やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーアギト 11,12話「繋がる過去/湖の激突!」 感想

キャラクター

 津上翔一
・「でも、なんか変じゃないかな。幻想の中で心を保ってるって、どうしてそんな必要があるんですか? こんなに世界は綺麗なのに。ホラ、空も雲も、木も、花も虫も、鳥も家も、草も水も」
翔一くんはそうやって日々を生きてるんだな。毎日記憶喪失になりたいとか言ってたのはそういうことか。なんか納得。
・そういえば今回氷川さんがG3に対する情熱がないとかで悩んでたけど、翔一くんは何事にも執着があまりないよね。記憶を取り戻そうとすることにも消極的だったし、毎日記憶喪失になりたい発言なんてまさにそれ。

 

 氷川誠
・「あの人がミスをするとは考えられませんが」
氷川さんも信頼してんだなぁ。少なくとも北條さんよりは。
・北條さんが気絶(?)してるのを見て、生身でG3用の銃を使いアンノウンに対抗する。かっこよすぎかよ。
・「アンノウンが狙ったのは、お腹の中の赤ん坊です。最初に殺された被害者の現場で、姓名判断の本を見つけて、もしかしたらと思い、護衛に当たりました」
なるほどなぁ、根性だけじゃなくて洞察力もあるのか。氷川さん何気にスペック高いな。一条さんほどではないにせよ。
・この期に及んでアギトを捕獲しようなどと言い出す北條を一喝。私欲に負ける弱い北條を強い氷川が止めるというのは、翔一(アギト)を守る/殴るという意味でも、後述する涼のパンチと真逆。

 

 葦原涼
・「現実に耐えられない人間もいる」「世界は美しいだけじゃない」「人間がみんな自分と同じだとは思わない方がいい」
これ翔一くんに対する返しなんだけど、なんだかクウガに対しても言っているように聞こえた。世の中そんなに強い人間ばかりじゃない、蝶野みたいな奴を"クズ"の一言で片付けてしまうのはあんまりだ、と。
・溺れる佐恵子を助けることができたのが翔一ではなく涼だったのも、水泳をやっていたという理由はあれど、弱い人間を助けてあげられるのは同じ目線に立てる人間だという風にも読み取れる。
・同じくアンノウンの気配を察知できる涼は最初の反応を(明確な描写はなかったけど)無視して、その次の佐恵子を襲うアンノウンは倒しに行った。この2人の差が如実に現れている。

 

 北條透
・「小沢管理官の判断ミスですよ。私は謂わば被害者です。小沢管理官が離脱命令を出さなかったせいで、私は危うく命を落とすところだったんですから」
前回は見くびるようなことを言ってしまって申し訳ない。やっぱり嫌な奴だった。

 

 美杉義彦
・「翔一くん、過去を思い出すのが怖いという気持ちは分からなくはないが、君を思い、君を待っている人がどこかにいるかもしれない。そう考えたことはないかね。それに、君が昔の自分を取り戻したたとしても、私達との縁が切れる訳じゃない。人と人との繋がりというのは大切なものだ。君との繋がりを断ち切られたことで、悲しい思いをしている人がいるかもしれない。そこのところ、よく考えてみなさい」
この人が言うと説得力あるなぁ……何しろ前にも言ったけど、メイン3ライダーに縁をつくった人だからなぁ。

 


提示された謎

2.翔一の記憶
7.アンノウンの目的
11.翔一が持っていた手紙
12.子供
14.子供が涼を助けた理由
15.あかつき号事件
16.風谷伸幸殺害事件
17.遥か昔の高度な文明を持った民族→兄のホラ話だったが、アギトマークについての謎は残る
18.沢木哲

 


どれが正しいかって答えを示すんじゃなく、色んな立場の色んな意見を並べるようなスタンス。そういう意味でやっぱり前作のクウガとは反対って感じ。

 

次話

仮面ライダーアギト 13,14話「父の手掛かり/最強キック」 感想

 

 メモ
・翔一だけ声の聞こえない超越したところにいる。そこへ行けるのは真魚だけ。
真魚と氷川の会話、あんまり面白くない説明的な話の間を持たす為にわざと変なアングルで撮ってる感じがした。岡田斗司夫さんの言うところのエヴァスタイル。
その後の涼とおじさんの会話もそうだけど、今回なんか段取り臭くて見ててタルいぞ? 要らんだろこのシーン、結局おじさん何も知らんし進展がない。
・前から思ってたけど、真魚は一応親族だから"居候"扱いじゃないんだよな。本人でさえ自分を棚上げして翔一を「ウチの居候」として紹介してたくらいだし。それでも僕が叔母の家に住まわせてもらってた時は居候を自称してたけど、風谷家と美杉家は事件の前から結構懇意にしていて気兼ねがないのだろうか。
・上の記事の方で「翔一だけじゃなくクウガに言ってる気がする」って話をしたけど、やっぱり翔一ってキャラクターはクウガって作品そのものを体現している部分があると思うんだよな。五代をというよりは、"空我"という悟りの境地を。クウガの配信は途中でリタイアしたから書けてなかったけど、人間って生きてる限り「いなくなる」ってことはできないのよ。我々や一条さん達の視点から見れば五代はいなくなったように見えるけど、五代本人はどこまで行っても自分という存在から逃げることはできない。今は嘘になんかならないし、青空にもなれない(残された側は青空に五代を投影して感傷に浸れるけど)。僕は家出をよくするので、そこはすげー身に染みて感じる。五代は元々死ぬことでその境地に至るはずが、それはあんまりだということでテーマを完遂できずに終わったというのは、『証言!仮面ライダー』で述べられている。これはOQ的に言えば"美しく"ない。紆余曲折の末に、最も描きたかった暴力の否定という結論を全うしきれず甘さを残してしまった。五代は美しく死ぬことができなかった。
翔一という存在はそういう意味で、消え去れずに続いてしまった五代の人生(≒仮面ライダーシリーズの暴力)を暗に表現しているように思う。(生きてる限り)本当に空っぽになんかなれない、1年のストーリーを経て自分を取り戻していくんだっていう、アンチテーゼとして。
……あと美杉教授。ついでにその言葉、3年後の剣崎ってやつにも言ってあげてください。
・1話と同様にすれ違う翔一と涼。翔一が登りで涼が下りってとこまで同じなのにはどういう意図があるんだろう。
・ダイビング……そういや『海の底のピアノ』で水雪もやってたっけ、読んだの昔過ぎて覚えてないな……。それを差し引いても、あかつき号で海難事故に遭った女性が海に潜るというのは意味がないはずないんだけど、今まで何回か見てるのにこれに気付くのは初めてだ。
最初に思ったのは、つらい出来事を敢えて思い出して悲劇のヒロイン気分に浸りたいのかなって。或いは、"今度は溺れずにきちんと泳いでいる"という体験をしている間だけは、形だけでも克服した感じがして安心できる、とか。
また水の中ってのは当然羊水的な意味も持ち得るけど、これは今回の件に限らずあかつき号事件全体に対しても当てはまることかも。
・ちょうどこないだ初めて編み物をやったんだけど、楽しくもありつつ思ってたより大変だった。やりかけの編み物はそのまんま「旦那にあげるつもりだったけど死んじゃってどうしよう」って表現だろうけど、大変さの一端を知った身としては切なさがひときわ目立って見える。
というかわざわざやりかけで置いてあるってことは篠原と同じく、編み物をやることで現実逃避をしていた(けどその無意味さを思い出して呆然としてた)のかもしれない。
・「自分は何も知らない、見てない」と逃避するキャラが多いのは、おそらくアギトが知の戦士であるが故の演出なんだろうけど、それに変身してるのは本当に何も知らない翔一ってのがまた皮肉だな。無意識には覚えてるのかもしれないけど。
僕はジオウの公式サイトで白倉さんが、井上さんについて「一通り設定に目を通して1つだけ質問してきたということは、逆に言えばそこ以外は完璧に理解していたってこと」と表現してたエピソードがすごく気に入っているんだけど、ちょっとそれに似てる気もするな。あらゆるものに疑問を投げかけるソクラテスは満足する知を得られないのに対して、ハナから疑問を持たないことの方が逆説的によっぽど知的であれる。それはソクラテスから見ればただの思考停止であって愚かなこと(無知の無知)かもしれないが、無知を知らない人は代わりに"自信"を持つことができる。アギトの姿勢正しさは自信(BELIEVE YOURSELF)に満ちていて、他者の揚げ足取りに終止するソクラテスのイメージとは似ても似つかない。

・今までは仮にも超能力が発現した個体を狙ってきたアンノウンが、まだ生まれてもいない子供を殺そうとするというのは確かに奇異だ。ネフィリムの件もあるから、異種交配……というよりは異類婚姻に対して敏感なのだろうか。
ところで、医学用語でzebraと言えば「よくある症状から他の珍しい病気だと誤診すること」を指すらしい。"When you hear hoof beats, think of horses, not zebras."という格言が元ネタらしいが、ちょっと氷川さんっぽい。有り得ない写真を見たら念写ではなく合成を、ビンの中にあるコインを見たら透過ではなく仕掛けコインをまず疑え、って。
・篠原「私ももうおばさんかな……」
真魚「翔一くんに見覚えありませんか?」
面倒くさい発言はガン無視してて笑った。
クウガ2本角(3本に見える)→4本角(5本)
アギトは2本→6本 第六感
G3は3本それぞれに別の機能がある
ギルスは2本→3本
・彼女の言う"聖なる戦部"って、まぁどう聞いてもアギトであり翔一くんのことだし、そこに救いを求めてダイビングをしているのは確かなんだけど、それほど探し求めていた本人を前にしてもあの反応の薄さってのは、"思い出したくない"だけでは説明できない気がする。
単純に、アギトの姿が鮮烈過ぎて生身の顔の方はうろ覚えだったのかな。実際子供の頃は、僕も仮面ライダーのマスクは分かっても変身者の顔までは覚えてないことが多かったし。
・なんとなく流してたけど、「それほど古い湖じゃない」ことは古代に村落があったことの否定には全くならなくないか? 「めちゃくちゃ歴史の古い湖だ」って言うなら、文明のあった頃(縄文あたり)には既に湖だったからそこに人が住んでた形跡があるなんておかしい、って話にもなるだろうけど。広く伝わってる伝説がないってのは事実でも、考古学者の耳に入り記憶に残る程度の噂は実在した訳で……勿論彼なりに否定する根拠があって信じてないんだろうけど。
・篠原兄の車のタイヤ、ホイールがアスタリスク(*)形状だったのが気になって、砂にはまっててもっと印象的だったはずの妹のを見返したら六角形……とも言い切れないけど穴は6個で、ともかくどちらもアギトの角と同じく6を連想させるかたちだった。以前ヘボットの感想で「*はプラス(+)とマイナス(―)を足して陰陽を兼ね備えたマーク」だという話をした。3本の直線が交差したかたちでもあるので、アギトの表向きなテーマである3にも関連する。
また救急車に描かれているスター・オブ・ライフにも似ている。蛇が巻き付いたアスクレピオスの杖の主であるアスクレピオスは太陽神アポロンの子供(≒火のエルの子)であり、危険な目に遭っている人を察知して駆け付けるアギトと救急車には通ずるものがあるかもしれない。医療は死という絶対的運命に対して反抗的だから、あんまりいいイメージのない蛇モチーフなのかな。まぁ不死の象徴と思えばいいもんなのかもしれないけど。
・前にアギトの感想で「(本作にとって)魚がどういう意味を持つのか」と疑問を呈したけど、そういえばギルスの名前の由来は魚のエラなんだっけ。ブラックバスを釣るときエサに使われる……と聞いた気がするブルーギルって魚がいるけどこのgillかな、それほどエラが青いようにも見えないけど。あと、多分ギルティ的なニュアンスも含んでるんだろう。
・エラについて調べてたら、Wikiがめちゃくちゃちょうどいい表現をしてくれていてようやくピンときた。"生命はもともと海から発生した"ので、まず呼吸器としてエラ(ギルス)を獲得。そこから様々な進化を遂げた末に人間は口(≒顎=アギト)から呼吸をするようになった。だから、ギルスはアギトのより原始的な姿ってことになる訳だ。はー、なるほど!!! 鰓って漢字にあぎとって読みもあるのは知ってたけど、それだけじゃなかったのか……。
そこまではいいとして、じゃあアギトの力と"呼吸器"にどんな関係があるかと考えてみる。まず分かるのは、胸部にあるワイズマンモノリスはおそらく肺なんだろうね。それで肺呼吸じゃなく鰓呼吸であるギルスには付いていない。じゃあ下腹部にあるベルト=賢者の石はへその緒かな……とも思ったけど、卵生のギルスにもあるし位置も微妙に違うしこれはちょっと牽強付会か。どちらかというと生殖器かな? 胎"盤"ってなんか石っぽいね、とか言うとまたこじつけ感が……。
呼吸の本質はやっぱり、自分の外部から酸素を取り込んで自分のエネルギーにするってところだろう。さっき知る(理解する)とは疑問を抱かずに"受け入れる"ことだって話をしたけど、丁度良かったね。これもまたWikiの表現を受け売りすると「本来、酸素は強い酸化力をもった毒性の強い気体である。しかし、一部の生物は酸素を利用した酸化過程を通じて大きなエネルギーを利用できるようになった」と、まさに仮面ライダーの話じゃないか……っていうか、1号が風の力で変身するってところとも繋がるし、白倉さん的にはマジで「これぞ仮面ライダー!」ってぐらいのとっておきネタだったのかも。こんな大事なことなんで誰も教えてくんない訳?(参考:人類の祖先は、毒を食べてエネルギーを得るモンスターだった!? | THE21オンライン)
もうちょっと観念的な話をすると、空気って元々魂(目覚めろ、その魂!)の象徴みたいなところがあるよね。その視点に立つと、呼吸って行為自体が神秘的な意味を持つ。"プシュケー"って概念なんかまさにそれで、呼吸音のオノマトペがそのまま魂を意味する言葉になってる。英語のPsyche(精神,魂)の由来でもあるし、なんなら一足飛びに"サイキック(超能力者)"まで繋がる。エラって漢字も魚に思で、まるで魚の心はそこに宿ってるみたい。
大発見の連続でちょっと疲れた、アギト深過ぎ……。
・北條さんがアギトを捕獲しようとか言ってるの、タイミングもあるけど前回早々に逃げちゃったもんだから氷川さんと違って「アギトに助けてもらう」という体験をできなかったというのが大きいよね。
沢木哲也……彼がこの名を名乗ったのは今回が初めてだろうか。しかし、先に名前を入れ替えたのは向こうとは言え、彼女だった人の弟の名前を名乗るってどんな気分なんだろう……。

