やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第23話「キミの知能に恋してる!」 感想

キャラクター

 飛電或人
・以前ニートによる「仕事論」という記事を書いた。そこで論じた「おそ松さん現象」が起こるために、今回出てきた"マッチング"という概念は非常に重要な位置にいる。
前提として、あらゆるものは価値を見出され得る。だが裏を返すと、価値を見出してもらえないケースも多々ある。
それは何故かといえば「たまたま必要としている人と巡り会えなかったから」に他ならない。
毎日何トンと捨てられていく残飯は、世界のお腹を空かせた人たちと。空き家や空き部屋は、住む場所を求めている人たちと。
巡り会えない理由は多々考えられる。物理的な距離の問題だったり、心理的な距離(情報格差)の問題だったり。
心理的な距離というのは分かりにくいかもしれないので軽く説明しておこう。例えば僕は(おそらく長い距離を)走ってる人を見かけると、その時まさに自分が乗っている自転車を貸してあげたくなる。僕は時間的余裕があるので、その人が自転車で目的地に着いた後、ゆっくり歩いて取りに行けばいい。だがこれを邪魔するのは「この自転車は"僕のもの"であって、他者が乗るものではない」という所有感覚だったり、「見ず知らずの人間が突然自転車を貸すということの非常識さ」だったりする。でもこれらの解決って不可能かと言えばそんなことはなくて、そのまま盗まれるのが怖いならGPSでも付けておけばいいし、貸し借りの交渉だったり目的地がどこだと伝える時間がもったいないというのも、近未来的なデバイスを想定すれば問題ない。本来ならば本人の脳味噌の中の電気信号という形でしか存在しない「急ぎでどこどこに向かっている/時間に余裕がある」「自転車があると助かる/自転車を貸しても良いと思っている」などといった情報がネット上にあれば、会話という手段よりは素早く貸し借りの交渉を行うことができる。
この間なんの気なしに「今うちに米がなくてさ」という話をしたら、「貰ったお米を食べきれなくてちょうど捨てたところだったので、言ってくれればあげたのに」と言われた。
このように、物理的な距離はともかく情報の共有不足によってもたらされる価値の非効率的な利用は、ネット上に自分の情報をアップし検索できる状態にしておくことで、ある程度は解決することができる。
今でも既に似たようなシステムは出来上がっていて、Twitterでよく見られる特典などの交換交渉や、もっと言えばメルカリなどの売買サービスもそのひとつだ。ただ家にあるままの状態ではなんの価値にもならない中古品が、ネット上で情報を共有することで必要としている人に見つけてもらいやすくなる。もちろんそれは別にネットじゃなくてリアルなフリーマーケットの場とかでも別にいいんだけど、やっぱり"検索"ができるというのはかなりの利点であり得る。
僕はエグゼイドの感想を書くにあたって、全話を見返しながらそのセリフの全てをタブレットのメモアプリで書き起こした。そうすることによって、例えば"リプログラミング"という劇中用語について考えたい時、検索すればその単語がセリフとして出てきた場面をすぐに一覧できるようになった。映像媒体のままでは、現状そのようなことはできない。
このように現実世界に溢れている情報を検索できる形でデータベース化することができれば、世の中の価値はもっと効率よく回ることができる。
まぁ、それがとても難しいんだけど。メルカリで出品すること(発送とかを含めずとも、どういう傷があってどういう状態でというのをいちいち書かなきゃいけない)すらめんどいって人もいるだろうし、セリフ全部書き起こすのだって正直とんでもない労力だったからね。機械の音声認識精度も普及してるレベルのものはそれほど高くないことは、CSMデルタドライバーがあんまりな評価だったことからも分かる。これが視覚情報ともなると更に機械任せにする難易度は(多分)あがる。是之助が1話冒頭で誇らしげにしていたように、カメラに映るものを機械があれこれと認識するのって、音声情報を文字に変換するよりもずっと難しいんじゃないかな。
