やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想

こちらはネタバレありの、既に映画を見た方向けの感想となっています。まだ見ていない方や、より抽象的かつ簡潔にテーマについて語る内容をお求めの方は、こちらをどうぞ。

86ma.hatenablog.com

 

キャラクター

 飛電或人
・寝坊していないケースが取り上げられることは(絵面として普通で面白くないから)ないので、寝坊ばかりしている印象になってしまうのはある種仕方のないことなんだけど、一応目覚ましを増やすという対策をしているというフォローがされている。
逆に考えると、13話にて「終了時間は未定です」とのセリフがあることから、遅刻してるのと同等かそれ以上の残業をしている可能性もなくはない。ゼロワンとしての業務も昼夜関係ない(劇中で明確に夜中戦ってる描写はないけど)し、多少は大目に見てもいいのかも。
・それはそうと、開始早々以前と全く同じシチュエーションでバイクを使っているシーンがある。本っ当に面白いよな。「遅刻しそうだけど雷電のことを思い出して使うのをやめておく」みたいな描写にしようと思えば作者には簡単にできてしまうのに、敢えてそれをやらない。
寝坊に共感を示した身としては、これにも共感の意を書いておきたい。人との約束ですら忘れてしまうことってあるのよね。健常者がどうかは知らないが、少なくとも僕はそう。「バイク(関連するもの)を見たら思い出すだろ」と思うかもしれないが、そうとも限らない。パッと思い付く例だと薬の飲み忘れくらいしか出てこないけど、薬自体は目に入ってても、「飲まなきゃ」というところまでは意識に上がってこない。まして遅刻しそうで焦ってる時ならなおさら。
ここからは少しずつ好感度を下げた解釈をしていく。

・バイクを呼び出してから約束を思い出したが、既に地上に降りてきてしまっている以上仕方ない(後でまた謝ればいい)と割り切った
・バイクを呼び出してから約束を思い出したが、『わざわざ衛生に戻さなくていいよ』と言えば万事解決すると思い、割り切った
・バイクを呼び出す前から衛生に戻す必要性に疑問を感じていたので、約束を気にせず呼び出した。『次から気をつける』はその場しのぎ
・約束を守る気はあったが、当の雷電が壊れてもういないので、守る必要を感じなかった

……ちなみに僕が一番に思い付いた解釈は最後ので印象最悪だったんだけれど、僕が思い付く程度のことを制作側が分かっていないとは今の僕は信じていないので、"敢えて"やってるんだと思えばこれくらいのクズさは全然アリ。「お前が父さんをハッキングしてるんじゃないのか!」という衝撃の発言についても同様。
ソウゴの"魔王っぽさ"と同じで、そういうものとして受け入れることで魅力にも転じ得る。僕はその抜き身な言動にゾクゾクしたね。
・其雄が或人の「父さんを笑わせたい」という言葉を曲解したのもそうなんだけど、今作においては勘違いというのがひとつのキーワードになっていて、本来其雄の夢というのはあくまで「自分と或人が笑う世界」でしかないんだけど、或人はそれを「人間とヒューマギアが笑う世界」だと拡大解釈する。これが勘違いであることは、其雄が或人に反対し戦ったという事実から明らかだろう。
この拡大解釈とか勘違いって部分こそが、其雄に直接由来しない"或人由来の夢"という描き方なのよね。 
仮面ライダーに原点も頂点もない」というセリフもある通り、"仮面ライダー"から学び取り受け継いだものはキャラクターによってそれぞれ違うし、勘違いや伝達ミスもたくさんあるかもしれないけど、それこそが仮面ライダー本人ではないそのキャラの"個性"であり"自由意志"なのだと。
例えば王蛇は原典の"仮面ライダー"とは定義も何も違う悪人かもしれないけど、"仮面ライダー王蛇"の原点であり定義であり、正解なんだよね。
同じ仮面ライダーという記号が使われていることを根拠に同じくあることを求めるなら、例えば仮面ライダーも元ネタたる『月光"仮面"』に忠実でなくてはならない。というのは多少無理があるかもしれないが、仮面ライダー自身だって何の背景もなく突如として現れた訳じゃあるまいし、更に遡るべきルーツ,原点があるはずなのだ。……そういえば昆虫は実際に生物史においてそのような存在だと言うような話がテラフォーマーズまことしやかに書かれてたな。まぁそれにしたって結局宇宙から来たなりなんなりという背景があるはずなのだが。
でも、そんな風に過去ばかり見ていてはキリがないので、今目の前にあるものを見ればいい。
月光仮面』を見ずに『仮面ライダー』を見てもいいし、『仮面ライダー』を見ずに『仮面ライダーゼロワン』を見てもいい。
エピソードゼロである本作を見ないままに『ゼロワン』を見てもいいし、『ジオウ』や『ゼロワン』を見たことない人が本作を見てもいい。
それこそが、或人が自分にとっての"仮面ライダー"とは何かを知り、名乗るまでの物語である本作の描こうとしたものだろう。

