やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

進撃の巨人 4巻/1期3,4,13,14話 感想

第14話『原初的欲求』

まるで母親がお腹にいる赤ちゃんに話しかけるかのように、エレンに呼びかけるアルミン。どうして、地獄のような外の世界へ行きたいと思ったのか。
エレンの答えは「オレが、この世に生まれたからだ!」というシンプルなものだった。
正直、僕も最初に見たときは意味が分からなかった。……いや、分かるには分かる。要するに「(安心安全な)母親の腹から出てきたんだから、壁から出たくなるのも当然の欲求だ」と、端的に言えばそういうことだろう。

でも、まぁそう言われて見ればそうなのかなと思わなくもないが、現に同じく母親の腹から出てきた人間たちのみんながみんな、本能的に外へ出たがっている訳じゃない。それとこれとは別問題なのではないかと思う人も多いだろう。
事実、母親の腹からいつまでも出なければいずれ子供は死んでしまうだろう。なんでも、妊娠満期を過ぎると段々と胎盤の機能が低下して十分な栄養がいかなくなっていくのだそうな。仮にそうでなくても腹の中で延々と大きくなられては母体の方が危ない、母が死んではさしもの胎内も安全ではなくなる。
尤も、壁を出る/出ないの話についても、壁内人類の食料事情を思えば「出なければいずれ死んでしまう」ことは条件として同じかもしれない。だがそれはあくまで長期的に見た場合の話であって、一人の人間が一生を終えるまでくらいはなんとかなる可能性はある。最近流行りのSDGs……持続可能な社会など知ったことかと開き直るなら、壁の中で大人しく死を待てばいい。ならばやはり、生を受けたことと壁から出ることは論理的に繋がらない。


「オレがこの世に生まれたからだ」というセリフの本当の意味を理解するためには、少し視点を変える必要がある。
これを答えた時の、特に原作におけるエレンの様子をいま一度見て欲しい。まるで何かに取り憑かれたかのように立ち上がり、脅迫でもされているかのように顔には汗が滲んでいる。とてもアルミンが言うような「まだ見ぬ外の世界に夢を膨らませている」とは思えない、鬼気迫る表情である。何故か。
答えは1話にある。以下は僕の感想の一部を抜粋したものだ。

「何故外へ出たいのかと父に問われ「外の世界を知らずに過ごすなんて嫌だ」と答えるのは分かるとして、「先人の死に報いるため」というのは子供が言うにはいささかませてるというか、この頃のエレンにそんな使命感,義務感みたいなものがあるようには思えず浮いているような印象を抱いていたんだけど、今思えばこれもまた"原初的欲求"なんだなと理解できる。」

グリシャからアルミンと同じ質問をされた幼いエレンは「ここで誰も続く人がいなかったら、今までに死んだ人達の命が無駄になる!」と、明確に話している。ここで話題にしているのは主に調査兵団の話だが、実際はもっと広い意味で、人類が生まれてから何百万……いや生命が生まれてから何十億年にも渡って、何かを求めて脈々と受け継がれてきた命のバトンを、決して絶やしてはならないという強い義務感こそ、エレンが言っている"原初的欲求"の正体だろう。
誰かに望まれたから、エレンはこの世に生まれてきた。望まれ託されたからには、それを次代へ繋ぐ責任があるのだと。
そのような"体がグチャグチャに潰れそう"なほどの重圧を背負っているからこそ、エレンの顔はあんなに歪んでいたのだ。
「オレ達は皆、生まれた時から自由だ。それを拒む者がどれだけ強くても関係ない。自由のためなら命なんか惜しくない。戦え!」


リコの「みんな……死んだ甲斐があったな……」。このシーン何回見ても泣いちゃうんだよなぁ。
何よりもまず、澤野弘之さんの挿入歌『Call your name』が素晴らしい。音楽が生み出す感動の力だけは、漫画ではどうしてもつくれない。
ただ3話の時にも思ったけど、改めて考えると曲の歌詞とシーンがあまり合ってないような気がしたのよね。エレンが立体機動に成功するシーンで流れているのはリヴァイのテーマソングである『The reluctant heros』。あの流れにreluctant(気乗りしない)というのはどうにもミスマッチだし、今回も歌詞の基本は蹂躙される一般の、平和な日々を願う人々の心情を歌った曲で、非常に物悲しくとても「戦え!」という力強いノリではない。
でも、だからこそこんなにも心を打つのかもしれない。死んでいった人達の無念が、エレンに力を与える。

