やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

進撃の巨人 2巻/1期6,7,8話 感想

第5話『絶望の中で鈍く光る』

原作では作画にかかる労力を減らすためなのか、トロスト区はひたすら細長い集合住宅のようなものが連なっているだけという、不自然なほど整然とした街並みで描かれている。
まぁ実際(必要な)手抜きではあるんだろうけど、5年前までは内地だったとはいえ、シガンシナと同じく突出している僻地には違いないはずで、身分のそれほど高くない人々が雑に住まわされてるという背景を考えれば、意外と筋も通ってるのかもしれない。
1巻と見比べてみると、シガンシナの方が一軒家も多く複雑な配置となっている。あちらは本当の本当に最前線であったが故に「最も勇敢な戦士」としてある程度の贅沢が与えられていたとするなら、このトロスト区はその旨味も十分になく、実は壁内で最も質素な環境なのかもしれない。
ただひとつ苦言を呈するなら、これでは壁に向かってまっすぐ道ができるようなつくりになってしまっているので、もし巨人が入ってくることを想定するなら、列にするとしても進路を阻むよう横長にするとか、ある程度込み入った地形にしておくとか、そういう工夫をしておいた方がいい気はするが。
アニメではその点がほとんど改善されており、それなりに複雑な街並みとなっている。


アルミンはどうして食われなかったんだろうね。そもそも、エレンが食われてからずっと何をしてたのか。
親友が食べられたショックで茫然自失とするのは分からんでもないが、巨人が何故かアルミンを無視したという問題が付属してくるので、いまいち納得し難いところがある。
勝手に都合よく補完するなら、半分パニックになりながらもじじい巨人からはなんとか逃げ切ったものの、少し離れたところでふとフラッシュバックして動けなくなってしまった……といったところだろうか。アルミンが移動していて近くに転がっているはずの手足や血痕がなかったから、コニーは確信を持てなかったのかも。
ただ動けず見ていただけでなく、その仇を前にして逃亡までしてしまったのなら、アルミンの後悔や自責の念は倍増するしね(※後の話でその可能性は否定されてました)。

「強い者が弱い者を食らう、親切なくらい分かりやすい世界……ただ、僕の友達はこの世界で、強くあろうとした」
これもすごくいいセリフだけど、やっぱりきちんと意味を説明するためにはひと捻り加えないといけない。
弱肉強食の世界で強い側に回りたがるのは、考えてみればごく自然なことだろう。その自然なはずの文脈が、"ただ"という逆接に近いニュアンスで接続されているのは何故か。
その意味はふたつ。ひとつは「僕の友達(エレン)は決して強くはなかった。にも関わらず、強くあろうと強者に立ち向かった」。現在のエレンは対人格闘においてトップクラスの成績を誇っており、ライナーとの会話でも「体ばっかでかいガキ大将が遊び相手だったからな…」と語っているが、1話においてはアルミンから「ガキ大将達はあくまでミカサを見て逃げたんだろ」と突っ込まれていることから、エレン自身はそれほど秀でて強くはない身でありながら、ガキ大将に喧嘩を売っていたことが窺える。
もうひとつは「腕力の強さとは関係なく、強きを挫き弱きを助くという道徳的な強さ≒優しさを持っていた」ということ。前半と後半で言葉の指しているものが変わっているので、同じ"強さ"でも逆の意味を持つことになる。
詳しく解説しようとするとこんな長ったらしい文章を書かなきゃいけないはずなのに、その含みを殺さないままあれほどスッキリとしたセリフに仕立て上げる言葉選びのセンスよ。
進撃の魅力って、突き詰めると最終的にはそこに辿り着く気がする。


僕は基本的に天邪鬼なので、作者の誘導に反してヒネた見方をしてしまうことが多い。リーブス商会のせいで避難が遅れてる描写なんかはまさにその代表で、初めて見た時から「必ずしもディモ・リーブスが悪いとは限らなくないか?」と思ってしまう。
口調が露悪的だから誤解されがちなだけで、本当に積荷があそこにいた人間全員の命よりも重要なものである可能性は否定できない。だってミカサは、中身を見てないんだから。
人の命より大切な荷物なんて果たしてあるのか、という話だけれど、分かりやすい例で言うなら、医療用品などがそれに当たる。例えば流行り病のワクチンだったりしたら、仮に巨人を防げても人類は滅亡してしまうかもしれない。
もしくは、まさしく今命を賭して戦っている兵士の傷を手当するためのものだったとすれば、あの場にいた50人を見殺しにしてでも荷物を届けることで、兵団の戦力を整えて戦えるようになれば、或いはトロスト区の奪還も可能かもしれない……そんな風に思ってのあの発言だったなら、どっちが正しいとは一概に言い切れない。

