やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

器に収まらない欲望の暴走『Vシネクスト 仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』 感想

見てきました。本当は見る予定がなかったのでネタバレとかも普通に知ってたんだけど、周りの反応を聞いてくうちに気になって、本編,映画,客演,小説と全部見返してから行った。
公開から1ヶ月近く経つけど、もしまだ見ようか迷ってるけど見ていないという人がいたら、個人的には"映画館で見る"ことをおすすめしたいです。エイプリルフールの時期だし、騙されたと思って騙されてください。

以下ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体的に安っぽい

なんで見た方がいいかっていうのは後述するけど、第一印象はとにかく「くそつまんない」だった。
映司が死ぬっていう大まかな展開は既に知っていたので、それをどのように自分の中で理解,解釈,納得するかって視点で散々復習した上で、実際の描かれ方からその展開がどういう意味を持つのかを確認しに行ったんだけど、そういう理屈はもう二の次,三の次だった。内容の吟味は落ち着いてやろうと思えば後からいくらでもできるので、ともかく前半は「なんだこれ」って思った熱をそのまま書くこととする。
事前に想像してた通り、絶対元々TTFCで展開する予定の作品だったんだろうなというのが予算的な意味でもひしひし伝わってきて、とにかく安っぽい作品だった。賛否がどうこうアンク復活と映司の死が云々より、一番最初にまずそれを言わなきゃ話にならない。逆になんでみんなが冷静にストーリーについての話をできてるのか理解できない。やっぱ初見だとそっちのインパクトで誤魔化されるのかな、だとしたらネタバレ見てから見に行ったのは間違いだったかもな、ちゃんと驚いてあげればよかった。
本当はね、感想も書きたくなかったんですよ。この作品は、真面目に話をする価値がないと思ったから。TTFC限定スピンオフも『RTシノビ』『ブレン』『グリドンvsブラーボ』『スペクター×ブレイズ』と色々増えてきたけど、あの辺の作品について通常の映画並みに熱く語ってる人いないでしょ。
大して描く話もないから、とりあえず新ライダーや新フォーム出すだけ出して「とにかく見てください!」って言う感じの空気感……伝わるかなぁ。普通の劇場版でこんなに新フォーム大盤振る舞いすることってなくない? 流用してるとはいえ古代オーズ,ゴーダ,バースXにタジャドルエタニティで4つってかなり多い。
例年の劇場版やVシネなら敵ライダー1体と劇場版限定フォームがひとつあるくらいで、『100の眼魂』とか『Over Quartzer』みたいな例外もあるものの割とひとつひとつが凝ってるし見せ場もきちんと用意してくれるんだけど、今回はあまりにも量を出し過ぎで下品だなとすら思ったのよね。その予告の時点から安っぽい印象は抱いてたので、単なる先入観でものを見てる可能性は否めないが。

映像面でも正直僕は満足のいくシーンがほぼなくて、どう見ても3人しかいないガタキリバなんかもう言うまでもないけど、どこがって訳じゃなくもう全体的にこれまでの映画やVシネと比べて見劣りする印象だった。荒廃した世界っていう設定だから仕方ないのかもしれないけど、ロケーションの見え方がどこも似たような感じで代わり映えがしなかったってのもあるのかなぁ……? むしろそういうとこでしか撮れないから逆算してあぁいう設定になったのかもしれない。
何より、あの一番大事なエタニティ活躍シーンですら正直金はかかってるように見えなかった不思議。他のシーンと比べたらよっぽど迫力あって良かったけど、ワンパンマンとかもっと酷く言うとうごメモみたいだったというか。
素早く、ある意味で雑に描くことで勢いや迫力を出すタイプの工夫が施されてるように見えて、あれも結局安っぽいなって僕は思っちゃったんだけど、見る目がないだけで実はめっちゃ手が込んでたりするんだろうか。

作品としての規模というか"器"みたいなものが、あれらTTFCのスピンオフとほぼ同レベルか毛が生えたくらいであって、これまで展開されてきた劇場版はおろかVシネマ作品たちと同じ温度感で見ようとするとどうしてもバカバカしくなってくるので、感想記事を書くのが「れっきとしたひとつの作品」として認めるみたいでイヤだった。大真面目に批判する価値も感じないというか、見なかったことにして黙殺するのが一番いいタイプなんだけど、後述する理由で無視するのもよくないと思うジレンマ。
本作を見るうえで予習しておくべきは、オーズ本編じゃなくて過去のそういうスピンオフです。本編や本物の映画と比べたらどう頑張っても見劣りするけど、『仮面ライダーブレン』とかの系譜だと思ってみたらマシに見えると思う。まぁ僕は『ブレン』結構好きなんだけど。不必要に風呂敷広げるでもなく、分相応な範囲で割といいテーマ扱ってるので。

 

