やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーセイバー 第3章「父であり、剣士。」 感想

キャラクター

 神山飛羽真
・一晩で書き上げてくれました
銀河鉄道の夜』はいつも通り読んだことがないのだけど(その内「セイバーに出てくる本まとめて読んでみた」みたいな記事を書くかも)、ジョバンニという名前は聖書の著者として知られるヨハネに由来するものらしい。前回の"ジャック"がヤコブの変化だという話と同じような感じ。そのヨハネさんはキリストに弟子として愛されており、十字架にかけられた際もそばにいたとされている。これは15年前に先代の炎の剣士が十字の剣を突き立てたシーンと被るものがあるし、更に彼はその記憶を本として執筆している訳なので、イメージソースと見て間違いない。1話でした「赤い竜と白い馬に乗った救世主」の話が載っているのも、ヨハネの黙示録だしね。アポカリプスというのはギリシャ語で「覆われていたものを外し、暴露する」みたいなニュアンスを持つ言葉らしい。モヤのかかったおぼろげな記憶を明らかにするような意味も込められているのだろう。

・善意ゆえの悪意
本なんて興味ないと言うそらくんに、本がいかに素晴らしいかを教えると約束する飛羽真。ヒーローものって意外とそういうこと多いけど、セイバーは特に宗教的な側面が押し出されてる作品なので、自然と宗教勧誘みたいに見える。当人は本気で「それが人生を良くしてくれる」と信じている訳だから本当に善意の塊なんだけど、興味ない人からすると迷惑以外の何ものでもない。中でも"啓蒙"的な色が出始めるとどうしても迷惑度は上がるよね。「これを信じなければあなたは最後の審判で地獄に落とされるんですよ!?」と言われても、はぁ……って感じ。
でもこれって他人事ではなくて、極論を言ってしまうと「マスクしないとコロナにかかりますよ」ってのも同じようなもんで、世論や有識者の意見を信じるか信じないかは本来自由のはずなんだよな。「コロナなんて嘘っぱちだ! 政治家が自分の汚職から目を逸らすために仕組んだ陰謀なんだ!」と本気で信じている人もいる。「あなたはそれでいいかもしれないけど、マスクしないと周りも迷惑するんですよ」と言う理屈をかざそうものなら、もしも「私が信じるだけじゃ救われない、全人類がこの宗教を信じないと神は許してくださらない」なんて教義の宗教があった場合、ブーメランとして返ってくる。その人たちにとっては無宗教である(コロナを事実だと信じない)ことはそれだけで「自分たちを地獄に落とさんとする(≒コロナに感染させようとする)悪」ということになる。Ah 沈まぬ太陽 失くす世界で 問われるのは、何が正しいかじゃなくて、何を信じるのかだろう……。

また、そらくんが本を開いたが故に悪いことに巻き込まれるというのは、俗に言う"有害図書"の比喩にも思えた。僕も駅かどっかで一度有害図書ボックスというのを見かけたことがあるんだけど、本の虫としてはなんだかとても悲しくなってしまった。なんというかこう……その中にあるのが一体どんな本かは知らないけど、そこまで言うことなくない? そりゃあ僕だって不意に性的なコンテンツが目に入ってきたらかなり不愉快だけど、だからって本屋からなくすべきだとまでは思わない。でもそういう急進的な主張をする人は、十中八九そういう本によって深く傷付いた経験を持ってる人なんだろうから、そこまでしようとは思わない僕なんかにはその気持ちを計り知ることはできないのだろう。図書館戦争ってあったなぁ。表現の自由を脅かすメディア良化委員会ってのと戦う話。「本は悪くない! 人間の暮らしを豊かにする、夢のメディアなんだよ!」「本は人を傷付ける……人類の敵だ!」。
仮面ライダーはテレビの中の絵空事なので、震災が起きてもウイルスが猛威を奮っても助けてはくれない。でもそれを見ることで楽しくなったり新たな考え方を得たりして、心を救ってくれることはある。それって宗教も、そして本も同じことだと思う。
あ、ちなみに"本の虫"という表現はセイバーの仮面ライダー要素のひとつなんだろうね。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 

