やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゴースト 第1話「開眼!俺!」 感想

見えると見えないの間

・冒頭、目の文様から眼魂を出現させて眼魔を生み出す謎の男 西園寺。おそらくゼロから生み出したというよりは眼魔世界へのゲートを開いて連れてきたってことなんだろうけど、満月の夜なのは何か意味があるんだろうか。
本作は見たまんま目玉がキーアイテムな訳で、そこから考えるとしたら「暗くて見にくい夜」「でもある程度の明かりをもたらす満月」という相反する条件が揃ったときに、"見える/見えない"の中間に位置する幽霊的なものの動きが活発になるのかもしれない。僕はよく「幽霊はいようがいまいが、見えない内は関係ない」と言うのだけれど、微かにぼんやりと見えるからこそ怖いのであって、いくら幽霊といえども、本当に真っ暗で影すらも見えないのであれば、怖がりようがない。薬品を点眼したのはよく分からんからネクロムが出てきた当たりで再度考えよう。

・眼魔アサルトにモノがモチーフのパーカーを着せたものが今作の怪人になる訳だけど、つまり付喪神って認識でいいのかなと思っていたら、実は英雄の裏モチーフもあるらしい。刀眼魔と槍眼魔なら、武蔵に因縁のある佐々木小次郎宝蔵院胤舜だそう。有名だし燕が付いてるから小次郎は分かったけど、胤舜なんてFGOで名前だけ少し知ってるくらいだな。アーサー王伝説とかもだけど、もう少しちゃんと読んで勉強しておくんだった。
どうやら英雄眼魂の選定にあたって西園寺が集めていた遺品たちを使ってるとのことで、15英雄に選ばれなかった落伍者たちの亡霊とも言えるのかもしれない。

・多分、同じ岩山で死んでいる龍。特に名前の付いてる場所って訳でもなかったと思うけど、わざわざ同じにしてるからには何か意味があるんだろうか。眼魔世界とのゲートを開いてることから、あの岩山の中にもモノリスが隠されている……のか?

・眠っている状態で初登場するタケル。僕は昔にゴーストをリメイクした二次創作を書こうとしていたことがあって、そこでも無意識に同じことをやろうとしていたんだけど、要するに"開眼"するのがキーポイントだから今はまだ目を閉じてますよ、って描写ね。

・大天空寺は毘沙門天を祀っているらしい。軽く調べてもあんまりゴーストと深い関連があるようには見えないし、本当にこの一瞬映されただけで作中で言及しているところはついぞ覚えがないので(まぁそりゃそうだ)、そこまですごく重要って訳ではないのかもしれない。あくまで本来の役目を隠すためのカモフラージュとして、既存の仏教と習合したのかも。
強いて言えば、多聞天という別名が「多くの英雄から話を聞き、学ぶ」感じがするのと、七福神の一人らしいから後半の七つの感情編に繋がるのかな、ってくらい。

ゴーストはディケイド

・ヒロインの月村アカリ。冒頭でフィーチャーされていた月、そしてアカリという名前から、彼女が闇を照らし物事を解"明"する知恵の光、つまり科学担当であることがなんとなく分かる。アギト的な。
ただシブヤやナリタ、御成に関しては名前に意味を見出しづらい。

ジオウでディケイドと関わったことで、名前のカタカナ表記が気になった人は多いだろう。しかもゴーストドライバーは開発段階では元々カメラで、瞬きはシャッター機能の名残だというのだから、意識している部分は当然大きいと思われる。眼魂のボタンを押して絵柄が回転するギミックも、カメラに装填するフィルムをイメージしていたのだとすればなんだか辻褄が合う。写輪眼じゃあるまいし、目玉を押したら模様が変わるなんて発想がいきなり出てくるとは考えにくい。
じゃあなんでゴーストなのにカメラなんだって話だけど、多分オバケといえば心霊写真ってことでそういうモチーフが検討されていたのだと思われる。過去の偉人(レジェンドライダー)の力を利用するというのも、合致するし。
ゴーストの主要人物はそのほとんどがカタカナとなっていて、例外は山ノ内御成,天空寺龍,西園寺主税くらいで、アランやアデルなど眼魔界の面々に至っては苗字すらない。
もしディケイドのルールを当てはめて考えるなら、今いるメンツとしては御成と西園寺だけが"本物"だということになる……のかも。本気でそうだとは思ってないけど、"御成"という言葉の意味を調べると「〇〇様のおな〜り〜」てな感じで「偉い人が来ること」というのが第一義として出てくるから、もし御成がそうなら確かに本物は偽物より偉いかもなと思っただけ。

