やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第1話「オレが社長で仮面ライダー」 感想

キャラクター

 飛電或人
・寝坊……ということは、祖父の告別式とやらにも行ってないことになるのか。
まぁ僕もじいちゃんが死んだとき悲しさというのが湧いてこなくて驚いたのでそれについてとやかく言うようなつもりはない。僕と同じく関わりが薄かったんだろうか、とは思ったが、遺志を継げないことについて謝る描写もあるので微妙なところ。社長ってくらいだからなんか忙しそうだし、思い入れなくても別に不思議ではない。
・「アルトじゃないと!」
Alternateキーが由来のひとつなんじゃないかって話は既に色んなとこで出てたけど、このセリフを聞く感じやっぱりそうらしいね。実際にはセリフとは裏腹に、ヒューマギアに取って代わられちゃうのが切ない。"仮面ライダーゼロワン"について、視聴者にそう思わせるような魅力あるキャラになって欲しい。
・本作のテーマである"仕事"についてだけれど、僕は子供と仕事という概念はなかなか相性が悪いと思っていて、仮面ライダーの影響でなりたい職業ランキングがどうのこうのみたいな話題にもあんまり興味が湧かない。
だって、子供の言う「将来就きたい仕事」ほどアテにならないものってないじゃない? 僕なんかも年少さんくらいの頃には「ケーキ屋さんになりたい」って言ってたんだけど、明らかに自分がケーキを食べたいだけじゃん。だいたいケーキ屋さんって別にケーキ食う仕事じゃないし。
仕事というのは自分の"やりたい"という気持ちだけでは成立しなくて(それは趣味や遊び)、その価値の受け取り手……つまり"需要"がなくてはならない。まだ自分本位にしか物事を考えられない子供にはそういった発想がなかなかない。
僕のお気に入りだった絵本に『ゴリラのパンやさん』というのがあって、この中ではきちんと"買い手"に寄り添う姿が描かれているんだけれど、どうやら当時の僕はそこまで理解してはいなかったらしいね。売れ残ったパンを食べてるシーンが一番印象的だったくらいだし。
そういう文脈で今回のゼロワンを見てみると、思ったよりきちんと"仕事"を描いてたな、と。
或人の本来やりたかったことというのはお笑いで人を笑わせることなんだけど、彼のギャグには需要がない。それを受け入れた上で(ここは明確なセリフはないが、きちんと映像で表現されている)、必要とされ得る仮面ライダーとしての活動を自分の"やりたいこと"と統合して、納得する。この流れが非常に大人っぽいというか、予告などから想像してたよりもよっぽど成熟した精神を持っているようで、ちょっと安心した。
・彼は全体通してミスの多いキャラクターとして描かれている。寝坊したりサムかったりコケたり。
僕は「仮面ライダー」の示すものとは多様性であって、秩序を壊すバグであるという立場をとっているんだけれど、それとこの"ミス"というのは親和性が高い。ショッカーの目指す感情のない完全調和の世界では、きっとミスが許されない。それを許容する愚行権の象徴が他ならぬ「仮面ライダー」だろう。だからイズに対して「大丈夫大丈夫」と言うシーンがすごく好きだったりする。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)
・スタッフが「白倉三原則から離れたい」と言っているゼロワンについてこの話をするのは不適切かもしれないけれど、逆に、「AIをつくる企業の社長が暴走するAIを壊す」というのは子殺し的であって、むしろ構造としてはショッカーのそれに近い気もする。其雄がヒューマギアっぽかったことと親殺しという点を繋ぐと、或人に"正体"なんてものがあるとしたら、僕には単なるヒューマギアというよりは、「ヒューマギアによってつくられたヒューマギア」のように思える。ヒューマギアが、人間よりも「人間らしいヒューマギア(強いAI)」をつくる能力に長けているとしたら、それは確かに技術的シンギュラリティと言えるかもしれない。

 

 不破諫
・今回の軸は彼にはなかったのに、思ったより情報が明かされたね。察するにデイブレイクタウンの出身だからAIを憎んでるんだろう。逆にそれ以上何を語ることがあるのかよく分からないので、次回は一体何するんだ……?

 

 イズ
・彼女の由来は十中八九「-ise,-ize」だろう。主題歌にもなってるrealise(現実化する)とか、フォーゼで聞いたmaterialize(物質化する)とか、単語の後ろにくっついて(だから"接尾")、「〜化する」みたいな意味にする。最近だとルパパトのイメージが強いな。マスカレイズ,パトライズ,エックスナイズなど。これだけ具体例を挙げれば帰納的にイメージを掴めたんじゃないだろうか。
ゼロワンの変身音だけ切り取っても、「ライジングホッパー!」を含めて類型が4回も出てくるほど押し出されている概念で、それを名前に冠する彼女というのもきっと重要な位置にいるのだろう。具体的に何化するのかはこれからの話を見ないとなんとも言えないけど。
僕はパソコンを使う習慣がないのでなんとも言えないが、Altキーには同時に押したキーの役割を変化させる機能があるらしく、これともちょっと似ているように思う。
というようなふわっとした話しか今はまだできない。

 