セリフが説明的すぎ、アンク喋りすぎ

描いてる内容を理解する前に、描き方に違和感があるのでそこまで頭が追いつかないのよね。よくある感覚として一番近いのは「演技が下手くそで内容が入ってこない」かな。
別に本作の役者さんたちが直接下手だって訳ではなくて、演技にブランクのある方々も立ち居振る舞いはそれほど当時のイメージを崩さずにやってらっしゃったと思うんだけど、唯一アンクだけは乖離が激しくてちょっと見ていられなかった。初っ端の蘇るモノローグからして「なんだァ……どういうことなんだァ……」みたいな無理に低くした声がやけにジメジメしてて(当時のアンクはもっとカラッとしてるというか、ドライだった)、その発声自体は割とずっと続くから本当に違和感が強くて、そりゃあ10年も経ってる訳だから声や顔が変わるのも仕方ないってのは当たり前だし、そこんとこにとやかく言わないのはみんな大人だからなんだろうけど、僕が一番良くないと思ったのはやっぱり細かな"セリフ回し"……だから要するに、脚本の仕事だよね。

根本的な話、インタビューでも言われている通り概ねアンクの視点で話が進むんだけど、これがもう全ての元凶かもしれない。
アンク役の三浦さんの声が思ってたより変わってたのは誤算だったのかもしれないが、そもそもアンクってそんなにべらべらよく喋るキャラではないじゃん。毛利さんの『小説 仮面ライダーオーズ』も読んだけど、あれの悪いところがそのまま映像化されてた感じだったね。いちいちセリフが多いんだよ。
おぼろげなまま話すけど、冒頭で決定的に変だなと思ったのは「世界はどうなってる? ……おい! 説明しろ!」みたいなセリフ。1回訊いてるんだから、2回目は「おい!」だけで伝わるじゃん。なんなら「世界は」って部分もなくていい。訳も分からず復活して、更に世界が荒廃してて……って状況なんだから「……どうなってる?」だけで言いたいことは分かる。「気安くアンクって呼ぶな」ってのも聞いててタルかったなぁ……「気安く呼ぶな」でいいだろ。
あとあれね、鴻上がアンクに「使いたまえ」ってメダルを渡した直後に「使ってやる」って言うとこも「はぁー?」ってなった。「あぁ」とか「フン」とか、或いは何も言わずに軽く睨みつけてから受け取るとか、そんなもんだろアンクは。

確かに小説だったらまだ話も別で、映像で伝えられないぶんすべて地の文やセリフで、つまり言葉で説明しなきゃいけないことがたくさんあって、うまい小説家とかなら言いたいことを伝えつつぼかすテクニックとか持ってるのかもしれないけど、そうじゃない人がいきなりそれを目指して何も伝わりませんでしたってなるのは一番危ないので、説明し過ぎて無粋な感じになるのは一種仕方ないことではある。
だから小説は我慢して読んだけど、なんで映像でも同じことやってんのよ。何でもかんでもセリフにして、表情とか演技で見せるってことがほぼない。
とにかく表現が安直でかったるい説明ゼリフが多過ぎて、これで「子供も見る映画なので分かりやすくしました」って言うんならそれも仕方ないなって思うのに、監督は「(当時の子供も大人になってるから)映司とアンクに起こったことを理解し、受け入れてくれるんじゃないかと思いました」と言っていることからも明確にメインとして想定してるのはある程度以上の大人だよね、だったら言い訳にはならない。マジでずっとバカにされてる気分だったね。

この"アンク視点"と"説明ゼリフ"と、最初に言った"声変わり"の3つが相互作用をして、全編ずっと違和感だらけで全くストーリーに没入できなかった。
だから三浦さん個人が悪いという訳では決してないし、翻して脚本だけが悪いと言うつもりもない。監督にしろ役者にしろ、アンクはこういう言い方しないだろうなって思ったら現場で変えればいいんだから。
ちなみにアンク視点で話をつくるというのは小林靖子さんのアイディアの一部を参考に抜き出したものらしいけど、僕にとってはあまり関係なくて誰のアイディアだろうが変なものは変だった。この違和感については後日出すかもしれない後編(そっちではいつも通り落ち着いて解釈とかする予定)でも少し触れます。

 

結局表面をなぞっただけでは

作品自体が薄っぺらいので、薄っぺらい話ばかりになってしまうのは勘弁して欲しいんだけど、とはいえ一応ストーリーの方にも触れておくかぁ。
以上に挙げたような表面的なモヤモヤが積もり積もっていたので、肝心のストーリーに対しても、事前準備の段階では色んな擁護の仕方を考えてて否定する根拠の方はあまり考えずにいたのに、もう完全に冷めちゃってて「アホらし」と思いながら見ていた。
『オーズ』と真摯に向き合った結果として導き出されたこれしかない結論ですみたいな雰囲気を醸してるけど、単に小林靖子のモノマネしただけなんじゃないの? っていう……。