・ただ、八王子シブヤと木更津ナリタに関しては既存の地名を組み合わせただけであまりにも適当過ぎるから、出家と同時に改名でもしたのかな、とは思った。
出家とは別でもうひとつ、人は死んだ時にも改名をする。別にカタカナになる訳じゃないけどね。むしろ漢字でやたら長ったらしい戒名というアレ。

・ゴーストは噂によると企画段階で大幅な路線変更があったとか(出典が分からないので話半分に聞いてね)。僕は以前白倉さんの「最近の仮面ライダー面白いですか?」という発言について、「実際に世に出ているライダーが面白くないというよりは、むしろ"(もっと)面白かったはずの企画がしがらみによって丸まっていく様子"を関係者の一人として見て、惜しく思っていた」という意味なのではないかという話をした。そういう意味では、噂が本当ならば『ゴースト』はある種、リ・イマジネーションの文脈に位置するものと捉えても、そこまで大きなバチは当たらないのでは?(ジオウの感想からのコピペ)

量子物理学的な幽霊

・いきなりヒロインにマイナスイメージ。幼馴染の誕生日を口実に、タケルは全く興味ない自分が行きたいところに誘った挙げ句、かなり恩着せがましい……。
ただ、行こうとしたのは「原子物理学の夜明け展」。本作における"ゴースト"って実際はオカルトというよりはSFに近いもので、量子ゆらぎとか不確定性原理みたいな科学的な概念を元に「こういうことも全くありえなくはないよね」と拡張しているものなのよね。これはテレ朝のHPを見れば、仮面ライダーのテクノロジーにクァンタムソリッド(Quantum=量子)という金属が使われていることから分かる。
ということなので、実はゴーストハンターを目指しているけどゴーストが見えないタケルに対して「物理学の視点から研究することで見えるようになるかもよ」という助言のつもりである可能性が微粒子レベルで存在している……?

・ところでアカリって、タケルの父親のこと"お父さん"って呼んでるのね。後半は"龍さん"とかじゃなかったっけ。
そういえば彼女自身の家族って全く描写されたことないし、単に近所だからとかじゃなくて孤児だったのを龍が引き取ったから、2人は幼馴染なのかもしれない。……でもだとしたらそれはもう家族みたいなものだし、さん付けを要求するのは不自然か?
タケルとアカリって、主張や嗜好が信じられないくらいに正反対だし、実際タケルは彼女の話をほとんどまともに聞いてなくて、しっかり聞いてみると会話がまるで成立していないことが分かる。だからよく今まで関係が切れなかったもんだと不思議、いや不可思議なのよね。もし家族だったなら、その辺に合点がいくかなと思ったんだけど。
というか、割と全員相手の話や文脈を無視して話し出す傾向がある。まぁキャラクター紹介の段階だし、多少は仕方ないけど。

・これもあんまりうるさくツッコむようなことじゃあないけど、眼魔が車を切り裂く理由ってマジでないよな。遊園地はまだ、眼魔ゲートをつくるのにいい場所だったからとか理由付けられるかもだけど。
小説の情報を使うなら、眼魔世界の住人は基本的には思想を統制されてカプセルの中で都合のいい夢だけを見せられてる状態らしいから、アバターとはいえ自分の意志で体を動かせるのは久々だから、溜まった鬱憤を晴らしてる……とか? 或いはパーカーの方の人格が半分乗り移ってるのかもしれないけど。

アカリのバックボーン

・御成は過去に見えない眼魔に襲われたところを龍に助けられたとのことだったので、彼がゴースト(幽霊)の存在を信じるのはまぁ頷ける。
先代はゴーストに命を奪われたという御成に対して「タケルだって本当は信じてないんでしょ?」と問い詰めるアカリ。普通に見てたらちょっと感じ悪いくらいなんだけど、さっきの文脈を引っ張っていいのなら、アカリ自身も龍のことを親代わりとして慕っていて、だからこそゴーストのせいなんていう曖昧な死因が納得できなくて、その謎を解明するために科学の道へ進んだ……なんて背景があるんだとすれば、僕はある程度得心が行く。
ここ、タケルなんて言ってるのか聞き取れない。「俺は……俺は信じるよ」なのか「俺は……俺を信じるよ」なのか。後者だといきなり何言い出すんだって感じだけど、他のとこも大体そんなノリなので全然有り得る。

