのは一種仕方ないことではある。
だから小説は我慢して読んだけど、なんで映像でも同じことやってんのよ。何でもかんでもセリフにして、表情とか演技で見せるってことがほぼない。
とにかく表現が安直でかったるい説明ゼリフが多過ぎて、これで「子供も見る映画なので分かりやすくしました」って言うんならそれも仕方ないなって思うのに、監督は「(当時の子供も大人になってるから)映司とアンクに起こったことを理解し、受け入れてくれるんじゃないかと思いました」と言っていることからも明確にメインとして想定してるのはある程度以上の大人だよね、だったら言い訳にはならない。マジでずっとバカにされてる気分だったね。

この"アンク視点"と"説明ゼリフ"と、最初に言った"声変わり"の3つが相互作用をして、全編ずっと違和感だらけで全くストーリーに没入できなかった。
だから三浦さん個人が悪いという訳では決してないし、翻して脚本だけが悪いと言うつもりもない。監督にしろ役者にしろ、アンクはこういう言い方しないだろうなって思ったら現場で変えればいいんだから。
ちなみにアンク視点で話をつくるというのは小林靖子さんのアイディアの一部を参考に抜き出したものらしいけど、僕にとってはあまり関係なくて誰のアイディアだろうが変なものは変だった。この違和感については後日出すかもしれない後編(そっちではいつも通り落ち着いて解釈とかする予定)でも少し触れます。

 

結局表面をなぞっただけでは

作品自体が薄っぺらいので、薄っぺらい話ばかりになってしまうのは勘弁して欲しいんだけど、とはいえ一応ストーリーの方にも触れておくかぁ。
以上に挙げたような表面的なモヤモヤが積もり積もっていたので、肝心のストーリーに対しても、事前準備の段階では色んな擁護の仕方を考えてて否定する根拠の方はあまり考えずにいたのに、もう完全に冷めちゃってて「アホらし」と思いながら見ていた。
『オーズ』と真摯に向き合った結果として導き出されたこれしかない結論ですみたいな雰囲気を醸してるけど、単に小林靖子のモノマネしただけなんじゃないの? っていう……。

まぁまずゴーダ周りは『電王』っぽいよねというのは言うまでもないとして、残酷な展開(笑)は『アマゾンズ』意識なのかね、知らないけど。ゴーダが変身したオーズがプトティラになるとこと、あと確かウヴァをいじめるとこで流れてた戦闘BGMもどことなくゾンズの劇伴っぽかった。
映司が死んでアンクが看取るシーンとかどう見ても『龍騎』49話のパクリだった。まぁ僕はあの展開あんまり好きじゃないので特に神格化もしてないんですけど、要約すると「俺は女の子を助けて死ぬけどお前はせめて生きろ」と願いを告げるって、もうまんまじゃん。元々映司の設定はそこを意識してつくられたんだとしたら、当然っちゃ当然なのかもしれないけど。
確かに小林さんのライダーって真司と鷹山と千翼は死んだし、良太郎も死んでこそないけど子供になったかと思えば存在すら出てこなくないのが通例化してる(良太郎が出ないというよりイマジンが出過ぎなだけだが)から、小林靖子のライダー主人公ならいなくなるのは当然の帰結だろうとでも思ったのかね。

ともかくこの記事で書きたいのは「ちゃんと復習して色々考えて準備したのに、それが全部バカらしくなるような作品でした」ってことで、実際スタッフがどんなに深いことを考えてこの作品がつくられたのかは知る由もないけど、少なくとも色んなノイズのせいで伝わってこなかった、そもそも考える気が失せたのでただ浅はかだなとしか思えなかったというのが結論。

 

尺がないのではなく意図的に切ってる

事前の感想で「尺が足りない」っていうのをよく見たんだけど、1時間ってVシネとしてはごく普通だし、実際いくらでも補完しようと思えばできるTTFCの『ネット版』にしても、4,5分ってのは1本の長さとしては従来通りだけどそれがたった2本ってさ。
そもそも本当に尺が足りないなら回想シーン削れよって僕は思った。ファンじゃない人が見に来る前提でつくんなくていい企画じゃん、仮にも"完結編"でしょ? その辺はみんな分かってる上で、本作は何を提示するのかが本題のはずなのに。
これは完全に僕の妄想ですけど、「元々TTFCで配信する予定だったけど映画に繰り上げになったので予算と尺を少し増やします、TTFCでは代わりにこれでも配信しといて」みたいなやっつけ仕事に感じた。
っていうかやっぱ、撮影する予算もなければそうまでして描きたいこともあれ以上はなかったんじゃないかなぁ? 散々「セリフがタルい」って話をしたけど、あれがもし尺稼ぎをしてるんだとしたら色々納得行くもん。ダラダラ引き伸ばして、回想でお茶を濁して、ドラマにしたって比奈をちゃんと絡めようと思ったら47話の「映司くんとアンクちゃんどっちかは戻ってくるなんて、そんなの認めちゃ駄目よ。(中略)映司くんもアンクちゃんもお兄さんもって、ちゃんと欲張れるのは比奈ちゃんだけよ」辺りの扱いが難しくなるからもう脇役でいいや! 今回は映司とアンク、"2人"の物語です! って割り切ってるし。「○○と××と△△」っていう、3つのファクターが重要な作品であるにも関わらず、だよ。「映司くんは女の子を助けてから行方不明なんです……」じゃないよ、それが見える場所にいたのにあんたら手を繋がないで何してたのよって。まぁ今回はゴーダが3人目なんですって言われたらそうなのかもしれないけど、その癖エンドロールではちゃっかり、映司とアンクと比奈の3人がキーマンになってる本編のオープニング映像そのまま流用してるし。

 

せめて明日への踏み台になってくれ

ただのスピンオフとしてやるはずが役者やスタッフのやる気だけが異常に暴走して、予算的にできる訳がない分不相応な企画(スピンオフに留まらない完結編)に手を出した結果があの出来って感じに見えた。何も知らんけどそうでもないと納得がいかない。
やりたいことを成せるだけの"器"がなかっただけでやる気があったのは本当らしいので、まずは「映画館で金を払って見る」、その上で「こんなもの見れたもんじゃねぇ」とぶっ叩く……そうすることで「こういう企画を映画でやろうとすれば客は集まるので、もしやるならきちんと予算出してガッツリつくるべき」と思って貰って、これから他の作品で面白い映画がつくられることに期待しないと報われない。
多分だけど、東京国際映画祭だかなんだかっていう大層な場で大々的に発表しといてこれかよって部分もあるにせよ、ある程度は誇大広告してでも客集めて稼がないと次に繋がらないから、その辺は向こうも分かってて敢えて必要以上に期待させる意図というか、そういう必要性に駆られてたんじゃないかなとは思うんだけど。完結編のはずなのに初見でもなんとなく分かりやすいように説明ゼリフや回想多めで組み立てるのも、そういう新しい試みの第一弾として課せられた命題だったのかもしれない。

当たり障りないスピンオフではない作品を割と時間経ってから映画でやるっていう今回のチャレンジは、せめて後年へのいい踏み台になって欲しい。
仮面ライダー40周年記念の『レッツゴー仮面ライダー』で先輩たちからバトンを受け取ったライダーとして未来への礎を築いてくれるのであれば、僕はこの作品の誕生を祝えると思う。

 

後編(肯定的)

『復活のコアメダル』のラストを受け入れるためのひとつの解釈

二次創作

独自解釈で『復活のコアメダル』の脚本を書いてみた

86ma.hatenablog.com

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン3話「あかりどろぼう」 感想

・介人が読んでる本、これまでは初恋ヒーロー以外は謎の本ばかりだったけど、今回は「全開〜」というタイトルが見切れている。前回はるかとの会話で「全力全開……なんだそれ?」って言ってたので、真に受けるならそれがきっかけで調べ始めたとか……いやでも、普通に変身するときゼンカイって単語聞くはずだから、知らないことはないよな。保留。

 

『恋せぬふたり』でも使われていた? お屋敷で空想の酒を飲むサルさん。いわゆるプラシーボ効果というものがあるけど、アルコールだって一種の薬品なんだから思い込みによって酔うことは有り得る……というかノンアルコール(少し含む)で普通のお酒と同じくらい酔うとか、本当にアルコール入ってないのに酔うとか、そういう現象も実際あるらしいので、きちんとした知識に裏付けられた趣味なんだろう。
とは思うけど、サルさんが酔っ払いたくて酒を飲んでるともあまり思えないので、どちらかというとお酒の味を嗜むことに主軸をおいてるような気がする。その場合プラシーボみたいなそれっぽい理屈はなくて、ただ本当に「その気になってる」だけってことになるけど……。
「思い込めば現実になる」というのがおそらくドンブラ世界の基本原理であるという仮定に経てば、何もおかしなことはないんだけどね。だからほとんどのキャラクターはドンブラザーズになるまでは割と順風満帆な生活を送っていて、はるかは漫画家として大成、キジさんは職こそ平凡だけど幸せな家庭があり、サルさんは働かなくても周りの人から恵んでもらえるヒモ生活。分相応というか、"自分はここまで幸せになれる"という自信に見合うだけの幸せが割り当てられるのがこの世界のシステムなんだろう、多分。

愛されニートとフードロス

・貰いもので暮らす無職のヒモっていうのは、現実ではともすればクズだとか言われかねないけども、僕は時代に合っててすごく好き。詳しく知りたい人は岡田斗司夫の愛されニートって概念についてYouTubeで調べれば出てくると思うけど。
サルさんはあんまりプライド高そうではないよね。英語ではどうか知らないけど、少なくともカタカナでプライドと書いた場合は「自分で自分の自由を制限する信条」みたいなニュアンスが強く出るんだけど、その意味で自由人であるサルさんはプライド高くない。ニートではなくきちんと人並みに働かなければならない、貰いものではなく自立した生活をしなければいけない、こんな安っぽいおでんが食えるか……みたいな観念は持ち合わせていなくて、でもその一方で気位というか、自分に対する自信はかなり高い方だと思われるのが面白いところ。
知識や俳句などの自分の価値に揺るぎない自信を持ちながら、だから自分は偉いんだとか、その偉い身分に見合う振る舞いをしなければいけないとかそういうことは思わず、ただ流れるように"ありのまま"生きる。貰いものはありがたく食べるし、多分服とかも買ってもらったらそれを着るし、ともかく今あるものに自分を合わせるタイプな気がする。仮に貰ったものが気に入らなかったとしても、なんだかんだうまいこと言いくるめて相手を不快にさせずにことを収めそうだし。

っていうか、悩み相談する方も結構いい感じに教授を利用してるのかもしれない。うちはご近所さんとか親族との関わりがほとんどないので無縁だけど、知り合いは割と実家から何か送られてきたりとか近所の人からお裾分けされたりとかで、食べきれずに困ってるみたいな話をよく聞くし、実際僕もそれで色々貰ったりしてる。
たけのこにしろみかんにしろ劇中のじゃがいもにしろ、たくさんありすぎて処理に困ってるものをニートにあげて、そのついでに悩みも解決してもらえるってなったら、そりゃ地域で噂になって人気者にもなるかもしれない。
ベーシックインカムより先に、フードロスの削減ついでに全国のニートに食べものを配った方がいいんじゃないか? 世界中の恵まれない子供には届けられなくても、日本国内の近場ならやろうとすればなんとかなるでしょ。

 

暴力を振るうだけがヒーローじゃない

・1話の中で2回戦闘シーンを入れようっていうなんとなくのノルマがあることは知られているけど、それを拡大解釈して戦闘はしないけど変身だけしておけばいいって描き方はなかなか面白い。特に本作は「敵を殺さない」ことを意識して描いてることもあるし、何も暴力を振るうだけがヒーローの役割じゃなくて、あぁいう日常的な人助けに使ったっていいじゃないというのはテーマとしての一貫性もあるしとても好き。
分かりやすい分類なのでよく引用するけど「ドライブは人を助けるライダー、マッハは敵をぶっ潰すライダー」っていう目的の違いね。

 

細かい描写から読み取るキャラクター

・叔母さんの「また盗作?」って、まぁ本人が言われてどう思うかはさておき、本当に盗作してると思ってたら絶対に出てこないセリフだから信頼してるんだろうなってのが見える。こういう細かい台詞回しでそのキャラクターの背景を予感させる手際こそ、脚本家の腕の見せどころなんだろうなきっと。
逆にほぼ見ず知らずの人間に、冗談でも「洗い物でもする?」と言い出すはるか先生の気持ちが分からなかったんだけど、タロウの方がちょっとぶつかっただけで「縁ができたな」つってにこやかに話しかけてくるから、言われた方もついつい距離感が狂ってしまうというか、あたかも本当に親縁な仲であったかのように錯覚してしまうのかもしれない。さっきの思い込みの話じゃないけど、人との縁こそ思い込みひとつでどうにでもなるというか、お互いに仲がいいと思ったらそれはもう本当に仲良しってことになるんだから。
実際このあとも、喫茶どんぶらで一緒にお茶しちゃう訳だし。

それはそうとコメンタリーの方で、洗い物するときに水を流しっぱなしにする人とそうでない人がいるけど、タロウはきっと流しっぱなしで洗う人だよねって話が出ていて、何が違うんだろうなぁと考えていたんだけれど、まぁそもそもどんぶらこと流れ流されてきた人なので水の流れと相性が良さそうっていうのはあるだろうってのに加えて、4話で描かれた完璧主義なことも合わせて考えると、食器の汚れを落とすという皿洗いの命題を完膚なきまでにこなすためには、水道代なんか惜しまないというようなニュアンスなのかもしれない。

叔母さんが誤認逮捕するシーンも、確かに怪しいとは言え悪いことしてる訳じゃないどころかむしろ皿洗いやってくれてるのになんで犯罪者だと思ったんだと不思議だったんだけど、そうやって親切そうに上がり込んで証明を盗む手口だと思ったんだろうか。普通はそもそも宅配業者を家には上げないもんな。
自分が犯人ですなんて正直に言うはずがないのに「俺はシロクマだが」の一言で誤解が解けるのも謎だったけど、セリフがどうこうというよりはタロウの人柄の良さというか、素直なところを見て誤認逮捕だと認めたという流れなのかな。普通なら「泥棒なんてしないですよ!」とか釈明しそうなところで「いや、クマはクマでも黒じゃなくて白ですけど」って、ツッコむとこ微妙にそこじゃないだろ! っていう。

・新聞によると、ドンブラの舞台は王苦市と言うらしい。他に思い付かないし、絶対オーグ……鬼が名前の由来だよね。漢字的には王が苦しむのか、それとも王が民を苦しめるのか……前者ならヒトツ鬼騒動でこの世界の管理者(王)たるソノイたちが苦しめられてることに、後者ならソノイたちが秘密裏にこの社会を管理して、ドンブラザーズのような都合が悪い存在には局所的な地震なんていうやべー手口で意地悪してくることを指してるのかなって思うけど、どっちなんだろう。
桃太郎は別に王って感じはしないしな。まぁ電王は桃太郎かつ王様か。

 

・あかりどろぼうこと快盗鬼。もはや井上敏樹の十八番と言ってもいい失明……目が見えなくなる怖さを描いた怪人と見ればいいのかな。
サルさんは復讐だって言ってたけど、ほとんど無差別だしだとしたら社会に対する復讐ってやつだよね、いわゆる。何か直接的に照明が恨みの内容に絡んでるとは思えないけど、井上さんは割とトラウマを描くときに「何かひとつの印象的なものに固執する」という形式を取ることが多くて、一番顕著なのは名護さんのボタンかな。草加のウェットティッシュもそうだし、あと睦月はコインロッカーベイビーだから暗いとこが怖いみたいな話もあった。
借金の取り立てか何かで照明まで差し押さえられちゃったとか、そういうエピソードがあるのかも? あんまピンとこないけど。
闇が怖いから自分の元に照明を集めるようになったのか、それとも闇が好きなだけなのか。山の上から見下ろす静かな景色が好きだったんだけど、久しぶりに帰ってみたら都市化が進んでて夜でも明かりがチカチカとうるさくて目障りだから、幼い頃の思い出を取り戻すために明かりを消して回る……みたいな動機があるのかな。トラウマパターンだとかなり個人的動機になるから、社会への復讐って線は薄れるかもしれない。まぁこの辺は別に分かんなくても本筋に関係ないけど。


・不気味に笑うソノニさん。快盗鬼はソノニの手下だからアノーニも出てきたのか?
「もうちょっと頑張れば、あなたは自由になれる」って言ってたけど、自由ってのが消去することだとしたら、脳人側にも人間でいるうちは襲わないというルールがあるのかも……まぁソノイさんは自分の手で怪人化してたけど。


・サングラスだしアバターだしやっぱ『ゴーバスターズ』を意識してるとこはあるっぽくて、それを踏まえたらまぁどう考えても黄色はウサギだよね。青はほぼゴリラだし。
キジブラザーはアバターチェンジすると胸も膨らむから、変身後のパッと見は女子が2人いる戦隊にも見えるのがミソかもしれない。
ブラックの戦士ってそんなに多くはなくて、特に『ゴーカイ』以降だとキョウリュウブラック,ジュウオウザワールド,オウシブラック,リュウソウブラックと半数もいない。次回おにぎり鬼……もとい超力鬼が出てくるので、玩具的にオリジナルの変身音が鳴るのは『ゴーカイ』以降のみだけど、本編では普通にオーレンジャーなどにもアバターチェンジできるのかもね。それならイヌブラザーはキングレンジャーになれるし。