まぁまずゴーダ周りは『電王』っぽいよねというのは言うまでもないとして、残酷な展開(笑)は『アマゾンズ』意識なのかね、知らないけど。ゴーダが変身したオーズがプトティラになるとこと、あと確かウヴァをいじめるとこで流れてた戦闘BGMもどことなくゾンズの劇伴っぽかった。
映司が死んでアンクが看取るシーンとかどう見ても『龍騎』49話のパクリだった。まぁ僕はあの展開あんまり好きじゃないので特に神格化もしてないんですけど、要約すると「俺は女の子を助けて死ぬけどお前はせめて生きろ」と願いを告げるって、もうまんまじゃん。元々映司の設定はそこを意識してつくられたんだとしたら、当然っちゃ当然なのかもしれないけど。
確かに小林さんのライダーって真司と鷹山と千翼は死んだし、良太郎も死んでこそないけど子供になったかと思えば存在すら出てこなくないのが通例化してる(良太郎が出ないというよりイマジンが出過ぎなだけだが)から、小林靖子のライダー主人公ならいなくなるのは当然の帰結だろうとでも思ったのかね。

ともかくこの記事で書きたいのは「ちゃんと復習して色々考えて準備したのに、それが全部バカらしくなるような作品でした」ってことで、実際スタッフがどんなに深いことを考えてこの作品がつくられたのかは知る由もないけど、少なくとも色んなノイズのせいで伝わってこなかった、そもそも考える気が失せたのでただ浅はかだなとしか思えなかったというのが結論。

 

尺がないのではなく意図的に切ってる

事前の感想で「尺が足りない」っていうのをよく見たんだけど、1時間ってVシネとしてはごく普通だし、実際いくらでも補完しようと思えばできるTTFCの『ネット版』にしても、4,5分ってのは1本の長さとしては従来通りだけどそれがたった2本ってさ。
そもそも本当に尺が足りないなら回想シーン削れよって僕は思った。ファンじゃない人が見に来る前提でつくんなくていい企画じゃん、仮にも"完結編"でしょ? その辺はみんな分かってる上で、本作は何を提示するのかが本題のはずなのに。
これは完全に僕の妄想ですけど、「元々TTFCで配信する予定だったけど映画に繰り上げになったので予算と尺を少し増やします、TTFCでは代わりにこれでも配信しといて」みたいなやっつけ仕事に感じた。
っていうかやっぱ、撮影する予算もなければそうまでして描きたいこともあれ以上はなかったんじゃないかなぁ? 散々「セリフがタルい」って話をしたけど、あれがもし尺稼ぎをしてるんだとしたら色々納得行くもん。ダラダラ引き伸ばして、回想でお茶を濁して、ドラマにしたって比奈をちゃんと絡めようと思ったら47話の「映司くんとアンクちゃんどっちかは戻ってくるなんて、そんなの認めちゃ駄目よ。(中略)映司くんもアンクちゃんもお兄さんもって、ちゃんと欲張れるのは比奈ちゃんだけよ」辺りの扱いが難しくなるからもう脇役でいいや! 今回は映司とアンク、"2人"の物語です! って割り切ってるし。「○○と××と△△」っていう、3つのファクターが重要な作品であるにも関わらず、だよ。「映司くんは女の子を助けてから行方不明なんです……」じゃないよ、それが見える場所にいたのにあんたら手を繋がないで何してたのよって。まぁ今回はゴーダが3人目なんですって言われたらそうなのかもしれないけど、その癖エンドロールではちゃっかり、映司とアンクと比奈の3人がキーマンになってる本編のオープニング映像そのまま流用してるし。

 

せめて明日への踏み台になってくれ

ただのスピンオフとしてやるはずが役者やスタッフのやる気だけが異常に暴走して、予算的にできる訳がない分不相応な企画(スピンオフに留まらない完結編)に手を出した結果があの出来って感じに見えた。何も知らんけどそうでもないと納得がいかない。
やりたいことを成せるだけの"器"がなかっただけでやる気があったのは本当らしいので、まずは「映画館で金を払って見る」、その上で「こんなもの見れたもんじゃねぇ」とぶっ叩く……そうすることで「こういう企画を映画でやろうとすれば客は集まるので、もしやるならきちんと予算出してガッツリつくるべき」と思って貰って、これから他の作品で面白い映画がつくられることに期待しないと報われない。
多分だけど、東京国際映画祭だかなんだかっていう大層な場で大々的に発表しといてこれかよって部分もあるにせよ、ある程度は誇大広告してでも客集めて稼がないと次に繋がらないから、その辺は向こうも分かってて敢えて必要以上に期待させる意図というか、そういう必要性に駆られてたんじゃないかなとは思うんだけど。完結編のはずなのに初見でもなんとなく分かりやすいように説明ゼリフや回想多めで組み立てるのも、そういう新しい試みの第一弾として課せられた命題だったのかもしれない。

当たり障りないスピンオフではない作品を割と時間経ってから映画でやるっていう今回のチャレンジは、せめて後年へのいい踏み台になって欲しい。
仮面ライダー40周年記念の『レッツゴー仮面ライダー』で先輩たちからバトンを受け取ったライダーとして未来への礎を築いてくれるのであれば、僕はこの作品の誕生を祝えると思う。

 

後編(肯定的)

『復活のコアメダル』のラストを受け入れるためのひとつの解釈

二次創作

独自解釈で『復活のコアメダル』の脚本を書いてみた

86ma.hatenablog.com