もちろんこれまでの文脈を踏まえるなら、彼は明らかに「力を持つ者の責任を果たせないクズ」ってことになるんだろうし、そう捉えた方が自然なんだけどね。

 

代々受け継がれてきた刺繍を絶やさないで欲しいと頼まれたのだから、「子供はどうやったらできるのか?」は確かに解決すべき疑問だ。それが分からなきゃ子供は生まれない(かもしれない)し、そうなってしまってはその役目を果たすことはできない。
この年で既に明確な"責任感"を持っているというのは現実的にはあまり考えにくいけど、エレンという前例もある(この話は後々します)のでなかなか否定し切れない。「そいつの出方次第だけど」とか、10歳の子供とは思えない口振り。
でも実際不思議だよな。今じゃネットがあるから嫌でも色々目に入ってくるけど、そんなものがまだなかった時代、どうやってその方法を知ってきたんだろう。鳥が当然のこととして空を飛べるように、人間にも知識として仕入れることなく本能で理解するなんてことができるんだろうか。
呼吸を覚えた 教わってないけど
生きようとしたんだ まるで覚えてないけど……

 

第6話『少女が見た世界』

僕はある作品を真面目に見て理解を深めたい場合、いつもブレインストーミングをしながらメモを取るんだけど、「ミカサ、このまま行けば直前に聞いてた子供の作り方を知れることになる」と書いてあって、我ながらそんな不謹慎な見方普通するかぁ?と思ったけど、でも多分これは作者が意図してやってることだと思うので僕は悪くない。
じゃあその展開にどういう意味があるかって考えると難しいんだけど。
純血の東洋人かどうかって話は純粋→内向/雑種→外向の比喩として捉えられるので壁内に閉じこもってる人類が純粋さを求めるのは、日本と言えば鎖国だし道理かなと思うものの、結局買ってそいつと交わるんならあまりこの話は意味をなさないか。
それよりは、この暴漢達を本能のままに行動する獣として、ミカサも朱に交われば赤くなるように、諦めてただ楽な方に流されてしまう堕落した人間(獣)になっていた。"寒い"というのは、エントロピー増大の法則に従って……つまり流された結果事故が拡散していく様子を表す一言。対して直前のはきちんと目的意識を持って知識として知ろうとしていたから対比になってる……とか……うーん無理を感じる。

ちょっと思ったのは、仮に売られた結果子供を身籠ったとしても、結果的に東洋の血と刺繍が受け継がれるのであればそれは果たして悪いことなのか? と。
もしそれを全面的に否定するならば、まずリヴァイの存在を否定することに繋がるし、エルディア人全体すらそもそも"売女の末裔"な訳なのでそこに含まれてしまう可能性がある。アニメ3期以降の話はあんまり繰り返し見れてないから理解が足りない可能性はあるが。
今まで割と自分の中で納得して消化できたことばかりを書いてきたから、たまにはこういうのも良かろう。というか、話が進むに連れ増えていくと思われ。


しかし、いやー。マジで。見返せば見返すほどエレンの印象が覆っていくな。ケダモノと罵りつつも、ナイフでめった刺しにするエレンだって十分ケダモノじゃんと思ってたけど、今の僕にはもう道徳の化身にしか見えない。アルミンだけじゃなくミカサに対しても「強きを挫き弱きを助く」してたことになるんだから、むしろ十年後のエレンが「今までの俺はただ感情を発散してただけだ」とか言ってたのは謙遜極まりない。

