やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第11話「カメラを止めるな、アイツを止めろ!」 感想

キャラクター

 飛電或人
・ちょっと前の話だけど、病院回での或人の判断についてTwitterで整理できたので載せておきます。
彼がヒューマギアを再起動したことが適切だったかどうかという問題なんだけれど、唯阿と或人でちゃんと責任持って犠牲者をゼロに抑えたうえで、シャットダウンしてたら死ぬはずだった不破も助かってんだからよくない? あの状況から考え得る限り最高の結果と言ってもいい。
これを結果論だと言う人がいたらじっくり話し合いたいですね。ニュアンスとしては結果というよりは"成果"。
ヒューマギアをシャットダウンした場合に発生する問題である医者不足を解決する手立ては、或人にはない。彼は医療のことなんか分からんだろうし、どっかから応援呼べるならそもそも問題になってない。
対して再起動した場合に問題となるヒューマギアの暴走に対しては、ゼロワンとして対処が可能。そこにエイムズも加わるとなれば、トリロバイト程度ならモブ隊員でも倒せるらしいし更に被害を抑えられる確率は上がる。
シャットダウンの選択肢は頑張ってもどうしようもないが、再起動の選択肢は頑張ることでなんとかなる可能性がある。
「マンモスがなかった場合とシャットダウンした場合のどちらが多く被害者が出るか」というのは、視聴者視点では分からんけどね。ただその場合でもやっぱり"頑張り"でなんとかなり得るのは前者だわな。
「ヒューマギアが善意を抱くことがある」というのは結果論と言って差し支えないと思うけど、或人の立場で「ヒューマギアを再起動した方がいい」というのはきちんと理に適ってるよ。
会社の利益を優先させるなら、そりゃあ"暴走した"なんて事実は少ない方がいいに決まってる(しかもローカルネットで制御されてる特別な医療ヒューマギアなら尚更)けど、それよりも人の命を優先させる決断は、社長である以前に人として、間違っているとは言えないと思う。
ちなみに、これは福添がシャットダウンしたがることのひとつの理由にもなる。彼は暴走に対して無力なので、その判断に責任を取れない。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第9話「ソノ生命、預かります」 感想)
・ヒューマギアがここまで普及した課程というのは視聴者にとっては完全にブラックボックスで、「政府が関わってるからなんとかしたんだろうな」ぐらいしか推測できない。
でも、あるものに対して興味がない或いは少し抵抗を感じている人に対して、実際に手にとってもらいきちんと自分の価値観で「意外といいかも/やっぱり悪いかも」と判断してもらうことって、いざやろうとするとなかなか難しい。
僕は今スーパーでバイトしてるんだけど、店内では長くいる店員からしたら一種の洗脳なんじゃないかって感じるくらいずーっと商品のPR動画/音声が流れてるのよね。ただでさえ数秒で客の気を引き付けるようにつくられてるものが、繰り返し繰り返し。まぁそりゃお客さんはひとところにずっととどまることってそんなにないのでそれが正しいんだけどさ。
で、その内容ってのもワンパターンで、食料品なら当然「おいしい」「簡単」「安い」みたいなことをずっと主張してるのよ。でも僕なんかはひねくれものなので、「そりゃあ手前の商品をまずいとは言わんだろ。うまいかどうかは僕が食って決めることであってお前が言うことじゃない」とか思ってしまうんだけれど、実際にそういうPRで溢れていることからこの方法で客は買ってみようと思っているのだろう。僕のような捉え方をしていたとしても、「そんなに言うなら本当にうまいかどうか試してやろうじゃないか」という気になることもあり得る。
逆に「超激辛!」とか「超高カロリー!」みたいな、ともするとネガティブなイメージを抱かれかねない情報を押し出す方法もあって、これもこれで怖いもの見たさというやつなのか、手にとってみる人は結構いるらしい。
これらのことから分かるのは、人があるものを手にとってみるきっかけって、割となんでもアリなんだなってこと。
ゼロワン内の政府や今回の或人のように「誰かがすすめてたから」でもいいし、ヒューマギア参入時にたまたま景気が良くて世間の財布の紐が緩かったというのでも十分に説得力がある。
正直僕は大和田さんが或人の語りかけで気変わりしたことについてはピンときてないけど、少なくとも或人のアプローチ(いい点をアピールする)は普通かつ王道であることを考えると、フツーにあり得る話なのかもしれない。
・でもあの言い方じゃまるでラーニングに協力してくれたハリウッドの皆さんの態度が悪かったみたいですけどね。エンジを見るに実際そうなのかもしれないけど……だとするなら実在の人物団体とは一切関係と言い訳するにしても、失礼じゃない?

