やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』は偏見で叩かれている(感想)

結論:これを過剰に叩いてる人はちょっと見方が偏ってると思います。


現在は2022/08/14、ちょうど『ONE PIECE FILM RED』が公開され『STAMPEDE』と視聴者投票で(予定調和ながら)選ばれた『STRONG WORLD』がTV放送された時期。
先日ONE PIECEのコミックスをWCI編まで買って改めて一気読みしたのもあり、少し前に放送された『時をかける少女』を見て個人的に細田守熱が高まってたのもあり、Twitter上で悪評がたくさん流れてきて気になったのもあり、本作『オマツリ男爵と秘密の島』を見てみたところ、いわゆる"解釈違い"だとやたら騒ぐ世論に対しておかしいなと思ったので感想をネット上に残しておこうと思い立った。
結論を最初に書いた通り、本作を叩きたいだけの人は読んでも得しません。承知の上で読むように。

 

 目次

 

良かったところ

まず序盤の印象として、普段のONE PIECEアニメとは毛色の違う今回の絵柄が僕はかなり気に入った。デフォルメのきいたキャラクターは『時かけ』の細田守を期待して見た身としてはかなり満足のいくもので、映像的にはすごく素敵だなと。

金魚すくいまでの冒頭シーンは特に、いわゆる「展開にキャラが動かされている」という表現をしようと思えばし得るけど、映像作品として素早く画面を切り替えながら進んでく"テンポ"の良さは見ててすごく気持ちがいい。馴染みのとこで言えば『仮面ライダー響鬼』に近く、シーンの連続感よりリズム優先の見せ方。

にも関わらず、敢えてBGMなしのまま定点カメラで捉えたり複数アングルを切り替えたりして、没入感よりもどこか"客観性"、流れをそのまま追ってるライブ感よりは起きてる事実を淡々と観察するような視聴者との距離感を演出してるのが後々の展開を思うといいのかもしれない。必要以上に感情移入するとつらいから。まぁつらかったけど。

ナミとサンジがぺたっとひっつくシーンも、本編だったらなかなか考えられない光景だけどこの絵柄だとしっくりくる不思議。
本編のナミは自分のこと"オンナ"だと思ってるしもちろんサンジもそう認識してるから二人が身体的にくっつくことはないんだけど、多分この世界観では"男女"という概念や意識が、少なくとも仲間内にはなくて、むしろ見やすい。

 

「めちゃくちゃ面白かった!」みたいな基準とは別軸で、「これは押さえておいてよかった」って思う作品があるじゃない。良くも悪くも異色だから、作品の振り幅としてチェックしておくべきみたいな、それこそ響鬼みたいなやつ。オマツリ男爵はまさにそんな感じで「見といてよかった」と思った。

前半は絵柄も相まって、子供を飽きさせないようになのかひとつひとつのリアクションがオーバーになってて、先述したリズムも独特で本編のそれとは確かに違う。
違うけど、せっかく細田守という名のある監督を呼んでるんだから彼の味を出してもらうのは当然で、お互いに普段なら見られない一面を引き出し合うのがコラボというものな訳で。

RADWIMS『Twilight』のスペシャルMVでも蜷川実花さんという写真家とコラボしてて、あれ読者ってことなんだろうけど実写の人間ばっかり写ってあんまりONE PIECE関係ないなぁと思って僕はちょっと退屈だったり、アニメ映像も魔改造されてて迫力ありすぎて違和感あったんだけど、あれは"あぁいうもの"じゃん。本作も同じ。

少なくとも尾田さんが出張ってくるようになった後の劇場版って、なんだかどれも似たような雰囲気になっててわざわざ見てみようかなって気にならないというのが本音なので、別の作家さんだからこそ描けるONE PIECEの世界っていうのをまたやってもいいんじゃないかな。尾田さんに頼らなければ、もう少しコンスタントにつくれるでしょ。尤もREDの監督は僕も知ってるから、その気はもしかするとあるのかもしれない。

youtu.be

 

世論の通りキャラ崩壊してるか

デフォルメされた絵柄や、極端な崩し顔、独特のリズム感に後半の過剰な絶望的演出……これらが異彩を放ってるのは事実だけど、一転、話の筋としてONE PIECEのテーマと矛盾してるとかキャラ崩壊とか、そういうレベルでは全然なかった。そこまで言ってる人は前者に対して覚えてる違和感が飛び火して全部悪く見えてるだけで、あれくらいなら本編にもある。

