やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーセイバー 第4章「本を開いた、それゆえに。」 感想

キャラクター

 神山飛羽真
・約束を果たす覚悟
彼の言う約束は、ちょうど今YouTubeで配信されているクウガの五代に似ているところがある。彼もまた無根拠に「大丈夫!」と言って周りを安心させておいて、その後で頑張ってその嘘を本当にできるよう尽力するタイプ。自分に対してハードルを課す意味では、約束や契約などのニュアンスも含まれる。
そう言うとかっこいいんだけど、今回の話は「いつまでにって話はしてないからまだ破ったことにはなってない! これから果たすんだ!」ってだいぶ言い訳くさい展開だったのはちょっと引っかかった。

あと、「約束約束うるせぇよ(意訳)」と激怒する尾上に対して「絶対に約束は守ります」って、一歩間違えたら完全に逆効果な返答なんだけど、軽々しく「あなたの気持ちは分かります」と言わないところに関しては結構良い手だったかもしれない。
小説家としては、自分が書いた本やキャラクターは子供も同然だと思うので、全く分からないということはないだろう。或人もヒューマギアをつくる会社の社長だったし、令和ライダーは今のところ2作連続で"親ライダー"ってことになる。『バクマン。』という漫画家を目指す漫画があって、その中で主人公たちの作品を真似た犯罪が起きて社会問題になるというエピソードがあるのね。「本来人を幸せにするはずの本が悪いことに使われる」まさにヒューマギアがテロに利用されるのと同じ構図。
一億総批評家と言われるほど様々な視点が跋扈する今の時代において、対象が良いものか悪いものかという評価を統一することはほとんど無理に等しい。すると自然、「そこを見たら悪いけどここを見ればそんなに悪くない」みたいな主張の仕方にならざるを得ない。或人も飛羽真も良いところに注目して、悪いところから目を背けるきらいがある。まぁ仕方ない、あれが駄目これが駄目と否定ばっかりする主人公よりはマシだ。子供に見せるなら尚更、大人になるまでの間くらいは都合のいいとこだけ見ていても良かろう。

彼の記憶喪失も、おそらくそういう現実逃避的な側面があるのだと思う。賢人の「忘れていた方が幸せ」というセリフからはそういうニュアンスがぷんぷんする。忘れてしまいたいほどつらい、約束を守れなかった過去……。
最近超全集を買った関係で見返しもせずぼんやりと龍騎に思いを馳せることが多いのだけど、真司にはそういった過去が思い付かないんだよな。彼が何事にも首を突っ込まなきゃ気がすまない、積極的に介入するほどに戦いを好まない性格になった"背景"。覚えてる限りでは彼の過去が描かれたのってEPISODE FINALくらいのものだけど、優衣との約束をぶっちしたことがそれらに繋がるようにも思えないし、今の性格を支える過去話の有無だけに注目するならば、城戸真司というキャラクターは至極薄っぺらくて脆いものということになる。裏を返せば自由度が高いとも言えて、仮に好戦的になっていたとしても"矛盾"はしない。蓮にとっての恵里のような「○○はどうなったの?」と言えるようなこれといった根拠がないのだから。彼の軸はあくまで現在にあって、1話で言ったような自分を縛る"過去の自分との契約"を持っていないキャラクターなのだな。
話を飛羽真に戻そう。2話の様子だとライドブックを集めるにつれて記憶の鍵も開かれていくような感じだった。仮面ライダーとして戦う覚悟とつらい記憶と向き合う覚悟の2つが絡み合っているのだと思われる。
ヘッジホッグは「指切りげんまん"針千本"飲ます」に、ピーターパンは"ネバーランド"に通じていると思えば、この2つの力を使った今回のドラゴンヘッジホッグピーターは「約束絶対守るフォーム」としての意味を持っているのかもしれない。


 尾上亮
・薄っぺらい
カリバーが賢人の親で、先代炎の剣士も飛羽真の親なんだとしたら、尾上さんは子持ちってところをかなり押し出されてるけど、実は家庭を持ったのはその3人の仲間内ではかなり遅い方ということになる。飛羽真,賢人とそらの年齢差を考えるとね。
子育て王なんて名乗っちゃいるが、むしろ彼はそれまで剣の道一筋で生きてきたところ、同僚2人の姿を見て自分も子供が欲しいと思ったのかもしれない。「子供は宝」というセリフがどうにも薄っぺらく聞こえたのは、受け売りに過ぎないからなのかも。飛羽真だって覚悟の話とかそうだけど先代の真似をしている部分が多いので、そいうところでもシンパシーを感じたのかな。

