やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第27話「ボクは命を諦めない」 感想

キャラクター

 飛電或人
・結局火災にはノータッチ
「できることがあるならするべき」という意見自体は、僕も共感するところではある。
これを邪魔するのは、やはりこれまで散々論じてきた「人間の頭が生み出す"壁"」である。不破の言う通り、立場や所属に関係なく縦横無尽に動けたら、どんなにいいことか。
今回の例で言えば、或人は一応"勤務時間中"であると思われる。消防士がいるにも関わらず、彼らの仕事を手伝うべきだろうか? まぁ彼の場合は社長なので、何を自らの仕事とするかはある程度の自由が利く訳なんだけれども、自分を含む数名の仮面ライダーにしかできないレイダー退治(に備えて待機し体力を温存しておく)より優先すべきことではないようにも思われる。
郵便局でバイトしていたとき、誤った郵便番号が書かれているハガキについて、書かれている住所から正しい番号を調べて訂正するという仕事を任されたことがある。電話帳みたいな分厚い本から該当の地名を探し出すように指示されたのだが、僕はポケットにあるスマホを使えばもっと効率よくこの仕事をこなすことができた。辞書を引くよりも検索した方がはやいでしょ、そういうイメージ。すなわち「目的を達成するためにできることがあった」のだ。
明らかに非効率的だったので僕は駄目元で進言したが、私物の業務利用は禁止されているとのことで、やはりそれは叶わなかった。
もうひとつ。友達が泣きながら電話をしてきたとき、深夜の2時頃だったが僕はその人の家まで行って、側にいて話を聞いたことがある。嗚咽混じりに「死にたい」とこぼされ、いても立ってもいられなくなった。後から思えばそんな時間に家(それも異性の)を訪れるなど"非常識"もいいところだ。普通はそんなことしないだろう。でも「自分にできることがある」と思い、軽率に行動してしまった。
でも僕だって実際の火災を前にしたら、例え目の前に消火器があったとしても手に取れるか分からないし、AEDなんて難しそうなモノだったら絶対手を出せない。僕がやってせっかくの消火器を無駄にしてしまうくらいなら、他の人が来るのを待った方がいいかもしれない。未来が分からない以上、どの判断が正しいかなんて分からない。
・ジューッ
どう見ても、綾波を助けたときのゲンドウだったなぁ。彼ってあんまりいいイメージはないキャラなので、意図的に被せることにメリットってあまりないように思うんだけれど、どう受け取ったらいいんだろうね。

 

 不破諫

・変身するべきだったか

「行けちゃうんだ」ってのは一旦置いといて、水かぶっただけで大丈夫だったのにそのうえで「変身しろよ」と言う意味が分からない。行けなかったならナメプっていうのも分かるけどさ。
「何事も全て変身して対処すればいいじゃん」とか「戦うならはじめから最強フォームなればいいじゃん」とか、そういうの見てて嫌なんだよな。僕は前から言ってるように「最善を尽くさない自由」って大切だと思ってるので。
せめて理屈を通すなら、毎度毎度仮面ライダーの力や最強フォームに頼ってたら、それが使えなくなったときに困るかもしれない。今回の不破の話をするなら、単純に自分の頭で考えるより先に「昔教わった火災現場への突入方法」を思い付いたってだけだろう。A.I.M.S.の装備を人工知能関係ない火災に使っていいのかも分からないし。
仮面ライダーに変身しなかったことで、不破が水を被るという映像的な多様性が生まれた訳で。そもそもそんなこと言ったら、常に変身してた方がいいに決まってるじゃないですか。いつどこで襲われるか分からないし、ゼロワンに関しては思考補助能力とか付いてるんだし。
いざって時にしか使わないからこそ変身のカタルシスがあるんだろうし、それこそ「等身大のはロボで踏み潰せばいいじゃん」みたいな話になってきてしまう。