 

事前に「サンジが腹空かしてるやつに飯をあげない」って聞いてたからかなり心配してたんだけど、もしゾロにお好み焼きそば食うなって言ったシーンのことを言ってるんだったら、過敏になりすぎだと思う。本編でも女子にだけデザートだかなんか食わせて男子にはあげないとか、男には腐りかけの食材で十分って言ったりとか、ゾロにカミソリ食わせたりとかしてるし。

ゾロも「腹減った」って言ってる訳じゃないし、単なる嫌味であげないって言ってるだけではあるけど「応援もしないで寝てたから」って言い分なら「だからお前は腹減ってないだろ」という意味にも取り得るし、つまり「サンジが腹空かせてるやつに飯をあげない」というのは、キャラ崩壊してるという結論ありきで歪めて見ているとしか思えない。

 

あと主に変だと言われてるのはナミとウソップの2人だが、ナミに関しては「ワガママなやつ」として描かれてたと思うし、実際程度の差はあれどそういうキャラだろう。
そもそも2戦目の輪投げは、四賢人……というかケロケロ四人衆に乗せられてナミがやる、自分に任せろと言い始めたのが発端で、どういう流れかは描かれてないがウソップはそこに巻き込まれたことになる。だからウソップはアクシデントでナミを置いて逃げたかたちになっても空の旅を楽しむ余裕があるし(船の火事も最悪クリマタクトから水が出るはず)、最終的には自分のおかげで勝てたんだからむしろナミの尻拭いをしたと言ってもいい。

ウソップが元々持ってる軽薄さのせいで「ナミを傷付けた」という見え方にはなってしまってるし、実際「裏切りはお前の十八番だろ」は酷いけど、そういう流れを踏まえるなら「ナミが思い通りにいかなかったからって八つ当たりした、ウソップはウソップで負い目があったからキツい言い方をしてしまった」と見た方が自然(※)。

時かけ』の真琴も結構ワガママなやつで、千昭の告白をなかったことにした癖にいざ他の女の子と付き合い始めると嫉妬し始める。でもそれって自分本位にものごとを考えてるからとは少し違って、本人も自分の中に湧き出てくる感情に戸惑って振り回されてる側というニュアンスになってるから、まぁ余計にタチが悪いとも言えるし、その言動に嫌味さはないとも言える。

そう考えると、ある意味で彼女はルフィにすごく近い性格……という解釈がなされているのかもしれない。自分のワクワクのためなら仲間を危険な目に晒すことも厭わないし、誰にどう思われるとかを気にせず自分の思うがままに振る舞うタイプ。

2023/11/15追記

※ウソップのナミに対するガチクズムーブは、この件↓があるので「キャラ改変とかじゃなくてもっとウソップ本人が叩かれろよ」くらいの気持ちは正直あったりもする。

 

元来、麦わらの一味……ひいてはONE PIECEという作品はそういうところがあるし、むしろそれがテーマである側面も非常に強い。「この海で一番自由なやつが海賊王」にも表れてるが、例え海賊旗を掲げることで怯える人々がいようとも、世界政府に楯突くことで世界が混沌に陥ろうとも、そんなことは意に介さず「やりたいからやる」を貫くのがルフィだし、一味のメンバーもデコボコで目指す先も様々。

それでいうと『STAMPEDE』のオチに対して僕はあんまり納得いってないのよね。目の前の危険を避けようとするのはまだ分かるとしても、海賊王への近道でさえも船長の意志に反して欲するクルーってどうなんだ。ルフィを型破りなキャラにしたい+バラバラの方向を向いてる奴らが集まってる感を出したいからと言ってさ。
ナミは航海士として、目的地に正しく導く責任がある……うん、まぁそれも分かるよ? 分かるけどそれは理屈だよ。なんのためにルフィの旅を支えたいかって言ったら、まず前提にルフィが好きだからでしょ、なのにそんなことも分かんないの? っていう。況してや時系列的に「つまらない冒険なら俺はしねェ」を既に聞いた後だよ。

 

"統一されてない自由な奴らの集まり"という一見矛盾したところにいるのが彼らであって、今回の映画が特殊なのはそういう意見の相違やワガママによる対立を、いつものようにギャグで茶化さずに真面目に取り扱ったこと。
クルーは基本的にルフィについて来てるから、必ずしも仲間のことが大好きって訳ではないのはゾロとサンジの喧嘩にも表れてるし、そのルフィとだって臆病組は毎回「やめようぜ」って意見が一致してない。ぐるわらの一味なんて隕石にビビって仲間置いて逃げ出したし。

