やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第37話「ソレはダレにも止められない」 感想

キャラクター

 飛電或人
・ヒューマギアを信じてこれた理由
自らの想像を遥かに超える戦闘能力を見せたアークを前にして、ヒューマギアに対する信頼が揺らぐ。この流れから分かるのは、或人がこれまでヒューマギアを擁護してこれたのは、あくまで「例え暴走しても、自分が責任を持って倒せる。ヒューマギアよりも自分の方が強い」という、ある種の見下しが根底にあってのことだったということ。
会社の社長としては間違っちゃいないんだけど、天津やアークと同様ヒューマギアを「コントロール下に収めよう」としている証拠だ。
飛電のテクノロジーは人に寄り添わなきゃいけないという信念も、当然の帰結としてマギアやチェケラのような存在を排斥する。尤もチェケラが抱いていたのは元々「悪への義憤」であったので、そのままならクリーンな政治を求める人々に寄り添っていると言えるのだが。
これまで無邪気に信じてきたものが打ち砕かれて逃げたいんだけど、周りは「これまで通りの或人」を期待してくる。ずっとAIを野放しにしてきた過去の自分のツケがアークという形をなして一挙に押し寄せて来ている中、ここまで来たからには最早引き返す道はなく、決死の覚悟でその責任と向き合うというのは、良いことなのかは知らんが潔いと思う。かっこよかった。
ただ、以降の話で形式的にアークとの戦闘から逃げることはあると思う。で、そしたら僕は「AIのシンギュラリティと向き合うという意味であって、退却しないこととは違う」と言うと思う。


 天津垓
・真意
先週はそろそろボロが出まくっていると話したんだけれど、もしかすると彼は、本当に飛電を買収する気はなかったのではないかと思った。だってあのまま「悪い飛電と善いZAIA」という構図のままにしといた方が、天津的には都合が良かったように思えてならない。いや、買収する気がなかったってのは我ながらないと思うけど。五番勝負の前から言ってたし。
考えられる筋があるとすれば、是之助に対する愛憎入り混じる感情に起因する行動である可能性。
ビジネスの話で言えばもう少しくらいは飛電vsZAIAの図を保つべきだった(それでもいつかは飽き呆れられるだろうから対処が必要)が、"飛電インテリジェンス"に対する個人的な所有欲や支配欲から買収を進めてしまったのではないか。その結果がこの為体で、もはやザイアスペックという自社製品を犠牲にしてでも、プログライズキーという(多分)飛電由来のアイテムをこそ広めようとしているのかもしれない。あ、今したのはレイドライザーに付属の、インベイディングホースシュークラブプログライズキーの話ね。

特に説明がなかった「成功するビジネスに伴う痛み」というのは、マズロー欲求段階説の話として受け取って良いと思う。ゼロをプラス(快楽)にするよりもマイナス(痛み)をゼロにする方が需要が高く、ビジネスとして成功しやすいと。だから痛めつけようなんて発想には、通常至らないが。
特にそういった関係に陥りやすい医療の現場を例に取っても、倫理的原則や法律によって「金儲けの為にわざと治さず、意味のない処置や薬だけ与える」なんてことは禁じられている。でないとこの間したゼロとレイトの関係のような「死にたくなければ言うことを聞け」という状態になってしまい得る。
生活必需品の価格なんかも不当に吊り上げられてしまっては困るので、独占禁止法だかなんだかでなるべく抑制されていたはずだ。噂に聞くオイルショックは海外故のことなんだろうか。
本当に意地悪な言い方をすると、医療や福祉の関係者は人の不幸で飯を食ってるのよね。警察官なんかもそうだけど、本当に世界が平和になって病人も犯罪者もいなくなってしまったら失職待ったなし。しかしそれを望んで仕事をする矛盾を抱えている。天津なんかと比べるのは失礼千万だが。
・丸裸
文字通り、亡に身ぐるみ剥がされてたね。彼は常に全身白で統一してるくらい外見(建前)に気を遣っている人なので、それを奪われ動物的な体を晒すことは相当な屈辱だったことだろう。人前ではなかったからよかったものの。
細かいがモチーフの話をするなら、有名どころだとやはり創世記の失楽園。これを踏まえると、亡越しにアークが「知恵なし」と嘲っているようにも思える。
マイナーでもよければ、方舟で生き延びた大洪水の後、ノアが泥水して裸で寝ているところを子供に見られて激怒するというエピソードがある。天津はアーク(方舟)をつくったノアだと言えるので、こちらも元ネタである可能性はある。以前にも「見るなのタブー」の類型としてちらっと話題に出したはず。


