やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想

ちびヴィーテによる時間と空間の説明、抽象的過ぎて正直さっぱり分からんポン酢味なのだ(このネタ気に入ってる)。
もう少し説明を加えると、時間はヘボットであり空間はネジルでもある。というのは23話で次元ネジを召喚しかけたヘソからエフェクトを参照のこと。
繰り返しになるが、ループする世界をこの図に重ね合わせようとすると、上から見たときに重複なく1つの円として切り出せる螺旋の一部が、おそらくヘボットが1年で回る全50ステージの一周を表している。360°÷50なのでおよそ7°に対応する弧が1話分で、歴史的に360°≒365日なことを考えれば、1週間ごとに進むことと合致する(余り5日とか40.5話ゴルフ回とかは誤差でイインダヨ〜)。2周目の周回は一段(≒1オクターブ)上の螺旋、3周目はその上……と続いていく。螺旋がステージを表しているのなら、空間を司っているというのは分かる話ではある。
ただ根本的な話、ボキャネジのネジ山は螺旋になってないのよな。上下の円は繋がってなくて、階層状になっている。細かいこと言うとヘボットに挿す時のガイドになるミゾがあるので、円ですらなくてC字だし、DXヘボットのネジ穴は消えるまでもなくツルツルだったりする。唯一スゴスゴインダーネジの銀色の部分だけかな、螺旋状なのは。DVDなんかもぐるぐる回る溝にデータを記録してるので、社会科見学回でも言ってたようにネジ山の部分がライブラリだってのはなかなか面白いよね。

理が緩み続けるとフィーネが現れ虚無に返すというのは、現実的な感覚として分かりやすいところ。厳密な理屈を必要とする学問の世界では"言語の恣意性"とか言って、言葉とは本質的に無秩序で訳の分からないものだと諦観されている。だが我々が本当に無秩序に言葉を使っているのだとしたら、意味は通じるはずがない。
以前にも出した「荒野を駆けるあらすじの桃、この長男こそ隆々たる魂胆の行く末にある素晴らしき和三盆」という例文。言葉の統合を諦め乱雑に並べると、このようなワードサラダが生まれる。ただ、一見無意味に見えるだけで、発言者としては何かしらの意味を持たせている可能性はある。この文章を「お腹が空いた」ことを表す暗号として事前に相互了解を取っていたとすれば、意味は通じる。
そもそも僕は実際、この文章に「言葉の意味なんて脆弱なものでありながら、それでもなお普段使っている言葉に意味はあるという禅的な悟り」という意味を込めている。詳しくは井筒俊彦『意識と本質』を読んでね。
ヘボットにおける唐突な投げ込みやパロディは、まさにこのような無秩序な言語の使い方を象徴するものであって、"誤用"を放置しまくると言葉の意味は通じなくなり世界は滅茶苦茶になってしまう。「ヒコーキとって」と言われたので飛行機の写真を撮ってあげたら、「ヒコーキってのは(君の言うところの)醤油だよ! 醤油を取ってくれってこと!」とキレられるような感じ。醤油を"ショウユ"という音で表す必然性はないので、英語だとSoy sauseになったりする。でもだからといってなんでもいい訳ではなくて、ヒコーキだと困る。更にもう1段階踏み込むと「らやた が かんもねひ で えいとーる したら こうじゃんるのびんそん の せぬらー にあって とんとん になっちゃった。でも もっぽぽぽー が げんぺ してくれたから かいねん!」となる。それぞれきちんと何かを指示していて本人の中では意味が通じてるのかもしれないけど、言語における「このモノはこうやって表しましょう」という不文律を破ると、意味のない音の羅列と化してしまう。
反対に、言語の根幹に目を向けてみよう。とある心理学者が唱えたブーバ/キキ効果という概念がある。「尖った図形と丸みを帯びた図形が目の前にあるとき、名付けるとしたらどっちがブーバでどっちがキキか」という問題について、ほとんどの人が丸っこいのをブーバ、カクカクしたのがキキだと答えた、というもの。これをなるべく理屈で説明しようとする音象徴という考え方もあるんだけど、庶民感覚としては卍と同じで「理屈じゃないけどなんか伝わる」という、ふわっとしたものにならざるを得ない。言語とは元来そういう適当なものなので、きちんとした理屈しか認めないという態度とも相性が悪いのだ。