だからあの仲間割れは「やってることはいつもと同じだけど、演出を変えてみたらかなりギスギスして見えるよね」の範疇にギリギリ収まってて、でも最後の一線として、最終的な喧嘩の理由は「仲間がいなくなったのに誰も気付かないなんて」ということになってるし、みんながやられたあの"矢"は、話を聞く限りどうやら仲間を失ってしまった悲しみや後悔を植え付けることで対象を一時的に無力化する力を持っているようなので、彼らがやられたのもそれだけ仲間を思っていたからこそということになって、一味の仲が本質的な意味で悪いという描き方にはなってない。
見た目的には、喧嘩しっぱなしというか挽回するシーンがなかったので悪く捉える人が多いんだろうけど、そうじゃないのはそれこそ本編見てれば分かるよね。本音じゃなくてリリーカーネーションかなんかの能力で正気を失ってる、と考えるなら最初からキャラ的には何も問題はないし。

ゾロとサンジにしろナミとウソップにしろ、ちょっとしたことから一時的にこじれてるだけで、あのまま一生口も利かないとかそれが原因で一味を抜けるとか、そんなことはあるはずないし作中でも実際ないんだから、逆にメリー号の進退を巡ってガチ対立してたときの方が僕は胸が苦しかったな。
これは僕自身が、仲良い人に暴言とか吐くタイプの人間だからというのもあるかもしれない。兄弟喧嘩みたいなものというか、どうせ明日とか明後日になればまた一緒に飯食ってるという確信があるから安心して、素直に感情を吐き出せる感じというか。

少なくとも「仲間割れ」という表現はオーバー。

 

細田守のインタビュー記事

そしておそらく、視聴者をそういう否定的な意見に傾けている諸悪の根源なんじゃないかと思うのが、Twitterでも矢面に立たされているこれ。

『ONE PIECE ―オマツリ男爵と秘密の島―』細田守インタビュー  WEBアニメスタイル_特別企画

見つけたからちゃんと全文読んだ、ミニインタビューって書いてある癖にめっちゃ長い。
もしかしたら視聴者の代弁として義務でやってるのかもしれないけど、切り抜かれてる一部だけじゃなくて全体通して読んでもインタビュアーの人がかなり『オマツリ男爵』という作品に対して敵意を感じる質問↓を繰り返してて、誘導尋問よくないなと思った。

・『ONE PIECE』ファンにとっては、ちょっと危険な回答を含んだ映画になっているよね。
だって、今回の映画では、サンジやゾロも結果的に助かって、いつもの冒険に戻るんだけど。みんなが死んじゃっても、ルフィはお茶の間海賊団とか、チョビ髭海賊団と一緒に旅を続けられる可能性を示しちゃってるじゃない。
・だってさ、オマツリ男爵の魔力のせいで仲違いする前から、ルフィ達は仲が悪そうじゃない(笑)。
・それから、前半で極端な崩し顔が、何度かあるじゃない。あれは誰の意図なの。
・お茶の間のパパが弓で打ち抜いちゃったところで、物語的にはほぼ終わってるんだけど、あれはあれでよかったの?
・あの時に、ちょっと話がメリー号の事から外れて、「本当は、お前は俺の事なんか必要じゃねえんだろ」みたいな事をウソップが言うじゃない。あれは多分、作品の本質的なところに触れているよね。
細田さんの嗜好から言うと、ああいうふうに自分のまとまりきらない思いをフィルムに叩きつけるのは、どちらかというと、嫌なんじゃないかっていう気がしたんだけど。

このインタビュアーの小黒さんって方、ルフィとオマツリ男爵の仲間に対するスタンスの違いは読解(曲解)できる癖に、ブリーフはともかくデイジーの名前も知らなくて、細田さんも「仲が悪そう」に対して「ちゃんと観てくださいよ。ホント」って言ってるけどマジで"ちゃんと"見たんか? と思う。
あたかも「他のやつに乗り換えられるということは今のクルーたちに愛着がないように描いている」かのような言い方だけど、本気でそう読んだならひねくれすぎてる。仲間が死んじゃったことで全身真っ青になって、ホラーというかかなり気持ち悪い見た目になるくらい落ち込んでたんだぞ。"後悔の矢"を合わせて2回も。

