やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

リーガル・ハイ 第6話「DV? 二股? 流血の離婚裁判 刺客は元妻」 感想

キャラクター

 古美門研介
・前回辰巳から"嫁も子供も持たない"という話をされた直後での圭子・シュナイダーだったので、今回も古美門回かと思ってたらそこまででもなかった。家庭を持つことは自らの身(将来)を案じることに繋がるような描き方だったので、古美門にもそういう時期があり、そこから何かがあって変化したというところまで描くものだとばかり。
あ、いや違うか? 今回圭子の思惑を読みわざとそれに乗ったのだとすると、いつもの刹那的なそれ(浪費癖や我が身を顧みない戦法)とは違う長期的な視点を持ったものだ。これが単に圭子といるとそうなるという話なのか、あるいは"長期的視点に立った上で刹那的に生きている"ということなのか……僕としては後者推しなんだけど、どうだろう。

 

 黛真知子
・「勝利のみがすべてではない。私が理想とする弁護士像を圭子さんに見た気がします」
勝利……つまり"クライアントが思う理想の状態"ではなく、あくまで"私が思うクライアントにとって理想の状態"に導くという、古美門風に言えば"神"の如き上から目線の発想だ。リベラルとパターナルの話でもある。本人の自由意志を尊重し自己責任で放任的な古美門と、時には本人の意思を曲げてでも介入し保護してあげようとする黛。限定合理性を考慮すれば確かに自己責任論ですべてを片付けるのは冷たい気がするが、根本的な問題点として、ではそのパターナルな対応をしてあげる者(ここで言えば黛)もまた限定合理的な存在であるということにある。
上から目線ではなく、対等な"選択の責任の肩代わり"と捉えれば自己犠牲的でいいかもしれないが……それだけの覚悟が黛にあるのだろうか?

 

 圭子・シュナイダー
・「構いませんよ。ホーム&アウェーで」
よくよく考えてみると、圭子にとっての"ホーム"ってどこなんだ? 今は当然アメリカな訳で、言うならどちらもアウェーだろう、三木法律事務所には所属してただろうからそういうことかもしれないけど、古美門と結婚してたならあの家に住んでたことがあったとしてもおかしくはない。どちらもアウェーかどちらもホームに見える。……あ、共有財産を持たなかったって言ってたから、住居は別だったんだろうか? でも寝相が云々って言ってたしな。
・「あなたは私のようにはなれない……なる必要もない」
この言葉の意図も計りかねていたんだけれど、もしかして圭子は黛ほど押し付けがましい感じではなく、「クライアントの直接的な要求が最良とは限らないと知った上で、裁判というゲーム(敢えてこう書く)の勝敗に最終的な結論を委ねている」? 判決に委ねると言うとそれでは裁判官にたらい回ししているだけなので、パワーゲーム的な捉え方とした方がしっくりきた。

 


構成

・「権威付けられたものだけを有難がるその節操のなさが愚民なのだ」
全体的には長期と短期の視点を対比しているように見えた。そしてそれは以前からも何度か扱っている社会対個人みたいなものにもイメージ的に繋がってくる。もっと言えば、平成ライダーが描いてきた安定と変化にも。まぁ、政治的な表現をすれば保守と革命ってことになるだろうし、かなり一般性のある議題であることは間違いないんだけど。
・「分かりあうのに言葉はいらない。ただ、味わい深いコーヒーがあればいい」
コーヒー……カフェインも、酒と同様"合法ドラッグ"と言えるだろう。そして今回古美門と圭子が分かり合う手段として使われたのは黛だった……。なんとなく示唆的だけど、まだハッキリとは掴みきれていない。

 


これまでで一番見返した。骨格がなかなか掴めず、4回目でやっと見えた。でもこうしてちゃんと見返せばちゃんとした答えが帰ってくるってのは嬉しいね。視聴し甲斐がある。