やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

非対称に歪んだ親子の愛情『仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ』 感想

※ネタバレあり
単刀直入に言います、そんなに面白くなかったです。
細かい部分では好きなところもあるものの、今回はビヨジェネのメインテーマである「親子」というトピックに絞って大きく思ったことを綴ります。


終盤で百瀬親子の確執が解消されるシーンは、おそらく今回の映画一番の見せどころだろうけども、僕が最も違和感を覚えたのもここだった。
秀夫「あんたもまだその切符を持ってたのか……」
違うから! そいつはただ時間移動してきただけで、50年間ずっと待ってたあんたの好意と恨みを上回る根拠には、全くならないから!!!

確かに父親の龍之介も、家族を守るために自分を犠牲にしていたので、息子を愛していなかった訳じゃないというのは事実なんだろうけども、元を正せば自分が研究の為にショッカーへ入ったことの尻拭いでしかない訳で。
「生きててくれて良かった……」も、あくまで自分が命までかけたのに殺されてたら報われないという要素が入ってるせいで、本人が実際そんなことを思ってるかはさておき、見てるこっちの視点では"純粋な心配"として受け取り切れなかった。

数々の改造人間を生み出してきたマッドサイエンティストぶりから察するに、ショッカー云々を抜きにしても恐らく、そこまで"良い父親"ではなかったと思うんだ。
息子なのは事実だけど、同じく事実として自分よりいろんな経験を重ねて仮にも年上になった秀夫に対して「父親の顔も忘れたのか」とやたら偉そうな時点から、あまり印象は良くなかったし。


対して、息子としての秀夫は必要以上に"いい子"という印象を受けた。
勿論セリフの上では彼も結構口が悪いんだけれども、約束を破ったまま失踪した父親なんて完全に嫌っていてもいいはずなのに、50年ものあいだ新幹線のチケットを失くさず取っておき、いつからかは不明だが最近は社員証に入れて肌身放さず持ち歩いている。更にはその就職している会社というのがこれまた新幹線をつくるところという、驚異の未練がましさ。
正直に言うと、なんで嫌いになりきれてないのかが全く理解できなくて感情移入の邪魔にすらなるほどに、彼は父親に対して誠実すぎる50年を過ごしたことになっている。

ただし彼自身も親としては未熟で、冒頭では息子である真一くんに対して仕事を理由に、約束を反故にして責められている様子があった。
ラストシーンではその補償のつもりなのか、何故か2人で新幹線に乗っている。……はい、ここが二番目に変だなと思ったシーンです。

真一くんとの約束が何だったかはイマイチ思い出せないけど、少なくとも"新幹線に乗りたい"ではなかったはず。確か釣りだかキャンプだか、なんかあんまりイマドキの子っぽくないなと思った気がする。
子供との約束を守ろうって話なのに、どうしてそこに自分が親とできなかったことのやり直しを持ち込むの? 確かに親が新幹線つくってたら新幹線好きでもおかしくはないけど、真一くんの出番はその最初と最後しかないので、本当のところは分からない。

百歩譲ってそこは真一くんが楽しんでるようだったから目を瞑るとしても、初っ端から完全に心ここにあらずといった様子で父親との思い出に浸っていたのが心象悪かった。ちゃんと真一くんに構ってあげなさいよ。


親に不満を抱いていたはずの秀夫が、同じ親の立場になってみて初めてその気持ちや大変さを知るというのは、普通の作品ならまぁ理解できるものではある。
ただこの映画に関して言えばどうしても腑に落ちない理由があって、それが本郷猛/仮面ライダー1号の存在だ。
これに関しては作中のストーリーがどうこうの話ではなくなってくるんだけども、一大トピックであったところの「藤岡弘、の実子である藤岡真威人が、本郷猛を受け継ぐ」という構図。この要素が僕の中で、上で散々語ってきた事柄と負の化学反応を起こしてしまった。

情報解禁された当初は「面白いことやるな」ぐらいの認識だったんだけれど、この映画の告知を兼ねて藤岡さんが『徹子の部屋』に出演した際、真威人さんとその姉妹の4人が、空手の道場で全く同じポーズを取っている写真が映されて、それがかなり見ててキツかった。
これは僕の勝手な想像だけども、指示をしたのが弘さん本人なのか母親なのか取材スタッフなのかは知らないが、ともかくテレビで使うからという"父親の都合"であんな作為的な写真を撮らされているのかと思うと、なんかこう……皇族だからってだけであれやこれや言われて特別扱いされてる人たちを見ているようないたたまれない気分になった。
確かに多かれ少なかれスポーツって、自分を律して嫌な練習もこなしたり集団と協調したりということを学ぶ場ではあるけどもさ。