 

第15話『個々』

アニメではアルミンの祖父が奪還作戦に投じられていたので、てっきり労働力にならない老人などが主に徴兵されたのかと思っていたが、漫画版では働き盛りの両親がその役を負わされて、残された子供や老人が農耕に従事しているとのこと。まぁ、畑仕事っておじいちゃんおばあちゃんの仕事ってイメージあるし、そこまで不合理でもないのかも。僕みたいな若者でも結構キツい時あるのに、60とか70超えてるご老人がひとりでせっせとやってるの見ると「結局世の中、気合でなんとかするもんなんだな」とか思う。

印象的に描かれた憲兵団のエンブレムである一角獣の意味について、少し考えてみたい。
まず一般的なところだと、ユニコーンは純潔(処女性)や傲慢の象徴とされている。殊に後者は憲兵団員のイメージにぴったりだし、前者も内地に閉じ籠もって壁外との接触を避ける様子なんかはアナロジーとして理解できる。お高く止まっていて、間違っても調査兵団のような泥臭い試行錯誤はせず、真っ白なその身を汚すことはない(ただし……)。
もうひとつ思い出すのはガンダムUCにも出てくる実在のタペストリー『貴婦人と一角獣』。王女……とは明言されていないが、ともかく身分の高い存在の側にいて付き従う姿は勿論として、最も有名なサブタイトル「私のたったひとつの望み」もまた、王の気持ちを示唆しているようにも思える。

対して剣が2本交わった形をしている、割と簡素な訓練兵のマーク。だが作中において剣と言えばここに描かれているような両刃の剣ではなく、カッターナイフ様のブレードだろう。
完全に余談なんだけれども、絵を描く際のリアリティは必ずしも現実に即さないのが不思議よね。
「家の絵を書いて」と言われたら、多くの人が三角屋根に十字の格子窓と扉、そして煙突がついたかたちで書くと思われるが、現代においてそんなステレオタイプな家はなかなかない。だが、そのオーダーに対して例えばマンションのような四角い豆腐建築の家を書くのは、筋違いだと感じる。
絵に必要なのは「家らしさ」を演出するための記号であって、必ずしも実際の家そのものではない。人間って面白……。


場面はキースによる「通過儀礼」へ。それまで築き上げてきた自分を否定してまっさらな状態になることについては、昔別の記事で詳しくしたことがある。
おそらくここで重要なのは固定観念という壁を破壊すること。超大型巨人の出現は先述の通り、既成概念を大きく覆す出来事として機能している。
ウォールマリア領は一転して巨人の住まう土地になってしまったし、そこに住んでいたはずの人々は移民することで「ウォールローゼ領の民」になったし、逆に元々の住人は「内地の民」ではなくなってしまった。
「人間は巨人に勝てない」を始めとする謂わば"当たり前"のことを否定して戦っていかなければならない兵士には、そのようなコペルニクス的転回は、まさに必要なプロセスなのだろう。
それに兵士として使われる以上、徹底的に与えられた役割をこなすだけの物言わぬ傀儡になるべきであって、そこに個性は必要ない。言うなれば将棋の駒と同じ。歩や金など役割の差はあっても、歩ならひとつ前進、金なら斜め後ろ以外にひとつ進むという部分が揺らいでは困る。「有利になると思うから勝手に2歩進むぜ!」「金だけど曲がったことは嫌いだからまっすぐ前にしか進まないぜ!」なんて好き勝手なことを言い出されては、まともに戦略が立てられない。ことの善悪や戦略を考えるのはいち兵士の仕事じゃない、とにかく一律に与えられた働きをこなすのが軍人というものだろう。

