やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第15話「ソレゾレの終わり」 感想

キャラクター

 飛電或人
・或人がまともかどうかはさておき、福添がまともってのもだいぶおかしいと思うけどな。山下は立場上あぁ言ってたけど、自社の利益のためにヒューマギア暴走の事実を隠蔽したりする方針で完全にうまく行くと思ってるのか? それはそれで社会正義に反しているという点で不満を覚える社員が出てきてもおかしくはない(特に、実際或人の方針でここまでなんとかやってこれてることからも、自分たちの利益より社会正義を重んじる社員が多いと想像することすら不可能ではない)ので、内部告発のリスクもあれば普通に隠し通せなくなって余計印象悪くなることも考えられる。
「或人は会社の利益じゃなくより広い視点での利益を選択してるって言うけど、身内贔屓なとこもあって矛盾してるよね」というのも最もだけれど、それは身内であるイズ(や或人)を切り捨てようとしてる福添も同じこと。どっちもどっちだよ。
福添が指揮とってれば根本的にマギア化を防げますってんなら話は別だけど、そうじゃないなら誰がどうやったって飛電はいずれ落ちて当然だよ。もしゼロワンとして社長自ら対処してることを公表してるのであれば、むしろ交代する方がまずい気もする。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第13話「ワタシの仕事は社長秘書」 感想)

・今回イズを直そうとすんのはこれまでのヒューマギアを壊してきたことと何も干渉しないでしょ。マギアは元に戻らんらしいけど今回は別にそうじゃないんだから。迅も明らかにハッキングじゃなく攻撃を目的にしていたし。

・ギャグ披露の前後で感情の落差が大きいことに苦言を呈してる人も見かけたけれど、あのギャグは「イズを助けたいと思うのは素晴らしい」という意味なので、その後の「イズが助からなかったらどうしよう」と全く別の感情ではないのよね。むしろ根本は同じ「イズ大好き」でブレてない。ブレてるとするならむしろその後のゼロワンとしての出撃で、これはイズが心配な気持ちを抑えて人々を守るため判断をしている訳なので悪いことじゃない。敵討ち……って感じでもなかったしな。
本人も「俺が悪い」と言ってたように、あれが果たして"スバルらしい"のかどうかは微妙なとこだけども。ギャグを成立させるために現実の方を改変するの、意外とあるあるだよね。
適当な料理を前にして「これはまずいだろ」のフリがあったら、そんなでもなくても「めちゃくちゃうまい」と言うのが芸人。或いは「まずい! うまいってフリじゃないのか!」とするか。
・完全にこれまで積み上げてきた不破との関係が功を奏してパワーアップする流れだと思いこんでたけど、全くそんなことはなく、普通に落ちてたのを拾ったね。度肝を抜かれた。確かに見え見えの展開ではあるし、ありがちな上に去年もトリニティでやってる。平成のまとめでは「友達っていいよね」って話をやったから、令和では「力こそ正義」を押してくんだろうか。僕は虚無主義は嫌いじゃないがドラマにして面白いもんだとは思わないよ。まぁ、だからこそそれをやる作品が少ないから珍しくて逆に面白いという側面はあるけど。
基本的には、虚無主義が視聴者を満足させられるはずないもの。

 

 イズ
・彼女はある種典型的な意味で、"ポンコツさ"が魅力に直結しているタイプのキャラクターのように見える。似たような話は"人が嫌われる理由"と題して昨日のポケモン感想でもしたね。「ハザードみたいな暴走するフォームが好き」なんて人がいるのと同じ。