「ルフィの目的は海賊王になることであって今の仲間と旅することでは必ずしもない」っていうのは、まぁ言葉としては正しい。
「お前がいねぇとおれは海賊王になれねぇ」と言ってる通り、海賊王=この世で一番自由なやつなんだから、意に反して仲間を失ってしまったら本当に自由なやつにはなれない。
でもエースには結局死なれてしまってるので、本当に一人も脱落させちゃいけないほどキツい称号ではないし、何よりオマツリ男爵のように死んだ人間の亡霊にいつまでも取り憑かれてたらそれこそ"不自由"の極みなので、生きてる間は絶対に死なせたくないから死なせない、でも死んじゃったら引きずらない。単にそういうことでしょ。

 

僕がこの記事を書いてるのは、インタビュアーに対して腹が立ってるからというのが一番大きい。細田さんは笑いながら受け答えしてるし、もしかしたら割と旧知の仲だからこそあぁいう突っ込んだ聞き方できてるってことなのかもしれないけど、聞き手がこれだけ敵対的なのに「細田守の発言が尖ってる」って言われてるの理不尽過ぎる。

・あの時に、ちょっと話がメリー号の事から外れて、「本当は、お前は俺の事なんか必要じゃねえんだろ」みたいな事をウソップが言うじゃない。あれは多分、作品の本質的なところに触れているよね。

この辺までちゃんと読むと、この小黒って人が勝手に歪めてるだけだって分かると思う。ウソップの話を変な風に引用して「だからオマツリ男爵では一味なんて必要ないって言いたかったんでしょ?」なんて風に悪意しかない遠回しな質問して。どっちが性格悪いんだよって話。

 

作品そのものでAを描いてるから、インタビューでは敢えてメタな視点に立ってAに否定的、あるいはBという別の視点に立ってフォローするように話をしてることってたまに見受けられると思うんだけど、変に真に受けてそのメタな視点でもって作品を解釈しようとして変なことになってる人もたまにいる。
予想してた通り、オマツリ男爵の前評判はほぼこれだった。ルフィは仲間のことは折り合いつけてお茶の間,チョビ髭海賊団やるなんて一言も言ってないし、仲間に手を出すなみたいなことはことはきちんと言ってるし、あのインタビューはあくまで「穿った見方をすると」の話でしかない。

僕は序盤はともかくそれ以降の本作に対して「すげー面白かった」と思ってる訳じゃあないんだけど、にしてもこれを根拠にした批判は軒並み先入観でものを見て喋ってるとしか思えない。

 

あと脚本家の伊藤正宏って人のブログ↓も僕嫌いです。
二年ぶりの約束: sometimes i speak!〜放送作家伊藤正宏のノート〜

原作者の尾田栄一郎さんがオマツリ男爵を嫌ってるってソースがちょっと探した限りあれしかなくて、仮に本当に不満を抱いてるとしても、それが大っぴらになってないのはみんな大人だから口を噤んでるってことなんじゃないの? あくまで当人同士の話として言ったことであって公式見解ではなかったものを、あの人が個人的な恨みで勝手に晒したってことなんじゃないの?

「言葉」じゃなくて「作品」で伝えたいとか綺麗事言ってる癖に、結局この原作者の名前使ったチクりブログが細田守を否定する主な証言として扱われてるんだからどうしようもない。
ちなみに『カラクリ城のメカ巨兵』見たけどバカつまんなかったです。本当にただ鬱展開がない"だけ"で、予告と子供向けって話から色んなカラクリが出てきてドタバタやるんだろうと期待してたのに中盤しょーもないオヤジギャグの解読しかしてないし、僕オヤジギャグ好きな方だと思うけどあれを面白がるのは無理。子供が好きなタイプの言葉遊びでもないと思う。問題点であるキャラ解釈についても違和感は普通に引き続きあって、むしろ絵柄がいつもとそんなに変わらない分だけ余計に浮いて見えた。
オマツリ男爵はONE PIECEとして見なきゃ面白いって辛うじて認められてるけど、ONE PIECEとして見ても見なくてもつまらないので……。

 

ルフィと仲間

オマツリに話を戻すと、そもそも「仲間を使い捨てにしようぜ!」「駄目になったら乗り換えようぜ!」なんて話は敵方であるオマツリ男爵でさえも1mmも言ってないし思ってもない。ただ「死人に囚われて今生きてる自分や他人を犠牲にするのは良くない」としか言ってないんだから、あのインタビューを真に受けて批判してる人は皆的外れ。

