やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

「男性VS女性」の構図が表すもの/平山亮さんのインタビューを読んだ感想

wezz-y.com

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本記事はこの記事の感想です。紹介されている著書は未読。またジェンダー云々も最近考え始めたばかりなので、世論がどうなっているのかみたいな予備知識にも乏しい。
あ、記事を読んでる前提で話すので、ここでの引用や説明は最低限にします。


まず最初のページでは、まぁ大雑把に言えば「男の生きづらさは女性に比べればマシ」ということが論じられている。
文を"俯瞰して"見てみると、問題の根源は結局のところ「男性」ではなく「社会」にあることが分かる。『世間の非難』や『社会全体で見たときに』というところがそれに当たる。これについては後で触れます。


2ページ目で扱われているのは、「わからない」は男性の特権であるが故に男性優位なのだというロジックなんだけれども、ここがすげー腹立つ。主観的に!
章題にあるような「聞く耳を持たない」とか、「本当は分かってるのに認めない」のは確かに僕もなんとかしようと思うところではあるけど、「聞いてみたけど分からない」のは誰も悪くないだろ。
「女性の主張は"正常な"理解力があれば理解できてしかるべき"正しい"ものである」という隠れた前提があるように感じる。
だいたい、僕は女性フェミニスト(自称)の方と男性フェミニスト(自称)の方が話の中で互いに「分からない」と仰ってることとか見かけたことあるけど、これとは何が違うんですかね。互いに「どうやったら伝わるんだろう」とか試行錯誤しないで「勝手に理解しろ」って言ったって何も始まらないでしょう。それができるならすれ違いなんか最初から起こらないと思うんですけど。
ねぇ、流石にこれは傲慢すぎやしませんかね。
しかも、そもそもの発端である「知ってもらうにはどうすればいいか?」と言ったのは"女性全体"ではなくてあくまでただの"いちインタビュアー"なのに、それを男性と女性の話に広げちゃってさ。笑えるんだけど。

当初の「感覚的活動」についてに話を絞るなら、僕もある程度は"正しい"と感じるので、さっきの隠れた前提に同意できないでもないが、とてもそうは見えず、もっと広い範囲について喋っているようにしか見えなかった。あ、これも主観ね。

 

3ページ目の後半では、これもまた大雑把に要約すると、「男性の言う"社会"(1ページ目について言ったもの)とは結局のところ自分の周りの人のことであり、現状を変える努力をしないことを互いに免罪し合っているだけ」というようなことを言っている。
しかし、2つ目の記事では女性が「自発的」にジェンダーに従って動くことについて、よく"空気"と呼ばれているようなものを根拠に"免罪"しようとしているんだよね。
空気というのは先にも言った"社会"と通ずるものがある。
女性が空気に流されてしまうのは仕方ないけど男性はいけないというのはどう考えたってただの差別だろ。
まぁ、多分前提として"男女不平等"があるから、男性を軽く差別することでイーブンにしようって話なんだろうけど、おかしな話だよな。


同じところで「自分の意思とは関係なく持ってしまう権力」という概念についても触れられてるんだけど、これも究極"差別"だと思う。
ここで重要なのは、"権力"というのは周りの状況(空気)が与えるものだってこと。
だって、体がでかい人は一人で存在しているだけならただの体がでかい人なのよ。その特徴を見て萎縮する相手がいなければ権力(従わせる力)という概念は発生しない。そして萎縮するのは、「怒ると人は暴力を振るうものである」「体が大きければ力も強く、暴力を振るわれた場合のリスクが大きい」などという偏見・先入観を組み合わせて被害を妄想(予想)するからだ。そしてそれは、当人と実際に関わってみて、本当に自分に危害を加える危険があるのかよく吟味しない観察者側の"怠慢"に他ならない。非合理なヒューリスティクスの甘い汁を啜って勝手に恐怖しておいて、そのうえ責任を相手になすりつけるとか、当たり屋の所業にそっくりだ。

自分を見る人間がどんな偏見を持っているかなど、神でもない個人に分かるはずがない。
それに配慮することを仮に義務とするならば、今度は萎縮していた側が様々な妄想を駆使し他の自由を縛り付けることが可能になる。意識的にか無意識的にかは別として。
そしてその"妄想"による配慮強制権も"権力"という概念に取り込むことで、堂々巡りになる。

まぁこんなのは極論中の極論であって、本当にそんな風になるなんて別に思ってないけど、この権力論が"正しい"とされてしまうことにはやっぱり違和感がある。


3ページ目の最後にて、自分の言動を外部のせいにするか内部のせいにするかという話題があるんだけど、これに答えなんてないと思うのよ。
外部と内部を分けることなんてできるのかね。人って、外部を取り入れて内部をつくり、その内部を外部に発信することで外部を変えることもある生き物じゃん。
相補的なものであって、独立しているものではないでしょ。


自由や平等なんてのは理想であり仮想。現実的な落としどころとしてはやっぱりアサーティブネスな、均衡的で止揚的な考え方だと思う。詳しくは過去記事にて。

アンチと呼ばれる自分の心理

エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

「外部と内部」だとか「男性と女性」だとか、そういうデジタルなものの見方をしていたら摩擦は大きくなる一方では?

