やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン2話「おおもも、こもも」 感想

 

・正直「前回の……ゼンカイジャーは!」って、お決まりになってこそいたけどぶっちゃけただ言いたいだけというか、前回の話を振り返る必要があった回なんてほとんどなかったのでそんなに意味がなかったんだけど、この『ドンブラザーズ』はマジでこれ必要だな。特に何度も見返したりしない一般のお客さんには。「訳の分からないうちに戦士になった」っていう、要するにまだ誰も何も分かってないので、あなたも分からなくて大丈夫ですよという。

・制作発表の時点から割とキジさん好きだったけど、今回でさらに好きになった。というのは、とても親近感が湧いたというか。まず宅配の人にきちんと「ご苦労様です」と言うのが最近のマイブームだったり、自転車泥棒……ではないけど、かけっぱなしだった鍵を抜き取るいたずらをされたことがあったりっていう、本当に小さな描写がすごく刺さった。
あと"平凡"の象徴としてスライドにいらすとやの素材使わせるのも面白すぎた。

むしろ分かりやすく描いてる方

・本作は意味が分からないと言われがちだし、今回の話を見て、特に本筋と絡む訳でもないキジ,サル,イヌの話が差し込まれるあたり「(次回以降も見てもらうために)敢えて見どころを分散してよく分からないようにしてるんだな」というのは確信に近くなったんだけれども、それを踏まえた上でも意外と井上敏樹にしては分かりやすさを志向している方なんじゃないのかなとは思った。
僕は平成ライダーしか追ってないので絶対そうとは言えないけど、井上さんの書く話でモノローグを使って身の上を説明させるという話運びは、僕は多分初めて見た。唯一近いのは渡がお風呂とかでブツブツ「僕は駄目なんだ……」とか言ってたくらいだけど、あれも一応キバットが話し相手として置かれていたし、割とセリフや話との絡み方……つまり"行動"でもってキャラを描くタイプの人だと思うんだけど、はるかにしろキジさんにしろ「売れっ子漫画家だったのに転落」「平凡なサラリーマンが戦士として選ばれて不幸続きに」という、割と記号的な"設定"の説明に終止してるイメージがある。物語論としてよく引き合いに出される、小林靖子さんの言う「脚本家志望の人はよく設定を持ってくるけど、設定を考えられることと話が書けることは違う」というやつ。
『555』の巧なんかは序盤のうちはただ「ぶっきらぼうなやつ」くらいの属性しか与えられてなくて、これまでの経歴とかどんな価値観の持ち主かってことはなかなか不透明なまま進んで、回を追うごとに割と流されやすいタイプなのかなとか、でも意外と芯はあるいいやつなのかなとか、そういうことがおぼろげに掴めてくるんだけど。
ただこれは最初にも言ったけど、『ドンブラ』の作劇が設定寄りだから駄目ってことじゃなくて、他にも色々やりたいことがあるが故に、できるんだけど敢えてやらないで分かりやすくできるところは分かりやすくして全体の情報量……というか理解にかかるカロリーを減らそうとしてるんだろうなっていう話ね。あと、もしかすると『海の底のピアノ』を始めとして小説もたくさん書いてくうちに、地の文でキャラ本人に話を進めさせるノウハウみたいなものも会得したのかもしれない。どっちかって言うと『月神』の方が一人称だったかな?