こちらも参考のこと。

86ma.hatenablog.com・これは完全に聞き流してもらって構わない余談なんだけど、「違う……俺が望んでたのは!」ってところ、時期も相まってクリスマスプレゼントで欲しかったのと違うものを貰った子供みたいだな、と。そうやって感情移入することを想定してたりして。僕も、誕生日やクリスマスで欲しいって言ったものもらえた試しがあんまないんだよなぁ。そもそも何が欲しいか訊かれた記憶もほとんどない。

 

 常磐ソウゴ
・「彼の言う"過去"ってなんなの?」というのは、多分多くの人が思ったことだろう。
僕もじっくり考えてみた。出た答えとしては、「タイムマシンを持っている人にとって過去や未来というのは相対的で、時間移動することで容易に変わってしまうので、"過ぎた過去"というのは実質的には『変えようという気にならない事実≒受け入れられるもの』ということになる」。
ソウゴにとって見れば、或人の苦悩は言ってしまえば他人事なので、受け入れることは容易なのだろう。だから過去認定。でも或人はどうしても納得がいかない様子で、話を聞いてみると「自分のせいで世界がめちゃくちゃになっている」ということだった。そうなってくると話は別で、ソウゴ自身にも似たような経験があって他人事ではないので「そう思うなら(自分の手で)変えればいいんじゃない?」と提案する。まぁ簡単に言えば、「勘違いされてたならこれから正せばいいじゃん」って話。
・それまではただの他人事として聞いていた"歴史"だったけど、努力した結果としてアークの発射を止められなかったという"現実"を目の前にしたら受け入れる気分になった(「手遅れだ」)というのも、分からないではない。
・ゼロワンライドウォッチが欲しくてゼロワンドライバー買った人間なので、ゼロワンアーマーが出てくれたら嬉しいと思っていたんだけど、予想通りというか出なかったね。その代わりと言ってはなんだけど、ゼロワンとのダブルライダーキックの表記が「ライジングタイムブレーク」になってたので、多少満足したかな。前まではジオウがレジェンドに成り代わるかたちだったけど、そうじゃなく並び立って協力するというのは、本編後としては確かに筋が通ってる。
・ラストのソウゴが或人の前に立ちはだかるシーンの意味を理解できてない人って、其雄が或人の前に立ちはだかるシーンのことはどう思ってんだろ。どっちも意味としては同じだと思うんだけど。
違う人間である以上、どこかで意見が食い違うことはある。ディケイド的に言えば、自分を成立させる世界観(宗教観とも言う)もソウゴと或人では根本的に違うので、共存はできない。となれば、戦って白黒つけることになる。
劇場で売ってるパンフレットには奥野さんの解釈も載ってるので、参考にしてみるといいかも。
まぁ、そんな小理屈をこねなくても「戦いたかったから戦った」で悪い理由はないんだけどね。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

