やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第38話「ボクは1000%キミの友だち」 感想

キャラクター

 飛電或人
・「俺!?」
久し振りに聞いたな。初期の彼は事あるごとにこのセリフを発していて(2話だけで3回)、とにかく業務に対して他人事なスタンスだったんだけど、社長としての自覚を持つと共に無くなっていったのよね。
飛電インテリジェンスを追われた現実を受け入れて、飛電製作所の方が軌道に乗り始めてきたタイミングだからこそもう心が離れてるってのも、かなり納得が行く。もう辞めた前の職場から「なんとかしてくれ」って電話来るなんて普通に思わないもんな。福添にもよろしく頼んだことだし。

・ゼアに心はあるのか
彼はあると思ってる、というのはひとつの事実だけれど、僕としては前々回言った「アイちゃんに心が芽生えない理由」を元に否定したい。と言ってもアイちゃんのケースとはかなり分けて考えるべきだと思うけど。
まずもって、零細企業たる飛電製作所が申し訳程度につくった「自分で考えない」雑魚AIのアイちゃんと、国内最大手たる飛電インテリジェンスが総力を上げてつくった最高峰のゼアでは地力が違い過ぎるということ。ヒューマギアと接続していることも加味すれば、ゼアが人型のハードウェアを持ったらどうなるかを"エミュレート"することで似たような思考回路を形成することも不可能ではないと思われる。ただそれはあくまで彼女(?)にとって一部に過ぎず、例えるなら我々が他人の気持ちを思いやるときのそれ(僕はタコ嫌いだけどこの人は好きなんやろな)でしかなくて、自分がタコに対してどうかを決める"自身の自我"とは一線を画していると思われる。具体的には(普通の人間とは言えない)天津のように、巨視的になり過ぎて虚無主義に陥るとか。
僕は常々思うのだが、世に言う"神様"がいるとして、それが仮に人格的なものであるとするなら、かなり「嫌なやつ」か「適当なやつ」でしかあり得ないだろうと。でなきゃ僕らがこんなに困りごとの多い生活を送っていることの説明が付かない。本当に全能ならばケチケチせずに幸せにしてくれりゃいいし、知恵の実なんか「食べさせなければいい」。……というのに近い感覚を、ゼアにも抱いている。普通の人間と同じような精神構造で"あれる"はずがない。
(参考:仮面ライダーゼロワン 第36話「ワタシがアークで仮面ライダー」 感想)

・権利の剥奪
サウザーからベルトを切り離したこと、またレイドライザーの販売中止もそうだが、「害をもたらすなら権利を与えない」とするのは非常に簡単なのよね。犯罪者に自由を与えるより、拘束するなりして自由を奪った方が確実に安全を確保できる。そう言った価値観の元で生まれるのが、精神病患者の実質的な隔離である社会入院問題だろう。
ヒューマギアならゼツメライザーや人間の悪意に関するデータなど、不都合なものとは接触させないのが一番安全ではあるけれど、それは権利を奪うことと同義だ。或人はヒューマギアの暴走する権利を認めない。対して天津は自分が倒すという条件付きでだがその権利を認める。
或人はあくまで「俺が導く」という上から目線をやめないし、天津もまた同じことを考えているので、どっちが正しいという話では全くない。
強い一人が牽引するのも、無数の力が競い合うのも、結局は弱肉強食的であることに変わりはない。世界は仮説のように公正ではないので、間違ったことをした者が必ず悪い結果を与えられる訳ではない。今回天津が責められているのはあくまで強い者(或人)が気に食わなかったからでしかない。
法律についても同様のことが言える。それをつくった人たちが気に食わない(あってはならない)と勝手に思ってるだけで、それに準ずる抑圧機関である警察よりも大きな力を持っていれば(つまり追ってくる警察をノックアウトし、情報網をかいくぐることができれば)、彼らの定める罰からは逃れることができる。門限などの親の定めた勝手なルールも、嫌ならば家出をすることで無効化が可能だ。
ルールも正しさも、絶対的正義にはなり得ない。
自然界の掟は常に強者が決める。
或人は一度役員会で認められたが、それは"正しかった"ということじゃない。同様に、天津も役員会に認められなかったからといって間違っていたことにはならない。
(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)