失われたアランの苗字

・郵便の小野寺さん(自転車ライダー)から小包。消印に"陸堂"と書いてあるのがすごく気になる……。
天空寺タケルに深海マコトときたら、3人目は苗字に陸が付くはずなのに、アランに苗字はない。もしこれが古くに名付けられたここら一体の地名なのだとしたら、ガヌマの民の元の名前がが現代まで続いていた……ということだったりするのだろうか。つまり超雑に言うなら"陸堂アラン"が彼の本名なのではないかということ。なんか絶妙にダサいけど、リクドウじゃなくてロクドウと読むなら、輪廻転生とも繋がるし有り得そうな気はする。あと漫画『家庭教師ヒットマンREBORN!』に六道骸ってキャラがいるんだけど、ムクロってネクロムの由来でもあるし、収まりはいい。
陸担当のアランに苗字がないことで、仏教における重要人物である空海を表しているのかもしれない。天台宗最澄で天才、真言宗空海で真空、なんていう超常識レベルの知識しかないのでだからどうだって話が今はできないけど。

・眼魂を触ったら眼魔が見えるようになる……というのはなんか不思議だな。なまじ眼魔に粉くっつけようという不知火の原理が分かりやすいから、単なるご都合主義なのかなと思ってたけど、よく考えたら目玉のアイテムに触った訳だから、タケルの眼球の方に何か変異があって見えるようになったのかもしれない。それならなんか分かる。
ただ、眼魂に触れればそれでいいってもんではないはずで、もしそうなら前年のシフトカーのように携帯させればアカリや御成にも(不知火なしで)眼魔が見えるはず。なので、あくまでブランクに触れてビリッとくる感覚を経た者のみが見えるようになるのだと思われる。

・前から思ってたけど、願いを叶えるために必要なのは英雄の眼魂であって、今タケルが持ってるブランク(オレ眼魂)はカウント外だから、勘違い以外に眼魔側が集める理由はないよね。強いて言うなら、テクノロジーの漏洩を防ぐためとか……?

・タケルが死んでアカリたちがそばに駆け寄ってる間、眼魔の2人は棒立ちで何してるんだろ。仙人あたりが何かしらの方法で妨害してんのかな。

・誰でもあって誰でもないけど、神様ほど偉くはない仙人……結局何者なんだ。
調べてみたら仙人という語は主に不老不死の力を得た人間のことを指すので、まぁその意味ではおっちゃんに限らず眼魔世界の住人はみんな死を克服してる(つもり)なので、間違ってはいないんだろうけど。
"誰でもあって誰でもない"が一番分からん。急に人格が変わったように口調が変わるとこなんかは確かにそんな気はするものの。眼魂システムそのものと自分の意識を接続でもしてるんだろうか。

・ブランクからオレ眼魂になったのは何がきっかけだったんだろ。アカリたちを助けたいっていう思いに応えているようにも見えるけど、どっちかと言えばタケルの魂を解析してコピーし終えるまでにタイムラグがあって、それがたまたまあのタイミングだったようにも見えた。

アイデンティティ拡散と自我の形成

・まるで透明になったみたい、全部自分をすり抜けてゆく……。そんな感じで、幽霊状態は思春期特有のアイデンティティ拡散の比喩だと思われる。
自分の魂はオレゴーストとして外在化し、自身はトランジェントという誰でもないのっぺらぼうになってしまう。
オレゴーストが楽しげにダンスしてるのは怪談レストランのパロディかな? 夢のために現実を捨てて、現実のために夢を捨てて、手に入れたのは孤独か? それとも愛する人との別れか?