もうひとつ付言するなら、この1シーンが興味深い。
「ミーナ・カロライナです!」
「違うぞ! 貴様は豚小屋出身、家畜以下だ!」
「はい! 自分は家畜以下であります!」
「違う!」
なんという理不尽だろうか。自分の名前を否定され、家畜以下だと言われ、素直に復唱したにも関わらず更に否定される。「これは杖か」と問われ、はいとこたえてもいいえと答えても「違う!」と怒られて、「じゃあなんて答えれば満足なんだ」と思いたくなるような。
否定の内容はセリフが被っていて聞き取れないのだが(シナリオにも載っていない)、これはある種の禅問答にも近い儀式なのかもしれない。僕も本を一冊読んだだけで、禅の説く悟りの境地に辿り着いたわけでは別にないので確かなことは言えないが、少なくとも僕の理解では、禅もまた一見意味の分からない問答を通して、既存の価値観を破壊し再構築する営みである。もし単に「違う! ただの家畜以下じゃない、"豚小屋出身の家畜以下"だ。勝手に省略するな」と言っているのでないのなら、なかなか通ずるものがある。
それはそうとサシャ、芋は冷めても食えはすると思うぞ。


エレンが強がりと同時にパンを勢いよく食べるところは、アニメで見たときはスルーしていたが、漫画で読むと思わず手が止まった。静止画の方が下手に動くより勢いよく見える。効果音もあるしね。
アニメではミカサに無理やりパンを食べさせられていたけど、催した吐き気を誤魔化すために、自分の強い意思でかぶりついている。つまり、母親が食われてる光景を思い出すことで、あたかも自分が母親を食っているかのような不快感に襲われてしまうのだろう。食事中に汚い話をされたときのような感覚。なるほどね、ようやく理解した。
アニメ2話でも、恵まれるのが嫌だという気持ちに加えて、そのせいで食欲がなく喉を通らなかったのかもしれない。
しかし、やはりそれでも"食べる"というのは僕の解釈的にはなかなかエグいシーン。

そのエレンに、ジャンが食ってかかる。シナリオでは、座ったまま口論している原作から大きく変わって、エレンがジャンに殴りかかろうとして転んだことになっている。
確かにこの場面、漫画で読むと「お、喧嘩か?」という雰囲気なのに両者ともにかなりアッサリと引き下がって物足りない感じがあるので、喧嘩には発展しないまでもすっ転ぶという大きなアクションがあることでだいぶ消化不良感がなくなっている。この辺は流石のテクニックといったところか。
ただし、実際のアニメではお互いが立ち上がりにらみ合うという表現に変わっている。エレンがガタッと立ち上がる様子も映像になってないことから、作画の負担を減らすために動きを最小限にしたのかな? こういう見方も面白い。
ジャン的には、保守的なミカサは理想の女性なのかな。でも目を惹かれたのは「見慣れないから」だから違うか?


巨人のネーミングセンス(超大型,鎧,女型)がシンクロニシティしてることや、クリスタを尊い存在だと感じるのは、エルディア人に通底する直感……集合的無意識のようなものなのかな?

この訓練兵時代のエピソードは、漫画とアニメで構成が全く違う。連載初期は常に打ち切りとの戦いだからそうもいかないけど、アニメ化するくらいには人気なのが分かってるから時系列順に描けるってことだろう。
ただ個人的には、初めて見たときはこの辺はしばらく退屈だった記憶がある。話題作だと聞いていたから即切りはしないで見続けたんだろうけど、というか1期のうちはまだめちゃくちゃ面白いって感じではなかったんだよな、確か。

 

第16話『必要』

。ンレエるなにまさかさ、ずきでくまうが御制勢姿
感想を書く上で、僕はまず視聴してみてなんとなくでも気になったことを全てリストアップし、それらについて軽くリサーチをして、最終的には文章を書きながら行き当たりばったりで思考を整理していくというスタイルをとっているのだけれど、思うように行かない時も当然あって、今回はまさにそう。
普通の人間とは全く違う視点からの世界が見えるということで、この逆さまになったエレンにも何か意味があるんじゃないかという気がしてずっと頭の中で寝かせていたんだが、現状全く話が広がらない。

デカレンジャーにそんなキャラがいたように、自分も実際に逆立ちしてみたら何かアイディアが降ってくるかと思ったけどそんなこともなかった。
強いて発見したことがあるとするなら「頭に血がのぼる」ということくらい。エレンはちょうど前夜に短気なところを見せていたし、それを乗り越えなければ一人前の兵士にはなれないという試練……なのかもしれん。


