やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 45話「ギザギザ・ザ・ネジ山」 感想

ネジルゼロの目的は、ネジれた世界を元に戻すことだそう。それというのも多分始まりの者からの受け売りなんだろうけどね。その証拠に今回のセリフは引用だらけ。循環しないのであれば、無限に「何故?」と後退するか、疑いようのない事実(ドグマ)を打ち立てるしかない。ヘボット世界においては始まりの者がそのドグマとなっている。
今の白ヘボットには魂がないらしい。そもそも魂という概念からしてよく分からないものなのはもう仕方ないことなので、大なり小なり齟齬が生まれることは覚悟の上でこの器に自分のボキャブラリーの中からハマりそうなそれっぽいものを投影して注ぐしかない。今のところの僕の理解としては、ヘボットが発しているのは単なる音であって言葉じゃない、みたいな感じ。自分が発達障害持ちなもんで関連書籍をたまに読むんだけど、エコラリア(オウム返し)という現象について面白い例が挙げられていた。
自閉症児Aに母親が「今日何食べたい?」と聞くと、彼はいつも「カレー」と答えるらしい。母親は特に違和感なく、彼はカレーが好きなだけでそのやりとりにおいては言葉の意味は通じているのだと思っていたんだけど、実はAは、過去に母親が発した「今日何食べたい? カレー?」というセリフの一部を繰り返していただけ(遅延性エコラリア)なのでないか、という話。本当のところは本人にしか分からないし、食べたいものなどの特定の話題だけ理解できている(かもしれない)だけで、全体的にはコミュニケーションに困難のある相手なので、確かめることは難しい。
そんな感じで、というかだからやっぱり中国語の部屋みたいな話なんだけれど、白ヘボットも意味を理解しないままに、それこそ屁のように音を発しているに過ぎないのかもしれない。出てくるのが口だろうが尻だろうが、物理的には関係ない。どちらも同じ「緊張した穴が開き空気が通過することで発される破裂音」だ。だから"ブ"と似たような音がなる。
更に難解なのは、ちびヴィーテはヘボットとは逆だという話の真意。素直に受け取るなら「喋りたい"意味"は持ってるけど、発声できない」ということになる。でもどう見ても喋っとるよなぁ。白ヘボには魂がないといいつつネジ魂らしきものは挿さっているのと同じで完全にないという訳ではないとか、この時点で既に世界はネジれているのでその影響で本来いないはずのヴィーテが幽霊みたいなかたちで現れているのかもしれない。
ネジルゼロとヘボット、そしてちびヴィーテの3人を見たら、普通の感性をしていたらゼロとちヴィがパートナーで、ひと回り小さいヘボットが子供かなと思うよね。空っぽな器のネジルと中身しかないヴィーテが出会って、初めてきちんとしたヘボットが生まれる。これならスッキリはする。
子はかすがいと言うけどそれも善し悪しで、裏を返せば別れたくなっても簡単にはいかなくなる訳なので、呪いみたいなものにもなり得る。迷惑な話だ。

 

いつもならアバンに配置されてそうな小話がタイトルコールまでの数分にいるので、妙なインパクトがある。
子沢山なダディボアは家事に追われてロクな1日を送れないので、嫌になったら地球ごと破壊してしまえばいい……。都合が悪いから、次元ネジもろとも周辺の世界をぶっ壊してしまえみたいな、虚無的な意味にしか聞こえない。人間なんか生きてたって何の役にも立ちゃしない。次元ネジなんて要らない、僕も要らない、宇宙も……要らない、何も捨ててしまおう! 眠りたい もう眠りたい、ゼロがいい ゼロになろう。もう1回。

いきなり始まりました、ギャクフエカップルの別れ話。僕も小6から2年くらいかたちだけ付き合ってた人がいて、付き合い始めてからはお互い恥ずかしがってむしろ話すことは減って、世間で言うようなカップル的なことはほとんど何もしたことはないままに、それでも「世界に少なくとも一人は自分のことを好いてくれる人がいる」という事実がとても嬉しくて日々が満たされていたんだけれど、思春期なもんで人並みに病んでる時期もあって、自分が幸せを感じることにひどい罪悪感を覚えて「こんな自分にはあなたと付き合う資格はないので別れましょう」と言ったのよね。思い出してちょっと悲しくなってしまった。彼女は特に引き止めてくれなかったな。ただ一言「ごめん」とだけ言われたけど、どういう意味なのかは全く分からない。

ネジ屋への相談内容は、突然ネジ山が消えてなくなったというもの。これではもはやネジとは言えない、むしろクギだと散々な言われよう。ネジ神様(また出ましたね)の祟りだという仙人。一体何に対する祟りだと言うのか。
元々ネジ産めないから関係ないと強がるスチャットをお払い箱にするカスリーナ、相変わらず外道。ネジは埋めなくてもギブさんは産めるので問題ないでスチャ!

