やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第33話「夢がソンナに大事なのか?」 感想

キャラクター

 飛電或人
・発言権
新章に入ってからというものマギアやレイダーのような新規怪人も出てこず、サウザーかバトルレイダーかといった様子で毎回毎回同じ敵と戦っていて、正直見栄え的にはあまり面白くない。エグゼイドやビルドの時は僕も、主に黎斗やネビュラスチーム組について「変身アイテムを取り上げればいいのに」と漏らした記憶がある。
だがことゼロワンにおいては、変身アイテムは"権利"を象徴するファクターとして押し出されているきらいがある。それが最も顕著に出ていたのは、やはり『令ジェネ』だ。其雄は人間がヒューマギアを、またヒューマギアが人間(少なくとも或人)を、"一方的に"抑圧することを良しとしなかった。どちらかが有無を言わせず従わせるのではなく、対等な舞台で殴り合うなり話し合うなりして決着をつけるべきだとの考えから、彼は仮面ライダーシステムを始めとした"戦う力"を生み出した。おそらくヒューマギアは、コービーの回で出てきた強制終了ボタンのようなものによって基本的に人間に命を握られている。そんなヒューマギアが人間の命を握り返し対等に立つための道具が、フォースライザーやゼツメライザーだ。そして更にそれに立ち向かう為の人間のための道具が、ショットライザーやレイドライザーということになる。
こうして互いに銃口を突き付け合い、拮抗状態が生まれると、そこには"話し合い"の生まれる余地ができる。
力を持たない者は一方的に殺されるか、それを恐れて従うしかない。そういう訳で、変身アイテムは彼らの意見が黙殺されないための、権利の象徴なのだ。
或人がそれに自覚的であるかは微妙なところだが、彼らから変身アイテムを奪わないことは、彼らの発言権を認めていることを意味する。これまでは彼が天津の目的を否定することに対して、単に「"夢"という表現を用いないから」というレトリカルな話なのかとも思っていたが、今回明確に天津もまた"夢"を追っている一人であることが、これまでも是之助への思いなどにその端緒はあったが、明言された。或人は彼の発言を聞いた上で、自分と折り合えないから戦いの結果で白黒つけるのだ。自分の意見を拳に乗せて振るうことは、広義のコミュニケーションとして「自分はこう思う」という主張の意味を持つ。と同時に、相手の拳を受けることでその意見もまた自分に伝わる。不破と唯阿もそうだが、そうやって拳を交えるうちに相手の意見にも理があると感じることは有り得る。怪我をさせて脅す、或いは命を奪うことによって黙らせるためではなく、分かり合うための戦い。
「子供には危ないから包丁も火も使わせない」という時期は、いずれ終わる。リスクを承知で、保護下で練習したりすることによって、人は少しずつ進歩していくのだ。
自由を奪うことは容易いが、敢えてそれをしないのは"強さ"だ。ヒューマギアは暴走するからと言って、改善の可能性を諦め即座に廃棄してよいのか。天津は現状人を傷付ける可能性があるからと言って、更生の可能性を無視して黙らせればそれでいいのか。剣崎が、放っておけば人を滅ぼすジョーカーを、封印すればいいのにわざわざ自分の身を犠牲にしてまで守ったように、暴走したヒューマギアやサウザーはゼロワンが止める。暴走したゼロワンはバルカン達が止める(メタルクラスタの件のように)。ヒューマギアも天津も或人も悪意に満ちた人間も、全部消してしまえばそりゃあ平穏この上ないだろうが、そのような引き算ではなく、互いが互いのストッパーとなるような"足し算"での対処。この考え方は、究極的には生命の盲目的本質に突き当たる。虚無的な平和か、存在的な混沌か……。