・なんでも「いいよ」と肯定してくれてた介人が「よくないな……」と呟くことで変身してた人間が消えちゃうことを印象づけるのはお見事。


・人は殴らないって言ってたけど怪物は殴るから暴力振るわないって訳じゃないんだよなぁと思ってたら、暴走して味方にも攻撃し始めたドンモモタロウ。
これはもう単純に、嘘をつく機能が欠如しているのと同じように「人間に危害を加えてはならない、ただし人外ならいい」という(番組のお約束を皮肉った)プログラムがされていて、その基準に従うと超人になっているオトモたちには暴力振るっていいので普段の鬱憤を晴らしているだけなのかもしれない。そんなロボット三原則みたいな……。

 

前話

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン2話「おおもも、こもも」 感想

仮面ライダーエグゼイド 第4話「オペレーションの名はDash!」 肯定的感想

貴利矢、空白の3年間

・貴利矢は3年前からドライバーを持っていたのに、どうして今になってようやく"乗り頃"だと思ったのかについては作中では一切触れられていない。
ひょっとすると大我が免許剥奪された経緯についてもきちんと調べ済みで、ライダーシステムには副作用があることも分かってたから、何人か戦ってるのを観察してから参戦しようと思ったのだろうか。
3年の間にCRのドクターとして活動していたような素振りも全くないし、本当にただ持っていただけということになっていて、まぁキャラ設定から考えて元々は自分で使うために貰ったというよりはバグスターウイルスを研究するための資料として使ってた感じなのかな? で、色々調べた結果副作用もそれほど酷くないことが予想されて、実際3人も仮面ライダーが出てきたから自分の仮説は正しいようだと踏んで、いよいよ変身してみることにしたと。
バイクのままじゃ馬力が出ないことに関して知っていたのはよく分かんないけど、数回くらいはCRに協力して実戦或いはVRシミュレーションを行ったこともあったのか、それも含めて分析の成果なのか。

・大我が永夢のガシャットを奪ったことについて謝罪する黎斗。エグゼイドのデータが取れなくなるのは自分にとっても不都合だからかな。
体裁的にも前回人手は多い方がいい的なことを言い訳にしていたので、ライダーを減らすような行動を取ったのなら本末転倒だからわざわざ謝りに来たのは意外とちゃんと筋が通ってる。
弱みに付け込まれただけなので一人じゃ力を発揮できないレーザーをあげたんじゃないかっていうのは通説だけど、どうなんだろうね。そもそも、3年前の時点……つまりエグゼイドすらまだ開発されていない頃にそんな変わり種を用意する意味があったとはイマイチ思えないんだけど。

 

医者としての一瞬

・それぞれ色んな思惑はありながらも、ニッシーの体調が悪くなった瞬間に明日那も含めて5人全員が走り出すとこ、あぁこいつらなんだかんだでちゃんと医者なんだな……って感じがして結構かっこいい1シーン。

・自分の方は勝ったら永夢のガシャット返すよう条件取り付けておいて、何気に負けたら自分のを渡すとは言ってない貴利矢はコスいなぁと思ったけど、さらっと流しすぎててこれじゃ大我は「ちゃんと約束した」と勘違いするんじゃないか?(笑) 騙すのと勘違いさせるのは微妙に違って、きちんと「うわ、騙された!(よく聞かなかった自分も悪いな……)」と相手に思わせないと成立しないというか、向こうが「いや、約束したじゃん! 俺悪くないじゃん!」って思うようなのはうまい嘘じゃない。
録音してる訳でもあるまいし、後から言った言わないのトラブルになるのが一番めんどくさそうだけど、嘘つきだけあって口論になったら口八丁手八丁で言い包める自信があるんだろうか。
・アイテムを使用するレーザー。エグゼイド世界の基準で言うと、これだけでも「ある程度ゲームに精通している」ことになるのかな。まぁでも適応能力の高さというか芯のなさというか、飛彩みたいに「これはゲームじゃない、オペだ」みたいな変な意地張らなそうなとこは確かにキャラにあってるとは思うかな。
ガシャットも結局約束した癖に盗んだ……ように見えて、バグスターを分離したのはレーザーだったので、スナイプは「勝負はこれから」と言っているが思ってたほどズルくもない。永夢が特に何もツッコまないで受け入れてたのは、このせいもあるかもしれない。良識あったら「取り返してくれたのはありがたいけど、あんな騙すような真似して……」って思うはずなので。まぁ彼自身が割と手段は問わないタイプではあるんだけど。

・前回ゲージが減って困ったので、様子を見て分離だけ任せてからバグスター退治に参戦……するのかと思ったら、スナイプに襲いかかるブレイブ。
そんなこと口が裂けても言わないからすげー分かりにくいけど、遠回しに永夢のガシャットを取り返そうとしているのかもな。スナイプを邪魔すればレーザーがバグスターを倒して永夢にガシャットが返ってくるし、自分がスナイプを倒してしまえばドライバーとバンバンシューティングも没収できて一石二鳥と言う考えなのかもしれない。


・細かい話だけど「あの言葉の訳を教えて下さい!」と言う永夢、怖すぎじゃない? 飛彩とか大我とかに、丁寧語ながらも反論するときの顔じゃん。患者に優しく接してストレスを与えようって感じではとてもない。
小説の話も踏まえると、ニッシーの言い分である「俺の体なんかどうなったっていい」という、自分の命を軽んじる態度が気に食わなかったのかな。……まぁ気持ちは分かるよ。そういうことは思っててもいちいち口に出すなって僕も思う。いい年してかまってちゃんかよ。

・ブレイブ,スナイプ,ゲンムとは敵対ばかりだった流れで、初めて他のライダーと力を合わせて戦うことになるこの重要なシーンでOP流すのは納得がいくし、何よりもここで繰り広げられてる理屈ってぶっちゃけ全然分からなかったりするんだけど、音楽にノせることで視聴者にちゃんと考えさせず誤魔化す手際は逆に見事。
脚本の指定なのか映像スタッフの判断なのかは分からないけど、こういうのは"演出の妙"として受け入れてもいい。限られた尺に収めなくちゃいけないこともあるし、どこかしらに論理の飛躍というかしわ寄せがくるのは仕方ないことだけど、それが気にならないようにケアするのが演出の仕事だと思うので。


・はー、なるほど。モータスがゲームをやるために商品が必要だから妹をさらう……ってんならともかく、グラファイトがモータスも生まれる前から莉子を誘拐してたのがずっと意味不明だと思ってたんだけど、貴利矢を参戦させるためだったのか。
彼を焚きつけるために友達のニッシーをゲーム病にして、ダメ押しでストレスを与えるために妹を連れて行くと。
・もしかすると、爆走バイクってゲームにもそういうエピソードがあるのかもしれない。レースとは関係ないやつが人質としてさらって、それを取り返すためにレースをするっていう。永夢のよく分からない自信がそこからきてるんだとしたら、まぁ分からんこともない。「ゲームキャラっぽいセリフだな」の一言で完全に理解したのね。

 

意志を持つ道具(バイク)

仮面ライダーレーザーの存在は「バイクにも心がある」という感覚をもたらす。今回データ取りと最終調整のために出てきたであろうシャカリキスポーツはその逆で「道具に心なんて必要ない」というテーマを背負っているから、あんな風にゲンムのいいように扱われているのだろう。
この辺は大森Pの『ドライブ』『ゼロワン』と通ずるテーマかな。乗り物を相棒と呼んで大切にする感覚とか、機械は人間の言うことを聞いていればいいのかとか。
バイクが言うことを聞かず勝手に意志を持って動くというのはなかなか怖いことだし、それこそ機械の"バグ"として捉えられるようなものだけれど、だからこそ意見を通じあわせて協力することに意味がある。


・嘘だとバラすのが早い貴利矢。黙ってれば何かもっと利用することができたかもしれないのに。
彼にとっては騙すこと自体に大して意味ってなくて、ただいつか壊れてしまうから新たな友情を築くのが怖いとか、露悪的な態度をとって距離を取らないと不安なのかもしれない。

・爆走バイクは敵を倒すゲームじゃないので、モータスの検体が残る……はずが、ゲンムが証拠隠滅をするという流れはなるほどなって思ったんだけど、その割にはマフラーからのビームでめちゃくちゃトドメさしてるように見えるし、後々再生したときも普通に倒されてたはずだし、なんか絶妙にスッキリとは理解させてくれないのがエグゼイドだよな。そこが面白い(interesting)のかもしれないけど。


まとめ

記事が短いことからも分かると思うけど、今回はそんなに面白くなかったかも。というか、話が薄味だった気がする。
1話完結スタイルも良し悪しよね。基本としてドラマが駆け足だったり薄味になったりするけど、次の話はまた新しい気持ちで見られる。

 

エグゼイド感想一覧

裏面

仮面ライダーエグゼイド 4話「オペレーションの名はDash!」 否定的感想

 

前話

仮面ライダーエグゼイド 第3話「BANしたあいつがやってくる!」 肯定的感想

次話

……

仮面ライダーエグゼイド 第3話「BANしたあいつがやってくる!」 肯定的感想

アレルギーとマッチポンプ

・子供って割と喘息になること多いよね。うちの弟も小さい頃はそれで何回か入院繰り返したりしてたけど。
"呼吸"って最近は『鬼滅の刃』の影響でよく取り沙汰されるイメージだけど仮面ライダー的にも結構重要なファクターで、そもそも1号は風をベルトから取り込んでそのエネルギーで変身するって設定はめっちゃ呼吸だよねって話を『アギト』の感想でもした。あの作品は『DEEP BREATH』という挿入歌があることからも分かるように実は呼吸という概念が作品の基本設定においてかなり重要な位置を占めている。
(参考:仮面ライダーアギト 11,12話「繋がる過去/湖の激突!」 感想)

まぁその話はもうしたのでよくて、喘息の原因について調べてみたら実はあれってアレルギーによって引き起こされていることが多いらしい。全然知らなかった。
アレルギーってのもなかなか面白い概念で、要するに「悪に対する過剰反応」と言い換えることができる。実際に指摘されているところだと『クウガ』のジャラジに対して怒りをあらわにしてタコ殴りにするシーンとかがそうで「確かに悪いことするやつが悪いのは大前提だけど、そこまでする必要って本当にある?」という問題。大して悪いこともしてない怪人が爆殺されたりするのはもちろんのこと、逆にどんなに悪いことしてようが殺すのはよくないって意見もある。まぁこれは人間や、それと同等の権利があると認められた存在が相手の場合にしか成り立たない議論だけど。
それともうひとつ「自分で自分を苦しめるマッチポンプ」的な側面もある。怪我の痛みなんかは身体の異常に気付いて対処できるように脳がわざわざ出してる信号だってのは有名な話だけど、花粉なんかは本来なんの毒性もないはずなのに、それを体外に出そう出そうとしてくしゃみとか涙とかが出るんだろう、多分。

前者は"ゲーム病"などと言ってやたらと危険視して子供にやらせまいとする親とか、後者はたかだかゲームの中の話なのに思い通りにいかなくて逆にイライラしたりすることとか、そういうものと繋げて考えられる。
ゲームってストレス発散のためにやるもののはずなのに、それでストレス溜め込んでたら本末転倒よね。僕はいわゆるエンジョイ勢であることが多くて、例えば音ゲーなんかでもフルコンボを目指そうとするとイライラするのは目に見えてるから最初っからそれは目指さずに、結果が云々じゃなくてプレイしてる過程を楽しめれば達成率が何%でもいいかなって思う方。難しいとかじゃなくて、ただコツコツやれば実現可能なもの……全曲一通りプレイするとか、ポケモン図鑑を埋めるとか、そういう目標は立てるけどね。

 

価値観が違うと得をする

・大我が株で儲けてるのは、単純にウイルス用語の"変異株"ってのとかけてるんだろうね。最近はコロナのおかげでだいぶ身近な表現になってて、デルタ株とかオミクロン株とかがよく聞く。なんとなく、本当になんとなく頭良さそうに見えるし。

加えて『エグゼイド』のテーマと関係あるかは微妙だけど株取引ってのもまた面白いのよね。普通人が得をしたいときに一番簡単な方法って他人から幸福度を奪うことで、プリンが食べたいから持ってるやつから取り上げるとか、楽をしたいから掃除を誰かにやらせるとか、何も考えずただ欲に従ってたら基本的には他人を不幸にすることで自分だけが幸せになってしまうのが普通だと思うんだけど、自分も相手も得をしたいときに一番重宝されるのって"価値観の違い"なんだよね。
これは給食のイメージだけどプリンが嫌いな人だったら喜んで譲ってくれるだろうし、掃除が苦にならない,むしろ楽しいって人ならさほど嫌がらずに引き受けてくれるだろう。もし全人類が総じてプリン好きだったとしたらそれはもうとんでもない奪い合いになるかもしれないけど、好きじゃない人もいることで双方が利益を得られる可能性が生まれる。
今の例は一方的にプリンをあげる話だったけど、これは「プリン好きじゃないなら、あんたが好きなこのリンゴをあげるからくれよ。俺はリンゴ好きじゃないんだ」みたいなケースでも結局同じことが言える。リンゴがお金に置き換わっても同じことで、お金が好きじゃないって人はいないかもしれないけど、プリンと比べたら今持ってる100円は要らない,払ってもいいなって思うから"買う"という行為は成立する訳で。

"等価交換の法則"ってよく言うけど、本当にその人にとって同じだけの価値しかないんだったら、そもそも別に交換する必要がない。お金は食べられないけど、プリンは食べられる……その時点でそのものが持ってる価値は全く違うし、だからこそ交換した結果「嬉しい」と思えるのだ。
株取引やFXみたいな、100円で買ったものをなんの付加価値も付けていないのに110円で売るような営みはまさに「ものの価値とは人や状況によって変わるものであって、一律に等価である/ないなどと決められるものではない」という根本法則があるからこそ成り立つものな訳で、そこが面白いなって思う。


・今回1〜4話の中で最もユニオン戦があっさりしてるのは、大我/スナイプが仮にも唯一実戦を経験してるから手際がいいってのはあるのかな。
レベル1って要するに「1話につき2回戦闘シーンを入れる」という都合で一度は怪人を取り逃さなきゃいけなくて、それでもまだ何かしらのカタルシスをつくろうってことで"バグスターを分離"っていう手順が生まれたんだろうけど、所詮は前哨戦でしかないので必殺技とか使わないのよね基本。
そんな中でスナイプにだけはレベル1専用の自らが弾丸になって突っ込むっていうちょっとした技が用意されてて面白いよね。一応、自分はどうなってもいいっていう大我のキャラとも合ってるし。

・バグスターが悪さしてるのがどうして患者に伝わるのか、結局きちんと説明はされなかった気がする。前回なんかは特に、アランブラが協会で婚約者をさらった瞬間CRにいた患者がストレスを感じていた。体を共有してるから、永夢とパラドのシンクロみたいにバグスター目線での映像が見えたりしてるんだろうか? もしそうだとしたら、バグスターを倒そうとしてるスナイプに対して勇樹くんがかなり怖がってたのは納得がいくかもしれない。
4人の中では永夢に次いでゲームのこと分かってそうなキャラなのに、バンバンシューティングの設定を無視して雑魚ばかり倒してるのはどうしてなのか不思議に思ったんだけど、仮にそのことを大我が知識として知っていたなら、リボル本人は攻撃すると勇樹が消滅しかねないから攻撃できないけど、雑魚は1匹でも逃したら他のところで感染者を増やす可能性があるから退治しなきゃいけないという葛藤をしながら、更にそれを隠した上でヘラヘラとゲーム狂みたいな演技を続けてるんだろうか。流石にそこまでは考えにくいけど。

 

永夢とMの境界線

・エグゼイドの概要について知ってれば知ってるほど案外気付かないけど、普段の永夢とは違うゲームやってるときの人格が天才ゲーマー"M"ってことになってるのって、劇中ではなかなか触れられてないのよね。1,2話では完全にスルーされていて、今回初めて「ゲームするときは性格変わるタチか」と言及されている。
そもそもセリフの上ではどちらも"エム"なので区別が付かないこともあり、本編だけを追っていたら実はなかなか把握するのが難しい設定なのかなと思った。
というのは「分かりにくいから悪い」って話ではなくて、こうやって文面でMという別の名前表記をすることに慣れていると、自然と永夢とMは"別の人格"だという感覚が強くなってしまうので、放送当時の僕なんかは「なんで永夢はオペをMとかいうゲーム狂に丸投げしてて平気なの? 多重人格って記憶なくなるんじゃないの? っていうか精神科行って治せよ」とずっと思っていたんだけど、そもそもその認識が間違っていたのかもしれない。
Mは永夢の一部であって、解離した別人格というつもりでは描いてないと。そもそも多重人格という設定は『電王』のときにNGが出ているのに何故本作ではできているのかという疑問についても同様に、そもそも多重人格じゃないのでOKということなんだろう。
もともとひとりの中に2人いたんじゃなくて、ただ「ゲームすると口が悪くなる人」として認識されていたから、2人に分裂したくらいでみんなびっくりしてたのかな。永夢とMは区別が難しいんじゃなくて、区別する必要が別にない曖昧なものだと。


・"ゼロデイ"という単語が出てきたのは今回が初。なんでも元々はIT用語で、プログラムの脆弱性が見つかってから対処がなされるまでの期間のことを言うらしい。ゲーム病に対応させて言うなら、バグスターウイルスが発見されてからその対処法であるライダーシステムが確立するまでの間ということになる。
なるものの、どうやら1,2日くらい経てば対抗手段も立てられるけど、0日目……つまり脆弱性の発見当日やそれ以前にそこを攻撃されたらどうしようもないよねってニュアンスでゼロデイという表現になってるらしいので、発端である2000年問題から11年も経って起こった事件の名前としては微妙にしっくりこない気もする。

