やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想

現代からおよそ10万年前というと、ちょうど現生人類の祖となるネジマニヨン……もといクロマニョン人が現れ始めた頃。謎のネジ(黒いヘボヘボネジ型の宇宙船?)が地球に落下した時期はそこと見事に合致するらしい。
タイトルの元ネタ『すべてがFになる』は(ネタバレ注意)、天才と名高い四季を巡る物語である。僕も昔に一度読んだきりなのでアレだが、このタイトルの本当の意味には、さっと調べた範囲では誰も言及していないことが惜しい。みんな「Fってそういう意味だったのか!」ってところで思考をやめてしまっていて、じゃあすべてがFになったらどうなのかというところまで辿り着いていない。かく言う僕も中学生当時にはそんなこと考えもしなかったし、記憶が曖昧な今読み返しもせずに当てることはできないのだが、熱心なファンが解き明かしてくれていても良いのではないか。僕はその人の肩の上に乗せてもらいたかったのに。
おそらくヒントとなるのは、数字の孤独性についての話。16進法ならば、14という倍数が現れるので7は孤独を回避できる。その代わりにBとDという2つの孤独を生み出してね。孤独な者が2人いるのなら、それはもう孤独ではないかもしれないけれど。ここへ更にもうひとつ、副題の『The perfect insider』というキーワード(意訳するなら……自己完結とか自立完全性とかだろうか)を加えると、多分何か新たな知見が開けるのだと思う。僕にはまだよく分かんないけどね「無責任か! 引っ込め!」。
てな訳で、ヘボット最終章始まるよ! 毎日よる9時、みんなでへボーン!


ジローが踊っている(つもり)のジグだけど、見たところマンデイにそっくりだよね。あれも実は踊りだったとヘボヘボ先生から明言されているので、何か関係あるのかも。
探検隊のメンバーは10人とのことだが、この時点で普通に11人いるのよね。逆にどうして11人だと思ったのか。スチャットとユートは同じバッティの干渉キャラだから同一視されている……とするにはムラキとヘイミもそうなので、すると9人になる。ただしファンブックではトゥル子とヘイミは直接は繋がってないので違うかもだけど。養子……ではなさそうなので、キラキ・ラ・ムーがムラキの子を"装って"いるだけという可能性くらいか。
ヘボットとネジルが一心同体なので一人カウントとするのが自分的には一番しっくりくる。チギルとペケットはコンビ組んでるけど、運命の相棒という訳ではないらしいし。ペケットのネジ魂はチギルと無関係に存在しているもの(fromエース・オカ?)だし、そもそも監督曰くチギルは主人公じゃないのでネジ魂を貰っていないらしい。ポケモンの世界では10才になったら博士からポケモンを貰う設定だけど、その博士がいる始まりの町にはライバルを除くと民家がほぼなくて、他のとこの子たちは草むらもロクに通れないのにわざわざここまで来てるのかどうか、何より園児のトレーナーなんてのもいるし……みたいなのと同じで、主役だけ特別な設定なんだろう。ネジ魂が年に一度生まれるってのもそういう設定なだけかもしれないけど、1年で全ステージを一周するんだとしたら毎周回ヘボットがいることと繋がるかもしれない。

意味深にピントが移ったモツ鍋、あれは一体……ジローが生き延びるための食料だったというだけ? そもそも誰が……と思ってモツ鍋の初登場回(6話)のメモを見たら、料理漫画をパロったあの馬の名前もまた"ジロー"だった。今回のジローはポリドロケンだったので、エトのよしみで馬のチャラブレッド……それとも料理人のゲキドラが? それともバッティと同じく声の繋がりでネジ王? ヴィーテ(フィーネ)は彼の望みを叶えるために動いてるはずなので、黒ネジルみたいに負の感情だけを持った黒いゼロが、それこそラスボス化する予定でボツになった存在としてはっぴーカラフル村辺りにいたりして。オールディス「くぅん……」。ねじんじんぷー!

 

陰謀論的な都市伝説を大真面目に……というか常識として披露するスチャットくん。知り合いにもそんなような人がいるんだけど、正直に言ってしまえばマジで面倒くさい。陰謀の真偽よりも、聞いてもないのに「あれは実はこういうことで……」みたいな講釈を垂れることの方が無理。そういう病気なんだろうから仕方ないけど、それを嫌だなぁと思うのも仕方ない。僕を見なさい、自分の意志でブログを開いた人だけを相手にベラベラ喋って、そうでもなければ基本静かで無害な人間なのだぞ。……と思っていたんだけど、無口過ぎたのか最近は周りの人から「もっと何考えてるか発信して欲しい」と言われて困ってるなう。黙ってれば無害というほど世の中簡単にはできてないのね。
妄想と言えばやっぱり僕的には『ビューティフル・マインド』の話をしたくなってしまう。ゲーム理論で有名なジョン・ナッシュの半生を描いた半ノンフィクション映画なんだけど、これが面白いんだ。詳しくは感想を。
(参考:現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想)

ネジに意志を持たせる実験というのはこれだけ尺取ってる訳だし実際にあったのかな。ただまさか10万年前のことではなかろう。ネジドリッジことエルドリッジのフィラデルフィア計画があった第二次世界大戦からはまだ100年も経ってないはず。……ってそうだった、ネジが島の時間は周りとはズレているんだっけ。参考にスゴ様が漂流した島を例に取って計算すると、42年÷3日なのでネジが島での1日はあそこでの14年に相当し、もし彼の言う大戦がネジが島の暦で言う1939年頃に起こったものだとすれば、14×365×80で40万年ほど経っていることになる。これだけネジれる余地があるなら、10万年くらい前のことでもおかしくはないかもしれない。

 

10人のはずなのに、点呼してみると何故か11人いる……。
僕は最近『数のはなし』という本を読んだ影響もあって、数を数えるという行為についてぼんやりと考えているのだけど、現状の結論ではどうやら僕は本当に2や3をかぞえているのではなく、意識の上では2という名前の1、3という名前の1といった風に1つずつ名前を紐付けているだけに過ぎないらしい。1,2,3…と連なって数えているように思えて、実は「今どこにいるか」しか意識していない。だからすぐ「いくつまで数えたか」が分からなくなる。だってそんな処理、本当は脳では行っていないんだもの。
まず先に知識としての"自然数列"があるんだけど、実際にものをかぞえる時に意識しているのはあくまで「1の次は2」「2の次は3」ということだけ。そうやって進んでいって例えば54に達したとして、その時になって初めて記憶の中から数列全体をイメージして照合し、いくつあるのかを認識する。数えている最中は積み重ねや意味をあまり意識しないままに、ただ機械的に数列を暗唱しながら一対一対応させているに過ぎない。多分、そういう意味で本当に"数えている"のはせいぜいみっつかいつつあたりまでだろう。
対応の他にもうひとつ数字の認識の仕方として、"視覚パターン"がある。「・」「・」と見れば「1が2つ」だが、「・・」と見れば「2が1つ」。サイコロの目をいちいち数えないように、"ひとつ"のパターンとしてぱっと見た全体の形と数を紐付けて判断している。
ややこしい解釈を挟まずとも、それら全部を引っくるめて"かぞえる"と呼ぶのかもしれないが。でも改めて考えてみると簡単なはずなのになかなか不思議な操作で、面白いよね。

 

……書きかけ? うん、いいと思う! 

 

ヘボット!感想一覧

次話
ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想