やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想

前回卿のまわりをちょろちょろしてたパジャマのネジルとサスペンダーのネジルがいきなし対消滅。次の階層って何だ? オールディスは「フィーネが起動されれば次の周回はない」って言ってたけど……階層にも順番があるのか? これまでの中で"次の階層"というワードが出てきたのは唯一ネジキール卿のセリフだけ。ヘボットからネジを奪って「次の階層で使わせてもらう」と。でもこの場合は彼が次に行くところという意味であって、階層自体に前後関係があることにはならない。でもマンドライバーが「アンチネジ軍がこんな階層まで」って言ってるから、深度みたいなものはあるのかもしれない。

監督曰く「セーブデータ」らしいけど、ここがイマイチピンときてない。僕がそもそもゲームやる方じゃないってのもあるかな。最初にイメージしたのは、1つのゲームを複数人で共有する際に、それぞれセーブデータをつくるようなの。全く別のソフトで他人がプレイしているのもこれとほぼ同じで、この場合データに順序はなくすべて並列だと言える。順番がある前提で考えて思いつくのは、ホラーゲームとかでありがちな複数セーブ機能。あれは確かに階層構造と言われてもなんとなく理解できる見た目と機能をしている。ただ多くの場合その使い方は、正しいルートを選択するために間違えたときに戻れるポイントとする栞のようなもの(第一章,第二章,第三章……それぞれに戻れるよう挟んでおく)で、それらのセーブデータを同時かつ分岐的に進めるような例は寡聞にして知らない。というか、そういう使い方をした時点でそれぞれのデータの価値は並列なものになって、階層構造とは言えなくなる。うーむ、分かる方いたら教えてください。

「ゼロの望み」というのは、あくまで対立していることからヴィーテが曲解したもの……という理解でいいのかな? そもそも彼は何を考えてるんだろうね。どうして"あんなネジ"(多分次元ネジ)を助けたのか。ネジルは基本空っぽなイメージがあるので、やはり何かに対する恩返しとして助けたのかな。或いは、生来の豊かな心で受け入れたのか。
また、今回は偶数話にも関わらず次元ネジが締める向き(時計回り)に回転している。奇数で締めて偶数で緩めてるのでは? という予想に使ったサンプルは、全50話ある中のたかだか5つなので、普通にそれが間違ってたという可能性もあるけれど、スゴスゴインダーネジが出てきたりとか色々あったし、次元院の意見も変わって4クールに収めるくらいの勢いで次元ネジを締めつつあるのかもしれない。ネジルが溢れてくるというのも「次元ネジを締めているはずなのにこんな不測の事態が!? 姫様どうすれば……」みたいな話なのかも。

 

本人たちももう何が起こってもおかしくないと思ってるのか、撮った覚えのない映画に自分たちが出演してることになんの疑問も抱かないヘボネジコンビ。そういう台本ってだけかもしれないけど、気持ち的にはまさに「劇場版ヘボット! って、ナニそれ?」だよね。ちなみにタイトルコールが5話ともまた違う特別仕様。ところでトゥル子って誰だーれ?
しかも見てみたらとんでもない駄作だったらしい。そりゃ怒っても仕方ない。チギルが代役だったので、ヘボネジも純正ヘボットとねじるとか、それっぽいやつが代わりに撮影してたのかもだけど。
僕も昔は、それこそヘボットと同時期に放送されてたエグゼイドのことをこんな風にボロクソ言ってたなぁ、懐かしい。今でこそ同じPと脚本の『ゼロワン』を見たことで、あの頃は僕の見方にも問題があったなと思うけど。1クール目くらいまでは楽しんでたんだけど、一度ガッカリしてからというもの見る目がかなり厳しくなってしまって、最後の方はもはや叩けるところ全てを叩こうというような感じになっていたような気がする。たまたま同じ意見の方と知り合ったりして、ある意味みんなで盛り上がっているような側面もあった。「誰だか知らんキャラがいきなりつらい過去話語ってお涙頂戴」とか、心当たりがあり過ぎて。
見方が変われば世界が変わる。否定しようと思えば何でもできるし、逆に褒めようと思えばできないことはない。物事の結論なんてものは、どの時点で思考をやめるかってことに過ぎない。偶然で事態が解決するなんてのも有り得ないとも思ってたけど、作中の意識では偶然の出来事だったとしても、作者の意図や無意識に目を向ければちゃんと意味があったりするものなのよね。。
「この良さ/悪さが分からないなんて」と馬鹿にし合うのも水掛け論にしかならないので不毛。どうしてそう思うのかってところを詰めないと意味がない。