(参考:ポケットモンスター(2019) 第4話「行くぜガラル地方! ヒバニーとの出会い!!」 感想)
僕は別に特別好きだとは感じないけれど、「ポンコツでもいいじゃない」というメッセージ自体はまぁまぁ好き。イズは結構走ってるので、ポンコツなりに頑張ってるような印象もあるし。
全然関係ないけど、うちの書庫に『ロボットポンコッツ』って漫画があったなぁ。タンサンが好きだった。
・戦えないのにのこのこ出てきて犠牲になって……馬鹿じゃんという気持ちは分かる。僕も一昨年、エボルドライバーを奪われた美空に対して似たようなことを言ったっけな。「父親にショックを受けて奪われるのは仕方ないとしても、なんでお前が出しゃばって首相の送迎やってんだ」と。
でもまぁ、イズが戦いの場にいること自体はいつも或人に(あんまり役に立ってるイメージはないが)戦闘の指示をしている描写からそれほど不自然なことではなくて、襲われた理由である「同じピューマギアである滅が倒れたのに喜ぶ」ということにも不自然さはない。ところでピューマギアって誤字なんか笑えるから直さないどこ。
……要するに、この場で不自然さを感じられるのは視聴者だけなんだよね。「それまで"画面内"にいなかったのに突然出てきてやられた」ことに対する違和感でしかない訳で。
視聴者のためを思うなら何かクッションになるシーンを入れることは尺のことを考えなければそう難しいことではないはずなんだけれどそれを敢えてしないというのは、或人が自分の個人情報を気にしていたことや前回の突然キレる不破と同じで、開き直り的な清々しさを感じる。
どんなに取り繕っても結局「イズがピンチになる」という結論ありきなことは変わらないだろうし、作者という立場を長らくやっていれば、そういう虚無主義的な気持ちになるのも分かる。
でもじゃあそこを省いたぶん今回は何に注力してたんだ? というのは重要な部分なんだけれども……そこに納得いくかはそれこそ人それぞれだろうね。僕はもはやこの程度の雑さじゃ怒りを覚えないので、シャイニングアサルトホッパー変身シーンの神々しさは良かったなとだけ思うよ。釣り合わせるべきマイナスポイントがないので話にならないけど。

・あまり関係ないけど、イズのアレが雑だって言う奴はこれまでそんな素振り見せなかったのに急に音楽に詳しい(革命の曲名だけならともかく楽譜まで詳細に覚えてた)ことが発覚した一条さんの描写にも雑って言えよな。

割とマジで、ゼロワンとクウガはある部分で通ずるところがあると思ってる。
「ともかく"こう"なんだよ」と押し付けられるイメージ。

クウガはバックグラウンドできちんとシミュレーションされてるのかもしれないが、視聴者にはその途中式は公開されないので結局「作者への信頼」の上に成り立ってる。

(参考:ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想)

 

 滅亡迅雷
・墓ねぇ。正直、僕は祖父が死んでも我ながらびっくりするぐらい何も感じなかったのよね。そもそもそんなに関わる方じゃなかったというのもあるし、脳卒中で倒れてからは病院でずっと寝たきりだったので「いない」ことが普通だったし。
まだ生きてはいる頃にお見舞いへ行った際は、ストレスで何度か倒れそうになったり(おそらく血管迷走神経が云々ってやつ)とかしたんだけれど、祖父への個人的な思いというよりは"病気"だとか"死"に対する恐怖からというのが大きかったように思う。無意識ではどうか知らないけれど。
死んだ後も、葬式とか墓参りとか、まぁ面倒だとまでは言わないけども「これは何のためにやってるんだ?」と問いただしたい程度には共感できなかった。土の中に埋めることが故人を偲ぶこととは直接繋がらないように思うし、むしろ埋葬のルーツって「怖いから復活しないでくれ」って気持ちじゃなかったっけ。
「みんなやってるから」なんて理由で高い金出してやることにはあまり思えない。少なくとも僕は自分の大切な人にそんな無駄遣いをして欲しくはない。
でもまぁ、"家族"じゃなく"大切な人"が死んだとしたら、どうしたらいいのか分からなくなる気持ちは理解できなくもない。別に死んだからと言って何かをしなくちゃいけないなんてことはないはずなんだけれど、じっとしてはいられないような気はする。まだそんな経験したことないかは分かんないけど、好きな人に死にたいって言われた時とか、母さんが一家心中を計ってたと知った時とかは、少なくともそうなった。
そういう理屈(正しさ)で割り切れない部分というのは、ひとつ重要なテーマかな。
・逆に滅の言ってたような「計画通りに使命を果たして死んだのだ」という合理化は、これと食い合わせが悪い。
意味ある死と、無意味な生。
無意味な死と、意味ある生。
なんの意味もなく生きて死んだら駄目なのか?
この世に神様がいて、何らかの目的の元に筋書きを決めていたとして、その役に立てていなかったとしたら。
僕の父や育ての母は極端な運命論者で、「病気になったり事故に遭ったりするのは必ずそれに値する悪さをしているから」と、割と本気で信じている。そしてその善悪の基準は神様にあり、例えば「神様が応援している企業の商品を買う」ことが良いことなのだそうだ。当然その教えを布教している団体の会社は神様が応援していることになっているので、何かにつけて関連商品を買うし、他人にもすすめる。
それに従うことだけが本当に意味あることなのか?
或いは、受け手に媚を売り好かれることだけがキャラクターにとってのすべてなのか。
……などと言わなければならないということは、僕個人としては今回あまり気に食わなかったということなんですけれどもね。
僕はぶっちゃけ、AIはただAIのままでいればいいと思うし、作品はシンクロニシティ的に色んな要素が"繋がる"面白さがある方が好き。悪いやつ(少なくともその作品のテーマにそぐわないやつ)が死ぬなどの痛い目にあうのも度が過ぎなければいい。
・滅が「迅……!」って一瞬取り乱した後に冷静になる描写、良かった。理性の対としての感情の役割って「即座に対処しなければいけない時のためのもの」なイメージが強いので、人間の何倍ものスピードで思考できるならばそれだけ感情の必要性というのは薄れていく。
逆に或人がその機能をあんまり使ってない(ように見えるだけかもしれないが)のは感情があるが故に「この件はよく考えなくていいや」と即座に判断しているからとも言える。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)
・滅を迅を守ったということは、「守らなきゃいけないほど弱い」ということになる。覚醒ってのがなんなのかはよく分からんが、なにくそ精神で強くなったんだろうか。
・アサルトウルフキー拾う素振りがなかったね。雷と滅を倒した憎きアイテムだからだろうかね。