 尾上亮
・豪放磊落
1話にて、ゴーレムメギドは「人につくられしもの」という点でヒューマギアとニアリーイコールだと話した。この視点を継続するなら、バスターがそれを倒すことには自然と「子殺し」的なテーマが付加される。殺すまではいかずとも、飛羽真が作者として「キャラクターに自我など要らない」と主張するように(玄武の尻尾は蛇なので、龍の彼とは通ずるところがある)、彼の場合は「子供は親の言うことを聞いていればいい(by滅)」みたいなニュアンスだろうか。飛羽真に「黙ってろ」「引っ込んでろ」と言ったりして人の話を聞かないような印象も強い彼には、さもありなん。実際、そらくんが「バスターのおまけ」では片付けられないほどの個性を発揮する未来が僕には見えない。構図が似ている大介とゴンには別れるエピソードもあって、親代わりだから仕方なく一緒にいるのではなく、れっきとした本人の意志で共にいることが強調されている。
せっかく出てきた大秦寺が、尾上のでかい声に嫌な顔をしてすぐさまどっか行ったのも細かいけど面白かった。彼は整備メカニックとのことなので、おそらく日頃から武器を荒々しく扱って平気で傷を付けることに苦手意識を覚えているのだろう。"愛剣"なのに大事にしない、もしかするとそういうところがそらとの関係にも出ているのかもしれない。倫太郎に指摘されてた「子供を戦場に連れて行く」というのは、側にいて守るためだと考えたら理に適ってる面もあると思うのだけど……まさに今回、頭に血が上って危うくセイバーとブレイズまで巻き込みそうになってた訳なので、どちらかと言えば倫ちゃんの方に分がある。抱っこされてるときのそらの顔が苦笑いに見えるのは、演出なのか演技力不足なのか微妙なところ。
今回そらが失踪したのも、元を正せば尾上の監督不行届だと言える。本しかないからって理由でノーザンベースが好きじゃないのに、本屋に置いてくってのも微妙な選択だしな。結果的にはジオラマに興味を示していたとは言え、もし尾上が「本が好きじゃない」ってことをきちんと把握してないのだとしたら、表面的にはいい親子でも、本質的にはコミュニケーション不全に陥っているということになる。

でも制作陣がゴーストのコンビなことを考えたら過去の設定は凝ってそうだし、尾上は多分カリバーや先代の炎の剣士と仲が良かった……か、少なくとも同僚ではあったのだと思われる。もしいい関係を築けていたなら、今のところ粗暴な面が目立つ彼にも結構いいとこあるのかな。飛羽真に当たりが強いのは、その先代との友情が前提にあった上で、小説家なんてナヨナヨしたやつに決まってる、みたいな先入観でガッカリしたってことなんだろう。あと「ひよっこは手を出すな」ってのは、二度とカリバーみたいな裏切り者を出さないために自分一人で戦えばいいと思ってるのかも。
バスターの耳に当たる部分は"カナメロック"という名称で、当然要石がモチーフになってるんだけど、これというのは地震を起こす大鯰……古い伝承では"龍"を鎮めるために埋まっているものらしいので、彼もまた倫太郎と同じく、飛羽真が裏切りそうになった時のストッパーとして機能する役割を担っているのかもしれない。

 

 富加宮賢人
・キャラ被ってる
仕切りたがりとのことだけど、ぶっちゃけ今のところみんな微妙にキャラ被ってるよね。飛羽真も割と勝手に話進める上に「〜は君のいいところだ」ってめっちゃ上から目線だし、倫太郎もエリート故かナチュラルに周りを見下してるというか、自分が正しい前提で「話聞いてなかったの?」とか言っちゃうタイプだし、尾上さんは言わずもがなの問答無用マン。個性を出そうとするとどうしても我の強い自分勝手な人物像になっちゃうんだろうか。それでいて激しい諍いは今のところ起きてないのが面白いとこだけど。みんなあんまり他人に興味ないのかな。
飛羽真が忘れている"もう一人"……メギドの項で後述もするけど、ワンダーワールドに取り込まれたら最後、人間も動物も街も、現実世界では完全に"なかったこと"になってしまうのかもしれない。だとしたら15年前の事件や世界消失現象が世間に知られていないのも頷けるし、なんなら賢人も少女のことはうろ覚えで、ソフィアが似てることには気付いてないのかも。
カリバーは彼の父親っぽいね。僕はてっきり倫太郎の父親かと思ってた。だってブレイズとカリバーって顔がそっくり(\﹀ \︾ )じゃん? カムパネルラとジョバンニは父同士も親友とのことなので、先代の炎の剣士がもし飛羽真の父親なら、カリバーとは友人だったらしいことと合致する。

