やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダージオウ EP38「2019:カブトにえらばれしもの」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・同時変身というのが今回のウリだったはずで、それが一体何を意味するのかというのをずっと考えていたのだが、やはりカブト編ということもあって「共立ち」とするのが一番収まりが良いだろうか。例え対立しても、同じ仮面ライダーとして、或いは生きている者として、ともだちなんだと。

 

 ウォズ
・ギンガファイナリーは他ライダーの力を借りない純粋なパワーアップ(ジオウⅡ,ゲイツリバイブ)じゃないから目が水色じゃなくなっちゃうんだよな。それだけじゃなく、黄色なのでゲイツと被る。ワクセイは水色で、タイヨウは赤だけど。
他ライダーによるパワーアップといえばディケイドか。あれもキバと違って話題になってるの見なかったけど目の色が変わってる。破壊者繋がり? それとも通りすがり繋がり? 見上げる星〜♪
あと、他のミライドウォッチと違ってギンガの顔がどこにも描かれていないのも気になるんだよな。やはり"わたし"の不在? それを踏まえて思い返すと、レジェンドウォッチにはアーマータイム後の顔がどこにも書かれていないな。この辺は玩具について考える記事を別で書く予定だけど。
・「変身」"HENSIN"「キャストオフ」"Cast off"
響鬼が言わなかった反動か、カブトは二度繰り返すんだよな。ウォズとの関連を疑う。

 

 加賀美新
・仮にもレジェンドがあっさり捕まって、そのせいでウォッチを奪われる展開というのは文句が巻き起こりそうだなと思ってどんなケアがなされてるのか見返してみた。が、特に何もなかった。ソウゴとウォズが宇宙に気を取られている間に2対1でやられたのかとも思ったが、普通にパンチホッパーに負けたらしい。"ヒーロー性"を重視する人からは受け入れがたいことだろうな。今回のテーマを考えるとそれほどおかしな描写ではないんだけれど。
・「お前がそんなでっかいやつだからこそ……俺はお前を超えたいと思ったんだぞ!」
天道と加賀美は違う、の反対の意味になるセリフがなかったかと考えて、これを思い出した。ここからは加賀美が天道を目標にしていることがうかがえるし、この文脈に沿えば加賀美がカブトになろうとするのは強ち変でもないかと思った。
・選ばれしカブトと、選んだガタック……?
加賀美はカブトに変身しても加賀美でいられるけど、(僕の中の)天道は誰かにカブトに変身されたらアイデンティティが危うい気がする。
ひょっとすると"カブトは天道にしかなれない"のではなく、"天道がカブトにしかなれない"のかもしれない。なれたとしてもゼクトルーパー程度。そういう意味で僕の加賀美カブトへの嫌悪感は、やはり加賀美ではなく天道を否定された寄りの感情なんだよな。
あいつが持ってるのは"強さ(太陽)を演じられる強さ"であって、それはカブトの力と重なるところが大きい。生身でアクションしてるとこって1話の特訓を除けば殆どなかったし。
でもそれは加賀美も同じで、才能はそこそこあれど決して完璧とは言えない。本編終盤では天道を信じきれないし(僕はこれ「えぇ……」ってなったけど)、キックホッパーに負けることもあるし。それでも一人の小さな人間として、何度負けても立ち上がり戦おうとする姿は、先程言った天道のそれと通ずるものがある。
他者のために自分を変える(変身する)、"天の道"を往く者と言えるだろう。
それに天道がカブトゼクターを寄越したのだとしたら、画面の外でカブトに依存しない確固たるアイデンティティを確立したのかもしれない。僕の中ではまだちょっと危うかったというだけで、本編内でできてると言われたら多分そうなんだろうけど。

 

 矢車想/アナザーカブト
・彼がアナザーカブトになるの、分かるような分からないような微妙な感じ。
彼のザビー時代を見返したけど、「俺が俺でなくなってしまう」のが怖くて行動した結果「自らの道を外れ」るというの面白いな。この前見たときはあんまり注目してなかったみたいだけど。
誰だったかも詳細も覚えてないけど、「私は普段それについて知っているが、それについて尋ねられると途端に分からなくなってしまう」みたいな言葉あったじゃない。そんな感じ。
「自分らしさってなんだ?」なんて気にしていないときのほうがかえって自分らしいみたいな発想。

youtu.be

アイデンティティ不安に陥るのも含めて自分ではあるんだろうけどもね。
そういう意味で後半の矢車って、後者的なニュアンスだな。
自分らしさを捨てたからこそ強烈な個性を手に入れた者、か。
なるほど、そこは天道と同じだ。
・「地獄兄弟は兄弟じゃない」というのは、「スコルピオワームは剣じゃない」とニアリーイコールの意味を持ってしまう。でもじいやや天道たち、そして僕ら視聴者にとってはあいつこそが"剣"だし、多分地獄兄弟の二人にとっても互いは"兄弟"なのだろう。
こう書くと、響鬼編の文脈に沿ってるな。「誰もが誰かにとってのヒーローになり得る」の拡張としての、「誰もが誰かに擬態できる」。
京介に続いて加賀美までが変身したことを「ワンパターン」と非難している人も見たけど、そこで今の僕のように「筋が通ってる」とはならないのは、ジオウはクソという結論が最初にあるからだろうか?
・「笑えよ……。誰か俺を笑ってくれよ」
ここの矢車はうまく言えないけど、すごくポジティブに見えたんだよな。

ここに書かれている通り夕日の効果もあるのかもしれないけど、"笑え"ってワードから、真っ先にクウガの「みんなに笑顔でいて欲しい」を連想したのよね。流石にそこまで陽性に振り切れた意味ではないけど、自分の無様さで誰かが笑顔になれるなら少しは報われるんじゃないか、みたいなニュアンス。もちろん「誰か俺を笑ったか?」と言いながら襲いかかる様子と矛盾するのは重々承知しているが、その上で尚そう見えたんだから仕方ない。
更にそれを踏まえて見返すと「お前は俺の兄貴なんかじゃない」というのはむしろ剣編と同じく"解放"のニュアンスにも思えてきて、だんだん解釈が明るくなっていく。笑えよ、矢車。

 

 