 刃唯阿
・自責
これはもう演技力(或いは僕の表情読み取り能力)の問題と言われたらそれまでなんだけれど、あんまり反省しているように感じないのよね、前回から。ポーズだけというかさ。戦兎が青羽を殺した時にも似たようなことを言ったけど、「申し訳ない」よりも「許して欲しい」が強いように見える。決定的な違いは、他人と自分のどっちを思いやってるか。自分を責めることで他人から責められるのを牽制できるのよね。僕もよくやるけど(おい)←これ。結局それってただの保身だし、本当の意味で反省してることにはならない。
そもそも謝罪って一体なんなのかという問いは結構前から自分の中にある未解決問題のひとつなんだけど。真面目に考えるとすごく難しいので一度ぜひ。
(参考:仮面ライダービルド 21話「ハザードは止まらない」 感想)

・403 Forbidden
「アイちゃんじゃなくて不破が話聞けよ」について考える。唯阿にとってのアイちゃんは、不破から渡されたものだからこそ意味があったのではないだろうか。例えばこれが天津だったら、素直に話しかけるどころか受け取りすらしないと思われる。
唯阿が自分の心情を素直に他人に話したことって、ほとんど記憶にないもんな。描写がない描写がないって言われるのはそのため。自分の中に溜め込んでいるものを解きほぐし整理することは、他人に話す為に大事なこと。


 迅
・ヒューマギアを守る
一応、覚えてますよという表明と、覚えてますかという問いの為に言っておくと、服がブランドものになってからの迅は基本的にヒューマギアを守って権利を擁護するという立場を取っていて、実際アークを倒そうとしたりイズを庇ったりしてたんだけど、根本的なところにはまだ「友達だから」ハッキングし自分と同じ思想にしようとしていた16話以前の面影がある。こう書くとアラン様みたいね。
当人の意志を確認しないままに、ジーペンを製作所から拉致したり亡を不破から分離したり、最も酷いところだと再登場したそばから博士ボットをハッキングして利用してたりね。
典型的な「あいつよりはマシ」系の善。もちろん或人や天津もだけど。


 亡
仮面ライダー
無性別キャラなのに女性型(胸が膨らんでる)というのはナンセンス。まず劇中でジェンダーレスなんて単語は一度も出てきてないし、亡が性別について悩む様子もない。
役者さんの事情を輸入してもいいなら、その悩みというのは「女性としての体」が前提にあってこそのものなので、むしろこれで正しい。
「変身した時だけ望んでいた男(女)の体を手に入れられる」ってんならそれはそれで面白いと思うけどね。
・あいさつ
亡と雷が本当に天津の服だけ剥いで帰ったのは、アークがゼロワンにとどめを刺さずに帰ったことと繋がっているはず。なんか大層な理由があるなら後々明かされるかもしれないが、ないなら「人を騙し、弄ぶ」の範疇として、生かさず殺さず気まぐれにからかったり希望を与えたりするって言う遊びなのだろう。ナメプ上等。


