やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第28話「オレのラップが世界を変える!」 感想

キャラクター

 飛電或人
・デイブレイク以前の或人
ゼロワンとしての活動以外の仕事として、デイブレイクタウン再建のために動いてたってのは普通に好印象だった。「頑張ってんだな」と。
改めて考えてみると、確か或人の父は彼が生まれてすぐに亡くなっている(墓石より)という話だったはずなので、彼が其雄と暮らしていた期間というのは、長ければ10年にもになる訳なのか。もちろん短ければ1ヶ月とかそこらの可能性もあるけれど、まぁ一人ぼっちの期間が長ければ長いほど短時間で強い愛着を持つというのはなんとなく分かるかな。
ひとつの分かりやすい事実として「デイブレイクのときに命がけで守ってくれた」ということが彼の信条の根拠として据えられているけど、実はもっと色んな経験が背景にあるんだろうね。都市計画ってそんな一朝一夕でできるもんではきっとなかろうし、そこそこ長い間ヒューマギアと共に仲良く暮らしていた実績があるんだろう。
・人間をどう思ってるのか
或人はヒューマギアのことばかり言っていて、人間に対する考え方があまりピックアップされない。
でも今回「悪いのはあんただろ」とか言ってたのを聞いて、なんとなく分かった気がした。ヒューマギアの自発的な暴走というのは、概ね人間の悪意に触れた際にしか起こらない。
つまり或人の「ヒューマギアはもう暴走しない」という無根拠な信頼は、同じく無根拠な「人間は本来みんないい人」という性善説を元にしている可能性がある。人間を信じているからこそ、人間がつくったヒューマギアも素晴らしいものだと思っているのではないか。
「人間をサポートする夢のマシン」という表現からも、人間を軽んじている訳ではないことがうかがえる。
前回福添達を助けに行かなかったのもそうだが、「人間の人権はもはや放っておいても誰かが守ろうとしてくれるので、自分はそうでないヒューマギアの方を優先的に守ろうとする」というのは、割と筋が通っている。
作劇的な視点でも「人間を守る」という描写はこれまでのシリーズで何度も何度も描かれてきたことだし、これからもお隣の戦隊や他のキッズアニメなどでも描かれていくことだろうから、わざわざそこをピックアップしなくてもいいと踏んだのだろう。
「人を守る仕事」をやりたいと思う人はたくさんいるだろうが、「ヒューマギアを守る仕事」はそうでもない。
プリンが人気だから自分はコーヒーゼリーで我慢する……といったように、1話同様、或人は周りの需要と供給を踏まえた上で「ヒューマギアを守る」という選択をしているのかもしれない。
僕が「ゼロワンは見た感じ批判が多いから擁護する方に回るか」と思ったのとも似ている。
愛されている者を守ることが正義なのか?
愛してもらえない者は唾棄すべきなのか?
この間僕は、消し忘れが多くて危険だからとストーブを没収された。忘れっぽいのは障害特性のひとつなんだけれど、だからといって火事になっても困るので、僕の権利は奪われてしまった。
だが、地活という福祉施設では、スタッフさんが責任を持ってストーブを管理してくれているので、僕はそこに行けば暖を取ることができる。
或人のやっていることって、そういうことなのではないか。

(参考:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)

・原稿
止めに入ったタイミングから察すると、相手の政治家のイメージを落とす方針自体は或人も承知の上だったと見るべきだろうか。
ヒューマギアの有用性とは関係ないところに論点をズラしていてコスい……とも思ったが、それこそ自治するにあたって汚職することがないというのをウリにするつもりだったのだろうか?
これらが結局は一長一短であることは、既に作中で描かれている。
不動産対決では"共感しないこと"について、「トイレを使わないし風呂にも入らないヒューマギアには本当に良いのかどうか確かめられない」という短所と「本人も予期しなかった新しい選択肢を提案できる」という長所、消防士対決では"共感すること"について「トリアージを無視するなどして不公平な判断をしてしまう」という短所と「かけがえのない誰かを助けることができる」という長所がそれぞれピックアップされた。
今回にもそのエッセンスは凝縮されている。

 