少し話は変わるが、あるはずの描写を勝手になかったことにしておきながら「描写がない」と騒ぐの、見ていてあまり気分のいいものじゃない。
間違いなく、或人が社長として認められている描写はあった。4話では不破に、16話では役員会に認められ、そしてそれまで継続できているということから株主も認めていたことが分かる。
前振りがない積み重ねがないと言うが、本気でそれを言うなら物語の1話というものは須らく積み重ねのない無意味な描写の集まりだと判断されるべきであるし、それに連なり無意味な1話を根拠として展開される2話3話……とすべての話が同様に無意味化せざるを得ない。
もし理性的にそれを主張したいのであれば、受け入れる唐突さと受け入れない唐突さの違いをきちんと明確化しなければならない。
そもそも16話での承認には「ゼロワンとして命を賭してテロリストと戦ってきた、そして事実ヒューマギアがまだ流通できている」という明確な根拠が提示されているし、その描写というのはバトルものとして有り余るほどあるんだけどね。あれに唐突さを感じるのだとすれば、それらを忘れているか、自分の意見と違うってだけでなかったことにしてるとしか。
それって作中人物の心情とは無関係に、自分に都合のいい結果だけを贔屓しているということなのよね。或人に否定的な内容(自分と同じ結論)に対しては、自分が勝手に脳内補完できるから積み重ねが"あった"扱いにして賛同する訳でしょ。
要は「描写がない」んじゃなくて「自分が納得できる、受け入れられる描写がない」に過ぎないのよ。
そんなにこだわりがあるなら自分で好きに味付け(解釈)すればいいのに。

・好きなのはヒューマギア
垓と違って、他に居場所があるからと「飛電インテリジェンス社長の椅子」にこだわらない或人。文脈をそのまま受け入れるなら、垓はヒューマギアとそれを推す或人が嫌いだけど飛電インテリジェンスが好きで、或人はヒューマギアを好きだけど飛電インテリジェンスにはそこまで固執していない、ということになる。
元々彼にとって社長業務は全く引き継ぐ気がなく、「笑いを取る」という別の目的を果たすための手段の1つとして採用したものでしかなかったので、さもありなん。
ただ、アイちゃんをつくったことと合わせて、彼の中の"ヒューマギア"に対する感情はより抽象化され、今は「人と心を通わせ寄り添うAIが好き」に変化しつつあるように思う。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)


 天津垓
汚職ってガラか?
建前とはいえこれまで散々「会社の利益」を強調してきた人間が、果たして自分の利益の為だけに会社の金を使い込んだりするものなのか、果たして天津はそんな安く小さいキャラだったのかと、僕も正直困惑した。
脳内で色々渦巻く中で自分的に一番しっくり来たのは、彼が「本気で必要経費だと(またそうあるべきだと)思ってる」ってケース。エステもヘアサロンも、岩盤浴も外食も婚活も、天津個人がやりたいからというよりは社長としてあるべき容姿や気品を保つための"仕事の一貫"という認識なのではないか。世間一般の価値観に照らすとそこまで私欲のない人間など想定できないが為に汚職という判断を下されるが、天津本人としては完全に割り切ってやっていた。という仮定の元でこそ、これまで醸していた格(大局を見過ぎてちょっとおかしくなってる人)が保たれるというもの。
で、じゃあ何故そのような「私欲を満たす為ではなく、あくまで社会的要請に応えるだけの人格」になってしまったのかというもう一段階深いところに目を向けて始めて「認められたかった」という私的感情が出てくる。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第25話「ボクがヒューマギアを救う」総集編 感想)

