やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダージオウ EP32「2001:アンノウンなキオク」 感想

キャラクター

 ツクヨミ
・自分の意志で、責任で、時間を止める力を使うシーンがとても良かった。
以前、アインシュタインの特集か何かで原爆の話を見たことがある。彼の導き出した質量とエネルギーの関係式を利用してつくられたのが原爆で、彼はその事実をとても悲しんでいた(なんて言葉でいいのか分からないけど)、みたいな内容だった。その時僕は、「事件で良かったな」と思ったんだよね。
『ビルド』に対しても似たようなことを言った。「もし仮面ライダーほどの突出した兵器がなければ、代表戦なんて規模じゃなくて、大勢のメカソルジャーや生身の兵士たちが血で血を洗う大戦になってた。それを4,5人の間に収めることができたのは、罪どころかむしろ"功績"じゃないか」と。
原爆についても似たような感覚で、確かにアインシュタインの理論によって遠回しに大勢の人が亡くなったけれど、アメリカが『日本の広島や長崎に落としてやろう』と思い、きちんとそこに落ちた。無知な状態で原子力を扱っていたら、それこそ地球まるごと滅んでたかもしれない。しっかりした理論があったからこそ、人間がコントロールできるものとして形になっている訳だし、人間が"使い方"を誤らなければもうあんなことは起こらない。
と言っても、自分自身ですら思うがままにならないことがあるので、難しいんだけどね。

 

 スウォルツ
・ついに満を持して"タイムジャッカー"から個人項に格上げ、おめでとうございます。
さて。タイムジャッカーをはじめとする他の人々は彼から時間を操る能力を分け与えられたという話だったが、ウォズのセリフから察するに更に高次の、スウォルツとツクヨミに力を与えた存在がいるらしい。「思い出さない方が幸せ」な出来事によって。循環構造だとすれば常磐ソウゴってことになりそうだけど、入れ子構造な気もする。そうすればシームレスに現実と繋がるし。いや、メタだとしても、制作陣が作り出した作品によって制作陣は社会的評価や力を与えられる訳だから、結局循環?
・それはそれとして、ウールたちの「分からせてやるんだよ、僕たちがいないと何もできないってことをね」というのは、ジオウの本筋との対比として面白い。ソウゴとゲイツの関係が象徴するように、『ジオウ』は友達づくりの話でもある。僕は勝手にオリキャスの"友情出演"もそういう演出の一貫だと思ってるんだけどね。20年続いた平成ライダーシリーズによって生まれた、東映と役者さんたちをはじめとする人々との縁。もちろんそこにはファンの存在もあるし、白倉さん曰くそれへの感謝が『平成ジェネレーションズFOREVER』だそう。
その中で他者の意見を求めず、自らの意見もあまり発さず、孤独になっていくスウォルツというのは、ラスボスになるのだとしたらこの上ないキャラクター。ただまぁ、もしそうだとしても、そのスウォルツと友達になって終わるんだろうけど。最近は、本当にソウゴがオーマジオウではないと認識されたことでオーマジオウという概念が言葉通りのアナザージオウ(ジオウだけどジオウではない者)として、孤独の権化として立ちはだかるのかなぁという気がしてる。こういう予想は外れたほうが楽しいけどね。

 

 

今回は、色んな意味で"誠実"な回だった。
まずアナザーアギト(2019)のアギトへの変身と暴走、そして翔一くんG3。これらは本編から既に交換可能性が示されていて、ギルスも名前が付いてるからにはおそらく葦原以外がなる場合も十分あるのだろう。そんな中で最もイレギュラーだった(ように見えていた)アナザーアギトにスポットを当て、その交換可能性をこれでもかと見せる。アナザーアギト(木野さんのものを含む)も単なる"アギト"のいち派生形態に過ぎず、アギト同様別の人が(そっくりに)変身することがあるのだ。これは一応今回の「自分が何者なのか」という題にも繋がってくるし。
"アナザーアギト"という仮面ひとつを他に取られたからって、木野薫という概念は死なない。変身後のデザインに依存し切らない、キャラクターや物語を持った個人なのだと(改めて)浮き彫りになる。
もうひとつは、過去作の挿入歌『BELIEVE YOURSELF』が流れたこと。これはまさに"今"だからできたことなんじゃないかな、多分。まだ『ディケイド』ちゃんと見返してないので間違ってたら申し訳ないというか僕が恥かくだけなんだけれど、今回の"32話"というのは、『ディケイド』の話数よりひとつ多いんだよね。『ジオウ』の世界観を確立するためにこれまでジオウ専用のBGMや挿入歌を流してきたけれど、過去作を扱いながらも31話あればその作品の世界観を確立できるという経験則を踏まえての、今回のこのサービスなのかな、と。「それができるなら最初から(或いはディケイドから)やっとけよ」に対するアンサーにも思える。
こういう意味で、"誠実"という印象を受けた。いやー楽しかった。

 

次話

仮面ライダージオウ EP33「2005:いわえ!ひびけ!とどろけ!」 感想

過去作感想

クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想