仮面ライダークウガ EPISODE9,10「兄妹/熾烈」 感想

キャラクター

 五代雄介
トライチェイサーの暗証番号みたいなやつ、318だったような気がしたんだけど気のせいだっけ?
・「俺だって怖いよ」
5話では確信まではいかなかったけど、やっぱりそうだったのね。
・タイタンフォームで、攻撃を受けながらもただひたすら前進していく様は圧巻だったね。あれ、明らかに暴力をふるう痛みや自分が自分でなくなるような怖さに耐えながら、我慢しながら、みんなの笑顔のために必死で戦ってる五代を表してるんだよね。
こういう、バトルシーンとドラマがシンクロしてる演出はやっぱりいいよなぁ……うん、いい。

 

 五代みのり
・「もう、戦うの平気になっちゃった?」
前のシーンで、『生物兵器なのか?』みたいな記事を読んでたんだよね。ヘイキ……深読みかな。でも、たとえ偶然でもいい味出してるんだからすごいよね。
そういえば、みのりはあっさり知ってるんだな、4号の正体。
・「いい人でいて欲しいよね、ずっと」
いい人、か……。とってもいいところなんだけど、子供たちがめっちゃハキハキ雑談してるのが面白くて全然頭に入ってこない。
・「あたしね、お兄ちゃんがクウガになるの、仕方ないと思ってた。けどなんか、なんとなく怖いの。お兄ちゃんが、お兄ちゃんでなくなっちゃうような気がして」
周りの人がこれだけ怖がってるんだから、本人の怖さってのは計り知れないんだろうな……。

 

 榎田ひかり
・あー、この人あれか、子供をほったらかしにしちゃう人か。五代や一条よりも分かりやすく、直接的に他人を犠牲にしている人。どうなるか楽しみだ。

 

 わかば保育園の子供
・「門が開いたので、桃太郎たちは、屋敷に攻め込みます。鬼たちの慌てたこと。『なんだなんだ』『しまった』『たすけて』。そんな鬼たちを雉がつつき、猿がひっかき、犬が噛みつきます」
グロンギのアジトに警察が乗り込んだ直後にこれって、絶対狙ってるよね。小さい頃こういう昔話の悪者が徹底的にやられるのを見て、可哀想だと思ったもんだ。悪いことしたからって、そんなひどいことしなくていいじゃんね。
・「だって僕、4号だもん」
女の子のためにと起こした行動が喧嘩に発展し、過剰な暴力に行き着く……五代がやってるのはこういうことなのかもしれない。男の子が笑顔にしてあげようと思っていた女の子が、結果的に喧嘩を見て困惑していたのがこれまた……。

 

 グロンギ
・「あれほどの力を持ったやつらが、逃げる必要はなさそうなもんだがな」
あれだけ派手に殺してると、逆に殺さないことでも恐怖を感じるようになるんだな。不思議なもんだ。
・「ルールはルールだ」
うわ、喋った……こいつは中でも特別頭いいやつなのかな?
・アジトにたくさんマネキンを殺したような跡があったけど、あれは練習だったのかな。なんていうか、確かにぶっつけ本番で殺しなんかできないよな……凶悪さのアピールにもなるし、リアルでもあってすごい。

 

 

みのり役の人、確かに棒読みっぽいんだけど、保育園の先生として喋ってるときはなかなか様になってるんだよな。
今回は一段とおしゃれだった。好きだなぁ、こういうの。

 

次話

仮面ライダークウガ EPISODE11,12「約束/恩師」 感想 - やんまの目安箱

三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

一応はタイトルに"感想"と冠したけど、いつも以上に散漫で、ブレインストーミングの内容をただ記録しただけみたいになってます。元になる知識が乏しいからウィキ等を参考にしたりしてるもののツッコミどころ満載だろうけどまぁ仕方ないってことで。
ではどうぞ。

 


君の名は。見終わった。前に見たときより印象かなり良かった。一言で要約するなら……「合縁奇縁」。

 

いやーなんつーか、ストーリーからテーマみたいなものはあんまり感じなかったというか、それこそさっき言った合縁奇縁ぐらいのもんなんだけど、瀧くんが三葉の口噛み酒を飲んだときに見る映像がとても綺麗で良かった。あれだけでいい時間を過ごしたと思える程度には。

 

これは本編においてそんな重要ではないけど、多分三葉は宇宙人だったんだろうなー、と。落ちてきた彗星がそのまま受精卵になり、分裂をして、直後に三葉誕生のシーンに移ったことから、僕にはそう見えた。

昔落ちてきた彗星に今回の彗星が会いにきたってこと(それに瀧くんと三葉が会うことを重ねてる構成)なんだろうけど、三葉が昔落ちてきた彗星から生まれた宇宙人(またはその影響を受けた人間)の子孫なら瀧くんは何者??? そのまま考えると今回落ちてきた彗星ってことになっちゃうけど。 

 

あぁそっか、彗星の名前のティアマトって蛇≒龍なのか。それで彗星が一瞬そのようになったのね。水って苗字もそこからだろうな。
えっ、つーかそれ言ったら"瀧"くんなんてモロにティアマトじゃん。あっちにも何かあんのか? タイトルが「君の名は。」だもんな。名前に意味がないはずがない。

蛇といえばウロボロスのイメージで繰り返しとか輪環とか……彗星もまた来る。入れ替わりも代々続く。人の縁も。でも"切れる"のも印象的だったよな。先輩のスカートは三葉が縫い合わせたけど、へその緒を切るシーンは意味深だった。

宮水家の女性の名前が葉っぱなのは枝分かれ的なイメージなのかな。三葉はmeets her?
あっ、枝分かれといえば彗星の分裂も枝分かれって感じだった。……分裂? 受精卵の?

 

あー、ぐるぐるぐるぐる……僕の頭もまわる……。

 

っておいおい、それじゃヘボットの「君の名は。」パロが深過ぎないか? 当時は「流行取り入れるのはや(笑)」ぐらいに思ってたけど、そんな根底のところで繋がってるからあの重要なところでパロったのか?

ニコニコネジって……分裂……細胞の……彗星の……片割れ時……三葉の"半分"……?

公転……ぐるぐる回る。太陽系もぐるぐる回る。銀河系も。ヘボットにも宇宙(銀河系?)が出てきてたな。あっちでは"渦"って言い方がされてた……また氵だよ。やっぱり水って重要なのか? 蛇や龍のあのくねくねしたフォルムは、水の流れを連想させるんだろうな。そして水は生命の源……海は女性的なイメージもある。確か女性名詞だったはず。宮水家の"女性"たち……巫女さんか。ティアマトも女性。

 

ところで、英語よく分からんからアレだけど、タイトルって普通に訳そうとしたら英題は「Your Name is…」とかになるんじゃないか? Your Nameなら「君の名前」だもんな。
初めて聞いたときからどことなく変な語感だと思ってたんだけど、何かギミックがあるのかな。

ひっくり返すと「花の幹」……? いや、三葉たちが葉っぱだからなんかあるかもって思ったけど、花のアレを幹とは言わんよな、普通に茎だよな。
……幹じゃなくて神酒だったりする???
あー、発想はいい線言ってると思ったんだけど、花じゃなくて葉っぱなんだよなぁ……口噛み酒をつくったのは……。 

。は? こいついる意味ある? 何かあるとしたらこいつでは?
いや、何も思いつかない……◯ってことはウロボロスだね、くらいしか……あれ、ウロボロスは永遠とかずっと続く象徴なのに、"終わり"のマークにもなるのか。まぁ多義的であればあるほど連想の幅が広がって楽しいからいいけど。

 

……ってか、瀧くんの名字立花って言うの!? 花!??!!?
あれ……先輩の名前はミキって言うの……もし意味を持たせてあるならわざわざ被せたりしないよな……被せることに意味があるならいいけど、そうでもなさそうだし……。さっきの「はなのみき」に繋がるかと思ったけど、"ミキ"に目を瞑って花のリンクだけ喜ぶのはなんか違う。
でもタチバナってことは三葉と同じで植物への関連が出てきた。ウィキに「若い幹には棘がある」 って書いてあって笑っちゃった。そしてこれも蛇と同じで「永遠」のイメージがあるらしい。

瀧くんが神酒を飲んで入れ替わりが起きたけど、それってかなり罰当たりじゃね。でも罰を受けるどころか願いが叶った。もし、瀧くん自身がその祀られてる神だったら……?

 

あー、そっか。隕石に宿ってた神様か何かの力で三葉たちが入れ替わったなら、その「隕石に宿ってる神様か何か」自身が入れ替われてもおかしくないんじゃないか?

昔に落ちた彗星Aから入れ替わり能力を持ったA'(宇宙人or影響を受けた地球人)が生まれて、その彗星と今回の彗星Bが入れ替わったことでB'(同じく)が生まれて、その子孫が瀧と三葉。どっちがどっちかは微妙だけど名前的に瀧くんが今回のティアマト由来?

 

あれ、でもそうなるとティアマトが女性ってことと食い違う? 体は入れ替わるからあまり重要じゃないか? そもそも祀られてたのは過去に落ちた方の彗星Aだから……ティアマト彗星(B)は、入れ替わってAの中身が入って劇中で落っこちてきた?

ついでに言えば今回話題になったのがこの2つなだけで、もっと多くの彗星と入れ替わっててもおかしくはない。三葉のお父さんが入れ替わってたなら、別の彗星の子孫かも。

 

口噛み……口寄せの口ってどういう意味なんだろ。キツネ憑きって話も出てたけど、"入れ替わり"というよりは"相互に憑依"なのかも? 口寄せって言葉通り読むとキスっぽいじゃない。で、口噛み酒を飲むのは間接キスだから……みたいな。
イタコなら時間のズレも比較的納得がいく。死者を口寄せたりって話もあるもんね。単純な"入れ替わり"でそういうのは寡聞にして聞いたことがない。

 

データや記憶は三葉の死を認識してから消えてたよな。なんかそんな話あった、オカルテイックナインだっけ? コトリバコのあたりで認識したから髪の毛が消えたとかなんとか……。
劇場版ヘボットのアバンでも、重複を認識したと同時に対消滅してる……。 

あちょっと待って。トゥル子もヘイミも蛇女だ……そしてここまで来ると驚かないけど、トゥル子は漢字が違うけど"水星"代表。

ヘボット側では高校生のネジルとJKヘボットがすれ違ったところから2人は元に戻れるんだけど、どういう意味なのか……そもそも高校パートのストーリーラインを追えてないしなぁ……ここからヘボットスタッフの解釈を探るのは難しいか。

 

そういえば蛇も口縄で口だよな……あっ、縄か。変なタイトルの秘密は「君の縄」か! 組紐や"ムスビ"にも繋がるし、題にするにはピッタリすぎる。英題の方も縄を意訳したと思えばYour Nameで辻褄が合う。名前は確かに人を縛るものだ。分かりやすいのは苗字かな。少し古い文化だけど"家柄"とか"血筋"といった感じで、れっきとした人を縛るものだった。 

下の名前は抽象的な話になっちゃうけど、他と区別するために付いてるものなのでまず1つ「他とは違う」という縛り。もう1つは「同一性をもった"個人"である」という縛り。過去の自分と今の自分が仮にまったく違う性質を持っていたとしても(っていうか同じなんて有り得ないけど)、少なくとも呼称においては区別されない。