(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想


 不破諫
・砂上の楼閣
不破がヒューマギアに襲われたのは嘘だということが明かされたが、どうやらプロジェクト・サウザーにおいても、彼にとってもうひとつの行動指針となっていた出来事が虚構であったと語られたらしい。
作劇の手法としては『ビューティフル・マインド』とかなり近く、SR(代替現実)的な構造を使って我々の認識の確実性を脅かしてくる。
不破にとっては初めての衝撃かもしれないが、我々視聴者にとっては、或人の夢もまた幻想の上に立つものであることを知っている。其雄が夢見たのはあくまで「俺が笑い、或人が笑う世界」であって、或人の「人間とヒューマギアが共に笑える世界を夢見てた」という解釈は、端的に言って勘違いである。彼は理性的道徳の問題として「誰かが一方的に抑圧されることはあってはならない」と考えていたが、それと「人間とヒューマギア共に笑いたい」と願っていたかどうかは、また少し別の話だ。彼の目論見である戦い合う世界では、共に笑い合うことは難しい。だが或人とだけは、そうありたいと願った。そしてそれを拡大解釈したことによって、「其雄の後継者(模倣)ではない、或人自身の夢」ができあがった。
不破のケースでも同じことだ。例え勘違いでも、それこそが彼のオリジナリティでありアイデンティティとなる。
幼少時の僕はよく母に家から閉め出されていたのだが、夜の3時頃帰宅した父が、僕を一瞥した後に鍵を開け、家に入り、そして鍵を閉めたという記憶がある。今となってはこれが事実なのか夢だったのかはもはや覚えていないのだが、その記憶も一因となって僕が父のことを嫌っているのは、嘘でも夢でもない"現実"だ。
裁判編で結婚詐欺の被害に遭ったと思っていた女性が、実は冤罪だったと知ってもなお、婚活の場において「人間不信」になったことを打ち明けていたことがあった。頭では冤罪だと分かっていても、一度「騙されていたんだ」と感じた記憶が消えてなくなる訳ではない。事件をきっかけに芽生えた不信感は、都合よく消えはしない。記憶は基本的に"足し算"だからだ。
例えば「完璧」という字を間違えて「完壁」と書いてしまい、それを指摘されたとする。その際に「完壁」だと思い込んでいた記憶を消して上書きすることができれば一番いいのだが、人間の脳はそんな風にはできていない。結果として次に書く際「璧と壁、どっちが正しいんだっけ?」と迷ってしまう……そんな経験が誰しもあることだろう。
「嘘」でさえもきちんと積み上がり、矛盾する情報が存在し得るのが、我々の記憶だ。
これを受けて不破の態度は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。だがこれまでの彼の言動が嘘になることはないし、消えることもない。それらをすべて踏まえた上で、その上でのみ、これからの彼は存在できるのだ。
また再起のきっかけとなったのが唯阿への思いであったことも非常に意味深い。ヒューマギアへの憎しみは嘘だったとしても、その結果生まれた唯阿と過ごした日々は、夢を問いながら戦っていた時間も含めて嘘じゃない。絆があるから関わるのではなく、関わっていくから絆が生まれるのだ。必ずしもキャッチーな出来事は必要じゃない。
(参考:仮面ライダーゼロワン 第23話「キミの知能に恋してる!」 感想)

仮面ライダーという夢
意外と難解だったけど、一応分かったと思う。唯阿は彼に対して「仮面ライダーになるべきじゃなかった」と言った。それは「自分のせいで仮面ライダーになったから嘘の記憶まで埋め込まれ、天津の道具として戦う運命を背負わされた」ことを言っているのであって、であるならば不破が仮面ライダーであることというのは「それらを全部受け入れて、なお自分らしく生きること」……そしてそれによって「唯阿がしてきたことは間違いなんかじゃなかったし、気に病む必要はないと証明し続けること」だと受け取るのが妥当だろう。
仮面ライダーという技術」の意味合いを、ネガティブなものからポジティブなものへ変換する。ビルドとも通じてくるし、遡ればショッカーの改造手術にまで行けるだろう。仮面ライダーとは「改造人間になってよかった(≒生まれてきてよかった)」と自分を認める物語なのだという、僕の仮説(初代全話は見てないからね)が正しければ、だが。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)


 刃唯阿
・今から先へ
唯阿の心情というのは、おおよそ分かった。人の役に立ちたいとの思いから技術者の道に入ったが、おそらくヒューマギア台頭の影響もあり、今の会社におけるポジションを捨てることに対して恐怖を抱くようになった。彼女なりに(自分の)先を見据えた上での行動が、あの天津への服従なんだろう。僕は働いてないのであれだが、おそらく多くの大人の方はこの気持ちに共感できるのではなかろうか。今の仕事に不満があっても、再就職先が簡単に見つかるとは限らないし、それよりはなるべく現状を維持することを選びたい。
だが不破をきっかけに保身の気持ちで見えなくなっていた「人のため」という本旨を思い出したと。
科学技術は、より良い暮らしを求める人の思いがあるからこそのものであり、それ単体では大した意味を為さない。知的快感に対する欲求もまた人が与える"意味"だということを考えれば、それはより堅固なものになる。
目標も目的もなく「ただ生きる」為に今の地位を守るのではなく「何のために生きるのか」という生き甲斐,人生の意味を求める。
「思いはテクノロジーを超える」のではなく、正確には「思いはテクノロジーに先立つ」だ。目標がなければ、技術は発展しない。仮説がなければ証明も検証もしようがない。