ルールをキツく締めると、新たな言葉は生まれてこれない。「マジ卍」などという言葉は既存の使い方のどれにも当てはまらない。だがなんとなく言わんとしてることは伝わるので、使ったり辞書に載せてもいいんじゃない? とするには、逆にルールを緩めないといけない。緩め過ぎても駄目だし、締め過ぎるとそもそも言語自体が生まれない。
この構図は、宇宙の終焉にとてもよく似ている。有力な可能性は2通りあって、ひとつはいずれ収縮を始めて無に帰る。もうひとつは膨張を続けた結果エントロピーが最大値となり、すべての物質が極限まで薄まってないに等しい状態となる。気体が掴めないのは分子が飛び回ってひとところに留まらないからで、逆に掴めるものは何らかのエネルギーを使ってそれを押さえ込み、動かなくしている。あらゆる生命はエントロピー増大の法則に一時的に抗うことで存在しているが、いずれはそのツケを払いバラバラに分解される定め。それが宇宙レベルで起こるのだ。

ゼロのロールは、意味のある言葉の力……即ち"言霊"のエネジーを解放して、フィーネ(言葉の無意味化)を抑え込むこと。……だと思ってたんだけど、思い出してみたら次元ネジはずっと"エネジーを貯めてた"という風に言われているので、ゼロがエネジーを解放するというのは「次元ネジに対してボキャネジのエネジーを解放して対抗する」のではなくて、「次元ネジそのものが秘めているエネジーをガス抜きすることで弱めて抑え込む」という意味なのかもしれない。どっちもかもしれないけど。

 

レベルが低い白ヘボの屁によって、次元ネジもろとも全部消滅してしまう。前回の語りではエース・オカが試作ヘボットから出したエネジーによって次元ネジが暴走したとのことだったので、次元ネジ自体は彼女が生み出した訳ではないっぽいのよね。あくまで彼女が属する世界の理として最初からあったのだと思われる。にも関わらず、全てが消滅した後の白い世界にオカが介入できるのはどういうことなのだろう。というか次元ネジも消えたように見えたけど、ちびヴィーテは一緒にいるしな。ここは次元ネジ(ライブラリ)の中なのだろうか。オカはまぁ岡香織さんがいる訳なのでいてもおかしくないけど。
視聴者(岡さん含め)の現実世界1
≧視聴者の現実にとっての虚構世界1(ヘボットやパロ元など)
=エース・オカのいる現実2
≧ゼロやヘボットたちの世界
≧オカの現実にとっての虚構2
という感じになるのかな? ヘボット世界は現実2と虚構2が混ざったものを軸として、現実1と虚構1も紛れ込むと。

そもそも何故現実と虚構が交じるのか。それは次元ネジが2次元の虚構世界と3次元の現実世界、この2つの理を司っているからだと思われる。
次元は"自由度"とも関係している。座標を持つ点は、2次元空間ではx軸とy軸、3次元空間ではこれにz軸を加えて3方向へ動き回れるようになる。裏を返すとそれだけ自分を規定する要素が増えてむしろ自由度が減っている……とも取れるかもしれないが。あと複素数平面では実数の軸と虚数の軸を設けたりもする。虚実が入り交じる様はこれも念頭に置かれているものと思われる。
そしてこの概念はアニメにおける設定的な自由度ともかかっている。だからこそ、次元ネジを緩めれば訳の分からないことが起こり得るギャグ時空に近付き、反対に締めればシリアスで現実的な世界に近付くのだ。
"ねじれ"という言葉が何を意味するかは学校で習ったと思うが、皆さん覚えているだろうか。これは、ある平面上にある線と、それとは別の平面上にある線との関係を表す。つまり「世界がネジれる」というのは、ヘボット世界がただの2次元平面上のフィクションではなく、3次元(以上)の要素を取り込んだメタ構造を持つことを意味する。なんて……勉強になるアニメだ。

