やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

進撃の巨人 3巻/1期9,10,11,12話 感想

特別編『リヴァイ兵士長』

普通にコミックスに収録されてるのに、イルゼの手帳に至ってはアニメでも外伝扱いされてるのか気になって調べてみたところ、本来月刊の別冊マガジンで連載されているところを、多分客層を増やして盛り上げるために週刊マガジンの方に出張読み切りとして掲載したのがこの特別編らしい。まだこの時点では連載1周年とかそんなもんなのに、そこまで目をかけてもらえるほど人気だったのかね。

小説とかだったら、最後の方の奥付けっていう発行年とか第何刷とか印刷所とかの情報が書いてあるようなところ(の近く)に「本書は書き下ろしです」とか、そうでなければ1章はどこどこの雑誌の何月号に掲載されたもので、2章は……ってな感じに"初出一覧"って枠が用意されてるんだけど、漫画はそれがないのね。ネットで調べてもアニメの話ばっかり出てくるから、Wikipediaでページ内検索してやっと見つけた。

 

リヴァイは潔癖症だそう。そう聞くとむしろ憲兵団向きなのではと思ったりもするが、彼のそれはどちらかというと「頻繁に汚れるからこそそれが嫌だと感じる」ものであって、最初から汚れることを嫌って何も行動を起こさない訳ではないので、そこが違うのかな。
死んでいった仲間の残した遺志が、リヴァイに戦うための力をくれる。兵士たちはみな公のために心臓を捧げているが、これはおそらくリヴァイの名前の由来であるトマス・ホッブズの政治,哲学分野の著書『リヴァイアサン』と関係があると思われる。
これもまだ読んだことはないのだれけれど、基礎知識として知っているのは彼が社会契約説を唱えた一人であって、確立された国家(進撃の文脈で言うならば道徳)のない"自然状態"における、個々の人間が銘々の利益を求めて争い奪い合う無秩序な様子(僕はそれもある種の秩序だと思うが)を「万人の万人に対する闘争」と表現したことで有名な人であるということ。

その自然状態、つまりアニの言う"人間の本質"が剥き出しになった堕落した世界から脱却するために、一人ひとりが元来持つ権利(自然権)を国家に譲渡し、公共の福祉のために社会規範を守る義務を負う≒心臓を捧げる契約を結ぶべきであり、それが成立した国家のことを彼は「リヴァイアサン」と名づけたらしい。
このことからもリヴァイは、どれだけ潔癖症であろうとも心臓を捧げた国家のためならば義務感を持って任務をこなす兵士の中の兵士……つまり"兵士長"なのだろう。

 

第10話『左腕の行方』

エレンを食べたじじい巨人(シナリオより)の外見は、どことなくゴヤという画家の『我が子を食らうサトゥルヌス』という絵画を思わせる。蓄えられた白い毛や食う側が食われる側に対して非常に大きいことの他に、生殖器が失われ(去勢され)ているというのも重要な共通点のひとつだろう。また絵の中で"我が子"が食われて失っているのもエレンと同じ左腕である。これに関してだけは、じじい巨人はむしろ左腕だけ食わなかった訳なのでむしろ正反対と言えるかもしれないが、ともかく通ずる点が多いのは確か。
サートゥルヌス――ヘボット民としてはこちらの表記の方がしっくりくる――とはギリシア神話におけるクロノスのことで、彼は自らの子供に殺されるという予言を受け、それを恐れて5人の子供を喰い殺してしまう。このとき最後に食べられた末っ子のゼウスが、吐き出されることによって二度目を誕生を果たしたこととなり、兄弟の出生順が逆になって最高神の座を手に入れる……という割と有名なエピソードが、元になっている。
このことを考えると、エレンの「どうしてオレ達は奪われる……。命も…夢も…」という疑問の答えは「弱いから」だけでなく「怖いから」でもあるのかもしれない。事実パラディ島に攻めてくる巨人たちは、資源の獲得以上にマーレが始祖の力を恐れて自分たちの支配下に置こうとしているが故のことだと思えば、あながち間違いでもない。