・唯阿に水は?
あの場で唯阿を引っ張って行ったのは「一緒に火災現場に突っ込もう」ということではなく、「いつまで天津の言うこと聞いて自分を殺してるんだ」という一喝としての意味が強かったのだと思われる。とすると、とりあえず天津の元から引き剥がした後で、唯阿に「本当のお前は助けに行きたいのか?」と問うステップがあったと考えられるだろう。いま大事なのは"彼女の意思"なんだから。よって不破があの場で彼女に水をかけるということは有り得ない。そのやりとりの後に、彼女は彼女で水を被ったのかもしれない。後のシーンでは不破の髪だけ濡れているようにも見えるので、それこそ道中では変身していた可能性もある。或いは唯阿自身が「そのままで大丈夫だろう」と高を括って突入したとか。これは彼女の(最善を尽くさない)自由だ。
この二次創作を受け入れれば、不破は「唯阿を危険に晒したやつ」から晴れて「唯阿の意思を尊重しようとしたやつ」となる。
作り手が描写をすっ飛ばすのは、視聴者の不破に対する「バカではあるけど悪いやつではない」という信頼を信頼するからこそだろう。
作品を好意的に見るか、はたまた見捨てるかは、ひとえに作者と視聴者の信頼関係にかかっている。
以上を踏まえた上で、「不破はそんなことしない(作者もそう描きたい)はずだから、何か他の意図があったのだろう」と考えるか、「自分はこれまでの描写ではそこまで不破を(作者を)信頼できていない」と否定するかは、各々の自由だけど。

 

 天津垓
・シンギュラリティと劣等感
彼がまだ謎の人物だった頃、巷では「チェスの男」と呼ばれていた。僕は単に「すべてこいつの計画通り」という意味の演出だと流していたけれど、改めて目にしてはっとした。
チェスとAIって、切っても切り離せないじゃないか。どうして今の今まで気付かなかったんだろう。
近年囲碁や将棋の世界でAIが世界チャンピオンを超えたという話題が上がっていたが、最初にAIが人間に対してセンセーショナルな打撃を与えたのは、チェスの分野だった。
ディープ・ブルー対ガルリ・カスパロフ戦は勿論として、それ以前にも『トルコ人』という機械が話題になっていた。
確か、僕の愛読書である『なめらかな社会とその敵』(図書館の本だし2回しか読んでないが)にもその名が載っていたように思う。「コンピュータとは元々"計算する人間"のことを指す語だった」という文脈の中で取り上げられていたんじゃなかろうか。
トルコ人』もまたチェスを指す機械であり、数々の人間に勝利しその名を馳せたという。しかし実際は、中に人間が入って操作する仕組みであったというオチ。
これらのエピソードを知った上で見れば、天津がチェスを指すという事実は単なる計算高さに留まらず、「シンギュラリティに対する危機感の高さ」も表していることを読み取れよう。
とは言いつつもそれだけではつまらないので、僕はこの辺の話に茶々を入れてみたい。
一口に「AIが人間を超える」とは言うけども、人間の中でも特にチェスの達人と言う訳でも何でもない我々には、実は全く関係のない話なのではないか。
僕なんかはオセロでも将棋でも強めのコンピュータには普通に負けるし(オセロ最弱AIには負けられないし)、囲碁やチェスに至ってはルールすら知らない。僕はカスパロフ戦よりも後の生まれなのでちょっとややこしい表現になるが、「『AIが人間に勝った』などと騒がれるずっと前から、我々一般人は負けている」のだ。
極端な話、人間の中の一体何人が電卓より早く計算できるだろうか。
同じ人間に対する敗北(当然、羽生九段と指したら僕は負けることだろう)すら悔しがらない癖に、何故こんなにも他人事の方にショックを受けるのかと考えると、人の心の奥深さに感嘆する。
劣等感と、優越感。
この2つの語を並べると、なんだか歪な対比になっていることに気が付く。
さながら「愛の反対は憎悪か無関心か」という問いのように、「優/越の反対は劣か等か」と、それぞれ軸の違う"対"があてがわれている。
関心の有無を基準にすると愛(に憎悪も含めた"関心")の反対は無関心だが、関心の正負を基準にした場合は愛の反対は憎悪となる。越はプラスの意味を帯びているが、等はマイナスというよりはゼロ的だろう。
僕は学生時代、周りと比較して勉強ができる方だった。所謂「全然勉強してないけど(そこそこ)良い点取るやつ」。そのことを人並みに誇らしく思ったりもしていたけれど、クラスメイトから浴びせられる「頭いい」だとか「天才」だとか言った言葉たちに対しては、妙な引っかかりを覚えていた。
何度も聞くうちに、あれらの言葉は点数で勝った僕を褒めているのではなく、負けた自分を慰めているのだと分かった。
「こいつは"特別"だから負けても悔しくない」という言い訳なんだと。
彼らはきっと僕のことを"対等な人間"だと思っておらず、僕を「自分とは違う世界の存在」と認定することによって自尊心を守っているのだ。
随分と傲慢に聞こえるだろうし、実際僕は傲慢な方だろうが、この仮説自体は別に低レベル同士の争いだったからという理由で否定されるものではないだろう。
優越と劣等という表現には、実はそのような心理が働いているのかもしれないと、ふと思い出したのだ。
さっき僕が「我々は計算能力で電卓に負けている」と言ったとき、きっと似たような気持ちを抱いたのではなかろうか。
まぁ、他人事の方にショックを受ける気持ちの方はこれでは説明できないどころか真逆の話だけど。自分じゃない人の負けを"同じ人間"だからと自分の傷として捉えてる訳だから。

