やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第29話「オレたちの夢は壊れない」 感想

キャラクター

 飛電或人
・敗因と架け橋
率直に言えば、チェケラを信じ切らなかったことなんじゃないかなぁと思ったり。福添達の意見を尊重したんだろうけど、僕はあの路線とてもいいと思ったんだよな。
ラップというのはギャグととても似ている。
これら2つの特徴は、言葉を通じて本来あまり関係のない概念同士を繋ぐ"架け橋"となることだ。
社員とshineは、見た目(音)が似ているだけで意味的には全く関連性がない。僕はその昔、正宗を倒せば小姫も助かるはずなのに何故か右腕に成り下がって状況を悪化させた馬鹿な飛彩のことを揶揄して"社員"と読んでいたんだけれど、これもあんまり褒められたものじゃないがダブルミーニングだ。

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以前にも少し話をしたが、ギャグにおいて"整合性"は気にされないことが多い。
「そんなにおいしいワケないでしょ……」のフリがあったら、そこまでおいしくなくても「おいしい」と言うのがお笑いというものだ。或人のギャグの中だと「昴らしい!素晴らしい!」や「名刺を見つめる名シーン!」などが挙げられるだろうか。
「それって本当に"昴らしい"の?」とか、「言うほど名シーンか?」という意味的な正しさをさておき、語感が似ているというだけでその発言には価値が生まれるし、なんとなく受け入れてしまう。
ここへ更に"音楽"の力を加えるとどうなるか。
僕は昔から、歌の歌詞というのは我々が日常使っている言語とはかなり次元の違うものだと思っている。
文法もめちゃくちゃでいいし、意味不明でもいい。僕『けいおん』の元ネタである平沢進さんそこそこ好きなんだけど、彼の歌詞はマジで意味が分からない。『パプリカ』の「オセアニアじゃあ常識なんだよ」のようなワードサラダ的な文章でも、気にせず受け入れさせてしまう力が、音楽にはある。英語の曲とか、意味分からなくてもなんとなく好きになれるでしょ。
映像作品の視点で言っても、ノリのいい挿入歌や主題歌をバックに流されると、極論話の筋など分からなくてもなんとなく盛り上がることができてしまう。
宗教においても音楽が重要な位置にいることは、これを示す良い例だろう。日本で馴染み深いのはやはり御経だろうか。琵琶法師みたいなイメージで、素読的な効果を期待して意味をさておき伝播させることができる。

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話は変わるけど、AKBから連なる集団アイドルグループって文化もなかなか面白いよな。
特に好きでもない身からすると、「顔が見えない」ような印象がある。単純に数が多過ぎて把握できないのもあるし、一番人気だかの代表者も卒業とか言って入れ替わってしまうし。
ソロで活動していたのではそこまで人気を取れない(誰か曰く"クラスで一番"にもなれない)人たちが徒党を組んでパッケージングされることで、各メンバーへの好感を少しずつ幾重にも重ね合わせることで"グループ全体の人気"というものをつくっているように見受けられる。
この現象というのは、メタルクラスタ周りの「割り切れない個人」と関連しているように思う。
・鏡
作者が高らかに自分の意図を説明してしまうと無粋だから、僕が代わりに説明してあげてるようなつもりでいたので、あんなにはっきりと明言されてしまうと自分の役目を奪われたみたいな気持ちになった。
要するに、ヒューマギアの悪さというのはそのまま自分たち人間の悪さに通じてしまうということ。チェケラが暴走したのは相手方の議員以外に、そもそも彼がラーニングしていたラップという文化自体が含む暴力性(反体制的な側面)に起因しているところも大きいように思う。
我々人間の文化が暴力的なものだから、チェケラは暴走するに至った。
実際、暴走する人間は至るところで見かける。それこそラッパーは口汚いし、悪いことする政治家もいるんだろうし、暴力的なデモとかやってる人たちもそう。
ここまでハッキリと表現したのは、どうやら伝わってないみたいだと判断したからなのかね。
「ヒューマギアが本当に人間と同じなら、いてもいなくても変わらない」というモブの意見は、めちゃくちゃ正しい。
僕はこれまで「ヒューマギアが人型なのは切磋琢磨させるため」というのをひとつ挙げていたけれど、実はこれが成立するためには「ヒューマギアなんかに負けてたまるか」というような「自分とは違う存在」みたいな認識がないといけないのよね。本当に何の違和感もなく人間社会に溶け込んでしまっては意味がない。
なるほど、だから敢えて(?)モジュールやコードを付けているという側面もあるのかもしれない。
ヒューマギアは「人間にとても似ているけれど、でも違う(気がする)存在」として、人間が「自分との違いは何か。そもそも自分とは何か」を考えるきっかけをつくるためにつくられた、まさに鏡なんだ。