そしてこのイニシエーションを経て、ゼウスよろしくエレンは巨人化という人類最強の力を手に入れることとなる。
元ネタであるウルトラマンの所謂"ぐんぐんカット"はほとんどが右腕を挙げているはずだが、今回は何故か左腕。じゃあエレンが左利きなのかといえばそういう訳でもなく、両手でブレードを扱うからなのか左右それぞれ使っている描写がある。
ただエレン巨人に関しては、ミカサを助けたときの初撃といい今回のエレンの足を食ったカエル型巨人(作者ブログより)へのパンチといいどちらも右手だったにも関わらず、シナリオにおいて明確に「左利き(サウスポー)」と記されていた。これはファイティングポーズを取る際に利き腕を引いて構えるのが一般的なことから、その旨を指示しているに過ぎないと言われればそれまでなんだけど。僕なんかは右利きだけど、細かい動きが必要とされない握力は左の方が強かったりするので、そういう使い分けをしている可能性もある。
あくまで今回の巨人化においては左腕を奪われた怒りがトリガーとなったから、その左腕でもって巨人に復讐するという意味で一時的に左利き、ということなのかな。利き腕を使った方が楽で自然なはずなのに敢えて逆の腕で戦う、ということに意味があるのかも。

何故左なのかと考えてみたが、いまいちこれといった案は出てこなかった。主役3人が並ぶときにミカサはエレンの左側に立ちがちだという話はしたが、そこから母親(過去)を奪われた怒りを象徴させているのかとも思ったが、直前のセリフが「夢(未来)を奪われる」なので、解釈に微妙な摩擦がある。

 

『殺シテヤル』という独白はあくまで巨人に向けられたものであって、エレンが自分たちを殺そうとしているのだという兵士たちの解釈は勘違いである、というのは一般的な読み方だと思うけど、僕は必ずしもそうは思わない。
巨人であるか人間であるかに関わらず、エレンは何かにただ流されるだけの存在全てを蔑み憎む。ミカサやアルミンとの過去を振り返れば、それがクズであれば人間であっても容赦なく殺すことは明白だろう。

それはそれとしても、話を聞いてる限りは「巨人の体から出てきた」という一点のみを根拠にエレンが巨人なのではないかと疑っているようで、それは些か飛躍しすぎというか、勘が良すぎる気はする。
普通に考えたら、まずは「ブレードごと飲み込まれたから切り裂いて出てきた」みたいな可能性を想定しそうなものだけれど。あれだけ蒸気まみれだったんだから、目撃者と言っても本当に出てくるその瞬間を見られた人間は限られてくると思うし。
その辺を整理すると、既にミカサやアルミン達がある程度は状況の説明を終えていて、その上でキッツが元々奇行種にしても特異過ぎた巨人のうなじから出てきたことを踏まえて捕縛するとか射殺するとか言い出して、二人がエレンを庇って反逆者と見なされている……って流れなのかな?


アニメでは「もう5年前の失態は許されない!」というキッツの負っている責任の重さが如実に現れているセリフがなくなっているのが惜しい。ひとつでも選択を間違えれば、自分のせいで人類滅亡のきっかけを作ってしまうかもしれないというプレッシャーは相当なものだろう。
何よりも結果論とは言え、彼は先程「補給班を信じて自分は前線から離れる」という選択ミスを犯したばかりだというのが大きい。むしろ今は得体の知れないエレンの目前に出て来るという危険を冒してまで自分の目で判断しようとしているという点で、改善の意志が見られる。
「人か? 巨人か?」と聞いておきながら人間だと答えても撃つのは、一見どう答えても答えは決まっていたようで横暴に見えるが、仮にエレンが本当に「自分は極秘で行われていた巨人化実験の被験者です。ピクシス司令に確認してくだされば分かります」と答えていたとしたら、少しは話を聞いたのではないかと思われる。もうすぐこの場にピクシスが来ると分かっていたなら、この重大な決断の補助を彼に仰ぐことができる(知っているから殺すな/知らんから殺せ)訳なので、彼にとってこれ以上の安心材料はなかっただろう。

次回の話をする上でかなり重要なことなので、もう少しだけキッツについての酌量を続けたい。これ以降特に大きな出番もないしね、悪い印象がついたままでは可哀想だし。
「誰も自分が悪魔じゃないことを、証明できないのだから……」というセリフからも、彼の心情を読み取ることができる。もし単にエレンに対して証明になっていないと責めたいだけならば、ここは「そんなもの口ではなんとでも言える!」ともっと強く出ても良さそうなものだが、そうしない一番の理由は「エレン達を殺さんとするキッツ自身もまた、悪魔じゃないことを証明できない」という感情の含みがあるからに他ならない。
無実のエレンに巨人の汚名を着せることが悪いのは勿論のこと、更には技術と座学それぞれでトップの才能を持つミカサとアルミンを巻き添えにして殺すことが、人類にとって損失でないはずがない。証拠も不十分なままにそのような判断を下した結果、やはり人類が滅んでしまう可能性もまた否めない。だからこそ「悪く……思うな……」と謝罪までしているのだ。ここの間もアニメで詰められてしまっているのが、キッツにとっては不利に働いている。
このようなギリギリの状況下で、自分の罪悪感と戦いながらも兵士としての信念を曲げず規律に則った決断を下したことを、そう無闇に責めるものではないと僕は思う。