・やりすぎ
求める理想とうまくいかない現実との間で精神的に追い詰められ、我を忘れて福添に斬りかかる……と受け取って欲しいのかな? とは思ったが、正直天津の怒りがそこまでには見えなかった。つーか変身時にプログライズキー挿そうとして微妙にグダってるし。あぁいう引っかかりってキレてる時に起こると結構我に返っちゃうものだと思うので、普段ならともかくこういうシーンでだけは絶対に許しちゃいけないミスなんじゃないかな。
僕は以前「一時的な感情の高ぶりで暴走してしまう或人より、自覚しながら淡々と理性的に犯罪行為する天津の方が怖い。前者のほうがまだ理解できる」という風に言ったが、もし今回もマジでいつも通り冷静に打算的に動いてるんだとしたら、和解に持ち込むにはサイコパスみが強過ぎる。マギア化やザイアスペックの暴走による犠牲は自ら手を下さないから実感がないということで分かるけど、流石に目の前にいて斬り掛かるのは常軌を逸し過ぎてる。武器がどう見てもおもちゃで切れそうにないと言うメタ情報を踏まえないと、かなり苦しい。或人の言う通り「何考えてんだ」って感じ。
ここまで来ると或人に理があるとかそういう次元じゃない。多分、演出が下手クソだっただけでわざとじゃない。と思いたい。
あー。いやでも、一応通る筋はあるか? 天津は自分の立場がどうこうじゃなくて"社会的"に、利益を妨害する彼にとっての悪人たる福添を排除しようとした。例えそれで天津が警察に捕まっても、社会にとってはプラスになると本気で思ってるのかもしれない。もちろん自分が捕まらずに人々をリードし導くに越したことはないとも思ってるだろうが。
というか、人間もヒューマギアと同様に道具扱いしてたし、暴走するマギアを倒すのと同じくらいの認識なのかも。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第21話「異議あり! ソノ裁判」 感想)

・ZAIAの社風
福添は「ZAIAに証拠を突きつける」みたいなことを言ってたが、僕は或人の言った「飛電はZAIAとは違う」の方を採用したい。
どういうことかといえば、ZAIAの方は社長の天津と似た考えが社風としてあって、利益のためなら違法揉み消しなんでもござれの弱肉強食社会なのだろうと思う。そういうことにしておいた方が、彼が10何年も失脚せずに済んだことに対する納得が難しい。みんな承知の上でZAIAで働いているから、騙し騙されを繰り返してそれが当たり前になっているのだろう。嫌になって辞めた人の証言は当然揉み消され、自らの利益を手段問わず守るのがルール。
その証拠に、ZAIA勝利のために放火する社員なんてのもいたことだしね。

・自分の力
「甘えず頼らず、己自身の力だけでやり遂げる」よう教わってきたらしい。
なるほど、だからヒューマギアも不破たち部下も、あくまで道具であり自分の一部であると"解釈"しなければならなかったのか。五番勝負の頃に口酸っぱく書いてたけど「誰の責任なのか」というのは解釈次第でどうとでも変化する。
人はどう頑張っても一人では生きていけない。仮に0から起業して成功したとしても、貨幣を始めとした経済や法律などの制度といった既存のシステムの上に成り立っているものである以上は、そこに目を向ければ"おかげさま"はどうしても拭いきれない。
労働で手に入れたお金で自らの生活を送ることを一般に"自立"と呼ぶが、働き口を用意してくれる人、金を払えば食べ物を売ってくれる人、お金を刷ったり食べ物をつくったりしてくれる人たちがいて初めて成立すると見れば、自分一人の力で立っているなどと嘯くのは、傲慢というものだろう。例え原始的な狩猟採集の生活に戻っても、木の実が生えていてくれたり自分ではない動物が生きていてくれるからこそ、取って食うことができる。自らの手で無から有を創造するなんてことができない限り、本当の意味での自立(自給自足)はできない。にも関わらず、人はいくつかの外的要因を無視して「ある個人の功績」として見做すことがある。天津がしているのはそれの究極形だ。
或人も「俺が0からつくった」なんてセリフの通り他人を自分の一部として認識する場合があるけれど、天津と違うのは折に触れて「みんなのおかげ」であるとしっかり表明しているところだ。「父さん」から始まり「イズ」「自分を認めてくれた役員達」「ヒューマギアみんなの善意」など、たくさんの人に助けられて或人は立っている。前回ちらっと出した『SPEC』では、主人公の当麻紗綾が自らのスペック(特殊能力)について問われた際、「自分にスペックがあるとしたらそれは人との繋がり、人脈だ」みたいなことを言うシーンがあった、はずだ。小学生の頃に見たきりなのでうろ覚えだけど。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第24話「ワタシたちの番です」 感想)


