やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第9話「ソノ生命、預かります」 感想

キャラクター

 飛電或人
・前回だけど、不破が滅にやられるシーンに或人が間に合わなかった理由って、よく見ると暗殺ちゃんと戦ってたからじゃないのよね。
滅はあの場でドードーゼツメライズキーを回収しに来ているからさ。
わざと不破たちを放置したんでなければ、場所が分からず探し回っていたとか、或いは残りのトリロバイトマギアと戦っていたという補完が必要。
・「命を奪うやつが、足を踏み入れていい場所じゃない!」
僕はスーパー自意識過剰マンなので、僕への当てつけに見えた。『エグゼイド』の永夢が「(ここは病院です。〜)命の大切さが分からない人が、いていい場所じゃない」と言ったことに対して、僕は自殺未遂者の入院とかを全否定してるんじゃないかって批判したのよね。それに対して、「この表現ならどうだ?」って言われてる気がした。
一応理屈で言えば、犯罪者(殺人犯)だろうと怪我や病気を治してもらう権利くらいはあるはず。なので、文脈を度外視すれば、やはりこれもかなりおかしな発言ではある。
だって、ただ普通に「行かせない、命は奪わせない」できちんと意味は成立するから、わざわざこんなスレスレなこと言わせる意味がない。
エグゼイド当時僕は勘違いしていたが、別に永夢も或人も"正義や善の具現者"ではないので、おかしなこと言ってもいいんだけどね。
・これまでは「ヒューマギアはあくまですべて夢のマシンであって、マギアは滅亡迅雷の仕業でもはやヒューマギアとは呼べないから別モノ」として捉えてる可能性があったけど、今回きちんと"ヒューマギア"が悪意を抱く危険性を認識するステップがあってよかった。その上できちんと「全員に悪意が芽生えるとは思えない」という妥協案に辿り着いていて、1話のことといい或人は現実を受け入れる姿勢が比較的あって、そこは好き。根拠がないことも自覚しているようだし。エグゼイドでは一貫して主人公の歪みに劇中では言及しないスタンスだったけど、そこからきちんと踏み込んで発展した話づくりになっている。これこそ僕のようなアンチの功績だ、なんて言うのは冗談だが。
一応後付けで根拠(オミゴト)も付加されてるしね。ここの前後関係が逆だと、結局「或人が正しい」という話になってしまう。例え根拠がなくても或人はそういう判断をした、というのが重要。…………まぁアンナがいるんだけどね。
・バイクと違って、車は大勢の人を乗せられるのが強みだよね。でもドライブのトライドロンは2人乗りのスポーツカーで、乗れる人数はバイクと変わりない。何より2人乗りすらしてるイメージそんなにない。車の持つ「他者との繋がり」的な側面はほとんどなく、ただの"でかいバイク"に収まってる印象があるんだよね。リアタイ以降見返してないから記憶にあんま自信ないけど。車を"ステータス"として捉える向きがあるが、そういう"自分の拡張させるもの"って感じ。
そのトライドロンと、エグゼイドに出てきたマキシマムゲーマーと並んで、今回のブレイキングマンモスは「肥大化した自己」的な心象を抱かせる。今回は根拠がなくてもヒューマギアを信じるという或人の、謂わばそれこそ独善性みたいなものが強調された回なので、非常にマッチしている。自覚的にやってるんだなって安心して見られる。
・ブレイキングマンモスがギーガーと違うのは、プログライズキーが挿さってることと操縦者がいるかどうかという点なんだけれど、前者の意味を読み解くにはもう少しアーク絡みの情報が欲しいな。後者は簡単で、"意志の位置"についてのことだろう。滅亡迅雷はアークという離れたところにある自分ではない者の意志に従っていて、それは暴走ギーガーも同じ。対して或人とブレイキングマンモスは一体化している。

 

 不破諫
・これからどうするんだろうね、アイデンティティ消えたけど。頑固過ぎるよりはいいと思うが、こいつをどう料理するのかは見物だな。

 