 

第11話『応える』

巨人そのもので肉の壁をつくるというこれまた後の匂わせっぽいことをしながら、巨人相手には既存の常識が通用しないために柔軟な対応が必要となるという話をするハンネス。流石、実戦を生き延びただけのことはある。
巨人化の力というチートレベルの力を授かった今だからこそ、たまたま或いは世襲で手に入れたそれではなく、強靭な精神力というエレンが元々持っていた長所を的確に分析するのがいいね。あくまでその精神力があって初めて、巨人の力を有効に扱えることができるので。


ジャンたちに補給部隊の現状を知らせたのはクリスタだったのね。原作を読んで初めて知った。確かに彼女ほどの人徳があれば逆上した兵士にガスを無理やり奪われるなんてこともなさそうだし、仮にそうなったとしても彼女はそれを受け入れただろう。むしろ、その相手がジャンであれ他の人物であれ、伝えるだけ伝えて「じゃあ私達は撤退するね」となったことの方が不思議だが、そこはそれ。そばかすことユミルが、流石にこれ以上は看過できないと無理やりにでも引っ張っていったのだと思われる。アニとの関係についてもちょっと話したけど、ユミルがミカサのことを気にかけてるというか妙に信頼してるようだから、やはり同じ女子寮のよしみなのかそれなりに交流があるっぽい。もしかすると男女分かれてない可能性もあるかなと思ってたけど、意外と女性の兵士も多いし普通に分かれてるのだろう、多分。104期生のメインキャラ↓に至っては、6:5と男女比ほぼ半々だし。
エレン,アルミン,ジャン,コニー,ライナー,ベルトルト
ミカサ,アニ,サシャ,クリスタ,ユミル


グリシャは人類の希望となり得る真実を、何故地下室に隠したのか?
「どうやって自分の腕を動かしているか説明できないように」というエレンの言葉通り、僕たちは自分自身に対してあまりに無知だ。超大型巨人は人体模型やイラスト資料のように筋肉がむき出しになっているが、一般人のどれだけがその構造を理解しているだろう。かく言う僕も、どことどこが連動していて……とか全く分からない。

目を瞑ると目玉が上を向くというのは知識として知っているが、これはまぶたを閉じる筋肉と眼球を動かす筋肉も一緒に動くから……らしいのだけど、だったらまぶたのないエレン巨人の目が上を向いたのはなんで? と思ってもう少し調べたら、顔面麻痺でまぶたが閉じない人が白目を剥いてしまう現象についての記述もあったので、結局どういう仕組みなのかは分からずじまいだった。
筋肉についてもただなんとなく、ガルヴァーニの実験のように電気が流れると収縮する性質を利用している……ものだも思い込んでいたけれど、改めて調べてみるともっともっと複雑な機構らしい。本当に何も分かってないんだなぁ。

自分の家という慣れ親しんだ場所でも、その地下には全く未知の大きな謎が潜んでいる……とても奇妙で、不思議な感覚。
「パパとママが心だけは 隠して生んでくれたのには
それなりの理由があった だから二人は」
最大公約数/RADWIMPS
それになんだかメーテルリンクの『青い鳥』みたいね。幸せを探していろんなところを周ったけれど、実は幸せはすぐ近くにあったというあれ。
俗な話をするなら"自分探しの旅"にも近い気がする。どれだけ遠くに行ったって自分は見つかりやしない。自分の居場所はたいてい元の場所だったりする。