・設定としては放射線科医の大我が独自にバグスターウイルスを発見したってことになってるけど、そんなことってあるのかね。前にも日向がバグスターの存在に気付いてたか否かって話をしたけど、自覚症状もないのに全く別の病気についての検査からウイルスの感染って分かるものなのか。少なくともネットで軽く調べたくらいでは、放射線を使ってウイルス感染を判断する方法なんてものは出てこなかったので、よく分からない。
あーでも単純に考えるなら、これはコロナとかのウイルスとは同列に語れないバグスターウイルスに特有の現象なのかもしれない。『スナイプ エピソードZERO』では元々癌の放射線治療をしていた患者を診察していて発見したということだったので、初期症状として腫瘍のようなものが確認できて、それがどんどん大きくなってバグスターを形成する細胞になるのだとすれば、分かるかも。ウイルス性の癌ってあるしね。

大我の闇診療所

・なんと、ポッピーは大我の診療所を把握してたらしい。次回もさらっと「誰の紹介だ?」と言っていたので、つまり大我という闇医者を患者に紹介している仲介人の医者(?)がいるということになる訳で、仮面ライダーとして再度戦い始めるよりも前から、ひょっとすると聖都大学附属病院や灰馬は大我の医療行為を黙認していたのかもしれない。道理で全く逮捕される様子がない、どころか日頃から堂々と白衣なんて着てる訳だ。
それはいいとして、近くに保険も効くから安く受けられる結構ちゃんとした病院があるにも関わらず闇医者を頼るメリットがあるんだろうか? 考えられるのはそもそも犯罪者だったり、不法滞在してる外国人だったりして正規の医療を受けられないみたいな場合だけど、22,23話で黎斗を殺すか殺さないかって議論で彼は殺すべき派だった訳なので、犯罪者に対して医療を施すタチかどうかは微妙なところ。
或いは単純に放射線治療のエキスパートだった経歴があるので、例え無免許でお金がかかろうとも花家先生に治療して欲しいという人がいるのか。こっちのパターンなら灰馬たちが黙認してることにも一定の説得力はある。だって実際に世界初の手術をこなすだけの確かな腕があるらしいんだから仕方ない(エピソードZEROより)。
元はと言えばそういう大我でないと治療が難しい患者に頼み込まれて、仕方なく闇医者業を始めたのかもしれない。彼自身が自暴自棄になっていたのもあるだろうけど、それでも自分を必要としてくれる人がいたら治したくなる気持ちも分かるし、一回違法に医療行為をしたからには免許を再取得することも難しいだろうから、それでもう引き返せなくなってしまったのかな。

 

永夢と飛彩の交錯

・「早く終わらせるしかない」という永夢の判断は、ある意味では前回の飛彩と同じよね。アランブラが人質を取っていたからエグゼイドはレベルアップを躊躇っていたけど、人質が攻撃される前に素早く攻撃することで解決していた。
これを「前回飛彩を否定していたのに同じことするなんて矛盾してる」と捉えるか、それとも「意見は否定しつつも結果的には患者を救ってみせた腕は認めていて、参考にした」と捉えるかは受け取り手次第……。

・医者が自分の命をかけて患者の治療に望むことって、普段はなかなかないよね、多分。もちろん災害時とか今みたいな感染症が流行ってる場合は、それなりのリスクと戦いながら仕事をする必要にかられると思うけど、基本的に危険なのは患者であって医者がかけるのは社会的地位とかそのくらいな気がする。
そういう意味で自分が死ぬくらいなら患者を見捨てる飛彩の判断は、多少仕方ない部分もあるのかもしれない。もちろん、自分が生きていることでもっと多くの命を救えるという自負があってのことだろうけど……主に天才外科医的な意味で。

・結局アイテムゲットで逆転してたから「さっきまでのピンチは何だったの?」と思っていたけど、これは僕の読み違い。勇樹を説得してストレスを抑えてから逆転するって流れでないとまたストレスで敵が強くなるだけなので、命がけで戦う姿勢を見せたのは意味があった。

・それはそれとして残りゲージ1には割と余裕があるらしい。あくまで危険を知らせるだけというか、本当に死んでしまったら困るので「もう危ないですよ」というサインを早めに出しているのだと思われる。天才ゲーマーとしてはそういう事情を知ってか知らずか利用して、飛び込んでいったんだろう。

・大我が隠れてた本物のリボルを倒したのは、さっき言ったように同じガンナーとして自分なら影に隠れていたいという心情が分かるからこそ見抜けたって感じなのかな。

・Mとしてテンションの上がってるときに安請け合いした約束を律儀に守る永夢は、誠実なんだかそうじゃないんだか。
飛彩はリスクの高いオペをしたからだと責めていたけど、裏を返せばリスクの高い状況でさえなければ永夢が勝てたと思ってる……のか?
自分が手も足も出なかった状況を解決してくれたのにお礼を言うどころか皮肉を言うのも前回の永夢と裏返しになっている。もしこれが意識的なものなら、前回の永夢と同様に飛彩も「結果的に患者を救った功績は認めてるけど、そんな素直にはなれないので口では責め立てている」のかもしれない。
まぁそもそも飛彩も大我を負かすことでガシャット奪おうとしてた訳なので、賭けのことは知らなくても「負けたから取られた」ことはすんなり受け入れられるのかもしれない。


まとめ

画が派手で見ていて楽しい。でもその分ゲームっぽさは犠牲になっていて、そういうステージっていう設定なのは分かるけど、パッと見でゲームっぽいなとはなかなか思えない。ドットを始めとするゲームらしさってあくまで技術の限界が味として定着したものだから、表現が難しいよな。
諦めて変身解除することで医療手段を守った飛彩と、無茶を覚悟で患者を守った永夢、変身したまま隠れていて漁夫の利でトドメを刺した大我……一応三者三様の対応が見られて面白かった。

 

エグゼイド感想一覧

裏面

仮面ライダーエグゼイド 3話「BANしたアイツがやってくる!」 否定的感想

 

前回

仮面ライダーエグゼイド 第2話「天才二人はno thank you?」 肯定的感想

次回

仮面ライダーエグゼイド 第4話「オペレーションの名はDash!」 肯定的感想

特撮雑談クラブ 第10回「武器」

03/19 次回「仮面」21:00〜23:30
同時視聴作品は以下の通りです。
18:00~『美少女仮面ポワトリン』第1話「神様の贈り物」
18:30~『龍騎』第15話「鉄仮面伝説」
19:00~『仮面戦隊ゴライダー』MAZE1,2,3

特撮雑談クラブ 第9話「数字/名前」

 

第10回「武器」
スピーカー:やんま, R眷属, のーと, SONGEN

銃,剣を兼ねた武器

やんま「今回は大雑把に武器の話をするんですけど、どういう話をしよっかなぁ……? 今朝僕が考えてたのは、銃剣(銃にも剣にもなる武器)は結構あるけど、純粋な銃とか剣だったりっていう武器を使うキャラクターって、最近じゃあんまり見かけなくなったなと思って。
(初期装備として)銃剣を主人公で最初に使い始めたのが、多分カブト……まぁあれは剣じゃなくて斧だけど。銃と近接武器の両方使えるっていうのはカブトから……なんだけど、一応前作の響鬼さんが音撃棒を使って火の玉飛ばしたりとか、烈火剣にもなったりって言うことをやってるから、一応それが走りっちゃ走りなんだけど」

やんま「さっき変形しない武器は少ないよねって話をしたんですけど、でも『ビルド』は結構出してたんですよね。ホークガトリンガー,4コマ忍法刀,ビートクローザー……。大森さんの作品って思い返してみると結構、複数の武器を兼ねないような単体で使う武器が(他の比較して)多いなと思って。『ドライブ』のハンドル剣とかドア銃も変形しないし、トレーラー砲も。エグゼイドはハンマーから剣になりますけどどっちも近接武器だから、あんまり銃と剣を兼ねようっていうのが大森さん的には少ないのかなと思って。
まぁ、あるにはあるんですけどね。フルボトルバスターとか、ガシャコンキースラッシャーとパラブレイガンもそうだし。なるべく序盤は単体のプレイバリューで売ろうっていうあれがあるのかなと思って。
『エグゼイド』の2,3号ライダー(ブレイブ,スナイプ)なんか、剣から剣に変形するガシャコンソードと、銃から銃に変形するガシャコンマグナムっていう、それまでの"変形"観念からするとよく分かんないものを使ってて(笑)」
 「銃と剣兼ねるやつか……スーパー戦隊はそういうの多い気がしますね。最近だと『ゼンカイジャー』もゾックスが、クールに侍シンケンフォームとか言って」
やんま「そっか、そう考えるとゼンカイジャーは剣使ってることほぼないのか? まぁジュランがジュランソード使ってたくらいで」
 「ガオーンが爪みたいので……五色田介人には結局、武器らしい武器って変身銃くらいしかなくて」
やんま「あとはゼンリョクゼンカイキャノンくらいですよね。『ゼンカイ』は(初期装備としての)武器玩具が全く出なかったのか、そういう意味ではすごい変わった戦隊ですよね。一応食玩ではジュランソードとか出てたけど」
 「香村さんの作品だと『ルパパト』もあんま武器印象に残ってませんね。あんまり玩具売れてないみたいなこと、よく聞くんですけど。マジックハンドみたいなの(ルパンソード)も印象なかったから、香村さん的にはもう敢えて銃だけでよくねみたいな? ……風に思ったりもするんですけどね。そこら辺の真相はちょっと分かんないですけど」
やんま「そうですね、あんまり印象にないかな……ルパンマグナムが初登場の回は印象的だったかなってぐらいで。『ジュウオウジャー』も……あれも銃と剣になるやつ(ジュウオウバスター)だったかな」
 「スーパー戦隊は結構銃が多めなのかな? 考えてみたら、剣で変身する戦隊って『ニンニンジャー』しかないのかなっていう。意外だったんですよね」
やんま「あっ、そうですね。変身アイテムは銃が多い気がしますね。」
 「ライダーは基本ベルトだと思うんですけど、戦隊ってそういうの自由にできるはずなのに、剣っね全然ないんだなみたいな。『リュウソウジャー』なんか、いかにも剣で変身しますよみたいなツラしてブレスだったじゃないですか。カナロは銃だったかな」
やんま「確かに、剣で変身はガイソーグだけ……。
ライダーは剣で変身するやつ結構いますけどね」
 「それこそ『セイバー』とか。ライダーじゃないけど『牙狼』とかモロ剣で変身しますからね。2号ライダー的な絶狼とかは二刀流だったりとか、槍とかもいますしね、『白夜の魔獣』ってやつには」
やんま「剣で変身……ないなぁ確かに。『シンケンジャー』も携帯(ショドウフォン)ですもんね」
 「『トッキュウジャー』最近配信してたんで見返したんですけど、トッキュウ6号も武器が結構……彼、線路の整備員なんで棒みたいの(ユウドウブレイカー)を使ってたんですけど、あれも一見剣みたいに見えて必殺技はなんか大砲みたいな感じで、銃撃つ構えだったりして面白かったのは覚えてますね」
やんま「へぇー、なんかドリル的な使い方をしてたのは記憶にあるけど、銃っぽくも使ってたんだ。
『トッキュウジャー』はあれか、5人合体武器(レンケツバズーカ)が出た最後の戦隊なのか。割とあのライン好きなんですけど、あれから(ドンブラ時点まで)出てないんですよね」
 「その前は『ゴセイジャー』とかで。結構80年代というか、そもそも『ジャッカー』の時代から一応バズーカはあって、結構あったんですけど、やっぱ作りにくいのかな?」
やんま「あー、やっぱあんまり売れないのかな武器って」
 「やっぱり変身するやつと武器兼ね備えた方が、一石二鳥というか」
やんま「それはありますよね。仮面ライダーも最近は一緒になってるやつが多くなってきて。ショットライザーもそうだし、『セイバー』なんかまさにだし。直近だとツーサイドライバーもそうですね、銃と剣になって。
武器で変身するライダー自体は『カブト』からだと思うんですけど。サソードもそうだし、ドレイクは銃だし、ザビーも一応針みたいな武器になるんで。だからやっぱ、武器単体だと売れないんですかね」
 「めっちゃ雑な印象ですけど、平成2期とかってフォームごとに武器があるみたいなあれで、最初の武器があんまり使われないぞみたいな。その辺スーパー戦隊はそんなフォームチェンジとかする訳でもないから、結構最初の方に出た武器は使いやすい。『キュウレンジャー』なんかは色々カスタマイズして使ってた印象ありますね」
やんま「そっか、戦隊は1,2回くらいしかパワーアップしないから、同じのをずっと使えるのか。結局シシレッドオリオンも、最初のキューザウェポン使ってましたもんね。
『キラメイジャー』って武器……あ、なんか合体するやつ(キラメイバスター)使ってたか」
 「あと久しぶりの全体強化だったのかな(全員一律のパワーアップは『ゴーバス』以来8年振り?)」
やんま「あ、そういえば武器(キラフルゴーアロー)でパワーアップしてましたね。そういうパターンもあるか、マジレンジャーとかもロッドか(あれはロッドで強化されてる訳ではなくて、スーパーゴセイジャーと勘違いしている)」
 「『ゲキレンジャー』なんかはパワーアップ武器(スーパーゲキクロー)が最初に出て、それが使えねぇぞみたいな感じでしたけどね」
やんま「そっか。『ゲキレンジャー』意外と武器持ってるんですよね、ヌンチャクとか棒とか。拳法って言うから割と肉体派なのかなと思ってたら、意外と武器使ってて」
 「マスターなんとか一杯いますからね。修行して武器貰って、ロボットも合体するみたいな」
やんま「『ゲキレンジャー』見たいんだよな、面白そうだから(あと猫好きだから)」
 「多分配信しますよ、今『マジレン』がもうすぐ終わって『ボウケン』が始まるんで、順当に行けばその次だと思うんで」
やんま「じゃあちょっと楽しみにしてよう……『ボウケン』も見ようかな?」
 「『ボウケンジャー』僕初見なんで、楽しみに見ていこうかなと」
やんま「あーそうなんだ、1回見たことあるんだけどあんまし覚えてないんだよな……僕戦隊は、全話見たのがほとんどなくて。『タイム』『ガオ』『ボウケン』『シンケン』……あと『キュウレン』『ルパパト』『ゼンカイ』ぐらい」

武器の定義と境界線

やんま「平成ライダーは、初期の頃は割とフォーム1個ごとに武器1個って感じでやってたんですよね。クウガとアギトはそうで、龍騎からフォーム数が減ってだからライダー1人ごとに1個ずつって感じになって」
 「戦隊はその辺チームだからか、共通の武器が多いですもんね」
 R眷属さん参加
やんま「『デカレンジャー』みたいな、同じ武器なんだけどメンバーによって使う形が違うっていうのは、結構あったんですか?」
R眷属「『ゲキレンジャー』が一応それに当たりますね、ゲキトンファー,ロングバトンがあるんで。
あ、初めまして。これ「武器」っていう風にテーマ決まってますけど、やんまさんって『ストロンガー』とか『スーパー1』ってご覧になってます?」
やんま「ちゃんとは見てないです」
R眷属「なるほど。ストロンガーは腕が電気コイルになってて電気を流せるんですよね。あぁいうのって武器にカウントされるのかなっていうのが気になって。一応あれ素手っちゃ素手なんですけど、武力手段としては成り立つので。スーパー1に関してはエレキハンドとか冷熱ハンドとかで電気とか炎とかを出せるんですよ。それを武器としてカウントするかどうかで、この話の幅というか広がりがあるのかなって思ったり」
やんま「僕の勝手なイメージですけど、スーパー1のファイブハンドは結構"武器"っぽいイメージですよね。なんか付け替えっていうか交換可能性があるから、そこは武器(道具)っぽいかなと」
R眷属「実際敵に奪われるって話もありましたからね。バチンガルだったかな? 頭が悪すぎて負けちゃったけど(レーダーハンドが武器としても使えるとは知らず、勝手に奪わなくていいと油断した結果逆転される)」
やんま「ありましたね、そういう話も。だから自分の体の一部なんだけど付け替えたりとかできるって意味での武器もあれば、逆に武器なんだけど自分の体の一部のように操れるとかそういうこともあると思うから、その辺の境界は割と曖昧でいいのかなっていう感じで」
R眷属「変身するベルトと、それによって解放される力そのものが武力っていうか武器として考えたら、それもそもそも武器なんですよ。仮面ライダーの存在自体が。だからどの辺から武器として定義するんだろうなぁっていうことを思いつつ参加してみたんですけど、どうお考えでしょうか。お聞かせ願いたいところですね」
やんま「基本的にこの会は、テーマ決まってるけど厳密にそれに従わなくちゃいけないって訳じゃなくて、そっから連想したりとかして自由に雑談しようぜって会なので。別に極論武器関係ない話もしていいので、大丈夫です。何にもないよりは何か取っ掛かりがあった方がいいかなってことで置いてるだけなので。そんな感じです」
 「……『ドンブラザーズ』がYouTubeでゴーカイチェンジするぞみたいな動画(meets センパイジャー)があったんですけど、ドンブラは銃だけはそのままドンブラスターで、剣とかは元の戦隊のものを使ってて、あれはどういうことなんだろうなっていう」
R眷属「個人的にはディケイドでいうところのベルト的立ち位置なのかなっていうのは思うんですよね」
 「なるほど、バックルも変わんないし」
R眷属「そもそも銃がないとアバターチェンジできない訳で、だからあれを手放すことができないっていう」
やんま「バックルもないとギア取り出せないから、残ってるんでしょうね(※ゴーカイもキーはバックルから取り出すが消えている)」

R眷属「戦隊シリーズで剣系の武器が出てき始めたのって、まぁ一応『ジャッカー』のダイヤソードからか」
 「昔の戦隊見てて、レッドが明確に剣持ち始めたのどこなんだろうみたいな」
R眷属「多分『ダイナマン』か『ゴーグルファイブ』かな?」
やんま「へぇー、意外と遅いんだ」
R眷属「『ゴレンジャー』は鞭と槍ですからね」