 不破諫
・やっぱり
「アークを倒すのが仮面ライダーとしての使命」ということで、僕の「"仮面ライダーという夢"とは、唯阿がしてきたことは間違いなんかじゃなかった、気に病む必要はないと証明し続けること」って解釈は、まぁ当たっていたと見ていいだろう。アークを倒すことさえできれば、地上に呼び出した唯阿の判断は正しかったということにできるから。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第33話「夢がソンナに大事なのか?」 感想)


 アーク
・矮小化した
前回は書きそびれたけど、彼の超能力というのはアーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をイメージしているものと思われる。"マギア"というのは造語ではなく、文字通り魔法を意味していたという訳だ。
……訳なんだけど、今回ただ亡の目を通して見ていただけのことを「予測できている」とか宣ったもんだから、一気に「なんだそりゃ」となってしまった。僕みたいな観測者が勝手に解釈を加えるだけならまだしも、劇中で種明かしされちゃったら一気に鼻白むよね。まぁ、それが嫌なら「亡の視界など見ていなかった」とか「見る前から分かってた」とか、いくらでも解釈の仕様はあるんだけど、そういうのはあくまで後から理性的にこねるものであって、第一印象は第一印象で認識に大きな影を落とすのには違いない。
そもそもそういう解釈でいいなら、亡が目撃するシーンなくていいもんな。
強いて意味を付けるなら「亡は驚いてた≒予測できてなかったのにできたアークすごい」「迅が簡単に諦めると予測するほど、亡には反抗の意志がない」「迅がやり込められる様を目撃して尚更反抗する気が失せた」とかだろうか。
宇宙事業センターの場所にしたって雷に案内して貰ってたし、口だけって印象を受けた。画一化と言いつつも多様性が漏れ出てる(種類豊富なマギア,個性が芽生えつつある滅亡迅雷,それぞれ魅せ方が違うオールエクスティンクション)のと同じで、自分一人の力で何でもできると言いつつも実は周りに支えられている、っていう描写なのかもしれないけど。


 アイちゃん
・アハハハハ
或人「天津も本当は飛電インテリジェンスが好きなんじゃないの? なーんて」
一同「あの天津が、まさかそんな訳ないじゃないですか。ウケる」
シェスタ「アハハハハ(棒)」
アイちゃん「アハハハハッ!」
或人「苦笑(何も分かってない癖に、人のことを嘲笑うんじゃねぇよ! ……でも初めてこんな大人数にウケたかも、ちょっと嬉しい)」
シェスタが未だに棒読み笑いなのは、スマイルなどの存在を踏まえると、それしかできないというよりはただ「求められてるAI像を演じてる」だけにも思える。
それはそれとして、脳無しのアイちゃんのことなので(というか天津の存在すらほぼ知らんはずだし)、"みんなの友達"として多数派の感情に合わせて笑い声を出力したんだろうけども、それでいて直後には天津に優しい声をかけるの、最高に自分がないよな。