 飛電其雄
・全体を通しての話なんだけれど、彼のスタンスというのは一貫して「力こそすべて」の一言に集約されると思っている。意見が食い違ったら殴り合って、それを制したものの意見が正しいという考えの持ち主。
その上で、ヒューマギア(自分)の発言権を確保するための力(サイクロンライザーとフォースライザー,ゼツメライザー)は当然として、それに対して人間(或人)が対抗するための力(ゼロワンドライバーとショットライザー?,フォースライザー?)も同時に用意して、どちらかがどちらかを一方的に抑圧することなく、対等に接するための環境をつくろうとしていたというのが、僕の感じた彼の目的。
以前から"変身"の意味ってなんだろうとぼんやり考えているんだけど、今のところの答えは「戦うという意思表示」なのよね。其雄は、神崎じゃないけども、ヒューマギアにも人間にも「自分の笑顔のために戦え」と言っている。ちょっと強引かもしれないけど、これはあくまで彼にとっての"道徳/モラル"の話であって、「俺が笑い、或人が笑う世界にしたい」という個人的な夢とはまた別のものだと捉えている。サイクロンライザーとゼロワンドライバーというかたちで、自分と或人だけには特別な力を用意していたのだともとれる。
また、社長になろうとしなかったことや或人と戦う前提だったことから、其雄が追求しようとする"自分の笑顔"と"或人の笑顔"はハナから共存し難いものだったと思われる。例えば分かりやすい例で言えば「世代交代したくない、いつまでも現役でいたい」みたいな思いがあったとか、或人の「暴走したヒューマギアは(葛藤しつつも)壊す」という立場に反対だとか。ゲイツとウォズがマギアを破壊した際に、ショックを受けるような描写があったし。
ただ、ショットライザーの開発に携わっていた根拠は作中にはなかったと思うので、もしかすると人間を守ると言いつつ人間のために用意してるのはリスクの伴うフォースライザーだけ……なんてこともあるかもしれないが、それはそれでそういう人なのだろうとしか言えない。
或いは、元々はそうだったんだけど、或人の「自分が望んでいたのはそういうことじゃない」というのを聞いてから、ショットライザーの制作を開始したのかもしれない。
・ウィルの解釈では其雄がアークに爆破プログラムを仕込んだということなのだけれど、彼がアークの中で操作していた画面には「Automatic Control Function」とだけ書かれていたように見えた。直訳で「自動制御機能」だけれど、これがどう爆発に繋がるのだろう。
相手にも力を与えて対等に殴り合おうとするスタンスと、暴走したヒューマギアも壊したくないという思い、そして1型に備わった暴走を止める機能を合わせて考えたとき、「街ひとつ爆発させて解決」とはならないと思うのよね。
アークが自分たちのプログラムと違って悪意を持つよう成長していることに疑問を抱き、細工をしている自分たちでない誰か(天津)の指示に従わず、自分で考えて作動するようにしていた……? 情報が少な過ぎてちょっと分からない。
あと其雄がアークの開発に関わっていたんだとしたら、アサルトウルフキーをショットライザーでも(そしてシャイニングアサルトとしても)使えた理由が、天津じゃなくて其雄にある可能性も出てくる。人間がヒューマギアに対抗するための力としてショットライザーを開発する過程で、対応させたのかもしれない。
・其雄がハッキングを免れた理由というのはなんなんだろうね。モブ達がアークからの指示で次々とマギア化する中で、イズとシェスタだけがそのままの姿を保っていたことと何か関係があるのかね。だとするなら、それが"ゼロワン計画"に関係あるのかは分からないけど、社長秘書などの重要なポジションにいるヒューマギアは特別なつくりになっているのかもしれない。
・これは其雄の人間性とは少し違う話なんだけれど、最後にロッキングホッパーキーが消えたことも踏まえると、"仮面ライダー1型"は正史のデイブレイクにはいなかったんじゃないかと思う。オーマジオウには"仮面ライダーの力を与える力"がある(世界の破壊と創造能力の応用かもしれないが、普通に奪う力の反対だと思う)ことがツクヨミの件で判明しているので、そんな感じでこの映画の事件に用意されたオリジナルライダーだと思っている。劇中でさらっと披露された暴走するヒューマギアを元に戻す(?)機能も本編の時間軸には存在しないものなのかも。シンギュラリティに達していた其雄には理論上はつくれたはずだが、記録が残っていなかったので再現不可能、とか。

 