(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)

・廃棄の是非
少なくとも今いる個体については或人の言う通り、廃棄するのは可哀想だと思う。シンギュラリティに達したかどうか、心を持っているかどうかなんて、哲学的ゾンビの思考実験が難問なように他人からは分からない。だから心があるかもしれない個体を廃棄することに心理的な抵抗があると言うのは分かる。
でも、それだけなら新しくつくる必要はないんじゃないか?
道具扱いされるにも関わらず心を持ってしまうなんて可哀想だから、つくらないのが一番なのではないか。
人は何故、子供をつくってしまうんだろうね。生きることはつらいことばっかりなのに。
・意志の強さ
彼がこれまでゼロワンとして曲がりなりにもやってこれたのは、是之助たちの築いてきたものがあったからという側面が大きい。ゼロワンシステムや飛電という会社もそうだが、一番は「ヒューマギアが既にある程度受け入れられている世界」だ。この土壌があったからこそ、飛電インテリジェンスはここまでなんとか保っていた。
次回以降の展開は謂わば、「ドラえもんを失ったのび太がいかに自立するか」。ひみつ道具という後ろ盾もなしに「目でピーナッツを噛んでやる」なんて大口を叩けるのかどうかが、焦点かな。


 不破諫
・亡
プロジェクト・サウザーは見る予定がないので、勝手に想像させてもらおう。あらすじや予告を見る限り、彼女も自分とは何者かについて悩んでいる様子だった。今回不破が天津の言葉に逆らえたのは、人工知能たる彼女"も"道具という表現に反抗しようとしたってことなんだろう。
・自己規定
向かってくる弾丸や動物たちを受け、それらを利用して新たな自己(ランペイジバルカン)をかたちづくる。
人工知能を倒す」ことを目標にしていた彼にとって「自分の中にも人工知能(それも滅亡迅雷)がある」というのは、劇中にも描かれていた通り耐え難い苦痛だったろう。
彼にとっての人工知能とは「自らを脅かすもの」だった。これは前述した人間とヒューマギアの関係性とよく似ている。その上で彼が示したのは、やはり"他者を受け入れる"ことだったと見ていいと思う。
僕は色の中だと黄色が一番好きなんだけれど、これは傍から見ると"僕の意志"だと思われることだろう。でも、じゃあ何故好きなのかと考えてみると、まだ母と一緒に暮らしていた頃に気に入っていたソファのカバーが黄色だったからというのが思い当たる。「黄色だったからソファも気に入っていた」と解釈することも可能だけれど、ここではその逆の「気に入っていたソファが黄色だったから、黄色を好きになった」と仮定する。その場合、ソファの色は何でも良かった……即ち僕の好きな色は他の何かだったかもしれないのだ。
味付けの濃い家で育ったから濃い味が好きになったとか、両親が洋楽好きだったから自分もそうだとか、或いはその逆だとか。
「周りの人間が日本語を話していたから日本語を話している」なんて、最も分かりやすい例だろう。

バルカンとしての力を介して亡を認め、ツギハギだらけの自分を良しとする。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)
・片翼
メタルクラスタが攻撃する際、表面を覆っていた飛電メタルがなくなり素体が見えてしまう演出があった。クウガのリアリティにも若干通じるものがあると思うが、人は"欠損"や"ハンデ"に価値を見出すことがある。
利便性を追求した結果に感じる美意識もあるけれど、役に立たないことにこそ芸術性を感じる向きもある。例えば同性愛。あれは子孫を生むという生物の目的とって見れば何の役にも立たないが、だからこそそこに「本能にとらわれていない真実の愛」を見出すこともできる。
どっかで読んだんだか自分で感じたんだか忘れたが、ミロのヴィーナスに腕がないのも「何も生み出せない、役に立たない」感じがする。だからこそ美しい?
役に立たないというのはそうである理由,必然性がないということにも繋がってくる。つまりその文脈での美しさとは「よく分からないことからくる神秘性」なんだろうな。
先日お魚を見に公民館的なとこに行ったら、たまたまどっかの絵画クラブの作品が展示されていて、「よかったら見ていってください」と言われたのでぐるっと一周した。誰もいなくて、その場の番をしていた人も一人で暇そうに本読んでたし。やっぱり写実的な作品よりは、よく分からん奴に目を奪われたね。
ランペイジバルカンは片翼ながらきちんと飛べていたけれど、あの片翼に感じる魅力は、ゼロワンのメインテーマに直結するものがある。