話は逸れるようで逸れてないんだけど、好きな相手の「好きなところ」をきちんと言葉にできてしまったら、それはなんだか嘘になってしまうような気がする。例えば優しいところが好きなら、優しければ他の誰かでもいいの? という話になる。本当にその人じゃないと駄目な理由があるとしたら、それは何十億といる人間の中ならたった一人を絞り込むだけのキーワードが必要なわけで、そんなもの複雑かつ膨大過ぎて筆舌には尽くせないと思うのだ。

僕は断固としてAndroid派なAppleアンチなのだけれど、僕が重要視している「戻るボタンがない」「アプリを好きな場所に置けない(空白にしておけない)」「ドロワーがない」「シンプルがカッコいいと思って機能性を悪くする姿勢が嫌い(マウスの充電方法とか狂気でしょ)」……等の欠点がもし改善されたら、その時はApple製品を使うことにやぶさかではない。何故ならそれはもはや僕の嫌いなApple製品ではないから。

夫婦は結婚の際に「病める時も健やかなる時も……」と愛を誓い合うが、日本の「離婚が認められる理由」の中には、相手が重度の精神疾患にかかって回復の見込みがない場合、という記述がある。気持ちは分かるけど、愛する人が病気になって困ってるときに見捨てるって、おいおいと言いたくもなる。これを行使した訳ではないが、うちの父は精神疾患を理由のひとつに離婚して母を捨てたので、正直軽蔑している。
でも、まぁ、テセウスの船のようにあらゆることがすり替わって同一性が保てなくなったとき、それでも続けて「好きだ」と言い続けるのはもはやただの意地でしかないというか、それはそれで結局「誰でもいいのではないか」という話になってしまうのは理屈としては分かる。僕が僕であるために、君が君であるために、歌い続けてる。

 

ギャクフエの会話と、エース・オカの去勢発言を重ねてみると、このギザギザが消える現象は不妊か性病を暗喩しているっぽい。もともとスゴスゴ辺りから「ネジを挿す≒性交」としての側面がかなり押し出されてるので(あと目指せネジスタシー! とか)、意図的にせよ無意識にせよそういうニュアンスはあると思われる。自分は子を産めない、或いはもう性交ができないから、そんな自分は捨ててギャクランはそれができる人と幸せになって、と。

僕はこれまで性交というものに対して、無意識的にはどうか知らないが、意識的にはしたいと思ったことがないので、全体的に共感はできないのだけど。去勢不安どころか、むしろ痛くないならして欲しいくらいだし。
ただプラトニック……みたいなのとは違うかな。僕の場合、性交に対する欲求はなくても肌と肌の触れ合いみたいなものにはそれなりの執着があるので、非肉体的かと問われると否。絶対にハグとかの方が充実感を得られると思うんだけどなぁ……性交の方はしたことないので比べられはしないけど、僕はあれで全然満足できる。

ただ、寂しい気持ちが暴走し過ぎておかしくなってた時、もう誰でもいいやと思って友達にハグしてくれと頼んだんだけど、その時は相手の心臓の音が伝わってきて始めて「この人、生きてる」って気付いて、とてつもない罪悪感に襲われた。誰でもいいとか言って、他人を自分の寂しさを埋めるためだけの道具のように扱ってしまったことに対する罪悪感。多分これは"肉体だけの関係"の虚しさに通ずるものなのではないか。僕の場合、相手は本当に僕に付き合ってくれただけでWin-Winの関係ではなかったので、余計に。はぁ……思い出したらちょっと落ち込んできた。

 

ネジと呼ぶかクギと呼ぶかでまだ争ってるヘボペケ兄弟。
呼び方を変えたからと言って実態が変わる訳じゃなし、そんな言葉遊びに本来意味はない。占いなんかはその典型で、何型だろうが几帳面な人は几帳面だし、厄年だろうが何だろうがそんなこと知らなくても自分が幸せか不幸せかは判断できる。
ONE PIECE』に出てくる悪魔の実の名前だって、正直戦う身からすれば実の名前なんてどうでもいいはずなのよ。真に問題なのはどういう能力なのかであって、それにどんな名がついているかじゃあない。

ただ違うのは、ヘボットは"言霊"を重要視すること。人間がないはずの意味を見出すことにも価値を認めている。悪魔の実の例を使うなら、「ゴムゴムの実を食べたからゴム人間なんです」って言われても、本当だったら「ゴムゴムの実ってなんやねん」ってなるべきなんだけど、読者は何故だか"名前が付く"ことで説得力を感じてしまうのだから、やっぱり名前は重要なのだ。詳しくは河合隼雄ユング心理学入門』の冒頭を参照して欲しい。
僕風に噛み砕いて説明するなら前回も言ったように、微視的な人間に対しては1,2段階ほど後退してやれば、脳が面倒くさくなって勝手に納得してくれるのだ。その時によく使われるのが"言葉"。感覚的な納得をしてもらうこと(ドグマの提示)が難しいときは、間に様々な言葉を挟んで問題を棚上げしていけば、途中から何の話だったかも分かんなくなってもういいやとなる。そういう意味では貨幣みたいなものでもある。
ネジの哲学、自分的にはもう語り尽くしちゃったので次回書くネタあるかな……。。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

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