ミカサに対して「俺はお前の弟でも子供でもねぇぞ」と毒づく(?)エレン。ここは珍しく私怨的な話をしているのかなとも思ったけど、文脈的にはミカサを"守る"ための言動の延長には違いない。
ただもっと気になるのは、ミカサのことは戦力外として一方的に守る対象だと見なしているのに対して、この場ではアルミンだけを頼っていること。
この非対称性は、やっぱりエレンが戦う力を得たことによるところが大きいのかな。ミカサの特技である戦闘をそれ以上の力でこなせるようになってしまった今、ミカサは単に自分より弱い庇護対象でしかないのに対して、アルミンの長所である冷静な分析や判断はエレンではまだ再現できない。彼に今できるのは、誰の判断を信じるか決断をすること。
一回目の説得が通じずアルミンが後ろを振り返ったシーンが印象的だが、信頼とは時に残酷なものだ。ハイキューにおいてはそれが如実に描かれていて、初期から主人公の日向はセッターの影山のことを100%信頼することでお互いを高めあってきた。そして今度はその影山が他のチームメイトに対して"脅迫(しんらい)"を浴びせることとなる。青城高校の及川が仲間に課すのもまさにそれで、信頼が厚ければ厚いほど、それに応えなければならない側のプレッシャーは尋常ではなくなる。
この辺の話を踏まえるとトロスト区という地名の由来は英語のtrustが有力かなって思うものの、ここ自体はトロスト区内ではないのがな。


そして、今回最も重要であるキッツがアルミンの話を無視して砲撃の命令を出す場面。このときの為に、しつこいくらい彼の株が必要以上に下がらないよう弁明を続けてきたのだ。
大前提として、巨人という存在がこれまでの感想において軸として論じてきた「道徳と尊厳という人間らしさ」の対極に位置する存在であることを確認しておきたい。恥を知らず裸体のまま野を練り歩き、生殖器がない……つまり去勢され尊厳を奪われていることに無頓着で、欲望のままに人を殺して更には食うというタブーを犯す。まさに不道徳の権化として描かれている。
それを否定するエレンを始めとする"兵士"たちは、私的な欲望を強い責任感と義務感でもって制御し、3年に及ぶ過酷な訓練を耐え自らを研鑽した上で、その心臓を公の利益のために捧げ、与えられた任務に従って戦うのが役割である。道徳であれ兵団の規則であれ、社会が要請する"規範"に応じ私情を捨てて振る舞うのが兵士(≒尊厳ある人間)としての義務だと、これまで描かれてきた。その文脈で見るならば、今回キッツの取った行動は紛れもなく"兵士として"立派なものであったと言えるだろう。
以前も書いたが、兵士がいちいち自分の考えでもって勝手に動いては兵団という組織は成り立たなくなってしまう。だからこそ秩序を守るためにルールが設けられ、そのコミュニティの構成員はそれに従うことが求められる。

この対立軸を持って見たときに現れる、兵士が巨人になって戦う……つまり秩序の体現者であるはずの者が無秩序の化身となるという大きな矛盾。
これはすなわち「既存の道徳にとらわれない、新たな道徳の体現者」の誕生を意味する。
安直な表現をするなら「目的の為なら手段を選ばない」という単なるマキャベリズムであって、必ずしも良いニュアンスではないが、「人類のために敢えて悪行を引き受ける」ことこそ、エレンの今回示した希望なのだ。既存の規則にとらわれ過ぎることなく、常にその背後にある目的を見据えて自らの行動を選択する"強さ"。
自分を抑圧して課せられた義務を果たすのも強さだが、自分で自分の果たすべき義務を選択し新たな社会規範を作ろうとする行いは更にその上に位置する、まさに"超人"的な生き方だと言える。
ピクシスもまた、それができた。本来規則に従うならば反逆罪で殺すべきだったエレンたちを自らの責任で生かし、現状を打開する可能性に掛ける度胸は本物だろう。
そしてそれは、アルミンの"見事な敬礼"を見て、例え規則に反していようとも人類のために行動しようという気持ちは同じだと確認できたからに他ならない。特権的に"ルールを破るからこそ"いつも以上に、人類に対する奉仕という厳然とした大義に従って動かなければならない。ノブリス・オブリージュとはそういうものだろう。

 

第12話『偶像』

巨人は南から現れる、らしい。後まで見てる人はここに対して「何故?」とは思わないだろうけど、僕はフィクションへの疑問に対して"現実的な回答"をしてもあまり意味がないと思っている。この場合「南の海岸で巨人は生まれるから」がそれに当たって、「南で生まれるから南から来る」ってそれはもう当たり前過ぎてわざわざ取り立てて言う程のことでもないし、何より説明になっていないと僕みたいなひねくれものは思うんですな。
僕が気になるのは更にもう一歩踏み込んだ部分。「作者はどういう意図があって巨人が生まれる場所を南に配置したのか」。これまでの感想においてもそこを勝手に想像する形で話をすることが多かったと思うけど、ここで改めて確認しておく。