 福添トリオ
・TPOとは
彼らの言うことにも一理あるが、一理しかない。確かに常識としてスーツと呼ばれている格好や、格式張って本心の見えない喋り方が「良い」とされている流れはあるが、それ以外に利点があるか?
結局のところ飛電は勝ちたい訳なのだから、常識というのはひとつの基準でしかない。結果的にラップで勝つことができたならば、それはそれで「TPOに合っていた」ということに十分なる。
少なくとも僕は、不自然にかしこまった対応をするのが苦手だ。面接対策とか言って敬語の練習をするのも、馬鹿らしくて嫌いだったね。そんな採用されたいが為に作った嘘の敬意、嘘の自分でいいのか? 「表面すら取り繕おうとしないよりはマシ」というのは分かるけれど、裏を返せば取り繕わないといけないくらい、素の自分は敬意なんて持っちゃいないし綺麗でもないってことだよね。どうかと思うよ。
僕はホイップクリームの入ったメロンパンが好きなんだけど、大してクリーム入ってない癖にパッケージはたくさん入ってるかのように見せかけてるやつあるじゃない。それと同じ。むしろ、ギャップでがっかり感は更に増すということもある。
その"嘘"を付き通せるなら、少なくとも相手にとっては本当と変わらないけどさ。


 ゲスト
汚職
僕は必ずしも賄賂が悪いとは思っていない。
政治だって結局はコミュニケーションであって、国民の持つ色んな意見を戦わせて、全体の方針を決める営みに過ぎない。
法律だって元はといえば人の「安心して暮らしたい」という欲望の元に生み出されるものであって(というのは意見の割れる所だが)、贈収賄をしたがる欲と変わらない。
もし国民の多くが賄賂を認めよと思えば、法を変えることは不可能ではないだろう。というか、そうでないならば誰のための法なのかという話だ。
法律も賄賂も手段のひとつでしかなくて、例えば有能な人材が素早く上に登るためにコネクションを使うことは、果たして悪いことだろうか。僕はマキャベリストな部分もあるので、これに関しては全然悪いと思わない。
"The end justifies the means"だ。
死刑なんかは、国の持つそういう側面の権化と言っても過言ではない。あと正当防衛とかね。
「ヒューマギアを撤廃すれば人々が危険に晒されることもない」と考えてる人からすれば、この賄賂はむしろ喜ぶべきことのはずなのだ。

(参考:リーガル・ハイ 第5話「期限は7日! 金か命か!? 悪徳政治家を守れ」/『シン・ゴジラ』 感想)
・サクラ
これもなんとなく嫌な感じを受けるけど、実際のところ何が問題なんだろうね。
先導された民衆は無邪気に自分の意思だと信じて賛成してるんだろうから、まぁ飛電からしたら困ることではあるけど、自らの意思を信じる人にとっては、何も問題はないはず。きっと「自分はサクラなんていなくても賛成したはずだ」と過去の自分を正当化することだろう。
でも例えば「多くの人が賛成してたから、自分は反対だったけど公共の福祉のためにと思って賛成した」なんて言う人を想定したら、それは「騙された」と感じるかもしれない。
なるほど、"騙す"という行為は自由意志の存在を脅かすから不愉快に感じるのか。本当に強い自己を想定するなら「騙されたのもその人の責任」となるはずだけれど、そこまで受け負う自信がないんだな。

 

設定

・何故政治家になれないのか
弁護士と違って、ヒューマギアが政治家になることは法律で認められていないらしい。
以前『民衆の敵』というドラマを見てたんだけれど、それによると特になんの資格もない中卒の女性でも、選挙で選ばれさえすれば市議会議員になることが可能らしい。現実でも芸人がなったりしてるしね。とすると、なんだか弁護士よりもなるのが簡単な気がするにも関わらず、ヒューマギアがなれないというのは違和感を覚える。
ということで少し調べてみた。
少なくとも現在の日本では、選挙に出るためには参政権のひとつである"被選挙権"を持っている必要があるとのこと。
つまりごくごく簡単な話で、"日本国民"であるならその権利を持っているので中卒でもなれるけれど、まだ権利が認められていない"機械"であるヒューマギアには、どれだけ優れていてもなることはできないということ。同じ人間である外国人でさえ認められてないもんね。さもありなん。
弁護士になる為にそういった種類の権利が必要ないのかどうかは、少し調べただけでは見つからなかったけど。
・あの世界の人間
ウィルの意見をごまかした是之助のことを「ヒューマギア黎明期だから」と擁護する向きもあるが、政府が介入して、しかもそれを利用した都市までつくろうなんて結論に至るということは、ヒューマギア自体が実用できるレベルに達したのはもっと先だと思われる。暴走するのに実用レベルだと言えるのか? ということについては、既に何度も論じたのでここでは取り扱わない。
だいたい、ゼロワン世界よりもAIが発達していないこの現実世界においてさえ、フィクションという形が多いとはいえ「AIに人権を認めるべきか」という問題が取り扱われているのに、作中のAI開発に携わる人間がそこに無知って、大分おかしいと思うのよね。