 

 

はぁ……とりあえずタイトルの謎が解けてスッキリした……また何かあれば追記します。

仮面ライダー龍騎 11,12話「謎の無人電車/秋山蓮の恋人」 感想

キャラクター

 城戸真司
・蓮に付きまとい、記憶探しの護衛(?)をする。まぁ、これまで提示されてきた性格から考えれば当然そうなるよね。でも分かりきってる行動を繰り返すのみで新しい何かは特になし。強いて言うならば、悪い面に注目していた前回から打って変わって良い面がやたらとクローズアップされていたかな。

 

 秋山蓮
・「性格なおしたら?」「喧嘩って最低、する人も最低」
回想によって、恵里が真司と似たような性格だったことが判明する。後者なんてまんまライダーバトルを止める真司そのもの。真司との絶妙な距離感の正体はこれか。
蓮が恵里の仇とも言うべきダークウイングと契約してるのは、恵里を食われないように餌を与えるためってのもあるだろうけど、恵里の意思に反してライダーと戦うことに対する罰みたいな意味もあるのかもしれない。

 

 

久しぶりの小林脚本だっていうのに、全体的にアギトの二番煎じみたいでそんなに面白くなかった。蓮が戦う理由を再確認するのに記憶喪失にまでなる必要があったかどうかかなり疑わしいし、何よりガラの悪そうな奴らに絡まれる描写がやたらと繰り返されてしつこい。謎の男とか大学とか鍵を握ってそうなヒロインとか、記憶喪失以外にも要素がダダ被りだし。うろちょろしてた江島教授も、結局のところ大学にいた男と役割大して変わらなかったし……平均点以下。

 

次話

仮面ライダー龍騎 13,14話「その男ゾルダ/復活の日」 感想 - やんまの目安箱

仮面ライダーアギト 9,10話「2人のG3/銀の点と線」 感想

キャラクター

 津上翔一
・「毎日毎日、記憶喪失になりたいかな。例えば朝、目が覚めるじゃない。で、昨日のことは何も覚えてなければさ、見るものすべてが新鮮な訳よ。そんな風に毎日生きていければいいなって」
井上さんも言ってたけど、いいセリフだね(笑) 僕も結構気持ち分かるよ。

・逮捕されてものほほんとしてる。カツ丼のお店を聞いたりキャベツの話をしたり……(笑)

 

 風谷真魚
・超能力を使って翔一の無実を証明。やっと見せ場できたね。もう少し話に絡むといいんだけど。

 

 小沢澄子
・「氷川くんの方が可愛いじゃない」
分かる。北條さんは"可愛げがない"という言葉がよく似合う。一緒に仕事をする上で、嫌な奴ってのはそれだけでもう致命的だよね。

 

 北條透
・もしかして、彼って小沢さんのこと好きなの? そう考えれば、G3の装着員に任命された氷川を目の敵にしていたことも、G3システム自体はかなり高く評価していたことも、小沢さんの経歴に詳しいのも辻褄が合う……?

 


提示された謎

2.翔一の記憶
7.アンノウンの目的
11.翔一が持っていた手紙
12.子供
14.子供が涼を助けた理由
15.あかつき号事件
16.風谷伸幸殺し

 


公務執行妨害とか言ってたけど、任意同行じゃないのか? 全体的には北條さん回(ただし活躍はしない)。氷川さんの株が上がって終わりって感じかな。

 

次話

仮面ライダーアギト 11,12話「繋がる過去/湖の激突!」 感想

 

メモ

・ギルスは珍しいそう。胸部のワイズマンモノリス(多分力の制御装置みたいなもん)こそないものの、賢者の石の力で変身してるのは変わらないのでアギト同様何かしら悟ってる部分があると思われるけど、「賢者の癖に粗暴で自分をコントロールできない人」が珍しいというのは感覚的に理解できる。の癖にというか、実際は賢者"が故に"そういう結論に至った、ってことな気がするけど。
・北條のことを褒める尾室、北條がヒールチックだからなのか、立場が上のやつにとりあえず媚びへつらうだけの自分のないキャラのように見えてたけど、小沢さんにツッコミ入れることも結構あるし、お世辞使ってる訳じゃなくて単に正直なだけなのかもしれない。氷川さんとの関係が悪くなるから北條を認めにくい、みたいな打算的な葛藤がないだけというか。何よりお世辞のつもりなら、北條のいない時に「北條さんだっていいじゃないですか」と言うメリットがない。
・氷川さん、北條に皮肉で立ち向かってた時と比べると素直すぎて別人みたいだ。
読み切ってないけど、皮肉(アイロニー)について『反哲学史』の中でかなり面白い解説がされていたので、自分の言葉に翻案して紹介する。「嘘と皮肉は内面とは乖離した外面を表現する点では同じだが、嘘つきは偽装した外面を保とうと縛られ不自由になるのに対して、皮肉屋はその外面に対して無責任で自由である。また皮肉は受け取る側にも内面と外面の乖離が必要で、すなわち皮肉とは、無意識に乖離している人に対してその乖離を誇張して表現することでそれを自覚させる営みである」と。
後半はまだうまく咀嚼しきれてないんだけれども、ざっくり言うと多分「お綺麗ですね(ブサイクだ)」という言葉を皮肉として受け取る為には、受け手の中にも発信者と同じ「本当は自分はブサイクだ」という観念(発想)がなければならない訳なので、皮肉とは相手が普段は発露せず無意識に抱いている感情を意識のうちに顕在化させる効果がある、みたいなこと。その視点で見ると今回の氷川は、北條の皮肉がイマイチ通じてないように思える。要するに裏表のない人間に皮肉を言っても意味がない、ということ。
一方、今回の氷川のセリフもまた皮肉だと受け取ることもできなくはない。表情まで取り繕うなんて器用なことができるとは思えないので本当に額面通り受け取って会話していると思うんだけど、それだと北條の言うとおり「自分はどこへ行っても結構通用する」と思ってる自信家な面が見えてくる。翔一に対してムキになってノコギリの手伝いしてたのも、「自分ならばできるはずだ」という万能感の表れとしてみることができる。
・氷川はかわいい,愛せる≒見下し メカニックとしての自分のつくった機械G3に対する愛着(発目のドッかわいいベイビー的な)に似た感情? 闇の力、対等は怖い≒ヒューマギア
・虫食いを気にしない翔一、仮面ライダー
・過去を知るのが怖い……なんか恋愛みたい。今の幸せが崩れてしまいそうで、自分の気持ちを伝えたり相手の気持ちを知るのが怖い。
・尾室、仕事は仕事と割り切ってるんだな。確かに人事に文句言っても仕方ないし、北條の方が適性があるって言うならそっちの肩を持つのが自然だ。
・豆知識だけど、正式なものとされているIQテストのひとつであるWAIS-Ⅲ(2018年に最新版のⅣが出たが)における最高値は「156以上」であり、それ以上は数字として出ないらしい(QuizKnockの動画より)。理由はよく分からないけど。
ちなみに僕は2017年()に受けたところ、全検査IQが110。得意不得意にそこそこ大きなバラつきがある(知覚統合121に対して処理速度86)ので、発達障害ということに相成りました。
・アンノウンが現れると必ずアギトも現れる、でも敵か味方かはよく分からない……この認識は詳しくないけどウルトラマンのそれと非常によく似ている気がする。アギトは喋らないから神秘性も強いし、光の戦士だし。
・麺を途中で噛み切るのは自分的にはNG。まぁ、演技中は尺の都合もあるし役者さんも断腸の思いで噛み切ってるのかもしれない……。
・このちょいちょい出てくるけどクウガのキャラほど印象には残らない刑事さんは河野って名前なのね。要潤さんのYouTubeで田崎監督が証言してた通り、やっぱり水関係の字が入っていることになる。こういうこだわりはそれこそクウガっぽいよね、あっちはメインキャラがだいたい植物の名前だったから。
・出たなオクトパスロード。こいつは小さいころ小学館のテレビ絵本で見たのが記憶に残っている。G3との戦闘場面なんだけど、お互い濃い赤と青だから絵としてめちゃくちゃ映えてたのよね。
G3にやられた、と色んなとこには書いてあるんだけど、やはりそういう風にはとても見えない。後に再生していることからも、わざとやられたフリをしただけなんじゃなかろうか。
・北條G3はかなりかっこよく演出されてて、確かに"かわいい"とはベクトルが違う。当てない自信があるから少年がいても撃つというのは、訓練の結果もそうだけど、実際の現場においても生身のまま銃でアンノウンに立ち向かったことがあるのでそれなりの説得力はある。
しかし「2人目のG3(装着者)」じゃなくて「2人のG3」ってタイトル、変身しなくても氷川さんはG3なんだって感じがしていいな。

・G3ユニットの食事シーン、ちゃんと描かれるのは何気に今回が初めてじゃなかったっけ? まさか焼き肉じゃなくて北條さんとの気取ったお店だったとは……。
・タコと言えばクトゥルフのイメージが強いのか「よく分からないもの」って感じなのでまさに"アンノウン"。水棲生物、死と再生。洗礼。
・涼の父親、死んだのか。遠くにいたようにも思えるけど、アンノウンに殺されたであろうことを思うと都内なのかな。
・アンノウンがカメラに映らないどころか、闇の力は真魚サイコメトリーでも見えないのか? どうにも視点が安定しないのでたまたまかもしれないけど。
・三雲に三浦……特殊な死に方をした2人に共通の三
・電車の線路、そして貨車の中にいる闇の力……共時的に見ると、電王を連想させる サイコメトリーというのは、アカシックレコードを覗き見している?
・釈放祝なのにご馳走つくるの翔一くんなのかよ(笑)
・普段から泥臭く戦ってるから少しのことではめげない氷川と、大抵のことはこなせて自分の思い通りになってしまうからこそ一度崩れると脆い北條……なんかちょっと今週のゼンカイジャーのブルーンとマジーヌみたいだ。汚部屋に慣れてればゴミ電波にも耐えられる。
・普通に見てれば情けないやつなんだけど、バイクタックルで距離をとってきちんと親子は逃してるので、やることはやってるんだな、何気に。アンノウンが狙うのは血縁者だと分かっているので、北條自身は自分から攻撃しなければ深追いされる心配もない。一度離脱して体制を立て直すというのは、存外筋が通ってるのかもしれない。……って、次回とかで北條が悔し紛れに言ってたのを無意識に覚えてるだけだったりして。
・懺悔する闇の力

"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?

 "子供は純粋"というフレーズ……よく聞く。よく聞きすぎてもう当たり前になったのか最近はむしろあまり聞かない。


 この記事を書こうと思い立ったきっかけとして、さっきナレルンダーの話を見たのよね。筐体のディスプレイにプレイヤーが写り、それが変身して動きに合わせて敵を倒す……みたいなアーケードゲームなんだけど。


 うまく説明できないから検索して出てきたプレイ動画貼っとく。

 

youtu.be こんな感じ。僕が子供の頃はなかったしプレイしたこともないから分からないんだけど、子供が「本当に変身している」とある程度は錯覚していると仮定して話を進める。
 さっき改めてプレイ動画を見て気付いたんだけど、これ代替現実(SR)の考え方が応用されてるのね。

 

 代替現実(SR)とは、仮想現実(VR)があくまでも「映像による仮想」だと認識されてしまうのに対して、「これは本当に起こっている」と錯覚させる手品みたいなもの。技術的にはVRと大差ないらしいけど、その発想がすごいんだよね。

 簡単に説明すると、まずはVRのようなヘッドギアをしてもらい、そこについているカメラによるリアルタイムな映像をしばらく見せる。そのうちに事前に撮影しておいた360度ムービーとすり替えると、過去の映像をリアルタイムで起こっていることだと錯覚する……というもの。

『これまでのVRは、「現実」と、人工物でクオリティはちょっと低い「仮想」の差をいかに埋めるかということを考えてきたんです。ですから、コンピュータの性能をあげるだとか、液晶を高精細にするといったことに取り組んでいました。でも、SRというのは逆の発想で、「現実」のほうのクオリティを下げたんです。現実も仮想もビデオクオリティに落としてしまえば、両者を区別することはできませんよということなのです』(藤井直敬 文系の壁より)

 ヘッドギアによるリアルタイム映像というのが、つまりは"ビデオクオリティの現実"。仮に360度ムービーへすり替える際、一瞬映像に多少のズレなどが生じてしまっても、元が映像なので「ちょっとした機械の誤作動」程度の認識で止まるだろう。
 養老孟司さんの文系の壁は面白いんでおすすめ。対談形式になってて、他にも森博嗣さんとの理系と文系論とか、鈴木健さんの「なめらかな社会」とPICSYの話とか、須田桃子さんとのSTAP細胞事件の話とか、全編に渡って興味深い話が盛りだくさん。

books.google.com

 