・変身システムと賢人の覚悟
これは現段階ではただの想像でしかないんだけど、ソードライバーを使う3人は全員尾上から見てひよっこ世代とのことなので、システム的には比較的新しいものなのではないかと考えることができる(烈火本体は先代も使ってたが一旦目を瞑る)。もしそうだとすると、ビルドのように多様な組み合わせを実現できているのはフラッグシップモデルだからという理由を付けられる。
更に、それというのは裏を返せばライドブックを3冊も揃えないと体のほとんどがブランク状態で本来の力を発揮できないということにもなる訳で、これはカリバーという裏切り者が出たことを考慮したある種のセキュリティシステムなのではないか。
カリバーやバスターはひとつのブックから全身を覆うだけの力を引き出せるのに対して、ソードライバーのライダーは1/3ずつしか抽出できない。それならば現状バスターと他のライダーに力の差があり過ぎることも頷ける。
これを踏まえた上でもう一度本編を見ると、自分の属性のライドブックを貸すという賢人の行為は、軽んじて見ることができなくなってくる。飛羽真,倫太郎コンビと違い、十分過ぎる腕前を持っていて力に困ってる訳ではない尾上に対して、自分の力の一端を差し出してでも「飛羽真のことを信じてくれ」と、そこまで言うのであれば彼も無碍にはできまい。ヘッジホッグライドブックは、謂わば『走れメロス』におけるセリヌンティウスみたいなものなのだ。さっき言った「針千本」もあるしね。たぶん。

豪快にぶった切るのが得意な彼には、幾千の針で再生できないくらい細かく刻むなんてのは性に合わなそうだし、飛羽真を信じた判断は正しかったと言える。


 カリバー
仮面ライダーたる所以
2話で倫太郎の口からキーワードとして語られた「世界の均衡」という言葉。そのままネット検索するとまず出てくるのはヨーロッパ、特にイギリスが掲げていた勢力均衡という考え方だ。均衡という表現からも分かるように、この概念は勢力の"対立"が前提にある。
倫太郎は分かっているのかいないのか、裏切りの剣士カリバーに対する敵対心を抱きながら「世界の均衡は僕が守る!」と叫んでいたのだが、この考え方ではカリバーのような存在を"駆逐"することはできない。

むしろ、ロゴスがあってメギドがある。この2勢力の力が拮抗してどちらが勝つでも負けるでもなく、永遠にその絶妙なバランスを取り続けることこそが、勢力均衡の理念である。僕の理解では。ソフィアが「未来永劫続く終わりなき戦い」と言っていたのはこういう意味。彼女は表向きカリバーを敵視しているが、その実は汚れ役を引き受けてくれていることに感謝していてもおかしくない。何より"永遠"は現実と対立するメギド側のキーワードだ(Maegaki Eien Ga honnIyori umiDasareru)。彼女もまた、腹に一物抱えている。その戦いに身を投じながら「物語の"結末"は俺が決める」と宣言する飛羽真の特異性も、同時に浮き彫りになる。彼こそ世界を終わらせる存在なのだ。

以上を踏まえれば、ある意味でカリバーは必要悪のような立ち位置にいることが分かる。おそらくだからこそ、彼はまだ聖剣に選ばれし戦士"仮面ライダー"なのだろう。
それらを抜きにしても、「アヴァロンに辿り着く日も近い……」と悲願を語る彼の姿からは、僕はどこか純粋さを感じた。まるで彼も誰かとの約束を果たそうとしているかのような。アーサー王はアヴァロンの地で、いつか来る目覚めの時を待っているらしい。彼の聖剣をエクス-カリバーと分割するのならば、意味的には"元カリバー"となる。彼は将来、自分の主たるアーサー王の懐刀に再び返り咲く為に、戦っているのかもしれない。
(参考:ワンダーワールドの両義性→セイバー 第1章「はじめに、炎の剣士あり。」 感想)

