やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーセイバー 第1章「はじめに、炎の剣士あり。」 感想

キャラクター

 神山飛羽真
・過去から、未来へ
今作のメインモチーフは"本"だ。物語るだけなら口頭でもできるが(吟遊詩人や琵琶法師など)、書物ならではの特徴はなんと言っても「後世に残る」ことだろう。口伝の場合、尾ひれがついたり何かが抜け落ちたりを繰り返して、まるで代謝をするかのようにかたちを変えフォークロアとなる。対して本ならば、それでも改訂などする場合もあるが、比較してそのまま残りやすい。しかも彼の場合、夢で見たおぼろげな記憶を『ロストメモリー』という小説にして有名になったとのことなので、彼にとっての執筆活動はやはり記録的な側面が多くあるように見える。夢日記は僕も付けてるけど、もし今のこの状態を狂ってると言わないのであれば、別に狂ったりしませんよ。

"約束"もまた、未来に向けて後に残すものである。これは本当は龍騎の感想で書こうと思って温めてたネタなんだけど、いつになるか分からないのでここに残しておこうと思う。前提として、白倉さんの関わった仮面ライダーシリーズが往々にして"変化"をテーマにしていることは既に過去作の感想でした通りである、まぁ変身ものなんだから当然だけど。その上で、龍騎でも電王でも「契約」をするとロクなことにならないことが共通していることに目を付けた。前者はモンスターにエサをあげ続けないと食い殺されるし、後者はイマジンに曲解したかたちで願いを叶えられ過去を乗っ取られてしまう。自分がした契約によって自分の首が締められるような経験は、誰しもあることだろう。日常的なところだと朝もうちょっと寝たいのに遊びに行く約束しちゃったから起きないとなーやだなーとか、プレバンから代引きの商品がたくさん届いて今月お金がピンチだなーとか。もうすぐSHODOのアギトバーニング,G3-X,ギルスセットが届くのか、楽しみだ。
「人は後悔しないように生きるべきなんだ。自分の人生を狭くするのは他人じゃない、本当は自分自身なんだ」とは木野さんの言葉だった。過去の自分に捕らわれて、今を見失っちゃいけない。昔から白倉さんの作品はそういうことを教えてくれている。

飛羽真の話に戻るけれど、彼の場合「この人は約束を大切にするキャラですよ」というのを描こうとしたために、逆にかなり軽い気持ちで約束をして自分を安売りしているように見えてしまうフシがある。芽依の好奇心のくだりとか、何かカットされてたようにしか。でも今日中に原稿ちょうだいってのはさらっと話逸したりしてたし、一応できない約束はしない……のかな? 亮太の両親を見付けるってのに関しては、無理でもなんでもやらなきゃっていう使命感が感じられたけど。平成ライダーファン的にはやっぱ五代くんの無根拠な「大丈夫!」を思い出すところ。ただ、にも関わらず飛羽真は何か「やらきゃいけないこと」……つまり誰かとした大事な約束を忘れているらしい。

更には小説家の副業として、絵本を売る本屋さんをやっているらしい。子供たちに物語を読み聞かせる行為もまた、執筆,約束と同じように捉えられる。生き物がみな自分の遺伝子を子孫という形で残そうとするように、これも子供たちを通じてミームとして物語を残そうとする営みだ。
両親ともに健在な亮太くんに『家なき子』とはどういう意図があるのだろうと思ったけれど、もしかすると彼も実は血の繋がった親子ではなくて、それを暗に伝えつつそれでも家族だよみたいなことを……伝えようとしてるのかは分からない。だって僕読んだことないんだもん。亮太くんまだ読んでないのに「だから頑張れ」は、流石に若干無理あると思ったけど。本は閉じたままでも心を動かせてしまうんだなぁ。
そもそも、本屋さんにおすすめの本を紹介してもらうためとはいえそこまで踏み込んだ話するかって言うと普通しないよね。日頃から亮太くんとかなり親しくしていて、両親がそこまで話すほど信頼関係を築けてるなら有り得そうだけど……まずこの本屋設定がいつまで続くのか怪しいんだよな。子供たちと普段から親しくしてるってのはいいんだけど、それならそれで突然関わらなくなるのはおかしいから、彼らはずっと出てこないと(少なくとも会ってないとは言い切れないくらいの余白がないと)いけない訳で。子供がゲストとしてころころ変わるのもなんか違う気がするしなぁ。少年ライダー隊みたいに周りをちょろちょろする存在になるんだろうか。あんまし初代のその辺は見てないから分かんないけど、彼らって個別に名前付いてたのかな。オーズの時にやったレッツゴー仮面ライダーのやつは、みんな名前あったけど。どっちにしろこの後の扱い難しそう。

