やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第1章 VS滅亡迅雷.net編(1話〜16話) 感想

順次追記していきます。

 

キャラクター

 飛電或人
・笑い
彼のアイデンティティを語る上で最も欠かせないのは、おそらくこれだろう。
1話は、おおまかには「遊園地を壊す怪物を倒す」という構図となっている。あそこの支配人は根津光国(ねづみつくに≒ネズミの国)という名前で、明らかに夢の国たるディズニーランドを意識したものと思われる。シンケン5話にて顕著に描かれていたが(アヤカシ ヤナスダレは口癖の「無駄だ」を繰り返しながら遊園地を破壊する)、遊園地なんてものは決して"必要"なものではない。職員の働き口という意味では多少の必要性はあるものの、お金を得るだけなら他の仕事でも全く構わない。客側ならば言わずもがな、遊園地など行かなくても、例え壊れたとしても、問題なく生きていける。
特にジェットコースターなどそこまで頻繁ではないとはいえ死亡事故が起こっており、ただの娯楽だということを思えば、リスクと明らかに釣り合っていない。
尤も、ストレスの解消というものが全く無意味であると表現すると、それはそれで違和感を覚えもするだろう。ジェットコースターのような危険の伴う方法である必要があるかはともかく、娯楽自体は間違いなく"必要"なもののひとつだと捉えることもできる。
ヒューマギアを自動車になぞらえて「危険があるからと言って簡単に廃止できるものではない」と言う主張はところどころで見かけるのでここではいちいち取り上げないが、それに関連する労働についての話を取り上げたい。以下はWikipediaの「自動車」ページにある一文である。

歴史>機械の生産方式や人々の労働への影響

なお自動車で採用された大量生産の手法が、ライン生産方式という効率的な手法を、自動車産業に限らず様々な製造業において広めてゆくことになった。これは企業経営者にとっては好都合な手法であったが、それは同時に分業が徹底される結果を生み、工場で多くの労働者が、まるでただの機械や道具のように扱われ、同一の単調な作業ばかりを繰り返すことを強制され、働くことに喜びを見出しにくくなる、労働者に精神的な不幸をもたらすという負の事態も引き起こした。

