やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゴースト 第10話「集結!15の眼魂!」 感想

タケルの決断

・ゴーストとジオウは似てるって時々言うけど、ソウゴはゲイツの言い分を聞いても王様の夢はあくまで譲らなかったのに対して、タケルは驚くほどあっさり引いたね。
二人が心配するから自分を大切にしなくちゃって部分に関しては5,6話でとっくに終えた話だと思ってたので、今更そこ蒸し返すの?感はある。しかも、あの時はニュートン眼魂ひとつと御成,アカリの命を天秤にかけて「どっちかなんて選べない……」って言ってた癖にカノンのことは助けたいとか言い出すもんだから、再びタケルは二人のこと嫌い説が浮上しつつある。……まぁ、戦闘中に咄嗟の判断を迫られるのと、落ち着いてじっくり考えるのとじゃ出る結論が違うのは仕方ないことかもしれない。自分の命を後回しにするという大事な決断だからこそ、じっくり考えた上でようやく覚悟を決めたのだろう。ちなみに1話での自己犠牲はノーカン。あれで死の苦しみを知ったからこそ死にたくはないという気持ちが強まる訳なので、同列には語れない。
・それはそれとして、アカリだってカノンとは幼馴染のはずなのに躊躇することなくタケルを優先するのはちょっと冷たくない? そりゃ10年も会ってない人と今目の前にいる友人とじゃ大切さは違うけど、それを言い出したらタケルは今目の前にいるアカリよりカノンを優先させてる訳なのでやはり変。同じ一度死んだゴーストとして気持ちが分かるから、って補正はあるにしてもね。況して、カノン本人もタケルを犠牲にしてまで生き返りたくはないって言ってるんだし……。

・シブヤとナリタは一体なんのためにいたんだろうな? タケルが死んで御成とアカリは悲しんだけど、死んでるって言ってもタケル普通にいるし、1クールも経つとあまり実感が湧かなくなってくるから、時間差で二人にもタケルの状況を明かすことで「死んで欲しくない!」みたいなこと言わせて、視聴者にも緊迫感を取り戻してもらうつもりなのかな……と思ってたら、あんまりにもさらっと流すから隠してたことにも今明かすことにも別に大した意味はなさそうだった。

 

マコトと龍騎

・「お前も(眼魂を奪うために)俺を探していたか、だったら話は早い」と言うマコトの心情は、ナイトにすごく似ている。タケルがカノンを犠牲にしてでも自分の願いのために戦うと言うなら、マコトがタケルを犠牲にしてカノンを助けようとすることが正当化されるので悩む必要がなくなる。『龍騎』はこの構図をシステムとしてライダーバトル全体の土台に組み込むことで、お互いが「撃つからには撃たれる覚悟があるんだろうな」という暗黙の了解のもとに安心して戦える。ただその中で真司は、ライダーを倒す動機を持っていない癖に、願いを叶えるためには倒さなくてはならない存在として立ちはだかるので、周りのライダーを悩ませることになる。

・「眼魂を渡す気になったか」
「違う、話を聞いてくれ。俺はカノンちゃんを助けたい。一緒に眼魂を集めよう! 俺たちが力を合わせれば、必ずカノンちゃんは生き返る!」
ここ、カノンを助けるだけなら理屈としては素直に渡せばいい話なんだけど、そうしないのがいいな。タケルがただ降伏して眼魂の所有権を譲るのだったら、マコトはあくまで"自分の力"で叶えたと思うだろう。でもタケルが自らの意思で貸す場合、マコトは「かつての友達を自分の願いのために倒した」という罪を背負わなくてよくなる。そこまで考えてのことなのかは分からないけど。

 

命の価値が比べられないのは何故?

・アカリの言う通り、残り22日とタケルには時間がない。もしカノンにタイムリミットがないのなら、タケルを優先させるのが合理的。
対して、カノンがもし10年前からずっと眼魂生活という苦しみを味わってきたのなら、たかだか100日ぽっちで霊体とはいえ自由に動けるタケルが譲るべきだという見方もできる。何にせよ、どっちを優先させるべきかというのはお互いの状況を詳しく精査した上でないと判断できないと僕は思っていたんだけれども、少し違ったかも。
「選べる訳ないだろ! 俺の命と、カノンちゃんの命、どっちが大事かなんて……」
一旦タケルとカノンの命は等価値(x)で比べても答えが出ないとしても、合理的に考えるなら、そこ以外の周辺状況を考慮して、よりタイムリミットが短い方、より苦痛の強い方が緊急性があり、助ける付加価値は高いと言えるのかもしれない。x+1>x
だが仮に命の価値がどちらも"無限大"で等しいのだとするなら、話は変わってくる。面白いことに、無限には何を足しても無限で、∞+1=∞という式が成り立つそうな。
無限の価値の前では、周辺状況を鑑みてどちらをより助けるべきかなどという計算は意味をなさない。タケルが言っているのはそういうことなのかなと、なんとなく思った。

 

・年明けてからのことを知ってるからスルーしかけたけど、今スペクターがジャベル曰く「個人的な理由で戦っている」のは、カノンが眼魂になったからであって別にタケルに感化されたからでは全くないよね。今の時点でアランがそう思う要素がどこにも見当たらないんだけども、彼は何を見てるんだろう。

ところで、アランが「奴は目障りだ」という直前に入った画面に黒い何かが通り過ぎる演出、最近だとスウォルツ辺りにやられてたのが記憶に残ってるけど、この9,10話だけで多分3,4回くらいやってるのがすごく気になった。監督は山口恭平さんみたいだけど、よっぽど好きなのかな。
で、あんまり何度も見せられるからようやっと仕組みが分かった。カメラに別のレンズを被せることで、あぁいう見せ方をしてるのね。道理で毎回、黒いものが通ったあとはズームした映像になる訳だ。
どっかで見たことある気がしてたけど、眼鏡屋さんで度を合わせる時に使う特殊なメガネで、レンズを入れたり取ったりしてる時のアレだわ。スッキリした。

 

・シブヤに目の紋章を使わないで、御成たちの役割を残すのは作劇としてどうなんだろうな。確かに青竜刀眼魔の方が緊急度は高いかもしれないけど、シブヤの中に入ってる眼魂だって眼魔アサルトになればナイフとか持ってて危ないし、生身の二人に任せるのは微妙。
・細かいとこだけど、さっきシブヤたちに眼魂を見せたときQRコードはなかったのに、認識ピンはあるのがなんか面白かった。
ユルセンもそろそろ台本に従うだけじゃ空気のまま終わってしまうと思ったのか、裏で「褒めてもいいんだぞ」って威張ってたのかわいい。……でも、仙人としてはタケルが眼魂集めて生き返っちゃったらどうするつもりなんだろう。

 

・ジャベルも眼魔スペリオルも大して印象に残ってなかったんだけど、えらい強く演出されてるな。ネクロム同様の目薬モチーフで、涙とクラッシャーまであるという仮面ライダーを意識したデザイン。
眼魔がボタン付きの絵柄が変わる眼魂を使うのはこれが初めてのはず。以前も書いたけど瞳に顔が映るということは自分を客観視することに繋がるはずなので、その辺が普通の雑魚眼魔と決定的に違うところなんだろうな、多分。眼魔アサルトとかは思想統制された眠っている民が戦わされてるに過ぎないけど、ジャベルは自分の肉体が別の場所で眠っていることを知ってる訳だし。
「子供が戦場に出たらどうなるか教えてやる」というのは、アランのことも含めてるのかな。

 

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仮面ライダーゴースト 第9話「堂堂!忠義の男!」 感想