ただの事故で仲間を失ったオマツリ男爵が仲間割れを求める理由って確かに少し分かりにくいけど、素朴に嫉妬と理解してもいいし、「生贄にする罪悪感を正当化するために相手の心の醜さを暴いてやりたい」「仲間を最後まで諦めなかったなら自分の選択が肯定されて嬉しい」ならどっちに転んでも得だし、「本心では虚しいので仲間になんて価値はないと思いたい」でも、色々解釈の仕様はあると思う。

オマツリ男爵の本編内では一貫してルフィは仲間のことすごく、重すぎるくらい大切に思ってるような描かれ方がしてるので、むしろ僕は本編で珍獣を見つける度に「あいつ仲間にしようぜ!」ってノリで言ってるときの方が「お前にとって仲間にするってその程度のもんなの……?」って思う。
チョッパーのことも何回か非常食って言ってるしな。人間に対しては「お前は嫌だ、仲間にしたくない」って断りがちだけど。

 

細田守の家族(血縁)観というよくある批判的視点からオマツリ男爵見てる人も多いけど、別にあのお茶の間海賊団って船長が集めた孤児でも成立するし(染めてるのか髪色バラバラ)、単純に積み重ねなしに絆があることにしたいときの便利キーワード以上のものは感じられない。
ファミリー海賊団じゃなくてお茶の間海賊団って名前からして分からんかねぇ……血の繋がりじゃなくて、お茶の間を共に過ごすことこそが彼らのアイデンティティなんだろうし、そもそもオマツリ男爵が公開した2005年の時点で麦わらの一味って「おれたちはファミリー♪」って曲歌ってるよね? 仲間は家族も同然だし、だいたいルフィが仲間死んだあとお茶の間海賊団に入れると本気で思ってるなら血縁至上主義でもなんでもないんだよ。どっかで聞きかじったことを適当に切り貼りしてるだけだから、言ってること支離滅裂すぎるんだよ、オマツリ男爵否定派は。
ひとつの作品に対する読解力もONE PIECEへの理解度も低くて自分の頭で考えられないから、ただ他人(小黒氏や脚本家や変なツイッタラー)が言ってたことをなんとなく真似してるだけ。

細田守が血縁関係しか認めてないってのも多分『未来のミライ』とかを見て特に曲解された要素なのかなって思ってるんだけど、あれだって別に「人と人との繋がり」の象徴でしかないし、究極この世にいる全ての人間って血縁関係にあるようなもんだしなぁ。そもそもくんちゃんの年齢なら家族が全てで普通だろ。

尤も『時をかける少女』を先に見てたら、時間のちょっとした改変で主人公のこと好きだった男が別の女の子と付き合ってたりするから、そういうところから逆算して「仲間は代えがきくと思ってる、それが細田守作品の作風だ」と思って批判してるならまだ分からんこともない。

 

……ないが、仮にオマツリ男爵における仲間の扱いが普段のONE PIECEから見て少し特殊だとしても、それはその時点で本編がたまたま、敵幹部だったのになんとなく乗船してたロビンが離反してメリーはもう駄目でウソップも船を降りて……っていう試練の時期だったから間が悪かったというのが一番理由としてしっくりくるとは思う。
件のインタビューの通り「ルフィは仲間が死んでもまた新しいやつを見つける」というテーマを描いてると捉えたとしても、それって本編でやってる「船は乗り換えることにした」「ウソップは降りたからケジメはつけないといけない」「エースの死を乗り越える」達と意味合いはさして変わらない。後で気付いたけど、ブルックに至っては「仲間が全滅してもいつかは立ち直ってまた新たな仲間と旅をする」のいい例じゃんか。つくづくオマツリ男爵否定派ってONE PIECEニワカなんだな。


そもそも「ルフィは仲間が死んでも立ち直れる」じゃあなくて「仮に死んでしまったなら立ち直るしかない」が正しい。メリー号がもう駄目なら断腸の思いで乗り換える決断ができるし、兄であるエースが死んでも仲間がいれば生きて旅を続けるまでに立ち直れる。特にルフィは自分が処刑されそうになったときも「わりい、おれ死んだ」と笑うような人間だし、変えられない現実を前にしたとき意外と彼は受け入れる。
だからといって、それを以て「大切に思ってなかった」と解釈するのはおかしい。