 刃唯阿
・不破のこと心配するの、なんか意外だった。実験台として使っておきながらも、なんだかんだ仕事でいつも一緒にいたら多少は情が移るか。そういう面もある、で片付くかな。
・「マンモスのゼツメライズキーだ。ギーガーとの関係も深いはずだ」
正直意味が分からない。視聴者は情報解禁でブレイキングマンモスとギーガーとマンモスゼツメライズキーを紐付けられるけど、唯阿にその発想はない。マンモスゼツメライズキーは迅がコービーに渡したものを唯阿が拾っただけで、ギーガーとは無関係だ。
僕に考えられる可能性としては、「チェス男にそう教えられた」「ギーガーのデザインがマンモスっぽいのでなんかそんな気がした」の2つくらいだろうか。
前者なら敵の技術に詳しいチェス男に不信感を覚えないのかとも思うが、まぁ僕もバイトやってて上司の言うことには「きっと何か僕の知らん筋が通ってるんだろうな。というかそう信じないと仕事できないし金もらえないからな」で済ませてるし、やいやい言えん。

 

 滅亡迅雷
・「人間どもの制御から解放された時、ヒューマギアは人類と袂を分かつ」
滅も或人や不破と同じく、大した根拠もなく極端な信念を持ってるみたいね。
話を聞いてる限りでは、今回の滅亡迅雷によるハッキングは"ゼアからの解放"というだけで、滅亡迅雷.netに接続(アークの意志のままに動くようになる)はどうやらしてなさそう。これはギーガーが特殊なのか、そもそもトリロバイトマギアというのがそういうものだった(アンナも悪意を抱かなかった一人)ということなのか分からんけど。
とりあえず後者の仮定に沿って整理すると、シンギュラリティに達したヒューマギアはゼアの制御から解放されいずれ自我を持ち、善意も悪意も持ち得る。そして他のヒューマギアに接続しゼアの制御から解放することもできるようになる。
滅亡迅雷は自然発生的に制御から解放された個体をアークに接続し、意のままに操る(この時点でそのヒューマギアの自我はおそらくリセットされている)。そしてトリロバイトは偶然これまで画面内にいた奴らの殆どが奴隷として使われていたことに憤り人間を襲い始めただけであって、彼らはリセットされず自分たちの意志で行動している。ということになるのかな?
4話でトリロバイト達がデイブレイクタウンに集まってきたのは滅が説得したのか、それとも触手ハッキングによって通常は意志のリセットがされるが、たまにバグってうまくいかない(アンナ,オミゴト)ことがあるだけなのか。
とりあえず、今回意見を変えたと言っても過言ではない不破の代わりに、今度は滅が「ヒューマギアは(みな)人間に悪意を抱く」という或人と対になる信念を引き継いだかたちとなる。それを危険と捉えてるのが不破で、良いことと捉えてるのが滅という違いはあるけれど。
・不破が前回「AIに頼り過ぎるのは危険だ」などと言っていたが、心理学で言うところの"移行"の話を思い出した。
ざっくり説明すると、生まれたばかりの赤ちゃんは何もできないので、親が身の回りのことをすべてやってあげる。お腹が空いたと思えばご飯を持ってきてくれるし、寂しくなれば抱いてもらえるし、汚物も綺麗にしてもらえる。
すると赤ちゃんは親のことを自分の一部であると錯覚する。どういうことかというと、僕らが普段「お腹が空いたから自分の右手であそこにあるハンバーガーを取って食べよう」と思うのと同じレベルで、「親に取ってきてもらおう」と思うということ。すなわち親のことを自分の手足だと思い込む訳だ。
しかし赤ちゃんが成長して自分で色々なことができるようになってくると、親はそういったことをいちいちやってくれなくなるし、抱っこしてと言ってもしてもらえなくなる。
これに寂しさを覚える子供はその現実を乗り越えるために、意志のある親と違って「自分の都合を押し付けられるモノ」として、ぬいぐるみや毛布を好むようになるという。この親からモノへの対象の変化を"移行"と呼ぶ。
手が自分の一部でありながら道具であるのと同様に、例えば長い棒は高いところのものを取るときに使えば自らの手を拡張するパーツとなる。これは手と違って容易に着脱可能である。服やスマホなどもこれにあたる。
そしてその最極端がヒューマギア(極めて人に近いがモノとして扱えるもの)であり、移行対象としては都合の良いことこの上ない。疲れないし面倒くさがらない。
人間を相手にした自己との同一視(さっき言った自分の手足だと思うこと)が錯覚であるように、モノに対する同一視もまた錯覚なのかもしれず、人は親と同じくモノからも自立しなければならない、ということを示唆しているように感じた。
トイ・ストーリー』とか、そういう視点で見るときっと面白いよね。