金は縁から逃避するためのもの

・おサルさんの人もまた何の脈絡もなくはるかの説明と自己紹介し始めたな……と思ってたけど、これもしかして暗に脅してる? 盗作してた漫画家がいるって言いふらされたくなければコーヒー代をタダにしてくれっていう。だとしたらきちんと前後が有機的に繋がって見えるけど、お前爽やかな顔してなかなかあれだな……(笑)
お金っていうのは本来必要ないもので、物々交換とか、あとは要らなくなったものを譲ってもらうとか、そういう人との関わり……縁で解決できる問題を、いちいち関係を持たなくていいよう「これだけ払えばこれをやる」というドライな"取り引き"に変えるための装置であって、岡田斗司夫も「人と関わりたくないと思うと金が必要になる」と話していた。
もちろんおサルさんのように、或いは音也のバイオリンのように、自分にできるある種の"働き"……相手を喜ばせるという対価を支払う方法もあるし、あと面白いところだと赤ちゃんやペットのように「可愛らしくて愛される存在である」というただそれだけの理由で、他人に身の回りの世話をすべてしてもらうという方法もある。ちなみにそれを大人が実行すると、いわゆるヒモという状態になる。「喜ばせる」「愛される」という人間関係の構築を面倒でしたくないと思うなら、とにかく金を払ってドライに済ませるしかない。金の切れ目は縁の切れ目なんて言葉もあるけど、逆に言えば金が絡まない縁は切れにくいということにもなる。
イヌ,サル,キジはきびだんごを貰うためにお金を払わないけど、その代わりに鬼を相手に暴れまわるというギブアンドテイクを持ちかける……そこんところタロウの言う縁とも結構深く関わってきそうなキャラなので、結構注目かも?

・「春風や、亡きあの人とすれ違う」
春は別れの季節だもんね……素直に捉えて、実際彼に今は亡き奥さんがいたと解釈してもいいんだけど、僕的には「死んだ奥さん? そんなのいないけど。創作だよ創作」って言って欲しい。逆にその奥さんが大金持ちで、逆玉の輿で得た資産で暮らしてるんだとしてもそれはそれで面白いけど。その場合「金なんて不浄だから持ってない」は大嘘ってことになる。頭はキレるんだけど普段はその場のノリで適当言ってるだけってキャラだと刺さる。

・ウィル……もとい桃井陣さんはなんで消されずに閉じ込められてるんだろうな。削除できない特異点的な設定でもあるのか。……と思ったけど、彼自身が実はアノーニ……というか、アノーニとしてアバター世界(マトリックス)に潜り込んでる"現実世界の住人"なのかもしれない。アバターなら脳人陣営は容赦なく削除するけど、現実の人間はそういう訳にもいかないから牢屋に閉じ込めたり、タロウみたいにアバター世界に追放されたりしてるのかも。
……そう考えると、ドンブラザーズになった時点でお尋ね者のはずなのにとりわけ指名手配犯として扱われてるってことは、実はイヌの人もアノーニ陣営を裏切ったから追われてるとかそういう事情があったりするのかな。刑事に追われてるシーンで使われてるBGMが前回アノーニに追い回されてたときのそれだったのもあって、単純にあの世界の警察に追われているというよりはアノーニに追われているような印象を受けたのかも。

・嘘がつけないだけでなく、本当の年齢をピタリと言い当ててしまう不思議な慧眼の持ち主な桃井タロウ。今回のゲストである磯野さなえ/列車鬼さんの容姿がガラッと変わるのは、もちろん怪人の能力でもありつつ"アバターチェンジ"の文脈でもあるんだろうね。タロウにとってみれば、どんな見てくれのアバターを使っていてもその向こうにある本質を見抜いてしまうと……だとすると、オニシスターたちの正体にも気付いてたりするのか? と思いもしたけど、キジさんには無反応だったので微妙か。