でもまぁ、これも以前言ったヒューマンコンピュテーションの発想を使えば、ある程度はなんとかなりそうなもんだけど。
今一度詳しく説明すると、スパムを弾くためによく使われているCAPTCHAってのがあるじゃない。ぐにゃぐにゃに歪んだ文字(コンピュータには解読できないもの)を解読させることで人間かどうか判断するシステム。あれを逆転させて、コンピュータでは認識できない古書のかすれた文字とか手書きの書物とかを暇な人間に読み解かせることで、リアルデータをデジタルデータに変換するというもの。暇な人間というのは、まぁボランティアでもいいし、ゲーム形式にするという手もあって、これは"ESP game"という形で実際にGoogleかどっかがやっている。
手元にソースがないので記憶と英語のWikipediaを頼りに書くけど、ある画像から連想する単語を入力して、ランダムに選ばれたペアと一致すれば成功、みたいなルールだったと思う。「ゲームをクリアしたい」というモチベーションが高ければ、他の人に共感してもらえないような不自然なワードを入れることは減るし、より多く一致を得られたワードがより画像と関連度の高いワードであると判断され、ある画像に"犬","チワワ","オス"みたいな情報が付与されていくという仕組み。
ネット上にあるデータを有効利用する準備が整ってくれば、こういった作業の価値も高まる。そうなると、もしかすると「これは犬、これは猫」などと判別するだけで、雀の涙ほどではあってもお金を稼げるようになるかもしれない。技術も日々進歩してるはずなので、その頃にはそんな簡単な内容じゃなくて、ある程度長さのあるテキストを要約する(章題をつける)くらいの難易度は求められそうだけど。
簡単にまとめると、今回の婚活マッチングのように「自分がどのような人間なのか」などといった情報をユーティリティ化しておく(共有する)ことが、おそ松さん現象への第一歩だろうということ。
・或人の他人に任せられず自分でやりたがる側面というのは決め台詞にも現れてるし、変身するのは思ってたより違和感を覚えなかったかな。
それに「やっぱり駄目か」と言ってた通り、確かに最初の1回だけを根拠にこれからもずっと手に負えないと判断するのは正しいとは言えない。不破がアサルトウルフの反動を克服してる様も見ているはずだしね。
責任の所在という概念は、それこそメタルクラスタのようにぐにゃぐにゃと変容する。
前回の暴走はおそらく多くの人にとっては「或人の責任ではない」と思われるだろうが、今回は「或人は使えば暴走すると知っていたので責任がある」と思われるだろう。
どこまでをその人の領分とするかという問題に、絶対的で必然的な基準というものはない。「知らなかった」というのが免責事項になり得ないケースがあることは、法律について多少の知識がある人なら分かることだろう。
極端に言えば『東京喰種』で展開された「この世のすべての不利益は『当人の能力不足』で説明がつく」という話になってくる。
「積極的に調べようとしなかったその人の責任」ということもできるし、天津に無理やりはめられたというのも「天津を説得できなかった或人の責任」ということもできる。
もう少し身近な表現だと、「他人は変えられないが自分は変えられる」みたいなことかな。
暴走を防ぐことが可能だったか否か、という一点で責任を考えるならば、或人には天津を説得したり力で上回ったりして止める可能性があったし、横で見ていた不破にも止めることはできたかもしれないし、唯阿だって指示に逆らいメタルクラスタキーを作らないことができたかもしれない。天津があのような言動をするのは是之助の影響があるかもしれないし、現社長の或人へ対抗心を燃やしていることも関係しているかもしれない。
このように無数の原因が複雑に絡み合って起こった事象を特定の何かのせいにするのは、ただその人が「そのせいということに"したい"」ということに他ならない。それは自分の免責のためかもしれないし、誰かを貶めるためかもしれないし、今ある社会通念を守るためかもしれない。
もちろん「誰かが何かについて、誰かの責任ということにしたがることの責任」に対しても同じことが言えるが。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