 少し逸れたので戻すと、ナレルンダーの話ね。実際にSRとして使われてるような自分視点のヘッドギアではないけれど、「正面に自分が映る」という光景は鏡を通して日常的な風景となっている訳で、そこを利用して「正面に映った(ビデオクオリティの)自分が変身する」ことによって、没入感を演出しているのだと思う。
 大人のプレイ動画も見たことがあるんだけど、大抵はふざけている。この差は、視野の広狭(知識の有無)にあると思う。

 


 また少し話は飛んで、これは僕の経験なのだが、「サンタや仮面ライダーが現実にいる」という明確なイメージ……例えばサンタならば「クリスマスの夜に自分の家に入ってきてプレゼントを置いていく赤白の服を着た老人がいる」、仮面ライダーならば「この世界のどこかで実際に怪人と戦っている」というシニフィエを持っていた記憶はない。
 僕が認識していたのは、それぞれ「クリスマスの朝には枕元にプレゼントが置いてある場合があり、クリスマスというイベントのイメージキャラクターは赤白の服を着たオジサンである」「日曜の朝にはテレビで仮面ライダーの活躍が見られる」程度のものだった。


 何が言いたいかというと、「実在する/しない」と言う発想は大抵の場合「実在しない」という前提の元に成り立っていて、"純粋"な子供は「見たまま」を認識しているのではないか? ということ。
 例えばヒーローショーを見に行って「仮面ライダーだ!」となるのは「現実に存在していると思っているから」ではなくて、「見た目が同じだからテレビの中にいたそれと同じだと認識した」に過ぎないのではないかと。
 大人は多くの場合「ドラマで起こっていることは虚構。作り話」と認識しているけどそうじゃなくて、「"テレビの画面の中で"仮面ライダーが戦っている」ということは紛れもない真実なんだよね。ヒーローショーだって「実際に目の前にいる」。

 

 先日の記事で"偏見"について一家言あると書いたけど、それはここに繋がってくる。以前何かの記事にも書いたけど、"偏って見る"こと自体は悪くなくて、Aさんの周りに例えば「犯罪を犯したオタク」が多かったとしたら、「(自分の周りでは)犯罪を犯したオタクがたくさんいる」というのはひとつの事実なんだろう。
 でもそれを「オタクは(自分の周りに限らず)犯罪を犯すんだ」と"拡大解釈"すると、世間で偏見と呼ばれるような問題のある認識になる。

 

 また、作品の粗にツッコむことを「作品を純粋な気持ちで見ていない」と評す人がいる。それと対比させて「子供は純粋に楽しんでる」と言ったりする人もいる。
 何を思って"純粋"と形容しているのか知らないが、どちらも視野が狭いことに変わりはないと思う。楽しんでる人には粗が、アンチには良いところが見えていない。
 「そういう見方をすると楽しめるけど、そういう見方をすると楽しめないよね」という視点の行き来ができるようになるともっと物事の本質に近づける気がするんだけど……それができたら苦労はしないんだよな。


 このブログのスタンスは思考の記録なので特にありがたい結論とかはないんだけど、この散漫な話題を貫くテーマが「ものの見方」だったことだけは伝わってほしいかな。

 

'19/1/24 追記

よつばと!』という漫画のワンシーンの話をぜひここに載せておきたい。主人公のよつばが、夏の終わりに鳴いて夏を終わらせてしまう"つくつくぼうし"なるものの存在を聞いて、三角のぼうしをかぶってひまわりを持った妖精を想像するんですよ。その後にその正体が実はセミだったと知って、ちょっと後にお父さんが「つくつくぼうし、セミで残念だったな」と言うんです。

それに対するよつばの返事は、「? なんで? よつばセミすき」。

これなんですよ、僕の言いたいことのひとつは。ちょっとこう……うまく説明できないけど。このエピソードは単行本の5巻に載ってるので、ぜひそこまで読んでみてください。いつか感想でも書こうかな。

 

現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想 - やんまの目安箱

仮面ライダービルド 48話「ラブ&ピースの世界へ」 感想

\newcommand{\argmin}{\mathop{\rm arg~min}\limits}
\argmin_{N}[\forall N\geq N,\exists p∈(n,\frac{9n}{8})]=48話


キャラクター

 桐生戦兎
・1週間で怒りが落ち着いたのね。怒ったままジーニアスにならなかったのは良かったけど、だったら前回キレる描写必要あった? 賛否両論になった要因の1つだったけど。
・「その賭けに負けるなよ。生きるために戦うんだ」
言いたいことが2つ。まず懸けると賭けるは意味が違うけど、これは分かってて掛けたのかな。"よりによって"の使い方も怪しかったし、武藤さんの日本語力はあんまり信用してない。上がってきた脚本って言葉のチェックとかしないのかな……。もひとつは、それじゃまるで猿渡が負けて情けないみたいなニュアンスを感じること。忠告を聞かずに信頼を裏切られたと怒ってるのかな。猿渡の死が「感動するべきもの」じゃなくて「情けないと怒るべきもの」として描かれてるんだとしたら、彼の死に納得できる理由がないのも大した功績を残せていないのも理解できる。猿渡のファンを敵に回してまでやりたかったことなのかは謎だけど。
・「お前の野望は、俺達が打ち砕く。それが一海の……全ての人の思いだ!」
文字通り主語がでかい。なんだよ戦兎も結局自分が正しいと思ってるだけのキャラかよ……。ホントにどうしちゃったんだ仮面ライダー
・「だからお前は何があっても最後まで生き残るんだ。たとえ仲間を失っても」
まぁ、誰かに"死ぬなよ"ということは"他のやつは死んでいい"ってことと同じ意味では全くないけれど、実際に死んだ後だと謎の説得力が生まれちゃうよね……。しかも、前回も言ったけど戦兎は「敵も見方も死なせない」を掲げていたはずで、「たとえ仲間が死んでも」という仮定は白旗も同然だと思うんだ。或いは「新世界つくれば元通りだから(万丈以外は)死んでも大丈夫」と思ってるか。
・ロストボトルはやっぱり挿すだけで良かった。アホらし。
・「お前は何も分かってない……ライダーシステムは怒りや憎しみじゃ強くなれない!」
誰よりも文字通り"ライダーシステム"を使ってるエボルトは、誰よりも強いんだけど。矛盾してるとまではいかないけどちょっと要素として邪魔だよね。

それと、一般の人々はエボルトへの怒りや憎しみから応援してる可能性あると思うけど、その辺りは考慮しないんすかね。

 

 万丈龍我
・「俺にもエボルトの遺伝子が宿ってる。一緒に消えるのは、俺のほうが都合がいい。戦兎……ありがとうな」
万丈のほうが戦兎より頭いい……一体どうするつもりだったんだろうね……。

 

 猿渡一海
・「もう十分償ったんじゃねぇのか? 少なくとも……俺はもう許してる。今のお前なら、親父さんの後を立派に継げるはずだ」
猿渡ファームの仲間を忘れるようなやつだからなぁ……赤羽のこと許したとか言われても、しばらく経ったから怒りを忘れたってだけにしか聞こえない。36話で「これからも許せねぇだろう」とか言ってたのはなんだったのよ。

 

 氷室幻徳
・「俺たちは誓ったんだよ。仮面ライダーに命を懸けるって」
前回のタイトルにあった"誓いの"ってのはこれかな?
・あ、スチームブレード持ってたね。
・「聞こえるぞ……みんなの声が、祈りが。親父……やっと分かったよ。国をつくるのは力を持つ者じゃない。力を託せる者だって……! これで最後だ。大義のための犠牲となれ!」
今やっと気付いたなら、猿渡は見当違いなこと言ってたんだね。そして、だから「犠牲となれ」ってフレーズ合わないと思うんだよな。多数決絶対主義かよ。
・ところで、前回内海が何の意味もなくタネ明かしされて何の意味もなく消えたけど、あれは「幻徳の罪の再確認」って意味があるんだと思ってたのに、まさか一切触れられずに終わるとは……内海可哀想。

・マスク割れってそんなに燃えないなと。まぁ今回の場合目の位置のズレが気になったってのもあるけど。例えばさ、蓮がガイにトドメを刺そうとしたけどできなかったシーンで、その結果反撃されてマスク割れとかなら多分熱くなれるのよ(まぁこの例だと、次回以降の変身に支障をきたすけど)。でもただ割れただけじゃ弱そうでカッコ悪いだけじゃね。幻徳のプライドとか虚栄心みたいなものは、ローグになる時にもう捨てたって言ってたしなぁ……。影がローグだった意味もまだよく分からんし。「ローグの面が壊れる」ことがポジティブなことなら、影がローグなのはネガティブな意味を持つはずなので、面割れ自体はむしろネガティブなものとして描かれてないとおかしいんだけど、みんな燃える燃える言ってるからよく分からん。

「割れ物注意とマスク割れを繋げるか!」みたいな反応を見て言葉遊びとしては確かに面白いなって思ったけど、「悪者ぶる」決意が「割れ物注意」だとしたらかなり情けない……。この辺どういう意味なのか分かる人いたら教えて欲しいです。

 

 エボルト
・分身がやられてもなんの問題もなくブラックホールになれちゃうのね。
・ローグだけ動けないようにしなかったからトリガー壊されてやられる。最後までナメプ。
・「バカな……動け!」
ぶっちゃけた話、トリガー使わないと完全体になれない生命体ってのがもう全然理解できないんだけど、やっぱり人間によって作られた存在なんじゃないのかなぁ、彼。まぁ、こんだけ退屈な話つくっておいて出し惜しみしてたんだとしたらふざけんなって感じだから別にどうでもいいけど。

 

 人々
・僕はそりゃ薄っぺらいなと思ったけど、"結果的に"仮面ライダーに力を与えたのにファンからもクズとか調子良すぎとか言われてて可哀想。幻徳たちはその「自分のことしか考えてない人たち」を守るために戦ってるんだし、映画は見てないから知らんけどそれを受けても尚「彼らの意思がこの国をつくってる」って言ってる訳でしょう。それは"泥を塗る"とは違うんですかね。

 

 

結局なんの罪もないB世界を巻き込むことには何も触れないのね。次回は石動惣一が長い眠りから覚めるそうです。割と楽しみだ。

 

次話

仮面ライダービルド 49話「ビルドが創る明日」 感想 - やんまの目安箱

アンチと呼ばれる自分の心理

僕はよく、作品の"アンチ"って呼ばれる。まぁ、仮面ライダーエグゼイドとかビルドの記事読んでもらえば「そりゃそう呼ばれるだろうな」と納得されてしまうんだろうけども、僕はイマイチこの言葉の指す意味を掴めていない。通じやすさを優先して自称してみることもあるけど、他人に対して「こいつアンチだな」というのを感じたことがないので自分への判断もうまく下せない。


そんな訳で意味を調べることが何度かあったんだけど、pixiv百科事典の説明が一番詳しく細かく書いてあるのね。そこで、これを中心に"アンチ"という言葉について思ってることを書いてみようと思う。たくさん引用することになると思うけど特に断りなければこの記事からです。編集とかされたら食い違う部分も生まれるかも。本日2018/08/17時点での内容を抜粋します。

dic.pixiv.net


本来の意味としてはそのまま『特定の何かに対して嫌悪感・反発心を抱く者orその感情』らしい。
で、ネットで主に使われるのはその中でも『特定の人物・団体・ジャンルなどを、理屈・他人への迷惑・ファンへの配慮を一切無視し、矛盾・暴論なんでもござれ、自分の感情の赴くまま叩き続ける行為やそれを行う人の事』らしい。
ちなみにそれらに則ると、この記事を書いた人は「アンチアンチ」ってことになるんだろね。期せずして、前から修飾するのが正しいのか後ろから修飾するのが正しいのかみたいな疑問が生まれなくなっていいね。
それはともかく1つ目の不満点。『他人への迷惑・ファンへの配慮を一切無視し』という部分。


 アンチは配慮に欠けているのか

 欠けていない……とするのは無理だと思う。でも、「自分が少し我慢すれば配れる気があることは知っているけどそうしない」ことって結構あるでしょ。例えばどんなシチュエーションがあるかな……道端に落ちてるゴミ、拾う? 僕はちょうどいい袋を持ってたら拾う(そして大抵レジ袋をいくつかリュックに入れて持ち歩いている)けど、拾わない時もあるよね。ゴミが落ちてるのを見て不愉快に思う人がいることは容易に想像できるけど、拾わない。
 とはいえまぁこれは比較的ハードル高めかな。多分アンチは他人からしたら「(ネット上に)ゴミ(不愉快なもの)をポイ捨てしてる側」だろうしね。"良いことをしない"は論点が違う。
 もっと適切な喩えないかなぁ……電車内での飲食とか? 例えば僕はおにぎりとか、ペットボトルや水筒に入った飲み物程度なら許せるけど、密封できないタイプの飲み物とかボロボロこぼれるもの、後はお弁当なんかを堂々と横で食べられたりしたらちょっと不愉快。