 ゲスト
・ラブチャン
もしかすると知らない人もいるかもしれないので一応説明しておくと、ラブってのは0を意味するテニス用語。特に片方が1点も取れずに終わったいわゆる完全試合のことを「ラブゲーム」と言う。フランス語で卵を意味するl'œuf(ラフ)が変化したというのが通説らしい。0を卵に見立てたんだと。この辺は今回の(今回でも)テーマとなる"勘違い"と通じるものがあるね。0は卵じゃないけど、卵っぽいというだけでその名を与えられ、そこから更にlove(愛)にまで変化してしまった。不破の夢や信念も、最初はただの勘違いだったかもしれないが、流れゆく中でそれは定着し、不破自身をかたちづくるものとなる。
スパイダーマンの主題歌に『0 GAME』という曲があって、僕はSPYAIRがそこそこ好きなので、たまに聞いてる。実際のloveとかけて、絶対に叶わない恋の曲……なのかな? 曲の歌詞ってあんまり意識して読む方じゃない(楽器のひとつだと思ってる)ので、フィーリングの印象だけど。

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話は逸れていくが、何かの主題歌になってるのを何度か見かけてだいたい気に入るんだけど、積極的に他の曲を探すほどでもない……みたいな距離感のバンドや歌手っているじゃない。そういうのを「好き」と言ってしまっていいものなのかずっと迷ってるのよね。SPYAIR(ハンマーセッション,鉄血)はそのひとつで、他にもNICO(鋼錬,C)やtacica(ナルト,宇宙兄弟)にFLOW(エウレカ,ギアス)なんかもこれに当たる。重複するからいちいち挙げなかったけど、ジャンプアニメ率の高さは、何かそういう"雰囲気"とでも言うべきものがあるのだろうかね。僕の中ではなんとなくこれらは同じカテゴリにいるので、FLOWがハイキューの主題歌を担当するのはいつだろうかとか思ってたら(七つの大罪で黒バスのGRANRODEOとコラボしてたりしたし)、全然知らないところからBURNOUT SYNDROMESが出てきてそっちはそっちで良かったりで、全部追っかけてたらキリがない。
閑話休題、ラブゲームという言葉と「叶う訳のない夢」を合わせて考えると、チャンというのはチャンスなのかな? 調べてみたところチャンさんというテニスコーチもいるらしいけど、圭太くんの諦念が無意識に漏れ出していたと考えるとしっくりくる。
・圭太
彼は1話限りのゲストにしては、いやゲストだからこそかなり目立っていて面白かった。
全部のセリフを言葉通り真に受けて俯瞰して見ると彼の言動というのは無茶苦茶もいいところなんだけれど、流されやすい人間として見るとその場その場ではきちんと筋が通っている。若めとはいえ大人たちに囲まれてラブチャン本人も前にして堂々と「嫌だったから捨てました」とは言い出せず、話を合わせてグランドスラム出場に燃えているフリをする。
そもそもリコール発表までは一応彼の夢(そして母の願い)に付き合っていたらしいことも含めると、やはり彼は与えられたシチュエーションに強く影響される傾向があると見て間違いないだろう。
彼の言動は嘘だらけだが、この世に本当の意味での"嘘"なんてものは存在しない。
「やる気がないからなんて理由で人の見た目をしたヒューマギアを捨てた人情なしと思われたくないから、適当な理由を付けよう。ついでに彼女もいると見栄を張ろう」という気持ちは紛れもない彼の"本心"だし、そこから紡がれる言葉もまた、裏付ける思いのある"本音"だと言える。「コーチとしては尊敬してる」というのも、最終的に彼の夢を応援する程度には本当だったのだろう。
「若く見えますね」という嘘の言葉にも、相手を傷付けまいとする思いやりが詰まっている。例え面倒を避けたいという思いからだったとしても、他にも方法はある中でその言葉をチョイスするというのは、ほんの多少なりとも相手をいい気持ちにしてあげようという気持ちがあるからだと、解釈することができる。

 


見返すことによって理解が深まって面白いなぁとは思えたけど、最後の茶化すような演出で冷めるのだけは変わらんかったわ。唯阿さんの演技に対する違和感も手伝って、盛り上がりきらない感じはどうしてもある。全体的には好きだけどね。

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第32話「ワタシのプライド! 夢のランウェイ」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン 第34話「コレが滅の生きる道」 感想