設定

・「関係ないとは言い切れない」
仮面ライダーギンガは4/1に存在が発表されて、劇中内時間で5月に入ったであろう35話に登場した。これは改元とほぼ相似形をなしている。ジオウは"平成ライダー"である以上、令和になったならば滅びなければならないということだろうか? 宇宙(外側)から飛来するという点も物語外にあるメタな現実を彷彿とさせるし、この解釈でほぼ間違いはないだろう。
元号は基本的には天皇の交代とともにされるらしく(と言っても一世一元と定められたのは明治の頃だそう。元々そういう習慣はあったがその他の改元理由がなくなったというだけなのだろうか)、天皇とは何かを遡るとアマテラスの子孫ということになっている。またこのアマテラスの兄弟がツクヨミスサノオである。というところまでしか分からないんだな。仮面ライダーを読み解きたいだけなのにどうしてキリスト教とか仏教とか記紀神話とかを調べなくちゃいけないのか僕にはほとほと分からないんだが、教養にもなるし調べたい。カブトの感想記事(リンクは下にあります)でも似たようなことを言ったが、"子供向け"というのは深過ぎる。誰か代わりに読み解いて教えて。
・今更感ある話だけど、これまでタイムジャッカーは「オリジナルの力を奪ってアナザーライダーを生み出してる」と思ってたのが、オリジナルが消えないとなると崩れるんだよな。単なる遠隔模倣ととればいいのかな。アナザーウォッチとレジェンドウォッチが共存していた以上、不可能なことではないはず。
・それはそうと「見落としてること」にも関係あるかもしれない話だけど、アナザージオウから連なる2019のアナザーライダー達は、元となるウォッチが「既にある」ものとして描かれているのよね。それまでのようにオリジナルから奪うなどしてブランクから変化させる描写が何故か揃ってひとつもない。ただ定着したからカットしているだけともとれるが、カットと言ってもピキーンと鳴って変化するだけの数秒の話なのでなぁ。1期が全部そうならディケイドに関連があるかもと睨んだだろうが、ファイズは違うんだよな。
・「カブトがジオウという番組を乗っ取る」というのは、「ワームに自分の居場所を奪われる(なりすまし)」という不安と合致する。
勝手な想像だけど、仮に子どもたちは仮面ライダーがチャンバラやってれば楽しいものだとするなら、擬態も乗っ取りも容易にできるよな。積み上げてきた愛着はこれから積み上げればいいだけだし(カブトを知らない子供たちからしたら新番組と大差ない)。
少なくとも僕はディケイド〜オーズあたりまでストーリーやキャラクターを意識したことはほぼなかった。
変身前の記憶って、前にも言ったけど唯一剣崎が伊坂に捕まってCTスキャンみたいなのされるシーンだけで、他は全然覚えてない。あと「ディケイドが他と比べて短い」というのも後年になってから気付いた。途中で他の番組にすり替わったとしても、気付くことはなかったかもしれない。
・「奴らは隕石を止めようとしているが無理だ。お前の力がなくてはな」
皆さんは覚えておいでだろうか、ジオウ補完計画。その1.5話にて、王とは"神と人を繋ぐ門"だと言われている。
これは歴史が好き(教員免許も持ってるらしい)なカウンセラーさんからの受け売りなのだが、先述した天皇のように時の為政者たちは、自分の権力に説得力を持たせる為にしばしば物語(神話)をつくったという。王は神の名の元に力を得るのだ。
ちなみにこの関係はまさしく物語の制作陣ともリンクしたりする。16話辺りの感想(ジオウEP15 感想)でも似たような話をしたが、例えば白倉さんの持つ権威(という表現が気に食わなければ"叩き甲斐"と言ってもいい)というのは彼が作り上げてきた物語(の評価)に支えられており、物語は白倉さんから力や命を与えられ、白倉さんは物語から権力を貰う。この2者は互いに依存している。
これらのことから、僕が過去にやたら固執していた「すべて常磐ソウゴの手の内説」とでも言うべき解釈は、スウォルツやSOUGOの暗躍が明らかとなった現在でもそれなりに説得力を持ち得るものだと言える。"どちらのせい"とかそういうことではないのだ。
なんでも好きなように選べる、選ばれしものならば。
ちなみにそうだとすると、今回は天道とソウゴの2人が自分以外の人間に"太陽"の力を預けたという構成になる。「一体自分以外誰の強さ信じられる」?
・カブトゼクターがライドウォッチになる描写がとやかく言われてた気がするんだけど、何がどういうことなのか全然分かってない。いつも通りじゃない? 変身アイテムが消えてライドウォッチが生まれる。アギト編では逆にライドウォッチが消えて変身ベルトが出てきてた。
……あぁ、ブランクウォッチはってことか。なるほど、それなら「ウォッチだったものがゼクターになってて、それが戻った」っていうややこしい解釈が必要になるのもやっと分かった。
そもそもブランクウォッチ自体がどこからともなく現れるものだから、僕はそれなしでウォッチ化してもそんなに違和感ないけど。

 

 

ウォズが「カブトの力は宇宙の力」と言っていたが、これを踏まえるとなるほど、前回のキバ編の話を発展させてるんだな。
隕石の落下とは外部からの加害を指し、その力を使うことは傷を受け入れることを意味するという話を前回した。
アナザーカブトたる矢車の態度は俗にヤケクソとか開き直りとか言われる種類のものであり、これも確かに一種の"傷の受け入れ"ではある。ただしこの方法は成長を伴わないことが多い。
対して加賀美はソウゴとの会話で、今のままでも立派な戦士である≒カブトになる必要はないと自分を肯定することで本物のカブトへと変身する。やはりよくできた構成ではある。
……僕は付いていくぞ。

 

 

ジオウ感想一覧

前話

仮面ライダージオウ EP37「2006:ネクスト・レベル・カブト」 感想

過去作

カブト感想一覧

玉座を空ける『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』 感想

※ネタバレには配慮しません。

観ました。『平成ジェネレーションズFOREVER』のときと、ほぼほぼ同じ感想を抱いた。「だよね、分かる」と。
抽象的なことは概ね過去記事(大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)に書いてあるので、今回は映画にしては珍しく各話感想のフォーマットで、どちらかというと具体的に書こうと思う。

あ、上の2つのリンクは下にも貼ってあるのでこの記事読んでから飛びたいなって人はご安心を。


キャラクター

 常磐ソウゴ
クウガ〜ビルドの強化フォー厶集合、あれらを"最強フォーム"と呼ぶか呼ばないかで議論が巻き起こっている。自分の中で。
そういう簡単な言葉で括らずただ「あそこにいたライダー達がバールクスを相手に選んだフォーム」とするのが映画全体のテーマにはあってるんだけど、あれを"オーマフォームの能力"と捉えるならば当初のクォーツァーたちの舗装計画をも肯定するフォームなので"最強フォーム"と整理するのが自然なのよね。
"枠に収まらないのが仮面ライダー"だとするならば、ジオウの枠に収まらない者たちの象徴として本編後のVシネマ限定フォームとかを1つくらい出しておくのがいいと思うんだけど、それをしないのはやはり、枠に収まらないはずの仮面ライダーを枠に収めてしまう存在として"ジオウ"があるからなのかな。


 ウォズ
・「私は君と似た者同士らしい」
ゲイツ「だからそう言ったろ」
僕はThe Firstのあのシーンが大好きなんですけど、ゲイツとウォズがそれを再演してて、そこが今回の映画で一番盛り上がったかつ気に入ってるところ。最高。
ホッパーたち本人が出なかったのも、別に悪いことじゃないんだよな。それこそ一見網羅してるように感じられてしまったら、平成ライダーという概念が"テレビ本編群"じゃなくて"OQ出演群"にスライドするだけになってしまう危険性があるので、"OQの画面にも収まらない仮面ライダー"はいる必要がある。

 

 常磐SOUGO/仮面ライダーバールクス
・"常磐SOUGO"が邊土名ISSAと相似形だって言ってる人、今のところ見てないんだけどみんな自明だから言ってないだけ? クォーツァーは平成ライダーを編纂する"作者"ポジなのでペンネームみたいなものだと考えるのが自然な気がするけど、どうだろうな。ソウゴもカタカナで意味が抜けてるからな。
・「俺が舗装してやる」みたいなこと言ってたから明らかに舗装した道を歩く誰か(設定も世界観もバラバラだと文句を言った人)が更に向こうにいるはずなんだけど、劇中では視聴者のことにしか触れられてなかったよね。どちらかと言うと制作者サイドの方が、僕はしっくりくるんだけど。
仮面ライダー見てると"変身"という行為の意味について疑問に思うことがあるんだけど、今のところ「戦うという意思表示」というのが一番しっくりきてて、変身なんかせずにずっと作者ポジに収まってればウールやオーラのように自分が"負ける"こともなかったろうに、わざわざリングに下りてきたんだよな。
それが彼らの"仮面ライダー"たる所以なんだろうけど。

 

 クォーツァー
・結局序盤のザモナスは何が目的だったんだろな。蘭奢待ぶっ刺した十字架を盗んだけど、その手順がドライブの歴史を消すのに必要な気が全くしない。
考えられる可能性としては当たり前の話だけど2つで、「ドライブの歴史を消す以外の目的がある」と「ドライブの歴史を消すのに実は必要」のどちらか。あとは「なんとなく」とか。
……あー、なるほど。今回で言うと長篠合戦図屏風がいい例だけれど、ジオウの時間解釈では、歴史改変が確定するよりも先に改変による影響が現れがち。ブランクウォッチを渡してないのにライドウォッチ持ってたり、まだゲイツリバイブになってジオウ倒してないのに白ウォズやミライダーたちが現れたり。
この性質を逆手に取ると、「2019年に十字架など存在しない」という結果をつくることで「十字架が生まれるのに必要な出来事が起こらない」、すなわちドライブの歴史を消すのが成功する確率が上がるのかも。
誰にも観測されずにジオウ世界外に神隠ししてしまえればよかったんだけど、できなかったから普通に「クォーツァーに盗まれたからなくなった」という辻褄合わせになったのかな。
何故観測されてもなお盗ったのかを考えると、ジョウゲンがそこまで理解してなかったか、駄目元?

