やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ウルトラマンZ 第5話「ファースト・ジャグリング」 感想

キャラクター

 ナツカワハルキ
・最善とナメプ
ウルトラマンに頼らず、なるべく人間にできることを探すべき……というテーマはまぁ分かるが、やってること自体は普通に捉えたらナメプと呼ばれてもいいことなのよね。 でも、おそらくそうは言われないだろう。 今回は已むなくだったからとか、そういうことでもなく。この違いが興味深い。
仮面ライダーエグゼイドで考えてみよう。彼にはムテキゲーマーという最強フォームがあるものの、例えば変身アイテムであるハイパームテキガシャットを敵に奪われでもしたら、どんなに無敵でも意味がない。では「ウルトラマンがいなくなった時の為に」と同様に、敢えてムテキを使わない縛りプレイをして、己の戦闘能力を伸ばそうとすることは、果たしてナメプと呼ばれるべきだろうか。まず取られないように気を付けろってのは当然のこととしても、それでも尚どうしようもなく使えないケースがないと、言い切る根拠は何もない。
そもそもヒーローに対するこの手の議論に対しては、僕は基本的にすべてナンセンスだと思ってるんだけどね。いくら強くても、手に入れたばかりの姿より体に馴染んでる方を選んでしまうのは、気持ちとして分かるので。最強フォームなのに弱いってのも、使い慣れてないが故の側面もあるのかもしれない。
この話をややこしくしているのは、最善の方法を取ることをそのまま「楽をする」ことと同義として見做している前提だ。ウルトラマンの力を使う(頼る)ことや高スペックなフォームを使うことは、果たして"楽"なことなのだろうか。
正直それを言い出したら、怪獣を保護せずぶっ倒すことだって「楽をしている」と言えるんじゃないかと、僕は思うんだけどね。少なくともZの世界を例に取るなら、巨大人型ロボットを作れるだけの科学力がありながら「眠らせるなどして無力化すること」が技術的に無理だってのは、僕の感覚では通らない。ハナから害獣だから殺せばいいやと思って、本気で開発に着手してないだけなんじゃないの? それは。
檻や離島に隔離されたり麻酔などで無理やり大人しくされたりして、人間の管理下に置かれて生きながらえるよりも、怪獣の尊厳を重んじるならむしろ殺してあげた方が人道的だ、とでも言うなら話は別だけどさ。「うおー! ロボットバトルかっこえぇ! 予算出すわ!」なんてノリの彼らがそこまで考えてるのかは、若干疑問。

・プロ意識
ゼロワンでも同じ話をしたように、彼の言う"自己犠牲"によって実は多少なりとも他人が犠牲になっている。誰かが困ったからこそ、勝手にセブンガーを出したことを叱責されていた訳で。
命よりも大事なのかと言われたらそれはそうだが、命さえ助かれば何してもいいってことにはならない。僕は、自分が尻拭いできる範囲できちんと事を収めてこそ"プロ"なんじゃないかと思うなぁ。
まぁ、懲戒解雇とかされてないところを見るに、なんだかんだ言ってもハルキの言動にはみんな賛同していて、自分たちが「犠牲になってる」ような認識は持ってないのかもしれないな。