コニーが冗談で言ってたけど、エレン・イェーガーの由来のひとつは本当に"家"だと思うんだよな。
というのは、"ミカサ"って名前を聞いて僕が最初に思い浮かべるのが、スペイン語の「mi casa es tu casa(私の家はあなたの家みたいなもの)」だからってのが大きいのだけど。
ミカサは一見勇敢に見えて、全てはあくまで"帰る場所"に戻るためだから、根本的に過去志向なんだよな。
エレンがマフラーを巻いたのは、両親を失ってしまった現在をそれでもなお肯定して強く生きていくためだろうに、ミカサは"その過去"に固執してしまうのがもどかしい。

 

第7話『小さな刃』

アニメでは補給部隊が戦意喪失した原因として、駐屯兵団隊長であるキッツ・ヴェールマンの描写が挿入されている。少し後でエレン達を規則違反として罰しようとしたほか、これまたアニメでの改変でトロスト区攻防戦の直前(5話)にて、兵士たちに作戦概要を説明した上で「敵前逃亡は死罪に値する」と念を押す役割を振られている。
これらのことから、彼の何よりも規律を重んじる性格が見えてくる。後の展開も考慮して、僕は彼のことを単なる小心者として捉えることはしないことにする。
彼自身、本来であれば上官である自分だけが壁内に移動することは部下の反感も買うし、何よりも人間としての罪悪感が許さないので、後ろめたく思っているのだろう。そういった自分の感情に流されず、意志と責任感でもってあくまで規律に則った選択する彼の行動は、むしろこれまでの文脈における「道徳的に強い人間」のそれだと言える。後ろめたく思っているからこそ、それをハッキリと指摘されて狼狽えてしまう。

そもそも、補給部隊とて公のために心臓を捧げた兵士なのだから、「上官だけ安全な場所に避難するなんてズルい。そんなことされたら俺たちだってバカらしくて職務なんてやってられないわ」などという感情論を述べるのは筋違いだ。
もちろん、指揮を取る人間が部下たちと同じように命を賭した方が士気が上がるという理屈は分かる(王様から動かないと、部下がついてこないだろ?/コードギアス)。だが、兵士たちには規律に基づいて無条件で心臓を捧げる義務がある。「ただし上官が捧げない場合は捧げなくても良い」なんてルールはないのだから、そんなものは言い訳に過ぎない。
「自分たちだけでは無理です」というのはあくまでいち補給兵の意見であって、全体を見て方針を決める権限を持つ隊長であるキッツは「本当に兵士達が命を賭けて全力で任務をこなすなら、ここは任せても問題ない」と判断したのだろう。だから彼は、弱腰になって覚悟が鈍る兵士たちに向かって「それ以上口を開けば反逆罪と見なし、この場で罰せねばならんぞ(だから自分の責務を果たせ)」と諭す。
もし本当に彼が自分のことだけを考えてこのようなことを言っているのなら、ここのセリフは「〜この場で罰してもいいんだぞ」のような主体的な表現になっているはずだが、実際は"罰せねばならん"という義務的なものになっている。故に、一連の言動はあくまで規律に従って職務を全うしているに過ぎないと解釈するのが正しいのではないか。
さっきも言った通り、そう思う根拠はもうひとつあるけど、それは3巻で。


「全滅したのか?」という割と自然なコニーの疑問を否定して「戦意喪失したんだと」と語るジャンだけど、その情報ってどこからきたんだろうね。一応、巨人が群がってることからまだ生きてる兵士もいるんだろうってことまでは分かるとしても。
補給班の中にも一人くらい勇敢なやつがいて、現状を知らせに出てきてくれたんだろうか。ガスを満タンにして出られる訳だから、知らせたあと自分は壁内に避難することはできるのかもしれないけど、そんなこと伝えたらキレた兵士にガス奪われたりしてもおかしくなさそうな気はする。
一番現実的なのは信煙弾のような方法による伝達だけど、壊滅しましたとかならともかく戦意喪失を伝えるコードなんて存在しなさそう。だってキッツも言ってたけど、そんなの明らかに隊律違反だし。

それにしても、この「仲間を見捨てて本部に籠城」というシチュエーション、今思うとめちゃくちゃ進撃の世界観をよく表してるよな。壁の王が、マーレにエルディア人を残してパラディ島に引きこもったのとそっくりそのまま相似形を成している。
見捨てられたことに怒りを燃やして本部に攻め入る様なんかは、まさしく名誉マーレ人達の心情を擬似体験しているようなもの。