 

 詩島剛
・いつものジオウのやり口だけど、今回の映画は"ドライブ編"として見てもきちんと成立するように構成されてるよね、たぶん。
うろ覚えで申し訳ないけど、大まかな構図としては「人間をロイミュードにして"管理"しようする蛮野≒クォーツァー」。
剛自身も元々は「ロイミュードは全部悪だからひとつ残らずぶっ潰す」っていう"括る"側の人間だったけど、過程は覚えてないが結果的にはチェイスと打ち解けて認識を和らげたキャラクター。
・細かいとこだと、先に変身音が鳴って後から「仮面ライダージオウ〜」と一緒に「ライダー、マッハ!」が流れたの印象的だった。以前ディケイドを除くと変身時に名前が鳴った初めてのライダーがドライブだって話をしたけど、この辺も意識して映画で扱うことになったんだろか。
前にどこかで言ったか忘れたけど、デッドヒート(ドライブ+マッハ)とか超デッドヒート(ドライブorマッハ+チェイサー)とかチェイサーマッハとか、"仮面ライダーの力"を自覚的に扱ってるフシがあるんだよね。
例えば鎧武がバナナアームズになることはあったけど、バロンアームズってのはないじゃない。フィフティーン鎧武アームズってのはあったけどクロスオーバー映画でやるのと本編でやるのとじゃ意味が違う。良くも悪くも2次創作っぽいんだよな。
そういう意味でジオウとの親和性が高い。

 

 木梨猛/仮面ノリダー
・G4で本郷猛(?)が出てたの思い出した。僕はあんまり知らないけど、中の人はよく見る顔なので雰囲気あってよかった。

 

 牛三
・こいつなー。キーマンなのは分かるけどそれ以上のことが何も分からない。名前が明らかに丑三つっぽいのは分かるけどだからなんなのかもよく分かんないし。妖怪変化との連想で言うなら牛鬼だろうけどこれもピンとこない。魔除けの赤べことかの方がまだしっくりくる。
・あとさらっと(永禄?)元年生まれって言ってた気がするけど、これにもなんか意味あるんだろか。


設定

・ただ名前の読みが同じというだけでウォッチの所有権移っちゃっていいのかとも思ったけど、ウィザード回があると考えたら分かる理屈。
ドライブウォッチよりもウィザードウォッチの方が分かりにくくて、「まぁよしとしよう」の一言で済まされてるんだよね。あの回はゲイツ自身「導かれたままに動いた」って言ってたから、それでソウゴの手の内にあるって解釈なんだよな、多分。それを応用すればいい。

 

 

今回もFOREVERの時と同じくちょうど対象年齢ストライクゾーンの子供の感想が聞こえてきた。
保護者の方が楽しかったかと訊くと、「あんまり」だそう。リュウソウジャーの方の感想である可能性もあるが僕が同意見なのでジオウだと仮定して使わせてもらう。
正直ね、テーマはすごく押し出されているんだけど、理屈重視な感じというか、言うほど無茶苦茶やってなくね? という印象。テーマとか関係なくただ見てるだけで楽しい部類の映像作品だったかというと、最近牙狼の配信を見てるのもあってか物足りなかった。

大前提として、娯楽作品の目的っていうのは設定を守ることでも破ることでもなくて、客を楽しませる(ことで利益を得る)ことなんだよね。設定を無視されると楽しめない人がいるのも事実だし、逆に設定にとらわれて小さくまとまってもつまらないと思う人がいるのも事実。
そういう意味では"懐の深い設定をつくる"というのがちょうどいいバランスで、本編のジオウなんかはいい感じにそこをうまく付いていて大好きなんだけど、この映画はあんまりそれを活かせてなかったような気がする。
ウォズ死んでゲイツツクヨミ消滅して……みたいなのも雑過ぎて、矛盾とか云々の前につまんねぇなって。むしろ僕は理屈にはあってると思ってるし、テーマとも合致してるからあって不自然とは思わないんだけど、だからやっぱ理屈先行な感じがするんだよな。
ここを「醜くても(理屈に合わなくても)いい」ことの代表として扱ってる人も見かけるんだけど、それもそれで嫌いなんだよな。僕には牛三のエピソードで出た"脚色"の文脈で、実際は瀕死だったとかそもそも死にそうになんてなってなかったとかそういうことだと思ってるよ。ソウゴの夢現実化能力のせいってことにしてもいいし。

今回のこのテーマって可理解性が低くてバカでも簡単に扱えるので、他のややこしい理屈を使えばもう少し解像度高く理解できるものも、全てぼんやりと"均して"しまうんだよね。
少なくとも僕にとって「凸凹でもいい」はあくまでも最終手段……どうしても理屈に合わないはみ出し者をそれでも存在肯定するためのセーフティネットであって、「理屈は気にすんじゃねぇ」という暴力的な圧力では決してない。
セーフティネットというのは理屈に合わないはみ出し者の観測対象にとってもだし、理屈の分からない観測者にとってもであるのは事実なんだけどね。
「ジオウの時間移動はややこしくて分からない……でも違和感があってもいいんだ」と楽しめる余地を生み出すためのもの。
だから、理屈が気になる人はいつも通りその視点から楽しむ努力をすればいい。それを放棄するのはもったいない。だって人生は以下略。

今回ウォズが語り部を降りて、SOUGOも玉座から引きずり降ろされた。ソウゴは"自分のなりたかったもの(≒みんなを幸せにする者)"という意味では確かに"王"になったけれども、彼はあくまでルーラーではなくプレイヤーとして、瞬間瞬間を必死に生きるのみ。
これが何を意味するかというと、玉座に座る者の不在……いや、強いて言うなら映画館の座席で本作を見る我々一人ひとりこそがそれだろう。
解釈・整理し、まとめるもよし。自分の手には負えないと諦めてただ受け入れるもよし。受け入れず否定するもよし。
各々が自分自身の支配者として君臨し、矛盾を孕みながらも自由に生きられる。

それこそがソウゴの望んだ"最高最善"の世界だろう。

Let it be.