南である理由として考えられるのは、巨人のモチーフが北欧神話にあること。進撃世界の地図が上下逆なら、北欧神話由来の巨人たちが南から侵攻してくることは頷ける。残念ながら僕は大体のことについて浅い知識しか持ってないので、本当ならばここで他の宗教との対立とかそういう歴史も踏まえた話ができると面白そうなんだが、僕には荷が重い。もし北欧の人たちがキリスト教圏へ侵攻したようなことがあったなら符合するのかなとも思ったけど、当然と言うべきかどちらかといえばキリスト教の方が北欧神話を吸収(?)しているらしいのでこれは見当外れだ。

今回のサブタイトルである"偶像"が宗教用語なのは明らかなので、その方面から攻めること自体は間違ってないと思うのに、自分の勉強不足が恨めしい。
進撃の世界や根底にあるテーマがキリスト教的な善悪観の否定であることは、作者がかなり連載初期の時点で町山智浩氏の『ダークナイト』評(検索すれば出ます)から強く影響を受けたと自身のブログで語っていることから読み取れる。
また同ブログにて巨人、とりわけ超大型巨人は"神"に見えるよう意識して書いたと述懐していたことから、作中においては彼らこそがまさに"偶像"の役割を果たしていると見ていいだろう。巨人を憎み殺して回る壁内人類は偶像崇拝を否定するという意味でキリスト教的であったと言えるのかもしれない。
そういえばこないだエレン復活の過程をゼウスのそれと比較してみたけど、追記しておくとゼウスはクロノスたち"ティターン"を負かしてその王座を奪い取ったのだということを書き忘れた。大事なことなのに。


ピクシスに穴を塞ぐことができるのかと問われ、原作でのエレンは無言で逡巡した後にやると決意しているが、アニメでは珍しく自信なさげに「無責任できるとは言えない」と答えるやりとりが加えられていて、次回の展開を比較的分かりやすくする良い変更だと思った。
続く「敵は、巨人だけじゃない」というのも、意味合いが変わって見えてくる。弱腰になる兵士たちのことを言っているのはもちろん、同じくできるかどうか不安になってしまう自分自身の弱さもまた、倒さなければならない"敵"だということを、暗にエレンは言っているのだろう。


共通の敵を前にすれば人は争いをやめられるのかどうか。現在コロナウイルスという脅威に晒されている人類を思えばそれなりに頑張っている……ような気がしたが、そういえば感染者や対策を怠る人に対するバッシングとかで争ってたわ。
エレンが酒を飲めないのは、我を失って尊厳のない行動をするのが怖いから?

巨人はより多数の人間に反応すると説明するアルミンだが、それって奇行種とは違うのか? あくまで"目の前"にいる場合は一心にそれを追うのが通常種で、視界に入ってない状態ではより多数の人間がいる方向を察知して向かっていく……ということだろうか。
「人が恐怖を原動力にして進むには限界がある」というセリフについて、面白い記事を見つけたので紹介しておく。

人が恐怖を原動力にして進むには限界がある | 主婦防災士おさかおのブログ~助かるために行動しよう~

 

子供を守るために後ろへは退けないと覚悟を決める駐屯兵のモブがカッコ良すぎる。『機動戦士ガンダム』において「ぶったな! 親父にもぶたれたことないのに!」という有名なセリフがあるけれど、その直後、もうガンダムに乗らないと言うアムロに対してヒロインのフラウが「だったら自分がガンダムに乗って戦う」と言うのね。その瞬間、アムロは再びガンダムに乗る覚悟を決めて「悔しいけど……僕は男なんだな」という名言を放つ。
「ぶったな!」なんかよりこっちの方がもっと世の中に知られて欲しい。もう少し詳しい感想は↓。
(参照:機動戦士ガンダム 感想メモ)
例え偽物でも、希望を演じなければいけない時がある。


壁が破壊されてから都合3回目となる、エレンとミカサの言い合い。物語として見てるこちらからすればそこそこ時間が経っているような気がするが、本人たちにとってはおそらくまだ数時間の出来事のはずで、そんな短期間で同じこと3回も言われたら頭突きのひとつもしたくなるというもの。相変わらず私情を挟むミカサは、何も反省できていない。2回目は非常事態だったからまだしも、今回は1回目と同じく明確に自分の役割を与えられているにも関わらずそれを無視しようとしている。

結果的にはせっかくミカサが自分の腕でエレンのそばにいる権利を勝ち取るシーンなんだから、口には出さすモノローグで「私もエレンを守りたい……でも任務を果たす責任を放棄すればまたエレンに怒られてしまう……」と迷わせるだけに止めればよかったのではないかと思う。エレンのミカサに対する怒りも布石として表現しておきたいなら、そうやって黙っているミカサに対して「また付いてくるなんて言い出すんじゃないだろうな」と声をかけるかたちでも成立はした気がする。