 この"不愉快な基準"ってのが一番厄介なのよね。食べてる人は「これくらいなら」とか「急いでるから仕方ない」とか思ってやってるんだろうし、或いはそもそも「不愉快だと思う人がいるなんて思いもよらなかった」って可能性もある。やられる側としてはおにぎりも水も嫌だって人もいるだろう。

 

 あ、もうひとついい例があった。"ネタバレ"だ。例えば映画なら、まぁ公開初日には僕でさえふせったーを使ったりと気を使うけど、流石にレンタル開始まで感想を言わないでおく人というのはなかなかいないだろう。だがレンタル派の人が少なからずいることは想像に難くないし、レンタル開始日にその全員が見るかといえばそれも違う。ネタバレを完璧に気にし始めると永遠に感想など言えないのだ。

 また、今言ったのは"時期"についての配慮だが、"どこからをネタバレとするか"にもかなり個人差がある。「予告などから分かる範囲ならいい」だったり、「予告から"想像"できる範囲ならいい」だったり、「核心(だと自分が感じるもの)に触れない範囲ならいい」だったり、「具体的なことを言わず"何か"や"誰か"とぼかせば何を言ってもいい」だったり……。
 この間「君の名は。」の感想を書いた(三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想)んだけど、「今更ネタバレなんて気にする人いない」と思う人もいれば「まだ見てない」って人もいるだろう。まぁ僕の場合は、ブログの説明欄に「執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意」というワイルドワードを載せているので、基本はネタバレに対する罪悪感というものはない。読まない方が悪い論ね。とはいえ、書いて損する訳でもないので記事の冒頭に書くときもある。最近だとマイティノベルの感想に書いたかな。

 個人的には前後関係を知らずに聞いたことはだいたい忘れちゃうので、ネタバレはほとんど気にならない派。


 これらを踏まえた上で言うと、アンチと呼ばれる人は確かに「作品に否定的な発言を見ると不愉快になる人」に対する配慮には欠けているかもしれないけど、逆にその人たちは「作品に肯定的な発言を見ると不愉快になる人」の存在を少しでも考慮したことがあるのか? と思うのよね。別に「お互い様だから我慢しろ」なんてことが言いたい訳じゃない。不愉快になったら文句や愚痴を言う権利くらいあると思うからこそ僕は日々そういうことを言ってるんだし。

 

 僕が言いたいのは「その人のできる範囲で配慮をするしかない」ってこと。"できる範囲"ってのは色んな意味を含んでて、例えば「想像できる範囲」かもしれないし、「自分が罪悪感を覚える範囲」かもしれないし、「これまで実際に文句を言われた範囲」かもしれない。
 ちなみに僕は基本的に2つ目に従って生きてます。自分のTwitterやブログで悪口雑言を垂れるのは気にならないけど、直接ファンの人にリプライとかで作品への文句を言うのは気が引けるからしない。引用元で言われてる『矛盾・暴論』に関しては、自覚がある場合は自重するか、「これは邪推だけど」や「妄想だからまともに取り合わなくていいけど」みたいな文言をつける。
 人は万能じゃないってのは当然のことなので、すべての"不愉快"に対応できるわけじゃないし、仮に能力的に可能であったとしても精神的な余裕とか時間的な余裕とか、そういうものが足りてないことも十二分にあり得る。僕がいちいち文句言うのは心が狭いからだって言われたらぐうの音も出ないしな。でもそれは別に悪いことではないと思うのよ。僕は自分の心が狭いことに罪悪感を覚えない。だから気にしないし謝らないし積極的に改善を試みたりするつもりもない。

 

 ちなみに、Twitterに関しては『ユーザーは、本サービスの利用により、不快(中略)な投稿に接する可能性があることを、理解しているものとします』(Twitter サービス利用規約より)となっている。もちろんそれに対する文句を言ってはいけないとは書いてないけど、もし「ネガティブな意見を(鍵もかけずに)垂れ流すのは自分の主観とは関係なくおかしいことだ」と思っているのであれば、それは違うよとだけ。
 とはいえ攻撃的なコンテンツはまた別の尺度で違反となる可能性があったりするし、利用規約なんて無視するのも「配慮する範囲」なので僕は強制できないんだけども、Twitterの運営にはルールを違反したツイートやアカウントに対して何らかの制裁を加える能力と権利を持っている。Twitterのルールというのは、運営が公言している「配慮する範囲」だ。法律も同様に解釈できる。『表現の自由に伴う責任』っていうのは、まぁこういうことだろうね。

 

 僕は基本的に「犯罪じゃないならやってもいい」という考え方なんだけど、それを補助する役割を持ってるのがこれらの考え方。補助っていうか、省略した部分かな。法律やその他の場に合わせたルールに反していない限り、何か(例えば転売とか)をするのはその人の判断次第だし、それに対する罰として勝手に該当人物を責める権利なんて誰も持ってないと思う。これは自分の中での微妙なニュアンスなので伝えにくいんだけど、「自分の権利の中で文句を言う」のは良いけど「その結果他人の権利を侵害する」のであればそれは駄目だと思う。だからブログの記事ではできる限り実在の人名を否定的な文脈で出すことは避けるなどの自分ができる範囲の配慮はしてる。仮にどんなつまらなかったり不愉快だったりしようと、それだけなら創り出すことに罪なんかないし、僕には裁く権利なんてない。いわゆる"社会的制裁"みたいなの嫌いなんだよね。スカッとジャパンとかあるじゃない、あぁいうのは見てて不愉快。個人のスケールでやったりやり返したりする分には全く構わないけど、それらのエピソードを晒し上げてみんなでケラケラ笑い合おうってのが気に食わない。

 要するに、個人には文句を言う権利はあっても罰する権利はないってこと。私刑ってやつ。ルール違反だと思うなら適切な場所に連絡するべきだし、そうじゃないなら不満を垂れるしかない。もちろん実在の人物なら名誉を傷付けない限りでね。

 まぁ、国からそんな権利を与えられなくても根源的に人は自由なので、物理的には勝手に罰することもできてしまうし、法律に違反することだってできるんだけど。

 

 当該記事の作為的な記述

『アンチコメを咎められ「感想を言っただけなんだが」とか「これは問題是正のための批判」等「感想」や「批判」という言葉を使ってアンチ行動を正当化するが、実際はせいぜいただの「不満」か「愚痴」、極端なもので「誹謗中傷」の方が正しかったりすることも多い。
そういう輩にはレスをした後100%反論されるのでその際に「ん?俺はお前のレス(コメント)を見た感想を言ってるんだが?感想なら何言っても良いんだよね」と返してやろう。』

 

 この『感想』も僕はよく言う。

  『何言ってもいい』という部分についてはさっき長々と語った通りとして、ここの表現ってとても悪意があるというか、僕は気に食わん。
 『せいぜい』って何よ。まるで感想と批判が不満と愚痴とは全く別物かつ上位にあるかのような。少なくとも『感想』はかなり広く受け取れる言葉でしょ。"否定的な感想"だって十分成り立つし、不満や愚痴、あとギリギリ誹謗だって対象に感じて想ったこと、感想だよ。中傷だけは悪意(あるいは勘違い)の上に成り立つものだから少し違うけど。ついでに言えば、読書感想文で「嫌いだ・不愉快だ」とか書いて金賞もらったことあるからね。マイナスなものもれっきとした感想だよ。それを取り上げてあたかも「(本来そういう意味ではないのに)感想という言葉を隠れ蓑にして自分を正当化している」みたいな文脈にするのはおかしい。
 『批判』に関してはまた少し趣が変わってくるというか、感想には正しい形みたいなものがなくて他人が何かを押し付けるのはお門違いなのに対して、批判は比較的正しさを求められやすい。だからもし何か言ってることに間違いがあれば「批判ではない」と言われてしまっても仕方ないとは思うかな。

 

 あと、『アンチのアンチ』という項にて『尤も、迷惑行為に対して嫌悪感を抱くのは至って普通の反応であり、一概に咎められるものではない』とあるんだけど、これも非常に気に食わない。それが分かってるならどうして『アンチ』と呼ばれる行為に対してここまで一貫して否定的な態度を取れるんだろう? 後の方で『例え本当にその対象の評価が低いものだったとしても、だからといってアンチ行為やそれに近いような過剰な批判、ネガキャン同然の言動が正当化されるわけではないことを念頭に置くべきである』とも書いてあるのに。
 まぁ、「自分がやる分にはいいけど他人がやるのは腹立つ」って言うならそれはそれで自由だと思うけどね。

 

 また『学術的な研究』の最後の方に、『本質的に有害な人たち』として『「何でも嫌う人たち」は、本能的に理由なく欠点ばかりに目を向けるのだそうだ』とあるけど、別にこれも悪くなくない? 欠点に気付きやすいだけのことのどこが『本質的に有害な人』とまで言わしめるのか謎。原典を読んだ訳じゃないからそりゃ分からなくて当然ではあるんだけど、引用するならきちんとそこもして欲しいな。記事の作成者が直接そう主張してるわけじゃないけど、この記事全体のアンチに対する否定的な文脈の中でわざわざ引用して示したってことは、同意見なんだと受け取って差し支えないよね。
 全体的に「アンチに対するアンチ感情」が執筆の原動力となっていることは想像に難くない。つっても結局は想像に過ぎないけど。百科感想ではなく事典ならばもう少しマシな表現方法があると思うよ。

 

 アンチへの対応

 僕がいつも気になってるのはここ。否定的な意見に対して「そういうのはアンチだから真面目に取り合う必要はない」みたいな風潮が理解できないのね。個人的な選択として「自分と食い違う意見は取り合わない」と決めてるならそれで全然構わないんだけど、考える余地を挟まずに「アンチとは取り合う価値のないもの」と切り捨ててる(ように見える)人の多いこと。
 こういう記事はそれを助長しているように感じるんだよね。『要するに構うだけ時間のムダ、逆にアンチを喜ばせることになる。弱い犬ほどよく吠える、蛙の面に小便とでも思って相手にせず無視するのがもっとも効果的である。あまり悪質な場合はブロックを推奨する』とあるけど、『効果的』ってなんだよ。そういう言葉は本来読者と目的(得たい効果)を共有していないと出てこないはず。にも関わらず一方的に無視を奨めるのはとても不思議だ。
 少なくとも僕は(たいてい)真面目に記事を書いてるし、Twitterでの発言はまぁ軽い気持ちのことも多いけど、貶すときはなるべく根拠をつけているつもり。それを偏見(この単語にも一家言あるんだけど今回は割愛)で価値なしと決めつけられるのは腹立つ。


 嫌なら見るな

『自分の嫌いなものにわざわざ触れない』
これについては過去に個別の記事を書いたので、そちらを読んでいただきたい。

86ma.hatenablog.com

 


 最後に

 さんざ文句を言ってきたけど、この記事『最後に』の項にはこれまで僕がうだうだ言ったようなこと(に近いこと)が書いてあるんだよね。

 

『アンチの存在そのものを一切許容せず「マイナスな意見は絶対に許さない」などという強固な姿勢も決して肯定され得る態度ではない。
往々にして世間一般的に「善」と論じられるもの、もしくは自分自身がよいと感じているもの・そう信じている事柄を盲目的なまでに賞賛し、それに敵対するものを「悪」とみなして排除しようとする風潮はバランスを大きく欠いたものであり、行き過ぎれば批判勢力の封じ込めや言論弾圧にも通じかねないからである。
もちろん、これは否定派の側にも当てはまることであり、自分の嫌いなものを手段を問わずに弾圧しようとする姿勢も決して許容され得るものではない』

 

だから尚更どうしてそれらを記事全体に少しずつ配置できなかったのかと。何故それが分かっているのに、最後まで読まなければ公平(というか肯定的)な意見を目にすることができない構成にしたのか、甚だ疑問。見出し機能がある分選択的に読むことはできるけど、アンチのページに来て積極的に『最後に』というタイトルの項を読む人がどれだけいるのか……と考えると、やっぱ平等ではないよ。せっかくなので構成を少し寄せてみたんだけど、全体的な印象として、あの記事に対して中立に見える? 少なくとも僕は見えないね。
 うちのブログ記事は「僕の思ったこと」を書くのが目的だからこんな風に偏った構成で書いても「偏った奴なんだな」と思われやすくなるだけで特に問題ないんだけど、"pixiv百科事典"への信用は僕の中で著しく下がったかなぁ。僕みたいにそれでいいならそれでいいんだろうけど。
 ま、そんな感じ。