 

 

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令和仮面ライダーゼロワン 制作発表記者会見 感想

ついに発表されましたね、ゼロワン。
僕はネタバレを見ちゃってますが、ここで綴るのは既に公表された情報に限り、その他の部分に関しては触れない、或いは知らないふりをするつもりです。その上で、僕のとぼけ術を信用できずはっきりとは書かれていない何かを察してしまうのが嫌な人は、ここで読むのをやめることをおすすめします。


第一印象は「大森さんの作品≒ドライブ,エグゼイド,ビルドっぽいな」でした。そしたら案の定と言うべきか大森プロデューサーだった。
スタッフを名指しで語る人には総じて「お前はその人の何を知ってるんだ」って感じるんだけど、"の作品"ってつけたからいいよね。彼の作品を知ってるのは事実だし。

具体的にどうそれっぽいのかってのを言おうとするとちょっと難しいんだけど、一番思うのは散らかってる感じ。
分かりやすいであろうところだと、ベルト名にちょろっと漢字付いてるのとかマッハっぽいし、どことなくスポーティ(あと蛍光色)なのはエグゼイドっぽいし、シンプルストレートがかっこいいみたいな発想はビルドっぽい。
ヒューマギアもロイミュードやバグスターの影がチラつくし、画像にハエっぽい敵幹部みたいなの映ってるし。
まぁ、結論ありきのこじつけかもしれない。自分でもよう分からんけど、間違いだろうが先入観だろうがとりあえず僕はそう感じた。


さっきシンプルって話を出したけれども、黄色い以外は特筆すべきことが見つからない、面白味のないデザインだなぁと。黄色は好き。
主人公がストレートなバッタモチーフなのはオーズの足を除けば平成ライダーにはなかったことなので逆に新しいのかもしれないけど、原点回帰とか言ってバッタ来るんじゃないかってのは、みんな毎年頭の片隅にあるよね? それがやっぱり来たってだけ。
とはいえ、仮面ライダー=バッタみたいなイメージこそあるけど、直感的に似てると思ったことってぶっちゃけほぼない(RXの首くらい)ので、そういう意味では目新しくはあるかな。なんというかこう……僕の語彙の中だと"オリジナルなきコピー"って言葉がすげぇしっくりくるんだけど、こういう文脈で使うものなのかは知らん。
ぼんやりと「2号ライダーは序盤対立するけどそのうち仲間になるツンデレキャラ」みたいな"型"はあるんだけど、実際そこにぴったりハマる奴って意外とそんなに多くない、ってのと似てるかも。最大公約数的、というのも近いかな。

ただ、物事から面白味を汲み取れないのって単に受け取り手の教養不足な気も最近はしてるので、この認識はこれからいろんな発見をしていってアップデートできたらいいなと思ってはいる。んだけれども、だからそもそも情報量が少ないんだよなぁ。抽象的だし。アスペの僕には難易度高め。

 

あらすじを読むと、主人公がAIをつくってる会社の社長になるらしく、武器もカバンだし、仕事という部分にかなりスポットを当てるらしい。脚本はエグゼイドの高橋さん。
これも正直またかよ、って感じだけども。僕はあんまりここを好きになれる気がしないんだよなぁ。エグゼイドのときに散々考え抜いて出した僕なりの結論が、「仕事だから対価としてお金を貰ってるだろうにも関わらず、私情を挟む上にお咎めなしなのが気に食わない(私人としてクズなのはそんなに不快じゃない)」なので、クウガの一条さんや響鬼のヒビキさんみたいな基本的に非感情的なものじゃないと納得できないのよね。で、それはそれで「ドラマチックじゃなくてつまらない」とか言い出す。つまり職業ドラマって時点でもう僕が楽しむ道は潰えてるかもしれない。特に不破諌/仮面ライダーバルカンさんなんか、思いっきり飛彩と同じ私情タイプに見える。

僕はいまは働いてないんですけど、以前やったバイトは自分の仕事のできなさに対して給料が高過ぎると感じて、そのストレスで鬱っぽくなってやめたのよね。それくらい……って言うのも変だけど、僕は"仕事"というものにこだわりがあるらしい。
理由はどうあれ働いてない人間が働いてる人間に物言う資格ないって言われたらごめんなさいとしか言えないけどもさ。いやそれにしてもエグゼイドの奴らは相当……(省略)

まぁ逆に、本作を受け入れられたら僕自身も少しは働くのに適した精神状態になるかもしれないと考えれば、そう悪いもんでもないかもな。

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もうひとつ話題なのはやっぱり最初から女性ライダーがいるって点だよね。僕はそれ自体にはそんな興味ない(だって別に女の人だからって何が変わる訳でもないし。ライダー同士でハッキリと分かる恋愛でもし始めるってんならまた別だけど……ってそれはRT龍騎でやったんだっけ)んだけども、彼女 刃唯阿/仮面ライダーバルキリーを合わせて既に3人のライダーが判明していることになる。
並列フォームが多人数ライダーに割り振られることでそれぞれのパワーアップアイテムとして扱われるのはエグゼイドの中でも曇りなく好きなところなので、ゼロワンでも人数を活かしてくれると嬉しいな。パワーアップではないにしても、ビルド一人でベストマッチ10種類に比べたら各3フォームずつとかの方が有り難みが減らずに済みそう。能力の重複も問題なくなるしさ。

あれ、そういえばゼロワンドライバーってオープン価格じゃないのね。定価を設定しないことで"安売りされている"というイメージが付かないようにするための処置とのことなので、早々にベルト鞍替えするんだろか。拡張性もなさそうだし。

あと主題歌って後ろで流れてたやつじゃないのか。じゃああれはなんなんだろ。

 

僕がわざわざ書くとなるとネガティブなことばかりが目立つけれど、楽しみにしてる自分も勿論いる。じゃなきゃ見ない。
書こうと思ってたことは全部書けたと思う。そろそろ眠いので終わりです。

 

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仮面ライダーセイバー/聖刃 制作発表 感想

仮面ライダージオウ EP37「2006:ネクスト・レベル・カブト」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・「俺、生まれてないから……」
ここすげぇ好き。詳しくは下で。
・「こうなる気はしてたんだよね」
「少しは人を信じなくちゃ」とか言った直後にこれだよ。でもそこが好き。今の僕ならエグゼイドだって(魔王の肥やしとして)エキサイトできる気がしてるんだけど、どうだろね?

 

 ツクヨミ
・「何か見落としてる気がする」
何かってなんだろう。僕も一応「これまでのアナザーライダーとは違う」で納得してた人間なので、本人もよく分かってないままに何か見落としてるとか言われてちょっとイラッときたぞ。まぁ最近の話題でいくと映画ではウォズが裏切るらしいので、彼の説明を鵜呑みにはできないなというのはあるけれど。っていうか、ここへきてようやく序盤の「私が教えると思うかい?」に納得がいったよ。その際アナザーライダー誕生によってライダーの歴史が消えるルールを説明したのも彼な訳なので、そこから揺らぐ可能性もある。
軽くおさらいしてみると、「アナザーライダーが生まれてもオリジナルが消えてない」現象が認識されたのは劇中では剣編が最初だけれど、一応はアナザージオウが最初。彼も2019だしね。もしアナザージオウの誕生(と、壊れなかったウォッチ)ではなく、2019という年号の方に意味があるとするなら、たまたま年明けからアナザーミライダーと既に歴史が消えている龍騎が扱われてただけで、仮にその期間にアナザー剣が生み出されてたとしても同じ結果になったんだろうか。

 

 加賀美新
・サラッと流されてたけど、影山が死んだことを加賀美が知るシーンってなかったよね。最終回のラストでは、岬さんや田所さんがZECTやめる程度には平和に……つまりワームはいなくなって戦闘する機会はなくなっていると思うんだけど、その1年の間に矢車と会ってその辺りの情報を共有することがあったのかね。僕はてっきり一人で白夜を見に行ったもんだと思ってたけど。

 

 地獄兄弟
・彼らが加賀美を捕まえる理由なんて、天道を誘き出すためくらいしか思い付かない。でもそうとなると天道は来なそうなんだよな。じゃあやはり大方の予想通り加賀美がカブトになるんだろうか? うーん、それはない気がするけど、どうだろう。
一応、これを書いてる時点ではもう既に放送はされてて、どうやら加賀美が変身したらしいというところまで聞き及んでいるんだけれど、ガセ情報の可能性もあるからさ。僕はまだ見てないので未確定なものとして扱ってます。

 