 

 不破諫
・一応前後編(ただし次回にも続く)なので様子を見ていたのだが、彼の話は前回で終わったらしい。
「ヒューマギアを憎んでいる」というアイデンティティを失った彼がこれからどうなるのかという風に気になっていたんだが、今回のテーマとまさに合致する。
要するに、フィクションと現実という壁を超えて、岡田龍太郎さんの"人間としての厚み"が不破諫にフィードバックされていくのだろう。
制作発表で前年のウォズがやってたのを真似して「岡田龍太郎役の不破諫です」と言ってみる茶目っ気と子供への配慮とか、YouTubeに動画をアップしている面もある。僕は見てなかったんだけれど、今回を機会に見始めることにした。多少とはいえ人工知能特別法やエホバの証人輸血拒否事件について思案する様子も見られて、これらなんかはむしろ積極的にフィードバックするべきだと思う。
「僕の中の不破諫」という概念は、劇中内での描写に限られない。岡田さんのYouTubeチャンネルを見ることでまた新たな不破への好感/悪感を抱くことがあるかもしれないし、それこそが概念としての"厚み"となる。極端なことを言えば不破コラなんかもここに含まれる。
人の脳はかなりアバウトなもので、「不破諫と岡田龍太郎はまったく同一である」とまではいかないまでも、ぼんやりと重なり合って影響し合う。これは「本編と映画はパラレルなのか繋がるのか」みたいな話とも繋がってくるんだけどね。まったく同一ではないが無関係でもないという、この距離感。
ゼロワンのキャスト陣が出ていたという、AbemaTVの"恋愛リアリティショー"という文化も、そういう視点で見るとなかなか面白いものではある。
僕はCMで目に入るだけで不愉快になるので見たことありませんけどね。『オオカミくん』とか、簡単に説明すると、数人の男女に自由に恋愛してもらうんだけど、その中に一人だけ演技で恋愛ごっこをしている人を混ぜて、疑心暗鬼になっている様子を傍から見て楽しもうという、趣味の悪さここに極まれりといった内容の番組。
台本があってみんな演技でやってるなら別にいいと思うけど、リアリティショーと銘打つからには本気の恋であることをウリにしていて、だとするなら残酷過ぎじゃない? 参加者も当然承諾はしてるんだろうけど、僕は見る気にならないね。そもそも本当にリアルなのかも怪しいし、真面目に見て真面目に憤慨するのも馬鹿馬鹿しい。

 

 滅亡迅雷
・滅が暗殺ちゃんを褒めた理由ってのはなんなんだ? 自分の命令に逆らおうとすることが"成長"だとするなら、迅をリセットしたのは逆効果のはずだしな。迅には「自分(親)が積極的にリセットしようとするのをも超えて欲しい」みたいなことなんだろうか?
・ところでその滅だけど、彼の"父親"はもう天津ってことで決めつけちゃっていいかね。飛電はつくってない(滅亡迅雷のヒューマギアをつくったというデータはない)らしいし。自分を守りに来たのかと問う迅に対して「違う!」と言ったのがやたらと感情的に見えて不思議だったんだけど、もしかすると彼は彼で、天津が自分を守ってくれないことに対して不満を覚えていて、それを「守る必要がないくらい自分は強いから」だと合理化しているのかもしれないな。

 

 天津垓
・前回マンモスキーについて唯阿を軽く責めてたのは、元々はアルシノじゃなくマンモスが欲しかったってことだったのね。でもどっちでもいいらしいので、なんで7話までスルーし続けていたのかはよく分かんないままだけど。
・シナリオという言葉からして、作者を暗喩しているキャラらしい。僕は基本的に『ジオウ』が好きなので、それと関連付けて見ていくのは楽しい。
でも例えば、『ゼロワン』で天津垓が未来ノートを使って世界を操り始めたら「はぁ?」ってなるだろうな。『ジオウ』ではならないのに。不思議だな。
クロスオーバーの弊害ってひとつはこういうことか。世界のリアリティが一番低いものに合わせて下がってしまう。
でも世界のリアリティってなんなんだろうな。その線引きを、僕らはどうやって決めてるんだろう。