自動車 - Wikipedia

 これは「働くことに対する喜び」……つまりやり甲斐の必要性を問う重要な事例だ。
そんなものはなくても、ただ機械的に与えられた作業をこなすことさえできれば、対価としてお金を得ることはできるし、そうすれば生きていくことはできる。しかし感情を持つ我々は、単調でやり甲斐のない作業に対して何故だかストレスを感じてしまう。
僕はジミーサムPの楽曲の中でも『Calc. 』が一番好きなのだが、その中に「感情一つ消せるのなら「好き」を消せ​ば楽になれるかな」というフレーズがある。まぁ僕が実際によく聞いているのはまどさんのピアノかつ英語のやつなんだけれど。昔好きだった人も、好きだって言ってたっけなぁ。
感情のない機械になれたら、どんなに楽だろうか。おそらくエデンの園というのは、そういう場所だ。すべての事柄は論理的自明的に判断され、複数の選択肢に優劣を付け兼ねる場合は躊躇なくコイントスやサイコロに委ねて決断する。そもそも「生きたい」とさえ思わなければ、すべての苦悩は消え去るのだ。
"論理的"と"自明的"はかなりニュアンスが違うのではと思う方もいるかもしれないので補足しておくと、僕は例えば数学的なことはすべて究極的には自明だという表現をする。自然数加減乗除くらいは一般人から見たら既に自明であるように、中学時代には多少の難しさを覚えていた一次関数も、高校に入り二次関数をやり始める頃には大して考える必要がなくなり、その二次関数も三角関数とかやる頃にはほぼ自明となり果てている。数学って基本的にそういうものというか、自分にとって"自明"な部分を少しずつ広げていく教科であって、「難しい」という感覚は本質的には存在し得ない。必要な知識と"正常な思考力"があれば、理解できないなんてことは有り得ない。だって、ロジックってそういう理念のもとにつくられているんだから。誰がいつやっても必ず同じ結果に辿り着くはず。従来の経済学が仮定してきたような「合理的人間」にとって見れば、科学的なすべての知は、必要な前提知識さえ与えればすべて自明のうちに処理してしまうことだろう。
もしもあらゆる人間の行動が理屈で説明できてしまうのなら、そこに自由意志なんてぼやっとしたものが入り込む余地はなくなる。「足の裏にスタンプがあるからキックをする」で説明しきれてしまったら、五代の意志というものを仮定する必要はなくなる。パンチでも頭突きでも倒せるけど、何故か五代はキックを選んだ。という状況でこそ人は彼に意志を見出し得る。本編でもロッドやボウガン、ソードという選択肢があったじゃないかと言われるかもしれないが、クウガの魅力は戦闘のロジカルさだと言う人が実際にいる。敵が俊敏だから青、見えないなら緑、パワータイプなら紫など、あくまで"必要性に駆られて"彼はフォームチェンジをするので、そこに積極的な彼の意志はないと言える。テーマと繋げるなら、これらは五代が「そもそも本当は戦いたくなんかないけど仕方なく戦っている」が故のことであると思われる。
或人と見比べてみよう。1話では直前までべローサにキレていたかと思ったら「足のパワーハンパねぇ!」だし、剣を構えるときは「ジャーン!」と叫ぶ。これは2期に割とありがちな現象なのだが、とにかく明るくノリノリで戦う。それがサイコパス的に映ることもしばしばある程度には。聞こえにくいけど、1話の戦闘後に自分の戦いを振り返りながら「ズドーン! へへっ、俺かっこよすぎる……」と漏らしている。まさに「あいつはゼロワンの力を楽しんでいる」のだ。
彼は度々業務と無関係なことをして、イズに注意されている。寿司を食べ、観光を楽しみ、サインを貰おうとし、アニメの収録現場を見学する。石墨に「先生はそれで、お仕事が楽しいんですか?」と問いかけていたが(そして「はぁ?」と返されていたが)、その言葉通り、或人は「楽しんで仕事をする」というスタイルをとっている。
これを単に"不真面目"と切り捨てる人もいるだろうが、捉えようによっては何事にもやり甲斐を見出し積極的に仕事に取り組むための工夫とも言える。
「せっかく好きな漫画家に会えるのに、仕事だからサインのひとつも貰えない」よりは、「仕事のついでに好きな漫画家からサインも貰えちゃってやる気が出る」の方が、むしろ効率は良いのではないか。もちろん業務に支障が出ない範囲でというのは大事だが、余裕があるならば少しくらい楽しみを持ってもよいのではないか。本当は駄目だけど廃棄されるお弁当を貰えるだとか、社員同士で差し入れを持ち寄ったりだとか。
仕事にやり甲斐は必ずしも要らないかもしれないが、"生き甲斐"は欲しいところ。それが生きるために必要な仕事(食い扶持)と共に手に入るのなら、まさに一石二鳥というものだろう。同僚と雑談したり、自分の案が認められる喜びだったり、そういったものなしに淡々とこなすだけの、生きるために働いてるのか働くために生きてるのか分からないような生活で、果たして良いのか。もちろん本人はそんな小難しいこと考えちゃいないだろうが、一考の価値はある。
夢もそうだけど、根本的に或人は怪人の被害というマイナスをゼロにするためではなく、プラスにするために「必要ではないけどあったら良いもの」を広めようと生きているという意味で、とても積極的なキャラクターであると言える。
・受け入れる/諦めない
他との関わりにおいて、彼はこの相反する2つの側面を見せる。上記では良さげな表現をしたが、言い換えれば当然「諦める/受け入れない」となる。