・物語の結末は、俺が決める!
仮面ライダーセイバーとなって、ゴーレムメギドを倒す。1話だし、ここの意味をじっくり考えてみたい。
まずゴーレムとは、土や岩によって作られた機械人形のことを指す。顔のデザインは明らかに轆轤(ろくろ)だが、これはエジプト神話でクヌムという神様が人間をつくったときの描写に基づいているのだと思われる。アダムだって最初は土から生まれたし、Humanの語源は土を意味するラテン語かなんかだとどっかで読んだ気がする。つまりこのゴーレムは「人間につくられたもの≒キャラクター」でありながら、同時に「神につくられた人間そのもの」でもあることになる。ある男が、自分でつくったゴーレムが巨大化し過ぎて制御しきれなくなったもんで、電源みたいなのを落としたんだけど、途端崩れ落ちてきた"ゴーレムだった岩"に押しつぶされて死んでしまったという話もあるらしい。今回の場合、ブレイブドラゴンが助けてくれた訳だが。
素直に読むならば、このゴーレムメギドはヒューマギアの再現で、セイバーは"石"を切り捨てていく……つまり「物語は人間(俺)のもの、道具であるキャラクターに意志は要らない」と主張していることになる。作者の特権(剣)を用いてね。

でもそんなテーマ、人間の味方としてはよくても正義の味方として堂々と掲げるにはどうにも一抹の禍根が残る。ここまではゴーレムメギドについての分析を元に話を進めてきたので、今度はセイバーを詳しく見てみよう。
真っ先に目に入るのは、やはり頭部のX模様だろうか。名前がセイバーだけあって救世主キリストをイメージした罪の象徴 十字架(Cross)であり、柄が長めの剣でもある思われる。放送前から、明らかに13人の円卓の騎士も意識してるのに、何故か「10人以上の仮面ライダーが登場」とぼんやりした表現が使われている本作、冒頭のタッセルの語りでチラッと見えたソード・オブ・ロゴスの剣士(仮)の数も10人だし、ローマ数字ではこれもXで表される。

一転、4方に伸びる線と捉えれば、既に情報が公開されている仮面ライダーバスター 玄武神話のモチーフである四聖獣ともリンクする。……のだが、実はよく見るとセイバーの顔はXではない。中央の剣も合わせると、"3本"の線(剣)が交わり6方に伸びたかたち、すなわちアスタリスク(*)になっている。六角形は亀甲模様であり、六芒星ユダヤ教を象徴するダビデの星になる。ホロコーストの際に印としても使われ、ネガティブなイメージも多少ある。

理論上は、おそらくどんなライドブック(例えばライオン戦記)であっても火炎剣烈火で変身すれば、X模様に剣が一本突き刺さった顔の"仮面ライダーセイバー"になるのだと思う。ここまでの話は広くセイバーについての話だったが、ここからはブレイブドラゴンに注目してみる。
赤い竜と検索すると2つの話がヒットする。ひとつは、ウェールズの赤い竜。これは既に少し触れたローマの円卓の騎士に関連する話で、FGOで有名なマーリンが、聖剣エクスカリバーで知られるアーサー王の勝利を予言するのに使われた。
ここまではいいとして、問題はもうひとつ。ヨハネの黙示録に出てくる獣・赤い竜(サタン)と白馬に乗った救世主(キリスト)。これではさっきまでの話とまるであべこべだ。赤い竜の方はどうやらローマとカトリックのことを指してるとする説もあるので、ひょっとするとウェールズのそれとも関係してるのかもしれない。キリストにおいて獣といえば666……6が3つでまさにセイバーのことである。