今回、漫画とは大きく変わって、アニメでは兵舎の外に出て、月夜の湖を見に行く流れに変更されている。夜な夜な隠れて練習する……って訳でもなさそうなのに、何の為にどこへ向かっているのかずっと謎だったんだが、シナリオによると他の人に話を聞かれないよう、適当に外をぶらぶらしながら話していた、ということらしい。
確かにこの際、ベルトルトが「君たちは彼らとは違うだろ?」と、一般の訓練兵たちを蔑んでいるとも取れる発言をして、それをライナーが咎めてから外出している。ジャンの前例もあるし、理に適った選択だろう。

割と抽象的なこと多いけど、今回のサブタイもなかなか分かりにくい。"必要"って、一体なんの話なのか。
・兵士になるためには立体機動の素質が必要
・それができない奴は兵団に必要ない
・無駄に命を捨てる必要はない
・ミカサの視点で、エレンには自分が必要
・エレンの視点で、ミカサの世話は必要ない
それっぽいのはこんなところ……って、あぁそうか。違うわ。
今回の話で一番大切なのは、そのどれよりも「殺さなきゃならねぇと思った」だ。
アルミンの「今の王政をなんとかしなくちゃいけない」もそうだけど、二人とも"必要性"にかられて兵士を目指しているということか。
それ自体は他の訓練兵たちや、ライナーとベルトルトも似たようなもの。ちなみにだけど、2人的にはこっちへ来て初めて"悪魔の末裔"と寝食を共にしたというだけでなく、本来話す間もなく一方的に殺してきた巨人に恐怖する被害者と触れ合うことも、彼らの心理に大きく影響していそう。ここで放っておけばエレンは兵士にならなかったかもしれないと思えば、敵に塩を送ったかたちとなる。

話を戻そう。ここで重要なのは、エレンとアルミン(あとミカサ)だけは誰から強制される訳でもなく、ベルトルトの言う"自分の意志"に基づいて「自分自身の内から湧き上がってくる義務感」に従っていること。これが今回のミソなのね。
必要に迫られてと言うとどうしても、周りの環境のせいで仕方なく……というニュアンスになりがちだが、そうではない。自分が、他ならぬ自分に対して「こうでなければならない」と義務を課すこと(超自我)は、意志や責任、道徳などを考えるうえで非常に重要な意味を持つ。


最初に、姿勢制御がうまくいかないのは短気さのメタファーであって、それを乗り越えるための試練だという仮説を立てた。
苦し紛れに出した解釈だったけどそこに引っ張って考えるなら、"根性"でもってすぐ諦めずにチャレンジし続けたことや、ジャンやコニーにまで頭を下げてコツを聞いたことは、ある意味でその試練をクリアしたことになるのかもしれない。
……短気さ、というのは正確ではなかったかも。もっとシンプルに、エレンはただ「バランスを取るのが下手くそ」だったのか。アルミンは未来と革新、ミカサは過去と保守を担当していると何度か言ったが、エレンはその間で揺れ動きいつも衝動で行動するから、ちゃんと色んな人の話を聞いて、うまいこと自分の止揚点を見つけていくことが本題だったのかも。


前回は序盤退屈だったって話をしたけど、このアニメ3話は割と盛り上がれて好きだったエピソードなのよね。どこがって言ったら、特に音楽。ラストのシーンで使われた挿入歌『The Reluctant Heroes』があまりにカッコよすぎて、痺れた。

 

第17話『武力幻想』

「獲物に素手で対応しようなんてバカがやることだ。(そういう時は)逃げりゃいいんだそんなもん」と語るエレンだけど、僕は昔からこれあんまりしっくり来てないのよね。エレンの割にはクレバーというかみみっちいというか……つまりヒロアカの爆豪みたい。妙に現実的過ぎて、いまいちキャラに合ってないセリフのように思える。
無力な子供の癖に壁の外に出たい調査兵団に入りたいと無謀な夢を語っていたときの彼と、とても同一人物とは思えない。