 

 須藤芽依
・ひどい扱い
戦場にヒロインと言うと、イズがのこのこ出てきてやられたり沢渡さんもわざわざやってきたりと危なっかしいイメージが強いのだけど、今回の芽依は結果論とは言え結構なお手柄で悪くなかったと思う。
……それはいいんだけど、尺の都合なのか誰ひとりとして彼女のことに触れないのがすげぇ気になった。「なんでいるの?」とか「危ないことするな」とか「君のおかげだありがとう」とか、なんもないじゃん。唯一話しかけてると言えるそらくんでさえ「本なんて開かなきゃよかった」と独り言でも十分成立する内容だし、その後も興味を示したのはピーターファンの話題だけ。芽依さん泣いていいよ。

 

 メギド
・王とは誰なのか
飛羽真たちは「(メギドが)捕まった人々を食べてサンショウ王になる」という解釈をしていたが、これは多分ミスリードだと思われる。だってハンザキメギドは「(我が)王の誕生」と言っていたので、明言はされてないものの文脈からして王になるのは彼本人ではない。でもだとしたら、一体何が人々を食べるというのか。
実は人々は、食べられる予定ではなかったのかもしれない。彼らがとらわれているところは、どこからどう見ても両生類の卵。この状況で王が"生まれる"と言うのなら、あの卵から出てくるに違いなくない? 前回僕はハンザキメギドも元はワンダーワールドから出られなくなった人間だったのではないかという話をしたけれど、それなら話が繋がる。本を開いて現実から逃避した人間たちは、いつの間にか現実に帰れなくなって怪物と成り果てる……。
みたいな話をしたかったので無理やりしたんだけど、見直してみたらハンザキメギドが「エサたちよ集まれ」って言っちゃってるのよねぇ。無念。
ただ、前回の時点では"サンショウウオの王様"なる概念を知らなかったので、僕はてっきりアーサー王のことだと思ってたのよね。カリバーの目的はアヴァロンだって話だしさ。もしそうだとするならまだ僕の仮説は首の皮一枚繋がってる。帝国航空はまだ死んじゃいない!(それはハンザワ)
アーサー王復活の鍵がアルターブックの完成、ひいては大いなる本の復元だとしたら、現実世界にいた人間がワンダーワールドのキャラクター(サンショウ王)に書き換わることそれ自体が、"王の誕生"に繋がる「エサ」なのだという表現でも、矛盾はない。ちょっと牽強付会な感も否めないが。つか、牽強付会が変換できなかったんだけど、しっかりしてよGoogle日本語入力さん。もしかしてあんま一般的じゃないのかな、我田引水の方が伝わる?

・デザスト
どう見てもどう聞いても、完全にヒロアカの死柄木弔でしたね。大塚明夫さんと内山昂輝さんが揃ってる訳だから100%狙ってる。大した覚悟もなく遊び半分でふらふらと戦場に出てきて飽きたらすぐ帰る様なんかも、序盤の彼そっくりそのまま生き写し。
ワンフォーオール(One for All),オールフォーワン(All for One)の元ネタはご存知『三銃士』。銃士と言いつつ剣士の3人と見習いダルタニアンの話ですね。三位一体のセイバー、そしてデザストにぴったり。そういえばこれもフランスの作品だわ。


設定

・本当に倒せば戻る?
怪人がやったことは怪人を倒せばすべて元通り……戦隊のように当然のこととして流されてるけど、映像を見ている限りでは怪人の生死とワンダーワールドの消滅に因果関係はほとんどないのでは? と思う。
まず幹部のレジエル,ストリウス,ズオス(名前が覚えやすくて良い)がカリバーから受け取った既存のアルターライドブックの1ページ目を開くと、メギドが誕生――デザストの話を聞く感じだと召喚に近いのかな――する。
そして今度はそのメギドが幹部から受け取った白い本 ブランクアルターライドブックを開くと、現実世界がワンダーワールドに転送され、世界消失現象が起こる。
ここまでの情報を素直を受け取るならば、目先のメギドをいくら倒しても、白い本を閉じなければ世界は戻らないはずなのだ。