 

 迅
・勝った……?
今回の勝利、滅がまた仮面ライダーとなって猛威を振るうことはどう考えても天津にとってプラスなので、あのスコーピオンキーは奪い取ったというよりは「奪われたという体裁で天津が自らあげた」ように見えた。
まぁ、僕はそもそも"戦績"を気にする方の人間ではないので、仮にサウザーより弱くても何も思わないんだけど。
僕にとって仮面ライダーってのは"いる"ことが何より重要らしい。多分この見方は子供のそれにも似ている。新しいライダーやフォー厶は、あればあるだけ見てて楽しい。この傾向は僕の戦隊との関わり方に顕著で、ストーリーはほとんど知らないけれど、どんな追加戦士がいてどんなパワーアップをして、どんなロボがいて……みたいなのはある程度知ってて、その"存在"を楽しんでいる。それこそポケモン図鑑を埋めていくような感覚というか、「こんなのもいるんだ」という発見そのものに価値を見出しているようなイメージ。
パワーレンジャー限定の戦士とかフォー厶みたいなのも、活躍見たことないけど「かっこいい、好き」くらいの気持ちは抱いている。
・滅亡迅雷とフェミニスト
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、一部のフェミニストの方って滅亡迅雷と似てるなと思ったり。
例えばイズについて「男に付き従わされていてジェンダー的によろしくない」などと言う人たちがいるが、その人たちこそイズのことを"女"としてしか見ておらず、イズという個人を無視している。彼女が唯阿のように不満を覚えてるならともかく、そういう訳でもないのに自分の思想を押し付けて"解放"しようとするのは、滅亡迅雷が該当ヒューマギアの意思に関わらず人類に反発するようハッキングしてたのと変わらない。
でも多分今の迅は、そこのところのおかしさに気付いてるんだろう。ある意味では其雄のように、またある意味では天津のように、ヒューマギア達に力という発言権を与えるのが彼の目的なのかもしれない。今回、協力するという訳ではなさそうであるにも関わらず滅にキーを渡したことから、そう予想できる。「お前はお前の主張のために戦え」と。

(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)

 