設定

・門矢士「どうやら、だいぶ時空が歪みだしている」
なるほどね。これまでの平成ライダーが全て地続きだということになったら矛盾は避けられないから歴史を消してきたけれど、最近はそれをしていないから、歪み……つまりタイムパラドックスが発生し始めているということか。何故「している」ではなく「し始めている」なのかというと、タイムパラドックスが起こるためには、時間を過ぎ去るものではなく積み重なり繋がったものだと捉える以上、"未来永劫に渡って矛盾が解決しない"保証が必要だということ。
分かりやすい例を上げると、序盤のレジェンドウォッチ。「ここにライドウォッチがあるからには、過去へ戻ってウォッチを預けることで"辻褄合わせ"をしないといけない」ということだったけれど、これってどれだけ先延ばしにしても「どういう経緯でもらったか」という記憶が薄れている(未確定)以上、現状ではパラドックスに見えてもいつか渡しに行けば筋が通るんだよね。それと同じで、今のところは歴史を消してないけど、いつかなかったことにしてしまうなりなんなりすれば、パラドックスなんて起こらなかったことにできる。
この理屈で行けば、タイムトラベルものにおいては後付けが完璧に正当化される。「ロジカルなライブ感」というのはエグゼイドについて結騎さんが仰ってた気がするけど、まさにそんな感じだ。やっぱ面白いよジオウ。
・ちなみに物語的には、歴史を消してきたのが「ジオウ」独善ルートだとすると、リバイブ編を踏まえた上での剣編(トリニティ編)からは、オーマジオウ未来やゲイツリバイブ未来はもちろん、過去作の歴史も共存できるルートに入った、つまりソウゴが"他者"を認めつつある(「俺は楽しいよ。仮面ライダーにどんどん会えるし」)という意味を持つ。この辺はカブト編というよりは俯瞰した全体のプロットの話になってくるのでまとめ感想で詳しく書きます。
・時々「クロックアップは他の高速移動とは違って云々……」という中途半端に頭のいい文句屋が現れるけど、ファイズアクセルだって「3,2,1……Time out」って音声が加速に付いてきてたりするし、今回のリバイブは明確にただの高速移動ではなく時間操作だと言われていたし、シノビもそれと同格として描かれている(それはそれでリバイブの格が落ちやしないかと思わないでもないが)ので、少なくとも僕はなんら矛盾を感じない。前回言った「疑問が浮かばないことは理解したも同然」という話にも繋がってくるけどね。
詳しくはいい記事があったのでこちらを参照。

クロックアップ (くろっくあっぷ)とは【ピクシブ百科事典】
・ただしリバイブ疾風≒クロックアップだとした場合、ジオウⅡの予知じゃ追いつけないんじゃないってのはある。リバイブの副作用が慣れでなくなるのと同様、ジオウⅡの能力にも練度があるのかもね。キバ編でも応用的な使い方してたし。

 

 

渋谷隕石というのが、若者の街……つまり変化やその萌芽を破壊するという意味を持つんだろうみたいな話を劇場版の感想がどこかでしたんだけど、もしそうだとするなら、ワームというのは記録・保存装置だったりするのかな。
カブト編以前に僕の『カブト』自体への理解度が浅すぎてなかなか話にならないんだけれども、温かい目で見てください。

 

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仮面ライダージオウ EP36「2019:ハツコイ、ファイナリー!」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・明確には描かれてないけど、恐らく前回の時点でソウゴは祐子が冤罪ではないと気付いていたと思われる。ただ過去が見えるのは一応初めてなこともあってか、それをなかったことにして(ついでに彼氏がいたことからも目を背け気味)、冤罪だと。やはり祐子とソウゴは意図的に似せられているらしい。
・トリニティでは無理だけど3人同時キックならギンガに勝てる、ってのが面白かった。現状は最強なはずのフォームの"弱み"を描くというのは、実に井上さんらしい。
無理にひとつにならず(統一せず)とも、バラバラのままの方がいい時もある。投影や外在化などをやんわり肯定しているようにも取れる。
・ソウゴがキバウォッチを使えないのは、祐子を倒したくないというよりは、祐子が元恋人(ソウゴからすると恋敵)を殺そうとするのを止めたくないからのようにも思えた。ソウゴの心は黒ければ黒いほどジオウⅡ回で受け入れたのがかっこよく見えるので、ついつい悪い方に捉えがちなのよね。
・「セーラさん……」
重要なのは初恋の人かどうかじゃなくて、ソウゴが"甘く包まれるよう"な経験(≒母の承認≒アップルパイ)をしたこと。
あのシーンで改めて「全人類の傘になる(当然ゆり似の人も含むし、祐子への手向けにもなる)」ことを決意したように見えた。
また、人違いというのは音也と真夜の出会いと同じなんだけれど、あれもただ投影していたというだけなんだろうか。もう少し何かある気がしてるんだけど、未だ分からず。

 

 ウォズ
・(今回の)ソウゴや祐子、ギンガの力を積極的に求めていたスウォルツと違って、"自分のため"ではないからこそギンガウォッチを手に入れられた……ようにも見えた。今回の事件から一歩引いたところにいたからこその立ち回りなのかも。ゲイツが言ってたように、冤罪をかけられた当事者が罰を下すと、ただの復讐に成り下がる。セリフから察するにギンガは、スウォルツに(目的のない)純粋な力とか言われてたように、"法"(ちなみにキバの掟とも通ずる)をあらわしているらしいので、それこそ裁判官のように、第三者的なウォズの手に収まるのはそこそこ納得がいく。或いは裁判官よりは弁護士や検事のような、ソウゴの"代理人"みたいな立ち位置なのか。
ただそうだとすると、腐女子の話は見当違いだったことになるのかもしれない。でも話したいので一応軽く書いておく。
ガルルが祐子について発した「腐っている」という言葉が腐女子さんを連想させるというところまではきっと分かるでしょう。で、それというのは男性と男性の恋愛を楽しむものであって、女性の自分を投影させて楽しむような種類のものではあまりないと思われる。ので、裁判官的な彼女の言動と合致するかなぁと思ったんだけれど……ウォズギンガのことを上のように解釈するなら、祐子が第三者的であってはおかしくなるので、「第三者であろうとするがなれていない者」ということになるのかな?
・逆に今言ったこと全部ひっくり返してウォズを主体として見た場合、今回は「ウォズがソウゴの弱さ(ギンガ)を受け入れる話」と捉えることもできるかもしれない。
僕と同じく……かは知らないが、彼もソウゴが恋をしていたことに驚いていたし、ウォズの中で神格化されていたソウゴ(≒渡の中の音也像)が"人間らしさ"を得るみたいなことなのかも?

 

 スウォルツ
・目的のためなら人の下に付くことも厭わないらしい。これまでの流れを踏まえるとタイムジャッカーを(少なくともソウゴたちが)殺して終わりということは有り得ないと思うので、ひとつの終わりのかたちとして、スウォルツ達も腹に一物抱えつつもとりあえずソウゴを王として認めるような展開があり得るのかなと。白ウォズにした話と似たような感じ。ただそれだと、ソウゴたちの戦いはこれからも続くことになってしまうので、平成ライダーを終わらせるための作品であるジオウが終わらないというのは変な話。どうだろうね。

 

 オーラ
・そういえば歴史を変えようとしている訳だから、傷を受け入れられないタイプであるのは明白だったな。
「ちょっとだけ悪い知らせと、めちゃくちゃいい知らせ」という彼女の特徴的なセリフも、もしかすると彼女自身、そうやってオーマジオウによる不都合を"ちょっとだけ悪い"ことだと自分に言い聞かせ、歴史改変すればいいと強がっているのかもしれない。

 

 セーラさん/麻生ゆり?
・ゆりは死んでるが、次狼がソウゴの傷を癒やす為に連れてきた可能性も0ではない。まぁ、亡くなった知り合いに過去へ会いに行くというのはつらそうなので、この可能性にこだわるつもりは特にないんだけれども、あまり言ってる人を見かけなかったので一応。

 