話をいま一度メギドに戻そう。ライドブックの表紙裏には「序文 この本がページをめくられる時に現われし、聖なる定めに選ばれる剣士の名は(縦読みでKAMENRIDER)」と書かれているように、アルターブックの表紙裏には「前書き 永遠が本により生み出される(同じくMEGID)」と記されている。
ゼロワンにおいてヒューマギアが敵であり味方でもあるアンビバレントな存在であったのと同様、セイバー1話におけるワンダーワールドの扱いも矛盾を孕んでいて、初めと終わりには「美しく素晴らしい夢のある世界」として、その間では「怪人が展開した怖い世界」として描かれている。これの意味するところは、物語の存在意義を紐解けば導かれる。ストレスフルな現実世界に対して、逃避先としての物語がある。だから一見すると素晴らしい世界には違いないのだが、もし劇中のように「そこから永遠に帰れない」となった場合、途端に恐ろしいものとなり変わる。物語の世界は、あくまで一時的に現実から逃避して疲れを癒やす場所であって、永住するところではないのだ。
(参考:夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想)
そのことはワンダーワールドの演出に使われているシャボン玉によく表れていて、あれは言うまでもなく"儚さ"の象徴である。しかし反対に、アルターブックに書かれているように、"永遠"が存在できるのもまた空想の中だけなのだ。この現実世界には無限というものは物理的には存在しない。例え人間が寿命を克服できたとしても、太陽には寿命がある。それらは言葉の上にだけ、姿を表す。
以上の話をすべて踏まえると、セイバーとは人間にとっては現実を守ってくれる救世主でありながら、失楽園よろしく永遠に続く"楽園"を否定し人々を現実に連れ戻すという、ヤハウェにとっての大罪人でもある、善悪混じり合った非常に仮面ライダーらしい存在だということが分かる。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

 須藤芽依
・子供
友達との約束があるから……ってさも仕方ないことのように言うけど、約束したの自分でしょ。原稿の締切りの方はどうやって決まるのか知らないけど、もし先に分かってたんだったら普通はバッティングしないように設定する。約束した後で締め切りの方が変更になって被ったとか、逆にただ遊ぶんじゃなくて飛羽真と同じく友達の大切な日を祝う予定だったとかなら、動かせないのも分かるんだけどね。
僕も最近は施設のスタッフさんと面談したり何かと予定が入ることも増えてきてるんだけど、こっちが先約取ってたのに変更してくれって言われると、それだけどうしようもない大切な用事が入ったのかもしれないけど、でもやっぱり"何か"に優先順位で負けたんだなと思うと、あまりいい気はしない。
もし飛羽真が普段から数日はやめに脱稿することがあるなら、それを信頼してるから……という可能性もあるけれど。実際、あんな予定外の出来事があって仮面ライダーとして戦った上でも、その日中に書き上がった訳だし、「頭の中にね」というのは半分ジョークだったのかも。
ただ、正直そこまでものを考えてるようには見えない。全体的に彼女の印象は「子供っぽい」だ。誰にでも無礼で敬語など使わないなんて、特に。自分の欲望に正直で、常にその場その場だけで生きているような感じ。


 タッセル
・フランス文化
「ボンヌ レクチュール」は意味的には「良い読書を」だろうか? フランスは確か、社会苦手な僕でも知ってるくらい芸術が有名なんだよね。文学も栄えてたみたいで、知ってるとこだとカミュの『異邦人』とかサルトルの『嘔吐』なんかはいつか読んでみたいと思っているんだけど、今回出てきた『家なき子』もそのひとつらしい。「絵本やろ、パパッと読んで感想にフィードバックしよう」とか思って意気揚々と図書館に向かったはいいものの、うちのとこにあったのは数百ページある普通の活字本で、恥ずかしながらすごすごと帰ってまいりました。劇中のは絵本っぽいけど。あともうひとつ特筆すべきは国旗だろうか。色こそ違うけど、縦に3色並んでるのはセイバーライダーのデザインを思わせる。フランスに限らずこの形式の国旗は結構多いよね、パッと思い付くとこだとイタリアとか。3つ(複数のもの)が合わさるということで、国家統合のイメージを抱かせるのかもしれない。

 