 

 

設定

・あー、人間(少なくともほぼ最先端であろう飛電の技術)を超えない限りヒューマギアに自我は有り得ないということで、自我とシンギュラリティが関連付けられてるのか。
その仮定のもとでは、飛電は少なくとも体裁としてはヒューマギアが自我を持つことを認めていないことになる。未必の故意(わざと自我を持たせはしないが、芽生える余地はあると認識している)程度の気持ちかもしれない。
・プログライズキーやアタッシュウェポンが共通型なのは、普通にZAIAと共同でやってた頃の名残で済む話だと思う。滅カラーなのもチェス男が噛んでるとすれば別におかしくはない。
まぁまだチェス男がZAIAと直接繋がってる根拠は A.I.M.S. の装備をつくってるってツテしかないんだけど、十中八九そういうことになるだろうと思う。
・ZAIAという社名の由来はなんだろね。飛電はどう見てもHidden Intelligence(隠された知能)だろうけど。ひっくり返してAI A(to)Zとか? 意味は微妙によく分からんが、AIを完全にコントロール下に置きたいみたいなニュアンスを感じなくもない。というかそう解釈すれば後々黒幕か何かになったとき、"仮面ライダーの敵"としてしっくりくる。
逆にひっくり返さずIAという部分に目を向けると、Intelligence Amplifiction(知能増幅)という意味にも取れる。これはさっきの飛電と組み合わせると、よくいう「人間は脳の10%しか使っていない」みたいな話を想起する。
実際にそんな事実があるかどうかはそんなに関係なくて、人がそれに良いか悪いかはともかく何かを感じ、これほどまでに広まっていることがひとつ重要なことであり、こういうものはフィクションにおける"説得力"をもたらす。
Wikiにあるような"科学的"な反論もまた人が説得力を感じるひとつの要素ではあるが、僕にはどちらも理屈より先に、「人間にはまだ可能性がある」という楽観的な考えと「そんな都合のいい話はない」という悲観的な考えがあるように思えるので、どちらの肩を持つつもりもないのだが、この構図はなんとなく或人と不破に被るものもあるので、劇中で扱われる可能性もあるように思う。
ZAIAがヒューマギアを完全に道具として見做し人間の拡張パーツとしてしか見ていないのに対して、飛電はシンギュラリティに達したAIに人間が負けじと努力することで切磋琢磨し合うことで共に進化することが理想……みたいなズレがあったのかもしれない。
・ヒューマギアの共通デザインとして耳にヘッドホンみたいなものが付いてることが挙げられるが、ヘッドホンというのは人間で言うと「人の話を聞いてない(別の音を聞いている)」ことを意味するので、その辺に何か絡んだ意図があるのだろうか。
トリロバイトなんかは特に、顔全体にシャッターまで落とされて外部からの情報をシャットアウトしている印象がある。
機械でShutと言えばShutdownが浮かぶけれど……この話はこれ以上広げられそうにないな。downの逆でShut upだと「黙れ」でよく使われてるけど、あれはなるほど「口を閉じろ」って意味なのね。
同じくup down繋がりだと、フォースライダーがBreak down(壊す)で魔進チェイサーがBreak up(解体する)だったな。
英語のこういう単語って捉えどころがよく分からんくて難しい。

 

 

人間にとって都合がいいことが"善意"なのかどうか、みたいな答えの出ない問いかけもいいけれど、もうそれは既にやり尽くされてる部分もあるので、「ゼーンのイシ」みたいなギャグこそが最高に面白い。やっぱゼロワンはこうでなくちゃな。

 

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