 北島祐子
・全体的に言動が支離滅裂で、空っぽな印象を受けた。キバで言うならルークとビショップが近いか。……この2人を似たものとして並べると直感的に変な感じするけど、ルークのやるゲームもビショップのこだわる掟も、ルールと言い換えると通底していて、それ自体にはあまり意味がない。例えばゲームなら人を楽しませること、法や掟なら人を幸せにするとか統治することなど、その奥にある目的を見失っては空っぽとなる。最近だとウノの公式ルールではドロー返しが認められていない云々なんて話もあったけど、自分とプレイ相手の中で楽しむという目的を共有し、お互いその為にドロー返しはあった方がいいと思うならそのルールを採用すればいいのだ。祐子も浅倉に似て、自分を追い詰めている"何か"から逃げようとし過ぎて、完全に見失っている感がある。
・ただ一応、自分の弱さを受け入れようという気持ちがほんの少しあるからなのか、完全に外在化することでなくなってしまったのか、ガルルという形で表出している。今回の彼はアナザーライダーの能力も相俟ってか、イマジンのような感じになってて面白い。

 

 仮面ライダーギンガ
・「全てのものは滅びゆく……それが唯一の絶対の法」
このセリフの通り、ギンガ自身も滅びていったのが面白かった。倒されたときの光は、"変身者"が帰ったってことなのかな。
・見返してみて分かったけど、タイミング的にちょうどソウゴが祐子の過去を見て彼氏がいたことを知った(おそらくジオウⅡの能力の一部と思われる)直後に飛来していて、空が曇り活動を停止したのもソウゴと祐子がいい感じに会話していたとき。まぁそうだろうなとは思ってたけど、キカイと同じくソウゴが生み出したものだと考えるのが一番自然かな。祐子たちと協力する出しにされてたのもあるし、オーラなんかとは比にならない強さのはずなのに祐子がマンホール如きで防げたのも、ギンガが祐子を殺してしまっては本末転倒だからだろうね。

 

 


全体的な柱になっているのは、「自分の弱さや傷を受け入れること」。
キバ本編で言えば、渡のこの世アレルギー(自分も汚れた人間だったんだ)に音也への失望、次狼の失恋や、麻生親子の恐怖心(20話)、そして名護の完璧主義など。
これらを『ジオウ』でエミュレートしてできたのが今回のキバ編と言った感じ。
僕の思う井上敏樹氏の魅力は「弱さ」の描き方なんじゃないかなと、書いてて多少整理されてきた。
僕は以前「555は善悪二元論的ではないが、悪いことしたやつはだいたい死ぬので『勧善懲悪ではない』とは言い切れない」みたいな話をしたんだけれど、悪い/弱いやつ(参照:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)が死ぬのは井上脚本世界での"法"みたいなものなんだけれど、でもそれと同時に、その世界に抗って必死に生きる様子(これを切り取って悪行とも言う)もこれでもかと描かれるんだよね。
本当は弱い人も悪い人も生きられたらいいけど、世界はなかなか許してくれないよね。みたいなスタンスが根底にあって、それが好きなのかもしれない。

余談だけど、公式サイトにおける白倉さんの「疑問を抱かないこと(≒純粋な納得や受け入れ)は、理解とほぼ等価」みたいな話も面白かったので未読なら読んでみて。

 

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仮面ライダージオウ EP36「2019:ハツコイ、ファイナリー!」 感想(仮)

記事にまとめる余裕がないので、下書きのまま公開するという暴挙に出ます。多分いつかちゃんと書く。

 

 

 

雨と太陽

雨水はマンホールへ

降り注ぐ隕石と、傘

 

抑圧と解放

破壊と庇護

地下(内)と宇宙(外)

傷を受け入れる(ギンガファイナリー)↔オーラ

この世アレルギー

 

裁判官は第三者 "わたし"の消失 腐女子 地動説(トラウマ)


「穴があったら入りたい」
墓穴を掘る からっぽ

 

アナザーライダーを倒すためにゲイツと協力、アナザーキカイを倒すためにウォズと協力、今度はギンガを倒すためにアナザーキバと協力
「同じ道を往くのは、ただの仲間に過ぎない。別々の道を共に立って往けるのは……」

 

アナザーライダーが死んだのは初?

 

「ちょっとだけ悪い知らせと、めちゃくちゃいい知らせがあるの」

キャッスルドランマジー

 

スウォルツ、目的のためなら傅く

 

菊池太陽(弁護士) 田上哲也 杉村昭二
及川順一 由紀

 

セーラさんは太陽の光で顔が隠されてる

 

「全てのものは滅びゆく……それが唯一の絶対の法」→ギンガ滅びる

法=掟=純粋な力?


北風と太陽 無実の罪を着せられる

 

ひとつの体では複数の意思を同時に反映することはできない

 

ウォズギンガファイナリー、1つ足りない 木星
ギンガは海王星がない


キバ編のキバ要素は「自分の弱さや傷を受け入れること」主に20話参照
次狼が出てくるのもゆり似の奴がソウゴの傷を癒やすのもそれで全部繋がる

 

人違い、音也

 

重要なのは初恋かどうかじゃなくて、ソウゴが"甘く包まれるよう"な経験(≒母の承認≒アップルパイ)をしたこと。
あのラストのシーンで改めて「全人類の傘になる(当然ゆり似も含むし、祐子への手向けにもなる)」ことを決意したように見えた。

 

ギンガが倒されたときの光は変身者が帰った?

 

 

ちゃんと書いたやつ↓

86ma.hatenablog.com

 

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綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

仮面ライダージオウ EP35「2008:ハツコイ、ウェイクアップ!」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・恋とは特別な一人を持つこと。王のイメージはむしろ博愛なので、まぁソウゴに人間味を足すためのものとも取れるけど、若干違和感がないでもない。
・冤罪に反応してたのは良かったね。ずっと「魔王になって世界を滅ぼす」って冤罪をかけられてた訳だし。
・3種の武器を使うのは(アナザー)キバのそれと似てるけど、どういう意味があるんだろう。分かんないので保留。

 

 ツクヨミ
・激辛好きらしい。刺激を求めるのは記憶喪失ゆえに現実感が薄いから? 多分今回急に言及されたことだけど、受け入れられるかな、僕は。

 

 仮面ライダーギンガ
・声が杉田智和さんということで当然思い浮かべるのはキバット。彼は渡の内なる本能を司る存在であり、このキャラクターもそれと似たような役割を負っている可能性がある。何よりミライドウォッチをつくるライダーの一人ということで"投影"と深い関係があることからも、僕としてはもう明らかと言っていいんだけど、この感覚が人にも伝わるかは分からない。
問題は誰の破滅願望なのかということだけれど……それは次回かな。

 

 北島祐子/アナザーキバ
・車を足で止めたと言うけれども、普通に車側がブレーキ踏んでるよね。名護のシーンも見てみたけど、やっぱりブレーキ音鳴ってる。他人の行為を自分の手柄と考えるって意味で、オーラとの会話とも繋がってて面白い。アームズモンスターの使役とも繋がってるのかな? っていうか、王ってそういうものか。
・マンホールが今回の脚本である井上敏樹氏の『海の底のピアノ』を意識してるんじゃないかって話を見かけたけど、それでいくと鋭敏な感覚も水雪っぽいよね。
で、ただ「『海の底のピアノ』と同じだ」で終わっては意味がないので「何故マンホールなのか」まで踏み込む必要がある。咄嗟の出来事への対応が2度ともマンホールということは、(おそらく"普通の人"と違って)彼女は常日頃からそれを意識していると推察できる。それこそ「下を向いて歩」いているのかな。水雪と同じように"北"には冷たく、寂しいイメージがある。彼女を読み解くキーワードは"孤独"でそう間違いはないだろう。嗅覚と結びつけると、僕がパッと思い浮かべたのはカゲプロのセトなんだけど、「知られたくないことを知られてしまう者」として避けられてきたのだと思われる。
少し話が逸れたけど、じゃあマンホールとはどういうものかと考えると、僕のイメージでは文字通り「臭いものへの蓋」だ。
高圧的な態度は孤独を隠すためのものだろうし、他人のことをわざわざ読み取って口に出すのは自分のことから目を逸らすためにも思える。
…………ただひとつ問題なのは、劇中で見られたのは2つとも汚水のじゃないんだよな。雨水と電気。「脚本には"マンホール"とだけ書かれてたから」みたいな話なのか、何か別の意図があるのか。少なくとも『海の底のピアノ』で扱われてたのは汚水のやつなので、後者なら実際的な関係は薄いかもしれない。
しかし、"蓋を開ける"というのは"鎖を解き放つ"とも似通ったところがあるし、やっぱり中にあるのは醜い何かであったほうがスッキリはするんだけどなぁ。