演出

・物語の見方
「小指だけで吹き飛びそうな人の体を支えるなんて無茶苦茶」とか言う人が結構いて僕は悲しいです。"約束を守れなかった"ことの比喩表現である以外の受け取り方ある? ものの見方に夢がないというか、変に現実的過ぎるというか……そういう時代性なのかしら。なんか、僕の所感ではガンダムあたりが悪さをしてるんじゃないかと睨んでるんだけど、年表的あるいは図鑑的な物語の楽しみ方をする人っているじゃない。あとやたら設定の整合性とか、人物のリアリティとかを気にする人。物語って、根本的にそういうものじゃないと思うんだけどなぁ。何故この現実世界において科学が発展したかって、どうやら僕らはずっとこの世界のルールから逃れられないらしいからこそ、再現可能性に重きをおいたいつでも不変の真理というものが求められているからじゃん? それに比べて物語の中の世界の設定を厳密に検証する意味というのは、まるでない。自分がその中に入って生活する訳じゃないのなら、そんなの正直どうでもいいはず。
だからといって劇中人物が「有り得ないと思われていたこと」をスルーしていいかってのはまた違う話になってくるけどね。感情移入はできるに越したことないし。
僕は読んだことないけど、たぶん村上春樹さんの文学ではそういう設定がどうこうとかいった見方ではとうてい理解できないような不思議な世界が舞台になっていて、おそらくジブリなんかも似た性質を帯びている。僕が最近見たのだと映画の『夜は短し歩けよ乙女』とかそうかな。物語において何よりも重要なのは、"心象風景"やそれに伴うテーマ性だと僕は思う。冒頭のシーンで言うなら「約束を守れなかったことによる喪失感や後悔」を描くことが最優先で、女の子が吸い込まれるという物理的現象の実現可能性はマジで二の次なんですよ。
これは極論物語であるならどんなものでも同じで、例えばなんかSFっぽいゼロワンにおいて「ものがふわふわと浮く」という演出は物理法則的な納得可能性は低いのだけれど、それでもアークの神秘性だったり人智を超えてることを描く方法としては理解できる。
本当の意味で"叙事的"なら、それはもはや物語じゃない。一度人の心を介して言葉として出力されたならば、それは多かれ少なかれ叙情的なものであらざるを得ない。要するに、科学的態度というのはあくまで世界と関わるときのものの見方であって、物語というのはその向こう側に"人間"がいるのだから、それに合った見方をした方がいいということ。ちなみに、世界の向こう側に人間(人格的存在)を想定すると、宗教というものができあがります。

 

 

「子供向け」という言葉で表現されてるのをよく見るけど、僕としてはどちらかというと「フィクション然としてる」と言いたい。非現実的でオーバーな演出とかはすべてこれによるもので、それは子供向け(騙し)という言葉に含まれるような浅ましさとは明確に違うところにある。
これまでもそうだったけど、ライダー制作陣の教養の深さには脱帽するしかない。調べれば調べるほど色んな要素がパズルのように繋がっていくので、マジで楽し過ぎる。と同時に自分の知識の浅さを思い知らされる。付け焼き刃の知識が多いので、なんか間違ってるところとか付け足すこととかあったらぜひコメント等で教えてください。
(参考:仮面ライダーは「子供向け」なのか)

 

今週の本

せっかくの本モチーフということで、僕がこれまでの人生で読んだ中で印象に残ってる本を毎回ひとつ、かるく紹介するコーナーを設けようと思います。きっと50回分くらいはネタがあるはず……。
ということで記念すべき第1回は『オズと魔法使い』。
幼い頃に読んだ中でも特に思い出深い1冊。僕の中で"とびだすしかけえほん"と言えばこれ。冒頭でドロシーを飛ばした竜巻が、ちゃんとぐるぐるまわるんですよ。そんなすごいことがありますか。
物語自体はそこまで強く覚えてないものの、今調べてみるとなかなか面白い。全体的にフェミニズムの台頭を背景に据えるとかなり分かりやすく、カカシ,ライオン,ブリキ、更にはオズまでもが、従来信じられていたビッグブラザー的な権威を剥奪された男性たちの象徴だという。更に面白いことに、主人公のドロシーは「なんでもないことを被害者ヅラして取り立てる厄介者」だと言われている。既得権益を持った人や不満のない人からは実際、フェミニズムはそういう風に映ることだろう。

(参考:オズの魔法使い 文化的背景とメッセージ | アグネス・チャんこの世界

    ドロシーは被害者意識の塊だった:日経ビジネス電子版)

 

 

仮面ライダーセイバー/聖刃 制作発表 感想

次話
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