これをうまく解釈するために仮定をするなら、ライドブックの力を解放して世界消失を起こすためには魔力みたいなものが必要で、メギドからの供給が絶たれると自然に戻ってしまう……とかだろうか。ついでにアルターブックの起動にも必要だということにすれば、幹部がメギドを軽い気持ちで量産できない理由にもなり得る。
また別の可能性として、「本のキャラクターが本を開く」という一見奇妙な現象によってタイムパラドックスのようなことが起こり、発生した膨大なエネルギーを魔力として転用しているとか。ディケイドは似たような設定で、クラインの壺というメビウスの輪の3次元版みたいなものから無尽蔵のエネルギーを取り出しているそうな。

セイバーの世界は"大いなる本"からできたとされているが、じゃあその本はどうやってできたのだろうか。「文豪にして剣豪」というキャッチコピーが示すように剣というのはペンの比喩なので、"聖剣"というのは差し詰め大いなる本を執筆した剣のことを指すのだろう。聖剣に対応する本なのだから、大いなる本は"聖書"だ。聖書はたった1人の著者によって書かれたのではなく、大勢の人が何年にも渡って追記や修正を繰り返してできたもので、聖剣が何本もあるのはそのため。
これはキリスト教に限らず宗教全般に言えることだが、我々人間や世界のルーツを説明することが多いので、自然と自己言及的(再帰的)な構造を取ることになる。自己言及とはウロボロス(ブレイブドラゴンのストーリーページは炎を吐いているようにも、自らの尻尾を噛んでいるようにも見える)によって象徴される概念で、分かりやすくイメージしてもらうなら、タッセルの家が丁度よいだろう。彼が住んでいるあの小屋は、中に全く同じ家がスノードームとして存在している。その家の中にもタッセルの家のドームがあって、その中にもまたドームが……という無限に繰り返される循環、或いは入れ子構造をしている。
この世界を1週間で創り上げたとされる神ヤハウェ。だが夢のない話、そういう物語を創ったのは我々人間だ。しかし我々が創ったヤハウェが、また我々を創ったのだ。こういったループは設定の矛盾や瑕疵などではなく、制作陣は自覚的にやっているものと思われる。
「結局のところ、剣が先なの? 本が先なの?」という疑問は、無粋というものだろう。
全体像が分かりにくくなってしまったので最初に戻ると「本のキャラクターが本を開く」というパラドックスがエネルギーを生み出しているかもしれない、という話。循環構造は相互依存しているので、片方(メギド)が欠けてはもう片方(ワンダーワールド)は維持できないのだ。

 

 

これは多分僕の問題なんだろうけど、作者の"やりたいこと"がビシバシ伝わり過ぎる(気がする)もんだから、なんだか作品をすべて理解して支配したかのような錯覚に陥ってしまう。たまには全く予想外のことが起こって「分からん! でもなんか面白い!」みたいな感覚を久々に味わいたい。
アクションや映像表現に関してはまだそういう言語化されてない部分が残ってて、毎度楽しませてもらっている。でもこれって結局新しいフォームが出てくるとかそういうイベントありきのことなので、それらがなくなったときに退屈しないか今から心配。正直1話はブレイブドラゴンしか出てこないから若干退屈だったのよね。
作品を見てる間よりも、その後で色々調べて考えてる時間の方が楽しいって、それはなんか本末転倒じゃない。

 

今週の本

『AIは「心」を持てるのか』
ゼロワン放送中、AIについての理解を深めようと思って図書館で見つけた一冊。ネット検索ではヒットしないような掘り出し物があるのは図書館ならではの魅力だよね。人気とか話題に関係なく"そこ"にある。
内容は正直「読んでくれ」としか言えないけど、AI……ひいては人間の心のありかたについて、普段からなんとなく感じていることを的確に言葉にして、更にもう一歩先を見せてくれる良書。
ゼロワン視聴者にはもちろん、そうでない人にも胸を張っておすすめできる。これを読んだ上でゼロワンを見てもまた見え方が変わってくると思うしね。
僕の感想記事も終盤あたりは本書の内容をフィードバックして書かれてるので、見返す際はぜひお供に。

 

セイバー/聖刃感想一覧

前話
仮面ライダーセイバー 第3章「父であり、剣士。」 感想

次話
仮面ライダーセイバー 第5章「我が友、雷の剣士につき。」 感想