ただ、対するライナーの主張は一考に値する。彼の言っていることは、一言で言うなら"ノブレス・オブリージュ" に近い。
劇中でさんざん人が死んでいる姿を見ている身としては果たして彼ら兵士は身分が高いと言って良いのか不安になるところだけれど、"タダメシ食らい"なんて罵られることもある訳だから人並み以上の生活は保証されてるのかもしれない。
だが市民の支持や税金によって与えられる権力はともかく、ここで話題になっているのは単純な腕力にも近い。元が与えられたものならお返しとして義務を課されるのも分かるが、格闘術に至っては当人が汗水垂らして努力した結果勝ち取ったものであるのだから、どう使おうが自由だという意見もあろう。
この場合に言う義務というのは、前回言った「自分が自分に貸す義務」のことを指す。
「戦えないすべての人のために、俺が戦う!」とは、仮面ライダー剣における剣崎一真のセリフだ。誰から強制されるでもなく、ただ己の信条に従って自分に貸す義務。それがノブレス・オブリージュの精神だろう。ただ強いだけではなく、有り体に言うなら強い心も持ち合わせていて初めて体現できる倫理的態度である。

 

続くアニの講釈。「なぜかこの世界では巨人に対抗する力を高めた者ほど巨人から離れられる。どうしてこんな茶番になると思う?」「それが人の本質だからでは?」。
このセリフ、確かに作中世界における大きな矛盾を指摘する箴言には違いないけど、それはあくまで巨人と、それを殺す立体機動術、そしてそれに秀でたものが内地に行けるという前提条件の上でのみ成り立つことであって、この現実世界にも応用できるような「人の本質」にまで繋がる含蓄があるとは、ついさっきまで思えなかった。

だけどこうして順を追ってストーリーを丁寧に読んでみて初めて分かった。これは単体で見てもあまり意味がなくて、直前までの流れをきちんと踏まえないと理解できない。彼女が言っていたのは、先のノブレス・オブリージュに対するアンチテーゼだったのね。
確かに、力を持つ者全てが責任感と義務感を持って節度ある行動を取る……つまり余裕のある人がない人を援助する世界は、道徳的に理想的な帰着点だろう。
だが実際はそうならない。水が低きに流れるように、力を持った者は自己保身のために内地へ行きたがるし、金や権力を持った人間は時に下を見て優越感に浸りながら、私腹を肥やし続ける。義務も責任もなく、ただ高貴な生活を貪る(≒家畜)ことができたならどんなに楽でいいか。全員ではないにせよ、そういう選択を取ってしまう弱い人間がいることは事実だろう。アニの言う人の本質とは、この弱さだと思われる。

真意を掴みづらい一番の理由は、続くセリフ「私の父もあんたらと同じで…何か現実離れした理想に酔いしれてばかりいた…」によるところが大きい気がする。
先述した"世界の仕組み"と、エレンやライナー,アニの父親が持っている"現実離れした理想"の両者に対して、アニは等しく侮蔑して厭世的な態度をとっている。だが、実際この2つの意味するところは、それぞれ「道徳を弁えない弱く堕落した人間」と「その中で尚も道徳的正しさを掲げ強くあろうとする人間」であって、全く相反している。
アニの立場は、あくまで対立する両者を俯瞰した第三者的視点なのだが、そうと知らずに二元論的に捉えようとすると、アニが何を言っているのかたちまちよく分からなくなってしまう。
「Aがいい」というテーゼと「Aでは駄目だ」というアンチテーゼ、この単純な対立構造にアニはいない。彼女がいるのは「AだろうがAじゃなかろうがどうでもいい」という虚無感の中だからだ。一種の冷笑主義に近い。

 

ニーチェの思想を少しだけ勉強したときに痛感したのだが、進撃の巨人という作品はただのエンタメに収まりきらない哲学や道徳について論じたよい教科書になりうるものであって、そりゃNHKもアニメ化するはずだと。
要するに"巨人"というのは「道徳を持った尊厳ある人間(≒兵士)」の対義語としてのメタファーであって、だから何も考えず、ただ散らかし貪り、混沌をもたらすのか。
「少しは慎みを覚えろ」「離せよ、破けちゃうだろうが!」というのは、ギャグに見せかけて何気にキーワード。慎み(恥じらい)も服も、アダムとイブが知恵の実を食べた結果として得た尊厳の象徴であって、この流れで大事にするのは至極当然の流れ。