本当に今の仲間なんて必要ねぇって話なら、一味を殺されたことにルフィがブチギレて一人で男爵ぶっ倒す流れでいいはずなんだよ。ルフィの強さについていけなくて、って話なら。
でもルフィですら負ける。それは「仲間を失ったらルフィは無力になってしまう」という描き方で一味の必要性を描いてるからであって、決して蔑ろにしてる訳じゃない。
船長がつらいときにそばにいてやれなかった仲間に代わってルフィを支えてくれたジンベエは結局仲間に加入しただろ。船に乗せるとは言ってないけどお前らも仲間だよって認めること自体の何がそんなに不満なのか分からない。

 

良くないところ

演出云々を抜きにして"話の筋として"唯一よくないと思ったのは、仲間が全員殺されかけるまでの流れっていうのが大敗を喫してボロボロになってたから仕方なくとかじゃなくて「成り行きでおっさんの話を聞いてたらいつの間にか全滅してました」だったこと。そりゃあルフィが感知してたら何がなんでも助けちゃうから仕方ないけどさ。
ウソップがピンチのナミを置いて飛び去った(故意じゃない)とかナミが水に落ちるのサンジが助けないとか、ゾロ達が仲間がいなくなったのに気付かなくてサンジにボロクソ言われるとかは「仲間として信頼してるから放置できる」でギリ通るが、ルフィが知らん間に仲間全滅は流石に度が過ぎてて「じゃあ弱くて信頼を裏切ったあいつらが悪いじゃん」になってしまうので良くない。

ピンチへの陥り方で言うとストロングワールドもちょっと酷かった。初戦の負けは「ギア2出す前にやられた」という謎の展開で、シキの能力を学習したから2回目は負けないみたいな説得力もない。精々ビリーと天候の力を借りたからで、初戦はただルフィが弱いorナメプしてるから負けてる。


ちょっと話変わるけどONE PIECE本編においては、特に新世界編へ入ってから、ルフィがあんまり話に絡んでこない気がするのよね。単純に仲間の話をするターンが終わったから自然と他人事に首突っ込んで、でも詳しいこと理解する気はないから目の前のことにあひゃあひゃって楽しんで敵にはちょっと怒ってっていうムーブしかやることないのかもしれないけど。
ナミを取り返すぞ! ロビンを取り返すぞ! エースを助けるぞ! みたいな、ルフィの方に能動的な動機があることがまずもって少なくて、ストーリーはその地のゲストに任せて、ルフィは本当に「お前に勝てる」だけのキャラになってる気がする。ワノ国編はまだ途中までしか読んでないから知らんけど。
グランドラインでも空島編は特にその傾向が強くて、僕あのルフィのノリずっと苦手なんだけど多分尾田さんの理想とするONE PIECEってあんな感じなんだろうなと思う。

ルフィの持つ味方をつくる能力って、"ひとつなぎ"にも通ずる物語の根幹を成すテーマのはずで、その意味で言うとゲストに過ぎないチョビ髭ことブリーフやお茶の間海賊団がやたら活躍することには筋が通ってるし、仲間がいない一人ぼっちの状況でもそこにいる人間がどんどん新しい仲間になって支えてくれるっていう流れ自体はそれこそインペルダウン-頂上戦争編で遺憾なく描かれたことだし、雰囲気が気に食わないとかを超えて『オマツリ男爵』がONE PIECEのテーマと根本的に矛盾してるっていう否定の仕方は僕の考えが及ぶ限り"間違ってる"としか言いようがない。

 

ただし、結果的に大勢の人が否定的な見方をするような演出のバランスになってしまったこと、そして作品に対して不利なインタビューをする小黒氏に対して「そういう見方もできるかもね」みたいな偽悪的なスタンスを取って勘違いを招いてしまったプロモーションの失敗、という意味では良くなかったのかもしれない。
世の中には作品をきちんと理解できず、ヘンテコな見方をしてるインタビューに流されて的外れな批判を量産してしまうようなお客がたくさんいることを甘く見ていたと。
……まぁ、そうじゃなくても細田守作品って、有名なのも手伝って割といつも賛否分かれてたりする印象だけど。本作に限って言えば、必要以上に否定されすぎです、絶対に。
このことをきちんと、少なくともこの記事を見つけた人には伝えておきたい。何か反論があればどうぞ。

 

本編の感想

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