 

 次狼
・今回一番の笑いどころは、名前で鳴くアームズモンスター達じゃないかな。
ピカチュウピカチュウだからピカピカチュウチュウ鳴くけど、フォウくんはフォウフォウ鳴くからフォウくん……というのは、僕がよく出す例。「名は体を表す」とは言うが、性質から名前を付けるのとは逆に、名前が性質に影響を与えるということもある。これは特に人についてだけど。物語シリーズかなんかで、名付けは呪いだという話もあったよね、そんな感じ。

 

 

世界の終わりと、初恋。どういう意図があってこの2つが配置されてるのか……分かんないけど、なんかあるんだろうなって思えるのでジオウは面白い。次回は書くことなければ、宇宙の話でもしようかな。

 

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仮面ライダージオウ EP34「2005:ヘイセイのオニ、レイワのオニ」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・「誕生日を忘れてた」というシチュエーション、物語ではサプライズする側に都合がいいのでよく使われるけど、なかなかなくない? 僕はこれまでの人生で「誕生日を祝う」という文化がピンと来ていないというか、「何を祝われてるんだろう。僕は誇らしげにすればいいのか? それとも何かを謙遜すればいいのか?」みたいな感じになるのであんまり好きじゃなくて、友達にも誕生日とかいちいち教えないし、知ってる人もおめでとうとか言わないでくれるんだけれども、それでも日付が目に入ったら「あ、そろそろ誕生日だな」くらいは思うし、「お、今日か」ともなる。ソウゴは今日が何日かを見る習慣がないのかな。
……あ、そうか。高校も卒業して実質的には今ニートだから、大した予定もなくカレンダーを見る必要がないのか。なるほどな。
ただもし逆で、「今日が何日か覚えてない」のではなく「誕生日が何日か覚えてない」んだとしたら、ちょっと怖い。順一郎の人柄的に祝わないなんてことはないと思うので、流石に17,8回は祝われる経験をして記憶に染み付いてるとは思うけども。
あとあれか、クジゴジ堂にはたーくさんの時計があって、かつそれぞれが別々の時間を指してるので、「今がいつなのか」という感覚は自然と薄くなるのかもしれない。

 

 常磐順一郎
・この人いつも"取り残されてる"シーンが映されるけど、どういう意味があるんだろうね。日常の住人だからだろうか。

 

 桐矢京介
・「俺はそんな大した男じゃない」
今回の京介はすごくかっこよかったなぁ……。元々彼は、根っこは傲慢な癖に表面上は自信なさげな明日夢の鏡面として、弱い自分を認めたくなくて(つまり一応弱いと知ってる)表面上は強がるキャラクターなんだよね。こう書くとそれぞれソウゴの裏表とも通ずるものがあるな。
それはともかく、その京介がこうやって自分の弱さを人に見せることができるようになったっていうのは、すごい成長だなぁと。

今回を見て(やっと)分かったけど、京介は響鬼を「襲名できなかった」んじゃないんじゃないかなぁ。「もう俺のそばにいても大丈夫だな」というボツになったセリフによく現れているけど、京介は"響鬼"になることにこだわったからずっと名無しのままだったのであって、資格がなかったとかそういうことじゃない。「京介は京介なんだら、響鬼にならなくてもいい」んだよな。それに気付いたからこそ、響鬼になれた。
・前回の予告から京介が響鬼になる予想をしてる人が多くて、それは物理的に無理かな……と思ったけど、斬鬼轟鬼が師弟ってだけでそっくりなんだから、影響を受けて似ることがあってもおかしくないかなとも。
ってのを言おうと先週から取っておいたんだけど、まさかの展開。いや、アギト編がある種の前フリだったと思えば確かにこれが自然だ。まぁ、「京介の響鬼の力」から生まれたとするならこねた理屈も無駄にはならないけど。

 

 トドロキ
・「日菜佳さんに相談しよ」
役と役者は別って言うけど、同じではないにせよ別でもないと思うんだよなぁ。役者の人と話したことないから分かんないけど。
だって、キャラクターを傍から見てるだけでも影響受けることってあるのに、自分がなりきって影響受けないはずがなくない?
"川口さん"があのセリフを言うことには何かしらの意味が込められていてもおかしくはないし、勝手にそれを見出すのもその人の自由ではある。僕は劇中の人物に対しては「死んで良かった」なんてことを言ったりするけど、現実の人に言うのはどうだろうね。でも死刑制度なんてのはまさにそれの体現とも言えるし、そういう人の思いがこの現実の一部を為しているのも事実で、亡くなった人に思いを馳せて感動することは悪いことなのかな。いわゆる"感動ポルノ"的な文脈なんだろうけど……難しいね。
まぁ、僕にとっては、亡くなったって聞いても、劇中人物として動いてる日菜佳さんしか見たことないし、それはこれからも見られるのであまり実感はないけれど。

 


設定

・変身解除すると裸になる設定をやたら気に入ってる人をよく見るけど、じゃああのフンドシはなんなんですかね。変身しても着てる上に変身解除すると消えるという謎の衣服。「フンドシは体の一部だけど、服っぽい(主観)服はそうじゃない」なんて都合のいいこと僕は聞きませんよ。
鍛えたら変身するだけじゃなくて服っぽいもの(造形?)も出せるので、実質鍛え方次第で服は着れる。ふんどしが良くてシャツが駄目な理屈が分からないもん。
そもそも、明らかに"体の一部"ではない音撃鼓や音撃棒だっていつの間にか腰についてるしさ。番組の都合は響鬼にだってちゃんとあるよ。
・劇中ではまだ4/28だからジオウ的には一応まだレイワ来てないんだよな。そういう意味で来週からが本番なんだろうか。しかしそもそも「エピソードタイトル」を劇中人物が知ることはないので、やはり視聴者としてのレイワ初放送はこれなんだよな。うーん。

 

 

前回はウォズの独善性が中心にあるのかと思ったけど、重要なのは「特別でなければいけない」という気持ちの方だったらしい。
「みんなが誰かにとってのヒーローになり得る」というのは前回僕が期待した通りの話運びなので、何も文句はない。京介はツトムにとってのヒーローなんだろうし、ツトムも京介にとって、或いは「同じ珍しい夢を追うもの」としてソウゴにとってのそれでもあるかもしれない。
そして"努"も、ライフセーバーとして活躍していることだろうし、明日夢も医者として人を救ってるだろう。
「小さい者」の話としてとても良かった。

そうそう、書き忘れてたけど、このテーマは「変身できないレジェンド」へのフォローとしても成立する。例えば巧なんかまさに、草加を助けたしね。

 