 ウィル
・人間が自分たちを笑顔にしてくれないことに苛立ちを覚えるというシーンは結構今作のテーマ的には重要で、そこからウィルは他人任せにせず、自分の力で自分を笑顔にするべく、手を上げ声を上げ、力を振るうことを決意する。結局彼の意見は別の力(エイムズライダー)によって封殺されてしまうのだが、その姿勢自体は肯定されていたように思う。
・其雄とウィルがアークをプログラムし、そのアークの意思もまた2人に影響を及ぼす。
この循環の構図って、人間の創作活動全般で起こることで、一度自分の外に出力することでまた違って見えたりする。ストーリーに限らず、Twitterのようなものでも同じことが言える。ジオウで描かれてきたタイムパラドックスとも通ずるものがあるし、其雄と或人の"夢"もそう。或人は其雄と関わる中で「笑わせたい」と思って、それを聞いて其雄は「自分も或人も笑える世界をつくりたい」と願った。そしてそれを誤解した或人は、「自分も人間とヒューマギアが一緒に笑える世界をつくりたい」と決意する。
卵が先か鶏が先かという01じゃなくて、両方が模倣であり、同時にオリジナルでもある。
実際には、本当に其雄とウィルだけでやってた訳じゃなくて、単に責任者だったみたいな話なんだろうけどもね。本編で明かされた通り、天津も関わってたんだろう。
・彼がリンカーンの真似をしていたのと同様に、「ヒューマギアの言動は名言のコピペばかり」なのは事実ではある。ただ、僕らが普段使っているこの名言でも何でもない言葉のひとつひとつだって、元をただせば誰かが使っていたのを真似している模倣品の切り貼りに過ぎないのよね。にも関わらず、あるいくつかの場合(よくパロディと呼ばれているケース)においてのみ"軽薄"な印象を受けるのはどうしてなんだろう。これについてはまだ考え中。

 

 フィーニス
・或人の項で書いた本作のテーマに照らし合わせると、「どういう経緯があってかは分からないが、『仮面ライダーは本来人類を滅ぼす悪の存在である』という信念の元に、新時代をつくろうとしているキャラ」として今目の前に存在していることが全てでいい

「男である」とか「女である」という背景を無視するキャラであるのもミソ。

 

 飛電是之助
・あくまで大衆に向けた発言であり自分の意見とは違うかもしれないが、彼はヒューマギアのことを「人間を労働から解放し笑顔にしてくれる存在」として表現している。
ウィルの質問をはぐらかしたことも手伝って、意外と多くの人から「印象が悪くなった」と言われているように見えるし、実際僕もそう思った。
ただ、流石にそういうことについて何も考えてない無能だと決めつけるのは可哀想なので、その問題の難しさ(特に、自分はヒューマギアに対価を払う気があっても、それを他の人間に共感してもらうことの難しさ)を理解した上で、あのような言動をとっていたのだと、とりあえずは理解しておこうと思う。
ヒューマギアに対価を求める意志が芽生えるのと同様に、人間にもそれを拒む意志がある。拒まれたら、今度は労働を放棄するとか、暴力に訴えることができる。それが"コミュニケーション"というものだ。
(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

・そもそも、基本的に人間は生活費を稼ぐために労働をしている訳で、それで言うならウィルを始めとするヒューマギアは充電(食事)に困るような生活を送ってる訳じゃないだろうし、つまり彼が対価を求めてるのはあくまでも過去の労働者階級とヒューマギアの類似に気付き猿真似をしてみただけで、彼の中に"対価として欲しいもの"のビジョンが恐らくない。
ただ機械的に平等性,対称性を適用して「ヒューマギアにも笑顔を」と言うけども、其雄の言う通りヒューマギアには基本的に心がないので、笑顔にはしようがない。本当に笑顔を欲してるのかも定かではない。ヒューマギアの求める笑顔のかたちは、ヒューマギア自身が見つけるしかない。
そういう意味で、ウィルの発言はあくまで"勉強"したことをそのまま受け売りしているだけで、本人に心や自我が芽生えた上での本気の要求ではないと捉えるのが自然なので、是之助はさらっと流すに留めたのだとも言える。

・其雄型のヒューマギアをつくることは人工知能特別法第六条に反しているだろうという点については、当時はまだ黎明期で、そういった法整備が追いついていなかったのだと思われる。道徳的にはともかく、法的には遡及処罰(その行為が違法だと定められる以前に行われた行為について遡って処罰すること)は現実世界と同様に禁止されていておかしくないので、問題はない。
テレビ本編の時点でも「似た声のAIはいいんかい」というツッコミが可能なように、また現実世界の法律にも抜け穴があるように、法は完璧なシステムではない。其雄のような例が及ぼした影響を鑑みて、実在する人に似せたヒューマギアをつくることが問題視されていったという順序なのだろう。
・本編ではゼロワンドライバーは是之助から送られていたが、正史ではどういう流れだったんだろう。其雄が開発していたものを見付けて、その思想(何が正しいかは戦って決めろ)に共感した……のかまでは定かではないが、それでそのまま或人に託したんだろうか? それともそこから"ゼロワン計画"とやらを立ち上げて、何か手を加えたんだろうか。