ただ、それが悪いことだとも思わない。ヒューリスティクスの有用性は認めるところではある。「体がでかいから怖い」という感情を以てすばやく自分の行動を選択するのは自由だろう。でも、他人の行動まで選択する(配慮させる)のはどうなの。
もちろん「配慮して欲しいと言い続ける」のは勝手にすりゃいいけど、実際に配慮するかどうかはあくまで相手側の"自由"として認めなくちゃいけないんじゃないのか?

ついでに言うなら、「わたくしごととして捉えてほしい、切り離さないで欲しい」というのであれば、自分こそ同じ人間として、男女に分けて他人に責任転嫁せず自分ごととして男性を説得してはどうか。僕はそんなこと主張してないので相変わらず他人事ですけどね。

86ma.hatenablog.com

 

人間はさ、例えば生まれてきたこととか、いつか死ぬこととか、そういう不自由はどうしても抱えてるのよ。病気になることがあるっていう体の仕様もそうだし、生まれてきたときにこんな社会だったこともそう。
でもその中でどうするかっていうのは、自由だよ。

例えば社会で"犯罪"とされてるからって物理的にできないなんてことはない。だから犯罪者はいなくならないし、完全犯罪だって成立しうる。
例えば「黙れ」って言われたからといって口が開かなくなる訳でもない。まぁ、緘黙や吃音みたいな心身症的なものはあるけどね。
突き詰めれば、「男性(自分の思う強者)に従ってリスク回避したい自分」と「男性(同)に逆らって自己実現したい自分」の"葛藤"を「男性VS女性」っていう構図に投影し外在化してるだけなんじゃないのか?
"自分の意思"はひとつとは限らない。僕だってこの記事内やブログ内で自己矛盾したこと書いてるし、でもそれらは全部僕の一部なんだよね。防衛機制の話をするなら、僕の態度なんかだいたいは知性化で説明が付く。

……記事を書き始めた時はこんなところまで突っ込んで書くつもりは全くなかったんだけどな。正直、ただ揚げ足取りをしてスッキリしたいなってぐらいの気持ちだったかもしれない。

 

日本語下手くそで何言ってるか分からない人がいて、しょっちゅう話しかけてくるんだけど不愉快だから無視してる。電車でくしゃみを手で覆ってからそのまま手すりを掴む人を見ると侮蔑的な感情を抱く。友達や家族と喧嘩したときは、「死ね」って思ったり言ったりすることもある。たまに殴り合ったり、一方的な暴力を振るうことも振るわれることもある。それについて反省して改善しようという自分と、開き直ってる自分がいる。自分の男性の体を受け入れてもいれば女性の体も体験してみたいという気持ちもある。男女その他問わず誰かと性的な行為をしてみたいと思ったことがなかったりする。
全部どうしようもなく事実で、だからどうだって話でもないんだけどさ。

 

なんかもう、これまでの記事でも何度か書いてるし、それこそ僕の中でジョーカー的な存在になってきているんだけど、なるようになるだろと。だから好きにすれば? 僕も好きにするからさ。自分を改善しようとする人は自分を改善したいと思った人なんだろうし、そうしなかった人はそうしたいと思わなかった人なんだろう。
僕は最近頭の体操程度の気持ちでこういう社会問題を考えてるのも、それが面白くて愉快だからそうしてるだけで、結論がいつもこういう虚無的ななんの生産性も意味もないようなものになってしまうのも僕なんだから仕方ない。虚無的であっても絶望的であっても、だからって自殺したり何もしなくなったりする訳でもなく、結構気まぐれに色んなものに手を出したりするのも僕だから仕方ない。

 

多数派でも少数派でも男性でも女性でもなく僕は僕。男性と呼ばれるような体はしているし一人称も"僕"だが、例えば大柄だったり筋力に優れていたりはしないし、だから男性と(あるいは女性でも)殴り合いになったら負ける可能性も十分に考えられるけど、結構生意気に生きてるよ。気に食わなかったら大人(をはじめとする相対的強者)に歯向かったりとかもしたことあるし、それで実際殴られたりとかしたこともあるけど、運良く生きてはいる。運悪く死んでたら、運が悪かったねって話だよね。

 

着地点が見えなくなってきた。このままじゃずーっとぐちぐち続きそうなのでここで終わらせておく。