 刃唯阿
・納得と受容
後述する通り、天津がチップに指示を送れるのはザイアスペックをかけている(またはサウザーに変身している)時だけだとするなら、実際に彼女は(いわゆる)自分の意志で彼に従っていたということになる。
意志というものは"行動に対する解釈"に過ぎないので、割とどうとでも言えてしまうところがあるのよね。
彼女の心情としてはおそらく、「どうせ逆らおうとしてもチップで強要されるのだから、そうなるくらいなら自ら言うことを聞こう」みたいなものだと思われる。不破に従うよう促したのも、「その方が苦しまずに済む」ということなのかな。
この時にキーとなるのは、ゼアとアークの対立構造を考えた時にも出てきた"受け入れ"という概念だ。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第16話「コレがZAIAの夜明け」 感想)

人は、自由ではない。生まれるかどうかも選べないし、生まれる家も選べない。容姿も声も身長も、運動能力や学習能力、究極的にはいつか必ず死んでしまうという運命まで含めて、自分を構成しているピースというは、基本的には不本意に与えられたものばかりである。
でもそれらを受け入れ、「自分はこれでいいのだ」と捉えると、人は仮想的に自由になることができる。
"自由"とは自らを由(原因)とするという字を書くと何度か言っているが、実はむしろ逆で、外にある原因を取り込むことで"自分"をかたちづくっているのだ。
この辺の話は今週中に投稿予定のシンケンジャーの感想でも触れてるので、そちらもぜひ。

(参考:侍戦隊シンケンジャー 第一,二幕「伊達姿五侍/極付粋合体」 感想)


 天津垓
・やっぱり
ショットライザーで変身する為には社長命令を聞き入れてしまうチップを埋め込まなくてはならない……というのは、まぁ当たり前にショッカーの改造手術(特に脳改造)をイメージしたものだろうけれども、彼がそこまで人を道具としか見なしていないのなら、レイドライザーの使用にも何かしらの条件があって然るべきだろう。
感想記事で言及したかは覚えてないけど、予想通りザイアスペックにもある程度以上は、アーク或いは天津の指示に従わせる機能が付いていると見て間違いなさそう。今回の不破ほどあからさまじゃないにせよ、眼鏡を介して目に入る(注目する)情報を操作することができれば、そこそこの思考誘導は可能と予想される。いわゆる「嫌なところばかり目につく」みたいな状況に追い込むことで悪意を増強することもできようし、「ザイアスペックによる最良の判断」というかたちで天津の指示を表示すれば「思考過程は知らないがザイアスペックがそう言うなら」と信じる人も一定数いることだろう。
唯阿はザイアスペックを付けずにレイダーになれるけど、大は小を兼ねるってことで納得できるかな。


 迅
・あれ
解放と言いつつハッキングする矛盾は、どうやら孕んだままみたいね。滅と敵対するのは面白かったけど。
アークの名の元に意志がきちんと統一されていれば、きっと争うことはない。それは天津も同じで、すべてが彼の意のままになったら、価値観の相違は生まれない。
でも序盤でも迅が滅に反感を示したことがあったように、アークに接続していても完璧な統率というのは実際には取れていなかったけれど。
争いのない世界か、争いのある世界か。果たしてどっちがいいんだろうね。


 福添准
テセウスの船
ヒューマギアをつくらなくなった飛電なんて、もはや飛電と呼べるのか? お前の気にしていた是之助の意志は、形式的な飛電の存続なのか?
いずれザイアスペックも意志を持ち始めるのだとしたら、それまでじっと待つというのはまぁ分からんでもないけれど。

 

 

設定

・ゼロワン≒サウザー
天津はこれ見よがしにザイアスペックを使って不破をコントロールしていたが、もしあれがパフォーマンスではなく必要な手順だとするならば、冒頭のシーンでは付けていなかったはず。未だに明言はされていないが、ここからもゼロワン同様、サウザーにも変身している間は人工知能と一体化する機能が付いているものと思われる。

 

 

 

「最終機械」というものがある。
スイッチを倒すと電源が入り、自らスイッチを切って元の状態に戻るだけのマシンだ。

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なんの役にも立たないが、あたかも「やめて! 放っといて!」と言っているかのようなキュートさが、なんともたまらない。
「面白い」という感情は、必要性を凌駕する。芸術や娯楽が発展するのは、人の心にゆとりがある証拠だ。

 

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 28話「オレのラップが世界を変える!」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン「やっぱりオレが社長で仮面ライダー」 感想