そもそも今回のエレンとジャンの騒動、普通になんとなく見ていた頃は「エレンが勝手にいちゃもんつけて喧嘩売った癖に、どうしてあたかも正義ですみたいな顔して『技術を行使してジャンを大人しくさせる』なんて言ってるのか分からない」と思っていたんだけれど、その頃の僕を責める気にはなれない。
「悪いことをするべからず」ではなく「良いことをせよ」という積極的な意味での道徳的義務を、ここまで強いニュアンスで描くなんて、話のレベルが高過ぎてついて行けなくても仕方ない。

ジャンに向けて発された「お前それでも、兵士かよ」の一言。どこにもそんなことは書かれていないのに、何故か「お前それでも"人間"かよ」とでも言っているかのような力強さを感じたのは、あながち間違いじゃなかったらしい。
ただ感情に任せて楽な方へ流される(直前にジャンが、賢しらに慣性の法則について語っているのが象徴的)のではなく、強固な意志でもって自分を律することができて初めて、本当の意味で人間なのだと。

 

第18話『今、何をすべきか』

主役の3人はそれぞれに役割が振られているが、今回は頭脳派のアルミン、肉体派のミカサ、そしてやはり
その中間に位置するエレンという構図になっている。尤も、ミカサは座学もできるらしいが。
エレンは全体成績でもちょうど5位だったし、常に何かの真ん中……止揚点にいるのが彼のアイデンティティなのだろう。
しかし、原作派の人はこの過去話を読まないままにトロスト区攻防戦を見ていたのかと思うとすごいな。まぁ月刊だから色々考える時間はたっぷりあるし、そんなもんなのかな。僕なんかアニメで時系列順に見てたけど、それでも一周目で顔と名前が一致してたのはジャンとコニーとサシャくらいのもので、ちょっとくらいネタバレされても「ライナーとベルトルト……? とアニ……って誰のこと?」って感じだった。


場面は現在へ戻り、右半身を失ったマルコの死体が映し出される。
前から思っていたけど、どうして巨人に食われた人間の死体がこんなにハッキリ残っているんだろうね。特に違和感を覚えたのは2巻のハンナの部分で、フランツは上半身がまるまま残っていた。
巨人が人を食うのが知性巨人を食べて通常の人間に戻る(≒無垢なアダムが知恵の実を食べて楽園を追放される)為だとするなら、脊髄液を体内に取り込まなければ意味がない。であれば、下半身だけ食べて後は放置というのはあまり意味がないのではないか。確かに下半身にも若干脊髄は続いてるけども、上半身を食べた方が圧倒的に確率は高い。
ただ仮に巨人が人間の(強い)意志を察知して動いているのだとしたら、ある程度の筋は通る。視認できていなくても人間のいる方向がおおよそ分かること、意志の力で変身する知性巨人に群がることは勿論として、先程の戦闘でミタビが発した「こっち向かねぇとそのくせぇケツに刃ブチ込んで殺すぞ!」という罵倒をまるで理解したかのように振り返ったことにも得心が行く。
更に言えば、巨人化能力は所有者が死ぬとこれから生まれてくるエルディア人にランダムで継承されることから、既に能力を持ち得ない「意志のなくなった死体」を食べるメリットが巨人にはなくなることになる。すなわち例えそれが腕一本を食われただけだったとしても、出血多量で死んだのなら巨人はもうその死体に興味を示さないということになる。なるほどそれなら確かに、原型をとどめたものがそれなりにあることにも頷ける。
確か壁外調査から帰還するシーンで巨人から逃げるために死体を捨てる描写があったはずだけど、巨人がそれに気を取られてる間に……って流れだったらこの仮説は成り立たない。どうだっけ、覚えてないな。


調査兵団に入って……とにかく巨人をぶっ殺したいです」
そういうエレンの顔には、やはりどこか突き動かされるような狂気の色が見える。

 

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進撃の巨人 3巻/1期9,10,11,12話 感想