敵の設定が革新的

・ライダーにおいては平成2期以降定番となってる「怪人になる人間のドラマで話を回す」スタイルを戦隊シリーズはこれまでほぼ踏襲してなくて、あくまで「ゲスト怪人は倒す(殺す)もの、能力や作戦を提供する舞台装置」でしかなくて、それ以上の踏み込みを作品単位でやったことってないんだけど、それを初めてやったのが『リュウソウジャー』で、マイナソーは人間から生まれるので、その原因となる人間を殺すか、それとも悩みを解決するか、ともかく死ぬ前に怪人を倒すかという構造を戦隊に取り入れていて、だからこそドンブラは1話でリスペクトを込めてリュウソウの怪人を出したと。
タイムレンジャーは「怪人を殺さない」こそ形式的にやったけど、じゃあゲスト怪人に能力や作戦と言った表面的な要素以外の内面的なドラマや葛藤などを持たせたかというと多分そんなことはなくて、以降もその流れは汲まれることなく、死刑判決が下ってるからとか人間とは全く異なる異世界や宇宙からの侵略者だからとか「いかに殺してもいい理屈を設定するか」の方に腐心していた。
そこは恐らく「低年齢層向けだから」ってことでなぁなぁに……というか、ポジティブに言うなら白倉さんの言う「毎回怪人を倒すという子供たちとの約束」を守ってるってことなんだろうけど、ドンブラからはそこを根本的に見直して、戦隊といえども人間を敵として配置して安易に殺さない方向へシフトさせたいのではないかなと。
「子供向けは分かりやすい方がいい」は一理あるんだけど、最近はどうも「情報に疲れた大人が頭を使わずに楽しめる娯楽」的な側面も大きくなってるような気がしていて、これからの情報過多社会を生きてく子供目線では、好奇心旺盛に情報のシャワーを楽しむようなスタイルの方がいいのではないのかと。
確か白倉さんが言ってたような気がするけど、鬼ヶ島に住んでいて人間社会を今まさに脅かしてる訳ではない鬼を退治するような『桃太郎』なんて話が一般的に流布している現状を変えるために、現代的な価値観にアップデートした「倒さない桃太郎」をやりたいのがドンブラなのかな。
更には、ある種の教育番組として「悪を根絶やしにするのが正義ではない」というアップデートされた価値観を戦隊に導入することで、従来の「子供だから分からなくていい」のラインを底上げする(戦隊をライダー化する)ことで、いつまでも「ゲスト怪人のお悩み相談」をやっているライダーの尻に火をつけて、「もうそれは分かったから、早く次のステップへ行けよ」という白倉さんなりのメッセージなのかなとも思った。戦隊の話がライダーと同じくらい複雑化したなら、もう少し年齢層が高いライダーは戦隊との差別化でもっと複雑なことに挑戦できるようになる、或いはしなくてはいけなくなる。

・脳人の「悪に目覚めた人間を上位存在が粛清していく」っていう構図自体はアギトとほとんど同じなんだけど、ゲスト怪人のドラマ(卓球への妄執,次美の追求)もやりつつ、アンノウンポジションである脳人側のドラマもきちんとやるつもりっぽいのが新しい。
井上さんって怪人のドラマを描くことは勿論、バッサリ割り切って描かないこともできる人なので、その辺様子を見ながらどっちにも転がせるようにって意図での人選だと考えたら得心が行った。
メインのキャラにはドラマがあるけどゲスト怪人には全くないオルフェノクっていうのは、ある意味では幹部級にはドラマがあったりもするけどゲスト怪人にはない戦隊の文脈に沿った描き方で、その上で割と井上さんは「1,2話限りで使い捨てされる濃いキャラ」も書ける人だから、適任なのかなと。
今回の「妖怪・いくつに見える?」なんかも、なかなかいい味を出してたよね。ボソボソ呟きながら人を襲う不気味さは、前述のマイナソーにも通ずるところがある。