R眷属「仮面ライダーで、メインの武器として剣を使い始めたのって、下手したらクウガからじゃないですかね。リボルケインって確か杖でしたよね」
やんま「どうなんだろう、リボルケインはレーザーブレードってことでいいんじゃないかな(笑) パッと見の印象だけど」
 「あれは必殺剣として使ってたイメージあったから……戦隊ロボットの最後、なんとか剣みたいな」
R眷属「そう考えたら戦隊って、ロボットで剣を使うっていうのは『バトルフィーバー』からやってましたね。『デンジマン』……あ、さっき剣を初めて使った戦隊の話しましたけど『サンバルカン』が一番最初ですわ。2代目バルイーグルがメインウェポンとして日本刀使ってたので。ただ専用の剣とかじゃなくて普通に日本刀だったから、戦隊のディティールに合わせた剣が出てき始めたのは『ダイナマン』が初って感じですね」
 「多分共通武器として持ち始めたのが『バイオマン』なのかな。その後の『チェンジマン』はチェンジソード使ってるし、『フラッシュマン』も。あそこから雰囲気変わりますもんね、戦隊自体が」
R眷属「剣を明確にメインウェポンとして使いはじめたのは、ライダーだったらクウガのタイタンフォームが初な気はしました」
やんま「基本フォームの時点から剣を装備するのは龍騎が初になるのかな?」
R眷属「ライダーは結構遅いですよね。そもそもライダーは備え付きの武器を使って戦うのが恒例化したのがだいぶ後になってからだから……」
やんま「Xの鉄棒みたいになるやつ……?」
R眷属「ライドルスティック使ってましたね」
 「あれは剣じゃないのか。石ノ森章太郎で見たら『変身忍者嵐』とか」
R眷属「『龍騎』『555』……剣自体に何かギミックが出てきたのはファイズエッジくらいで、ミッションメモリーでベルトと連動するから。ブレイドぐらいから剣そのものが力を引き出す本体になってますよね(※厳密はドラグバイザーツバイやダークバイザーはカード読み込めるし、もっと言うならフレイムセイバーやGS-03デストロイヤーも少し変形する)。
響鬼は最終形態になるためのキーアイテムになってて、カブトでは……いや、俺はハイパーフォームの虫取り棒を剣だとは認めたくないんだよな(笑) 剣っていうかロッドじゃないかなっていう」
やんま「そうですか? 割と実物見ると"剣"ですよ」
R眷属「まぁ一応剣っちゃ剣なんですけど、ファイズエッジとかも厳密に言うと剣として認めてない節があるんですよ、若干」
やんま「(パーフェクトゼクターと比べたら)ファイズのはまぁ、剣じゃないですね」
 「トッキュウ6号が使ってるやつ(ユウドウブレイカー)は剣カウントですか? どこか違いなのかな、形状?」
R眷属「あれも僕カウントしてないですね。どうなんだろう」
やんま「やっぱ、薄いか太いかじゃないですか? 聞いてる感じ」
R眷属「うーん、まぁそう……刃があるかないかですね」
やんま「パーフェクトゼクターはすぐ合体しがちだから、あれ自体で斬撃することってそんなにないですもんね(本体は明確は刃があるものの、ゼクターが色々くっついた後は確かに"棒"のニュアンスがある、必殺エフェクトもカブトムシのツノ)」
R眷属「必殺技で剣っぽくなってることはあるんですよ。マキシマムハイパータイフーンとか、サソードの必殺(ハイパースラッシュ)のときも剣っぽくなるけど、あれ自体は殴ってる……鈍器だなっていう印象が強くて」
やんま「でも本当に、見ると剣ですよ。虫取り棒って言われてるから棒って感じがするだけで」
R眷属「分かりますよ、分かるんだけど……しかもあれ剣の音(SE)鳴ってるんだよな」
やんま「羽が広がるとね、西洋の剣っぽく十字になったりするし」

やんま「『電王』は結構武器って意味ではブレイクスルーですよね。あんなに変形(兼用)を推したのって、あれが初じゃないかな」
R眷属「『電王』は共通武器でありながら専用武器っていう独特の強み(戦隊的かも?)が……あるにも関わらず、それ以外にもいっぱい武器があるっていう。デネビックバスターとかデンカメンソードとか。
デンカメンソードって面白いところがあってですね、あれってライナーフォームになるために重要なキーアイテムでもある訳じゃないですか。でも映画『さらば電王』では別に、デンカメンソードがなくてもライナーフォームに変身できてるっていう(笑)
ケータロスをベルトにはめてパス通したらそのままね、クライマックスじゃなくてライナーフォームになったっていうのがあったから、あれ? 実は本体はケータロスの方なんかなっていう。実は変身プロセスが謎に包まれてるっていう(笑)」
やんま「白倉さんはね、割とそういうことやりがちなイメージだけど。敢えて設定と違う……ように見えることをするっていう。多分向こうの中では、裏設定とか確かめたらある程度の筋は通ってるんだろうけど、こっちにはあんまり伝わってこない。
……今回スペースの最初では銃剣の話をしてたんですけど、ずっと。ライダーでそれを最初にやったのっていうと、龍騎サバイブのドラグバイザーツバイが微妙なとこかなって感じで。あれは一応シュートベントで遠距離攻撃できるけど、あれ自体から光弾が出てる訳じゃなくてドラグランザーが撃ってるからちょっと微妙かなって感じで。
『555』はファイズブラスターが銃にもなって剣にもなるか。『剣』のギャレンも使ってて……で『響鬼』が音撃棒なんだけど、あれで烈火弾……火の玉を撃ったり剣にもなったり、そういう意味では超広義には銃剣かなみたいな話を(笑) 遠距離攻撃もできるし近距離攻撃もできるよって意味で」
R眷属「確かに音撃棒ってあれひとつで色々できるけど、形状が変わるわけじゃないから、どちらかと言うと魔法の杖的な立ち位置に近いのかな。『アバレンジャー』のダイノスラスターみたいな」
やんま「あー、ちょっと分かるかも。
「デンカメンソード≒サタンサーベルですよね(※のーとさんのツイート)」……サタンサーベルってなんだっけ、『BLACK』のやつ?」
 「シャドームーンが持ってたやつか」
R眷属「……確かに銃剣って平成1期の途中からどんどん出てきてってイメージありますね。イクサカリバーとか、カイザブレイガンも一応銃剣ですし、鎧武の無双セイバーもそうですよね」
 のーとさん参加
やんま「あ、のーとさんこんばんは〜。ちょっと、解説を……(笑)」
のーと「デンカメンソードがサタンサーベルっていうのは全然説明が足りなかったんですけど、電王って王様じゃないですか。王様の証のすごい剣……っていう」
やんま「あー! なるほど、聖剣……」
のーと「ブレイドとかもそうだろうし、『セイバー』なんかは直接『BLACK』をオマージュしてるんじゃないかなって思ったりもしますよね。しません?」
 「『BLACK』か……逆に『牙狼』かなって思った。剣士で管轄があってみたいな」
のーと「管轄があって、たくさん変身するヒーローがいて……全然考えたことなかったけど、言われてみればそうですね」

銃で変身/剣で変身

やんま「そっか。戦隊は銃で変身するのはいっぱいいるけど剣はいないよねって話をさっきしてたんですけど、『牙狼』は剣で変身ですね」
R眷属「剣が変身するやつはいますね、『ボウケンジャー』のズバーン」
やんま「あー、いましたね」
 「剣で変身するやつはもっと増えていいと思う」
やんま「変身エフェクトって、どうなるんだろう。銃は割と撃った弾が回り回って、それが自分にあたって変身することが多いじゃないですか、エフェクトとして。でも剣ってそれがしにくい……牙狼なんかは空間を切り裂いてそこから鎧が現れるってすごいうまくやってたけど、セイバーは前に放った斬撃がそのまま自分に返ってくるっていう結構不思議な絵面になってましたよね(※唯一剣斬だけは飛んでった手裏剣がブーメランのように戻ってくるようなイメージになっててうまかったけど)。ニンニンジャーに至ってはアイテムこそ剣だけど、変身エフェクトには関係ない」
R眷属「剣で変身するときの表現としてどういうのがあるかって話だと、『ダイの大冒険』ってご存知です? それのヒュンケルってやつが装甲を纏うんですけど、"アムド"って言ったら剣に仕込まれてるものが鎧に変形して自分の体に纏われるんですけど」
やんま「(調べながら)あーなるほど、これか」
R眷属「あとは典型的っていうか、よくあるRPGとかだと剣を天に掲げて雷がドーンって下りてきてそれで変身するとか……轟鬼とか斬鬼方式ですね。避雷針として利用する感じの」
やんま「そっか、それはイメージしやすいかも。あっ、さっき『リュウケンドー』の1話見たんですけど、あれも雷ではないけど龍が落ちてきて変形するのか」
R眷属「そうですね。剣で変身するってなると、あとは切腹くらいしかないと思うんですけど(笑) 腹に刺して、それが取り込まれていって、体と剣が一体化して皮膚が硬質化するっていう……どっちかって言ったら怪人的表現なんですけど。そういうのが候補としてはあると思います」
 「結構銃と比べると難しそうではありますね、表現方法が」
R眷属「銃とは別に弾丸っていうものがあるから表現の幅が広いけど、剣はどうしてもそれ一本だから……剣そのものよりも鞘とか、あとは鍔とか柄とかにギミックを仕組んでた方が扱いやすい気はしますね。例えば柄頭に宝玉みたいなのが埋め込まれていてそこの力を解き放つとか、そういう方向に……剣そのものである意義っていうのが薄れていくかなって気はしなくもないです」
やんま「あー、なんか『BLEACH』っぽい感じか。刀と鞘をくっつけることで槍になるとか、天鎖斬月になると死魄装が変わるみたいな」
R眷属「ですね、めっちゃ分かりやすいその例え(笑)
でも確かに銃で変身するって結構たくさんありますもんね、戦隊でも」
 「前に撃つか上に撃つかっていう選択肢も出てきますしね」

色々な武器

やんま「ウルトラマンはそもそもあんまり武器を使わない……そういえば、ウルトラマンマックスは剣(マックスギャラクシー)で強化変身……いやあれは別にパワーアップではないのか。ただ新しい武器ってだけか」
R眷属「俺はあんまり知らないけど、ルーブだったかオーブが剣使うじゃないですか」
やんま「オーブはオリジンが使いますね。「ビクトリーは銃が変身アイテム」……そっか。あれですよね、ソフビ読むやつ」
R眷属「……あれ(オーブカリバーは)剣そのものっていうよりも鍔の辺りにギミックがあるって感じじゃなかったですか? だから、多分そういうことなんですよ。剣にギミックをつけようって考えたときに、刃の部分じゃなくてそっちの方になるのかなって」
やんま「一応ドリルクラッシャーは、ブレード部分にギミックがあるって扱いになるのかな。刃先がぐるぐる回るっていう変わったギミックで」
R眷属「だから剣自体にギミック持たせようと思ったら、鞭になるような蛇腹剣……『BLEACH』で言うところの恋次が使う蛇尾丸みたいな感じになると思う」
やんま「イーグライザーが似たようなことやってたけど、あれは別に玩具で再現できないもんな(※刃先が伸びるくらいならバリズンソードとかある)」
 「『ガオレンジャー』の破邪百獣剣とか、合体して剣になるみたいな」
やんま「あーはいはい、それは割とありますよね。剣そのものにギミックがある訳じゃないけど合体ギミックの結果剣になるっていうのは」
 「あれはレッドじゃなくてイエローが剣ってとこは驚きだったんですけど。
ゴセイナイトとかも、銃状態がデフォルトだもんね」
R眷属「ゴセイナイトって多分、剣の状態で必殺技放ってないよね? バルカンヘッダーで基本……」
やんま「戦隊は割と何かを撃って勝つイメージはあるかな。バズーカなり、ゴーカイジャーとかは斬撃を飛ばしてるし……あ、キュウレンジャーのシシレッドは剣しか使わないから、レグルスインパクトとか言って結構斬撃使ってたイメージ。リュウソウジャーとかシンケンジャーとかも剣か(※見返したらシンケン以外は飛ぶ斬撃だった)」
R眷属「ハリケンジャーも言われてみれば、専用武器で倒してたな。一応ハヤテ丸で必殺技ってのはあったけど」
やんま「乱モードとか」
R眷属「近接武器で倒すのが多かったのはゴウライジャーだったかな」
やんま「あれも不思議な武器ですよね。十字になったり棒になったり丸になったり。あんな穴空いてるのにガードできるんだっていう。
ウルトラマンの武器は大まかにはブレスレット→ガントレット→大剣など……ですよね(のーと)」
のーと「昭和シリーズはウルトラブレスレットみたいな手首にはめる系のやつが主流で、その前にアイスラッガーもある訳ですけど。ブレスレット期間があって、平成3部作とコスモスは武器らしい武器はなくて、ネクサス,マックス,メビウスで手にくっつくやつっていうのがあって、ニュージェネからは手持ちのでかい武器って言うのが出始めたって感じですよね」
やんま「なるほど。僕ウルトラマンは『オーブ』『ジード』『Z』くらいしか全話見てないけど」
R眷属「俺は『ギンガ』しか見てないです。甘酸っぱい青春を満喫する感じが好きでしたね」
やんま「……『ボウケンジャー』は変わった武器が出てたなそういえば。デュアルクラッシャーは武器で強化されるのでも強化されて武器が出るのでもなく、武器の衝撃に耐えるためにアクセルテクターになるっていう」
R眷属「ボウケンシルバーの武器がちょっと変わってましたね、金属探知機になって。『ボウケンジャー』って武器が探索用ツールの側面があるんですよね。イエローなんかショベルですし、ドリルもあるし。だから特殊ではありましたね。まぁ2000年以降の戦隊って武器の形状特殊なんですけど、割と。ハリケンレッドはドライヤーだし、ブルーはメガホンだし」
やんま「家電を武器にするっていうのは『555』でやってたけど、1年前だからその走りみたいな。あれ好きなんですよね。ビデオカメラが銃になったり」
R眷属「携帯が銃になりますしね。バイクのグリップが剣になるし、双眼鏡がキックのスコープになるし。子供心にあれは心躍りましたわ、身近なものが武器として活かされるって発想は。あれを意識しながらレゴで色々つくって遊んでましたね」
やんま「僕はアバレマックスのスティライザーを段ボールとかを駆使してつくった思い出があります」
R眷属「あれの面白いところって、盾として使ってる部分がほとんどないんですよね。基本的に敵の攻撃を防ぐときは全部手で。手で防いで盾で殴るんですよ、あれは打撃武器です(笑) アバレブルーのトリケラバンカーもそうですし」
やんま「戦隊とか特撮の武器で、盾が鞘の機能を果たしてて剣が収納されるのってよくあるじゃないですか。プリズムビッカーもそうだしホウオウブレード,シールドもそうだし。あれなんか元ネタとかあるんですかね? 実際そういう形の武器があったのかな」
R眷属「詳しいことは知らないですけど、多分神話系でそういうのあるんじゃないですか?」
やんま「あー、実在してたんじゃなくてフィクションにね。なるほど」
R眷属「ギリシャの戦争とかでそういうのがあったのかな? モチーフが結構そこら辺なことが多いから」
やんま「盾と剣が一緒になってるやつってのを調べても、出てこないんですよなかなか。「聖剣と言えばエクスカリバー」みたいに代名詞となるようなものもなければ、実際に使われてそうなデザインの画像も出てこない。名前がもしあったら教えて欲しいなって」
R眷属「でも盾と剣にまつわる神話ってあんまし聞いたことないな」
やんま「盾持ってるやつはいた気がするけど……(調べながら)アキレウスの盾とヘパイストスの盾か。丸いのは結構ありますよね、神話だと。昔の鏡みたいなイメージで神具なのかな? プリズムビッカーも丸いわそういえば」