仮面ライダークウガ EPISODE7,8「傷心/射手」 感想

キャラクター

 五代雄介
クウガの刺繍とサボり癖
刺繍を見せて「クウガのマークだよ」って、いやいや、言っても分からないでしょ……(苦笑) というか笑い事ではなくて、一条さんと違って彼には正体を隠す気がほとほとないらしい。戦士クウガの文字は明らかに顔をかたどった象形文字(絵文字?)なので、勘のいい人ならこれが4号を指していることに気付いてもおかしくない。親しい間柄のおやっさんだけならともかく、ジャケットのうなじに付けたまま外出までしてるし。誰もそんなところよく見やしないだろうが、トライチェイサーを見て「……4号?」と思った後に注視されたら、その疑念はまず間違いなく確信に変わることだろう。
リアリティラインが低く設定されてる作品にありがちだけど、ギャグなら何やってもいいって風潮あるよな。僕はこれまでも何度か言ったとおり、ある2人のキャラクターが互いを認め合うエピソードの最後でやっぱり喧嘩してオチ、みたいなのはかなりダメだと思うのよ。ギャグはシリアスを邪魔しない程度にしとかないと、それはただの本末転倒。その視点から、果たしてこのシーンはクウガにとって必要なのかと考えると、ギャグとしては正直なくていいと思うので、実はギャグに見せかけて真面目なシーンであるという仮定のもとに話を進める。

五代が何故クウガのマークをわざわざ目につくところに付けるのか。今ならバンダイアパレルからの販促要請なのかなとか思うところだけど、当時にもそういうものってあったのだろうか。それはさておき、普通に考えるなら「自分がクウガだと気付いて欲しい」からやってるとしか思えない。じゃあ何故気付かれたいのか。
まず思い付くのは、4号は敵じゃなくて人間だから、銃で撃ったりは勘弁して欲しいみたいなこと。ただこの場合、現在は3話のときと違ってグロンギにも人間体があると確認されていることから必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。彼らと違って日本語を流暢に話せるとか戸籍があるとか、きちんと確認しようとすればできなくはないと思うけど、それでも"変身"してもなお心が失われていないかどうかは、長い間 関わってみないと判断できないし、リスクを考えたら射殺する方が得策と判断される可能性もなくはない。
次に浮かぶのは、みのりや沢渡さんのように身近な人には、自分が苦しみながらも戦っていると知っておいて欲しいということ。この場合おやっさんや、服の刺繍に気付くくらいよく話す人に対して。一条さんだけじゃなくて、色んな人に自分の"変身"を監視しててもらいたいと。でもそれならそれでもっと直接的に腹割って話すことはしないのかとも思うので、微妙なところか。
最後は若干メタ的に、ヒーロー(戦士クウガ)のマークを普段から背負うことで、素行に気を付けようという自分に対する戒め。変身後の姿じゃなくても、クウガとして見られて恥ずかしくない言動を心がけるために。……だとするとバイトすっぽかすのはNGだと思うので、これも苦しい。うーむ。

クウガとして戦うためのサボりは仕方ない面もあるけど、だからってサボっていいことにはならない、雇用契約ってものがあるんだから。でも「例え仕方ない理由でも欠勤するかもしれないなら雇わないよ」って話にすると、マタハラみたいな問題とも繋がってややこしくなる。そりゃあ女性にも男性と平等な雇用機会が与えられるべきだとは思うけど、産休育休を取られたら困るのも事実だよね。「3ヶ月、或いは1年だけ雇ってください」なんて人が都合よくいる訳でもなし、新しい人での体制に慣れてきたところへ久しぶりの人が帰ってきても、現実問題として居場所を確保するのは難しい。企業には「あなたのような人材は要らないから雇いません」と言う自由があるのと同じで、(その会社にとって)都合の悪い人材を排除することは、ハラスメントでも何でもないと思うのよね。就職倍率が日本トップらしい明治に入ろうとして、入れなかったからって「不当だ! 嫌がらせだ!」とはならないでしょ。単純に考えたら使えない人間を雇うメリットなんかないんだから、人手が足りてるのに久しぶりの人を復帰させてあげる理由なんてある訳ないのよ。もちろん、産休育休とることを差し引いてもぜひ雇いたいような有能な人材だったら話は別だし、いち企業としてではなく社会全体として出生率を上げるためにみんなで我慢しましょうというのは分かるけどね。僕個人としては、男女や出産に関係なく、もっと休むことに対するハードルが下がればいいと思う。
話を戻すと、呑気な五代とおやっさんのことなので、雇用契約なんてかたいものはない個人的な付き合いの範疇なのかもしれない。でも沢渡さんにもそうだけど、ハナから「話せば分かってくれるはず」と思ってるとこは少し傲慢よね。今はグロンギがいるから対比で余計に、人間相手なら説得できる(自分と同じ思想にできる)って思っちゃうのかな。
今回なんて刺繍を桜子さんに見せるだけと大した用事じゃない上に、勢いで出ちゃった訳でもなく、お客さんと鉢合わせて一回我に返った上で、それでも尚飛び出してるので、相当タチが悪い。絶対にサボってやるという強い意志を感じる。普段からこうなのだろう。

こういうシーンから始まったからか、榎田さんが持ってる針に興味本位で手を出して払われてたこととか、不用意に貝殻の話題を出したり、後述の例と違ってマジで何も知らないしできない癖に"無責任"に「そうだね(役に立つよ)」と言ったりと、今回の前編は悪い面が目立って見えた。

・vsバヂス
青のクウガになってもロッドを使う素振りがなかったのはなんでだろうね。手すりはそこら中にあるので調達できない訳でもあるまい。勝てるシーンじゃないなら使わないことで商品にマイナスイメージを付けない……という意味にも思えるが、それでナメプしてるように見えるんじゃ世話ない。
もうひとつ気になったのは「逃がすか!」ってセリフ。クウガが言うとなんだか重い。最近の仮面ライダー、特にウィザードなんかは敵を取り逃がすことに対して驚くほどサバサバしてるんだけど、これって(白倉さんが言うところの)"怪獣"の文脈で見ると、それほどおかしいことではないのよね。彼らは我々の生活領域を侵犯するから悪なのであって、住処に帰って大人しくしてくれるならば、深追いする必要がない。
しかしクウガは、それを"許さない"。勿論また襲ってくると分かってるからということもあろうが、今回は実加がピックアップされていることも踏まえると、やはり仇討ち的な側面も多くあるように思う。一度こちらに攻撃してきて被害を出したからにはもはや赦免の余地はなく、徹底的に追い詰めて滅ぼさなければならない。という含みを感じる。

・大丈夫!の真意
「絶対見つかりますから」。最初に聞いたときは「何を無根拠に無責任なことを」と思ったけど、これは違うな。"絶対見つかる"って言ってるけど、"絶対見つける"なんだ。"みんなに笑顔でいて欲しい"から、無根拠でも笑顔で「大丈夫」って言ってまわって少しでも安心させ、責任持ってそれを本当にするために頑張ると。ヒロアカのオールマイトが笑うのと同じか。
桜子さんの「嘘つかない」って言うのとも繋がるしね。このシーン面白くて、わざと彼女がどういう表情で言ってるのかを隠してるのよね。安心してるのか、笑ってるのか、真剣な顔なのかは、想像するしかない。その代わり、直前に五代に頼まれた解読に集中するところはじっくり映される。これこそ信頼の証。最近 岡田斗司夫さんのYouTubeチャンネルを見るようになったんだけど、こういうちょっとした演出に対するアンテナが鍛えられてるかもしれない、いい傾向だ。
約束についてはこないだセイバーの感想でも同じことを言ったのでそちらも。
(参考:仮面ライダーセイバー 第4章「本を開いた、それゆえに。」 感想)

・貝殻が覆うもの
一度会っただけで貝殻が実加にとって大切なものであること、そしてその種類や採れる場所まで把握するというホームズばりのコールドリーディングを見せる。分かり過ぎて若干怖いぐらいなのは、後述する緑の力を意識しての演出だろうか。
最近キリスト教についてはそこそこ積極的に調べてる僕も全くの初耳だった程度にはマイナーな話なので意図的なものなのかは定かではないが、"暴れ馬"が聖ヤコブによって鎮まった際、体中(馬の体とする説と馬に乗っていた人の体とする説が見られた)が貝殻で覆われていたというエピソードがあるらしい。キリスト教で馬って言うと馬小屋に目が行きがちだけど、こういうのもあるのね。実加をきっかけに暴走していたペガサスフォームを制御できたのは、ひょっとするとこれに着想を得ているのかもしれない。

もう少し単純に考えると、貝殻は"閉じこもる/開く"イメージがあるので実加の心情を象徴する役割も担っている。キリスト教でシンボルとして使われてるのは厳密にはホタテ貝なんだけど、それでいくと有名な絵画『ヴィーナスの誕生』も連想する。彼女は貝殻の上に乗って局部を隠してるのが印象的だけど、人魚姫なんかはよく貝殻そのもので胸を隠したかたちで描かれる。これらはおそらく、かたく閉じた貝がその中に真珠という美しいものを隠し持っていることに起因する描写だろう。実加にも眠る何かがあり、それを活かしていつか「なんかやる」のだろう。
水切りできちんと有言実行して見せてから言う辺り、説得力が違う。直後にもクウガとして決めるし。……ただ何回も見てたら、7連チャンというのはあくまで絶望気味な実加が「無理だよ」と言っただけであって、実は五代としては「経験則から自分が超えられそうなハードル」を設定したのでは? なんて邪推もしてしまった。まぁこんな無粋なこと言う人も他にいないだろうから、そういう見方もあるってことでいいでしょう。テーマ的には、ななはキリスト教において重要な数字だってことも関係してそうだけど。

・ペガサスフォーム
クウガは根本的にモーフィングパワーと言って物質を分解・再構成させる能力を持っているのだから、別に対象が銃じゃなくてもその気になればペガサスボウガンにできるのではないかと思うのだが、どうだろう。ただ日本には銃刀法があるので、又貸しではあるが"許可を得ている人間からの許可"があることは無意味ではない。また不可能ではないにせよ、多少は構造が似てた方が消耗が少なくて済むのかもしれない。まさか無制限にできる訳ではなかろう。だがそれを考慮してもなお、アマダムは棒切れをドラゴンロッドに、銃をボウガンに、そして五代をクウガに変えてしまう、凄まじい変換装置だ。

"人間のパソコン化"という観念がある。『lain』に顕著な、体と心をそれぞれハードウェア/ソフトウェアと見做し、比喩でなく人間もパソコンと同じようなものだと捉える感覚のことだ。そんなゲーム脳みたいな思想はそうそう実在しないと思われるかもしれないが、体を機械化することで永遠の命が得られるのでは……と考えたことはないだろうか。機械化(電脳化)された人間とされていない人間に同一性を認めるのは、まさにこの立場に該当する。
Wのドーパントなんかはものすごく分かりやすくて、なんてったって人体に直接USBメモリを指すのだ、パソコン扱いここに極まれりと言って良いだろう。クウガも似たようなところがあって、1話で五代の頭に遠隔で映像(古代クウガのイメージ)を送信したところなど、ファンタジーの一言で片付けないのであれば、Wi-Fiのような電波でやりとりしていると考えるのが一番想像が付きやすいだろう。仮面ライダーの最初の怪人であるクモは、ネットワーク(Web)の化身だ。緑のクウガはザインと同様、極度に情報過多となった社会に苦しむ現代人を表していると言える。「この眼が二つだけでよかったなぁ 世界の悲しみがすべて見えてしまったら 僕は到底生きていけはしないから」狭心症/RADWIMPS
素朴な感覚として視覚や聴覚,そして狙撃能力を強化することは、単に身体能力を強化するのとは訳が違い、椿が懸念していた"頭"にも大きく改造の手を伸ばさないと難しいように感じる。筋肉だって制御しているのは脳だから、マイティフォームでも多少は脳に侵食している可能性はあるが、このペガサスフォームはおそらくそれが著しいのではないか。
ペガサスという言葉は古代ギリシア語で泉を意味するペーゲーに由来するらしい。クウガにおいて"泉"と言えば、もちろん心のことを表すので、ペガサスフォームは脳を蝕むという仮説が真実味を帯びてくる。他のどの形態とも違って唯一 時間制限があるのは、変身者の心を(パソコン化から)守るために働く一種の安全装置としての意味もあるのかもしれない。