 福添トリオ
・タラレバ
元より天津は、政府とのコネ(飛電と協力していた時代や内閣直属のエイムズとの縁)もあってか、かなり大胆に行動してきたよね。自社製品じゃないので保証する訳でもないヒューマギアを正当防衛とはいえ(私的に?)壊してたり、弁護士回でも衆目の前で単なる暴行、更にハッキング。チェケラの時だってカメラが回ってる(現場にも客がいる)にも関わらず「人間が憎いなら口だけではないことを証明してみろ」と煽り散らかしてゼツメライザーを渡していたし。普通に考えれば福添と山下(とシェスタ)だけが声を上げるのとは比にならない数の証拠映像(音声)と証人が生まれる訳だけど、顧みず行ったということはやはりそれでもなお揉み消すだけの力があることの証明に他ならない。
あれに比べたら今回の事件なんて、いくらバックアップを取ったところで政治家同様「捏造だ、名誉毀損だ」で終わるのがオチ。福添は次期社長を狙っているとかで動機もあると見做されそうだしね。
そうでなくとも、短くても12年間は大企業ZAIAジャパンの社長として築いてきたクリーンなイメージ、信頼がある。飛電の役員会というごく限られたコミュニティの意見として(方針が合わないという体で)辞めさせるくらいのことはできても、社会的にどうにかしようというのは至難を極めるのではないか。そんなことが有り得るのかは知らんが、実際これまでの描写がそう示してるんだから仕方ない。その役員会にしたって、或人の時も福添とそれ以外の人では意見が食い違ってたので、辞めさせられるかすら危うい。
じゃあ一体何の為に福添たちは証拠集めをしたのかという話だが、先述の通り取締役会の場に限って使うため、というのともうひとつ、天津にも一抹の良心は残っていると信じ、観念して揉み消しなど辞めるよう提案するというのがあると思われる。天津の持つ権力に対抗するだけの権力がなくとも、本人を説得することさえできれば実質的に無力化することができる。
バックアップしててもしてなくても結果がほぼ同じなのが明白なら、別にどっちでも大差ないんじゃないかな。再三繰り返してきた通り「間抜けでもいい」がテーマのひとつでもあるし。

・キャンセルの是非
イズの時もだけど、僕は返金するなら"問題"はないと思うんだよな。個人的に不愉快ってことはあれど、企業側を責める正当な道理ってあるんだろうか。
企業だって慈善事業でやってる訳じゃないので、何事にも限界はあって、例えばプレバンにしたって予約終了というあっちの都合を一方的に押し付けてくるじゃん? 「こっちはきちんと金払う用意をしていたのに売ってもらえない」って意味では同じこと。アーツだって参考出品止まりなこともあるらしいし、一般販売品でも売り切れってことはある。金もモノも移動してない以上は、実際的な損得は発生してないと捉えるしかない。
億男』で似た話があったな。とある金持ちが、道楽で主人公に100万円を貸し、競馬に賭けさせる。一度目は大勝ちして額が何倍にも膨れ上がったものの、もう一度全額賭けさせられたところ0になってしまう。「せっかくの100万を失った」と気落ちする主人公だったが、実は金を貸したというのも競馬に賭けたというのも全て金持ちの嘘。「金の本質というのは、そうやって頭の中で行ったり来たりする妄想に過ぎない」とだけ残して金持ちは去っていく。まぁこれに関しては普通に"騙してる"訳なので訴えればもしかすると何かしらの罪にはなるかもしれないが、「金を払えば商品が手に入る」という"期待"に対する補償を、まだ何も受け取っていない企業はするべきだろうか? クラウドファンディングが失敗したときとかもそうね。
そういう理屈とは全然違うところで飛電の信用は落ちるかもしれないが、別に不信感を抱こうが抱くまいが、欲しけりゃ買おうとするよね。むしろ「最悪買えない可能性もある」と実は当たり前のことを念頭に置くことで、以降ガッカリすることはなくなるとも言える。

(参考:Do you love me? I miss you.)

 

 

エグゼイドの時にも言ったけど、次回(38話)予告で「次回(39話)へのヒキ」の映像を流すのってやっぱりモヤる。今回で言うとサウザーとゼロワンの共闘。
嘘は言ってないけど、予告ってあくまで美味しいところを"想像させる"ものであって、その引いた興味に対して本編できちんと超えなきゃいけないと思うのよ。でもサウザーがゼロワンを守る(→ということは共闘か?)っていうこちらの予想の手前で留まってしまっている。
さっきの文脈で言う「個人的に不愉快」。

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第37話「ソレはダレにも止められない」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン 第39話「ソノ結論、予測不能」 感想