巨大戦と等身大戦

のーと「ちょっと別の話なんですけど、スーパー戦隊の話が多かったのと、スペースタイトルにも"風変わりな武器"って出てるんで……『ルパパト』の警察ブーストの方で、ロボの着ぐるみと同じクレーンの腕パーツを装着してるやつ。あれは見え様としてはかなり面白いなって思ったんですけど、あれってどちらかというと手持ち武器の文脈ってよりかは、『ゼンカイ』のロボ戦と等身大戦で同じ着ぐるみ使ってるとか、あぁいう流れに繋がるやつなんですかね」
 「キョウリュウレッドカーニバルとかそんな感じですよね」
やんま「あー! はいはい、なるほど。あのクレーンは武器ってよりは、強竜装……ツヨソウルみたいなイメージですよね」
のーと「『ゼンカイ』でも『ドンブラ』でも、白倉さんが戦隊と巨大線の関わりってところで境界をわざと曖昧にしてる部分とかあるかもしれないですけど、それの走りみたいな感じにも見れるのかなって思ったくらい」
R眷属「すごい厳密なこと言うと『カクレンジャー』からやってるところはあったんですよ。レッドが無敵将軍の剣を使うっていうのが」
のーと「はいはいはい」
やんま「あ、そっか。でも『ルパパト』って等身大でもグッドストライカー使ってたわそういえば。じゃあ結構、ロボ戦力と等身大戦力の越境っていうのは意識的にやってたのかな」
R眷属「だから『ルパパト』とかでやってのって、昔やってたことをもうちょっと意識的に絵として収めようっていう感じではありますね」
のーと「もっと直接的にって感じで」
やんま「玩具的に言うと『ゴーオンジャー』が最初なのかな、ロボの玩具と等身大の玩具が連動するっていうのは。……でも炎神ソウルは変身用のソウルが別にあるのか」
 「『ゴセイジャー』とかそうですかね」
やんま「そっか、ヘッダーが武器に付いたりするか」
のーと「あとは『タイムレンジャー』も必殺技のときには手持ちの武器……レッドというかセンターにいるやつが、時空剣かプロディバイダーを動かす感じか」
やんま「そっか! ロボの中で持ってるのか、なるほど」
のーと「中でやるか外でやるかの違いって言ったらすごい雑ですけど(笑)」
やんま「はー、時空剣って手持ちの玩具も出てたんですね。ギミック面白いもんな、確かに」
R眷属「ズバーンって、一応巨大戦でも使いますよね。あれもその文脈だと思うんですけど」
やんま「あーそっか。等身大と巨大戦か……」
のーと「巨大戦のプロップも等身大のやつも、まぁ本当は同じデカさだから使えるなら使っちゃえっていうのはあるかもしれないですけど」
やんま「もったいないですよね」
のーと「あとはちょっと武器からは外れちゃいますけど、ジュランとかは等身大でいるの見慣れてるから、あのまんまでかくなるのとか見るとすごい違和感がある」
やんま「へー! 違和感あるんだ。僕あんまりなくて、なかったから逆にジュラガオーンが等身大で活躍する回とかあっても面白いのになとか思ってました。結構見れるもんだなと思ったから」
のーと「僕はなんかすごいドキドキしちゃって、あれ」
やんま「なるほど(笑) 僕ウルトラマンゼットが等身大になったときはそれに似たような感覚を覚えましたね」
のーと「あぁ、逆に。そうですね、ウルトラマンがちっちゃくなるのは今でも変な感じしますね」
やんま「こんなことあっていいの!? みたいな(笑)」
のーと「あれですよね、戦闘シーンの重たさっていうか……ゆったりめな感じなのかスピーディな感じなのかっていうところでも、見え様が変わってきますしね」
やんま「そうそう、ジュランとかは普通に動いてたものがゆっくりになるからそれはまぁ分かるんだけど、ゆっくり動いてたものが速く動くと、なんか違うなって思うんですよね。それはありえなくない? みたいな。
だからウルトラマンも、坂本さんが撮ってるビュンビュンアクションするやつとかも、なんかあんまり好きじゃないんですけど。まぁウルトラマンそんな見てないからあれだけど、これがウルトラマン,でかいやつなのかぁっていうのが、あんまりリアリティを感じれなくて、なかなか。でかいのが素早く動いてるって不思議な感覚ですよね」
のーと「そうなると更にズレちゃいますけど、エヴァンゲリオンってどう見えてます?」
やんま「あー! なんだろう、あれはアニメだから気にならないのかな……確かにすごい素早いですよね」
のーと「エヴァンゲリオンは言ったらアーマードウルトラマンですけど、あれはかなり機敏に動きますよね」
やんま「なるほど……そっか、でもウルトラマンって昔の方はそんなにゆっくりは動かないイメージかもしれない。意外と普通に、人が入ってんだなって感じのスピードっていうか」
のーと「そうですね、だから割と……これものすごい雑ですけど、僕たちの世代のウルトラマンぽさみたいなのって、『ティガ』以降みたいな感じになるんですかね? 『ティガ』以降でちゃんとそういうのを固めていって、新しくつくった部分もあると思います」

やんま「なるほど……。ウルトラマンはあれですよね、手から光線出るから武器要らないっていうのはあるんだろうけど」
のーと「あー、それはありますよね。それで言ったら仮面ライダーもライダーキックできるしってことで昔……まぁXとかはちゃんと専用の武器あったりするけど、割とV3以前はその場に合わせてみたいな感じで、その時々にあったものを使ってって感じですよね。……っていうところを『クウガ』ではそこもおもちゃにしちゃうみたいな(笑) で『アギト』はもう完全に開き直って、別にそういうの要らないからってことでベルトから出しちゃいますけど。『アギト』『龍騎』ってどんどん武器の出し方が簡単になってるんですかね?」
やんま「あー、なるほど。『アギト』の3人はまた、結構タイプ分けされてますよね。アギトは自分の体から出た武器で戦うけど、G3は外付けのっていうか、普通に持ってきた武器で戦って、ギルスは自分の肉体(手の甲から伸びるツメや触手)で割と戦うっていう」
のーと「仮面ライダーにも『アギト』以前にもう色々あったけど、あのライダーはこうみたいなところで雑多にというか、バリエーション豊かに取り入れてる感じなんですかね」
やんま「たった3人だけど見え様が全然違いますよね」
のーと「『アギト』は度々仮面ライダーの定義ってよく分かんないよねみたいな感じで言われますけど、『仮面ライダーアギト』って番組だけど、多分それぞれに違う主人公のライダーが3種類いるみたいな感じ……それでいくと『龍騎』以降とも違う感じがします。『ゼンカイジャー』とかもそうなんですかね? ギアってのは共通してるけど、ゴーカイジャーのそっくりさんもいるし、バトルフィーバーのそっくりさんもいるしみたいな感じで」
やんま「そっか、なかなかそういうのはいないのか。ひと作品2戦隊はあるけど、割とシステムやデザインは共通してることも多いもんな」

 

のーと「まだやってないけど、話したいなと思ってた武器とかあります?」
SONGEN「……いいですか? 喋っても。チェーンアレイですね」
やんま「あーフォーゼの。フォーゼに限らず?」
SONGEN「限らずだと、昔の戦隊のロボは結構チェーンアレイあったような気が。殺意の高い、モーニングスターみたいな。『フォーゼ』はそれをうまく出したなっていう……宇宙開発にチェーンアレイが必要だとは思わないけど」
やんま「キレンジャーもそんなような武器使ってましたよね? 違ったっけ(※トゲ鉄球パンチはダイナイエローでした)」
 「キレンジャーはYTCコントロールとか、先に付いた棒とか……チェーンアレイでは多分ない」
のーと「チェーンアレイ的なやつは『ハリケンジャー』のトータスハンマーとか。合体してけん玉になるやつ、3番目のカラクリボールの。割と敵が使うイメージはあるんですけど、そういう鎖トゲトゲ鉄球みたいなのは。ヒーロー側だとそんなに……なのかな、最近はそんなにないのかな」
 「80年代……『ジェットマン』くらいのスーパー戦隊は使ってる印象。あとは『ジャッカー』のクローバーキングがそれっぽかった」

やんま「さっきちょうど『フォーゼ』の話が出たんで僕が用意してたネタなんですけど、武器と変身アイテム兼ねてるやつは結構あるけど、元々武器じゃなかった変身ベルトを武器として使ってるマグネットステイツって、すごい変わってるなと思って。ベルトの遊び方が変身から攻撃に180度変わって、面白いですよね」
SONGEN「マグネットステイツは好きですね。結構あれ操作してると……ベルトって手元見ないじゃないですか、なりきりアイテムだから。飾って、ベルトに対面して遊ぶ方が楽しいっていうか。でもあれを挿すことによって、自分が本当に変身した感みたいなのがあって。操縦してるみたいな、操縦桿みたいな遊びができるから」

ヒーローが悩み始めたのはいつか

ロボの変形難度
「逆襲のVランサー」「最光に輝け、全身全色。」
ヒーローが悩み始めたのはいつか

 

次回「仮面」

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン2話「おおもも、こもも」 感想

 

・正直「前回の……ゼンカイジャーは!」って、お決まりになってこそいたけどぶっちゃけただ言いたいだけというか、前回の話を振り返る必要があった回なんてほとんどなかったのでそんなに意味がなかったんだけど、この『ドンブラザーズ』はマジでこれ必要だな。特に何度も見返したりしない一般のお客さんには。「訳の分からないうちに戦士になった」っていう、要するにまだ誰も何も分かってないので、あなたも分からなくて大丈夫ですよという。

・制作発表の時点から割とキジさん好きだったけど、今回でさらに好きになった。というのは、とても親近感が湧いたというか。まず宅配の人にきちんと「ご苦労様です」と言うのが最近のマイブームだったり、自転車泥棒……ではないけど、かけっぱなしだった鍵を抜き取るいたずらをされたことがあったりっていう、本当に小さな描写がすごく刺さった。
あと"平凡"の象徴としてスライドにいらすとやの素材使わせるのも面白すぎた。

むしろ分かりやすく描いてる方

・本作は意味が分からないと言われがちだし、今回の話を見て、特に本筋と絡む訳でもないキジ,サル,イヌの話が差し込まれるあたり「(次回以降も見てもらうために)敢えて見どころを分散してよく分からないようにしてるんだな」というのは確信に近くなったんだけれども、それを踏まえた上でも意外と井上敏樹にしては分かりやすさを志向している方なんじゃないのかなとは思った。
僕は平成ライダーしか追ってないので絶対そうとは言えないけど、井上さんの書く話でモノローグを使って身の上を説明させるという話運びは、僕は多分初めて見た。唯一近いのは渡がお風呂とかでブツブツ「僕は駄目なんだ……」とか言ってたくらいだけど、あれも一応キバットが話し相手として置かれていたし、割とセリフや話との絡み方……つまり"行動"でもってキャラを描くタイプの人だと思うんだけど、はるかにしろキジさんにしろ「売れっ子漫画家だったのに転落」「平凡なサラリーマンが戦士として選ばれて不幸続きに」という、割と記号的な"設定"の説明に終止してるイメージがある。物語論としてよく引き合いに出される、小林靖子さんの言う「脚本家志望の人はよく設定を持ってくるけど、設定を考えられることと話が書けることは違う」というやつ。
『555』の巧なんかは序盤のうちはただ「ぶっきらぼうなやつ」くらいの属性しか与えられてなくて、これまでの経歴とかどんな価値観の持ち主かってことはなかなか不透明なまま進んで、回を追うごとに割と流されやすいタイプなのかなとか、でも意外と芯はあるいいやつなのかなとか、そういうことがおぼろげに掴めてくるんだけど。
ただこれは最初にも言ったけど、『ドンブラ』の作劇が設定寄りだから駄目ってことじゃなくて、他にも色々やりたいことがあるが故に、できるんだけど敢えてやらないで分かりやすくできるところは分かりやすくして全体の情報量……というか理解にかかるカロリーを減らそうとしてるんだろうなっていう話ね。あと、もしかすると『海の底のピアノ』を始めとして小説もたくさん書いてくうちに、地の文でキャラ本人に話を進めさせるノウハウみたいなものも会得したのかもしれない。どっちかって言うと『月神』の方が一人称だったかな?

金は縁から逃避するためのもの

・おサルさんの人もまた何の脈絡もなくはるかの説明と自己紹介し始めたな……と思ってたけど、これもしかして暗に脅してる? 盗作してた漫画家がいるって言いふらされたくなければコーヒー代をタダにしてくれっていう。だとしたらきちんと前後が有機的に繋がって見えるけど、お前爽やかな顔してなかなかあれだな……(笑)
お金っていうのは本来必要ないもので、物々交換とか、あとは要らなくなったものを譲ってもらうとか、そういう人との関わり……縁で解決できる問題を、いちいち関係を持たなくていいよう「これだけ払えばこれをやる」というドライな"取り引き"に変えるための装置であって、岡田斗司夫も「人と関わりたくないと思うと金が必要になる」と話していた。
もちろんおサルさんのように、或いは音也のバイオリンのように、自分にできるある種の"働き"……相手を喜ばせるという対価を支払う方法もあるし、あと面白いところだと赤ちゃんやペットのように「可愛らしくて愛される存在である」というただそれだけの理由で、他人に身の回りの世話をすべてしてもらうという方法もある。ちなみにそれを大人が実行すると、いわゆるヒモという状態になる。「喜ばせる」「愛される」という人間関係の構築を面倒でしたくないと思うなら、とにかく金を払ってドライに済ませるしかない。金の切れ目は縁の切れ目なんて言葉もあるけど、逆に言えば金が絡まない縁は切れにくいということにもなる。
イヌ,サル,キジはきびだんごを貰うためにお金を払わないけど、その代わりに鬼を相手に暴れまわるというギブアンドテイクを持ちかける……そこんところタロウの言う縁とも結構深く関わってきそうなキャラなので、結構注目かも?

・「春風や、亡きあの人とすれ違う」
春は別れの季節だもんね……素直に捉えて、実際彼に今は亡き奥さんがいたと解釈してもいいんだけど、僕的には「死んだ奥さん? そんなのいないけど。創作だよ創作」って言って欲しい。逆にその奥さんが大金持ちで、逆玉の輿で得た資産で暮らしてるんだとしてもそれはそれで面白いけど。その場合「金なんて不浄だから持ってない」は大嘘ってことになる。頭はキレるんだけど普段はその場のノリで適当言ってるだけってキャラだと刺さる。

・ウィル……もとい桃井陣さんはなんで消されずに閉じ込められてるんだろうな。削除できない特異点的な設定でもあるのか。……と思ったけど、彼自身が実はアノーニ……というか、アノーニとしてアバター世界(マトリックス)に潜り込んでる"現実世界の住人"なのかもしれない。アバターなら脳人陣営は容赦なく削除するけど、現実の人間はそういう訳にもいかないから牢屋に閉じ込めたり、タロウみたいにアバター世界に追放されたりしてるのかも。
……そう考えると、ドンブラザーズになった時点でお尋ね者のはずなのにとりわけ指名手配犯として扱われてるってことは、実はイヌの人もアノーニ陣営を裏切ったから追われてるとかそういう事情があったりするのかな。刑事に追われてるシーンで使われてるBGMが前回アノーニに追い回されてたときのそれだったのもあって、単純にあの世界の警察に追われているというよりはアノーニに追われているような印象を受けたのかも。

・嘘がつけないだけでなく、本当の年齢をピタリと言い当ててしまう不思議な慧眼の持ち主な桃井タロウ。今回のゲストである磯野さなえ/列車鬼さんの容姿がガラッと変わるのは、もちろん怪人の能力でもありつつ"アバターチェンジ"の文脈でもあるんだろうね。タロウにとってみれば、どんな見てくれのアバターを使っていてもその向こうにある本質を見抜いてしまうと……だとすると、オニシスターたちの正体にも気付いてたりするのか? と思いもしたけど、キジさんには無反応だったので微妙か。

敵の設定が革新的

・ライダーにおいては平成2期以降定番となってる「怪人になる人間のドラマで話を回す」スタイルを戦隊シリーズはこれまでほぼ踏襲してなくて、あくまで「ゲスト怪人は倒す(殺す)もの、能力や作戦を提供する舞台装置」でしかなくて、それ以上の踏み込みを作品単位でやったことってないんだけど、それを初めてやったのが『リュウソウジャー』で、マイナソーは人間から生まれるので、その原因となる人間を殺すか、それとも悩みを解決するか、ともかく死ぬ前に怪人を倒すかという構造を戦隊に取り入れていて、だからこそドンブラは1話でリスペクトを込めてリュウソウの怪人を出したと。
タイムレンジャーは「怪人を殺さない」こそ形式的にやったけど、じゃあゲスト怪人に能力や作戦と言った表面的な要素以外の内面的なドラマや葛藤などを持たせたかというと多分そんなことはなくて、以降もその流れは汲まれることなく、死刑判決が下ってるからとか人間とは全く異なる異世界や宇宙からの侵略者だからとか「いかに殺してもいい理屈を設定するか」の方に腐心していた。
そこは恐らく「低年齢層向けだから」ってことでなぁなぁに……というか、ポジティブに言うなら白倉さんの言う「毎回怪人を倒すという子供たちとの約束」を守ってるってことなんだろうけど、ドンブラからはそこを根本的に見直して、戦隊といえども人間を敵として配置して安易に殺さない方向へシフトさせたいのではないかなと。
「子供向けは分かりやすい方がいい」は一理あるんだけど、最近はどうも「情報に疲れた大人が頭を使わずに楽しめる娯楽」的な側面も大きくなってるような気がしていて、これからの情報過多社会を生きてく子供目線では、好奇心旺盛に情報のシャワーを楽しむようなスタイルの方がいいのではないのかと。
確か白倉さんが言ってたような気がするけど、鬼ヶ島に住んでいて人間社会を今まさに脅かしてる訳ではない鬼を退治するような『桃太郎』なんて話が一般的に流布している現状を変えるために、現代的な価値観にアップデートした「倒さない桃太郎」をやりたいのがドンブラなのかな。
更には、ある種の教育番組として「悪を根絶やしにするのが正義ではない」というアップデートされた価値観を戦隊に導入することで、従来の「子供だから分からなくていい」のラインを底上げする(戦隊をライダー化する)ことで、いつまでも「ゲスト怪人のお悩み相談」をやっているライダーの尻に火をつけて、「もうそれは分かったから、早く次のステップへ行けよ」という白倉さんなりのメッセージなのかなとも思った。戦隊の話がライダーと同じくらい複雑化したなら、もう少し年齢層が高いライダーは戦隊との差別化でもっと複雑なことに挑戦できるようになる、或いはしなくてはいけなくなる。

・脳人の「悪に目覚めた人間を上位存在が粛清していく」っていう構図自体はアギトとほとんど同じなんだけど、ゲスト怪人のドラマ(卓球への妄執,次美の追求)もやりつつ、アンノウンポジションである脳人側のドラマもきちんとやるつもりっぽいのが新しい。
井上さんって怪人のドラマを描くことは勿論、バッサリ割り切って描かないこともできる人なので、その辺様子を見ながらどっちにも転がせるようにって意図での人選だと考えたら得心が行った。
メインのキャラにはドラマがあるけどゲスト怪人には全くないオルフェノクっていうのは、ある意味では幹部級にはドラマがあったりもするけどゲスト怪人にはない戦隊の文脈に沿った描き方で、その上で割と井上さんは「1,2話限りで使い捨てされる濃いキャラ」も書ける人だから、適任なのかなと。
今回の「妖怪・いくつに見える?」なんかも、なかなかいい味を出してたよね。ボソボソ呟きながら人を襲う不気味さは、前述のマイナソーにも通ずるところがある。