 

ミカサが真っ先に声をかけるのがアニだったっていうのがなんかずっとひっかかってるんだけど、なんでなんだろうね。二人とも決して社交的な方じゃないけど、成績上位の女子同士だし、3年も一緒に過ごせば多少は交流もあったんだろうか。

サシャは割と意志よりは本能で動くタイプの人間なので、こういう呼びかけには向かないのだと思う。しっかりとした芯のある人間が言ってこそ、人の士気は上がる。
ただ、じゃあミカサがその役割をきちんと担えてたかというと、微妙なところではある。楽な方に流されずに強くあろうとしたって意味では正しいけど、彼女のは半分ヤケクソみたいなものなので、ある種無責任なところもある。心情的には、かつてエレンから貰った言葉「戦わなければ勝てない」を発することで、少しでもエレンのことを感じたかったといったところだろうか。
ミカサがエレンに「生きる希望を抱かせたからには、ずっとそばにいて欲しい」と思うように、この場にいた他の兵士たちも、焚き付けたからにはミカサにはきちんと最後まで引っ張っていって貰いたかったと思われる。逆に、それでいてみんなのやる気を消させなかったジャンがすごいって話だけど。
「動揺を行動で消そうとしてる」って言われてたけど、お葬式なんかまさしくそうだよね。僕はまだ死なれて悲しいような人の死には直面したことがないので実感はしたことないけど、暇があると悲しみが湧き上がってくるから、忙しくすることで紛らわすのが目的みたいなところがあるのだと思われる。

 

アニメで追加された意味深なザクロ。ネットで調べてみてもイマイチ「これだ!」という解釈が見つからない。
前提として、ザクロの実の花言葉(実なのに花とはこれいかに)は「愚か」だそうで、ギリシャ神話において冥界に攫われたベルセポネが、冥界の食べ物であるザクロを食べてしまったことで帰れなくなってしまったというエピソードに由来するらしい。最終的には帰れたそうだけど。
それは分かったが、死のうとしたことが愚かなのか、それとも例え醜く愚かでも生きようと足掻くことは尊いって意味なのか図りかねる。多産の象徴でもあるから(ミカサを襲った巨人のお腹が膨れているのと何か関係が?)、「この世界は残酷で美しい」に準えて敢えて両義的にしてるのかもしれない。
ただ、生の象徴である細胞(?)と重ねられる描写があるから分かりにくいけど、「食べてしまったら冥界に留まらなければならない≒死ぬ」ということを考えると、どちらかと言えば死を望むなんて愚かだって方のニュアンスが強いのかな。光が当たっていて気持ち悪いながらも綺麗に見えるように演出されていたのは、ザクロを肯定的に描いてる訳じゃなくて、それを食べて楽になりたいという禁断の果実的な誘惑の表現として見るのがベターだろうか。
「死んだら過去を思い出すことさえできない」というのは、過去志向のミカサなりに未来を見るためのロジックとして非常に説得力があって良い。

 

第8話『咆哮』

初めて見た時は僕も何が何だか分からなくて、ミカサの強い思いが無垢の巨人を操ったのかと思ったよね。
後々の展開も知った上で見ると、あの場面はむしろミカサがエレンの言葉に操られている(勿論それだけには留まらないが)シーンと言って差し支えないのが、なんだか不思議な縁。

アルミン(未来)がミカサを助けた場面を見て、やっと理解した。ミカサは過去担当だから、自分の行動に対する責任という未来の概念に対して無頓着だったのか。
でも、前回曲がりなりにも未来を見たことで、アルミンに助けてもらえたしそこに思い至ることができたと。なるほどなぁ……。