 

 須藤芽依
・消えたエクレア
3話の芽依は1,2話より見やすい感じになってて、このキャラはこういうとこが魅力なんだなってのが少しずつ分かってきた。相変わらずオーバーリアクション気味ではあるんだけど、ユウキくらいのところに収まってたというか。そら君への対応を見るに、美味しいものはみんなで共有するのが好きなタイプなんだろうね。ワンダーワールドの写真を撮ってたのも、SNSでシェアするためなのだとしたら噛み合う。
3人で食べようと買ってきたエクレアを賢人が勝手に食べたものだから倫太郎は一人食べそびれてしまうのだけど、芽依が自分の分がなくなる心配をするときにまず責めたのが飛羽真なの笑っちゃった。イケメンだったらOKなのね、親しい方が責めやすいってのもあるだろうが。

ただ、前回の最後ではエクレアは全部で5つあるので、賢人,飛羽真,芽依が1つずつ食べただけではなくなるはずがないのに、賢人が飛羽真の記憶を訝しむ裏で、倫太郎が「さ、最後の……」と言っているように聞こえる。1つ目が食べられたときも指で3つ数えて「残り2つなら買ってきた芽依さんと仲の良い飛羽真くんが食べて、僕が食べる分は……」みたいな顔してるし、あの場で全部なくなってしまったように思える。……ニーナとアレキサンダー、どこに行った?
これ、果たして"ミス"なのかね。2話時点で考えても3人分ということで3個あれば普通に成立するのに、わざわざ5つも用意して次の話と矛盾するって、そんなバカな話がありますか。芽依が自分の分だけ多めに買ってきた可能性はあるけど。パイロット(1,2話)とセカンドパイロット(3,4話)は並行して撮影されることが多いというのはよく聞く話だし当然監督も違うので、同じ一連のシーンに見えても全くの別日にわざわざ撮り直してるのだとすれば、そういう行き違いは有り得そうではある。でも、そういう事情を誰よりも分かってる制作陣が敢えて撮影の組を超えて連続性の強いヒキを作ってる訳なんだから、ジオウのバスジャック編みたいにいつもより気を使って作られてるのではないかと思う。逆にそうでないなら「子供向けだからこそ本物を見せる」という姿勢と噛み合わない。確かに本筋とは全く関係ないけど、エクレアの数くらい別にいいっしょ、という妥協をこの最序盤で見せたのならそれはどうなのかと思う。
撮影が終わった段階でも、編集の時点であの箱の中がアップになるカットさえなくしてしまえば、エクレアのなんたるかは伝わりにくくなるが、筋は通る。可能ならそのシーンだけ撮り直せればもっといい。最悪芽依の役者さんなしでも、どアップにすれば成立するし。

本当にただのミスという可能性も勿論あるけれど、ここではもし意識的にやっているとしたら……という仮定の話をしてみたい。僕は当初からエピソードの単位が"章"なのがずっと気になってて、これだと1話1話の隔たりがとても大きく感じるのよね。最近だとビルドなんかが16話までを"第1章"として銘打ってたし、"1節"ほどではないにせよ"1話"と比べたらぶつ切り感が否めない。
ここで思い出すのは、ライドブックの絵柄。ソードライバーに挿して抜刀すると絵が繋がるというギミックがあるけれど、よくよく考えたらこれって変な話で、『ブレイブドラゴン』と『ジャッ君と土豆の木』は別に続き物でも何でもない無関係の本なはずなのに、どうして繋がるのか。そもそもの話、ドラゴンジャッ君やドラゴンピーターのように両端に挿した時が顕著だけど、厳密に見れば絵柄には結構な隙間が空いてて、ちょっと斜めから見てようやく自然になるかなってぐらいなのよね。これは(もしかすると設定的には続き物かもしれない)ライオンファンタジスタでも同じで、正面からだと微妙にライオン戦記の腕がチラ見えして、お世辞でもなければ「綺麗に繋がってる」とは言えない。でもそれを見ないふりして繋がってると"了解"できるのが、人間の頭の面白いところ。