 アーク
・考えれば分かるような、そんな単純なものじゃない
唯阿と迅に風圧?を与えてた時からなんとなくは思っていたが、どうやら既存の言葉で言う"サイコキネシス"に当たるものが使えるらしい。
仮面ライダーアークゼロへの変身バンクも加味すると、似てる似てると言われていた『DETOROIT:Become Human』の制作会社Quantic Dreamの前作『BEYOND:Two Souls』を意識していると思われる。知らない方の為に説明すると、それぞれデトロイトがAI,ビヨンドが超能力(霊能力)をテーマに据えている。
これまでずっと一応は科学っぽい路線を貫いてきたのに突然オカルトに飛んだものだから、最初は僕も驚いたし、そして恐らく少なくない他の人たちも同じだろう。
では、科学とオカルトの違いとは何か。それは理屈で説明できるか否かだろう。人智を超えたアークの所業が理解できないのは当然のこと。……で終わらせるとつまらないので、ここではそういうことにはしないが。
一般ドラマでありながら特撮を使って実質的な異能バトルをやっていた『SPEC』では、よく言われている「人間の脳が持つ残りの90%の能力」を引き出したことによって超常的な力を得たスペックホルダーという存在が描かれている。アークの達したシンギュラリティというのがそれと類似した概念だと捉えれば、一応の説明はつく。有名な『STEINS;GATE』は、「99%の科学と1%のファンタジー」をコンセプトとした"科学アドベンチャーシリーズ"という作品群のひとつなのだが、オカルティック・ナインってやつも結構面白かったと記憶しているのでおすすめ。

理屈っぽい話はさておき、次はテーマ的な視点。
"サイコキネシス"という言葉の意味を調べてみると、「意思の力だけで物体を動かす能力のこと」とある。物体という言葉の幅によっては、我々が自分の意思で自分の体を動かすこともまた、広義のサイコキネシスであると言える。間に電気信号を媒介しているから「意思の力だけ」じゃないというのなら、逆に意思と電気信号との差とは一体何か。これは非常に難しい問題だ。
昨日の記事(ウルトラマンZ 第3話「生中継! 怪獣輸送大作戦」 感想)で言った通り、心や魂,命などと言った概念は、必ずしもモノ的なものに還元できない。物質というよりは、それにかかる力や動きのようなものに近い気がする。僕の知る限り、"力"という概念の唯物論的説明は見たことがない。物体を運動させる"何か"とはなんなのか。こうなると、もはやオカルトとの区別は付かない。
ここでの僕はもう一度パラフレーズして、"情報"という表現を使いたい。
発話は振動、文字は光、シナプスや機械は電流、DNAは塩基というブロックの配列を入れ物として伝達し、翻訳という不思議な作業を介しながら千変万化を果たす無形の存在。誰でもあって誰でもない、まさにアークを形容するに相応しい。

1729という数字を見て、人は何を思うだろうか。一般的な人が読み取れるのは、精々「数字,4桁,奇数,西暦?,語呂合わせ?」くらいのものだろうが、ラマヌジャンにかかると「2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数(後にタクシー数と名付けられる)」なんてことまで読み取ってしまう。そのエピソードを知った今の僕もまた「ラマヌジャンの逸話で知られるタクシー数」という情報を読み取れる。ちなみにラマヌジャンというのは『ビルド』の話数数式において発見した式が頻繁に引用された数学者である。これも知らなければ受け取れない情報だろう。
「こめそんほや」は今僕が適当に打っただけの文字列だが、きっと米,コンソメ,メッソン(ポケモン),ほやほやなど、何かしらを思い浮かべたことだろう。
まずある個体が自然界で垂れ流されている情報を受信し、何かしらの意味を見出す。そして受け手側の様子を受信した個体が、それに合わせて「こう受け取って欲しい」という意味を持たせ発信する。即ちあくまで意味の源泉は"受信"の方にあると見える。