仲間の命を諦めて少しでも助かる選択をするジャンは、さっきミカサが感じたのと同じ、人の命を背負う責任の重さを痛感する。
約束のネバーランドにおいて、レイが「頭はいいけどそのぶん諦めが早い」と言われていたのが頭を過る。もしかしたらアルミンのように、両方を救える方法があったのではないか……。事実、あと少し待っていればエレン巨人が暴れ始めるので、それに乗じていればもっと生還者は多かったかもしれない。最初に焚き付けたのはミカサだが、結果論的にはジャンにとって、あの場で仲間を見捨てて特攻するのではなく、屋根の上で様子をうかがうのが最善手だった。
前に、進撃の巨人ニーチェの哲学と非常に強く結びついているという話をした。僕はあくまで彼の著書『ツァラトゥストラはかく語りき』を直接読んだ訳ではなくて、『世界文学傑作選』という本で要約されているのを読んだだけなんだけれど、そこに記されている限りでも驚くほど思想がマッチしてるので、そのうち絶対読むつもりではいる。
そこで論じられていることのひとつに"超人思想"というものがある。他者に対して命令することは、従うことよりも難しい。自分ひとりではなく、自分に従った者の行動全てにまで責任を負わなくてはいけなくなるのだから、その精神的負担は比ではない。
ただでさえ、逼迫した状況を前にした選択には多大なプレッシャーがかかるが、その上で更に他人の分まで背負うためには、相当な"強さ"が求められる。
僕なんかはどうしても、責任を負えないから何もしないという選択を取ってしまいがち。自殺を止められなかったこともそうだけど。
それを承知の上でなお、他人に命令できるだけの強靭な精神の持ち主を"超人"と呼ぶ。ただし他にもいろんなニュアンスがあるので、これだけで分かった気にはならないで欲しい。


「こいつらだ! 俺達を見捨てやがったのは!」というのは、ある意味でブーメラン発言だと言える。でも僕はそれを悪いことだとは思ってなくて、"ブーメランだからこそ"発言の重みが増している。「お前たちのせいで、自分がこんなに重い責任を負うことになってしまった」「自分はこんなに良心の呵責に苛まれているのに、こいつらは謝る様子もない」など、同じ気持ちを味わっているからこそ出るセリフなのだ。
ちなみにここで言ってる「それを何とかするのがお前らの仕事だろうが!」も、キッツの言っていたことが正しかったと思う根拠のひとつ。
ジャンは仮にも自分が絶望的な状況をなんとかして切り抜けたから、それを責める資格がある。

 

第9話『心臓の鼓動が聞こえる』

アルミンによって提案された決死の本部奪還作戦。その内容は、銃で巨人の視覚を奪ってから自由落下でうなじを切り取るというもの。「この程度の火力でも不可能じゃない」の判断が一番難しいはずなんだけど、彼の自信はどこからくるものなんだろう。どうせこれ以上の武器は手に入らないから、仲間の士気を下げないために、根拠はないけど敢えて断言してるのかな。
そもそも、巨人は果たして視覚情報を元に動いているのか? という疑問もある。自分の体より大きな壁の向こうに人類がいると分かっていることからも、何かしらの超感覚に従って動いているイメージの方が強い。経験則的に事実それで何とかなってる訳だから、目で見て動いてる部分もあるんだろうけど。
手探りな状況下では、常に暫定的な最善策(に思えるもの)に賭けるしかない。


コニーとサシャが失敗するのは、作戦に参加した中で最も成績順位の低い二人(8,9番)だから納得だけど、そうなると何故マルコ(7番)はその場にいるのに参加してないか疑問。身体能力はそうでもないけど座学で補っていた……と考えるには、座学トップのアルミンが上位に入れてない(どころかシナリオによると卒業すら危うかった)ことを見るにかなり軽視されて配点低いっぽいので微妙なところ。
あとこないだ「サシャは本能で生きてる」って言ったけど、まぁ依然その傾向は強いものの「みんなに合わせる顔が……」と後悔しているあたり、やはり兵団で3年間暮らすうちに人間としての尊厳を手に入れていたらしい。


巨人を殺せるエレン巨人は人類の反撃の希望になりうるという話は、すごく仮面ライダー的だ。強大な敵に打ち勝つためには、敵と同じ力を利用するしかない。
攫われたミカサを助けた時のエレンも、身一つではおそらく勝てなかった。あの"ナイフ"をつくったのも、ミカサを攫ったのと同じ大人だろう。
巨人にしろナイフにしろ、悪から生まれた力を支配して正義に転用するために必要なのは、持ち主の強い意志だ。

 

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進撃の巨人 1巻/1期1,2,4,5話 感想