で、その反動による変身不能時間だけれども、本編での椿のセリフを鵜呑みにして「2時間」としている文献の多いこと多いこと。そもそも椿の予想が合ってるかというところには触れないとしても、02:07の時点で「あと2時間くらい」なんだから、変身解除した時から数えたら絶対にもっと長い。沢渡さんに電話してるシーンが30分前の01:39なので、この段階で確実に2時間半。更にバヂスの針が遅くとも15分で回復することは自明なので、クウガとバヂスの交戦時間はおよそその程度だと目算できる。戦闘開始が00:37過ぎなので、そこから15分後だと変身解除したのは00:52頃となり、+45分。トータルするとおよそ3時間ということになる。
それはそれとして、どう見ても満身創痍なクウガを放置して逃げるバヂスは何考えてんだろうね。「ギボヂヂソギギダバいのちびろいしたな」と言っているので、「ゲームを盛り上げるいいエクストラプレイヤーだから生かしといたほうが楽しい」って訳でもないし。
直前に針を見たことが逃げた理由と関係していると見て、再生しきっていたパターンと再生していなかったパターンの2つを考慮していく。
もし再生できていたのなら、ゲゲルを再開して人数を稼ぎに行ったと見るのが自然だろうか。サルや他の動物を殺しの相手として設定するようなことはなかったし、人間よりグロンギに近いクウガは本来ならばカウント外なのかもしれない。体内のアマダムを感知しているらしく、バヂスの視界からは五代は普通の人間とは全く違う(水色でなくオレンジ)風に見えているようだしね。
再生していなかったのなら、うーん。やっぱり待てば普通にトドメさせてたと思うんだけどな。こちらもカウント外なのだとしたら、殺す意味は特にない。もしも針を見たのが「いつもより回復が遅いな……クウガとの戦闘で消耗したせいか」という意味なのだとしたら、戦線離脱することは頷ける。……というか、ゲゲルと関係なく殺しを行うことはタブーのはずなので、もしクウガがカウントされないなら、そもそも殺しちゃ駄目なんじゃないか? セリフとは食い違うが……グゼパの紛失をゴオマのせいにした狡猾なバヂスのことなので、殺してないと白を切るつもりだった可能性もなくはない。
結局その後一人も殺さずにアジトへ戻ってるので、消耗していた説が有力かも。もし回復が遅れていたなら、ペガサスの反動時間はその分だけ短くなります。

 

 一条薫
・覚悟
人の姿をした未確認生命体を自分たちは撃てるのかと迷う杉田。そもそも猟銃みたいに長くない拳銃って、人に対して撃つもんじゃないの? 357の6インチとかF15とか、意味が伝わってこない無機質な呪文を唱えて喜ぶミリオタの気持ちがさっぱりワカラン民なので、武器については全く知識がない状態で喋ってます、悪しからず。
所属は違えど、広く警察を志した時点でそういう覚悟は決まってるものだと思っていた。もちろん実際に目の当たりにして改めて、ってのは気持ちとして分かるけども、全く考えもしていなかったみたいに聞こえたので。

・優先順位
「ちょっとだけ待っててくれ」って……実加の言うように警察が亡くなった人や遺族を軽視してる訳じゃないと描写したいってのはすごくよく分かるんだけど、現在進行形の脅威より優先すべきことかって考えるとそれは少しやりすぎな気もする。それは冒頭の0号について調べているってシーンだけで十分伝わる。たまたま今回見てただけだと都合がいいなぁって話になるんだけど、そうじゃなくて普段から見てるのを今回ピックアップしただけってなってるのは、フォローが行き届いてて良かった。
この状況で先に予約したからと早いもん勝ち理論適用するのも違うし、用件を確認して城南大学を紹介するだけなら他の人でもできるので、正直捜査本部の中核を担う一条がやるべきことではない。むしろ気もそぞろなまま"中途半端"に話を聞いて実加に悪印象を与えたんだから、結果的にも逆効果だったと言える。

・シャレにならない
ゴオマの人間体を撃ったとき、もしかして帽子を狙ったの!? すごいと褒めるべきなのか危ないと注意するべきなのか……いや危ないだろ、一歩間違えたら頭だぞ。この時点では怪しくはあるけど人間かもしれない訳で、変なタトゥを入れて変な言語を話すからというだけでバルバを不審者として扱った時と同じ悪い癖が出ている。
普通の感覚なら足元か、同じく実加がメインの「現実」みたいに手元を狙うでしょ。いや、今回の場合はまだグゼパに近づいただけで犯罪者かどうかすら確定してないんだから、ゴオマを狙って発砲すること自体どう考えてもご法度。一応彼が逃げてるのは銃創ではなく帽子が脱げたことで日の光に晒されたことが理由だと思われるので結果的には怪我はしてないのかもしれないが、それにしたってだよ。脚本家は「狙った獲物は外さない」と言葉遊びすればいいだけなので気楽かもしれないが、本当に銃を人に向けてるキャラクターの心情を考えたら、あれほど安易に撃つようなやつでは困る。

・対応の是非
「無事で良かった」って、実加に対してそれだけ? 確かに「結果は出てないけど頑張ってはいるんだよ」ってのは言い訳くさくて良くないけど、それでも何かしらの対応はするべきでは? 前回は「専門家に行ってください」と、向こうからすると追い返されたような感じになっちゃった訳だし。
警察として、ひとりの大人として、「自殺する危険はもうなさそうだからよし」じゃなくて、きちんとそのきっかけをなんとかしようとしてあげなくちゃ。
……と、昔の僕は書いてるんだけど、完全に大バカですね。偉そうにしてるけど読解力のなさ、というかしっかり見てないのバレバレ。実加が死のうと思ったのは「人(夏目教授)が一人死ぬなんて、どうでもいいことかなぁ(だったら私が死ぬこともどうでもいいのかな)」と感じたことがきっかけなので、「無事でよかった」の一言はきちんと状況に即している。一条が実加たちに時間を割けなかったのも、他の誰かが死ぬのを防ぐためだしね。文句言う暇があったらまずきちんと見返して理解を深めましょうという好例。

 

 夏目実加
・催促する意味
心を閉ざす実加の心情を表すのに箱を閉める動作を見せるのは、ベッタベタだけど、最近じゃそういう演出やらないからなんか逆に新鮮。せっかく映像のあるドラマなのに、もったいないよね。
……って、この文章も前に見たときに書いたものなんだけど、自分で読み返してみても昔の僕が発見したにしては読解力が高過ぎるので、絶対誰かからの受け売りだと思うんだけど、記憶にない。誰か知ってたら教えてプリーズ。あと"そういう演出"は最近やってないんじゃなくてお前が気付いてないだけだから。

というか、僕が父のこと嫌いだから分からないだけかもしれないけど、別に0号のこと調べたからって帰ってくる訳でもなし、わざわざ警察に催促するほどの意味はあるのか? 河合隼雄ユング心理学入門』によると、受け入れがたい出来事に直面したとき、人は「なぜ?」と問う傾向があるらしい。「どうしてあの人は死んでしまったの?」と自分や医者、或いは神に対して問いかけるのだ。だが本にも書かれているように、その問いに対して「未確認生命体第0号の正体はン・ダグバ・ゼバという、魔石ゲブロンによってクワガタの能力を得たグロンギの元締めであって、夏目教授は彼によって頭部及び全身を激しく損傷し云々かんぬん……」と、あたかも怪人図鑑のようなノリで叙事的な(事実に即した)答えを返したところで、彼女らの気が晴れることはないだろう。ただ大切な人の死を前にして突き付けられる圧倒的な無力感を誤魔化して「何かしている」と思い込むためだけの、言ってしまえば虚しい営みだ。本当に必要なのは0号の捜査などではなく、気持ちに折り合いを付けるための適切なカウンセリングだろう。そんなことの為に、多忙な他人を動かすべきではない。

あと、「主人もさぞ悔しかろう」じゃないよ、悔しいのはあんたらであって夏目教授じゃないだろ。「石ノ森先生が〜」とかもそうだけど、みんなが死者に鞭打つようなことはしたくないことを逆手に取って、勝手に名前を使って自分の意見通そうとするなよ。
確かに、教授は研究対象としていた訳だから、彼らの謎が明かされることを望んではいるのかもしれない。でもそれなら最初から考古学研究室に行くべきであって、警察に来てるのは明らかに「法による代理復讐」を望んでるからでしょう? それは教授の研究とは無関係だ。まぁそりゃ、生前彼がそのような思想を持っていて「自分が殺された時も相手を死刑にしてやりたい」と公言していた可能性もあるけども。

・自殺企図
自殺未遂とは少し違って、実行を視野に入れて計画を立てることを自殺企図と言う。僕の感覚では「踏み切りに飛び込んだけど死ねなかった」は"未遂"で、今回の実加のように「実行には踏み出せなかった」ケースが該当する。死を象徴する踏み切りの向こう側に、父との思い出の海岸が見えるのが切ない。
「どうしてそんな、何もなかったみたいな言い方するの?」とは言うけど……正直、気持ちを切り替えて前を向くことを悪だとするのは無理がある。そもそも沢渡さんでさえ顔合わせたばっかりだったんだから、ジャンなんか夏目教授とは面識すらなくてもおかしくない。そんな人の死を悲しめと言われても、ねぇ。
でも、気持ちは分からなくもない。本当に偶然なんだけど、僕の友人も最近自殺を考えているらしくて、悲しんだり何かできることはないかと考えたりしているところなんだけど、一方でこうしてルーチンワークとしてブログを書いている時もある。ふっと悲しくなることはあれど、逆に言えばそれ以外の時間はなんとも思っていない。そのことに罪悪感を覚えるフシもあって、本当はもっと本格的に落ち込んで、何もかも手につかないような状態である"べき"なんじゃないかと思う。本当に悲しいなら、本当にその人の死と真面目に向き合うなら、その証明として自殺するべきなのではないか、なんて馬鹿げた考えが頭をよぎる。そうでないなら、自分の悲しさはその程度なのかと。実加にも少しくらい似たような心情があるのかもしれない。
そうは言っても、僕が何をしたところで現実が変わる訳じゃない。他の人はどうか知らないけど、僕には「悲しいから死なないで」とは言えない。そんなこと言って、死ぬよりつらい人生を続けさせるなんて無責任過ぎる。どんなことがあっても生きてる方が絶対にいいなんて確信は、僕には持てない。死なないで欲しいと言うのであれば、その人がきちんと幸せに生きていけるだけの根拠を示さなければならない。それが寄り添うことなのか、お金なのか、他の何かなのかは分からないけど、ただのニートでしかない僕にできることなんて果たしてあるものか。自分のことだから遠慮なく罵るけど、だいたい不男の親切心なんて気持ち悪いだけ。汚い手なんか差し伸べられても誰が取りたがるよ。お呼びじゃないね、まったくもって。

 

 グロンギ
・ 未放送個体
放送してない間に7体も倒してたらしい。セリフだけでサラッと言われたからびっくりした。前回のバヅーが6号でバヂスが14号なので、確かに計7体(7号ズ・グジル・ギ,8号ズ・ガルガ・ダ,9号ズ・ミウジ・ギ,10号ズ・ガズボ・デ,11号ズ・ダーゴ・ギ,12号Aズ・ネズマ・ダ,12号Bズ・ネズモ・ダ,13号ズ・ジャモル・レ)……なんだけど、合同捜査本部はバヅーがいた時点で組まれてるので、8じゃない? 細かいことを言うと、杉田が持ってきた13号ジャモルの載った新聞の日付は2/25になっているのでこの日は26日以降のはずだが、何故かWikipediaでは本エピソードは2/24ということになっている。なんの根拠もなく書かれたものとは思えないし、何かしら出典があるのだとすれば食い違っていることになる。別に何日でもいいが。 

警察がグロンギを倒すとこなんて、ドラマとしてすごく美味しそうなのに、なんで描かなかったんだろう……あ、そうか、それじゃクウガが活躍できないから駄目なのか。でもそのくらいうまくやればできそうなもんだけどなぁ……。
裏設定によれば、警察が倒したのはネズミ型グロンギのズ・ネズマ・ダと言い、警察が発砲したところ突然爆発したとされている。これはグロンギのルールによるもので、ゲゲル開始時にバルバがあの指輪によってグロンギのベルト(ゲドルード)に封印エネルギーと同等のものを流し込み、制限時間内にゲゲルを成功させられなかった場合に自爆するようになっているらしい。たまたまそのタイミングが警察との交戦と被ったせいで、あたかも警察が倒したかのような扱いになっている様子。確かにそれだと「警察もやっと倒せた!」という話にはならなそうだ。なんかあれだね、シザースは蓮が殺したのかどうかみたいな話と似てるね。

とはいえこれはあくまで裏設定なので、警察は「今の装備で倒せた」と勘違いするんじゃないかと思ったけど、そこもきちんと考慮されてて、12号Aネズマは、倒された後で復活したことになっているのよね。それが12号Bで、こちらはクウガによって倒されている。このことから「完全に撃破するには至らなかった」と認識したのだと思われる。実際のところは12号Bはバヅーとバダーみたいな同種の別怪人 ズ・ネズモ・ダ。

たまたま警察の前でタイムリミットを迎えたグロンギに同種がいたなんて都合が良すぎるけど、確率として有り得ないことはないので矛盾はしてない。……ないものの、これはこれで不可解なのよね。「ボセグゲンジヅレこれがげんじつ(だ)」と言いながらバルバが見せている羊皮紙のようなものには、上にバルバ、左にズ集団(ザインを筆頭に12)、右にメ集団(ガリマを筆頭に12)のタトゥが一覧のように並んでいるのが確認できるが、そこにネズモのタトゥはない。「ゲゲルの掟セット」のタトゥ一覧を見るとズ集団は全部で12人なので数は合っているかのようにも見えるが、この時点ではまだガルメがズにいるので、やはり1人足りないのだ。タトゥをきちんと対応させて見てみると分かる。
実はメ集団も未放送個体のうち9体ほどが書かれていないので単なる漏れという事もありうるが、メは数が多いから次ページにあるのだとしても、ネズモ1人を足すくらいのスペースは十分にある。明らかにズとメで数を揃えて12にしていることを考えると、この時点では各集団ごとに12人ずつの設定だったのかもしれない。9進法でキリがいい訳でもないので、どっちにしろ謎ではあるが。今回のバヂスがきっかり15分おきに殺害したように、どうやらグロンギにも人間のそれと似た時間の概念があるっぽいので、場合によっては12進法(12時間,12ヶ月)も併用していてキリがいいと感じる……のかもしれない。

