キャラクター
常磐ソウゴ
・明確には描かれてないけど、恐らく前回の時点でソウゴは祐子が冤罪ではないと気付いていたと思われる。ただ過去が見えるのは一応初めてなこともあってか、それをなかったことにして(ついでに彼氏がいたことからも目を背け気味)、冤罪だと。やはり祐子とソウゴは意図的に似せられているらしい。
・トリニティでは無理だけど3人同時キックならギンガに勝てる、ってのが面白かった。現状は最強なはずのフォームの"弱み"を描くというのは、実に井上さんらしい。
無理にひとつにならず(統一せず)とも、バラバラのままの方がいい時もある。投影や外在化などをやんわり肯定しているようにも取れる。
・ソウゴがキバウォッチを使えないのは、祐子を倒したくないというよりは、祐子が元恋人(ソウゴからすると恋敵)を殺そうとするのを止めたくないからのようにも思えた。ソウゴの心は黒ければ黒いほどジオウⅡ回で受け入れたのがかっこよく見えるので、ついつい悪い方に捉えがちなのよね。
・「セーラさん……」
重要なのは初恋の人かどうかじゃなくて、ソウゴが"甘く包まれるよう"な経験(≒母の承認≒アップルパイ)をしたこと。
あのシーンで改めて「全人類の傘になる(当然ゆり似の人も含むし、祐子への手向けにもなる)」ことを決意したように見えた。
また、人違いというのは音也と真夜の出会いと同じなんだけれど、あれもただ投影していたというだけなんだろうか。もう少し何かある気がしてるんだけど、未だ分からず。
ウォズ
・(今回の)ソウゴや祐子、ギンガの力を積極的に求めていたスウォルツと違って、"自分のため"ではないからこそギンガウォッチを手に入れられた……ようにも見えた。今回の事件から一歩引いたところにいたからこその立ち回りなのかも。ゲイツが言ってたように、冤罪をかけられた当事者が罰を下すと、ただの復讐に成り下がる。セリフから察するにギンガは、スウォルツに(目的のない)純粋な力とか言われてたように、"法"(ちなみにキバの掟とも通ずる)をあらわしているらしいので、それこそ裁判官のように、第三者的なウォズの手に収まるのはそこそこ納得がいく。或いは裁判官よりは弁護士や検事のような、ソウゴの"代理人"みたいな立ち位置なのか。
ただそうだとすると、腐女子の話は見当違いだったことになるのかもしれない。でも話したいので一応軽く書いておく。
ガルルが祐子について発した「腐っている」という言葉が腐女子さんを連想させるというところまではきっと分かるでしょう。で、それというのは男性と男性の恋愛を楽しむものであって、女性の自分を投影させて楽しむような種類のものではあまりないと思われる。ので、裁判官的な彼女の言動と合致するかなぁと思ったんだけれど……ウォズギンガのことを上のように解釈するなら、祐子が第三者的であってはおかしくなるので、「第三者であろうとするがなれていない者」ということになるのかな?
・逆に今言ったこと全部ひっくり返してウォズを主体として見た場合、今回は「ウォズがソウゴの弱さ(ギンガ)を受け入れる話」と捉えることもできるかもしれない。
僕と同じく……かは知らないが、彼もソウゴが恋をしていたことに驚いていたし、ウォズの中で神格化されていたソウゴ(≒渡の中の音也像)が"人間らしさ"を得るみたいなことなのかも?
スウォルツ
・目的のためなら人の下に付くことも厭わないらしい。これまでの流れを踏まえるとタイムジャッカーを(少なくともソウゴたちが)殺して終わりということは有り得ないと思うので、ひとつの終わりのかたちとして、スウォルツ達も腹に一物抱えつつもとりあえずソウゴを王として認めるような展開があり得るのかなと。白ウォズにした話と似たような感じ。ただそれだと、ソウゴたちの戦いはこれからも続くことになってしまうので、平成ライダーを終わらせるための作品であるジオウが終わらないというのは変な話。どうだろうね。
オーラ
・そういえば歴史を変えようとしている訳だから、傷を受け入れられないタイプであるのは明白だったな。
「ちょっとだけ悪い知らせと、めちゃくちゃいい知らせ」という彼女の特徴的なセリフも、もしかすると彼女自身、そうやってオーマジオウによる不都合を"ちょっとだけ悪い"ことだと自分に言い聞かせ、歴史改変すればいいと強がっているのかもしれない。
セーラさん/麻生ゆり?