 ヘビクラショウタ
・導く者
普通にジャグラーでしたね。いや、インタビューとかを抜きにして本編の情報だけでは、まだ一応本当の本当に確定とは言えないんだけど。ディケイドの感想で話した「オッカムの剃刀の逆」を利用すると、端的に言えばドライブに出てきた究ちゃんロイミュードみたいな解釈になる。本物のジャグラーと別に、そっくりさんのヘビクラもいて、二人一役(そのうちジャグラーの方は人間態と魔人態の一人二役)だという可能性。本気でそんなことがあるとは思ってないですよ、ただこじつけてオッカムの剃刀の話をしたかっただけ。
ひとつだけその発想に至るきっかけがあったとすれば、アクセスカードがジャグラーじゃなくてヘビクラ名義だったこと。まぁ両方ジャグラーでもそれはそれで違和感あるがな。それ言ったらリクもジード本人だし。
融合してる訳じゃない場合一体何にアクセスするんだろうと思ったけど、これは単にメダルの力にって話で通るか。
で、気になるのは彼の目的よね。オーブ全話見たとは言えほとんど何も覚えてないので、あくまでZを見てる限りの話ではあるが、僕には2話と同様ハルキ(ゼット)に稽古を付けているように見えた。挑発したり、教えた「心の目で見る」ができてるか確認したり、結果論とはいえ戦いの中でウルトラの力であるゼットランスアローの新たな使い方に2人が辿り付ていたりね。
そもそも暴れて楽しみたいだけならストレイジに籍を置く必要性がまるでないので、それも踏まえて考えると、ハルキを含む人間が力を付ける手伝いをする(或いは見守る)のがとりあえず目的の一部にあると思われる。

(参考:仮面ライダーディケイド 8,9話「ブレイド食堂いらっしゃいませ/ブレイドブレード」 感想)


 怪獣
ペギラ
前回の感想で「一個の生物ではなく自然そのものとしての怪獣」という話をしたが、今回のペギラ如実にその側面が押し出されていたように思う。あまり馴染みがないと楽しいイベントみたいなものだが、日常と化している地域ではれっきとした自然災害として捉えられている、雪だ。
シャベル(どちらの用法も聞いたことあるが、僕の中ではでかい方がシャベルで小さい方がスコップという感覚が優勢)で除雪を行っている様子くらいは、テレビで何度か見たことがあるだろう。歩くにも滑って危ないし、放っておけば道路は使えないし、大体は対策してあるだろうが建物が重さに耐えられないこともある。コナンの映画で印象的だった雪崩なんかも起きる。
もう少し広義に捉えるなら、あられや雹(ひょう)なんかは物理的に痛い。でかいものならそれこそ槍か何かが降ってきたかのような衝撃を受けるかもしれない。当たったことないから分からんけど、雨でも痛いときは結構痛いからね。
世にはファフロツキーズというものがある。空から有り得ないもの……例えば魚やカエル,血などが降ってくるという現象のことを言う。『日常』でゆっこの頭に赤べこやシャケが落ちてきたことがあったな。まぁあんなイメージでいいと思う。流石にペンギンが降ってきたなんて話は聞いたことないが。

ちょっとしたトリビアとして、ペンギンを漢字でどう書くかご存知だろうか。
僕が初めてこれを知ったのは西尾維新の『刀語』というライトノベルに出てくる真庭忍軍のキャラクターだったと思うが、人鳥と書くらしい。お察しの通り二足歩行する様が人のようだからなのだけれど、笑えるのはペンギンの方が原人よりも早く出現しているということ。人間の特徴として取り上げられることの多い二足歩行、ペンギンに限らず鳥は昔から割とやってるよね。羽で歩く訳にもいかないので当たり前と言えば当たり前な話ではある。
人は空を飛ぶ鳥に対して、象徴的な"自由"を見出す。あの感覚はもしかするとそのシンパシーから来るものなのかもしれない。そもそも、二足で歩行しようという発想の元になったのが鳥だったりして。鳥を真似て地から手を離したものの、結局空は飛べないまま見上げるしかなかった人間達が、それによって手に入れた高度な知能を駆使して文明を発達させ、遂には飛行を可能にしたのだと思うと、なかなか感慨深いものがある。
これはゼロワンの感想で書こうと思って取っておいたネタなのだが、飛行機と鳥は同じ「飛ぶ」という行為をしていても、ふと考えてみると、実はその方法はまるで異なっている。鳥にジェットエンジンは付いていないし(鳥人戦隊ジェットマンなんてのはいるが)、飛行機は羽撃かない。人の「走る」と車の「走る」とが全く違うことは分かるだろう、そういうことだ。
それと同様に、コンピュータの思考と人間の思考には実はかなり大きな隔たりがあり、相当なパラダイムシフトが起こらない限りAIが心を持つことはないのではないか、というのが、僕がこの前読んだ『AIは心を持てるのか(In Our Own Image)』の著者ジョージ・ザルカダキス氏の懸念である。
既に現在のスーパーコンピュータは人間とは比べ物にならないほどの膨大な処理を可能としている。であるにも関わらず、モラベックが示すように、彼らは我々人間がごく自然に行える簡単な処理(例えば犬と猫の区別)にさえ苦心する。このパラドックスの延長線上に「心の発生」も位置しているのではないかという予想は非常に興味深い。実際、四則演算すらできない子供でさえもある程度の自意識は持っていると思われる。尤も僕の場合、5歳頃には1桁の割り算まで母から教わっていてできたので、物心つくのと四則演算の習得どっちが早かったかは微妙に分からないのが惜しいところ。

