やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ポスターに一目惚れした『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』 感想

※ネタバレを含みます。

普段クレしんを追ってるわけじゃないけど、映画館で見た手巻き寿司のポスターに一目惚れして、公開されたら見ようと決めてた『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』を見てきた。

近くにいた、多分知的障害のある男性と保護者の2人組は、3Dって書いてあったのにどうしてメガネがないのかについて始まるまでずっと話していて、その発想はなかったけど確かに子供は期待してもおかしくないよなと思ったりした。

 

事前の予告映像とかでなんとなく覚悟はしてたけど、正直ポスターから抱いた期待とは違ってあまり楽しめなかった。
手巻き寿司に巻かれながら空を飛ぶしんちゃんというあまりにも荒唐無稽なのになぜかかっこいいというあのセンスが最高だったので、そういう無茶苦茶なことが起こってカラッと笑える映画を想像してたんだけど、3DCGの質感も手伝ってとても「実在感」のある絵が多くて、荒唐無稽さやぶっとび感みたいなものはそこまで強くなかった。
カンタムロボがフカキョンさんの曲に合わせて踊るシーンが最高潮だったかなぁ。クライマックスではもう"おもちょぼこ"から色んなものが出てきてしっちゃかめっちゃかになるぐらいのを期待しちゃったけど、実際はかなりしっとり路線で、思ったより地に足のついた作品だった。
それにはもちろんいい点もあって、特に双葉幼稚園(今はもうアクション幼稚園じゃないのか、そっか)の質感がすごくリアルで、自分が幼少期に通ってた幼稚園を思い出してエモーショナルな気分になれた。パン食い競争とかもやったなぁ……あの頃はまだ母親いたんだっけ、どうだっけ。先日『オラと博士の夏休み 〜おわらない七日間の旅〜』をクリアしたので、クレしんにはそういう成分を求めてる部分もあったにはあった。
ギャグ的にも、よしなが先生のケツだけ星人なんかは実写だと共感性羞恥が強すぎてできなそうだしかと言ってアニメだと見れちゃいそうな気もするしで、3DCGであることで直視できないほどじゃないけどちゃんと見てて恥ずかしさを感じるっていうちょうどいいバランスになってるのは見てて面白かった。
ちょこちょこ入る方言ネタは僕はそこそこ好きだったけど劇場の子供はあんまり笑ってなくて、なんかやっぱり映像にケレン味が足りないというか、「今のとこ笑いどころですよ!」っていうアピールが足りてない部分が多い気もした。実在感が高いからこそ、日常の風景として軽くスルーしてしまいそうになるというか。
見てるキャラがSEつきの汗を一筋垂らすだけで済まされるようなギャグもクレしんには多いから、そういう温度感のやつは今回の映画とは相性よくなかったのかもしれない。

あと映画の後半に出てくる、ラスボスの割には結構ずっと画面に居座ってるやつ(正式名称わからん)がいるんだけど、そいつがめちゃくちゃ怖いのよね。
今回、超能力ものということもあってたぶん『AKIRA』を意識してるのかなってところがいくつかあって、あれは第三次世界大戦が起こって荒廃した未来って設定の作品だからキャッチコピーの「この国に未来はない」の部分にもかかってるんだろうなと思うんだけど、僕も子供のときに見てヤベェと思ったあの鉄雄が膨張して肉の塊みたいになってくシーン……ほどにはもちろん怖くないんだけど、それを連想できる程度には生々しいという意味でグロい感じの見た目をしてるのよね、そのラスボスが。成人してる僕でも怖いってかキモいなと思った訳なので、当然後ろの席からも男の子の「あの怪物こわい……」って声が聞こえてきた。
あれに関してはかなり、3DCGでリアルっぽさが出てしまってるがゆえに余計怖く見えてるフシがあったと思う。
で、しかも既に言ったようにかなり長いあいだ(体感30分くらい)倒されずに画面に映り続けるので、何でか分からんけど思わず、僕が後ろの少年に「ごめんな……そうだよな怖いよな……」って後ろめたさを感じていた。
まぁ、大人から言わせれば「あれトラウマだわ……」と人に話せるぐらいのほどよく怖い体験は色んなことの免疫にもなるからフィクションで味わっておくのは悪いことじゃないと思うけど、それで例えば予防接種打っとけとか言ったって怖いもんは怖いじゃんという子供の気持ちも分かるので、ムツカシイところ。
でもやっぱり、あんなに長く映す必要はなかったと思うなぁ。

 