イマジネーションという拡張現実と内在する悪

・前回の怪人で騎士竜をチョイスした理由はさっき話した通りだけど、その点でいくと今回『トッキュウジャー』モチーフなのは、まぁもちろん桃太郎ヒーローの元祖である電王、サングラスでアバター要素もあったゴーバスターズ、その両方を担当してた小林靖子さんの作品だからってこともあるんだろうけど、そういう表面的なこととは別で一番思い出して欲しいのは"イマジネーション"という概念なのかなと思った。
『トッキュウジャー』におけるイマジネーションの映像での描かれ方は脳人レイヤーとイメージ的に通ずるところがあって、現実は現実としてあるんだけど、その上にLayer……重なって展開される"拡張現実(AR)"のようなニュアンスの概念なのよね。
この表現は平成ライダーの批評で有名な宇野常寛さんが著書『リトル・ピープルの時代』の最後の方で語っていた内容を意識している側面もあるように思う。本当にざっくりとまとめると、彼の言う物語が持つ"想像力"というのは元々「この世界の外部」を住処にしていた……つまり"俺たち"とは関係のない全く別の存在が攻めてくるという構図だったのが、「この世界の内部」……つまり我々と無関係ではない存在が人間社会の内側にいて、こちらを蝕むようなイメージに置き換わってきているのではないかみたいな話。ちゃんと知りたい人は図書館とかでリクエストすれば借りれると思うので読んでください。
『トッキュウジャー』の敵組織周りの設定はよく知らないんだけど、ざっと調べてみたらシャドーラインは「地の底」にあるらしくて、これが本当ならまさに"世界に内在する悪"の象徴なのかもしれない。あ、言わずもがな人間が変身するヒトツ鬼というのもその文脈にあたります。
そう考えると「福はうち! オニもうち!?」っていうオニシスターの変身待機音はかなり示唆的かも。

はるかにとっての"戦う動機"

・はるかが戦士として戦う決意を固めるシーン、正直心情的にはそこまでよくは分からなくて、目の前で苦しんでる人をほっとけないというよくあるヒーローのキャラ造形としては了解できるけど、それこそまさに"記号的"であってイマイチ実態を伴っていない。
ただこれは意図的にやってるというか、あくまでこのアバター世界(前回を参照のこと)において戦士という"役割"を与えられたからそれに従っているだけ……という描き方なような気もする。それこそ翔一くんや渡が序盤は本能に突き動かされるがままに戦っていたのと同じニュアンスで、元々の"天才漫画家"という属性もまたマトリックスから与えられた設定なんだろうから。
或いはもう少し違う見方をすると、戦士の証であるあのサングラスにはアノーニを始めとした世界の現実,真実が"見える"ようになってしまう効果の延長として、何かを"見て見ぬフリ"ができないような気持ちにさせるアイテムでもあるのかもしれない。
・逆に「『初恋ヒーロー』の作者だし」の方は戦う動機としてなかなか面白かった。これは今朝公開された1話の後編で明らかになることなんだけど、"初恋ヒーロー"ってのは作中でも映った1シーン「助けて! マイヒーロー!」と呼ばれてさっそうと現れた男の子……ではなくて、実は助けを呼んだ優奈自身が初恋を守るヒーローになる話だったのよね。
まぁヒーローが男か女かってのはそこまで重要じゃないかもしれないけど、要するにはるかが言ってるのは「都合よく全てを解決してくれる正義のヒーローを描くのは簡単だけど、そんな風に綺麗事を語った作者にも正義を貫く義務がある」という、高校生とは思えないある種の"プロ意識"なんだと思う。
ヒーローとか正義を語るドラマつくってるけど、制作スタッフの間でセクハラや過重労働があったらしいですね、或いは役者がコロナ禍なのに路上喫煙してたらしいですね、なんて話題が少し前にあったけれど、そこを狙ってたのかそれともたまたまなのかは分からないが要はそういうことよね。ただ物語の中だけで絵空事のヒーローを描くだけじゃなくて、何か現実の世界でも人を助けるようなことをしてこそ説得力が生まれるんじゃないのかという。
特にはるかの場合は盗作疑惑なんていうのまでかけられてる訳だし、余計に「ヒーローとか言っといてそんなことしてるのかよ」というスキャンダル的な視線には敏感になっているのかもしれない。この自分の作品に対する責任感の強さを取ってみても、盗作は間違いなく冤罪だろうことが伺える。

モノクロ介人さん、意外といいやつ?