「幼児でも分かる」を踏まえて、話をペンギンに戻しつつまた広げると、ペンギンという名の由来は「太ったやつ」を意味する言葉らしい(諸説あり)。どっかで聞いたような話だ。そう、パンダも同じような説がある。それぞれラテン語と中国語だが、異なる言語間で"p"の音に同様の「太った」というニュアンスが付いているのが分かる。日本語でも「パンパンのお腹」なんて表現をするだろう。
音声学において、pの音は"破裂音"の一種と呼ばれる。音声学なんて学問は聞き慣れないかもしれないので説明しておこう。英語などの辞典を読むと「panda/p'ændə」といった風に、綴りとは別に発音記号を使った表記を見かけることがあるだろう。あれは"音素"に着目してすべての言語を1つの体系の元に表現できるよう整理した、音声学の一番分かりやすい功績だと思われる。これまたトリビア的な話だが、日本語における清音と濁音は、それぞれ音を出す位置が似通った関係になっている。か/が行は口の上奥と舌の付け根、さ/ざ行は前歯と舌の先、た/だ行は上の歯茎と舌の先を合わせて、発音している。文面だけじゃ絶対伝わらないので、ぜひ実際に読み上げて欲しい。は/ば/ぱ行だけは例外なんだけれど、古くは"わ行"の発音だったことを合わせて考えれば、わ/ば/ぱのどれも唇を使って発音することになるので、自分はそれで納得している。このように、これらの音は発声する位置が近いから、文字も点を付けるだけのマイナーチェンジで済まされているのだ。
で、pが該当する"破裂音"というのは文字通り、口の中に溜めた空気を破裂させることによって出す音なのよ。風船が膨らみ、割れるようなイメージ。だからこそ、その音には原始的に"膨張"のニュアンスが付属する。その結果、どちらがどちらを真似した訳でもないのに、足並みをそろえたかのように「p→太った」のイメージが生まれる。この考え方を音象徴と呼ぶ。
怪獣の名前にもよく使われるオノマトペは、その音象徴に従っている例が多い。幼い子供でも、理屈をすっ飛ばして感覚的,無意識的に理解(共感)できるからというのが主な理由だろう。音声学、なかなか面白いでしょ? ついでなので僕が読んだ本を1冊紹介しておく。
(参考:音とことばのふしぎな世界――メイド声から英語の達人まで (岩波科学ライブラリー) | 川原 繁人 |本 | 通販 | Amazon)

いやー、ペギラ1匹でこんなに話が弾むとは思わなんだ。楽しかった。

 

 

クウガの感想で言ったように、稲妻(Z)は豊穣祈願と関係がある。雷が落ちると稲がよく実る信じられていたのだ。そしてそれは、今回出てきた"弓矢"にも同じことが言える。
人々の祈りに答えて降ってきた光の槍が、時を超えて今度はハルキたちの思いに答えてくれるというのはなかなか熱い。
戦闘シーンも盛りだくさんで楽しい。

 

 

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