そういう文脈を踏まえた上で見ていたので、あまりにも外見に似合っていないどすのきいた喋り方を見ていると、これは本当に彼のやりたいことなのかと要らぬ心配をしてしまった。当然彼はまだ未成年なので、親の立場であれるはずもない。
更に言えば最後の、本郷が自分を改造した龍之介(ある意味での親)を許すシーン。一応、本郷も同じ科学者であるという点には触れられていたものの、まさか研究のために人体改造をする気持ちに共感した訳でもあるまいに、よく言われる"悲哀"を全部飲み込んだ上であまつさえ感謝までするというのは、違和感を覚えなかったと言えば嘘になる。
脱出を手伝ってくれた緑川博士はまだ分かるけど、龍之介は本当にただ改造しただけだからなぁ……。これじゃ本当に「やがて改造されたことを感謝するようになる」というショッカーのセリフ通りで、手放しで喜んでいい事態には思えない。

親側の立場を経験していない、まだ子供の真威人さんと本郷までもが、親の事情を理解して納得している……いや、作者によって"させられている"というのが、どうにも一方的で腑に落ちない。
もしラストの本郷がV3以降の時系列なら、本人同意の上とはいえ風見に改造手術を施した経験があるので、「親の立場が分かるようになった」ということで、罪悪感は本人が一番よく感じているだろうから自分が追い打ちをかける必要はない、或いは責める資格が自分にはないと思っての言動と解釈することもできるけど。


以上の2つを並べて考えた結果自分の中にあったモヤモヤを言語化してみると「子供が、親に都合のいい反応ばかりしている」ということに行き着く。
以前、本作の主役であるリバイスとセイバー、そしてゼロワンも含めた令和ライダーの特徴として「何かしらの意味で"親"である」ということを挙げた。
或人は飛電の社長としてヒューマギアを生み出すイニシアチブを取っているし、飛羽真は小説家として物語を生み、一輝はバイスという悪魔を生み出した。"親殺し"が重要な要素とされている仮面ライダーシリーズにおいてこの珍しい特徴が3連続することはもはや偶然では片付けられないと思うので、制作側としてもある程度は意識的にやっている部分があると思われるが、果たしてその令和シリーズの文脈で作られたからなのか、本作は非常に"親の目線"に寄り過ぎているように感じられた。

秀夫は龍之介を50年も待った末に再び約束を破られ(※注)、真一は秀夫が乗りたかった新幹線に付き合い、真威人さんは父の後を継ぎ、本郷は改造手術に感謝する……ついでに言えば、迷った末に一輝との約束を守ったバイスもここに含められる。
子供の役割を負ったキャラたちが徹底的に「親のやることに泣き寝入りし、最終的に許す」という描き方がされており、まるで親の顔色を窺って相手の望むこどもを演じているかのごとく、ひたすら親にとって都合が良い。
普通の作品ならそれもまたいいかもしれないが、子供に見せる前提の作品でここまで一方的な描き方をしてしまうのは、まるで「子供たちに親(自分たち大人)を許してくれと言い聞かせている」ように見えて、無性に気持ち悪く感じてしまったというのが、僕の感じたビヨジェネ最大の歪みだ。
※注:センチュリーが新幹線のエフェクトとともに現れるシーンがあったので、あれは一応その代わりと言えるかもしれないが、秀夫は「まだ約束は果たしてもらってない」と言っていたので完遂はしていない。


子供は親に見捨てられたら生きていくことができないので、最終的には従うより他ない。
"無償の愛"という言葉はしばしば親(特に母親)に対して使われることが多いけど、むしろそれを持っているのは子供の方なのではないかと最近思う。
愛という言葉の定義にもよるだろうが、子供は無尽蔵に「世話して」「構って」「愛して」という欲求を発する。大人同士の付き合いにおいて、嫌いだったり興味のない相手に対してそのような要求をすることはまずなく、信頼する人や愛する人に対してのみ甘えるというのが普通だろう。裏を返すと、子供が甘えるのは「大人を愛しているから」であるとも言えるのではないか。

50年間にも渡って切符を手に待ち続けた秀夫の"健気さ"こそ子供の持つ無償の愛の象徴であって、その重さは龍之介のそれよりも遥かに重い。
にも関わらず、作品としての扱いは龍之介の方がクレジットも先で、謂わば本作の主役は彼。あくまで親としての彼が許され救われる話であり、子供側のキャラクターはいまいち報われないまま終わってしまう。
劇場にいた子供たちが、本当にそこまで深くストーリーを理解しているかは分からないが、もう少しくらい子供側にも寄り添った話づくりで良かったのではないか。

完成し暴走を克服したセンチュリーには、仮面が装着される。これは秀夫が、世界を守るため、父の心を救うために、父に抱いていた憎しみに蓋をしたことの表れに見えた。
またセンチュリーにしか倒せないとされる本作のラスボス・ディアブロもまた、龍之介を母体として生まれた悪魔である。
徹底的なまでに"子殺し"を描いたのが、この『ビヨンド・ジェネレーション』だったのかもしれない。

 

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