キャラクター
常磐ソウゴ
・「誕生日を忘れてた」というシチュエーション、物語ではサプライズする側に都合がいいのでよく使われるけど、なかなかなくない? 僕はこれまでの人生で「誕生日を祝う」という文化がピンと来ていないというか、「何を祝われてるんだろう。僕は誇らしげにすればいいのか? それとも何かを謙遜すればいいのか?」みたいな感じになるのであんまり好きじゃなくて、友達にも誕生日とかいちいち教えないし、知ってる人もおめでとうとか言わないでくれるんだけれども、それでも日付が目に入ったら「あ、そろそろ誕生日だな」くらいは思うし、「お、今日か」ともなる。ソウゴは今日が何日かを見る習慣がないのかな。
……あ、そうか。高校も卒業して実質的には今ニートだから、大した予定もなくカレンダーを見る必要がないのか。なるほどな。
ただもし逆で、「今日が何日か覚えてない」のではなく「誕生日が何日か覚えてない」んだとしたら、ちょっと怖い。順一郎の人柄的に祝わないなんてことはないと思うので、流石に17,8回は祝われる経験をして記憶に染み付いてるとは思うけども。
あとあれか、クジゴジ堂にはたーくさんの時計があって、かつそれぞれが別々の時間を指してるので、「今がいつなのか」という感覚は自然と薄くなるのかもしれない。
常磐順一郎
・この人いつも"取り残されてる"シーンが映されるけど、どういう意味があるんだろうね。日常の住人だからだろうか。
桐矢京介
・「俺はそんな大した男じゃない」
今回の京介はすごくかっこよかったなぁ……。元々彼は、根っこは傲慢な癖に表面上は自信なさげな明日夢の鏡面として、弱い自分を認めたくなくて(つまり一応弱いと知ってる)表面上は強がるキャラクターなんだよね。こう書くとそれぞれソウゴの裏表とも通ずるものがあるな。
それはともかく、その京介がこうやって自分の弱さを人に見せることができるようになったっていうのは、すごい成長だなぁと。
今回を見て(やっと)分かったけど、京介は響鬼を「襲名できなかった」んじゃないんじゃないかなぁ。「もう俺のそばにいても大丈夫だな」というボツになったセリフによく現れているけど、京介は"響鬼"になることにこだわったからずっと名無しのままだったのであって、資格がなかったとかそういうことじゃない。「京介は京介なんだら、響鬼にならなくてもいい」んだよな。それに気付いたからこそ、響鬼になれた。
・前回の予告から京介が響鬼になる予想をしてる人が多くて、それは物理的に無理かな……と思ったけど、斬鬼と轟鬼が師弟ってだけでそっくりなんだから、影響を受けて似ることがあってもおかしくないかなとも。
ってのを言おうと先週から取っておいたんだけど、まさかの展開。いや、アギト編がある種の前フリだったと思えば確かにこれが自然だ。まぁ、「京介の響鬼の力」から生まれたとするならこねた理屈も無駄にはならないけど。
トドロキ
・「日菜佳さんに相談しよ」
役と役者は別って言うけど、同じではないにせよ別でもないと思うんだよなぁ。役者の人と話したことないから分かんないけど。
だって、キャラクターを傍から見てるだけでも影響受けることってあるのに、自分がなりきって影響受けないはずがなくない?
"川口さん"があのセリフを言うことには何かしらの意味が込められていてもおかしくはないし、勝手にそれを見出すのもその人の自由ではある。僕は劇中の人物に対しては「死んで良かった」なんてことを言ったりするけど、現実の人に言うのはどうだろうね。でも死刑制度なんてのはまさにそれの体現とも言えるし、そういう人の思いがこの現実の一部を為しているのも事実で、亡くなった人に思いを馳せて感動することは悪いことなのかな。いわゆる"感動ポルノ"的な文脈なんだろうけど……難しいね。
まぁ、僕にとっては、亡くなったって聞いても、劇中人物として動いてる日菜佳さんしか見たことないし、それはこれからも見られるのであまり実感はないけれど。
設定
・変身解除すると裸になる設定をやたら気に入ってる人をよく見るけど、じゃああのフンドシはなんなんですかね。変身しても着てる上に変身解除すると消えるという謎の衣服。「フンドシは体の一部だけど、服っぽい(主観)服はそうじゃない」なんて都合のいいこと僕は聞きませんよ。
鍛えたら変身するだけじゃなくて服っぽいもの(造形?)も出せるので、実質鍛え方次第で服は着れる。ふんどしが良くてシャツが駄目な理屈が分からないもん。
そもそも、明らかに"体の一部"ではない音撃鼓や音撃棒だっていつの間にか腰についてるしさ。番組の都合は響鬼にだってちゃんとあるよ。
・劇中ではまだ4/28だからジオウ的には一応まだレイワ来てないんだよな。そういう意味で来週からが本番なんだろうか。しかしそもそも「エピソードタイトル」を劇中人物が知ることはないので、やはり視聴者としてのレイワ初放送はこれなんだよな。うーん。
前回はウォズの独善性が中心にあるのかと思ったけど、重要なのは「特別でなければいけない」という気持ちの方だったらしい。
「みんなが誰かにとってのヒーローになり得る」というのは前回僕が期待した通りの話運びなので、何も文句はない。京介はツトムにとってのヒーローなんだろうし、ツトムも京介にとって、或いは「同じ珍しい夢を追うもの」としてソウゴにとってのそれでもあるかもしれない。
そして"努"も、ライフセーバーとして活躍していることだろうし、明日夢も医者として人を救ってるだろう。
「小さい者」の話としてとても良かった。
そうそう、書き忘れてたけど、このテーマは「変身できないレジェンド」へのフォローとしても成立する。例えば巧なんかまさに、草加を助けたしね。
前話
仮面ライダージオウ EP33「2005:いわえ!ひびけ!とどろけ!」 感想
次話
仮面ライダージオウ EP35「2008:ハツコイ、ウェイクアップ!」 感想
過去作