イマジネーションという拡張現実と内在する悪

・前回の怪人で騎士竜をチョイスした理由はさっき話した通りだけど、その点でいくと今回『トッキュウジャー』モチーフなのは、まぁもちろん桃太郎ヒーローの元祖である電王、サングラスでアバター要素もあったゴーバスターズ、その両方を担当してた小林靖子さんの作品だからってこともあるんだろうけど、そういう表面的なこととは別で一番思い出して欲しいのは"イマジネーション"という概念なのかなと思った。
『トッキュウジャー』におけるイマジネーションの映像での描かれ方は脳人レイヤーとイメージ的に通ずるところがあって、現実は現実としてあるんだけど、その上にLayer……重なって展開される"拡張現実(AR)"のようなニュアンスの概念なのよね。
この表現は平成ライダーの批評で有名な宇野常寛さんが著書『リトル・ピープルの時代』の最後の方で語っていた内容を意識している側面もあるように思う。本当にざっくりとまとめると、彼の言う物語が持つ"想像力"というのは元々「この世界の外部」を住処にしていた……つまり"俺たち"とは関係のない全く別の存在が攻めてくるという構図だったのが、「この世界の内部」……つまり我々と無関係ではない存在が人間社会の内側にいて、こちらを蝕むようなイメージに置き換わってきているのではないかみたいな話。ちゃんと知りたい人は図書館とかでリクエストすれば借りれると思うので読んでください。
『トッキュウジャー』の敵組織周りの設定はよく知らないんだけど、ざっと調べてみたらシャドーラインは「地の底」にあるらしくて、これが本当ならまさに"世界に内在する悪"の象徴なのかもしれない。あ、言わずもがな人間が変身するヒトツ鬼というのもその文脈にあたります。
そう考えると「福はうち! オニもうち!?」っていうオニシスターの変身待機音はかなり示唆的かも。

はるかにとっての"戦う動機"

・はるかが戦士として戦う決意を固めるシーン、正直心情的にはそこまでよくは分からなくて、目の前で苦しんでる人をほっとけないというよくあるヒーローのキャラ造形としては了解できるけど、それこそまさに"記号的"であってイマイチ実態を伴っていない。
ただこれは意図的にやってるというか、あくまでこのアバター世界(前回を参照のこと)において戦士という"役割"を与えられたからそれに従っているだけ……という描き方なような気もする。それこそ翔一くんや渡が序盤は本能に突き動かされるがままに戦っていたのと同じニュアンスで、元々の"天才漫画家"という属性もまたマトリックスから与えられた設定なんだろうから。
或いはもう少し違う見方をすると、戦士の証であるあのサングラスにはアノーニを始めとした世界の現実,真実が"見える"ようになってしまう効果の延長として、何かを"見て見ぬフリ"ができないような気持ちにさせるアイテムでもあるのかもしれない。
・逆に「『初恋ヒーロー』の作者だし」の方は戦う動機としてなかなか面白かった。これは今朝公開された1話の後編で明らかになることなんだけど、"初恋ヒーロー"ってのは作中でも映った1シーン「助けて! マイヒーロー!」と呼ばれてさっそうと現れた男の子……ではなくて、実は助けを呼んだ優奈自身が初恋を守るヒーローになる話だったのよね。
まぁヒーローが男か女かってのはそこまで重要じゃないかもしれないけど、要するにはるかが言ってるのは「都合よく全てを解決してくれる正義のヒーローを描くのは簡単だけど、そんな風に綺麗事を語った作者にも正義を貫く義務がある」という、高校生とは思えないある種の"プロ意識"なんだと思う。
ヒーローとか正義を語るドラマつくってるけど、制作スタッフの間でセクハラや過重労働があったらしいですね、或いは役者がコロナ禍なのに路上喫煙してたらしいですね、なんて話題が少し前にあったけれど、そこを狙ってたのかそれともたまたまなのかは分からないが要はそういうことよね。ただ物語の中だけで絵空事のヒーローを描くだけじゃなくて、何か現実の世界でも人を助けるようなことをしてこそ説得力が生まれるんじゃないのかという。
特にはるかの場合は盗作疑惑なんていうのまでかけられてる訳だし、余計に「ヒーローとか言っといてそんなことしてるのかよ」というスキャンダル的な視線には敏感になっているのかもしれない。この自分の作品に対する責任感の強さを取ってみても、盗作は間違いなく冤罪だろうことが伺える。

モノクロ介人さん、意外といいやつ?

・確かに戦隊ギアがアバタロウギアに変化する現象自体はゼンカイのラストでやってたけども、あれだけ節操なくコロコロ変わられると流石に違和感はあるぞ……と思ってたけど、公式サイトによるとイヌとキジが使ったリュウソウジャー戦隊ギアは前回介人が回収したものがそのままドンブラバックルに転送されていて、介人がギアを集めていくことでチェンジできるアバターが増えていくという寸法らしい。「前回ドロップしたやつを使ってるんですよ」という表現として、ギアが変化する描写を入れてると……なるほどそれならなんとなく理解できる。いやーでもこれ、本編だけから読み取れるかは微妙だよなぁ……。
それはさておき、はるかをバイトとして雇ったりと介人は今のところ全面的にドンブラザーズを支援する立ち位置らしい。「全力全開……? なんだそれ」ってセリフも、プロモーションで聞いたときは介人とは正反対の思想を持つすげー悪いやつみたいな印象だったけど、本編での使われ方としては単に「正体を隠すためにしらばっくれてる」みたいなニュアンスに留まってて、セリフの聞こえ方が180度変わってるのが面白かった。あんましいい例が思い付かないけど、『フォーゼ』の流星がメテオとは別人ですって言い張ってるみたいな、ウルトラマンの変身者が「ウルトラマンに助けてもらったんですよ」って言うような構図。

凸凹な等身デザイン

・そっか、アバターチェンジしてしまえば等身も何も関係ないのか。これまでの戦隊に今回のイヌキジほど攻めたことしてるやつがいないことで結果的に助けられてるというか、その歴史をデータベースとして使えるからこそ必要に応じてCGを抑えられる読みであの奇抜なデザインが成立するという逆説が面白いな。過去作へのリスペクトと革新への意志が高レベルで融合してる。
放送前は「(生身は別にある)アバターだから等身おかしいのね」と思わせておいて、実際見てみたら普通に生身の状態でワープするわきちんと"変身"で等身変わるわで、やっぱあの世界の人間自体マトリックスアバターなんだろうな。生身から変身するときも過去戦隊に変身するときも同じく"アバター(を)チェンジ"って言ってるから、あの生身も一種のアバターに過ぎないことを表現しているに違いない。
予算が苦しい時はゴーカイチェンジで凌げるし、そもアバターだから仮に路線変更されてこれからは等身大になりますって言われても設定的には全然アリな上に、仮想世界から目覚めましたって展開にすれば「これからは生身で変身するから等身大です」って言い訳できる余地もあるのがうまい。 
……と思わせておいて、普通に生身ですよ! って可能性もあるけどね。"アバター(に)チェンジ"かもしれないし、マジレンジャーとかゼンカイジャーも戦士としての能力の延長で巨大化したりしてたから「"変身"ってそういうもんでしょ? アバターじゃない生身でもそりゃ等身くらい変わるよ」という。
・でも正直言うと、こんな早い段階でゴーカイチェンジをやったのはあまり印象よくない。特に気になるのは、イヌとキジが元々自分たちの体型に不満や戸惑いを覚えていて、それを解消するためにアバターチェンジしているように見えてしまうこと。まぁだから要するに「まだその小さかったり背が高かったりすることによる長所が全然描けてないのに等身大になっちゃうの?」っていうこと。
『「仮面ライダー」超解析』の中で白倉さんが「最近のライダー面白いですか?」的な文脈で「最初はすごい企画だなーと思っても、いざ蓋を開けると「すごい勢いで丸くしたんだね……」ということは多々あるじゃないですか。でも『エグゼイド』は丸くしてないので。おもしろいですよ、久々に」みたいなコメントをしてるんだけど、まさに"すごい勢いで丸くしてる"じゃんっていう。
キジブラザーはまだ「男なのに女性だったピンク戦士になる」という特徴が残ってるけど、イヌブラザーに関してはもう個性が完全消滅してる。
・ゴーカイチェンジに関しては男女が入れ替わるとスカートが付いたりなくなったりっていうデザイン上の変化があって単純に見ていて面白かったんだけど、そういう意味でキジブラザーのチェンジはつまんないね。まぁ所謂ジェンダー的には「男勝りなルカでも女性は必ずスカート」というのはどうなんだって意見もそりゃあるんだろうから、「男性でもスカートを履いていいっていうポリコレ対応だ!」と持ち上げられるだろうという読みを踏まえて、おそらく実際はただの手抜きとしてやってる辺りは白倉さん節というか、予算調整とかそういう意味で"プロデューサー"の手腕だなって感じはするけど。

 

・怪人の設定は『W』以降の平成2期っぽいフォーマットだって話をしたけど、ドンモモタロウアルターなんかは映像的な見え方としては完全にディスクアニマルから始まりメモリガジェット,カンドロイド,フードロイド……などの"Aパートアイテム"と呼ばれるそれにかなり近い。桃に変形というギミックも含めて、CDになったり缶になったりファストフードになったりするのと全く同じだし。奇しくもライダーでは『鎧武』辺りからその路線は「もうやめよう」という話になったらしいので、被る心配もないし戦隊の方に取り入れようという試みなのかな?
正直僕はあのチェンジヒーローズのラインは全然欲しくならなかったんだけど、Aパートアイテム自体は割と好きなので来年以降、ロボとはまた別のちょっとした変形玩具が出ることに期待。もちろん、等身大でもミニメカとして活躍した上でロボとも合体してくれたら更に面白いけど。

・「何者だ? やつら」からのくだり、てっきり撤退して少し離れたところで話してるのかと思いきや烈車鬼が見切れてて、ほとんど移動してないのがなんか笑えた。BGMも止まってるし、あれはギャグシーンとして見ていいのか……?

・暗闇にキャラクターと敵だけがふわっと浮かび上がる演出『ゼロワン』で見たときは興奮したけど、あの作品内だけでも結構擦られてて「またか……」ってなってたのに『リバイス』でもやっててそろそろウンザリしてきたんだよなぁ。あんま覚えてないけど『セイバー』でもやってたような気がする。

 

・前回介人が召喚したジュランにドンモモタロウが無反応だったのは、天女さんや斬撃のジャンプポイントも当然のこととして受け入れてた訳だし、基本あの世界では自分に都合のいいことが起こるのは当たり前だから何かしらの形で「でかいやつと戦いたい」という願いは叶うと踏んでたんだろうね。順序はごまかされてたけど、はるかも「ここでカレシが登場して助けてくれる」って思ったことが都合よく現実になってたし。
今回ちゃんと名前を呼んだことで「1話でも来るって知ってたのかな?」と思わせておいて、実はそうでもなくてただ前回来たから今回も来るだろうと思っただけっていう。
ただややこしいのは、あの世界の人は「願えば叶うから願おう」と自覚的にやってる訳じゃなくてただぼんやりと幸せな夢を見ているに過ぎないので、都合のいい世界であることには気付いてないのよね。
気付いてないから、司法試験に受からないと思えば受からないし、逆にできる気がすると思えればできる。

・「幸せな68に見える」というオチ、その一言が最初から言えてれば……と思いかけたけど、最初の時点では年齢に対するコンプレックスが彼女の中にあったから幸せには見えなかったけど、ヒトツ鬼を倒すことで"悲しみを退治"することができるのだとしたら、騒動が収まった今だからこそ発することができた言葉なのかもしれないな。

 

まとめ

2話も面白かったけど、1話の方が面白かったかな。もう「この連続もの路線で行くのね」って心の準備ができちゃってたから、「うわー! 新鮮!」みたいな楽しみ方がイマイチできなかった。

 

前話

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン1話「あばたろう」 感想

次話

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン3話「あかりどろぼう」 感想

特撮雑談クラブ 第9回「数字/名前」

03/12 次回「武器」21:00〜23:30

同時視聴作品は以下の2本です。
19:00~『ゴーゴーファイブ』第18話「逆襲のVランサー」
19:30~『セイバー』第21章「最高に輝け、全身全色。」

 

第9回「数字/名前」

 

二人一組のヒーロー

やんま「数字っていうのはまず"人数"の話で、戦隊は5人(ないし3人)いたりとか、仮面ライダーは割とバディ組みがちだよね、二人一組になりがちだよねみたいな。それがなんでかって考えたときに、2って数字は結構"対立"っていうか、陰と陽だったり正と負だったり、善悪もそうだけど二元論的な世界観っていうか。あるもの、ひとつのものがふたつに分かれたりとか、元々相反するもので相容れないって場合もあるんだけど。
っていう対立構造として2っていう数字を取り扱うのが、例えば『龍騎』の真司と蓮だったり、ブレイドとカリスもそうだし、カブトとガタックとか……Wが一番分かりやすいのか。『クウガ』も一応、五代と一条が実質的な主役ではあるんだけど、クレジットとして主役が2人なのは『W』から。平成二期の初期は、ライダー2人体制がずっと続いたんですよね。
っていう感じで結構平成ライダーはバディで組んで話を進めてくことが多いんですよね。っていうのは昭和ライダーの1号,2号とか、本郷と滝とかがイメージの源泉にはあるらしいんですけど。前回SONGENさんも仰ってたけど、元々仮面ライダーは孤独なものっていうイメージというか構想で練られてて、FBIの滝和也とか2号ライダーっていうのは後から付け足されたものであって、だから結果的に2になっちゃったのがライダーシリーズではあるっぽいんだけど。
でも割と、二人一組のヒーローっていうのはあんまりそれまでにないのかな? 考えてみたら。ウルトラマンも一人だし。そう考えると割と、新しい試みではあったのかもしれない。2人でセットのヒーローっていうのは。アメコミとかでもあんまりそういう設定のやつ見ないもんな、あんまり知らないけど(※でもサイドキックって概念があるから、意外と二人一組もいるのかも)。アイアンマンも1人だし……まぁAIと協力してたりしたけど。あとスパイダーマンも1人ですね、基本的には。

セイバーと悪魔の数字

令和ライダー、『ゼロワン』はあんまり2のイメージ……一応あるか。人間とヒューマギアっていう二項対立があって、それが手を組んだのが仮面ライダーゼロツーの或人とイズ。だったり、ゼロワン以外のライダーはA.I.M.S.組が2人、滅亡迅雷組が2人が最初から配置されてて、二人一組の要素はあったのかな? ゼアとアークも対になってるし。でもあんまり2ってイメージはないんだよな。
『セイバー』は、物語開始当初はセイバーとブレイズが対になる存在としていたんだけど、途中からエスパーダが参戦して2だったのが3になって、そもそもバスターが出てきたり剣斬が出てきたりっていうところで、まぁ割としっちゃかめっちゃか(多人数)になってくんだけど……しっちゃかめっちゃかっていうか、元々セイバーの顔が6を表してるんですよね。だから最初から6人ライダーがいるのは当然っちゃ当然なんだけど。セイバー,ブレイズ,エスパーダ,バスター,剣斬,カリバーか、この6人が制作発表のときからいて。
セイバーの顔が6を表してるっていうのは、まず真ん中に1本線(ソードクラウン)があって、そこにバッテンが書いてあるんですよね、セイバーのデザインっていうのは。形状的としてはいわゆるアスタリスク(*)って形になってて、それがまぁ六角形みたいな形をしてるんですよ。
……それがなんでかって言うと、6は悪魔の数字っていうのがよく言われることだけど、キリスト教的には7が完全な数っていう思想がどうやらあるらしくて。例えば神様が世界を創ったときの日数も7日間だったり。だから7には、それで完成されるってニュアンスがあるらしいんですね。まぁでも実際は6日間で創って1日休んでるから、6も完全なんじゃないの? って思ったりもするんだけど、まぁまぁそこは。7が完全な数だから、6はそれに満たないって意味で割と不吉な数として扱われることも多いらしくて、だから悪魔の数って言われてたりもするらしいんだけど。
(だから、本来全てを滅ぼす悪い神獣であるドラゴンの力を借りるセイバーは、救世主でありながら悪い面も併せ持つ複合的なキャラとしてデザインされているので、6をイメージした形になっているのだと思う)」

 