印象的なところで言えば、彼は技術的なことはさっぱりなので、ゼロワンのシステムに関してはほとんど他人を信頼して任せている。唯阿から貰ったフリージングベアーや、イズが持ってくるシャイニングホッパーを始めとしたキー、不破のアサルトグリップなど、彼はとにかく貰った力で戦うことが多い。戦闘においてもイズとゼアの分析を頼りにしている。例えば永夢は心療内科担当ではないのに患者の精神的ストレスに対処しようとする。これは、まぁ「人を助けたい」という気持ち自体は否定しないまでも、本当に救いたいのなら専門家に任せた方が良いのではという側面がある。或人は場合にも寄るが、割と人任せにすることが多いような気がする。またマギア化したら直す術はないという話も真に受け、苦悩の末に(しないこともあるが)壊すことを納得している。
対して今度は頑固で諦めの悪い部分だが、一番はやはり「ヒューマギアを信じたい」ところだろう。滅亡迅雷の2人がヒューマギアであること知り、ましろちゃんが白衣の天使からマギアに堕ちる様を目の当たりにしても、それはそれとして受け入れながらも「全体としてヒューマギアはいいものである」という結論を変えない。
よく彼は人間とヒューマギアどちらの味方なのかと言われることがあるが、あくまで「ヒューマギアは(自我を持ったとしても)人間の暮らしを豊かにする存在として素晴らしい、と信じたい」なので、どちらも尊重している(少なくともしようとしている)ことになる。
・善悪両面性
マキャヴェリズムという言葉はクウガについて何度か使ったように、意味としては「正しい目的のためなら手段を選ばない」みたいなものだ。或人はそういう側面がある。
隠されたデイブレイクの真実を知るため、また社員であるアンナのため、立入禁止とされているデイブレイクタウンに赴いたり、最初は咎めていたものの、次第に其雄と重ねてセイネの違反を(多澤の心の支えとして)容認したり、暗殺ヒューマギア事件の真相を掴むために警察の捜査を撹乱したことなどが、それにあたる。コービーが立入禁止の体育館で練習していたときにはきちんと正規の場所を用意してあげていたので、ひょっとすると前者については不破と違って許可を取った可能性もなくはないが、そうなるとアークを破壊しに行かないことに対する説明が難しくなってしまうので微妙なところ。そもそもゼロワンが泳いで戦っているところというのを僕は見たことがない。バイティングシャークも基本は地上戦だしなんなら空中戦はやってたが、水中戦はない。アークは湖の底にあるはずなので、そういう物理的な問題があるのかもしれない。
今挙げたマキャヴェリズムというは動機が善で行為が悪なケースだが、それとは別にもうひとつ、動機が悪で行為が善なこともある。
彼を動かしている根っこは「個人的に恩がある(其雄)からヒューマギアを信じたい」というエゴと言って差し支えないものなのだが、その結果として「人を襲う怪人を倒す」という善行を為す。先述した「戦いを楽しんでいる」というのもこれに当たるかな。
主人公として当然とは言え、マギア討伐回数は16話時点で11体(べローサ,エカル,ネオヒ,ビカリア,オニコ,マンモス,ドードー,ギーガー,ドードー改,迅,アークべローサ)と、頭ひとつ抜けている。
語らずに終われないものとして、ヒューマギアを思いやる気持ちとヒューマギアを壊す行為の矛盾がある。
バルカン,バルキリーと比べて彼が最もヒューマギアを大切にしているはずなのに、最も壊しているというこの問題は、本編内でも「だからこそ、お前を止められるのはただ一人」という逆説によって説明がなされているが、これだけでは少々足りない。何故なら何度も言うように、そのヒューマギアを壊す戦いを"楽しんでいる"のだから。
これを解釈するためには、意味の抑圧という現象を使うことになる。
これは何かに対して勇気が出ないときに使うテクニックで、まぁ簡単に言えば「意味を考えない」ことによって行為に対する抵抗を減らすことだ。
告白する勇気が出ないのなら、メールで文章を書き、後は送信するだけの状態にしておき、ただ"送信ボタンを押す"という目の前のことだけに意識を集中させ、何も考えずに押す。
決して真似をしないよう注意しておきたいが、自◯する勇気がでないのなら、その結果どうなるかはさておき、とにかく目の前にある薬をたくさん"飲む"ことに集中する。
エヴァのシンジがやっていた「目標をセンターに入れてスイッチ」が、イメージ的には近いだろうか。
"実感"から遠ざかることで、人は勇気を出すことができる。
或人の場合、きちんと悩んで「ヒューマギアを壊す」と意識している時と、「目の前の"チャンバラごっこ(演者談)"を楽しむ」ことでストレスから逃げている時とがある。
「本当に悲しんでたら楽しむなんてできるはずがない」と普通の人は思うだろうが、それは逆で、「悲しまないように楽しんでる」のだ。
葬式の場なんかを想像すると、当てはまる心情がいくつか見つかるのではなかろうか。ふと立ち止まったときに悲しみが込み上げてくるから、それを避けたいがためにせかせかと手続きや準備をするのだろうし、その"ふと"した瞬間以外は、存外笑い声が聞こえることもあるだろう。
少なくとも、人間にはそのような心理があるし、或人にはそれを当てはめるだけの材料がなくはない。もちろん、見た目がヒューマギアとは全く別物になっていることもあるしね。
「感情のない機械になれたらどんなに楽だろう」と言ったが、このくらいのレベルにおいては、実際に感情を殺して楽をするということは起きている。