 イズ
・「その前に」って、前回ものごとを並行処理できるのがヒューマギアのいいとこだみたいな描き方がされてたのに、つくづく彼女はポンコツだなぁ……(笑) それが許される世界ってのが羨ましい。特に、人間なら共感が働くので「いくら障害があっても人権はある」みたいな擁護をされやすいけど、ヒューマギアなんて道具として見るなら「能力がなく役に立たない=存在価値がない」となりがちなのに。
愚行権の話は折に触れて何度かしてるけど、他人はともかく自分に適用しようとするとただの保身的な言い訳としか捉えてもらえないことが多いので、自分が他人を許容することで他人が自分を許容してくれることを期待する方がいいのかね。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)

 

 刃唯阿
・「ヒューマギアは道具に過ぎない」って信念的にもてっきり天津に心酔してるもんかと思ってたが、そういう訳でもないのね。じゃあ何故下についてるんだろう。単純に就活してたらZAIAに行き着いたってだけなんだろうか。

 

 ゲスト
・「お前、前回のは最終的に結婚詐欺じゃないってことになったろ」ってのも分かるけど、当人の立場になってみれば、一度感じた「騙されてたんだ」というショックの記憶が消える訳じゃないので、人間不信になるきっかけとしては十分通用すると思うし、その件について全く知らない人と話す際に「結婚詐欺かと思ったら実は違ったんだけど、でも不信感は残ってしまって……」なんて説明は回りくどくて伝わりにくいからという理由で「結婚詐欺にあった」という体で話を進めるのも、僕的にはかなり気持ちが分かる。
本当に伝えたいことは人間不信になったという事実であってそのきっかけとなった具体的事実ではないので、重要な部分だけそのままに編集を加えるというのは、僕もよくやる。
・マッチに対する手のひら返しも、割と心情的に理解できる。人間の男性から逃避した先で出会ったヒューマギアというよく分からない(≒神秘的な)ものに自分の理想を投影していただけだろうから、少しでも理想と違うなって思えばその好意はすぐに崩れ得る。ちょっと連想したけど、「"外国人"と結婚したい」みたいな願望も似たようなものなのかね。

 

 

設定

・最近ヒューマギアの沸点が低いことに理由を見出すことは可能だろうか。
単純に、ヒューマギアの運用開始から時間が経てば経つほどシンギュラリティに達する個体が出てくる可能性は高くなる……とか、そういうことで納得できる人はどれくらいいるかな。
僕は「ヒューマギアの自我はもう何度も繰り返してきた描写だから尺の都合で詰めているだけ」ということにしてるんだけど。
今回の件に限った話をすれば、「自分は善意から行動してるつもり(相手がどう思うかはさておき)なのに暴力をふるわれた」という捉え方をすればそこまで不自然な怒りでもない気はするんだけどね。事実として相手を怒らせるような言動をしているというのとは別に、いやむしろだからこそ「自分は悪者になって"あげている"」という恩着せがましい気持ちが募るというのは分からんでもない。

 


人の認識って不思議なもので、ギャグ回や番外編でのキャラブレには比較的寛容になれても、客演でそれが起こると途端に怒り出したりするのよね。確かにムーブメントが終わってから取り扱うとなると「わざわざ掘り出したのに」みたいな色眼鏡がつくのも分かるんだけど。
すぐ思い付くところだと、僕は「氷川さんは逃げたことがないとは言うけど、豆腐が掴めない云々の時に翔一の免許に話を逸らしたよなぁ」とか言ったことがある。もっとよくあるのは、2人のキャラが互いを認め合う流れをやった後で、また派手に喧嘩させて「駄目だこりゃ」とオチをつけるパターン。これもギャグだからと目を瞑られることが多いけど、僕はあんまり納得できないのよね。
例えば加賀美カブトなんか、ジオウ当時の感想にも書いたように、本編に「お前がそんなでっかいやつだからこそ……俺はお前を超えたいと思ったんだぞ!」という加賀美が天道の後を追っていると捉えられるセリフがあるにも関わらず、「俺は俺にしかなれない」の部分だけを取り上げてジオウの描写を責める人が多いのよね。カブト本編に対してもきちんと「キャラブレだ」って責めてるならまだしもさ。ブレてるのはどっちだよって話。
いち個人の中に対立する複数の意見や基準があることが悪いことだとは、少なくとも今の僕はそんなに思ってないけど。

 

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映画

ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想(ネタバレなし)

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