やんま「「"1"は絶対的なもの。唯一神であり唯一王、ひとつしかなければ"数える"までもない、あらゆる数字的認識に先立つアプリオリな概念。クウガ,ゼロワン……。
"2"は矛盾と対立、或いは一対。2人目の人類であるイブは蛇にそそのかされ知恵の実を食べ、アダムをも誘い2人で神の元から追放された裏切りの数字。龍騎,555,カブト,W,ビルド,ジオウ……。
"3"は世界。わたし(1)とあなた(2)以外の全ては"三人称"として認識され、点が3つ合わされば∴(故に)……つまり根拠を持った確実なものとして認められる。2つに分裂した意見をまとめあげ(父と母と子)、三竦みなどの均衡をもたらし、陸海空,天地人など世界の全てを表す。アギト,響鬼,オーズ,ドライブ,ゴースト,ジオウ……。
"4"は不安と調和。日本では死の数とされるように3で得た均衡を崩しかねない危うさと、それまでのように4本線ではなく四やⅣとして、個々を認識することを諦め"多数"として割り切ることで得られる安息。四方位や四元素など、ある種の秩序をもたらす。クウガ,剣,電王,キバ,フォーゼ,ウィザード,エグゼイド……。」」
 のーとさん参加
のーと「こんばんは。(遅れちゃって)すみません、今なんの話ですか?」
やんま「今言ってたのは、漢数字とかローマ数字は1,2,3までは棒を増やすことで対応してるけど、4からは違うよねっていうのを。3までは個々を意識できるんだけど、4からはもうまとめて1個のカタマリとして認識してしまうっていう、認知の限界を表してる数字だなぁと思って」
のーと「そうですね、割と3つで一組っていうのはあるんじゃないですかね。ただ漢数字の四は、最初は4本線(亖)だったと思います」
やんま「はいはい、ローマ数字もそう(IIII)ですよね」
のーと「だから3がまとまりが良くて……ギリギリ4までぐらいなのかな?」
やんま「そっか。すごい昔は(4に限らず)普通に棒を追加してく形でしか数えるって発想がなかったけど、むしろ数える行為に慣れ親しんでから、それをめんどくさがってまとめるって行為をするようになったのか。あーなるほど」
のーと「『クウガ』のリント文字は4までが4本線で、(形式が変わるのは)5からですね」
やんま「へー、なんか意外。『クウガ』って割と4が不吉なイメージ……あ、でもそうでもないのか? ……なんかリントもクウガも3文字で、でグロンギが4文字で、多分ニンゲンも4文字扱いなんですよ。ゴウラムが出てきたときに最初めちゃくちゃ危険視されてたのが僕すごい違和感あって、そっから珍しく4文字だから不吉なイメージがしたのかなと思ったんですけど。でも考えてみたらクウガの基本フォームって4つだし、別に4が不吉って訳では必ずしもないのかな」
のーと「そうじゃないですかね。まぁ4で区切れてるのは、設定の順序としては逆だけどクウガが4色だからってことかもしれないし。
数字と名前ってことだと、未確認生命体第何号とかっていうのは、それかなって」
やんま「そっか、クウガも4号か」
のーと「多分仮面ライダー1号, 2号みたいなナンバリングを、怪人もクウガも一緒だからってことでそうしてるんだと思いますけど、なんか不思議な聞き心地ですよね。僕はかなり『クウガ』好きな方なんで、第何十何号って言われたらあいつねっていうのはすぐに分かるんですけど、そうじゃない人の方が多分多いと思うんですよね。それは初めて……最近になって『クウガ』を見る人もそうだし、当時リアルタイムで見てた大人の人とか子供もそうだと思うんですけど。ちゃんと調べれば分かるんだけど、パッと聞いただけでは分かんなくて、それでいてグロンギと対峙してる当事者の警察とか五代くんには、37号のことですよねって言われたら多分通じてるみたいな、なんか不思議な感じがしますよね」
やんま「あの作中の人たちは一件一件順を追って経験してる訳だから……まぁそれは僕ら(視聴者)もそうだけど、リアリティを持って体感してる訳だから。台風何号みたいなイメージで、割と通じてるんでしょうね」
のーと「ガルメっていうカメレオンの怪人は、最初にゲームしたときはずっと透明だからバレてなくて、超全集とか読むとカレンダーでそいつが悪さしてた時期は分かるんだけど、作中ではメになるまで全然触れられないで、あの時のやつか! って言うし。ガルメは割と最初の『クウガ』のプロモーションのときにも出てたから、いることは分かってるんだけど番号がついてないやつみたいな不思議な感じだったし、そのせいでなんか、怪人がいるのは分かるんだけど、覚えてる順番じゃないみたいな。なんかズレてる気がするし、そのズレっていうのが大量にいる出てこないグロンギのせいで、なんか飛ばしてる気がするみたいな。
よく荒川さんとか井上敏樹は『クウガ』のことを、自分がさも五代くんの知り合いであったかのようなって言うことがあるけど、確かにヒューマンドラマ的な部分は確かにそうなんだけど、刑事ドラマ的な部分っていうのは、ドラマというよりドキュメンタリーを見てる感じだから、なんかひとつの番組なんだけど、ちょっと感じ方が違う」
やんま「乖離してる感が」

超能力ものと『SPEC』のようなシリーズ展開

のーと「どっちもリアリティがあるつくりかたをしてて……刑事さんの方にも人間ドラマがあるから、その2つっていうのはちゃんと分けられるものではないんだけど、でも2つの異なる感じの見えざまが同居してるっていうのは面白いところかなと思います。
ストーリーの筋、縦筋が複数あるってことじゃなくて、見た感じの雰囲気がっていうところだと……『アギト』とかそうですかね? 『アギト』とかは、超能力ものっていうか、『アギト』のちょっと前に流行ってた雰囲気のオカルトチックな部分もありつつ、海外ドラマみたいなつくりしてる部分もありつつ、なんとなく『クウガ』から継承した部分もありつつみたいな感じで、ちょっと複雑っていうか、どのラインで見たら面白く見れるのかっていうのが、ちょっと難しい感じですよね」
やんま「へぇ……超能力ものとしての文脈みたいなのは、まぁ白倉さんとかがインタビューで言ってるのは聞いたことあるけど、実感としては分かんないからあれだけど、でも表面的なところで言っても『クウガ』と一緒で刑事パート……G3ユニットのパートと、翔一くんの方のパートっていうのは割と乖離してますよね」
のーと「『アギト』に直接絡むところだと、まぁ超能力ものって言っていいのか分かんないけど、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』もそうだし、共作だけど『幻魔大戦』って漫画もあったりして……それよりはずっと、『アギト』は割とハッピーな終わり方をするんですけど。
あとは流行ったもの……『TRICK』とかはそれに対するパロディみたいな感じだけど、仲間由紀恵阿部寛の。あと『NIGHT HEAD』っていうのもまぁまぁ流行ったと思うんですけど、あれは『555』に似てるなって思ったりした部分もあって。超能力者の会社があるんですよ(笑) ……あって、いずれ人類は超能力者によって導かれる未来が来るだろうみたいなことをお題目として掲げて、超能力に目覚めた人を管理してる企業があるんですよね」
やんま「めっちゃ『555』ですね……」
のーと「だから『555』がショッカーとか悪の組織っていうのを現代的なものとして説得力を持たせるために秘密結社じゃなくて会社ってことにしましたって言ってるけど、でもなんとなくそっちの影響もあるんじゃないの? みたいな。昔似たような題材で流行ったドラマから取材してるところもあるんじゃないかなって思ったりはするんですよ」
やんま「結構昔の作品なんですね、これは」
のーと「そうですね、あと会社の名前が"ARK(アーク)"……方舟ですよね、アークオルフェノク(笑) だからもう絶対そうだって思ったけど、いくら『555』のこと調べても出てこないから多分違うのかなって思ったりして」
やんま「(調べながら)でも蓜島邦明さんが音楽やってるから、白倉さんは多分知ってるのかな? 『カブト』で起用してるくらいだし(※『Sh15ya』の方が先)」
のーと「まぁ間違いなく知ってると思います」
やんま「なるほど……。超能力ドラマって言うと、僕は『SPEC』ぐらいしか思いつかないんだけど」
のーと「そうですね『SPEC』も、割と平成ライダーに見てるところはあったのかな? 映画では直接言及するシーンもありましたよね。向井理(セカイ)が……」
やんま「あぁ言ってましたね、平成ライダーかよ! って」
のーと「そうそう、(SPECホルダーたちが)横並びになる……あれ何年の映画だったんだろう? 映画の後編の方ですよね」
やんま「2期の真ん中くらいかな? (調べながら)えっと『〜結〜 爻ノ篇』が2013年……『オーズ』『フォーゼ』あたりかな?(※2009年の『ディケイド』を2011年だと勘違いしている。実際は『鎧武』)」
のーと「それも不思議なセリフ……いや不思議なことはないか? 平成仮面ライダーっていうブランドに横並びするって絵面を出したのって『ディケイド』が最初じゃないですか。まぁ全然お前ら一緒のところにいなかっただろ、でも横並びになってるみたいな写真は『龍騎』でもあったけど。13人のライダーがさいたまスーパーアリーナにずらっと並んでるあれ。とかもあったけど、超能力者・SPECホルダーたちが横並びになって決めポーズというか、あれをする平成ライダーぽいって言われ方っていうのは、実は4年ぐらいしか経ってない」
やんま「むしろ春映画っぽい」
のーと「そうそう、新しい平成仮面ライダーですよね。新しいっていうか、ブランド化された平成仮面ライダー
やんま「『ディケイド』とかが記憶に新しいからってことなのかな? そっか『SPEC』の途中で震災があったぐらいだったかな。
……そうそう、『SPEC』なんで今話題に出したかっていうと、さっき見た『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』の中にカラスが空飛ん出るシーンがあって、めっちゃ『SPEC』みたいじゃんと思って。まぁ別に八咫烏ではないと思うんだけど(※3号だし、もしかすると3本足だったのかもしれない)、3号の黒井響一郎を表すイメージとして黒い羽っていうのが結構使われてて、それがそのカラスのあれだと思うんですけど……なんでなんだろうな? BLACKが出てきたりしたから、太陽の遣いとしてのカラスなのかな。BLACK(RX)も太陽の子ですもんね」
のーと「今ちょっと『SPEC』のこと考えてたら、その前の『ケイゾク』っていうのがあって、あれは1999年で映画やってるのが2000年だから、ほぼほぼ同期みたいな感じ(笑)」
やんま「そっか、平成ライダーと同じくらいの時期に生まれて……」
のーと「この言い方は正しくないと思うけど、『SPEC』は『ケイゾク』を下敷きにして、でもなんかやってることが違うっていうのも、平成ライダーっぽいかなって」
やんま「あぁ、あれも一応世界観は繋がってるんでしたっけ? そっか、未詳の偉い人(野々村たち)が同一人物なのか」
のーと「世界観が地続きっていうのは平成ライダーにはないことなんだけど、同じシリーズの中でやることを全然変えてるみたいな感じ……」
やんま「……! あー、あぁ……なんていうか、シリーズ扱いだけど別のことやるって、そんなに意外と珍しいことじゃないのかなって思ったりしたんですけど。世界観だけ通じるっていうか、一部のキャラだけクロスオーバーみたいな感じで出してみたいな、繋がってるようで繋がってないみたいな展開をする作品って結構……例えばCLAMPの作品とか?」
のーと「あー、そうですね」
やんま「あれはスター・システムって言うんでしたっけ。『ツバサ・クロニクル』と『xxxHOLiC』が繋がってるんだっけ? とか。だから正統続編っていう形じゃないけど、全然違うことやってるんだけど、作者が同じだからみたいなイメージでシリーズのように並べて語るみたいな……ってことは割とあるかなと思って(『STEINS;GATE』と『ROBOTICS;NOTES』などの科学ADVシリーズとか、森見登美彦の小説『四畳半神話大系』と『夜は短し歩けよ乙女』とか)」
のーと「割とありますね。あれかな、平成ライダーから派生したものっていうか関連があるやつだと、武藤将吾の書くドラマはそうじゃないですか? 菅田将暉くんが主演やってた『3年A組』と『ニッポンノワール』が繋がってたのかな? 確か。
で『ニッポンノワール』と『ビルド』の世界は、おそらく直では繋がらないけど、でもこれ『ビルド』で見たなっていうのが『ニッポンノワール』であったりして。双子みたいな感じですね、だから。ファンサービスなのか手癖なのかちょっと分からないけど」
やんま「武藤ワールド?」
のーと「武藤バースみたいな。仮にも東映が権利持ってて、原作は石ノ森章太郎でっていうので、それでそんな似せて大丈夫なのかなって思ったりするけど」
やんま「そんな似てるんだ?」
のーと「まるまる似てるって訳じゃないですけど、まぁでもあそことあそこは似てるなぁみたいな。一応刑事ものなんですけど、あんまりリアル寄りではないのかなって思います。割と『ビルド』と同じように、なのかな。毎週毎週新しいあれが出てきて、落ち着かないドラマだなって思ってたんですけど」
やんま「なるほど、手を変え品を変えみたいな」
のーと「刑事ドラマってこんなカジュアルに人体実験ってワード出てくるもんだったっけ? みたいな感じ(笑)」
やんま「人体実験!(笑)」

やんま「さっき4まで言ったんで、続きも言っとこうかな?
「"5"は中心。四方位に中心を加えて5つ。人間が5本指であること、頭と両手両足を合わせて五体満足と言うこと……12進法の方が利便性はあるが人間を中心として考えたときにキリが良い数字。戦隊,555,ゼロワン,リバイス……」っていうのはまぁ、僕が勝手に言ってるだけなんですけど、今回見た『555』なんかはまさに中心の555ですよね。携帯電話のテンキー」
のーと「人間基準で考えたときにキリのいいっていう話だと、嘘か本当か分かんないけど10進法で生きてるのは指が10本あるからっていうのは、よく聞く話ですけど」
やんま「なんか、最初は親指は数えるときに使ってなかったらしくて、どうやら……僕が読んだ本だと。だから最初は8が満杯っていうか、人間が指で数えられるいっぱいいっぱいの数だったらしい……まぁそれに足を2本加えて10って説もあるんですけど。だから8には"全部"ってニュアンスがあるんですよね、八方位とか」
のーと「グロンギってなんで9進法なんでしょうね?」
やんま「9っていう数字は、8とかと比べると割と最近出てきた概念みたいな風に言われてて。数字っていうか、数字の名前かな? Nineって言葉がってことなのかな?(サンスクリット語ではnavaが9,navasが新しい,ラテン語ではnovemが9,novusが新しいで語感が似ているのでそういうイメージがあるのでは、という話だった)。
あ、僕が今回言う数字のうんちくはほぼ、一冊の本『数のはなし―ゼロから∞まで』からの引用なので……(苦笑) (事実かどうかはさておき)めちゃくちゃ面白かったんで、それが」
のーと「9だけ何かちょっと違うっていうのは、もしかしたらあるかなとは思ったんですけど。さっきの漢数字の話ですけど、昔の漢字で1,2,3,4までは横並びの線で、5,6,7,8は記号みたいな感じなんですよね、まぁ6はちょっと違うかもしれないけど。で9だけちょっと特殊で、多分人間の肘の形かな? 音が同じだからそれを使ってるってだけなんですけど、なんかそれだけ取ってつけたような感じだなって印象を持ったことはありますね」
やんま「(漢字発祥の)中国は……8が全ってイメージはあるのかな? 八方位(八卦)だし、あと弥(や)って字が"あまね"とも読むから、遍くってニュアンスとも繋がるし……あ、あまねって読み方は訓読みだから日本の文化なのか」
のーと「あとは中国の数字……ちょっとズレちゃいますけど『クウガ』が取材してるところってそこに近い部分があると思うから。まぁリントの文明の元ネタって結構雑多なところから色々継ぎ接ぎしてるから全部が中国って訳じゃないけど、ご先祖様を祀る宗廟(そうびょう)……って施設分かりますか?」
やんま「躁病? 施設は知らないかも」
のーと「それだと、一人別格のご先祖様がいて、そっから1,2,3,4,5,6って互い違いに並んでるのが……昭穆制(しょうぼくせい)って言うんですけど。それだと一応七つ一組とか六つ一組とかになるのかなって、イメージとしては。だから割と数字の組み合わせっていうのは、結構自由っていうか、場合によって変わるのかなって思いますけど。
強引に特撮とかに引き戻すと、例えばウルトラ兄弟とか、栄光の七人ライダーとか。あとはそういう括りが実質的になかった平成ライダーっていうのは、色んな区切り方があったりしますよね。昭和もそうなのかな? 1号,2号含めてダブルライダー、V3含めてトリプルライダー、ライダーマンの扱いはちょっと分からないけど、ストロンガーまで刻んでいってとりあえず七人一組みたいな」
 SONGENさん参加

堤幸彦監督の話
同時視聴したゼロワン,555
カーレンジャーイベント
ゼンカイ最終回とドンブラ前夜
漫画版クウガ井上敏樹の集大成かも
オルフェノク組の描き方
3号はよく分からない?
井上ワープって言うけど
浦沢義雄とカーレンイベント
配信中のデジモンテイマーズ
作中での"仮面ライダー"という言葉の扱い
本当に職業ドラマを描いたライダーはどれか

 

次回「武器」

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン1話「あばたろう」 感想

桃太郎……じゃなくてかぐや姫じゃん!