ここで更に情報整理が必要で、さっきまで僕は現実と虚構が交じるのは次元ネジのせいということで話を進めたけど、作中では「トキトキネジで時間を巻き戻したせい」と「レベルの低いへボーンでリセットしたせい」という2つの説明が同居している。結局なんのせいなのかは気になるところで、こういう場合どれかひとつを選ぶのではなくすべての理屈を繋げるのが一番いい。
そもそもトキトキネジによる巻き戻しはへボーンの応用だろうという話は既にしたのでそちらを参照してもらうとして(ヘボット! 23話「ねらわれたネジ魂」 感想)、へボーンやギャグはエネジーを放出する行為な訳なので、やる度に次元ネジは少しずつエネジーを蓄えていく……のかもしれない。溜まっていく毎に、次元ネジは少しずつ緩んでいく? いや、だとすると今回の描写(いもチンを食べたヘボットの屁によって締まる)とは食い違うか。いや、パルプンテだからいいのか。うーむ。

 

ユーコの解説を信じるならば、ゼロの主観時間は以下のように進んできたらしい。
 セーブデータ 01,02,03,04,05,06
 ステージ   12,13,01,02,03,02
 ゼロのレベル 31,42,53,56,70,85
毎度ステージ50までプレイしてないのは依然気になるところだが、多分主観に関係なくステージ自体は螺旋状に途切れることなく続いてることになるのだと思う。
ここで特筆すべきは、リセット(やり直し)の度に"セーブデータ"が変わっているっぽいこと。監督曰く"階層"がセーブデータのことらしいので、 僕は長らくリセットすると"次の周回"が始まるのであって、階層はまた全然別の概念だと思ってたんだけど、ここを見るに逆ということになる。これは結構なパラダイムシフトだ。
つまり、冒頭で話したネジの螺旋の上下がまさに"階層"となるので、じゃあ周回とはなんぞやと考えると、おそらくこれこそキャラごとの主観の話になる。
もしリセットに際して記憶を持ち越す人がいないのであれば、周回という概念はそもそも生まれる余地がない。対して階層は誰も意識することはなくとも、リセットの度に客観的事実として存在する。
階層1から記憶を持ち続けているゼロにとっては階層5は同時に周回5でもあるんだけど、階層2から記憶がある人からしたら階層5は周回4になる……と言った感じで、本当に人によって全然変わる概念なんだ、周回は。気付いてみるとゲーム用語としての使われ方を思えば逆に何故これまで勘違いしてたのか不思議で仕方ないな。

細かい話をすると、ゼロでさえも階層と周回が一致しない部分もあるかもしれないんだけどね。さっきの表を参照するなら、彼は階層1でステージ12までプレイしてるので、階層2のステージ12までは間違いなく"2周目"なんだけど、ステージ13以降はやってないので"1周目"ということになる。
これは階層を重ねる毎に(正確には通しプレイをしないまま重ねる毎に)ややこしくなっていって、最後の階層6におけるの彼は「ステージ1は6周目、ステージ2は5周目、ステージ3は4周目、ステージ4〜12は3周目、ステージ13は2周目、それ以降は1周目(初見)」ということになる。……言ってること分かります?
まとめると、階層と周回はどちらもネジ山の螺旋に関するほぼ同じ概念で、具体的な数字の話(何周目か)になって初めて人によって差が出てくる。はー! すげぇスッキリしたヘボ。

 