・ゆりは死んでるが、次狼がソウゴの傷を癒やす為に連れてきた可能性も0ではない。まぁ、亡くなった知り合いに過去へ会いに行くというのはつらそうなので、この可能性にこだわるつもりは特にないんだけれども、あまり言ってる人を見かけなかったので一応。
北島祐子
・全体的に言動が支離滅裂で、空っぽな印象を受けた。キバで言うならルークとビショップが近いか。……この2人を似たものとして並べると直感的に変な感じするけど、ルークのやるゲームもビショップのこだわる掟も、ルールと言い換えると通底していて、それ自体にはあまり意味がない。例えばゲームなら人を楽しませること、法や掟なら人を幸せにするとか統治することなど、その奥にある目的を見失っては空っぽとなる。最近だとウノの公式ルールではドロー返しが認められていない云々なんて話もあったけど、自分とプレイ相手の中で楽しむという目的を共有し、お互いその為にドロー返しはあった方がいいと思うならそのルールを採用すればいいのだ。祐子も浅倉に似て、自分を追い詰めている"何か"から逃げようとし過ぎて、完全に見失っている感がある。
・ただ一応、自分の弱さを受け入れようという気持ちがほんの少しあるからなのか、完全に外在化することでなくなってしまったのか、ガルルという形で表出している。今回の彼はアナザーライダーの能力も相俟ってか、イマジンのような感じになってて面白い。
仮面ライダーギンガ
・「全てのものは滅びゆく……それが唯一の絶対の法」
このセリフの通り、ギンガ自身も滅びていったのが面白かった。倒されたときの光は、"変身者"が帰ったってことなのかな。
・見返してみて分かったけど、タイミング的にちょうどソウゴが祐子の過去を見て彼氏がいたことを知った(おそらくジオウⅡの能力の一部と思われる)直後に飛来していて、空が曇り活動を停止したのもソウゴと祐子がいい感じに会話していたとき。まぁそうだろうなとは思ってたけど、キカイと同じくソウゴが生み出したものだと考えるのが一番自然かな。祐子たちと協力する出しにされてたのもあるし、オーラなんかとは比にならない強さのはずなのに祐子がマンホール如きで防げたのも、ギンガが祐子を殺してしまっては本末転倒だからだろうね。
全体的な柱になっているのは、「自分の弱さや傷を受け入れること」。
キバ本編で言えば、渡のこの世アレルギー(自分も汚れた人間だったんだ)に音也への失望、次狼の失恋や、麻生親子の恐怖心(20話)、そして名護の完璧主義など。
これらを『ジオウ』でエミュレートしてできたのが今回のキバ編と言った感じ。
僕の思う井上敏樹氏の魅力は「弱さ」の描き方なんじゃないかなと、書いてて多少整理されてきた。
僕は以前「555は善悪二元論的ではないが、悪いことしたやつはだいたい死ぬので『勧善懲悪ではない』とは言い切れない」みたいな話をしたんだけれど、悪い/弱いやつ(参照:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)が死ぬのは井上脚本世界での"法"みたいなものなんだけれど、でもそれと同時に、その世界に抗って必死に生きる様子(これを切り取って悪行とも言う)もこれでもかと描かれるんだよね。
本当は弱い人も悪い人も生きられたらいいけど、世界はなかなか許してくれないよね。みたいなスタンスが根底にあって、それが好きなのかもしれない。
余談だけど、公式サイトにおける白倉さんの「疑問を抱かないこと(≒純粋な納得や受け入れ)は、理解とほぼ等価」みたいな話も面白かったので未読なら読んでみて。
前話
仮面ライダージオウ EP35「2008:ハツコイ、ウェイクアップ!」 感想
次話
仮面ライダージオウ EP37「2006:ネクスト・レベル・カブト」 感想
過去作