・確かに戦隊ギアがアバタロウギアに変化する現象自体はゼンカイのラストでやってたけども、あれだけ節操なくコロコロ変わられると流石に違和感はあるぞ……と思ってたけど、公式サイトによるとイヌとキジが使ったリュウソウジャー戦隊ギアは前回介人が回収したものがそのままドンブラバックルに転送されていて、介人がギアを集めていくことでチェンジできるアバターが増えていくという寸法らしい。「前回ドロップしたやつを使ってるんですよ」という表現として、ギアが変化する描写を入れてると……なるほどそれならなんとなく理解できる。いやーでもこれ、本編だけから読み取れるかは微妙だよなぁ……。
それはさておき、はるかをバイトとして雇ったりと介人は今のところ全面的にドンブラザーズを支援する立ち位置らしい。「全力全開……? なんだそれ」ってセリフも、プロモーションで聞いたときは介人とは正反対の思想を持つすげー悪いやつみたいな印象だったけど、本編での使われ方としては単に「正体を隠すためにしらばっくれてる」みたいなニュアンスに留まってて、セリフの聞こえ方が180度変わってるのが面白かった。あんましいい例が思い付かないけど、『フォーゼ』の流星がメテオとは別人ですって言い張ってるみたいな、ウルトラマンの変身者が「ウルトラマンに助けてもらったんですよ」って言うような構図。

凸凹な等身デザイン

・そっか、アバターチェンジしてしまえば等身も何も関係ないのか。これまでの戦隊に今回のイヌキジほど攻めたことしてるやつがいないことで結果的に助けられてるというか、その歴史をデータベースとして使えるからこそ必要に応じてCGを抑えられる読みであの奇抜なデザインが成立するという逆説が面白いな。過去作へのリスペクトと革新への意志が高レベルで融合してる。
放送前は「(生身は別にある)アバターだから等身おかしいのね」と思わせておいて、実際見てみたら普通に生身の状態でワープするわきちんと"変身"で等身変わるわで、やっぱあの世界の人間自体マトリックスアバターなんだろうな。生身から変身するときも過去戦隊に変身するときも同じく"アバター(を)チェンジ"って言ってるから、あの生身も一種のアバターに過ぎないことを表現しているに違いない。
予算が苦しい時はゴーカイチェンジで凌げるし、そもアバターだから仮に路線変更されてこれからは等身大になりますって言われても設定的には全然アリな上に、仮想世界から目覚めましたって展開にすれば「これからは生身で変身するから等身大です」って言い訳できる余地もあるのがうまい。 
……と思わせておいて、普通に生身ですよ! って可能性もあるけどね。"アバター(に)チェンジ"かもしれないし、マジレンジャーとかゼンカイジャーも戦士としての能力の延長で巨大化したりしてたから「"変身"ってそういうもんでしょ? アバターじゃない生身でもそりゃ等身くらい変わるよ」という。
・でも正直言うと、こんな早い段階でゴーカイチェンジをやったのはあまり印象よくない。特に気になるのは、イヌとキジが元々自分たちの体型に不満や戸惑いを覚えていて、それを解消するためにアバターチェンジしているように見えてしまうこと。まぁだから要するに「まだその小さかったり背が高かったりすることによる長所が全然描けてないのに等身大になっちゃうの?」っていうこと。
『「仮面ライダー」超解析』の中で白倉さんが「最近のライダー面白いですか?」的な文脈で「最初はすごい企画だなーと思っても、いざ蓋を開けると「すごい勢いで丸くしたんだね……」ということは多々あるじゃないですか。でも『エグゼイド』は丸くしてないので。おもしろいですよ、久々に」みたいなコメントをしてるんだけど、まさに"すごい勢いで丸くしてる"じゃんっていう。
キジブラザーはまだ「男なのに女性だったピンク戦士になる」という特徴が残ってるけど、イヌブラザーに関してはもう個性が完全消滅してる。
・ゴーカイチェンジに関しては男女が入れ替わるとスカートが付いたりなくなったりっていうデザイン上の変化があって単純に見ていて面白かったんだけど、そういう意味でキジブラザーのチェンジはつまんないね。まぁ所謂ジェンダー的には「男勝りなルカでも女性は必ずスカート」というのはどうなんだって意見もそりゃあるんだろうから、「男性でもスカートを履いていいっていうポリコレ対応だ!」と持ち上げられるだろうという読みを踏まえて、おそらく実際はただの手抜きとしてやってる辺りは白倉さん節というか、予算調整とかそういう意味で"プロデューサー"の手腕だなって感じはするけど。