ケンカに発展する2人を映画の中に引き込んでしまう映神様ことバッティとプルート。『君の名は。』よろしく入れ替わってるー!?
(参考:三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想)

何気にヘジルの父がオールディスというのは重要なのでは。一瞬彼と土星ババァの間にできたのがネジルなのかと思ったけど、ネボットにとってお婆ちゃんということは違うのか? いやでもヘボットにネジ魂を与えて生み出した親はネジルだとするなら、辻褄は合うかも。オールディスが赤ちゃんのネジルを抱えてるシーンが後で出てきたはずだけど、だとしたら本当にパパンじゃん。ヴィーテからしたら嫉妬もんだろうけど……恋仲というよりはフィーネに対抗する切り札を生み出すためにって感じなのかな。
ネボットいいなぁ。僕も女性の体ってものを体験してみたい。別に今の性別に不満がある訳じゃ全然ないんだけど、この一生では味わえないのだと思ったら逆に気になるじゃない。

 

ネジ挿す度にヘボット化が進むと言うけども、ネジに対する執着心と表現したら割といつものネジルじゃあない? ヘボットはそんなにネジネジ言ってるイメージない。スゴスゴインダーネジくらいだろうか、積極的に挿したがってたのは。相手の立場になってみることは何事でも大切なので(お前が言うな)、タンクトップ仮面もあえてネジを挿せと言ってたのかな。
ネジ魂が抜けたらバラバラになってしまうことからも分かる通りヘボットはネジルとの絆ありきの存在なので、ネボットの方はある程度記憶を保ってられるんだけど(同様にヘボットは最初からあたかも記憶を先取りしてるかのようにネジルが好き)、ネジルの方はヘボットから好意を向けられなければ空っぽのままなので、ヘジルはネボットと会わないでいるだけでみるみる記憶が消えていく……悲しいなぁ。


フィーネの差金か、ナグリを襲うマンドライバー。どこまでアテになるかは分からないけど、彼のヘボットを奪った相手と言えば普通に考えたらボキャ美なので、そう見えているのだろうか。兄についての記憶は信用ならないらしいので。でもこれもあんまりピンとこないので違うのかな。
ナグリが言ってた「やっぱり暴走」というのはマッピラジャや10号のことを言ってるのかな。完全にギャグキャラと化しつつあるマンドラのロールって一体……というか、ネジルとしてのロールを逸脱した結果としてマンドライバーという実質的に別の存在になったんだろうけど、ジョブチェンジ後も結局新たなロールを当てはめられてしまうのか。必要とされるのは嬉しいことではあるけど、裏を返せば息苦しくもあるな。

いつも通り無茶苦茶ハチャメチャなネボットパートに比べて、ヘイミの尻尾を除けばほとんど現実に近く大人しいのがヘジルパートの特徴よね。ヘボットとネジルがそれぞれ虚構と現実,ギャグとシリアスの象徴で、その2人が出会うことで初めて今のヘボットが出来上がる……? 平穏な日々を送るネジルは奇想天外な世界を、カオスな日々を送るヘボットは落ち着いた世界を夢に見て、求め合う。
卒業後の進路というのもなかなか意味深。ヘボットという番組が終わって卒業したあと、彼らキャラクターは一体どこへ行きどう生きるのか。そもそもその後なんてあるのか。実際に終わってみるまでは想像がつかないものよね。死後の世界とおんなじだ。
ヘイミはネジルとヘボットの三角関係でいくと、ちびヴィーテのポジションに当たるのかな、今回限りの役どころではあるけど。というかトゥル子がデリートされた今でも子孫たる彼女がちゃんとヘボネジのそばにいて見守ってるのエモいな。途中まで再会を劇的にするためなのか、抵抗してたけど。
ネボットがヘボットに対する思いを吐露するシーン、かなり本気で泣きそうになる。しかもこの時に出てくるのがニコニコネジ! これ、僕が初めて手に入れたボキャネジなんですよ。実際は全プレじゃなくてブラインドの食玩なので、狙って手に入れるのは結構難しいんだけど。ボク様の運命のネジ、間違いない。新宿で上映会やった時ももちろん持って行った、映画館で貰えるという設定だもの。当然だよね。