(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)
作中で使われている"新2020年"という暦がどういうつもりのものなのかは知らないけれど、仮に人類が誕生してから経過した時間が現実世界と同程度だと考えてみる。
するとゼロワン世界の方が文明の発達速度が速いということになるが、ひとつの仮説として、現実世界よりも多く戦争をしてきたのだと考えられるかもしれない。戦争が技術の発達を促すという話はよく聞くだろう。あの世界の連中は我々よりも血の気が多く、天津の言う負の歴史も更に多く抱えているのだとしたら、AI技術の発達の他に、出てくるゲストに嫌な奴が多いことの説明にもなり得る。
・滅の強さ
「学習したから強くなった」というロジック……まぁ、ブラッドスタークよりは説得力を感じたかな。あっちは、フルボトルの多様な能力にも一度見れば対応できる触れ込みだったにも関わらず、能力に応じて多様な戦い方をしてたイメージがないという致命的な欠点があった。
対してこっちは、フルボトルの能力と違って一言で表せない複雑なこと(サウザー/天津の戦闘スタイル)なので、僕に伝わってこないのも頷ける。なまじボトルの能力が分かりやすいから、スタークの戦闘も分かりやすくないと対称性が崩れる。

 


モチーフ

・Check it out
前に少し話したshut upやbreak downと同じく、動詞と前置詞や副詞が組み合わさることで新たな意味を持つ"郡動詞"で、いわゆるイディオムのひとつ。な、懐かしいな……。英語はどちらかと言えば苦手科目だったのよね。
それはさておき、この慣用句というのはゼロワンにおいて非常に意味深いものがある。
日本語なら、例えば「矛盾」という熟語が挙げられるだろうか。
文字だけ見れば矛と盾でしかなく、装備について話しているのかと思われても仕方ないはずだが、同名の故事(エピソード)によって、よく言う「辻褄が合わない」という意味で使われている。
この場合の熟語というのは文字通り"熟した語"であり、慣用句とほぼ同じ意味だと思ってもらっていい。定着してしまった、みたいなイメージ。
ここで重要なのは、慣用句の意味は必ずしも単語の意味に"還元できない"ということ。
皆さんも学生時代、英語教師に「イディオムは覚えるしかない」と言われたことだろう。僕はずっと「それぞれの単語の意味から推測できて然るべきだ。どうしてできないんだ」などと駄々をこねていたけれど、"矛盾"が良い例であるように、分解して得られた元の意味からは推測不可能な言葉というのは結構ある。
そして人の脳が持つ"心"や"意識"もまた、そういう種類のものである可能性がある。
シナプスだとか細胞だとかいった小さな単位にまで分解し、その構造さえ理解できれば、そこから脳全体の構造も理解できるとする意見がある。これこそが還元主義である。
昔の僕はイディオムのエピソードからも分かるように、割とこの立場にいることが多かった。
文理選択ってあったと思うんだけど、僕は概ね文系が理系の上にあると思っている。これは別に優れているとかそういう話ではなくて、まず物理世界の法則が前提にあって、その上で人間という生物が生まれ、文化をつくった。そういう"順序"が階層構造となり、より下層のことをよく知らなければ、上層を本当に理解することはできないのではないかと考えていた。今は必ずしもそうとは思ってないけどね。

 


ラップは聞いてて気持ちいいよね。響鬼でも似たようなことを思ったけど、テンポよく進むことはそれだけで映像作品として価値がある。
ディスりはじめてからはまた見え方が違うけど、概ね楽しかった。

 

ゼロワン感想一覧

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