 

 

設定

・其雄が法律違反ってのも、そもそも或人は法律に関係なく「あまり問題ない」という立場だし、法律と違う信念を持ってたら悪いなんてことはない。法律は法律のやりたいようにやってるだけで、「問題が起こったら面倒だからそもそも似せること自体禁止」にしてるだけであって。
そもそも其雄制作当時にその法が整備されていたとも限らない。遡及処罰(まだ違法とされていなかった時期の行動に罰を与えること)は現実世界同様に禁止されていておかしくない。
「映画の録画録音を防ぐために携帯電話は使用禁止」と同じで、少なくとも或人にとっては、似せたヒューマギアをつくること自体は問題ではない。「信号無視は法律違反かもしれないけど、明らかに車が通ってないんだから本来の目的である安全は守られてるしいいよね」とも似ている。

・今更ギーガーのセキュリティがガバガバとか言ってる人は流石に話ちゃんと見てないでしょ。ここまで来て天津のマッチポンプ以外の選択肢ある? セキュリティとかそういう話ではもう既にないよ。
まぁ、人を見る目という意味でのセキュリティ(警戒心)はどうなんだってことだけれどね。飛電も A.I.M.S. も、ZAIAを信用してしまったという点は甘いと言えるかもしれない。世論的には「それでもやっぱり騙す方が悪い」「セカンドレイプ反対」の方が強い印象なのであんまり言わないでおくけど。

 

 

「血液型なんかで人の性格は分かるはずがない。人はたった4種類には分けられない」「昔から少女漫画読んでても『こんな男子はいない』って思ってしまう」と漏らす人を、「頭いいんだね。私なんてもの見てて否定しようなんて思わないもん。ただなんとなく『あーそうなんだー』って見てるだけ」と褒めちぎる人がいた。
これは極端な例だけれども、ただ否定することが頭のいいことなのか?
本当に血液と性格に連関があるかどうかはともかく、そうやって理由付けすることで心の平穏を保てる人がいるのは事実だし、少女漫画だって楽しんでる人は普通にいる。僕も小さい頃ミルモとかちびデビとか見てたしな。
自分の視点からしか物事を見られないなら見られないで、そのぶん深く思索してないと僕には「頭いい」とは思えない。

 

前話

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映画

ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想(ネタバレなし)

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想