 

 不破諫
・或人に対して「ヒューマギアをつくった人間の家族だから」というだけで敵意を向けていた。それ自体は本編でも同じはずなんだけれど、本編では確かそんな様子はなかった気がする。ヒューマギアの脅威が本編よりも差し迫ってるからかな。
・物語(或人)は人間とヒューマギアの共存という目標に向けて進んでいくけど、彼は変わらずヒューマギアぶっ潰すマンだったし、唯阿もヒューマギアは道具マンだった。こういうのを「物語の都合でキャラがブレてない」っていうのかな。当然のトレードオフとして、「テーマに逆流しているので邪魔だった」という感想もチラホラ見かけたけど。

 

 刃唯阿
・本編ではなんかイマイチ締まらない印象があったんだけど、この映画ではすごく頼り甲斐もあってかっこよかった。
銃弾をスローで捉える演出はそんな何度もやるもんじゃないだろと思ったけど(だって銃の強みのひとつは速さじゃない)、そういうくどさを抜きにすれば、彼女に対するプリミティブな好感を抱くに足るものだったと思う。
まぁ、人間がかっこよく見えれば見えるほど、変身しないで欲しい気持ちになってしまうのが仮面ライダーのややこしいところなんだけれども。

 

 ゲイツ,ウォズ,ツクヨミ
・誕生を祝いたくないだとか自分たちの世界を取り戻すだとか、分かりやすい老害ムーブしてて笑った。どんなに優しかった仮面ライダーも、ライダー大戦の世界では自分の世界を守るために他の世界を犠牲にしようと戦ってしまうのと似ている。
ジオウは過去のキャラたちに散々自己解釈を加えてきたので、今度はいじられる側になってるというのがもう面白いよね。

 

 モブたち
株主総会のヒューマギア達やレジスタンスの面々がどのように生きてきたのか、どのような性格でどのように物を考えているのか、我々視聴者にはほとんど分からない。でも、この無根拠性こそが本作のテーマなので、立派に作品を構成する重要なピースとして成立しているのよね。

 


設定

・人間をサポートするAIとしては必要性がない子供のヒューマギア。まぁ、子育ての予行演習みたいな使い道はあるかもしれないが(書いてみて思ったがあるとなかなか有益そうだな)、"未熟なAI"という意味では必要がない。ヒューマギアが支配権を握ると、そういったヒューマギアの愚行権が認められるというような描写なのかな。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