 

 大和田伸也
・或人の項ではピンときてないと言ったが、前言撤回。たまたまではあるが、救われたという言葉から思い出した「なんの取り柄もなかった厚みのない過去の自分」と「アドリブに対応できないエンジ」を重ねたんだな。
最初は人生経験も少なくアドリブなんかできなくても、"いろんな芝居を(台本通り)やってきた"という事実そのものが血となり肉となり、厚みをつくりだしていった結果が今の彼なのだろう。
自分で自分を定義していくイメージ(瞬間瞬間)は、まさにこの間した仮面ライダーの定義の話とも繋がってくる。それに、3話の「心などなくても上辺だけの真似で(とりあえずは)いい」とも一貫してるし。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)
・『カメラを止めるな!
前に見たけど、面白かった。何がって、どれだけつまらなくても映画館に来てる以上は最後まで見てもらえることが保証されてるようなものだから、こういう作り方ができるんだなっていう面白さ。
テレビ放送するようなもんでは本来ないね。それで見られた訳だから感謝だけど。
ワンカットシーンも、全体も、とにかく長い。これが一番の欠点じゃないかな。
あーでもそっか、「ヒットした」って結果があれば、映画館じゃなくても見てもらえるか。僕も割とそのクチだし。
ワンカット撮影ってのは、正直すごいのかすごくないのかよく分からない。舞台とか40分じゃ済まないでしょ。しかも本当にやり直しが利かない一発勝負。
まぁ素人としては、舞台も含めてどっちもすごいなって思うけど。
・失礼ながら「大御所とか言う割に演技不自然じゃね」とか思ってたんだけれど、現実と比較してフィクションが大袈裟になるように、劇中劇ではわざとリアリティを落としてるのかもしれないな。同じこと思ったマンホールの人は別に劇中劇じゃなかったけど、まぁそもそも突飛なキャラだしな。
・「義理と人情じゃ、人の裏など見抜けない」
→「義理とか人情で、人の裏なんて見抜けない」
アドリブとは少し違うが、ここ微妙にセリフ変わってるのよね。これわざとやってるんだとしたら細かいけどすごくいい演出。
セリフを"暗記"するのではなく、一度目を通し噛み砕いて、「この立場だったらどんな言葉が出てくるか」を考えることで自分の言葉にする。大まかな意味は変わらずとも、そういった小さな言葉選びの積み重ねがキャラクターや人間をかたちづくる。
僕は役者こそやったことないけど、嘘は人並みかそれ以上に吐いてきたので、多分その感覚が少し分かる。台本なんて大層なものはないが、事前に時間的余裕があるならある程度話の進め方をシミュレートしておいて、いろんなパターンを想定する。一言一句細かく決めるわけじゃなくて、ふわっとね。
この感覚って勉強にも応用が効いて、授業の黒板をそのまま丸写しするようなのって少なくとも僕は全くやらないんだよね。まぁそれにはそれの長所があったり、その方法があってる人もいるんだろうけど、僕はだいたい読書とかしながら話半分で聞いて、テストの時はもう半分を自分で補完して解くみたいな感じでずっとやってきた。それで平均よりちょい上くらいの成績出せてたんだから僕は多分これがあってるんだろうね。

 

 

設定

・そっか、トリロバイトはベルトをしてないから 滅亡迅雷.net に接続してないのか?
・唯阿が暗殺ちゃんをいじってた描写だけど、結局あれはスキャンダルのために目を青くしただけだったのか?
・福添は或人がゼロワンとして戦っていることを知らないのだろうか? 少なくともゼロワンドライバーのことは知ってるはずだけど……。
また一般市民も、知ってるのかどうかって描写あったっけか。社長自ら対処してますってのは多少イメージ回復になると思うけど、後々正体明かす展開やるかもしれないからグレーにしてるのかな。

 

 

監督の「ヒューマギアは殺人マシンだ!」は、流石に笑っちゃったよね。モブ代表とでも言わんばかりのセリフで、一人の人間の言葉選びとして不自然過ぎる。僕は寛容なので、前に言ったような"編集"の理屈で笑って許すけども、一般的にはこういうのはやめたほうがいいんでないのかね。

 

前話

仮面ライダーゼロワン 第10話「オレは俳優、大和田伸也」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン 第12話「アノ名探偵がやってきた」 感想