 ゲスト
・穂村と119之助
前回或人を止めたのは「勝負なんて言ってる場合なのか云々と争ってる場合でもない」ということだったのね。確かにそりゃそうだ。
119之助と違って声で探してたのも、機械的な捜索は彼の方が慣れてるだろうと信頼して"分担"しているようにも思えるし、最初から協力するつもりだったんだろうな。
穂村が救助を諦めたのも、理屈は通ってる。119之助とは「助けられる」の基準が違っただけだ。前回のケースにおいて応用できる話を、僕は病院回の或人についてしている。あの場で「助けない」という判断をする意味は、「助かる可能性の低い人に構う時間を他の人に当てることで、より多くの人を救うため」である。つまり、119之助は「この人を助けるには多くの時間が必要だ」と判断した訳だけれど、穂村は自分の経験に裏付けられた"努力"によって、かかる時間を最小限に抑える自信があった、というかそうしてみせるという気持ちがあった、ということなのだろう。
(参考:仮面ライダーゼロワン 第11話「カメラを止めるな、アイツを止めろ!」 感想)
では今回はどうか。少なくとも彼の判断によると、普通に助けようとしていたのでは、ミイラ取りがミイラになって死体がひとつ増えるだけという可能性が高く思えたのだろう。だから「助けられない」と。最終的には、ヒューマギアのあると見なせるか分からない命ひとつを犠牲にすることで「救える」ことを良しとした。これもまぁ理解できる。
前回穂村がトリアージに反するように見える決断をしたことに批判が集まったが、「仕事だから」といって命を見捨てることに"葛藤"がなくなってしまうと、徴兵されて人を殺す……なんてことが起きる。
今回で言えば、119之助が自分を殺せてしまったのも100%美談として描かれているようには、僕には見えなかった。
というか、共感しない"割り切り"の良さは不動産対決の回で描かれてるので、今回はその逆、仕事だからと言って割り切れない部分にフォーカスしていると見た方が自分として収まりが良い。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第20話「ソレが1000%のベストハウス」 感想)

 


設定

・ボライド is 何?
ゼツメライザーのノヴァは聞いたことあるしかっこいいけど、意味分からん上に語感が間抜けって最悪でしょ。調べても出てこないし。
ジオウの"ザバルダスト"とかは、意味全く分からんけどなんかかっこいいよね。余談だけどこのザバルダストって原語で書くと「ज़बरदस्त」らしいんだけど、コピペして一文字ずつ消してみると面白いからやってみそ。あと僕が聞いたことあるのは「उपनिषद्(ウパニシャッド/ウプネカット?)」とか。
日本語は大まかには単純な足し算で、エ,ナ,マという3つの独立した音をほぼそのまま組み合わせて"名前"という単語をつくる。マナエでもナエマでも大体同じ。
対して英語はa,e,m,nという4つの音を組み合わせて"name"という単語をつくるが、こちらは並び替えるとanやmeとなり発音が大きく変わる。ABCソングを「LMNOP」と一息で歌うか歌わないかの違いと言ったら伝わるだろうか。
このヒンディー語だかサンスクリット語だかってのは、変化を見るに文字の段階から前後の影響を受けている。日本語話者の感覚からすると、かなり新鮮で面白いよね。
まぁ意識してないだけで、日本語でも起こってない訳じゃないんだけど。ザイアが時々ザイヤになってたりとか。

・消防士ヒューマギアなのに火に弱い?

これは見方が厳しいと思ってる。あれはAIの思考能力を以てしても「突入は無理」と判断されたところに無茶して入ったから耐えられなかっただけでしょ。見た目が同じだから耐久性も他の職業ヒューマギアと同じってのもガバい理屈だし。

 

 

 

最終対決は住民投票ということで、この間言った「TOBと五番勝負の結果が食い違う」みたいなことは起こらなそうね。
ラッパーというのもなんとなく意図は分かるけど、果たしてどうなることやら。

 

 

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第26話「ワレら炎の消防隊」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン 28話「オレのラップが世界を変える!」 感想

 

映画

ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想