ある作品に対して、「実質〇〇」と言って全く別の作品と同じようなもの、或いはその続き"として見られる"、と評すことがある。例えば「ゼロワンは実質デトロイト」とか、「スパイダーマンは実質仮面ライダー」とか。
『セイバー』がそういう人間の認知パターンを意図的にテーマに組み込んでいるとするならば、今回のエクレアの件は「1話1話が厳密に見たら繋がってない」「でも視聴者は気付かず、或いは気付いてもなお繋がってることにする。不思議だよね」というひとつのギミックとして捉えられる。
僕がこんな風に思った理由はライドブックの絵柄だけじゃなくて、OPの後に本当に突然ゴーレムメギドとのくだりが始まったことも関係してる。前後の関係を重んじるなら駆け足どころかそれこそぶつ切りですごく不親切なんだけど、自覚的にやってるんだとしたら合点がいく。こちらは「ロゴスから出動要請があったのかな」という脳内補完をすれば普通に繋がるものの、賢人がいなくなってたのが謎。飛羽真についてソフィアに報告しに行ったのかな?
そういえばジオウでも3話で、ゲイツの必殺技音声「フィニッシュタイム! "ドライブ!"」がビルドドライバーのものになってるなんてことがあったな。正直「何があったらそんなミス起こるの?」って感じなので、僕はあれも本当にミスなのか疑ってるけど。横で我が魔王がビルドアーマー使ってるし、ソウゴの記憶が曖昧で「こんな感じだった気がする!」ってな感じで現実が改変されてしまったという遊び心なのでは、と。
例え違ったとしても、そう思った方が面白いじゃない?

 

 ハンザキメギド
山椒魚
モチーフはオオサンショウウオ。今でも生息してるらしく、動画が結構YouTube上にあがってた。正直キモい、けど時々可愛くも見える。キモいのがそのまま可愛さに繋がる"キモかわいい"とはちょっと違う。
英語では"サラマンダー"の名が冠されていて、炎の龍たるセイバーを思わせる。バスターが倒した、というのも合わせてね。
有名な井伏鱒二の小説もあって、短いので読んでみた。こっちは絵がないのですごく可愛かった。穴ぐら中に閉じこもっていたらいつの間にか出たいと思っても出られなくなってしまい、そのうち寂しさから"悪党"となり蛙を道連れに閉じ込めてしまうのね。今回のメギドは人里離れた森の中にこっそりワンダーワールドを展開して、人間だけを少しずつ転送して閉じ込めていく(蛙のように)というなかなか凝った作戦を展開しているんだけど、ライダーたちは尺の都合であっさりワンダーワールド見つけちゃったのがもったいない。「世界消失現象が起こってないのに何故か人々だけが失踪していく!?」とビックリさせる演出があったらハンザキメギドのインパクトももう少し強まったろうに。
1話でワンダーワールドについて「現実逃避は楽しいけど戻れなくなったら怖い」という話をしたけれど、"山椒魚"は本当にそんな感じ。もしかするとメギドというのは、完成してしまったアルターライドブックによってワンダーワールドから出られなくなった人間や生き物の成れの果て……なのかもしれない。
(参考:ワンダーワールドの両義性 セイバー 第1章 感想)

 

 

人間には理性があるのに、何故未だに子供を生み続けるんだろうね。発展途上国というか、戦争やってるようなとこでは出生率が高いってたまに聞くけど、マジで全く気持ちが理解できない。なんでそんな辛い世界に産み落とすのさ。めちゃくちゃ悪い言い方すると、野蛮なのかなぁとか思ってしまう。メロンが食べたくて売春した子がいるんだってさ。あんたなんで嘘ばっか書いてんだ? 嫁と子供を食わせるための記事? じゃあしょうがねぇ。

 

今週の本

よつばと!
子作り願望こそない僕だけれど、子供は人並みに好きで、とても可愛いと思う。それとは別に、人間の心や理性というものの発達にも興味があるので、そういう意味でも成長を観察をしたいと思うことがある。
本作は未就学児のよつばを中心に、その周りで起こる日常やイベントを丁寧に描いていく。子供の描写としてリアリティがあるのかどうかは毎日子供を見てる訳ではないので分からないが、作中でも「変な子」と言われているので誇張されてる部分はあるにせよ、観察的な視点で読んでもとても面白い。特につくつくぼーしのエピソードが好きですね。何も考えずに笑いたい時にもおすすめ。物事の定義がどうとか理屈がどうとか、そんなものに意味はないんだなってなります。

 

セイバー/聖刃感想一覧

前話
仮面ライダーセイバー 第2章「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想

次話
仮面ライダーセイバー 第4章「本を開いた、それゆえに。」 感想