 

・怪人の設定は『W』以降の平成2期っぽいフォーマットだって話をしたけど、ドンモモタロウアルターなんかは映像的な見え方としては完全にディスクアニマルから始まりメモリガジェット,カンドロイド,フードロイド……などの"Aパートアイテム"と呼ばれるそれにかなり近い。桃に変形というギミックも含めて、CDになったり缶になったりファストフードになったりするのと全く同じだし。奇しくもライダーでは『鎧武』辺りからその路線は「もうやめよう」という話になったらしいので、被る心配もないし戦隊の方に取り入れようという試みなのかな?
正直僕はあのチェンジヒーローズのラインは全然欲しくならなかったんだけど、Aパートアイテム自体は割と好きなので来年以降、ロボとはまた別のちょっとした変形玩具が出ることに期待。もちろん、等身大でもミニメカとして活躍した上でロボとも合体してくれたら更に面白いけど。

・「何者だ? やつら」からのくだり、てっきり撤退して少し離れたところで話してるのかと思いきや烈車鬼が見切れてて、ほとんど移動してないのがなんか笑えた。BGMも止まってるし、あれはギャグシーンとして見ていいのか……?

・暗闇にキャラクターと敵だけがふわっと浮かび上がる演出『ゼロワン』で見たときは興奮したけど、あの作品内だけでも結構擦られてて「またか……」ってなってたのに『リバイス』でもやっててそろそろウンザリしてきたんだよなぁ。あんま覚えてないけど『セイバー』でもやってたような気がする。

 

・前回介人が召喚したジュランにドンモモタロウが無反応だったのは、天女さんや斬撃のジャンプポイントも当然のこととして受け入れてた訳だし、基本あの世界では自分に都合のいいことが起こるのは当たり前だから何かしらの形で「でかいやつと戦いたい」という願いは叶うと踏んでたんだろうね。順序はごまかされてたけど、はるかも「ここでカレシが登場して助けてくれる」って思ったことが都合よく現実になってたし。
今回ちゃんと名前を呼んだことで「1話でも来るって知ってたのかな?」と思わせておいて、実はそうでもなくてただ前回来たから今回も来るだろうと思っただけっていう。
ただややこしいのは、あの世界の人は「願えば叶うから願おう」と自覚的にやってる訳じゃなくてただぼんやりと幸せな夢を見ているに過ぎないので、都合のいい世界であることには気付いてないのよね。
気付いてないから、司法試験に受からないと思えば受からないし、逆にできる気がすると思えればできる。

・「幸せな68に見える」というオチ、その一言が最初から言えてれば……と思いかけたけど、最初の時点では年齢に対するコンプレックスが彼女の中にあったから幸せには見えなかったけど、ヒトツ鬼を倒すことで"悲しみを退治"することができるのだとしたら、騒動が収まった今だからこそ発することができた言葉なのかもしれないな。

 

まとめ

2話も面白かったけど、1話の方が面白かったかな。もう「この連続もの路線で行くのね」って心の準備ができちゃってたから、「うわー! 新鮮!」みたいな楽しみ方がイマイチできなかった。

 

前話

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン1話「あばたろう」 感想

次話

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン3話「あかりどろぼう」 感想