・「ことーしことし」も面白いけど、物語の冒頭はきちんと21年前というむかーしむかしから始まるのね。21世紀の初めというと戦隊的にはガオレンジャーだけど、井上さんを初めとするスタッフ的にはむしろアギトをやってた年だよね。翔一くんなんかはまさにどんぶらこと漂着した正体不明の存在だし、桃井タロウの言う「この世は楽園!」的な価値観の持ち主でもあるしさ。「湖の激突!」での葦原とのやりとりについてはまた後でも触れます。

・これはドンモモタロウの登場シーンに出てくる天女さんたちを見た印象も手伝ってのことなんだけど、桃太郎というよりはむしろかぐや姫のニュアンスの方が強く感じるのよね。
竹取物語』はいわゆる日本最古の創作物語な訳なので、『桃太郎』や『ドンブラザーズ』もその流れを汲む作品としての側面を強めてるのかな。
月世界で罪を犯して地上に追放されたかぐや姫だけど、一説によるとその罪状は「姦淫」ということになっているらしくて、そこんとこも誰彼構わず縁ができたと関係を持つ桃井タロウのイメージソースはそこにあるのだと思われる。
竹取物語』においては地上で5人の男に求婚されるも、無理難題を課して結婚しないことで罪を贖い、月に帰って行ったという流れなのかもしれないけど、恐らく桃井タロウは何かしらの理由で『ドンブラザーズ』世界に追放されたとこまでは同じだと思うけど、『ゼンカイジャー』からの文脈も汲んだ上で、過去を悔い改め元いたところに戻るのではなく、新しく出会ったお供たち(求婚ではないけど、吉備団子をくださいなと言い寄ってくる3匹+忠誠を誓うオニシスター)とわいわい交わり合いながら今いるところに居着くんじゃないかなと思う。その方が白倉さんっぽいし井上さんっぽいし。

 

はるかの性格悪い感じがいい

・『555』の真理もそうだけど、男に媚びたような可愛らしい感じじゃなくて、普通に性格悪めの女性を描くのは井上敏樹の好きなところ。まぁ真理は何故か聖母として崇められがちだったりとか、はるかも桃太郎に跪いたりするから、ジェンダーレス的な観点からよろしいかと言われるとそれもまた微妙っちゃ微妙なんだけど、そこら辺のバランス感覚も含めて僕は好き。「ジェンダーにとらわれない女性像」にとらわれない女性像というか、男にぺこぺこする時もあるけど、それは別にジェンダーが云々じゃなくてあくまで"本人がそうしたいから"という内的動機でもって、きちんとキャラクターとして生きてる証だから。
はるかの役者さんはなんていうか、セリフを読むのはまだそんなにうまくないけど、「痛……くない!」みたいな短いリアクションに関してはすごくうまい印象。コメンタリーでも言ってたけど。
ゼンカイジャーは介人がホストで人間界にキカイノイドがやってくるという構図なので介人が主役でいいんだけど、ドンブラザーズは逆で桃井タロウの方があの世界に流れてきたゲストだから、世界観は元からの住人サイドで描く必要性があるので、どうせレッドじゃないならいっそ女性の彼女を中止に進めようという流れなのかな。

・作中作の『初恋ヒーロー』もTTFCで公開されてるので読んだけど、なかなかどうしてヘンテコな作品だったね。いい……意味で(笑)
他人の恋を応援したいから観察して記録を付けるって、作中でも指摘されてたけどめちゃくちゃ悪趣味だよ。それも悪気ゼロで無邪気にやってるから余計タチ悪い。本人が恋をするつもりは毛頭なくて、ただ観察者として上からモノを見てる感じは『ジオウ』のウォズっぽさもある。
初恋じゃないと興味が湧かないというのもなんか面白くて、純粋に幸せになって欲しいから応援してるんだったら別に初恋に限定する必要はないはずで。たぶん初恋じゃないってことは失恋という不幸を経験してるってことだから、その辺が優奈(主人公)的には嫌なんだろうね。この人でもいいやと"妥協"してる感というか、不純な感じがして。

・『THE FIRST』でもやってたけど、井上さんはタクシードライバーに何か怖いイメージでもあるんだろうか(笑) 僕はあんまタクシー乗ったことないから分かんないけど、どこの誰とも知らない人の運転で運ばれて、しかもその間は狭い密室に2人きりで、場合によっては馴れ馴れしく話しかけたりしてきて鬱陶しい……みたいなところからの発想なのかなとは想像できるけど、あんまり実感は持てないな。
今作のゲスト怪人であるヒトツ鬼(人憑き)には、タクシードライバーの"ベニツ鬼"と、よっぴーが変身した"シソツ鬼"のような"色"がモチーフになっているやつと、メダリストが変身した"騎士竜鬼"のような戦隊がモチーフのやつと2種類いるらしい。脳人ともまた別陣営らしくて、かなり入り組んだ設定で正直1話時点ではかなり分かりにくいので、次回以降少しずつ説明されるのを待つしかない。

・脳人の3人、制作発表のときからタイムジャッカーみたいだなぁと思ってたから、正直あまり魅力あるキャラクターになることを全く想定してなかったんだけど、ソノイさんめちゃくちゃカッコよくてビビった。はるかの勘違いに視聴者が感情移入できるようにって意図ももちろんあるんだろうけど、ここまでいい感じにカッコよく演出されたらもう、立ち位置的にはただの敵幹部じゃなくてライバルだよね。途中までしか見たことないけど『ゲキレンジャー』のリオとメレみたいな。
そういえば、井上さんはこういうアウトローなキャラを結構おいしく描く人なんだった。木野さんは勿論として『剣』の桐生さんとかも顕著だけど、あぁいう雰囲気になるのかな。尤も、ソノイだけ優遇されてソノニとソノザはおざなり……ってパターンも容易に想像できるけど、少なくとも現時点では出てるキャラ全員に魅力があるので、このソノイの活躍が僕の『ドンブラザーズ』に対する期待値をかなり高めてくれた。

どう見ても『マトリックス

・これは僕の読学想……ならぬ妄想かもしれないんだけれど、1話を見てる限りではこの『ドンブラザーズ』世界は、全部『マトリックス』的な仮想世界に思えてならなかった。というかそう考えると全部辻褄が合う。
さっきソノイが「いい夢を」と言っていたけどまさにその通りで、あの世界は現実の人間が眠ったまま見せられている夢みたいなもので、基本的には住人みんなの願いが叶って幸せになれる楽園のような世界なんだと思う。その仮想世界……仮にマトリックスと呼ぶけども、これを管理しているのがソノイを初めとする脳人たちで、人間社会に化けて潜り込んでるアノーニはもうまんま"エージェント"のそれよね。まぁあっちは設定的には元からエージェントとしているんじゃなくて、マトリックスの人間にエージェントが取り憑くみたいな描写だったけど。
そういう世界の背景を踏まえた上で考えると、ヒトツ鬼というのはソノイも欲が云々と言っていたように「自分だけの幸せ,他人を蹴落とす形での幸せ」を願った人たちの成れの果てなんだなというのがなんとなく分かる。
はるかが漫画家として成功して、よっぴーを除くクラスの全員が自分を徹底的に持ち上げてくれて……という、フィクションだからで流してもいいけど、でもちょっと都合良すぎない? というくだりは、おそらくこのマトリックス世界そのものが人間に幸せな夢を見せるために願ったことを叶えてくれてるようにできてるのかなと思うんだけど、その構造から生まれるバグのようなものとして、ヒトツ鬼がいる。
自分の幸せのために力を欲した結果その願いをマトリックスが叶えちゃうからあんな化け物みたいな見た目になってしまうのか、それとも騎士竜鬼に対してソノイがやっていたように「こいつはマトリックスにとって有害だ」と見做された者がレッテルというかマーキングとしてあの醜い見た目を与えられてしまうのかは微妙なとこだけど、ともかくマトリックス"全体"の幸せと調和を保つために、個人を犠牲にして戦うのが脳人とアノーニということなんだろう。
そもそもが仮想世界なのであれば、殺すのに躊躇する理由もないし。

・スロットで表現されてるからには、おそらくマトリックス世界の住人の中からランダムに選ばれた5人の人間がドンブラザーズとして世界の真実を見抜く目を与えられてるのかな……そういえば『マトリックス』でもサングラスって結構キーアイテムだっけ。

 

縁結びを怖がる時代性

・放送前は全然ピンときてなかったけど、桃井タロウの縁を大切にする感じは僕好きだ。今の世の中って、コロナ云々を抜きにしても人と人との繋がりって希薄なところがあって、こんな風に配達の仕事で客として会った人と私的な話をすることなんかまずないよね。
僕は前にスーパーの鮮魚コーナーでバイトしてたとき、おじさんに魚に関するうんちくを聞かされて、お客さんだからなんか無碍にするのも良くないのかなとか思いつつなんだかんだで30分くらい話し込んでしまったことがあったけど、思い返すとあれは一般的には"サボってた"ことになるのかなぁ。
そんな感じで仕事中にお客さんと仲良くなるのはあまり良くないかもしれないけど、じゃあプライベートな時間で全く知らない人と仲良くなる機会があるかっていうとそれもあんまりなくて、都会じゃ道案内とかお願いしようとしてもみんな無視するから悲しい。
田舎とか程々に栄えてるぐらいのところだったら、具合悪そうにしてたら心配して声かけてくれたり、これもなんかの縁だからって電車賃として300円くらいくれるおじさんとか、傘がないままずっと外にいたら「私は友達の傘に入って帰るから、ちょうど買い替えたかったし」って言って持ってた傘をくれるお姉さんとか、とにかくそういう人の優しさに触れるとすっごく温かい気持ちになる。
Twitter民が「目が合っただけで縁ができたと言いがかり付けてくるドンモモタロウ怖い」みたいな感じで盛り上がってるの見ると、人との縁って"怖いもの"なんだなぁ、そういう時代性なんだなぁと少し寂しくなる。そりゃね、中には目が合っただけで気があると勘違いしてストーカーになっちゃうような人もいるかもしれないけど、絶対確率で言ったらそんなに高くないのに、変に警戒心が強くて壁をつくろうとするのはあんまり好きじゃない。……僕は根っこがパリピ属性なのかもしれないな。Everybodyシャッフルしよう世代、連鎖するスマイル〜♪

世界からの拒絶

・コメンタリーの田崎監督曰く「力を得る代わりに何かを失うのは井上大先生っぽい」とのことだけど、まさにこの展開もさっきの世界観に照らし合わせると全然不思議なことではなくて、はるかはアノーニを視認できて世界の真実に気付けるドンブラザーズに変身してしまったことで、マトリックスから危険人物として断定されたからこそ、急に世界が掌返しをしたかのように盗作疑惑が持ち上がり、クラスのみんなからも敬遠されてしまう。「世界に拒絶される」と書くとすごく『ディケイド』っぽくもあるかな。ドンブラザーズの面々は世界にとっての異物であり、幸福な夢の世界を維持するためには排除するべき危険分子。
多分マトリックスの真実に気づく展開は後々でやりたいから今はまだ夢の中なんだろうけど「平和で幸せな夢から覚めて、過酷な現実と向き合う」というなんとなくの展開としては踏襲してる感じ。

悪意の連鎖を断ち切る脳人

・従来の特撮のお約束として普通に考えると、シソツ鬼とそれに伴ってうじゃうじゃ出てきたアノーニは仲間同士のはずなんだけど、設定的にアノーニは脳人陣営でむしろ対立しているはず。実際、ソノイがシソツ鬼を倒したのを見て「アノーニ(アーメン的なニュアンス?)」と呟いている。
ということを踏まえて考えると、あいつらはもしかするとヒトツ鬼やオニシスターというこの世界の幸せを壊すバグを目撃してしまった人達を消しに来たのかもしれない。
だとするとソノイがはるかを消さなかったのはちょっとおかしいんだけど、そもそも何故目撃者を消さなきゃいけないのかと考えると、『ゼロワン』の世界を思い浮かべてみるのが分かりやすい。ヒューマギアたちは人間の悪意を目の当たりにすることで「殺られる前に殺らければ」の理論で暴走を始めてしまう。そうなるともう暴力の連鎖で秩序は崩壊してしまう。……んだけど、冒頭のはるかに限って言えば「怪物に襲われたけど、イケメンのヒーローが助けてくれた」という認識であって、彼女の心は曇るどころかむしろときめいているので、危険分子として消す必要がない。『PSYCHO-PASS』を知ってる人には"色相が濁ってない"といえばより伝わるだろうか。

・そんな感じで一度はソノイがアフターケアをすることで見逃してもらったはるかだが、二度目はオニシスターになってしまっているのもあって、敵として見做されたのか蹴り飛ばされている。そもそも一度目の登場のときの「何故花を散らす?」ってベニツ鬼に言っているようにも見えるけど、実際は映像を見る限りでははるかがベニツ鬼を追い払おうとして自分で花束を殴り付けた結果散っている。さっき言った「暴力を前にして被害者も暴力性に目覚める」という流れとまさに合致する。
そして二度目の「お前も己の欲望に負け、この世の静寂を乱す者か」もまた、シソツ鬼に言っている部分もあるけど、自分の願いを叶えるためになりふり構わず跪くようなはるかの節操なさに対して言っているとも取れる。あー「よっぴーを元に戻してください!」は半分くらい「前までは他のクラスの連中と同じで私のこと崇めてたのに最近突っかかってくるようになったから元に戻してください!」だったから欲望認定されたのかもな。よっぴーなんて呼ぶくらいの関係ではあったはずなんだから。
ソノイが「我が剣の穢れ」として撤退したのも、悪と相対することで自分の色相が濁って悪に堕ちることを危惧してのことだろう。

苦痛に満ちた現実の賛美

・これは僕が好きだからってのもあるだろうけど、近年の作品で言うと『ゼロワン』的な文脈もすごく感じる本作。「悪いことをしたやつは消去してしまえばいい」のかどうかという問いはヒューマギアの扱いに酷似しているし、脳人にとって『ドンブラ』世界の住人が一段低次元の存在なら尚のこと。ヒューマギアにやっていた仕打ちを人間がされてみたらどうだ? というミラーリングになってるし、「幸せな夢を見続けるより苦痛もある現実の方がいい」という現実賛美の話として見ても、『REAL×TIME』における地獄のゼロワンvs楽園のエデンという対立と合致する。『セイバー』の最光が肉体を取り戻して行ったセリフ「これが体の痛みか……久し振りに最光だな!」もその流れにある。
先述した『アギト』の文脈で言うなら、現実に耐えきれずに幻想に逃げてしまうことを肯定する葦原と、ありのままの世界を美しいと肯定する翔一くんの話と繋がる。
これは多分井上さんが出家した経験とも繋がってるんだと思うけど、色即是空……この世は仮初めの世界であって、究極的には意味なんてないという諦念と、空即是色……それでもなお、この世には確かに意味はあると現実に回帰するような仏教的な悟った世界観が関係してるのかなと。虚無主義に打ち勝つっていう姿勢はかなり好きなので、その辺の根本的な価値観が好き。

・公式サイトを読むとより明快になるけど「あくまで敵を殺さない」というのがヒーローをヒーローたらしめる要素として明確に打ち出される時代なんだよな、今はもう。その証拠としてなのか雑魚戦闘員であるアノーニでさえ、明確に爆死してる様子は描かれていない。オニシスターが脳人レイヤーの橋を渡って逃げたときも、ドンモモタロウがゼンカイザーにアバターチェンジして撃ち伏せたときも、爆発はせずいつの間にかフェードアウト……つまり撤退? している。
クウガ』や『555』の頃はまだ、実質的な人殺しの罪を背負うのがヒーロー像として成立してたけど、特に平成二期のメモリブレイク辺りからその流れは顕著だよね。
……と思ったけど、戦隊の歴史的には遅くとも『タイムレンジャー』の時点でもう"敵を殺さないヒーロー"が出てきてるのか、そっか。そういえばさっきはあまり突っ込まなかったけど、21年前の『ガオレンジャー』も本作と同じで、敵はオルグっていう鬼だったけど、それと何か関係があるのかな。ちょっと保留で。

・桃井タロウは嘘がつけないらしい。それは「俺はあんたじゃない、だから自分でサインしろ」という物言いにも表れていたんだけど、その一方で「ドンモモタロウでありながらゼンカイザーの姿を騙る」ことは躊躇なくしているのも面白ポイント。
"嘘"という言葉に妙が詰まってて、つまり桃井タロウ本人が真実だと思い込んでいることに関しては、例え客観的には間違っていて事実でなかったとしても、彼の口からは出てき得るということ。だから「俺は幸福を運ぶ」というのは、あくまで彼がそう思ってるってだけで実際どうなのかはまだ眉唾もの。『キュウレンジャー』のラッキーじゃないけど、そう思い込むことで現実に幸福を呼び寄せているという可能性もあるか。

ドンブラ固有のDXロボ

・ドンブラザーズ固有の巨大ロボは現時点ではまだ発表されてなくて、放送開始前にこんな予想をした。
 「人間がロボット(何か)を操作する」という要素を極度に抽象化した結果として「人間がアバターを操作する」って発想に至ったのかなと思ったんだけど、もしそうだとするとゼンカイの等身大戦にロボの要素を持ち込むという試みはドンブラでも踏襲されるのかな。まだ出ぬDXロボも等身大で活躍したりして。
 一応序盤はドンゼンカイオーを使って従来通りのフォーマットもやるけど、ドンブラ固有の5人合体ロボでは巨大戦は実質廃止されて、例えるならパトレンU号みたいな扱いになるのかもしれない。中に生身の人が入ってない設定なら、5人集まっても人間1人分の大きさってことにノイズは発生しない。

……てな感じで、白倉さんの言う等身大で敵を倒して巨大ロボでもまた戦うって形式だとロボ戦がオマケみたいに見えちゃうから、等身大戦とロボ戦をシームレスに繋げるための試みの一環として、実質的に"巨大戦"は廃止されるんじゃないかなと予想していたんだけれど、1話を見る限りでは色モチーフじゃない方……つまり戦隊モチーフのヒトツ鬼だけが巨大化する能力を持ってるように見えた。もしこれから戦隊モチーフの敵を一通り出していくスタイルでやってくんだとしたら、巨大戦が廃止されるというのは考えにくいよね。
ただ、過去戦隊モチーフの敵はゼンカイザーブラックと物語的な関係があるはずなので、序盤で介人周りの話を一段落させて以降はもう過去作モチーフな巨大化する敵もドンゼンカイオーも出てこなくて、そこから新たに『ドンブラザーズ』だけのロボットが出てきて等身大でロボ戦をやるという新体制がスタート……という可能性はまだ残ってるけど、公式サイトを見る感じでは「ビルをぶっ壊すカタルシスを年間通してのコンセプトに」という話があったのでこれもなさそうかな。

・放送前から話題になってたキジブラザーの肩、コンテとか切ったりして見えざまから逆算してつくる従来のCGならあぁいうことは多分起こらなくて、モーションキャプチャーだからこその不具合なんだろうね。ゼンリョクゼンカイオーでも「今そこの関節どうなってるん?」っての時々あったし。
逆にどうすればモーションキャプチャーでその辺の整合性が取れるのかよく分からないけど、物理演算的な処理をうまくやるとちゃんと破綻のない映像になるのかな。
まぁでも、静止画で見せられなければ意外とそんなに気にならないけどね。

 

まとめ

予告で見てるぶんにはそんなに期待しきれてなかったんだけど、めちゃくちゃに面白かった。見返すごとに「これはこういう意図があるからこうなってるのね!」っていう発見と納得が溢れていて、パズルを解いてるみたいですげー楽しかった。期待してます。

 

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暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン2話「おおもも、こもも」 感想