うちにはゴーストドライバーがあるのでそれをしげしげと眺めながら考えてたんだけど、思うに眼魂ってのは厳密には目玉そのものじゃあないんだな。「死んだような目」って表現があるけれど、その文脈で言うところの何も見てない空っぽの目ん玉がドライバーで、そこに眼魂を入れることで、意思や魂の宿った「生気のある目」になるという寸法。
変身後のウィンドウ(グリントアイ)にはオレ魂が映っているけど、普通に考えて目はディスプレイじゃあないので、瞳に映っているということは即ち"それを見た結果反射している"ということに他ならない。オレ魂に変身するためには自分の魂をまず眼魂やパーカーゴーストとして客体化,可視化する必要があるということ。その結果として"開眼"……つまり悟りの目を開くことができると。
演出として、タケルがオレゴーストを怖がっていたら襲われて、そして同一化するという流れになっているのも、外部から入ってきた視覚的刺激(異物)がそのうち経験として自我を構成する一部になるという心理的発達をうまく表している。

自己犠牲のヒーロー

・それと、自己犠牲を厭わないヒーロー性をもつ人間が自分の命を大切に思うためにも、自分自身を客体化する必要がある。このプロセスを踏ませることで、逆説的にタケルのヒーロー性をも描いてるのかもしれない。劇中の死ぬまでの流れは、重くなりすぎないようになのか結構さらっとしてるから、こういうかたちで補完してるのかも。

・「見た目が変わったところで何が変わるわけでもない!」というのは怪人の常套句だけど、素直に「強そうだな」って言うのはなかなかないんじゃないか? やっぱグレートアイを神と仰ぐ眼魔的には、目玉モチーフってだけですごい力を持ってるように見えるんだろうか。

・ユルセンはあぁ言ってるけど、別にタケルは死ぬのが怖くて何もできなかった訳じゃないよね。修行が中途半端だったのは本当にゴーストなんているのか、いたとして自分になんとかできるのか半信半疑だったからであって、眼魔が見えるようになったら途端に「俺は俺を信じる!」って言って無謀にも立ち向かったんだし。

・アイデンティが不安定であるが故に、何ものにも縛られず自由にふわふわと浮くことができるというのは、以前この記事でした話に通じてくるね。
(参照:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

・バイク出現。まぁ、18歳だし、持っててもおかしくは……ない。それより気になるのは「普通に触れてる」こと。バイクもそうだし、ヘルメットにグローブまで嵌めてる。これはゴーストとしていいのか?
気合次第だって話があったから設定としては別に間違ってないんだろうけど、1話くらいは変身前の状態じゃ何にも触れないよ……って演出しても良かったんじゃないかなと思う。「アギトぶりにバイクが変身します!」ってHPで力説してるからやりたかったんだろうけど、そんなに大事かな。バイクに乗ってることを重視する人は見たことあるけど、バイクが変身してるかどうかを注視してる人はそんなに見かけない。スーツが布っぽいのも含めて1号(というか昭和)オマージュですよってことなんだろうけど。

宮本武蔵と言えば佐々木小次郎との巌流島での決闘だけど、このイメージ通り海岸で戦ったんだろうか。東映の時代劇に「宮本武蔵 二刀流開眼」という作品があるから、図書館とかにあれば見たんだけどな。なんでも武蔵は思想家としての側面もあったらしくて、Wikipediaに「実際に各弟子に伝えられたのは、生と死という不可解な問題を、断固として明らかにしたいと言う自身の決意だった」と書いてあるのが興味深い。多分、著書である五輪書2その辺りは書いてあるのかな? 後半で唐橋充さんと決闘する辺りまでには、勉強しておきたい。
ちなみにタケルが持ってた刀の鍔は"左右なまこ透かし"という名前らしい。なまこを眼(まなこ)とかけるのもディケイド譲りだね。

・先述したゴーストドライバーの仕組みは、英雄眼魂を使うときの方が分かりやすい。本越しだけどもタケルはムサシの生き様を見て学び、その精神性を自分の中に取り込んで宿らせる。まぁほぼカメンライドです。
ムサシがフィーチャーされているのは、さっき言った思想のこともあるかもしれないけど、分かりやすいところで行くと『ゴースト』自身がオカルトと科学、あるいは"いる"と"いない"を両立させる二刀流であることの表明だと思われる。

 

ゴースト感想一覧

前作

仮面ライダードライブ 第1クール(1〜11話) 感想メモ

次話

仮面ライダーゴースト 第2話「電撃!発明王!」 感想