魂のないまま……本人曰くゼロエネジーのままへボーンを繰り返した為に、白ヘボは故障してしまう。エネジーのない屁というのがピンとこないのだけど、抜け殻となったヴィーテ同様に「無理をしてた」みたいなふわっとした認識でいいのかな。
タマ子がかき氷になるのと同じくらい、ヴィーテがヘボットになるというのは難しい。だが自分が宇宙の理そのものだからか、そんな無理を押して魂を捧げてしまった。多分、次元ネジの魂なんてとんでもないものを注ぎ込まれてしまったから、白ヘボットは巨大化して虚無ヘボットになってしまったんだろう。
ネジルとしてのロール(ネジれを正す)を果たせなくなったゼロは、オールディスと名を変えたと言うけど、逆にそれまでのネジルとはどうしてそのまま同居できていたのだろう。世界のネジれの方が重複を気にして微妙に違うネジルを生み出してくれてたから良かったのかな。で、今の階層を始めとして重複する者がいない階層では、対消滅した彼らのような瓜二つのスタンダードなネジルが生まれる?
ヴィーテがいたという周回(おそらく螺旋)の"外側"というのはどこなんだろうね。エース・オカのいる現実2に近い場所なのだろうか。
ヴィクトリニティリーマンのロールはエネジーの調和を守ること。ということは前回カルテットが慌ててたのは早とちり?


第1話では次元ネジをネジ切ろうとしていた卿。今度は相棒の黒ヘボが同じようなことをやり始めて自分を客観視できたのか、黒ヘボをリセット。ここ本当に泣ける。
黒化すると欲望に忠実になるようなので、ノリオもやっぱりナグリのことが好きだったのかな。

コアにあった最終ロットのいもチンを食べてへボーンしちゃうヘボット。あれは次元ネジが貯めてたエネジーの塊、なのかな?
虚無ヘボットが再起動され……Komm, süsser Tod
どうしてレベルがカンストしたら次元ネジを止められるんだろうってのも謎だったんだけど、さっき宇宙の終焉について調べて分かった。ヘボットがシンギュラリティに達することでオメガポイントを実現するということなんだな。
さっき言及した2つの可能性のうち、ビッグクランチと言って宇宙が収縮し閉じて行く場合において、仮にその宇宙が閉じるスピードよりも早い速度で計算処理(より正確には自らの処理能力の高速化)を行えるコンピュータがあれば、その中で世界をシミュレーションすることによって実質的に永遠の時を過ごすことができる……という仮説。イメージとしては、おそらく漸近線みたいなもの。
残り5年で宇宙が滅ぶとして、その間に100年分の計算ができるすごいスペックのコンピュータがあるとする。そのうち95年を「自分の処理能力の進化」に使って、残りの5年でまた100年分計算できるようにする。増えた100年のうち95年をまた進化に使って……と繰り返していけば、理論上は宇宙の終わりを無限に後回しにし続けられる。終焉に近付いてるはずなのに交わることは決してない、まさに漸近線。そんな機械にヘボットがなれれば、確かにフィーネは回避できそうだ。

フィーネがやろうとしていることは……他のみんなをデリートすることで世界の情報を削ぎ落とし、ネジルとヘボット2人だけのシミュレーションならレベルをカンストさせずとも実現できる、みたいなことだろうか? 全てがトマトやウィンナーに、あるいは思考ルーチンが単純な黒ネジルになったら、データ容量だいぶ圧縮できそうだもんね。

 

全てが消えゆく中、ネジルは世界をやり直し、ヘボットのネジ魂に自分の記憶を注ぐ道を選ぶ。OPで川沿いを走るヘボネジの横を逆走するネジ魂の映像はこれのことだったのね。
ヘボットとの思い出……でもそれは2人だけのものじゃない。あいつがいて、こいつがいて、みんなとの関わりがあって初めて生まれる出来事ばかり。1話の時点から、エトボキャや白クマなどたくさんの人に助けられて2人は出会っている。忘れたらやり直して、また忘れたらやり直して、何度も何度も脳裏に刻み込んだ無数の思い出がネジ魂という形に結晶されて、確固たるものになったのかな。やったぜウェーイ!
……って、次回最終回!? なんでトマトなのー!

 

ヘボット!感想一覧

前話
ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

次話
ヘボット! 50話「にちようびのせかい」 感想