 腹筋崩壊太郎/べローサマギア
・「私の仕事は、人を笑わせることだから……」
彼のギャグで笑う観客の後ろに、彼のギャグで居場所を奪われた或人もいる。それに気付かず満足気に笑う彼の姿というのが非常に矛盾してて面白い。そしてこの構図はそのまま社長に就任した或人と福添准にも当てはまる。と考えると、これからの或人と准の関係に期待したくなるが、エグゼイドの灰馬を思えば、准にまともなエピソードは望めないか……? あったら嬉しい。
・或人「笑うなよ」
彼のキャラクター性にこの話が合っているかは分からないが、思い付いたので書いておく。
僕は基本的に「人を笑いものにする」という行為があまり好きじゃない。以前どこかで、「笑いとは"間違い"を発見した報酬」であると読んだ気がする。笑うというのが対象について何らかの"間違い"を見出していることだとするならば、それを相手に帰属させるのが嘲笑にあたるもので、それ以外のものは自嘲にあたるものと解釈することができるかもしれない。
腹筋崩壊太郎の例で言うと、彼のネタは分類するなら「予想外のことが起こる」パターンの笑いに見える(正直に言えばどこが笑いどころなのかピンとこないけど)。この場合、"彼のおかしさ"を笑う人と、"その可能性を知らなかった自分のおかしさ"を笑う人に二分される。
おそらく僕が不快に感じてるのは前者で、他人の自虐ネタなんかは不愉快になる(お前は人を馬鹿にして笑うんだろ?と思われてると思うと腹が立つ)んだけど、自分の自虐を言うことには抵抗がまるでない。
お笑い芸人になる人というのは、"笑いもの"になる覚悟を決めた人であって、その人たちにはその人たちなりの誇りなどがあるのだろうし、僕が一概に否定できるものではないのは分かる。だが例えば『月曜から夜ふかし』という番組がやっているような、そういう覚悟を決めていない一般の方を、本人の意図していないところでイジって笑いものにする態度というのが僕は許せない。面白い部分もあるので以前はよく見ていたんだけどね。
で、この腹筋崩壊太郎が自分で納得してこの仕事を選んだのではないとしたら(仕事が決まった後に自我に目覚めたなら)、ひょっとすると笑いものにされることに腹を立てるかもしれない。実際に彼がそうだったかはさておき、そういう可能性もある。
言葉遊びや機知などという知的な笑い(おそらくこれらはさっき挙げたところの後者、自分の無知を笑う種類に思える)という選択肢もあるにも関わらず、嘲笑タイプに甘んじるというのは、笑う側としても低俗だし、笑いをとろうとする側としても志が低いように僕には思えてしまう。人を馬鹿にするなんて小学生でもできる。
……小理屈をこねたところで結局は「僕が気に食わないのでなくなると嬉しい」という一言に集約される話ではあるんだけれど、何かの参考になれば幸いだ。

 


設定

・今回の映像などから読み取れて、かつ言葉になっていないことを挙げると、デイブレイクタウンに落下していた衛星というのは多分ゼアの前身で、ゼロワンドライバーがゼアと繋がるのと同様に、滅亡迅雷.netのベルトも装着者の思考回路をあの衛星とリンクさせる機能があるのだろう。
デイブレイクタウンにはバリケードみたいなものがあったけど、多分スカイウォールと同様に外に行ける方法が割とあるんだろうね。迅が出てこれるくらいには。
しかし、山寺宏一さんがナレーション務めるって聞いたときからそうだろうなとは思ってたけど攻殻機動隊とか絶対意識してるよね。そんな話あったもん、AI(タチコマ)の母艦である衛星が墜落って。意識といえばPSYCHO-PASSのドミネーター役、日高のり子さんもだよね。僕としてはどっちもあんまり覚えてないけどなんとなく好きな作品だし悪い印象は特にないけど、真似に収まることはして欲しくないな。
あと、大森さんって多分『555』好きだよね。好きというか評価してるというか。あ、そういや「当時の東映で一番面白いことやってた」とかなんとか言ってたな。色々似てる。
・敵であるマギアのモチーフは、どうやら絶滅した生き物らしい。対してゼロワンたちが使うのは、今も生きてはいるけど、人間の繁栄によって肩身が狭くなりつつある生き物たち(を模した機械だけど)と表現することもできるように思う。
うちの近くに

猫にエサをあげないでください

お腹を空かせた猫にご飯をあげる気持ちは人として大切なものだと思いますが、増え過ぎた野良猫たちの糞尿によって近隣住民が迷惑しています

という看板があってさ、「猫の命<糞尿による不快さ」なのかと思うと、見る度になんだかちょっとやるせない気持ちになる。でも蚊とかは「かゆいから」ってだけで平気で殺してるし、命の重さというのはよく分からない。
強い者が生き残るのが自然の摂理。僕はよく人間も自然の産物なのだと言うんだけど(先日見た『崖の上のポニョ』からもそのようなメッセージを感じた)、人間が追いやられる側になってもそれを言えるのかは我ながら疑問。
プログライズキーがなんの鍵なのか、なぜ生き物の力を使うのかは今後考えていく議題。

 

 

ジオウはあくまで2話完結なので1話単体の満足度はそこまで高くなかったのと、難解さのせいで爽快さが少ない。それに比べると、今回のゼロワンの1話というのは映像的な盛り上がりをとってもかなり良い。
ただ何度か見てるとアギト編に似てるような印象も受けてきたので、仮に予算的に続いたとしてもワンパターンに感じるかもしれない。牙狼(最近配信されてる魔戒の花を見てる)くらい映像を見てるだけでも楽しめるといいな。

 

次話

仮面ライダーゼロワン 第2話「AIなアイツは敵?味方?」 感想