ここまでは映像とか演出面の話だったけど、ストーリーは正直もう1段階ぐらいガッカリ度が高かった。というか、そもそもイマイチ理解できなくて、「これは誰向けの話なんだろう?」ということをずっと考えてた。
今回の敵である非理谷 充(ひりや みつる)くんはその名の通り"いわゆる"な非リア充で、好きなアイドルが結婚したというニュースを見て裏切られたと感じて逆恨みするようなキモオタクなんだけど、その設定にした意味がまずよく分かんなかった。
この映画の主テーマは「『この国に未来はない』なんて、オトナの妄想だゾ。」ってところらしいのに、しんちゃんが否定するべき「この国に未来はない」というテーゼを背負うには、非リア充というチョイスは(すごくありふれていて現実的ではあるかもしれないけど)かなり弱いなと感じた。
昔見たおぼろげな記憶で話すけど、例えば『オトナ帝国』なんかはまさしくそこの点をクリアしてて、見てる観客(親)に「そうだよな、懐かしい過去に浸りたいよな」と思わせる説得力があるからこそ、そこをしんちゃんがガツンと殴って目を覚まさせてくれることにカタルシスが生まれる訳じゃない。子供の視点からでも、大人が何かに夢中になって自分のことを見てくれないという体験は一時的にせよあると思うから、気持ちを入れやすいところはあると思う。例えば僕だったら、継母が化粧をしてる時間というのがすごく苦手だったな。鏡を見てるから絶対に自分と目を合わせてはくれなくて、何を話しかけても聞いてるんだか聞いてないんだかよく分からない生返事ばっかりが返ってくる感じが。
でも本作における「この国に未来はない」は、ホントはそんな大層なこと考えちゃいないのになんとなく日々の鬱憤のぶつけどころが分からなくて受け売りしちゃう非リア充と、何がどうなってその結論に至ったのか一切描かれないヌスットラダマス二世&池袋と、その数秒間だけ何かに乗り移られたかのように「そうだよな、現実的に考えたらこの国の未来は明るくないかもしれないな」とテキトーなことをぼやくひろしの計3回しか描かれない。
ポスターの時点で「なんで急にそんなことを」とは思ってたけど、そこに対する説得力は何も付加されないまま、ただ現実感のない極論が否定されるべくしてされたっていうだけに留まってるのが、何がしたかったのかよく分からなかったポイント。
非リアくんが幼稚園に立て籠もったときも、園児たちの絵を見て「夢なんて持つだけ無駄だ〜!」とか言ってた割に、非リアくん自身が諦めてしまった夢みたいなものは結局何もなかったし、しんのすけが描いた白いごはんの絵にしても、非リアくんはずっとお腹空いた空いたって言ってたから後でなんか繋がってくるんだろうなと思ってたら何もないし。
僕は基本的にはそういうの好かないんだけど、これだったらまだ「国の政治家が悪いことを企んでて……」みたいな分かりやすい悪党との戦いだった方がマシだったんじゃないかなと思う。もちろんその場合でも、最後はワルになっちゃった政治家の心を救って改心させて欲しいけど。

あと非リアくんとの精神世界のくだりも、一番の感動ポイントであって然るべきなのに、「親から愛情を貰えずに孤独だった子供」にしろ「人生うまく行かなくて全てに絶望したキモオタク」にしろ、クレヨンしんちゃんの映画を見にくるメインターゲットにとっては多かれ少なかれ"違う世界の住人"であって、リアリティを持って感情移入できない対象だったんじゃないかなぁと思う。
夏休みに映画館に連れてきてもらえる子供の多くは「家族がバラバラになっちゃうから最後に手巻き寿司でも食べようなんてふざけるなよ!」って気持ちが分かるとは思えないし、結婚して子供もいる親が主に非モテ方向で絶望してるキモオタクに共感するとも思えない。クレヨンしんちゃんの映画で1時間半も使って非リアくんみたいなキモオタクを救済する話を描くことで、誰が得すると想定して作られてるのかまったく見当がつかなかった。
僕みたいな、きっかけがあれば見ることに抵抗こそないものの、普段自分からクレしんの映画を見ることはない層の人間にとっては、ある程度は共感のしようもあった作品だったけど、僕は今回超たまたま歯車が噛み合っただけで本来ならこの映画を見ることはまずない側の人間だったので、僕がいくら共感しても仕方ないワケじゃん映画として。