・ソウゴ達がウォッチを手にしたのは本編と同じでウォズが時間を止めて(というよりは作者特権で)渡したのだろう。
ここから察するに最終回でのソウゴは、自分たちの力と記憶の与奪権をウォズに託したということになるのかな? 完璧になかったことにするのではなく、可能性や余地を残しておくような感じ。僕の好きなディズニー作品『ファイアボール』に、「概ね万事においてそれほど完璧にしない法案、略してオバカン法」というのがあってね。ゼロワンについて考える上でも参考になるので機会があればぜひ。
・根本的な舞台設定として、ゼロワンの過去にタイムジャッカーが介入するという時点で(後のタイムマジーゲイツ機も含め)、既にジオウとゼロワンの世界が融合していないと成立しないのよね。
これについては、またソウゴが敵を倒す"仮面ライダーごっこ"をしたくなったから無意識に引き寄せたか、OQで言うところのSOUGOにあたるポジションとしての「令ジェネの作者」がソウゴの能力を利用したと取るかのどちらかが自分的には収まりのいい解釈。ウォズの本を真逢魔降臨暦に変えたり、そこに始まりのライダーについての記述を加えたりしたのも同様。
或いは、最終回の世界がそのままゼロワンの世界(とゲイツマジェスティに分岐する世界)だったと見ることもできるか。
ウォズが使っていた"元の木阿弥"という表現が気になったので調べてみたところ、庶民だった木阿弥さんという人の声が死んだ偉い人に似ていたということで影武者として取り立てられたんだけど、正当な後継者が育って必要なくなった途端に元の庶民に逆戻りしたという故事が元になっているらしい。この場合はむしろ逆というか、ソウゴは魔王(替え玉)としての権力を得ているところが面白い。
・アナザーライダーが生まれたのに何故ゼロワンライダーたちの力が消えていないのかという点は単純な話で、消えていたとしてもその改変された歴史の中で新たにつくられているので、消えていないように見えるだけ。
例えばソウゴが過去に戻ってバス事故を防ぎ、両親の死をなかったことにしたとする。でも、仮にその直後や何年後かにまた死んでしまうような目に遭ったとすれば、結局現在のソウゴに両親がいないという結果は変わらない。
本編で同じようなことが起こらなかったことや、今回だけそうなったことに対しては理由なんて要らないと僕は思うんだけど、どうなんだろうね。
・或人に正史の記憶が残ってたのは、イズの言う通り単なる"バグ"でもいいと思うんだけど、彼女はポンコツなので(いい意味で)鵜呑みにはできない。例えば或人にブランクウォッチを渡しておけば、ゼロワンライドウォッチという形で記憶を保持して置けるかもしれない。ゼロワンの力自体はさっき行った通りアナザーゼロワンと共存できてもおかしくはないように思う。劇中では一応アナザーゼロワンの(一時?)撃破と入れ替わりに変身してたけど。
・ゼアがシミュレートの参考にしたという"歴史の綻び"というのは何なんだろうね。
綻びのひとつとして考えられるのはやっぱり、歴史改変当事者ウィルの記憶。と言っても今回のウィルは未来から来た訳ではないんだけど、フィーニスから聞いた正史世界の情報をゼアに伝わる形で(例えば裏切る前のイズの前で)口にしていたとしたら、そこから逆算することは可能かもしれない。
・しかしもっとも大きな違和感は、偽史において或人が何をしていたのか、という部分にある。まるで世界五分前仮説のように、或人は冒頭のあのシーンではじめて(正確には幼少期以来に)あの世界に姿を表したかのような扱いを受けている。
ソウゴが"そういう舞台"を用意したととるか、或いは融合したジオウ世界の「主人公の夢が現実になる」というルールが或人に適用されて、今回は或人がジオウたち先輩ライダーを夢見たととるか。
・フィーニスがソウゴから「全てのライダーの力」を奪った結果何故アナザー1号になったのかというのは、僕には割と自明のことだったので説明が難しいんだけれど、例えば「あるものについて連想するものをたくさん羅列していって、元になったものを当てるクイズ」のようなものだと言えば伝わるだろうか。
バッタ,バイク,変身,仮面,触覚,Oシグナル,クラッシャー,涙,本郷……ここまでくればほとんど1号が絞り込まれ導き出されることだろう。そしてここに挙げた要素たちは、一人ひとりは部分的にしか持っていないこともあるが、全員から抽出していけば元の仮面ライダー1号帰納的推論によって逆算してかたちづくることは不可能ではないだろう。まぁ、元より完璧に再現なんてできずに歪んだ1号なんだけれども。
というか、そもそもアナザーライダーになるために人から直接力を奪う必要というのはないはず(ほとんどの場合遠隔)なので、全ライダーの力を奪ったのとはまた別に、世界の何処かにいる1号から力を奪ったのかもしれない。
ゲイツやウォズが基本フォームのままで戦ってたことに対して、というかそれに限らずライダーに対して"ナメプ"という評価を下している人をよく見るけれども(もちろん昔の僕も含め)、「必ず全力を出すべき」というのは、正しいけど人の自由を奪う考え方なのよね。理屈を通してしまうとこれも結局正しさに含まれてしまうのだけれど、例えば徒歩5分の場所へ行くのに車を使うかどうか。10分ならどうか。また自転車という選択肢もある。車は徒歩と比べて速度が速いぶん、流れていく視覚情報を処理する負担が大きいと聞く。僕は免許持ってないので知らんけど。
それと同じで、大きな力を使うのは僕らが思っているよりも気を遣うものなのかもしれない。人には"慣れ"というものもあるし、必ずしもスペックという視点で使うフォームを選ばなきゃいけないという考え方は少しかたいように思う。
・「全ライダーの力」を奪われたにも関わらず、終盤にてジオウがグランドジオウに変身したのも、テーマと合わせて考えれば答えは見える。
過去ライダーの力(元ネタ)は奪われたかもしれないけど、グランドジオウは過去作にではなく、『ジオウ』という作品に出てくるフォームとして存在している。故に"ジオウの力"という解釈の元に歴代平成ライダーも召喚できる。
……と思ってたんだけど、変身する直前に金色の光が降ってきて力が戻っているような描写があった。OQ的な感じで「溢れ出し」たのかね。
・ウォズは或人たちに記憶があるのはゼアと繋がっているからだと解釈していたけど、アナザー新1号を倒して世界が戻る際に、オーマジオウの創造の際に現れるコインみたいなエフェクトが出ているので、ゲイツのタイムマジーンを壊したから云々というのとはあんまり関係なく、ソウゴが満足したから事態を収めたのだと僕は勝手に思ってる。
だってそもそも、ゲイツがタイムマジーンを2007年に置いていく為には、フィーニスが過去に介入したという事実が先にないとおかしい。まぁ、こういう厳密な後先の理屈は、「未来は不確定で揺れ動くもの」だとされているジオウにおいてはあまり意味をなさないんだけれど。
で、ソウゴは2人の記憶をわざと残し、自分と戦って勝てば忘れないでいられるという選択肢を設けた。
結果としては「起こったことをはっきり覚えている訳ではないが、そこから学んだ"仮面ライダーとは何か"ということだけは覚えている」というような塩梅なんじゃないかな。