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仮面ライダージオウ EP33「2005:いわえ!ひびけ!とどろけ!」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・「古代には古代の力だ」
これは僕も最近考えてることのひとつ。未来ならともかく、古代に夢を見るというのはどういうことなんだろうね。アギトや剣みたいな"根源"への夢想ともまた少し違う。陰陽師とか錬金術師とか、妖怪みたいなフォークロアとか……そういうのが"信じ"られることで実在していた(理屈としてはFOREVERと同じ)頃への懐古なのだろうか。或いは"そういう時代"と"自身の幼少期"を重ねているのか? 以前「"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?」なんて記事を書いたのでそちらも参照。

 

 ウォズ
・「ついに運命の日がやってきた……」
ゲームなどでは、日付設定をいじることで任意に誕生日イベントを起こすことができるが、時間旅行者であるウォズは本当の意味で「(自分にとっての)今日を誕生日にする」ことができてしまう。やったことがある方は分かると思うが、そうして訪れた"誕生日"とはなかなか虚しいものだ。記念日を祝うという発想は、彼がソウゴたちと共に今を生きているからこそ生まれるもの。時間ものなんて言っても結局は観測する人間の心の話になる訳なので、こういうことができる。
・今回はウォズの独り善がりな面がクローズアップされているらしい。まぁこの間も恥ずかしいからやめてなんて言われてたしな。

 

 桐矢京介
・「できもしない夢なんて見ないほうがいい」
話を聞く感じ、京介は響鬼の弟子を辞めた……のかな? 免許皆伝してないのに弟子を取るというのは本編でもあきらっていう事例があったし(しかも京介の発案)、そこは何も違和感ないんだけど、ツトムが憧れている"ヒビキ"というのが京介の騙るヒビキなのか、本物なのかによって見方が変わってくるけど……どうなんだろうね。卒業アルバムということは響鬼当時から7年経ってる訳なので、京介も23歳くらいか。
「聖人君子じゃなくても、誰かのヒーローになれる」というのは、最近の僕がなんとなく感じてることなので、ツトムが憧れたのは京介であってくれると嬉しい。……あ、変身後の"響鬼"に憧れて、京介が響鬼を騙って、でも京介は響鬼じゃなかったから出ていったって流れなのかなぁ?
・京介が嫌いな人からしたらこれでいいんだろうけど、僕は成長して頼もしくなった京介を見たい派なんだよね。どうせそうはならないだろうと予告を見たときから思ってたけど。次回、弟子を辞めた理由が納得できるかたちで描かれたら嬉しいけど……ヒビキさんを超える前に引退されたとか?

 

 鼓屋ツトム/アナザー響鬼
響鬼見た人ならみんな「ん?」と思っただろうけど、故意か偶然か、本編にも津村努という、親の反対で鬼を諦めたキャラクターがいた。こう書くと京介とは正反対だな。彼は父親を超えるために鬼になろうとしている訳なので、"親の反対"というのは仮面ライダー的な文脈で読むとオイディプス神話における去勢とも似たものを感じる。もし来週京介の成長を描くとするなら彼については掘り下げられなそうなので、こうやって名前からなんとなく察せってことなのかな、と。

 

 

ウォズのエピソードと合わせると、全体の流れとしては、「人助けをしたいというエゴ」の話になるのかなぁ? あんまりピンときてないけど、次回面白くなるといいな。

 

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キャラクター

 ツクヨミ
・自分の意志で、責任で、時間を止める力を使うシーンがとても良かった。
以前、アインシュタインの特集か何かで原爆の話を見たことがある。彼の導き出した質量とエネルギーの関係式を利用してつくられたのが原爆で、彼はその事実をとても悲しんでいた(なんて言葉でいいのか分からないけど)、みたいな内容だった。その時僕は、「事件で良かったな」と思ったんだよね。
『ビルド』に対しても似たようなことを言った。「もし仮面ライダーほどの突出した兵器がなければ、代表戦なんて規模じゃなくて、大勢のメカソルジャーや生身の兵士たちが血で血を洗う大戦になってた。それを4,5人の間に収めることができたのは、罪どころかむしろ"功績"じゃないか」と。
原爆についても似たような感覚で、確かにアインシュタインの理論によって遠回しに大勢の人が亡くなったけれど、アメリカが『日本の広島や長崎に落としてやろう』と思い、きちんとそこに落ちた。無知な状態で原子力を扱っていたら、それこそ地球まるごと滅んでたかもしれない。しっかりした理論があったからこそ、人間がコントロールできるものとして形になっている訳だし、人間が"使い方"を誤らなければもうあんなことは起こらない。
と言っても、自分自身ですら思うがままにならないことがあるので、難しいんだけどね。

 

 スウォルツ
・ついに満を持して"タイムジャッカー"から個人項に格上げ、おめでとうございます。
さて。タイムジャッカーをはじめとする他の人々は彼から時間を操る能力を分け与えられたという話だったが、ウォズのセリフから察するに更に高次の、スウォルツとツクヨミに力を与えた存在がいるらしい。「思い出さない方が幸せ」な出来事によって。循環構造だとすれば常磐ソウゴってことになりそうだけど、入れ子構造な気もする。そうすればシームレスに現実と繋がるし。いや、メタだとしても、制作陣が作り出した作品によって制作陣は社会的評価や力を与えられる訳だから、結局循環?
・それはそれとして、ウールたちの「分からせてやるんだよ、僕たちがいないと何もできないってことをね」というのは、ジオウの本筋との対比として面白い。ソウゴとゲイツの関係が象徴するように、『ジオウ』は友達づくりの話でもある。僕は勝手にオリキャスの"友情出演"もそういう演出の一貫だと思ってるんだけどね。20年続いた平成ライダーシリーズによって生まれた、東映と役者さんたちをはじめとする人々との縁。もちろんそこにはファンの存在もあるし、白倉さん曰くそれへの感謝が『平成ジェネレーションズFOREVER』だそう。
その中で他者の意見を求めず、自らの意見もあまり発さず、孤独になっていくスウォルツというのは、ラスボスになるのだとしたらこの上ないキャラクター。ただまぁ、もしそうだとしても、そのスウォルツと友達になって終わるんだろうけど。最近は、本当にソウゴがオーマジオウではないと認識されたことでオーマジオウという概念が言葉通りのアナザージオウ(ジオウだけどジオウではない者)として、孤独の権化として立ちはだかるのかなぁという気がしてる。こういう予想は外れたほうが楽しいけどね。

 

 

今回は、色んな意味で"誠実"な回だった。
まずアナザーアギト(2019)のアギトへの変身と暴走、そして翔一くんG3。これらは本編から既に交換可能性が示されていて、ギルスも名前が付いてるからにはおそらく葦原以外がなる場合も十分あるのだろう。そんな中で最もイレギュラーだった(ように見えていた)アナザーアギトにスポットを当て、その交換可能性をこれでもかと見せる。アナザーアギト(木野さんのものを含む)も単なる"アギト"のいち派生形態に過ぎず、アギト同様別の人が(そっくりに)変身することがあるのだ。これは一応今回の「自分が何者なのか」という題にも繋がってくるし。
"アナザーアギト"という仮面ひとつを他に取られたからって、木野薫という概念は死なない。変身後のデザインに依存し切らない、キャラクターや物語を持った個人なのだと(改めて)浮き彫りになる。
もうひとつは、過去作の挿入歌『BELIEVE YOURSELF』が流れたこと。これはまさに"今"だからできたことなんじゃないかな、多分。まだ『ディケイド』ちゃんと見返してないので間違ってたら申し訳ないというか僕が恥かくだけなんだけれど、今回の"32話"というのは、『ディケイド』の話数よりひとつ多いんだよね。『ジオウ』の世界観を確立するためにこれまでジオウ専用のBGMや挿入歌を流してきたけれど、過去作を扱いながらも31話あればその作品の世界観を確立できるという経験則を踏まえての、今回のこのサービスなのかな、と。「それができるなら最初から(或いはディケイドから)やっとけよ」に対するアンサーにも思える。
こういう意味で、"誠実"という印象を受けた。いやー楽しかった。

 

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