もうひとつの本作のテーマである、ある種のメタフィクションとして「現実でしんどいことがあっても、テレビをつければいつも変わらないしんちゃんがそこにいる。例えひとりぼっちでもしんちゃんは君の仲間だよ」みたいなメッセージも、うつ病の人が子供向け番組を見て癒やされるみたいなよく聞く話を踏まえてみると「いいな」って思うし、そういう気持ちでしんちゃんのアニメは声優さんが変わっても時代を超えて続けられていると考えたらエモいなとも思う。劇中でもカンタムロボが世代の違う非リアくんとしんのすけに変わらず愛されている描写があって、シリーズ作品を続けることの意義みたいな意味での面白さはとてもあったんだけど、やっぱりそれって子供に分かるの? という気持ちはあって。
だってこのメタフィクション的な見方って、作品内で明確に表現されてる訳じゃなくてあくまでもメタファライズされてるものだから。
翻って、『ロボとーちゃん』でピーマンを食べるしんちゃんとか、あぁいうのはすごくいいと思うんだよね。あれも言葉にはしてないんだけど、しんちゃんも子供なりにがんばったから見てるみんなもがんばろう! って言うのが、めちゃくちゃ分かりやすいかたちで伝わってくるから、僕も泣いたし。
なんだけど、今回の映画は微妙にデリカシーがないように感じた。
幼少期の非リアくん……苗字は変わってる可能性もあるから充くんって呼んだほうがいいのかな? 充くんの部屋にしんちゃんが来たときの反応が、確かに「しんちゃんはいつも変わらない」ということを描く上ではあれしかなかったと思うけど、やっぱり少しモヤモヤするところがある。
というのは、公開記念で放送されてた『もののけニンジャ珍風伝』の中で、取り違えだったということで屁祖隠の子供として数日過ごした後に、駄々をこねるでも弱音を吐くでもなく、数秒間ずっと無言無表情のまま、ただそうすることが当たり前であるように家に帰ろうとするしんちゃんの映像の良さにゾクゾクしたばかりだったのもあって、"寂しさ"に対して無頓着な描かれ方をしてたのはちょっといただけなかった。
それに加えて、運に恵まれなかった非リアに対して、また未来を生きてく子供に対して、正面からただ「がんばれ」って言うのは、なんか……なんか違わない? そりゃ何事も究極的には自分ががんばるしかないし、非リアくんはがんばれって言って欲しかったんだし、何も間違ったことは言ってないんだけど、少なくとも"大人"側の人間が口にするなら「一緒にがんばろう」じゃないの? 大人の都合で人生に対して諦めてしまったキャラに対して「(勝手に諦めて)やろうとしなかったんだろ?」はちょっとむごい。あまりにも他人ゴトすぎる。
作中のひろしでさえも非リアくんに対してそういう態度なんだから、観客だって非リアくんに対して本気で同情するのは難しい気がする。
色んな人の感想見てて、非リアに対して人並み程度にも努力してないんだからがんばれって言われて当たり前って言ってる人がいたんだけど、2人きりで食事行けるほどアイドルに貢いでたんだからそれなりには稼いでるんじゃないの。親がアレなんだから金銭的に頼ってるはずもないし、非リア界の中ではかなりまともな方だと思うけど。
加えて「この映画を批判するような奴らは非理谷だよ」とネガティブな意味を添えて恥ずかしげもなく言えるような人こそが、『しん次元』の"お客様"なんだよな。しんちゃんががんばって彼の心を救ったのとか見ているはずなのに「でもあいつキモいしムカつくしクズじゃん」とナチュラルに見下せる人間。非理谷に感情移入なんて、できなくて当たり前なんだから。
そういう「俺は幸せだからこれ以上がんばったりしないけど、まぁお前らは精々がんばれや」とでも言いたげな人たち。賛成するかはともかくとして、そうやって「自分が幸せならそれでいいし他人の不幸なんて知ったこっちゃない」って人間(例えば非理谷に絡んだ奴ら)のせいで日本の未来が暗いって話でもあったはずなのに。
総じて、3DCGによる映像そのものには現実感を持たせる力があったにも関わらず、扱っているテーマに対してはリアリティを付与しきれてなくて、どこか自分とは関係のない話かのように感じてしまうバランスの悪さがあったように思う。


最後に、主題歌『Future is Yours』はいっぺんの曇りもなく良かったと思う。
予告時点でこそポスターの爽やかさとはイメージが違うなぁと思ってたけど、見た後だと等身大の声って感じがするサンボマスターさんはすごくいいチョイスだと思った。
今回の主題歌では「君はいたほうがいいよ」というワードを何回も繰り返す部分があって、子供に向けた歌としてすごくいいなとも感じた。「いてもいいんだよ」というメッセージはあるけど、「いたほうがいいよ」という言い方は少なくとも僕は初めて聞いたし、でも子供に向けてならそれくらい無根拠に存在肯定するぐらいでちょうどいいと思う。
僕は有名な『世界をかえさせておくれよ』くらいしか知らないけども、歌詞に妄想恋愛男子なんてワードも出てくる通り、お世辞にも幸せな毎日を送ってるとは言えなそうな男が、それでも幸せな日々を夢見てがんばってる感じがして、ちゃんと非リアくんの側に寄り添ってるニュアンスがある歌声なので、映画に足りてないと感じたのはこの"自分ごと"感だよなと。それでいて、その非リア感が今回の歌詞では前面に出てなくて、あくまで分かる人には分かるというバランスに留められているのがとてもいい。キモオタクに対する目配せはそれぐらいの優先度で十分。

漫画風エンドロールも良かったよね。あれだけ面白みがあっても途中で席を立っちゃうお客さんが多かったのは残念だった。
来年の映画に出るっぽい恐竜も、質感のせいなのかやけに怖いなと感じたのがやや心配。まぁ、僕は現状見る予定はないのでなんでもいいか……。
『超能力大決戦』、面白くなくはなかったけど、面白かった! とも言い切れない感じでちょっと残念でした。