やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

前回の記事でも言った通り、電王は全然分かった気になれなかった。

86ma.hatenablog.com

こちらが非常にボリュームあるので、こっちはとりあえず当て馬というか、間に合わせというか、1000字あればいいやくらいのサッパリとした感じでまとめようかなと。


これは僕があんま褒めることのないエグゼイドやビルドもそうなんだけれども、よく分からなかったからと言って全く楽しめなかったってことかというと全然そんなことはなくて、むしろ電王に関して言えば泣くところまでいったんだよね。
どうやら僕は普段仲がいい仲間うちでの争いに弱いらしくて、ONE PIECEでもルフィとウソップが喧嘩するところ(正確にはサンジがルフィを蹴り飛ばして止めるところ)で泣いた記憶があるんだけど、44話での良太郎とモモタロスの勝負は駄目だったね。
「なんでみんないつもみたいに仲良くできないんだ……」とか子供みたいなこと思いながらボロボロ泣いてた。
だから勿論デンライナー内での掛け合いも大好きで、あれはずっと見ていたい不思議な魅力があるよね。


と、ここまで書いたけど、やっぱりこういう感情的な話だと文がもたないのよ。「好き、泣いた、良かった」って言うだけなら一人でぶつぶつ言ってればいいって思っちゃうんで、記事にするからにはある程度の理屈が欲しい。んだけど、理解できない訳なんで、ちょっと躊躇するんだよね。自覚がないならどうしようもないにせよ、自分でも的はずれな気がしてることを堂々というってのはさ。
仕方ないから書くけど、こういう葛藤があるんだよってことを踏まえた上で読んでもらいたい。

 


全体としては、電王は「肯定」の話だったんじゃないかなーって。まぁ、大筋としては劇場版の感想で書いたものと被るんだけどさ。
これまでの作品が概ね自己否定とか現状否定の気持ち(俗っぽく言うならハングリー精神)から「変化」を取り扱ってきたんだけれど、電王からはそういうマイナスな、陰鬱な雰囲気をほとんど感じないんだよね。"明るい"イメージというかさ。
真面目に考えると混乱するような難しい設定も説明しないし、むしろ「知ってても知らなくても時間は流れる」という言葉である程度納得させちゃってどんどん先に進むんだよね。
あ、でも「変化」をしなくなった訳じゃなくて、もちろん電車に乗るっていう斬新さ(僕は幼少期に見たからこれが普通だけども)もある。その……なんていうか、自己否定っていう表現をしたような、変化の見方が違うというか、「これまでのじゃ駄目だ」みたいな否定を原動力にする変化じゃなくて、「こんなのがあっても良いよね」っていう肯定的な感じ。
それこそ主題歌の「いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん!?」なんかがすごく象徴的なんだけれども。
良太郎も基本的にはイマジン達を"受け入れる"スタンスだし。


で、僕はそういう風に電王を捉えていたからこそ、最終的にカイ達が完全に消えちゃうのがなんかモヤモヤするんだよね。良太郎だって過去改変をしてるのになんでカイは許してもらえなかったんだろうって思っちゃう。「イマジン達は全て分裂したカイの人格のひとつ」説は、そういう意味で僕の中ではかなり重要な、そうであって欲しい仮説なんだよね。
勿論、555的な視点で「否定もいーじゃん!」っていう側面もあるのはなんとなく分かるんだけど(リュウタロスの存在が多分それ)、そうやって結論をぼやかしてしまうと、「目的地が明確に決まっている」という性質を持っている"電車"というモチーフとの食い合わせが非常に悪いんだよね。
電車において行き先が変わっちゃったり遅れたりっていうのはかなりマイナスなことな訳じゃない。がっちりとダイヤが決まってるものだから。

 

むしろ見方を変えると、所謂「白倉ライダー」としては珍しく勧善懲悪的な構造にも見えるというか、こういう表現も少し変なんだけど、「"現在"に生きる良太郎(をはじめとする人達)がやることこそが正しい歴史であって、カイは存在自体が間違っている」みたいなようにも見えてしまうんだよね。
これは僕が設定等を理解できていないから思うことなのか分からないけど、だからやっぱそういう意味で電王はかなり異色というか、変な? 不思議な? 作品だなって感じてるところはある。電車やおとぎ話をモチーフにしたからそうなったってところもあるのかなぁ。

 


言うの忘れてたけど、そういうの諸々考慮した上での満足度は5.5で。
時間ものだったりカイの口癖が「気がする」だったりで、ジオウの構造を理解する助けになると思って楽しみにしてたんだけど、うまくいかないもんだなぁ……。

あ、記事タイトルについても少し触れとこうかな。あんまりうまく表現できないんだけど、イメージ的に「否定して進む」のが水泳の蹴伸びっぽいというか、バッタのジャンプもそうだけど、元いた場所を蹴って≒否定して進むのよ。じゃあ肯定はどういうイメージかなーって考えたときに、ロープを手繰り寄せるみたいなのが浮かんできたのね。懐に入れていく≒肯定していくような……。うん、我ながらふわっとしすぎててピンとこないな。自信満々に書けることがなかったからわざとふわっとさせたってのもあるけど。
なんか恥ずかしいからもう筆置くね。

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本編

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