・主な言動
ゲストヒューマギアへの対応
 面識あったが戦った
マモル ジーペン セイネ(バルキリー) コービー エンジ 雷電(バルカン) 迅 滅(バルカン)
 よく知らないままに戦った
腹筋崩壊太郎 オクレル(バルカン) シザーメンズ バース タクシー運転手 ギーガー 暗殺ちゃん
 戦ってない
ニギロー(バルキリー) ましろ(バルカン)
 暴走してない
アンナ(滅) ワズ

 1話
笑いは理解できないでしょ
人の夢ってのはなぁ、検索すればわかるようなそんな単純なものじゃねぇんだよ
芸人を諦め、社長に
 2話
正体を隠す
ヒューマギアのおかげで、今の俺がある
ヒューマギアは人の暮らしを豊かにする、夢のマシン
 3話
せっかく大将と分かりあえたのに、壊せるかよ!
(作り直せばいいと言われ)そう簡単に割り切れるかよ! ヒューマギアは人間と心を通わせるパートナーだ! 道具じゃない!
 4話
飛電の社長として誓う。隠し事なんて、俺はしない。ヒューマギアが夢のマシンだってことを、証明してみせる!
 5話
だけどヒューマギアは奴隷じゃない! やる気のない人が使っても、それはただの金儲けの道具でしかない
先生にはもう情熱がないじゃん。ヒューマギアに助けてほしいんじゃなくて、怠けてるだけだと思うんだよね
 6話
セイネを容認
親が子供を守るのは当たり前のことだろ! 子供のためなら死んでも構わない。そう思うのが、親なんだよ!(飛電の社長としてヒューマギアを守るのも同様?)
 7話
熱血教師なの?
職員用体育館を貸す
コービーの自我は素晴らしいものじゃないか
俺は何度でも信じたい。ヒューマギアは人間をサポートする、夢のマシンだ
 8話
ラボは秘密 「悪いこと」じゃないから隠しても良い?
ましろちゃんの仕事は人の命を救うことだ、危害を加えるなんてありえない
滅亡迅雷がヒューマギアだと知る
 9話
人間の暮らしを豊かにする存在だ
どうすれば…… いいヒューマギアだってたくさんいる 全員に悪意が芽生えるとは思えない
やっぱ社長の俺がブレちゃいけねえよな! 例え世界中に嫌われても、社長の俺があいつらヒューマギアを信じてやらなくてどうするんだ!
勝ち目がなくてもギーガーに立ち向かう
 10,11話
接する人によって変わっていきます
心を込めて向き合えば、答えてくれる
それって、人と人とのぶつかり合いと一緒
 12話
其雄と同じ旧型のワズを信じる
だが、重要な局面ではイズ(新型)を信頼しシャイニングホッパーを使用
 13話
俺みたいなダメなやつを支えてくれた
滅亡迅雷、手を組むなんて調子のいいこと言うな!
或人にとってはイズじゃなきゃ駄目だから、ワズはイズを守った 或人のイズを思う気持ち
ワズが命をかけてつくった
社長として頑張る
 14話
滅亡迅雷を倒すためにアジトへ
不破にオーソライズバスターを貸す
 15話
ヒューマギアは、雷電も家族だ
壊れたら終わりなんて言うなよ
イズを直さないと! 代わりなんていない!
滅亡迅雷は必ず撲滅するから、解任は少し待ってくれ
イズが心配だけど戦いに行く
人類を滅亡させたいのは分かった、ならヒューマギアはどうなんだ 同じヒューマギアでさえも利用してるじゃないか、そんなの友達なんかじゃない!
 16話
人間が何をしたって言うんだ そんなの知らないよ 良くも悪くも、ラーニングの影響をもろに受ける
いつか、人間とヒューマギアが笑い合える日が来ると良いな
責任を取って、きっちり滅亡迅雷を壊滅させてから辞めようとする


 イズ

・主な言行
或人の真似
バックアップ
漫画回、情熱
ワズ


 不破諫

・主な言行
襲われたから人類の敵だ
親父さんは悪くない アンナを確保
人間の尊厳
自我だと? 危険だな
頼りすぎるのは危険、気持ち悪い
滅にやられる、2つの記憶
自分の信じるものの為に戦う
唯阿と戦う時は、俺が勝つ
或人越しにワズを信じる
俺に必要なのは怒りだ!
滅亡迅雷を倒せるなら死んでもいい
鉄の塊じゃねぇか


 刃唯阿


 滅

 迅

 暗殺ちゃん

 天津垓

 福添トリオ

 ゲスト

 

 

設定

 

ゼロワン感想一覧

仮面ライダーゼロワン 第1話「オレが社長で仮面ライダー」 感想

仮面ライダーゼロワン 第2話「AIなアイツは敵?味方?」 感想

仮面ライダーゼロワン 第3話「ソノ男、寿司職人」 感想

仮面ライダーゼロワン 第4話「バスガイドは見た! アンナ真実」 感想

仮面ライダーゼロワン 第5話「カレの情熱まんが道」 感想

仮面ライダーゼロワン 第6話「アナタの声が聞きたい」 感想

仮面ライダーゼロワン 第7話「ワタシは熱血ヒューマギア先生!」 感想

仮面ライダーゼロワン 第8話「ココからが滅びの始まり」 感想

仮面ライダーゼロワン 第9話「ソノ生命、預かります」 感想

仮面ライダーゼロワン 第10話「オレは俳優、大和田伸也」 感想

仮面ライダーゼロワン 第11話「カメラを止めるな、アイツを止めろ!」 感想 

仮面ライダーゼロワン 第12話「アノ名探偵がやってきた」 感想

仮面ライダーゼロワン 第13話「ワタシの仕事は社長秘書」 感想

仮面ライダーゼロワン 第14話「オレたち宇宙飛行士ブラザーズ!」 感想

仮面ライダーゼロワン 第15話「ソレゾレの終わり」 感想

仮面ライダーゼロワン 第16話「コレがZAIAの夜明け」 感想