 

ロングロングアゴー(じゃないけど)ファイター2!
フィーネvsプルート&バッティ! ファイッ!
たまにド迫力のバトル見せてくるのでびっくらぽんするよね。はたと立ち止まって考えてみると、このバッティたちのやりとりってまさにさっきヘボットが言ってた「誰だか知らんキャラがいきなりつらい過去話語ってお涙頂戴」に当てはまると思うんだけど(だってバッティなんて本人として出てきたのほんの3,4シーンよ)、何故かこれまたぐっと来ちゃうのよね……。いつものギャグとのギャップのなせるわざ? それとも「実はこれまでもずっと介入してました」という設定の妙?
「次元ネジなんて助けず壊しちゃえばいい(意訳)」って言ってたし、元はFate/staynightのアーチャーみたいなことをしてたのかな。どっちかといえばバッティよりはデッカードだけど。生命反応がないはずなのにいる(?)ネジルゼロ一行に出会い、救われたらしい。一人ぼっちの虚しさに襲われてるときに殺す対象として検知されない人が現れたら、確かに嬉しいかもしれない。

ネボットの思いを受け取り、全てを思い出したヘボット。
ネジルとヘボットは、ネジルがヘボットでヘボットがネジル。互いに同じ存在だと認識すると対消滅してしまうので、形は変わっているけれど、実質的にはダブり王子。
どっちが先でも、どっちが後でもない。ヘボットのネジルを思う気持ちがネジルがヘボットを思う気持ちを生み出して、その気持ちがネジ魂となってヘボットを生み出し、ネジルへの好意をインプットする。
この循環、或いは共依存関係によって、2人の存在は絶対的なものとなる。
ヘボット世界におけるマカロニは基本意味のない存在なんだけど(少なくとも今はそういうことにする)、それが"天王星の椅子"と組み合わさることであたかも「意味があった」かのように錯覚するのよね。実際はあれもこれまで通り何かの代わりに置いてあるだけなんだけど、これまで出てきたマカロニにすべて目的があったかのような感覚に襲われる。トゥル子だって、基本は出てきて自己紹介して「あなたは?」と問いかけるだけで、見返してみても何か大義に繋がっていそうなことって最終回を回避したことくらいなんだけれど、なんでか「これまで出てきてたのはそういう……」と納得してしまう。
人は、何かと何かが頭の中で繋がった時に、その間に意味を見出すのだ。
ネジと、ネジ穴。単体ではつまらないものかもしれないけど、この2つが出会うことで「ネジはネジ穴に入るために、ネジ穴はネジを入れるためにあったのか!」というアハ体験が生まれる。じゃあその出会いに意味はあったのかと考えると、次はネジによってつくられる商品という概念とくっつく。「これをつくるためにネジをしめたのか!」。言語というシステムは、根本的にそのような循環を孕んでいる。言葉の意味を説明するために言葉が使われている以上、どこかで必ずぐるぐる回る。そのループが巨大過ぎて、人間には違和感を感じることがほとんどできないけれど。
ムラキの発狂の原因は巨視的視点に立ったことだという話は前にした(ヘボット! 18話「ネジル、学校に行く」 感想)。裏を返せば近視眼的に、そういう小さな繋がりに感動する心を失わなければ、本当は無意味なことも色彩豊かに輝いて見える。

あれー? なんでおいどん生きてるの? そんなこと気にしなくたってイインダヨ〜。

 

 

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ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想