記憶消去能力なんてオーマジオウにあったっけ、なんて言ってる人もそこそこ見かけるけど、世界そのものを変えられるのに逆に何故一人の人間の記憶は変えられないと思うのかよく分からない。

 

 

 

なんだかんだでもう年末。僕はあまりそういうのを気にする方ではないんだけれど、世間的には大掃除とかほにゃらら収めとか言って区切りを付けたがる時期よね。
このような心の動きも、人間の認知能力の限界による"背景のリセット"機能だ。
過ぎゆく時間の中に本当は壁なんてなくて、そのまま地続きのはずなんだけど、歴史をひとつながりのものとして認識するのは非常に負担が大きい。故に我々は線を引き、1時間,1日,1年……更に平成や令和のような年号を使って"個別のもの"として捉える。
個人や作品も同じこと。
目黒の児童虐待死の件で、母親だけ「旦那からDVを受けていたから同情の余地がある」みたいな報道をされていたことに対して僕は腹が立ったのよね。
そんなこと言ったら父親だって小さい頃に虐待されてたかもしれないし、仕事で何か不運があったのかもしれないし、子供からのストレスだって実際相当あったんだろう。
そういった背景事情を気にしないために使われるのが、"自由意志"という幻想だ。
「由来を辿るとキリがないから、とりあえず個人(個体)を最小単位として認識しましょう。"わたし"の決断は、他の誰かではなくわたし自身に由来し湧き上がるものです」という暗黙の了解。それによって、父親は「何故かは知らないが、自由意志の元に子供と妻を虐待した」という解釈をされる。
全知ではない僕らは、意識しきれない背景を切り捨てて"自由意志"というブラックボックスに閉じ込めてしまう。
逆に、他の何かに責任を転嫁する立場は"自由意志"の存在を否定する。「ロイミュードや滅亡迅雷は人間の悪意に影響されただけなので、被害者みたいなもの」という主張は、ロイミュードや迅が自分の頭でものを考えているということを考慮していない。
分かりやすさ重視で言えば、自由意志という幻想を信じて行為主体である個人の責任を追求するのはアメリカ的、他からの影響を重視し責任の所在を曖昧にするのは日本的な立場だと言える。国境も幻想のひとつなんだけどね。
本作のテーマでもある前者の「背景をリセット(無視)する」方向の力というのは、さっきも言った通り人間の能力的な限界による自然なものなので、仕方ないなと"許容"はしてもいい。
でも、許容はその限界を受け入れ諦めることにも繋がる。
元ネタを知らずに楽しむことが駄目だとは言わないが、開き直って「背景を知ろうとする姿勢を捨ててしまう」ことはして欲しくない。という気持ちを最後に記して、筆を置きたい。

 

 

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