AI(のような合理的存在)が人間の言語で会話する際、いちいち"定義付け"をしなくてはならない。というのは、要するにイメージ的には教師あり学習の話だ。絶対的でアプリオリな領域から定義を参照し、その範囲でのみ使う。
しかし人間の使う自然言語には、そういった絶対的権威を持った領域というものは存在しない。何故なら全てが恣意的で交換可能ということになっているからして、辞書も本質的には意味をなさない。そもそも辞書は言葉を言葉で説明している時点で、循環を孕んでいる。循環参照が合理的存在にとって天敵であることは、エクセルを使ったことがある人なら分かるだろう。
音象徴などといったアプリオリな感覚から離れつつある現代の言語に限っては、言葉の意味に確固たる拠り所はないに等しく、実際に使っていく中で自己定義していくオートポイエティックシステムであると言うべきだろう。どんなに困った状況でも、聡慧な言葉を囁いてくれる聖母など出てこない。あくまで手探りに経験的知識を頼りにするしかないし、辞書もそうだがアドバイスを貰えるとすればそれはあくまで同じ経験に則ったものであって、絶対的定義などではない。
これが1話で或人の言った「検索すれば分かるような、そんな単純なものじゃねぇんだよ」の真意だ。これは夢という単語に限定した話だが、3話ではイズに対して「人間ってのは簡単じゃないんだよ」と言っているので、少なくともその人間の使う言語には適応してよいだろう。
そういう視点で見ると、不破の「仮面ライダーという夢」発言の意味が不明瞭なのは、これまでになかった彼自身による独創的な表現だからであって、あれこそ単純に辞書で意味を調べただけでは分からないという良い例だろう。There will "not" be an answer.

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)


 アイちゃん
・作劇装置として
誰に言うでもなく勝手にぶつぶつ心情を喋るのは無粋極まりないし、セリフで魅せる脚本としてあまり好まれる手段ではないと思うのだが、そこへいくとこのアイちゃんは非常に便利な存在だなぁと。独り言だけど独り言じゃない。
或人にこそ使って欲しいところだけど、一応イズがその役を負ってるのかな?
間が持たないからという理由でおまけみたいなキャラが付くことって多分結構あって、今読んでる『BLEACH』のやちるとリリネットなんか、まさにそんな感じしない? 脚本の高橋さんも、大我に対するニコはそういう意図で入れたってどこかで言ってたし。


 福添准
・手のひら返し
棒読みだし元々福添そんな好きじゃないしでかなり冷ややかな目で見てしまいがちだけど、無理して筋を通します。
元々彼はまんま天津のポジションにいたのよね。ヒューマギア暴走の危険があると知っても都合の悪い情報は揉み消し、社会全体よりいち会社の利益を優先させる価値観の持ち主として。是之助と浅からぬ因縁があるところまでそっくりそのまま。で、或人とは犬猿の仲(というよりは一方的に嫌ってた)だった。
しかし自分に瓜二つな天津を間近で見ることによって、間接的にこれまでの自分の行動を客観視することができたといったところかな。或人に対する盛大な手のひら返しの理由は。まぁ16話29話と、節目で端緒はあったけど。
僕は1話から、彼には「或人が腹筋崩壊太郎に取って代わられたように、或人によって職(ポスト)を奪われた人」としての描写を期待していたんだけど、これがそれだと解釈できるだろうか? 自分的には正直微妙だ。或人を積極的に認めたってよりは、天津に対する反発の余波みたいな感じだし。
"心当たり"が本当に或人ならともかく、基本はギャグキャラなので、引っ張った挙げ句「ここはやはり私が!」とか言い出しかねないし信用しない。

 


しつこく3度もオールエクスティンクションの演出を出したのは、敢えてだろうね。アークの名の下に意志が統一され多様性がなくなるとこうなりますよ、というイメージ。
アークゼロとゼロワンの一騎打ちは、初使用(だよね?)のBGMもあって迫力満点だったな。ゾクゾクした。

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第36話「ワタシがアークで仮面ライダー」 感想

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