・博物館とアークルの由来
水族館に続き、今回は博物館。戦闘民族の割にめちゃめちゃ文化的な場所にたむろしてるのが微妙に笑えるんだよな。毎度のことながらどうやって入ったんだか。
"アークル(Arcle)"の語源について言及してるテキストを僕は寡聞にして知らないので、少し考えてみた。すぐ思いつく中で一番それっぽいのは、サークル(Circle)かな。アマダムは丸い霊石だし、玩具的にもタイフーンよろしく前面部分がぐるぐる回るのはイチオシのポイントだろう。タイフーンは完全な円ではなく扇風機のように扇形をしていることを思えば円弧(Arc)ともかかる。多くの人に「わかる!」とはならなそうだが、個人的にはアーキタイプ(Archetype)なんかも似たものを感じる。なんとなく古そうなイメージがあるし、ユングの唱える元型として捉えると集合的無意識と繋がって「意志の統一」のニュアンスが付属する。クウガという作品は五代が周りの人間、果ては視聴者を"説得"していく物語でもあるので、当たらずとも遠からずといったところだろう。語源を遡ると、古代ギリシアの哲学者アナクシマンドロスが"万物の根源"を指して使ったアルケー(Arche)という概念に辿り着く。「時代をゼロから始めよう」なんて標語を掲げて平成ライダーシリーズの嚆矢となった番組としては、無関係だとは思えない。更にはキリスト教においては、このアルケーは「はじめにロゴス(言葉)ありき」という有名な文言で説明されており、グロンギ語を始めとして様々な作中言語を扱い、"文字の解読"を中心に話が進み、クウガの体中にも古代文字がデザインされているのだから、意識しているに違いない。アークエンジェル(Arch-angel)のように、"支配者"的な意味を持つこともある。ちなみに今回この話をしたのは、ペガサスボウガン(Archery)が出てきたことも関係している。
寄り道が長くなったが、本題はノアの方舟(アーク)についてだ。最近ゼロワンがやってたことを差し置いても、クウガ自体にキリスト教的な要素が多分にあることを考えると、これを連想するのは不自然なことではないと思う。先代のクウガは意図してなのか仕方なくなのか、グロンギを滅ぼすことなく封印という形で現世まで"大事に保管"していた訳なので、見ようによっては方舟的だと言える。
水族館も博物館も良し悪しとは関係なく「こういう生き物がいる(いました)」という事実の保存を目的とした施設なので、グロンギも学術的興味対象として存在を許されるのかもしれない。
ギギザソグいいだろう」の直後、明らかに照明さんが動いて骨の影を動かす演出がなされてるので、この辺はリアリティについて真面目に突っ込むようなシーンじゃないんだろうね。

 

設定

タイムパラドックス
「(なんとなく)一緒の方がいい気がした」と言われてわざわざ千葉くんだりまで来て、自己紹介も振るわず好奇心も否定されて散々な五代。唯一まともに手に入ったのは「ハチの怪人かもね」という情報だけ。だがちょうどそこへ未確認事件の連絡が来て、ちょうどよく地図もあって、バヂスの行動パターンを見破れるというシーン。
そもそもなんで15分おきに螺旋状なんだというのは、些末なことだ。劇中では一切説明されないが、調べたところハチはもともと対数螺旋状に飛ぶ習性があるらしいのと、インターバルについては前言撤回になるが、グロンギに正確な時間の概念があると考えるよりも、おそらく針の回復時間がたまたまそうだったのだとするのが一番収まりが良い。有名なサイトは、何故か足並み揃えたようにその可能性に全く触れていないが。

バヂスは最短でゲゲルを進めるせっかちさんだということで、問題なのはこの一条たちの推理シーン。螺旋状に気付くのはいいとして、現実的に考えたら「きっかり15分おき」なことに気付けるはずがなくない? まずもってバヂスの気分次第で誤差が生まれ得るということを棚上げしても、そんな都合よく目撃者がいて、都合よく分単位まで正確に通報してくれる訳がなかろう。申し訳程度に「"ほぼ"正確」と言われているが、第一描写の上ではグロンギが規則的な動きをすることなんて今回が初めてなのに、不正確な情報「(例) 11:38→00:02→00:09→00:18」からそんなことまで見抜けるのは発想が飛躍しすぎ。2件目は発見が遅れ、4件目は通報者の時計が早くズレていたという仮定。
あくまでも2人は「神の視点からの正確な情報(11:37→11:52→00:07→00:22)」を元に推理してるから、そういう可能性をパスして答えに辿り着けるのよね。「緑は50秒しか保たない」もそう、時間測るどころか苦しんでたのに、そんな正確に分かるはずがない。五代たちは脚本の都合で、分かることを強いられているんだ!(ヘボットネタ)

更に言えば、ここで付けられている印は全部で12個。もし本当にずっと等間隔で殺していたのだとしたら、逆算していくと1件目が起こった時刻は09:37ということになるのだが、一条が事件を聞きつけたのが08:45分過ぎ、現場検証の場に到着したのが09:27なので、事件発生前に呼ばれてることとなり明らかに矛盾する。地図上に書かれた螺旋はロールケーキかってくらいざっくりとしたものなので、渦の中心が潰れて見えなくなっている訳でもない。
あの印は一条が電話口で聞いた喫緊の事件を書いただけであって、事件自体はもっと前にも起こっていた……としようにも、今度はその後に映ったバヂスのグゼパが邪魔になる。9つの玉が4-5に分かれているので、12にひとつ足した13人、つまり9進法の"14"を数えていると見るのが最も自然。推理シーンを根拠に、市民は事件があったらすぐさま気付いて通報する(警察は即座に気付ける)のだと仮定した場合、連絡のあった08:45に最も近い08:37か、その次の08:22あたりが本当の1件目ということになる。過程は省略するが、グゼパの1の位は前者なら8,後者なら0なので、どちらにせよ4-5の形にはなり得ない。ひとり殺したらひとつ動かすというだけの至極単純な作業なので、まさか数え間違いということもなかろう。
ちなみに劇中で動かしたのが2桁目だという可能性はもっとない。算盤を使ったことがある人なら分かると思うが、数を繰り上げるときは同時に前の桁の玉をリセットしなければならないのにその様子がないし、実際「ボンバズパこのかずはクウガ(クウガはリント27人分でどうだ?)」のシーンでは上側が1の位として使われているからね。

しかもドドゾで経過報告をする場面では、「9(記号)1 4」と表記しており、あの記号が✕に相当するものならば、9✕1と4でグゼパとは合致する。もしも「9✕1✕4」だとしたら9進法では40なので1桁目がゼロになる1件目08:22分説に信憑性が出てくるが、わざわざ✕1を挟む意味もないので無理があるだろう。
オッカムの剃刀で言うなら、9進法で使うならグゼパの球は8個あれば十分なんだけどね。繰り上がりをカウントするための2本目3本目を使わないのであれば、別にあれでも問題はないから、兼用してるが故のものかもしれないが。この話は多分後々また詳しくするので、今は何言ってるかよく分からなくても最悪いいです。

 

 
"どうでもいい"けど、8話で一条が母娘を助けた現場の近くにあった菱形という特徴的な形をしたランドマークは、千葉ポートタワーというらしく、そこから実加たちのいた富津岬までは、車で1時間以上かかるほど離れている。一条が時計で15分のインターバルを確認して「来るぞ!」と言っていたのであたかも直後の出来事かのように思わされていたけど、この2つのシーンの間に3発前後……少なくとも1発は確実に撃たれており、グゼパの玉も動いているので明らかに死人が出ている。
あと0号に親を殺された実加の目の前で、世間的には同じ未確認という扱いの4号に変身しちゃっていいの? 感情的にも、情報操作的にも。そりゃ視聴者にとって分かりきってることを説明するのは段取りくさいし話として締まりが悪くなるのは分かるけど、そこを触れずに流しちゃったらよく言われてる"リアリティ"は下がると思う。
本当にリアルかどうかじゃなくて、観客が語り手を信頼して説得力を感じるかどうか、という意味のね。操作状況やグロンギの集会をだらだら流すくらいなら、これらもきちんと映すべきでは。

 

前話
仮面ライダークウガ EPISODE5,6「距離/青龍」 感想

次話
仮面ライダークウガ EPISODE9,10「兄妹/熾烈」 感想

仮面ライダー龍騎 7,8,9,10話「新種誕生?/4人目ゾルダ/真司が逮捕!?/ナイトの危機」 感想

キャラクター

 城戸真司
・今回は真司の"ウザさ"の側面が如実に描かれていたね。「弁償弁償」と突っ走って北岡を追う内にガラの悪い連中と一緒になって追い詰めて、北岡が一方的にやられ始めると今度は手のひら返して庇い、そこまでされる原因が北岡にあると知るとまた「やっぱりあんたが悪い」と手のひら返し。1話でもそうだったけど、良い/悪いを殊更ジャッジしようとするのよね、彼は。しかも基本部外者だから、状況をややこしくするだけ。別に解決する訳でもなく、ただ首を突っ込むだけ。自分のことを無意識のうちで正義だと思いこんでいるフシがあるというか、「お前が考えてるのは自分のことだけじゃないか。俺は、俺は人を守るために戦いたいんだ!」ってセリフなんてまさにそれ。正義の押し売り……って感じ。
・「でも、なーんか違う気がするんだけどな。自分の欲望の為だけに生きるなんて、なんか、虚しいっていうか」「でも俺、嫌いじゃないですよ。北岡さんのこと」
上では散々言ったけど、特殊なのがこれもまた無意識に自分は正義ではないっていう認識も一応あるところなんだよね。思い込みだけで動くんじゃなくてきちんと新しい情報が入ってきたら手のひら返しをしたり、メモ帳を真っ黒にしても理解できないと感じても"嫌いじゃない"と言えてしまったりといった、よく言えば柔軟さも持っている訳だし、そこが真司の良さでもあるかな。

 

 秋山蓮
・なーんか違うんだよな。ただの嫌味を言うようなやつではなかったはず。

 

 北岡秀一
・「俺はな、人間の欲望ってやつを愛してるんだよ。人として生まれたからには全ての欲望を満たしたい。忍耐だの我慢だの、そんなものを有難がる人間はたくさんいるけど、そういうやつに限って欲望を満たす才能も力もないんだよ」「もういい、帰れ。お前も所詮、ただの退屈で凡庸な人間の一人って訳だ」
北岡さんって、案外メンタル弱いんだよね。そこがいいんだけど。表面上だけでもいい生活をして幸せな気になっていないとやっていけないような。バックボーンについてはまだ多くは語られていないけど、この2つのセリフでなんとなくそう感じた。余裕がないというか、強気な態度を取ることで自分を守ってるんだろうね。
自分的に、真司にシートベルトをちゃんと付けるように促してたところが特に気に入った。悪い人じゃないし、根は安全指向というか、多分一番小心者なんじゃないかな。かなり好き。
・ところで蓮に続きまたモンスター食べさせなかったね。
・「俺は欲しいものは全て手に入れる。やりたいことは全部やる。どんなライダーが出てきても、俺は勝つぜ? 何故だか分かるか? 俺は自分のためだけに戦っているからな。そういう人間が一番強いんだよ。お前、ライダーになるには10年早かったな。青臭いんだよ」
とか言いつつ女の子の母親を助けてあげる。北岡は、いくら金を持っていても満たされないもんね。だからこそ金で解決できる問題に限っては、彼も他人のために動ける。この加減がいい。

 

 

真司のウザさについて結構書いたけど、それを大きく上回るほど神崎沙奈子がウザかった。苦手だな、ああいうタイプ。
ところで、白倉さんが言うには「バイクはひとりでしか乗れない」らしいんだよね。その話を読んだ上で感じたんだけど、確かにバイクは一人乗りではあるけれども壁がなくオープンで、3,4話の感想でも言ったけどラフなのよね。
対して北岡は車っていう囲われた空間にいて、7話の真司みたいに"一緒に乗ってくれる人"がいれば彼はイキイキしてるんだけど、その後は吾郎ちゃんに振られたり真司に殴られたりで、あのデカめの車に一人寂しく乗ってるのよ。これがもう何とも言えぬいい味を出してて良かったねぇ……。

 

次話

仮面ライダー龍騎 11,12話「謎の無人電車/秋山蓮の恋人」 感想 - やんまの目安箱