 

第13話『傷』

エレン巨人は、暴走してミカサを殴る。ちなみに、ここでは初代レイス王がどうとかと言った解釈は取り扱わず、基本的には行為の理由は行為者自身に求める。仮にレイス王の影響があったとして、火のないところに煙は立たずと言うように、それに支配されたのは元よりエレンの中にあった同様の気持ちが表面化しただけと見做します。そもそも、レイス王は楽園に手を出すようなら地鳴らしを発動させると言っていたはずなので、壁内が脅かされている現状を放置するとは思えない。

「直前の喧嘩を引きずっていてその鬱憤を晴らすために殴った」というのが僕がこれまで見てきた主な説明だけど、なんとなくこれは安直すぎるように思う。あれは文脈的に「与えられた任務を果たせ」という問答であって、その意味では今回のミカサはきちんと忠実に動いているので。
前回の見返しでは、僕はてっきりそれとは別個に、母親に対して抱いていたのと同じ「自由を束縛する存在としてのミカサ」への根本的な嫌悪感(お前がずっと嫌いだった)に由来しているのかとも思ったのだけれど、この後の夢のシーンにおいて母親と共に家の中にいることを踏まえるとこの解釈も微妙かもしれない。
とすると考えられるのは、ミカサを傷付け危険に晒してエレン自身も嫌われることで、ミカサにもっと安全な場所に避難して欲しかった……とかだろうか。「俺はお前の弟でも子供でもねぇぞ」の時は、彼女を危険に巻き込まないために遠ざけようとしてた訳だし、ミカサにエレンを守る"義務"なんかないと言いたかったのかもしれない。
……うーむ、僕はあんまり釈然としないけど、まぁまた何か思いついたら追記しよう。


コニーが巨人を壁の隅に集めるアルミンの策を「無駄としか思えない」と言ってるけど、なんでだろう。
そもそもコニーは奪還作戦自体に未だ懐疑的で、ウォールローゼが突破された時の為に巨人を倒していくならともかく、ただおびき寄せるためだけに危険を冒すのが納得いかない、ということだろうか。
イアンは「エレンに代役はいない」と言っていたけどそれは人類規模のマクロな視点に立った場合の話で、ミクロに見れば一人ひとりの兵士だってそれぞれに家族や友人がいて、代わりなどいないということを描いてるのかな、この辺のアニオリパートは。不満があってもきちんとやることはやるコニーは大人……というか立派な兵士だな。


巷ではエレンゲリオンなんて呼ばれたりしているけど、実際ここのシーンはとてもエヴァっぽい。暴走したことというよりは、エヴァのエントリープラグが胎内をイメージしたものであるように、巨人の体もあたたかく、母体のような安心感を与えているらしいことがそう。
今回エレンが任務をきちんと果たせなかったのは、おそらくピクシスやリコから受けた強いプレッシャーによるものが大きいと思われる。もし全人類の希望が自分の肩に乗せられているという事実に比較的無自覚なまま、少し前のミカサのように勢いに任せて変身していたら、或いはそのまま岩に直行できたかもしれない。持ち上げられたかはともかく。
だが大勢の兵士の前で人類の希望として名前と顔を晒し、これから死にゆく兵士たちの名前を聞かされたことで、エレンはその「人間の比率で考えれば持ち上げられるとは思えない」ほどの大きなプレッシャーに耐えきれず、幸せな幻想の中へ逃避してしまった。

ここで重要なのは、今までのエレンはむしろ極端なほどに責任に対して誠実であったということ。初めから責任感のかけらもない失敗してもヘラヘラしていられるような人間ならば、プレッシャーに押し潰されることもない。責任感が強いからこそ、絶対に失敗は許されないと自分で自分を追い詰めて、精神的に消耗してしまうのだ。作戦前にミカサを遠ざけようとしたのも、正直なところでは成功させる自信がなかったからだったのかもしれない。
あんまり話が広がらないのでボツにしたけれど、エレンはそもそも壁をつくって閉じこもること自体が嫌いな訳なので、外へ出られる穴を"塞ぐ"ということが嫌で暴走したのではないか、という可能性も、もったいないので一応併記しておく。

 

前巻

進撃の巨人 2巻/1期6,7,8話 感想

次巻

進撃の巨人 4巻/1期3,4,13,14話 感想