やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

ディケイドに関するツイートやメモのまとめです。きちんとした記事を書くまでは時間がかかると思われるので置いときます。

 

 

クロスオーバーってそんな大袈裟に言うもんじゃなくて、要するに結局のところは"他者との関わり方"の話なんだよな。
世界観の違いは、宗教観の違いに見立てると分かりやすくなる。

例えばうちの両親は極端な因果論者で、「何か都合の悪いことが起こったのなら、必ず自分に原因(ミス)がある。でなければ都合が悪くなるはずがない」という世界観の持ち主だった。
人が風邪をひいたり熱を出したりすれば、「何か日頃の行いに過ちがあったのだ」と責める。仮に何も思い当たるフシがなければ、"前世での過ち"を原因とした。
まぁ、例えば手洗いうがいが不十分だったとか、そういうことを言うのであれば僕の世界でも通用する理屈なのだが、「つまみ食いをしたから」だとか「隠しごとをしたから」だとか言われるとよく分からん。
それらは確かによくないことだが、"悪い結果"から逆算して"悪行"という原因を妄想されると困る。

 

"世界"というのは、写真館のロールと同じで"背景"に過ぎない。ただ、背景とはルーツを示す言葉でもある。要するに「何故?」の答え。
自分の世界を否定されることは自分のルーツ(≒親)を否定されることと同じ。そしてルーツを否定されることは、自然と自分を否定されることにもなり得る。

あー! そういうことか! 超・電王の謎が解けた。

いや言うこと自体はさっき言ったのと同じなんだけど、世界の破壊者というのはだからそっくりそのまま背景の破壊者であって、そこに映る"キャラクター"からそれを切り離す役目があるのか。だから変身者も変わる。電王は「カイの未来という"ルーツ"が消えてもいるもんはいる」なので、謂わば既に自壊している。

ディケイドとディエンドについても解けそうでなかなか解けないんだよな。鳴滝が言ってたDecade(シリーズ10周年)とThe END(作品毎の完結性)が相容れないというところまでは分かるけど、"ディエンドが通りすがる"とは何なのかよく分からん。彼は通りすがりではあっても破壊者とは呼ばれなかった。

少なくとも劇中の描写を見る限りにおいては、「ディエンドが通りすがる=作品が完結する」ではないんだよな。まぁそれで言ったら「ディケイドが通りすがる=作品が繋がる」でもないか。あいつは通りすがらなくても存在するだけで繋げてしまう訳だから、旅行者と破壊者は別の役割か。


ただ、これは言っていいのか分からないけれど、"この世界"を背景に据えてしまえば、平成ライダーはもちろん全作品が成立するんだけどな。そうは問屋が卸してくれない。何故か。

FOREVERの話とも繋げよう。ルーツがないと基本的には存在を承認されないが、ルーツがあっても「自分はつくりもの(他に規定され依存する存在)なのか?」という意味で問題が出てくる。

こうなってしまうともうこれを突破できるのはトートロジーしかあり得ない。

その間を取った、"由緒正しきはみだしもの"こそが仮面ライダー
いや、意味分からんけど

クロスオーバーすることで設定に矛盾が生まれるというのは恥じることじゃない。他者のために自分を変えられる(天の道)のは美徳なんだと。一人でお堅くまとまるより、一緒にやろうぜって。そういう話ですよね、人間関係って。

とか言ってる僕は何かと閉じこもりがちですが。
「あなたに話しかけている訳ではありません。独り言です」って、何だよって話よな。言われてる側からすると。

「お前(矛盾するシーン)がいるからいけないんだ」と弾き出そうとする行為は閉鎖的で、ディスコミュニケーション。そこで「どうやら自分の設定(世界認識)は間違ってたらしい」と言えたら強い。

前にも言ったけど、現実を前にして「理論的におかしい」と言い続けるのは不毛極まりない。まぁ、そこでそいつを抹消しようとするのは行動的ではあるが。

 

ディケイドについて僕はかなり初期から"クウガの救済"だなんて決め付けていたけど、見終わってみてもそんな感じだった。あの世界で彼は自由に旅をして、ディケイドが片付けるから戦わなくても強くなくてもよくて、"いいこと"しないこともできるし、暴走だってできてしまう。すごく肩の力が抜けてた。

何より見てる僕が、「お前も頑張れ」という息苦しい圧力を感じなくて済んだ。


背景の破壊は、究極的にはディケイドから入った視聴者への配慮でもある。ルーツやエピソードを辿らなくてもいい、ただ存在するだけの存在として"仮面ライダー"を定着させる。そうすることで、より多くの人の記憶にライダーは生き続ける。「知らない人」から「(だいたい)知ってる人」になる。

 

「ヒーローのカタログ化が許せなかった」
1巻のつもりで手に取ったのが3巻だった

背景を壊してどこから見ても良くする
どっからでも(RE)PLAYしていいよ
それこそサザエさん
海東は秩序への不信感から泥棒をやっているが、別にそんなものなくても彼は泥棒として成立する(22話以前)
過去を持たない存在としての士

 

なんだけど、士は旅で仲間を得て、曲がりなりにも積み重ねてしまった。
だから滅びの現象?

 

背景を気にしない(いわゆる伏線放置にも近い)傾向は、特にカブトから
"背景"である脚本家の交代を問題にしないのと同じ、という意味では剣(ブレイド)から? 続く響鬼も背景がガラッと変わるが、"キャラクター"を守ることは最優先事項だった。
カブトでは天道が弱さを隠すために演じていた強さを本物に変えた。ワームの擬態も本人として受け入れられた。
桃太郎は桃から生まれた。では桃はどこからきた?
浦島太郎も、釣り人なのか漁師なのか知らんがそこそこの年数積み重ねてきた背景があったはずだが、龍宮城エピソードの濃さにやられて描かれているところを全く見ないし、終いには帰る故郷を失っている。
"作者"が分からないというのもキーポイント
キバは主に"背景"である過去にもドラマを与え同時進行させた稀有な存在。渡の権威は音也に求められるかもしれないが、じゃあ音也の権威はどこから? という点(ただしトートロジー)を描いた

 

写真はどこから撮っても真実しか映さない、どこからどこまでを切り取っても真実(存在)である

SNSのアイコン カメンライド 由来を知らずとも定着する
やんまヘボ
「ジョーカーってディケイドっぽい」
「トランプってアンデッドっぽい」
本歌取り


声優や役者の魅力は比較的背景に依らない存在論的なもの


ネガの世界では人を守るためにライダーを破壊

ディケイドは自分のルーツたる平成ライダーを倒さなければならない
あと実は10周年ではないのでそのルーツ(10周年"だから"ディケイド)はない


マニアックなキャラとそうでないキャラを図鑑として並列に並べるために背景の破壊が必要

 

前作

綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想